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2026.05
2006.09.18
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と言われることがある。

必ずどの学年でも一度は言われる。

一度しか言われないのは、
一喝して、差別と区別の違いを説き伏せるから。
大抵の子どもは一回で納得、いや、
そういう考えもあるのかと説得される。
ゆえに、そこは問題ではない。

問題なのは、各学年で毎年必ず言われること。
学校でも同じように言って、認められてきたから言うのか、
それとも、学校では「区別」しないのか。
一体どちらだろう?

「区別」することを、「差別」とはき違えてはいけない。

男女で対応を分けることが差別であるわけは無い。
こんなことでさえ、子どもは差別だと言うから驚きだ。

生物の本質として、
最も区別するに当然であるべきところなのに。

ここで、皆様にご意見を賜りたい。

では、テストを行うとき、合格点に差をつけるのはどうだろうか。
ちなみに、この場合のテストとは、
定期テストのような狭い範囲のようなものではなく、
模試のような短期間の努力では如何ともし難い様なテストの場合である。

私は、これも差別ではないと思う。
現時点での学力に明らかな差があるのに、到達点を同列に置くことは、
教育上必ずしもプラスに働かないだろうし、
何より、成績があまり芳しくなかった生徒が
一転、がんばってみたとしても、
短期間では如何ともし難いだろう。
むしろ同じにしたら逆差別ではないだろうか。

確かに、今までやってこなかったから悪いのだ。
だから仕方がないという意見もわかる。

また、社会に出ればそんな甘いことは言ってられない。
追いつくべく死ぬほどやるべき、
または、やらせるべきだろうという意見もわからないではない。

しかし、そう言ってしまったら、
まだ義務教育期間の彼らに
達成感を得るチャンスがあまりにも少ない。

彼らが、彼らの人生の中で最大にがんばったとしても、
そうそう追いつけるものではないだろう。
とすれば、少なくとも、しばらくは負けっぱなしの状態が続いてしまうのだ。
その中でさらにがんばれる、がんばり続けられる奴は、ごく稀だろう。

結果は、順位や偏差値、得点で十分に出る。
ならば、僕らが認めてあげられるラインとしての、
合格ラインくらい分けてやってもいいのではないか。

区別とは、如何ともし難い差を認めて分けてあげること。
差別とは、差を考慮せずに偏見で上から強引に分けること。
私はそういう風に認識している。
いかがだろうか?






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Last updated  2006.09.18 04:27:40
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