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2008年12月02日
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カテゴリ: 古代史
御陵とは「天皇の陵墓」のことを指しますが、
堺市では「御陵」は 仁徳天皇陵 のことを指します。


「
 民のかまどは にぎわひにけり
」


御廟山古墳を後にして、上の和歌の詠み手である「仁徳天皇陵」
に向かいました。

通称  仁徳天皇陵 は正式名を「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」


我が国の前方後円墳で最も大きく、世界でも、 秦の始皇帝陵 と
共に 世界三大墳墓 の一つに数えられるものです。

DSCF0472.jpg

ここも宮内庁の管轄ですので当然入ることはできません。

あまりの大きさに一望することもできません。

DSCF0473.jpg

これが模型です。完璧な形をしていることがわかります!

これだけ大きな古墳がどうして作られなければいけなかったのか?
と考えた時に 思い浮かんだのが「かまど」の話でした。

仁徳天皇陵は後世の理想であり手本とするにふさわしい
善政を行った天皇として、特別な尊敬を集めた天皇です。


「炊煙起」(すえんおこる)として取り上げられています。

仁徳天皇陵が春に 高殿にのぼって国の中を見渡してみると
炊事をする煙が見えなかった。
「これは人民が貧しくしているからだろう。
 これから三年は年貢を免除してやって、


年貢がなければ、朝廷に入るお金が途絶えてしまうので、
宮中は雨漏りがして、着物もぼろぼろになった。

三年ばかり経ち、外の様子を見てみると
かまどから炊事の煙が立つようになっていた。

煙已に起る。天皇喜ぶ 。

一方、民衆はみんな豊かになって、家にも蓄えが出来た。
「自分達がこんなに豊かになったのに、
 宮殿の修理をしないでいては天罰があたる」
ということで、申し出てたが天皇はなかなかお許しに
ならなかった。
やっとのことでお許しが出ると、民衆が日夜問わず
競うように働いて宮殿を作り上げた。

これは余に美談ですが、
この大きな御陵を眺めていると、後世の尊敬を集め
善政の手本とされた「かまど」の話が
本当だったのだなあと感じました。

現在でも度々話題になる「 無税国家論 」は
このかまどの話から由来しているのです!

なるほど!
確かに後世が手本とするような善政です!

大きな大きな御霊を感じます。







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最終更新日  2008年12月02日 10時23分41秒
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