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May 4, 2013
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 釈尊が説いた悟りに至る道筋が「四つの尊い真理(四聖諦)」だ。

四聖諦(ししょうたい)のうち
苦諦とは、苦しみの意味の真理
集諦とは、苦しみの原因について真理
滅諦とは、(その原因に基づき明らかにされた)苦しみを滅するメカニズムについての真理
道諦とは、苦しみを滅する具体的な方法(についての真理)
である。

 この道筋に従えば、悟りを開くことができる。

 前回は、苦しみの意味の真理について語った。

「苦しみが、思うがままにならないことを思うがままにしようとするときの抵抗感」
だということだった。

 次は、苦しみの原因について真理(集諦)だが、
苦諦について知ったばかりのあなたは、
「思うがままにならないことを思うがままにしようとすること」が、
苦しみの原因だと考えるかもしれない。

 悟りを開いていない人が単純に論理的に推測するなら、
これを苦しみの原因だと考えるのは当然だ。

 確かに、それは苦しみの原因だが、真の原因ではない。

 それが原因だとしたら、
苦しみを滅するメカニズムとは、同じく

となり、
苦しみを滅することを実現する方法は、
「思うがままにならないことを思うがままにしないこと」
または
「思うがままにならないことはあるがままに受け容れること」


 確かに、それも間違ってはいないが、それは表面に見えている部分であって、
それもまた別の原因の結果に過ぎない。

 原因の原因の原因というようにもうそれ以上原因が見つからないところが、
真の原因なのだ。

この考え方は、特性要因図という現代のQC手法によって手順化されているものだ。


 では、人が苦しまずにはいられない真の原因を探してみよう。

まず思い出して欲しい。
釈尊は、人を五蘊(ごうん)という五つの集まりによって成り立っているものだと見抜いた。

肉体とそれに付属する感覚器官と感覚機能、
それによって展開される想い、意志、判断という心の世界、科学的には脳の働き。

この人間システムのどこかにポイントがある。

釈尊を考えてみよう。
釈尊は、肉体も感覚器官も変えたわけではない。
つまり、ポイントは心の世界にある、脳の働きにある。

判断の変化は、意志の変化によるものであり、
意志の変化は、想いの変化によるものである。

 では、人の想いはどうやって生まれるものだろう。

ここで気づいて欲しい。
同じ状況に出会っても、人は同じ想いを抱くわけではない。

釈尊は触れていないのではないかと思うが、
想いにも原因がある。

この原因が違うから、同じ状況に出会っても人それぞれの想いを抱くことになる。

それが想いを発生させる根底にある基本的な観念だ。

ロボットを考えてみると、
この観念とは頭脳コンピューターの中のプログラムということになる。

敵対するものに出会ったら、
戦えとプログラミングされているか、
逃げろとプログラミングされているか、
和解に努めよとプログラミングされているか、
停止しろとプログラミングされているか、
相手の力を分析せよとプログラミングされているか、
自爆せよとプログラミングされているか、
どのようなプログラムかによって行動が変ってくるのだ。

人もそれと同じだ。
どのような基本的な観念を持っているかで想いや意志、判断、行動が変ってくるのだ。

その観念は、育っていく過程で形成される。

すべての人は、社会に適応するようにしつけられる中で、
さまざまな基本的な観念を身につけていくのだ。

それは
『~のときは、こうすべきだ』
『~のときは、こうすべきでない』
『~はこうあるべだ』
というような観念であり、自分の中で正しさという観念として形成されていく。

自分で判断して身につけた正しさは、その後の自分の判断で変えることができる。

ところが、法律や常識、道徳といった社会的な正しさは、
自分の判断を超えたところで作られ、押し付けられることがある。

そのような正しさは、
自分では変えることができない絶対的な正しさとしてその人を支配することになる。

そして、そのような絶対的な正しさは、
親などの条件付の愛という取引によって押し付けられていく

あなたにも覚えがあるだろう。
「映画館では静かにしなければダメよ。静かにできないならもう連れてきません」

親はあなたに親の愛と引き換えに自分の正しさを押し付けていく。
親は、その正しさを満たしたときだけ愛するという条件付の愛で愛する。

子どもは、それに対応しなければ親に見離されるという怖れを抱き、
しまいには、自分がその正しさの条件を満たしていないのなら、
自分には生きる価値が無いとさえ感じるようになる。

そうやって親に認められることで、生きる価値を感じるようになる。

親が押し付けてくる正しさに自分が対応できているかどうかは、
親にしか判断できないのだから、親の顔色を伺うようになる。

そのような仕組みは、
家庭という最小の社会を出て、幼稚園、学校、職場でも
規模を拡大して続いていく。

そこで押し付けられる正しさの条件をクリアするのは並大抵ではない。
正しさを押し付け、判定する人が増え、
70点でOKとする人もいれば、80点を求める人もいるからだ。

そこであなたは誰からも認められるように、より上を目指す、
どんどん勝ち抜こうとする。
それが欲だ。
どこまで求めてもそれが完璧にすべての人を満足させるとは限らないから、
欲は止まることがないのだ。

欲は多くの人から認められなければならないという不安から生じている。

欲の力の源は、
『人から認められなければ自分には生きる価値がない』
という怖れなのだ。

あなたの生存に関わる重大な恐れが根底にあるのだ。


あなたは多くの人に認められるために、自分の周りを価値で着飾る。

高い地位、お金、名誉、学歴、評価される職業、高価な宝石、
珍しいコレクション、見せかけの人徳、優秀な子ども。

周りの人がそれをすごいと認めてくれたとき、
自分が認められているように感じる、
自分の生きる価値を認められたと勘違いする。

だから、人はそこに依存する。
それにしがみつく。

依存対象を失うことは、自分の存在価値を失うことに等しい。
それはとてつもない怖れとなる。

だから、それが思い通りにならないものであっても、
なんとか思い通りにしようとしてしまい苦しむ。

怖れが論理的な思考を越えているからだ。

この怖れは、自分の存在価値がなくなる怖れだ。

 苦しみの原因は、まず自分の存在価値を信じられないことだといえる。

ではなぜ、自分の存在価値を信じられないのだろうか。

 それは、社会的な正しさとして
『~のときは、こうすべきだ』
『~のときは、こうすべきでない』
『~はこうあるべだ』
という観念を『絶対に』付で刷り込まれているからだ。

苦しみを感じる真の原因は、この『絶対の正しさ(という観念)』である。


                        さんた ひかる







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最終更新日  May 4, 2013 09:09:53 AM
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