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去年の11月に、クレイはみがきレシピを見直し、現在、落ち具合などの様子を見ています。旧レシピ:クレイ、重曹現レシピ:クレイ、グリセリン、ペパーミント精油、水ガラス瓶に作り、そのままフタをして洗面台に置いています。使う時は、フタをとって歯ブラシをビンに入れ、クレイを毛先にちょんちょんと付けるだけ。とっても簡単です。クレイに水やグリセリンを入れて乳化したことで、汚れの吸着度が向上したらしく、前よりステインが付きにくくなっています。現レシピは市販のチューブ歯磨きの味と大変似ており、使い勝手も大差ありません。クレイは吸着作用があるので、歯磨きを作っても優秀で安心です。クレイは内服出来るので、もしお子さまがうっかり食べても大丈夫。精油をオレンジやレモンに変え、グリセリンを多めに加えてお子様向けに作っても美味しそう。また、ローズやラベンダーで女性らしい香りの歯磨きにしても楽しそうですね!。一度、ユーカリあめが大変美味しかったので、歯磨きにもどうかしら?とミントの代わりにユーカリ精油で作ってみましたが、残念ながら私には1滴でもパンチが強すぎて、口が超スースーになってしまいました。1滴に対するクレイの量を多めにするか、グリセリンを多めにいれると良かったかもしれません。市販の精油を口に入れるのが恐い方にはこちら「飲める精油 アクアロム」 で作ると安心です。
2010.02.28
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日々つらつらと、クリスタルボウルを奏でているのですが、2月23日からOPプラチナボウルの音色が変わったような気がしています。それまで、音はすれども何故か響かない、という状態がしばらく続いていました。たとえて言うなら、折角のグランドピアノのフタを開けて思いっきり演奏出来る時に、コードにわざわざフェルトをかまして小さく鳴らしているような、そんな感じです。クリスタルボウルの音色って、奏者の心を反映するような気がして、「あたし何か、変な事したかしら?私の心持ちが悪いのかしら?」と気がかりでした。しかし22日の晩、小さな音で奏でてみると、あれほど余韻の無かったボウルが、うわんうわんうわん・・・と、音色を遠くまで運んでいきました。ありゃ?翌朝もう一度確かめるために、いろんなボリュームで鳴らしてみましたが、いつものプラチナ音色で、ほぼ元通り状態。現在は、まるで何事も無かったかのようにフツーに響いています。 考えてみると、平成22年2月22日は、2が続くということで、クリスタルボウルボウルや鉱物の世界でも、何らかのエネルギー変化があったのかもしれません。OPプラチナは恐らく、それまで何らかの情報なり、エネルギーなりを吸収していたため、響く音色を敢えて出さずに待っていて、22日にいよいよと、放出したのではないか?と感じています。私は勝手に、鉱物の世界は旧暦がメインかと思っていましたが、もしかすると石達は、現代人が使っている新暦とか、日本人が決めた平成歴も、受け入れているのかもしれません。クリスタルボウルって生きているのね。鈍い持ち主には、どんな情報がやりとりされたのかサッパリ分かりませんが、そう感じた出来事でした。
2010.02.25
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これは個人的解釈の妄想プレイです。右から左へ流してください。 ぼんやりしていると、父が到着しました。久し振りに親子2人水入らずで話すことが出来ました。ばーちゃんを介護していたときのこと、父とその兄弟(私には叔父叔母)のことなどなど。ばーちゃん、話題になっているのにまだ気配はありません。一体どこに行ったのやら。墓があるからといって、やはり常駐しているわけでは無さそうです。 叔父叔母がおにぎりやおかず、水筒を持って到着しました。沖縄では「清明祭」といって、墓前に親戚一同が集まり、重箱料理を食べるピクニックのような行事があります。他の地域もあるのでしょうか。まぁとにかく、清明祭の朝バージョンみたいだな、と思いました。ちなみに、清明祭に写真を撮ると、たまに見えないものが写ったりします。私達だけでなく、ちゃんとあちらの世界の皆さんも参加して下さっているようです。昔の人は、こういうことをちゃんと理解し、身体が無くなってもキチンと敬っていたのだな、と思うと、たまたま私達の世代はそういう能力が少し退化しているだけなのではないか、という気がします。だから、スピだのサイキックだのとビックリする事でもなく、エンターテイメントでもなくて、もともと自分達に備わっている本能的な部分で、使おうと思えば使える余地が残っているはずです。 本能的なスピマッチョは精神的筋肉がムキムキ、みたいな感じで、使えば発達する筋肉のようなものかもしれません。 お弁当を広げ、水筒のお茶を茶碗に注ぎ、仏前に並べ、お線香を上げて「朝ごはんだよ~」と手を合わせます。気が付くとおばーちゃんがそこにいました。といっても墓側ではなく、私達側にいて、みんながちゃんとお線香を上げているか、線香の本数が足りているかなど、気を配りながら様子を見ているようです。 ばーちゃん、お線香を焚いているこっち側じゃなくて、私達の向かい側にいるのがフツーだと思うんだけど。ナチュラル過ぎて、一体いつどの方角から来たのかサッパリ分かりませんでした。 続く。
2010.02.19
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先に言い訳を。そもそも素人の私が書いたからどーなんだ、というネタですが、ここ数週間の間、あまり眠れない状態になってしまったため、書いてスッキリし、安眠するために書く事にしました。あくまで個人的解釈の世界ですので、妄想プレイとご笑納頂けましたら幸いです。 ばーちゃんが亡くなり、初七日までの間に、お墓へ朝食を持っていく、という儀式を、父やその兄弟たちが行っていたときのことです。こういう家族儀式があることを知らなかった私は、モノは試し、と一度参加してみることにしました。聞くところによるとこの儀式は、身体という入れ物が無くなった魂が、「これは夢じゃね?」とカン違いしていたり、遣り残した事があると感じてさまよっているときに、親族が墓前に故人の分の朝食を届け、そこでみんなで朝食を摂る事により、今までとは異なった状態であること把握し、「やっぱり自分は昇華したんだ」としっかり理解してもらう、という意味があるそうで。私達のところでは初七日まで行う、というのが普通のようですが、場所によっては四十九日まで行うこともあるそうです。 墓前には、故人の履物を置き「あなたの新しいお家はここですよ」アピールを、併せて分かりやすく行っていました。これもお坊さんの指示があったようでした。なるほど納得です。自分の靴があれば、誰のために?というのが明確になりますね。 少し早く墓地に着いた私は、いったん墓前まで行きましたが、おばーちゃんはいないようでした。どこへ行ったのかしら?まあいいや。私は墓地の外へ出て、暫く墓地の様子を感じていました。 で、墓地を説明せよ、と指示が出ているようなのでとりあえず書きまつ。 墓地は故人を奉る場所であると同時に、あちらとの世界の1つの小さな入り口になっています。たとえて言うなら、大きなプールにある更衣室のようなものです。あちらの世界や大いなる宇宙を、プールに例えたとしますね。 あちらの世界に行くには、身体という荷物や服を脱がなくてはなりません。服(身体)を脱ぎ、現世で経験した知識という名の「水着」に着替えて、まずはシャワーを浴びます。現世での垢を落とすわけです。そして、1液、2液、と消毒液に浸かります。垢以外にも残っている、しがらみや後悔などの念を、綺麗サッパリ落とすわけです。そして、準備体操をシッカリ行い、あちらの世界へ行きやすくしたのち、やっとプール(あちらの世界)に入ります。あとはゆうゆうと泳ぐだけです。 もちろん、着替えを行っている時、シャワーを浴びている時、消毒液につかっているとき、準備体操をしているときも、しっかり見守っている世話役がいます。本人は着替えたつもりでも、ただ単に夢の中でプール(あちらの世界)に来ているだけだったら、世話役さんが「見学して帰ってね~♪」とある程度のところで帰してくれます。服を全部脱いで裸になった!と思い、勢い余って消毒液まで辿り着けたとしても、よく見たら、靴下片方が脱げていなかった(ほんの少し後悔が残っていた)、としたら、「戻ってみようか」と、これまた帰されたりして。いよいよ準備運動の段階まで来た!と思っても、風邪っぽい?=心残りがある?と判断されたら、また服を着てにご帰宅です。 お墓をプールの更衣室に例えたのは、そんな感じからです。何となく、つかみはOKでしょうか。分からなかったらごめんなさい。 墓地に何故恐そうな雰囲気が漂っているか、ということですが。あちらの入り口で、更衣室でもある場所では、まる裸の人や水着だけの人達が大勢います。プールという名の大海原に入るため、心の準備をしている人もいれば、水着の形(経験値)を気にしている人もいます。そんななか、身体という服を着た人がずかずかと入って来た日には、場違いそのまんまですし、お互い気まずい状態になってしまいますよね。そこで、「恐い」をドアやカギ代わりにしているわけです。あちらの世界では、物質で壁を作ったり、かぎ付きのドアを設けたりすることは出来ないので、代わりに身体を持った相手に分かるよう、電磁波のようなもの(スピ系用語でいうとポータルとか、グリッドのようなもの)を張っています。それは、身体を持った相手が本能で「恐い」「不快」と感じるようなっていて、3次元に身体を持つものの機能を上手に活用している、と言えると思います。「楽しい」と感じたら、ブロックになりませんものね。当然、といえば当然かもしれません。 長くなりましたので、いったん切ります。
2010.02.18
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クレイは赤ちゃんやお年寄りのおむつケアにも使用されています。「生理中のレディースケアにはどうかしら?」とふと思い、早速使用してみました。使い方はとっても簡単。クレイをティッシュやコットンなどに少量つけて、患部にパタパタとつけるだけ。使ってみてビックリ。かぶれなどによりずっと訴えているチクチクした違和感が、パタパタするだけで静かに引いていきました。サラサラしてとても気持ちが良いです。クレイが薄い膜を作ってくれるようで、ナプキンが直接肌に触れた時のこすれる感じや、ビタッとくっつく感じがありません。ナプキンを交換する時も、何となく楽でした。クレイには防湿気作用や防臭作用もあることから、むれや嫌なニオイが抑えられたようです。沢山つけると逆に乾燥させてしまうようですが、軽くはたくぶんには問題無い、ということが分かりました。調べてみると、市販のベビーパウダーは、植物性のでんぷん質(てんかふん、コーンスターチなど)と、タルク(滑石)の組み合わせで出来ている事が多いようです。最近では、タルクの代わりにフランス産クレイを使用している商品もあります。安全性の面から、クレイはますます注目されているようです。タルクを調べてみると、化学式では3MgO・4SiO2・H2O。クレイにも、マグネシウム(Mg)、ケイ素(Sio2)などが含まれており、成分的に非常に似ているようです。ちなみにペリドトットは(Mg,Fe)2SiO4で、これも大変似ています。ペリドットは昔、痔の治療薬として使用されたとの文献もあり、現代のクレイやタルクの使用方法との共通項を感じます。ペリドットをパワーストーン的な意味合いから見ると「暗闇への恐怖や妄想を吹き飛ばし、ネガティブなエネルギーから身を守る護符。」とありました。ペリドットの仲間でもあるクレイをパタパタさせると、患部をケア出来る安心感から、パワーストーン的な意味合いで、心理的にお守り代わりにもなるかもしれません!。昔の人が培った経験や知恵を、化学のチカラと合わせて活用出来る、現代に生まれた私達は本当に幸せでだなぁと感じました。
2010.02.17
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先日、技術向上のためヘッドセラピスト講座を受講し、実技試験・筆記試験を経て無事合格しました!。ヘッドマッサージは、過剰な緊張状態から解きほぐし、自律神経系や内分泌系に働きかけ、間脳を調整し、施術後はスッキリとした爽快感を味わえる、と概論にありますが、難しいことはさておき、気持ち良く、心地良い寝オチの世界へいってQ~♪な感じです。講師は「フットセラピー エール」のオーナー、a-miさん。本当に、本当にお世話になりました。また、ヘッドマッサージの練習台になってくれた家族・友人・知人・お客様のみなさま、お忙しいなかお時間を頂きまして、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。これを機に、さらなる愉快な癒しの世界をご提供すべく邁進いたします。「深い」と打ちたいのに「愉快」としょっちゅう打ってしまうのでそのままにします。恐らく私には、深遠で荘厳な世界より、愉快で楽しい世界が合っているということなのだろうな、と勝手に解釈しています。
2010.02.16
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フットセラピー エールの a-miさんが「温かいよ~♪」と教えて下さった「緑豆アンカ」を作ってみました。元記事はこちら!。電子レンジで数分チン♪するだけなので、何度でも使えますし、放置していたら自然に冷めるので、低温ヤケドの心配もありません。2~3分温めると緑豆の懐かしいようないい香りがして、プチアロマな気分も味わえます。サイズは縦45センチ、横13,5センチ、重さは1,4キロ、だそうです。まんま真似させていただきました。緑豆は、業務スー〇ーで2キロ480円でゲットしました。安上がりですね。早速使ってみました!。レンジで2~3分チンして温め、先にベッドに入れておくと、横になる時布団がヒヤッとしなくていい感じ。ベッドに入り、仰向けになって、お腹の上に乗せてみました。重たいかしら?と思ったらそんな事は無く、むしろ心地良い重量感です。a-miさんが言っていたとおり、お腹~骨盤~腰までしっかり届く長さで、とても温かいです。肩や首周り、足など、何処にでも使える大きさだと思いました。ほほ~♪こりゃ便利~♪…と思っているうちにアッサリ寝オチしちゃいました。温まると身体と心がほぐれて休まり、寝オチしやすいようですよ!。a-miさん、ナイスな安眠グッズを教えて下さって、本当にどうもありがとうございました。
2010.02.13
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12月、1月と立て続けに親戚が旅立ったり、結婚式に出席したりと、さまざまな人生の岐路に立ち会いました。別に何をした訳でもありませんでしたが、思ってもみなかった感情が出て、心の揺れ幅が大きかったです。ようやくひと段落したので、またブログでも書いてみようかな、と思いました。長い間入院していた親戚が宇宙へ旅立った時、私はお疲れ様でしたと祈りを捧げていました。親戚は、肉体があることで感じられた重力や握力、身体バランスなどの感覚が無くなり、ただ意識のみの世界に行ったことで、あまりの感覚の違いにボーっとしているようでした。身体がある、ということは、それだけでかなりの意識や感覚を所有します。たとえば気温や湿度、他人との境界線、重力、自らの重み、物の重み。これらは、ただ意識のみになったときに受ける感覚とは違うようです。今まで培ってきた価値観や、身体感覚を通して覚えた経験や知識が通用しなくなるわけですから、呆けても当然かもしれません。何度も4文字の言葉を、繰り返し話しかけられたような気がしましたが、はっきりとは分かりませんでした。恐らく、残された妻が気がかりだったようで、妻が空虚感を感じないよう、またこれからの気分転換になるように「盆栽」でもしてもらえたらと伝えて欲しい、妻を「よろしく」と言っているように思いました。後で奥様に聞いてみると、奥様はガーデニングが好きだが、このところ看病で多忙だったため、庭師を頼んだりして自分でやっていなかった、とのこと。そのことかもしれません。どうも私のフィルターがイマイチなため、盆栽、という表現になったようでした。後日、家族にこの話をした時、故人は「かまぼこ」が好物だったようだ、口癖が「そうかね?」だったらしいよ、「かまぼこ」も「そうかね?」も4文字だね、と連想ゲーム状態になりました(^^;)。肉体がある、身体を有している、ということは、あちらの世界から見ると、地球で生きるための価値観のはじまりでもあり、あちらの世界から来たときのオプションでもあり、執着の始まりにもなる、地球独自の面白い意識の有し方かもしれないな、っと感じました。
2010.02.10
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