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随分前に小室直樹と言う著者の「数学嫌いの為の数学」と言う本を買った。読んで字の如く、数学嫌いだからである。帯に数学は論理である、と書いてあった。論理なら大得意なので、買って見たものの、余りに多忙な時で、結局読まずに終わってしまった。それが、二年程前に改めて読み返して見た。まあ、何を書いてあるかは置いておいて、腑に落ちなかったのが、中で紹介されている、「ユークリッドの公理」の説明である。公理は第一から第五まであって、第四迄で平面に円を描く事が出来る。次の様なものだ。1.任意の点から任意の点へと直線を引く2.直線は延長が出来る3.任意の点と距離(半径)で円を描く4・直角は全て相等しい(直角とは、円内に十字を置いて上下左右を作った場合の直角の事)ここ迄で円が完成する。問題は次の第五公理。5.1直線が2直線に交わり、同じ側の内角の内側の和を2直線より小さくするならば、2直線は延長されればその先に於いて交わる数学では、この第五公理が今一つ意味不明で、これを「平行線の公理」と呼んでいると言う。著者の説明によると、例えば正面に二本の線路があるとして、それを延長して行くと、交わる様に「錯覚」すると言う事であるが、錯覚だったら「交わる」文言は必要無い。それに図画で言えば同じ様に線路が消失する風景画を一点画法で描くが、その様に見えても実際は消失してないのである。二点画法で描けば、線路は平行線のまま交わらない。これって数学者が言う様に、本当に平行線の公理なんだろうか。文章をどう読んでも平行線の公理にはならない。府に落ちない・・・。最も、後で調べたらユークリッドの幾何学言論は他にも20幾つの定理他ある。だから、幾何学原論を全て読まないと説明が足りないのかも知れない。しかし、数学嫌いが間違っても読む様な代物ではない。だから、この五つの文書のみで全て判断しているんだけど、それでも論理的に言っておかしい。これは「平行線の公理」を書きたいんだと言われたら、「そう言おうとして文章説明に失敗したんだな」と思って終わるのであるが。でも、文章を読むとどう読んでも、これは「収束の公理」である。そこで考えて見たのだが、「平行線の公理」でなかった場合、ユークリッドは平面上に著した円(面積)を、{いかにして}今度は消失させるかを説明しようとして見たのではないか。問題は、第五公理は三次元の立体的空間を持った世界の収束法を指摘しているので、(と言う事にしておいて)二次元平面の円の面積は普通この用に収束しないと言う事だ。数学は元々エジプトで発達したと言うが、それもナイル川沿いの肥沃な土地を各自に分割して耕作するが、年に一回ナイル川は氾濫して新たな土が運ばれ、以前の場所が埋められてしまうので、また新しく面積を求めなければいけないそうで、その為に数学が必要とされたと聞く。(これは前述の本には記載されていない)だから、ユークリッドの第四までの円の面積が消失する場合は、やっぱり押し流されるのが妥当な消滅法だ。ただ、もしユークリッドが例えば平面ではなく、上下に空間を持った世界の真ん中に面積を持つ円を横に書いて、その円から例えば下方の空間が消失する公理を書きたかったのなら、そもそも「円」を作るのではなく、「螺旋」状の球体を作らなければいけないのである。半円球の真ん中が前述した平らな丸い面積として、その下方(或いは先)も同じ様に半円球を描き、頂点に向けて収束するなら、その説明は公理として成り立つ。私がこんな風に思ったのは、実は随分前に自分で宇宙空間の全貌に付いて考えてみた事があるからだ。考える時には当然天文学に関する本は読まない。答えを教えられては敵わないからだ。だから以下の事は全て私の思考によるもの。自分で考えた場合、論理的に言って宇宙は螺旋状の球体を取る筈であった。今はまだ、その途上の状態にあるのではないかと思う。宇宙空間の外に空間は無いと思われる。空間の外は空間の内部と言う、マクロ宇宙に対するミクロ、小宇宙の別空間が中にあって、この二つはメビウスの輪の様に繋がっているのではないかと思う。こう言う事を昔考えていたので、第五公理を読んで、これは実は宇宙の様な、空間の消失を説明した「収束の公理」だったのではないかと思ったのである。大体、第四公理まで読んで、いきなり第五の「平行線の公理」が出てくるのは「非論理的」ではないか。第四までで面積を持つ円が出来上がる。と、なると普通それに続くと考えられるものは、その面積を持った円の今度は消滅を説くものであって、いきなり「平行線」は無いんじゃないかな。論理的に考えるなら、第五は円、丸い面積の世界の(を真ん中に持った球体空間の)収束の公理だ。と、私は思えてならない。何故「数学とは論理である」と言う一文に安心して読んで、ここまで非論理的な文章が出て来るのか悩んでしまった。こっちは数学嫌いだが論理家である。もう何年も前に考えていた事を、何故急に今書いたかと言うと、今年コロナ災禍で少し時間に余裕が出来たからだ。何の活動も出来ないし、全く東京へも帰れない。ふと思い出して、綴って見る事にした。第五公理は「平行線の公理」なのか、懐疑派を自認する私としては、是非知りたい。周りに数学が分かる人が全くいないので、大学の数学の教授に質問をして見ようと思ったが、「質問したい事があります」のメールに対してから返答もなかったので、聞けなかった。勢い、欲求不満で久しぶりにブログに書いてみた訳である。誰か分かる人がいたら、手紙を書いて・・・と、思ったけど、コメント対応で再びfc2ブログを開きました。(前のブログのパスワードが分からなくなって・・・)楽天はコメント欄は開きません。悪しからず。「fc2ブログ倫理の進化コメント」で開きます。と思います。只、私は以前と違ってネット環境の無い所に住んでいます。お犬様達と・・。パソコンを見るのはせいぜい一週間に一回、図書館にて。ですので、数学に詳しい方、コメントの対応は非常にゆっくりのなのでご了承下さい。
2020.09.15
日本の一市民として、看過出来ない事が起きています。北海道七飯町の、児童、及び父親に関しての報道と、世論です。客観的に見ていて、異常だとしか言えません。児童の父親も事ではありません。彼を叩くマスコミ、そして市民の白熱ぶりです。一体何をそんなに騒いでいるのでしょう。行き過ぎた行動をした息子に、父親が躾をしただけです。頭の暴走を抑えて、少し私の話を聞いて下さい。子供は躾の最中に、山へ入って行方不明になり、一週間ほど危険な状況にいた事は分かっています。でも、無事に見つかりました。めでたし、めでたし、本当に良かったです。で、何を皆さんは、そんなに怒っているのですか?あの児童は、皆さんにとってわが子以上の存在なんですか?無事が確認された今も、日本中が騒いでいるのは何故なんです?虐待で、親が子供をまた、殺し掛けたと思っているのですね?大丈夫です。違います。私は親子の知人でも友人でもありませんが、皆さんよりも冷静な人間ですから、きちんと判断出来ています。とち狂った物の見方はしていません。冷静にね。躾と虐待は違います。児童が山で行方不明になっただろう、死ぬところだっただろう、と言う訳ですね。全くです。中々とんでもない子供です。自分から山に分け入って行くなど、無謀すぎます。一体何故、8歳にもなる男の子が、「道をわざわざ外れて」「自分から」山に分け入ったのでしょうね?勇敢過ぎますね。流石のお父さんも、ご子息がそこまで無茶苦茶の事をするとは思わなかった様です。さぞ、ご心配になった事でしょう。いいですかー、皆さん。冷静に。子供は、自分から山に分け入りました。思い出して下さい。父親は、お子さんを、躾の為に車で離れた所に運び、「道に下ろした」んです。お父さんは、道なき山の中に手を引いて、子度を置き去ってはいませんよ。小学二年生の児童です。「道」を、辿らずに、体を90度左右どちらかに向けて、「山に」入れば、「道」は「辿れない」事は分かっています。逆に言えば、道さえ辿ればこんな事態には至りませんでした。子供は、自分から山に入ったのです。親が残した道は辿らずに。何故でしょう?親の躾に不服だったのでしょう。親御さんは、少年が石を人や車にぶつけた事を、叱ったんです。少年が、そのお仕置きに不服だったのでしょう。道に止まるか、道を辿れば、お父さんと会います。叱られるのが不服で、恐らくは親に心配を掛けて、「ぼくを叱った事を反省させてやろう」と、思ってしまったのでしょうね。8歳にもなる歳で、人や車に向かって石を投げる子供らしい、きかん気の子供らしいですね。少し、頭の法は冷静になった来てくれましたか?皆さん。8歳児は、一体石の硬さ。人に当たったら、怪我させる事を、分からない年齢だと思いますか?さあ、今度こそ心も落ち着いて来てくれました?私は叱らないですから、リラックスして下さい。あなた方を、きちんと今は、指導させて欲しいのです。皆さん。「人に石をぶつけたら怪我をさせる」 と言うことは、三歳児くらいで、学びますね?もちろんです。三歳児になる頃なら、「石を人にぶつけてはいけない」と言う、理屈が分かるんです。少年は、8歳になる頃なんです。この分別の無さは、少々危険です。分かりますか?あなたの近所に、小学二年生になった男の子で、あなたや、あなたの子供、或いは、車に石をぶつけて来る子はいますか?いたら、どう感じるか、想像になって下さい。石が、小さい子供の目や、頭に当たったらどうしますか?あなたの車が、塗装がはげたり、へこんだ程度で済まないのですよ。小さい子供の体は壊れやすいんです。石が顔面や頭に当たったら、一生残る障害を、負ってしまうかも知れません。少なくともあなたは、間違いなく、自分の近所に、石を投げて来る小学二年生の男の子は、欲しくないはずです。そうですね?犬や猫のパパとママも同じです・そんな事をする子供がいては、おちおち外に自分の子供を出せません。少年のお父さんは、きちんとそれを理解しています。自分の子供を放置していませんよ。「子供のする事だから」 で、見過ごしてはいません。きちんと、真剣に。その乱暴な振る舞いを受け止めて、真剣に向き合ったんです。だから、懲罰に出たんです。やり過ぎでしょうか?私は全くそうは思いません。30代の父親にしては上出来です。子供を殴って蹴って躾けるのではなく、「反省させる」手段を取りました。いいでしょうか。こういうきかない子供は、自分の小ささを知らないんです。親の言う事にも素直に頷かない。悪いと思っていないから、反省しない。分かりますね?素直な子供は、そもそも人や車に、8歳になってもまだ、「石をぶつける」と言う真似はしません。我が強くて、聞かない、乱暴な子供がそれをします。率直に言って、少年の根性は、乱暴過ぎる様です。父親は、ちゃんと怒りを抑えて、躾けの範囲で対処をしていました。反省をさせる為に、必要な手段を取ったのです。この場合、最も効果的な方法は、「子供を不安にさせる事」です。不安に包まれれば、子供は冷静になって、親を求めて頼ります。我を捨てるんです。この時、恐れから救い直してくれた親を、初めて尊敬、若しくは頼り、素直に躾けを受け入れるんです。お父さんは、この不安定な状況を作り出す為に、あえて心細くなりそうな場所を選び、そこにしばらく置いて、反省を促したかったのです。反省した後なら、少年はお父さんの戒めー「石を、人や車にぶつけてはいけない」と言う事を、受け入れるのです。北海道の道は単純ですし、「道」さえ辿れば、必ず人と行き交うか、お父さんが頃合を見て戻ってますから、決してあんな事にはなりませんでした。自分から山中に進んで行ったのは、幾らなんでも、8歳児としても尚、分別が少な過ぎます。父親の躾けに腹を立てた、少年自身の、更に許されざる問題行動であったと、私は見なします。これによって命を落とす寸前でした。助かった事を、本当に喜んでいます。念の為に。 私は子供好きで、有名な人間なんですよ。自分で子供を生んでいないので、「まだ」人様の子供を誘拐して、育ててないのを、褒められるくらい、子供好きです。8歳児でも躾けは躾け。いえ、8際になっているこそ、もうこれ以上、一日も遅らせられない躾けでした。この子のお父さんは、皆さんよりも分別がありますよ。父親として、自分の責任や、役目を分かっています。目を背けてしませんでした。山中で行方不明になった事は、冷静に見て、少年自身に責任があります。8歳児は、「迷子にならないように」行動する事を、期待して無茶な年齢だとは、思いません。それでも子供の被った危険性を問いたいのなら、私から質問です。子供に川遊びの経験をさせたいと、父親が川へ連れて行き、ほんの少し目を離した隙に、事故が起きて子供が亡くなった際、皆さんは、ここまでその父親を責めますか?わざと殺したいところか、遊ばせてやりたかったのです。迂闊さは認めますが、故意にやるのではありません。子供を放っておいて、お酒を飲んで寝ていた。大分これだと罪は重くなりますが。疲れていて、少し居眠りをしてしまった、その間に事故が起きたー、責めますか?人の痛みは、分かってますね?そう言う事です。あなた方を見ていたら、そうやって、海や川や、或いは山で子供を事故で死なせた父親は、死刑に値しますね。何て国民性ですか。事故と故意の区別はつきますね?あなた方についていないのは、虐待と躾けの区別なんです。その区別がつかないのは、あなたがそれを、恐らくは両方とも知らないからです。社会も分かっていません。躾が出来ていない人間が大人になって、子供を虐待してるんです。あなた方は、少年の躾を妨げています。今は8歳児です。しかし、このまま、人や車に石をぶつける子供が、中学になったらどうしますか?高校生になったら?躾けのされていない子供が、まさか8歳の頃と、同じ程度で収まるとは想像しませんね?さあ、この子がいつか、自分が父親になったらどうしますか。8歳児の時に、3歳児並の分別を見せてくれなかった子供ですよ。考えて下さい。因みにあなたは、その子の近所で生活したいでしょうか?誰が子供を躾けるんですか。事の重大さも分かろうとせず、ただ子供が行方不明になった事を取り上げて、躾け中の「予測出来なかった(8歳児が、道を捨てて山に入ると言う予測は、この場合普通しません。出来ません。8歳児の思考力を控え目に見ても難しい)」行為を、異常な怒りを以って責めまくる、あなた達でしょうか。私は、この七飯町の少年の躾けは、皆さんにお任せしていいでしょうか?一緒に暮らしているか、少年の学校の先生でもなければ無理だと思いますがーしてくれるんですね?悪い事は悪い。石を人にぶつける様な危険な事は し・て・は・い・け・な・い。きちんと 責任を持って、きちんと躾けてくれるんですね?父親を、正しく公平に評価せず、子ども自身にこそ問題のあった今回の、責めを一切背負わせ、総掛かりで非難した以上は、やってくれるのでしょうね。枕を高くして眠れるわ。出来ないでしょう?庇うばかりで躾をせねば、モンスターの様になる子供もいるんですよ。生まれつきの個性でね、たまに「きかな過ぎる」子供は、間違いなくいるんです。真剣に向き合う親を、あなた方によってこの子が失えば、今すぐ深刻な状態になります。冷静になれましたか?では、この意見を周囲に伝えて下さい。人づて、ネット、電話。テレビや新聞、ラジオ。ここで古くから、私の馴染みの方たちへ。北原は、今体を壊し、病気を抱え、二年前から、犬たちのいる山に、移っています。なので、ネットも何もありません。自宅のパソコンは切りました。電話も、携帯しかありません。今、この事態を知って、急ぎ釧路まで来て、ネットカフェで文章を綴っています。こちらは、これからお天気が荒れるので、なるべく早く帰らなければ、事故になりかねません。体調が思わしくない上に、ここまらうちまで、1時間と30分程、車の標準速度でかかるのです。ですから、これを見たら協力をして下さい。マスコミと世論の異常な熱を冷ますために、この文章を自由に使って下さい。動いて下さい。このままでは、父と息子の間に深刻な亀裂が避けられません。既に父親は、深刻な精神状態に入ってるはずです。ですから私は、他の何よりも、優先させて、対処に来ました。暴力を見過ごしてはいけません。加わるのは、もっといけません。動かないで無視するのは、暴力への協力です。文章がうまくまとまっていない事はここで詫びておきます。今の体で精一杯の事をしました。後はあなたの協力が必要です。
2016.06.08
今の近代文明に、骨の髄まで漬かってる人間に、人間の一つの基準について、間違ってる点を、光を当ててみたい。近代(ヨーロッパ文明)文明の、優等人種の考え方の一つは、「文明的な生活を送っているか。」であるが、これは明らかに誤っている。優等人種、劣等人種と言う分類で、かつては白人種と有色人種が、優等、劣等に分けて考えられていたが、道徳的に見て、これは全く常軌を逸した偏見である。道徳問題を抜いて、生態学的に、もしも優等、劣等の区別をつけるのであれば、真の優等人種は、黒人種であると言う事が、証明されている。彼らは、運動能力的にも、耳目の発達性に於いても、白人種よりも、遥かに優れているのである。しかし、我々は何か自分にとって優秀な事を一つでも挙げ、他者との差別化を図るべきではない。私が教えておきたいのは、人間の優等生と言う尺度は、文明的生活を送っているかでは、全く基準を持たない、と言う事だ。人間の存在を重点に考えてみるならば、文明的生活を営んでいる人間よりも、自然と共に生きている人間の方が、遥かに高い知性と、精神、そして知恵を備えている。文明人が、自然民族に教える事が出来る、価値ある事など一つもない。7代後に生まれて来る子孫の為に、世界をより良く残そうと努力する彼らに、近代技術のコンピューター等もたらして、使い方を教えるのは、愚か者のする事だ。少なくとも自然民族は、パソコンや携帯や家電品の使い方より、もっと重要な事を知っている。何十万円もするブランド物の洋服を身にまとった人間が、樹皮で編んだ服を着ている人間を、超える事は不可能なのである。彼は、服を買えても、服の作り方を知らない。結局の所、政府にも何にも頼らないで生きて行ける人間こそが、より進化した人間なのであり、文明人の生き方と言うのは、人間個々に於いても、その生活形態に於いても、進化を後戻りしてしまった状態に過ぎない。日本人はアイヌ人を、アメリカ人はネイティブ・アメリカンを、未開の劣った蛮族と見下したが、真実は、彼らこそが人類で最も進化を極めた人間たちであったのである。彼らは何万年に渡って、進化した人類として地上で繁栄していたが、その彼らを滅亡に近い状態に追いやったのは、文明によって退化した、原始人に近い、野蛮で暴力的な近代文明人であったのだ。近代文明社会とは、そこで暮らす者が信じてるのとは、実は全く正反対の素顔を持っている。人間は、近代文明に依存するこそ、恥であり、自分たちが生きる世界に対しての詳細な知識を失った、無知蒙昧な、未開の蛮族である事を、知らねばならない。以前、2008年に、私が「終章」で書いた様に、近代文明はその稚拙さ、愚鈍さ、貪欲さ、等から言って、もう間も無く滅亡する文明である。私個人は、今の文明が終われば、自分の役割も終わるので、そのまま自然民族たちの元へ帰る。こうやって、パソコンを使って、訴える必要もなくなるからだ。電気も、ガスも、水道もない、お金の要らない生活に戻る。ただ、余りに文明に頼り過ぎた結果、弱くなり過ぎて、自然の中で生きて行けない人間たちは、もう一度だけ、最後の文明を築くといい。近代文明は、数学を基本として成り立っている。汎神論を、基本とした文明を、一から作り上げるのだ。それなら、君たちにも出来よう。我々は、君たちが、人間としての範を超えない限り、文明の基盤を作る為に、多くの協力をするだろう。一つの参考として、日本文明は、実は最も、汎神論的性質を持った文明であった事を特筆しておきたい。日本社会の中で、封建制度と共に、「武士道」と言う道徳律が誕生し、完成された事と、日本文明の基盤に汎神論的精神がある事は、目に見えない所で、実は深く繋がっているのである。この日本からなら、日本が欧米の背中を追う事を止められたらの話ではあるがー、新しい、そして恐らく、人類最後となる最も精神性の高い文明が、生まれる事は可能である。そして今、正にその為に、私は文字を綴っているのだから。人類の、黎明期の為に。この章の終わりにー。先天的に、邪悪な人間たちに、私は宣言する。あなた方は、敗北すると。人間は、間も無く自省と内省を始める。スマートフォンでゲームを煽り、タブレットだの、アプリだの、何だのと開発を続け、幾ら人間から考える力を奪おうとしても無駄だ。歴史を見るがいい。良心は、常に利益に勝利して来た。成る程、君たちは実に巧妙にやっている。だが、それでも君たちは、敗北する。如何なる快楽、如何なる権力を持ってしても、絶対に悪は善に勝利出来ない。それは何故かと言えば、人間は、感動と言う感情にだけは、必ず屈する存在であるからである。我々が生命体である以上、私たちから感動と言う感情は奪えない。本当の感動に出会った時、人間は富も権力も略奪も止める。白人が、黒人を奴隷として使役する事を止めたのは、時代の流れや、黒人の抵抗を受けた為ではない。我々は、底辺で人間として心を分かち合っている。白人は、黒人を使役して得る事が出来る利益よりも、黒人と肩を並べて愛し合って暮らす、素晴らしい感動に屈服したのだ。愛は、欲望の前にしばしば敗北する。しかし、感動と言う感情だけは、あらゆる邪悪さ、欲望さえも駆逐する力があるのだ。イスラエルにも、必ず同じ事が起こるだろう。どれ程パレスティナを蔑視し、敵対させようとしても、必ずイスラエル人は、パレスティナ人と愛し合う様になる。自然と敵対している人間も同様である。和解と理解、友愛は、感動を生む。生命は、どんな機械より、技術よりも美しい。君たちが民衆を自分の富や権力の為、隷属させる為に、どんなものを作って喜ばせ、騙したとしても、我々には敵わない。我々の作り出すものは、道具ではなく、生命であり、感動だ。一度その感動を味わった人間は、この世にそれ以上、価値あるものなど、ないと言う事を悟るだろう。邪悪と欲望は、感動の前に必ず敗北する。・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2013.01.13
邪悪性は、本質的に怠惰が基盤になっていると書いた。一つに、人を邪悪にせしめるのは、社会通念から自己を切り離し、普遍的真理と、その時代の社会常識の中で、自分はどちらに属しているのかと、常に自省する事を怠る事である。自省、及び内省と言ったものは、自分自身の欠陥を絶えず見張り、それを見つけたら、直ちに修正する事である。また、ペック博士が邪悪性のもう一つの性格として、重要視しているのが、「自己愛」それも、「悪の自己愛」である。悪の自己愛とはどういうものか。一般的な自己愛とは、自分の容姿や能力に対して、他者に抱く様な陶酔や憧れを持って意識する事である。それに対して悪の自己愛と言うものは、「屈服する事のない意思」だと言う。以下は博士の文章の要約であるが、精神的に健全な人間は、道徳的、良心的なものに従おうとするものであると。しかし、悪の自己愛を確立した者は、それがどんなに道徳的な価値観であったとしても、自分の信じるものと相反した場合には、これに従う事、受け入れる事を断じて拒否する。邪悪な人たちにとっては、「自分の罪悪感と自分の意思とが衝突したときには、敗退するのは「罪悪感」であり、勝ちを占めるのが「自分の意思」である。」(P103)イスラエルの一般的な人間を例に取ると、この原理は説明しやすい。即ち、一般的なイスラエル人は、パレスティナ人を、イスラエルや、他の人間と同等の存在と見なしていない。パレスティナ人は、人間以下であり、イスラエル人によって征服され、従属すべき存在なのだ。どれだけ、人種差別が原始的で、分別を欠いた時代錯誤の迷信だと言っても、パレスティナの人間がイスラエルの人間より、人種として劣っていないと説いてみても、殆ど国家レベルでこの考えを代々教育して来たイスラエル人には、この理屈が解からない。民族としては、非常に優秀な人間を多数輩出しているにも関わらず、事パレスティナ人に対してのイスラエル人は、幼児なみに無知であり、尚且つそれを貫き、頑迷極まりなく、普通の人には精神病患者か、余程の知恵足らずに見えるほど、愚かで馬鹿げている。悪の自己愛とは、この様に、理解すべき最もな証拠や理屈があったとしても、決してそれに屈服せず、断固として抵抗する病的な価値観への執着を言う。これが、人間はこの地球の支配者ではないと、文明人に突きつけた時に、文明人に見られる反応なのである。文明人は、自分が地上の王者でないと認めるくらいなら、それを指摘する相手を抹殺する方を選択する。かつて教会が、地球は宇宙の中心ではなく、地球が太陽の周りを回っているのだと、事実を述べたガリレオを抹殺した様に。人間の種としての邪悪性がここにある。人間の生活を、不便なものから、より便利なものにして行こうとしている時、私はそこに確かに人間の「怠惰」な精神を見る。 そして、文明人が、生活の中で、より不便さをなくし、「便利」を「快適」と見なし、そうした技術と商品の発明と普及を、人間が望んでいる事は明確であり、誤魔化す事は出来ない。 人間は、生活面を怠惰にする事によって、人間としての精神もまた、怠惰である事を丸出しにしてしまっている。 その怠惰が生み出す所の結果が、自らしている事が正しいかどうか、自省し考えてみる事を止め、その為、何が起きているか考える力を失わせ、そこに如何なる犠牲があったとしても、間違いを調べて探しに出ると言う行為にも出ず、本質的に、無視するか、ギリギリまで追い詰められた時には、誰かこういう邪悪で虚偽に満ちた生き方を、正当化して皆を納得させ、安堵させてくれる悪の口達者なものの台頭を待ち、彼が現れて、自己、及び社会を肯定してくれるのを歓迎して、問題を終わらせてしまうのである。 ここによって、邪悪が成立する。 邪悪は、自身を鑑みない。 常に誤魔化しの衣の中に隠れ、自分自身と向き合う事を、断じて拒む。 そうやって人間は、怠惰を歓迎するが故に、己を邪悪なものに固定させて行ったのだ。 では、自然に取っての怠惰とは何か。 人間の様な、複雑な脳を持たない種に取っては、怠惰は全く存在しないと言っていい。 彼らは、本質的に怠惰ではない。 自然の世界に於いては、怠惰とは、淘汰される運命にある。 何故なら怠惰なネズミは、生きて、子孫を残す事など出来ないからだ。 どの種族も、生きて子孫を残す為に、あらん限りの努力をする。 植生の者さえ、身を守る為に、毒を持ったり、トゲを持ったり、また、甘い蜜を持ったりと、進化の努力を続けて来た。 この、「種として進化と維持の努力」を、人間は「ズル」する悪知恵を持って、捨てて行く方向に歩みを始めた。 怠惰が発生したのである。 より高い意識、考え方に服従する事を拒否する意思。自らの不完全性を梃子でも認めようとしない、愚かな頑迷さ。彼らは、それ故に、自省と内省を恐れる。自分自身を精査する事を禁忌とする。自分の考え方に光を当てて、自分自身の偏見を見破る正論を、徹底的なまでに拒否し、攻撃するのである。彼らは常に、二心を持つ。人として、自分は正しいと、自分自身と世間に対して信じさせようとする心と、正論が指摘する、自分の価値観の誤りを、それを明確に照らし出す光を、何としても避けようとする心である。ペック博士が言う邪悪の基本的要素とは、罪悪や(自己の)不完全性に対する「意識の欠如」ではなく、「そうした意識に耐えようとしない事である。」もしもイスラエル人が、パレスティナ人への認識や行動に対する自己の認識の欠如に気づき、尚且つその誤った認識を、変えようとする自己浄化に耐えれるならば、戦いは終わるのだ。同様に、人間は、バリー・H・ロペス「オオカミと人間」(草志社)が言った様に、「人間がオオカミの全てを統合して眺められるようになるとすれば(偏見を全て捨て)、それは、人間の側に根本的な変化が訪れようとしていることを意味するものであろう。人間がついに自分自身に関する先入観を捨てて、人間が中心でない世界を考えはじめたということになるからである。そういう宇宙を考えることによって引き起こされる不安のほうが、人間が今まで描いてきたオオカミに対する恐れよりも大きいことはいうまでもない。」しかし、その恐れよりも、「人間が自分自身に関する先入観を捨て」、「人間が中心でない世界を考え始める」時、人間は種族として、真の進化の完成を迎えるのだ。イスラエル人がパレスティナ人を恐れているのは明らかである。だからこそ、彼らはパレスティナ人を憎み、抹殺しようとするのだ。その恐怖の対象に、素っ裸の心になって、向き合うのは確かに更なる恐怖である。人間が、この地球の支配種族ではないと認めるのは、これまでの人類の歴史、知識、価値観、全てを手放さなければならない。人間は、それによって生じる精神的混乱と、その結果受け入れなければならない未来ー。文明的な生活を捨て、「動物」に近い生活を送るのかと言う恐怖。自然との対等な共生。権利の放棄。王者から、平民へ「下る」事。イスラエル人ならば、「下賤な」パレスティナ人との共生を、現実的に考えなくてはならなくなる。しかし、これは、より高い道徳性に従う事である。悪の自己愛の放棄によってしか、本当の平和と叡智は訪れないのだ。それを悪の自己愛によって、断固としてその真理への服従を拒否するならば、我々は、種として多くがそう遠くない日に死に絶える。私たちは、パレスティナ人に対するイスラエル人の姿から、自分自身のアニマや自然に対する姿を見つけるべきである。邪悪さは、間違いなく破滅への道である。どんなに苦痛が伴っても、我々は真実を受け入れるべきだ。怠惰と、悪の自己愛から脱却し、文明を今一度、考えてみる、今が最後の刻限だ。この世界には、文明から離れて生きている、我々と同じ人間がいる。彼らは、文明を疑った結果、基盤を失った私たちを、必ず受け止めてくれるだろう。・・・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2013.01.13
では、悪とは何か。それは、文明人の欲望である。前述した通り、欲望の拡大と達成は、人間を道徳的な存在から、原始的で野蛮なものへと後退させる。即ち人間は、文明と科学技術の進歩を進める度に、その人間性を、野蛮で邪悪なものへと堕落させているのである。生活のあらゆる面で、不便を嫌い、便利さを良しとする。この段階で、人間は精神を原始的なー、言い換えれば幼稚、未成熟なものへと後退させている。勤勉さを捨てる事は、我々が大人になる事を拒む事の現れである。幼児は常に親に世話をしてもらって、快適な生活を得られる。自分が口を開けて待っていれば、食べ者は自然と受けれる様な、そういう楽な生活を、大人になっても永続的に求めているのが近代文明人である。しかし、幼児が親の世話を受けるのは、自らの面倒を見れるほどに、肉体も知識も成熟していないからである。立派な大人が、自分の事は全て他人に世話をさせ、下の面倒から洋服の着せ替えまでしてもらっている姿を想像して欲しい。おぞましいではないか。彼は、自分の面倒は、自分で見れるにも関わらず、全て他人に世話を求めるのである。一部の人間は、これは特別な富裕層、並びは王族の特権と勘違いをしているかも知れない。そういう人間は、邪悪の思想に完全に汚染されているのである。人間には元々、そういう特権を持った王族と言う身分は存在しないのである。成熟した人間は、すべからく、己の面倒は己で見るものであり、それが精神的に成熟した人間の姿勢である。文明は、なべて人間を地球の王族にしてしまった。水も大地も、人間の所有物となり、「当人」の許可なく、奪い、売買している。食べるものも、全てそうである。草の果てから豊かな肉を持つ生命まで、「絶滅危惧種」に登録されない限り、野生、畜産を問わず、人間の所有物である。これは快適だ。何をしても許される。どんな暮らしも思うがまま。私たちは、規範的ルールに基づいた、人間社会で大人しく、良心的な人間として行動しているその反面で、自然界と、アニマに対してでは、野蛮で原始的な略奪行動を行っている、傍若無人の蛮族として生き、存在している。自らを、地球の支配者と考えた事が、我々に地球での種としての責務から、開放を齎した。邪悪な人々が、人類を汚染した究極の悪の思想がこれである。邪悪な人々には、目的がある。人間に快楽の味を教え、勤勉で良い地球市民であろうとする意思を弱め、欲望に満ちた、原始的な存在にしてしまうのである。これはドラッグ依存にしてしまうのと同様である。特権階級を人間に与え、欲しいものは何でも自分たちの言う通りに働けば手に入ると教えれば(そして彼らは巧妙に、愚かな人間が垂涎して欲しがる様な世俗的、近代的なものを、次々目の前に作り上げていく)、便利さと快楽の依存症になった人間は、考える力を失くし、邪悪な人間の思うがままに扱える。依存症に陥った人間ほど、簡単に支配出来るものはいない。では、邪悪な人間は、何の為に人間を便利と快楽の依存症とするのか。私はそうした邪悪性はないので、確信を持って言える事ではないが、恐らくは、その類稀なる邪悪な頭脳を持って、富と権力を求める故ではないかと考える。現実に、民衆はそういう一部の「一族」と言っていい、限られた小数の人間の、所有物になっている。人間は、便利と快楽と言う麻薬漬けになって、彼らをより富ませる為に、働いているのである。ここで、麻薬漬けになった民衆の目を覚ましてくれる治療法を教えよう。それこそが、「怠惰」を「自省」する事である。麻薬=近代文明漬けになった人間は、ほぼすべからく「怠惰」である事を、理解しなければならない。ペック博士は、邪悪と怠惰の関係を指摘する。それを具体的に説明する前に、私は邪悪を二つに分類したい。一つは、明確な意図を持って、民衆を引き込む、先天的な邪悪である。もう一つは、麻薬の様に、汚染される事によって、後天的に邪悪になるものである。殆どの民衆は、この後天的邪悪人である。では、それはどういう存在なのか。どうすれば、治癒が可能なのか。後天的邪悪な人間とは、物質文明に汚染された人々である。その人々は、中世の教会に、地球が宇宙の中心にあり、太陽が地球の周りを回っているのだと信じ込まされている類の人間である。現代版のこういう自己中心的思想の妄信者たちは、人間がこの地球の中心であり、唯一世界を支配して「良い」種族であると、「教育」されるがままに妄信している。これは誤りである。文明化と言う、怠惰な道を選ばなかった自然民族は、人間が地球の支配者だとは考えない。彼らは、人間は人間以上の存在だとは思わない。地球と言う惑星で、生命体が可能な限り良い状態を維持して生きて行ける為に、この星にはそれぞれの役割を持った種族が必要に応じて自然発生的に誕生した。人間はその中の一つであり、人間の必要性が、蟻の必要性を上回る事はない。これが事実である。文明人は、核を作り、獲者を乱獲し、森を破壊し、山を崩し、川を汚し、海と大気を汚染し、そう遠くない日に滅びるだろう。スマートフォンで中年がゲームに熱中している間に全ては終わる。しかし、自然民族の生き方は滅びない。人類の有史以来、文明は幾度も誕生したが、必ずそれは滅んだ。しかし、自然民族の生き方は、我々が人類として地上に現れてから現在に至るまで、滅ぶ事無く存続している。存続が可能な理由は、その生き方が、地球に生まれた生命として、正しいからである。この地球の生命機構に適さない生き方は滅ぶ。共生の自然式活動から外れた者は、おのずと孤立し、滅亡するのだ。我々人間は、この地球の支配者ではない。あなた方は、恐らく、その未発達な知性を持って、神から人間だけが、支配者となるべく、特別に進化を与えられた種族であると信じているだろう。それは間違いである。もしも人間が、事実その様な特別な進化を与えられた種族であったら、我々はもっと賢い。少なくとも、自分たちの住む星を、破滅させる様な核兵器や原子力発電を作ったりはしない。狼を絶滅寸前にし、鹿などの草食種を、常に振り子の最大幅の中で増えたり、減少させたりする様な、愚かな結果を生んだりしない。私が「カムイユーカラ」を書いたのは、あれが事実だからである。人間は元々知性が低い。本来は、野けものと変わらない存在だった。次に書く、宗教的な事件がなかったら、人間は裸に近い格好で、今もマンモスを追いかけていただろう。そして、それが平和で、人類に取っても、地球に取っても、全てのアニマに取っても、幸せな事だった。我々は不幸にも、神に全く及ばぬ存在でありながら、知性に目覚めてしまった。しかし、本来知性を与えられて生まれた種ではなかったので、我々が知性を活用する為には、特殊な教育と、精神的鍛錬が必要だった。自然民族は、知性をその教育と、精神の鍛錬によって、高めて行った。これによって、人類は目覚めてしまっても、地球の生命の輪から、外れる事なく生きる事が可能になった。所が、人間はまだ、その目覚めから、種として完成体に至っていない。それ故、文明の興亡が繰り返されて来た。これは皆、種としてあるべき姿に進化の途上にある人間の、道を求めて彷徨う姿である。目覚めた人間は、多くがアニマと同じ、或いはそれに近い生活を、送る事を拒んだ。それ故必死になって、文明的生活を繰り返し築いたのである。何度失敗に終わっても、彼らは懲りなかったし、気づかなかった。同じ人類が、アニマの中に身を置く事で、平和に生きてるのを横目で見ながら、その兄弟を、蔑視して、頑なに文明を求めた。そして、同じ人間兄弟の間でさえ、「文明人」と「未開人」と言う分類を付けて、距離を置いた。しかし、人間は、中世の人間が、地球が宇宙の中心であると頑なに信じたがっている様に、この星の中心的種族でもなければ、神に選ばれた種族でもない。全ての種族同様、我々には、人間だからこそ果たせるこの地球での役割がある。いみじくも、私が「終章」でネイティブ・アメリカンの言葉を引用した通り、人間にあるのは「権利」ではなくて、「責任」なのだ。文明人は、中世の教会の様に、頑としてこの考え方を受け入れないだろう。これをペック博士が説明してくれる。後天的な、「邪悪な人間」とは、どういう性質を持っているのかと言う事を。・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2013.01.13
先に語った通り、私はこの話を、「ある人から伝え聞いた」訳ではない。 自分が知っていた事を、伝承の様な形にして、公開したに過ぎない。 どうしてその様な書き方をしたかと言うと、「何故それをあなたが知っているのか、あなたはそれが真実だと証明出来るのか。」と言う様な、厄介な質問が湧き出て来るのを避けたからだ。 今にしてそれを明かすのは、その様な質問に答えるつもりはないが、何と言われてもこれが事実なのだとした上で、「だからこそ」あなた方は、こうして生きて行かなくてはならないのだ、と言う、踏み込んだ議題に入って行く段階が来たからである。 私が2006年に、子供たちと運命を共にしようとして失敗してから、ブログを始めたのは、自分の意思に反して運命か、それが神か、いずれかであろうと、私の意思でないものに、「生かされた」事に対して、再び自分の人生に、自分の意思で、生きる「意味」を吹き込みたかったのである。 私は薬物中毒者ではない。「思考」と言う人間の、能力を使わず、捨て去って、生きる事は出来ない。そうして、このブログは2006年の7月から始まった。 今、私は再び、自分の意思によって死を迎えようとしたが、(その理由の説明の為に、当初、このブログは本格的に再開された)運命の手によって、それが心外にも引き伸ばされている。 それがどこまで続くかは、私には分からない。 ただ、今生きる事が私の望んだ道でないならば、そこに再び、私は「意味」を見出したい。 他人の「生きろ」と言う意思の、操り人形となって生きるのではなくて、生きると言う判断は、自分の精神の下に留めて置きたいのだ。 今や私は、刀を持った侍。 その使い方を知っている。 武士であるならば、どう生きるべきかを知っている。 人は斬らぬが、人が犯している、悪は斬る。 宗教と言う悪から、私は立ち向かって行く事にする。 ある意味でジョン・レノンを殺した問い掛けだ。 「イマジン」と言う歌の歌詞によって。 その前に、まず、我々が成さねばならないのは、「自省」である。最近、私は非常に面白い本を一気に読み終えた。 それは一昔前のベストセラーであり、大方の本好きならば一度はその表表紙を見た事があるだろう。 その本とは、「平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学」M・スコット・ペック著、草志社刊の本である。ゲイリーの本とは別の理由で、長く手に取るのを避けていた本だった。 大体からに、本の題名が好感的なものではない。 副題名が、「虚偽と邪悪の心理学」である。 余り好んで読みたいと思う題名ではない。 オカルトの様な、半分遊びの要素さえ感じられない。 その本の中で、どういう理屈と向き合うのか、寒気を感じて私は長らく、この本に手を出さなかった。 にも関わらず、私が遂にこの本を買って読んだのは、そうした傾向のある、ある友人の心理に、深く迫りたいと思ったからである。 結果は、全く創造を超えたもので、読み始めたら、その切っ掛けとなった友人の事は頭からなくなり、私は、私が知っていた人間の、客観的事実の講義を、基本から受けると言う幸運に浴した。 この本は、人間の邪悪性と、原因となる「怠惰」について、極めて凝縮して、学問している。 そして、その「怠惰」こそが、人間の邪悪性の基盤となっていると解明した。著者は気づいていないが、これは、人間の世界での在り方の縮図なのだ。この「怠惰」また、後に説明する「自己愛」によって、正に人間は「邪悪な種族」となって、この地上を破壊し尽くさんとしている。人間が、この「怠惰」と「自己愛」が、自らを支配していると気がつかない限りは、彼らは本来あるべき姿に昇華する事は出来ないだろう。著者が繰り返し本の中で述べている様に、「邪悪な人間は自分の欠陥を認める事を病的に拒否し、その邪悪性を、他の対象に投影する事で、自己肯定を図るものである。」からである。これこそ、自然を破壊して、多くの種族を絶滅に追いやりながら、いざそのツケが自分に来ると、政府を批判したり、企業を批判する事によって、その恩恵を喜んで受けていた事を陰に隠す人間の姿そのものである。それは、あらゆる人間の問題の実態であり、現状であり、その暗部に、恐らくは、図らずも、光を差し込んでくれた博士の功績であると、私は思う。それは、私に、より自信を持って、人間の罪と、犯している犯罪の指摘を行う力になってくれた。 この社会を良いものにする為なら、私は惜しまずその力を発奮させたい。 私たちの世界から、戦争がなくならない事や、「資源」の為なら、資源たる対象はおろか、その略取の邪魔になる人間さえ、殺し、取り除く事に躊躇しない人々が、多く存在する事から見ても、そしてそんな社会の縮図ー、私が、「終章」の中で指摘した、「人間の都合を優先する為ならば、我々は殺処分制度を維持する事自体、愛護団体さえ厭わない」と言う事実を見ても、人間の邪悪性をはっきりと見える場所に、引き出す事が出来る。 先に書いたが、ペック博士が言う通り、邪悪な人間は、「自分の欠陥を認める事を拒否し、自分自身の邪悪生を他人に投影しようとするもの」なのだ。 邪悪な人間は、自らの欠陥を断固拒否する。 私のブログの古いコメント欄を全て開ければ、如何に読んだ人間が、私によって指摘された自らの欠陥を、私の妄想や、私の精神異常のせいにして、回避しようとしたか、分かるだろう。 彼らは、私の指摘によって、自身の欠陥、或いは社会の欠陥に、光を当てられる事を恐れ、怒りさえしたのだ。 近代文明に浴している人々は、非常に怠惰と言う性質を持っている。 博士は、これを心理学的見地から、「そうであろうと言う少数の人間の心理の解明」に用いたが、実はこの「怠惰」は、文明人全てを汚染して、ほぼ、回復の見込みのない状態にまでしてしまった。博士はこう説明している。「邪悪なものは、長期にわたってその影響下に置かれている人間を汚染し、または破滅させるものである。」と。人間は常に、善と悪との精神的戦いの中に生きている。ここで、人間が邪悪性に汚染されたのは、人間の中でも特に、邪悪性の強いもの程、社会の中で、強固な力を得やすい、と言う負の理論がある。ガンディー・ジーも、嘆いていた事だが、善なる人間と言うものに比べて、悪なる人間は、何者も恐れず、寝る間も惜しんで、傷つく事も厭わず、自身の願望達成の為に働くと言う、邪悪と言う欠点に不似合いな、強い長所を持っている。反対に善人と言うものは、殆どが何かあっても声を上げず、戦う事を恐れ、祈りの力だけに頼って、行動しないと言う欠点を持っている。なので悪人にとって、善人ほど、駆逐し易い者はいないのである。彼らは傷つくくらいなら、悪の横行を黙って見守り、自分は無力なのだと言い訳するか、ただ、悪を正す事は、神が必ずやると信じて動こうとしない。ここで言う善人とは、人間の中でも、生まれつき道徳的な精神を持っていて、教育と言う手を借りずとも、自分の頭で善悪の判断をつけられる者を指す。こういう人間は、社会にして、凡そ1割くらいはいるものだ。反対に、意図的に悪を行う者も、その程度の割合で存在する。善と悪の比率は、ほぼ拮抗していて、残り8割の人間は、良い人間になる為には、後天的な教育を必要とする。もちろん、邪悪に汚染されて行くのも、8割を占める、そうした精神の正否を見極められない人間たちである。邪悪な人間が主導権を握れば、そうした思想にその、8割の人間(と、声を挙げない1割未満の善人)が、無抵抗に追従して行くものである。善人と言うものは、正否の判断が可能な為に、悪が勝利して万民の意思を支配した時、個人の精神としては抵抗するが、その社会の中で、悪と同じくらいの決死の行動を持って、万民にそうした支配への抵抗を訴えたり、悪と自ら刀を交えたりはしない。善人は常に暴力や争いを恐れる。それを嫌う、と言った方が正しいのかも知れない。故に彼らは、この世界の良心であるにも関わらず、ほぼ、無力に等しい。彼らが座して行動せず、毎日神仏に平和を祈願する姿は善への冒涜行為とさえ言える。善人の中から、悪人に真っ向と立ち向かえる勇気ある人物が出るのは、歴史上絶える事はないものの・・常に稀である(善人のうち、行動を起こすのは、1割の中の100人に1人程だ)。民衆は善人を臆病者と呼んで一向に差し支えない。正にそれは、善人の、善人であるが故の、欠点なのであり、彼らにそれを克服する勇気がないから、彼らは民衆や、世界が破滅へ向かっているのを認識しながら、それを個人の心の中で、憂いているだけである。私は邪悪を嫌う。人が邪悪に生きる事に憤りを感じるし、そうした人間に嫌悪を感じる。私は、善が何かを、自分一人の胸に仕舞わずに、社会に、民衆にそれを最後の一滴まで送り込む。それは私の魂であり、私の命である。その全てを、人間に捧げる。悪が二度と力を持って、人間を、社会を汚染する事のない様に。・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2013.01.13
「そして創造主は、老齢期に入られた。 主は最後の子として、3人の神を生み参らせた。 二人の男性神と、一人の女性神。 女性は日の神としてお成りになり、男性の内のお一人は、夜の神にお成りになった。 日の神は、類い稀な正義感で、世界を照らす白光となって、 夜の神は、類い稀な慈悲深さで、全てを覆う、玄となった。 そして共に、互いの性質に惚れ込まれていた。 光と闇が、無上の愛によって結ばれた。 このお二方は、遍く神々の中でも、最も優れた方々と歓迎されて、創造主は、老いた ご自分のお代わりに、生命を紡ぐ仕事を、お二人に任せられる事にした。 まだお若いお二人は、しかし創造の原理をご存知なかった。 そこで創造主は、最後に一つ、新たな星を設けられた。 他の星々と違って、「何か」の使命の基に創った星ではない。 ただ、根本的な、命の創造の原理を、お二人の神に、学ばさせるのが目的で、原始的な 生命が広がる、辺境の惑星で良かったのだ。 それがこの地球なのである。 創造主は、命の元である炎が、冷えて丸く固まって、蒸気が雨となって、水が生まれる過程 から、水の中に、最初の原始生命が誕生し、やがて進化を遂げて、最後に人に成る所までを、 基本の学習として、この地球の成長を通して、若い神々に教えられた。 飽くまで基本の学習であるから、この星の人間には、一般の知性を与えなかった。 人形を取れれば、それで創造主には、十分だった。 主はもう高齢で、人間に高い知性を与える、あの、緊張感に包まれた、慎重な仕事に耐える 集中力が、減退しておられたし、優秀なお二人の神々には、そこまで力をお貸しにならずとも、 最低限の学習を施せば、後はご自分で経験によって、完成なさるとお分かりになっていたので あったから。 そう、だから、地上に人類が誕生して間もない頃、あなた方は、裸のままで歩いていたのだ。 他の全ての種と同じ様に、生まれたままの姿で。 あなた方は、人形をした、ただの美しい、哺乳類に過ぎなかった。 あなた方は、何も疑問を持たず、他の種と同じ様に、狩りをして、他の命を得て、毎日を生き、 自然の理によって、体の命じるままに、子を成して、生み、育てて、死に運ばれて行った。 それは地上の楽園で、あなた方は、何もかもを受け入れていた。 稚児の様な、何の智恵もない、無垢なる存在。 思考よりも、究極の存在に対しての、理解が存在する世界。 彷徨い人よ。 昔あなた方は、オオカミの様に、大鷲の様に、イルカの様に、犬の様に、純粋で驕りもなく、 この世界の一部だった。 それは調和の中にあったのだ。 また、高い知性を持たない人類は、我々神々にも、緊張感を齎す事無く、慰めになっていた。 我々は、無欲の箱庭を愛していた。 そして事に、若いお二人は、この、最初に自分達が、創造を目の当たりにした、美しい星の 虜になった。 あなたが敬愛する、あの美しいオオカミは、日の神が、初めて自ら創造された命。 その精神性、芸術を極めた体。 神々以上の種を創られたと、我々は日の神を心から称えた。 あれが人間であったなら、神のお役目を、オオカミ族に敬譲出来たのに、そう心から。 ここから先は、余り語る事を許されていない。 だから彷徨い人よ。 語れる限りの事で、何を今後、あなた達地球の人間が、成すべきなのかを見極めて欲しい。 きっとあなた達になら、正しい答えが見出せるはずだから。 とある最高位の神様が、若い神々に妬みを抱いた。 いつかあなた方の耳にも知れる。 己ご自身を、「妬む神」と呼んだお方の事を。 その神は、日の神が、最も愛したオオカミがいるこの星を、残虐な争いで滅茶苦茶にして、 日の神を、苦しめようと思われた。 その動機となった心情については、誰も語る事は出来ないが。 日の神を苦しめる為に、気の毒な、無垢のままの、人間達が使われた。 「妬む神」は、蛇を使って、人間の女に、神々の食べ者を与えられた。 それを口にした瞬間、女は人間として、目覚めてしまった。 ここはどこか、自分は何者か、考える種になってしまった。 何ひとつ、考える事なく、疑う事なく生きて来た、あなた方であったと言うのに。 幸福な楽園から、疑問の暗い森の中に、入ってしまったのだ。 女は、次々と、自分の仲間を覚醒させてしまった。 「妬む神」は、彼らに降りて、自分を唯一神と、崇めさせた。 それまで共に、同じ星の家族として、共存していた兄弟を、「妬む神」は、人間の為に、神が贈った 「資源」に過ぎないものだと説いた。 そして、人間による、他の種への蛮行と略奪、皆の星であった、地球の独占が始まった。 分かるだろうか。 あなた方は、「妬む神」の行動から、本来の種とは、違った生命になってしまった。 創造主は、こんな風に、あなた方を創らなかった。 文明を、生みだせる様な種には。 その為あなた方は、何をしても、この星に痛手を与えた。 それこそ「妬む神」の思惑の通りに。 自然と調和しながら、文明を創り、維持するには、高位の精神を必要とする。 あなた方には、その精神が、生まれつき与えられてはいなかった。 あなた方は、他に害意を持たなかったとしても、己の望むままに振る舞うだけでーそれは 決して、高い精神性を与えられていなかった故にーあらゆる破壊と迷惑を、この、星と兄弟 らに齎してしまう。 今更、事が起きる手前に、時を戻す事も出来ない。 我々の世界は、螺旋を描いて、進行して行く。 過去には、いずれの者でも、戻れはしない。 強引に時を過去へ戻そうとするなら、世界は形を失い、崩壊してしまう。 我々は、「妬む神」の負の精神に、打ち負けてしまいたくはなかった。 この惑星が、殺伐とした地獄の星に、堕ちたままでいさせられる訳もない。 残った望みは、我々も力を尽くしながら、あなた方の心に、この星と、全ての者と調和出来る、 高い精神を、完成させる事しかなかった。 彷徨い人よ。 神々は、幾度もあなた方の傍に降りた。 時には肉体を持った人間に転生し、時には荘厳な野けものとして転生し、あなた方に、悟りを求めた。 誰もが、あなた方が、精神の完成を見る事を願っている。 今ではきっと、あなた方のもう一人の生みの親となった、あの、「妬む神」でさえも。 オオカミは我らに連なる者。 真理を求めなさい。 それは老子の語った様に、名もなく、地味な、生命の道以外ではないのだが。 明けの明星が、あなたの意識を記憶から離したとしても、陰から知識はあなたを支える。 我々は、あなた達に、精神の進化を心の限りに請う。」 我々の内の、何かがこの母なる惑星に調和を仕切れない。 それを我々は、魂の奥で知っている。 オオカミを見るがいい。 美しい獣。 体の血肉の一欠けらまで、この母なる星と共鳴をしている。 オオカミはこの星。 この星はオオカミ。 他の全ての種と同じ様に。 紛れもない母君の御子。 美しい調和。 最高の楽譜。 天上の調べ。 それはプリズムを通して見た光。 ああ、阿字の子ら 阿字より出でて また立ち返る 阿字の故郷。 生み給うた命と、生み出だされた命。 一から広がり無限に広がる、一から全てを与えられた命達。 どこまでも、これらの者は、争わずに重なり、溶け合う調和を続ける。 では、何故我々はこの身の内に、母なる方と、調和し切れない何かを感ずるのだろう。 まるで何者かが、故意に我らをこの調和の外で、生きる事を宿命付けた様に。 我が種よ、まるで呪いにかけられたかの様に、忌まわしい宿命が人類を覆う。 この宿命は、いずれ我が種を滅ぼし、その結末として、この偉大な母の命も奪うのだろう。 オオカミを見よ、梟を見よ、美しい肢体の鹿達、海を抱く神なる鯨。 彼らはみんな、地球との調和の中で生きて行く。 彼らは全て、魂の中に、正しい存在の理を持っている。 でも、我々にはそれがない。 意識をするまでもなく、息をするかの様に、事もなく調和を叶える彼ら。 それに引き換え人間は、魂を常に、母君の魂の中に、沿わせる事を、意識しなければ、 すぐに不調和音を出す。 生命の均衡を崩してしまう。 人よ、忘れるなかれ。 我々は、他の兄弟の様に、無意識のままに大調和に至れない。 常に意識を鍛えていねば、この世界を破壊する。 私は思う。自覚こそが、我々に悲劇を齎したのだと。 ああ、神よ、今こそ悟った。 今正にこうして、自分は何者かと考える事、それこそが、不調和への始まりなのだ。 神よ、私は何者でもない。それゆえに私は全ての魂の一部なのだ。私は時には鯨となろう。私は時には大空を飛翔する鷲の目に。私は時には海になり、時には大地そのものに。そしていつも、私はオオカミと共にいる。神よ、それが本当の答え。何者でもない自分になった時に、全ての命が魂が、私の体を流れる血脈となる。神よ私は大地を傷つけまい。それは私を自ら自ら傷つける行動なのだから。神よ私は種に優劣をつけるまい。それは私の魂の中に虐げられる誰かを作ってしまう愚行なのだから。神よ私はまだとても若くて無知だ。それでもあなたの一部である。あなたが私の全てである。{コギト・エルゴ・スム} 「我思う 故に我あり」否。目覚めた知性が、永遠に我々をこの世界から分けてしまっていたのだ。 その暴走を止める為に、我々には、精神の覚醒が必要なのだ。 認識ではなく理解の力。 「そうして、人間は汎神論を紡ぎ出したのだ。」 それが答えだった。 この星の、調和の中に、再び我らが帰還する為に。 我々に宿った未知の認識。 それを、母なる大地と、兄弟姉妹を愛する心によって、封じて行こう。 決して、この力に踊らされて、二度と生まれた世界を滅ぼす事のない様に。 目覚めたままに、今度は永遠に全ての命の、輪の中に還って行かなくてはならない。 そうして我々は、汎神論を、紡ぎ始めた。 昔、昔、ある人達から伝え聞いた、神様と、この世界の、一つの神話。 カムイ・ユーカラ 「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ」 人間らしく、ある人間 ・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2013.01.13
神謡ーカムイ・ユーカラ-汎神論と言うのは、人がまだ、狩猟、採集によって生活を営む時代に生まれた。 遠い遠い昔。 まだ、大きな歯車が、狂う事無く回転をしていた地球。 テレビも、車も、電話も、パソコンもなく、私たちは、土から焼いて作った器、 木を削って作った弓矢、木の皮を編んで作った敷物、同じく木の皮の服、 魚の皮で作った靴ーそんな素敵なものに、囲まれながら暮らしていた。 遠い時代。 ああ、でも、変わらず星は巡り、太陽は眩しいほどの、光を降らせていた。 私たちは、他の鳥獣兄弟に比べて、同じ地上で生きるのに、とても身を守る 体毛が薄く、手もまた、大地を歩く為に必要としない。 我々はそういう種なのだ。 私たちは、日ごと、夜ごと、考える。 生きる事について、世界について、星々について、我々が、この世界から 異端となってしまわない様に。 何故だろう。 体の中を流れる、赤い水が気を抜いてはいけないと、しきりに警告を与えて来る。 特に、こんな澄んだ時間、闇が支配する空、煌めく星が、世界の謎へ、招待を 与えてくれているかの様に、感じる時間には。 「地上に人類が誕生して間もない頃、あなた方は、裸のままで歩いていたのだ。 他の全ての種と同じ様に、生まれたままの姿で。」 私たちは皆、答えを求めていた。 この地上で目覚めた私たち。 我々は、一体何者であるのだろうか。 何故、他の兄弟は持たない疑問を、私たち人間だけが感じるのだろう。 同じ地球の子であるのに。 でも、誰も答えてはくれなかった。 目覚めてしまった時から、異質になってしまった私たち。 この世界との間に、見えない壁が作られてしまった。 私たちの前にあるものはただ、雄大にして、偉大な、母なる大地。 そして、兄姉なる全ての兄弟種族たち。 大空を風の様に飛翔する者。 大地を美しく走り抜ける四足の兄弟。 水の中に、世界を持った鰭のある者達。 私たちにとって、己自身を知る為の手がかりは、ただ、この人々だけだった。 「語ってはならない事がある。 人と神の世界とは、いつも入り口で、繋がっているとは限らない。 時として、我らの子である人間にも、決して語れぬ事がある。」 私たちは、自然の生命の中で、常に答えを求めて歩いた。 多くの場合、最も己の魂が呼応する、特定の種に。 私たちを、この世界と結びつける導師と成す為。 いつしかそれは、ヴィジョン・クエストと言う儀式になった。 わたしはオオカミの魂に魅せられた。 完全なる、父性と母性を併せ持つ。 地上で最も完成された精神。 彼らを称える為に日は登り、彼らにひれ伏す為に、日は沈む。 全能の者の、慈悲深き瞳。 それは神的世界への入り口。 見詰めるその眼差しの中で、我々は、その門をくぐる資格があるか、見極められる。 美しいその肢体。 大地を水が流れる様にすべる、その歩様。 神秘の被毛。 飾りなき王者の装い。 ああ母なる大地は、この方々の、被毛を創造される為に、凍て付く世界を創り給うたのか。 樹木の体を突き抜け、世界を振動させる、神々の遠吠え。 これこそが、わたしが求めて止まない神の世界。 朝な、夕なと、私はオオカミを求め、歩いた。 オオカミを通して、世界の答えを掴もうとする為に。 オオカミは私を愛し、至る所で私を待った。 遠い山の頂、古の森の奥深く。 湖の、鏡の世界の向こう側。 明け方に消え残る、夢の世界の残照の中。 「それでも我々の中の、何かが、あなた方に、このまま全てを隠す事を好まない。 原因と結果が、ある者達に、決定的な影響を及ぼしてしまった時、神もまた、一人の 迷える子山羊となる。 調和への道を見出す為には、何かに挑戦をする必要がある。 それが時には、人間達に、神が助けを請う事であったとしても。」 この世界は美しい。 昨日見た、オオカミのあの姿の様に。 全てが神秘の中にある。 それらの声は、耳で感知出来ない天上の囁き。 その姿は、明けに夜を、薔薇色で染め上げる荘厳な光。 語れ、語れ、偉大な天よ。 この取るにも足らない人間が、その恩恵に添えずとしても。 「あなた方の生い立ちを少し話そう。 どんなにか、それを求めているか、知っているから。 彷徨い人よ、この広大な宇宙には、様々な人間達が住んでいる。 あなた方は、その、他の星の人々と、少し異なる理由の基に、誕生した。 あなた方と、他の人々を分ける最大の違いとは、あなた方は、彼らと違い、初めから 知性を、授かってはいなかったと言う事にある。 かつて創造主は、変幻自在な我らの現し身として、固定の体を持つ生命を求められた。 我らの現し身として、人間を誕生させたのである。」 体の中に、心の耳を澄ませて行く。 聞こうとすればする程に、わたしの心は体と離れる。 神秘は全て、夜明けまだ遠い、深夜の眠りの中で、短い間、啓かれる。 ・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2013.01.13
以前にブログで書いた詩篇について、一つ事実を明かそう。 「神謡~カムイユーカラ」は、その最後に、「昔ある人から聞いた物語」と書いておいたが、 実は違う。 あれは、一部私の記憶にあった物語である。 そこに、神々に対しての「聞き手」として自分を入れた。 この章を書く際に、あの詩篇は不可欠である。 なので、改めて、あの詩篇を全掲載する。 あなた方には、自省と内省と言う習慣がない。 「自分=人間とは、何者であるのか」 また、人間はこの地上で生きる為の行為として、どこまで許されるのか、その範囲を、知ろうとしない。特に近代文明国家の住人たちは。この問いは、知性ある人間ならば、誰でも抱き、その答えを求めなくてはならないものだ。誰しも、社会の中で、していい事、してはいけない事の判断を身に着けて生きるし、それを超えた行動は、分別を欠き、往々にして犯罪と見なされ、抑制される。それは、我々が社会を破壊せず、より安定して生きる為のルールである事は、誰でも知っているし、理解しているし、概ねの人間が正しく受け入れている。多くの人間は、自分が属する社会の中で、破滅に追いやる様な行動に、日常的に手を染めたりはしないし、加担もしない。しかし、人間は、それを人間社会の中のみで行ってはいるが、自然の中での、人間のルールは、そもそも存在しない。気候を別にすれば、人間は、地球で最も「価値」あり、「強い」ものなので、自然に於いての人間の作法や義務など、考えてみる事さえしない。我々は地球に対して、人間がこの地上の君主であると言う、それは神から与えられた客観的事実なのだとし、言わば「人類王権神授説」を、この地球で宣言している。それほど、人間は、自分をこの地上で特別な種族だと自己評価している。しかし、これは大きな誤りである。何故ならば、我々は、例えば自ら生活する環境と共存して生きるには、頼りにならない、知能だけ高く、知性を伴わない、(言わば勉強が出来る指針のIQのみ高く、精神的に高い判断力を下せる指針となるEQが低い)特殊な頭脳を持っていて、それを良い方向に制御するには、特別な知性を得ねばならないと言う、種族的特徴を持っている(種族的問題とも、欠陥とも呼んでいい)。 かつて書いたが、我々は、地球に取っての癌細胞。 社会に取っての核兵器に相当する種族なのだ。 逆に言えば、人間は、自らの頭脳の暴走を防ぐ、道徳観、倫理観と言うものを確立し、種としてこれを永続的に維持出来れば、他の種族同様、時には彼らよりも、この地上で役立ち、存在をして行く事が出来る。全ての自然民族の汎神論的生き方を見れば、我々は、この地上で、非常に知性ある種として、生きて行く事が出来ると言う希望を現実のものに出来る。しかし、「野蛮な」思想を持つ、文明人にはそれが出来ない。他の種族の様に、事も無げに、この星、自然と調和して生きて行く事が出来ない。 そうした生き方が、猫でもネズミでも、バッタでも出来るにも関わらず、人類と言う種のみが、 「内省」と言う悟りを得ずには、この星で、他の種と調和し、生きる方法を手に入れる事が出来ないからである。 人間社会と言う、小単位の中でしか、人間は生存上での互いの共存を前提とするルールを作って来なかった。しかし、この星の住人が人間だけでないのは明白な事実であり、他の種族との平等な生存ルールを求めない限り、人間はこの星の一員ではない。人間は、木を見て森を見ていない。自分と言う木が、壮大な森の中の一本に過ぎない事を認めない。我々が、人間社会で暮らす上でのルールを常に模索するならば、我々は、実際にはもっと大きな集団の中に属している事を意識して、その集団の中で、他の種族と共に、その世界で暮らす上でのルールを模索し、見出して行かなくてはならない。人間は、考える力を得た事によって、母なる自然と自ら袂を別った種だ。 故にまた、考える事によって人間は、母なる自然と共に生きる道を見出す事が出来る。 忘れたり、知らない振りをしてはならない。欲望に絶えず振り回され、それを可能にして生きる事が、近代文明だと言う事を。そして、欲望の亡者はどんなに一見洗練された生活をしていても、野蛮に他ならない事を。そして野蛮な生活を肯定していると言う事は、即ち原始的な人類へ、人間が退化した証明であると言う事を。・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2013.01.13
話が少し、個人的なものに逸れてしまうが、私は、侍の子孫にあたる。私を、散々虐待した祖母が、妙な侍キチガイで、昭和の50年代になっても、私に向かって「家は侍の家系なんだからね、ドン百姓とは、血が違うのよ。こっちは偉くて立派だけど、田舎で生まれて、教養のない、百姓なんか、えた、非人。」と、言うのが口癖だった。私が男みたいな言葉使いをすると、決まって、「士族の家の娘が!」と、怒り、「あんたは、半分、ドン百姓の血が混ざってて、汚れているから仕方ないわね。」と、言われて育った私が、侍嫌いに育ったのは、当然の事であるし、そういう偏見の基盤となった先祖とも、進んで縁を切りたかった。父方の祖父母は、両方侍の家系に属している。祖父は、実際は養子なのだが、「加藤」の家の家系を継いだ。祖父の実家は元は、「田中」のはずで、余り知名度はないが、侍の家系の一つで、恐らく「加藤」の家と、縁戚関係にあったのだろう。全く血縁のない家から養子に行ったとは思えないから、親族の中で、養子縁組をしたかも知れない(私の父がそうである)。しかし、いずれにせよ、私の本来の姓名は、「加藤」である。若い頃から、この「加藤」の家の武士たちが、私を守っているのは感じていた。祖母方の「00」と言う武士の家系(フラッシュバックを起こすので、私の以前の苗字は書かない)の侍に、守ってもらった感覚は一度もないが。そうであっても、私は自分の体に流れる侍の血を嫌っていた。侍=祖母になってしまっていたからである。侍の精神から言えば、えた、非人と言うべきは、正しく祖母自身であり、もしも祖母がもっと昔、武家の家に生まれて、こういう高飛車で、人の人格を無視する発言をしていたら、身内に切り捨てられていたのではないかと想像する。しかし、最近、本当に、ここ数ヶ月の事だが、私が、雑用をしようと立ち上がった時、それまで何の意識もしてなかったのに、ある考えが、すとん、と、私の中で落ちて、収まるべき所へ収まった。私の行動、思想、そして、狂犬病法を足がかりに、殺処分を撤廃しようと一人で立ち上がったあの精神は、全て「武士道」に端を発しているものだと。余りに唐突な理解に、私は戸惑ったが、その時自分が、これまで侍を嫌いながら、皮肉にも、その侍の象徴とも言える、赤穂浪士に、長らく心酔していた理由が分かった。私は、祖先の血を疎ましく思う拒否感から解放された。侍を汚していたのは祖母であって、侍自身が汚れていたのではなかったのだ。自分は、女に生まれたが、その精神は、立派な「武士」なのだ、と、悟った。で、あるならば、今後は今まで無自覚でやっていた事を、武士としての自覚を持って、やって行こうと。そして、先月たまたま古本屋で、新渡戸稲造の書いた「武士道」と言う本を見つけた。早速購入したが、全て読破していないし、多分、真剣に一字一句を読む事もないだろう。武士道については、既に私の内にあるのだから。あの本は、私がその自覚の中で行っている事が、武士道の精神で、何に当たるのかとか、別の国の人にでも聞かれた時に、参考書として用いればいい、と、思っている。しかし、最初の下りを読むと、武士道とは、日本人の道徳教育であり、善悪を教える、精神の集大成であるのが分かる。また、藤原正彦の「国家の品格」と言う本の中でも、新渡戸の「武士道」が取り上げられている。但し、新渡戸の「武士道」は、余りに他人の言葉の引用が多過ぎる嫌いがある事を、これから興味を持って読まれる方に注意差し上げる。武士道は、宗教ではないにも関わらず、恐らく、神道よりも、仏教よりも、私たちに分かりやすく、人間としての道を説いて来た。そう、我々が水戸黄門だの、大岡越前などを見ていたのは、武士道による道徳教育であって、そこに如何なる、神道的、仏教的特徴も見出せない。最も、武士道自体が神道や、仏教の影響を受けて発達したものであるのは確かだが、元々武士は、「人を斬る」のが任務であり、彼らはそこに、その任務を抑制する力と精神を求めて育成し続けたのだ。神道はさておき、仏教はインド発祥のものである。我々は、自然を奉る時には神道を、人間としてのあり方、美徳を教える上では、武士道を、規範として来た。一般に、善悪の判断、道徳的規範、と言うものは、宗教が教えるものであって、これに属さないのが、自然民族たちの、アニミズム(汎神論)である。汎神論は、人間は如何に生きるべきかと言う、哲学の中から自然と形成されていったものであり、どの汎神論にも、宗教の様な「創始者」がいない。既存の宗教で、これに最も近いのが、インドのヒンドゥー教である。ヒンドゥー教には、イエスやマホメットや仏陀の様な、創始者はいない。長い歴史の中で、インド人は「ヴェーダ」と言う、数冊の倫理規範を確立させた。それから、「ギータ」等の、道徳的規範を更に作ったものが続く。日本の中で、日本人に真の道徳を説いたものが、実は宗教に非ず、武士道だった事を、私は賞賛したい。武士達は、その責務が故に、行動規範と、精神を、哲学せねばならなかった。そうして、試行錯誤を繰り返し、「武士道」と言う、一つの倫理体系を生み出し、世に広く伝播したのである。彼らの規範たる生き方は、そのまま町民に影響を与えて行った。私たちは、水戸黄門から、善良な弱者が、邪な強者にふみにじられている時に、どうするべきかを学んで来た。坊主以外で、誰かそういう時に、人はどうするべきなのか、「仏教から教えられた」と言う、平均的な日本人は、果たしてどの程度いるだろうか。或いは、神道に、そういう場合の行動の仕方を教わったと言う人は。しかし我々は、水戸黄門や、大岡越前や、遠山の金さんなら、そういう場合には、こうするべきだと習って来たと、答える事は出来るだろう。それは、仏教でも神道でもなく、汎神論と同じ、人々が、「殺し、殺され、生きる」中で、人間は如何に自身の置き所を見出すかを求め続けた、武士道の教えなのだ。カリスマ的創始者も誰もいない。人間達が、長い月日をかけて、自省と内省を繰り返し、哲学を究め、導き出した、人間の規範の教えである。そういう意味で、汎神論と武士道は、双子の様な性質を持つ。自然やアニマに対しては、汎神論がそれを教え、人間が生きる社会と言う、「日本文明」の中では、武士道がそれを教えて来た。断固として言える事は、カリスマ的指導者によって作られた宗教は、危険なものである、と、言う事だ。それに従う人間は、一人の人間の主観と、偏見と、価値観に盲目的に追従する。そこには、様々な経験と視点と、価値観によって練成されたものがない。仏陀にしても、イエスにしても、元々「精神的指導者」となるべく生まれたと言う人間が、短い人生の中で、その教えの基本を作ってしまった。それに対して、汎神論や、武士道は、一人の人間の教えに頼らない、素晴らしい真理の泉だ。その叡智の泉は、人間が何代にもかけて、幾百、幾千の人の、倫理を求める心によって、掘り当てられた泉であり、それは、正に、母なる地球が人間である我々に、授け、受け継がせたい最大のものである為に、何万年の時間が経とうとも、枯れる事無く湧く真理の泉なのだ。武士道に基づいて、私は今後も法によって定められた社会的弱者の側に立って、その社会的弱者を公然と無視する世間に対して、言葉と言う、刀を持って、誇りある武士として戦う。それだけの力が残されているかどうかは、神のみぞ知るか、知らぬか分からないが、そういう戦いの中で、力尽きる前に、何かが動く事を信じて、汎神論と、武士道を、ここで唱えて生きたい。人間は、自然と共生する上では汎神論に学び、人間社会でどう生きるべきかは、武士道からも学ぶべきだと、今は考えがより深く広くなっている。あらゆる文明の中で、日本文明の価値を、今一度、日本人が知るべきである。これまで私は、汎神論者としての立場のみから、人間の不当性を論じて来た。今後は、更にそれに武士道を持って、人間の進む道を照らして行きたいと思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」以下は頂いたコメントです。有難うございました。今朝、名古屋の一家、3人殺人事件を起こした背景に、犬猫ボランティアがあると知って、色々考えています・・・。■ Commentあけましておめでとう! 魂が、事を為すために得たのが身体だからね。 やりたいことがあっても身体が無いため指をくわえて見過ごすしかできなかった魂がツ-ルとして得たのが身体だからね。 健康は大事にしてね!| 2013/01/14 (Mon) 12:24 | ブライアンhttp://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.12.31
日本人として、今後の人間の生きかたを提言して行く上で、私の道徳的根幹を成している、言わば日本人としてのアイデンティティーを挙げておきたい。「忠臣蔵」である。私が子供の頃の、年末スペシャルと言ったら、忠臣蔵や、白虎隊が、毎年の様に二夜連続などで、日テレで放映されていた。K-1等、格闘技に、取って変わられる前である。忠臣蔵も、白虎隊も、言わずと知れた、時代劇であり、武士の物語である。私たちがかつて慣れ親しんでいた、時代劇ー水戸黄門初め、大岡越前、銭形平次、遠山の金さん、そしてフィクションでは、必殺仕置き人などーは、いずれも、殆どが主役は侍で、弱気を助け、強き(卑怯)をくじく、と言う事をテーマに、作られて放送されて来た。残念ながら、今はどの番組も放送されていないが、私たち昭和の世代は、こういう番組から、自然「武士道」である、道徳精神を、染み込まれて来たのである。中でも、「年末スペシャル」で幼い頃初めて見た、日本テレビ製作の約5時間を超えるドラマ、「忠臣蔵」には、魂を揺さぶられる程の感動と、勇気を覚えた。知らない方は、ネットで是非、詳しい内容を調べて頂きたい。これは、元禄15年12月14日に起きた史実であり、恐らくは、日本の歴史の中で、最も精神の基盤とするべき実話であって、その正道たる行動を持って、300年経った今でも、語り継がれる四十七人の侍の、生き様と、死に様である。「忠臣蔵」に関しては、幾つも映画やドラマがあったが、この日テレのドラマ程、良い作品はない。キャスティングから、脚本から、兎に角最高のものである。また、特別スペシャルとして、5時間の枠を取った為に、赤穂浅野家藩主、浅野内匠頭が、吉良上野介を、殿中で切り付けるまでの様子が、詳しく書かれているし、その後、一方的な綱吉の判断によって、浅野が切腹をされ、残された赤穂の侍たち、中でも浅野家ご家老の「大石内蔵助」の、主君仇討ちまでの1年と9ヶ月の事が、つぶさに書かれている。余りに感動した私は、何かで、彼ら内匠頭と、四十七士のお墓が泉岳寺が、東京の品川にあると聞きつけ、祖母と伯母を急き立てて、そこへ連れて行ってもらって墓参した。帰りに、四十七士の名前全てが刻まれた、鈴のようなキーホルダーを、買ってもらって大事にしていたのを覚えている。内匠頭は、確かに武士としては申し分ないが、一国の藩主としては、的確ではなかったと思う。しかし、そうであったからこそ、私たちは日本史に残る神話とまで言われる勇気と武士道を見る事が出来た。内匠頭には、藩主としての才覚はなけれど、「武士」としての自覚は強すぎる程にあった。吉良がもっと親切で、浅野がもっと侍魂に欠いた存在であったなら、殿中、松の廊下での、刃傷事件は起こらず、内蔵助以下浅野家の侍もまた、平凡に生涯を終えたはずである。しかし、浅野家お抱え侍約三百人のうち、四十七人が行動を起こした事によって、この史実は永遠のものとなった。吉良を打った彼らを、切腹させるか、放免するかで、切腹を綱吉に進言した、荻生徂徠の宿願通り、彼らは切腹によって、永遠に日本の不滅の光となったのだ。これは、余りに壮大で、余りに当然な、人間としての筋、侍としての「武士道」を通した男たちの、物語だ。私は、今から丁度二年前、(ダックスのラブと、ビーグルのベルが置いて行かれた一月ほど前だ)ずっと心の中で勇気の源泉として来たこの物語を、どうしてもまた見たくなって、アマゾンで探してみた。幸運な事に、12月であった為、「忠臣蔵」のDVDはお得な料金で販売されていて、二枚組みのそれを、購入した。それから、毎年12月の14日の頃には、「忠臣蔵」を見ている。何度見ても、感動に震えずにはいられないし、また、自分に度胸と勇気と、それを信じる強さを与えてくれるものだ。浅野家家老内蔵助は、浅野家再興の道が残っている間は、吉良への主君の恨みを置いて、家臣とその家族の生活第一に考え、今すぐ仇討ちを、いや、城に立て篭もって篭城を、といきりたつ同士を抑え、腹のうちではどれほど吉良への怒りを秘めていたか知れないが、内匠頭の弟、大学によっての浅野家再興の道が閉ざされた時、兼ねてから同士に約束していた様に、「有志のみで、江戸にいる吉良邸へ討ち入り、主君の仇を取って」、尚且つ、「自らの処分を将軍家に任せる」事によって、吉良の度重なる内匠頭への露骨な侮辱。それに対してとうとう刀を抜いた主君のみが即日、ある武家の「庭先」で切腹。と言う、余りにも一方的な沙汰、そして浅野家取り潰しと言う更なる理不尽な沙汰を下した、将軍、綱吉に自省を徹底的に、命を捨てて促すと言う、言わば将軍の正義の正不正を、人民、衆人環視の元、真実を問うと言う、断固とした精神。それに、感銘を覚えずにはいられないのである。赤穂は、広島に本家を持つ、兵庫の城であるが、内匠頭が藩主として、任務についていたのは江戸で、吉良が住んでいるのも、江戸。その江戸で、彼ら赤穂藩士が、見事討ち入りをして、吉良の首を取り、四十七士が全員揃って、内匠頭の眠る泉岳寺へ墓参、町を練り歩く中、江戸の町民は、「天晴れ、赤穂の浪人たち。」と、祭りの様に通りへ出て、主君の仇討ちをした侍たちを、喝采で送った事は、その江戸っ子の血を受け継ぐ者として、誇りである。正に、江戸っ子の、道義精神、義理人情の現われだと、私は思う。江戸っ子は、将軍家ではなく、赤穂藩士の味方についた。それが綱吉を、どれほど苦しめたか、自身も、ここまで町民が味方につくとは予想していなかったと思う。ともあれ、私たちはこの赤穂藩士の恩恵を受けている。人間、権力者によって理不尽な事がまかり通り、それを深く考えもしない国の政治が認めて、大乱となった時、民衆は如何にして、正道を取り戻すのかを、身を持って示した訓戒である。仇討ちと言う行為自体は殺人ではあるが、ここにはそれを超えた目的がある。内蔵助の本当の敵は、吉良ではなくて、片手落ちの裁きを下した、将軍家そのものだったと私は思う。将軍家と直接対決の為に、吉良の首は不可欠だった。そしてそこには、亡き主君の無念を晴らすと言う家臣としての、「道」もあった。市井の一人間が、公儀、或いは法律に対して、明らかにそれが道に反したものであると悟った時、人はどうするべきか?この問い掛けは、ずっと昔からなされて来た。私も昔、ブログ初めの頃、「一人でもやる勇気」と言うタイトルで、H・D・ソローの言葉も紹介している。(ソローは白人で、黒人奴隷制度時代、それに反抗して、自身も「地下鉄道」と言う、人権を求めて逃亡した黒人を、助ける組織に在籍していた)不正が行われていて、法によって社会的弱者が公然と放置されている様な時、人はどうするべきか?人道に反するとは思うが、法に逆らう勇気はない。社会を敵に回すのも怖いと言って、見て見ぬ振りをするか。或いは、「自分ではない、誰かがきっと何とかしてくれる」と、他人の行動を、ただ待つか。それとも気がついた人間の宿命として、自らの手で、その法に立ち向かって行くか。あなた方は、そのどれなのか。ソローが言うには、「徳のある人間ひとりに対して、徳の後押しをする人間が999人いる。」これは別に、その999人が徳の良き支援者であると言っているのではない。その999人は、正義が(一人の力によって)勝ちますようにと思いながら、一人の人間の背中に隠れてるに過ぎない、自分自身は、不正に対して、何ら犠牲を払わずに、正義が勝つように都合良く祈ってる、卑怯者に過ぎないと、言っているのである。四十七人で、将軍家に対して過ちを突きつけた赤穂浪士の生き様を、長年に渡って子々孫々に伝え続けたこの国で、開拓、アメリカのソローと同じ悩みを、日本人の私が抱くのは、恥である。忠臣蔵の教えを、ただ伝えるだけで、ここぞと言う時実践出来ないないならば、我々に赤穂浪士を称える資格はない。私たちは、薄汚い商人になって、権力者と手を結んで、私腹を増やせる人ほど、賞賛して当然の事となる。水戸黄門の、庶民に紛れた生活をしながら、庶民の暮らしや権力者の横暴を知り、勧善懲悪の単純な理論を、毎晩聞かされる道徳物語として、子供に教えて恥はないのか。。その親に、勇気はあるのか。自分ならば、やるべき時に、勇気を出す事が出来るのか。嫌として、或いは人間として、範を示す事出来て、子供にその精神を教えるのか?勇気のない者に、勇気を語る資格はない。孔子の言った通り、単純な事実。「言葉が行動より立派であるのは、恥である」・・・・・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.12.31
本題の前にー昨今のテレビの仕事意識の低さにはただ呆れるばかりだが、そうは言っても彼らも日本人。テレビを見て喜ぶも、疑問を感じるのも日本人。しかもテレビは、大衆受けするように作られているので、とどのつまり、「誰が作っても同じである」政治家と基本的には一緒なのだ。我々日本人は、同じ教育を受け、その中で同程度にずるさを身につける。他人のずるさを罵った所で、その人と同じ、恵まれた上に、もっとずるをして、金持ちにさせようと持ちかけるー分かりやすく言えばこういう事だ。ドラマ「水戸黄門」に必ず出て来る、悪代官と、庄屋である。庄屋はもっと私腹を肥やしたい。なので代官に、理性を失わす「小遣い」を渡す。一度、そういう思いをした人間は、悪徳商人の操り人形になって、権力を行使し、自分に裏で金をくれる、裕福で、更に肥えたいと言う、乞食の如き(くれぐれも、ホームレスと同日に考えないで頂きたい。彼らは諸事情あれ、富とは無関係なのは事実だ。私はさる体験から、「金を余る程持っているにも関わらず、貧乏人から生き血を吸うまで、金を集めようとする人間を限って{乞食}と読んでいる)金持ちの為に、あらゆる便宜を図る。断っておくが、国民の殆どが、そうした代官の立場に置かれ、最初は高潔さが多少なりあったとしても、小賢しい庄屋がアタッシュケースに現金で1億円を入れて、「これは無税の贈り物です。」と言ったら、悩もうがどうしようが、それを受け取るに違いないと思っている。あなた方が、政治家や官僚を批判するのは、その蜜の味を知らないからだ。一度その味を知ってしまえば、そうした賄賂を露骨に期待出来る、政治家など辞めれるはずはない。私は、気力尽きて、生きる希望を失った。でも、周囲は生きろと言う。生きて何をするか、具体的提案は、誰も出さない。ただ、少しでも生きれるように、支えてはくれるものの、結局一番過酷な問題は、全て私の背に乗っている。その荷だけは、だれも共有しようとしない。だとしたら、私は今後どうするべきかと、悩みに悩んだ。生きた後の目標がなければ、自分を疲労、過労、病気で苦しめ、子供にも満足な世話を出来なくなって、返って苦しめるだけである。夢は失っていない。人間が、「倫理の進化」を達成する夢。今一度、楽天ブログのトップページに私が書いた言葉を読んで欲しい。人間の倫理は、初め男性のみ価値ある存在として認め、次に女性、そして有色人種、そして「アニマル」へと拡大された時、遂に完成を見るのだと。これは、私が中標津町の図書館で、「酪農」に関する起源と歴史を調べていた時に、関連する本の中で、たまたま書かれていた言葉で、夢中でメモを取ったものだ。何故、酪農の起源と歴史を調べたかと言えば、北海道に移住して、酪農の現実を見てしまったからである。そこには、無知な都会人が抱く、牧歌的な世界は全くなかった。私がかつて属していた、犬を人間が無理やり交配させ、繁殖させて、売って金を儲け、使えなくなった老犬は殺すと言った世界よりも、まだ凄まじいものが存在していた。例えば、犬は少なくとも生後一ヶ月までは、母親の母乳を受けて育つ。引き換え子牛は、初乳のたった一回のみで、後は合成ミルクだ。産後、溢れんばかりに出た牛乳は、母牛は子牛に飲ませる権利がなく、我々人間の所に出回る。生まれたのが雄ならば、乳牛用として「使えない」ので、凡そ一週間ほどで、肉牛になる為、売られて行く。雌は、毎年発情が来る度に、授精士なるものが人工授精させて(自然交配をさせている農家は殆どない)、牛乳の為に子供を産ませて、使えない頃に、人間、もしくはドッグフード等の加工用として、殺される。こういう、最後まで人間の決めた「役割」を、全う出来た牛は、まだいい。病気になったり、故障した牛は、「廃牛」と呼ばれ、専門の業者が、各酪農家(以下・農家)を回って「回収」に来る。巨大な荷台に、牛は、片足をワイヤーで吊るされて、空中を運ばれ、そして、そのまま荷台へ下ろされる。荷台は文字通り、積み重なった牛で満杯で、農家の奥さん曰く「可哀相に、一番下敷きになった牛は、とっくに圧死しているよ。」と、言う。こういう現実にぶつかって、私は畜産を自分の視野に置いて、解決策を探ろうと図書館で本を読み漁った。こちらに来て、間もなくの頃だった。その時に、どこか外国の畜産学者か何かが、畜産の現実に触れて、「倫理の進化」を持ち出していたのである。私には、希望が必要だ。過酷な苦労に見合った「希望」夢は、夢でしかない。現実的な力には成り得ない。今、時間と体力が叶うなら、ある人を動かしたいと考えている。その人が、応えてくれれば、大きな希望になる。それは、再び、私に生きる活力を与え、苦しみに耐える力を与え、理想へと再び突き動かして行くだろう。目下の所、私に必要なのは、わずかなりと、自分の訴える事が世界に伝播して行く「可能性」なのだ。同時に、私に取って最もまた必要なのは、「書く」事である。文字に心を託して文章にして、世界に必要だと、私が信じている事を、伝えなくてはならない。これは、簡単な作業ではない。毎日の様に、山へ通いながら、ブログを更新していた昔と違う。その間に、極限まで過労を背負い込んだ体と、栄養失調から来る酷い貧血で、頭がぼうっとなっていて、常にはっきりとしない。それに更に鞭打たなくては、書く事が出来ない。ついこの前まで私は、「死馬」同然だった。幾ら鞭打たれた所で、動けようはずがない。今は、少なくとも、生き返るかどうか、自分に鞭を打つ力が残っているか、やってみようと言う気持ちを手にした。どこまで書けるか分からないが、せめて書ける日には、書こうと思う。さっきまで弟子屈は雪。今日は山で大事な仕事があったが、雪の為に明日に伸ばす事になった。一体どれくらいぶりか、丸1日、自分の(町の子の世話は勿論あるが)時間が出来た。書けるだけ、書こうと思う。頂いたコメントに関しては、まず、今日書けるだけ書いてから、掲載したいと思うので、少し時間を頂きたい。認証したコメントで、一つ指摘しておきたい事がある。玉手と養父に関して、書いた記事の事で、「他人のせいにしていても始まらない」と言うコメントがあったので、意味はないが、敢えて載せたのは、コメント者が、不掲載だった時、何故そうなのか、意味が分からないだろうと思ったからである。或いは、私を否定する内容だから、掲載されなかったと。その間違いについて説明しておきたい。人は、誰かのせいにしながら、その人々のやり残した事を、命を捨てる覚悟で引き受け行動する事は不可能である。誰かのせいにしている時、その人はそれを理由に行動しない。誰かのせいにしながら、後始末を自ら引き受ける事は同立し得ないのである。責任の所在を明確にしながら、その責任の償いを自ら被って行動している時、人は既に「誰かのせいにして自分へ責任が回って来る事を回避しようとする行動、若しくは心理と、決着」をつけているのである。ここに至るまでの経緯を書いたものは、私が責任を引き受ける代わりに、真実を残しておきたいと思って書かれたもので、私が誰の責任だったと言ってみた所で、私は事実、その者たちの責任を引き受けて、果たし続けているのである。よって、コメント者は全く文章の中身と、書いている私の行動を理解出来ていないまま、コメントを入れている。こういう読み手全体に対して、例題に挙げられる間違ったコメントは、敢えて公表し、その過ちを指摘し、他の人々への、必要な勉強として使わせて頂くので、熟慮して投稿して欲しい。・・・・・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/■ Commentやっぱり難しいよ若樹さんやっぱり若樹さんの日記は難しい。 体力のある北海道に動ける若者、技術や知恵がある経験豊富で仕事のない中年以上の年齢層が、もっとも理解し難い難しさがあると思います。 もっと解りやすく書いたら、若樹さんに賛同して一緒に歩んでくれる仲間ができるのではないのか?って、いつも思う。勿体ないよ!若樹さんの人物には、ほど遠い人物に見える。 本当に愛に溢れ、大切な子供達や人達には、いくらでも自分を犠牲にしてしまう、そんな素敵な人なのに。若樹さんが求める仲間は、若樹さんの文面を解読出来る人ではないと思う。 若樹さん、今少し視点を変えて見てみてください。生意気な事書いてすいません| 2012/12/17 (Mon) 23:31 | ルナ | URL | 編集 |
2012.12.16
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=dq1z1rkjw-E・・・・・・・・・・・・・・・・・ご注意。本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/■ Commentいいね♪| 2012/12/12 (Wed) 13:33 | ブライアン | URL | 編集 |
2012.12.11
そして、2006年の、「崩壊」を迎えた。全ては初めから覚悟のついていた事だったし、それまでに世界を変える事が出来なくとも、我ながら、よく頑張ったと、褒め称えられる人生だった。他人がどう批評しようとも、私は、自分の人生の批評を変える気はない。それは、他人には語らない、多くの苦痛、嘆き、屈辱、喪失、代償、そして徹底した倫理と道徳を、知っているのは私だけで、他人は自分の杓子定規で、想像して批評するしか出来ない事を、知っているからだ。その、最高の人生の終わらせ方を、二人の男に阻まれた。繰り返すが、かつては友人だった、玉手と、私の養父だ。犬と猫の保護を、自分達もそれぞれ、金銭の支援、労力の支援と言う形で、手伝うと誓い、死ねなかった事実の中で、まだ現実をしっかりと把握出来ないまま、私も子供も救い上げられる格好で、それはほんの数ヶ月で破られる、とんでもない重いものを、とんでもなく軽々しく扱った誓いだったと分かった。金銭の支援を約束した義父は、8月下旬には電話に出なくなった。労力の支援を約束した玉手は、最初の一年間、土日だけのボランティアとして手伝った後、テレビの取材等に出た事で、(最も、それを口実に使われたと言うのが実態だが)役場の非常勤を、自主的に辞める方向で、事実上の解雇となった。それから5ヶ月。仕事も探さなかった玉手は、毎日私とボランティア活動に従事し、-全部、放り出した。その後、一年、私はたった一人でやり続けた。希望を失わず。未来を夢見て。そして、過労で倒れた。過労はある意味、病気よりも性質が悪い、と、私は思う。身体のどこに、限界として出るか分からず、また、そこを治した所で、心身共に静養させない限りは、ずっとピンの抜けた、手榴弾を握っているようなものだ。気が抜けたら、爆発する。倒れて、動けなくなって、衰弱死だ。玉手は、私が倒れてからと言うもの、本当にいい加減な世話を続けた。したケンカの数は数知れず、失った命も、数えるのは余りに惨い。何度殺そうと思ったか分からない。実際、去年の丁度今頃、私は横になった玉手の前で、包丁を持っていた。何もかも、山の子の為の辛抱だった。自分が全て一人でやるとなれば、山の子たちが、全員死んでしまう。殺された子達と、生きてる子達。そして憎悪を秤に載せても、生きている子供たちの方に、天秤は傾いた。どんな卑怯で恥知らずな、愚者であっても山の子の命には変えられない。でも、それも今年の2月には限界だった。奴が増やした、沢山の犬と猫の子。次々感染病に倒れ、看病に追われ、毎日一人死んで行く。部屋の中の亡骸の山を見た時、私は死ぬ覚悟を再びした。そして、玉手をとうとう6月末に追い出した。そしてー、ブログに全てを書いた。よく、友人に私のブログは、ブログじゃない。あの長さじゃ、「本」だよ、と言われたものだ。これまで、ブログの中で、そういう現実に触れず、ひたすら道理を訴えて来た私の、遺稿とも言えるものを書いた。この記事も、遺稿の一つになるのだろう。雪が降り、私は自分が死ぬべき時が近づいて来たのを間近に感じ、恐怖を味わっている。取り乱していないだけ、まだ大したものだ、と自分で自分に言い聞かせながら。そして、この雪が大地に降りて来て、私は始めて分かった事がある。私は、「私が自殺をしなくてはならない理由」として、連載を挙げたが、今回私が死を迎えるとすれば、それは自殺でない。2006年の時の様な、晴れ晴れしい、済んだ気持ちの、納得の行く自殺ではない。これは、私自身を「死刑」にする事だ。多くの犬猫の命を奪い、尚も危険に晒している罪で。そして、この罪は私のものではない。玉手と、養父のものだ。しかし、二人はまんまと逃げおおせ、私はそうは出来なかった。マイケルと同じ立場には立てない。もし、ゲイリーが、何の罪もない男を殺した罪から逃げ、行方をくらまし、誰かが彼の代わりに、自分の命を持ってその償いをしなければならないとしたらー。こんな無念な事はない。しかも、玉手と義父は、私が彼らの罪を代わって償ってやろうと思う程の、価値など一破片もない。ただ、私が自分を死なせなければ、世間の目は、この犬や猫達に集まらず、殆どの子が、無慈悲に殺されてしまうから、それを最小限にする為に、自ら絞首刑の台に上るのだ。そう、これは自殺ではなかった。私がしようとしている事は、自分で自分を死刑にする事だったのだ。第三者の罪を背負って。その中には、依然として私の訴える「種族隔離法」を、悪法として撤廃しない社会も含まれている。こんなに無念な事があるだろうか。こんな事の為に死にたくはない。これは単なる無駄死にだ。死刑執行人として、自分がいつ、処刑されるのか、雪を見ながら考える。子供たちの世話も段々と遅れがちになり、仕事も取る体力がなくなって来て、もう2ヶ月になる。せめて私だけの犠牲で済む様に、我が身の死刑の日を刻々と待つ、私の心は散々に乱れる。死刑を回避する事は出来ないのか、その体力があるのか。可能性はあるのか。答えはいつも否で、最後まで守ってやれなくてごめんと、子供たちの未来に願いを託す。・・・・・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/以下は、頂いたコメントです。前連載に対して頂いたコメントですが、楽天の文字制限上、14番目の記事の中に転載出来なかったので、こちらに転載させて頂きます。ブライアンさん、有難う。でも、最新に挙げた記事通り、体力が限界に達しています。■ Commentさあ物語を始めよう全国にまっすぐに発信してください。 これだけの文章が書けるあなたならできます。 絶対できます。 必ず一人以上 あなたに賛同し協力してくれる仲間はいます。 英語でも発信してください。 TOKYO NOTICE BOARDという在日外人向けのフリーペーパーに「北海道でアニマルと暮らしませんか」の趣旨でWANTEDをかけるのです。 もしかしたらそこに あなたにとって人生の一大転機となる人物が現れる可能性が有ります。 とにかく周りで英語に堪能な人を探して始めてください。 LET'S BEGIN です! 家を建てるのがうまい人も居るでしょう。 畑作業がうまい人、狩りを得意とする人、釣りがうまい人…ETC 広大な土地を生かして国際コミュニティ-を創っちゃえばいいのです。 難しく考えないで。 自給自足型ゲストハウスを作ればいいんです(^^)世界の理想の雛形を実現して見せれば良いのです。 バックパッカーの読者もたくさん居るから飛び付いてきますよ。 とにかく始めましょう! いろんな人種のみんなで暖炉囲んで語らう想像してみてください。 願って大事に動けば必ず実現します。 | 2012/11/25 (Sun) 06:07 | ブライアン | URL | 編集 | 追伸 この世はアイディアとタイミングです。 このふたつをうまく使えば必ずうまくいきますよ! | 2012/11/25 (Sun) 06:10 | ブライアン | URL | 編集 | 名前
2012.11.29
故・ノーマン・メイラーが殺人者「ゲイリー・ギルモア」のノンフィクションのタイトルを、この「死刑執行人の歌」にした理由は、恐らくは犯罪者ゲイリーが、法廷で自ら死刑を要求した為だろう。1976年ゲイリーは、ユタ州で何の関係もない男性を、二人撃ち殺した。翌年の1月、ゲイリーは自ら「銃殺」を望んで、その要求を貫徹した。いきなりこの話から始まるのは、文脈として正しくないかも知れない。私は、北海道に冬が訪れ、雪が降り始めてからと言うもの、胸の中に恐怖を感じ、自分の考えや気持ちが、散々に乱れるのを、整理しようとしては、失敗すると言う事を繰り返している。だが一つだけ、自分の中で見つけた真実がある。私は、「倫理の進化」の中で、努めて、保護している犬や猫の事には触れなかった。一番の理由は、「支援金」募集をしている、と、思われたくないと言う事と、自分が覚悟を決めて引き受けて来た命の世話と、自分が彼らの身の上に怒った事を止める為に、世間に訴える事は、道理であって、日常生活の日記ではないからだ。同様に、私はこのブログを再開させた切っ掛けとなる、「現状」の説明も、ここに至るまで全くブログ内では書いて来なかった。このブログの多くの失敗は、元支援代表を自ら断行してしまった、ある女性とのトラブルが、ブログのコメント欄で炎上を続け、また、始めて使用した楽天ブログに、それらのコメントと、理性あるコメントの掲載の可否を、より確実につける術がなかった事だ。インターネットと言う、相手が誰なのか分からない文字だけの世界で、私はブログの方向性を破壊され、それは殆ど修正が効かなくなってしまった。そして、自分自身も、不条理に浴びせられる書き込みの中で、怒りが度を越し、「目には目を」のハムラビ法典の法に従ってしまった事だ。そうした当時の記事については、削除しておきたいが、その様な時間は取れないし、また、自らの過ちとして、世間に晒し続けるのも、良い自分への罰になるだろうと、考えてもいる。長くなった連載の、軽いおさらいになるが、私は子供の時から、殺処分と言う、恐ろしい制度を前に、救えるだけの命を救って来た。結果はどうあれ、この問題から逃げて、普通の人間らしいー私に言わせれば卑怯者の生き方になるのだがー生活に、去った事は一度もなかった。苦痛は常に、私を取り囲んで離さなかったし、私もまた、苦痛にまみれた人生から、犬猫の置かれた現状を前に、背を向けて逃れようとは思わなかった。ゲイリー・ギルモアについては、私の心臓に等しい本が、一冊出版されている。ゲイリーの弟、マイケル・ギルモアによって書かれた、「心臓を貫かれて」だ。この本が書店に並び始めた頃、丁度私は、自分の家から、家族から、離れて、自分の日常がそのまま保護活動に添って進行し始めた事を、本格的に自覚し、実父や祖母や、実父の愛人、伯母の暴力から来ていた常軌を超えた憎悪と殺意からの、脱却に向かっていた。この本の帯にはこう書かれていた。「ゲイリーは物心ついたときから激しく愛を求め、常に激しい暴力で報いられた。-中略ーその恐怖の世界を抜け出すための手だては、たった一つしか残されていなかかった。血は流されなくてはならない。」何て事だ、と思った。本の中身を読まずとも、ゲイリーが分かった。自分と同じ過酷な運命の下に生まれつき、そして死んだ男なのだと。彼が殺した二人の人間達。そして、その遺族や友人。許しを請う事は出来ないが、私はゲイリーの敵になる事は出来なかった。実は、ゲイリーの事は、いつかこのブログで触れようと、ずっと初めの頃から思っていた。子供の虐待について。幼い頃から虐待を受けた子供が、どんな人間に育つのか、奇しくも私はやっと、前連載の中で触れる事が出来た。ゲイリーは、本を読む前から、自分の子の様に、愛しさを感じてならなかった。私から生まれた、もう一人の私。しかし、自分の運命を、ゲイリーが落ちてしまったそれと、違う方向に向けて行こうと戦っていた私は、毎週、毎月の様に書店を訪れながら、その本を買うのに、7年以上の歳月を必要とした。事実、この本は、それだけ長くあらゆる書店に必ず置かれていた。いつもこの本の背表紙が、私の目を捉えて離さなかった。私が遂に勇気を出して買って以来、この本は、ぷつりと各書店から姿を消した。それはまるでゲイリーが、私に自分の身を預けた事で、成仏出来たかの様にー。この本は、正しく想像通りのものだった。ゲイリーと私の、何と相似している事か。続けて買った、ノーマン・メイラーの「死刑執行人の歌」も、ゲイリーと私が、あらゆる点で、似た人間なのを証明していたー時には、ぞっとする程に。この本を読み終えた日の朝方、私は夢を見た。オーケストラの楽団が、何かを演奏していた。その曲は、耳では聴こえなかった。どこか、もっと高い、天上の世界で演奏されている。曲は聴こえないが、その曲は、私の感覚が掴む事が出来た。知っている曲だ、知っているー。楽団を正面に見て、最前列の一番右側で、ゲイリーがバイオリンを弾いていた。いたずらっ気なゲイリーは、演奏に集中せず、私に瞳で秋波を送ってくる。心の中で、私は言った。「ダメよ、ゲイリー。私には彼がいる事、分かっているでしょう。ちゃんと、演奏に集中しなさい。」私は、ゲイリーを演奏に集中させる為に、わざと目をつぶった。最初はしぶりながら、やがてゲイリーは、演奏に熱を込め始めた。私はその決して聴こえない、至上の演奏に聞き入った。そして、唐突に目を覚ました。頭の中で、あの曲が何だったのか、必死に考えた。クラシックの名曲だ。曲調は分かる。だが、題名が思い出せない。数日後、たまたま私は、クリスチャンが経営してる喫茶店で、マスターに尋ねた。こんな感じの、クラシックの曲、題名なんだっけ?マスターは、さらっと答えた。「ああ、それは{喜びの歌}」だね。その場では何とか堪えたが、家に帰って涙が止まらなかった。南弟子屈で、バスの中に住んでいた頃の話しだ。今から10年以上前。死ぬ時は、この本を墓の中に抱いて持って行きたい。そう思った。今は、私が死んだ後、この本は誰かが大事に所蔵してくれる事を望んでいる。ゲイリーの痛みを分かる誰か。そして、ゲイリーの兄弟の、フランク・ジュニアと、マイケルの痛みを。ゲイリーの死刑が確定し、それが止められない事と知った時、また、ゲイリーが実際に死刑にされた時の心情を、マイケルは痛々しい程に綴っている。マイケルの心と、私に、犬猫は保健所へやって、あなたは、普通に結婚して、幸せな人生を生きるべきだと、常に言われている私の心を、言葉にすると、この様になる。今、愛する誰かが決められた通りに、死んで行こうとしている。正に、法律に乗っ取って、殺されようとしている。私はこれから先ずっと、自分の愛する者を公然と殺した社会の中で、それを止めようと抗わなかった人々の中で、その人たちとすれ違い、言葉を交わし、生きて行かなくてはならない。私は、その世間の中で、周りの人間を憎むか、それとも何とか折り合いをつけて生きて行くか、とにかくどちらかを選択しなければならない。肉親を躊躇もなく殺害した、世界で生きて行くと言う事は、肉親を躊躇もなく殺害した、個人をと対峙して生きるよりも、遥かに重い、絶望なのだ。結局私は、勿論マイケルの書いたこの本を読む前から、いつか「崩壊」を迎えた時に、こういう状況に自分が置かれる事を理解していた。「崩壊」が来たら、-少なくとも私がそれを覚悟した時代は、インターネットはなかったし、今の動物愛護団体で、日本で知られている所と言ったら、千葉の藤田さんくらいしかいなかったー動けなくなった私の事は、身内や国が面倒見てくれるだろう。そして、反対に我が肉親そのものである、文字通り血を流して守って来た子供たちは、かつてのアウシュビッツを小さくまとめたに過ぎない施設の中で、ガスか、何かによって、殺されている。私は保護され、人間の悪法と、無慈悲の前には、何の力もない犬と猫は、逆に処刑を受けている。一体、そんな世界の中で、私はその後、社会を憎まずに生きて行けるだろうか?報復を企てずに何にすがって生きれるだろう。そんな社会を、愛する事も、受け入れる事も、折り合いをつける事も、私には出来ない。私には正義感と、何よりも強い子供達への愛がある。だから、崩壊の時が来たら、一緒に死ぬのだと。運が良ければ、それまでに、社会を変えられるかも知れない。私は最後まで、夢は諦めない性格だ。そうして、いつか必ず来る、崩壊を前に、努力しながら北海道まで来た。ここで、この厳寒の地で、移住してから7年頑張った。・・・・・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.11.29
要は、ドン詰まりなのだ。そして、大事なのは、2月に玉手へ「こんな世話しか出来ないなら、望み通りボランティアを辞めて、自分も出て行け。」と、告げた時に、この状況を、全部推測して、覚悟の上で伝えた事。つまり、私は一人になったら、死ぬだろう事を覚悟した。それでも、玉手がいる限り、私はどこかで世話を信じて任せなくてはいけないし、あの男は毎回、その信頼を裏切って、尊い命を平気で殺す。そして、玉手に任された子達は、愛情も、目もくれられない為、全く人馴れをしない。野良犬、野良猫同様で、触る事さえ出来ない。こんな状況を続けるくらいなら、私一人で全部被り、結果過労で倒れるのが分かっていても、自分で全部世話をしたかった。私は、過労で倒れて、動けなくなって寝たきりとなり、最後は入院、そういう事態になったら、潔く自殺するつもりで、玉手を追い出した。私が死んだら、信頼出来る人間に、すぐにマスコミに連絡する様に伝えてある。ボランティアの人間が、犬猫の為に過労で倒れるまで働いて、いよいよ寝たきりになった時、犬や猫を道連れには出来ない。自分だけ病院へ入り、犬猫を、保健所へもやれない。世間は、死ぬか、失踪するか、兎に角、置き去られた犬猫のみに優しい。テレビで連日報道され、愛護団体が動き、お金が集まり、里親希望者が続出する。そういう風にしか、私にはもうこの子達を守ってやる術がない。「もう動けない。」そう判断した瞬間で、私は自ら命を絶つ。最後の連絡を知人に送って。私が死ねば、全てと言う訳にはいかないが、かなりの子供が助かるだろう。でも、生きてるうちに、里親を探しても見つかりはしない。そもそも、自分の仕事で収入を得て、世話をしている私に里親探しをする時間がどこにあるのか。このブログでさえ、二ヶ月以上かかって、やっと書き上げている。毎日書ける人は、相当時間か体力があるのだろう。どちらもない私は、最後に訴えておきたい事を書ききれるのかどうかさえ分からない。まずは、この連載をここで一回締めたいと思う。「私が死ななければならない理由」六年前に何があったのか、何があって、今の状態、そして今後の結果になるのか、それをはっきりさせておきたかった。これまでブログで、一切活動に関する中身には、触れずに思想を述べて来たから。斜め読みになってしまう方が多くいるのは分かってる。簡単に言うと、私は10代の時から、保護を始め、それが自分の力を超えても構わず捨てられる犬や猫が後を絶たない現状に直面し、最後は崩壊を迎える事を覚悟し、その時には自分も犬猫と一緒に死ぬ事を決意して、本気で活動を続けて来た。その崩壊は六年前の5月に来て、私は自分の決断通りの事をした。その際に玉手英一に無理やり自殺を止められ、病院へ連れて行かれ、父が「資金援助するから犬も猫も処分されないようにして頑張れ。」と、自殺を止められた放心状態の中で約束し、父自身、周囲にそう言って犬や猫の処分を止めた。玉手が、「自分も最後まで協力する。」と言って、渋る私の手を引いて再び人生に引き戻した。自殺を図った私に、何の力もなかった。しかし、父はほんの三ヶ月程で、約束から逃げ始めた。私は犬猫を食べさせる為に、サラ金から借金までしなければならなくなった。父に言った通り、その時の私にはもう、自力で子供達を食べさせる力がなかったのだから。そして、一年間、土日ボランティアをやっていた玉手は、翌年、仕事を辞めて、別の職にも就かず、毎日ボランティアを手伝う様になると、5ヶ月で逃げ出した。その後、1年間、一人で世話と仕事に奔走した私は、過労から抵抗力が全くなくなり、虫歯菌から、深頸部感染症になり、生死の狭間に置かれる事になった。それから玉手が仕方がなく、私の代わりを勤めはしたが、いい加減な世話、放置、また、どんどん繁殖させては、面倒見ずに、生まれた子を死なすと、三年繰り返し、もう限界が来て、私は今年の2月に、玉手に貸していた部屋を引き払い、ボランティアにも関わらないでいいと、これまで書いた様に、自殺覚悟で言い渡した。6月末に、貸していた部屋を廃屋状態にしたまま、玉手は出て行き、それから私が一人で全部面倒を見ている。もうじき冬が来る。11月の5日に、釧路の口腔外科で、感染が再び始まった虫歯の抜歯を入院して受けた。虫歯の奥には肉の病巣と言うものがあって、それが炎症を起こしたままだった。「よく生きていたね。」と、言われて当然だ。取り除かれた病巣は、小さな腫瘍みたいなものだった。今月、26日から二泊で、再び手術を口腔外科で受ける。兎に角、風邪を引かない事、虫歯の様な、菌を拾いやすい箇所を治療する事。なるべく、過労は置いても病気にならない事。後は、全て運命に任せる。私も、ここ二ヶ月、色んな事を考えながら、何とか生き抜く事を目標にし始めている。しかし現実は、私にも、子供にも過酷なのだ。・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」・・・・・・・・お詫び過労で文章の見直しを全くしていない連載です。誤字脱字、同じ内容の重複、かなりあると思います。ご容赦下さい。次のブログからは、少し落ち着いて書けると思っています。http://ainumosiri.blog65.fc2.com/以下は、FC2へ頂いたコメントです。楽天では、コメント欄を完全に閉めています。FC2は、承認制でコメントを受け賜っております。コメントは、FC2のお寄せ下さい。楽天のブログにも、転載させて頂きます。コメント承認まで、しばらく時間がかかる事があります。ご了承下さいませ。■ Commentちなみに… もやしは栄養あるよ。 ビタミンA ビタミンC ビタミンB1 カリウム GABA 食物繊維 発芽することによって豆には無かったビタミンCが生成されてるし、B2は発芽してない豆の3倍以上もある! あと豆もやしだと「グルコシノ-ト」っていう、解毒作用、抗がん作用のある成分が含まれてるんだ。 もやしが栄養ないなんて言った奴出て来い(笑) ひょろっとした見た目と違ってパワフルな薬膳な野郎なんだぜ~♪| 2012/09/13 (Thu) 21:38 | ブライアン | URL | 編集 | お久しぶりです。貴女は人を見る目が本当にありませんよね。まあ、自分ができる範囲は全力でやろうとするその姿勢には頭が下がりますが…トラウマなどあるかも知れませんが、動物達の為に我慢して配偶者を探してみてはいかがですか?貴女は顔も悪くなさそうですし、喋りも得意なのでしょう?形だけ愛しているフリでもいいから配偶者をつけると、貴女は動物の世話に専念できますよ。しかし、貴女は人を見る目がないですからねえ…【簡単に約束する人】このタイプの人を避けるだけで、男女問わず良い人に巡り合いますよ。| 2012/10/23 (Tue) 10:25 | あの | URL | 編集 |
2012.11.08
そう思っている間に、過労から病魔は驚く程近くへ来ていた。歯の方を気にして治療しながら、釧路の大きな病院で、受診し、手術について話し合う予定日を待っている間に、疲れ切って抵抗力を失った体は、腸内に雑菌を繁殖させて、急性腸炎で、私は9月26日に倒れた。白血球は、通常の倍になっていた。夕方6時過ぎ、仕事の予約があって準備中、下腹部に凄まじい痛みに襲われ、立って歩く事も出来なかった。激痛に叫んだ。この時間では、やっている所は評判悪い、厚生病院しかない。しばらく耐えれば、収まるかも知れない。予約のお客様に、息も絶え絶えにキャンセルさせて頂く電話をして、二時間、お腹の中から「エイリアン」が肉を裂いて飛び出して来るって言うのは、こういう痛みだろうかと考えていた。とうとう力尽きて、近所のおばさんに電話して、救急車を呼んで欲しいと一言頼んだ。救急隊がすぐに駆けつけたが、私は何も答えられず、病院へ連れて行かれて、当直の出張医が現れて、ベッドの上でうめく私を診察もせず看護士に、食事を食べ損ねただの、でもお陰で美人の看護士さんとご一緒出来ると、軽口を叩くのを聞きながら、いつ、診察する気だと、怒りながら激痛に耐えた。診察する前に、「北原さん、診察するとお金がかかりますけど、支払いますか。約束しますか。」と、聞かれた。去年の9月、やはり過労で倒れ、夜中救急で行った時に、「罹りつけはウチではないですよね?」と、看護士に言われ、担当医も心臓の動悸を収める処置しかせず、車椅子に乗らないと、動く事も出来ない私を、「明日罹りつけの病院へ行って下さい。」と、事実追い返した。それ以前の、深頸部感染症の時も、二日通ったが適切な処置せずに、釧路の病院へ行った時には、「危篤一歩手前」と言われ、そういう経緯から、前回の診察は納得行かない。と、言って、数千円「ちっちゃい点滴一つと、深夜診察代金」だが、支払いを拒み、院長との話し合いを求めていた。その事を、この状況で言ってるのだ。痛みに叫んでる人間に、「お金を払いますか?」と聞ける人間はそうはいなかろう。この病院は、町では誤診、いい加減、ろくな医者がいない、で有名なのだ。数日前に、まだ若い私の知人がこの病院で亡くなった。後で知ったが、私の入院中、隣の病室に入った男性がそうだった。これを書いてる今は、10月8日。今日、彼のお通夜に行って来た。家族に、「大丈夫ですよ。」と医者が言ったほんの二時間余りで、彼は看護士が気がついたら返らぬ人となっていた。家族は最後に立ち会えなかった。今、この亡き人の多くの知人達は、とてもネットで書けない発言を、この病院に対して口々に行っている。皆、一様に同じ事を言って、「生きたいなら、行く病院を選ぼう。」と話す。こういう病院なので、私も町民の多くも、他に罹りつけの町医者を持っている。ともあれ私の診察は行われ、所見は、「虫垂炎か、卵管茎捻転」レントゲン撮って、CT二回撮って、採血して、尿検査して、原因が分からないから、釧路の病院へこのまま行った方がいいと言う。一方私は、ようやく痛み止めが効き始め、起き上がって、何とか会話出来る状態になっていた。現状で分かってるのは、腸が雑菌に感染して、腸炎を起こしていて、白血球が、通常の倍程も上がっていると言う事。「雑菌に感染」の言葉を聞いた瞬間、自分の中で、何が原因かはっきり分かった。虫垂炎ではない。あれは、一度やった事がある。あおの時も、赤ちゃん猫の捨て子を二人育てていて、病院へ行った時には、(当時は国立病院があった)破裂寸前とインドネシアからの医者に告げられたが、子猫の為に、死んでも病院を責めないから、即抗生物質を投与して、点滴で散らしてくれと言って頼み、毎日通院するのを条件に、手術を受けず、私は助かった。あんな痛みではない。卵管茎捻転の可能性は否定出来ないが、ついこの前、また虫歯菌に感染して、抗生物質を服用続け、一度感染を抑えた。それが今度は、ほぼ間違いなく、腸にやって来たのだろう。抗生物質の点滴で治る。自分でそう確信した。院長と話し合って、完全にこちらの希望通りの治療を行ってもらう事を取り決めた。まず、入院して、毎日抗生物質の点滴と、栄養剤の点滴。レントゲンの結果では、胃が殆ど動いていなかった。最低三日間は、絶食。毎日、数時間、外出許可を貰って、犬猫の世話をしに帰宅するのを認めてくれる事。今回は、入院中、看護士さんには大変お世話になった。但し、主治医の院長は、一度も診察に現れず、二回、来たのは入院時の担当医でもない、これまた出張医だった。田舎暮らしに憧れている人には、こういう現実を伝えておきたいと思う。結局、私は四泊五日の入院で済んだ。毎日、子供達の世話で許された外出時間は、二時間オンリー。汚物を片付け、ご飯をあげ、お水を替えて、山へ行き、フードや猫砂の買出しに、その時ばかりは痛みを忘れて駈けずり回った。近所のおばさん達が、私が入院した翌日の朝、私の家へ入って、猫達や、去年の1月に置いていかれたままになった、ダックスとビーグルのベルとラブに、買って置いた缶詰をあげてくれていて、本当に安堵して、感謝した。金曜日の夜から、月曜日の午後の採血まで、抗生物質の迅速な治療はしっかりと効果を出して、月曜日の夜、始めて食事が出た。考えてみたら、金曜日、食事は朝一回カレーを食べただけで、三日間、何も食べずに栄養剤だけで、よく毎日外出して、世話に奔走出来たと思う。月曜日の夕飯と、火曜日の朝食を食べて、異常がなく、白血球も、普通の値に戻っていたので、私は火曜日の午前中に退院した。安心して、溜まった心身の疲れが一気に出たのは帰宅してからだった。四日雑な掃除をした家は、とても放置して休む気になれず、また、その日歯医者の予約もあったので、こちらの治療も感染を抑えるのに、遅らせてはいけないと、午後二時の予約の時間まで、家中丁寧に一部屋一部屋、掃除して回った。歯医者に行った時には殆ど抜け殻だった。もう体力はない。そこで、別の町医者へ行って、「にんにく注射」を打ってもらった。アリナミンの注射だ。疲れ過ぎのせいなのか、打ってもらって、3時間以上は効果が現れない。4時間もすると、しっかり効いてきて、まず、過労で力を失ってる筋肉の中で、最も動かないと辛い、喉の筋肉が力を取り戻して来ると、ようやく肺に酸素が満たされて来る。結局、夜9時まで、家を掃除して回った。入院中、庭の子が3日目の外出許可を取って世話をして、病院へ戻る際に、酷く不安な目で私を見ていたのが、胸が痛かった。帰宅後、ゆっくりと掃除する私を見て、ようやく安心した様だ。それから、今日までずっと、仕事を休んでいる。過労から、退院後、気が抜けて疲れがまた出て、今度は逆に、食事が食べれなくなったのだ。それは今朝まで続いていた。何しろ、ガスを使ってインスタントラーメンを作る気力すらないのだ。空腹よりも、動きたくない気持ちが勝つ。子供の世話で、精一杯だ。今日も、起きてから、何も食べずに子供の世話をして、疲れで食事をどうするか、途方に暮れていた。風邪も引いている。知人のお通夜は遠慮して、明日、告別式に行こうかと考えてる時、知人から、昼餉のお誘いの電話が来た。弟子屈に、この釧路地方では有名な、手打ち蕎麦屋がる。「えちご」と言う。そこで一緒に食べようと言われ、初め食欲がなくて断ったが、ここで食べなくては、と、考え直し、「えちご」へ向かった。乱切りで太い、喉越しの良い蕎麦を、いつも注文する「冷やし山かけ」で食べると、少し気力が戻って、力がついて来た。蕎麦もいいが、とろろも栄養が高い。結局、お陰で少し力が戻って来た。お通夜にも行けて、近所のおじさんが山で採って来たきのこのおすそ分けを頂き、帰って来てから、うどんと煮込んで食べた。ここから、何とか体力が少し回復しそうだ。そんな訳で、このブログも、下書きの続きを書いている。絞めの文章は、また時間と気力がある時に。今日はここで、子供の夜ご飯とトイレの世話をして、休む事にする。そして、また困った続きが・・・・。昨日(11日)から、今度はまた、先月感染症を起こした奥歯。手術予定で、釧路の大きな病院に予約をしている・・・。が、また、歯茎の中から、化膿が始まったのに気がついた。15日の月曜日に、改めて予約を入れてあるので、数日だが、今回も、もし犬用の抗生物質で凌げるなら、それまで待つ。1日薬を飲んで、化膿が増殖しないでも、治癒方向に向かってる感じがしないなら、即歯医者に行って、抗生物質を頂く。そう決めて、11日様子を見たが、翌12日(現時点では、本日)一向に良くなってる感覚がないので、二週間前の入院を考え、即歯医者に連絡をして、事情を話し、抗生物質を15日までの三日分、出してもらった。私は、9日まで仕事を休み、10日夜、仕事を試しに一件取った。翌日から、もう、免疫が落ちて、通常なら感染しない、弱い雑菌にも抵抗出来なくなり、再び感染症に陥った。仕事を辞めて、子供の世話だけ専念するか。それでもここまで溜まった疲れは取れない。何故なら酪農家と同じ、いきものの世話は毎日あるからだ。酪農家はそれで食べているが、私はそれはボランティアの仕事。収入の為に、別に毎日仕事をしているのだから、仕事一つ辞めても、体力回復には及ばない。ボランティアそのものを、暫く休まなくては回復はきっとない)。勿論収入はなくなる。私は、支援募集を基盤にボランティアを始めた事はなく、それは20年以上理念として変わっていないので、自分が働かない訳にはいかない。
2012.10.08
ここに至るまでは、凄い経緯があるのですが・・・。余りに連載が長く、自分でも何を書いたか、どこまで書いたか分からないので、一度この連載は、ここで終わりとして、玉手の犬猫への虐待は、改めて書きます。書かずにはいられない。全身から怒りで血が噴出してしまうから。まずは、論理的に。私が自殺をしなくてはならない理由。これは、勿論、6年前の当時、既に限界を見た私を無視し、行政や地主さんと勝手に話を進め、私には「協力するから」と、約束して活動を始た、北原徹也自身、玉手英一自身が、犬猫を放棄して逃げたからです。6年前の当初から、もう、一人でやり続ける力はなかった。だから自殺を決行したのだから。そして、私は、絶対に逃げられない。人間は、犬や猫を、「ペット」と思ってるかも知れない。或いは、ブランドの様な持ち物と。でも、犬や猫は違う、人間を、「家族」だと思ってるんです。特に犬は、群れで生きる性格の為、家族と言う単位で集団で生活する為、共に暮らしている人間を、非常に強く、「家族」として意識し、愛し、大切にする。我々が犬猫を家族だと思ってるんじゃない。口ではそう言ってはいても。本当に犬猫を、人間同様の尊厳を持って、家族として暮らしている人間なんていない。もし、本当に家族と思っていたら、危険な狂犬病ワクチンを、何も勉強しないまま、打てますか?もし、本当に家族と思っていたら、簡単に、避妊、去勢手術が出来ますか?あなたの娘、あなたの息子に、同じ行為が出来ますか?あなたの子供がもし、「自分は子供はいらない。」って言ったら、避妊、去勢した方が、病気に罹りにくいから、じゃあ、子宮と卵巣取っちゃいましょう。睾丸取ってしまいましょう。そういう事を言う、親っていますか。犬も猫も人間と平等、家族の一員と言いながら、人間には相手の尊厳を重んじて、決してしない事を平気で、むしろ積極的にしているのは何故ですか。私はそういう事を恥知らずにも堂々とやってのけ、公然と生きて行ける程自らに対して無知ではない。一度、じっくりと考え、覚悟し、下した決断については、命を賭けて守る。命に対して、命を持って臨む。いい加減な気持ちで、安易な考えで対峙はしない。ボランティアとして、「限界が来たから」そう言って、一度志したものを見捨てはしない。もし、自分が救っているのが、人間だとしたら?例えば、ある国で、二つの人種がいる。二つの人種は、優等人種と、劣等人種に分けられ、差別されている。優等人種は、犯罪を犯しさえしなければ、何をしても自由。あらゆる権利に守られている。他方、劣等人種は、あらゆる権利を奪われている。この劣等人種が、優等人種と同じ社会で生きて行く最大の条件は、「優等人種の主を持つ事」優等人種の主を最初から持たない、或いは、主から捨てられた者は、否応なく処分される(今は行政も無闇に殺している訳ではないと、この時点で反論する人に、最後まで読んでからその意見を言って頂きたいと願う)。劣等人種の中である者は、政府や行政や社会、「保健所」の目をかいくぐって、逃れる様に逃亡の旅を続ける。生きる為に。私の所には、劣等人種を「飼った」はいいが、持て余し、捨てに来る人間が後を絶たなかった。恐らく、犬猫を好きで、育てている人間は、一度は誰かに言われた事があるんじゃないのだろうか。「この{劣等人種}を、もう飼えないから引き取って。」と。「貰い手がなくては、保健所で処分されてしまうの。」そう言われて、あなたは何と答えるだろうか。一度「分かった」と言って、命を一つ助ければ、すぐに周囲に数頭飼いしている人間だと認知される。捨てたい人間は、飼ってくれそうな相手を探す。たまたまそういう人間の直接の知り合いであれば、直談判で押し付けに来るが、知り合いでなければ、門は叩けない。つまり黙って捨てて行く。帰宅をすると、家の前には、社会によって、法によって、優等人種の主なければ、それだけで処刑される運命の劣等人種が、怯えた表情を浮かべて、傷ついた目で私を見る。私には、命の優等、劣等の基準はない。出来ない。この命を、劣等人種と社会の通念を鵜呑みにし、社会のやり方に添って、「自分を先に守れ」と言う、道徳なき教えに従って、主がいないなら、送られて当然の処刑場に、送る事は私の倫理と道徳が許さなかった。そういう社会を放置する国民を憎み、嫌悪しながら、自らが欲した存在でない命の、主に成り続けるしか出来なかった。劣等人種に課せられた運命を、同じ社会に生きる者として、無視する事も、見て見ぬ振りをする事も出来なかった。勿論、社会のその決め事を、認める事等到底出来なかった。10代から始まった私の保護活動は、当時まだ、そういう意識が全くと言っていい程なかった社会の中で、単なる「犬キチガイ」の烙印を押されるだけで、まともな人間扱いを受けず、孤独な、社会との戦いの日々だった。私の父や、玉手の様な人間は、結局劣等人種に対して、一時の情熱しか持たない。一時だけ、道徳に従うが、それは本当に一瞬のものだ。その熱が冷めれば、彼らは劣等人種の味方から、潮が引くよりも早く去って行く。置き去られた劣等人種の胸中と、運命を思うよりも、自分の事しか考えない。私は、例え限界が来ても、最後まで劣等人種と運命を共にする性格だ。言い換えれば、そこまで出来る覚悟のある、人間だ。自分の人生を、その活動で犠牲にしても、不平は言わない。自分で、社会に対して、その思想に嫌悪を覚え、その思想に従う事を拒み、命は平等だと言う、信念に基づいて生きた。そしてそれをやり抜いた。2006年の5月まで。私が、いい加減で、最悪な世話しかしない玉手と言うモノ。それでも一人では、全員見れないから、我慢して、我慢して、玉手の行動、言葉に、態度に耐え抜いた四年半。何度この男を殺そうと思ったか。しかし、山の犬がそうなると、私の堕ちた体力では面倒見切れず、死なせるのが明白だった。だから、ただ、あの子達の為だけに、殺さなかった。耐えた。殺す事で、安易な復讐への妄執に負けるのも、嫌だった。本当は、あいつが子供にした事全て、その身で味わわせてやりたかった。今でも思う。あの男に正当な裁判を受けさせたいと。まともな社会の元で。あの男に正当だと思う自分の判決は、死刑ではなく、人体実験体刑だ。世界の何処にもそんな刑罰はないだろうが、あそこまで非人間的で、無責任で、多くの命を奪った人間は、その健康な肉体を、研究所へ病気の治療の為に生きて献体し、癌でも何でも、難病克服の為の実験台にすべきだ。人間が、マウスや他の種族にしている様に。私は死刑反対は、断固として変わらないが、この男を見ていて、そんな刑罰さえ想像する様になってしまった。あいつが、完全にボランティアを辞めて、二ヶ月と1週間程。私の予想していたより早く、身体の限界が来た。毎日、凡そ16時間のぶっ続け労働。一階にいる犬猫達、庭にいる犬達、二階に置き去られた犬猫達、山で暮らす犬達。そして、自分の仕事。終わってから、少しずつブログを書き。最初、声がおかしくなった。凄いハスキーボイスになって、お客さんから、「風邪?」と聞かれたけれど、この仕事をしていて、「過労です。」なんて言えない。「カラオケ昨日行きました(ウソ)。酒の飲み過ぎで、喉やられました。」最後には、いい訳がなくなって、「ポリープ出来たかな?」そう言って誤魔化す。正直、言葉を話すのも辛い。喋るのも、本当に体力がいる。で、3年前の過労による、虫歯菌からの、深頸部感染症を思い出し、歯医者に行かなくては、と思っていても、玉手に貸した二階の部分の、修理費用の請求で、毎週釧路の弁護士や、裁判所へ通い、行けなかった。先週の火曜日から、あの、恐怖の感染症が始まった。でも、店があるから休めない。歯医者に行ってる暇がない。午前中は、びっしり犬猫の世話。で、定休日の月曜日に予約を入れて、(その後で、釧路の裁判所へ行った)私はと言うと、とにかく家にある、犬猫用に、常備してある、抗生物質を大量に飲んで、感染症の悪化をひたすら耐えた。ようやく月曜日。歯医者に診察へ行くと、やっぱり来たか、と。入院して、手術らしい。取り敢えず、24日の月曜に、釧路の市立病院へ予約を取って、その間抗生物質と、消毒で、感染を抑え、治せる歯から、治療しておこうと言う話になった。話は変わって、ほんとに最近は、食事を取るのも体力がついていかない。右手で、箸やスプーンを持つのが、疲れで大変なのだ。なので、一口食べては溜息。また、一口食べては溜息、の繰り返し。水曜日は、とうとう完全に仏様手前だった。動けず、店も休み、子供の世話もろくに出来ず、私もここまでか、と思った。せめて、狭い場所に閉じ込められてる子供達が、山を駆け回る姿を見たかったんだけどな。と。木曜日、身体の状態は殆ど改善せず。私は、知人から聞いた、罹り付けでない、クリニックの、「ニンニク注射」と言うのが、凄く疲れに効く、と以前から聞いていて、これ以上、通院して病院費を出すのを畏れながらも、兎に角行って、注射を打ってもらった。そうしたら、数時間は、殆ど効果がなく、むしろ弱りきった体に、激しいエネルギーを入れてしまった様になって、返って苦しんで、余計に鬱になってしまった。しかし、その後、徐々に注射が効き始め・・何と、食事が久しぶりに普通に取れた。週に一回でも、これは受けなくては、と、思う。ただ、ここからが問題なのだ。出口のない負の連鎖。子供達の世話をしながら、働かなくてはならず、そうすると、体が全くついていかない。過労で、実際倒れてしまう。それを何とかする為に、今度は病院へあちこち通わなくてはならず、その為には、これまでもやっていたが、定休日も、予約が入ったら仕事。休む暇がなく、余計に体を壊し、・・・もうしばらくで、私は、働く事も、子供の世話をする事も出来なくなってしまうだろう。私が、遂に限界を迎えたら、衰弱して死ぬのは、私一人ではない。私の子供達も、世話をしてくれる人間を失い、衰弱して、共に死んでしまう。そうならない為に、私が自殺をしなくてはならないのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.09.06
かなり、体がやばいです。生きてる間に、やりたい事が幾つかあって、まず、弟子屈の町に閉じ込められてる犬達を、標茶の山へ連れて行って、思い切り走る姿が見たい。毎年恒例同窓会。今年は10月27日。40歳の記念なので、(私は万年幹事だし)とびきりのサプライズを用意してるので、せめてこれをやり終えてから、死にたい。来年の2月、紋別に、アコギの第一人者、吉川忠英さんが来る。私は大ファンで、親しくさせて頂いている。是非紋別で、彼の代表曲の一つ、「流氷と満月」を聞いてから死にたい。避妊と去勢の弊害。折角、帯広畜産大学の教授と、パイプカットや卵管結搾(正確にはケッシ)の、試みを去年から始めて来たのだから、ある程度、道筋をつけて死にたい。狂犬病について、北海道獣医師団体と話し合って、札幌まで行って、獣医団体が、市町村に、ワクチンを打った後、アナフィラキシーショックのせいで、毎年何頭も犬が死んでるので、集団での青空注射は危険な事(動物病院で、すぐにショックが起きたら手当てすれば助かる)を、敢えて教えず、接種数を増やして、私腹を肥やす事ばかり考えてるから、それを何とかして死にたかった。子供達には、毎日自分が出来る最大の気持ちで世話してるし、もう、6年前に一度終わらせた事なので、充分やったと思う。悔いはない。ただ、私が死んだ後、犬は、今の環境を考えて、北海道外への里子には出さないで欲しい事。この涼しい北海道は道東に生まれて、今の本州に連れて行かれたら、地獄だ。原発から離れた所、津波を考えて、内陸が理想。尚且つ、すぐ近くに、出来れば大きな氾濫をする河川がない所。人間は、犬や猫をペットやアクセサリーや、流行り廃れのある「持ち物」としか極端な話、見ない。でも、犬や猫、特に犬は、人間を「家族」と思っている。その思いを、絶対に裏切らないで欲しい事。私は、相当、もう体が参ってる。想像以上だ。既に、先週から、3年前に倒れた虫歯菌の化膿が始まって、しばらく犬用の抗生物質で耐え抜いて、月曜日から歯医者に通ってる。どうも、1日でも入院して、手術が必要だそうだ。疲労で自律神経がやられ、眠れず脂汗だけをかく。睡眠薬の量を増やしてもらったが、大して効果なく、ヤバイ。山では、玉手の置き土産で、子犬が5人いたのが発覚した。うち3人は、生後約3ヶ月。最近になって、動き回るようになって、私が見つけたが、何しろ人間に慣れていないので、今、必死に人慣れさせている。もう二人は、私と山の世話を交代する直前に、また交尾させたらしい。先月の23日に、3人生まれた。一人は、弱くて小さく、生後すぐに亡くなり、残り二人は順調に成長している。今日は、仕事を休んだ。これから、また睡眠薬を飲んで寝る。体が動かない。疲れの限界。今朝、味わった、休養が必要な恐怖。絶対取れない休養。撮り合えず、今日はここまで。子犬達の写真は、後日アップします。晩御飯、たかが雑炊や、ラーメン食べるのに、1時間から2時間かかる様になりました。どこが限界なのか、いつ死ねば、ボランティアさんがこの過酷な標茶の土地へ、助けに行けるのか、色んな事を、検討中です。実際、歯の手術には、三泊四日って言われてる。無理ですね~。::::::::::: 本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。 また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー 囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。 FC2版 「倫理の進化」 http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.09.05
結局、養父からは、一回の電話も来ない。約束の、来道もない。私は、養父が「必ず来る」と約束してくれた時、本当に救われた思いだった。玉手は逃げている。でも、「父」として戻ってくれれば、玉手を匿っている、玉手の母親の所で、四者会談をして、解決策が見出せるかも知れない。同時に、もし、北原徹也がこっちに来てくれるなら、私はもう一度、あの男を「父」と呼べるかも知れない。それは、大きな希望だった。友人にも、そう言って、胸が強く脈打っていた。幸せな鼓動だった。全てが打ち砕かれるまでは。記しておきたい。私は、養父が「北海道へ来る」と、約束した時に、玉手に自慢したい程嬉しかった。どうだ、私にも親がいるんだぞと。でも、頭の中で、警報のブザーが鳴った。「それが現実になるまで、相手に伝えるな。そう言って、もしも約束を破られて、来なかった時に、恥をかくのは自分だぞ。」私は、即座にその警報に従った。お陰で、この世で一番惨めな、恥をかかずに済んだ訳だ。「親に置き捨てられた子供」まるで存在価値のないような。ああ、あの母方の家族に、曲りなりにも人として、まず、大切にすべきは、他人ではなく家族。家族を大事に出来ない人間は、他人の前で偽善者を演じるだけだと、教えていたのは私だったのだけれど。まずは、何よりも、標茶の保護地域の、近隣の住民の方、そして、弟子屈町の私の家の近隣住民の方に、心からお詫びを申し上げたい。後で、次の玉手編でも書くが、「覚悟のないボランティア」は、してはならないのだ。途中放棄して、次々責任者が離脱すれば、その犠牲になるのは、まず、弱い犬猫と、それから近隣の住民なのだ。当然、そうやって先鞭を付けて活動を始めた責任者達が逃げてしまえば、犬猫を置いて逃げられない私一人が、全てのーこの場合は、三人分のー(再開したがらなかった、私を数に入れるべきかどうか、客観的に見ても分からないが)責任を引き受ける、と、言う事で、私も凄まじい被害者だ。結局、過労から胆嚢に砂が溜まって破れて倒れるわ、虫歯菌から瀕死の状態で手術を受けるわ、そして最後は、私が全ての責任を引き受けて、「私が自殺しなくてはならない理由」に落ち着くからだ。北原徹也は、この6年に死んだ犬猫と、近隣住民と、そして、人間であるならば私に、自分が言い出し、「逃げた」事に対する謝罪と償いを、人間としての責任を持って、すべきである。///////////////以下は、頂いたコメントです。そのままでは読みにくいので、記事内にても、掲載させて頂きます。返信が時間がない為出来かねてしまいますが、コメント寄せて頂き、心から感謝申し上げます。映画化すべきである!なかなか読みごたえがあるぞ! 映画化してほしい! すごい人生です。 どうか大切に生きてください。| 2012/08/10 (Fri) 00:48 | ブライアン | URL | :::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/・・・・・・・・・・・・すいません。時間がないまま、FC2から、一挙転載したので、記事が抜けてたりしました。読み返して確認する時間がなくて、申し訳ないのですが、一応、ここまでの記事は転載してつもりです。記事の順を正しく読んで下さりたい方は、FC2をご覧下さい。読みにくい背景と色文字なので、コピーをして、ワードなどに転載して読んで頂くと、簡単に読めますので、お願い致します。どうも、楽天は、文字制限があって、文章が中途半端な所で切れ、記事だけがどんどん増えて行く、とデメリットがあります。
2012.08.31
三年前の2月、私が、玉手がボランティアを「面倒臭い」と言って辞めたがり、結局一年程、一人で全員の世話と仕事をした結果、虫歯菌から深頸部感染症になって死に掛けた時、私の「両親」は、いずことも知れない場所に引越しをしていて、家の電話番号も変わっていた。勿論?そう言っていいのか、私は引越しをした事も、電話番号が変わった事も知らなかった。何かで、玉手が私の実家に電話して、初めて分かった事だった。私の入院と手術は、玉手から、私の兄貴、それから養父と実母に伝わったらしい。入院二日か、三日後(手術したの、何日だっけ?2月10日に入院したのは確か。家のローンの支払日で、それが気になっていたので)、手術が終わって、何とかICU行きを免れて、私が病室へ戻ったと、ほぼ同時に、看護士さんが病室へ来て、手に電話の子機を持って、私に言った。「北原さん、お父さんから電話よ。」一瞬、怒りで怒鳴りそうになった。死んでからなら喜んで電話もする奴らだろう。仮にそこまで腐ってないとしても、私にはそう偏見を持ちたい程の、怒りと過去がある。私は憮然として言った。「手術終わったばかりで、疲れているので電話切って下さい。」すると看護士さんが、「じゃあ、体が落ち着いたらこちらから連絡するって言っておくわね。」「いえ、親の電話番号知らないんで、無理です。私の知らない時に、引越しして、電話番号も変えてるんですが、教えて貰ってないんで。電話出来ません。そのまま切って結構ですよ。」看護士さんは、慌てた表情になって、じゃ、じゃあ、連絡先聞いておくわね。と言った。いや、そのままで切っていいです、と答えたが、看護士さんは、電話番号を聞いて、メモして私にその紙をくれた。私は、それをゴミ箱に捨てた。私の状態を案じるなら、玉手に電話をすればいい。全部状況は聞けるから。しかし、そういうつもりはなかった様だ。翌朝、母親から電話があった。切ってくれる様に、看護士さんに断った。そのまま、玉手に電話もなく、病院へ来る事もなかった。私の入院費だけは、支払うつもりがあると兄から聞いて、当然の事なので、払わせる事にした。出来れば、手術を受けるまでの苦労や痛みを全部、金でいいから(愛情のない親など、金に代える以外、私に取っては使い道がない。私はお金は余り好きではなく、多く欲しい人間でもないが、親に比べればまだ価値がある)支払って欲しかった。私は、頸に溜まった膿を出す為に、頸の前部を切開されてぱっくり開いたまま、二週間程か、味も分からない、流動食を食べて生きてた。手術前の注意で、私が手術を受ける部分は神経が集まっているので、術後、或いはどこかの神経が切れて、障害が出るかも知れない、そう言われたので、神経障害かと思ったが、食べ者も、流動食にまでなると、肉と魚の区別もつかなく、甘いかしょっぱいかくらいしか分からないから、手術の失敗ではないから大丈夫、看護士さんの言葉に安心した。で、こういう食事しか取れない、認知症や、病気の人は、何て悲しい食事を取っているのかと、思ったら悲しくなった。それから二年前(かな?)。エイプリル・フールに、この地域一帯を、猛吹雪が襲った。私と玉手は、これからどんな悪天候になるかを、知らずに雪が降り始める中、山へ向かった。4月の暖かい雪は、重くて橇も進まない。普段の倍程の時間をかけながら、子供達にご飯をあげて、木立を抜けて、車に戻ると、そこは別世界になっていた。来た時には、くるぶしくらいだった雪が、もう、腰近くまで積もっている。車を止めておいた、牧草地は、私達の山へ続く、木立が自然の防風林となっている場所とは全く違って、危険なまでの猛吹雪をモロに浴びていた。車は、道路から1キロ程入った林道に止めていた。凄まじい吹雪。車は、半分以上雪に埋まっている。玉手は、その状況で、車で突破しようと愚かな行為に出た。今、車を雪から掘った所で、即この吹雪で埋まるだけだ、しかもこの先には、吹き溜まる場所がある、あそこの距離は長く、到底スコップで掘って、抜け出す事は出来ない。玉手がパニクって、状況判断能力を失った。この男の、こういう所は、過去何回も見ている。どうにもならなくなると、相手が自然だろうが何だろうが、自分の我を通さないと気が済まなくなる。目は釣り上がり、半狂乱の状態になるのだ。何と説得しても、キチガイじみた抵抗と反論しか、返って来ない。全く、人生で場数を踏んでないヤワな奴は、すぐこの手の事で正気を失う。私は玉手を放って、一人で、林道を雪を漕いで脱出し、三キロ程先の、知人宅へ避難して、そこで結局一晩泊めて頂いた。着いた時には、防寒着は完全に凍り付き、フードは、さながらヘルメット。袖に関しては、手を出す事も出来ない程、ガチガチになっていた。凍って全くしならない、鋼鉄製の様な服を、脱ぐのは感覚を殆ど失った手では、相当難しい事だった。道路は、完全に「吹雪の為通行止め」になっていた。私は、その時予約のお客様がいて、何とか店に戻らなくてはと、摩周ハイヤー(こっちでは、タクシーの事をハイヤーと呼びます)に電話したが、国道さえ通行止めになりそうだから、とても行けない、と、断られた。弟子屈の、小さな町の中でさえ、もう車があちこち立ち往生していて、会社自体も、今日は午後6時で営業を辞めると言う。私は、この時点で、帰宅を諦めた(後で知ったが、お客様も家を出れる状況じゃなかった。普通なら、歩いて三分の距離なんだが、家宅にて避難状態)。テレビでは、あちこちで吹雪の為に通行止めが成され、それは10年近く前の、記録的な猛吹雪が三日続いた時の事を思い起こさせた。もう一人、男が車を動かすと言って、呼んでも来ないんです、と、恥ずかしく思いながら、助けて頂いた家のご主人に言うと、そこの家のご主人が怒って、「こんな吹雪の中、女の子を車に置いて、自分が助けを求めに来るならいざ知らず、女の子一人、放置するなど、男のすん事じゃねえ!そんな奴、助けに行かなくていい!ほっとけ!!」と、流石同じ男として、妥当な判断を下した。そして、みんなから見放された玉手はどうしたかと言うと、翌日の本人の語る所では、その後何時間も、吹雪の中、車を出そうと(1キロ、車を通す為に、吹雪いてる猛吹雪を掘りながら進むのか?)格闘したらしい。日が落ちて来て、初めてやばいと思ったんだそうな。その頃、ちょっと離れた道路では、通行止めが間に合わず、吹雪の中、10時間近く車が立ち往生していて、憐れ元NHK釧路にいた、私のお友達のKちゃんは、その取材に行って、死ぬ思いをしていたと言う。私は知人宅で、彼女のリポートを観ていた訳だ。ゴメン。で、玉手は、何と向かい風の中、道路に出てから弟子屈の町まで凡そ16キロある道を、歩いて帰ったそうな。途中、何度も向かい風に煽られ、転倒し、頭を売って、町近くでようやく、パトロールカーに救われた時には、一時的な記憶喪失になっていて、自分の名前も家も分からず、ただ、食べる事に異様な執着を持つあの男は、「セブンイレブンで弁当を買う」と言う脳からの指令以外、何を聞かれても分からなかったそうな。セブンイレブンでパトロールカーから降ろして貰い、買い物をしてる内に、記憶が戻り始め、家に帰って、そのまままた、記憶が翌朝まで絶えたらしい。朝起きて、今度はしゃんとした頭で、冷蔵庫を開けたら、お弁当が幾つもあって、驚いたそうだ。空腹と半無意識の中で、欲しいだけ弁当を買ったらしい。私の事を思い出したのは、それから少し経ってからの事だったと(読んで、「最低」って思った人へ。この位で最低と思わないで、あいつの最低さは、こんなもんじゃないから。うん)。そこで玉手が、慌てて北原徹也の携帯に電話をしたらしい。昨日、猛吹雪の中、娘さんと離れたが、生死が分からない、どこにいるかも分からない。最悪の事も覚悟しておいてくれと。玉手は、私の知人が山から少し行った所にあるのを思い出し、慌てて、私の車のスペアキーを使って、通行止めが開いたばかりの道を走って、私の車に乗って、私が泊めて頂いた家へ来た。私は摩周ハイヤーに電話をして、通行止め解除になったので、電話して頼んだ迎えを、知人が来たので、大丈夫だと、申し訳ないが、キャンセルの旨を伝えた。養父に、私が無事かどうか分からないと電話したんだ、と言うから、向こうが心配して、電話をかけて来るまで放っておけ、と言ったら、そのまま電話は一切来なかった。その分、私は強くなった。私の強さは、いつもこうやって培われて行く。養父と、最後に電話で話したのは、今年の5月上旬だ。もう、玉手の犬猫見殺し、繁殖自由、世話の放棄、「廃屋」になった、私が貸していた二階部分の部屋の崩壊ぶり。それらの事で、限界を迎えていた私は、自ら養父に連絡を取った。相変わらずの留守電で、それは、私の実父も同様なので、中身は似ていたんだと、一人の女の男の嗜好が、そんなに変わるはずないではないかと、今更ながらに考えて、馬鹿馬鹿しく思いながら留守電に伝言を残すと、後日、養父から、何語もなかった様な口調で電話が来た。私は、怒りを沸騰させながら、あんたが「助けてやるから頑張れ」と、もう無理だと言った私を、無理やり元の軌道に乗せて、それから6年、どんな日々を生きて来たか、全部ぶちまけた。どんな食事で生きてるのかも。その上で、自分の放棄した結果を見に来い、と、私は言った。養父は、終始大人しく、電話の向こうで真摯な空気で話を聞いていて、「分かった。」と言った。定年は迎えたが、バイトの様な事をしているから、仕事の都合をつけて、必ず5月中に来ると約束した。日程が決まったら、連絡すると言って、電話を切った。5月31日には、一向に履行されない約束で、精神が極限状態になった私が、夜中、養父也と、兄の留守電に電話して、怒り狂った伝言を残したそうだ。兄貴まで、記憶が飛んでるが電話したのは、前に書いた、(書いてなかったらごめんなさい、)バカみたいな事で、音信不通になっていた為だろう。どうも、ついでに怒りが爆発したらしい。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
私の養父。北海道弟子屈、標茶の犬猫保護活動に関わる、当人の言動の概略(2006年5月以降)2006年五月下旬来道。地主ご夫妻、役場、警察、(恐らく保健所も同席)の話し合いの中で、「自分が今後責任を持って協力するので、犬猫の殺処分は待って欲しい」と、宣言。「一ヶ月以内」と言う困難な条件を地主さん夫妻が出したが、7月上旬に、標茶の山の地主と、土地売買の話し合いが付き、土地の登記は、7月14日に完了している。そこから、少しして、私の所属する治療院が、テナントして入ってるホテルから、住民の通報によって、理由も述べられず、事情説明さえ受け付けられず、即日放り出された。収入が無くなった私が、もう諦めよう、と、養父に訴えるも、「ここまで頑張ったんだから、お前と犬達の生活費は何とかするから頑張りなさい。」と、激励。8月過ぎてから、その約束された生活費の仕送りが、どんどん遅れて口座に振り込まれて来なくなって来る。9月に入る頃には、もう、連絡さえまともにつかず、仕送りも殆どなくなった。間もなく、仕送りは完全に途絶える。9月15日。治療院の先生が、弟子屈町に今の店をオープン。給料は歩合制だが、取り合えず仕事が再開したので、私はこの治療院から、前借りをしながら、犬猫を食べさせて行く事になり、最後はそれでも足らず、サラ金から生活費を借りて、犬猫を支える末路となった。それ以降、玉手や、役場等が、養父に再三、自分が再起動させた保護活動に対して、協力を果たす様に連絡するが、「自分はもう関係ない。」と、一切無視を通す。2012年5月上旬。玉手の、養父と同じく責任放棄の活動の結果、多くの犬猫の命がここ3年で失われて、最早死ぬ覚悟の上で、残り全員を世話する事に決めた私が、玉手の望み通り、活動から離脱させるとともに、その後の話し合いを、玉手、養父、私の三人(玉手の母親も加わって貰うはずだったが。息子を匿って家の電話番号まで変えて、息子を逃げさせようとしているので)で、何としても持つ必要があって、私が数年ぶりに、北原徹也の携帯に電話して、留守電に伝言を残し、この男から後日電話が何食わぬ様子でかかって来た。これまでの6年の地獄を克明に二時間以上かけて説明し、今後犬猫達をどうして面倒を見るかも、2006年の二度目の活動の発起人として、責任を問いたいので、5月中に、北海道へ養父自身が、自ら来る事を、こちらは要求。それに対して、「必ず行く。」との約束を最後に、音信普通。電話に留守電を残しても返事は一切なく、今もこの犬猫保護の責任から逃げ続けている。上記の詳細は、以下に詳しく説明させて頂いているので、時間のある方、ご拝読下さいませ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。北原徹也は、私の養父になる。1999年の年末に、私が北海道へ移住して少し後の事だがー、母と、再婚した。私は、自分の昔の苗字が大嫌いだった。そもそも、宿敵である、父親と、結局何年かの愛人状態の末、母が離婚した為に、「妻」の座を勝ち取った女が、戸籍で私の両親になっている。余談だが、この二人が結婚した際、長女である私に、一切の報告もなかったので、母が再婚する際に、私も一切連絡せず、勝手に戸籍を抜いて、北原姓になった。北海道へ来て数ヶ月は、元の苗字のままだったので、途中から私の姓が変わり、一緒に働いていた同僚達は、二ヶ月くらい、慣れなかった様に思う。しばらく、二つの苗字で呼ばれていたので、弟子屈の噂で、私は何かから逃げているとか、オウム真理教だとか、色々言われていたのだが、普通に考えたら、結婚して、離婚しての、旧姓とかの変化かな、と、想像してくれないのが凄いと思った。北原徹也は、当時60歳くらいだったと思う。私は、一度も会った事はなかった。どっかの会社の所長さんで、結婚歴がなく、子供もいないと言う事だった。電話で数回話したくらいだろうか。二人が結婚したら、養女にして欲しいと言う私の希望を、歓迎して受け入れてくれた。それから、実際に会ったのは、実に四回。だが、家庭に恵まれなかった私は、父親と言う存在を、非常に必要としていたし、父ー北原も、「娘」と言う存在が出来て、余程嬉しかったようだ。子を持つ苦労をしらない内は。会う度に、何だかんだと、食事に行って、可愛がって貰ったものだし、私はこの、殆ど初対面に近い人を、本当の父親の様に感じていた。蜜月は、あの、2006年の8月頃までだ。その最中、母と弟と、故あって絶縁した。北海道の厳寒の時期、鬱病になってろくに動けなくなってしまった私が、せめて今年の冬だけ、乗り越えるまで、春まで交代でこっちに来て助けてくれないかと相談した。初めは、二つ返事で二週間くらいずつ交互に乗り込んで来た彼らは、しかし、二度目は来なかった。一番寒い時期だった。こちらは命を亡くす寸前だった。「こっちにも生活があるから。これ以上協力するのは無理。自分の意思で北海道へ行ったんだから、死なれても仕方ない。」と、言い放たれた。最もだが、それを言われた以上、今後家族としてこの二人を見る事は私には出来ないので、その場で絶縁を宣言した。こういう事があっても、北原徹也とは、時たま連絡を取り合う仲だった。それが、あの事件以来全部代わってしまった。玉手同様、本性を現したと言う所か。結局、40代を過ぎても家庭と言うものを持った事がない男と言うのは、全部が全部では勿論ないが、多くは、非常に無責任な人間になると感じる。私の身内にしてもそうだし、昔の男友達にしてもそうだった。やはり、男たるもの家庭を持って、家族を食べさせ、仕事に邁進し、家庭と仕事の板ばさみの苦労を少しは味わっておかないと、女よりもだらしなくなりがちだ。貯金して、自分の老後まで考えてるのは非常にいい方で、大抵のパターンは、殆ど貯金も持たず、その日暮らし的な怠惰な毎日を送ってる。北原徹也は、前者に当てはまった。しかし、やはり、家族を食べさせる、子供を学校を入れる、家庭で何かあったら一家の大黒柱として、断固たる態度で問題の解決を図る。そういう苦労していないので、ちょっとの事で投げ出すのだ。2006年5月、20日過ぎに、北原徹也が一人で北海道へやって来た。私の、自殺未遂の連絡を受けてだ。今後の事を話し合いに。役場と、警察と、地主さんと。他にも保健所とか、いたかも知れないが、私はその時血圧が過去最高に上がっていて(後日病院で知った)、頭はガンガン、眩暈はするわ、とても座っていられる状態でなくて、一人体を殆ど横たえて、父と並んでの話し合い参加になった。その席で、北原徹也が、「犬達の、新しい引越し先を見つけるので、処分は待って欲しい。」と、地主さんや、役場に申し出た。自分が、その事に関しては責任を持つと言って。私は、反対だった。と、言うよりも、無理だった。前述してある通り、あれが私の限界だったのだ。私は、保護活動を、他人と共同でやるのを好まない。いつ、離脱するかも知れず、そうなった場合、残された人間は、犬や猫の面倒を、当然一人では見れなくなる。あくまで、自分が力尽きる範囲まで。他人には、基本的に頼らない。他人の援助を当てにしない。当てにしていると、援助がなくなった時に、どうにもならなくなる。そういう理由で、自分がもう出来ないと悟った後で、父が、資金を提供するから、もう一度頑張れ、と言うのに私は無理だと暫く頑張った。結局、説得されて不安だらけのまま、新しい土地を買う事になったのだが。取り合えず、土地は確保した。そして、丁度その頃、私は一時的に職を失った。先生が、テナント先から追い出された私の為に、リラクゼーションのお店を町に出してくれる事になったが、それには二ヶ月程の準備期間が必要で、その間、私は全く無収入になる。犬達、猫達の食費はバカにならない。もう、どうあがいても限界だ、と、北原徹也に電話して、状況を説明した。返って来た返事はこうだった。「ここまでやったんだから、諦めないで、最後までやろう。生活費は大丈夫。お父さんが、ちゃんと仕送りをするから。」7月の事だった。そして、8月中旬には、もう、北原徹也は私の電話には、滅多に出なくなった。留守電ばかりで、何回もかけて、かけて、ようやく繋がる。お父さん、お金がありません。犬達の食費もない。どうか、0曜日までに必ず振り込んで下さい。そう頼むと、分かった、と、答える。0曜日までに必ず入れるから。その約束が、守られた事はなかった。余りの無責任さに、吐き気がした。飢え死にさせるくらいなら、助けて貰わない方が、100倍は有り難かった。私からの電話に、そのうち全く出なくなったので、玉手が北原徹也に電話をする様になった。それも、留守電で、何回か伝言を入れると、数日してからやっと電話が玉手にかかってくる。今、お金が全くないので、振り込んで下さいと、玉手が言う。大体、一週間後くらいに、頼んだ金額より少ない額が送金されてくる。昔ブログで書いた様に、あいつの誕生日の9月10日には、もう全く連絡は取れず、送金も一切なくなり、そのまま音信不通になって、私は仕方なく、生活費を、先生から、前借りする事になった。お店を開店させても、最低、2年は暇だぞと、先生の言う通り、常連さんがつくまでは、本当に仕事がなかった。給料は、完全歩合制で、毎月私は、先生からお給料の前借りをしていたが、それでも犬達。猫達の食費はまかなえ切れず、とうとう、サラ金から、生活費を借りて、工面する羽目となった。こんな卑怯に、いい加減な事をして、放り出すくらいなら、最初から助けなければいいのに、この責任を、どうしてくれるつもりだ。そう、北原徹也に対して、思わぬ日は一日としてなかった。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
こちらは警察と、職場から追い詰めている。二階は、計6人の犬が、部屋中でオシッコのし放題で、床が腐っている。もう、そろそろ抜けそうだ。私は、雑事に追われていたので、次の月曜日、二階の修復を巡って裁判を起こす為に、訴状を持って、釧路へ行く。二階の部屋の、修復費用の見積もりは、凡そ340万円だ。大工さんによると、もう、梁から変えなきゃならないらしい。そこまでやっても、この二階は、もう二度と、人には貸せないぞと言われてる。ここまで染み付いた臭いは消えない。そして、玉手は、結局自分が拾ったり、増やした犬猫は、自分の責任の犬猫と認めて、全て保健所へやると、警察を通して、私に連絡が来た。最後の戦いをしようと思う。あくまでお断りしておくが、この記事は、「概要」なのだ。時間が要るし、それには体力も時間もないが、玉手の、この6年の事実を書きたい。養父の様に。同時に私の6年間は、これまでのブログと、養父や、玉手の事を書いている中で、必然的に明らかになるので、それを読んで頂ければ、と思う。怒りで、大分文章がきつくなっているが、気を切り替えて、二つ、読者の方にご報告させて頂きます。まず、このブログ背景によって、文章が読みにくいとの訴えが多いので、それに対して、ある対策を講じたので、それを次回辺りで、行いたいと思います。また、コメントに関しても、その際に掲載の基準や、頂いたコメントを読みやすくする為に、ちょっと意外な手法を使いたいので、その時、説明させて下さい。///////////////以下は、頂いたコメントです。そのままでは読みにくいので、記事内にても、掲載させて頂きます。返信が時間がない為出来かねてしまいますが、コメント寄せて頂き、心から感謝申し上げます。■ Comment文章の凄まじい気魄に眩暈を覚えます。 ちなみに僕は今の文字のサイズの方が読み易いです。 必ず力(フォ-ス)は集まります。 一人以上の理解者は絶対存在します。 今はあてになるのはあなた自身しか存在してないのですが。 なので、あなたは武将のように生きていくしかないのです。 どうかご自愛下さいと申し述べたいのですが、今あなたを救うのはアドレナリンだと思います。 怒りは火です。 火は光と熱。 怨みを全て怒りに昇化してください! 一人から。しがらみ無しの一人から始めましょう。ある日振り返ると、必ずたくさんの人々があなたの背中に続いていることでしょう。 だから最後まで最期まで諦めないで…! 必ずあなた本来の力強く優しい笑顔が戻りますから。 ダイ・ハ-ドな人生を余儀なく歩まされている可憐な戦士の君へ。 | 2012/08/10 (Fri) 23:35 | ブライアン
2012.08.31
子犬や子猫が生まれる度に、ノイローゼと半鬱病の状態で、栄養を補う為に、毎日牛乳と卵とパンを混ぜたものの、フード以外に与え、猫には缶詰。私は、仕事にますます追われなければならなかった。自体は完全に、悪循環の渦の中の中に飲み込まれ、最早脱出は不可能だった。子供達がどん底に落ちた中、私の精神状態はいよいよおかしくなり、2006年に死なせてくれなかった事を、恨まない日は一日もなかった。精神も体力も限界で、それは仕事上、絶対周囲には見せない様に、厳しく自分で勤めていたものの、去年の同窓会で、東京に10月下旬に東京へ帰った時にも、実は倒れそうな位疲れていた。あ、元楽天関係の麦菜さんが、その時の私の凄まじいイビキに驚いて、ボイスレコーダーに録音していた。カラオケへ、翔さんと三人で行った時も、私は途中で力尽き、大イビキをかいてカラオケボックスで寝ていた。この時実に、私が仕事しながら面倒を見れていた子供は、またしても玉手が産ませた、子猫三人プラス捨て猫の、子猫4人と、親猫一人のみ。後は、救急で倒れた子の看病に追われた。山はと言うと、完全に放し飼い状態。フェンスがあちこち壊れているのに、全然直さない。それを言うと、玉手は、「初めの内は直していたけど、面倒になった。別に出て行きたいなら、勝手に出て行かせればいいだろ。」と答えた。標茶近隣の方々に、この言葉を聞いて欲しい。悪いのは、逃げてる犬ではありません。玉手ですので、何かあったら、犬には手を出さず、この男を責めて下さい。今年の2月、またしても沢山の子犬と子猫が、看病の甲斐なく亡くなった。私が同窓会で帰郷している間に、玉手がまたしても適当な世話をして、子猫に感染症を発生させ、帰宅前に一人死亡。それから、次々病気を移された子猫の看病で追われていたら、庭でまたしても玉手が交尾を放置していて生まれた子犬達まで、私の目が届かず、この子達の世話も、玉手は適当だったので、一番寒い時期に病気になって、やっと子猫の事が、片がついてしまった時、気付けば知らない間に一人庭から行方不明。子犬は5人。怒って玉手に問い質したら、「ああ、子犬一匹死んでたから。」平然とした答えが帰って来た。それから今度は、何とパルボを発症させてしまった子犬達の、夜も寝ない看病が始まった。仕事も毎日やりながら、仕事の合間に獣医さんから処方された点滴や、注射を行い、必死に助けようと戦ったが、結果は全員亡くなった。死体の山に呆然としながら、私はとうとう、死ぬ覚悟で心を決めた。玉手を追い出そう。山の子も、町の子も、仕事しながら、全部一人で見よう。それを、以前やって、倒れた。それぁら玉手が世話に戻ったが、その有様が余りに酷い為に、この三年間は、静養所か、余計に心身を壊して行く日々の連続だった。言い換えれば、倒れた四年前よりも、体力を失ってる。精神も、ボロボロになっている。それでも、このまま続けていても、この男の為に、最後は全員苦しんで死ぬだけだ。だったら、残り数ヶ月でも、持って一年でもいいから、最後の日々は、私がどれ程疲れても世話をして、愛情を一杯あげよう。山に、たった一人でも、犬が生き残っていてくれていたら、そこから最後の、スタートを切ろう。こう決めて、玉手に出て行けと伝えたのは、今年の2月の事だ。あの男は、金もないし、母親に甘えている割りには、母親を嫌っているので、親の所へも行きたくない。追い出されても行き場がないので、「8月まで置いて欲しい」と言って来た。私は、初めはそれを了承した。しかし、少ししてそれを撤回した。理由は、そうなってからも、玉手がどんどん世話の手抜きをしていたのが分かったからだ。冬、あの男は失業状態になる。が、面倒なので、バイトを本気で探さず、職場から借金と、親の年金から小遣いを貰って生活する。12月から、4月末までやる事はない。なのに、毎日山へ行っていなかった。こちらも、ただ何もしないで、世話を任せていた訳ではない。私が山へ行けない期間、山の子の状態を、デジカメで写して来る様に、何度も要求したし、ドッグフードの、毎月の消費量の減り方、増え方から、山で逃げたり、死んだり、繁殖したりの状況は掴んでいた。ただ、何も出来なかった。心身が限界を超えていて、ただ、泣きながら、目の前で私の「世界」だった、全てだった子供達が、この男に踏みにじられて行くのを、見ているしか出来なかった。生まれて初めての、本当の挫折だった。何も出来ない。北海道まで来た意味さえ、他人の無責任な考えから始まったこの六年で、全て失われてしまった。何の為に生きて来たのか、頑張って来たのか、マイナス30度を、凍死しかけながら、耐え抜いた努力は何だったのか、失われる命を前に、ただただ、本当に動けなくなった体を、重りの様に抱えて生きていながら、途方に暮れるしかなかったのだから。そんな中で、2月以降、特にフードの消費量が減った。玉手は、毎朝車に乗って、山へ行っていた。それから、昼には母親の所へ行き、昼ご飯と、晩御飯を食べさせて貰ってから二階に帰って来る、と言う毎日を続けていた。私はまず、毎日、山の写真を撮って来る様に伝えた。勿論、「面倒だから嫌だ」の言葉が返って来たが、一歩も引かなかった。「携帯の写メールでいいから、山で写して、毎日私に送信して。」これまで私は玉手と、犬や猫が死ぬ度、何度となく取っ組み合いの喧嘩をしている。向こうが、私の首を絞めて来た事もあったが、こちらの方が根性あるので、当然勝った。片手鍋で、あいつの頭から体から、殴りまくった事もある。それ以上の報復もした。これ以上、玉手も私を怒らせたくなかったのだろう。最後には折れて、毎日写メールを送って来た。でも、そこには知らない犬ばかり写っていたし、その内、私の保護していた子達は、殆ど写真に見せなくなった。問い詰めても「気がつかなかった。」「逃げた。」「知らない。」の、言葉しか帰って来ない。そのうち私は、どうも、写メも、毎日行っているのではなく、撮り貯めて、小分けにして私に送ってると言う疑念を持った。日付を入れろと言ったが、操作がうまく出来ないと言って、日付入りの写メは送られて来ず、私は、毎日この男の行動を監視し、疑惑を持って生活するのに疲れ果てながら、とうとう、玉手に当時貸していた、ジープの走行距離数を、毎日夜中、調べる事にした。結果、三日に一回程度しか行っていないのが分かった。これを追求した所、あっさりと認めた。私は、条件を出した。家にお前を置いてやるのは、6月末まで。それまでに、私も体調を整えるから、責任持って、毎日山へ行け。山の写真は、携帯ごと、毎日私に見せる事。そうすれば、写真を撮った日時と、時間まで出るので誤魔化せない。同時に、山でドッグフードの写真も、必ず入れて写す様に言った。何でも手を抜きたがるこの男の事だからフードを運ぶ事をせず、写真だけ撮って、犬達に、何も食べさせず歩いて帰って来る可能性は、100パーセントに近い。こうして、最後の数ヶ月を見張り続けた。5月。玉手は仕事が始まった。二階は、私は何年も殆ど行った事がなかったが、去年の猫達の死亡続きでとうとうブチ切れ、怒鳴り込みに行った所、惨憺たる有様だった。犬達が、四人いて、オシッコウンコ、部屋の畳にさせ放題。猫のトイレは病気になる程。その悪臭の酷さと言ったら、汲み取り便所のそれより酷い。歩くのには、靴が必要な程汚い一面の床を捨て、玉手は、押入れを自分の寝床にして暮らしていた。猫達は、殆ど病気だし、数年前より、ずっと数が減っていた。何があったか、想像に難くない。ここを監視してやれなかった、自分の限界に絶望を再び覚えた。その為、ここから職場に通う事が出来なくなったのだろう。玉手は、仕事が始まってから、母親の住む公営住宅へもぐり込み、一日一回、二階に置き去りの犬猫の世話をしに戻って来てた。私の家からの正式退去は6月末だったが、そうやって世話される犬猫の体調が心配で、5月から、私は毎日二階の様子を見に行った。すると、また給料日一週間程前から、猫のドライフードの容器が、毎日空のままになってた。私は、一階から自分の猫のフードを運び、毎日入れた。トイレも、全く掃除されていなかった。私は、数日我慢した後、とうとう5月の確か8日か9日、警察へ、「動物虐待」で玉手を通報した。警察は、未だに殆ど仕事をしていない。玉手が、自分の猫達を、遺棄したのを知っていても、動愛法に基づいて、逮捕もしてない。余りに放置されているので、何度か警察に怒鳴り込みを行った。それでも、こちらが連絡せねば、何もしない。給料ドロボー。所謂国民にそう言われる「公務員」って、こういう連中を言うはずだ。弟子屈役場の、私の担当の人は、この前足に大怪我して、手術したが、その翌日から足を引きずって仕事してる。こういう人とは、お互い仕事でも何でも、責任感と言う共通点があるので、話をとてもスムーズに出来る。そして、玉手は私から一切逃げている。これはあくまで概要なので、後に詳細は書くが(死んだ犬と猫への、鎮魂と、心からの償いの為に、あいつがした事は全部社会に公表する。私は、嘘は書かない)逃げ込んだ母親の家の、電話番号も変え、携帯も変えて私と連絡を逃げてる。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
玉手。男性。現在44歳。この男の、北海道弟子屈町、標茶町に置ける犬猫保護活動の言動の概要2006年5月。幼い頃から犬猫の保護活動を行っていた、私、北原めぐみが、自身の活動の最終地点として受け入れた、「最後の住処を追われ、犬猫が保健所へ送られる事が決定した時」に対して、自分も運命を共にする事を、自ら望み、実行した際に、全ての事情を知った上で、それを止めに来た。その後、「俺が協力するから」と、北原徹也と二人で、やるだけやり尽くした私に、活動の再開を説得する。標茶の林道を四キロ行った新しい、犬達の移住先を決める時、北原徹也と共に同行し、視察。「ここに犬達を移す以上、最後までやるなら責任持たないと、全滅する。」と言う私の確認に対して、「俺は絶対最後までやるよ。」と、断言。結果として、養父との話し合いの末、二人で行うなら何とかなるのではないか、と言う事で、その土地を買う事が決定。その後、本人自身、2007年の7月頃、テレビ等に出て、自らの仕事も「別に悪い事をしている訳ではないから」と、公にしていたので、今更ここで隠す必要はないと思うので記載するが、仕事は弟子屈町役場の非常勤だった。なので、平日は仕事があるので、手伝うのは、主に休日の土日のみ。その間、私の古い記事の中で、「試される大地シリーズ」があるが、その初めの方に書いてある通り、平日は、雪山も、私一人で毎日通っていた。玉手は、2006年から、約1年間、「土日」中心のボランティアを行っていた。テレビ等の取材を受けた事を切っ掛けに、役場で一騒動になり、我々二人の関係が、友人以外の何もないのを勘違いしている町長から、「女を取るか、仕事を取るか」の、二者択一の判断を迫られた。私と男女関係は一切ないと宣言した上で、「保護活動は自分で始めた事だから、仕事を辞めても、最後までやる。」と、言って、自身の母親や、私の反対も振り切って、自ら「願い出退職」(本人の借金問題等も、手伝って役場からの{逃げ場が欲しかっただけ}と、後に本人が語った)を、7月の丁度末頃して、無職になった。多少の退職金を手にした後、少なくとも本人が、仕事を探してる姿は見た事がない。この男が、仕事をするのは、私の関係で仕事を紹介されたからで、約8ヶ月遊んでいた。翌、2008年の4月まで、退職金が最後底をついて、私に時たま金を貸してと言いながら(それは、この男と私の関係が、ご覧の通り泥沼になるまで破綻する、去年の暮れまで続いていた。4月から新しい仕事についても、毎月の様に、給料日一週間前くらいになると、金がなくなり、私に金の無心をしていた)役場を辞めてから、仕事がないので、毎日私と犬猫の世話をし、山へ行く様になった。この頃になって、衝撃的な一言を、玉手に言われた事がある。「今はさ、全然思ってないから言うけどさ。俺、最初手伝い出した理由って、お前の言う理想とか大っ嫌いで、そんなバカな事、叶うか、って思ってたんだ。で、お前が理想を追って潰れる所、一番近くで見ていたかったから、手伝ってたんだよね。」余りの衝撃的な告白に、暫く言葉を失った。当の本人は、慌てて、「いや、今は思ってないから言えるんだけどさ。」と、弁明していた。最初の内は、立派な事を言っていたものの、私が玉手と共に、「週間女性自身」の取材を、三ヵ月後の2007年の、10月、12月に受けて以降、1月から、本人は態度を一変させた。と言うよりも、本性が出て来たと言うべきか。「もう面倒臭い。ボランティアなんてやりたくない。」「俺はもう辞めたい。こんなの人間のする事じゃない。」「飽きた。もう嫌だ。」これを、毎日私の隣で言い続ける様になった。しかし、標茶の山は、最初に言った通り、一人では通い切れないのだ。余りに冬場は過酷過ぎるし、夏でも大雨が降れば、砂利の入っていない林道は、たちまちぬかるみ、車は泥にはまって身動き取れなくなる。しかも、私は玉手と違って、毎日午後1時から、午後11時まで、仕事が週に6日ある。こんな半年足らずの間、やってみただけで、今、投げ出されたら、犬はどうなってしまうのだ。毎日、毎日、「もう面倒だー!やりたくない!」「今更そんな事言ったって仕方ないでしょ、自分から言い出したんだから!責任持って、最後間までやりなさい!」「嫌だ、もう飽きた。」の、犬猫の耳に聞かせれば、地獄の言い合いが続いていた。とうとう最後には、「役場辞めなきゃ良かった。辞めた事を後悔してるよ。」と、まで言い出した。怒りが沸騰し、何返事したか、覚えていない。最後には、自分は猫は好きだが、犬はそんなに好きじゃない。特別可愛いとも思わない。猫も好きだけど、俺は世話はしても、面倒は見たくない。死んだらそれでしょうがない。こう本音を吐き出して、とうとうこのやり取りに疲れた私は、もう、自分一人で死んでもやるから、明日から来なくていい!と、切れた。2008年、2月初めの事だ。玉手は、本当に来なくなった。それから、凡そ二週間、仕事をしながら、たった一人でびっちり山へ通い、ストレスと過労で、私は胆嚢に砂が溜まって、それが破れて二週間程、静養する事になった。そうなると、世間にも顔を出ししまった以上、玉手がやらなくてはならなくなる。不精不精、私が寝込んでる間、犬猫の世話をした。私が回復してからは、やっぱり一切手伝いに来なくなった。4月に、「女性自身」を見た読者の人が、私に何か手伝いたいと、本州から、北海道まで来た事がある。色々持って来てくれたので、玉手の手を借りねばならず、呼ぶと、人前では思い切り自分をよく見せたいこの男は、さも甲斐甲斐しく手伝っているかの様に振る舞い、私は反吐をぶちまけたい思いだった。そのままこの男は、私がとうとう2009年の2月に、次の病気、「深頸部感染症」で倒れて手術を受けるまで、ただの一日も、手伝いには来なかった。私はと言えば、借家に犬猫は置けないので、知人から借金をして、中古の一軒家を買って、お店もそこに移した。抵当権の設定も、自分で全部行った。やっと支払い終わったので、来週の月曜日に釧路の法務局へ行って、抵当権解除の設定を行う。家は、完全な二世帯住宅で、二階と一階は、内階段はあるものの、完全に別で、電気、ガスも別になる。台所も、トイレも二階にあるし、勿論玄関も別。私が、既に手伝いを放棄したこの男に、二階を間貸ししていた理由はたった一つ。毎月相当な金額(犬猫抱えた私にしてみれば)のローンを払わなければならない為、二階を間貸しして、家賃をローン返済に回して、少しでも自分の負担を軽くする為だ。玉手は、当時借家で猫を飼っていたが、近所とそれでもめていて、その借家を出たがっていたし、家賃も、私が提示した金額は、そこより1万数千円低い、たった2万円だったので、5月には、自分も早々と引っ越して来た。そして、一階に住む、私が仕事時間を繰り下げ働きづめ、毎日、定休日も返上して、山へ行っているのを二階から見ながら、ただの一回も、「大変か?少し手伝おうか。」と、言って来なかった。そして、私は過労で病気になり、倒れた。それから、退院後も、私の体調は全く戻らなかった。と、言うよりむしろ、入院してから長年の張り詰めていた最後の糸が切れてしまい、それまでの過労が一挙に出てきて、体調は常に最悪、精神は、パニック障害を起こすと言う状態だった。玉手が、殆どの犬猫の世話を、自分でしなくてはならなくなったのは、その時からだ。そして、それから地獄が始まった。世話の手抜き。トイレの掃除の汚さ。健康、栄養状態を見てやらないので、給餌も満足にしていない。そして、犬猫をどんどん繁殖させた。何を言っても、「俺はそこまでやる気はないから。餌はやりに山も行くけど、それ以上の面倒を見る気はない。」の、返事だった。私は、2009年の2月に倒れてから、仕事を本格的に再開するまで7ヶ月かかり、同年9月に、お店を完全に再営業始めた。所、最初は客足が遠のいてしまっていたが、かなりのお客様が戻って来てくれ、私はとにかく、働いて、お金を稼ぐのが精一杯の毎日になった。玉手は、前述した通り、毎月給料日一週間前には、仕事へ通うガソリン代も事欠く有様で、(食事は、母親の家で、いつも食べさせてもらっていた。米粒一つ自分では買わず)活動に関して、犬のフード、猫のフード、一つ買った事がない。お金は、家賃以外一切出さなかった。それ所か、私がお金を渡してフード等買いに行ってもらうと、必ずと言っていい程、金をギる。1万円渡せば、千円か二千円、酷い時は、三千円近くかすめ、後でこっそり、使った分を全額ではないが、戻してフードを買って、私の目をごまかす。と、言う事を日常的にしていたので、私は、毎回、買い物の度に、レシートを要求する様になった。それでも、暫く経って、私が貰ったレシートの確認を、一々行わなくなった頃、それに気がつき、去年の10月まで、そういう事をやっていた。冬場、灯油を忙しい私の代わりに買って来てもらえば、自分のストーブに入れる分を、ちゃっかり抜いてから灯油タンクを寄越した。全く信用出来ない人間。そして、年中生まれては死ぬ子犬や子猫。山へ行ってみると、手遅れの状態で死に掛けている犬がいる。連れ帰って、私が必死に世話をして、助かった子よりは、この腕の中で死んで行った子の方が、遥かに多い。玉手に何を言っても、暖簾に腕押し、ぬかに釘だった。「繁殖させるな」と、発情期には女の子を分けられる「隔離フェンス」があるのだから。それを使えと言っても、「面倒臭いから、俺はそこまでやりたくない。」結果、どれだけ犬猫の食費が増えても、病気になって、病院代が発生しても、本人は知らん顔だ。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
当時の私の愛読書は、「月間GUN」新宿辺りで、30万も出せばトカレフ買えると聞いて(但しロシア製だから、命中度はイマイチだとかって話)、そんなもんならお金を貯めて、トカレフ買って、親父と愛人、祖母と伯母歩を撃つか。と、凄く冷静に考えていた。美幌峠を降りながら、自分が言われた事にしっくりこない理由が分かって、兄貴に電話して、以上の事を言って、「何でお前は暴力的なのかって!?そうやって、遊びの段階から、妹仕込んで来たのはあんたでしょ!?」って叫んだ。すると、あの頃は俺も荒れてたから、しどろもどろ。そんな事ァ分かってるわ。だからって、自分が私にした事すっぽり忘れて、「何でお前は暴力的なの?」とか聞いてるんじゃないよ。あの、家庭と、あんたでしょ。私の中に、虎を作り出したのは。毎日、伯母は、帰宅すると祖母の作ったまずい(週に半分は出前と外食だけど)飯を食べて、それから、安いウィスキーの水割りを飲んで、自分の見たいテレビや映画を観たまま、ガーガー眠る。やっと、私達のチャンネル権が来るのはその後。で、私達が、借りてきたビデオとか見て、楽しんでる最中、伯母は決まって目を覚まし、「子供がこんな時間まで何起きているんだー!!」って、大暴れするのよね。兄貴は覚えてるか知らないけど、一回、伯母が怒り狂って、ビアタンブラーを、テーブルに叩きつけて割り、その割れたグラスを凶器に、私の腕を掴んで刺そうとした。伯母にしてみたら、それで脅すつもりだったんだろうけど、こっちも中学生。毎日、毎日、虐待で、ある程度は肝は座っているのよ。私は、伯母の目を真っ向から見て、刺せ!と、怒鳴ったの。覚えてるかな??そんで、こう言った。「上等だ。私は病院、お前は刑務所。一緒に施設暮らししようぜ。刺せよ!さあ!!」って。伯母は、私の気迫に、あっさり負けたのよ。私の悪口を吐き捨てながら、部屋から出てった。あんたら、こういう環境で、幼い子供を育てておいて、その子が暴力的性質を持ってるからって、それを批判するのは勝手にも程があるんじゃないの?兄貴とは、大喧嘩。その後下らない話の、非難のし合いで、最後、兄貴は電話を切るなと怒鳴っていたけど、こんなバカ相手にして話してる暇あるか、って、切って、約束の人が目の前にいるから車を降りた。何を言い訳しようが、五歳も年下の妹に、殴る蹴る、同時に、殴り合いの喧嘩相手をさせるのが、兄の妹との遊び方。武器や凶器の使い方を、家で私が必要だと思って渡して伝授した。別に、あんたが、親父達の暴力から、男なんだから身を持って守ってくれれば、私はヌンチャクなんて、使える様にならくても良かったのよね。北海道に来てから、兄貴に「特殊警棒、秋葉原で買って送って」って私が電話した事あって、うん、骨叩き折ってやりたい奴いてね、当時何人か。その事も言われた。「それで、俺はどうしたらいい訳?遅れるか?普通?」って言ったけどね。そういう時には、武器使えって、幼心に「普通」に仕込んだのはあんたなのよ。普通に、使っちゃ危険な凶器を私に寄越してたでしょうが。全く。「お前は何でそんな暴力なんだ?」兄貴。昔、あんたピラニア買って、生きた金魚が喰われる所を見せて、怯える私を押さえつけて、そのピラニアがいる、水槽の中に、悲鳴をあげる私の手を入れて、ピラニアに襲わせて楽しんでたよねえ。希望なら、濃硫酸で満たした水槽の中に、あんたの頭を突っ込んでやるから、脳みそ溶ける前に、何で私が暴力的な性格になったのかを考えておきな。幼児のちっちゃな手の平に、線香で根性焼き入れる祖母。祖母とタッグ組んで、年中暴力と、暴言を吐き散らす伯母。自分の非を指摘されたくなくて、正義感の強い私を徹底的に敵視して、暴力の限りを尽くした父親。寝ている時に、頭ふんづけられて、起こされて虐待ショーなんてザラだものね。それらとは反対に、女のしたたかさを見事に使って、周囲の目を欺いて、私を虐め続けた親父の愛人(祖母も流石に最後の頃は、女の勘で、それを見抜いて、結局最後は{あんたの母親の方が、あの女に比べたらマシだった)とか言ってたけど}。別れた母も、暴力凄かったよねえ。私と兄、二階の窓の外にある、一階の店舗の張り出しの骨組みの上に立たされて、ギャアギャア泣いていたら、私が掴んだ窓枠から、私の手を離して、「ほーら、ほら!!」って、わざと落とそうとして笑ってたもんねえ。今も覚えているけど、朝だったから、通行人の、中年の男性が、それ見て、止めに入ってくれたのよ。「あんた、何してるんだ!」ってね。したら母親、「これは、子供が悪さをしたのでお仕置きです。」って、オドオドしながら答えた。で、「そんな真似がお仕置きで済むか!!子供を家の中に入れなさい!!」って怒られて、若い母は、しぶしぶ言われた通りにしたのよ。いつも、「嫌い!」「うっとうしい!」って怒鳴られて、殴られて、そりゃあ、母親にも愛して欲しくて、必死にいい子にならなきゃ、って、母親の考えの、先、先を読んで頑張った。こういう家庭で育った私だから、余計に、マハトマ・ガンディーの「非暴力」の強さが分かるんだと思う。結局、暴力は何も解決しなかった。暴力は、更なる暴力を生んだだけだった。その、連鎖を断ち切る方法を、身を持って説いた、ガンディー・ジーの生き方を、心から崇拝している。彼の様になりたいと思っている。私の子供達はきっと、ママ、優しいよって言うだろうけど(さっきも、私のたった一つの子供を入れない部屋のカーペットで、ベルに小便されて、それはマーキングかね?の、皮肉で終えたし)、私は心の底に、猛虎がいるの。お前達の前では、その虎は、死んだ様に眠っているだけなのよ。決して、ガンディー・ジーの様に、良い両親に恵まれて育った訳じゃない。彼が敬愛して止まない、素晴らしい母親の様な人を親に持てた訳じゃない。同じ精神を心棒していても、育った環境が違うから、そう簡単には近づけないけど、自分の生い立ちを言い訳に、開き直りたくはない。精神を磨いて行く程の時間が、私の人生に残されているとは思えないけれど、アホの兄貴はもう忘れて、最後の時間を私は生きなきゃ。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
兄貴。あんた、私が何でも手前勝手にしてるって言ったけどね、私、ここに移住して、14年目よ。あの、五年前の騒動の時でも、私を擁護してくれた、地元の人達いたのよ、ちゃんと。あんたは、私をろくに知らない。子供の時までしか、一緒にいなかったからね。逆に、ここの弟子屈の人の方が(って勿論私の直接の知り合いに限られるが)、あんたより私をよく知ってる。私は、法律も、人間がしている事も、間違ってると言っているけど、それは置いて、自分が関われる人全てに、出来るだけ、誠実であろうと努力してる。それは、私が人間を愛してるから。だから、私が人間を告発しても、それは置いても、私を誹謗中傷から守ってくれる、人達が、あんたや私が思ってる以上にいるのよ。私は人間大好きだよ。でも、だからと言って、してはいけない事を、自分が敵対される事怖さに、止めない人間でいる事は出来ない。卑怯な自分を知りながら、隠れて正義にすがって何もしないで生きるのは恥だ。だったら、腹をくくって、社会全体からイジメに合う事になっても、イジメを止める戦いをする人間でありたい。怯え、震えながら、抵抗もさせられずに殺される犬猫に、同情しながら、社会の、自分へのイジメ怖さに、背を向ける人間でありたくない。あんたはどうなのよ。保健所行った事あるのかい。そこで、明日殺される犬や猫を、見た事あるのかい。で?同情以上の何か、したの?行動よ。行動を、したのかって聞いてるのよ。同情してるだけで、自分がイジメを直接してる人間と違うと誤魔化さないでよ。傍観者は、共犯者なんだよ。私は、人間の不道徳な悪法に反対するよ。それが気に入らないなら、私を殺せばいいじゃない。あんた達は超多数派で、法律を背にした「正しい」側にいるんだから、無法者は、どうぞ殺して。死ぬ覚悟なくして、誰がたった一人で社会に立ち向かって行けるものか。私は金も権力も肩書きもない、一庶民なのよ。自分の命以外に、切り札なんか持ってない。人間が好きだからって、この種の暴力だけは許さない。もう、今日は限界だから、後で加筆、訂正するけど、私はもう、兄貴一人に言ってるんじゃない。殺処分を知りながら、コソコソ隠れて現実から気を逸らす人間、全てに向けて、言ってるから。それが法律なら、正義と道徳は、何処にあるのか教えて貰おうじゃないの。ああ、ごめんね、みんな。虎が激怒してるのよ。あんな風に、暴力の中だけで育たなかったら、もう少し、私も温和に語れるだろうに。人を思いやりある存在にしたいのに、そういう時に限って、一番私は人を叩きのめす様な言い方しか出来ない。こんなんじゃあ、犬猫の、命の、いい味方にはなれないね。さ、今日はここまで。だけど、兄貴の事は好きなんだよ。嫌われてもいいけど。慣れているから。殺処分撤廃の為に、大好きな人間全てから、嫌われるのを、覚悟しなきゃいけないと思った、遥か昔の時代からね。・・・・・・・8月5日 加筆何だか、兄貴に「何でお前はそう暴力的なの?」って言われた時から、ずっと、心の中で、蠢く様に、心をざわつかせる何かがあった。で、明け方書き終えてから、仮眠取って、翌日美幌に用事があったので、子供の世話を全部済ませて、美幌峠から、屈斜路湖を見下ろしている辺りで記憶が甦った。兄貴じゃないのよ。私に戦い方を教え込んだのは。小学校の1年の時、六年で卒業する兄貴が、校庭の下級生のアームアーチの下を、同学生とくぐりながら、私の前に来た時、兄貴、小1の私のみぞおちに、ボディー・ブローを一発決めて行った。思わず、級友の手を離して、腹を抱えたさ。それから?ブルース・リーのファンになった兄貴に、毎日ヌンチャクの稽古と相手を強制された。上達しなきゃ、自分の頭や体をボコボコにする訳だから、そりゃあ真剣に練習しました。ある程度、使いこなせる様になった時、家にはトンホーがあって、もう、開き直った私は、「これも練習から教えて」って言ったんだよね。そしたら兄貴、「これは難しいから、お前には無理」って、自分も買ったはいいけど、使えなかっただっけじゃないのかな。実際の所は。33~34歳の頃だったかな。男友達が、タイのアクション映画「マッハ!!!!!」を、見せてくれて(お勧め名画)、主演のトニーが、トンホー使う場面を見たら、こりゃあ、素人教師じゃ教える所か、恥かいて終わり。って思った。言い換えれば、トニー・ジャーがトンホーを持ち出した瞬間、すぐに、「ああ、これ、兄貴が教えてくれなかった道具」と、分かった私の記憶は決して古くはなかった。兄貴の使い古しのボクシンググローブ貰って、毎日ボクシングの練習相手。構えから始まって、左ジャブ、右ストレート、フックにアッパー。叩き込まれたじゃないの。あれって、映画「ロッキー」の影響なんじゃないか、兄貴?お陰様で、今でも玉手みたいな奴を相手にした時、普通にボクシングの構えを体が取るよ、私。左ジャブ入れないで、いきなり右ストレートでテンプル狙うけどね。体格差があるからね。相手の意表をついて、いきなりパンチの効いたブローを入れないと、こっちが負けちゃう。玉手の奴が、犬猫ガンガン死なすから、何度も喧嘩になって、しまいに殴り合いになったけど、ごめん、私、全勝しました。空手も、映画で「ベスト・キッド」が流行ってから、私相手に空手稽古をつけたよねえ。私は五歳も年下だから、一方的に、人間サンドバック。悔しいから、少しでも敵いたくて、毎日押し入れの、アコーディオンカーテン目掛けて、飛び蹴りの練習。それから、親父が愛人宅からこもって数年帰って来なかったのが、まんまと母親実家から追い出して、愛人を堂々家に連れて帰って来てから、マジものの虐待始まって、兄貴も相当荒れて、しかし親父に、私みたく直接反抗する勇気はなくて、私始め、祖母だの、伯母だの、弱い者相手に暴れまくったな。で、私にも親父の虐待に抵抗する為、ボクシング・グローブを除いては(あー。思い出した。テーピングまで、拳にされてたわ)、初めて凶器の、「メリケン・サック」をくれたよねえ。私も、これで親父を撃退出来るかと、壁を向かって使ってみたけど、メリケン・サックって、細いから、殴ると手の平痛いのよね。しかも、相手の間合いに入った上で、相手の先手を打たないと使えないし。次にくれたの、カイザー・ナックル。これは、まだ小学生な私の手にはでか過ぎたけど、メリケン・サックよりは、攻撃力あって良かったわ。ただ、肝心なのは、やっぱり、親父の間合いに入らないと、テンプルに一発決められない、って事でね。でも、お守りだった。次は?三段式特殊警棒。内側に二段、警棒が組み込まれていて、警棒を振って、ジャキンと、出すと、一気に三段に伸びる奴。これ、壊れたからくれたんだけど、振り方注意しないと、三段目の棒が、マジンガーZの腕みたく吹っ飛ぶのよね。ああ、竹刀に木刀もあったから、小学校の頃、剣道やってた兄貴に、練習させられたんだけど、竹刀はともかく、木刀は、小学生の女の子の振り回すもんじゃないわ。重い。ちゃんと筋トレしないと、ああいうのは自在に操れないと、振り回す速度が遅くて、相手に捕まれたら終わりなのね。なので、警棒の方が、良かったが、マジンガーZには参った・・・。最後に、兄貴が、「今度親父に虐待されたらこれ使え」って、私にくれた武器。漫画「AKIRA」、大友克洋の。ジョーカーってのが頭の、「クラウン」って族の連中が、持ってる自作凶器。ぶっとい針金に、一番下でこよりを作って、重いナットを、10個くらいつけた奴。貰って、試してみたら、風の様に振り回せる。しかも、この速度でナットを相手にぶつければ、一撃必殺。「これなら、女のお前でも、親父をぶっ殺せる。」そう言って、手製の武器をくれた。「いいか、まず、脛を狙え。親父の足の骨を砕いて、あいつが痛みで前のめりになった所、今度は背中を見せたら、背骨をそれで叩き折れ。」攻撃の方法も伝授された。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
今、私は、玉手と養父に猛り狂ってるよ。何で自分から新聞社に電話したか?自らも書かれるのは分かってる。自分の肉を裂いて、相手の骨を砕く、兄貴の嫌いな自滅の戦いに出たからだ。そうしないと、守れないものが私の周りに残されているんだよ。奴ら二人の犠牲の、弱い、何の抵抗も出来ない、苦しんでる者達がいるんだ。私が自分の肉を切って、ハラワタを引きずりだされなきゃ、奴らの骨を砕けないんだ。新聞だろうがテレビだろうが、マスコミに出たら、自分も砕かれるのは覚悟と承知の上だよ。私はそんな目に合っても、私より弱い者が、見殺しにされ、それを社会が黙殺するのを許せないんだから、自滅行為でも、ハラワタ引き裂かれる覚悟でマスコミに顔出してんだよ。この心痛が分かるはずもないよね。ああ、断っておくけど、私は怒り狂ってるけど、兄貴の事は好きだよ。一応ね。あんたの、もう一人の妹程じゃあ、ないかも知れないけど。さて、私は結婚相手がいたら、兄貴に話すけどね。で、会ってもらうけどね。そんで、兄貴の都合も聞いて、色んな事情から、式の日取りを決めるけど。そういう妹はいらないんでしょ?「暴力的」な性格があるって理由でさ。暴力的で、申し訳ないね。私の一番悲しい傷跡を、こじ開けるんじゃないよ、クソ兄貴。私は、何でもダメ人間かい。兄貴、私は兄貴は好きだけど、昨日も電話貰って嬉しかったけど、私をどこまでも認めず、否定したいなら、もう一人の妹と仲良くしてなよ。結婚するのに、兄に一言も連絡しなかった妹をさ。一度も、婚前前に、兄に結婚する相手を紹介もしないで、親父から伯母にだけ連絡行って、兄貴が妹が結婚するって知ったのは、結婚式場からの葉書きでだった、って、いいでしょ。そんな妹で。充分でしょ、あなたには。私がもし結婚するなら、婚約の時点で相手を兄貴に会わせるけどね。結婚なんて、家族が絶対絡んで来るんだから、やっぱり、夫になる人と、兄貴とウマが合うかどうかは、結婚してしまう前に知っておきたいし、兄貴の承認も取りたいしね。何せ、結婚相手よりも、兄貴の方が、付き合い長いんだから、仇おろそかに出来ないでしょ、普通。そういう事は出来ても、暴行のせいで、凶暴な一面を持つ妹を、必死にそれを鎖で抑えて生きてるのに、責めるなら永遠にやってくれ。何でもかんでも、私を否定して、私を責めて、私の罪で、私の心をもっと殺してくれ。もう誰も、傷つけられないくらい、犬や猫を殺す様な卑怯者さえ、立ち向かう心も持てない程に、私をボロボロにしてくれ。今、私は、玉手と養父に猛り狂ってるよ。何で自分から新聞社に電話したか?自らも書かれるのは分かってる。自分の肉を裂いて、相手の骨を砕く、兄貴の嫌いな自滅の戦いに出たからだ。そうしないと、守れないものが私の周りに残されているんだよ。奴ら二人の犠牲の、弱い、何の抵抗も出来ない、苦しんでる者達がいるんだ。私が自分の肉を切って、ハラワタを引きずりだされなきゃ、奴らの骨を砕けないんだ。新聞だろうがテレビだろうが、マスコミに出たら、自分も砕かれるのは覚悟と承知の上だよ。私はそんな目に合っても、私より弱い者が、見殺しにされ、それを社会が黙殺するのを許せないんだから、自滅行為でも、ハラワタ引き裂かれる覚悟でマスコミに顔出してんだよ。この心痛が分かるはずもないよね。ああ、断っておくけど、私は怒り狂ってるけど、兄貴の事は好きだよ。一応ね。あんたの、もう一人の妹程じゃあ、ないかも知れないけど。さて、私は結婚相手がいたら、兄貴に話すけどね。で、会ってもらうけどね。そんで、兄貴の都合も聞いて、色んな事情から、式の日取りを決めるけど。そういう妹はいらないんでしょ?「暴力的」な性格があるって理由でさ。暴力的で、申し訳ないね。私の一番悲しい傷跡を、こじ開けるんじゃないよ、クソ兄貴。・・・・・・・・・・・そんで、第二問。「何でお前は、世間に面倒をかけるの?自分が一番正しいと思ってるんだ?」犬の保護活動の事で言われたんだけどさ。思ってないよ、そんな事。何で私が一番正しいのよ。アホか。この世で正しいのは、正義。真実。道徳。そして、思いやり。私はこれらの事に、精一杯近づこうとしているだけだよ。私が正しいんじゃないの。正しい事とは、あくまで普遍的な道徳と正義なの。大事なのは、どこまでそれに到達しようとするかなの。私個人のレベルで正しい、間違ってるなんて、そっから考えてる事事態、間違いなの。人間個人が正義を作るんじゃないの。正義と道徳は、総体的な結論の元にあるの。こんな問い掛けをよく受けるよ。「お前は自分が一番正しいと思っているの?」バッカ。そう問う時点で、あんたは、物事の善悪を、普遍ではなく偏見で、決めてますよと告白してるの分かんないの。何処の世界に、個人主体の善悪があるのよ。善悪、正、不正は、普遍性の中にのみ、存在するのよ、バーカ。ああ。もう、今日早いんだわ。寝なきゃ。続きは来週。って、もう新しい週か。フーン。一週間って、何だろ?って考えない?一日の、七日分。では何故一日を、七日に分けて、月を四週、ないしは五週に分けるの?って。うるう年で、誤差を四年に一回調節する訳は?はあ、つまんない。暦学が解明された後の時代に生まれて。グレゴリウス歴なんてどうでもいいけど、まだ、何故月が満ちては欠けるのか、四季は巡り繰り返すのか、分かっていない時代に生まれて、この学問に挑みだかったな。シリウス歴好きだけど。うーーん。暦学、最高に好き。先に解明されたので、つまらないから別の研究をしてたら出来たから、論文書いて、どっかの教授に見てもらいたいけど。忙しいー。ああ、もう。頭来た。虎が暴れて仕方ない。寝なくてゲロ吐いてもいいから、虎を鎮めるか。いーよ。第二問に、取り合えずざっと答えてしまおう(ちょっと。三時間後、起床だよ。寝ないが勝ちか?)。いい?社会全体が偏って認めている屁理屈による暴力を、たった一人で告発するって言うのは、勇気がいるのよ。兄貴。そうね、クラスでイジメがあって、生徒全員、担任まで、加わって行使、公認、黙認の最中、たった一人で、止めなさいよ、と、言う度胸の千倍はいるわね。犬も猫も、「法律」によって殺してはいけないのよ。それを当然、人間の「権利」と見なす社会の中で、法律も、人間の姿勢も間違ってるって、マスコミ前に、全国の人間に言うって事は、世間中から叩かれるのを、覚悟の上でないと出来ないのよ。日本中から、叩かれ、鼻つまみ者にされる覚悟なくては出来ないのよ。でも、誰かが勇気を出して言わないと、抵抗しないと、「イジメ」は終わらないでしょう?犬イジメじゃん。猫イジメじゃん。イジメに合ってる当事者が、そもそも「不当なイジメを受ける事に反抗する行動」自体、出来ないのを分かってて、やってるんだからさ。捨てられた、いらなくなった、面倒になった、「処分してくれ」なんてのは。究極のイジメじゃないの。ナチスがユダヤ人に対してやった様な。ユダヤ人が、パレスティナ人に対してやってる様な。白人が、黒人に対してやってる様な。集団イジメでしょ。殺害まで公認したイジメでしょ。黙ってろと?我が身可愛さに?私は人間好きだけど、やっていい事といけない事がやる。幾ら人間好きでも、卑怯で、命を奪う行動は、許せない。いけない事はいけないと、言う勇気を出さなきゃいかない。それを自分で正そうとしたら、総スカンを喰らうのは、承知の上での、戦いなの。社会や、法律が認めた、道徳的に見たら明らかなる犯罪を、批判したら、英雄になれないの。道化の様にバカにされて、叩かれて、世間中から潰しに合うの。でも、誰かがその勇気を出さなかったら、社会は変わらないでしょ?弱い者イジメは止まらないでしょ?ガクガク震えながら、何の罪もないのに、人間の都合でガス室へ送られる、犬と猫が続いて行くのよ。私の言ってる意味、分かる?日本国民、全員が敵に回るのは覚悟の上。それ位の洞察力なかったら、そもそも考える力もないわ。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
それから即仕事。朝9時に、這う様に起きて、仕事一番遅い日は、夜中の2時まであって、それから帰って、また犬猫の世話に1時間。朝カレーは、その日一番のお客さんが、終わってからって言う時もある。何で、晩飯は、仕事が終わってからじゃとても食べられない。誰が夜中の3時から飯食えるでしょう。疲れて吐きそうだっての。1日、17時間ノンストップ労働もザラ。ザラ。ザラ。二階の子も置き去られたから、猫の食費、砂、ゴミ袋代金が更に嵩んだ。ベルラブ(ダックスとビーグル)の食費さえ去年の1月から、全くまともにもらってなくて、不況も重なり、ようよう、今年の4月から、毎週月曜日に、この子達の食費の為に、バイトに出た。それから一ヵ月半、今度は玉手が犬と猫を置き去って母ちゃん所に逃げて出て来ない。北原徹也は、電話を留守電。私が流石に黙っていられないのを、少しでも分かって頂けれれば有難い。私は、以前の自分の覚悟で始めた活動で、愚痴や泣き言、言った事ない。全て、責任を考えて行った事だから、本州に住処がなければ、北海道まで来た。マイナス33度を体験した。でも、絶対愚痴はこぼさなかった。私が我慢ならないのは、六年前からの活動は、一切私の意思ではないと言うのに、結局私が全て押し付けられた形になって、ここに至るまで、半端じゃない命が、奴らの無責任さの為に奪われたからだ。幾ら何でも、もう口を閉じる気は毛頭ない。。。。。。。。。。。。。。昨日、兄から久しぶりに電話が来て、その内容が、前回の記事に対して、タイムリーだったので、先に掲載しておきたい。まず、第一問。兄曰く、「お前は何で、そんなに暴力的なんだ?」答え。「暴力まみれの家庭で、育てられたからです。」バッカじゃないの、と、思った。同じ家で育ったんだからさ。確かに、私の方が、兄貴より虐待受けてた分、兄貴は理解が及んでないと思う。親父は、兄の性格と、私の性格を比較して、また、どちらが、より家庭をぶっ壊して、愛人を家に入れて、母と弟を放棄して、権威ある父親として振舞う事を、許さない性格なのかを吟味して、兄と違って、道徳的な事に、徹底的にこだわる、私の方を、虐待の対象に選んだし、祖母や伯母は、兄の成長に応じて、それまでいびっていた兄が、二回程祖母の肋骨をへし折ったのを切っ掛けに、怯えるようになって手を出さなかったし、あの、したたかな、女に嫌われる女代表みたいな、裏表の上手な愛人は、私以外の人間の前では、絶対自分の本心見せずに、私一人をいびり抜いて、自分が乗り込んだ家庭で産み落とした娘を、「大塚家」の一番重要な子供にさせるべく(私は養女になって、この家庭と縁を切ったから苗字が違う。ついでに言うと、親父も養子になったので、本当の苗字は「加藤」になる)、みんなの人気が集まる様に仕向けていた。見えない所で、私一人をいびり抜きながらね。兄貴なんか、何も知らなかった。祖母は数年後に、その女のしたたかさに気がついて、悪魔と自分で呼んだ、私の実母の方がマシだったと言った。なもんで、吹雪たちの為に買った、川崎の家に、伯母と私だけじゃ勿体ないからと、近くに弟と二人で暮らしていた母を、呼んで一緒に暮らせと死ぬ前に言った。私にはっきり、「罪滅ぼし」だと言ったけど、それは全て、手遅れだったね。家の子達は、温和だよ。私が、相手はちゃんと子供として、或いは猫として、犬として、こういう所は、人間ではないから、出来ない、させるには、無理強いしかない、また、生態が違う種族だからこっちの思う、願う通りには振舞えない。そういう事を、ちゃんと理解して、受け止めているから、ベッドにションベン垂れられようが、大事なもの壊されようが、辛抱出来るから、自由きままに、猫として、犬として、人間の都合を押し付けられず、存分に生きてるから、温和なの。私が、この子らのする事、一々怒らず、叩かず、自分(私)のして欲しいように、無理に「躾」ないから、みんな性格優しいの。愛情をたっぷり持って、可愛い、可愛い、お利口さんだね、って撫でてるから、温和なんだよ。私が育った環境はどうだったの、兄さん?私、可愛がってもらえた?毎日暴力に怯えていたんですけど?あんたが、新しい家族に無節操に溶け込んで、仲良くやってる時、私、一緒に飯食えなくて、泣きながら腹空かせて寝てたんですけど?手に線香で根性焼き入れられたんですけど。寝てる所、親父に頭踏み付けられて、祖母の作った嘘に乗っかって、好きなだけ殴る蹴るされてたんですけど。二年ほど、親父、愛人の下から帰って来ませんでしたから、6歳から8歳までの間以外は、15歳まで毎日そんな風で。私、毎日自分の体を鏡に移して、殴られた後の内出血の数を数えていました。あいつらと暮らしていた間、殴られた後が、四つ以下に減った事ないですよ。前に殴られた、蹴られた後が消える前に、また内出血する程暴行受けるんでね。多い時は、八つありました。セコイけどね、いつかあいつら殺してやろうと思っていたから、その時が来たら、それを突きつけてやろうと思って、ずっと、自分の受けた暴行の跡の数、毎日数えていたんです。兄貴にも、相当ぶん殴られたしね。何か、私が子供の時、兄のおもちゃを壊して、それを兄が壊したように見せかけた事から、兄貴の暴力制裁が始まったと言っていたけれど、五歳年下の、妹だよ?鉄拳制裁やった時点で、あんたどうなのよ?って話でしょ?年子の弟じゃないんだよ。どれだけ力の差があると思っているの。やっぱり、定石通り、自分のした事は都合よく忘れてて、私の首を、電話のコードで絞めた事は覚えていなかったなあ。だって、そういう家庭で育ったのよ。今も覚えてる。一回だけ、芯の強さで兄に勝ったと思う時があった。やっぱり、何かで喧嘩になって、兄貴に顔面殴られた時、私は口の中を切って、口から血が滴った。それを見て、流石に兄が動揺して、殴るの止めて、ティッシュを出そうとしたんだけれど、私は無視して、口の中に溜まった血を、ペッと、部屋の絨毯の上に吐き捨てて、兄貴をそのまま睨み付けてた。それを見て、兄がひるんだのを覚えている。その後の事は覚えていないけど。人間を噛む犬を、育てるのは簡単。年中殴る蹴るすればいい。自由を奪い、精神の尊厳を奪い、蔑み、いたぶる事を、楽しんでいるのを教えれば、犬はすぐに人間に手を出されたら、噛み付く性質になる。昔、黒人奴隷制度があった時、アメリカでは、そういう犬を作ってたのよ。「ホワイト・ドッグ」ってね。白い犬を指すんじゃない。逃亡した奴隷を、追いかけ、噛み裂く為に、子犬の頃から、色盲で、白黒しか分からない犬の特性を利用して、黒人奴隷に、殴る蹴るして、育てたのよ。結果、犬は黒人を見ると、恐怖と怒りで猛り狂うようになった。白人の、奴隷所有者の思う通りに。兄貴、簡単なのよ。凶暴な人間を作るのは。ホラ、ウチの家みたいにさ、毎日殴る蹴るすればいい訳。人間性を踏みにじればいい訳。そうすれば、そこで育った子供は凶暴になるから。私は、あなたに指摘されるまでもなく、自分が凶暴なのを自覚してるよ。その原因も、経緯も、全部理解してるよ。私の中には虎が住んでるの。猛り狂った虎が。私は、あの家から分かれて、その虎を理性と言う鎖で、縛り付ける必要を悟り、努力した。してる。今も。でも、この虎は、ある種の嫌がらせ、それは私が昔受けた、虐待の陰にある祖母達のしたたかな裏切りや策略や、また、弱い者が、理不尽に虐げられているのを見た時、猛り狂って、「理性」と言う鎖をブッチ切って、襲い掛かる。ネットをやってから、よくそういう事があったから、それまで以上に、私は自分自身が暴れるのを見たよ。私、昨日兄貴に言った。あんた、PTSDになってないでしょ?乖離性障害も持ってないでしょ?同じ家で育っても、年の違い、性別の違い、性格の違いから、扱われ方の違い出る。当然、己の壊され方も異なって来る。あんたも、ある程度は影響残してるけど、私ははっきりと、PTSD告げられてるんだよ。私はあの家で、精神を壊され、病気を生涯抱え込む羽目になった。同じ家で育ったけれど、PTSDになったのは、私一人。この虎をね、批判するけれど、こいつが私の内にいて、一番辛いの私なんだ。今も、虎が激怒してるのよ。だから、明日も早いのに、こいつを鎮める為に、こんなもん書いてるの。私はね、本当の私は、人を傷つけるの嫌いなのよ。人間好きだから。でも、PTSDのお陰で、パブロフの犬みたく、ある種の出来事を受けたり、見たりすると、思考が停止して、怒りを呼び覚ました相手を惨殺してやった程に、相手の血を浴びて満足したがるの。分かる、兄貴?私はこの虎が、嫌で嫌でたまらないのよ。血に飢えた狂気のけだものが。こいつが、私の理性をブッ千切って憎悪のままに振舞う度に、私は自分が、あの過去の虐待から、逃げ切れない、人生を全てはー「は」、ね、って事は多くは乗り越えられるって事だけど、奥深い傷の流血は、今も止まっていない事を自覚させられるのよ。「何でお前はそんな暴力的なんだ?」ふざけるな。私は暴力の使徒になるよう、暴力で育てられたんだよ。一緒にいながら見てなかった訳。それから考えたら、私の犬猫の育て方。見てる人間は、口を揃えて同じ事を言う。私に育てられた子は、里子に出されたらやって行けないと。ストレスでおかしくなっちゃうよ、と。何でもかんでも寛大に受け止めて来た、私の元から、人間の迷惑にならない様に、待てだの、お座りだの、首輪やリードつけての、キープレフト保っての散歩だの。テーブルに乗るなとか、家具をかじるなとか。猫なら爪を切られの(家は絶対猫の爪切らないから。研ぐ、登る、遊ぶに爪は不可欠だから)。そんな事を要求される、飼い主の所に行ったら、おかしくなっちゃうよ、と。それほど、子供を愛しく扱い、慈しんで育てられる様になっただけでも、凄まじい変化じゃないの?:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
体力的に、限界である。こうやって、ブログを書いているが、死を覚悟してるからであって、正直、脳みそに酸素が足りていないと感じる。手術後、数ヶ月して復帰してから、即仕事で過労が始まり、たった三ヶ月で、10キロ痩せた。勿論、ダイエットをしたい訳じゃない。ただ、疲労も限界に達すると、空腹感を、疲労感が上回ってしまい、空腹自体を感じなくなる。最終的には、何かを口へ運ぶ為に、手を動かす動作さえ辛くなる。遂には、食べ者を口にして、噛んで飲み込む、と、言う動作が途方もない苦労になる。結果、殆ど何も食べず、エンシュア・リキッドの様な栄養剤でごまかしていると、最後には床から起き上がれなくなるのを経験した。今回は、これまでの6年間での学習を生かして、特に二つ、決めている事がある。一つ、山へは、毎日は帰らない。幸い、あそこを選んだ理由の一つは、水があちこちから自噴している事だ。その為、飲み水には事欠かない。なので、3年前に倒れた時には、約1年間、毎日仕事をフルタイム(家の営業時間は、午後1時から深夜まで)をこなして、定休日も、予約が入ったら仕事をしていた。加えて勿論、山へは毎日帰っていた。留めには、月に二回程、ここから片道150キロある、帯広の、動物病院まで、避妊の手術の為に、仕事を遅らせても通っていた。そんな中、たかだか虫歯菌で、本当に命を落とす騒ぎになったので、今回は、兎に角山は、二日に一度。フードを沢山、3日は持つ程必ず置いておく。そして、どれだけ疲れていても、食事は取る。全く食欲がなくても、必ず一日、二回は食事を取る。私の食事内容は、きっちりほぼ決まっている。朝は、疲労回復効果があるのを知って、必ずカレー。カレーは、朝食べるのが一番疲労にいいんだって。インド行った時には、朝昼おやつ、そして晩と、カレーだったが、二週間過ぎたら吐きそうになったな。レトルトの、88円程度のカレーを、毎日食べている。スパイスで、コショウ、シナモン、クローブを入れると、尚良い。これは、去年の1月からだ。たまたま、仕事中に、お客さんの家のテレビで見て知った。あの、大リーガーのイチローも、朝は必ずカレーなんだと、後で知った。これを三週間ほど続けて見たら、心臓の不整脈が出にくくなったのを感じた。その上、「第二の心臓」と言われる、ふくらはぎが、私はいつも浮腫んで歩くのも痛い程だったのが、その浮腫みが殆どなくなった。なので、もう、1年と7ヶ月以上、「朝カレー」を続けている。カレーには、うどんを半玉、茹でて入れる。朝ごはんは、子供の世話の都合で午後2時になる事もあるが、必ずこれ。晩御飯は、乾燥したおそばに、納豆と卵を入れた冷やしそばか、198円で5袋入った即席ラーメンに、もやしと、ベル、ラブと言う年寄り犬の、手作りご飯で出る残り、鳥のもも肉の「皮」と、卵を入れたもの。もう一つのメニューは、内容同じ、鳥の皮、卵、もやし、で、おじやだ。こんだけだよ。たまに、近所のおばさんが差し入れをしてくれる。お客さんが、夕食を用意してくれる。これ以外は、毎日このローテーション。卵は、ベル・ラブが食べるので、毎日必ずあるし、鳥の皮も、同じ理由であるから、その、犬達の余った食材で食べる。それにもやしを入れるだけ。しかし何と、もやしは解毒作用はあっても、栄養は全然ないと、今日聞かされてしまった。人参・・・を、使う方がいいのだろうが、一本78円はする。悩む。玉手の奴は、自分で拾って来た猫から、自分で増やした犬から、全部押し付けて逃げて行った。「話し合いをしたいんだけど」と、何度職場を通して訴えても、逃げる。警察に頼んでも、全く埒があかない。犬猫を捨てて、人の土地にゴミの不法投棄していると言っても、何もしない。殺したろか。この話、地元の親しい人に言ったら、「警察官だって公務員だからね。仕事出来ない奴の方が多いよ。あいつらこそ、社会のダニだね。」と、辛らつに聴こえるが、正しい判断。私も警察に言ってやった。あんたらは、市民がストーカー被害でも、虐待でも、折角通報しても、適当に書類をまとめるだけ。それで、ここ最近だけでも、助けられる被害者をみすみす死なせて、それを隠蔽しようとして暴かれて、マスコミの前で、何回国民に頭を下げた!マジ切れして怒鳴った。弟子屈警察に、寺0さんって言う婦警さんがいて、この人だけは、私がその時ブチ切れた、玉手の動物虐待で警察に通報した時の、警察の姿勢の誤りを、しっかりと認めた。私、こーいう人大好き。この人の過ちではないのに、組織としての過ちをしっかりと認めて、警察が取るべきだった、然るべき対応を理解していた。それをしなかったが故の、通報者の激怒を、しっかり受け止めたもの。お断りしておくが、国家権力も、何もおっからがらない私が切れたら半端じゃない。警察だろうが町長室だろうが、あり得ない事されたら抗議に行くが、抗議なんてもんじゃない(警察には過去三回、町長室には過去一回の怒鳴り込み実績)。私はどいつか殺したいのか、と言われて仕方ない程の怒鳴り込み込みである。ふわー、疲れて頭が文章をまとめられない。大体、自分の体力が六年前に限界迎えてて、それでも動かされた上に、約束放棄で二回も体を壊し、あの虫歯菌の時は・・・マジ、死ぬなと感じた。厚生病院、40度の熱だして、口が腫れで全く開かなくて、喋れない状態で、夜中救急で行っているのに、後で確認したら、「ブドウ糖」を点滴していた。しかも、口開かねーってのに、「抗生物質」を、錠剤で出す有様。ここに二日通った為に、私は手術になったんじゃないかと、今も思えてならない。最初から、何も食べれない状態なんだから、「即入院」させて、喉の炎症が治まるまで、抗生物質点滴しまくるとかしてれば、あんな大事に至らなかったかも知れないんだから。釧路の市立病院へ行った時には、「うわ。あなた重篤だよ。危篤の一歩手前。分かる?」って言われて、ええ分かります、と。だって、昨日危篤に限りなく近くて、厚生病院へ行く前に、このまま釧路へ救急車で運ばれて、下手したら即手術しなきゃ、私は死ぬなって感じて分かってたもの。二日目、通院した時の宿直の先生が、やっと、抗生物質を、小さいバックで点滴してくれたお陰で(ポリ袋サイズの抗生物質を点滴してくれよ。足りねえよ。って思ったけど)、少しだけ、ほぼ炎症と膿で、完全に塞がりかけてた喉が呼吸出来る様になって(だから死ぬなって思ってたんだ)、そんで釧路の病院へ来れたんだもの。そりゃ、重篤でしょうよ。危篤の一歩手前でしょうよ。即入院。即手術。でも、保険証ないってはっきり言ったら、先生みんな考え込んで、抗生物質をガンガン点滴して、炎症と膿が収まるかやってみるかと初めはなった(そもそも弟子屈の厚生病院で、それをやってくれてりゃね・・)。しかしね、(何の話をしたいんだ、私?)先生が、神妙な顔つきで、紙を一枚持って来て、私に次の事を説明しました。曰く「北原さん。点滴してるけど、多分助からないから。経済的な理由から、手術を避けたいなら、どうしても、僕は血液製剤の点滴を勧めるよ。じゃなきゃ、あなたは助からないよ。」血液製剤って、あの「薬害エイズ」の。緑十字と厚生省の癒着で、多くの被害者出した、あの。菅さんが厚生大臣になって、ようやく和解した、あの。紙には、大体以下の事が書いてあった。この血液製剤は、厳重な管理下、様々なウィルスを混入しないようにしているが、エイズ他、様々な病気に今後これが元で罹患する可能性もある。患者は、この製剤を利用するに当たっては、以上の危険性を引き受ける事を承諾し、今後20年、記載されている病気を発症しても、病院側を訴えない事。ほんとーーーに、頭抱えました。定休日も働いて、保険証も持ってない貧乏人で(あれから、役場で必ず保険証だけは出してもらう様になった)、手術受けれる金がないと、人って、こんなリスクを受けなきゃいけないもん?って。いや、世の中そういうもんだけどさ。結局、先生に一日考えさせてください。って頼んだ。明日になっても、改善しなかったら、手術かコレか、決断します。と。先生の、渋い顔は忘れられないなあ。医者として、本当にあちらも悩んだと思うよ。翌日には、病状悪化。私は右の下の奥歯から感染したんだけど、そこから脳天にかけて、四本くらいのドリルが頭の中にあって、常に頭の中を回転して削りながら、休まず動き続ける様な激痛。流石にうめいた。ロキソニンを、痛み止めでもらったけど、30分しか効かない。なので、6時間置きって決められている薬を、4時間置きに出してもらったけど、どうにもならない。もう、血液製剤うんぬんの状態じゃなくって、手術決定。ま、これはいつか、生きてる間に時間があったら、その手術開始までの、ICUの話やら、麻酔を喉に入れられなかった(腫れてるから)場合、喉に穴を直接空けるよ、なんて怖い話を書きたいと思う。肝心なのは、ふざけんなー!!!って。私は今、養父が自分から約束して途中で銭惜しさに逃げられて、借金抱えて苦労して、玉手は、私が北海道へ行っただけの、命懸けの活動を全て踏みにじられて、奴が増やして、拾って来た犬猫を、バイトまでして働いて、食べさせて世話してんだけど、一体何な訳!!??「活動をもう一回やろう」って言って、もうやれるだけやったから、ここで満足して死にたいって言った私を引きずって、始めた二人が何逃げてんだっての。この間に、私以上にどれだけの犬と猫が、この二人のいい加減な男の犠牲になって、苦しんで死んで行ったか、告発しないと、私は死なない。裁きは、自分でやるんだね。兎に角、過労死目前なんです。朝起きて、猫達と、去年押し付けられた、ビーグルとダックスの糞尿とご飯の世話。部屋の掃除。マッサージルームの掃除。それから、庭にいる、10数名の子供の世話。ご飯あげ、うんこ取り。山へ車で行って、山の子の世話。帰宅してから、温泉つきだけど、この時期熱過ぎるから、タイミング考えて、二階に置き去られた子の世話の前に、温泉をひねって出す。二階は、全ての部屋が、犬のオシッコウンコでしっちゃかめっちゃか。それを片付けながら、猫のトイレ掃除。その頃、温泉の温度が適温になるから、一回下へ行って、庭にある別棟のお風呂に、温泉を溜めに行く。で、また二階へ戻って、ご飯とお水の世話。遊び相手。これ終わってから、速攻お風呂。15分で出て、髪の毛乾かし、ここまででほぼ五時間。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/
2012.08.31
FC2ブログに、コメント認証制で、「倫理の進化」楽天ブログを移行させて、続けておりますが、私が設定したブログ背景が、文字が読みにくいとの困惑が、友人からも、届いています。しかし、その記事の背景の写真は、私にはまぎれもなく「収容所」のフェンスの内側を、意味しているのです。他に幾つか、背景を用意はしてありますが、やはり私はどうしても、柵の外にいる人々に、柵の中に閉じ込められて、そこから見える、外の世界を、あの背景を通して、犬や猫の、そして「動物園」や「水族館」で閉じ込められる側で生きている者達の、心を少しでも、考えて欲しい。想像して欲しいのです。しかし、記事もしっかりと読んで欲しい。なので、色々と考えた結果、楽天のブログと、FC2のブログに、同じ記事を同時掲載致したいと思います。記事は、楽天の方が読みやすいでしょう。でも、楽天も、色々と機能が変わり、「私書箱」の様な、個人的なやり取りが出来なくなり、ついには、文章の、書きかけ途中等での、「下書き保存」も出来なくなりました。これは、仕事の合間を縫ったりして、ブログを書く私には結構面倒で、その度、ワードに入れれねばなりません。その点FC2は、記事は文字数無制限ですし、コメントも認証制で、ブログ自体が荒れると言う現象が起こりません。なので、読者の方々には、読みやすい楽天で、記事を読んだ後、もしコメントがあれば、FC2の方に、お寄せ下さい。そして、何よりも生き者が、自由に大地を歩ける用に、今現在も閉じ込められている、犬達に祈りを込めて、楽天で読んだ後、同じ事が書かれたFC2のブログを、開いて、あの背景の写真を、見て、私の伝えたい気持ちを、強く感じ取って頂けたら幸いですし、そう願って止みません。FC2のブログの文字については、確かに読みにくいので、試行錯誤しました。文字数を、小・中・大・と変えて、様々な文字色を使ってみましたが、最終的には、水色の反対色である、紫が、最も読みやすかったので、それに致しました。頂いたコメントについてですが、まず、以前は私は、コメントはほぼ確実に返信を致しておりましたが、今は、これまで書いて来た様に、余りに時間がない為、返信が出来ません。掲載を持って、コメントを頂いた方への、謝辞とさせて頂きますので、ご理解下さいませ。また、コメントの文字も、小さく見にくいので、頂いて掲載するものは、コピーを取らせて頂、ブログの記事の終わりに、こちらで掲載をさせて頂きたいと思います。FC2で頂いたコメントは、楽天でも、同じ形式で、掲載をしたいと思います。尚、最初に頂いたコメントが、所謂「斜め読み」しかせずに、じっくりと記事を理解しないまま、寄せられたものであって、これは偶然、私の承認制度設定ミスの為、掲載してしまっておりましたが、原則として、斜め読みして、自分の思い込みで作った、重箱の隅を、あたかも私の書いた記事への意見の様に、つつく様なコメントは、一切掲載しない方針ですので、ご理解下さい。こちらも、寝る間や、体を休める時間を削って、必死に書いている記事です。斜め読みで、勘違いを受けて、記事の中身と違う意見、また、記事に置いて一切の重要性を持たない部分を、執着して書き込むコメントは、掲載は致しませんので、悪しからずご了承下さいませ。ブログに関しては、試行錯誤が続き、読者の方には大変ご迷惑をかけておりますが、私自身としては、色々な試みと、失敗があって、ブログ自体が、読みやすさや、ブログのイメージや、全うなコメント(批判、ご意見を含めてです)を、ネットに上げる事が出来る様になるなど、様々な改良に、役立っておりますので、それが、読者の方にも利益になると、心から願っています。また、こうして楽天の方でも、FC2と同じ記事をあげますので、停止したり、再開したりと、引き回す様な事をして、大変申し訳ございませんが、宜しくお願い致します。:::::::::::本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/まずは、六年間の地獄と挫折を、6部まで、掲載しました。この記事は、楽天で「下書き保存」があった時、打ちなれたここで書き、FC2へ持って行ったので、掲載しましたが、この記事の下に反映されています。
2012.08.27
翌年、2009年の2月に、私はまたしても倒れた。過労と栄養不良による、免疫低下で、虫歯菌に感染し、命に関わる状態になった。地元の厚生病院は、必要な処置を施さず、釧路の市立病院へ行った時には重篤な状態になっていた。私は、喉に膿が溜まり、顎は全く腫れて動かせず、水もろくに飲めない状態だった。耳鼻咽喉科で、私を見た医師が、「即入院、即手術。あなた、これじゃ死ぬよ。」と言った。結局、玉手にまた犬達の世話の責任を、持ってもらう他なかった。私は、ICUの準備をされて、喉の切開手術を受けた。一命は取り留めたものの、それを切っ掛けに、長年に溜まりに溜まった疲れが、手術と共に一気に表面に出てしまった。手術、入院、危篤一歩手前。それを認めた瞬間、私の中で、緊張の糸が、私をそれまで立たせていたものー。それこそが、私を勇気ある自殺へと、堂々と向かわせたものでもあり、私の意図でなく、再開された活動の後、最大の責任者の二人が逃げた後も、私を立たせていたものであった。それが、その瞬間に、切れたのを自分で感じた。生まれて初めて、妙な、本当に妙な、自分がもう、自分の人生を背負わなくていい様な、「変な」開放感に包まれた。その時から、本当の挫折と、地獄が私を待っていた。父は逃げ続け(かろうじて私の入院費は持った)、玉手は、「面倒」な犬と猫の世話を、徹底的に、手を抜いてやった。結果、退院後、帰宅した時家の中は、床が全て犬と猫の糞尿で、塗り込まれた様な状態になっていて、身体の弱い猫が、その劣悪な環境から、猫エイズを発症し、両目の視力が奪われていた。床の掃除と、ソファー、ベッドカバーの洗濯で、6畳間二つに7時間かかった。マッサージルームも、玉手がその汚い部屋を糞尿を踏んづけてそのまま歩く、サンダルで汚されて滅茶苦茶な惨状だったが、取り合えず私には、自分と子供たちの寝床を掃除する他なかった。目をやられた猫は、昔の友人の好意で、札幌の設備の整った動物病院まで、私も同行して診察してもらったが、どうにもならなかった。目が綺麗な猫だったから、「光」と名付けたその猫は、永遠に瞳から、その光を失った。眼窩には、瞳の残骸が残るだけだ。私が全く無力化して、充分に世話の監視も出来ないのをいい事に、玉手は山へ毎日行くように見せかけて実は不定期にしか行かず、どれだけ注意しても、犬猫を、どんどん中で繁殖させ、生ませては、ろくに世話もせず死なせた。病気の犬も、怪我をした犬も、放置した。私が偶然見つけるか、とうとうばれて怒られるのを困った玉手が、既に手遅れとなった状態で、死に掛けた犬を山から連れて来た。私は、手術後、全ての気力を失い、パニック障害も起こして食事もろくに取れなくなり、何ヶ月も、殆ど仕事も何も出来なかった。このままではいけないと、過労が全く抜けていない状態で、仕事を一気に再開したら、あっと言う間に体重は10キロ近く落ち、最後は布団から起き上がれなくなった。それでも、玉手は子供たちの食費は一切手伝わないから、どうしても自分で働かなくてはならず、必死に食事を少しずつ取って、休まず仕事を続け、何とか子供たちの食費を稼いだ。しかし、世話まではとても無理だった。自殺を止められた事を、呪わない日はなかった。次々と玉手の適当な世話の犠牲となって死ぬ、弱い子の亡骸を抱え、真夜中、どれだけ喧嘩をした事か。どれ程言っても、繁殖させない様管理しろと言っても、「面倒だからやりたくない。」の返事しか返って来ない。凄まじい負の螺旋だった。どんどん、どんどん、真綿で首を絞められる様に、なまくら刀で刺される様に、子供は死に、私は心身を病んで行った。限界は、切っ掛けは去年の10月の下旬、私が小学校の同窓会で、東京へ帰っている間(今や、生きる支えは、この同窓会だけしかなかった。それも後で詳しく説明するけれど)で、本当の限界は、今年の2月に来た。私の部屋の中に並んだ子猫と子犬の死体の山に、とうとう私は切れた。これまで、どんなクソ野郎でも、私は山の子達の為に、逃がす訳には行かなかった。本人が、自分がした約束を帳消しにして、養父に続いて一人逃げしたがってるのを、全身で感じていたが、私が体を壊し、どうにもならない状況で、逃げさせる訳にはいかなかった。手伝うと約束して、もう一回活動を続けるんだと言った男二人がとっとと逃げ、結果、一人で頑張って、危篤手前まで体を壊した。そこから回復を図ろうにも、任せるしかない責任者である玉手が、次々犬猫を病死させ、脱走したまま放置し、私に報告せず、柵も直さず、留めにどんどん繁殖させた。この地獄の悪循環で、私に山へ世話に向かう力が完全に失われ、最後、去年の10月には、玉手が産ませた子猫と親猫の、5名を世話する力しかなかった。何があっても、誰かが山へ行かなくてはならなかったし、それをさせるのは、「自分はボランティアを最後までやる。」と、周囲の人間に公言して責任を発動させた男しかいなかった。そして、そいつが犬と猫を死なせ続け、産ませ続けた。もう関わるな。出て行けと言った時、私は覚悟を決めた。体が持つまで、全て一人でやる。限界に達したら、今度は倒れない。その直前に、自殺をする。その時には、親しい人に予め頼んで、子供たちは、すぐさまマスコミに報道してもらい、里親を見つけてもらう。テレビで流されれば、役場も簡単に殺処分出来ない。私が生きていれば、逆にそういう助けは来ない。せめて、最後は、私の命と引き換えに、子供たちに、新たな人生を残す。実は、この話は、既に弟子屈、標茶役場としてある。身内の様に付き合っている地元の人も、これまでの経緯は全て知っている人なので、遺書と、私が死んだ際の連絡先を、用意しておくのでお願いすると、頼んである。私が生きている間は、最後の真心で、精一杯愛情を注いで、この四年間の無力の埋め合わせをしたい。私は、玉手に自分が買った中古の家の、二階を貸していた。あの男は、ろくに掃除もせず、犬を増やしてはトイレも設けず、部屋中でオシッコもフンもさせて、ようやく追い出したが二階部分は、大工さんに見てもらったら「廃屋」と言われた。修理費用は、約340万。家のローンは、今月完済した。玉手は、自分が拾った猫も含め、自分が増やした犬も押し付け、母親の部屋に逃げている。携帯の番号も教えないし、母親の自宅の電話番号も変えた。二階には、大きな家具のゴミがそのまま残され、床に敷いていた、犬の糞尿まみれの汚い畳は、7枚、私の山へ捨ててあった。警察は動かない。これも後で、警察の行動を告発する。私は、弁護士を頼んで、二階部分の修理を求めて裁判を起こす準備中。玉手の責任の犬と猫に関しては、恐らく法的には問えないし、いよいよ、自分で何とかしろと詰め寄れば、必ず保健所へ連れて行くに違いないので、こうやって、世間に全てを公表し、社会的責任を、玉手と北原徹也に、追及する為、私は動く。玉手と養父に断っておく。恐らく私の体力は、来年の冬まで持たない。限界が来たら、私は死ぬ。子供の為に、私が命を支払う。しかし、筋は通す。この6年間、活動を始めた責任者のお前たちが、どんな真似を働いたのか告発し、少なくとも、最低限の責任を果たす様に仕向けて行く。他にも、子供たちの為、生きてる間にやれる事は極力しておく。まずは、今に至るまでの、地獄の日々を、大雑把にではあるが、記述した。FC2版 「倫理の進化」http://ainumosiri.blog65.fc2.com/まだ、楽天に掲載していない新しい記事もありますので、合わせてご覧下さい。
2012.07.20
今、私は生きている。そして、数は変わったし、つまりはメンバーが大きく変わったが、犬も、猫も、まだいる。約60名程だ。ここではっきりと真実を受け止めて頂きたい。2006年5月19日以降の活動は、私の責任を持って始められていない。私は、もう無力だった。そうでなければ、あんな辛い思いをして、本当に命を絶とうとしない。私には、助けられたとて、活動出来る力はなかったし、自分に対しても、社会に対しても、活動を行う上での責任の、保証も覚悟も出来なかった。ここまで、何の責任も、公には知らせず、追及もせずに耐えてきた。でも、もう終わりだ。私は今の、犬猫の保護活動の、本当の責任者を明らかにする。私の養父と、他に一人、テレビの報道にも出、週間女性自身(2007年10月と、12月に取材を受け、二回掲載されている)の記事に写真と、名前を出して写っている、玉手と言う男だ。この二人は、私が玉手と地主さんに無理やり助けられた後、もうこれ以上は、私には出来ない。子供たちを新しい場所へ連れて行く力もない。そのお金や、活動を維持するお金を稼ぐ力もない。頼むから、子供たちは、保健所へやらずに薬殺を、私はどうか死なせてくれと、懇願したのを「自分達が助けるから」と、もう出来ないのだと繰り返す私を説得し、全く自信がないと言うにも関わらず、「自分達が協力するから、もう一度頑張れ」と、二人で私の手を引いて、勝手に歩き出してしまった。故に、2006年、5月以降の北海道は、弟子屈、標茶における犬猫の保護継続の活動は、この時の彼らの決断によって再開した。私は、継続を無理やり説得された、ただの被害者だったと今告発する。はっきりと述べるが、私は表立ってはただ一人の責任者に見えただろうが、実際、それまでの経験と実績と、元々の責任者であった為に、どうあがいても、その裏側のやり取りを知らない人間全ての目には、私だけが、責任者として映って来た事だろう。そして、私はこれまで、この二人の責任を、世間から庇って、自分だけが逆風を浴びて生きて来た。理由は、彼らには、何の実績もヴィジョンも信念もないから。ただ、考えなしに事情を全部分かった上で私を助け、動けないほど弱った私の手を二人で引いて、ずるずると私の不安や思いと逆に、後先の責任も考えず、もう、「出来ない」活動を、再開させただけなのだ。父は、お金は自分が協力すると約束した。そして確かに、標茶の土地を買った。だが、自殺するまで弱った私と、その私が働いて、面倒見ていた犬や猫を、私が回復するまで食べさせるには、相当の出費が必要で、その額が把握出来るや否や、奴は私達から逃げ出した。まだ、仕事もなく、全く収入もない私と犬猫を、「助ける」と言って、死なせなかったにも関わらず、今度は生きたまま、生きる術がないと、予め充分に言っておいたにも関わらず、土地を買ってから間もなく、逃げた。私の楽天ブログ、2006年9月11日に、父への記事が掲載されている。その前日の10日が、父の誕生日だったからだ。私はまだ、父が自分の始めた事の責任を、果たしてくれる事を願っていた。しかし、記事の最後の方に、しっかりと、「最近は連絡が取れない」と言う事を書いてある。そう、書いている文章とは裏腹に、この頃私達は既に見捨てられていて、食べ物さえ充分に食べれなかった。携帯に、電話をしてもいつも留守電。メールをしても返事は来ない。たまに、やっと電話に出たと思って、頼むから、生きさせたんだから、責任持ってお金を送ってくれと言って訴えると、何曜日に入金するから、と、約束して電話を父は切る。そして、その約束された日に、お金が銀行に振り込まれる事はなかった。私は、自分の勤め先に、借金をしながら子供達と何とか食べて来た。だから、余計な手助けをするなと言ったのに、と、何度怒って叫んだ事か。この時は、玉手も一緒に憤慨していた。あれでも、幾ら義理とは言え、父親か、と。結局、父は私からの電話にはとうとう全く出ず、代わりに玉手が、お金の事で、父に電話をかける役割になった。玉手からの電話なら、父もたまには出た。でも、相変わらずお金は、殆ど送られる事はなかった。私は、9月15日にお店を先生からあり難くも与えられ、そこで働き出したが、以前のホテル勤務の時は、月給は最低13万、プラス出来高制だったのだが、町中に出したお店での給料は、完全出来高制になってしまった。開店したばかりで、顧客の全くいない店は、暇で、先生も、お客がつくまで2~3年は、辛抱なのだと言っていた。給料は、手取りで月に10万行くかどうか。以前は、ホテルも忙しかったから、毎月13万所か、17~8万にはなっていた。ギリギリだったが、やり繰りするには何とかなった。無理やり助けられ、土地を買うよう進められ、買ってしまったはいいが、子供達を引っ越させると言うのに、その時には完全に逃げていた。現在も逃げている。私が何度電話しても、留守電にしている。この男の話は、後で事実を洗いざらい告発するとして、もう一人、玉手だ。この男、元々単なる飲み友達の一人で、地元では大きな誤解の噂を立てられているが、男女の関係は一切ない。父に、自分がお金を出すから、どこか犬達に新しい土地を買ってやろうと強く迫られ、仕方なく、私は自分が以前、南弟子屈の土地に越す前に、候補地の一つとして紹介された、標茶の土地に、父と玉手を案内する事にした。もう、何十年も使われていない林道は、倒木や雑草に覆われ、道を間違えないだけでも大変だった。よく晴れた日だった。父は、私の自殺が未遂にされた二日後くらいに北海道へ来て、一週間ほどはいただろうか。その間の事だ。目的の土地は、車を降りて、徒歩で約4キロ。半分程行った所で、父がリタイアし、自分は待っているから、玉手と二人で土地を確認して来る様にと言って、樹の根元に座り込んだ。私は玉手とそのまま歩き、ついに土地の前に流れる川の所まで来た。余りに遠く、携帯の電波も全く届かない。その為、土地としてはいい環境だったが、私は数年前、ここを借りる事を諦めたのだ。しかし、父が地主さんを説得し、犬達を処分されない様にしたはいいが、立ち退き猶予は一ヵ月後と言う、無茶苦茶な話だった。私は完全にお手上げだった。ヤケクソで、唯一知っている、すぐに手に入るその土地を教えた。私は、何の自信もなかった。玉手に、川の所で聞いた。あんた、自分が手伝う、体力面は協力するって言うけど、動くとしたら、場所はここなんだよ?本当に子供たち移したら、一人ではここ、世話をしに通い切れないよ?途中で、嫌になったじゃ済まないんだよ?冬は、除雪入らないんだよ?二人だったら、交代でやるとか、何とか出来るかも知れないけど、一人じゃ絶対無理。それで、私はもう限界なんだから、あんたが責任もてなきゃここは買わないよ?半端な事じゃないんだよ、出来るの?途中で止められるくらいなら、最初からやらない方がいいんだからね。「俺が手伝うから死ぬな、死ぬな」って言うけど、本当に出来るの?もう、くどいくらいに聞いたさ。「俺はちゃんとやるよ。投げ出したりしないから。」玉手は、繰り返し約束をした。結局、弟子屈の役場の担当の人にも、父が土地を買い、玉手が手伝うから、処分は止めてくれと言う事になって、そして、私が昔始め、2006年の5月までで、一度完全に終わったはずの活動が、私の不安をヨソに、二人の男の決断の下、再開する事になったのだ。そして、最後まで私は決断を渋った。万一、この二人が途中で止めてしまったら?こんな辺鄙な所に犬を移し、世話を一人で出来る訳はない。私は、自分しか、事犬猫に関しては特にー信用しない人間だった。そして、活動の大変さを、身を持って知っていた。この二人は最後まで、私の様に責任を果たせるか、全く信用出来なかった。自分自身なら、信じられる。責任も、覚悟も持てる。でも、今回始める再活動は、三人の力が揃わなければ、無理だ。一人で出来ないなら、やりたくない。何度も父と玉手と話し合った。しかし、二人とも私に繰り返し説得をした。「やるしかないだろ。」「ここまで頑張って来たんだから、協力するから、最後までやり通せ。」特に玉手はこう言った。俺は、いい加減な所があるから、自分を変えたい。その為にも、自分の問題だと思って頑張るよ。そう二人に詰め寄られて、子供たちの命と、保証を天秤にかけた時、二人の男が言った約束を、信じない訳には行かなかった。と言うよりも信じるしかない状況に、私は追い込まれた。そして、父はわずか二ヶ月の後には逃げ、玉手は、本格的に手伝い出してから、半年持たず、「もう面倒臭い。ボランティアなんてやるもんじゃない。もう飽きた。俺はやりたくない。」を連発した。2006年の5月から、玉手はそれまで、時たま遊びに来た時に、世話を手伝う程度だったのを、仕事の休みの土日、必ず手伝う様になって、その世話の仕方は後で述べるが惨憺たるものだったが、兎に角、私と役場で話し合い、こちらから狂犬病予防法違反で、起訴してくれと頼み、マスコミが一斉に集まり出した、2007年7月までは、そんな感じで手伝ってた。その一年の標茶の山への、犬達の引越し、その前の段階の柵作り、冬のドッグフードを引いた橇引き、等はある程度、楽天ブログに記録してある。「試される大地」と言う、毎年未完に終わった連載だ。最初の冬は、月曜日から金曜日までは、余程の事がない限り、一人で頑張って橇を引いた。玉手は、主に土日のみ、手伝った。マスコミの取材が来て、役場の非常勤職員だった玉手は、自分も活動を手伝ってる旨をテレビで語り、それも手伝って、役場でそうした行動を、批判される事になった。結局、町長から、仕事を取るか、女を取るかと聞かれ(町長の完璧な勘違い。付き合ってません。)、自分は、女目当てにボランティアを手伝っているんじゃないし、一度決めた事を辞める気はないと言って、自分の母親や、私の制止を無視して、退職してしまった。立派だと思うだろう。しかし、これから凡そ五ヶ月程経った2008年の1月には、その言葉をさっさと取り消して、「もう手伝いたくない。役場も辞めなければ良かった。」と、私に平気で毎日愚痴る様になった。だから、最初からいい加減な気持ちならやるなと言っただろうと、私は毎日言い返した。ここまで来たら、「辞めたい」は通用しない。最後まで、責任持たないでどうするのかと。それでも玉手は、「あの時はそう思ったけど、実際やると簡単じゃない。こんなのやるもんじゃない。」を連発し、私は2月にとうとうキレた。もういい。手伝わなくていい。死ぬまで一人でやるから、あんたは勝手にすればいい。本当に奴はそれで逃げた。私はそれから二週間、真冬の最も寒い時、たった一人になって橇を引き、とうとう過労と心労で、胆嚢に砂が溜まって、それが破れて倒れてしまった。約一ヶ月半、私は寝込み、結局仕方なく玉手は動いた。私がようやく動ける様になった4月から、玉手は徐々に、逃げて行った。「やろう、頑張ろう。」そう言って、活動を継続させた当の二人が逃げて、結局、最後まで、私はもう出来ない、やる力がない、と言った私が一人残された。それから、約一年、玉手は一切手伝わず、私は一人で頑張り続けた。「女性自身」を見た、読者のうち二人、共に本州の人だがーが、その間に私達を訪ねてここまで来て、色々起きたが、関わっていた。
2012.07.20
「家はこれ以上は無理」そう、目の前の犬や猫にも、保健所にも、言いたくても言えない、弱い者を見たら、どうしても拒否する事が出来ない、ある意味この世で最も弱い人間は(だって、子犬や子猫よりも弱いから、拒否出来ないんだからね。強いから救ってるんじゃない。弱いから、拒否出来ないんだから、履き違えないで)、どうしてもその子を殺せず、泣く泣く引き取るのよ。泣く泣く助けるのよ。泣く泣く世話するのよ。そして、泣く泣く社会から追い出されるのよ。分かる?私は、そっちのタイプの人間だった。だから、二十歳の頃には、そういう、犬や猫を「無責任」(この世の中で、これ以上に許せない事があるだろうか)に捨てて行く人間達に、完全に目を付けられてしまったと知った時、自分の人生がこの先、どうなって行くのか、真剣に想像しない訳には行かなかった。間違いなく、あるのは破滅。崩壊。自分の体力、気力、そして持ってる土地の広さ、家の中の部屋の数、それから、月に稼げる収入。いつか遠くない日に、それが必ずパンクする事は、容易に想像出来た。ある日、そんな事を漠然と感じ始め、恐怖を覚えだした頃に、また捨て犬がいた。その時、私は自問した。「どうする?」心臓は早鐘の様になって、額から脂汗。顔は、蒼白になっていただろう。保健所か、自爆か。この子を前に、どちらかを覚悟しなきゃならない。もう、限界に近づきつつある。これまで、頭から追い出して来た不安。それが、とうとう向き合って、決着つけないとならない時が来た。「どうする?」翻って、既に保護して来た子達を見た。私の決断は、そのままこの子達の運命も決定してしまう。もしも私が、自爆してもこの子を助ける道を選んだら、今まで助けた子も、諸共最後は、保健所行きだ。私が力尽きたら、誰もこの子達を面倒見てくれないのだから。自分の決断が、全員の運命を決めてしまう。そして目の前には、その決断が、下されて門が開かれるか、それとも門を閉ざされ、自分だけが死ぬ事になるか、私の判断に委ねられた小さな命。どうしようもなかった。私は、先に保護していて子供達に聞いた。ねえ、お前たちの誰も、この子になって、保健所へ送られたくないよね?誰でも嫌だよね?この子も、絶対に嫌だと思うよ。だから、こんな世の中なんだから、諦めて、正しい方向に流されようよ。それは、私達が、後数年で、みんな死ぬって事になるけど。他の人達みたく、自分が一番、じゃなくて、誰かの為に、死ねる人間でありたい。お前たちも、同じ覚悟をして欲しい。この子を助けよう。破滅への序曲が始まる事になるけど、自分を守るよりも失ってならない心や精神が、この世にはあるんだよ。この子を救う事は、お前たち全員を、死なせる事になってしまう。「オール・オア・ナッシング」全部か、ゼロか。全部助けられないから、そんな力ないから、私は初めから、お前たちを救える程の力量も、次々犬や猫が捨てられて来る毎日で、その子たちをお前たちから遠ざけてーつまりは、非道かも知れないけど、保健所でもやって、お前たちだけを、しっかり守って行く様な、割り切りんの出来る、気の強い人間じゃないんだよ。そういう人間の所に、お前たちは捨てられて来た。また、そういう人間だったから、お前たちは、保健所へ送られなくて済んだ。どっちにしても、そこで死ぬ事になるのなら、みんなで、生きれる所まで生きようよ。それで、どうにもならなくなった時、初めて、お前たちを捨てた人間が選択してしまった、「俺(私)は自分が救われたいから、代わりに俺(私)の責任を引き受けて、保健所でガスを吸って死んでくれ。」って言う、処刑の強制を、言われた通り、引き受けるしかない。飼い主のいない犬や猫は、生きてはいけない、保健所へ連れて殺さなきゃならないって法律がある限り、それはどうにもならない事なんだよ。それが確実に誤りであっても、法律を味方につけた人間は、それを実行する権限を、司法と社会によって認められてしまっているんだから。私が生きてる限りは、精一杯、その法律と戦うよ。悪法を、正義の道理で堂々と撤廃出来る様に戦うよ。でも多分、それが出来る前に破滅の時が来るだろう。だから、その時は、私も一緒に逝く。何故なら、お前たちを助けられなかった責任を引き受ける義務が、私にはあるから。今捨てられたこの子を、見捨てれば、お前たちだけは助けられる。そう出来ない自分の為に、みんな死ぬなら、私も死ぬ義務がある。お前たちだけ死なせて、私だけ、非情な決断を、或いは適切な決断を、下せなかった私は、自分の弱さの結末から、せめて逃げてはならないからね。そして何よりも、私は吐き気がする程嫌だった。「その時」が来た時に、私が人間で、この子達が犬猫だって言うだけで、運命が全く異なる事を。私は人間だから、「崩壊」の時が来ても死なないで済むの。誰も私を処刑しない。でも、この子たちは、犬で、猫だから、私と逆に、いとも躊躇いなく処刑されてしまう。同じ命なのに。同じ感情を持っているのに。確かに、私達は、相手を物じゃない、家族として、同じ人生の中で生きて来たと言うのに。私だけが助けられ、この子たちだけが処刑されると言う事は、何としても認められない。法治国家をいい事に、自分達に都合の良い事なら、どんな犯罪も「法律」として、是認している社会の中で、一矢報いず死んでたまるか。この子たちが処刑される時は、私も公然と自殺をしてやる。法律を、好きなだけ乱用し、悪用し、究極の犯罪を許している社会へ、私の命を持ってその罪の断罪をしてやる。私はちっぽけで何の力もない。やってやれる事は唯一つ。この恐ろしい、歯車を止める為に、自分の命を突き棒として、差し込んで社会に考えさせる事だけだ。誰かが殉死者とならない限り、国民は目を覚まさない。命が平等だと、社会に対して言いたいならば、それを身を持って見せなくてはならない。自分一人生き残って、口先だけで、何十年、命の平等を訴えようが、それは単なる机上の空論。行動を伴わない正義に、耳目を傾ける人間なんていない。一生かけて訴えても意味はないのだ。しかし、私が公然と、この子たちが処刑される事によって、それが正義か、悪法か、私の命を持って世間に問うと、言い残して、例えばどこかの大きなビルの上で、拡声器を使って訴え、テレビカメラが集まって来た所で、飛び降りて、社会に問題を提起した上で死ぬのなら、それは少なくとも生きて訴えるよりも、確実に世間の人々を、この犯罪そのものの悪法を、省みさせる切っ掛けは作れるだろう。それで社会が結局変わらなくても、私は、私の正義に殉じて貫く事が出来る。弱気になって、自分だけ助かり、おめおめと、子供だけを見殺しにした過去に呪縛の様に取り憑かれ、卑怯者の私になって、生きるよりは百倍素晴らしい。そんな覚悟の中で、私は自分の道を決めた。それだけの覚悟なしに、行動を実践する事は出来なかった。最初から、死ぬ事を決めての保護活動だった。中途半端だけはすまいと誓った。そして、2006年の3月にとうとうその、来るべき時が来たと納得した。その後の私の行動は、この連載の、最初に載せた、楽天ブログに書いてある「幸福な自殺」の内容の通り。現実はしかし、考えていた通りに行かず、私はビルの上から叫んで飛び降りるよりも、子供の側で死ぬ事を選んでしまった。保健所へ渡せず、家族に子供たちの薬殺を頼んで、先に死ぬ事に変えてしまった。思うより、やってみる事は、楽じゃない。現実には、やっぱり子供を保健所へ渡す時を、生きて見届ける神経など持てるはずもなく、私は親しい人間にだけ、遺書を残して自殺を試みた。結局は、やるだけやった。こんな凍てつく北の大地まで、若い身空で、一人犬猫抱えてやって来て、鬱病になり、生きて行くのがやっとになって、頑張ろうと立ち上がった瞬間、足元を救われ、もう立ち上がる力が戻らず、静かに死ぬのが精一杯だった。そう、誰が何と受け取ろうが、事実は一つ。私は、自分が決めて、自分の責任で始めた活動は、自分なりに決着をつけた。睡眠薬を、一箱飲んで、効かず、手首を錆びた果物ナイフで16回切っても、血管が切れず、最後は、車のマフラーに、ホースを二本繋いで、車にガスを入れて、子供たちが保健所へ送られる事が決定してしてしまい、それを最早変えられる力が自分にない事を悟り、法律に従い、彼らは処刑ー但し、保健所ではなく、獣医師の出す、苦しみのない薬の下の薬殺。そして、保護者であった私は、子供たちと、そして自分自身との約束通りに、自分で命を絶つ。私の力が尽きたので、それ以上は続けられない。その日を持って、私の責任で始めた活動は、全て終わった。それが、2006年の、5月19日の事だ。
2012.07.20
1998年の9月。笑っちゃうんだけど、私が最終的に北海道も候補地に乗せたのは、この時を同じくして、閉校した、「マッキー国際学園」が関係していたから。自然、野生生物の専門学校だったこの学校。ある事が縁で、ここの生徒さんと、電車の中で知り合って。話を聞いてみたら、どうしてもこうしても入学して勉強してみたくって、「子供(犬猫)いるし、毎日フルタイムで働かなきゃいけないのに絶対無理」って言う現実を分かっていながら、自分の人生をずっと捨てて、人間の贖罪ー尊い命をゴミの様に捨て、「処分」すると言うーを、肩代わりして償う日々だけだった私には、ここで勉強してみたいと言う夢が出来てしまった。東北を探したのは、この学園が全国に15校程あって、うち一つが、確か宮城県の仙台にあったから。で、その周辺の土地を探したけれど、見つからず、暑さに弱く、寒い方が得意な犬の事情を考慮すると、もっと西や南方へ下ると言う事は適切だと思えず、最後に残った最北端の、マッキー国際学園が、札幌にあったんです。それで、1998年9月。当時引越し資金を稼ぐ為に働いていた六本木のクラブに、二週間くらいの休みをもらって、子供を母や弟に頼んで、初めて北海道へ来たって訳です。札幌には住みたくなかったからー市街地がどうにも好きになれないし、犬や猫がいたら、とかく問題が起きやすいし、なので札幌周辺の町や村を、しらみつぶしに探して、とうとう、洞爺村に条件にほぼ合う土地を見つけ。ガーーーンと。結局、一番行きたくなかった北海道への移住になってしまったかと。それでも、二年以上引越し先を探して探して、見つからず、それがこの二週間で、いとも容易く見つかってしまったからには、私は北海道へ来る運命なんだなあと、観念して、東京に戻って来た。その足で、川崎に住んでた母の所へ移住先が決まった報告をする為に、車は千葉へ置き、電車を乗り継ぎ、駅から疲れてたんでタクシーに乗って、ラジオを車内で聴いていたら、ニュースが流れ、「マッキー国際学園が経営困難を理由に閉校」されたと知った。嘘一切なし。タクシーの中で、脳みそも世界も真っ白になったもの。だって私、絶対専門学校なんて、子供達世話しながら、フルタイム働きながらで、通える訳ないと思いつつ、手が勝手にマッキー国際学園の、学校資料請求をしちゃっていたし、それが送られて来て、その授業内容の面白さ、また、研修旅行先の一つに、オルカ研究者の第一人者、ポール・スポング博士の暮らす、カナダのハンセン島なんてのがあって(イルカ、オルカ、クジラ大好きだから)、頭が完全に麻痺してしまって。入学金とか見てみたら、論文一つ書いて、優秀なものであれば、入学金が、確か20万ほど免除されるって書いてあって、まあ、自分の立場も考えず無責任な事に、論文一筆書いて、気がついたらそれを郵送してしまってて、後日、青空と雲をイラストした「合格証書」をもらってしまった私は、二年間、意地でも働きながら、子供世話しながらこの学園に通う、って、覚悟を決めてしまっていたんだもの。それが、北海道まで行って、札幌校に通う為、割合札幌近郊と言える、洞爺村に土地をほぼ決めて、帰宅して正式な手続きに入るぞと、東京に戻ったその日にタクシーの中で、学校閉鎖のニュースを聞いたんだから。そりゃあ、気も遠くなります。あの瞬間の事は、忘れようもないな。寒いくらいだった北海道から、暑い東京に戻って来て、川崎の実家へ向かう、日中のニュース。ただ、挫折や試練慣れしてたので、気を取り返すのはすぐに出来た。もう、マッキー国際学園がなくなっても、私達には移住先が必要だったし、それが二年、本州を探して見つからず、北海道へ行ってすぐ見つかったなら、私達の未来は北海道にあるって言う事なんだろう。それまでの私の苦労の中で、唯一足らないものは、「環境が厳しい所での生活」だった。虐待に耐えた。究極の貧乏にも耐えた。人間の底意地の悪さも滅茶苦茶に味わった。ただ、温暖な環境下でしかまだ暮らした事がなく、私には、生きる事自体が過酷な、そういう所での生活の経験がなくって、それは、人生に不可欠な大事な経験だと思うし、自らそういうものを求めなくては、開ける道も開けない。そんな覚悟が出来ていた。結局、マッキー国際学園がなくなった為、私は洞爺村の土地は考え直す事にした。北海道を移住先にする覚悟はついた。学校がないなら何も、札幌近郊に的を絞る事はなかった。なので私は、改めて、確かその二ヶ月後位にー再び北海道へ軽自動車でやって来て、道内をあちこち見て回った。弟子屈を選んだのは、私ではなくて、死んだ吹雪と言う犬。私の父親代わりだった。写真の中の吹雪が、ここを示した。で、私はもう、北海道を色々見て回って、何がなんだか決められない程土地を見て、吹雪の言うここが、調べてみると、冬場、北海道でも雪の少ない地域(その為、北海道内でも指折りの寒い地域だと言う情報は当時なかった)であるのを確認し、ここに決めたんだ。摩周湖には、一目惚れしたし・・・。そう、ここに来るまでの経緯は、ほんとーーに、ざっと話すとこんな経緯。で、1999年の7月に北海道まで単身来た時、私はまだ26歳。こっち来て、二ヶ月しないで27歳になったけど。まあ、本当に苦労しました。寒い、凍れる(シバレル)、道民の風習や世界観や、考え方の違いに慣れられない、気の合う人間がほぼ全くいない、(ここは、パチンコしない人間は、友達見つけるのが難しい)兎に角信じられない寒さと孤独。移住して、4ヶ月目には鬱病になっていた。それは、自殺する1年前まで、6年は続いた。治って初めて、自分が鬱病だったと知ったんだけど。まず、鬱病ってよく知らなかったから。一度、心療内科に行ってみたら、札幌の病院紹介された。行けますか。350キロは離れてるんだから。怒るよ。自殺するまでの約1年が、何だかんだと、一番楽しく、少しずつここに慣れ始めて来れた頃だった。そう、完全に回復した訳ではなかったけど、回復始めていた。だから、時に落ちたり浮上したり、でも、確実に良くなって来始めてた。そして、本気でそろそろ改善出来ると、気持ちがしっかりし始めて、仕事の休みにはアルバイトもやって、子供達の避妊、去勢費用を捻出しようと、頑張り出した二ヵ月後に、出て行けと言われた。その、理由は後回しにして、先に白黒はっきりさせておきたい事があります。私は、犬猫の保護活動を、いつから始めたのかって言うと、正確にいつを基準に考えたらいいのかは分からない。ただ、「保健所へ連れて行かれるから。」「子犬生まれてお父さんが、貰い手いなかったら今日中に子犬を殺すって言われて。」そう聞いて何かしなければ、助けないとと思った時、あれを私の活動の萌芽と言うべきなんじゃないだろうか。川崎にいた時、あの頃はまだ、本物の活動ではなかった気がする。私には、まだ余裕があったし、大家族にはなっていたものの、自分自身の命の危機を、感じるまでにはなっていなかった。それでも確かに、18歳になるまでに、多くの命を背負って歩いてはいた。千葉。ここで私は、本当に、捨て犬や猫を救う事を、これまでの様に何も考えず、当然の様にして行く訳にはならなくなっている事を感づいた。私達が暮らす山荘は、人目につきにくく、格好の、犬、猫、捨て場になってしまったのだ。千葉に移るや、家の前は、年中、子犬や子猫から、捨てられる様になった。二十歳になる前には、このままその子達を助けていたら、最終的に自分がどうなるか、自分が面倒見ている犬達が、どうなるか、真剣に考えなくてはならなくなった。捨てて行く人間は、間違っても考えはしない。捨てられた人間が、自分が捨てた犬や猫を食べさせる為に、どれだけ働かなくてはならないかなんて。その為に、色んな事を、人生の中で諦めていかざるを得ないかを。ただ、自分が楽になる事しか考えていない。自分の責任の犬や猫を、保健所ではなく、拾ってくれそうな人間の家の前に捨てた事で、自分を許してさえいるだろう。その人と、犬、もしくは猫の物語はそれで終わり。でも、物語は続けられる。捨てた連中には読まれる望みもない物語。その後の、押し付けていかれた人間の苦悩。生活費と言う、究極の現実問題。女の細腕で、一体一月、幾ら稼げる?しかも、捨てられて、また増えた犬や猫の面倒を見ながら。そして、大勢いる犬や猫の中で、いじめられたり、勝ち抜いたりしながら、生きて行かなくてはならない、犬や猫の苦労。捨てる連中は一切考えない。彼らは、そういう行為を見聞きしても、問い質さない社会の中で、のうのうと、他人の人生を滅茶苦茶にしている事も自覚せず、笑って生きてる。私が、北海道まで来て、零下30度の中で凍死しかける様な経験をする羽目になったのは、全てこういう人間達の行為の結果。知らないでしょう。あんたは、ただ、犬を、猫を、一頭、或いは数頭、「好きで沢山飼ってる」人間の家の前に置いて行って、「可愛がってもらえよ。」と言って、捨てる「役目」を果たしたとしか思っていないでしょう。お前たちは、人の人生を変えたんだよ。人の人生から全て奪い取った。目の前に命を捨てられて、もう助ける力もないのに、目の前の子を、文字通り殺す施設に、電話する事を「出来ない」、どうしても、出来なくて、代わりに自分の人生を、犠牲にして泣きながら助けるしか選択の余地がない、弱い人間の人生を滅ぼして来た。私みたいに、どうしても、どれだけ追い詰められた状態でも、目の前に命を捨てられて、自分の意思で、手を取って、保健所へ「家の前に犬(猫)が捨てられているので、引き取って下さい。」と、電話を掛けられない人間は、あんたらの為に、働いて得たお金を、自分の楽しみや趣味の為に使う代わりに、あんたらの捨てた犬や猫の食費に充てて、病院代に充てて、挙句に、あんたらがどんどん捨てて来るものだから、今度は近所から、あんたらの為に苦情を受けて、いびられ、家に石をぶつけられたり、怒鳴られたり、カラスの死体を放り込まれたり、それはそれは凄まじい嫌がらせを受けて、結局、あんたらが捨てて行った犬や猫の為に、それまで住んでいた家を捨てねばならず、身近な友人達と別れて、見知らぬ土地へ、お金を必死で稼いで一人、移らねばならず、普通の人間らしい、平凡な生き方の何もかもを諦めねばならず、そうやって、お前らが捨てた犬や猫の命を守って行かなきゃならないんだ。少しは分かるだろうが。あんたら捨てて行く人間は、選択してるんだ。捨てる相手を。如何にも、この人間だったら、家の前に捨てておけば、保健所へやれなくて、面倒見るだろう、そういうある意味で心の弱い人間を、的確に選んで捨てて行ってるんだから。その通りだよ。普通に家を持って、そこで何頭かの犬さえ飼ってたら、大抵の人間は、「犬や猫を捨てたいと思ってる」人間に、目を付けられる。捨てる卑怯者達は、本当に卑怯だから、自分で保健所へ連れて行く度胸もない。だから、救うも、それが出来ないなら、自分の代わりに保健所へ引き渡す役割も、押し付けてしまえばやってもらえる、赤の他人を選んで捨てて行くのさ。「家はこれ以上飼えないから」と言って、そういう真似をされても、心を鬼にして、可哀相だと思っても、保健所へ通報出来る人間ならまだいいよ。自分の生活をきちんと守るから。ただ気の毒に、その人間は、あんたの代わりに、罪もない犬や猫を、保健所で殺処分させたって不条理な自責の念を、ずっと忘れられずに、保健所へ自分がやった、他人の犬や猫に対して、申し訳ないと、思いながら、生きて行かなくちゃいけないんだけどね。
2012.07.20
もう、全て告白する。2006年、5月19日。私が自殺決行した日だ。この日を持って、正確には、この結論に至った、2006年の確か3月。ああ、間違いない。3月だ。この時、私は自分の活動の、終焉を受け入れた。私は3月3日に、仕事中に高熱を出して倒れた。その日は、友達とみんなで、夜中に「カレーパーティー」を行う予定の日で、私だけぶっ倒れ、バスを改造して当時住んでいた自宅に帰れず、友人宅で寝込み、その夜中、隣の部屋で3人の友人が、予定通りカレーパーティーをやっていたんだもの。発熱の理由は、風邪でも何でもなく、ただのショックからのものだった。土地を借りている地主さんから、犬達を連れて出て行く様に。と、いきなり通告されたのだ。出来ないなら、犬は3頭くらいは残していいから、他の犬は全部保健所へやる事。これが条件だった。私はショックで熱を出し、仕事には何とか行ったものの、ぶっ倒れた。私が当時住んでいた、南弟子屈の土地は、2001年の10月から借りたもの。私が捨て犬や猫と共に、それまで住んでいた千葉から、北海道へ移住したのは、1999年7月28日。この時期に咲く花で、一番身近な野花。ルピナスの花が、丁度咲き終わろうとしている頃だった。以前の報道で、何故か私は2001年に北海道へ移住した事になってらしく、ってちょっと待って。私は自分の報道を殆ど全く見ていなくて。だって、テレビに自分が映っていたら、ギョッとするでしょう?私の犬の事について、釧路新聞と北海道新聞に掲載されて、北海道新聞による捏造で、私の身辺が大変な騒ぎになった。その記事しかまともに見てない。読者の反応を煽る為、事実に捏造を加える様な事を、北海道新聞社と引き換え、一切しなかった、釧路新聞社に感謝した。それはおいといて、マスコミの報道では、犬が140匹いたとか{いないっての。そんだけどうやって食べさすの。支援募集もしてない個人活動家が}仕舞いには、私の犬猫保護活動は、北海道に移住してから始まったとか、適当な想像で視聴者に伝えられていたらしく、ネットでたまたま私の事を書いた見知らぬ人のブログから知ったんだけど、犬や猫の為じゃなかったら、北海道には生涯で一度も来る事なかったわ。私は子供の頃から、寒いのが一番苦手で、夏の最中すら、北海道に来たいと思った事は一度もない。暑い夏、大好き人間だったから、「避暑」なんて脳みそかすった事もなかったわ。悪いが一年の3分の2を、冬の気温で過ごさなきゃならないこの土地に、憧れた事も、興味を持った事も、旅行に来たいとさえ、思った事は一度もなかった。「北の国から」なんて、ドラマで見てもいなかったよ。人気あるテレビドラマって事しか知らなかったんです。私は、東京で生まれて育って、15歳の時に、バカ父親の作った借金清算の為、大田区の蒲田の1丁目、蒲田小学校の目の前にあった自宅を、バブル当時だったから、バカ父親のバカ母親が、確か二億で売ったの。その時、私の犬が3人いて、(吹雪にチビにリキ)最初土地を売ってマンション買う事になっていたんで、この子達を保健所へやる、と、私を散々虐待してくれた祖母が言い出して、親戚のおじさんが怒ってくれた。「あんたらそれでも人間か。」って。家はこの祖母と伯母と父親と愛人のお陰で滅茶苦茶な家庭だったから、私には犬しかなかったんだ。それを全部知っているおじさんが、ここまで直接関係者ではないから、意見や口出しは控えていたのに、私を虐待していた上、私の命綱となっていた、犬達を保健所へ送ると言う決定を聞いて、初めて怒って私達の家庭問題に踏み込んで来た。それまで、周囲の見て見ぬ振りの中で、やりたい放題の虐待を、誰にも咎められないとの慢心の下、やらかしていた祖母達は、初めてひるんでそれはバツが悪そうに、態度を訂正した。で、私は犬の為に、川崎で安い一軒家を見つけて(自分で探した)、独身の伯母と一緒にそこに引っ越した。1987年だと思う。中学を出てすぐだった。ま、この話は後にしよう。兎に角、その川崎に行く前で、既に「保護」の意識は確実に芽生えていた。川崎へ越して、保護が現実的になって、それから近所の嫌がらせ。そして千葉へ引っ越した。私が18歳の時。1990年かな。確か、丁度七夕だったのを覚えている。川崎を出る時には、最初アメリカ移住を考えて、何故なら土地が安くて広いからね。犬達に、でっかい柵を作って、思いっきり走らせてあげれると思って。その、18歳になった年の冬(私は9月生まれだから)、実際にアメリカたった一人で行ったもの。センチュリー21、えーっと、蒲田の近くの東矢口かな?アメリカ系の不動産会社なんだけど、そこに現地と渡りをつけてもらって。色々考えて、「語学留学」と言う形で行ってしまえと。後は、現地で兎に角誰でもいいから、ビザの有効期間に結婚しちゃおうと思ってた。そしたら、離婚しても(って言うか打算婚だから、結婚したら、即離婚したかったけど)グリーンカードを貰えるから、そのままアメリカに住み続けられるし。もう、日本なんてこりごりだったの。犬を何だと思っているのかと。で、語学留学出来るNYからほど近い、ニュージャージー支店の人と連絡を取って貰って、英会話のジオスに週四日、マンツーマン授業で付け焼刃の英会話を2~3ヶ月勉強して行きました。でも、アメリカと日本と、土地の買い方とか色んな違いがあって、結局アメリカ移住は諦めた。で、仕方なしに関東近辺の田舎を探し回って、そう、毎日不動産屋巡りだった。収穫なく、疲れて帰って来ると、普通に高校生やってる幼馴染から電話があって、バイト先の男性に片思いしてるけど、どうしようって言う。何て同い年で、抱えてる悩みが違うんだと脱力してた。そう、それで千葉に山荘を1200万で見つけて勝手に、川崎の家を担保に入れて、不動産屋と仮契約を取って、そこで初めて我が家の名義人で、まだ、その前に死んだ祖母の遺産が多少銀行に残ってる(殆ど私が犬の為に勝手に引き出したけど)伯母に、「ここ売るぞ」と。伯母は、とっくに犬だらけの家が嫌で、私を置いて東京に戻ってマンション借りて、一人暮らししていたからねー。ああ、何でこんな事から説明してかなきゃならないの。今、やっと仕事もなくて時間あるのに。こんな事書いてて、肝心の玉手と、私の養父の、やった事を書かないうちに、また仕事に追われたらどうするの。でも、大まかにでもいいから、筋追って書かないと、後から説明だと余計に面倒だからー。ああ、心臓に悪い。苦しい。兎に角、もう伯母は住んでなかったから、伯母のマンション行って、伯母の首に包丁突きつけて、金を出すか、命と金の両方出すかと尋ねてみた。罪悪感なんて、微塵もなかったけど。この人には相当の虐待を受けたからね。私にしてみたら慰謝料を、当然払ってもらいましょうか、くらいの気持ちしかなかった。伯母も、ずっと17歳で私が、「復讐」を、唯一自分が生きる理由にして耐えていたのを止めるまで、「復讐の為に殺す人間リスト」の一員だったから。それで、苦労して結局川崎の家を売り払い、残りのローンの保証人にさせて(まだ私18歳の時)、千葉の田舎に山荘買って、苦労して犬を連れて移住した。ここが私の初めての田舎暮らし。ここに確か、7年程いたと思う。そこで更に捨て犬た捨て猫をどんどん置いて行かれて、そこでも犬や猫の鳴き声や匂いの為に、近所の嫌がらせは凄まじく、とうとう私は、もう一回引越しを余儀なくされて、またしても田舎の土地物件を見て回る事になった。危なかったと言うか、去年の東北・東日本大震災の被害にあった、福島、宮城は、特に引越し先として、探し回った所だった。テレビで被災した市町村の名前を見て震撼してしまった。いずれも、私が住もうと思って実際に行って探してみた土地なんだから。結局、東北に全く条件に合った所が見つからず、ある切っ掛けからようやく移住先に、北海道が候補地として浮上して来た。自分としては、清水寺の舞台から、三回飛び降りる覚悟が必要だった。日本の誇る寒冷地。冬になると、大地が完全に凍りついてしまうと言う、寒いのが弱い人間には、想像したくもない苦手な地域。新潟まで車で行って、フェリーに乗って、初めて北海道上陸(北海道の人達は、とんでもない人間の移住を許してしまって可哀相・・・)。
2012.07.20
世間から、取り上げられてもられなくてもー私はここで、二人の人間の罪を公表したいと思います。社会では、とかく無視されがちな、虚しい正義の為に。話は今から六年前に遡ります。六年前の、5月に、私は生まれて初めて、本気で自殺を決行しました。しかし、飲んだ睡眠薬が、全く効かずに失敗し、その二日後、再度決行。この時の詳しい経緯、そして事情は、楽天ブログで、丁度一年後に掲載してあります。「幸福な自殺1~3」 http://plaza.rakuten.co.jp/yaieyukar/diary/200705190000/ http://plaza.rakuten.co.jp/yaieyukar/diary/200705210000/ http://plaza.rakuten.co.jp/yaieyukar/diary/200705220000/私は、この少し後の2006年7月から、楽天にて生まれて初めてブログと言うものを始めて、ネットを通じて多くの人と関わって来ました。その関係から、道内は許より、遠く本州からも犬や猫の保護に関心を持つ人々の訪問を受け、また、テレビの特集、後に狂犬病予防法について、当時の弟子屈役場環境衛生課の方々の理解の下、反対を唱え、並びに当時の弟子屈町警察の担当の方々の信頼と理解の下ー(彼らは法に殉ずる立場を貫きましたが、同時に自らが遵守する法律が、悪法と呼ばれて否定できない事を、十二分に理解しておられました。少なくとも、私はそう思っております。そして、それ故に、法律を敢えて違反する私を、告発、取り調べる立場でありながら、非情に誠意的に対応をしてくれました)、逆説的ですが、彼らと主張を断じて異にして、それが多くのマスコミの目を引き、結果我々の主張、考えの「一部」が、日本中に報道されました。楽天ブログで、こうした騒動以前からお付き合いのある方々、報道以降、お付き合いが始まった方々、また、私と直接、実際のやり取りないままに、ネットで私の事を取り上げられる方々、大きく分けて、三つの組に、組み分けされますが、勿論、私が自殺未遂となった後からの事を、最も詳しく存じておられるのは、ブログ開始当初から、リンク頂いていた方々です。その方々の中でも、特にきちんと、毎回面倒な私の長文ブログを読んで下さっている方は、このブログが、私自身の犬猫保護活動の日々を伝えるブログではなく、このブログは、私の命の平等に対しての、主張と思想を訴えるものであると、明記したのを理解下さっていると思います。事実、「試される大地(いずれも未完)」の連続ドキュメント記事以外、私が活動の苦労を述べた記事は、一つしかなく、そしてそのたった一つの記事を切っ掛けに、私の最も恐れていた、「支援活動」が、始まって、ブログは結局大混乱になってしまったのです。私がこれから告発する事は、これまで一切表に出して来なかった、「私が子供の頃より自発的に始めた保護活動」ではなく、私の意図を制して始まった、六年前からの、「他人による半強制的な活動」の事実の全てです。六年間、私は口を閉ざして来ました。最も辛い現実に対して。今、全てを白日の下に晒したいと思います。正義の為に。犠牲となった多くの犬猫と、そして全ての苦痛を引き受けさせられた、私自身の悲鳴の下に。しかし、私は今、この六年の間で、ある意味最も時間がなくて、これまでの様に、一気に記事を書き上げて、発表する手法が取れません。一日、或いは数日の間で、こうしてパソコンに向き合える時間は、1~2時間しかなく、文章を構築するにはとても充分とは言えません。不定期掲載になりますが、ここでこれから公表する事実は、私が今月中には、裁判所へ、訴状を持って行く中身となるので、なるべく日を置かず、記事を綴りたいと思います。ここまで記事を書くのに、1時間程かかりました。その前まで、仕事と犬猫の世話をしておりました。明日も、少しでも早く起きて、彼らの必要な世話を行わなければならない為、今日は、何も核心に届かないまま、「筆を置かせて」頂きます。これまで私は、こういう連載形式の記事については、自ら読み返して、記事の起承転結が感情で壊れ滅茶苦茶になっていないか、出来るだけそうならない様、確認してからネットに載せる為に、全ての記事を書き終えてから、一挙掲載、と言う形を用いて来ました。しかし、今回は、そういう時間の余裕もありません。起承転結が入れ替わろうと、全てを書いて、それが寿命ならー、死にたいのです。文脈が滅茶苦茶になるかも知れません。既にその傾向がここで見えています。読者の皆様、どうか今回は、論理立った書き口で、お見せ出来ない記事をお許し下さい。明日、定休日ですが、バイトも入っています。続きは明後日になると思いますが、明後日更新出来る、保証も出来ません。倒れて眠ってしまうかも知れません。今の自分のままのブログを、初めて書きます。お許し下さい。
2012.07.07
相変わらず遅筆でお恥ずかしい限りです。日常生活が限界に来ていますので、そろそろ色んな整理を、出来るだけつけておこうと思っています。只今、犬猫の世話は全部一人でしております。仕事も、毎日しております。アルバイトもしています。四年前、これを一年一人でやって、倒れて死にかけました。手術を受けて助かりましたが、次の自信はありません。なので、潔く最期は死ぬ覚悟で現在臨んでおります。私が過労死した後、子供達が無事里親を見つけられる様に、確実に準備をしている最中です。こういう現状と、今後の推移によっては、ブログを書ける限り続けるに辺り、様々な問題がコメント欄が存在すると起きかねないので(過去の経験から)、楽天ブログは停止して、コメントの承認制が出来る、FC2ブログへお引越しをさせて頂きます。読者の方のコメントを全て拒否するのが本意でないのと、翻って野放しにすれば、ネット依存の住人のお楽しみは何なのか、熟知している為に、コメント欄の、管理を徹底致します。これまで炎上は相当数経験しましたし、その中で、特定少数の成り済ましコメントが非常に多い事、また、コメント欄上で、投稿者同士の争いに発展する事。こういう面を考慮して、楽天ブログでは充分な「嵐」(正当な批判や意見は別として)対策が取れないのは明白です。FC2は、コメントが承認制なので、ユーザー以外でもコメント頂ける事、また、コメント頂いた方のIPアドレスが確認出来る為、複数のHNを用いた成り済ましコメントの投稿を避けられる事、最後に、コメント欄での投稿者同士の争いを、掲載される前に未然に防ぐ事が可能です。その為、FC2へお引越しをさせて頂きたいと思います。しかし、私はネット知識が不足で、このブログをそのままFC2へ移動出来ないので、このブログはこのまま残させて頂きます。楽天さま、並びに楽天ユーザーの皆様、長い間お世話になりました。新しいブログのアドレスは、こちらです。http://ainumosiri.blog65.fc2.com/遅筆になりますが、今後とも宜しくお願い申し上げます。若樹 拝
2012.07.04
「倫理の進化」は、「終章・2」で、一応の終わりは告げたものの、まだ時折あった、当時の方々との軋轢が残り、時たま更新しておりましたが、ここに後ほど告げる理由を持って、正式な再開を宣言致します。ただ、ブログの更新に関しては、以前の様に、頻繁な更新ではなく、月に一回程度のものになるかも知れません。それと、合わせてユーチューブを使うと考えています。私のブログの難点は、文章が長く、難解な内容である事。その為、読解力のある方のみしか、内容を完全には把握出来ず、斜め読みして、的の得てないコメントを下さる方が多い事でした。その問題を解決する為に、ブログで伝えたい内容を、デジカメの録画機能を使って、声だけ録音し、ユーチューブ上で公開したいと思います。既に、ユーチューブのアカウントは作ってありますが、通常15分の動画しか投稿出来ず、もっと長い録画の場合は、携帯のアドレス登録がいるのですが、中々これがうまく行かず、苦労しています。逆に、長すぎても記憶に残らないので、15分、15分で、連作でまとめようかとも思っています。いつ出来るかは、今の所断言出来ないので、今月中に行う事を目標にしています、としか今は言えません。ユーチューブで公開した際には、当ブログで告知させて頂きます。それでは、倫理の進化、再開の理由をご説明致します。私は、このブログで書いた通り、2006年の5月19日に、自殺を図りました。その一部始終を書いた記事は、2007年の5月の日記に掲載されています。その後、先月の8日に至るまで、実に6年間、私は人生で初めての、本当の挫折の中にいました。このブログを始めた時から、様々な記事を書いていた間、山へ通っていた間、生きていた時間、実は全て、挫折の極地で溺れていました。4月8日深夜、昔からの読者の方はご存知でしょうが・・・私のトーテム・アニマルの狼、その狼を祭った神社から、救いの手が私に向かって来ました。その瞬間、私は遂に、6年に及んだ本物の挫折から、一気に立ち直りを始めました。今は、気力はほぼ自殺未遂前と同様程の、いい状態に戻っています。ただ、体をこの6年から遡る事、凡そ10年で、ボロボロにしてしまい、現在、一日ずつ、回復を待っている所です。その回復の為、子供たちの問題とは、別の生き甲斐を見つけ、更なる免疫の向上に努めています。ブログ再開の、本題はここからです。倫理の進化、終章二番目の、10連作の記事を、読破なさった方は、少ないと思います。要約致しますと、「現代の文明の有り方は、地球の生き方にそぐわない。命の道を外れた文明は、必ず地球に淘汰されるので、今の生き方を見直し、汎神論に基づいた、正しい文明を改めて作り直すべき。ネイティブ・アメリカンのホピ族は、もう何十年も前から、このままでは、人類は地球に大浄化されて、殆どの人類が天災に飲み込まれる事を警告しています。但し、人類が己の過ちに気付き、生き方を変えるなら、大浄化の粛清は、行われずに済むだろうと。ホピの予言では、大浄化のタイムリミットは、「人類が空に家を完成させる時」宇宙ステーションの事です。現在、数カ国で共同して作っている宇宙ステーション。あれが完成する前に、少しでも人間の意識が変わらずば、大粛清が行われます。」昨年、日本で未曾有の大震災がありました。大事な事をお伝えするので、聞く耳を持つ方は、しっかりとお心に留めて下さい。お願いします。地球。そう呼ぶと、皆さんは漠然とした印象しかないと思うので、この地球を、一つの人間以上の、神に等しい、一人の知的生命体と仮定し、その性別を女性と更に仮定して、名を「ガイア」と呼ぶ事にさせて下さい。私達は、ガイアの子供です。他の全てのこの世界の生き者、それらも全て、ガイアの子供です。ガイアには人間以上の知性と感情があり、現在の人間の在り方を、酷く嫌っています。ガイアは、自分の子供達に、種ごとの優劣は認めていません。どんな命も等しく、彼女の子供であり、その子供達が、共存する事を願っています。しかし、人間は、それを滅茶苦茶にしました。これまで、ガイアは過去数度に渡って、人類を気付かせようと試み、それが失敗に終わる度、正しい生き方を見失わずに耐えて来た人間のみを、安全な場所へ移動させ、残りの、今の現代人と同じ状態を作り出して、ガイアの教えを無視する人間を、大浄化と呼ばれる天災で、滅ぼして来ました。今回で、恐らく5回目程のはずです。さて、日本です。ガイアに於いて日本は、世界のセンサーになっています。ここが、ガイアの臍に当たります。ここからガイアは、本格的な警告を始めます。ガイアは、自分に意思がある事、それを何より人類に気付かせる為に、分かりやすい語呂合わせなどの、タイミングを用いて行動を始めます。例えば大天災の起きた日付の語呂合わせ。例えば、宇宙ステーションの様に、この星にもう作って欲しくない、非自然的な建造物が、完成する時。私達が住んでるこの日本は、正にガイアの意思を、世界に伝達する為の発信源にされています。日本への大天災の警告を持って、世界中に自分の存在と、その怒り、そして心を、伝えようとするのです。私はこれらの事を、20歳の頃から、千葉で頭に落雷を落とされる様に、ガイアから伝えられて来ました。それから、今後何が起こるかを知る為、様々な予言を探しました。ホピの予言を知っているのは、その為です。23歳か、4歳の頃には、それを確認する為、実際にアメリカのアリゾナ州にある、ホピ族の居留地まで訪れました。私の目標。犬猫の殺処分撤廃。これは、私の得意分野から社会の精神を変えられる、一本の道であった為、私は大浄化を防ぐ為、これに命を賭けて来ました。どの扉から入ろうとも、人類が、終章・2で引用した、バリー・H・ロペスの言葉の様に、自分達が中心でない世界を考えると言う事は、遂に人類が、人間中心の世界観を変え、この地球の子供の一人に戻る事(文章の詳細は違いますが)を意味するのだ、と、言う、意識の地点に到達出来る、と言う事なのです。なので、私はブログのタイトルを、「倫理の」 「進化」にしたのです。今、遂にこうした本心を打ち明かしたのは、このままでは間違いなく来る、大浄化を避けて、一人でも多くの人類が救われる為です。私が間に合わない事も、ガイアの計画では決められていたのでしょう。そして、然るべき時に、狼を動かし、私を蘇生させました。また、私以外にも、この大浄化に合わせて生を受けた、一定数の人間達が、同じ事を今叫んでいるはずです。その人達の声も、可能なら、合わせて聴いて下さい。皆さん、ガイアの次の警告が、日本に迫っています。原発の様に、皆さんは、第二発目の警告が成されるまで、私の呼びかけを無視し、或いは哂う事でしょう。この警告は、次に来る二回目の、ガイアの警告を止めるものではなく、「三回目」の警告を、日本が受ける前に、日本から、生き方の思想が変わって、世界中に伝播させる為に書いています。三回目の警告を受けた時には、日本は殆ど消失をしてしまうと思います。その時、ほぼガイアは、人類に見切りをつけて、大浄化に踏み切ると思います。次の警告は防げません。二回目の警告を逃れた人々は、その時、私の話を聞いて下さい。明言しておきますが、ガイアは人類を滅ぼそうと望んではいません。むしろ、その逆です。何とか気付き、地球での人類の正しい生き方を学び、生き延びて欲しいと願っている。その為に、彼女の意思を示す為に、警告として、日本で天災が繰り返されます。ガイアを恨まないで下さい。日本に生まれたのは、私達の意思です。私達日本人は、世界を滅ぼす事と、取り戻す事が出来る重要な地域に、自らの身を置いたのです。先に昨年、ガイアの警告を、命を持って残した人々の、死を無駄になさるな。あの、同じ日本人の、命の犠牲を差し出しての警告を、どうぞ正しくご解釈下さいます様に。あの天災以来、「絆」と言う言葉が広く流布されています。正しい事ですが、残念ながら、まだ日本人は、「絆」を取り戻す相手が誰なのかを、理解出来ていない。なので、二回目の警告が成される事になっています。絆を取り戻す相手は、「自然」です。人間同士ではなく、「人間と自然の絆」です。お間違えのない様に、お願い致します。それと、ガイアは人選を行います。ホピの予言でもある様に、地球との繋がりを見失わないで生きていた者だけが、最悪の場合、最後に残されて、それ以外の人間は粛清されてしまいます。日本に於いてのガイアの警告である天災の犠牲者は、この段階では必ずしも、自然との共生を怠った人々ではないと言う事を明言したいと思います。今は、大浄化の前の警告なのです。その為、生きて新しい世界を築く事よりも、死んで同じ日本人にガイアの意思を伝えようとし、自ら犠牲になった人が多くいらっしゃる事を知って頂きたい。前回の大震災も、次に予定されている警告も、多くの善人が、自ら志願して、世界の転換の為に命を捧げるのです。亡くなった人々が、命を賭して、何を伝えたかったのかー。どうか、三回目の警告の前に、それを伝える事が、可能であります様に。まずは、以上です。兎に角、かろうじて生き返った北原より、責任ある立場に置かれた、日本の皆様へ。追記・人類が生き方を変える為の答えは、私のブログの2008年1月23日に書いた三部作、「神謡・カムイ・ユカル」に記してあります。このブログを見て、何かを感じた方は、それを読み直して、心に留めて下さい。どうか、そして、次のガイアの警告から、生き延びて、次の私の話を聞いて下さい。勿論、出来たら終章・2の方をなるべく読んで頂きたい。文章が苦手な方の為に、こちらではその内容を声で伝える、ユーチューブの準備も致します。最後に告白します。私は、この予言的記事を掲載するのを心底恐怖していました。批判も肯定も的中も失敗も含めて。今日、すぐ近くにある神社へ行き、そこの木々と話し・・背中を押されて、掲載の覚悟を決めました。後は、無力を言い訳に、神に全てを任せます。
2012.05.12
ブログを更新させて頂く事としました。今いるボランティアさんが、親御さんが癌の再発で、回復の見込みがなくなって来た為、暫くお手伝いを辞めて、看病の方に集中して頂く事になりました。すぐにと言う訳でもないので、来春以降からの、ボランティアさんを募集致します。出来れば、住み込み可能な方。北海道外の方で、北海道の好きな方でも大丈夫です。要普通免許。マイカー、あっても、なくても可(あれば、尚可)。我が家は二世帯住宅なので、一階部分は、店舗兼、私の住居スペースなので、二階を無料でお貸しします。一人、個室一つ、完備です。台所、おトイレも二階にあります。入り口も別になります。外階段がついています。お庭に、温泉に入れる、別棟があります。お手伝いは、希望を極力尊重します。基本的に、標茶の山に冬など橇を引いて行く、キツイ仕事は私が行うつもりです。店舗兼住宅の、犬や猫の世話、また、冬季は山の子の世話に時間がかかるので、施術室の、簡単な掃除(部屋自体は狭いので、余り手間はかかりません)を、お願いしたいと思います。また、殺処分廃止や、その他諸々の、社会活動にご協力頂きたいと思います。食事等は、多少は協力出来ますが、基本的に支援は殆ど受けていない為、私の収入は、犬猫と、店の経費に行きますので、有給ボランティアさん扱いが出来ない為、簡単なアルバイトをして頂く必要がございます。週3~4回くらい、ご自分の食費と、光熱費、雑費分程度の、収入を得れる程度で結構だと思います。世話も意外に大変なので、フルタイムのお仕事との両立は、厳しいと思います。なるべく不自由はさせません。住み込みは、女性1~2名程募集です。条件として、信念の強い方。忍耐力、目的達成意欲のある方。そして、協調性のある方です。飽きっぽい方、熱しやすく、冷めやすい方は向きません。犬猫の保護、世話と言うのは、犬や猫が、好きと言うだけでは、到底続きません。信念を持って、苦労を耐えれる方でないと、勤まりません。北海道、道東の自然を知らない方の為に、こちらの環境を参考までに明記致します。まず、冬は零下25度くらい下がります。1月、2月が最も冷え込み、2月から3月にかけて、2~3回、大きな吹雪が来ます。こちらの冬は、10月から5月くらい迄と、考えて下さいませ。雪解けは4月辺りから。タイヤ交換は、冬は10月の終わりに、春は5月の連休頃行います。6月は非常に気候が良く、7月、8月は、余り晴天に恵まれません。ここは摩周湖の麓ですが、「霧の摩周湖」と、観光客の方に言われる所以です。反対に、冬場の方が、天気は良いです。店舗兼住宅は、町中の、住宅街にあります。近隣の犬好きの方々が、優しいので、近所とのご挨拶も、欠かさずお願い致します。近くには、コンビニ、銀行、郵便局があります。商店街がすぐ目の前です。大き目のスーパーは、「フクハラ」と「農協」の二つがあります。他に、ドラッグストアと、ホームセンター。大抵のものは、町で手に入ります。病院は、中々評判のいい個人病院が3つ(確か?)と、救急指定の厚生病院があります。温泉町で、摩周温泉と、川湯温泉と、二地区の温泉街があり(さびれてますが、温泉は出ます)特に川湯温泉は、北海道第二の名湯に上げられています(第一位は登別温泉だとか・・)。摩周湖と、屈斜路湖の二つの湖と、森林豊かな町で、本州からの移住者が、最近は特に増えています。凡そ80キロ離れた所に釧路があって、町で手に入らないもの、また、映画館などの娯楽施設や、大病院も、ここにあります。45キロ程離れた、隣の中標津町も、色々な買い物が可能です。弟子屈よりも、病院の種類も豊富です。山田洋次監督の、「遥かなる山の呼び声」のロケ地ですので、ご存知の方も。近郊の方なら男性も募集。休日ボランティアさんでも、助かりますのでお願いします。余り、急いでおりませんので(今の所、何とかお手伝いは当面続けて頂けるので)春から来て頂ける様に、準備をしておきたいと思います。因みに、我が家は古い一戸建てですが、外壁は、以前住んでた方が直されたので、綺麗です。また、二階は一階からの暖気で、冬場でも割に暖かいので、凍える程寒いと言う事はありません。ここで、やって行けるかどうか、体験期間を、最短で2週間から、1ヶ月程、設けたいと思います。委細、詳細は、今日から受け付けますので、私書箱まで、まずはご連絡を下さいませ。多忙の為、お返事が数日遅れる事もございますので、ご了承下さい。宜しくお願いします
2011.11.28
ダンスの御礼に、映画に誘ったんで、がっつり、寝てくれた。カラオケ、麦ちゃん熱唱。最後はピンクレディー、振り付けで歌ってくれたのだけど、動画で撮ってしまって、写真ないのが残念ちなみに、彼女のこの髪、パーマじゃないの。いつも、夜会巻きしてるから、グルグルの癖がついてるのね。綺麗だよね~。一緒に行った居酒屋さんの入り口で、昔懐かしいポストを発見。思わず、カメラで撮ってもらった。ちょっと、私的に、ポートレート風に撮れて、お気に入りの、麦ちゃんの写真、2連発。うーん。いい写真これはプリクラで撮ったヤツ。カメラの下に、私達が映ってるモニターがあるから、そっちを見てると視線が合わない。焦っているうちに、「ハイ、チーズ!!」カシャとか、やられて、ちょっと待て~~~っの、繰り返し。でも、中でもこの、スイッチ入った麦ちゃんの写真が、若はお気に入りさ麦ちん、ナイスショッんで、カメラじゃなくて、モニターを興味深々で見てしまってる私・・・。麦ちゃん、お料理作るの編。ちなみに野菜、マジでハサミでカットしてた。後は、翔兄ちゃんが、麦姉が最近お料理をする様になったから、包丁でフラバするからって、プラスティックの包丁を、見つけて買ってくれた。私も使ったけど、結構切れた台所に、何気にあったさ。麦ちゃんの、お料理用のハサミ。6月下旬まで、このハサミでお料理作ってたんだよねー。大変だ・・・。中々使える、このプラスティック包丁。君好き。手料理、全部写真撮っておけば良かったなあ。これ、彼女の創作料理。おいしかったあ~~。タンドリーカレーも、ナンも、マーボー豆腐も、卵サンドにカツサンドも、炊き込みご飯も、あ~。皆さん。民宿きよぽんは、お料理が自慢のお宿です。友人は無料。他人は時価。おっと、大事な写真を載せ忘れ。かわゆいこゆこゆさて、麦菜さんのこれまでの経緯は、皆さん大まかに、ご存知ですよね。麦菜さんの家で、「shall we ダンス?」の、映画を、ビデオで初めて観ました。彼女はかつて、あの映画の若い先生の様に、「ブラック・プール」と言う、社交ダンスの最もレベルの高い、世界大会へ臨もうとしている所で、重大なPTSDの症状が出て、全てこの数年間、失ってしまったままだった。でも、まだ、そこに行く為のチケットは、彼女の手の中にあります。彼女は今、自立して、もう一度ダンス教師に復帰し、ブラック・プールで踊る為の、一歩を踏み出しています。一緒にいると、よく分かる。何もないのに、いきなり彼女の全身に鳥肌が立つ。彼女が、何かに怯えた訳でもないのに。手が、プルプルと震える。彼女は、笑うんだけど、他の人なら、泣いてるに違いない。日光アレルギーがあるせいもあって、日中でもカーテンを閉め切りだから、日焼け止めクリームを塗らせて、毎日、天気が良くても悪くても、カーテンを開けて、空を見れる様にしてきた。幾つものハンディを背負って、彼女はまた、ブラック・プールを目指す。今回、麦菜さんの家にお邪魔して、如何に車がないと、不便な場所か、よく分かった。私が餃子を作ろうとしたら、タクシーに乗らないと、スーパーまで行けない。バスは、一日7便しかない。彼女がこのコーポに住んだ時は、生活保護受給前だから、車は普通に乗れたから、何の不自由もなかっただろうけど、乗れない今では、餃子の皮一つ、レタス一つ、タクシーに乗らないと買いに行けない。思った以上に、春日部は不便だった。何故こういう事実を、0月さんは、何も語らなかったんだろう。でも、それも、もういい。大雨降って、地固まり。清姉と、翔兄と、昔通りに色んな事を、乗り越えて今、一緒にいる。これが事実。これが、幸せ。私の小学校同窓生の、同窓会は、去年から始まり、私が万年幹事で、毎年の恒例行事になりました。毎年、10月か、11月頃に、東京へ帰ります。そして、その度、民宿きよぽんに宿泊して来ます。人生に山坂はつきものだけど、きっと毎年、少しずつ成果を生んでいる彼女を、ここで証明出来るはず。私も、心身を大分壊しましたが、それでも目標を持って頑張ってます。犬猫の命が、人間と同じと説いてみた所で、今の社会では受け入れられないでしょう。それが、今回の震災で、原発事故が起きてから、社会の変貌でよく分かった。私がこれまで、原発反対を訴えても、聞きもしなかった人達。電気代が、安くなるからいい。それだけの理由で。その人達が今、横断幕を持って、原発反対を訴えている。彼らが気付くには、明確な負の結果が必要なのだ。もう数年、彼らが気付くのに時間がかかるだろう。命の尊さと、破壊者たる自分達の姿に。その間に、私は準備を進めている。人間が、ついに進化の時を迎えた時に、何かの力になれる様に・・・。「倫理の進化」は、時代の陰に潜んで、刻を待ちます。では、それまでしばし、お暇を頂きます。じゃあ、またね。by麦菜&若樹
2011.11.16
まず、このブログ開始以来、私と交流を重ねて下さった方々。また、麦菜さんとのトラブルで、巻き込み、大変なご迷惑を掛けてしまった方々に、心からお詫び申し上げます。私達の間の溝は、決して埋まらないものと考えておりましたが、運命とは実に数奇なもので、始め親友の様だった私達が、仇同士の様になり、そして今また、親友・・と言うよりも、姉妹の様に変わって行きました。去年の丁度今頃から、私達の交流は再び始まり、始めは大変な事もありましたが、少しずつ、信頼関係を再び築き始め・・・。今回、10月下旬、同窓会で、東京は、大田区の蒲田に帰郷した折に、埼玉まで向かって、麦菜さん宅へお邪魔しました。とても、有意義な時間を過ごせました。私達の絶縁を、我が事の様に心配して下さった方達、本当に申し訳ない思いをさせてしまいました。同時に、心から感謝しております。「船」は今、凪いだ海を順調に航海しています。せめてものお詫びとして、今の私達を、ご紹介します。特に、麦菜さんが、今大きく変わろうとしている姿を、見て頂きたいのです。自宅で、コアリズムを少しずつ始めて、体力と筋力を、今、必死に取り戻そうと努力している、麦菜さんです。私が初めて見た時は、コアリズム途中で、体力切れ。でも、この時は、始めて最後までやりきりましたで、疲れでうずくまった麦ちゃん。ちょびっと回復した麦ちゃん全身汗びっしょり、顔は紅潮してまっかっか実は、私も、何と麦ちゃんから、ダンスのレッスン受けてみたりして。ただ、事故で右足首切って、筋と神経切れているから、踏ん張りきかないのです。オマケに、子供ん時習ってた、バレエの動きを体で覚えてるもんだから・・・。社交ダンスのラテンって、膝を内側に入れて行くのですよね。バレエって、膝を広げるのですよ。麦ちゃん、私の足型見て、一発でバレエ経験者と見抜いた。しかし、私がバレエやってたの、子供の頃なんだけど、よく体が覚えているなあ。ちなみに、教えて貰ったダンスは、ジルバに、チャチャチャ、ルンバ、ジャイブって言うダンス。教えて貰ってる私より、教えてる麦ちゃんの方が、汗びっしょりの、顔真っ赤。うーん。普通に生徒でA級ダンサーの麦ちゃんから、個人指導受けたら、一時間1万5千円なんだよなあ。1時間以上教えて貰いましたよこれが、家へ来たばかりの小雪ちゃん。8月29日に来ました。農家さんの牧舎に住み着いてる、野良猫が産んだ赤ちゃんを、カラスがさらった様です。所が、何が起きたか、カラスがこの子を空中で放した。真下には、地上4メートル程の、洗車台があって、そこで泣いてる所を、運良く牧場の人に見つけられ、結局親猫は出て来なかった為、こんな小さいうちから、人工哺乳で育てる事になりました。この子を引き取った日は、風邪をこじらせ病院へ行って、点滴を受けた帰りだった上、翌9月は、うちのお店の5周年のイベントで、一ヶ月滅茶苦茶忙しいので、この子が育つのが先か、私が倒れるのが早いか・・・そんな状況でしたが、元気に育った私は、9月下旬に、夜中緊急で点滴受けに行ったけどもで、この子結局、生後2ヶ月程になっても、全然離乳食さえ欲しがらず・・。ひたすらミルクを要求。同窓会の日程は、この子を引き取る前に決まっていたし、どうにもならないので、この子を連れて、何と東京へ帰る羽目に(ある意味、自分の子供に、私が育った場所を見せるのは夢だった)。心配してた、飛行機も何のその。空港でゲージから出したら、ご機嫌よろしゅう、ゴロゴロ喉を鳴らして喜んでおりました。大物なのは、既に分かっていましたが・・・。で、同窓会も、夜6時半から始まって、翌朝5時まで元気に続き、その間、小雪ちゃんは、同窓生のご主人にお世話をして頂いていましたで、親戚や、兄達に会いに行って、いざ埼玉へ。遠かったあ!春日部!!京浜東北線で、終点の大宮行ったのは、蒲田っ子の私も初めてですそっから、更に乗り換え・・・・。こゆは、気持ちよーく、腕の中で、バスタオルにくるまってお寝んね。初めての春日部駅に、とうとう着くと・・・・迎えに来てくれてました、翔兄ちゃん&、麦姉ちゃん三人で、こんな日が来るなんてねー、なんて互いに今、こうして一緒にいる事に、凄い感慨を覚えながら。さて、話しの続きは、写真展を開催しながらにしましょうか。こゆちゃん、麦姉ちゃん家で、私のお土産のホッケを、もぐもぐ始めた!初、お食い始め!!(しかし、本物の魚以外は、一切興味持たず。ドライフードは、おもちゃにしちゃう)やりたい放題。麦ちゃんの事も、いじりたい放題。更にやりたい放題の小雪。ついにドヤ顔乱ちゃん。杏ちゃんも一緒に授乳の写真~~こゆこゆが、おっきくなったら、いい思い出になるわー。だって、今も授乳してるもの。麦姉と、お寝んね。小雪ちゃん用に、バッグを買って来てくれた時の写真。この時、私は疲労で、一人、民宿きよぽんで、グースカピー。続く
2011.11.16
ここが、麦ちゃんの家の二階。ドレスは、ダンサー時代の衣装。このマネキン、自分で衣装を作る為、自分の体型に合わせて、わざわざ作るのだって!!で、麦ちゃんは、器用で何でも作っちゃうので、このドレスも、勿論自作の品。他にも、自分で作った、素敵なダンス用のドレスが沢山!!2~3枚、がめてくれば良かった・・・。麦ちゃん、撮影の際に、自分のベッドにぬいぐるみを二人置いてみた。ご存知麦ちゃんの家の居間。チェストの前にあるお酒は、翔兄ちゃんが、北原に買って来てくれたものこの他にも、ビール、500缶を沢山有難う、翔兄ちゃんまた、来年、みんなでカラオケ行こうね同じ居間の、反対側。ソファーの後ろが、ポヨたん、麦たんのお気に入りの場所。で、このソファーの上の、穴開きクッション。便秘が余りに酷い麦ちゃんが、脱腸をよくするので、ケツが痛いと言って、こゆこゆが、染め上げた敷きマットの替えを、しまむらに行って買いに行った時、見つけて買ったのです麦ちゃん、お気に入りの模様の敷マット。私が白髪染めしてもらったら、小雪ちゃんが、染め粉を溶いたものの中に突入。自分(小雪)も、敷物も染め上げてくれたと。で、この敷きマットはジ・エンドで、上の写真の敷マットを、翔兄ちゃんが、買ってくれましたとさ。こ~~ゆ~~き~~麦ちゃんのお台所。実は、彼女はお料理が大の得意!!ここで私は4キロ太りました!!!!!!お風呂場~。何故にお酢が?ある事に使うのですよ。化学薬品を使うより、自然に迷惑かからないの。乱ちゃんと。一杯遊んでもらったね~~。若ちん撮影。可愛いでしょ?私が帰る日。民宿きよぽんを出るのは淋しかったなあ。この、こゆこゆが入ってる、バナナのバッグね、翔兄ちゃんと、きよぽんからのプレゼントなの。何せ若ちん、こゆこゆがあんまり小さいもんで、バスタオル一枚にくるんで連れて来たから、流石に苦労すると思ったらしく、二人でこっそり買って来てくれた。有難う、二人ともこゆちゃん、とっても気に入って、中にたっぷり綿が詰まったバッグで、ご満悦で、お寝んねして帰ったんだよ。羽田空港にて。お土産買うのに、小雪ちゃんをベビーカーに。すやすや眠る小雪ちゃん可愛い~~~~ん。麦菜さんも私も、ブログからは離れているので、「倫理の進化」も、またこれで冬眠につきます。
2011.11.10
*写真を少し削りました。もう恥ずかしくてね・・・。かつて私の支援者であり、そういう活動の代表を務めてくれていた麦菜さんと、支援活動自体がNGだった私との中で、大きな溝が広がり、そこに多数の人間が入り乱れ、大変なアラシ状態となったのは、記憶に深く残る所。その後しっかり仲直り。今回、東京での同窓会の為、帰郷した為、埼玉にお住まいの麦菜さん宅にも、お邪魔する事が出来ました。私もデジカメで沢山写真は撮ったのですが、パソコンに接続するケーブルまでは持参してなかったので、ここに載ってる写真は、殆ど全て、麦菜さんの携帯で撮影したものです。私も、後ほど改めて、埼玉での思い出の写真をここに友情の回復の記念として残しますから、宜しければ訪問下さい。尚、民宿きよぽん宅のパソコンは、最早限界。文字打ちしたくても、ローマ字打ちが出来ないのは当然の上、フリーズするわ、カナ変換に勝手になるわ、で、結局麦菜さんが写真は全て載せて、文章は私が帰宅してから書く。と言う事で相成りました。麦ちゃんの家の家庭菜園。残念ながら、グラジオラスは、咲かなかったのね~。きっと、水も空気も、放射能で汚染されたんだね。うちの小雪ちゃん。生後やっと二ヶ月超え。この子を連れて帰郷する羽目になった理由は、次のブログでご紹介。麦ちゃん、緑と小雪ちゃんのコントラストを、楽しむ、楽しむ。可愛い~~~~~んサイコーーーー麦ちゃんの携帯、私のデジカメよりくっきり写る これは、最初の晩かな?うわーーい、私、小雪の授乳写真、撮ってもらったの初めて~~~!!生後1、2日から毎日授乳してんのに~~~お宝映像ミルク飲みこゆこゆの、アップを麦ちゃん、バッチリ撮影^^vここまでミルクしか飲まなかったこゆちゃん。麦ちゃん宅で、ホッケを初めて食べて、固形食も少しイケる様になりました。これは、こゆこゆ、二回目のお食事写真だね。麦ちゃん、体力ないから手がブルブル震えるの。余り酷い時は、私が手首を押さえて、支えての撮影。奪う杏ちゃん。酒豪、若ちゃん、麦ちゃんを伴って居酒屋へ居酒屋向かう途中でさ、タクシーがいきなり止まったと思ったら、男が中から飛び出し、私達のすぐ横で、ゲローーーーッツそれも、液体だけ、三連発。大丈夫ですか!?所じゃない、直接被る所だったので、必死に逃げたさ。映画が好きーな私達。この日は、「カウボーイ&エイリアン」を観に。麦ちゃん、最後に映画館に行った確かな記憶は「もののけ姫」なんだそう。何年前や・・・。で、麦ちゃん。映画館の暗くて、ゆたっりしたムードを久々に全身で味わって、開始後30分で爆睡。豪華な晩餐会をみんなで。・・・・何故カルボナーラを枕にするの、小雪ちゃん・・・眠くなってきたぞーーー。眠りに落ちたぞーーー。頭も落ちたぞーーーー。デッカイお顔と、ちっこいお顔。麦ちゃん、お気に入りのショット。遊んでくれる乱ちゃん。乱ちゃんに乗り移ろうとする小雪ちゃん。これは、杏ちゃん。乱ちゃんと、杏ちゃんは、一杯遊んでくれたのよ。ポヨちゃんもちょっと。麦菜ちゃん(猫ちん)は、翔兄ちゃんの証言によると、小雪に猫パンチ四発杏ちゃんと。この写真すっごい、お気に入りふふふ。麦ちゃん、小雪抱っこしたまま眠りに落ちたので、パシャっと。^^vおしん・・・・・。小雪はちゃんちゃんこの下から、麦ちゃんの背中をはって行き、見事にナイスショットを提供してくれました。
2011.11.04
>自分の血をわけた我が子の愛おしさを知っているのか?わたしらは、どちらも知っている。貴女の犬だけが特別ではない。餌は無添加の高い餌を飼っていたらしいある人からこんなメールを寄越されました。詳しい経緯は追って、「青木ヶ原樹海」と言う、友人のブログで今後書きますが。でも、私にとっては命より何千倍も大事な子供です。そう言ったのに、冒頭のメールがその人から来ました。その人は私に、面倒だから犬のエサを昨日もやっていないと言った人間。猫には2日もです。ベランダなんか、うんこだらけだそうです。私が生んだんじゃなかったら、親の気持ちは分からないって言うんですか?そんなのは、子供を産めなかった女性への、最大の言葉の暴力です。以前の散文に、新たな写真、文章も少し載せています。子供との写真も何枚も載せました。どうせテレビや雑誌で顔が知れてる人間ですから。私には、親子で撮った写真です。人も犬も猫も、命をかけて育てて、愛した心は真の親心なのだと、分かって下さる方だけ、分かって頂ければ十分です。・・・・・・・・・・・・この子は美月。兄の龍雲と一緒に、生後数日でとある温泉付きのペンションに捨てられた。オーナー達に世話は出来ず、保健所行きが決定した日、疲れを取りに日帰り入浴に行った私が事情を聞いて引き取った。まだオシッコすら、自力で出来ない赤ちゃんたち。仕事をしながら育てるのは、並大抵の事ではなかった。みいは、来た日から乳房代わりに吸い付きながら眠れるものを求めた。結果それは、私の右耳でした。毎晩毎晩、耳をしゃぶりながら寝る。うとうと始めて、口が外れるとたちまち起きて、またしゃぶり出す。こんな事を三回ほどやって、ようやく寝てくれるのが常でした。丁度この時、私は赤ちゃんが欲しいノイローゼになっていて、美月と龍雲のお陰で完全に救われた。赤ちゃんを育てると言う、素晴らしい経験を頂きました。捨てられて来た子猫。両手で抱きかかえた時、その軽さに、それとは正反対の、腰が抜けるほどの重さを感じた。ああ、これが命の、そして何より地球の重さなんだ。そう思ったものです。・・・・・・・・・・・・・・・心が世界を知覚出来るようになる頃、子供は何歳になっているのだろう。私は物心ついてから、神秘に感動したものが二つ。夜に浮かび上がる星空と、四足の哺乳類だった。鳥類よりも、魚類よりも、私は哺乳類の生きる姿に魅せられた。人間に最も近く、(類人猿は別にして)そして異星人ほどにもかけ離れた、異なる姿態を持つ命だからだろうか。初めて飼った、哺乳類の事を覚えている。ハムスターのマリア。私はまだ幼い子供だった。その子供の手の平に、すっぽりと納まった小さな体。こんな小型の生き者が、存在しているのだと言う驚き。必死になって、彼女の心音を指で捜し求めた。命の神秘に打ちのめされてみたかった。母が幼い私に声を掛ける。この子は赤ちゃんも産めるのだと。衝撃が体を駆け抜けた。私の手の平に乗るほどの、小さな生き者が、私の母のように、赤ちゃんをお腹に宿す。一度に何人もの子供を授かり、その子を自分の乳で育てる。マリアはこの体で、完璧な存在なのだ。全てが、この小さな体に与えられている。命が、こんな小さな体で、完璧に作られているのなら、同じ機能でただ大きい、人間とは、何て感動のない生命なのかと思った。神様はきっと、我々人間よりも、ハムスターを、自分の傑作となさった事なのだろうと。生命の神秘に、初めて敬服に浸ったあの幼い日から、私の心に、彼らへの敬愛の念が消えた事は一度もない。何よりも哺乳類に、信仰を捧げてしまうのは、私に生命の神秘を気付かせた者が、あの小さなハムスターだったからなのだろうか。それとも、水に住まう者でなく、大空を飛翔する者でなく、共に大地を踏みしめる兄弟だからだろうか。私はいつも、陶酔する様に、四足の者達を追い続ける。四足の種こそは、きっと私の想像する、最も美を極めた生命なのだろう。もしも彼らがいなかったら、私は神を崇めただろうか。大いなる魂を宿す、聳え立つ山々や、大地を抱く樹々。それが神々の、心を語る者だとしたら、血肉を持った全ての命は、神々の肉体を体現している。美しい毛皮と皮膚の下。柔らかな肉と、それを支える白い骨。体を流れる赤い血潮。水に満たされた肉体。途方も無い御業で体内に現れた神秘の内臓。犬や猫の体を抱きしめる、私の心は神秘に陶酔する。毛皮の下の神域が、私の心を畏れで満たす。まるで祀られた神社を我が手で抱くように。そしてこれこそが信仰だ。生命と言う神秘に、永遠の畏敬と崇拝と、そして尽くせぬ愛を持って、奉仕の道を歩む事。我が手よ、彼らを抱く度に謙虚であれ。我が足よ、彼らの背中を、追い越す愚を犯すなかれ。我が心よ、彼らを愛で奉り給え。大地を手ですくって手の平に眺める。これはマリア。私の心を感動で満たした、あの命。愛する土よ。地上を旅した生命は、寿命を迎え、この体へと、最後に戻る。いつか母代わりとした美しい犬が、永遠にその目を閉じた時、私は彼女を土に返し、そして恋しさの余り、幾夜も過ごした後で、私は土の手から、彼女を取り戻そうと試みた。大地は彼女と同化していた。幾ら掘れども、彼女はもういなかった。この土から、彼女のあの瞳が創造されたのだ。この土から、彼女の美しい被毛の一本一本までが創られていた。この土から、あの完璧な姿が創られた。筋肉も内臓も、骨も赤い血潮も、全てがこの土の現身だったのだ。魂があの畏れる始まりに還った後は、つかの間生体を体現した大地は、ゆるやかに本来の姿に還る。黒く、湿った土。星々を抱く宇宙の様に、我々は玄から生まれる光。我々はみな、大地の化身。手の平の土を、畏敬を込めて、額に寄せる。あなたが水と共に創り給いし生命は、余りにも美しく愛らしく、眩いほどの魅力に溢れ、永遠に私を、その御元に跪かせて、僕と為さる事だろう。十何年ホステスやったけど、爪を伸ばした事も、マニキュアをした事もなかった。だってこうやって、指先を家の子は齧って甘えるから。口を傷つけたり、マニキュアの塗料を、飲み込ませたくなかったから。犬のジルは、自身も友人からの捨て子で、家に捨てられて来た二人の子猫のお母さんになりました。一度の妊娠も経験もないにも関わらず、子猫を可愛がり、何と母乳まで吸われる内に出して育てました。この幸せそうな親子の寝顔に、言葉なんかいらないでしょう。事の発端の、人々とネットで白黒つけようとした、友人のブログのアドレスを載せます。http://plaza.rakuten.co.jp/kenkenpuu/これだけじゃ、見ても状況が分からないかも知れません、ごめんなさい。近い内に頑張って、状況のダイジェストを書きます。ねえ、私は子供は生んでないから、お腹を痛めた子供の愛らしさって分からないんですか?子供への愛しさって、腹を痛めないと分からないのですか?生まないと、愛情って抱けないものなんですか?生んだ人に比べて、叶うものでないものですか?
2009.03.20
だから私は言う。私は、譲渡の方向性と、自分で開拓して来た保護方法と、常に、今この時もずっと吟味してるんだと。しかし、少なくとも、私は譲渡側としての、義務を完全に果たせるか、到底確信が持てない。里親譲渡をするならば、無責任な譲渡は許されないでしょう?と。譲渡した犬や猫に、見知らぬ人間の家族として紹介した以上、私はその家族を紹介した責任が、犬や猫にはあるのだから。自分が紹介した家庭で、大事にしてもらって行けているか、飽きられたりしてないか、ましてや、途中で捨てられたりする事がないか・・・それをずっと、蔭から見守る義務が、譲渡側にはある。それを、大丈夫、責任持ってやれると言えるだけの、人員と資金が揃わない以上、無責任に、自分も大変だからって、責任ある犬や猫を、人にあげちゃう気はないよ、と。ただね、と私は言った。あなたの所では、里親に出しても、後は中途半端で相手任せにしてる。でも、私はそれを批判した事はないでしょう?と。何故なら、誰もが限界を超えた所でやっていて、それぞれが選択した方向の中で、最善を尽くすしかないからだ。あなたが、最善を尽くしているのを心底理解してる。その中で、私たちの努力が失敗に終わって、無意味だったとしても、それはいいか悪いかで、答えを出していい事じゃない。誰もが、一人でも多くの犬猫が、この社会の悲劇の犠牲にならない様に、最善を尽くしてるんだから、自分と違う方向を選択した人を、否定するのは間違ってる。私はいつも、あなたの所から里子に行った子が、何とか終生幸せに生きれますようにと祈っているんだから、あなたも家が、最後まで守られる様に祈っていてよと。自分の考えを押し付けるのはしないで、互いの成功を祈って協力し合おうと。こんな事を、手術が終わって落ち着いてから、入院中にその人と話した。病気になると、私たちは普通の人と違う窮地に立たされる。そういう事もあるだろう。誰もが、生身の人間なのだから。結局の所、こんな異常社会の犠牲者の、引き受けを志願した、信念以外は何も持たないほんの少数の市民たちは、政府以上の権威を持てるはずもなく、ただ、骨の髄まで捧げて生きて、最善を尽くしたと言う、結果以外は残せないんだ。今回私は、支えて下さる方達と、友人のお陰で一命を取り留められた。命に関わる状況は、入院即日、医師に危険を伴う血液製剤の投与を、どうしても必要だから同意して欲しいと迫られるほどだった。犬達猫達の事も、彼らの食費も、入院費も、心配するなと周りに言われ、本当に助けて頂いた。絶対的な安心の中で、治療を受ける事が出来た。助かったのだけど、こんな日、或いはこんな状況って、タオスのプエブロの民が言った、「今日は死ぬのにもってこいの日」って言う日なんじゃないだろうか、って思った。私の周囲は皆暖かく、子供も守られ、光は満ちて。もし、自分の人生が終わるなら、こんな幸せの中で迎えたいと、全てが幸福の中にある今思う。これは私に取って、自分の人生の中できっと、最も幸運の中で過ごした時間として、魂のある限り、消えない輝きとなって残るだろう。もう一度真剣な話に戻って・・里親譲渡も個人多頭飼育も、した事がない人間が、机上の空論で現実を知りもせず、勝手気ままな事を述べるのは、現実に行動している人間には、有害無益なものでしかないと、現実の難しさも知らず、甘い考えで不躾にも意見する、愚者に伝わろうがどうだろうが、自分の決意を書きたくて、心の向くままキーボードを叩いた。以前ネットで関わった人間の内、ある二人が、私を交えず当人だけで、家の犬達の里親譲渡の方法を、勝手に議論していたと聞いて憤慨している。その内一人は分かっているが、もう一人は、当人の証言がないので、特定前なので、こういう話し合いをもう一人と事実持ったか確証はない。一人、名前は上がっているが、そこまで無神経だと思いたくない。計画は、北海道は稚内に住んでいる人間が、定期的に家の山に犬達の写真を撮りに来て、それを関東に送り、HPで載せて、里親募集をするんだと言う。この二人は、どんな責任を持ってそれをやるんだろうか?自分たちで里親探しを引き受けるなら、当然それに掛かる全作業は、引き受けるのが前提だろうと私は思う。年に何回か写真を撮るだけ?関東でHPを作る?冗談じゃない。やるならもっと責任を持て。弟子屈に来て、365日、犬の世話をしてみるものだろう。何故なら、里親希望者が来た時に、私が仕事だったら、誰が案内するんだ?で、写真を見た希望者が、山へ来た時、その活動を提案し、実行役を買って出た人間が、たくさんの犬の中から、その犬を見つけられなかったらどうするんだろう?継続調査は誰がやるのだろう?ネットで募集してくれて、里親が日本全国に広がったら、自腹で全国回って、ちゃんと幸せに面倒見られているか、君達は責任もって見に行ってくれる訳だろうか?それとも、継続調査の為の、費用は支援募集をして賄うつもり?足りなかったら、どうするの?その分、当然だけど、自分で費用を用立てなければいけないんだよ。そんだけの資産が自分にあるのか?支援金で、間に合わない分を、やれ長野だ秋田だ三重だ九州だと、毎月行って継続調査が必ず出来る、金は保障できるって言ってくれてる訳か?家の里親募集をネットでやろうと話し合ったと言うお二人さん。私はこれまで、自分の細腕で必死に守って来た子達を、継続調査の責任も持てない人間に、好きにさせると思ってるのか?お前ら、他人様が全てを犠牲にして守り、食わせて来た命を、一体何だと思ってるんだ?どうやって、稚内と関東のコンビが、責任持った里親募集の活動が出来るんだよ。里親に出す犬の、性格も特徴も知らず、写真と私に頼んで作ってもらおうと考えているであろうコメントで、右から左へくれてやるつもりか?お前ら、他人の守った命に、どこまで責任持つ覚悟があって、そんな人を小馬鹿にした計画を立ててるんだ?里親に出すなら、自分でその犬に普段から触れろよ。性格も特徴も、私に聞かずに、自分で説明出来るだけになれよ。里親募集して、譲渡を提案し引き受けるなら、当然だろう?私は、世話と仕事があるんだ。前述した通り、責任の取れない事はしない。支援金で、食っていく気は毛頭ない。他人に全面的に頼ったら、支援がなくなった時に飢えるだけだ。だから、その譲渡に関する一切の仕事は、提案した人間が当然行うんだよな?弟子屈に来て、一緒に毎日犬に触れてもらおうか。そこで確実に継続調査をしてくれるなら、大歓迎でその提案を私は受ける。やる気はあるんだろう?今からだって全然私は構わないぞ。しかしもし、お前らが、そういう現実的な努力と責任は一切想像もしていなくて、ただ、たまに来て写真だけ撮って、それを送って貰って、ネットで載せといて、希望があったら若樹に言って、遠方なら、航空便で送ってあげればそれでいいやとか思ってんなら(そう思ってたとしか、私は思えないけどね。じゃなきゃ、こんな重い責任を背負う仕事を、稚内と関東に住んで、やろうとする様なバカな話があるか)お前らは、家の子供たちの事を、ネットでリサイクル商品を取引する程度の感覚で、譲渡しようとしていただけだ。私がどれだけ不愉快なのか、察して頂けたら幸いだよ。もっと真剣に考えろ。命が大切とか、ブログ使って口先で訴えているだけで、現実を知らず、机上の空論で理想をかましているからこんな浅はかな事しか思いつけないんだ。意見をいいたけりゃ自分の体で現実を経験しろ。365日、休まずボランティアを一年でも、やってみてからもう一度考えろ。何が可能で不可能か、自分でやってからでなければ、絶対に本当には分からないんだ。週に一度のボランティアさえやっていない人間が、現実に使える、どんな考えを出せると言うんだ。お前ら、実践をなめるな。
2009.02.23
私はネットで、犬や猫の保護をしている事を明らかにしている。元々楽天で、「倫理の進化」と言うブログを作った。当初からの読者はご存じだが、私は自分のブログに、犬や猫の写真も掲載していなかった。最初の頃から説明している様に、それは、犬や猫の保護とその生活に関するブログでもない。里親募集や、支援募集のブログでもない。生命が尊重され扱われる様に、汎神論と言う生命観を、打ち出して行くのが目的だった。殆どのこうした活動家のHPやブログでは、逆に里親募集などの広告が、最重要のものとなる。しかし里親募集と言うのは、とても難題が山積していて、大勢の人間の力が必要になる。まず、施設への希望者の訪問から始まって、犬や猫の説明、普段生活している環境を知ってもらう事から始まる。それから、里親希望者の審査になる。家族構成や、住環境の状態。犬に取っては、暮らしにくい都市部に住んでいるのか、それとも山村か。当たり前だが、法によってなど、殆ど守られていない犬猫を、赤の他人に預けるには、相手がどんな処に住んでいるのか、自分で事前に調査に赴かなければならない。そこまでが問題なければ、今度は犬と、家族の相性が合うかどうか、2週間ほどの試験的滞在が行われる。その間、双方で緊密に連絡を取り、犬や猫が、ストレスから体調を崩していないか、崩している場合は、下痢が始まったのか、食欲をなくしたのか、細かく状況を聞き、下痢の場合は、食事の内容を、まず変えて様子を見てもらうとか、食欲がない場合は山や川などへ遊びに連れ出してもらって、元気を取り戻すかどうか、状況に応じた助言や指示が必要になる。また、犬の中には、何としても新しい里親に慣れないものもいる。そういう場合は施設に戻し、施設で終生暮らさせると言う、決断も必要になって来る。兎に角、犬という種は特に、人間に慣れる半面、自分が心を許し、全幅の信頼を置いた人間を、生涯心底慕い続ける傾向を強く持つ。里親に出される事自体が、生きる気力を踏みにじられる事になる犬だっている。実際に、里親に出されるまで、非常に健康だった若い犬が、里親の元に行ってから、たった二日後に、急に心臓発作を起こして、突然死した事があるのを、私は目撃した事がある。元飼い主の話では、心臓を患った事など、一度もなかったと言っていた。亡骸を病院へ運び、医師に状況を説明すると、犬の自殺なんだ、と言われた。犬は、本当に飼い主を心底愛する訳だから、飼い主が飼えなくなって、里子に出される際、こういう悲劇が、まま起こる。犬は、捨てられた事に絶望したのだ。それは、グーフィーと言う名の犬だった。そういう事があるから、里親譲渡と言うのは、とても困難な仕事なのだ。2週間の試験的滞在が上手く行って、晴れてそこの里子に無事なれたとしても、譲渡側には、犬や猫の生涯に渡り、新しい飼い主の家で、正しい世話を受けていられるか、何らかの問題から、捨てられたりしていないか、蔭からずっと見守って行く責任がある。初めのうちは、週に1度は里親先に連絡し、月に一度は訪問観察。これは基本中の基本である。蛇足であるが、ネットなどを用いて、里親譲渡をする際に、実はこれが最も大変な事になる。里親が、日本全国に点在してしまったら、譲渡した犬猫の人数に応じ、最低でも毎週の様に、日本中を飛び回らなくてはならない。それが無理だと言う事なら、ネットを使った里親募集はむしろ失敗になる。地元中心の地方紙だけに、情報を掲載してもらって、里親募集の方が、事後観察には最適だが、毎日連れ込まれ、回収されて来る犬猫の再引き取り先を、地元だけで供給するのは不可能だ。なので、愛護団体が作っているHPなどを見ると、やはり譲渡先は、地元近郊、団体側が、車で送迎出来る所に限られる、と、掲載されている。、ネットのメリットと言うものは、限られた地域のみでなく、広く国内外へ、情報を発信出来る事にある。地域限定の里親募集なら、ネットに載せるよりは、地元新聞や、広報の方が、より譲渡側が限定したい地域の人間の目に、確実に触れる。こういう制約がかかる問題に於いては、ネットの有益性は余り生かされない。個人の収入ではなく、全て支援金で賄おうとする考えで、支援金集めに重点を置いて、ネットで全国からお金を募集するならば、集金についてはネットは有効な事だろう。また、それ以外でも、譲渡した犬や猫と、新たな飼い主のデータ管理。引っ越したら、それも更新しなくてはならない。飼い主から、送られて来る里子たちの写真の整理。特に里親が、引っ越して連絡を、故意につかなくされたら一大事だ。まず、最悪のケースを考えて、すぐに里子に出した、地元の保健所へ緊急連絡をかけなければならない。我々が他人を信じて預ける命は、法律によって、収容所へ飼い主が持ち込めば、処刑される生き者なのだ。親が捨てたら、施設で確実に救われる人間の子を、里子に出すのと違って、大きな危険を覚悟で、見知らぬ人間に、処刑が許された命を預けるのだから、その譲渡側の責任は、計り知れないほど、大きく、重い。故に里親譲渡には、相当の緊張感を持った激務がつきまとう。私はそれを、犬や猫の保護を始めた時から、幾つかの愛護団体の現実と失敗を、じっくり観察して来た。これは、愛護団体で保護活動に参加した事がある人ならば、経験ある人が大勢いると思うが、どこの愛護団体も、内部不和の問題や、入ってきた支援金の使途や有無で、日常的に問題を抱えている。人も何人も集まると、譲渡や保護に関し、意見が割れるのは当然で、譲渡の規制を甘くして、結果里子になった犬や猫が犠牲になって、規制を厳しく持つ方と対立し、会そのものが、空中分解する所もある。また、これが最も気の毒だが、支援金の持ち逃げのケースもあった。これは、私も親しい団体さんで、最近の事だ。代表は、訴えると宣言している。その上、譲渡に出した子の中で、明らかに失敗に終わっていたケースも後を絶たない。家に抜き打ちで行ってみたら、繋がれっぱなしで散歩に全く行ってもらえていなかったと言うケース。それから、飼い主が引っ越して、犬猫の安否が、そのまま不明になったケース。地元保健所たと言うケース。成功例も、もちろんある。ただしこういう活動は、成功させるのが、基本中の基本なのだ。成功させて当然。不幸な境遇の犬猫を救ったのだから、その子達を今後は、終生幸せにしてくれる家庭に、新たに送り出す事が前提なので、議論されるべきは、あってはならない、回避せねばならない失敗についてになるのだ。一度保健所から救って、苦労して里子に出した犬や猫を、再び保健所で見つける事など、許されざる失敗だ。それどころか、気がつくのが遅れたら、里子に自分で出した子が、他ならぬ里親の手によって、保健所で処刑されてしまっているのだから。私はこうしたリスクと、一人で抱えるだけ抱え、終生世話をする方法と、どちらがリスクが少ないかを真剣に考えた。実を言えば、今だって考えている。私の支援をしてくれている方の一人が、去年、日本で今、最も大きい愛護団体の所へ行って、所謂お散歩ボランティアをして来られた。お散歩とは名ばかりで、うんちと、おしっこを済ませるだけのものだったと。里子になれるその日まで、犬たちは一日23時間50分。狭い犬舎で毎日過ごす。中には、終生里子になれない子だっている。理想の里親に巡り合える可能性と、失敗して、その、窮屈ではあっても、安全な場所さえも失って、収容所で殺される事例もあるリスク。家は、基本は私が全て世話をして、こういう病気の時は、別の人間がそれを行ってくれる。犬達は、常に湧水が流れる所で、広い柵の中を、自由に行きかって走ってる。団体の人たちが、一日多くて二回、散歩に連れて行く距離を、もしかしたら、今の時点でも上回るかも知れない広さの柵の中にいる。私は犬は、2~3人飼いが、一番幸せだと常々考える。犬は、一緒に、同じあの、四足の速さで、全力で競争出来る仲間が必要なのだ。で、犬が二人だと、親がかまってもらえず、取り残されて寂しかったりするので、もう一人いてくれると、中の一人は、結構ママっ子になってくれて、かまってくれるのでとても嬉しい。脱線させたが、初めて子供の頃から捨て犬を拾い、家族の反対を押し切って守り、そのまま20何年も、犬と猫を、全てを捧げて支える人生を送りながら、里親譲渡と、私のやり方と、どちらがいいのかなんて答えは全く出てはいない。あちらがいいと思う時もあれば、自分のやり方が安全だったと安堵する時もある。この、毎年何十万と殺される悲劇の中で、自分を犠牲にする事を厭わない者たちが、、全力で受け皿にならなければならない現状で、等しく溢れ返る保護施設の中と、常に不足するボランティアと、運営費に苦しみながら、それぞれが、体を壊すほどに頑張り、自分の生活も、時には自分の人間の家族さえ、犠牲になってもらって死に体になりながら、何とか最善を尽くしている中で、何が正しいとか、何が間違ってるとか、一体誰に言えるのだろう?成否を判断する事なんか出来るのか?私は、親しい愛護団体さんと電話で話す。あなた方も私も、犬や猫にとって、どっちも正解じゃないんだから、思いあがってはいけないんだと。個人や施設で、これだけの犬や猫を保護する状況こそが、殺処分やブランド犬の、天井知らずの生体売買の帰結として、痛みも感情も有する、生きた生命でありながら、流行り廃れのある、家電品の処分ほどにも気安く殺せる法律が国にある以上、私たちがしている事は、異常事態の引き受けでしかないんだ。国策も、市民も、制度も、全てが本来の生命尊重論に反して出来あがっている以上、彼らが「守られない」世の中の中で、個人、或いは少数の人間で作った小さな団体で、そうした社会に潰されない様に、犬や猫を身を挺して庇っているに過ぎない。その状況で助けた、全体から見たら、本当に何パーセントにも満たない、でも私たちにしてみたら、自分の貯金も収入も持ち家も、時間も仕事も酷いときには家族さえ、犠牲にしなければ守れないほどの、絶対不可能に思える数の犬や猫達を、歯を食い縛って引き受けて、そこで余裕を持った、一般宅みたいな気楽な環境を、彼らに与えてやれるか?収容所で殺されるか、家みたいな山で半野良みたいにそこそこ自由に暮らして行くか、あなたの団体みたいに、毎日10分の散歩のみで、後は鎖で繋がれたまま、でも、里親が出て、家の中で飼われて、毎日里親とベッドで眠る、その希望を持って、その環境を受け入れてもらうか、どちらかでしかないでしょう?と。そこの代表は、一人で100も世話をずっとするのは無理だよと私に言う。それは犬も可哀相だと。でも、そこの施設で、繋がれっぱなしの犬達も可哀相だ。そして現実に、この団体は、先に私が挙げた、里親譲渡側の義務を、人出が足りなくて、(そう、これが現実なんだ)全く一つも果たしてない。「誓約書はもらっているから」それを必死に繰り返す。でも、里親に出された子は、一切継続調査をされていない。電話一本掛けて、その後の確認もされていない。譲渡された子は、されっ放しである。近所でもらわれた犬は、飼い主が全く散歩に行かないと代表は愚痴をこぼす。でも、それで引き取りに行ったりしない。抗議にも行かない。何故って、散歩に行ってもらえなかったからと言って、連れ戻したくても施設は常に満杯だし、世話と譲渡に代表もボランティアも全て追われてへとへとで、その犬の事で、譲渡先と世話の仕方で指導に入る、力も気力も残ってないのだ。これが現状だ。
2009.02.23
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。後書きこの終章第二部は、本当に試行錯誤の、書き直しを繰り返した。私の手を重くしていたものは、殺処分は、人間が住みやすい社会を維持する為に、実は愛犬家によってすら、求められている制度だと、正面切って指摘する事だった。これが、何度も私の手を鈍くした。余りにも重いテーマだった。結局はその人たちに対して、この上ない厳しい真実を、突きつけなくてはならなかったから。私はこの指摘によって、大勢の友人を失う事になるのだ。まるでそれは、その人方の心臓に、刃物を突き立てるみたいなものだった。誰でも、自分が間違ってると、指摘を受けるのは辛いものだ。特にその価値観が、根本からおかしいのではないかと言われる事は。犬に洋服を着せて戸外に連れ出す事が、犬を大切にしている事だと疑いもなく信じていた。それらの人々にとって、犬の視点が、全く欠けていた事を、指摘する事は、彼らの価値体系全体を、否定してしまうのに等しかった。これは私にとって、途方もなく重たい仕事だった。他の人間に頼めるならば、何としてもそうして欲しいほどだった。誰が社会全体を、怒らせ、絶望させると分かって、その間違いを喜んで指摘するだろうか。しかし、犬や猫の為になら、私はその、膿出しの役目を、果たさざるを得なかった。この二部を書上げるのは、一本の樹から、仏像を掘り起こすのに似ていた。人の世界の浄化を願いながら、同時に(その為に)膿を出していかなくてはならないと言う作業。この章を仕上げるという事は、仏師が世界の浄化を祈って、仏像を彫る事と等しかったのだ。仏像とは、偶像ではなく、創作者の祈りなのだ。人間の、最も重い原罪に踏み込んで行かなくてはならないという事は、正に人の罪を受けての祈願であり、平和な世界を願っての、命を賭しての世界への祈りだ。人の罪悪をこの身に受けて、それをどこまで今後昇華させられるのか。私はまだ、解脱に至っていない修行者。最も重要な所に差し掛かる度、言葉と言う彫刻刀は、何度も樹木の中に眠る、未だ掘り出されていない、仏像を掘り出すのをしくじった。何度か、書く事を諦めてしまおうと思った事があった。ここまで書いて思う事は、多分に荒削りな出来栄えだが、それでも仏の片鱗は見えている。今後も私は、最もこの恐ろしいテーマー、人間が、ただ快適さと過度の安全の為にー、犬猫を殺す事への、良心の呵責を欠損し、その、恐ろしいシステムに依存し、社会生活を営んでいると言う事について、もっと詳しく、正確に、掘り出して行く事だろう。命を天に預けられれば、完全な仏が彫れるだろうか。私の命と引き換えに出来たなら。言葉と言う叡智と、創造の力を用いて。美しい、仏と言う芸術的な、諸悪を浄化する祈りの存在を。もう間もなく、全ての執着が、私から去ろうとしている時に。私は言葉で魂を伝え私は言葉で生命を現し私は言葉で絵を描き私は言葉で仏を彫る言葉 それ即ち光透波(*)なり倫理の進化 了(*)大本教 出口ナオより*1 ブラック・ウルフ・ジョーンズ 「ネイティブ・アメリカン聖なる言葉」 大和書房(ジーナ・ジョーンズ著 )オジブウェイ族の血を引くネイティブ・アメリカン*2 リンダ・ホーガン 「大地に抱かれて」青山出版社 チカソー族出身の、ネイティブ・アメリカン*3 フランク・ウォーターズ 「ホピ宇宙からの聖書」徳間書店 アメリカ大陸先住民研究の、世界的権威*4 バリー・H・ロペス 「オオカミと人間」草思社 アメリカのジャーナリスト*5 スーザン・チェルナーク・マケルロイ 「アニマル・ヒーリング 動物が病を癒す」 学研 ガンを患い、以前失った、愛犬やオオカミの守護を得てそれを癒した。 自身の経験を元に、多くの、アニマと深い交流を持った人々の体験談を集めて出版*6 リック・バス 「帰ってきたオオカミ」晶文社 作家 ナチュラリスト*7 ナンシー・ウッド 「今日は死ぬのにもってこいの日」めるくまーる 詩人、作家 タオス・プエブロネイティブ・アメリカン達と、30年以上の交流を持つ。 彼らの言葉を詩篇として出版した同書は、無数の名詩選に選ばれている。*8 スタン・バディラ 「自然の教科書」MARBLEBOOKS ネイティブ・アメリカン *8は、様々なネイティブ・アメリカンの言葉を集めた本*9 ミッシェル・ピクマル編 「インディアンの言葉」知慧の手帖 著者歴不明 西洋人 ネイティブ・アメリカンの詩集*10 コーマック・マッカーシー 「越境」 早川書房 作家 本書は 「すべての美しい馬」 「越境」 「国境の町」の、国境三部作の第二部*11 スティーブ・ウィール、ハービー・アーデン 「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」 築地書館 「ウィズダム・キーパー」と評される、ネイティブ・アメリカンの古老達の言葉を編集*12 ルドルフ・カイザー 「ホピ 宇宙からの予言」徳間書店 アメリカ先住民の研究者*FC2ブログ「殺処分問題会議」 本日より始めます。http://mitsumine.blog74.fc2.com/
2008.04.05
「四足の人々の代表者はどこだ 鷲たちの席はどこだ私たちは彼らのことを忘れ、 彼らよりも偉いと思っているしかし、ほんとうは私たちは創造主の創られた世界のほんの、ひとかけらでしかない私たちは、人間がこの世界のどこに位置しているかを考えてみるべきだ人間の在るべきところは小さな蟻たちと大きな山々との間この世界の一部、一粒のかけらとしてどこかに、そこだけにいるべきなのだ自然の法のもとでは生命はすべて平等だ。これはわれわれインディアンの哲学でもある。人間の役目は、自然を開発し、利用することではない。人間の役割は、自然に仕え、自然が犯されないよう見守ることだ。人間にあるのは力ではなく、責任なんだよ。」 チーフ・オレン・ライオンズ*11「マクファグーの話を聴きながら、わたしは地球上のあらゆる生命が同胞としてわけへだてなく席を並べている巨大な円卓を思い浮かべていました。この神聖なる輪の中には、主人としてふるまう者などいっさいいないのです。ただ一つ空席になっているのは私たち人間の椅子です。そこは、君臨するのではなくともに参加することこそが魂の故郷への唯一の道であることを理解したときに着くことのできる席なのです。」 スーザン・マケルロイ*5「偉大なる曽祖父よ、われわれは承知しています、あなたがお創りになられたすべてのいのちのなかで、ひとり人間家族だけが、聖なる道を踏み外してしまっていることを。引き離されているのがわれわれであり、聖なる道のうえを歩くために、もう一度ひとつにならなければならないのが、ほかならぬわれわれ自身であることを、われわれは承知しています。」 オジブウェイ族の祈りの言葉*8「こうして飛行機で狼の上を飛ぶなんて、自然破壊に加担しているような気がする。つねに私が異議を唱えている、あの自然破壊に。スウェーデンの詩人、サンドロ・キー・アベルグは言っていた。「動物は世界をひとつにする。人間は世界を分裂させる」この飛行機は人間社会の産物だ。世界を分裂させる道具なのだ。」 リンダ・ホーガン*2「野生動物との接触の機会が乏しくなっている現代人は、自分たちと野生動物の差異を強調しようとするあまり、自然界を深い意味で反映している世界観の重要性を見失いがちである。それは自然と一体化した世界観であって、しばしば絶対の平穏を、自分は確かにこの世界に属しているという安心感を与える。”大地に帰る”という願いに表されているのは、何よりもこうした欲求ではないかと私は考える。」 バリーH・ロペス*4「トマス・ムーアは故郷を求めてやまない魂の深い渇望について書いています。「この地球のあらゆる場所と生命こそが、痛いほど故郷を求める我々の魂を救済してくれるのだと言う事に気づいた時、自然への虐待行為ははじめて終わりを告げるだろう」動物たちは心の故郷への道を示してくれます。その無垢な魂と知恵によって、地球が刻む最も古いリズムとの結びつきによって、動物たちは故郷への道を私たちに指し示してくれるでしょう。彼らは一度たりともそこを離れたことはないのです。」 スーザン・チェルナーク・マケルロイ*5「三年にわたってこのオオカミたちは存在をちらつかせてきたが、ついに「公認」-認可されつつあるようだ。複雑な心境だ。まるで、神がみずから名乗り出て来たような感じ。神の創造物ではなく、神自身が姿を見せたような感じである。」 リック・バス*6「神とはどんな姿をしているのだろう?その答えは目の前にある。魚が、水が、大地が、神の姿なのだ。」 リンダ・ホーガン*2「頭蓋骨を見ればオオカミにはエンドウ豆にも満たない大きさの脳しかないことがわかる。それでもあんなに賢いのである。学び、反応し、対応する力が、いったいどこに潜んでいるというのか。きっと詩人なら、それは魂があるからだ、あの両顎の少し奥、上の方に小さな脳の量や重さででは計りきれないなにかがあるからだというだろう。」 リック・バス*6「英国の哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、宇宙の本質に関する人間の探求について述べた一文で、そのような問題を論じているときにほんの少しでも独断的な確信をもつのは愚かさの現われだと言っている。このように、神秘的なものに対して寛容であれば、想像力が旺盛になる。そして健全な想像力こそ、宇宙の実体を探るのに役立つものなのである。人間以外の生きものが住んでいる別個の世界を正しく評価しても、人間自身が脅かされることがないばかりか、本当の喜びさえ生まれ出るのである。」 バリー・H・ロペス*4「エド・バンクスがいっているように、オオカミと人間は「猟友」だが、ある意味では兄弟なのだ。内に秘めた炎や魂、神秘の創造、追及という意味において兄弟だとぼくは確信している。しかし、こういう話をすればするほど、オオカミたちは逃げて行く。するっとどこかへ行ってしまう。オオカミたちはぼくらの後ろにはいない。ぼくらの前にいる。ぼくらが追いかけているのだ。」 リック・バス*6 「われわれが 踏みしめる大地この大地は 聖なるものだそれは われらが先祖の血であり 肉でもある」 チープ・プレンティ・クープス クロウ族*8「すべてのひとびとの幸福を求めて、その目をこらし、耳をすませなさい。今をしか見ないのではなく、これからの世代のことをー大地の中からこちらを見上げている、未だ生まれざる未来のくにびとたちのことをー常に視界に入れるように心がけなさい。」 イロコイ六カ国連合憲法*8「われわれインディアンの生き方、政治、決断はすべて7世代先の人々のためを考えたうえで行われる。これから生まれてくる人々の住む世界が今の世界よりひどくならぬよう、いや、むしろもっとよい世界であるよう気を配ることが私たちの仕事なんだ。われわれはいつでも、やさしく、心を配りながら母なる大地を歩む。なぜなら、これから生まれてくる人々が大地から私たちを見ているからだ。私たちは一時として次の世代の人々のことを忘れたりはしない。」 チーフ・オレン・ライオンズ*11「どの道を行こうとも、そこは神々の大地。神々は愛し合い、そして食らい合う。歩きながら、私はよりうちなる声へと耳を傾ける。いつのまにか私の祖先が勢ぞろいし、私を取り巻く。静かにしなさい、と彼らはささやく。よく眺めなさい。耳を傾けなさい。命の真実を教えてあげよう。何千と言う愛が交わされた。だから、あなたはここにいるのだ。」 リンダ・ホーガン*2「ほんとうのホピのひとびとの力こそが、この地球で真に平和を求めるすべてのひとびとの頭と魂とを一つにする・・・ほんとうのホピのひとびとは、地球の上でいかに生きるかについての聖なる知識を守り続ける。なぜならほんとうのホピのひとびとは、この地球が、ひとりの、生きて成長しつつある人であり、そのうえにあるいっさいのものが、彼女の子どもたちであることを、知っているからだ。」 ホピの平和宣言*8「ホピの道には、生の倫理として改善すべき点はなに一つない。これ以上よくすることなどできないのだ。母なる大地を大切にせよ。そうすれば大地もあなたを大切にしてくれる。兄弟を大切にせよ。必要なものはとれ。しかし必要以上にとるな。持てるものを分かち合え。宇宙の根源である霊に感謝を捧げよ。」 ホピの「生命の道」 ルドルフ・カイザー*12 「わたしたちを救うものがここにある。」 フランクウォーターズ*3
2008.04.05
「そして私たちは自分に問いかける。この生命の世界の中で。人間の居場所はどこにあるのだろう?」 リンダ・ホーガン*2「人間はただ、この宇宙における己の役割がわからず、しかもそのことを認める勇気がないだけなのではないだろうか。」 バリー・H・ロペス*4「リンデンはおそらく、猿が言語や知性を持つかどうかを探るうちに、ジレンマに近いものを感じるようになっていったのだろう。こう言っている。「私たちはおそらく、星やその他の物質の謎解きに終始していたほうがよかったのではないだろうか。私たちの本性や本当の能力に光をあてて、呆然とさせてしまう動物実験などやめて。ここまで言ったら悲観的過ぎるかもしれない。でも人間には、自分が何者かを知り、受け入れる度量などないのではないだろうか。」」 リンダ・ホーガン*2「指に金の指輪を幾つもちらつかせていたこの歯科医とそのシアトルの友人は、飛行機を着陸させることなく、オオカミを追い続けた狩りのことを話していた。かれらの自慢話によると、とぼくの友人はいった。強風に耐えられるように、下げ翼をめいっぱい下ろし、絞り弁を閉め、群れのすぐ後ろにつけていた。オオカミ達の真上である。群れを追いかけ、追いつき、どんどん高度を下げ、でぶ野郎が窓に寄り添い、身を乗り出し、銃を構えた。ぼくの友人は、この歯科医の話ぶりと言ったら、ばかまるだしで、救いようがなかったと言う。歯科医はその場にいながら、そこまで近づきながら、「答え」をー、その生命の神秘をつかめなかった。自分のしていることが悪いことだと気づかない。群れの絆を寸断し、オオカミたちの死亡診断書に署名をしていたことに気づかない。人間の魂の死亡診断書。地球の死亡診断書。ぼくらの生きる場所に対する尊敬の死亡診断書。すべてのものに対する尊敬の死亡診断書・・・。」 リック・バス*6「彼らの手が感情を語った。彼らの手が、私たちのそれと似た気持ちを表した。あるチンパンジーは怒って、飼育係を”いやなやつ”と呼んだ。科学実験のために連れ去られるとき、ある猿は取り乱し、抵抗し、ついには鎮静剤を与えられることになった。」「こうした実験は教えてくれる。他の霊長類にも愛する心があることを。抵抗する心があることを。豊かな感情を持っているだけでなく、その苦痛や苦悩を、表現する力のあることを。だが、人はその事実から目を背けようとする。それが意味するものが、あまりにも大きいから。」 リンダ・ホーガン*2「「モンタナにオオカミたちの居場所があるのだろうかってずっと考えているんだ」とマイクは言った。ほんとうに悲しそうだ。「場所はある。土地はたっぷりある。モンタナは大きいんだ。でも、この州の人間って大きいんだろうか?」なんと答えたらいいのかぼくには分からない。」 リック・バス*6「「この事実は人間の本性に光をあてる。人間の心の狭さをはっきりと映し出す。」 リンダ・ホーガン*2「火刑の杭のまわりに立って、裁かれるオオカミ人間を野次ったり罵ったりしながら、人々は、自分が人間性を守り抜いていることを誇示し、幸福感を味わったのである。そのように自己嫌悪を他者に負わせてみたところで、けっして満足が得られるわけではなかったことは、まさに悲劇と呼ぶにふさわしい。」「「この世にはもっとたくさんのこと、われわれが理解できないものが存在するのだ」と自分に言い聞かせることは、知識の及ばぬ神秘的なものを認めることであるが、と言って、知識にけちをつけているわけではない。それは広い視野を持つことであり、自分自身に大きな自由を与えることである。自分が正しいと言い張るために、他人を悪者にする必要はない。」 バリー・H・ロペス*4「それなのに、人はなかなかそれを顧みようとしない。科学者たちは人と猿の類似点を声高に叫ぶまいとする。そうした絆はむしろ慰めになるだろうに。」「けれども、とリンデンは言う。なぜこの実験を始めたのか、その動機がなんであれ、人間と動物の間の葛藤の敗者は”科学”なのだと。」 リンダ・ホーガン*2「母なる地球、木々、そして自然にあるなにもかもが、あなたの考えることと あなたのやることの証人である。」 ウィネバゴの格言*8「いのちとは何かそれは、夜を照らす蛍のきらめき凍てつく冬の空気に野牛の吐く吐息草の上に落ち着かない姿を映しながら日没とともに消えていく、ちっぽけな影」 ブラックフット族の首長、クロウフット*9「ミスター・サンダースはミスター・エクルズのことを半分狼みたいな人だといっていました。狼の考えることが狼よりも先に分かるって。だが老人は狼の考えることが分かる人間などいないといった。ーしばらくして老人はまた同じ主旨の言葉を口にした。狼を知ることは出来ん、と彼は言った。罠にかかった狼は歯と毛皮だけの抜け殻にすぎないんじゃ。狼そのものを知ることは出来ん。狼の知っていることも。何を知っているのか分からないという意味では狼は石と同じだ。木と同じだ。この世界と同じだ。ー猟師なんじゃ、狼は、と彼は言った。猟師。分かるかな?少年には分かったかどうか分からなかった。老人はさらに続けて本当の猟師と言うものは人間が思っているようなものではないといった。人間は屠られた動物の血に何か意味があるなどとは思わないが狼はその意味を知っている。狼は偉大な秩序に属している存在で人間の知らないことを知っている。この世界は死が支えている秩序以外に秩序はない。人間は神の血を飲んでもそのことの持つ厳粛な意味が理解できない。人間は厳粛でありたいと願うけれどでもどうすればそうなれるかを知らない。人間の行為と儀式のあいだに世界はありその世界のなかで嵐が吹き荒れ木々が風にたわみ神が創ったすべての動物がゆきめぐるが人間にはこの世界が見えない。ー狼はひとひらの雪のようなものじゃ。雪ですか。そう雪だ。手でつかむことはできるが掌を開いてみたらもうそこにはない。抜け殻は見ることができるだろう。だが本体は見る前に消えてしまう。見たいのなら自由に動き回ってるところを見なくちゃならない。捕まえたらその途端に消えてしまう。消えてしまったらもう戻ってくることはない。神ですら連れ戻すことはできんのじゃ。ーいいかね、お若いの、と老人は囁いた。息を強く吹きかけたら狼は吹き消されてしまう。ひとひらの雪のように。ろうそくの火が吹き消されるように。狼はこの世界と同じ様な風につくられている。世界に触る事はできない。手で触ってみることはできない、なぜならそれは息だけでできているのだからな。」 コーマック・マッカーシー*10
2008.04.05
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