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今日から、ヤンスカ家は2泊3日で東京へ行きます。夫の両親と、夫とウーと私の5人。私のナレータースクールの授業があるんで、ところどころ単独行動もしますが、はとバスに乗ったり六本木ヒルズや東京タワーなど、観光客プレイを楽しんできます。特に楽しみなのが、はとバス。元添乗員としては団体さんノリが懐かしいの~。浅草、柴又、巣鴨を巡るコースに参加します。でも一番の旅の目的は義父に富士山を見せる事。今時珍しく、かの名峰を見た事がないのでございますよ。で、元々出不精な義父。今まで何度も一緒に旅行に行きませんかと誘ってものってきてくれなかったのです。それが、去年ぽつんと「わし、富士山は見てみたいなあ~」と発言。それならばと色々考えて、実際に富士山に登りたいわけでないならば、キレイに眺める方法をというわけで飛行機ならば、山頂を見られるやん!じゃ、往復飛行機で東京見物も組み込もう。と、プランを提案。この時期ならば雪化粧した富士山が眺められますよね。私も羽田から離陸して富士山の横を通る時がとっても好き。天候に恵まれて、くっきりと山を見下ろせたりすると幸せな気分になるもんなあ。楽しんでもらえるよう、めいっぱいご案内してきま~す。
2009.01.23
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もうひっさしぶりに、映画館で映画を観た。しかも定価で。還暦すぎたおかんと中年娘の二人連れで。きっついでしょ。「チェ 28歳の革命」なんと館内のお客は私達含めて12名!最近の映画館って、ほんまに椅子もフカフカ、足元も広々飛行機のビジネスクラス級。でもって、どの席からでも見やすくなってるもんなんですね~。って一体いつから私は映画館に行ってないねん。私の母は、女子には珍しく共産主義国の研究だの、軍事だの、秘密警察だの、革命家の物語が大好きであります。ま、私もまったく影響を受けてないわけではないけれど母のように図書館から、北の国の将軍様の著書を借りたり文化大革命だのソビエト崩壊だののネタだけで楽しく過ごせるほどマニアではありません。母いわく革命家は大宗教家と同じ。人を魅了する要素がないと天下はとれないらしい。チェ・ゲバラはアルゼンチン生まれのお医者さん。カストロに影響されて革命家への道を進んだお方。よく中南米ではお土産のTシャツに葉巻をくわえてベレーかぶったゲバラの顔がついてるのがあるしたくさんのアーチストが彼を支持しているから何となく風貌は知ってる人も多いんじゃなかろうか。今回の「チェ」はパート1、2と二部作になっています。パート1はキューバを舞台にしたもの。本当に見事なくらい色恋沙汰のエピソードはなし。戦闘とゲリラ生活が描かれるのみ。もっとゲバラという人を持ち上げるのかと思いきや、そうでもなく比較的ありのままっぽいタッチで彼という人を浮かび上がらせてます。ものすごく厳しい方。規律とかいうレベルじゃなく、本当に「人として」立派でいましょうという感覚で自分にも他人にも厳しい。そして、革命というのは武力のみならず、教育が大切という姿勢を貫く。無学の兵士のために、学校も作り自らも読み書きを教える。とても紳士で、敵の捕虜に対しても汚い言葉づかいをしないよう丁重に扱うよう部下に命じたりする。意外だったのは、彼がぜんそくに苦しんでいたこと。よく悪条件のジャングルや高地を行軍できたものだわ。でも、目的の為には容赦ない部分もあって…。正直この理想的なリーダーを部下はどう思っていたのかなあと興味深い。女子の兵士も出てきたが、ゲバラを誘惑したいと思わなかったかしらん。あらら気がつけば私はすっかりゲバラの虜。あれやな、私の中ではあの人に似てる感じ。理想のリーダーとしてよく出てくる、上杉鷹山。「民のために」がんばる方。まあ、上杉さんは産業の発展がクローズアップされるけど欲も無く、ひたむきに世直ししようとする姿がかぶるわ~。おかんも満足したようで、また続編を観にいこうと約束。きっと当分キューバの歴史やゲバラ関係の読書ブームが続くはず。私も近いうちに「ゲバラ写真展」観にいくつもりやし。この晩、私は眠りながら豪快に笑っていたらしい。夫に何がそんなに嬉しかったのか聞かれた。いや~実は夢の中で私はボリビアに革命を起こしていた。作戦は大成功で、高笑い。そう語ると、素敵な奥さん系には程遠いと遠い目で言われた。ホントだな。素敵な奥さんは、もっと違う映画観るよなあ。
2009.01.23
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先ほど…午後9時前に、うちの市の保育課から自宅に電話がありました。ウーの保育園希望に対する結果報告です。「先だって面接や観察などを経て、おたくの場合はもっと療育が必要ではないかと いう意見になり、保育園の障害児枠での入園は残念ながら認められません」聞きながら、頭の中が真っ白け。うちの市では、障害児が保育園に入りたい場合2つの審査を受けます。ひとつは、普通に就労や出産などのために保育を必要とする一般的な申請。この場合、3月上旬に抽選結果が通知されます。もうひとつが、その子にとって地域の保育園で発達を促す為集団保育を受けるのが望ましいと勧められて申請するケース。親は未就労でもかまいません。その代わり、人数に限定あり。これが障害児枠と呼ばれるもの。私はすでに仕事を持っているのだから、普通に就労者として申請したけれど、現在療育を受けているのだから上の後者のパターンでも審査されると聞いて、えっ?と思いつつも流れにしたがって、結果を待っていました。障害児枠のメリットというのは、介助の先生がついたり定期的に心理や訓練の先生の巡回があるということ。でも、色々調べたり話を聞いてみると、ウーならば現場の先生方のフォローで充分に対応していただけると言われ、今の療育園にも外来で必要な訓練だけを受けに来るならば、特に障害児枠で入園しなくても大丈夫だなと考えてました。だから、障害児枠で行けなくても、とにかくどこかの園に行けたらなあという点でしか心配事はなかったわけ。でも、今さっきハッキリおっしゃいましたよね。「もっと療育が必要」と。てことは、就労を理由に申請している志望枠なんて意味ないんじゃないのか?3月になって、今言われたことで落とされるのならいっそ今言うてくれ。「今年度は見込みがない」と。で、こんな私のことなんでその思ったままを尋ねてみたの。ギリギリまで待たされて、保育園無理って言われたらすでに4月以降の仕事のスケジュールも出ているので調整が難しくなってしまう。きっぱり「保育園は無理だから療育施設の検討を」といっていただけたらそれに向けて心の準備もできるんですがと。当たり前だけど役所の方は「私の口からは申し上げられません」とのこと。こういう時に、本当にもどかしくて悲しくなってしまう。今の療育園からは「もう修了」と言い渡されているのに、市の担当者からは「まだ必要」と言われる。でも候補の施設は、ウーにとってはベストとは言えない環境。ほんの少しだけ、工夫していただけたら地域の保育園でも大丈夫だと現場の保育の先生方は言ってくださってるのに。こちらだって、新しい環境で迷惑をかけないように色々練習したり、想定して訓練していただいてるのに。切ないよう。どこに行けというのか。こんな事で凹んでいる場合ではないけど、厳しい現実と向き合う3歳の春。保育園受け入れに理解ある自治体、もしくはうちにとって望ましい療育が受けられる施設のある場所へ引っ越そうかという思いが急浮上。夫もこれには賛成。市からの電話をきった後同じ園のクラスの母仲間と携帯で喋る。彼女も、私と同じ条件で保育園申請をし、同じように先ほど市から「障害児枠」での入園は不可能と言われたばかり。これにはビックリ。だって、このお子さん。ウーなんかより身辺自立はバッチリ。うがいや、歯みがき、お着替え、一人で食事、できてるもん。保育でも自分の意思をはっきり伝えられるし、お友達をリードできるし。いわゆる普通に近い状況だから、外されたのか。ウーはまだまだアカンということだし。そもそも「障害児枠」に適用される子の基準が知りたいよなあという話になりました。介助がつくというくらいだから、逆にガッツリと障害児です!っていうのがいいのか(言いながら苦笑しましたけど)彼女は週明けに市の担当者に話をしに行くとのことです。私も一緒に行きたいが、別の時に聞きに行ってみよう。がんばれ!わしら!
2009.01.23
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ああ、今日は激しく一人の学生を叱りつけてしまった。もうすぐ卒業なのに、まだ提出できていない課題が100枚以上。遅刻率80パーセント。で、無連絡。もう本当にダメダメちゃん。何度も何度も、話してきたけど全く応えてくれないもんだから、「もう帰りなさい」ってついに言うてしもうた。でも、帰らない。めげてはいるけど、クラスメートの実習を眺めているし興味も持っている。じゃあ、なんでちゃんとやらないの?決して才能がないわけでなく、センスのよさは持っている子。学校だから、大人は根気良くこの子を見守っているけれど春からは社会人。どんなによい内面を持っていても、遅刻や期限を守れないってところで相手にされないだろう。何より、芸能の道に進むのに、そんな事では「ただのカモ」にされてしまうだけ。あまたある声優養成所やタレントスクール。本当に使えると思って採用するケースと、これは延々レッスン料を納めてくれるに違いないっていうカモさんグループとして「合格」させるパターンがあるのは皆さんご存知よね。もちろん、カモにも下克上の可能性はないとは言えない。それが芸能界の面白いところ。でも、カモが「もしかして自分ってカモだったの?」と気付かない限りカモの池から飛び立てないのよね。中にはカモでいる事が好きという子もいるのでカモ=かわいそう、ではないけれど。専門学校は、養成所とは違う。プロとして通用するような基礎的な知識と実技は提供するけどその道に行かなくても全然かまわない。「教養」のひとつとして通学する子もいる。でも、ダメダメ子ちゃんは「声優になりたい」といい何とか先生方や教務スタッフが必死に行き先を探して春からはとある養成所に入ることが決まったわけ。フツー、こんな遅刻魔は通用しない!だけど、この子の中のまだ信じてあげたい可能性や(どこかで変わってくれたらいいなあ)養成所とのパイプになってあげた講師やスタッフの人柄や努力でカバーしてもらえてたりとか、色んな要因でおさまったんだから自分でそれを帳消しにするような言動は、本当にかなしい。辛い。先生はね、先生業というお仕事をやってるだけかと思う?講師と学生という関係だけど、仕事だけで授業してるんと違うよ。これでも、何とか皆の良いところを引き出して、自信をつけてもらえるように素敵な表現者になってもらえるように、私が若い頃こうやっておけば良かったと切に感じてることを伝えてるねん。表現以前のことで、いっぱい説教もするけど表現は、作るものじゃなくてさらけ出されてしまうものだからみんな自身で、自分の手で磨かないと仕上がらんものだから時間やチャンスを無駄にしてることにいら立って、怒鳴ってしまうねんよ。私自身は、「もう一人のオカンまたはおせっかいやけど甥姪を愛してるオバ」の気分で皆を見つめています。やっぱり自分の身内には幸せになってほしいねんで~。今日は、ダメダメ子を叱ったあと、学年主任の先生に報告しました。そしたら、その先生が「ヤンスカ先生、辛かったでしょう。正論で諭し、怒ってるわけやけど きっと、今心がヒュ~って気分でしょ」と、おっしゃった。うわ~ん、先生!そうなんです。私、きっと間違ったことは言ってないし、感情で叱ったりは絶対してないです。でも、ダメダメ子に「今すぐ帰りなさい」といった事は後悔してるんです。誰かを殴ると殴った方の手も痛いというけど、私も心が痛かったです。こういう思いを吐き出した私。主任先生は、「本当はね、そんな事で揺れていたらいけないのかも知れないけど 僕は、ヤンスカ先生がそこで揺れていることに対して、人として信頼するし そういう先生もありと思います。うまく気分転換して帰ってくださいね」というお言葉。感謝感謝です。今日はこの後事務所に行き、控えている仕事の原稿をもらい他の件でも打ち合わせがありました。モヤモヤを吹き飛ばさなくては!放心状態で歩く私を、誰かが見てる。いや、目にバッチリ飛び込んでくる何か…。ふらふら~と私は吸い寄せられ。なんと、それはバーゲンをやってるブティックのショーウインドウ。か、可愛いコート♪試着しなきゃ~「すみませ~ん」数分後、私はグレーのコートと明るい朱赤のストール紫のはおり物ニット、オフホワイトのカットソーをお買い上げ~ふう。気分転換終了。そんなんでいいんかい!と突っ込まれそうだけど。勘弁してください(笑)。
2009.01.21
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一気に日記3本更新!よろしかったら読んでくださいね。さてさて、10月から毎週東京へ「テレビナレーション」の修行に通っている私。場所は赤坂。ミッドタウンにサカスに六本木ヒルズも近い放送ギョーカイ人の集結するエリア!毎度毎度、刺激が多くそして基本日帰りで通ってるんで、なかなか頭の整理ができないままでした。しかしながら、高い学費払って通ったかいがありいくつかの変化も出てきました。まず、ナレーターという仕事に対する愛と意気込みがさらにアップしたこと。今までと違う角度から光をあてると、いつもの仕事にだって工夫のしどころはたくさんあること。プロというのは、「与えるヒト」だという自覚。美意識をもっと持たなくてはと感じてる事。それらによって、私は専門学校で教える時にも、事務所の若手さん方と勉強する時も相当自分のモチベーションがあがり授業の出席率が上がったり、若手さんの意識もアップして素晴らしい結果を出して私を感動させてくれたり楽しい気分で日々過ごせています。一方で、「東京」のノリというものにびっくりしたりププって思ったりもしています。あくまで私の主観ですが、大阪や関西エリアにおいては「お笑い偏差値」の高さが非常に重要ではないですか?地元の皆さん。プロのお笑いさんだけでなく一般人でも、最低限の面白さはないと生活に困る勢い。飲み会でも何が楽しみって、次から次へとふくらむトークやおもろいヒトとの出会い。トークの内容は、別に真実でなくてもいい。大体ホラ吹き男爵やら、創作満載のネタふりお嬢が必ずどのグループにもいますでしょ。どっかんと笑ったり、しょうもないなら、徹底的にいじったり何せ面白くもっていく。で、東京の方々(よそからの上京者も多いでしょうが)と飲んでみるとフツーにトーク。オチもない。延々、フツーにトーク。自虐ネタで気を惹こうとすると、本当に受け取られ同情されて、私は完敗。もしかすると、関西人を殺すには自虐ネタを利用せえというマニュアルでもあるのかも。わざとやられてるのか?私。と、被害妄想が花盛り。そして、今お世話になっているナレーションスクールの母体であるプロダクションの方の戦略をきいて驚く。そこは、業界の中でもクオリティの高い人材を提供する。そして新しい戦法でスターナレーターを売り出してきた。その方法のひとつに所属ナレーターは皆ヴィトンのカバンを持ちカルティエの時計をつけてインパクトを与えるというのがあった。それを聞いて、私や他の関西出身者は(そら、東京やしそんな事が通用するんやん)と心から思った。他の地区のヒトは目を輝かせて、その作戦に憧れを感じてるようだった。憧れるのは全然かまわんよ。何を素敵かと感じるのは自由だから。でも、もし、大阪の現場でそんないでたちをした「ナレーター」がいたら(アホちゃうか~)と陰で(といってもちゃんと表にまわってくるんやけど)ウワサされ「よお儲かってんねんなあ」とニヤニヤいやみを言われるだろう。まったくそんな存在がないとは言わないが(タレントさんは別よん)事務所ぐるみでそんなんしてるらしいと同業者や先輩に話すと皆ゲラゲラ笑って聞いていた。「まあ東京の人やから許されるわな」というのが大体の意見であり大阪人がそういうことをしたら「かっこ悪い」という見解が主流かと思う。昔なら、東京は問題なく憧れの地であり夢見る若者の約束の地だったろうなあ。私も20年前は「大・東京様」とあがめていたもの。でも、今はローカルを誇りに思い、地方で一生を過ごすという流れもグイグイきてる気がする。実際、住宅事情や食生活やら東京ってお粗末だなあと感じる部分もある。東京は、でも今後も東京を演じ続けなきゃいけないんだろうなあ。うそ臭く、でも魅力たっぷりに。私は大阪も東京も他の土地もみんな興味ある。東京の都会としての大きさには毎度感心し、興奮する。ハイソから、下町。トレンドに江戸文化。きらめくネオンに緑の多さ。残念ながら大阪の繁華街は、東京のようにバラエティさには欠ける気がする。町によって雰囲気ががらっと変わり、あらゆるものを包み込む懐の深さでは大都会・東京にかなわないと感じてる。こんな土壌があるから、放送業界だってすごい人達が集まるんだろうなあ。おもろさだけで言うと大阪の勝ちって思うけど、作り手全員の質の高さでは、う~ん、やはり東京。聞いてると、東京で数人が専門的に担当しているパートを大阪では一人がまとめて処理していたり。東京では、「ある表現」だけにこだわって演じて食べていける方がいるそうな。大阪では「何でもやさん」じゃないと、仕事量が減ったりする。私も「何でもやさん」だった。でも、東京に来て自分の売りの絞込みをして自分を高めようと思うようになった。収入は減るけど「専門家」にならないと東京の専門家とは互角に戦えない気がする。不安はあるけれど、やはり私は特級のナレーターになっていきたい。そんな思いで今年を迎え、この日のレッスン。♪ジャ~ン♪テレビから流れる憧れの声と語りの持ち主S様、登場!あかん、目まいが…。私は先生と目が合っただけで倒れそう。「特命係長」でバタバタ女子がやられていく場面を想像せよ。声も喋りも、もちろん指導も文句なし。でも何よりね、ご本人の存在そのものが素敵なんですわよ~。華やかで、クールで、セクスぃ~で。テレビから伝わる素敵さがそのまんま、目の前に在るんだもの。去年女性ナレーターのSさんにお会いできた時もそうだった。常にテレビの声のまんま。当たり前やんっておもうでしょ?ノンノン。私が言いたいのは、その彼女の世界観やお人柄やなんやかやが素直にあらゆる表現に反映されていることに感動したっていうこと。私は…私は全てをさらけだしてない。どこかで、まだ自分を守ろうとしてきた。仕事とそれ以外ではガラリと使い分けたり。そういうやり方もあるとは思うけど、東京へきて、トップナレーターの先生方を観察するともう佇まいそのものが、在りのまま(わけわからん表現やね)とにかく、その人自身がこんなに素敵なんだから素敵な表現になるのは当然さっフフフ~ンって感じなんですわ。こういう事に気付けたのはすごく良かった。ナレーションの技ももちろん、フツーに人として魅力いっぱいの素敵な存在になろう。ファッションも本当にカッコイイです。大阪にも、もちろんカッコイイ方はいらっしゃるけど声だけ「素敵」なナレーターも多いからなあ。こういう点は東京式に、お洒落ナレーターが増加すると楽しいな。素敵なS様。惜しみなく、ご自身のテクニックや原稿の解析を披露されました。私は、この日だけで学費払った値打ちがあったと心底思いましたよ。ここ数年、こんなに誰かにトキメキと感動を覚えたことはありません。スターとは、在るだけで誰かを幸せにするものですね。いつもそうなんですが、私はあまりにも相手を好きすぎると、話しかけられません。S様、授業のお礼を伝えられなかったのは、こういう事情からです。次回の授業も本当に楽しみにしております。S様フィーバーは、なんと一晩続き、興奮のあまり眠れない私。夫を相手に語る語る。毒舌家で素直じゃない私が目をウルウルさせて語るもんだから夫もかなり驚いていた。夫は私の影響で、一般人にしてはナレーターに詳しくなっている。でもと、彼が言う。「まあ、フツーはそこまでナレーションに神経むかへんのちゃうかなあ」確かに。それが現実かも知れない。誰もナレーションの現在や未来に興味なんてないかもしれない。それでも、私は素敵なナレーターになりたい。S様って誰よ?と思ったアナタ。「ロンドンハーツ」や「ヘイヘイヘイ」ですわよ。
2009.01.19
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え、部屋に鍵がついてるのは当たり前?そうですね。でも、その鍵は決して子ども達の手の届かない位置につけられていて内側と外側のダブルロックで、その施設の全てがそういう状況です。ドアノブも私の胸の高さぐらいの位置。(ちなみに私は155センチ)かなり不自然な高さに付けられています。大人は部屋に出入りするたび、ロックします。その施設は、子ども達と先生だけで過ごします。保護者が一緒にきて療育を受けるわけではありません。ここは、ウーの進路候補のひとつ。知的障害のお子さんと発達障害のお子さんを専門に扱う通園施設で就学前の子ども達が対象です。今は肢体不自由児の施設に通っている私達親子。ダウン症ときいて、一般の方は「知的障害」の方は浮かぶでしょうが筋力が弱いという部分はあまり知られていないかと思います。私だって、そうでした。だからまず、生まれつきの合併症の問題をクリアしたら(一段落ついたら)身体面の発達をうながすための訓練を受けるというのが主流ではなかろうかと思います。そこで、私の住む市では肢体不自由児施設に親子通園しPTとよばれる理学療法の訓練を中心としたST(言語聴覚訓練)OT(作業療法)などの個別や集団の訓練、クラスに分かれて、保育や給食、お昼寝など生活のリズムを整えています。独歩ができたら園を出て行くというのがここのルール。正直、もっとここにいたい。やっとウーは担任にも慣れて、自分から係われるようになってきた。お友達の名前もおぼえた。自分の居場所なんだと自覚して、時には自宅でやるような駄々コネもする。居心地いいんだよなあ。でも、待機している幼児がいます。私達が熱望したように、早く療育したいと待ち望む親子がいます。だから、私達親子は旅立たなくてはね。で、保育園数ヶ所と知的障害の子が行く施設を見学。施設では、かなり動きの激しいお子さんを目の当たりにして正直衝撃でした。本当に、私が親だったらどうやって接したらいいのか。追いかけて、うまくその子をコントロールする先生方の手腕にまた違う意味の衝撃。やはり、特徴をもった子達には、コツを知っているプロの先生がいいのかな。静かな、静かな今の療育園とは空気が全然異なります。瞬時にして自分の心のバランスを失い、パニックになる子。とにかくじっとしていられない子。先生を独占してしまう子。私をわかって!といわんばかりの発信力が満ち溢れています。ウーは受信のヒト。自分の思いはあるけど、感度に優れた、コツを知ってくれてるヒトじゃないとなかなかウーの物言わぬ発信力をキャッチしてもらえない。そして、身体的にも同年齢の子達にくらべて頭ひとつ、下手したらふたつ近く背が低く体格もいまだに1歳半の子ども並み。ここの子達は、身体の合併症を持つ子が少ないらしい。心臓をはじめとする内臓機能の障害ね。身体はとても丈夫で、知的な面や情緒に特徴がある子がメイン。一人で歩けるが段差などはまだまだ大人の介助がいるウーには厳しい設備もある。なぜ、こんなにきっぱり肢体不自由児と知的障害児の施設を作り分けるのか?どっちかだけっていう風に思っているのかなあ。もっと現状を知ってほしいなあ。本当に、福祉施設や町の環境を設計する方は本人や家族の声を聞いてほしい。最近でこそ使い勝手のよいトイレが増えてきたけど、ただ広いだけ、みたいなのもあるもんねえ。介助ベッドにしたって、位置によっては使えないってパターンもあるのに。おむつがえシートも、健常の赤ちゃんにしか無理っていうものもある。うちなんかは場合によっては、今でも横たわらせておむつ交換せねばならず、かといって、壁付けタイプのものは体格的にもう限界。話はどんどん横にいくけど、障害者手帳を持っている方にはオムツが支援されたりするのに、療育手帳の軽度ではダメだったり。あのなあ、知的に問題があるから自分で「おしっこ」っていえなくて長い期間おむつを必要としてるのよね。身体が動かせないからおむつっていうのと同じように扱ってもらえると助かるのになあ。なんだか、グチっぽくなるけど、個々のパターンに応じたケアが望めるようになったら理想ですね。同じダウン症でも、うちはコレを助けて欲しいってポイントが絶対違うはず。…で、話を元に戻して。施設内につけられた鍵は、突然外へ飛び出していく子の安全対策のためらしい。たしかに幼児でも、本能的に出されるパワーってものすごいから追いかける先生も大変だでしょうね。何か子どもに起きてしまってからでは遅いから用心のために鍵をつけるというのは、正しいのかもしれません。でもね、でも。あらゆる子ども達の集まりだから。大人が手の届かない位置にある鍵をかける姿を悲しい思いで見つめる子どももいると思うんだなあ。ウーだったら、どうかなあ。私も掃除する時に自宅内のドアをしめて、ジャマすんなよ~的なことします。ガラスの隙間から、「あーちゃん」と小動物のような目をして私を見つめているウー。今、ウーはお手伝いブーム。食べた食器を運びたい。掃除機をかけたい。モップかけたい。ほうきを持ちたい。洗濯カゴ持ちたい。郵便物は自分が運びたい。今の療育園では、先生が「ウーくんこれ運んで~」とお手伝いプレイさせてくれるし職員室に先生追っかけていっても、優しく対応させてくれる。保育の途中に脱走しかかっても、逆に先生方は「お母さん、ウー君は自分が納得したら自分で戻ってくるから見守ろう」と言ってくださってきた。その状況から、鍵をかける環境へ移行したら、ウーはどう感じるのかなあ。正直わからない。ここは、こんなものだからと慣れていくのかなあ。ウーに関していえば、赤子の頃は触覚過敏な傾向があり私の手を握るのも、哺乳ビンを持つのも嫌がってました。地道な訓練を重ねて、やっとスプーンを持ち、おもちゃに触れ最近はお友達や先生、私ともしっかり手をつなぐ。うちの場合は、ドアノブを自分で掴み開けようとする、その動作に喜びを感じてしまう。(ああ、これがドアをあける仕組みなんだと理解してるんだなあ~わかるようになってきたんだなあ~と)ウーの育ちが本当にゆっくりだから、カンタンな鍵なら開錠して飛び出していける子達の、その知性と体力をうらやましく感じたりもする。だから私は、鍵だらけの施設をみて胸がつぶれそうになった。何か方法はないのかなあ。外へ出て行く子ども達を鍵だけでしばらない方法。健常児のお母さん達が、この施設を見たらおそらく違和感を覚えるはず。ああ、たくさんの人に知って欲しい。見て欲しい。あなたのお子さんが、この部屋で毎日過ごすとしたら、どう思う?って聞きたい。でも当事者の親にしたら、鍵は大切なツールに違いない。命を守るものだろう。自宅でも鍵を強化して、子どもの安全に気を配りとても気持ち的に消耗されてるんじゃないのかなあ。うちの子が抱える悩みとはまた別かもしれないけど何とかお互い寄りそっていけたらいいなあと考えている。うちが違う進路を歩くことになっても、この鍵のついた部屋のことは引き続き私の課題だ。せめて、子ども達のの特徴にあわせてクラス編成や鍵の有無を考えてくれたらなあ。もっと勉強しよう。色んな人と交流もして、いいアイデアの降臨を待とう。
2009.01.09
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記憶が消えないうちに…。5日からウーの療育がスタート。先月はあまり通園できなかったので、今年はできるだけ行きたいものだ。カレンダーを眺めると、ウーの修園まであと3ヶ月もないのよね。早いなあ~。3月になると療育園といったんお別れ。0歳の頃からお世話になり、親子そろって初めての節目になる修園式。そして、その後ウーはどこへ受け入れてもらえるんだろうか。保育園か?知的障害児と発達障害児のための療育施設か?そういった進路を決めるための「観察保育」なるものをこの日、私達親子は経験しました。もう、冬休みの間もなんだか頭の片隅から追い払えなくて「観察保育」って何するんだろう~と考えまくってました。朝、普通に登園して全体の挨拶のあとクラスの部屋へ。いつもどおりの集団保育の時間。クラスの歌→一人ずつお名前呼び→今月の課題遊び(今は【子供の王様】という歌遊び。王冠を被って一人ずつ椅子にすわりお遊戯して他のお友達に王冠を渡す)→リトミック→設定遊び(教室内にスロープやバスケットボールのネットのようなのをつくり、自分のボールを持ってゴールしに行く)→先生の絵本の読み聞かせ→おしまいの挨拶以上の流れで大体45分間。観察に来られた先生は、教室内でただただ見学をするのみ。去年の保育園申請の際に市役所で行われた親子面接の時にお会いした方だが何となく、今日は会話をするのが憚られたわ。ありのままを見に来られたのだし、仕方ない。と思ってたら、ウーの方が気付いてパ~っと観察員の方へ歩いていきニコニコして手を振った。これには、先生も笑顔で応えてくださりウーは満足。なかなかいい感じかな~と私の緊張感も緩むが、ウーはやってくれたあ!ボールをネットにシュートするのが楽しくて、お友達の時間にも割り込みたくて仕方がない。この訓練の中には「自分以外の子がやってる時には待つ」という課題があるんでウズウズしているウーを引き止めるのが私の仕事。しかし、ウーは交代するのがイヤで激泣き。床に寝転びいじけまくり。あ~あ~、印象悪っ。「観察保育」の目的は集団の中に入って周りとやっていけるか?特別な配慮が必要か?そもそも大きな集団で育つのがいいのか、少人数の中で育つのがいいのかなどを決めるためである。よくよく考えると、そこには親の意思はあまり反映されないわけで。一応、うちは私が有職であるから保育園を希望しており「おたくのお子さんは大人数の集団に向かない」からとさらなる療育を勧められた場合、辛いものがあるのよなあ。なぜなら、その施設は午後3時には終わってしまうしなんだかんだと週に一度は保護者の呼び出しがあるそうなのよ。施設のハード面も、どちらかというと特定の行動をとるお子さんに照準をあわせており、正直私は初めて見た時にショックを受けてねえ…。(これについては後日の日記で書きます)なんせ、いくら私が声をあげてこうしたいんです!と訴えても通用しないシステムなのね。今までの自分の行動の中で、ほとんどを自分で決めて進んできた私にとっては、こういう現実はしんどい。他者に委ねる。これ自体は、全然悪い事ではない。自分で突き進んだ結果、失敗も多々経験した私だから、よくわかる。ウーを授かってから、他者に委ねて、そして助けられたことの方が多いのも事実。その道のプロというのは、どんなジャンルであれ、やはり有能だし素晴らしい行動と決断をしてくださる。ただ…決断がそのまま素晴らしい結果に結びつくかというと、それはまた、別の話。そこらへんで、私は往生際が悪いんだけど「タラレバ」妄想でアップアップしてしまう。だけど、世間の親御さんて、形は違えどみんなこういう体験をしてるんよねえ。我が子なのに、自分の思いと全く異なる道を歩いていかれたり、親子でタッグ組んで努力してるのに、報われなかったり、純粋に運命のしわざで思いが叶わなかったり。だからね、今日の出来事はどんな結果になってもちゃんと受けとめよう。受けてから、また考える。今月の下旬には、結果が出るらしい。心して待て!私。
2009.01.06
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皆様あけましておめでとうございます!また宝くじ長者になりそびれたヤンスカ家です。夏冬ごとに、妄想におぼれトホホを繰り返す(かつての寅さん映画のごとく)懲りない我が家。まあね、お金も大切だけど何事もなく今日この時を迎えていることが何よりハッピーよね。どうぞこの一年もよろしくお付き合い下さいませ。去年は26日の終業日にウーと療育園に行き28日に仕事納め。29日は家事三昧。30日は実家の手伝いと買出し。31日は夫が帰国、一緒に実家にて夜中まで過ごし帰宅。そして今日は家族3人で朝を迎えられました。ウーもいっぱしに年越しそばを食べました。明日は夫実家に新年のごあいさつ。明後日は、実妹と京都へお出かけ予定。4日は初仕事。5日からはウーの療育始め。6日は保育園志望のウーを観察するため療育園に市のスタッフさんがやってくる。7日からは通常通りの生活のスタート。あかんあかん、今は今を楽しもう。日中から家で飲める幸せ。今日は父ちゃんが遊んでくれるから母ちゃんは飲むよ~。そして昼寝もするもんね。皆さんのところは「年越し・正月のこだわり」ってあります?うちはね、新しい下着。そんなん当たり前?子供の頃の刷り込みってスゴイですよね。私は祖母やら母が大晦日に「正月を迎えるのに体をきれいに洗って新しいパンツはかないとダメだ」的な事を言って家族中の肌着や服を新調してくれたのを嬉しい思い出として持っています。まあ、今は服なんて年中新しいものを着られるし(昭和女子の私の子供の頃は、ハレの時にしかおべべは買ってもらえませんでした)特別に新年だからという意識はないのだけど、新しいパンツや下着は、やっぱり私の中で特別。そんなわけでウーにも新しいパンツとシャツ、ズボン、靴下夫からはウーに新しいセーターを用意しました。まだ幼児だからお正月の意味なんて理解できないだろうけど何かが新しく変わる一日なんだって感覚が伝わりますように。こんな風に普通に暮らせる事が当然なんだと錯覚しないように。親子で感謝を忘れずにいたいものです。
2009.01.01
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