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今日は待ちに待った、育児放棄デー。ウーの世話をウー父に任せ、京都に行って来ました。一人で。京都の国立博物館で開催されていた「大絵巻展」が最終日だったんで駆け込み観覧してきたのです。ここは、東山七条、三十三間堂のお向かいという事もあり、観光客も多い博物館です。でも、それにしたって、こんな凄い人出とは思わなんだよー。朝、9時30分からの開館なんで、私ははりきって9時過ぎに現地へ到着したのですが、すでに入場を待つ行列がずらーっ!係員さんに、「今で30分待ちとなります」といわれびっくり。一番のりの人は7時から並んでたらしいの。横4列で、長さは数百メートルの人の群れは壮観。あの~絵巻ってそんなにブームなんでしょうか?今回は、みんな知ってる(ウー父は除く)「源氏物語絵巻」「鳥獣戯画」「信貴山縁起」が、メインで他には、「地獄草紙」や「紫式部絵日記」「伊勢物語絵巻」などの有名どころあり、神社仏閣のいわれなどが描かれた縁起が勢ぞろいでした。なんせ、巻物ですから、右から左へ移動して鑑賞しなければなりません。そして、しっかり細かいところまで見ようと思うなら、またまた館内の各展示物の前で並ぶのです。それが、また人気の絵巻の場合30~40分待ち。はりきって音声ガイドを借りたので、意地になって観ました。やっと全て回って、お土産に鳥獣戯画の蛙と兎の相撲がデザインされたクリアファイルを購入し、外へ出てみたらもう昼。入館を待つ行列は最後尾で2時間30分と案内されており本当に驚いたのでした。さあ、次の目的地へ移動です!今日はこれから、もうひとつのイベントに参加するのです。
2006.06.04
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ウーの父ちゃんは、海外旅行の添乗員です。昨日、北欧周遊から帰ってきました。いつもは、非常に穏やかな彼。それが、今回湯気をたててまくしたてます。「もー最低や」うちは夫婦して、おしゃべりなものですから、早いもん勝ちで会話の主導権を握ります。したがって、私は聞き役。何?イヤーなお客様?(こういう時にも様付けしてしまうサービス業従事者)それとも、荷物が紛失したのか?盗難?などなど想像をめぐらせていると、「中華料理やねんけどな」と、語り始めた彼。皆さんは、ツアーって利用されますか?最近、価格破壊がすごすぎて、10年前では考えられないツアー代金で世界中まわれるようになりました。一見とてもいい事に思えますが、私は反対。だって、どこで埋め合わせるかというと、お買い物の立ち寄り。もう知ってる人は知ってるのでいいますが、お客様を連れて行って、何か売れたら、バックマージンが旅行社に入るというもの。不便な道中でトイレを借りられる、万一商品になんかあった場合のフォローはちゃんとしているなどの、よい点もあるけど、正直、もっと観光に時間を割きたいと、多くの添乗員は思っています。しかし、元々、土産物があまりないエリアもありまして…。観光はしっかり組み込まれている。でもツアー価格を下げて売り出している場合ジャーン!当然、宿泊施設や食事内容のレベルを下げる事で調整する事になります。国内の近場の激安ツアーならば、参加者もわかっていて申し込む人が多いです。1泊2日で温泉地、食事付き9800円もちろんバス代込み、なら文句も言えませんもんね。でも、よほどの事がないと、ノルウェーだのフィンランドってちょくちょく足を運びませんよ。私もこの二カ国へは行った事がないから、当然、バイキング料理を食べるだの、教科書で習ったフィヨルドだの白夜とか、ムーミンもいたっけと、イメージを膨らませます。昨年まで、ウー父は北欧へ行くと旨いサーモンを腹いっぱい食えると喜んでいました。またバイキング料理やから、飽きるし(ムカっ!)あんぱんでも持って行こうかな?と自慢たらたらでした。それが今年は、価格破壊の影響大で、どこに行っても居たたまれない食事と貧相な部屋だったそうな。食事のコースなんて、パン、肉か魚のメイン、つけあわせ、それのみなんていう質素さ。添乗員なら誰もが逃げ出したくなるような場面のオンパレード。そんな中で、お客様もウー父もひそかに期待していた食事の日がやってきたのです。それが、中華。世界中どこにでもあり、さほど期待を裏切らず、和食と共に恋しく思える料理ですもんね。「さあ、今日は酢豚や春巻きが出ますよ」彼の声も朗らかに響いたことでしょう。そして、指定の店に着いてみると、店名が『さむらい』(仮名です。こういうイメージの名前)。中華っぽくないですよね。でもヨーロッパの場合、日本も韓国も中国もごっちゃに認識されていて、なんちゃってアジア料理店として営業している店もよくあるしと中に入りました。目の前に存在する寿司カウンター。かと思えば、赤い中華風ランタンが吊るされ、竜の置物。どこにも、日本人はおろか中国人も韓国人もいません。その他のアジア系の店員が、あちゃー、ほんまもんの日本人が来ちゃったよんてな困惑の表情で一同を迎えました。酢豚がきました。はずですが、どこにも豚はありません。ガーン!それは、じゃがいもだのニンジン、他の野菜を砂糖と、現地風のビネガーで汁物のように煮込んだもので、シチュー皿に入って各自に配られました。彼は厨房へ抗議に向かいます。話が違うし、何食わしとんねんと。食事会場ではどよめきが起きています。あわてて戻った彼が見たのは、「季節の生野菜サラダ」というつもりの生の白菜の盛り合わせでした。まるで、鍋ものに入れる前の大皿そっくりです。彼は、観念して、次の春巻きを待ちます。あれ?意外にもイケそうです。見た目は…。勇気ある誰かがかじり、普通やでーと言おうとしたら「これ、中にキャベツしか入ってへんで」最後に、中華スープです。やっと、まともな物が来たーとホッとして口をつけると、それは味噌汁にココナッツミルクを入れた特製のものでしたって。しかし、人間というのはすごいですね。空腹に耐えかねたある人が、「酢豚」の皿にご飯をぶちこみ、混ぜて食べ始めたところ、わあーっと皆も真似をして、中にはおかわりした者まであったそうな。この話をしながら、ウー父は二度と北欧なんか行きたくないと興奮していました。何とか、ツアーの欠点を頑張って自分がフォローしても、こんな料理が出てしまうと良い思い出もパーになりますからねえ。怖ろしい事にこのツアー、この夏の売れ筋らしいです。ああ、どうか、昔のように多少代金は高くても、きれいな乗り継ぎ(飛行機の)、お湯の出る宿、ゆったりした行程、なによりちゃんとした食事付きのツアーが復活しますように。c
2006.06.03
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今日はウーの父ちゃんを紹介します。彼は月のうち、10日程しか日本にいません。海外勤務です。というと、すぐ、商社マン?パイロット?と聞かれますが、違います。旅行会社の添乗員でございます。私もナレーターの仕事と平行して添乗員をやっておりました。その職場の先輩が、彼です。すごい人なんです。こうくると自慢が始まるとお思いでしょうが、ちゃいますよ~。私が彼にぞっこん参ったのは(ノロケではありませんよ)周りの目や評価など、なーんにも気にしないところ。過去、私が好きになったのは、インテリっぽく、自分のこだわりがある人。賢そうな会話をされるだけで私の恋愛感知器は針が振れまくりでした。(針っちゅうのがアナログですけど)あのー、特に興味がなくても一般常識として見聞きして知っている事ってあるでしょう。わが夫は興味がなければ、または必要としなければ、知らなくて平気なんです。付き合ったきっかけも、一緒にニュースを見ていて、エイズの患者である人が政治の世界に進出したいという意思を表明した話題の受け止め方でした。「それは、いいけどエイズの事ばかり取り組まれてもなあ」と当時手厳しい意見を述べた私に「ええやんか。エイズやから立候補するんじゃなくて、この人は元々からな、人前に立ちたいタイプの人なんちゃうか?エイズは関係ないねんて」と返した彼。これまでなら、私と同調するか、もしくは論争するかというパターンしかありませんでしたが、この展開は初めてで新鮮でした。私の世界の狭さを反省させられて、ものすごく惚れました。初めてのデート、映画「セブンイヤーズ イン チベット」に誘いました。観終わって、場内が明るくなった時、彼の一言。「なあ、ヤンスカちゃん、ダライラマって誰?」周囲10メーター位の観客の視線がさあっとこちらに向けられました。ああ、過去の私なら、これで彼とは終わっていたはず。しかし、私はチベット仏教について、ダライラマの亡命の事、根気よく説明しましたがな。ふんふんと聞いた後で彼は素直そうに謝りました。「せっかく誘ってくれたのに、ごめんな。僕はあんまり映画に興味ないねん」どっひゃーん!はよ、言いなさい。て、いうか映画に興味ない人に出会ったのは初体験ですからびっくりでした。じゃあ、本は好き?笑顔で否定。添乗に関係するものしか読まない。ほんなら、ミュージシャンとか誰が好き?とりたてて聞かない。もう、あの衝撃は一生忘れませんね。小説でも、映画でも「つくりもの」やから関心を抱けないというのが彼の言い分でした。じゃあ、何が日常で楽しいの?趣味はないの?「趣味ってよぶものがなくても、自分は本当に楽しい」自信をもって答える姿に私は感服しましたよ。それから私は、自分が何か発表する前には、必ず彼に対してプレビューします。いらん先入観や、好みがない人が返してくれる評価は貴重ですから。いろんなものに囚われすぎる私にとって、すごく大切な存在です。初デートから数ヶ月が過ぎたころ。「あんなあ、セブンイヤーズ イン チベットって、登山家の話やったって知ってたかあ?」海外添乗の飛行機の中で、あれから3回観たらしい。「知ってた」と返す私に、「あんた、すごいかしこいねんなあ!僕やっとストーリーが理解できてん。よう一回観ただけでわかるもんや。すごいな、すごいわあ」呆れるべきポイントなんでしょうが、一生この人を愛するだろうと確信した瞬間でした。そんな、おもろいおっさんが、今日帰ってきます。ウーは、見た目この父ちゃんにそっくり。きっと今夜、ウーを独占するでしょう。
2006.06.02
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知らないと、ずっと縁がないまま済んでしまう事がたくさんありますね。私たち夫婦にとって、育児の世界そのものが未知との遭遇でした。さらに、おまけ付きの子どもの場合、自治体や、国や、民間が色んなサポートをしてくれる事を知りませんでした。ウーが、ダウン症と心臓病、甲状腺機能低下症というオプションを持ってきた為、最初の3ヶ月は嵐のように過ぎていきました。入院、手術、また入院、検査、通院、訓練などなど。やっと、落ち着いて、地元のダウン症の親の会に参加できるようになりました。「ヤンスカさん、ちゃんと子どもの為に療育手帳や特別児童扶養手当を申請してますか?」「小児慢性疾患は、かえって支払いが高くつく時があるから乳幼児医療症がきくうちは、乳幼児医療でのりきるのよ」先輩たちが、それはそれは詳しく、うちの自治体の福祉制度の説明をしてくれました。で、療育手帳です。だって、うちの子まだ0歳やんか。何が判定できるというの?「甘い!ダウン症は体質なんだから治らないのよ。それに、早めに書類を提出しないと、実際の面接まで数ヶ月かかるし、認定されてからの交付も1~2ヶ月はかかるよ。今日このまま帰り道に役所に寄って行きなさいよ」このアドバイスを頂いて、書類を出したのが先々月の事。面接を担当して下さる女性が、3週間程前に電話を下さいました。もう、初めての体験ですからドキドキです。「実際の面談の前に、電話で済むことは先にインタビューさせて下さいね、そうしたら、当日の検査で、ウー君に協力してもらう時間を短縮できますから」優しい、さわやかな口調で、彼女は話を進めていきました。なんか、いい感じの人。ウーと、私の日常生活の事、ウーの手術についてを中心に会話は終了。そして、6月1日、面談が決まりました。指定された部屋は、子どもの遊具がたくさんあり、中央に敷かれたマットにウーを寝かせます。ある一面の壁は鏡(マジックミラー)です。天井にはカメラがついていて、想像力たくましい私は刑事ドラマの取調室を思い出しそわそわ。「あ、これは、親と離れた時に一人で行動できるかなど確認するものだから今日はもちろん鏡の向こうには誰もいませんよ」担当者が笑いながら言いました。この彼女は、声の印象通りの優しい雰囲気を持つ方でした。ウーは、緊張するどころか、新しいお姉さんに夢中です。いよいよ、ウーの検査開始。直径10センチ程の赤い輪っかをウーの前に吊るし、追視ができるか。これは、パス。さらに、手を伸ばせるか?ブ、ブー。出来ません。下半身にタオルを掛けて、足ではねのけられるか。やったー、これは毎日寝相の悪さで確認済みですからね。こういう課題が次々出されます。そして、きたーっ!ウーの苦手な(でも本人は大好きな)ハンカチのお題。顔の上にハンカチを被せ、手で払いのけられるかというもの。これは、今まで何度か発達の度合いを見るために経験してますが、ウーときたら、「ハンカチ被り」という遊びだと思っているらしく、手なんか全く出さずに、ハンカチの下でニコニコ笑うのみ。家族で特訓してみたが、手のかわりに顔を横に向けてずり落とすのですわ。今回も、ニッコニコ。ハンカチをめくると声をたてて笑いました。「なんか、これで十分って感じですよね」担当者が私に声をかけてきました。「この仕事をしていて思うんですが、これだからこうって基準なんて何を根拠にしてるんだろうって、はっとさせられます。ハンカチ取れなくたってウー君は、今、人との係わりをとても楽しんでますよね。」そして、また手順にそって検査は進み、審査してくるのでと15分位待ちました。「お母さん、まず言いたいのは、療育手帳の級が重い、軽いというのは知性のみで判定しているのではないという事です。知的障害といわれる方たちも心の中にごく当たり前な感情をもち、言葉を持っています。ただ、思った事や、要求が体の動作と結びつかない。外見で、他人が見てその人の発するサインが伝わりにくいだけ、これが本質だと考えています。だから、今回の結果や、未来の結果が変わろうと、悲観なさらないでいただきたいんです。本当は手帳がなくても、当然快適な環境が与えられる社会が理想ですけど、まだまだ、本人や家族にあらゆる負担がかかっているのが現状です。これを持つ事で、ウー君を理解してもらう為のパスポートになればいいなと思ってます。」そんなわけで、判定はB2(軽度)。現状では、4ヶ月の子どもと同等の能力らしいです。あ、でも、担当者のいう通り、どうでもいいです。ウーは、ウー。だけどだけど、正直、冷静にありのままを知れてすっきりしたという気分でもあります。二、三日前から今日の事が気になって、よく眠れなかったしね。でも、担当者の優しい口調が何度もよみがえってきます。もっと、お役所の人って事務的なのかと勝手にイメージ膨らませていたから。若くて聡明な明るい女性。検査の合間にもユーモアのある言葉で私を和ませてくれました。この方に限らず、医療関係の方でも、療育関係の方でも若い人の方が考え方が柔らかく、応対に好感が持てるケースが多いように感じます。ベテランって言われる年配の方にかぎって、失礼な言動をとったりするんですよ。「こんな子でも、働いてますよ」Byある療育施設。「障害児は天使ですよ」Byある看護師。具体性がなく口先だけでかましてるやろーってミエミエなんですって。少し、やんちゃそうな、ある若い看護師さんは「ウー君も一番あった表現法が早く見つかるといいね!声出すだけが言葉じゃないよー、耳が不自由でも目が見えなくても、体が動かなくても、みんな自分にあった何かを見つけてるからね」と頼もしいアドバイスくれましたしね。こんな、パワフルな若い方々が日本の医療や福祉、行政を支えてくれるなら色々希望が持てそうです。
2006.06.01
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今日は嬉しいお客様がありました。ウーの入院時代のルームメイトの一人、イチロー君(仮名)とママです。二ヶ月ぶりの再会。そして、子ども同士は初めて触れ合いました。ウーがいたのは、特定機能病院として知られるK病院。先天性の心臓病や、循環器病と戦う「戦隊・ナオスンジャー」の基地は乳幼児病棟にあります。隊員達は色んなモニターだの酸素チューブだの装着し、日々きびしい水分制限をうけたりしています。巨大な敵と戦う上で、心臓に負担をかけぬよう大泣きはご法度。だから、母ちゃん部隊は隊員がぐずりはじめるとなだめるのに必死でした。時には季節はずれの蝉時雨のごとく、一斉に隊員達の泣き声がはじまり看護部隊をてんてこまいさせていましたっけ。今は、こうして笑って当時を茶化せるのだけど、あの頃は辛かったなあ。精神的にいっぱいいっぱいでした。どうしてかって?身近に死が感じられる環境を体験した事ありますか?ナオスンジャー達は、幼い体であまりにも過酷な戦いを強いられます。なかには、生後まもなく旅立った戦友もいます。戦った後、力尽きて別れを告げる隊員もいました。それが、我が子であってもおかしくない。隊員とその家族はいつも崖っぷちに立っています。幸運にも生きながらえた隊員は、旅立った友の分も人生を全うしなくてはいけません。特別な事ができなくてもいいのです。生きてるよー。毎日を、精一杯楽しんでるよーって、新しい隊員に希望を与える事がナオスンジャー達の大切な任務です。ごめんね、ごめんね。私が代わってやりたいよ。隊員の親達も、同じ切ない涙を流した戦友。だから、今日はお互いの大切な子どもをぎゅうっと抱きしめあいました。イチロー君とウー、二人はマットの上で転がりながら、何度も手をつないでいました。偶然の光景なんだろうけど、私の涙腺はゆるみまくりでした。
2006.05.31
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私は、ある場所で声優やタレントを目指す若い人の指導をしています。今年も十数名、新人が入りました。だいたい、どんな時代にも若い人は異星人扱いされるものです。しかし、ギョーカイですから、異星人よっしゃ来い!的なところもあり私も期待してました。ました…と、過去形で書いたのはあまりにも失望したからなんです。思い返せば、私のタレントスクール時代は、野心の塊みたいな男女でギラギラしてました。入った時数十人いた同期も、どんどん辞めていき(授業の厳しさは半端ではなく、成績順に座らされたり、見た目に気を抜いても叱責されるのよ。やる気のみえない人はどんどんおいていかれました)今、稼動しているのは三人だけ。あの頃の私たちは、有名になって、お金持ちになって、家も買いたいし素敵な車に乗りたいと心から思ってたっけ。そして今、私に限って言えば、そんな野心のどれ一つ叶えていません。振り返ると心底はずかしいです。だけど、俗っぽい野心でも、辛い勉強を乗り切る原動力になったし、結果、仕事そのものに惚れ込む事ができました。無名で、やや貧乏で、借家、小さな車。ですが、私は素敵な職業を自分の財産の一部として、誇りに感じてます。泣きながら発声や発音矯正した甲斐はあったと実感しているのです。さて、今年の若い人達からは、覇気が感じられず、目標を訊いても、「本当の自分を見つけたいだけ」という返事をした人がいました。最近、多いですね。自分探し族。いいんですよ、別に。ですが、仕事場でのんきに自分を探されてたんではたまりませんって。荒削りでも、自信を持った自分というベースがあって初めて、仕事上での目標を語る資格があると私は思うんです。だから、つい言いました。「しゃべる事は好き?表現することが楽しい?自分から、この夢をとりあげられたら、耐えられない位にやりたい?」声もたてずに、口元だけで笑いをうかべたある男子が発言しました。「さっきから、ヤンスカ先生熱いんっすよ。もう温室の中でコタツに入ってる感じ。俺らの世代はもっと冷めてますからあ。」ここまでは、私も黙ってました。どんな反撃がでてくるか正直楽しみで。「今って、みんなクールじゃないすか。イチローも、サッカーの代表もみんな低温ですって。ああゆうのが俺の理想ですから、熱いのは勘弁してくださいよお」「誰が低温やねん!勝負の世界で、我々なんかが足元にもおよばんような努力をしてるねんでー。今は涼しげに見えてても、ここに来るまでに燃えながら努力してるに決まってるでしょーが。ほんまに、誰と自分を比較してんねん、100年はやいっちゅうねん!」あ~あ、言っちゃった。これでレッスンやめる人がでなけりゃいいんですが。
2006.05.30
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日曜の朝。大人二人の生活だった頃は、好きなだけ朝寝してのそのそと昼過ぎから活動開始。夫婦でそれぞれ好きな事したり思いつきでドライブしたりと気ままだったなあ。それが、今では日曜の朝っぱらから息子とテレビである。ウー、君は0歳児じゃないか。何がわかるというのか?膝の上で、んぎゃあああと興奮するほど大好きなのが日曜の朝7時から関西地区では6チャンネルで放映中の「かいけつゾロリ」続けて7時30分からの「ボウケンジャー」なんですわ。たまたま先々週の同時刻に、時計がわりにテレビをつけたら画面をみて大喜びだったんですね。で、先週もつけると、大ウケ。たしかに、一緒に見てたら引き込まれます。ゾロリなんて、大好きな山寺 宏一さんが声あててますし。ストーリーも単なる良い子のアニメっていうのではなく適度な悪ふざけがされてます。キャラクターが動物というのが、くいつきやすいんでしょう。でも、ウーに物語の展開がわかろうはずもないので、単純に画面いっぱいに色があふれていたり、主人公のアップだったりというだけで、満面の笑みを浮かべております。しかし、ここからのボウケンジャーでは一変します。派手なオープニングテーマ曲が流れると…はあっと、息が荒くなり、目がまんまるに見開かれます。口はひし形に開き、まさに食い入るように画面に集中するのです。で、本編に入る前、私の方を見上げて「ボクは最高に幸せだよ(イメージ)」という表情をします。この恍惚とした状態は、本編が始まると収まります。なぜなら、前半は戦闘シーンも少なく、隊員たちの日常場面がメインですからね。CMが入り後半ボウケンジャーに変身して、いよいよ敵キャラとの対決!盛り上がる効果音にテーマ曲。「うんがああー」そうなんです、多分この曲が彼の魂をゆさぶるんですね。タケモトピアノのCMみたいなものか?(関西地区だけ?)そして、全てが終わりウーはぐずりはじめます。なぜか眠くなり、まだこの先には仮面ライダーカブトが控えているというのに、テレビタイムはおしまいです。意外にも、私がボウケンジャーにはまっています。3人の男子と2人の女子というメンバー構成は、紅一点が主流だった私の子ども時代とは違います。最初から見ていないので詳しい状況設定がわからないものの、人間ドラマあり、何といっても5人の隊員たちがかわいい&かっこいいんです。昔は黄レンジャー(的ポジション)に憧れたりはしないものでした。今は、赤い人も黒い人も青い人も素敵やわあって飛びつけるんですもん。本当にウーのおかげで日々新しい体験の連続です。夫と二人暮らしもそれはそれは楽しかったけど、今ではウーのいない生活が想像できません。ウー、これからもテレビナビ、たのんだよ。
2006.05.28
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七ヶ月の息子、ウーはいまだに首がすわっていません。健常の赤ちゃんなら早くて二、三ヶ月頃からしっかりするそうですね。ダウン症の子は何もかもややゆっくり成長する傾向が強いそうなんで気長に首すわりを待ってたんですが、何と最近寝返りをするようになりました。これは体の柔らかさと、小さな体(5000グラムですぜ!)ゆえ偶然やりこなせるようになったものらしいのです。腹ばい姿勢の彼は自信に満ち溢れ、嬉しそうに声をたてて笑っています。今、われら親子は「赤ちゃん体操」というダウン症児の親ならよくご存知の訓練?というかサポートというか、きちんとした姿勢を身に付けて歩ける事を目標にした教室に月一回通っています。ウーはまだまだ月齢も下の方で、レベルもまだまだひよっこ。しかし、はいはいしたり、お座りできる先輩ベビーと待合時間に接する体験が、彼の中にすごい刺激を与えるようで、教室から帰宅した日はずっとハイテンション。よくしゃべり、笑い、手足も動かします。先日も活発に這い回るお兄ちゃんと遊んだからか、自分も這いたくて仕方がないようです。うぎゃああああと奇声を発して、まず腹ばいになります。そして、頭を持ち上げ、さらに大きな奇声。いつもこの場面はエンジンをふかしてスタートを待つレースカーをイメージさせてくれます。そして、一歩前へ!気持ちは十分前進しているのに、すわっていない首ががくって垂れるんです。ああ、かなしいねえ。今日はここまでの動作をやった後、顔をつっぷしたまま震えているではありませんか。けいれんかよーと慌てて様子を見たら、何と声をたてずに涙を流しておりました。そーかそーか、悔しいのお。こんな小さな子どもが静かに悔し泣きをするだなんて初めて知りました。
2006.05.27
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私は、かなり重症の活字中毒者です。本はもちろんの事、車内吊り広告や通りすがりの看板にいたるまで読まずにいられません。子育てで忙しく、読書などできないという方もいらっしゃるでしょうが、それなら食事を抜いてでも本!というぐらいなんです。常に同時進行で何冊か読み、予備の未読本が数冊はないと嫌。ちなみに現在読んでいるもの。移動中「LOVE]みうら じゅん就寝前「エジプト十字架の秘密」エラリイ・クイーン家事の合間「知っておきたい日本の神様」武光 誠控えの本達は、新刊で「ビター・メモリー」上・下巻 サラ・パレツキー「レディ・ビクトリア」リンダ・ハワード」「ダウン症児すこやかノート」藤田 弘子・大橋 博文で、現在読んでいる「知っておきたい日本の神様」の中に、蛭児(ひるこ)神についての紹介がありました。この神様はわかりやすくいうと、恵比寿さん。「えべっさん」ですね。有名な西宮神社の社伝によると日本神話の国生みのところで、イザナギの尊とイザナミの尊とが子作りをしたが、妻が先に声をかけて子どもをうんだところ、出来損ないの蛭児神ができたそうです。(出来損ないという言葉は本のまま引用してますのでご了承下さい)かれは骨のないクラゲのような姿をしており、三歳になっても足がたたなかったので海に捨てられたそうな(か、神様…)。葦舟にのって流れ着いたかれを西宮の人達は、海のはてから来た見慣れぬ姿をした神として、夷三郎殿(えびすさぶろうどの)と名付けて豊漁や航海安全の神として祭ったそうなんです。どうして、私がこの箇所に惹かれたかというとダウン症の子どもは「福子」といって家庭に繁栄をもたらすんだよと繰り返し、聞かされたからなんです。そんなのは、適当な気休めだろうと聞き流してたんだけど、えべっさんのおいたち(三歳になっても足がたたないとか、体がぐにゃぐにゃとか)あらら、なんだかすごい親しみが湧いたのです。勿論、ダウン症といってもすごい個人差があって、同じ症例だからとひとくくりに出来ませんが、うちのウーは筋力も弱く歩けるのも三歳なら恩の字かなあという感じなんで、そっか、海のはてから来た神様の仲間なら色んなことが違って納得!って感じなんですよ。えべっさん、西宮に流れ着いてよかったね。捨てられた神様を大切にした、おおらかで素晴らしい人達が住んでいたんだなと思うと、なぜか私がお礼を言いたくなったわ。近いうちに西宮戎神社へお参りに行きます。って、誰に言ってるんだかなあ。
2006.05.26
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今日は、ウーを実母に預けて録音に行きました。何だそりゃと、お思いでしょ。私の仕事は、人に説明するのが難しいんだなあ。「声で表現する」ものなら何でもやってます。若い時は、地方局ですが、顔出しのアナウンサーもやりました。スポーツ中継、報道、リポーター、番組アシスタントと経験させてもらいましたが、一番好きな仕事が、原稿を読む事だとわかったのです。ニュースもいいけど、朗読やCM、企業や学校、博覧会や、あらゆる展示会場などで流れる音声ガイドなどを丁寧に仕上げる時が私の至福の時間です。さらに、皆さんの身近なところでは、テレホンサービス、バスや電車で流れる「次は、○○、○○でございます」などもあります。某金融機関のCD機を利用されてる方は私の声の指示を(うっとうしいなんて思いながら)聞き、画面をタッチされてるはず。タレント事務所に籍を置きつつ、たいへん地味な表現者なんです。名前も出ません。よく、言われるのが「はよ、ラジオやテレビに出れたらいいなあ、がんばってね」うーん、出てるんだけど、仕事のジャンルがちがうんだってば。でも、いちいち説明もしません。で、今日はあるメディアのニュース映像につけるナレーションでした。環境問題、子どもの安全についてなど扱いました。別のナレーターが、あの池田小学校の事件について読み上げた時、私は胸が苦しくなりました。今までも、悲惨な事件や事故、災害に出会うたび、動揺せずにこの原稿を口に出せるだろうかと感じたものです。ウーを授かってからというもの、子どもが犠牲になったニュースを見聞きすると、他人事に思えず号泣してしまう事が増えました。もし、ウーの身に何かあったらと重ねてしまうのです。きっと、世の母さん達も同じじゃないかなと想像します。自分の出番を待ちながら、テンションを取り戻すのに必死でした。そして、興奮をかくそうとするあまり、あせってNG連発してもーたよ。ふう、いかんいかん。先日テレビでやっていたドキュメント。小児心臓外科や新生児集中治療室の場面で私はウーを抱きしめながらフェイスタオル一本湿らせたほど嗚咽したんです。自分達親子の体験ともろにかぶってしまいましてねえ。こういう番組のナレーション、今の私には平常心でやりこなせる自信がないなあ。仕事なんだから、どんな時にどんな内容のものがきてもできないとダメなんですが。と、まあ、今日は私の仕事について書いてみました。少しでも興味をもっていただけたら嬉しいです。では、皆さんおやすみなさい。
2006.05.25
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初めてブログに挑戦してみました。昨年、高齢出産で息子を授かりました。息子のニックネームはウー。オランウータンにそっくりだから。彼は、先天性の染色体異常であるダウン症をひっさげて我が家にやってきました。心臓病と甲状腺機能低下症の付録つきで。また、病気については、ちがうコーナーで説明します。ダウン症だという事にまったくショックを受けなかった私。だって、夫との間に10年目でやっと授かった子どもなんですから。妊娠中もトラブルだらけで、いつも胎児に言い聞かせてました。「どんな子でも可愛がって大切にするから、安心しておいで」この願いを聞き入れて生まれてきたウー。ハンデがあろうが、そもそも初めての子育てだし比較の仕様もありません。私は毎日幸せ気分でしたが、そう見てくれない人もいます。「大変ね」「かわいそう」「あなたも辛いだろうに頑張ってるね」おいおい待てっ!更には、仕事に復帰しはじめた私に、「障害児なのに、そばについてなくていいの?」「母親にすべてがかかってるのに」などうんざりなアドバイス。おまけに、イメージとして描かれる障害児の母親像ときたら……。明るく、けなげな頑張りやさん。気配りもばっちり。ああ、無理です。自分のパーソナリティなんて、簡単には変わらんって。そんなわけで、世間の母の一人に過ぎんのだよと言いたくて、日記を書く事にしました。
2006.05.24
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