ひこじいさんのブログ

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2014年01月04日
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元々は茶の湯または茶湯と言われていたものから、江戸中期に現在「茶道」と呼んでいる茶の湯が完成したとされる。

茶の栽培・収穫方法と道具、たて方、飲み方、歴史などが記載された「茶経」は、初めて中国から体系的な茶の知識を日本に伝えたといわれ、唐の陸羽(804年没)によって著わされた書物である。

茶を飲む習慣と茶の製法は、平安時代に遣唐使により伝わった。

当時の中国茶は烏龍茶に似た発酵茶のようなもので、茶色の語源となっている。
当時は茶は薬として用いられており、必要量を煎じて飲んだといわれている。当時は喫茶の習慣として根つくまでには至らなかった。

抹茶は鎌倉時代に薬用として持ち込まれ、禅宗の広まりと共に精神修養的な意味合いを持つようになり、さらに茶の栽培の普及につれて茶を飲む習慣も一般に普及し始めた。
現代の「わび茶」の創始者は、室町時代中期の茶人村田珠光とされる。

わび茶は千利休によって、安土桃山時代に完成された。

江戸初期までの茶の湯人口は、大名・豪商などのごく限られたものであったとされるが、中期になって町人階級が経済的に力を得ると飛躍的に増加していった。



茶の湯の大衆化で遊芸化が進み、「侘び・寂び」に対する理解も次第に変質し、道具をわざと欠いたり割れ接ぎ茶碗を珍重するようなことが起き、庶民の間では茶人は「変人」の代名詞ともなっていった。

明治時代になり、茶道は良家の女子が身につけるべき教養の一つとされるようになった。
このため現在の茶道は和服に身を包んだ、わび茶とは別の華やかな茶会が当たり前になっている。



茶は野だては別として、一般には茶室で振舞われる。
有名な茶室は多いが、国宝に指定されている待庵・如庵・密庵が特に著名である。


茶人織田長益(1618年)は織田信長の弟で有樂齋如庵と号し、京都建仁寺に茶室如庵を建造した。

如庵は1936年に重要文化財(国宝)に指定され幾多の変遷を経た後1972年に、犬山市の有楽苑に移築されている。


家内の従妹の家で昨年3月から「如庵の写し」の茶室を移築・再建の工事を行っていて、現在茶室の画竜点睛と言われる「濡額・扁額」が掲げられれば素晴らしい茶室が完成するまでになっている。

未だ家元しか入ったことが無い生まれ変わった茶室で、今日は家内と孫のために特別に茶が振る舞われた。

孫も見よう見まねで茶を楽しみ、お茶を習いたいと言い出す始末。
無骨な私には理解不能なのだが、子供でも茶の雰囲気と味が理解できるのであろうか。





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最終更新日  2014年01月06日 16時43分31秒


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