ひこじいさんのブログ

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2014年02月07日
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            柊二の歌碑

城ケ島を今までに5~6回ほど訪問した記憶があるが、子供が大きくなってから40年ほどは訪れたことが無かった。

葉山に在住の妹夫婦から、河津桜と水仙を探勝して三浦半島を一周する早春ドライブへの招待を受けた。

折悪しく立春寒波の襲来で真冬並みの寒風が吹く中、義弟の運転する新車の電気自動車「リーフ」でのドライブとなった。

うっかりミスで、カメラのSDカードを抜いたままとなっていたので自分で画像を撮影することができなかった。
アップの写真は、「つのさんのロマン紀行」の「tunosan」が撮影したものである。


戦国時代房総の里見義弘が、この島に砦を築いた頃から「城ヶ島」と呼ばれるようになったと明治時代刊行の「相州三浦半嶋案内」で紹介されていたという。

周囲長約4kmの島で、神奈川県最大の自然島である。


漁業、軍事、交通、文学に関わる歴史が多く、大正時代に北原白秋の「城ヶ島の雨」が発表されると「ロマンの島」として全国に名を知られるようになった。

白秋は1910年に三崎を初めて訪ずれ、ここで書きためた作品を1915年に歌集「雲母集(きらら集)」として発表している。
♪城ヶ島の雨
雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ


大正末期から終戦まで東京湾要塞の一部であった砲台跡地は、現在県立公園として整備され開放された。

かつては渡し舟が唯一の渡島手段で、1960年に城ヶ島大橋の開通で廃止されたが、2008年集客のため渡船が48年ぶりに復活した

有名な北原白州の歌碑は、城ヶ島大橋の建設に伴って西側に移動されたが、この地を訪れた人多く人は歌碑について知っていると思われる。



昭和時代に活躍した歌人で、宮柊(しゅう)二の歌碑である。

魚沼市の本屋の長男で父保治は、俳号を木語といい俳句に造詣があった。
柊二は父のそんな影響もあって旧制長岡中学在学中から、盛んに相馬御風が主宰する歌誌「木蔭歌集」に投稿していた。

20歳で上京して働き、翌年北原白秋の門下生となって歌作に励んだ。
生涯で13冊の歌集を刊行し宮中歌会始の他、新聞・雑誌歌壇の選者を務めた。



全国に20基を数える歌碑が建立されており、関東では国分寺市の武蔵国分寺仁王門脇と城ヶ島公園内に建っている。

彼は城ケ島と縁は無いはずだが、強いて言えば師の白秋が生前城ヶ島と三崎の見桃寺にのみ歌碑の建立を許したと言われるほど城ヶ島をこよなく愛し彼の歌碑が建つこの地に、白秋生誕百年を記念して、「白秋柊二師弟の詩・歌碑を建てたい」という当時の市長の提唱に賛同した門下生が建立したものという。

歌碑には「先生のうたひたまへる通り矢の はなのさざなみ ひかる雲母のごとく」と彫られていており、雲母(=きらら)は白秋の歌集の名称から取ったものである。





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最終更新日  2014年02月07日 13時55分02秒


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