ひこじいさんのブログ

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2015年03月30日
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ここに出てくる五穀は時代や地域によって異なっていて、古代からその種類は一定していない。

日本語をポルトガル語で解説した日葡辞書では、米・麦・粟・黍・稗を五穀として解説している。

元禄10年(1697)刊行された日本最古の農書では、稲・畠稲・麦・小麦・蕎麦・粟・黍・蜀黍・稗・大豆・赤小豆・緑豆・蚕豆・豌豆・ささ豆・へん豆・刀豆・胡麻・よくい(ハトムギ)である。

「五穀豊穣」のように種類を特定しないで、穀物全般の総称として用いられることも多い。

「穀」の読みは「たなつもの」で、「いつつのたなつもの、いつくさのたなつもの」と読む。今では豆や麻などの穀物に含まれない作物が、五穀とされた例もあった。

痩せた土地にも育つことから救慌作物とされてきた蕎麦は、何故か五穀の仲間とされてこなかった。

蕎麦は、蕎麦粉を加工して作った麺である。単に「蕎麦」といった場合、多くは蕎麦切りを指していう。中華そばや沖縄そばと区別するために、あえて日本蕎麦と呼ぶこともある。
ソバは寿司や天ぷらと並んで古くからの、代表的な日本料理である。



蕎麦粉を練って紐状にする調理法は、500年ほど前に考案されたものだと伝わる。
一般的な食べ方であった蕎麦掻きなどと区別するため、蕎麦切りと呼ばれた。今では「切り」を省いて蕎麦と呼ばれるが、そのまま「蕎麦切り」という地域もある。

この蕎麦切りの名前が木曽大桑村にある浄戒山定勝寺の天正2年(1574)の「寄進物一覧」の中に、「「定勝寺の修復工事で金永からそば切が振舞われた」と記載されている。

蕎麦切り発祥地としては、塩尻市中山道本山宿との説がある。

寛永20年(1643)に書かれた「料理物語」には饂飩、切麦などと並んで蕎麦切りの製法が載っている。

江戸前期の俳書毛吹草には、正保2年(1645)「武蔵と信濃の名物が蕎麦であり信濃から始まる」とある。
蕎麦切りという形が確立された江戸初期には、寺院などで「寺方蕎麦」として茶席などで提供された例が文献に見られる。

時代がずっと下がって1704~1710の宝永年間に天野信景によって書かれた「塩尻」で、「棲雲寺の門前蕎麦が、うどんを参考にしたそば切の発祥だと信州の人が語った」と出てくる。

宝永3年(1707)江戸時代中期の本朝文選には、そば切は信濃本山宿発祥で全国に広がったと出ている。

17世紀中期以降になると江戸を中心に急速に普及し、日常的な食物として定着していった。
「沖縄そば」「焼きそば」はどちらも100%小麦粉で、ラーメンと同じくアルカリ水溶液で練って作られる。


無住寺で人の影は全く無く、再建された本堂の前には「蕎麦切発祥の地」の大きな石碑が建てられている。

寺の上の富士山の頂きを眺められる四阿から見下ろしても山また山で、この地に蕎麦を栽培できるような畑地は見ることができない。

天野信景が伝承によって「信州の人が語った」と書いているだけでは、栖雲寺を蕎麦切り発祥の地とするには根拠が乏しい。

定勝寺文書やその後の文献からも、甲斐の国と蕎麦とは結びつかない気がする。信州が蕎麦切り発祥地とする方が無難な様である。





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最終更新日  2015年03月31日 05時36分19秒


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