仙台市泉区在住の健康オタクの気まぐれ日記

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カテゴリ: 健康
仙台市泉区のながさわ歯科医院の長澤です。
いつも有り難うございます。皆様の健康に役立つ情報をお届けできたらと思っています。

今後、労働環境を整備することが、雇用者側に求められることになるのではないでしょうか。ますます、分煙、禁煙を社会に拡げなければいけないですよね。
 喫煙するひとは、自分の健康だけではなく、周囲の人の健康や、命までも犠牲にしているということを認識しなければいけないんです。


受動喫煙で咽頭がん・狭心症に 「禁煙タクシー第1号」の運転手 、東京タクシーセンター提訴
安井幸一 07/07 2007

 今年に入って全面禁煙化が広がるタクシー業界だが、日本における「禁煙タクシー第1号」は安井幸一さん(73歳)だ。孤軍奮闘の末に認可を勝ち取り、禁煙化の先頭に立ってきた安井さんは、タクシー乗務員に長年受動喫煙を強いてきた財団法人東京タクシーセンターに対し2006年5月、1,000万円の賠償金などを要求する訴訟を起こし、闘っている。だが既に、受動喫煙で狭心症と喉頭がんに侵されていた。体調不良をおして乗務と裁判を続ける安井さんに、タクシー禁煙化に取り組む動機を聞いた。

◇タクシー禁煙化に取り組む原体験


 運転手を始めた時には会社からマッチ棒を渡されました。当時は火を持っていない客が多かったので、それを配れと。だから、毅然として喫煙を断れないという感覚でしたが、当時のお客さんは、「窓を開けてください」と頼めば開けてくれるし、雨が降って風が強い時には、「吸うのを我慢してください」とお願いすれば、みなさんそうしてくれていました。

 窓を閉め切って吸われると、雨の日は煙で視界が遮られるし、私は当時から喉が弱かったのか、よく咳き込んでいたので、窓を開けることは絶対条件でした。

 そもそも、私はタバコを全く吸わないんです。

 14歳から2年間、結核の治療のために愛媛県の療養所にいたんですが、その時の隣の人が30歳くらいでしたが、ヘビースモーカーで、吸うのは禁止されているのに、私を連れ出して、外で隠れて吸うんです。

 ある日、その人はタバコを吸っているうちに喀血して、もだえ苦しんで死んじゃったんです。僕も医者に呼ばれて、「あの人はタバコさえ吸わなかったらもっと長生きしていたんだ。おまえも死にたくなければタバコを吸っちゃいかんよ」と言われました。

 その時以来、僕はタバコというものに嫌悪感を持つようになったんです。その時に医者に、「人間はきれいな空気が大切なんだよ」とも言われました。当時は冷暖房がないので、真冬でもちょこっと窓を開けて換気をしていた。その時に換気の大切さを身に沁みて感じました。

 だからタクシー運転手になっても、常にちょこっちょこっと窓を開けて。当時の窓の開閉は電動ではないので、運転席と助手席を開けていました。

 当時のお客は7、8割が吸うわけで窓を開けて吸ってもらったとしても相当な受動喫煙は受けていたと思うけど、頼めばだいたい言うことを聞いてくれたので、精神的なストレスはそれほどありませんでした。財団法人東京タクシー近代化センター(現・財団法人東京タクシーセンター)ができるまでは。

タクシー近代化センター 設立後の屈辱の数々
 1969年に近セン(財団法人東京タクシー近代化センターの略称)ができてから1年か2年目の冬だったと思いますが、高田馬場から近距離の客を乗せたらタバコを吸いだしたので、「吸うのなら窓を開けてください。でも、すぐ着くので、なるだけ我慢してくれませんか、次のお客さんも乗るので」とお願いしたら、いきなり怒り出すんです。


 その前から、噂では、タバコを断ってトラブルになったらやられるぞ、と聞いていたが、そこで初めて、タクシー近代化センターが、タバコは断れない、という教育をしていると初めて知った。「近センの方針はこうで、会社だからいいけど、近センに行かれたらたいへんだよ」と会社の幹部に言われました。

 タバコを締め切ったところで吸うのは体に悪いという信念がありましたし、自分が客になった場合にタバコの煙で不快な経験もしているので、近いところなら、次の客のためにも我慢してほしい、という思いがありましたから。その後も、私の姿勢は変わりませんでした。

 そして、1974年の夏に忘れられない体験をしました。

 その頃、個人タクシーの申請をしていて、個人タクシーの組合から、客とのトラブルとか違反があると認可がおりないよ、と言われていたので、神経を使っていました。

 その夜は銀座から六本木方面に向かう際に客が5人乗ってきて、助手席に2名、後部に3名座りました。助手席の客がタバコに火を点けると、その隣の客も吸い出しました。もう煙がすごくて目が痛いし、視界も遮られるので、「冷房しているので、六本木まではそんなに時間がかからないから、我慢してもらえませんか?」と言ったら、彼らは怒り出したんです。後ろの客もわざと吸い出して、運転席の背中を蹴飛ばし出しました。



 近センは当時、「運転手の態度が悪かったら通報してください」と宣伝していたので、この客も知っていたのでしょうね。私は、今までの苦労が水の泡になってはいけないと思い、後ろを向いて頭を下げました。でも、「そんな謝り方じゃだめだ、土下座して謝れ」と言われて。

 六本木をちょっと入った広場で、クラブの玄関の前でしたが、人通りは少ないところだったので、土下座をしました。この時の悔しさは、今でも忘れられないです。
 私がたばこの害について書かれた資料を示して健康への影響を訴えても、「我々は運転手の健康がどうだこうだなどと聞きたくない。お客さんはタバコの好きな運転手に乗れば気分を害さなかった。タバコ嫌いな運転手は迷惑だ。タバコを嫌う客に配慮したいなら、臭いが消えるまで営業しなければよい」などと怒鳴られました。

 そして、その客からの苦情に対する反省を書いた弁明書を出すことを求められました。数日間迷いましたが、仕方なく、書いて出しました。弁明書といっていますが、始末書を無理やり書かされたんです。

 それでも納得がいかなかったので、タバコの害を訴えた意見書を提出しました。また、「通報者を暴行罪で訴えるから、その氏名と住所を教えて欲しい」と当時の安藤太郎会長宛に文書で要請しましたが、何の応答もありませんでした。


 その年の特選街という雑誌の11月号の投書欄に、タバコを吸い出したら、運転手がぶすっとして嫌な感じだった、という乗客からの投書への回答として、近センが、「タクシーでは喫煙はお客様の自由です、断ることはできません」という回答を載せていました。

 また、会社がその運転手に対して、退職勧告をして、今後こういうことがあったら、退職してもらう、という勧告をしているのを読んで、「苦しんでるのは俺だけじゃねえんだ」という気持ちが湧いてきました。

 それからはいろいろな会合に出るようになり、ある弁護士から電話がかかってきて、「運送約款を変更することができる。タバコを吸う人は乗せない、という変更届を出さないか」と言われました。「それではぜひ」ということで禁煙タクシーの申請の取り組みを始めたわけなんです。

 実際に申請をしたのは1987年11月2日ですが、その12月に車庫を壊されました。私のアパートの前に車庫があって、道路に面して窓ガラスが入っていた。その窓ガラスや窓枠を全部割られて、「個人 安井タクシー 車庫」と書いた看板も割られました。警察に届けたけど、犯人は見つかりませんでした。

 認可されたのは1988年2月26日で、近センに通報された事件の2年後。奇遇だなあと思いました。その間には仕事を控えめにしていろんな団体の会議に出ましたが、ほとんど金曜日の夜なんです。金曜日は稼ぎ時で当時1日5万は稼いだので、月に2回休んだとしても、たいへんな損失ですよ。

 でも、そこまでしても禁煙タクシーを実現したかったのです。法人タクシーでも、運転手が禁煙者ならば禁煙車にできる、そこまで持っていこうと考えていたので。法人でもその中で苦しんでいる運転手がいるわけですから。経営者に対して、国がそういうふうに義務付けるべきだと考えていました。

 1988年5月から禁煙タクシーの営業を始めましたが、認可の前に運輸省に呼ばれました。

 私は、禁煙車とするからには完全禁煙で、それが義務付けられるものと思っていたのに、認可された後の条件をよく見ると、タバコを吸った客を降ろす場合は交通の便のあるところまで行ってから降ろせ、と。

 その間にタバコを吸われてますよ。トラブルになった場合は、報告義務がある、ということは、吸いたい客には吸わせないといけなくなる。

 実際に、私とともに「禁煙タクシー第1号」になった方は、毅然として喫煙客を断ったためにトラブルになって、運輸局に通報されて1ヵ月の営業停止になった。これが報道されたので、企業としてはトラブルになったら困るから、禁煙タクシーは一切だめだと。個人タクシーも申請がストップして、あとに続く者がなかなかいなかったんです。

 そこで私は、行政に対して、「なんで禁煙タクシーをするのに申請が必要なんだ。最初の俺だけでいいじゃないか。先鞭はついたんだから後は自由にすればいいじゃないか」と読売新聞に投書したら、取材に来てくれて大きく記事になり、その1ヵ月後には、認可なしでも禁煙車の表示を出せばよくなった。

 それが2000年の8月1日からです。それからはお客も禁煙マークを見たら吸わないということになりました。

受動喫煙による健康被害が発生
 でも、禁煙タクシーを自由化する前の1994年に狭心症になってしまいました。

 その10年前くらいから予兆はありましたが、狭心症とわかったときは奈落の底に落とされた気持ちでした。 医者には「こういう症状はタクシーの運転手に実に多い。 これから研究課題にしたい」と言われました。

 何回か診断を受けた時に、受動喫煙もひどいので、その影響じゃないか、と尋ねましたが、全然反応がなかった。タクシー運転手は人間の生活リズムを崩しているのでそうなるんじゃないか、というだけで。狭心症と診断した医者が受動喫煙を認めてくれたら大きかったんだけど。今も治療を続けています。

 東京タクシー近代化センター相手に、受動喫煙を強要されたために受けた健康被害についての賠償を求める裁判をすること決めたのは2005年になってからです。2003年に健康増進法が成立した時に、厚労省の下請け機関の講習を受講したときに取り寄せた資料の中に、日本でも心臓病と受動喫煙が関係ある、と載っていました。

 その健康被害の原因を知ってから3年で時効になるので、時効にかかる前の2006年5月に裁判を起こしました。

 裁判を起こす前、2年前ですが、声が出なくなって、手術をしたところ、良性の腫瘍でした。ところが今年になって、別の病院で診察を受けたら、ガンの宣告を受けました。1月29日に手術を受けて、2月26日に「ガンと断定します」と言われた。





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Last updated  2007年07月07日 09時56分07秒
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