大久保利通は、大西郷を失脚させた男として、故郷鹿児島でも、評判が思わしくないのですが、彼ほどの功績のあった男も稀なのです。
明治2年7月22日(1869年8月29日)に参議に就任し、
版籍奉還、廃藩置県などの明治政府の中央集権体制確立を行い、
明治4年(1871年)には大蔵卿に就任し、
岩倉使節団の副使として外遊。
外遊中に留守政府で問題になっていた朝鮮出兵を巡る征韓論論争では、
西郷隆盛や板垣退助ら征韓派と対立し、明治六年政変にて失脚させ、
西南の役を招いたのですが、
今となってみれば、明治政府の基盤が脆弱だった、この時代に、不平士族対策で
征韓などやっていたら、豊臣政権と同じことになっていた可能性すら考えられるのです。
不平士族の島田一郎らに批判され、明治11年5月14日東京の紀尾井(きおい)坂で暗殺されたのですが、死後、一銭の蓄財もないことが判明し、
清廉な政治家であったことが証明されたのです。
小沢さんは、27歳で初当選して以来、政治家一筋だったはずですが、飲まず食わずで貯金したとしても、議員歳費のみで、巨額の資産が蓄積できるはずがないのです。
(親からの遺産という話もありますが)
いずれにしても政治家=儲かる こういう構図からは脱却しなければならないと思うのです。
利通の政治的力量は、将来についての鋭い展望の能力と、
現実に立脚した着実な漸進主義という点で、
当時の政府官僚群のなかではもっとも優れていたものと思われます。
☆ 髭を蓄えていかめしいのですが澄んだ瞳をしています。
「目的を達成する為には、人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいた
ら物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進め」 大久保利通の言葉です。
非情冷徹と評された、利通。激動の時代は、
彼のような、決断力のある男を求めていたのです。
彼も、ガオオーーーーーーーー!!の精神を持った男だったのだと思います。
☆ 今日は熊本で講演です。
ピンバッジを身に着けてからというもの
自らの生き方が引き締まり、お客さんとの掛け合いも
スムーズに展開するようになっています。
よびりんさんと出会ってからというもの、ずっとよびりんさんの教えを半分の法則を参考に生きてきましたが、
時としてカッとなったり、よびりんさんの教えを忘れてしまうような出来事も多々ありました。
しかし、今は違います。
どんな場でも(作業服・普段着・スーツ)ピンバッジを身に着けていますので、
少々面倒な出来事があっても、有頂天になるようなことがあっても
今では、一呼吸(3秒程?)、身に着けているピンバッジに手を当てます。
云わば、よびりんさんのピンバッジは、
どこの神社でも販売していない(太宰府天満宮にもない)
自分の生きる道を再確認する最高の【お守り】となっています。
本当にありがとうございました。
不況の最中、昨日・今日と、新たな仕事の商談成立です。
(ベルさんからのコメントです。 こちらこそありがとうございます。)
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