「真剣な思いを持った個と個がぶつかれば、無限大の何かが生まれる。」
「大きな波に襲われることもあります。でも必死で泳いでいると、泳ぎがうまくなるし、
気付くと沖まで来ているものです。気持ちにブレが生じたときも、
戻るべき信念があれば、遠くまで泳いでいけるのです。」
山田納生房さん(モック社長)の言葉です。
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鳥羽伏見の戦いが終り朝廷は各方面に鎮撫隊を派遣する旨決定したのだ。
幕府は主戦派の小栗忠順、永井尚志らが罷免され、
幕閣を取り仕切るのは陸軍総裁の、俺となっていたのだ。
慶応4年(1868年)2月慶喜公が江戸城を出て
上野・寛永寺で謹慎したのだ。
官軍の江戸総攻撃が目前に迫る中、
俺は慶喜公の命を守ることと大江戸大決戦を避けるために奔走したのだ。
謹慎中の慶喜公は、俺の進言を受けて、
側近の高橋泥舟に官軍との交渉役を頼んだのだが
泥舟は義弟の山岡鉄舟を推薦し、無名の剣客にすぎ
なかったが鉄舟が、この大役を引き受けたのだ。
俺は、鉄舟と直接会って、鉄舟との面会により西郷との大事な交渉役として、任せ
られると評価し、鉄舟に託すことにしたのだ。
しかし鉄舟を、一人で行かせるわけにはいかない。
官軍の中を行けば、途中で惨殺されるやも知れなかったのだ。
そこで俺は、案内役を付けることにしたのだ。
薩摩藩邸焼き討ちのときに、
首謀者として捕らえたものの、処刑寸前で、俺の一存で、一命を助けた、薩
摩藩士益満休之助を、鉄舟の道案内にしたのだ。
鉄舟と益満とは、お互い若い頃、「尊王攘夷党」で意気投合した
旧知の仲であったようで、俺は益満から聞いて知っていたのだ。
益満は癖のある薩摩弁を話し、訛りが通行手形であった。
俺の目論見どおり、官軍の領域で、通行を邪魔されることはなかったのだ。
こうやって昼夜兼行し駿府に到着でき、
伝馬町の松崎屋源兵衛宅で東征軍大総督府参謀西郷と会談ができた
のであった。
この会見において西郷側から7カ条の降伏条件が示されたのだ。
1 慶喜公の備前藩預け
2 江戸城明け渡し
3 軍艦没収
4 武器没収
5 城内住居者の家臣は向島へ移住
6 慶喜公妄挙を助けた家臣の厳罰
7 暴挙に及ぶ者があれば官軍が鎮圧
という過酷なものであった。
これに対し、山岡は西郷側の提案を概ね受け入れざるを得ないとしたが、
慶喜公の処遇で両者譲れず西郷預かりになったのだ。
決定権が無いにも拘らず、山岡は、よくやってくれたのだ。
この山岡の働きによって総督府との具体的な交渉の手がかりがつかめ、
俺と、西郷会談の成約に向けての下敷きができたのだ。
☆ 危急存亡の時は、小ざかしい人物など不要です。
腹を括った胆力のある人物に任せるしかないのです。
西郷隆盛は、山岡鉄舟を「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業はなしとげられない」と絶賛しています。
☆ 今日は、島根県津和野町 明日は京都府宇治田原町で講演です。
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