何のために僕は生きるのか?@日々更新

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yoshi451_2003

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March 30, 2005
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書く気は無かったけど・・・眠れないし、電話があるはずなので、整理しながら・・・書きなぐってみる。

今日あったこと、思ったこと・・・その結論はこのブログのタイトル

何のために僕は働くのか?

で言い表される。

今日の話題はあまりにも重過ぎる・・・

何のために僕は働くのか?

をご自身でも考えてからご覧いただけますようにお願いいたします。



何のために働くのかっていう答えの前に、僕の人生を軽く・・・
(彼女にも話してない事も多い・・・っていうかほとんど話してないかも・・・)

僕は日本のとある県にあるお寺の長男として生まれました。
母親も父親も教師で、幼い頃は共働きだったんで、多くの時間を祖母と過ごしました・・・

4歳か5歳の頃から保育園に通いましたが、特にこの子と仲がよかったとかは無く・・・ひとりでいることが多かったように思います。原因はよく覚えてないですが・・・けんかをした時は、男女に関わらずに・・・噛み付くような危険な子でした。今、女の子を噛むとか許されませんね・・・正直、今でも後悔してます。
あと覚えていることといえば、先生(保母さん)が怒ると・・・ほうきとかが入ってるロッカーに閉じ込められたので・・・ものすごく怖かった事を覚えています。
今でも狭いトコも暗いトコも嫌いです。あとですね・・・お誕生日月には体育室みたいな広い部屋に集まってお誕生日会があるんですが・・・好きな人というか・・・自分で選んだ子からプレゼント(もちろん保育園が用意したもの)がもらえたんだと思います。僕はみんなに大人気のけんちゃんからもらいました。
まぁ、そのけんちゃんも6歳くらいには幼稚園に移ります。といっても、幼稚園と保育園はすぐ隣にあるので・・・顔ぐらいは見るのですが・・・幼稚園に移った子とは何か壁が出来てしまうわけなんですな・・・

そんな幼稚園との子とも小学校になれば・・・同じ小学校に通います。
徒歩4キロ・小学生の足で約一時間15分くらいの道のりでした。
また、小学校になれば、先輩というか・・・お姉さん・お兄さんとの集団登校になるわけです。
小学校では、前に出てきたけんちゃんもいるんですが、出席番号が近い違うけんちゃんと6年間同じ学級で、まぁまぁ仲良しでした。
5年生ぐらいでプランクトンの研究をしたこと
同じ学校に父親の知り合いの子供がいたので、その子から、これお父さんが君のお父さんにっていって・・・パソコン関係のものを渡されたのを持って帰ってきたんですが・・・これが重くてね・・・家に帰ってきて、体重計で重さを量ったのを覚えてます。これが、10キロちょっと・・・そのころの僕の体重が40キロにも満たなかったんで・・・自分の体の1/4の重さのを持って、4キロはなかなか歩けないなぁって思います。
小学校でもいろいろとありました。

まぁ、ケンカもしたし・・・いろいろとあったよ・・・
ただ、家がお寺だということは友達にも誰にも話したくなかった・・・何かよくわかんないけど、嫌だったんだ・・・これは今でもずーっと話したくないし、よっぽどのことの無い限りは話してこなかった・・・

中学校では最初からつまづいた・・・新しいことに挑戦しようということで・・・バスケットボール部に所属、全くの初心者だったし、友達も全くいなかった・・・
いじめられた・・・学校に行きたくなかった・・・だけど、親は学校に行けというし・・・仕方なく行った・・・顧問の先生(教頭だった)も全く何もしてくれなかった・・・練習に行かなくなって・・・友達も何かいなくなって・・・もう死にたいとか思った。親にも話したけど・・・何をしてくれたってのも全く無く・・・とにかく、孤独で、つらかった・・・2年になって・・・部活の登録の更新をしなく、何か他のにしようというこで・・・英語のやつにした。部員は1人、外人の先生と、日本人の先生と・・・週一でおいらと先生2人で英会話・・・たぶんマークかマイク先生だったような気がする。英語自体は小6から公文でやってたので・・・中学生レベルなら何とかいけた。今ではそのレベルも無理かも・・・

話は全く変わるが、今日、弟(11歳)が日本の公害をスラスラと答えてビビった。原因はメチル水銀だとか・・・何か、成長してるんだなぁって思った。


そんなこともあって、3年の時には将棋クラブに所属した。
あんまり、これに関しての記憶は無いが・・・学校一の不良もいて・・・その子と将棋したような気もする。
中2年、3年は徐々に友達もできてきて・・・一緒に釣りに行ったりしたような・・・それは高校だったような・・・記憶は定かではない・・・
2年か3年の夏ごろから公文は嫌だってことで、やめて、塾に通う・・・ものすごくいい雰囲気で、楽しい時間だった。
3年間、近所の子と一緒にチャリで通う・・・ほぼ毎日、一緒に行ってたような気がする。
1年の時にはやっぱ家が寺だから、修行に行く・・・まわりは大人ばっか・・・しらない大人の中で、一つ下の親戚と共に・・・5日間あまりの苦しい生活を体験する。

受験は無理な挑戦はせずに、先生の言うとおりに・・・ある程度の、そして近い公立高校にする。

高校では同じ中学校の友達が中学のときに卓球部だったということだけで・・・初心者で卓球部に入部・・・
3年間でほっとんど上達しなかったけど・・・その友達がやめても続ける・・・
いい仲間が出来たし・・・その頃、小川と橋本の対決がブームだったせいもあるが、卓球の練習はせずに、何かプロレス技ばっか練習してた思いでもあるが・・・
その仲間であるアイドルグループを追っかけたりとか・・・何かバカもやった。
そりゃあ、つらいこともあったけど、楽しかったよ・・・

何か疲れてきて、簡単になってけど、これで高校は終わる。
だけど、今の僕の基礎を作った友達・・・最近、彼とはなかなか連絡をとってないんやえども・・・彼とはメールもよくしたし、午後から学校をサボって、バーゲンに行ったりとか・・・大阪まで服を買いに行ったりとか・・・おばあちゃんの亡くなった日もあんたは居てもしゃーないからって母に言われて、彼と買いものに行った。経済や政治の話、一番多いのはファッションの話をよくした。

大学はいろいろと受けた・・・結果として、まぁ実力程度に落ち着いたんだと思う。大学では嫌だったけど・・・寮に入る。安いということがあったけど・・・
相部屋で、班制だったから強制的に同じ学部の知り合いが出来る。
今思えば、この1年は大変貴重だったし・・・よかったと思う。
だけど、同じ部屋の男は彼女の部屋に行くわ・・・キャバクラの客引きのバイトしてたし・・・勝手に菓子は食うし、カップめんは食うしで・・・大変、苦労した。
大学もやめてしまったようで・・・心配しているが、どこで何をしているのか??
そして、2年になるのを迎えて・・・ゼミを選択する。
おいらがある先生のゼミにするというと寮で同じ学部の友達も同じゼミにしるという・・・しかし、面接で彼らは落ち・・・唯一、僕だけが合格する。
初めてのゼミの日、僕はものすごく早く行く・・・
教室の前にいたのは女の子・・・メガネからちらりと見えた鋭い目線でやられて・・・声はかけられずに・・・教室に入る。
初めて声をかけたのは卒業までいろいろとお世話になるlin君。彼とはサッカーを見に行ったり・・・いろいろと楽しい思い出となる。
そして、もうひとり、山本(仮名)君・・・山本(仮名)という苗字の人とは僕の苗字が近いということがあって・・・小学校の時から数多くの山本(仮名)君と友達になってきた。
彼はパソコンが得意ということで・・・いろんな話をした。

そして、2年の秋から冬にかけて・・・誰のどういう意図なのかは今でもよくわかんないけど・・・ゼミの女の子何人かとlin君とおいらとで遊ぶようになった・・・その中の一人の子は何かビジネスウーマンのような強い女!!って感じだったけど・・・いいなぁって思ってた・・・だけど、UNOかなんかゲームの罰ゲームで彼氏がいることが判明し・・・1ヶ月ぐらい凹む。
彼氏がいるんやったら、もう一緒には遊びたくないなぁ・・・ツライだけやし・・・って思ってたけど・・・何かメールとかするようになる・・・
そして、2年の2月くらいから今も付き合ってる・・・
きっかけをつくってくれたその集まりも自然消滅のようにして解散してしまっている。それが今でもツライ・・・その中のもう一人の女の子はゼミの最初に僕に鋭い目線を見せた子なんだが・・・早く、よい関係にもどれるといいのだが・・・険悪な空気が二人の間には流れる・・・

楽しい大学生活だった。それもいい仲間に出会えたからというのが大きい。

文字数の制限の為に、後編に続く・・・






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Last updated  March 31, 2005 04:48:31 AM
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