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カトレアが見事に咲きましたので携帯で写真を撮りました。 でも、花の色合いがちょっと違います。残念です。 カメラや明るさの状況(室内で夜でした。)電灯の光の種類などでも花の色は、 カメラで写したとき違ってくるとのこと。見事に違うのでびっくりしたほどです。 写真のカトレアの色も素敵なのですが、赤紫色がもう少し強かったと思う。 (すでにだいぶ時は過ぎているので、記憶の中から言っています。) 見事に咲かせた人です。と100%言える人はいません。なぜなら、あまり、手を掛けて 上げていませんでしたので。気に掛けていた人はいたのですが、「カトレア咲いてるよ~」 と慌てて見に行った次第です。ですから、咲かせたのは、神様です。 気に掛けていた人たちも、納得してくれるでしょう。(パートナーと家族です) 神様が、この世で一つしかない花を、only one の花を見せてくれました。
2006年10月28日
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私はあまりにも腹立たしかったので、物にあたっていました。こんな体験は今までの中で、なかったように思うのですが。 そんなものですから、後になってもいろいろ考えてしまっています。 聖書の中に、イスラエルの指導者モーセは、イスラエルの民が偶像礼拝の罪を犯していることを知って、シナイ山で神様から頂いた「十戒」の板(神様が書き記された板)を投げて壊している記事があります。(出エジプト記32章) 私だったら、携帯電話すら一瞬の判断で、「これは投げない」と思って支障のない物を投げているので、ましてや神様が書き記された十戒の板は、投げられないと思う。 「モーセは、激しく怒って、手に持っていた板をなげつけ、山のふもてで砕いた。」 とモーセの怒りのすごさが分かるけれど、これでよかったのかな? モーセの気持ちはどうだったのかな?? (?_?) ??自分とモーセを比べるのが、間違っていると思いますが、何となく気になっています。
2006年10月25日
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ブログを始めて、「何?書こうかな?」と思いつつなかなかPCの前に座ると頭の中が、霧の中にいるような状態。頭の中に手を入れて言葉を引っ張ってきたいようです。 「文章を作らなければならない。」というストレスが、仕事のなかであるのが原因かな? 気持ちをユッタリとさせて、こころの緊張をとりたいで~す。 頻繁に書き続ければ、ゆったりとなれますかね?
2006年10月23日
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ブログの名前を決めるに当たって「何にしようか?」と考えていた時、忘れられない出来事がありました。 記念する日があった前後に、それぞれ違うことでありましたが、大変ショックであり、悲しくもあり、きっと忘れられないこととして、心に重く残るものとなることでしょう。 その出来事で思い知らされたのは、「自分のことが自分で分かっていなかった。」ということだった。 自分の能力・出来るであろうと過信していたことの故に、周りに大きな影響を与えていたこと。周りに負担を掛けていることは気になっていましたが、まあ少し我慢してもらおうと安易に考えていた。自分も苦労しているのだからと、正当化しようとしている自分。だからと言ってこのままで良い訳ではなかったことが、表に出てきたのでした。 アゼン!!とする私であり、そんな姿を知ることになって。ただ呆然!!私って何????? 私自身を全て否定されたようにしか、思えなかった。自分のメンツもあり、周りからの期待もある(この期待に応えられないなんて私ではないと、これもメンツ・プライド、他の人から見ればたいしたものではないと思われるでしょうが) 言葉では、私の思いを全てを表現できないのですが。 そして、もう一つ ある交渉ごとで、相手がこちらの話しを全く聞こうとせず、自分の思うとおりでないと。今までは間にいてくれた人に、怒りをぶちまけた。 そして、その今までは間に入ってくれていた人が、外れて直接交渉相手と「話し合え!」と言った人が、そんなことは言っていないかのように烈火のように、私に怒鳴り、怒り、こちらの話も聞きはしない。 その対応をした私は、「もうやだ!」と私も怒りまき散らした。 物に当たり、投げつけた。 でも、一瞬のうちにこわれると困るものは投げず、壊れにくいのもに当たっていました。 携帯電話を投げようか?と思ったのですが、やめていました。この怒りがおさまるまで、一生懸命自分の正しさを主張して、何度も何度もわめきちらしていたのです。 ある程度時間が経ったとき、こんな状態になった自分が情けないやら、これで良いのだと、ここでも自分の態度は当然であると、正当化しています。 本当にこれで良いの? これで。 言い訳ないよねでも心は素直になれない。こんな思いが数日間あり、ブログの名前を決めるに当たって「あの少女パレアナのようになりたいなあ~」と思わされたことです。 一日、一日笑顔で過ごせること。 心が平安であり、大きな存在に守られ安堵出来る場所で過ごしていきたいです。 このことばに尽きるのだと、聖書の言葉を深く覚えた。 いつも喜んでいなさい、。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。 これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに 望んでおられることです。 テサロニケ 第一5:16~18 その後の言葉、19~22節も気になっています。 パレアナのように生きて行きたい。
2006年10月20日
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やっとのことで、書く事が出来ました。このブログを始めるにあたって躊躇していたのですが、「まあすぐに何か書かなくても大丈夫だろう」と思って、登録だけしてみよう!!と登録したのでした。 多くのひとのブログをチョコットみて、どうしようかな??と考えていました。 その後、ブログを開く時がなく数日経ってから開いたら、「う~ん??」なんか変?と。わたしのブログがある~。どうしよう。なんにも書いてないので、まさか登録と同時にブログが立ち上がっているなんて……。まったく予想もしてしていなかった。 こんな状態な者ですから、良くブログのなんたるかも分かっていないで、「とうとう」というか「やっと」というか、今このように書いているのです。 心の準備も出来ていなかったので、開設から10日も経ってしまいました。いまもドキドキしながら、かいています。 私のような勘違いしている人というか、ちょっとおっちょこちょいな人いますかね?でもこれから楽しんでいきたく思っています。 「パレアナのように」もよろしく。 なにも書いていない時に、すでに期待をもって開いてくださる方がおられたこと、ありがとうございます。まずは、ごあいさつとして第1回目を書きました。
2006年10月16日
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