生前父は、横浜から栃木に移ってきて、何がうれしいかって、ふんだんに干瓢が食べられることだと言っていた。お米が見えなくなるほど干瓢のたくさん入ったまぜご飯が大好きだった。
そんな家族のために、母は干瓢を食卓に小刻みなサイクルでのせてくれていた。
遠足、運動会のお弁当はと言えば、巻きずしと相場は決まっていたし、誕生日などの祝い事にはいつも干瓢と紅生姜と卵の三色散らし寿司だった。
巻きずしの切り落としの部分は、はみだした干瓢が格別おいしい。私たち兄弟はそれを目当てに母の周りに集まる。いつものように母はお皿に落としの部分だけ取り分けてくれる。手の早い弟がさっと口に入れる。
そうなると我先にと六人の兄弟は手を伸ばす。取り損なってわめく者、口が開かないほどほおばった者、皿ごと持ち逃げする者、それを満足気に笑っている母。少々はしたないけど、おおらかな今では想像できない家族風景がそこにあった。
かつて家の近辺の畑でも当たり前の様に目にした干瓢があった。
夕顔とかふくべとか呼ばれているのも興味深いが、干瓢の作られるまでに、私が心をひかれた独特の風景と言葉がある。
花合わせがその一つ。
新米教師のころ、クラスの女の子の作文に、
「きょう、おばあちゃんと花合わせをしました。おばあちゃんは腰が曲がっているのにとても早くできます。」というのがあった。恥ずかしいことにそのとき、花合わせなる行動が浮かんでこなかった。
「真っ白な大きい雄花を両手に持って・・・」
というあたりまで読みすすむうちに、あれっ、と思い、
「私が花合わせをした雌花が、早く大きなかんぴょう玉になればいいなあと思いました」
そこで初めて花合わせなる言葉の意味を知った。
花合わせが見たいと女の子に話すと「今日もやるから見に来れば」という。
夕暮れどき、白い雄花を手に、かがみこんで雌花に花粉をつける作業を初めて見た。 優しい語りかけが伝わるような風景を目の当たりにしたのだった。
もう五十年以上前の出来事になる。
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