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今から22年前の正月、自転車で信号待ちしているとき、暴走してきた車に遭遇したことから、息子は3か月も意識が戻らず遷延性意識障害となり、人としての意識が持てなくなり、話すことも食べることも歩くことも出来ない状態となりました。 少年のころはバスケットで全国大会に行ったり、社会人となってからは、草野球のキャッチャーとして仲間に頼られもし、カラオケ大好き人間で仲間と楽しんだりして青春を謳歌していました。結婚してもよいという人にもめぐり合っていました。 家族の苦しい心の内を書き留めることによっていつの日か息子が読んでくれればという期待もあってこのブログ開いて記録し続けました。 あれから22年、細々とつづられた君へのメッセージは私自身への心のよりどころとなりました。でも長すぎました。もう20年前の息子は戻ってきません。私も86歳となり、息子を介護できなくなり、健康でなくてはできない介護を病院に託し、さらにこの4年間はコロナ騒ぎで出会うことも出来なくなり、頼みの綱の夫も鬼籍に入ってしまいました。記録する心のゆとりのはずがストレスに感じられるようになってしまった今、後ろ髪惹かれる思いでページを閉じることにいたしました。 君へのメッセージ、ばあば312を輪禍に遭遇した1月、本日をもってしばし離れることに決めました。今まで支えてくださった方に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
2024.01.03
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ようやく本物のコルセットができて身に着けた。上半身が曲がらない。トイレの清拭作業が一番困った。手伝ってもらうわけにはいかない。悪戦苦闘する。こんな格好で2か月をすごさなくてはならないとは。トホホ。痛みは少し収まっているが、上半身が囲まれているので、コルセットの角が当たって痛い。そして重い。一日で不安になってきた。やることはたくさんあるのに、やれないふがいなさ。
2023.12.05
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背中の痛いのは非常に困る。横を向いても上下をさせても全身に痛みが走る。 月曜日に一番で整形外科医院にいった。背中が痛いのに首のレントゲンを撮ったのに不安があった。首に痛い注射をしたり、光を当て立ち何やらびりびりする痺れを感じるリハビリをして帰ったが、痛い場所がそこだけではなかったらしい。少しも痛みが取れない。次の日、再び診察をしてもらった。背中にレントゲンを撮り直した。 圧迫骨折らしい。近くの病院でMRIを取ってきてから治療開始ということになった。原因らしいことを聴かれたが、思い当たることは寒さに弱い鉢物の室内に運び入れたことが考えられた。何せ一抱えもある鉢を10以上室内に運びこんだから。確かに重かった。一番重かったのは、君子蘭。続いてパッションフルーツ、ハイビスカスなど。これらの鉢走る大きくてずっしり重かった。それだけで10鉢あった。その他孔雀サボテン、これは軽かったが、7鉢。そのほか金のなる木やカニサボテンなど小物が10鉢ほどあった。老人の仕事にしては少々荷が重すぎたかもしれない。 コルセット体に巻き付け窮屈な日々を過ごすことになった。いつまで続くことやら。
2023.11.22
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随筆のお仲間が亡くなってしまった。しかも 奥様が亡くなった3日後に。両肺をがんで切除していた割には頑張ったと思う。奥様が倒れてからは一人でくらしておられたが、ついに力つきて逝ってしまわれた。米寿を祝ったばかりであったそうな。 随筆の会を引っ張ってくれた人だ。残念でならない。 新聞記者、市会議員、議長と活躍され、随筆の審査員を長くなされ、良い人生だったのでは。
2023.11.19
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今朝の天候はおかしかった。いつまでたっても夜が明けない薄暗さ。そのうち小雨が落ちてきて、雷まで鳴ってきた。そういえば昨日雹があちこちに振っていたっけ。あんなに酷暑だったのに、朝晩うすら寒い日がある。夏の間戸外に置いた鉢物が気になり始めた。チューリップの土も用意しなくては、ならないし。役目を終えた鉢の土を日に当てようと広げたら、コガネムシの太った幼虫がごろごろいるわいるわ。拾い集めて袋に入れるとずっしり重い。これでは草花の寿命が短かったわけだ。まもなく植え時の来るチューリップは新しい土を入れたプランターを用意しなくては。去年の球根が思いのほか無事に保管できている。結構あるなあ。 プランター10個には土が相当いる。車が必要だ。車に乗らなくなってから、大物の買い物が面倒だ。さて誰に頼もうかな。
2023.10.28
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10月は文芸誌の作品締め切りが多い。わかっていても締め切り近くになるまで悠長に構えてしまう。今年はいつもより1作品が増え、さすがにあせった。それも何とかクリヤーでき、ほっとした。最後の締め切り日は、地区老人会のスポーツ大会日。前日に済ませることができ安堵した。 今年は体調もまずまずでスポーツ大会に参加することにした。参加者の顔ぶれから最高齢のようだったが、できそうな種目に割り振りされていた。輪投げでは普段上手な人が入らないで練習をしてない私が、まぐれで高点数を稼いだ。何が起こるかわからない。悪い気はしない。商品はティッシュはじめ砂糖、贅沢保湿ティッシュ、などなど、持ちきれないほど頂いた。これもわるいきはしない。 何十年も合わなかった同級生2人に出会った。やっぱり年相応の老人だったが、この場に出てこられる元気が伝わってくる。こんなに小さい人だったかなあと自分を棚に上げて思ったりして。お互い来年も頑張って逢いましょうと健闘を称えあって散会した。
2023.10.27
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学級閉鎖があるほど、インフルエンザが流行っている。予防注射を10年来、毎年欠かしたことがない。10月開始というので早速、うってきた。予約をしに行ったら今うてますというので、その場でうってもらえた。 コロナの7回目が始まっているので、インフルエンザの方を早めにやっておこうと決めた。コロナのよりインフルエンザの注射の方が痛い。注射器の針が太いのを知った。 ここまでコロナにはかからずに来たが、かつてインフルエンザの方は同じ年に2種類にかかってしまったことがある。かかりやすい体質なのか、寝込んでしまった辛い経験がある。そのため予防注射を欠かさずするようになった。その為かどうか近年はかからずに済んでいる。今日、テレビで今年は早めにした方がいいと言っていた。コロナはもちろん、インフルエンザもごめんだ。
2023.10.07
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コロナのため危ぶまれた観劇が果せたこと。劇団四季の「美女と野獣」が見られたこと。そして宝塚の見事なショウーを堪能できたこと。宝塚は生まれて初めてだ。テレビでは何度も見てるが。歌も踊りも絶品だ。鍛錬されたされているなあと感動してしまった。この歳なればこそこんな感動が必要なんだと、一人頷いている。
2023.09.07
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夏休みが終えようとするときになって近くに住んでいる息子がコロナを拾ってきた。教員の嫁さんもあっさりと感染してしまって夫婦そろって熱と闘っている。学校が始まるまでに治ってほしいのだが。。 帰省していた大学生の娘は、私の家にいるか自分の部屋にいるか、友達と楽しんでいたらしく、ほとんど両親との接触はなかったらしい。熱のある両親を残して帰るのは心配だったようだが、学生寮に帰っていった。どうやら感染を免れたようで、大丈夫だよとメールが来た。彼女はコロナに感染済みなので、免疫が出来ていたらしい。この頃はコロナにかかった、と言っても緊迫感があまりない。別に治療するわけではなく、ただ熱さましを飲んで家にこもっているだけ。息子の発症3日前に我が家にて夕食をとっている。私も濃厚接触者なのだが、感染の兆候はない。いい加減コロナの呪縛から逃れたいものだ。
2023.08.31
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陸上自衛隊のグランドで5年ぶりに開かれた盆踊り。少人数ながら出場した町内の面々。私は踊れないので会場にはいかなかったが、かつては家族で参加したものだ。もともと祭り好きな家族だから、子供たちの踊る傘踊りを娘が伝えたり、本番では息子が先頭に立って行燈を掲げて踊ったらしい。今は踊りてが、大分少ないが会場に集まった人数はよくぞと思うほど多かったらしい。そして終盤の花火、私は2階のベランダに椅子を出して、涼風に当たって眺めていた。祭りはいいもんだ。
2023.08.04
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毎日の極暑に参っています。でも先日は町内の祭りにちょっぴり心弾ませた。4年のブランクは子供達にはよく伝わってないところがあってちょっぴり淋しかった。コロナ前までは早くから太鼓ををたたく子がいてちびっ子たちが生き生きして集まっていた。その頃の半分も子供がいないのだ。それでもおみこしを担ぐだけの大人人数は,他所の地区の友人たちを誘ってくれたので、ありがたいことに盛況だった。これはこの日のために娘がひと月かけて作った子ども神輿。ビニ段ボールや百円ショップの材料で作ったもの。神主さんに本物と一緒に拝んでもらって、大層褒められた出来。
2023.08.04
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だれもが85歳の私が一人で出かけることを心配した。東京までならともかく、千葉までとなると、不安なのだろう。京葉線に乗り換えるのに不安があるらしい。自分は少しも不安には思っていなかった。なんせ、3年近く週2、3回通っていたから。息子に会うために。17,8年前のことで、私も若かった。 当時、息子は交通事故対策機構の千葉療護センターに入院していた。重度の交通事故に遭い、なかなか入院させてもらえない国の施設に、入院が許されたためだった。宇都宮からよくも通い続けたものだ。その忘れもしない療護センターのある場所近くにある、美浜文化ホールでのコンサートを聴くためはるばる出かけて行ったのだ。クラリネット奏者の姪が主催するコンサートで、是非聴いてやってほしい、と妹に誘われていた。姪は上皇后陛下美智子さまの古希祝賀コンサート出演していたり、小澤征爾のキャラバンコンサートツアーに参加している。それも5人の子持ちで、羨ましいほど良い子に育っている。動けるうちに生演奏を聴いてあげたいとの思いがあって千葉一人旅が実現したのだ。案ずるより産むがやすしというではないか。無事たどりつき素晴らしいコンサートに身も心も酔いしれた。
2023.07.10
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輪投げの集いに参加してきた。一年ぶりであった。日曜日に輪投げ大会をするので参加してみないかと誘われていた。夫が老人会長だった折、始めた会であった。夫が亡くなるまでは、息子の介護もあって老人会の催しにほとんど参加できなかった。 近頃は息子が病院にお世話になれるようになったおかげで、私にも自由な時間ができた。忘れたころにやってくる持病が動き始めなければの話だが。 このところ血液腫瘍科は3か月ごとの検診になっている。来月の検診が何事なければ万歳というところなのだが。 久しぶりに参加した輪投げ、90パーセント花火のように散らばって的に入らない。飛び散った輪を拾い集めるのに駆け回った。足腰の良い運動になった。 こんな筈ではないと、焦るが何度やっても同じ。年寄りのブランクとはこんなものなのか。参加者のうち私が最年長なので、応援の声もだんだん声を無くしてくる。私の方が鼻歌交じりで一人飛び散った輪を拾うためにはしゃいでいた。
2023.06.17
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梅雨の晴れ間は気持ちが解放される。眼科検診の日だったのでいそいそと傘も持たずに出かけてしまった。待つ時間中に一雨あったようだったが、帰るときは晴天。いつもより早く終えたこともあって気分は良い。連絡くれれば迎えに行く、と娘が言っていたのだが、雨が降っていないのをこれ幸いと、歩き出す。20分足らずなので、大丈夫であろうと鼻歌交じりのウオーキング。5分もたたないうちに、いやな風が吹き始め空に雲が広がり雨粒が。これは危ないと思う間もなく雨粒が大きくなってきた、あたりに雨宿りできそうなひさしが見当たらない。鞄を頭に駐車場のある家に身を寄せ、電話。「SOS」ところがいつもと違う道なので、相手に居場所が伝えられない。小降りを見計らっていつもの道に移動する。結局迎えの車の方も居場所がわからず、出合ったのが家の近く。ぬれねずみの私。入梅時傘を持たずに右往左往。
2023.06.17
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日に日に耳が遠なる感じがする。 夫が使っていた集音器が使えが、操作が細かくて難しい。娘が見かねて操作しやすい充電式のものを母の日に買ってくれた。使い勝手がいい。暫くテレビを視聴するときだけ試してみよう。随筆の合評会の作品のコメントを書きだした。どの作品も同じようなものはない。皆達筆だなあと感心する。読んでいて楽しい。よく読み込まないとコメントは書けないから何度も読む。会には欠席なので、何としても感想を届けたい。92歳の兄からの電話で、パソコンの画面が出てこないという。娘と出かけていき調べると、終わりの操作をしないままふたを閉じていたので、ばってりーがなくなってしまったらしい。しまいかたをしっかり伝授して帰ってきた。
2023.06.03
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ふじのはなは見られなかったが、巨大な広がる幹を間近に見ることができた。それはそれで凄さが感じられる。今はいろいろな花が見られて花の国へ迷い込んだ感じ。バラが見事であった。
2023.05.12
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夫が生存中は何度か車を走らせたこの道、懐かしいがいつも圧迫感を持って走ったものだった。天気も良く、ゴールデンウイークも過ぎたことだし、と足利フラワーパークへと出かけて行った。運転は娘、混雑もなくすいすいと気持ちよく走っていった。 国道293号に入ると間もなくダンプが対向車線はもちろん我が車がものすごい圧迫感を与えてくるダンプに囲まれてしまった。かつてのダンプカーは埃に塗れたさび色が多かったが、つやつやした黒いのが多い。個体としてみると格好のいい形だが、そばに寄ってくるとその圧迫感といったらない。 長い仕事休みが過ぎ一気に動き出したのか、のどのどかな風景とは相いれないダンプがうごめく景色なのだ。山の形も変わってしまったと感じた。むき出しの削られた山肌が、緑の山のあちこちにある。
2023.05.11
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ミュージカル本番で、予想通り、いつものセリフが出てこなかった。それに近い言葉を言えたのかどうかも分からなかった。でも棒読みでなかったような気はする。「つながっていましたよ」という言葉に励まされ、ホッとしている。 昨日、失語症、彼の名アナウンサーの山川静雄さんが失語症になったと聞いた。そして努力で克服されたと知った。なんか勇気をもらったような気がする。今日は血液腫瘍科での検査。なんと心配な結果はなんにもない。生かされているんですね。自信をもって過ごしていこう。
2023.04.28
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1年間練習を積んだノートルダムの鐘、よくぞこんな難しい曲に挑戦したものだ。先生がため息をついていたから、本当なのであろう。平均年齢80近いメンバーを相手に大変だったろうと思う。私とて85歳だ。短いセリフなのにふっと出てこない。こんな筈ではなかったが。この頃何とはなしに限界かな、と感じることが多い。ゆったりした歌唱だけならまだ行けそうなのだが、セリフ身のこなしが何ともぎこちない。まるで幼稚園のクリスマス会のようだと思ってしまう。セリフが上ずって聞こえる。何とかしなくてはと、 思うのだが。ま、何とかなるでしょう。何とかしなくちゃね。
2023.04.22
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義姉が逝ってしまった。晩年は我を忘れた日々だった。私には姉がいない。私の病気の時,息子祐二の21年間の介護にもずいぶん関わってくれていた。晩年は、認知症がひどくなり、なかなか意思の疎通のできない状態であったが、電話をかけるとよくしゃべり続け、終わりがなかった。そしてあんた誰だっけと名前を聞いたものだった。施設病院と短期間で環境が目まぐるしく変わり、最後のころは娘の顔も分からなかったようだ。二人でよく旅行にも出かけている。私の仲間の研修旅行にもみんなと混ざって違和感がないほどに参加していた。思い出は多い。 連れ合いの兄は、91歳、一人暮らし。歩くのもおぼつかない。これからどうするか心配だ。
2023.03.25
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2月中旬からは孫が高校卒業するので学校へ行くことが少ない。デブが大デブになるのを防ぐため私のウォーキングに付き合うように勧めた。 60歳の娘が私も歩くから、のひと声で3人が一緒に歩くこととなった。 ばあばが先頭に歩いた。おしゃべりしていてぺ-スが合わない。のろい。段々慣れてきてついてくるようになった。ただあるくだけではつまらない、とスマホの東海道53次に合わせ、歩をすすめはじめると、彼女たちは私が歩いたことがない歩数を歩き始めた。 3月になって私にとっては競歩ならぬ,恐歩になった。立て続けに8000,9000歩、1万歩を超えた。さすがに顎を出し始めた。私だけではなく彼女たちも同じだったらしい。このころから、花粉の飛ぶのが目に見えて多くなり私以外の二人は花粉症持ち、あえなく一時休止と相成った。 また平和な独り歩きが始まった。 同中膝栗毛の方も、神奈川を超えたばかり。大井川越えはいつのことやら。その内孫は東京の大学校へと進学の予定。娘とわたしが満願成就はなるか?
2023.03.09
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「南こうせつと森山良子プレミアムコンサート」についてのことが書かれていた。私も二人の素晴らしいその歌の世界に浸っていたので、あの時の感動が蘇ってきた。50周年だという南こうせつ、55周年だという森山良子、ともに素晴らしい声は少しもも変わっていない。むしろ円熟味を増している。ステージ後半の「花はどこに行った」の披露で、この歌がショーロホフの小説「静なドン」の一説の悲哀に基づいて描かれていると聞かされた。そしてロシアの現状を憂いていた。この小説を読み直すきっかけともなった。第一次大戦・ロシア革命と度重なる戦争に翻弄され、黒海沿岸のドン地方の人々の苦悩に満ちた生活を描いている。戦争は繰り返してはならないのだ。まもなく東京大空襲の日が来る。あの日の夜空が真っ赤になったことを私は忘れていない。そして私の家を焼きいとこの家の家族5人が焼死した横浜の大空襲も忘れることはない。
2023.02.24
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12月に初期癌であった胃袋を内視鏡による手術をした。粘膜内にとどまっていたので表面を削り取っただけで済んだ。内視鏡でその後の胃袋の仕上がり具合を見た。術前と術後を比較して見せてもらった。きれいに修復されていた。もともと私には胃袋はないに等しいほど切り取っていた。42年前である。しかしさかづきいっぱいほどしか容量のなかった胃袋が、42年という年月の間、働いてくれて、体力を保ってくれていた。それなりにご飯茶わん8文目くらい入るほどに大きくなっていた。10年前、脾臓が巨大化して手術をした時手術前に、脾臓をとるときは胃袋も取ってしまうと言い渡されていた。が手術後、小さな胃袋が、一生懸命動いていたのを見てそのまま取らずにおくことにした、と医師に聞かされた。なんといじらしいわが胃袋であることよ。これからも死ぬまで付き合ってほしいものだ。
2023.01.29
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テレビコマーシャルで、面白いのを見つけた。私の好きな俳優が部屋で一息ついた時、壁面に人面模様が目に飛び込んできて、瞬きもできないほどに驚き固まってしまうという映像だ。妙に懐かしさを覚えるそのコマーシャルに親しみが持てた。終戦後暫くは我が家の天井は板ばりだった。木目や節目に想像を働かせ、慄いたり楽しんだりした記憶がある。今でも我が家では畳の部屋は板張りの天井であるが、そのほかの部屋はすべて、一面平らな布張りや壁紙の天井となっている。板の天井には、年輪がかもし出す木目の、太く、ときには細く流れるような曲線と節目が、時に目玉のように見える天井板、端正な柾目と合わさって、いろんな想像が広がる世界がある。天井板といえばネズミが走り回る足音が思い出されるが、記憶に残っているのはそればかりではない。布団に入って天井を眺める瞬間、心に余裕があるときは、楽しい世界が現れ、眠れないときはおどろおどろしい形が浮き上がってくる。布団をかぶっても、目をつぶっても、妄想は広がりますます眠れなくなってしまう。こんな研ぎ澄まされたそして多感な時があったなあと振り返る。 今の私には、天井を見ても何も想像が広がらない。無地の天井がぼんやりと見えるだけ。木目の天井ではないだけではなく、感性が鈍くなったのも認めざるを得ない。寝そびれた夜半のこと。天井に一筋の光が動いた。なんのことはない街頭の光が、家の前の道を自動車が通り過ぎた時カーテンの隙間から漏れた光が、動かされたのだ。この時、「あそこの金魚を下してやってくれ」と、天井を指さして言った父の言葉が思い出された。母に先立たれ、自分も脳梗塞で闘病生活を送っていた時のことだ。父は天井を眺めて過ごす日々だった。比較的言葉の障害はなく、持ち前の駄洒落は健在な父であったが、この言葉は合点がいかなかった。その言葉はそのまま、父の老いのせい、病のせいとして笑って答えそびれ、いつか、私の意識から消えていた。光が動いて当時の天井板に揺らめく吊るし電灯の影と光の筋が動き、天井にひれを翻す金魚の幻影を見たのではないだろうか。当時の父の不思議な言葉を私なりに想像し納得した。父は金魚に興味を持っていたのは何となく察知できた。なぜなら、 水換えて金魚の動き新しく使っていない古い青銅の風鈴が仏壇の引き出しにあるのだが、こんな句が書かれたよれよれの短冊が、ぶら下げられたまま残っているはずだ。
2023.01.26
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寒くなってからすっかり遠ざかってしまっていた。今年の正月は晴天の時が多く、風さえなければ歩きたくなる日が多かった。これを逃す手はない。むりをしない程度にそろそろと距離を長いコースに変えていった。人様の庭を眺めながら、手入れの行き届いた庭を見ては、我が家でもそうしなくてはと思いながら歩く。葉をすっかり落とした木に新芽を見つけると、まだまだ厳冬は続くのに、大したもんだを歩みを止め、しばし見上げる。人に出会わない道から、国道に出ると一気に車が行き交っている。横断歩道で信号を待つ気はない。ほんのすこし国道に沿って歩いてから騒々しい道から離れて自衛隊の敷地沿いに歩いていった。敷地内の道を一人の隊員が、けだるそうに下を向いて走っていた。仲間に置いて行かれたのかな、と思ったりして姿を目で追った。ちらっとこちらを見たような気がした。逃げるように私の視界から消えた。
2023.01.07
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素敵な演奏会であった。久しぶりの演奏会にすっかり気をよくしてコロナの憂さが晴れた感じだ。男性なのにこの温かくやわらかな高音、話す声とのギャップに思わず頬が緩む。藤木大地。伴奏のギタリストもまた、ギター界の巨匠、荘村清志。アットホーム的な二人の無言の掛け合いが心温まる舞台を作っていた。隣のホールでは恒例の第9が演奏されていた。
2022.12.18
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たった一度のがん告知で、私に電話もメールもないまま逝ってしまったあなたでした。私は再発を含めて5回もがん告知されてもこうして生かしてもらっているのに。私が手術する前、あなたは強いから今度も大丈夫、くじけないでね。頑張ってと勇気をくれたあなたでした。退院して間もなくあなたの訃報を知りました。私の退院メールは届かなかったのですね、道理で返事がなかったはずです。私の体が治ったら、コロナが落ち着いたら一緒に旅行しようと電話で話したあなたの声がまだ耳に残っています。突然の体の異常で入院が緩和ケアーだったと後で家人から聞きました。高校時代から今日まで同じような生き方をしてきたあなたでした。職業も退職後のボランティアも。3か月前ご主人をなくされたばかり。早すぎます。ご主人の後追って逝ってしまうなんて。すい臓がんの怖さをいやというほど知らされました。あなたに頂いたサボテンを屋内に取り込みます。来年も見事な花をつけてくれるでしょう。すぐりのお酒も貴方を忍んでいただきましょう。
2022.12.03
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手術して4っ日目に退院しました。まだ重湯から米粒ちらほらのかゆに代わったばかりなのに。私より4日ばかり先に入院していた息子の病室に、コロナ発生でまたまたPCR検査結果が出るまで帰れなくなったよう。無罪放免で帰宅しても、濃厚接触者ということで自宅待機。食事も隔離室でとっています。入院中、点滴には参りました。血管がもろくてすぐ漏れてしまうし、次に刺すところが見つからないし、抗がん治療中は血管にさすポートを作っていたのですが、先日詰まってしまって腫れ上がってしまったので取り除いてしまったのです。こんなことにならないように大事に残しておいたポートでした。残念でした。
2022.11.18
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11月に入ったら準備をしようと思っていたが、コロナの5回目の予防ワクチンの通知が来て、焦った。今、入院するにはコロナの検診を受けなければならない。2週間前からの検温も今日から始めることになっている。うっかりして忘れるところだった。11月はせわしない月になる。入院前にしておかねばならないことがたくさんある。秋植えの花を植えなければ、と花苗も鉢も用意した。あとは植えるだけなのだが、娘が一人ではやらないで、と言って病院に検査を受けに出かけて行った。大きな手術を続けざまに1年の半分近く入院してやっとひと月平穏な日々となっている彼女の言うことを聞いちゃいられない。草花だけではない。家の中だって冬支度の力仕事がある。朝から敷物を交換して薄物を洗い終えたところだ。私自身の入院前にまだまだやることが残っている。天気は良くないが引き延ばしはできない。ところで私の入院は、悪性リンパ腫の方ではない。40年前に手術した胃腸に潰瘍ができたということで手術を要するとのことだ。この歳まで頑張ってくれた小さな胃袋がまた小さくなるらしい。私の入院の間今度は娘に頼らなくてはならないと思うと、その間に発熱入院なんてことが娘の身に起きないことを祈るしかない。そのうえ困ったことに長男が私と前後して腎臓結石で入院するという。人生いろいろあるねえ。
2022.10.25
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年のせいにはしたくないのに、気持ちだけはいつもと変わらないのに、頭の回転も、体の動きも予定通りにはいかない。困ったものだ。 随筆の会へ提出の作品二つ、作っている最中にパソコンが壊れた。下書きがあるわけではないから、締め切りを前にして、焦った。幸い休日のため息子が修理を試みてくれたが、元には戻らないという。新しい機器に、保存してあるものを移すほかないという。早速電気屋で新規のパソコンを購入し、中身を移し替えてくれた。いろいろなものが保存してあるので、とにかく時間がかかった。何とか間に合いそうだったのだが、壊れた時点で、あせって何回も保存を試みたせいで、どれが最終作品なのかわからなくなってしまった。それに新しいばかりに操作もいろいろ変わっている。ああじゃないこうじゃないといじっているうちにますます混乱してしまった。こんな筈ではなかったのに。
2022.10.23
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あの日から二十一年、相変らず自分でできることは何一つない遷延性意識障害者である息子は、五十一歳になった。「智恵子は東京に空がないという」で始まる、『あどけない話』の中で、ほんとの空が見たいといって、安達太良の山々を忘れることがなかった。 息子はどうかというと、人間界の切符を未だに持っているとはいいきれない。その壊れてしまった脳に、私が投影されている部分が残っているのではないか、とかすかな期待を持っているのだ。 輪禍に遭った二十年前の私と今の私は、悲しいくらい顔つきが変わり耄碌度は進んでいる。それでも息子は「お母さんですよ」と言葉をかけると、時々笑顔を向けてくれ、手を出すとタッチしてくれることもある。笑顔と手の動きは再生したのだ。これは素晴らしいことではないか。 以前、息子は自宅で夫と二人で看ていたのだが、胃ろう部分の器具交換のため短期入院をしていた間に、私は悪性リンパ腫の再発があり、その治療のため息子の看病は出来なくなった。その上頼みの夫の突然の死、そしてコロナ禍。それ以来息子は、家に戻っていない。面会することもままならない三年間に、笑顔も親しみ込めたタッチも忘れてしまっていないだろうか。絶望という言葉は、私の禁句である。私の命の期限は長くはないが、息子が完全に人間界の切符を手にする日を、待ってやらねばという心意気は失せていない。今年五十一歳になる息子だが、私にとって少年のままなのだ。なんとしてでも、「お母さん腹減った」と笑顔で言ってくれる日まで待っていてやりたい。
2022.09.27
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たびたび、入退院を繰り返す娘が家に戻ってきた。膀胱の切除という結果受け止めて手術をしたのだが、後がいけない。一週間ごとの高熱を出すという事態に 回りはおたおたしてしまう。今時熱は病院にすぐ入れてもらえない。手術したばかりという事で何とか再入院を果たすが、それが7回目ともなると、事情が変わってくる。 先日は度重なる発熱のため補充の手術をしたのち10日経ってまた発熱、さすがにPCRをと言われ、結果が出るまでに死んでしまいますと泣きついた。入院の許可は出たのだが、熱さえなければすぐ元気になる。そして退院。この入院中に長男も度々発熱していてPCRを何回も受け陰性であることで、その原因が腎臓結石であるとわかり、入院が決まった。そして私、逆流性胃炎で内視鏡を進められ、潰瘍が大きくなっていると手術を勧められ、かぶってしまう日程だ。弟はずっと入院中、これで娘が高熱でまた入院となりかねないから。とんだ事態になるよ、これは。
2022.09.26
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今月はものすごいコロナの感染者が多く、何をするのも足踏みしそうでした。でも予約してあった先々週の劇団四季と先週の歌舞伎の観劇そしてクルージングをあえて解約せず実行しました。ワクチン4回接種を信じて。バスも大型に25人であったし、マスク、消毒、飲食無し。会場での楽しみな食事なし。コロナ感染はなし、無事でした。去年と一昨年はかなわなかった恒例の私の楽しみが、感染者多数の今年、かなったのです。 本当は内心怖かったんです。いまほっとして余韻に浸ってます。
2022.08.27
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一人で出かけることもなく、お昼を食べにくる受験生の顔を見られることをありがたく思いながら、過ごしています。 土日を除いて、夕食は今まで通り息子家族の分も、娘が居なくても、(目下入院中)ばあちゃんメニューで準備をしています。 買い物は土日に息子が付き合ってくれています。自宅では魚をほとんど調理しないというので、いろいろ魚料理を考えているのですがね。彩のきれいな組み合わせにすれば納得してくれます。 娘が間もなく戻るので、年寄り向きでない肉メニューになることでしょう。そうなると私は付け合わせ担当になむすめですが、10年前から乳がんの治療に合わせて腎臓を病院で診てもらっていたのに、膀胱を失うことになったのはどうゆうことなのでしょうね。膀胱をとってか腎臓と折り合いがつかないようです。折り合いがつかないようです。口うるさい小姑ながら、いないと火が消えたようです。今大変なのが、草木の整理です。うっそうとして、ちょっとしたジャングルで毎朝、蚊と戦い、剪定ばさみ、電のこぎり、高枝ぎりを振り回しています。これ年寄りの仕事じゃないでしょう。 愚痴になってきたので止めます。おやかましゅうございました。
2022.08.06
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この辺りも群馬に迫る気温です。関東で2番目に高い気温です。一歩外に出るとお湯の中を夢遊病のように進んでいかねばなりません。早朝に水をまかねば植物に熱湯をかけることになります。水をまいた後は元栓を閉めてホースの水を抜いておかねば、とんだことになります。昨日やってしまいました。ホースが破裂して水が辺り一面飛び散っていました。初めてのことです。最初はなぜそんなことになったのかわからなかったのですが、ホースが風船が伸び切ったようになって割れていましたのでそれとわかりました。初めてです。こんな状態のなったのは。水撒きは娘の仕事なのですが、いま入院中です。私の仕事が増えた上にこんな経験するなんて。再手術を控えて気落ちしているかと思いきや、病院は涼しくていい、なんて言っている。うじうじしてられるより助かるけど。
2022.07.03
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突然、、コミュニティFMのミヤラジに出演 CDを聞く時間もあり上手な進行に助けられて何とか55分を過ごすことができた。すごいトシヨリRAJIOという番組だった。私の場合何がすごいのかしらないが、どうやら生き方がすごいということのようだ。確かに人より病歴があり三度のがん治療を受け2度の脳出血と聞いたらよくそれで生きてるなあと思われよう。生きていているだけではなく、輪禍に遭遇し意識障害となって寝たきりの息子と20年を過ごしている。その間、ボランティア、ひとさまは大変だろうと思うかもしれないが、そのことから前向きになれる力をもらったことはそのことから前向きになれる力をもらったことは間違いない。ともすれば暗くなりがちな現実から、別の世界から力をもらえるのだから、考え方も生き方も前向きになれたということだ。また私がよくする随筆も幅ができるというものだ。音楽のリクエストには、以前栃木放送のインタビュー番組でもそうだったように、スピッツの「空も飛べるはず」をかけてもらった。これは忘れもしない息子が輪禍で5か月も目を開けることもなかったとき、かけていた曲だった。この曲の最中息子の目があき、しっかり生きているという実感を味わった記念すべき曲だった。あの時が思い出され感無量だった。
2022.07.02
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早朝の小雨のぱらつく中、傘をさしてのウォーキング。いつもとは違う路地に入って歩みを続けていると、家が途切れて畑が広がっていた。そこに一本の結構大きな栗 の木を見つけた。さび色の十四、五センチほどのひも状の花が、ときおりはらりと地面に落ちてくる。 栗の花が落ちるころ梅雨入りとなる。と、先日天気予報士が話していた。それに、この辺りは梅雨入りしたと聞いたばかり。栗の花の落ちる景色と遭遇したことが、なにやら うれしい納得感があった。しばし栗の花のはらりひらりと落下するのを眺めていた。 近頃栗の木がなくなっているなあ、と感じる。 散歩コースにも、かつて五月の頃には栗の花独特の匂いが漂っている個所に出逢ったものだが、近頃めっきり目にも鼻にも栗の木の存在が伝わってこない。五年ほど前まで知人から、毎年大きい栗が届いていたが、ぷっつりと途絶えた。知人が鬼籍に入り、栗畑は伐採された。栗の面倒なことを私は知っている。 この頃は栗の花を知るものは、意外と少ない。ひも状の花ととげとげのイガ栗が高価なモンブランやマロングラッセに結びつかないのかも知れない。この季節は四十五年ほど前に伐採して今はない大きな栗の木の話を、私が家族に人様にそれとなく語りたくなるときでもある。何しろその大きさが直径五十センチ以上あった、巨大な二本の栗の木にまつわる話は、語り切れないほどある。 終戦の年に、鹿沼の祖母がもってきた栗の実を現在八十歳になる双子の弟たちが小学生になる前植えたもので、実生の栗の木だった。「桃栗三年柿八年」のとおり、栗の木に実がつくようになるのは比較的早い。ぐんぐん成長して巨木となり地上二メートルぐらいの高さのところの枝分かれの部分に、弟二人は同じように自分たちの巣と称するものを作っていた。お互いの巣は三メートルほど離れていたが、ターザンを真似て木から木へ飛び移れる綱やハンモックを作って、行き来を楽しんでもいた。マンガ読みはもちろん、宿題もそこでやり、学校帰りの友人たちがカバンを背負ったままよく道草を楽しむ場所ともなった。いやなことがあると弟も友人たちもそこに籠もり、ふて寝をしていたものだ。栗の木をめぐる話は多い。台風時、トタン屋根を鳴らした栗の実演奏会、心臓に悪い大きな栗虫が部屋に我が物顔でモコモコ歩き回ったり巨大蛾が乱舞したりの背筋がぞくぞくした話、母が心を痛めたイガや枯れ葉のご近所迷惑物語、イガ剥き競争、涙の伐採などなど。大笑いしながら語り合いたい。
2022.06.15
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あれは3年前、右の腕が上がらなくなった。痛くて上がらないのではないのが不気味だった。神経が切れてしまったかのように自力で腕を上げられなくなっていた。その後まもなく脊髄の中にリンパ腫が巣食っていたのだった。腕が神経が切れてしまったように動かなかったのは、そのことと関係があったのかは今もってわからない。今度の腕の痛みは、五十肩と呼ばれる類のものと思って時が来れば治ると高をくくっていたのだが、なかなか治らないし、痛みも強くなってきた。我慢したために筋肉が固まりかけているらしい注射をしながら筋肉のマッサージを施す治療が始まった。当分は病院通いとなりそうだ。折角リンパ腫の治療が時々様子を見ていくことになったのに。あっちが良くなったと思うと今度は別の所が悪くなる。仕方がないことなのかなあ。
2022.05.28
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雨上がりの庭は彩も鮮やかで見とれてしまう。いつもより早くエゴの花が満開になっている。可愛らしい。エゴの木の近くは薔薇が競い合って咲いているし、アマリリスも大輪の花を咲かせはじめた。 この季節花も見事だが、ドクダミの威勢もよい。負けじと背丈を伸ばし、白い蕾を一斉につけている。咲けば可愛い花なのだが、このまま咲かせるわけにはいかない。このままでは庭中がドクダミにのっとられてしまう。順繰り庭の端から抜き始めた。庭の三分の一ほどで抜いたドクダミの山が幾つもできた。三日がかりでやることにした。根こそぎ抜きたいのだが、根が途中で切れてしまう。根っこを残してしまうと残った根からまた生えるという、鼬ごっこをすることになるのはわかっているが、なかなかとり切れない。今まさに咲こうとしている可愛いどくだみの花が、ちょっぴり哀れになって、トイレの小さな花びんにさしておいた。
2022.05.15
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よりによって植木屋さんがちょん切ってしまったトランペットエンジェル、恨めしい気持ちを抑えて、挿し木をしておいたものが、根付いて芽が出て葉も出してきた。 いつもなら娘がやるはずなのだが、娘が入院先からメールで指示してきた。 天気も良いので、土仕事の開始。そっくり土ごと取り出して腐葉土をを混ぜて大きめの鉢に植え替えた。なんと元気なのが6鉢。元気に成長して娘を驚かせてやりたい。 次にパッションフルーツ、毎年グリーンカーテンにするのだが、昨年虫にやられてだめにしてしまった。今年は去年挿し木した若木なので、カーテンになるかどうかわからないが、挑戦してみようと虫退治の薬品を混ぜておいた。うまく成長してグリーンカーテンの役目が果たせるといいのだが。いつも娘と二人で挑戦する大仕事なのだが、今年は何とか一人でできた。お母ちゃん偉いぞ!
2022.05.04
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私ではない。娘だ。高熱が続き怖くなり、手術した病院へ緊急で電話を入れた。電話をしている娘の手が震えている。それでも気持ちはしっかりしているようだ。入院になるかもしれないと荷物を急いで最低限必要なものを急ぎ用意した。息子の居る時で助かった。 夕方様子がメールで届いた。どうやら腎臓に支障があるようでしばらく熱の上がり下がりは覚悟しなくてはならないらしい。翌日不足なものを届けてほしい旨連絡があった。熱が相変らずあって体が痛いという。私をはじめ病人家族であることよ。 末息子も、娘も入院中となっている。どちらも熱を出している。今私が入院となったら大変なことになる。そうなりませんように。幸い私の持病は収まっている。先日次の検査は二か月後と言われた。ひとまず安心だ。注意して家を守ろう。
2022.05.01
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昨年は出来なかったこの大舞台でのミュージカル、今年透明のマスクをつけて歌って踊って語っての発表をしました。 ラインメールで全員の写真が送られてきました。総勢200名以上出演者一同が舞台の乗った写真です。スマホに送られてきた写真を拡大して自分を探しました。会場の一番高いところから舞台を写すと人と人とが重ならずにとれるんですね。お見事。 われらのグループは他の子供たちだけのグループと異なり、おばあ様が多いこと、なかには30代のママさんもいますが。楽譜を初見で歌える人たちです。92歳の人がいますそして私とて、85歳、今年は透明マスクが反響して自分の声がよく聞こえて、なんだか上手に聞こえました。 今年は、戦後から現在までを生きた人生ドラマを表現したミュージカル。よく頑張りました。なんせ、6曲を暗譜して歌い、踊り、演じました。 ちなみに私のセリフは「すごーい」の一言、全身で演じましたよー。
2022.04.26
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河津さくら、薄墨桜,八重さくらと、ゆったりお花見ができた。混雑しないお花見は、いいもんだ。そして今我が家の庭はまさにどこを見ても花たちが競って咲かせている。桃の花やチューリップ、水仙が終わってしまったら,ボタンの大輪が咲きだした。フジもつつじも今を盛りに満艦飾、追ってシャクヤクもあちこちで咲きそうだ。オオデマリも今は青いが、間もなく真っ白な手毬となってくるだろう。今年は冬の間の管理がよかったと見えて、君子ランも10鉢それぞれ花を咲かせている。半日陰の戸外で、凛として咲き誇っている。草花たちも負けじと咲き競っている。まもなく孔雀サボテンも開くことだろう。コロナ禍、吹き飛ばせ、花たちよ。
2022.04.23
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昨日10時に婦人会の総会でした。前日も時間を確かめ納得していたのですが。冬の間、家の中に取り込んでおいた君子ランや孔雀サボテンなどを外に出す作業をしていて、すっかり忘れてしまいました。気が付いたのが今朝です。もう自分が信じられなくなりました。先日も歯医者の予約時間を忘れてしまって予約のとり直しをしたばかりでした。あーあ。
2022.04.10
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退院後、間もなく発熱で驚かされた。この時期熱で病院にかかるのはとてもむづかしい。 手術をした大学病院ですぐ来るようにと指示をもらい、地獄で仏、そんな気持であった。娘はひと月も車を運転していなかったし、熱のある体で自分で運転して出かけていった。こんな時運転免許、を返してしまったことが恨めしくてたまらなかった。まだまだ乗れたのに、と。メールで連絡を取り合い、担当の医師や看護師さんが覗きに来てくれてうれしかったという。帰りはあまりに遅いので心配したが、車を置いてタクシーで帰ってきた。先生の指示だという。その日遅く医師から電話があり、様子を聞いてきた。本当は帰したくなかったのだという。心配な状況だったという。救われたのだ。
2022.04.05
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一目でも遠めでも、顔が見られればと思いながら、息子に車を出してもらい、郵便物と水と着替えをもって病院に向かった。受付で言われた所定の場所にいると、看護師が荷物をとりに来た。待つことしばし、10分もたったかどうか。洗濯物等の入った手提げが渡され、「ハイご苦労様」、「術後、変わりありませんか?」「ハイ元気ですよ」顔を見ることもなく荷物の交換だけであった。とんぼ返りをしたお見舞いだった。
2022.03.13
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2月末に手術のため入院した娘から数日前から毎日メールご飯が食べたいよと水ものばかりの器がならんでいる写真がおくられてきた。もう手術から1ッ週間がたっている。あの日長い長い待ちぼうけだった。何の経過報告もないままただじっと手術が終わるのを待った。朝一番に手術室に入ったのに終えて帰ってきたのは待合の部屋に人影がなく太陽が沈んでしばらくしてからだった。 今回の手術はロボットによる手術だという。その施術法はどんなものか想像ができない。11年前に施した乳がんの切除とはまた違ったものらしい。どんな形にしろ、病魔を退治してくれる手術ならどんな方法でもいい。治してほしい。今日のメールはドレーンの管が取れて、自由の身です。とある。これからが大変だ。とってしまった臓器に代わるものと生涯付き合っていかなければならない。 その臓器は膀胱だ。
2022.03.10
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歯がしみるので歯医者に行った。家から2分で行ける歯医者さんだ。1年ほど前にクリーニングに行ったきりだ。どうやら見えない虫歯があったらしい。神経が生きていますよ、と言われた。久しぶりに神経を抜く治療を行った。麻酔の注射は痛いというイメージでビビったが、いまの麻酔の注射は痛みをほとんど感じない。84歳で28本の自分の歯があるのは、申請すれば表彰されるという。そういえば、生前の夫には自分の歯がほとんどなかった。入れ歯が透明のコップに入れてあるのはあまり感じがよくなかった。かたい食べ物は細かく刻んでほしいとよく言っていた。部分入れ歯で済んでいて、かたいものお構いなしの私は幸せなのかもしれない。部分入れ歯がなくとも食事はお構いなしに不自由を感じていなかった。丈夫な歯を残してくれた母親に感謝しなくては。
2022.02.26
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3年前に抗がん剤治療のために作った、胸から首にかけて埋め込んだポートが炎症を起こし腫れてしまった。治療をしていたが、治まってきたので、抜去ということになった。血管が細いうえにもろくなってしまったので埋め込んだのだが、子供たちが皆、血液検査するとき苦労しているようだ。「つまんないことが母さんに似てしまった」と口説いている。
2022.02.10
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今年でおしまいにするという年賀ハガキがここ数年何人かいた。 枚数もだいぶん少なくなった。そんな中で当選枚数が下2桁のあたり枚数が6枚、これは私の年賀状史上最高だ。 昔は胸弾ませて数字を調べたものだが、どうも感動が薄っぺらになったと思う。物事に感動できること、これは年をとるほどに大事なことなのはわかるのだが、何しても冷めていやしないかい。と自分に問う。祐二の病院がまた面会できなくなった。仮にできたとしても、足がない。なんだか息子が私の生活の中から遠くに行ってしまったような気持ちだ。後ろめたさが広がってくる。20年前の1月の忌まわしい輪禍が思い出される。
2022.01.29
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