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中国のネット上で昨年来、「如果没有富士康--(もしもフォックスコンがなかったら--)」という枕詞を付けて文章を作る言葉遊びが流行したそうだ。
中国でiPadやiPhoneなどのアップル社製品を受託生産する世界最大のEMS企業・フォックスコンは、100万人を超す従業員の中から優秀従業員として選出された200名を表彰し、副賞としてiPhone4や現金約5,000元(日本円で約6万円)、台湾旅行などを贈呈した。
今回の表彰は、同社が従業員に配慮した企業であることをアピールする狙いがあると思われる。
連続自殺騒動のさなかにも、同社では再発防止策として賃上げや労働時間の見直し、さらに従業員への心理カウンセリングや僧侶による自殺者の供養などを実施した。その甲斐あってか、男性従業員が自殺をしたのを最後に、自殺者は出ていなかった。
ところが最近になって、フォックスコンで再び従業員の自殺が立て続けに発生している。
連続自殺騒動は、深セン市内のみならず中国全土にあるフォックスコンの生産拠点でも巻き起こりつつある。これまで深セン市を主要拠点としてきたフォックスコンだが、沿岸部の人件費が高騰していることなどから、内陸への生産拠点の移転を進めている。しかしそれに伴い、連続自殺も各地に飛び火してしまうとは、実に皮肉な話である。
労務環境や福利厚生を改善しても、とどまるところを知らないフォックスコンの連続自殺。この騒動を引き起こしている本当の原因とはなんなのか真相は闇の中だ。
中国の上海郊外松江区に工場を設立した台湾企業のフォックスコンは具体的な顧客の名前や情報を明かさないことで知られる。中国のネット上で昨年来、「如果没有富士康--(もしもフォックスコンがなかったら--)」という枕詞を付けて文章を作る言葉遊びが流行した。
「富士康」とは、電子機器の受託製造(EMS)で世界最大の台湾企業、鴻海精密工業(ホンハイ)のブランド名であるフォックスコン(FOXCONN)の中国語名。冒頭の文章は、数多く作られたものの中で最も有名になったものだ。
フォックスコンは具体的な顧客の名前や情報を明かさないことで知られる。しかし、Appleやソニーをはじめ、Nokiaの携帯電話、HPのPC、Microsoftのゲーム機Xboxなど、挙げていけばキリがないほどありとあらゆるブランドのアッセンブリーを手がけているといわれる。
上海に隣接する江蘇省昆山に製造拠点を置く日系のある電子メーカー幹部は、「進出する土地を決める際、フォックスコンが昆山に工場を出していることが決め手の一つになった。フォックスコン出身のエンジニアを引き抜けば人材集めがラクだから」と笑う。電子関係の製造業者の間では、優秀なエンジニアを輩出する企業としても、フォックスコンは名が通っている。
ただ一般的に「EMS」と言われても、日本でまず頭に浮かぶのは郵政公社の手がけるスピード郵便のことだろうし、フォックスコンという名前を聞いて、ソニーやAppleと同じぐらいすぐにピンとくる人は、少ないに違いない。
EMSの代名詞的存在であるフォックスコンと、その創設者、郭台銘董事長(会長)の人となりについて、駆け足で触れてみることにしたい。
フォックスコンを一躍有名にしたのは、日本はもとより筆者の住む上海や中国全土においても、2010年春、広東省深センにある同社の工場で、3カ月あまりの間に連続で12人もの若い行員が飛び降り自殺を計った事件だった。そしてその工場で、世界中でヒットしているスマートフォンiPhoneなどのApple製品を作っているということや、ブランドメーカーからの委託でそれら電子機器を生産する工場のことを「EMS」と呼ぶのだということが、一般にも広く知られるようになった。
一連の飛び降り自殺が起きるまで、フォックスコンは企業そのものよりも、同社を一代で築き上げた創業者の郭台銘氏が億万長者として注目されることのほうが、中国でも圧倒的に多かった。
「人材は4流、管理は3流、設備は2流、しかし顧客は1流」
電子機器受託生産(EMS)の世界最大手、フォックスコンの創業者である郭台銘董事長が、自らの経営哲学を説明する際、好んで話すといわれる言葉だ。ビジネスを発展させるカギは、いかに一流の顧客をつかむかにかかっているということなのだろう。
そのフォックスコンの顧客の代表格に挙げられるのがAppleとMicrosoft。iPhoneやiPadの世界的ヒットでいまをときめくスティーブ・ジョブズ氏がAppleを創業したのは1976年。Windowsで世界を席巻したビル・ゲイツ氏がMicrosoftを創業したのは1975年。そして後年、AppleとMicrosoftを顧客に抱えることになる郭台銘氏が、フォックスコンの前身となる鴻海工業を立ち上げたのは1974年のこと。パソコン時代の申し子とも言える3人が、ほぼ同時期に創業していたという事実は興味深い。
その郭氏は1950年、台湾の台北県板橋(当時)で、4人姉弟の長男として生まれた。父親は中国山西省出身で国民党の警察官。母親も中国山東省の出身で、2人は1948年、台湾に渡った。
16歳で海運学校に入学し貿易実務などを学んだ郭氏は、兵役を経て、復興航運公司という海運会社に就職した。担当した仕事は船のスケジュール管理と荷為替手形の管理。当時「台湾のウォール街」と呼ばれた台北の館前路にあるオフィスにスーツにネクタイ姿で出勤する郭氏は、傍から見ればサラリーマンの道を順調に歩み始めたように見えたことだろう。しかし郭氏本人の思いは違った。「貿易で扱う商品を作る工場を持たなければ、貿易をする意味がない」。
そう考えた郭氏は1974年、数人の友人と共同で、台北に白黒テレビのチャンネルのつまみを作るプラスチック成形の工場を設立する。ところが創業から間もなくして、オイルショックが発生。大きな打撃を受けたことですっかりやる気を無くした共同経営者から株を買い取り、郭氏は一人で経営を続けた。
その甲斐あって、会社は数年で軌道に乗るのだが、郭氏は「これ以上の飛躍を遂げるためには、優れた金型が無ければ無理だ」と思い至るようになる。当時の郭氏を知る人たちは、郭氏が寝ても覚めても「金型、金型」と、うわごとのようにつぶやいていたのを覚えているという。
本格的な高度成長期に入る前夜の当時の台湾で、中小企業の経営者たちは、多少の蓄えができると不動産を購入するケースが圧倒的に多かったという。しかし郭氏は1977年、工場が黒字転換を果たして手にした蓄えを手に日本を訪れ、金型製造の設備購入に注ぎ込み、念願の金型工場を設立する。
「これからはコンピュータの時代が到来する」と読んだ郭氏が選んだのは、パソコンのコネクタ製造だった。
1985年、海外市場開拓のため、郭氏は訪米する。節約するため食事は1日ハンバーガー2個までと決め、自らレンタカーのハンドルを握り、1泊15ドル前後のモーテルを泊まり歩きながら、飛び込みでセールスをし、顧客を増やしていったという。
1988年には中国に初進出し、従業員150人のコネクタ工場を経済特区の深センに設立する。1992年には、「なれる者から先に豊かになれ」という当時の最高実力者、?小平氏の「南巡講話」で経済の改革開放路線が決定的になると、深センに「見える範囲全部」の広大な敷地を購入。そこで原材料から部品、アッセンブリーまで一貫した垂直統合のサプライチェーンを構築して時間、費用などコストを徹底的に抑えるとともに、大量の人員で大量生産することで圧倒的な価格競争力を打ち出すという現在につながる体制を整えた。
こうして築き上げてきたフォックスコンの売上高は2010年、前年比53%増の2兆9900億NTドル(約8兆3720億円、1NTドル=約2.8円)、税引後純利益は前年比1.9%増の771億5400万NTドルにまで成長。「もしもこの世にフォックスコンが存在しなければ、私たちはiPhoneも、iPadも、iPodも、プレイステーションも、ノートPCも、薄型テレビも存在しない世界に生きなければならなかった--」と言われるほど、ありとあらゆるメーカーが、電子製品の製造をフォックスコンに生産委託するに至っている。 (EMSOne)
フォックスフォンも郭台銘社長が台湾から日本に来て金型の製造技術を手に入れてから会社が大きくなったという経歴がある。最初は貿易業をしていたが、自社で生産したものを輸出したいという気持ちがだんだん強くなって、友人数人で台北に白黒テレビのチャンネルのつまみを作るプラスチック成形の工場をつくった。オイルショック後、これからはコンピューターだということでコネクター製造に変えた。それが成功した始まりだ。
日本の金型製造、部品加工技術や先端技術のイノベーションに誇りと自信を持って頑張れば、必ず日本経済は再興できる。
ロボット機械、宇宙ロケット、航空機、戦闘機、ミサイル、PS細胞研究開発、医薬品、医療機器、最先端病院経営などの医療分野プロジェクト。潮流発電、地熱発電、太陽光発電、風力発電、スマートグリッドなどのエコ新発電分野プロジェクト。送電の地中化促進、水道システム、深海天然ガス採掘などのインフラ。日本国内で強い技術に対して国が税金をおもいきり投資することで強くなる。ダムや橋梁、鉄道システム、原発などは外国で建設してシステム技術はブラックボックス化して儲けることだ。
日本文化を世界に広く紹介するためにも「国策日本語ノバ教室」(仕事がない若者に国際感覚が身に付くし、世界の経済情報が取れるという一石二鳥)の教室は世界の各主要都市駅前に進出を産・官・民の協力の国策で強力に推進することである。
その後、国別経営状況によってその国内で徐々に広げて行くのだ。経済情報については大使館・領事館・JETOROにも相互協力し合うことだ。そして日本が今のところ強いアニメと映画の著作権収入なんて面白いだろう。かって自民党の麻生総理時代に考えたことは決して無駄なことではなかった。
(文責:尋牛亭日常)
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