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「日本を今一度、洗濯いたし申し候」
これは、明治維新の立役者、坂本龍馬が28歳(1863年)で土佐藩脱藩の時、姉の乙女へ差し出した手紙の中の言葉です。まさに現在の平成維新の時代に活躍する為政者の方々に、この龍馬のようなおもいの人間たちによって政治経済がリードできれば、多くの世界の国々から尊敬される中立的平和国家日本の将来に関わる重い言葉です。
末っ子で甘えん坊だった龍馬を姉の乙女は愛していた。そのなかで龍馬を愛した女は、おりょうが有名だが、江戸に出てきた龍馬が通った剣道場、北辰一刀流の道場主の娘が許嫁(いいなずけ)千葉さな子がいた。彼女は独身のまま甲斐(山梨)で生涯を終えた。龍馬は男性だけでなく女性にももてたのです。 「いったい、日本人はどこにいるのか。もっとも光栄をになうべき日本人はどこにいるのか。日本人は三百年、低い身分にしばられ、なんの政治の恩恵を受けていない。この一事だけでも、徳川幕府は倒さねばなりませんよ」(桂小五郎のちの木戸孝允(たかよし1833~1877)に龍馬が言った言葉です。余談ですが我が家に松菊木戸公の七言絶句、漢詩の掛け軸があるが、維新後は参謀の要職を歴任、明治新政府内の進歩派として、版籍奉還・廃藩置県に尽力し、岩倉使節団副使として視察外遊の途に、国のかたちづくりを学んだ。
慶応三年十一月十五日の夜、近江屋(京都河原町三条下ル蛸薬師の醤油屋)の二階で火鉢を中に客の同志中岡慎太郎とゆずの栽培を奨励することを話していた。龍馬は風邪気味で厚着をし、その上寒い夜だったので、丁稚小僧に好物だったシャモを買ってこいと命じた。 それといれちがいに夜八時ごろ、 十津川郷士と名乗る三人の男
が現れた。龍馬の従者の相撲取り上がりの籐吉がその名刺をもらい、部屋を出てとりつごうとすると、三人の男たちはもう階段を上がって来ていて、いきなり籐吉に乱刃を浴びせていた。 龍馬がなんの騒ぎとも知らず 「騒(ほた)えな!」
(うるさいぞ!)と土佐弁で叱りつけたとき、二人の刺客が部屋に躍り込んできて、 「コナクソ!」
と叫びながら、坂本龍馬と中岡慎太郎の頭部を割りつけた。 不意をつかれた両人とも剣の腕におぼえはあるのだが、龍馬は背後の床の間の刀を取ろうとして、また背後から袈裟がけに斬られつつ、刀は取ったが抜く暇もなく、鞘のまま渡り合い、慎太郎も長差を入口近くに置いていたので、脇差でこれまた鞘のまま防戦した。しかし、決死の覚悟の刺客どもにたちまち両人とも乱刃の下に倒された。
刺客どもは仕留めたと思ったのか「もういい、もういい」といって、謡曲鞍馬天狗を口ずさみながら悠々と立ち去った。 そのあとで龍馬は息を吹き返し、初めて刀を抜いて行灯に照らし 「残念、残念」 といいながら、階段のある隣室まで這い出したが、 「慎ノ字、俺は脳をやられている。もう、いかぬ」 (慎太郎、俺は脳をやられたからもう駄目だ)と微かな声でいって、こと切れた。頭部の傷口からは脳みそが溢れ、血は階段から流れ落ちた。中岡慎太郎も右手切断に近い重傷を負い、十一か所も斬りつけられていたが、急を聞いて駆けつけた土佐藩士たちに遭難の様子を詳しく話し、二日後の十七日の夕、絶命した。 この暗殺者は、清河八郎を斬った、佐々木只三郎の手の者ではなかったかといわれるが、佐々木只三郎は、それから五十日後の鳥羽伏見の戦いで傷つき、死んだので、この歴史的暗殺隊長の証言は得られていない。
坂本龍馬
(1835年~1867年)は、丁度、 イエス・キリスト
(BC4頃からAD28推定)と期しくも同じ年齢で死んだ。それも11月15日の同じ日に生まれて死んだ。誕生祝いに土佐の郷土料理の軍鶏鍋を食す予定だった。33歳というこれからという年齢だった。 ところで、ついでにキリストのことを言えば、イエスは降誕の年を西暦元年の年にしたということになっているが、実際にキリストが生まれたのは紀元前四年という。死んだ年もいろいろあって西暦三十年という説もある。あいまいなること日本の「紀元節」と五十歩百歩である。 とにかく、エルサレムでパリサイ党や祭司階級の宗教を批判し、ユダに密告されて捕えられ、四月七日昼過ぎ、ゴルゴタの丘(現在のイスラエル)の上で、十字架にかけられ、午後三時ごろ死んだ。『昼の十二時より地の上あまねく暗くなって三時に及ぶ。三時ごろイエス大声に叫びて「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言い給えり。わが神、わが神、なんぞ我を見棄して給いし、との意なり(中略)イエス再び大声に呼ばわりて息絶え給う』(マタイ伝)この人物の「最期」については、「異教徒」にとって誠に書くことが難しい。
龍馬は土佐で、 志ある者を集め貿易すべきだという
アドバイスを得た。長崎で 亀山社中
を組織し 英国人グラバーと交易取引きした
。その後、旧土佐藩の仲間たちと 海援隊
を組織した。彼はいろいろなアドバイスや多くの情報を得て、その匂いを感じ、選択にもたけていたのである。 もう少し生かしておきたかった、と思われる人物は史上そう多くはないが、坂本龍馬はたしかにその一人です。龍馬は 同郷の岩崎弥太郎より一歳若かったが、海運商事の分野で、弥太郎の兄貴分だった
。もし、もう10年、20年の生命を与えてやったならば、龍馬が明治大財閥の創始者になったかも知れない。しかし、国民に敬愛されるヒーローとはならなかったに違いない。
ところで、今の日本も国民の幸せのために国づくりをしてもらいたいということだ。アメリカの植民地のように軍事・外交をアメリカに頼らない独立国としての政治・経済のためトヨタ、三菱重工、東芝、日立、三菱電機、旭化成、東レなどをさまざまな防衛産業の再構築する。そして環境関連産業が世界でイニシアチブをとるために 中小企業 のアイデアやイノベーションによって 日本発の産業革命 を政・官・財の協力により推進する再生ビジョンを具体的に示すことだ。
今までの幕府(自民が主の自公連立政権)を倒したのだからこの国の政治の制度疲労やうみを出す。戦勝国のための国連で拒否権をもてるよう主張する。アメリカや中国など国際社会で主要な国々はしたたかな外交なのでリップサービスを鵜呑みにはしない。常任理事国(拒否けんのある)できなければ、戦後から戦勝国有利の組織は世界の国々に公平でない。拠出金を返還してもらって国連なんて脱退してもよい。(国にそれぐらいの覚悟がないとしたたかな国々には伝わらない)
そのためには、今までとは違った独自の平和外交を展開する必要がある。特に安全保障の問題では、自国軍による防衛とし計画の見直し、危機管理庁の新設、高度な情報機関による国家安全保障会議を柱にしっかりした国づくりをすることである。 ガラガラポンの前に、シャッフルして維新の志ある同志と連立して「船中八策」のような大局観ある諸策を推し進めてもらいたい。
龍馬の志を学ぶだけでなく政治家は日本を今一度、洗濯し、日本再生ビジョンを具体的に示し、沖縄をアメリカための不沈空母にしてはならない。
日本のために 米軍はすべて国外に出て行ってもらう。
そのためにアメリカ合衆国には一円も税金を払わない。第二次世界大戦敗戦後から今まで、長かった古い政治(直近では自民・公明の連立政権の官僚丸投げの族議員による利権政治)を改革することである。
それはすぐに出来ないことは承知しています。この国のかたちを見直すこと。中期戦略5カ年計画でもいいので取り組んで、 いま一度、日本を洗濯しなくてはならない!
輸出を車から航空機=世界で強い競争力=国際社会に貢献
最後に、いつもの国政の戯言としては大局的に中・長期国家戦略を諮ることだ。そして近隣諸国とは同盟国となって国交樹立し、平和外交を実践。内政は第一に少子化の是正対策を急ぐことだ。つぎに国民の中間所得層の拡大の実現と、近い将来は生活保護を無くし、手厚い最低保障皆年金とする。国家意識を持って日本国独自の時代に寄り添った長期戦略の志と覚悟を持ち、誰から救わなければならないのか、自分の言葉で話す説得力ある政治家に期待している。
政治屋でなく政治家は 都道府県の借金時計
で国の財政の起債合計を確認してもらいたい。元利のなかの利息を税金で歳出している現実をよく知り考えるべきである。政治家はデフレの今こそ起債を返済するチャンスである。デフレを克服して、先端技術のものづくりを保持しロボット機械、宇宙ロケット、PS細胞研究開発など医療分野や潮流発電、地熱発電などの新発電プロジェクト、スマートグリッド、水道、天然ガスなどのいろいろな環境分野の新産業を創造し雇用の問題に対処すること、個人消費を頼りGDPを3~4%を目指すことで急務であることを理解して実行することで、政治とは時代に寄り添った変化を国家・国民のために具現化すること、猶予は1年である。(文責:尋牛亭日常)
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