『日本文化主義』尋牛亭日常の箴言

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 長い歴史ある日本と違い、中国とは異なる周辺民族よる殺戮支配が繰り返され、現在はハッチワークのように他民族を人権無視で無理矢理、共産党が束ねている国家という認識が正しい。

 中国や韓国とは究極のグローバルの格差社会で、汚職や賄賂も多く、既得権者たちが内政の失敗をごまかすため民度の低い反日国家になってしまっているようだ。多くの善良な人々が不幸ですね。


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わが国は、建国の理念にたちかえり、家族国家を取り戻すこと。そのために、ひとりひとりができることをする。それが日本の日本人が、すべきことなのではないか。大東亜戦争の教訓と体験に学び戦死した人々を無駄死にさせないようにするためには国益のため『日本文化主義』の文化防衛という考え方でリーダシップのある類い稀な資質、明確な目的意識とアイデアを持った首相(大統領制にした方が国際社会に政治的アピールもよいのだが、いまの政治家たちは分かっていない)になってもらいたい。『
日本文化主義 』に期待したいと考えています。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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テーマ: ニュース(97035)
 明日は岩崎弥太郎の長男の別荘だった日本庭園を散策してから金原亭馬生師匠の落語「目黒の秋刀魚」などを楽しんだ後会席料理で舌鼓の会があって天気が心配です。

 ところで学校や職場や会社対会社のいじめが日本の国内メディアで話題になっているのである。腑に落ちる解決策は聞いていない。いろいろな観点からいろいろなご意見があるのだが、是非、参考にしていただきたい。「大国主は日本最初のいじめ被害者だったという。

 「七福神」の恵比須(えびすさま)、大黒(だいこくさま)、毘沙門(びしゃもんさま)、弁才(べんざいてん)、布袋(ほていさま)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)の七人の神様のことです。全国各地の観光地には七福神巡りをして朱印をいただく楽しみもあります。七福神のそれぞれの神様については、長く民間信仰で語られてきた神様たちであるだけに、いろいろな説があり一つの説です。

 名前から一番景気良さそうなのが弁財天様。女性の神様で、弁才天とも書き、「才(ざい)」が「財」に通じることから、銭洗い天などとして祀られたりもしています。もともとは水の神様で、弁天島は海にあるし、弁天池なんてのもあります。

 商売繁盛の神様といえば、恵比須(エビス)様。エビスは、蛭子、恵美須とも書かれ、恵比寿と書いたら、東京山手線の駅名です。エビス様は、いつもにこやかで、だからニコニコした笑顔のことを「えびす顔」なんていいます。耳たぶの長くて大きい人は福顔だと言われますが、どうやら長い耳たぶが縁起が良いというのは、エビス様のお顔からきているようです。エビス様のお姿といえば、狩衣姿で、右手に釣り竿、左手に鯛を抱える姿が定番です。なぜそのようなお姿かというと、実はエビス様が釣りの神様なせいで、五穀豊穣の神様、商売繁盛の神様、家内安全の神様とされるようになったのだそうです。

 そのものズバリの景気の神様は、どなたかというと、実は「大黒様」です。大黒様は、米俵の上に乗っかっていて、背中には中味のいっぱい詰まった宝袋を背負い、手には振るだけで大判小判がざっくざくという打出の小槌を持っています。大黒様は一説にはインド仏教のシバ神のなかのマハカラ神を指すというのですが、マハカラ神は、本来は三面六臂でたいへんに怒った顔(憤怒相)の神様とされていますから、どうも、日本の、ふくよかでのんびりしていて、打出の小槌でなんでも出てくるとはイメージが異なるようです。

 大黒様は、誰なのかと言うと、実は大国主の命(おおくにぬしのみこと)です。大国主といえば、イナバの白ウサギの物語が有名ですが、古事記の記述では、様々ないじめ被害に遭いながらも、ひたすらに誠実を貫き、最後は大いなる国の主になった神様です。「大国主は日本最初のいじめ被害者だった」のです。

 大国主の命(みこと)は、様々な紆余曲折のあげく、地上の統治者となります。だから、大いなる国の主(あるじ)です。そのオオクニヌシに、高天原のアマテラスは、ある日、地上の統治権を譲り渡すよう、使いを送りました。ところが一回目と二回目の使者は、大国主の人物に惹かれて、かえって大国主に仕えるようになってしまいます。で、三回目にアマテラスが地上に遣わしたのが建御雷神(タケミカズチノカミ)です。建御雷神は海に刀をつきたてて、その上におおあぐらをかいたものだから、その神通力に大国主の二人の息子はおそれをなしてしまいます。ひとりは諏訪に、ひとりは鹿島に避難する。そこで、父の大国主に、地上を献上するようにと伝えます。

 ちなみに諏訪にのがれた方が諏訪大社の神様で、コチラは相撲(すもう=体術)の神様、鹿島にのがれた神様は、刀剣などの武器を使う武術の神様。(これも諸説ありますが、お話が続かなくなるので、まあ大目にみてください)二人の息子さんから話を聞いた大国主は、ついに地上を天照大神に譲ることを承諾します。これが国譲り神話です。


巨大空中神殿としての出雲大社(大林組完成予想図)
大林組出雲大社復元図.jpg

 実は、これだけの高さがある巨大神殿というのは、京都にある天皇の大極殿(だいごくでん)よりも、大きくて立派だということです。これが何を意味するか。実は、今日のお話のポイントがここにあります。天皇が、自分の宮殿よりも、国を譲った大国主の神殿の方を立派にしたわけです。ということは、

1.それだけ国譲りが重大なできごとだった。
2.国の統帥権を、いくさ(戦)ではなく、話し合って決めていた。
3.しかも勝者が敗者に対して、その功績をたたえ、名誉を与え、魂を鎮めることが習わしとなった。という、実に日本的な姿勢が、ここにあらわれていると思います。

 これがどこぞの国なら、全員皆殺しになっている。それが我が国では、殺すのではなく、話し合って解決する、相手を讃える。そういう姿勢が、古代から綿々と続く私達日本人のDNAに刻まれたスタイルとなっているのだろうと思うのです。

 平成15年、出雲大社を訪問された皇后陛下は、次のお歌を詠まれました。

『国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を偲びて止まず』

(くにゆずり、まつられましし おおかみの くしき みわざを しのびて やまず)

 国譲りが行われた時期がいつ頃のことかはわかりませんが、すくなくとも神武天皇の即位以前の昔とすれば、約三千年、いやもっと昔の出来事です。つまり、皇后陛下は、三千年の時を越えて、奇しき御業と偲ばれているのです。その歴史の古さ、伝統の長さ、そのおやさしい御心の深さ。私達って、なんだかすごい国に生まれてきてしまった。

 まあ、そんなことで、青く澄んだ仲秋の名月を眺めながら、えびす様の釣った酒の肴に、大黒様の打出の小槌を思い描き、太古の昔も、今宵と同じお月様が地上を照らしていたんだろうなァなんて思いながら、大和男の子、大吟醸酒で今宵も一献といきたいところだが、骨髄移植後の自宅療養中の身のため、自家製梅シロップのオンザロックをワイングラス3分の1でググーっと一献・・・でした。

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 韓国に修学旅行に行ったとき、ホテルの中で行儀が悪く他の生徒をいじめていて、口だけの注意も教師ができていない。口だけの注意でなく彼がその番長を殴ると暴力だと帰国後に親たちがら悪い教師だと言われてしまいました。体罰もできない教師たち。それではわからない生徒たちは本当の道徳教育がされないまま社会人になってしまう。

 学校内で犯罪行為があっても、隠匿する上に、教育委員会の言い成りです。校長、教頭、学年主任、担任教師が、厳しく指導の中に鉄拳制裁と云うまともなマナーの指導ができないのなら、いじめも起こって当たり前だし、まともな社会的ルールも身に着かない。その上、受験学力も身につかないのなら何のために学校に行くのだろうか?学校に行かずに予備校を受講していれば、少なくとも受験学力だけでもあげられるのにと本心から思う。

 昨今は学校に子どもをやることは先生に教育をお願いするだけではなく、家庭のしつけまでも放置し、それまで学校の、教師の、責任となってしまっているようです。昔のような愛のムチもだめ、そんな教師は暴力教師というレッテルを貼られ教育委員会という名誉職の場で、教師が逆にいじめられてしまうという。それでは、学校や学級の秩序の維持ができはしない。

 映画の世界では数は力で観客が多く入れば興行収入があがるから、次の映画が撮れるし、そうでないと声がかからないという。ところが、本の場合は1万冊も売れれば、次の話がくるが、映画は10万の客でもなかなか難しいのだそうだ。小さな映画でも、お客さんが10万で、興行収入は1億2000万円程度、制作会社の取り分は5000万円程度だから、やっとチャラになるというのが実情だという。

 数は力で思い出したが、米国になんでも追従しないで、数は力と言った小沢一郎のような政治家はボロクソにメディアや官僚、米国に叩かれるが、人気で数を集めるテレビのお気に入りの人間は許される。(笑)

 500万人近い独居高齢者がいて、3万人も自殺が出るのに放置されているのに、若ければいい、人気があればいいという風潮でいいのだろうか?

 (小生も日本はずいぶん人の命をお粗末にする国になったようだと思っていた)。

 数が力なら、人気のある奴が偉そうにして、マイノリティはこんなに粗末にされる。でも、メディアは販売高、テレビは視聴率至上主義、週刊誌は売ることにマナーもなくなり、それが原因で自殺や失脚するいじめの被害者など、彼らが面白がらない限り、マイノリティに目を向けない。日本の各界のリーダーたちを輩出したエリート教育も差別という単純な考え方でだんだん少なくなっている。旧制高校がなくなってエリートにも教養がなくなったのが大きいのだろうか?(後輩の高校教師の話しの引用終わり)
 肝の据わった外交能力に文殊の知恵袋としてブレーンを数人側近にし、自らのアイデアと、攻められない様にする抑止力として、アジアのため絶対に核は保持する但識こそが現実的戦略なのである。よくよく現実国際世界(欧米世界)に眼を見開いて、大東亜戦争の教訓と経験と戦死した人々を無駄死ににしないようリーダシップのある類い稀な資質、明確な目的意識とアイデアを持った首相(大統領制にした方が国際社会に政治的アピールもよいのだが、いまの政治家たちは分かっていない)『日本主義』に期待したいと考えていいます。


 領土紛争を内政干渉に使うことは米国の常套手段であり、その陰謀術数をアジア各国の為政者たちは見抜くことである。その原因はプロパガンダにつけ入る隙を与えている産業パイに狙われているNHKを筆頭にテレビ各局の大手新聞ね出版社などメディアの責任も多大なのです。そこでスパイ関連の法規で重罰にする法律も必要になるのである。元は秦の始皇帝がとった戦略の『富国強兵』による強気の攻めの外交がこれからの政治の仕事です。

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Last updated  2012年09月29日 14時07分03秒
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