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実は、北朝鮮が核ミサイル開発に乗り出したのは、朝鮮戦争休戦直後のことだ。1956年、金日成はソ連と原子力平和利用研究協定を締結し、北朝鮮の科学者をソ連の研究所に送り込んでいる。後に韓国に亡命した黄長カ・元朝鮮労働党書記(故人)も、「58年に金日成は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していた」と証言している。
北朝鮮はさらに61年、第4回朝鮮労働党大会で、「長期的展開に立ち、自力で核エネルギー開発の科学的研究を進める」と決定。寧辺に原子力研究所の建設を始めている。64年に中国が核実験に成功すると、それに刺激を受けて核開発を加速。65年にはソ連から導入した小型研究炉を稼働させている。
他方、ミサイル開発では、やはり65年に金日成が「再び朝鮮戦争が始まればまた日米が介入するはずであり、これを防ぐためには、彼らの心臓部を狙う長距離ロケット部隊が必要だ」と演説している。つまり、核武装は50年代から、長距離弾道ミサイル武装も60年代には国策となっていたのである。
こうして北朝鮮の独裁政権はサバイバルを懸けて核ミサイル開発に邁進したが、ここで重要なのは、彼らは常に"密か"に開発してきたということだ。特に核開発は、戦後の世界秩序が核拡散防止でコンセンサスがほぼできている中、露呈すれば国際社会の反発を受けるのが確実であり、特に米軍の軍事介入を誘発する可能性が極めて高かったことで、こっそりと続けられてきた。
そうした北朝鮮の野望は80年代にはアメリカの偵察衛星などに察知され、90年代には大きな国際問題に浮上したが、その後の経過を振り返ると、北朝鮮は常に国際社会を欺いて秘密裏に核開発を進め、それを察知されて国際的な圧力を受けるようになると、妥協するふりをして圧力をかわすということを繰り返してきた。90年代の枠組み合意、2000年代の6カ国協議などの交渉事はすべて、結果から見れば、北朝鮮の密かな核開発の時間稼ぎに使われてきただけだ。「条件さえ揃えば、北朝鮮は核開発を放棄する可能性がある」との考えは、北朝鮮の意図を読み誤っていたと言えよう。
したがって、「北朝鮮はアメリカに振り向いてほしくて核実験やミサイル発射を行っているのだから、反応するのは相手の思う壺」「無視すればいい」との考えも間違っている。無視すれば、北朝鮮は堂々と核ミサイル開発に邁進するだけだ。
もちろん細かな日程については政治的に効果的なタイミングが選ばれているのだろうが、そちらもやはり"行きがけの駄賃"のようなもので、基本的には核ミサイル開発を粛々と進めるというのが主な目的であろう。(其の参につづく)
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