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2006年01月23日
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テーマ: 心の病(7267)
カテゴリ: アドラー心理学


 劣等感っていう言葉を知っていますか?

 心のアンバランスや摂食障害なんかに劣等感が深く関わっているなんてこと言いますが、本当でしょうか?                

 劣等感は持たない方がいいっていうのが日本人の常識じゃないでしょうか?

 実は、「劣等感」という言葉を作ったのは私のお師匠さん(ペルグリーノ博士)のお師匠さん(クルト・アドラー、アドラーの長男)のお師匠さん(遠い!)である アルフレッド・アドラー です。

 その後この言葉はとても有名になり、袂を分かったフロイト派やユング派でも多用されました。それほど人間の本性を理解したり、分析したりするのに好都合の概念なのです。

 ところで、現代の日本で一般的に使われている「劣等感」という言葉のニュアンスが、本当の劣等感の意味とかなりかけ離れているということを知っている人は少ないようです。

 例えば、私たちアドラーの弟子たちは、劣等感を持っていること自体は何ら問題がないと考えます。それどころか、劣等感は日々の生活の、そして自分の目的を達成していく上での欠くことのできない推進力だと考えています。つまり、私たちは劣等感を忌諱しないのです。

アドラー心理学 ベーシックコース 岩井俊憲氏)とさえ思っているのです。

 私たちは生活していく中で、ある種の願望というか目標を持ちます。例えば子どもは「もっといろんなことが出来るようになりたい!」とか「もっと体が大きくなりたい!」とか、女の子だったら「もっとかわいく女の子らしくなりたい!」とか男の子だったら「もっと強くなりたい!」というような目標を持つのです。

 人間はみんな、思いっきり抽象的に表現すれば「もっと幸せになりたい!」と常に思っているのです。

 つまり、現状に常にある種の欠乏感を持っていると言うことになります。この欠乏感のことを心理学的に「劣等感」と言うのです。

 生きていたい、それも健康で満足した状態で生きていたいと願うことすら目標といえば目標です。そして、毎日の生活、朝歯を磨いたり、ご飯を食べたり、水分を摂取したり、ある人は足らない栄養素をサプリメントでとったり、日常のありふれた行動の一つ一つが全て「目標に対するある種の欠乏感」があるからやるのですよね。

 つまり、劣等感という欠乏感があるから私たちは毎日生活できているのです。

 「劣等感をなくしたい!」だなんてとんでもない。あらゆる劣等感をなくしたら私たちは死んでしまいます。だって、基礎的な劣等感がなくなったら、私たちは生きていくのさえどうでも良くなってしまうんですもの。

 さらに言えば、「今の自分よりも未来の自分はよい状態でありたい!」というのは、まさしく劣等感のあるおかげですよね。劣等感様々!私たちは劣等感に感謝しなければなりません。高度な劣等感のおかげで自己成長できるのですから。

 じゃあ、なぜ日本では「劣等感」が悪い意味で使われてきたのでしょうか?

 それは「劣等コンプレックス」のことを劣等感と勘違いしたからです。だから、日本人は劣等感のことを「コンプレックス」とも呼ぶでしょう?劣等感とコンプレックスはまったく別物です。


※ちなみに「コンプレックス」という言葉は「心的複合体」と訳されていますがユングが発見した、心的に非常にこんがらがっている部分のことを言います。


 しかし、劣等感を適切な行動に結びつけることに失敗してしまって、「劣等感を克服する努力」を投げ出してしまうことがあります。

 「どうせ、私はバカだから勉強なんかしたって一緒だよ。」といって勉強することを放棄する。「私は足が悪いんだから。」と言って周囲の人に必要以上に依存する、甘える、自分でできることをちゃんとやろうとしない。病気でいることによる疾病利得(病気であると当然した方がいいいろんな家事とか仕事などを免除されたり、注目を受けることができること)に甘んじて健康になろうとは思わない。

 このように「勉強が不得意」「足が悪い」「病気である」などの比較的劣等な部分をことさら強調し、振り回すことで、周囲に依存し、甘えて、自立することを避けようとしたり、共同体に貢献することを避けようとすることを、私たちは「劣等コンプレックス」と呼んでいるのです。

 この劣等コンプレックス(いわば「腐っちゃった劣等感」)のことを日本人は「劣等感」と呼んだり「コンプレックス」と呼んだりしているのです。

 劣等コンプレックスはやっかいなことが多いです。普通の劣等感のように建設的に使われないからです。こだわっているんだけど、「それを克服しよう!」とは思っていない。ここに引っかかりがあります。



 だから、丁寧にカウンセリングなどで摂食障害の目的となっている根っこを探って解決法を見つける必要があります。

 そして、私たちは自分の持っている劣等感を建設的に克服していくことによって自分の目標を達成していきます。その過程の中で摂食障害は消え去ります。もっと大事な目標の達成が行われるからです。

 ただし、克服の方向性が不適切な場合があります。

 例えば、劣等感をもとに「経済的にもっと豊かになりたい。」という目標を持ったとします。ところが、その目標を達成するために反社会的な行動をとったらどうでしょうか?

 例えば、空き巣に入る。強盗をする。詐欺を働く。振り込め詐欺を働く。反社会的な能動が成功(?)すれば、経済的には豊かになる(あぶく銭とはよく言ったもので)かもしれません。

 反社会的な行動は非常な問題があるし、私たちは「そんなことをして仮に経済的に豊かになっても幸せには絶対ならないよ。」と思っています。

 なぜならば、私たちの考える幸せの条件である「貢献感」を高めるどころか、社会に対してマイナスの貢献をすることによって卑屈な「寄生虫感」が高まるばかりだからです。

 自分は卑劣な行動を通して社会からお金を簒奪しているのだという「寄生虫感」が高まると、不幸感が高まります。いくら、経済的に豊かになっても一切幸せは訪れません。

 そのことは、パチンコのようなギャンブルで経済的に潤っても、宝くじで3億円当てても、僥倖で親の財産が転がり込んでも、あるいはホリエモンのように法律的にはグレーゾーン(実際はグレーゾーンでもなくてブラックゾーンだったようですが)であっても社会には一切貢献しない株の分割とか会社の買収などで財産を殖やしても同じことです。

 いくら経済的に潤っても、幸せとは無関係です。まあ、ギャンブルやグレーゾーンは「寄生虫感」こそあまりないかもしれませんが、「貢献感」を感じることはないからです。

 同じ起業家・経営者でも、本業でお客様の利益=幸せを常に考えて営業を営むことで支持されて儲けている人たちはまったく違います。この人たちは十分貢献しているし、貢献感も感じているので、幸せの一つの条件を満たしています。(貢献感だけでは幸せにはなりませんが)

 もちろん本業で儲けていても、脱税をしたり、法律の範囲内と言いながら何か卑怯な手を使ったり、消費者に劣悪な商品をつかませたり、途上国の労働者の劣悪な労働環境を踏み台にしたりしていたら元も子もありません。社会に貢献していることにはならないからです。

 劣等感っていうのは、うまく使って、社会への本当の貢献、つまり人々の幸せの実現のために活動していけば、「貢献感の獲得」につながって、それは幸せの実現に進めるのです。

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最終更新日  2006年01月29日 07時45分17秒 コメント(8) | コメントを書く
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