ゆんたま Spiritual Life

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2004.01.04
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今日は友人と、奈良の大神(みわ)神社に初詣に行って来た。

……氏神様、ごめんなさい。(-人-)……

今日はもう4日なので空いてるかなと思ったのに、まだ結構混んでいて、テキヤさん達はまだまだ稼ぎ時という感じ。

本殿にお参りした後、奥の方にある狭井(さい)神社にお参り。
ここでご神水をいただく。
ここのお山には一度だけ登ったことがあるけど、かなりきつい山道なので、さすがに今日は登らずに帰ってきた。

一緒に行った友人が、
「ここには悪い気が大分あるね。というより、沢山の人が悪い気を落としていって、それをここの土地が浄化しきれずにいる、という感じ。ここの土地自体が“助けて!”という悲鳴を上げているみたい」と言った。


人がザワザワいるその雰囲気に、土地の聖なる力はすでに感じられなかった。

信仰心や畏敬の念から神社仏閣にお参りするというのが本来の行為だと思うのだけど、最近ではそういう目に見えないものへの敬いの気持ちはどんどん失われて、初詣も恒例のイベントと化している。
敬う気持ちもないのに、神様にお願いばかり押し付けているというのが、大方の人間の実態なのだろうと思う。

時代が悪ければ悪いほど、人間の様々なエゴや欲望が聖域には渦巻いているのかもしれない。
そう考えると、その土地の神様や祀られている神仏も、悲鳴を上げて逃げ出したい気持ちだろう。


聖域やパワースポットと呼ばれる場所が、だんだんと有名になり観光地化された時点で、俗化していくのはよくあることだ。
いや、人の気が入った時点で、その土地は俗化する。
たくさんの人が集まれば集まるほど。

昔話で、鬼が「なんだか人間臭いぞ、誰かいるのか!」と隠れている人間を探す場面がよくあるが、これはただ人間の体臭がするというだけではなくて、人の気配(=俗気)というものを鬼(=異形のもの)が感知するという意味なのではないかと私は常々考えている。

時間がたてば自然の浄化力が働くけれども、浄化できないほど人が頻繁に訪れれば土地のエネルギーのバランスは崩れ、回復は難しいだろう。
神や自然に対する畏敬の念を持ち、厳粛な気持ちで訪れる人達ばかりなら、まだそれは最小限に抑えられるのだろうけど。



名前は結構知られているが、そこはとても交通の不便な土地なので、幸いそれほど俗化の波にはまだ洗われていないようだ。
といっても、数年前にたった一度訪れただけなので、現在の様子はよくわからないのだが、足を踏み入れるのがためらわれるような、静謐で清らかな雰囲気を持った場所だった。

また、島根県といえば出雲大社が有名だが、そこから少し離れた場所に、これまた小さな古い神社がある。
確か出雲大社よりも古くて格も上だと聞いた。それなのに管理の人の姿もそこにはなかった。
古色蒼然というか、神さびたという言葉がピッタリくるような神社で、神様がそこにはいらっしゃるという感じを強く受けた。









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Last updated  2004.01.04 23:23:46
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ゆんたまゆん @ Re[1]:最後だとわかっていたなら(03/21) コートニー2009さん >この方たちの…
コートニー2009 @ Re:最後だとわかっていたなら(03/21) この方たちの本が以前、ありませんでした…
ゆんたまゆん @ Re:おひさです~(03/21) ももてるさん >素敵な動画教えてもらい…

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