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画像の登録容量が限界になったようです。ブログには常に画像をはめ込みたいので、ライブドアに移動します。勿論これまでも両方に投稿していたので、これからはライブドアの「住宅作家の独り言」でのみブログを続けようと思います。URLは http://blog.livedoor.jp/yslik5116です。これに懲りずにまたご訪問を宜しくお願いいたします。
December 12, 2008
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相棒が年明け竣工予定のモデルハウスのインテリアの依頼を受けています。今回は子供部屋のセッティングをするのに、4,5歳の男の子が描いた絵が欲しいと言うことで、私の孫に試しに絵を描かせて見ました。彼はバイキンマンが大好きです。普通は正義の味方のアンパンマンが好きという子が多い中で少し変わっているのでしょうか。色々描かせて見てみました。「バイキンマンは描くなよ。」と言ったにも関わらず、彼の頭の中にはそれしかないようです。出来上がった絵はバイキンマンのオンパレードです。取りあえず相棒に見せてOKになりました。 まあ世代の想定がが同じ子供の絵ですからこれで良いのかも知れません。それにしてもバイキンマンだらけというのも珍しいですね。描いている姿を見ると、彼は真剣でした。
December 12, 2008
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昨年も同様に光明寺にお参りした後はここに寄ります。お正月用のおかきを買うのと、お昼ご飯を食べる為です。今年はお昼も少し過ぎていたので混み具合は多少ましだろうと高を括っていたのですが。駐車場はすんなり入れて、これからも昼過ぎに来るのが良いかなと思ったのですが、中に入ってびっくり、お菓子売り場はは勿論、レストランも大行列です。昨年は駐車場は大混雑でしたが、レストランは直ぐに入れました。時間帯はどうだったのかなぁ。兎に角名前を書いて待つこと30分ほどでしょうか。やっと案内されて食事を頂きました。私はお腹がすくと機嫌が悪くなり、怒りっぽくなるので、今回の待ち時間が限界です。
December 11, 2008
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11月の最終日曜日、我が家の宗派、西山浄土宗の総本山 光明寺へお参りに行きました。ここには私の両親の本骨が納められています。不信心で昨年からやっと年末にはお参りをしようと決め、今年も伺ったわけです。宗祖は法然上人で、二祖は久留米の善導寺を開かれたお弟子の聖光上人という方です。我が家のお墓のある和歌山のお寺も善導寺と言います。 昨年は12月に入ってから伺ったのですが、今年は家内の都合で11月になりました。私は全然知らなかったのですが、ここは知る人ぞ知る紅葉の有名スポットだったらしく、大変な人出でした。車を停めるのも一苦労です。普段は入山料の必要の無いお寺なのですが、この時期は余りの人出に少し規制するためか入山料を徴収していました。私は納骨堂回向であることを話し、脇から入山させてもらいました。 勅使門に向かって脇の参道を進んで行くと、その参道の両側から紅葉の楓が被ってきてそれは見事でした。勅使門脇の事務所で受付を済ませ、案内をお願いして、阿弥陀堂の裏にある納骨堂に向かいます。これが右に左に入り組んだ渡り廊下を進んで行きますので、とても私たちだけでは行き着けません。 しかも納骨堂の手前は結構急な階段を登りますのでこれが大変です。いつまでお参りに伺えることやらです。 無事に今年も一年を締めくくる行事を済ませ、ほっとしているところです。
December 10, 2008
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先月、京都国立博物館へ「JAPAN蒔絵~宮殿を飾る東洋の煌き~」展を見に行きました。平安時代の作品から始まって昭和初期まで約300点が展示されていました。古いものは解説を読まないと描かれた絵は中々判別できません。頭の中で想像を働かせて当時の華やかさを想像しながら見て回りました。 江戸期に入った作品ではイギリスの美術館やスウェーデン王室の所有している作品が多々見受けられます。この頃になると華やかさが甦ってきます。 蒔絵はヨーロッパの芸術品にも多大な影響を与えていたことが良く理解できました。日本では工芸品の範疇に入れられてしまうのですが、これはもう彫刻や絵画に匹敵する芸術作品だと思います。 この日は平常展示館で「篤姫の時代」の刀剣や蒔絵も展示されていましたので、それも見てみました。これは本当に華やかでした。古い時代の作品とは違って、史箱や硯箱のそもそもの地色が違っています。平安期のものは地色が大半黒なのですが、この時代の作品は地色が溜色だったり紅殻色だったりしますので蒔絵も映えて本当に華やかでした。 おまけです。平常展示館の玄関を出たところに3本の楓の木が植えられています。丁度紅葉真っ盛りでそれはきれいなものでした。
December 9, 2008
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雫井脩介氏の「犯人に告ぐ」を読みました。過日テレビでこの小説の映画化されたものを観、もう一度読んでみようと思い立ち読んでみました。映画も原作に割と忠実に描かれているようです。登場人物と映画のキャストが重なり、面白く読めました。最近は本を読んでも直ぐに内容を忘れがちなのですが、これは映画と小説で二度続けて接したので暫くは頭に残っているかなと思います。 この小説の内容のように、小さな子供達が被害に会う事件が相次いでいるように感じます。このところニュースで取り上げられている千葉県の東金市の事件などもその典型のような気がします。まだ今は死体遺棄の容疑で逮捕されただけですが、そのうちに全容が明らかになることでしょう。ところが裁判が始まると弁護士側からは精神鑑定などの要求が出て、長引くのでしょうね。このような何とも言えない残虐と言える犯罪は疑わしくは罰しても構わないのではないかと思います。このような犯罪を犯すものはそのような性癖を持っているのですから、これはまた同じことを繰り返すだろうと想像できます。私も孫を持つ身として人事以上の気持をぬぐうことが出来ません。
December 8, 2008
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栗林公園の東門を入って直ぐのところに讃岐民芸館があります。ここは新民芸館・古民芸館・家具館・瓦館の4館から構成されており、中々見所があります。全ての館に入ってみました。中でも私の興味を引いたのは、古民芸館と家具館です。 古民芸館には古い民芸品が展示されており、私には興味深かったです。収集雑多ですから全てが全て素晴らしいとは思いませんでしたが、中でも興味を引いたのが欄間です。私達が一般に目にする欄間は木製の彫り物のものが大半ですが、ここに展示されていたのは鉄製のものでした。製作年は書かれていませんでしたが、古いものではありそうです。いま私の目で見ても随分モダンです。このようなデザインがそんな時代に存在したことに驚かされました。時代から考えると進みすぎていたものだとは思いますが、それが許した施主の目に敬意を表したいと思います。 家具館には民芸家具が展示されています。高松は今でも家具の生産地として有名です。私が気に入っているのはジョージ・ナカシマ氏のデザインによるくるみ材の椅子やテーブルです。民芸家具の範疇に入れられてしまう家具類なのですが、繊細で一般的なものとは少し趣が違います。私も一本だけラウンジアームを所有しています。フォルムの美しい椅子です。お値段はそれなりにしますが、長く使えるので価値あるものだと思います。
December 6, 2008
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代々の藩主が愛して止まなかったと言う数奇屋建築です。非常に大規模な建築で「大茶屋」とも呼ばれていたそうです。西湖に面して四方正面と呼ばれる建物は今でも風格を持って自己主張しているように見えます。今でも内部ではお茶をいただけるようになっており、私は時間も押していたのでゆっくりとは休憩はしませんでした。兎に角公園全体を歩いてみようと思ったからです。 広さも随分とあり、もう少し季節がよければ一日歩き回れそうです。松が多く植えられた庭園ですから、春先から梅雨の頃が一番見所があるのかなと思います。
December 5, 2008
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暫くは仕事でもないと四国までは行くことも無かろうと思い、高松により栗林公園に行ってみました。ついつい関西辺りの山をイメージして紅葉も真っ盛りかと思ったのですが、残念なことに公園の中は勿論のこと、周りの山々も常緑樹が多くて、何本かのもみじの木が色付いているだけで、綺麗な紅葉は見ることは出来ませんでした。もっともこの時期に青々とした木々に彩られた庭園と言うのも中々良いものですね。 途中で不思議な生垣を見つけました。勿論生垣ですから、落葉しては意味がありませんから、私なども生垣には山茶花や小さな葉のプリペットなどを使います。かいづかは樹形が好きではないので余り使いません。それがここの生垣は松なのです。丁度横を通った時に職人さんが手入れをされていましたが、これは手間が大変だろうなと思いました。そう思って見回してみると松が結構多い庭園なのですね。松も手入れや形の作り方によっては生垣にすることが出来るのですね。初めて知りました。
December 4, 2008
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最近は古い建物に惹かれます。自分の事務所を綿業会館に置いているせいもあるのでしょうか。この会館の設計者は渡邊節氏であり、大阪では有名建築の一つに数えられる建築です。このような建築は勿論なのですが、今回丸亀で見つけたものは誰が設計したのか、造ったのかは判りません。このような出自のわからない建築にこそ本当の意味での建築のよさがあるように思います。 丸亀での仕事が頓挫し、その日は少し早く終わったので、前から気になっていた建物を見に行ってみました。間口は3間強くらいでしょうか、中々風格があります。元々はテーラーだったのでしょうか、今は既に廃業されているように見えました。突き出し看板だけが残っていて、ただその看板も決して傷んではいませんから、見間違いでたまたまその日は休みだったのかもしれません。フロントデザインが凝っていて、プロポーションも良く取れています。デザインしようと言う意志に基づいて考えたものではないとは思うのですが、実は名のある方がデザインをしていたりして。
December 3, 2008
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丸亀での仕事はアパレルショップ改装工事の設計監理です。ご多分に洩れず予算は無い、希望は多いというジレンマの中で何とか進めてきました。ところがこのところの不況にさらされ、売上は昨年同月対比の半額以下に落ち込んでいます。まだ更に予算を削って可能かと言う相談を持ちかけられ、「基本的に今の予算でも50%くらいはオーバーする可能性があります。この時期にショップの改装をしたからといって売上を回復することが出来るとは限らないので、予算を減らしてまで中途半端な改装をするのなら、改装工事を一時期棚上げにしたほうが良いでしょう。」とお答えしました。 普段はショップの立ち上げから参加させて頂いていることが多く、決まったブランドのショップを手掛けることは余りありません。今回お受けしたものの一抹の不安を持ったままスタートしたのですが、やはりここに来て頓挫してしまいました。何とかご希望のイメージを作り上げたいと思い、努力はしたのですが残念なことです。マスコミが不況不況と煽ることから、特に衣料品の売上は何処とも落ちているようです。特にこのショップの購買層が30代から40代の人達ということもあり、一番他のことにお金の必要な時期ですから、より厳しい状態に陥っているようです。
December 2, 2008
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設計依頼を受けて少し遠いのですが香川県の丸亀まで通っています。往復で約500km、車の運転が好きなのと途中淡路島を通って現在進行中の住宅の現場にも行きたいので、日帰りではあるものの、頑張って運転していっています。 先日丸亀まで同行してもらう相棒を迎えに行ったとき、私の車の前でも人を待っているらしい車が一台止まっていました。私がもう少し左に寄せるのだろうと思って見ていると、すっと来て止まった位置でハザードランプがつきました。ほぼ走行車線の真中です。見ると若い女性が運転しています。左側が1m以上空いています。後70cmくらいは寄せられます。左によるのが怖いのでしょうが、余りにはた迷惑な話です。 最近は車だけでなくこのような自分中心のお嬢さんが増えていませんか?この道は通勤の自転車が結構よく通る道です。見ていてはらはらするのは年を取ったからなのでしょうかね。
December 1, 2008
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司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」全5卷を読みました。幕末の大政奉還に関わる志士達が、それぞれの立場で自分の立ち位置をしっかり見極めて動く姿勢や良し、と言う感じで読むことが出来ました。中学で勉強として教わる日本史には全く興味がありませんでしたし、また大抵は期末近くにその授業が来ますので、さらっと流されてしまったような気がします。ほんの数年の間がとても密度の濃かった時代だったと言うことが良く理解できました。 思えばとても勇気の要る時代であり、それぞれの人々が良きにつけ悪しきにつけ自分の気持に従って駆け抜けた時代だったのですね。最後に竜馬は暗殺されるのですが、これも必然だったのかもしれません。そのことで時代が少し後戻りした感もあるのでしょうが、このような時代の流れが日本を作ってきたのですね。 読後感はとても気持の引き締まる小説でした。自分自身の足元をしっかり見て先を読まなくてはいけないと実感しました。
November 29, 2008
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仕事で長久手まで行った時に、現場の近所にトヨタ自動車博物館がありました。ヴィンテージの車好きとしては是非にも一度は行ってみたい場所です。2日目に私の仕事を早く終わらせてこっそりと行ってみました。 かなり規模の大きな建物で、ちょっと期待させられるものがありました。パーキングに車を止めて早速中に入りました。建物も本館と別館に分かれており中々のものです。入って直ぐの受付の脇には勿論のことトヨタの初期型の乗用車が置かれています。1943年式トヨタAC型乗用車です。この車も綺麗にレストアされ、その偉容を誇っているように見えました。 実は私も一台クラシックカーを所有しています。私の車は1957年式のモーガン+4です。車のイベントが華やかなりし頃は色々なところに顔を出していました。最近ではイベントには興味がなくなり、ずっとガレージの中に眠ったままです。この博物館の中に置かれているものは1922年式モーガンエアロです。初期型の三輪車でこれも美しい車です。モーガン好きとしては垂涎の一台です。 その他にも一度イベントで一緒になったことのある1937年式SSジャガー100だとか1930年式アルファロメオ6C1750グランスポルトなどが所狭しと集められています。いやはやなんとも楽しい数時間を過ごさせていただきました。もっともこのような短時間では全てをゆっくり見ることも出来ず、もう一度今度は一日掛けて行きたいと思っています。
November 28, 2008
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先週、夙川で「ART CORE」と言うアトリエが催しているキリムやカーペット、それと今回はロシアで買い付けた陶器もあるという展示会に行ってきました。中でもキリムの古いものが圧巻です。今回で伺ったのは2度目ですが良いなぁと思いつつも、貧乏設計事務所ではとても手が出ません。残念ですが目のお正月と思わざるを得ませんね。 新作ではフィンランドを代表するマリメッコのデザイナーとして活躍されていた脇坂克二氏の作品も何点かありました。丁度ご本人も来ておられて、ご挨拶だけさせていただきました。現在の作品はマリメッコ当時とは違い、随分素朴な作品です。どちらが彼の持ち味なのでしょうね。
November 25, 2008
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山上ヶ岳のふもと天川村洞川は、標高八百メートルの高さに開けた盆地です。龍泉寺はその中心にあります。千三百年前、大峯の山々を行場として修行された役行者が、山麓の洞川に憩われた時こんこんと湧き出る泉を発見しました。龍の口と名付けてそのほとりに小堂を立てて八大龍王をお祀りされたと伝えられます。それが竜泉寺の始まりです。 山の麓に開設されただけあって、横に長い境内は広大です。駐車場から本堂に向かってのんびりと散策することが出来ます。こんな山の中にと感心するほど立派な寺院です。ここから大峰山に修行のために登って行く役行者が今でも後をたたないように見受けられました。前の洞川(どろがわ)を挟んで向かい側は旅館街になっています。未だに賑わっているところを見ると、その慣習は生きているようです。 大峰山はまだ女人禁制の霊山です。女性はこの旅館街で男性が登りかえるまで待っていたのでしょう。この旅館街を抜けて山に向かうところに「女人結界」がありました。そこから先は女性は立ち入ることが出来ません。ところが見ていると上から女性の乗った車が下りてくるは、その道をトレッキングで登っていく女性が居るわで、ちょっと驚きました。結界と言う感覚は今の人には無くなってしまったのでしょうかね。
November 22, 2008
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天河神社に向かう途中の山道で、古い神社を見かけました。丹生川上神社下社という神社です。御祭神は闇覊神(クラオカミノカミ)、イザナギ、イザナミ二尊の御子神です。御創建は天武天皇 白鳳4年(676年)と言いますから縁起は古そうです。御神徳は「大気を浄化し、万物生成化育の根源たる水を主宰遊ばされ、地球上のありとあらゆる物象の上に、はかりしれない恩恵を垂れ給い、守護あらせられる命の神様」となっていました。日本最古の神水の湧きいずる井戸があり、早速に飲ませていただきました。 本殿は見るからに古く、厳かです。山の中とて訪れる人も少ないのかひっそりとしています。境内をつぶさに見学して回りました。本殿の奥の更に渡り階段を登ったところが奥社であり、私達は行くことは出来ませんが、本殿の脇を廻ってお参りさせていただきました。 本殿の脇に御神木の欅の木が一本立っています。縁起によると太古の昔から涸れたことの無い御神水の恩恵を受け、育った木なので心静かに幹に手を添え、精気を頂きながら願いをかけてみると、思わぬご利益に預かれるかもしれない、と書かれていました。それぞれに何をお願いしたのかはわかりませんが、早速言われた通りにお願いをしたのは言うまでもありません。
November 21, 2008
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天河大辨財天社は大峯山の山懐にあります。役行者や空海、天武天皇の太古より聖域として崇められています。天河大辨財天社の草創は、飛鳥時代の昔にさかのぼり、龍、水分(みくまり)の信仰で代表され古代民族信仰の発祥地とされる霊山大峯の開山が役行者によってなされました。 その折峯蔵王権現に先立って勧請され、最高峰弥山の鎮守として祀られたのが天河大辨財天の創まりだそうです。 大阪に長く住んでいながら、初めて行きました。家内の友人が九州から大阪に来て「天河神社に行きたい。」と言うので、それではと出かけました。 天気の良い日で、到着して駐車場に車を置いた時も日影は全くと言ってよいほど無く、余り厳かさは感じませんでした。何だと思いつつ鳥居を潜って本殿に向かう参道を登って行くと、木立に囲まれた本殿はさすがに雰囲気がありました。本殿内部も薄暗く如何にもそれらしい落ち着きがあります。主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。芸能の神様と言われるだけあって、祭壇に対峙して能舞台が設えられています。この舞台が内田康夫氏の小説「天河伝説殺人事件」の舞台かとちょっと頭を過ぎりました。 高野、吉野、熊野という日本の三大霊場を結んだ三角形の中心に位置するここは、単なる物質的な暮らしから精神的な暮らしが追求されるようになった昨今、日本文化の聖なる発祥の地として、また日本の精神性の聖なる故郷として、そのような求道する人々の注目を浴びているのかもしれません。そして天河は世界にいくつか存在する、神聖なエネルギーの満ちた場所として見なされているそうです。日本でも有数のUFOが目撃される場所としても有名なところです。私もたっぷりとそのパワーを頂いてこれたのではないかと感じています。
November 20, 2008
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旧鶴巻邸の見学会に行ってきました。この住宅は1929年に本野精吾氏、建物は「中村鎮式コンクリートブロック」で造られています。私自身もコンクリートブロックの表情が好きでよく構造として使っています。もっとも私が使うのは型枠コンクリートブロックと言われるもので、強度もあり、住宅は勿論、集合住宅にも使っています。 少し肌寒い曇り空の中足を伸ばしました。京都地下鉄東西線の御陵駅から北に向かってなだらかな坂を登った突き当たりにこの住宅は建っています。閑静な場所にひっそりと建っていました。ただこの日はたった2日間の見学会の日とあって、多分いつに無くこの辺りは賑わっていたのかもしれません。 早速門を入り玄関に向かいました。玄関に置かれた靴を見てその多さにぎょっとしましたが、取りあえず中に入りました。いやはやバーゲン会場のような混雑振りです。中々ゆっくりと見ることが出来ません。それでも各部屋を見て回りましたが、空間全体の把握などは出来ようはずも無く、ひたすらデティール中心に見て回りました。住宅として現在でも充分に通用するデティールがそこかしこにあり、モダン建築の初期の作品としては密度も高く、素晴らしい住宅だと感じました。 竣工から80年近く経た建物としてはそれなりに痛みの激しい部分が多々ありました。これだけの住宅の維持には大変な労力が必要ですし、ご苦労も多かろうと察しられます。このまま維持していただけることを切に願うものです。
November 19, 2008
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御所の東側、寺町通りに面して新島譲旧邸が建っています。この日は一般公開がされていました。外部からは普段でも窺い知れるのですが、一般公開ゆえに内部も見学できるので見学することにしました。 1875年に高松保実が所有していたこの地の半分を借り受け、生徒8名で同志社英学校を開校します。ゆえにここが同志社発祥の地です。翌年学校は旧薩摩藩邸に移りますが、その後この地を購入し、自宅を建設しました。 外観はコロニアル様式で2階には三方にバルコニーが取り付いています。上手く和と洋をバランスさせた中々プロポーションの良い住宅です。内部にはセントラルヒーティングの跡も残っており冬の京都の寒さも凌げたと思います。しかも庇の出を大きくし日をきると共に、大きな窓を設けて風通しも良くする工夫がなされていました。今でも充分に通用する手法です。 玄関を入って直ぐの応接室は当時の椅子やテーブルが置かれており、少人数の生徒の為の教室、職員室、教会の集会室などに使われていたそうです。往時の生活を偲ぶのに充分な空間になっています。 2階東南角にある書斎です。壁一面が書棚になっており8割が洋書だったそうです。当時の学生達は図書室のようにして使っていたとか。のんびりとして勉強に集中できる環境だったのですね。
November 18, 2008
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同志社大学の今出川キャンパスにある記念館です。同志社の創設者新島譲が世を去り、卒業生達によって新島の名を冠した神学館建設の為募金活動が始まりました。しかし思うように募金が集まらず計画は頓挫しかけます。その時アメリカ人のクラーク夫妻から、館名に早世した息子の名を入れること、息子を称えるタブレットを設置することを条件にアメリカン・ボードに約10,000ドルの寄付がなされます。この資金によってこの建物の建設が始まり、同志社の5番目の煉瓦造建築は出来上がりました。 設計はドイツ人建築家、リヒャルト・ゼール氏だそうです。寡聞ながら私は名前を知りませんでした。氏は東京や仙台でミッションスクールや教会堂の設計を手掛けた方と言うことです。 HOME COMING DAYのこの日は一般に公開されているというので早速中に入らせてもらいました。元々神学科の建物であり、内部には立派な礼拝堂があります。竣工が1890年ですからかなり時代を経た建築物ですが、大事に使われていたことを伺わせるに充分な状態を保っています。ただ一箇所私が不思議に思ったのは礼拝堂の向きです。普通、礼拝堂の平面のベクトルは長手方向に向かうものだと思っていたのですが、ここは短辺方向に祭壇がありました。天井の形とも合わないように感じます。構内に単独の建物として礼拝堂がありますので、ここは神学を学ぶ学生達の礼拝堂なのかもしれませんね。そう言えばフィンランド大学にある学生の為の礼拝堂も横長だったなと思い出しました。
November 17, 2008
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同志社の礼拝堂の内部に入ることが出来ると聞き、「HOME COMING DAY」に行きました。私は同志社の出身ではありませんから、卒業生の友人に連れられてです。 この礼拝堂は名のある建築家が設計したわけではありません。礼拝堂の計画が持ち上がったときに同志社におられた牧師さん、D.C.グリーン氏が設計されたそうです。彼の父上が大工さんだったと言うことで携ったとか。みようみまねなのでしょうが中々内部空間も良く出来ています。多少ゴシック建築の要素の見られる建築です。質素で程よい装飾もされており、構えた感じもありません。プロテスタントの礼拝堂らしい造りです。 竣工は明治19年(1886年)で、昭和38年(1963年)に重要文化財の指定を受けています。
November 14, 2008
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現在京都の樂美術館で「吉左衛門セレクション展」が行われています。楽茶碗を一度じっくり見てみたくて足を運びました。小さな美術館で程よい大きさです。ちょっと特殊な展覧会なので来場者はそんなに多くなくてゆっくりと見ることが出来ました。 財団法人樂美術館は樂焼の美術館として樂家に隣接して設立されたものです。所蔵品は約900点ほどあると言うことです、樂家14代樂覚入によって寄贈された樂家に伝来する樂歴代作品と茶道工芸美術、樂家文書資料だそうです。樂歴代はこれらを創作の糧としてを学び、現在に至っています。 今回の展示は樂家代々の代表作が一点ずつ展示されており、中々見所がありました。私自身は茶道の素養があるわけでもなく、よく判らないこともあるのですが、茶碗を見るだけで気持が洗われるような気がしました。目のお正月です。
November 13, 2008
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甲賀の辺りを車で走っている時、立派なお寺を見つけました。近付いてみると玉龍禅寺という寺院です。境内もよく手入れされており中々整っています。境内をうろうろしていましたら、ご住職が出てこられて「何か御用ですか。」と聞かれました。そこで「たまたま前を通りかかって、立派なお寺があったので何気なく寄らせてもらいました。」とお答えしたら、「当寺院は拝観はしていませんが、良かったらご本尊をお参りして頂いてもよろしいですよ。」と言っていただいたので、早速本堂に上がらせて頂いてお参りをさせていただきました。ご立派なご本尊が鎮座されており静かな雰囲気です。しばらく本堂でお参りをさせて頂いてから、お寺を後にしました。ちなみにここは臨済宗大徳寺派の寺院でした。 京都や奈良の社寺仏閣のように人の出入りも殆ど無いようなところですから、世俗化しておらずとても厳粛な気持になります。本来お寺というものはこのような形で存在するべきではないかなと思いました。どこを探しても縁起やいわれなどが書かれているわけではなく、ネットで探してみてもこのお寺の名前は見つかりません。檀家の人達が静かに守っているのでしょうか。都会の中では決して見つけることの出来ない良さがここにはありました。
November 8, 2008
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甲賀市、正福寺です。御本尊の十一面観音立像は世継ぎ観音として、ほかに例を見ない北向きの観音様としても名高い秘仏です。浄土宗、大乗山。通称、東寺。開山、良弁。天平年間 (729~748)開創。聖武天皇の祈願所であった伝わっています。江戸時代には将軍家の祈願所でした。元亀3年(1572)織田信長の兵火により諸堂宇が全焼。承応年間(1652~55)に寂誉が草堂を建立し再興しました。明暦年間(1655~58)に浄土宗に改宗したと伝わっています。昭和22年(1947)には永厳寺・清寿寺を合弁し、現在に至っています。10世紀末の作と伝わる本尊の大日如来坐像(秘仏)は、近江地方最古の胎蔵界大日如来坐像といわれに、観音堂の薬師如来坐像(藤原期)・十一面観音立像(4躯・藤原期)・地蔵菩薩半跏像(通称、子安菩薩・藤原期)と共に、国指定重要文化財になっています。 伊勢廻寺の後こちらに来て見ました。本当に静かな寺院で人っ子一人いませんでした。参拝客はもっと早い時間に訪れるのでしょうね。 山門への階段の脇にお言葉が掲げられていました。「おごるなよ 月の丸いも ただ一夜」です。なかなか含蓄のあるお言葉です。ちょっと自分自身にも跳ね返ってきそうな気がしました。
November 7, 2008
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甲賀の伊勢廻寺に行きました。小さなお寺です。とは言え由緒は古く平安時代初期の創建と伝えられています。再建は1714年で山林に囲まれた静かなところです。山門を入った聖天堂には御本尊の木造十一面観音像及び両脇侍立像が安置されています。この像は南北朝時代のものと伝えられています。残念ながらご開帳はされていません。国の重要文化財の指定を受けています。 行ったのは少し時間も遅く夕暮れが迫っていましたけれど、ついついゆっくりしてしまいそうな雰囲気のところでした。天気が良い日であれば前庭から鈴鹿の山々が見渡せそれはそれは素晴らしい景観を楽しむことが出来るところだと感じました。ただ境内全体が少し寂れており、もう少し補修すれば更に良くなるのかなと思います。しかし浄財を集めるのも大変なのでしょうね。
November 6, 2008
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信楽の中心部から細い林道を入った大戸川上流にある高さ6m,幅5mの滝です。この滝の東方にそびえる笹ヶ岳の山頂には古い寺跡があり,元旦の朝になると,この寺跡の閼伽池から黄金の鶏が現れ新年の幸を告げるという伝説にちなんでこの滝を「鶏鳴の滝」と呼んでいます。 車で県道から川沿いに奥に入ります。10分くらいでしょうか。木々に囲まれた細い道を登って行くと小さな駐車スペースがあります。そこに車を置いて更に山道を少し歩いて滝壷に至ります。行った日はそれなりに暖かい日だったのですが、滝の周りは涼しくほっとする感じです。訪れる人達も散見され皆さんほっとした表情をされていました。 滝の周りは木立に囲まれておりもみじの木が沢山ありました。紅葉の頃は更にいい感じになるのでしょうね。ただその時は暖かい日を選ばないとふるえ上がりそうな気がします。
November 1, 2008
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櫟野寺に参拝に言った時、丁度奉納相撲が行われていました。この行事は今から約1200年前征夷大将軍坂上田村麻呂公が鈴鹿の山の山賊(鬼)を統制(退治)の為、櫟野寺御本尊十一面観音菩薩にご祈願され観音さまの御力により山賊(鬼)を平定(退治)することができたので、そのお礼の際に当山境内で、家来に命じ相撲を取らせ奉納させたのが始まりと伝えられ、今日まで継承されています。 この日は小学生達が東西に分かれて頑張っていました。ところが余り相撲自体を見たことが無いのか、殆どレスリングのような取り組みが続いていました。あれだけ押し合っていたら引き技一つで勝負が決まりそうな感じです。だけど小学生にそんなことを教えるのも何かズルを教えるようで先生達もそんなことは言わないのでしょうね。 この日は手水も子供達で一杯です。高学年の子達は小さな子に、「そんなにくっついたら服が濡れてしまう。」とか「水をバチャバチャしないで。」とか注意していました。中々可愛らしいものです。
October 31, 2008
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櫟野寺に行きました。小さな集落の中にあり探すのに少し苦労をしましたが(何しろ古い車でナビなどは付いていないものですから)丁度奉納相撲の日ということもあり、側まで行くと結構賑わっていました。この寺院は起源が随分古いものです。 甲賀市の天台宗の寺院です。御本尊は木造の十一面観音坐像で、櫟野観音(いちいのかんのん)とも称されています。甲賀六大寺のひとつで、近江西国三十三箇所観音霊場第29番札所になっています。この寺は、792年(延暦11年)この地を訪れた最澄が十一面観音を安置したのに始まると伝えられ、806年(大同元年)坂上田村麻呂が堂宇を建立したと言われています。たびたび堂宇を焼失していますが、そのつど再建されています。旧本堂は1968年に焼失しましたが、仏像等は収蔵庫に保管されていたため無事でした。 御本尊は今までは33年に一度開扉される秘仏でしたが現在は春秋に一般に公開されています。丁度この日も公開の時期でしたので参拝することが出来ました。元々は公開されることが少ない秘仏と言うこともあり、まだうっすらとお身体の衣服の彩色を見て取ることが出来ます。大きさも3m以上ありそれは大きく、神々しい立派なご本尊でした。しかも御本尊の周りを多くの仏像が取り巻いており、その殆どが平安時代の作であり、重要文化財に指定されていました。この寺院の歴史を感じさせます。
October 30, 2008
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藤原伊織氏の「遊戯」を読みました。この本は氏の遺作であり、未完です。しかも佳境に入ったところで終わってしまうので、些か残念な気がしました。 やはり一癖ある人物が主人公で、それに絡む女の子も少し変わった子です。この二人の日常に40代のストーカー風の男が見え隠れしてきます。途中まで読んでも、これから先はどのような展開になるのか全く想像もつきません。途中で亡くなったとは言え本当に残念でなりません。病院のベッドでこの小説を書いていたのかと思うと鬼気迫る感じです。一番悔しく思っているのは氏本人なのでしょうね。
October 20, 2008
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藤原伊織氏の「名残り火ーてのひらの闇2」を読みました。続けさまに読んでいます。「てのひらの闇」は随分前に読んだので内容の記憶は定かではなかったのですが読み進めるうちに思い出してきました。内容は非常に氏の小説らしく私には感じられました。 普通に(私立探偵のようなことをしていますから余り普通の生活とは言いがたいかもしれませんが。)社会生活を送っている主人公が、事件に巻き込まれていく内容です。小さな頃にやくざの組長の息子として育てられた主人公は、堅気の生活を送っているとは言え、行動の根本的なところではその気質が色濃く出てしまいます。痛快な物語です。その行動は潔いと言えるかもしれません。サラリーマンの思考方法が嫌で、個人の仕事しか受けていない私にとってその生き方には共感できる部分が多々あります。世間的には変人の範疇に括られるのでしょうね。
October 17, 2008
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藤原伊織氏の「ダックスフントのワープ」を読みました。このところまた氏の小説を読み狂っています。この本は彼の処女作で1982年に発刊されています。随分古い小説のせいでしょうか、文体が今の本と随分違います。私は氏の小説は最初に「テロリストのパラソル」を読みましたが、これはストーリーのテンポや文体にひどく惹かれました。今回の内容は道で轢かれそうになったダックスフントが架空の砂漠にワープし、そこで不思議な者達に出会い旅を続ける物語です。ちょっとSFチックで面白い小説でした。この本は氏がまだ二足の草鞋を履いていた時代の本当の初期ですから、力の入っている小説だと思いました。
October 16, 2008
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「ハンコック」を観ました。テレビの予告編を観ていると、飛んだリ跳ねたりの娯楽一辺倒の映画かと思っていましたが、中々途中には切なくなるようなストーリーも盛り込まれていて、夢中になって観ることが出来ました。評価は余り高くないようですが、観に行く人たちは映画に何を求めているのでしょうね。 酔っ払いのどうにもならないぐうたら男が、次第にヒーローに目覚めて行く内容です。怪我もしない死ぬことも出来ない状況に置かれたら、精神的にどんなに強い人間でも厭世的にならざるを得ないのではないでしょうかね。我々はそんな状況に置かれることは無いので、その気持を推し量るのは難しいですが、何となく理解できるような気がしました。
October 15, 2008
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昨日、久しぶりに孫を連れて京都市美術館で開催されている「芸術都市パリの100年展」に行って来ました。官が絡むと展覧会はここまで駄目になるのかと言う典型のように感じました。それなりに場内は混んでいるし、盛況と言える状態なのですが、作品群は余り満足できるものではありませんでした。ましてや目玉であるはずの作品が一点、別の展覧会のために取り外されていますし、随分と来場者に失礼な話です。私はどうも京都市美術館と相性が悪いようです。こんなことなら大阪市美術館で開催されている「佐伯祐三展」に行けば良かったかなと後悔しました。 まあ天気も良かったし暖かかった日だったので、京都の街を歩くのもたまの散歩と考えればまあまあ良かったのかな。
October 14, 2008
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吉田山の山頂に建てられた「茂庵」に行きました。神楽岡通から急勾配の山道を15分ほど登ると鬱蒼とした林の中にそのカフェはあります。途中には古い民家が密集していますが、殆どが見下ろしで目に入ってくるのでさほどの圧迫感はありません。途中からは民家も無くなり、山道に入ります。灯りもありませんから夜になると帰れなくなるのではないかと思わせるほどの場所です。京都では若者達に人気のカフェらしく雑誌の特集などには必ずと言っていいほど掲載されているそうです。途中にはお茶室の設けられており風情のあるところです。 山頂近くまで登ってくると、梢越しにカフェの建物が見えてきます。1階は厨房と従業員の休憩室にでもなっているのでしょうか、お客は玄関を入って靴を脱ぎ、そのまま2階へ上がります。東西と南側が全て窓になっており見晴らしは最高です。南と東側はテーブル席になっていますが、最も見晴らしの良い西側は窓に向かってのカウンター席で景色を楽しみながらお茶が飲めます。良いものです。 ただ建築設計に関わっている者にとって気になることが一点。二階の客席には外壁に筋違いが全くありません。木組みを見ると今時のプレカットで刻んでいるわけでもなさそうなので、これを造った大工さんの腕を信用するしかないようです。願わくばお茶を飲んでいるときに地震に遭わないように祈るしかないようです。
October 10, 2008
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京都御所を東の清和院御門を出たところに萩の花で有名な梨の木神社があります。この神社は幕末の尊王攘夷派の公家、三条実萬、三条実美の業績をたたえて創祀された神社です。 山門を潜るとそこかしこに萩の花が咲き乱れています。9月の萩祭りが有名で私が訪れた時も多くの人で賑わっていました。沢山の萩の小枝に短歌が読まれた短冊が掛けられています。一作々々読んでおられる人達がいてゆっくりした雰囲気が漂っています。 この神社には染井の井戸は千年前から水が湧き出る京都三名水の一つに数えられています。残念ながら私は何も水を汲む容器を持っていなかったので断念しました。そのまま奥に進み御本殿にお参りしました。小さな祠のような本殿で、周りから木がかぶさりそれが荘厳な雰囲気を出しています。 それにしても手水を使う人達が本当に少なくなりました。形式にこだわるわけではないですが、最低限の作法は心得ていただきたいものです。
October 8, 2008
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7月から相国寺の承天閣美術館で「狩野派と近世絵画展(前期)」か催されています。御所の参観に行った帰りに覗いてみました。この美術館は二度目です。前は「伊東若冲展」に来たのですが、テレビなどでも再三あおったせいもあって混みようが並大抵ではありませんでした。殆どまともに見ることも出来ず、ちらっと見ただけで結局図録を買って帰った記憶があります。今回の展覧会は人気が無いのか、皆の興味を引かないのか、内部は閑散としています。おかげでゆっくりと観て回ることが出来ました。狩野派の絵画は豪華絢爛で私は好きです。 狩野派とは、室町時代の中期から江戸時代の末期に到るまで、およそ400年間の長きにわたって、常に画壇の中心に在り続け、数々の名作を世に送り出した専門画家の集団です。室町幕府に御用絵師として仕えた初代の狩野正信以来、その系譜を継ぐ画家たちは、織田信長や豊臣秀吉、そして天皇家や徳川家の歴代将軍など、各時代の権力者にその画技を提供し、最大の画派として強い力を持ち続けました。内裏や城郭、大寺院などの障壁画制作はもとより、室内を飾るための掛軸や屏風、はては扇面や短冊、工芸品の図案などに至るまで、およそ狩野派の手がけなかった分野はないといっても過言ではないと思います。 その狩野派の作品も堪能しましたが、他にも「名碗三十撰」と言う催しも併催されており、これが中々の見物でした。中でも「玳玻盞散花文天目茶碗」と称される天目茶碗は圧巻で見飽きません。人が少ないのを良いことに本当にじっくり見せてもらいました。目のお正月です。 入り口の所に原種の「藤袴」が置かれていました。源氏物語千年紀にあわせて置かれたものだと思いますが、中々素朴な小さな花が咲いていました。艶やかな洋花にはその存在感は比ぶべくもありませんが、日本人の感性にぴったり来るような可憐さだと思いました。
October 7, 2008
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新御車寄の奥に紫宸殿の屋根が見えます。その手前の朱塗りの門が月華門です。この門はまだ新しく朱塗りが晴れやかな感じに見えます。そこから更に回り込んだところに建礼門があります。この門は御所の南にあり、開門されるのは天皇や国賓の来場の時のみです。内部の承明門と相対するように造られています。立派な門です。見学者はこの二つの門に挟まれた形で承明門越しに紫宸殿を見学します。ここは代々即位の礼や大嘗祭が執り行なわれる場所です。大正天皇、昭和天皇もここで即位されました。 ここから更に回り込むと御池庭に至り、この庭に面して小御所、御学問所があります。その間にある庭が蹴鞠の庭です。御池庭の北には御常御殿の屋根が見えます。天皇が日常生活を営まれる御殿です。 ここまでで短縮コースの見学はお終いです。その間約30分程ですが、中々有意義な見学コースだと思います。
October 6, 2008
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京都御所参観に行きました。恥ずかしながら長い間大阪に住んでいるのに今回が始めての見学です。短縮コースの午後3時からの回に参加しました。随分多くの方達がこられています。土曜日ですからさもありなんと言う感じでしょうか。 最初に休憩所のようなところでビデオを見ながら注意事項を伝えられます。わざわざ申し込んでの参観ですから変なことをする人は居ないだろうと聞き流していたのですが、前に勝手にうろうろして古井戸に落ち、レスキューを呼んだことがあるとか。いやはや何処にでもアホタンは居るものです。 清所門から中に入り、最初は御車寄で説明を聞きました。ここは昇殿を許された人が正式の参内の時の玄関だそうです。ここから内部に入り諸太夫の間で控えます。三室の控えの間があり、それぞれ襖絵が虎、鶴、桜とモチーフが違い、中々格式の高い雰囲気があります。私達はお庭から縁を通して遠目に見せていただけます。 次は新御車寄。ここは皇族方の出入り口です。大正天皇が即位される時に建設されたとか。この建物は新しいだけに金物や硝子が使われています。
October 4, 2008
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同志社の西、烏丸通りに面して京菓子資料館があります。丁度平成二十年企画展として「京菓子でつづる源氏物語展」が催されていましたので立ち寄ってみました。この資料館は俵屋吉富烏丸店の店に併設されています。京都にはこのように小さな文化が未だにあります。歴史がこのような文化を培っているのでしょうか。素晴らしいことだと思います。 早速中に入ってみました。糖芸菓子の新たな作品や源氏物語に登場する菓子について、後年の注釈書や江戸時代の文献資料などをもとに再現された菓子が展示されていました。その他にも源氏香図の菓子の木型なども紹介されており、見所の多いものでした。 一階の茶席「祥雲軒」では源氏物語にちなんだお菓子なども用意されており、しっかり頂いてきました。このような所に伺うと何となくほっとしてしまいます。
October 1, 2008
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北野天満宮の一番奥まったところに小さな神社があります。私も先日まで全く知らなかったのですが文子天満宮と言う小さなお宮さんです。謂れを読むと、菅原道真公が大宰府で生涯を閉じられて40年を経た天慶5年(942年)巫女田治比文子(たじひのあやこ)に管公の神霊より、「わが魂を右近の馬場に祭るように。」と言うお告げがあり、文子は取りあえず自宅に管公の御霊をお祭しました。これが北野天満宮の発祥とされているそうです。その後他の霊能者にも同様のご神託があり、天暦元年現在の地に移されました。文子の住居跡は神殿造りに改められ文子天満宮と称せられたそうです。 小さくて暗くてちょっと見逃してしまいそうなお宮さんですが、縁起を読んだからかもしれませんが、中々厳かな雰囲気がします。時の権力者達の陰謀で大宰府に流された管公ですから、それをお祭している文子を苦々しく思っていたのでしょうが、それ以上何か良からぬことを企んだりすると管公の祟りがあるやも知れず、文子の邪魔ができなっかたのかもしれませんね。
September 29, 2008
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北野天満宮へ。何年振りでしょう行ったのは。今までは大抵、25日の市の立つ日を選んで行ったことが多いので、境内の雰囲気は随分違いました。ゆったりして中々良い雰囲気です。行った目的は宝物殿で催されている「神々の群像」展を見ることです。 今回の展示は北野天満宮千百年大萬燈祭の折に、偶然本殿の深奥より見つかった木造鬼神像十三体が重要文化財の指定を受け、それを機に催されました。これらの神々は街路や街道の要所にあって、魑魅魍魎が都へ入るのを防ぐ霊験を持っていたと言われています。長い間人知れず置かれていた為かかなり傷んでいたらしく、文化庁の詳細な調査を経て、国宝修理所で修復されたものです。 お顔は強面ですが、その中にもユーモラスな小さな神々です。庶民信仰の対象になっていたであろう事が想像できます。 千年以上前に平安京の大路小路に置かれたと言うこれらの鬼神像は、異形の風体で遠方から入り込む邪気あるいは死者の邪気を防ぐ役割を持っていたという古記録に記されています。近世では道祖神となる神のことです。
September 27, 2008
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南原幹雄氏の「謎の団十郎」を読みました。初代団十郎の暗殺事件を伏線にして八代目団十郎が暗殺されるまでの出来事が短編集の容で纏められています。それに江戸と上方の興業を取り仕切る元締めや商売人達の丁丁発止の争い事を交えて面白い読み物になっています。 この本の中では八代目団十郎は七代目の頼みを断りきれず、江戸が最も嫌っている上方の興業に出演することになり、江戸の金主を裏切った為に暗殺されます。実際には何故亡くなったのかの真相は判らず終いになっているようです。 中でも上方と江戸の商売上の駆け引きには面白いものがありました。この本では大阪商人はとてもあくどい商売人として描かれています。私は商売人ではないとは言え、大阪の人間ですからちょっと面白くないように感じます。仕事の上でも東京の人間の格好のつけ方は気に入らないと言うこともあるのかもしれません。
September 25, 2008
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久しぶりに映画を観に行きました。元々は「ハンコック」を観ようと思っていったのですが、時間が上手く合わず、それならばと「ウォンテッド」を観ることにしました。 この映画は筋立てに捻りがあるわけでもなく、ただただアクション一辺倒の手に汗握る映画です。主題は暗殺集団の存亡を賭けた物語です。荒唐無稽な内容ながら結構楽しめました。電車の屋根から暗殺をしてみたり、拳銃の弾をカーブさせて標的を狙ったりとやりたい放題です。更には拳銃で拳銃の弾を打ち落とすに至っては、ここまでやるかと言う感じです。 ストーリーはとんとんと早い速度で進んで、最後に生き残るのは主役がただ一人と言うのも非情さが伺えて面白いですね。頭を使うことなく充分に楽しめる映画らしい映画でした。
September 24, 2008
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雨宮町子氏の「死霊の跫」を読みました。おどろおどろしい超常現象をテーマにした短編集です。単に気持悪いだけの内容です。科学的な根拠(全てにそのようなものがあるとは思っていませんが)も多少は加味していただいたほうがもっと面白くなるのかなと感じました。 前にも書きましたが氏はもっと推理畑の内容で小説を纏められたら良い本になるのにと思います。少し残念です。
September 19, 2008
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藤原伊織氏の「ダナエ」を読みました。表題の他に「まぼろしの虹」「水母」の二編が収録されている短編集です。氏の本を最初に手にしたのは「テロリストのパラソル」です。読んでみて私と同じ世代ゆえに、同じ時代に青春を送ったものとして共感する部分が多く、しかもストリーテラーとしての読みやすい文章に引き込まれました。残念ながら昨年若くして他界されてしまいましたが。 この「ダナエ」は他界される直前に上梓されています。今までの作品を一冊の単行本にまとめたものです。サラリーマンとの二足の草鞋を履いていたためでしょうか、残念ながら寡作で私は「ダックスフントのワープ」以外は全て読んでいます。2002年にサラリーマンをやめられ、これからは作家生活に入られるのかと期待していましたがとても残念です。 この本の三作ともに少し変わった男達が登場します。一家言あると言えば聞こえは良いのですが、どこか世間の枠からはみ出し、ドロップアウト寸前の男達です。しかし彼等の行動には何故か共感を覚えます。彼等の根底に流れているのは人間としての潔さだと感じました。居なくなりましたねこんな人達が。
September 10, 2008
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雨宮町子氏の「たたり」を読みました。前回氏の「殺される理由」を読み面白かったので、早速ネットで購入し読んでみた次第です。那須高原にある古い別荘を借りて住んでいた作家夫婦が、その家に取り付いていた邪悪な何かにたたられて、どんどん壊れて行く過程が描かれています。おどろおどろしい内容で超常現象的な出来事が起こるのですが、使い古された手法のように感じました。 書き出しの主役と、最後の主役が途中から代わってしまうところも何かなぁと言う気がしました。語り手が代わると言うのも多々あることですが、余りに唐突な感じがして馴染めませんでした。 購入する時に3冊纏めて買ったのですが(送料を無料にしようという魂胆で)後の2冊はどうでしょうか。気に入る本であることを期待します。
September 5, 2008
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関口扶沙恵氏の「修羅の川」を読みました。江戸末期から明治の初めにかけての時代、群馬県を舞台にした養蚕と蚕種造りに従事する人々の物語です。時代が大きく転換していく時代に、価値観の変化についてゆけない古老と若者達の軋轢が描かれています。それに最後のあがきを見せる幕府が関わり、混沌とした世界を描き出しています。私達は歴史としてその時代を認識していますが、その真っ只中に置かれた時、どのように時代を捉え、どのような行動を起すのでしょうね。描かれているのは普通の庶民達ですから、高邁な思想を持っているわけではなく、生活を守るために自分達をつぶそうとする権力と闘います。いつの時代も権力と言うものは決して庶民の仕合せを考えているわけではないと言うことがよく判ります。体制整えようとする時には必ずと言ってよいほどしわ寄せが庶民に回されます。少し辛くて悲しい物語でした。
September 3, 2008
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上海に行くと最初の2日間は仕事先で食事をし、本社横にあるホテルに宿泊します。到着した日の夜、次の日の朝、昼とそちらのホテルのレストランで食事をするわけです。当然のことですが、上海料理のオンパレードですから、3食も続くと些か厭きてきます。贅沢ですが。そこで上海に戻った日はどうしても上海料理以外を食べたくなります。そこで既に2度目なのですが、上海新天地へ食事に行きました。 ここは観光客相手の新しく出来た買い物と食事のゾーンです。建物そのものは少しレトロな感じに造ってあります。客層も殆どが外国人(私達もここでは外国人なのですが)です。白人が多いように感じられます。今回は晩御飯にピザとパスタ、次の日の昼にもまた行って、私はサンドイッチ、相棒は再びパスタを食べていました。上海料理に対する反動でしょうか。ぶらぶら歩くだけでも中々楽しい場所です。ショーウィンドウも凝った造りになっており、日本人とはまた違った感覚で造られています。上海の観光お勧めスポットですかね。
September 1, 2008
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錦江飯店(JIN JIANG HOTEL)の宿泊階と部屋のインテリアです。改装を何度か繰り返しているのでしょうが、古さは隠せません。ところがタイムスリップしたようで何故か落ち着くのです。私も古くなってきたのかな?自身の事務所も大阪の綿業会館に置いているので、余計馴染むのかもしれません。 宿泊階のエレベーターホールと廊下です。エントランスホールほど艶やかではないですが、エレベーターのドア枠も燻した真鍮になっています。壁のタイルや天井のペンキも落ち着いた感じです。少し薄暗くスーツに蝶ネクタイ、ソフト帽でも被って立てば似合いそうな雰囲気です。私はこの様なインテリアが大好きです。廊下も古い映画に出てきそうな雰囲気ですね。照明もシーリングが所々に付いているだけ。エコ、エコと声を大にして叫ぶ前に、この時代まで戻したらそれで解決するのではないでしょうかね。実際の仕事ではこの様なインテリアを造ることは出来ませんから尚更かもしれませんね。 泊まった部屋です。何の変哲も無い質素な部屋ですが、天井も高く、気持の良い部屋でした。天井の照明も一灯だけシーリングライトが付けられています。これとても如何にもと言う感じでしょう。部屋の設えとすれば、他には如何にも使い込んだソファー、デスクが置いてあるだけです。必要以上の物は一切ありません。デスクの横には出窓があり、木製ブラインドが設置されています。いい感じですね。 水周りはさすがに完全に改装されています。これは今のホテルと変わりません。古いホテルだけにこの辺りはより綺麗にしておかないと、宿泊のリピーターを望めないのでしょうね。
August 29, 2008
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