320life

PR

プロフィール

ノマ@320life

ノマ@320life

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

2021.09.22
XML
テーマ: 読書(8190)
カテゴリ: 【読書】未分類

本のタイトル・作者



料理と利他 (MSLive ! Books) [ 土井善晴 ]

本の目次・あらすじ


第1回 料理から考えるコロナ時代の生き方
 土井さんを通すと「おもしろくなる」現象
 ステイホームでわかったこと
 「ゆっくり」もええもの
 環境問題も「まな板」から
 「つくる」は「自然・地球」と「食べる」のあいだにある
 「家庭料理は民藝だ!」

 磁器も土器も使うところに、日本人らしさがある
 誰がつくってもおいしいという世界
 いい人間になろうというはからい
 人間♡物♡自然♡人間♡人間
 土井善晴さんは巨大な器
 お芋が気持ちよさそうにしているなぁ
 レシピに依存すると感性が休んでしまう
 素材それぞれがご機嫌なこと
 「きれい」は日本人の倫理観そのもの
 「これをつくった人に会いたい!」
 自分はぜんぶ知っている


第2回 自然に沿う料理
 今ここにあるひとつの料理にもちゃんとわけがある
 人の暮らしのなかから美しいものができてくる
 人間の条件の土台になっているのは、地球と労働
 和食の「和える」と「混ぜる」は違う

 食材は頭じゃないところを使ってどんどん選ぶ
 いつも変えられるのが本物です
 自分がおいしくするということはできない
 パプリカを手でちぎる
 縄文の人はマイカップを持っていた!?
 カンカラカンカンと煮詰める
 日常の煮転がしと非日常の含め煮
 澄んだらうまいこといってる証明
 自然と人工のバランスがちょうどいいところがええ加減
 自然と心がつながって料理をすると、めちゃめちゃ楽ちん
 強火にすると水だって傷つく
 自然塩は味の幅が広い

引用


中島 そうですね。そして、お互いさまという互恵関係ですよね。あと、それを超えたところにも利他があるかもしれないと思っていて。すべてがぐるぐるまわっているのだから、自分が与えられたものは別の人に、というのが利他の考え方だと思うのですが、そのなかには「自分がやることによって、自分も誰かからやってもらえる」というはからいが含まれているような気もします。


感想


2021年読書:203冊目
おすすめ度:★★★

ミシマ社が2020年5月にスタートしたオンラインイベント「MSLive!」。
オンライン対談「一汁一菜と利他」の書籍化。

中島岳志氏、専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。
土井善晴さんの「おわりに」で、論文を書いてくれていて~と書いてあって、それが前に読んだ

コロナ後の世界 いま、この地点から考える [ 筑摩書房編集部 ]

だった。あー、あの!「コロナ後の世界の話の中で何か知らんが急に土井先生について熱く語り出した人がいる」の人だったのか…!!

土井善晴『一汁一菜でよいという提案』を読んで、「そうは言うても家族には受け入れられへんわな」とおかずを作り続けているんですが、それでも「一汁一菜でもええねんで」という提言は本当に気持ちを楽にしてくれたし、おそらく多くの人が救われたと思う。

で、この本を読んで、土井先生が言っていたことの本質をよく分かってなかったかもな、と思った。
一汁一菜というのは、日常の料理のこと。
料亭の和食は、いったん味を抜いて味付けをする。
家庭料理はまるごとの料理。素材そのまま、自然の味を生かす。
レシピなんて要らない。計量の必要はない。
ただ、よく見て、カンを働かせること。
「ええ塩梅」「ええ加減」のムラこそが、日常の美味しさ。
ハレ(非日常)とケ(忌)、その間に「ケハレ(日常)」があるの初めて聞いた。

返礼義務と負債感による支配―被支配の関係性の話、興味深かった。
インドで荷物を持ってもらった話、小僧の神様、アイヌ、札幌のシャッター商店街。

昔、中国語を勉強していた時、「中国人に借りを返してはいけない」と先生に言われた。
それは順繰りにまわっていくもの。繋がりの円環。
借りを返すということは、「ここで終わり」と縁を切ることだから。
人は人の世話にならずに生きてはいかれない。
繋がりの中に身を置くために、借りをぐるぐる回していく。

料理を作る。家族から「ありがとう」と言われる―――言わせる。
それが違う気がする。
この本にそのことが書いてあって、「ああ、そうか」と思った。
料理という行為に対する「感謝の気持ち」ではあるのだけど、そこに返戻を求めると、違う行為になる気がして。
料理と利他。

利他―――他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。(デジタル大辞泉)

料理を作る。食べる。
自分のからだのために。命を繋ぐために。
家族のために。かれらがすこやかであるように。生きるように。
そこに込められた祈りのようなもの。

料理は愛情、という言葉に私は怖気を感じる。
手間暇をかけて、というのも同じだ。
相手に負債を負わせる気がする。
どんどん積み上げて、愛情の名前で雁字搦めにする。
真綿で締め上げるように。

そうではない。

私が料理を作るのは、そうではない。
淡々と手を動かす。作らなければならないから作る。
食べなければならないから。食べさせなければならないから。
短い時間で手早く。
空腹が満たされれば何だっていいはずだけど、私は何か美味しいものを作ろうとする。
一汁一菜だっていいのだ。
けれど自分のために、家族のために、私は喜びのために、何がしかの「ごはん」を作る。

口から入ったものだけがその人を生かす。
食は、人の天なり。

自分よりもっと、上のもの。目の前にあるものではないもの。
料理は祈りだ、というと、崇高すぎるかな。
料理は利己であり、利他だ。




にほんブログ村 にほんブログ村へ







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.09.22 12:00:11
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: