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2023.01.26
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増補新版 東北の古本屋 [ 折付 桂子 ]

本の目次・あらすじ


1 はじめに
  古書業界のスタイルと最近の流れ/古本屋は減っているか/ネット販売の拡大
2 東北の古本屋案内
3 東日本大震災と古本屋
  2011年 東日本大震災と古書店ー被災地福島県を訪ねて
  2012年 震災後一年レポートー福島・宮城の古書業界
  2013年 被災地古書店の模索ー地域に根差した復興へ

  2015年 ふたつの震災と古書業界
  2016年 東日本大震災から五年―古書店と読者にきく“復興”
  2017年 震災後の本の世界―被災地の古書店と新刊書店の「日常」
  2021年 東日本大震災から10年―復興の現状と東北の古書業界

感想


2023年013冊目
★★★

日本古書通信社に勤務する著者の故郷は、福島県。
もとは、古書店と読者をつなぐ月刊誌『日本古書通信』などに掲載していたもの。
その後自費出版で発刊、東北の古本屋などで注文が入り、売り切れ。
文学通信で新版を出版。

表紙から、震災のときに古書店が受けたダメージ、またそこからの「復興」を記した内容だと思っていた。
冒頭がまず東北の古本屋案内で「あれっ」と思ったけど、私はそこに何を期待していたんだろうと思った。
旧版あとがきで、著者は「古本屋から見た東日本大震災の記録」と書いている。


古書。
大学時代、先生が古書目録(自分の店の在庫を掲載した通販カタログ)を読んでいたのを覚えている。
はやくしないと、掘り出し物があってもすぐに売り切れちゃうんだ。
先生が研究室の私達を横目にカタログに目を通す。
今回の目玉は万葉集の写本!そして〇〇版の古今和歌集。ああ、〇〇全集の今昔物語集も。

注文は電話かFAX。
目を走らせる先生を横目に、えらく時代錯誤だなと思った。

この本は、古書業界の豆知識や用語も紹介されていて面白い。
時代を経た古書は「黒っぽい」、新しい本は「白っぽい」と言うのだそうだ。
入荷したての本は「ウブイ」。

私は古本はたまにしか買わない(売る方が多い)。
古本をネット(ブックオフ、メルカリ)で買うこともある。
それも新しめの漫画や小説、実用書の類なので、ばりばりの古文書!みたいなのを買ったことはない。

時代の流れで、古書の売上も、ネットと併用のお店が多いそうだ。
「今後、すぐ欲しい人のためのネット店が6割、訪ねて棚を楽しんで買う人のための店が4割くらいで棲み分けになるんじゃないかな」と言う店主もいる。
その人は、「目的地までの寄り道が本当は大事。今は無駄に見えても長い眼で見たら必要なこともたくさんある」と、古書の棚を自己表現、書店を劇場にして魅せる可能性を信じる。

ネットが主流になっても店売りにこだわるお店も多く、みんな本当に本が好きなんだなと思う。
「棚に並んでいる本に応じたお客しか来ない」
「一軒残った灯をともし続けたい」
めちゃくちゃ儲かっている店なんてない。ジリ貧だ。
それでも続けるのは、何より本の持つ力を信じているからだと思う。

昼は地域コミュニケーションの場も兼ねた古本屋、夕方から学習塾。
小さな音楽会、ワークショップも行う、森の中にあるロバのいる古本屋。
トラックで青空の下、移動販売を行う古本屋。
古本のガチャガチャ、古本の自販機を備えた店。
仕入れた本でイメージが変わる、あの店にいけば何かあるかもと思わせる店。

様々な工夫をこらし、古書店は生き残ろうとしている。
電子書籍でしか本が出版されなくなれば、古書店には新しい本(いずれは古書になる本)が供給されなくなる。
そのとき、古書店はどうなるんだろう。
古い本だけを扱っていくのだろうか。

この本の中にも、レコードに古書をなぞらえている方がいた。
本は、そういう存在になっていくのかもしれない。
昔はこれで本を読んでいたんだよ。うっそだあ。

そもそも「本」をみんな読まなくなっている。
電子の海に溢れるビットが、紙とインクにかわってしまった。

けれど玉石混交のその中から、読むに値するもの、を探すのは容易ではない。
ある古書店主は言う。
「これからは出版社が自分で本屋をやり、この本面白いよと直接読者に届けないと」
この発想はなかった。
確かに、出版社は本屋とは離れている。
そこが生産者として直接供給するのであれば、もっと面白くできるんだろうか?
受け手が育っていないこの状況でも、読み手は存在するんだろうか?

古い絵葉書。日記帳。飴玉の袋。
森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』を読んで、下鴨納涼古本市にでかけていった時、「こんなものまで売っているのか」と驚いた。
古本以外にも、流通する過去の記憶。

震災で失われたものも、たくさんあっただろう。
そのときデータがどこかにあれば、まだ読める。
だからこれは、併用して併存するのが良いのだろうけれど。

電子化の潮流には逆らえない。
けれど、過去のものにあたりたくなった時、それが保管し保存され、残っているという保証がどこにある?
すべてをスキャンしてデータ化して残せるのか?
紙が残ってきたのは、それが優れた保存方法でもあるからだ。
紙は弱いけれど、強い。
サービス終了でデータが消えることもない。

本屋と古書店がなくなっても、図書館から紙の本が消えても、人はそれでも本を読むのだろうか?
形ないその媒体を、人は「読みたい」と思えるんだろうか?
それは表紙とあらすじから内容を推し量り見るかどうかを決める、映画のようなものになっていくんだろうか?

今、電子書籍を読む人は、紙の本を経て電子書籍を読んでいる。
それがはじめから電子になったとしても、誰か読む人はいるんだろうか?
読まない世界で、人は書くことが出来るんだろうか。

電子「書籍」、という。
電子「本」とは言わない。
私は書籍は手に取れる薄い冊子、というイメージだ。
タブレットやスマートフォンの躯体には、「書籍」がぴったりくる。
一方の本は、厚みがある。絵本だってそうだ。
厚みがあって綴じられたもの、というのが正しいのかもしれない。「もと」と同じ漢字だし。

私はやっぱり、「本」が読みたいと思う。
それがいつか時代錯誤になっても、きっと本を懐かしく思うんだろう。
レコードを聞く人が、その01信号に変換されない微細なゆらぎを信じるように。

いつか、インテリアとして中身が真っ白な本が、装丁だけの本が、棚に並ぶようになって。
「昔はこれで読んでいたんだよ」という言葉が信じられないようになっても。

たくさん並んだその背表紙に目を走らせる時、うず高く積まれたその本の森をさまよう時。
私は本と「出会う」。
私を呼んでいる本に。

それはやっぱり、電子書籍にはないことであるように、思う。

これまでの関連レビュー


ブックセラーズ・ダイアリー [ ショーン・バイセル ]



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最終更新日  2023.01.26 00:00:18
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