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2014年03月10日
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カテゴリ: ミニストリー

先ほど、こちらを見てて、

知られざる死の記録〜仮埋葬
3月6日 21時00分 NHK WEB特集

3年前の東日本大震災で、被害が大きかった沿岸部では、
亡くなった人を火葬することさえできなくなり、
遺体を一時的に土に埋める異例の「仮埋葬」が行われました。

ニュース画像

震災から3年を前に、NHKは、詳しいことはあまり明らかにされていなかった
この「仮埋葬」の詳細な資料を入手し、関係者から話を聞くことができました。

巨大災害が奪った死者の尊厳、家族の死を受け止められない遺族、
埋められた遺体の掘り起こしを悩みながら行った担当者、

ニュース画像

その知られざる死の実態に仙台放送局の廣川裕輔記者が迫りました。 

(中略)

かつてない状況のなかで、死と向き合ってきた4か月。
西村さんは報告書の最後に、次のようにつづりました。

「遺体とは何か、どう捉えどう関わるか、
大災害における 弔い の在り方とは何か、」

(中略) 

突然失った大切な家族を土の中に葬らざるをえなかった遺族は、
きちんと 弔えなかった という無念の思いを今も抱えています。

目に付いたのが、
”弔い”、と言う言葉、


一般的な意味は、

1 人の死を悲しみ、遺族を慰めること。くやみ。弔問。「―の言葉を述べる」
2 葬式。野辺の送り。「―を出す」
3 死者の霊を慰めること。法事。追福。追善。「七年忌の―」


現代葬儀考 を拝見すると、

弔いと悔やみ
 弔い」は「人の死を悲しみいたむこと」であり、「悔やみ」は「人の死を惜しんで、とむらうこと」(いずれも岩波国語辞典)、何やらよく似ている。だから「友人の死を弔う」とも「友人の死を悔やむ」とも言う。いずれも「葬式」の意味でも用いられる。

 だが、私の感じでは少し異なる。
「弔い」は死者のために遺された者のなす行為であり、「悔やみ」は遺族に対してなす行為ないしは言葉であるように思う。これはどれだけ客観性をもつか、はなはだ自信がないが、私にはニュアンスの違いがある。

 葬式とは元来この2つの意味があったのではないか。つまり死者に対して悲しみ惜しむことと、遺族となった家族の心情をを慮る、という2つの面である。


個人的には、やはり、
弔いは、 遺族のためと言うよりは、
亡くなった人のため、という感じが強いーー、


この”弔い”と似た言葉に、
供養がある、

追善供養とか、

即ち、あの世での冥福を祈るわけだが、
自分で祈ってよいものやら、人に頼むべきなのか、

はっきりした仕方、定義などはない、

当の残された本人の思い、
あるいは信仰によるだけ、というのが実状だろう、


親しい者の死に直面するとは、
そう多くあるものではない、

それだけに、実際に直面すると、
ますます、あたふたしてしまいソーだけど、

この死者の弔い、あるいは死者の供養、
本来、ドーあるべきなのか、

で、能などを見ると、
古来から、同じ悩みが、
延々と引き継がれているような、

しかも、明確な答えがないままに、


丁度、先日、
能の典型パターン を見たのだが、

能の舞台劇の典型パターンは、

旅の途中、ある土地に着いた僧侶(ワキ)に、
いわくありげな人(シテ)が現れ、
その土地の物語や、由来を語る、

そして、その物語の主人公が、
実は自分であることを明かし、その場を去る、

ここまでが前半で、

後半は、

宿泊先で、僧が眠りに落ちると、
夢に、先ほどの人(シテ)が、生前の姿(亡霊)で現れる、

過去の経緯、無念を語り、
僧に供養を頼みつつ消えていく、

僧は眠りから覚め、
今のは夢だったのかと気付いたところで舞台は終わる、

--観世清和の言葉(P40)を以下に紹介する、--

「そこには何の解決もないのです」、

「ただ彼らは無念を語り、生前の姿で舞い、
そして回向(供養)を頼んで消えていくだけです、」


この解説を覚えておいて、
実際に、こちら「松風」を見てみる、

西国行脚を思い立った旅僧が須磨の浦を訪ねる。

歌人在業行平の須磨旧跡を旅僧が追想する間にも急速に秋の日は暮れ落ちてしまった。

月が照らす海辺に汐汲み車を引いた二人の若い海女人が現れ、旅僧は二人に一夜の宿を借りる。

僧が行平旧跡の事を問うと二人は落涙し、自分達は行平に寵愛された松風・村雨の姉妹の霊であると告げ、二人は生前の恋物語を懐かしむ。

姉の松風は形見の装束を身に着け、闇に佇む松を恋しい行平の訪れと思い、恋慕の妄執と ­狂乱のまま、月明かり下に思い慕う舞を見せた。

やがて二人は僧に弔いを頼み、夜明けとともに消えてゆくのであった。


後場、2人の若い女は、
今度は霊となって、僧の前に現れ、
私どもは、その行平に愛されたものだと告白、

当時を、懐かしみ、
互いに、涙をみせつつ、
舞を見せる、

loading

その後、僧に 弔い を頼んで、消えていく、


が、観世清和が言うように、
そこには、何の解決もない、

消えた霊は、又、同じ、
苦しい冥界に戻っていくだけ、


ここで、大事なのは、
(大事だと思われるのは、)

人には、天性で、
弔いの心が備わっているということ、(だと思う、)

誰かに、弔ってほしい、
想い起こしてほしい
あの世での幸福を祈ってほしい、

それは、先に亡くなったもの、
あるいは、残されたもの、
両者に共通しているだろう、

そして、それ(弔いの想い)は、
(能にも見られるよう、)昔から、変わっておらず、

現代でも、先ほどの、
NHK東北の取材番組「知られざる死の記録」の、
遺族の悩みを見ても然り、

突然失った大切な家族を土の中に葬らざるをえなかった遺族は、
きちんと 弔えなかった という無念の思いを今も抱えています。


さて、きちんとした弔いとはなんなのか、

また、弔いに解決はあるのか、

なぜ観世清和は311の鎮魂公演にキリストの復活劇を選んだのか






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最終更新日  2014年03月10日 11時35分45秒
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