ラッコの映画生活

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2007.08.25
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カテゴリ: フランス映画
JOURNAL D'UN CURE DE CAMPAGNE

白黒111min
(所有VHS)

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先日見たピアラの 『悪魔の陽の下に』 同様、20世紀前半のフランスの作家ジョルジュ・ベルナノスの代表的小説の映画化作品です。同じブレッソンは後に(1967)ベルナノスの『少女ムシェット』も映画化しています。文芸映画っていうのは難しいですね。見るのも、たぶん作るのも。マルグリット・デュラスとかアラン・ロブ=グリエとか、20世紀戦後しばらくして出てきた、場合によってはヌーヴォー・ロマンなんて言われるこの2人の作家のように、アラン・レネ監督の映画の脚本書いてから自分も映画作るようになった人もいます。そのデュラスがインタビューでこんなこと言っています(フランス語ですがたぶんYouTubeで見られます)。「たとえばギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』なら、読者はそれぞれ自分の『ボヴァリー夫人』像を持っている。小説を読みながら読者一人一人が自分の監督した映画『ボヴァリー夫人』を見ているとも言える。だとすると例えばアラン・レネが『ボヴァリー夫人』を映画化しても、読者でもあった観客は自分が見ていた『ボヴァリー夫人』とは違うと感じる。だからそれには抵抗があるし、見なくても良いとさえ言える。でもその映画化が他ならぬフローベール自身が監督した映画だとしたら、それは見るに値するのではないか。そんなことを自分は考えた。」と。

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デュラスの言ともつながりますが、ボクはあまり文芸映画っていうのは見ません。見るのはこの作品がどう映画化されているのかな?、この作品をどう解釈しているのかな?、って興味があるときが多いと思います。ベルナノスに関してはその両方があって、で惹かれてしまいます。これで3作すべて見たのですが、今回の『田舎司祭の日記』とピアラの『悪魔の陽の下で』は90分~120分の映画にするにはやはり原作が大部過ぎる感じでした。それでもそれぞれ良く出来ていました。見たのはもうかなり前ですが、小編の『少女ムシェット』が映画としてはいちばんまとまっていると思います。

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(以下ネタバレ)
文芸映画なので、自分もそうですが小説を読んだことがある人が映画を見るわけなので、 ネタバレ を気にせずにストーリーを書かせていただきます。


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でも彼はそれに従わない。あまりに真面目で真直ぐなんですね。加えて彼は以前から胃の具合が悪く、パンと砂糖と(節約のため低質な安い)赤ワインしかのどを通らない。アル中の家系的影響もあるらしい。トルシーの司祭に勧められて彼の友人の医師デルバンドの診察を受ける。デルバンドは他の人々とはちょっと違う人間なんですが「彼には衛生観念がない」との噂が広まり、患者を失っていた。そんなデルバンドが自殺とも思える猟銃での事故死をとげ、司祭は動転する。村の名士の伯爵は愛人のマドモワゼル・ルイーズを娘シャンタルの家庭教師に雇っていて、そんな伯爵は真面目一本の彼をあまり良く思っていない。この娘シャンタルは母親を憎んでいるのだけれど、母親(伯爵夫人)は息子を幼くして失って絶望し、それゆえに神を信じることができなくなっていて、それで葛藤がある。ある日この伯爵夫人との会話で司祭は夫人に再び信仰を持たすことに成功する。この場面が原作を読んでいると小説の山場なのだけれど、映画ではちょっとあっけない感じがした。何も上手くいかずに思い悩む若い司祭は、このことで初めて少し達成の喜びを感じるのだけれど、その晩夫人は心臓発作で死んでしまう。娘シャンタルが2人の会話の一部を聞いていたりで、夫人を心理的に追い詰めたとか、アル中らしいというのもあって、司祭の悪い噂がますます広まってしまう。

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そんな状況で信仰さえも疑問に感じ、少なくても自分のやっていることの無力さで懐疑的にもなっていくが、ある晩大量の吐血をしたこともあって、司祭は詳しい診察を受けるために教区を後にし、地方の大都市リールへ向かうことにする。駅に向かう彼は、外人部隊を指揮しているというシャンタルの従兄弟に出会い、バイクで駅まで送ってもらう。高速で走るバイクの後部座席で風を受けながら、司祭はこれまで彼の知ろうとしてこなかった生きる喜びを感じた。しかしリールで受けた診察の結果、結核だと思っていた彼が知らされたのは胃癌で余命も長くないということだった。神学校時代の友人で今は還俗して女と暮らすデュフルティーの家にやっかいになり、彼に見守られて死ぬ司祭の最後の言葉は「すべては神の恩寵だ」だったことがトルシーの司祭に書き送られる。

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一種の青春映画とも見れるんですが、ホント暗いです。題名からもわかるように生徒用の質素なノートに綴る日記の文字、それに司祭の声が重なったり無かったり、そしてその場面の映像という映画作りで、作り自体に監督の解釈などもないような簡潔な映画。文体に何の色気もない質素かつ地味な映画だ。最後は司祭の墓なのか十字架のアップの映像で終わる。神の不在とか沈黙というのは例えば戦後のベルイマン映画のテーマであるわけだけれど、ベルナノスの世界、あるいはこのブレッソンの映画はその前触れを捉えたもので、そういう不信仰の人々の罪ないしは苦悩をこの敬虔な司祭が一身に引き受けて死という形で、キリスト受難の物語になぞらえられているのだろうか。『スリ』などブレッソンのファンは意外と多いが、評価はするもののやはりイマイチ性に合わない感じの監督だ。『少女ムシェット』は嫌いではないが。

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Last updated  2007.09.24 08:49:03
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