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一年を振り返る。 私にとって平成16年はどんな年だったのだろう。○建築家として 企業プロディューサーのみどさんに協力していただき、企業 パンフレットの作成、ホームページのリニューアル、建築家 も存在をしってもらうためには広報も大切ということで新聞 の企業広告も掲載を始めた。おかげで数件の問い合わせがあ り、現実に設計を依頼された物件がでてきた。 完成物件5物件、施工中4件(内 福祉施設1件)、設計中3件。 年明けから、土地高度利用型コーポラティブハウスの参加者 募集を本格的にはじめるためDVDを製作することとなった。 順調に作成作業が進んでいる。 自然共生型コーポラティブハウスの計画案の展示を行ったが、 これも年明け早々から広報準備を始める。 ○企業(法人)として 決算3期を終え、ようやくトントンレベルまでこぎつけた。 3期でトントンとは早い!などと周りの方々からは言わ れるが、出来てあたりまえ、真に社会的価値のある事業であ れば利益が出て当たり前!とは京セラの稲盛名誉会長の言葉。 建築家といえども一人の企業人。 建築家としての崇高な理念を掲げるのは当たり前! その具現化を期すとともに、合わせて、経営者として企業の 発展を行っていかなければならない義務もある。 これが出来てこそプロと言われる所以だ。 世間では、建築家安藤忠雄の芸術的な感性のみが取りざた されているが、なぜ成功にいたったのか。 企業人としての確かな経営感。人材育成の確かさ。 ほかにも好きな建築家はたくさんいるが、これらが合間って の建築家安藤忠雄であるからこそ私が師と仰ぐ所以だ。 安藤は、毎日2時間の読書と1時間の運動が日課。 経済、文化、人類、経営、商い、自然科学、もちろん建築。 これらの本をとにかく読めと勧められた。 現在の私を下支えしてくれているのは、20代から本格的に 読み始めたこれらの本たちではないのか。 最近は養老孟司の 「都市主義」の限界 が専らのバイブルとなっている。 建築家としての理念の具現化と日々の企業運営で、後ろを振 り返る余裕がないのが本音だが、明日への確かな一歩を踏み出す ためには、時にはこうして総括してみるのもよいものだな。 上手でなくてよい。いや上手にはできないが、私にとっての 前人未到の荒野を突き進むのに指導者はいない。道先案内人 はいない。すべて私の心の中で決めていくことだけ。
2004/12/31
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本日は住まいの大掃除! 毎日午前様すれすれで帰ってくる私を迎え入れてくれる我が家。 いつの間にか一年のほこりがたまっていたんだな。 スマンスマン。2階小屋裏までの吹き抜け空間を持つリビング・ダイニングルームには2階梁と小屋梁が2段空中に飛んでいる。その上にサーキュレーションファンがあるが、よく見るとチリだらけだ。裏山の笹竹をとってきて空間ごと掃いまくった。ガラスもピッカピカに磨いて・・・。蛍光灯も換えて。神棚もきれいにした。正月飾りもOK。子供たちと一緒の作業はとても楽しかった。妻も大喜び。
2004/12/30
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日記一周年! DVDビデオ撮影! 引越し! 引渡し! 楽天日記は早一周年。いよいよ今年一年が終わろうとしている12月29日。当社の最終日だ。この日はとても大変な(充実した?)一日だった。 コーポラティブハウスに関係していただいている方々にDVDに出演していただくため集まっていただき撮影を行った。そうそうたるメンバー、・・・これってすごいことだな~・・・などと我ながら関心しきりだった。 事務所の引越し。スタッフも自発的に黙々と動いてくれた。新しいオフィスは、今までの大部屋と違いもったいないぐらいの充実した空間だ。にわか作りのセンターテーブル(1.8m角)とスタッフ用の7mの長机はさすが建築家(自画自賛)が作るだけあるできばえ! 本日は改装工事の物件の引渡日。楽天日記には登場していないが、色々あった物件だ。出来上がってみて、想像以上の出来に・・・感動!・・・
2004/12/29
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同じフロアにある事務所への引越しだが、しかし意識はさながらまったく異次元の世界への旅立ちのようだ。ここまで来れたのも奇跡のごとき思いで受け止めているが、奇跡が起きたのだからこれかも同じようにおきるに違いない、と思う身勝手な私だ。キャッシュフローは相変わらず厳しいにも関わらず、先々の見通しを期待されての入居審査会合格。これはもう人知を超えている。今年の総括として一言と言われれば、「神は間違いなく存在する!」それだけ奇跡的な人生を歩ませていただいている。これはもう感謝しかない。建築家としてクライアント(施主)の夢の実現を目指す。その建築家として認められることほどうれしいことはない。よき友を得て、よき仕事を与えていただいて、これが「幸せ」というものだろう。今まで過ごしてきたシェアードオフィスをスタッフと片づけながら、この2年を思い出していた。この2年間は一生忘れないひと時であることが分かる。起業という同志と出会え、共に歩めること。やはり得がたいものだ。生まれてきて、このような体験ができることを神に感謝、親に感謝する。新しいオフィスは、とてもクリエイティブな空間だ。神から与えられた空間であることを感じる。(素直な宗教心に目覚めたコムースであります)
2004/12/28
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昨夜は4人の友人が私の新オフィスが決まったと言うことで祝いの席を設けてくれた。(感涙)私は忘年会のつもりで参加したのだが、図らずもそのようなことで集まってくれていたとは・・・。持つべきものは友だな、と強く思った次第だ。私とは10も20も違うのだが、それこそ年の差などというのは微塵も感じない。(そう思っているのはもしかして私だけ・・・苦笑)5人で酒を酌み交わしていたとき、ふと子供のときに襲ってきたある感情を思いだし、これが私の夢見ていたことであり、今まさに実現しているのだな、と感じ目頭が熱くなってしまった。約40年も前のことだが、休みの日に家で過ごしていた私は急に孤独感に襲われた。「ほんとの友達はどこにいるのだろう・・・」そう思いだしたらいても立ってもいられなくなってしまった。もちろん家の廻り中友達だらけだったのだが、心底の友ではないことを本能的に感じ取っていたのだろう。その証拠に、現在、当時の連中とは一人も付き合いがないし、どこで何をしているのかさえ皆目分からない状況だ。子供のくせに考えすぎではあったのだろうが、この精神はこの歳になっても変わらないところをみると、例え10歳の子供であっても、すでに一生を貫く心根というのは持ちえるということなのだろう。その歳ではまだ、私と結婚して一生を共に過ごしてくれる人はどこにいるのだろう、との思いにはいたらなかったが、友に対しては強烈な自我が芽生えていたようだ。ちなみに結婚観を持ったのは高校のときだった。きっとどこかにいるに違いないと思ったものだった。夢の実現はとても大きな困難を乗り越えていかなければ成し遂げられるものではない。この4人の友はそのことを十二分に分かっているし、それぞれがどのような状況であり、どう頑張っているかをよく理解しあえている。ほんとに、テレビドラマに出てくる世界そのものだ。30年~35年前かな、青春ドラマがあったが、さながらそのような状況だ。大きな希望を胸にいだき、それに向かって突き進む。いや、実は強烈に生きたいというパワーの発露なのだろう。その延長線上に自分の夢を置いてさらに突き進む。人生とは(大げさかな)自分自身の生きる大義名分を見つめること?起業家はつくられるものではなく生まれつきのタイプなのだと思う。(私感)センスは勉強しても育まれないもの、生まれつきのものだ、と言われている。ということは、もともと起業しようなどとは思わないタイプもあれば、すきあらば起業(笑)という二つのタイプがあるということかもしれない。つまり、我々は、生まれつき、すいあらば(笑)タイプでありそんな者同士が集まっているからこそすべてを理解しあうことができるのかもしれない。私はもう孤独ではない。気が強いとか弱いとかの問題ではなく、絶対必要条件として友がいなければ人生が成り立たないのではないのか。そう思える。今はそれがはっきり分かる。友がいる限り、勇気百倍だ。決して頼っているわけではない。分かち合いというかな。良いことも悪いことも分かち合うことができるということが最高だ。それは年齢差を超越する。この夜の酒は格別だった。
2004/12/26
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本日、ソフトビジネスパーク島根のインキュベーション施設入居のための審査会があった。当社は昨年シェアードオフィスというブースに入居できたのだが、ここは創業を目指すものにとっての仮寝の宿という場所で、1年間の入居の後、必要があれば1年延長が認められる。当社はまるまる2年ご厄介になった。創業したての企業にとっては2年では短すぎる。さりとて、「そうですか、それではさらに延長してあげましょう。」などという甘い状況にはない。今回新たに入居を希望した施設は、同じ建物内の約15坪のレンタルオフィスなのだが、そこはとてつもなく遠い場所だ。入居要件がめっちゃきびしい。(チャレンジ~!)それにしても、今月一杯でシェアードオフィスを出なければならないというのに、審査会は12月24日。「もしダメだったらどうしよう!」心が張り裂けそうだった。少々のことではくじけない私でも、この間はほんとに辛かった。まして、本日の審査会の本番においての審査官の直球勝負の問いかけはほんとにたじろいだ。国民の血税で建てられた施設にそうやすやすっと入れるわけがない。故に、表面的なことでは通るわけがない。こちらも心底、理念をぶつけ通した。たじろぐ場面が多かったので、「これはやばいかな。」と弱気になったことも正直なところだ。しかしコーポラティブハウス事業は、国民の住まいづくりの選択肢としてどうしても提供しなければならないとの強い思いが込み上げてくる。この思いは自分でも分かるが、「本物」だ。だれもやらないのであれば私がやるしかない!この一念だ。今はまだ気付いていない人でも、「よくぞコーポラティブハウスを手がけてくれていてありがとう!」と誉めていただいている状況を思い浮かべながらの毎日だ。これしか自分を奮い立たせてくれるものはない。この思いがあるから、毎日の苦しい状況が克服でき前に進める。D&CM方式の住まいづくりも多くのクライアントの方々に声をかけていただけるようになってきた。私にとってのこれらの事業は、同じコミュニティ創出という理念に沿ったものだ。今がどういう状況であろうと、私はこれらを成し遂げ喜んでいただくことによって、必ず会社を軌道に乗せ成功する。と頭の中で思いをめぐらせながら、審査会が終わってからの午後のひと時を過ごしていた。福祉施設の工事監理に行き、打ち合わせの最中も実は心ここにあらずだった。そこへ、連絡が入った。見かねた関係者が協議の結果を知らせてくれたのだった。このまま来週まで時を過ごさせれば寝込んでしまうかもしれない(笑)という配慮からかもしれない。電話の向こうの声は低く静かに語り始めた。「内々ですが、結果は・・・・OKでしたよ」バンザイ! バンザイ!所員もとても喜んでくれた。早速関係先に連絡。 みんなも喜んでくれた。新しい施設への入居期間は3年間だ。コーポラティブハウスのサイは3年前に投げられている。いよいよ実行のとき。創業がどうのこうのという時期は過ぎた。後は、成就させるしかない!
2004/12/24
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ありがたいことに、最近お会いしていなかった不動産業をしている知人が地主さんを紹介してくれた。土地をなんとかしたいらしいのだが、「どうせなら社会的に価値のあるこの人のやっているコーポラティブハウス用に土地を提供したらどうか!」と勧めてくれたのだ。別に頼んだわけでもないし、ここ2年くらいお会いしていなかったのだが、先日も地元の経済誌に紹介されるなどしたためなのだろう。なにはともあれ、色々な方がコーポラティブハウスを意識していただくのは誠に結構なことだ。DVD制作もいよいよ佳境に入ってきた。出来次第に当社のホームページにもビデオを貼り付けようと考えている。新年から本格的に広報活動開始だ。世は間違いなくコーポラティブハウスの土壌ができつつある。
2004/12/23
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世は師走だというのにそんな状況にはない。盆にもそうだったが、季節は仕事上ではまったく関係ない。落ち着いて季節をかみ締める、ということももちろん大切だろう。しかし、そんな悠長なことを言っている暇はない。まして忘年会どころの騒ぎではない。24日は世間ではクリスマスイブ。しかし当社では、このインキュベーション施設に残れるかどうかの瀬戸際の日だ。審査会があるのだ。もしだめだったら、来年早々からどこへ行って良いか分からない。もちろん、審査会への準備は万端。プレゼンもしっかり行う。OKを前提に、今月末には新しい施設への引越しも予定している。一生懸命やってきた。たしかに創業ゆえの無謀さもあるだろう。しかし奇麗事では立ち上がっていかないのが起業だ。色々な方々の支援をいただきながらひたすら夢の実現に向けてまい進している。これだけは自信をもって言える。大きな事業としてのコーポラティブハウス事業もいよいよ勝負のとき。中国地方以西ではまだ存在していないコーポラティブハウス。創業したての企業が手がけられる事業ではない、というのが常識だ。しかし、コーポラティブハウスは絶対に普及しなければならない社会的な事業だ。既存企業だろうが、創業企業だろうが、誰かがやらなければならない事業だ。誰もやらないし、だれも突破口を開こうとしない。ならば、私がやるしかないだろう。小難しい理念は私が引き受けた。入居者の方々は体感としての幸せな生活を手に入れそこに浸っていただければよい。それがコーポラティブハウスだ。今、創業以来の大きな節目に差し掛かっている。
2004/12/22
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人と語らうときは色々なことを感じる。たまたま大勢の中で偶然に同業と会うことがあるのだが、そんな時、同業氏の有り様は、特に手にとるように感じ取ることができる。同業の連中は結構固い人間が多く(本人は固いと思っていないにちがいない)話していても疲れてしまう。だから嫌いだ。2ヶ月前にある催しで会った若き建築家は良かった。知識のひけらかしはないし、自然体の人間だった。でも確かなセンスを感じさせる人間だった。彼とは、「とにかく妥協せず、一作ずつ確実に創っていこうな。」と熱く語り合ったものだった。安藤忠雄氏も、会ったときぜんぜん偉そうにしないし、むしろ庶民的な平易な言葉で語りかけてくる。正直、昨日の同業さんはさほど話したわけではないが、疲れた。知識が私より豊富であることは確かなようだが、それで自分がどのような建築感をもって創造をしているのか、ということは伝わってこなかった。熱く語り合える相手ではないなと感じた。私自身がどう思われているかどうかは棚に上げてのことだが、要は、同業であろうとそうでなかろうと、熱く語り合えるかどうかの問題だ。それは、感性を感じることによって成立する。
2004/12/21
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この楽天日記を書き始めて早いもので1年が経とうとしている。日記を書きこむ理由は人それぞれだろう。くにび相互支援ネットくにびき相互支援ネットへの参加がきっかけだったのだが、途中で何度ももうやめようと思った。実際に、皆さんにお別れし日記を離れたことがあったが、アナログ(笑い)で、押し掛けてこられた方(方々)がおられまして、「やめるのはまかりならん!」などと攻め立てられたこともあり(今だから話せる)しぶしぶ復活した次第だった。それが良かったのかどうかは今も分からない。ただ、今までの人生にはない未体験ゾーンを進んでいることは間違いない。いよいよもって功罪については未知数だ。思わぬ方から「読ませていただいていますよ。」などと声をかけられると出雲人特有の恥ずかしさがこみ上げてくる。以前の日記にも書いたが、私の人生は会社の倒産から様変わりした。不幸のどん底かと思いきや、あきらめていた建築家としてこうして生きている。つまり子供のころから抱いていた夢が実現している。人生と言うのはドラマチックだな、いや、ダイナミックだなと思う。幸が不幸で、不幸が幸だ。つまり幸も不幸もないことが分かった。だからおびえる必要も悦に入る必要もない。所詮一寸先は闇だから。これは不幸という意味ではない。言い方は悪かったが、遠慮なしに色々おきるのが人生、そこから次のステップが始まるもの。残念ながら苦しい節目だって遠慮なしにやってくる。そんなものだ。恐がる必要はない。むしろラッキーだと思えばよい。子供はいつかは大人になる。今どっぷりと親に頼って生きていたって親は先にいなくなる。遅かれ早かれ自分で生きていかなければならない時がくる。むしろ刺激が多いほうがより先に進めるということになるようだ。倒産があったにもかかわらず、ビジョンが描けた。そのビジョンを示したら県のインキュベーション施設に入居できた。掲げる事業の成功を県がバックアップしてくれている。そして多くの仲間達との出会い。産学官の懇親会も主催している。総勢200名の仲間達だ。その中には公的機関の長の方も数多くおられる。そしてくにびき相互支援ネットの仲間達。みんなで参加した楽天日記。どれもこれもテレビドラマの世界のようだ。こんなことがほんとにあるのか、と思えるほど不思議な出来事ばかりだ。私は見た目は40代の前半(?)に見えるらしいが実際には51歳だ。自分でも若々しいと自覚している。というか30歳から精神が止って(笑い)いるのかもしれない。こんな人生が歩めるなんて実に幸せなのかもしれない。などと思いながら、今日も癖になってしまった楽天日記を書いている。
2004/12/20
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昨夜NHKの取材を受けた。それは、昨夜は、画期的な発明(開発かな?)をした私の友人が、その実際のものを創り上げ、その披露に招かれて行ったときに取材を受けたというものだ。私をはじめ論客ぞろい(笑い)で、総勢5人なのに取材は2時間以上にも及んだ。もっとも鍋を囲みながらの雑談を取材する状況であったので、最後のほうは取材人もカメラを置いてディレクター以下4人の方々も鍋に加わって語り合った。災害復旧住宅にも応用できるその発明品は、芸術的にも磨き上げることのできるほど理念としての完成度が高い代物だと感じている。必ず世にでるだろう。NHKも聞きつけて取材に来るくらいなので間違いない。1月8日(9日だったかな)に、この発明品についての45分間のドキュメンタリー番組が制作され放送されるらしいが、そこへしっかり登場することとなるらしい。建築家の立場で検証しコメントしたが、ディレクターが突っ込んできたので結構語った。取材が終わっての雑談の中で、様々なことについて語り合った。住まいづくりのこと、人間教育のこと、本物とは、職人文化は、などなど・・・。「長く語って申し訳ない。」というと、「大切なことなのでもっと聞かせてください。」とディレクター氏。町の中にこんな考え方をしてこんな活動をしている建築家がいることを分かってもらえただけでもラッキーかな、と思えた。友人に感謝!実際に設計事務所経営者として、創業真っ最中の身にとっては奇麗事でない日々が続いている。以前にも書いたが、「所詮、夢は夢でしかない。」という方は、夢でしかない夢が実現する。私は違う。「夢しか実現しない!」に従って生きている。奇麗事でない日々を希望をもって生きることができているのはこの夢の存在によるところが大きい。正直、取材どころではない。今月の資金繰りに追われている日々だ。しかし、資金繰りはできてあたりまえ。このことだけに心を捕らわれているようでは器が小さい。こんな中でも、理想に向かって突き進むことがいかにできるかが勝負だ。集中力だ。体力だ。精神力だ。このことを、取材を受けながら強く感じた次第だ。やはり、どんな状況でも大局をしっかり見つめていくことだ。私の創業は、私だけのためではない。私を待ってくれているクライアント(施主)のためだ。そして妻や子供達家族のためだ。一緒に同じ夢に向かって進んでくれているスタッフのためだ。などということをしみじみ感じたひと時だった。
2004/12/19
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近々松江市内の古書の店がなくなることになった。直接の原因は道路拡張によるものだが、そうでなくてもいずれそうなったであろう。昔の渋谷はよかった。界隈(かいわい)が楽しめる町だった。今時のちゃらちゃらしたガキどもはあまりいなくてとても雰囲気のあるまちであった。が、しかし、それでも町を楽しめることは、今もかわりない。バスセンター横の焼き鳥屋は東京に行けば必ず立ち寄るところだ。私は松江の中心に近い南の町に住んでいたので、北の松江城のあたりに広がる繁華街にはいつも遊びに行っていた。高校の頃は、日曜日ともなれば、南から北へ繁華街を通過しながら、喫茶店 - オーディオ店 - 本屋 - レコード店 - 古書店- 県立図書館 というルートを辿っていた。新書を見たあとで古書にふれ、最後は図書館という文学青年(笑い)だったのだが、図書館も小さな古書店には勝てない。その古書店がなくなるというのだ。それに、以前のように、繁華街を愉しむ風情がなくなってしまった。今の子供達がかわいそうだ。私の原風景は町の風景だった。今の子供達の原風景は? もしかしたら大型店舗のビニールの床と壁?
2004/12/18
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今週の日曜日に近場ではあるが出雲の国を廻った。普段は近い故に足が向かないところなのだが、名建築が目白押しの地域だ。今回は古代のかおりただよう出雲大社周辺を訪れた。(1)出雲大社の参道は2kmにも及ぶと聞いている。 ここは歌舞伎の祖、出雲お国生誕の地として知られ、毎年7月に 歌舞伎の顔見世が行なわれる。当代の名役者が勢ぞろいする。 (2)出雲大社境内 奥に神殿、手前にコンクリート造の庁の舎がある境内は、伊勢のような荘厳な雰囲気はない。いたって庶民的な場所だ。(3)出雲大社 庁の舎 建築家 菊竹清則の作品だ。日本建築学会賞受賞作品は今も そのすばらしさを伝えている。 2本のプレテンション梁にもたれかかっている壁は、はで木を イメージしているという。斐伊川の砂鉄を混ぜた建築は赤く 染まるはずだったが、いまだに現れていない。 (4)出雲大社の東隣りに島根歴史資料館なるものが建設中だ。 設計は、私の尊敬する建築家 槙文彦氏だ。 (4)出雲大社には私鉄の一畑電鉄があるが、出雲大社駅はなかなかよい建築だ。 (5)旧JR出雲大社駅 今は大社町に譲渡された建物は文化財として保存されている。 往時を思わせる佇まいがそこにある。 一昨年、日本居住福祉学会の早川学会長がこの地を訪問された 折に2日間お供をし、このJR大社駅にもいらっしゃった。 「駅は地域の福祉空間だ。廃線となり、駅舎がなくなったら 地域の年寄はどこへいけばよいのか・・・。バス亭では役目を 果たさない。」こう語っておられたがその前の週には北海道を 訪れて廃線の村々を訪ね歩かれたと言う。 自治体の長と会われたとき、口々に大切な場所がなくなったことを 感じておられたという。 (6)大社プレイス 建築家 伊藤豊雄 の作品だ。 伊藤の建築のなかでも優れた作品のひとつだろう。 撮影にあたって氏名を書かなければならなかったが、結構著名人 が訪れていた。 7月に安藤先生に来県いただきシンポジウムを行なったが、 できれば、この大社プレイスと庁の舎を訪問されたかったようだった。 (7)出雲ドーム 出雲大社に程近い簸川平野の中に建っている。 今は国会議員となっている岩国哲人氏が出雲市長時代に手がけた施設だ。 設計は鹿島とアメリカのHOK(ヘルムス・オバタ・カッサバーム) が共同案としてコンペに参加し当選したものだ。 HOKは日系のギョー・オバタがメインデザイナーとして活躍していたのだが、規模では、SOM(スキッドモア・オーウイングス・メリル)に続く大組織設計事務所だ。話を発展させるが、SOMは日本でいうと、さしずめ日建設計というところか。SOMの1970~1980年代を風靡したのはゴードン・バンシャフトらのスター軍団だったのだが、最近のSOMの建築家はよく分からない。
2004/12/16
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某ハウスメーカーから代理人弁理士名で警告書が届いた。私が使用していた「住まい塾」が商標登録してあるという。ならば仕方なし、ということでホームページから住まい塾の記載を一切削除し、住まい塾という名称の勉強会も一切行えないこととなった。法律に基づくことなのでいたし方あるまい。しかしどうも合点がいかない。私だけに警告書が届いているのはおかしいと、住まい塾東京本部へ連絡したが、やはり届いているという。某ハウスメーカーの商標登録が平成7年くらいらしいが、私の尊敬する建築家白井成一氏の弟子であった高橋修一氏がかれこれ20年前から住まい塾名で講座を開催し、全国に支部ができ、住まい塾の家なるものが全国に500戸あまりも建設されるにいたっている。一昨年、高橋修一氏のお許しを得て、かつ、励ましをいただいて松江において5~10人の住まい塾なるものを開催して来たのだが、某ハウスメーカーからの警告書は晴天の霹靂であり、高橋修一氏の長年にわたる実績より、後から申請された商標登録が勝るというのか?ならば明日「トヨタ自動車」という商標登録を申請しようか。もちろん冗談だが、もしトヨタが登録していなくて、私の登録が受理されたらトヨタは企業名を使えなくなることになる。そんなはずはない!(と思うのだが)登録時にほかでポピュラーに使われているものをそう簡単に受理されるものなのかどうか?当時の某ハウスメーカーの商標登録申請自体がおかしかったのではないのか?そんな疑問が湧いてくる。もちろん私は疑義を唱える立場にない。第三者的な疑問なのだが・・・・ホームページで検索してみると、全国には数多くの住まい塾が存在する。その一つ一つが、よりよい住まいづくりをめざしたけなげなものばかりだ。そのすべてに警告書を送ったのだろうか。高橋修一氏の住まい塾が一番気になるが、建築士会主催のものもある。もしかすると日本建築学会をも巻き込む問題に発展するのではないかと思うのは考えすぎだろうか。疑問だらけの商標登録だ。某ハウスメーカーの当時の代理人弁理士の話を聞いてみたいものだ。
2004/12/12
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コーポラティブハウスはデベロッパー(販売業者)がいないので、広報の予算があるわけではない。従って、企画をどう伝えていくのか、どうのように参加者を募集していくのか、それが問題だ。一方で、本当によいものでなければ伝わらない、ということもある。よいものは口コミで広まる。これも真なりだ。よき仲間の発案を受けDVDを作成することにした。たくさんの方々に口コミいただけるためには、この企画のすばらしさを何としてでも伝えなければならない。抜群のロケーション、他に類を見ない広さ、ローコスト。自由設計。「コンセプトは正しい。正しいものは必ず伝わる!」と。背中を押していただく方もある。私自身、建築家として、総合コーディネーターとして、よりよきコミュニティ(よりよい住環境)の新たな創出という目的の責任ある実現のためには覚悟を決めて進まなければならない時もある。3年前の私一人が「コーポラティブハウスの実現を!」と叫んでいる状況ではない。今は、この事業の実現の有用性を評価され島根県の公的機関(インキュベーション施設)に入居できているし、私の周りの方々はコーポラティブハウスを認識していただいている方が相当数に及んできたこともあり、現実に入居を決められた世帯もでてきた。いよいよ実現のとき。よき仲間の提案で、よきプロの結集によってよきDVDが出来上がることだろう。多くの方々が、「私たちが求めていたのはこれだ!」と喜びの声を上げていただけることを夢見ている。
2004/12/11
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本日は建物定期点検を実施した。 D&CMの各専門職メンバーと3物件ほど廻った。建具の不具合は即直った。構造金物は後日本格的に締めなおすこととした。どこも木の香のかおるすばらしい室内環境だった。伊藤皮膚科クリニックが最初だったが、先生いわく、「そこぶる良好!何もいうことはない!」ということだった。何にしてもクライアント(施主)と再会できることが何よりだ。また一層信頼感が増したことだろう。とにかく、ひとつひとつ、毎日毎日のこつこつの繰り返ししかない。クライアント(施主)はどなたも工事中は期待と不安の入り混じった気持ちだ。かく言う私も住まいの新築時には同じ思いをしたものだった。だからよくわかる。頭の中に描いているものと、実際につくりあげられていくものと一致させていくのが大変だ。しかしながら、ほかの住宅建築と違い、各項目ごとにコンセンサスをとりながら進めるので安心していただくことができている。最初の段階はどうしてもしようがない。建物が完成して、定期点検に伺ったときには、とても満足していただいている様子にうれしさがこみ上げてくる。どの物件も必ずそうなる。いや、そうしなければならない。
2004/12/09
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築99年の商家のビフォア アフターがスタートする。写真家植田正治の写真集にも載っている由緒ある松江市内の商家だ。 今週末に現況を記録するためビデオ撮影を行うが、完成時にもアフターとなるビデオを撮影する予定だ。予断だが、みんな疑問を持っているテレビ番組について・・・建築家に頼み家を改造していく、という番組だが、私は日曜日も仕事をしているのであまり見る機会は少ないが、どうもこのような番組の組み立てのようだ。建築家に依頼し、工事が行われ、完成してはじめて見て、涙を流して喜ぶ、というシチュエーションのようだ。そんな訳ないでしょう!建築家に依存しきってしまう人などという方にはお会いしたことがないし、それに、あんな低予算であれだけの工事をしていただけるのなら、私の仕事も是非依頼したいものだ。ま~、やらせの番組のことはこれ以上はやめよう。築99年の商家に初めて足を踏み入れたときに、家は多少傾いていたが、その構造体はしっかりしたものだった。相談を受けたときに即座に改造ということで気持ちを固め、そのように提案した。私はあえて歴史を感じさせる色を 抜こうと考えた。もともと持っている素材の色を99年ぶりに出してあげようと考えた。通常の古民家再生では古い色を残すことが通例だ。したがって、この計画を明らかにしたとき回りからは「それはおかしい」ということを言われた。これも私に言わせれば固定概念だ。どっかの建築家がやったことが雑誌に出て、それが一般常識として定着する。ただ思い込んでいるだけなのだが・・・。私の中には固定概念はない。建築家として、私に与えられた仕事はすべて新たなものであり、新たな発想で立ち向かっている。発想こそが勝負であり、他人の発想をそのまま使ったり、創造という努力に対し怠け心が出てきたら、そのときには私自身、建築家としての価値を失うときだ。決して奇をてらう仕事をしようというのではない。その建築に一番ふさわしいものを導き出す仕事をしなければならない、ということだ。それに過去がこうだった、という既成概念は邪魔なのだ。とにかく創造の実践あるのみ。
2004/12/08
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最近ようやく評判が良くなってきた 「湖畔の集合住宅」 10階建て案にしてからというもの、「コーポラティブハウスらしくない!」などと言われた湖畔の集合住宅。2年前に計画した湖畔の集合住宅の初期案は、斜面にそった段状住宅となっていたが、これこそがコーポラティブハウス、というイメージが強烈に入っていたらしい。このことからも、一般の方々が企業からのコマーシャルを情報と思わされるであろうことを端的に物語っているように思う。私の初期案(段状住宅)のイメージは、コーポラティブハウスはこういう設計をすべし、という決まりがあって計画したわけでは決してない。土地の形状がたまたま段状住宅に向いているのでそうしただけだった。いわば私の趣味みたいなもの。それが廻りの方々のイメージになってしまうのだから恐い。そもそもコーポラティブハウスは、新たなコミュニティの出現ができるものであり、土地の状況により形はアメーバーのごとくに変化するもの。都心の真ん中につくる場合は、自然共生型、などということは言わず、土地の高度利用ということで高層にすることだってある。そのためにコミュニティができないなどということはない。当社は新聞広告を継続して出しているが、12月と1月はコーポラティブバージョンで掲載することとした。昨日原稿があがってきたがなかなか良い。このところ、湖畔の集合住宅の評判がすこぶる良くなってきた。最初は一般のマンションと見分けがつかず今一だったが、識別回路がインプットされたとみえて評価してくださる方が増えてきた。新聞広告を見て、ホームページにアクセスしていただければ、確信にふれること間違いなし、というシナリオだ。色々努力をしているが、どれだけニーズ層に情報が届くかが勝負だ。以前にも書いたが、30坪マンションと同じ値段で50坪コーポラティブハウスが手に入る。どう考えたって勝負ありだ。おまけに既製品の住宅ではない。完全自由設計だ。私が内部設計をクライアント(施主)と一緒に創り上げていく。まったく一戸建ての住宅感覚なのだ。それがマンション並みのリーズナブルな価格帯で手に入るというもの。自分で言うのもなんだが、こんな住宅二度と手に入らない代物だ。生意気な言い方になるが、もし後でその本質に気づかれた方はおそらく後悔されるに違いない。なんとしてでも気づいてほしい。まずは新聞広告。とにかく努力を重ねよう。あくまでクライアント(施主)のために。
2004/12/07
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すべてを抱え込むことが使命、だから経営者は孤独 これは当たり前といえば当たり前の話しだ。すべてのことに責任をとるためには、すべてを抱え込まなければならない。私の日々の活動は概ね以下の4つに集約される。 (1)長期・中期・短期にかかわる戦略的(言葉はわるいかもしれないが)な 理念の構築と具体的な施策の展開。 現在は、D&CM方式事業とコーポラティブハウス事業。(2)現在進行中の物件の業務の遂行 建築家としての職制(3)すでに完成した物件とクライアント(施主)への保守業務(4)組織運営のキャッシュフロー運営 これらのすべての責任がとれるのはトップの経営者だけだ。今月の資金繰りの話をしながら5年先の企画の提案をし、現在進行中の物件の打合せを行い、以前完成した物件の保守を行う、などということはもちろん日常茶飯事。私自身の建築家としての理念が根本であり、行動指針になっており、当社の会社カラーもそのようにイメージいただけるようにと考えている。それは、「コミュニティの新たな創出を行なっていく」というものだ。よきコミュニティとは建築的には、子供達にとっての原風景となりえるような芸術性の高い建築の創造であり、人と人とのよりよき交流を図っていくこと、と捉えている。特にこれからのあるべきコミュニティは、昭和30年代までは確かにあった界隈(かいわい)を現代建築で実現していくことであろうと考えている。D&CMもクライアント(施主)と職人との直接の会話対話、コーポラティブハウスは住民同士の会話対話によってよきコミュニティが自然のうちに形成されていく。途中では色々なことがあるだろう。しかし、絶えず接触していけば、最後は必ずよい結果を導ける。私は建築家として、その道先案内人になっていければと思っている。
2004/12/06
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嵐の住宅フェアだった。 何が幸いするのかわからない。ほんとに神様はいるのかもしれない。そう思える一日だった。 午前10時前に会場到着。・・・テントがない?昨夜の強風でテントが飛んでしまったと言う。私のテントは市役所の本部テントの隣りであった。しかし本部テントしかない。 私のテントは?よく見るとそこにあるのは私のテントだった。他のハウスメーカーや本部テントはことごとく飛ばされてしまったという。米子空港のすぐ近くなのだが飛行機が飛んでない。この風で欠航にでもなっているのかな。東京では風速40mというし。そんな状況の中、もう住宅フェアどころではない。だれもがそう思っていた。市役所の担当官と話し合い、私のテントで、本部と私とドッキングすることになった。正直、展示パネルの大半を外さなければならない。これはこまったことになった。PRできない。 そう思った。なんとかしなければならない。そこで、本部受付でアンケートを書かれるのを覗き、可能性のある方にチラシと名刺を渡しPRする作戦に出ることにした。とはいうものの、この暴風雨。「来るわけないだろう!」誰もがそう思っていた。来られました・・・暴風雨の中を。本気な方たちは来る。それに気付いた。二日間の合計は確かに少ない。しかし、確実に住まいづくりを考えている方々ばかりだった。しかも本気で。私は一生懸命話し掛けた。「ここで一緒に自然共生型のコーポラティブハウスを創りませんか。」非常に感心を寄せていただいた方が十数人おられた。これがすなわち参加人数、というわけでは決してない。そんなにあまくない。他の展示場もしっかり見られたことだろう。どこでも住所氏名を書かれる。これから営業マンの夜討ち朝駆けが始まる。12時間以内?24時間以内のアプローチ作戦開始だろう。こちらは建築家。そのようなテクニックは持ち合わせてはいない。しかし、明日には、話をお聞きいただいたお礼状、コーポラティブハウスのもう少し噛み砕いた説明文を一緒に送ることにしている。市のスタッフも顧客になりえるのでしっかり観察していたのだが、私の説明を聞いてコーポラティブハウスへの感心がかなり高まったように感じた。とにかく、最初に書いたように、一同が、これでよかったんだ。そう思える二日間だった。そして私と市役所との共有の理念はますます強固なものとなった。
2004/12/05
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雨の住宅フェアとなった。 午前中はそれでも曇りだったので、立ち寄る方がいた。最初の家族は乗り気だった。しかし、少し前に家を購入してしまったという。「なぜもっと早くやってくれなかったの。」と叱られてしまった。本日は申し込みがあったり、説明が聞きたいと言われたわけではないが、市の職員ともども、「これはいける!」という感触をつかんだ。感というものでしかないが、今はまだインプットされてない状態であるだけで、自然共生型のコーポラティブハウスの情報が回路に埋め込まれれば一気に申し込みとなるだろう。最初の一組目の奥さんの顔が忘れられない。かわいそうなことをした。(もっともどうしようもないことだが)もっと早くに広報活動でも出来ていたらほんとによかったのに。「みんなで町をつくるのね。いいわね。私もこんな町に住みたかった・・・」今は午後10時。今もこの言葉が頭から離れない。明日も雨。きっと立ち寄る方は少ないだろう。今日のように、雨の中を来場者のクルマまで行って、とにかくパンフだけでも渡しまくろう。夢の実現。 住まいは一世一代の事業。夢の実現事業。こんな選択肢もあることを一刻も早く知らせなければ。
2004/12/04
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明日と明後日は住宅フェアにて、コーポラティブハウスの発表! いよいよフェアが明日に迫った。建築家が、ハウスメーカーの住宅展示場のど真ん中でコーポラティブハウスの発表を行なう。前代未聞だ。なぜなら、既製品の住宅営業のど真ん中で、完全自由設計の大切さを訴えるからだ。まして、D&CM方式の建設方式のPR。工務店やメーカーではなく、職人と直接契約していく方式。しかし、なんといっても大事なのは、コミュニティの創造だ。なにも固い意味ではない。知らないもの同士が協力して住まいや周辺環境づくりに知恵を出し合っていけば、いつのまにか仲のよい同級生みたいな間柄となる。その人たちと一生近所づきあいをしていくのだ。 そんな夢をたくしたエイコーンパークタウン。自然共生型のコーポラティブハウス。どんぐりの木に囲まれて、豊かな自然を感じながらの生活だ。
2004/12/03
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全国の自治体初の事業! コミュニティ創出事業。 本日、鳥取県境港市の中村市長にお会いした。いよいよ全国の自治体初となる事業がスタートする。境港市は、ゲゲゲのきたろうの作家、水木しげるの出身地だ。昭和30年代を彷彿とさせる商店街は妖怪のブロンズ像が並び、「水木しげるロード」として全国に有名となった。この町を訪れる観光客は、年間に90万人におよぶ。このように、果敢に挑戦するのが境港市の特徴だ。この町に「夕日丘」と名付けられた団地がある。数万坪におよぶ団地は、全国にあるような整然と区画された街区となっている。市長とは、コミュニティの新たな創出が大切であることを語り合ってきたものだが、境港市のこの夕日丘に、コミュニティ創出のための特区としてのコーポラティブハウスゾーンを設けてもらうように提案した。 コーポラティブハウスは、参加者が先でも、土地が先でも、どちらも土地の扱いが難しい。それは民間の土地であるからだ。コーポラティブハウスは時間がかかる。地主が早く売りたい場合は時間切れとなることも多い。その点、官が地主の場合は、心置きなく安心してできる。今問題なのは、既存の町のコミュニティが崩壊傾向にあること。新しくできた団地も塀で囲まれ、防犯的にはむしろ危険な状態となっている。コミュニティ崩壊により、子育ての時期の孤独感や老後の孤独感が社会問題となっている。「市長、立ち上がりましょう!」市長は大きくうなずいてくれた。今回の私が行なうコーポラティブハウス事業は、コミュニティ創出可能性調査事業と位置付けられた。この事業の経緯により、来年3月の、市長の施政方針の中に盛り込まれることとなる。「全国の範となるコミュニティ創出事業を立ち上げる。」そして、全国発信を目指す。私はこう申し上げた。 「 境港市はいずれ全国に門戸を開く。 コーポラティブハウス事業を通してコミュニティが創出 できることを証明する。広く門戸を開きコーポラティブ ハウス事業を行ないたい方々を迎え入れる。 」私は、自分のためだけに提案したのではない。建築家のなかで、コーポラティブハウス事業で社会貢献したい方は喜んで迎え入れる土壌をつくりたい。夕日丘の現在は荒涼とした佇まいとなっている。ここを緑の杜へと進化させて、そこにコミュニティあふれる界隈(かいわい)を創り上げる、というコンセプトを与えた。 いつか、全国から建築家・コーディネーターが訪れ、このコンセプトのもと、ゆたかな町を共に築き上げてくれることを期待している。今度の土日、12/4、12/5の両日に住宅フェアが開催される。ここで初お目見えだ。別に宣伝しているわけではないので、手探りのスタートとなるが、まずはやってみなければ・・行動しなければなにも始まらない。コンセプトはできた。発表の場もできた。後は訪問販売のごとくに草の根運動的に呼びかけていくしかない。この日記をご覧になって感心を持たれた方は是非ご来場いただきたい。 夕日丘エコ・ビレッジへジャンプ
2004/12/01
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