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法華八講の「五巻の日」、二條院寝殿の母屋には本尊・普賢菩薩像が安置され「薪の行道」が行われています。この場面は最初にご紹介しました。
寝殿を左側に進み、西面から 「塗籠 (ぬりごめ)
」を眺めたのが冒頭の写真
です。
そこはこの法華経千部供養の主催者である 紫の上の座
となった場所です。
紫の上 は 小袿 (こうちぎ) 姿 で行道の声明に耳傾けています。
小袿は身丈ほどの袿で、高貴な女性が平常に着た晴れの装束だそうです。「裳唐衣 (もからぎぬ)
を省略した場合に着用されることがあり、平常着でも礼装的な意味合いがもめられていた」といいます。
小袿は「梅かさね・葡萄 (えび)
色小葵 (こあおい)
地紅梅文」、表着 (うわぎ)
は「今様色かさね・今様色地白桜散らし文」といういでたちです。 (資料1)
今様というのは当世風という意味ですから、そのころ流行の色かさねでありデザイン文様だったのでしょうか。
周囲にはそれぞれ異なった色目のかさね装束で女房達が居並んでいます。
寝殿の北廂に目を移しますと、
そこは 明石の御方の局 となっていて、 明石の御方と匂宮(5歳) が居ます。
薪の行道で法華経讃嘆の声明の声がやがて途絶え、静寂が訪れます。
「紫の上はしみじみと寂寥をお感じになるのでした。まして御病気がちのこの頃では、何につけても、ひしひしと心細さばかりが身にしみて感じられます。明石の君に、三の宮をお使いにして申し上げます。」 (資料2)
というくだりです。
紫の上が、今上帝の第三皇子つまり匂宮を使いにたてて、明石の君に和歌を贈るのです。匂宮は明石の君の娘である明石の中宮が産んだ子ですから、明石の君には孫になりますね。
明石の御方は受け取ったばかりの紫の上の贈答歌を読んでいます。一方、匂宮は明石の御方が返歌を認めて、その歌を託されるために控えているという場面でしょう。紫の上に返歌の文を届ければ、お使いが完了ということになります。
匂宮の後の几帳をはさみ、その背後に女房たちが控えています。これらは「女房装束に見るかさね色目」の展示です。後でも再びでてきますが。
左の衣裳は「花橘かさね」、右の衣裳は「藤かさね」
「緑である橘 (たちばな)
の木が、春を迎えて色濃く葉が色づき、初夏には白い花が咲き、やがて朽葉 (くちば)
色の実を実らすという。橘の木の一年を通して表したかさね色目。着用時期旧暦4月~5月」 (説明パネルを転記)
「藤の花の色づいた紫の濃き薄きと、新緑の葉の美しさを表したかさね色目。古来、藤は松に絡みかかって咲いている姿が鑑賞された。着用時期旧暦4月頃」 (説明パネルを転記)
北廂の襖障子と屏風で仕切られた 北隣が花散里御方の局 となっています。
「法会が終わって、女君たちがそれぞれお帰りになろうとされる時にも、紫の上は、これがこの世での最後の別れのように思われて、人知れず名残が惜しまれるのでした。花散里の君に、
絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる 世々にと結ぶ中の契りを
と歌をお届けになります。」 (資料2)
紫の上の贈答歌に対して、 花散里御方
が返事としての返歌を認めている場面です。
展示の場面や衣裳については、展示説明としてのパネルがその場面と対応する形で置かれていますので鑑賞するには便利です。かなり詳しく書かれていますので、展示場面とともに、当時の行事、衣裳などのことが具体的に学べます。ミニチュアの実物を見ながらですので親しめます。
これらは 「女房装束に見るかさね色目」の展示
です。
この女房の衣裳は 「松かさね」
「松は常磐木 (ときわぎ)
でめでたさに通じるので、四季通用・祝いに着る色として使われた。五葉松 (ごようまつ)
は正月の子 (ね)
の日の小松引きなどに使われ、多く古典に登場する。松は常緑であり長生の木とされたため、それにあやかろうとした行事で小松から根を引き抜いて健康と長寿を祈った子の日の遊びは、『ねのび』(『根延び』を掛ける)とも言う。千歳に変わらぬ常緑葉の萌黄色の美しさと、雌花の蘇芳色に子孫繁栄を表したかさね色目である。」 (説明パネルを転記)
左の衣裳は「紅の薄様かさね」、右の衣裳は「萌黄の匂かさね」
「『薄様 (うすよう)
』とは、白色まで薄くしてぼかした配色のこと。紅の模様は、紅色から白色へぼかしていくグラデーションのかさね色目である。春夏秋冬祝いに着る色」 (説明パネルを転記)
「『匂 (におい)
』とは、同色の濃淡でぼかしていゆく配色のことである。萌黄 (もえぎ)
の匂という場合は、濃き萌黄色から薄い萌黄色までのグラデーションのかさね色目である。春夏秋冬、祝いに着る色」 (説明パネルを転記)
寝殿北面の孫廂には、 「局・女房の日常」についての場面
が展示されていました。
ここも毎回テーマが変更され、展示替えが行われています。東側から眺めていきましょう。
まずは、曹司 (ぞうし)
とも呼ばれる「局 (つぼね)
」で行われている場面の一つ。
二人の女房が行っているのは 「綿入れ」
です。
櫃( ひつ
:衣装箱)に綿をひきかえて綿入れの用意をしている様子だそうです。
『満佐須計装束抄 (まさすけしょうぞくしょう
』という有職故実書が平安時代後期にまとめられています。その書の女房装束のかさね色目の段に、「十月一日より練衣 (ねりぎぬ)
綿いれて着る」と記されているとか。 (説明パネルより)
年中行事として冬の更衣(ころもがえ)は10月1日でした。「宮中では装束類は内蔵寮 (くらづかさ)
から、調度類は掃部 (かもん)
寮から奉られ調えられた。この日を旬の儀としt群臣に御酒を賜い、宴が催される」という日だったそうです。 (資料3)
『源氏物語』「野分」の巻の終わりの方で、源氏が玉鬘のところから、東の花散里の君のところに、訪ねていくというところで、次の描写があります。
「野分の後の、今朝方の急な肌寒さに思い立った家事仕事なのか、裁縫などしている老女たちが、女君のお前に大勢集まっています。細櫃のようなものに、真綿を引っかけて、手で扱っている若い女房たちもいます。とてもきれいな朽葉色の薄絹や、濃い紅梅色の、またとないほど美しい艶を、砧で打った絹など、そこらにひき散らかしていらっしゃいます。」 (資料4)
黄菊かさね」
「菊は花盛りに厄除けの花として愛でられたのち、『移ろひ盛り』といって盛りが過ぎた色が赤紫に変色した折と、二度愛でられる。その黄菊の移ろう様子を表し、四季の花の霊験を願ったかさね色」 (説明パネルを転記)
「局」は、「宮殿内の区画された部屋。宮廷に仕える女官の居室となった。曹司」 (『日本語大辞典』講談社)
つまり、女官の私室です。そこから、曹司を持つ女官自身のことを局とも称するようになったのです。ここは私室の区画ですので、壁や襖障子、妻戸・遣戸などで仕切りが施されています。
右隣の局では、 「伏籠 (ふせご)
」を使う女房
の場面が展示されています。
女房は 衣服に香を焚き染めるという仕事
をしています。前回ご紹介した「火取」の上に竹製の籠が伏せられます。これが伏籠です。その上に衣服を掛けて香を衣服に染み込ませるのです。
「直接男女が顔をあわせる機会が少なかった平安時代、趣味の良さを相手に伝える手段としての一つが香であった為、自分の好みに調合した香を燻らすことはとても重要なことであった」 (資料1)
といいます。
尚、『源氏物語』「若紫」の巻には、伏籠を全くちがう目的で使ったエピソードがでてきます。どちらかというと、こちらの方がピンときそうですが。
”「どうしたの。子供たちと喧嘩でもなさったの」
と言いながら、尼君が見上げた面ざしに・・・・
「雀の子を、犬君 (いぬき)
が逃してしまったの、伏籠の中にしっかり入れておいたのに」と、女の子がさも口惜しそうに言います。” (資料5)
そうです。この女の子が若紫なのです。
源氏が惟光 (これみつ)
と二人だけで、夕靄にあたありが霞んでいる頃、小柴垣のあたりに出かけて、そっと覗いて眺めている場面です。
吊衣桁 (つりいこう)
に衣服が吊され、その前に「吊香炉 (つりこうろ)
」が吊り下げてあります。毬香炉 (まりごうろ)
とも呼ばれるようです。これも香を焚き染めるための道具です。「この吊香炉は二重のジャイロスコープによって、炉の水平を保つよう工夫された香炉で、後世の龕灯 (がんとう)
に見られるような造りであり、小さいものは袖の中で香を焚きこめるものとして使われ」 (資料1)
ています。
『源氏物語』「真木柱」の巻には、玉鬘のことで気もそぞろになっている鬚黒の大将が、玉鬘の許に行きたい気持ちがつのりはやって来るときの場面を次のように描写しています。「わざとらしく溜め息をつきながらも、出かける衣裳に着がえて、小さな香炉を取り寄せて、自分で袖に引き入れて香を薫きしめていらっしゃいます。」 (資料4)
この2枚は「伏籠」を使って仕事をしている 部屋の両側
です。
左の写真には、壁際に几帳や別の吊衣桁が置かれ、脚の付いた黒塗りの唐櫃 (からびつ)
がおかれています。これは雑具や衣類・禄など様々なものを収めるために利用されたようです。衣桁は衣架( いか
、御衣掛 みぞかけ
)とも称され、実用性とともに、装飾的な意味合いも大きかったそうです。 (資料3)
右の写真の襖をご覧いただくと、ミニチュアの襖に合わせてきっちりと絵が描かれています。
これは 平安時代の美人の条件とされた「黒髪」の手入れをしている場面 です。
左の写真は
、女房の身嗜みとして 、髢 (かもじ)
をつけている場面
だそうです。
髢は「hairpiece(ヘアーピース)」と説明パネルに英訳されています。
辞典を引くと、「髪を結うとき、添えて用いる髪。江戸時代に女髷 (まげ)
が複雑になり一般に普及した。入れ髪」 (『日本語大辞典』講談社)
と説明しています。黒髪を背に長く垂らすだけの場合どのように髢をつけたのでしょう・・・・。
右の写真は
、 縮れ毛を櫛で真っ直ぐに調えている場面
です。
説明パネルは日本語では「縮れ毛」と付記しているだけですが、次の英文説明が記されています。
A young lady make her servant straighten her frizzy hair.
長い黒髪が美の基準として賞賛された典型で有名なのが 『大鏡』巻二の左大臣師尹
( もろまさ
、920~969)に記述されている「息女、宣耀院 (せんよういん)
の女御に対する君寵と、女御の聡明ぶり」に出てくる話です。
「この大臣のご息女は、村上天皇の御時の宣耀院の女御[芳子さま]で、ご容貌が愛らしくて、おきれいでいらっしゃいました。参内なさろうとして、お車にお乗りになったところ、ご自分のおからだはお車の中にいらっしゃいましたが、お髪の端はまだ母屋の柱のもとにおありでした。そんなに長いお髪でしたので、その一筋を檀紙の上に置いたところ、その紙が一面に黒くなってまったく隙間もお見えにならなかった、と申し伝えております」(資料6)檀紙とは「陸奥で産した紙で、肉が厚く、面に細かく皺がある」そうです。 (資料6)
『源氏物語』「帚木」の巻は、「雨夜の品定め」の中で、左馬の頭が「そうかといって、ただもう実直一方で、いつもぼさぼさ紙をうるさそうに耳にはさんで化粧もせず、なりふり構わぬ世話女房が、家事にかまけきっているのも、困りものです」 (資料5)
と、髪について触れています。
また、法華経千部供養に関連しては、「御法」の巻で紫の上が亡くなった時の場面でも黒髪のことが描写されています。
「亡骸のお髪 (ぐし)
がただ無造作に投げ出されておありなのが、いかにもふさふさと豊かで美しく、ほんのわずかな乱れもなくて、この上なくつやつやときれいな風情でした。何かと見繕いしていらっしゃつた御生前のお姿よりも、今はもうどう嘆いて見えも、いたしかたない御様子で、無心に横たわっていらっしゃるこのお姿のほうが、申しわけもなくお美しいと言っても、今更めいて聞こえます。」 (資料2)
死の直後においても、黒髪を綿密に描写しているのです。やはりそこに美の極致を見出していた時代なのでしょう。
余談ですが、3年前に、平松隆円著『黒髪と美女の日本史』(水曜社)という書を読んだことを思い出しました。読後印象記を別のブログで載せています。
『源氏物語』には、黒髪に関連した記述が各所に出て来ます。例えば、「帚木」の巻では尼の髪に触れていますし、「末摘花」の巻では、髪が顔に垂れかかった様子を源氏が評しています。「初音」の巻では、髪の衰えが目立つ花散里を見た源氏が心に思うことを描写しています。また、国宝『源氏物語絵巻』の「東屋一」には、中君の髪を女房が梳いている場面が絵の一部として描き込まれています。
つまり、それだけ黒髪を重要視していたということです。御簾から簀子に意識的に出された衣裳と黒髪の一部が、美的センスと美そのものの評価対象になったのでしょう。
この黒髪の場面の写真を改めて見つめると、御簾の傍の二階棚には、少なくとも火取と泔坏 (ゆするつき)
、打乱筥が置かれていることがわかります。
女房衣裳やかさねの色目についての知識が乏しくて、充分にご紹介できないのが残念です。
これで一通りざっと春の御殿を舞台に繰り広げられてた企画展示を鑑賞した記録の整理を切り上げます。
風俗博物館にはまだ、ご紹介すべきものが展示されています。
つづく
参照資料
1) パフレット「源氏物語 六條院の生活 風俗博物館」 平成28年~展示 同館作成資料
2) 『源氏物語 巻七』 瀬戸内寂聴訳 講談社文庫 p252-283
3) 『源氏物語図典』 秋山 虔・小町谷照彦 編 小学館 p46-47、p178
4) 『源氏物語 巻五』 瀬戸内寂聴訳 講談社文庫 p111-112, p208
5) 『源氏物語 巻一』 瀬戸内寂聴訳 講談社文庫 p68, p248-251
6) 『大鏡 全現代語訳』 保坂弘司訳 講談社学術文庫 p174-175
補遺
風俗博物館
ホームページ
源氏物語の世界
ホームページ
源氏物語絵巻
:ウィキペディア
第2回 日本独自の化粧文化へ
:「ポーラ文化研究所」
<研究ノート> 黒髪の変遷史への覚書き 平松隆円氏
黒は女を美しくする!!海外でも日本でも永遠の【黒髪】ブーム
:「ギャザリー」
「遊心逍遙記」というもう一つのブログで、 『黒髪と美女の日本史』 平松隆円 水曜社
の印象記をまとめています。お読みいただければうれしいいです。
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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