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2023.02.14
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カテゴリ: 観照
=== 2023.2.2 ===

9時40分頃に撮った南の空 です。グレー一色のくもり空。
南西方向の空
西方向の空

東方向の空 だけが、雲らしい姿でどんより曇っています。


12時10分頃の東方向の空 。雲の厚みが増した感じです。
南の空
明瞭な濃いグレーの雲の姿に変貌。太陽はグレーのベールのかなたに。
南西方向の空
西方向の空
                    一日、曇り空でした。

=== 2023.2.3 ===
南の空
9時50分頃に 撮りました。この日も曇り空で始まりました。
南西方向の空
西方向の空
        南の空から西方向の空にかけては、厚いグレーの布が空を覆っている感じ・・・・

東方向の空 だけは、稜線の上にグレーの横雲が留まっている様子が見えます。


14時半頃に撮った東方向の空 は、雲の姿が布を広げたように変化していました。
南の空
南西方向の空
西方向の空
             2日に続いて、曇天の一日となりました。

さて、雲がたりのつづきです。
『新古今和歌集』巻第十八 で抽出した歌の中から一読して歌意が理解しづらい歌を選び、歌意を解釈してみます。順次巻を進めます。

都より雲の八重立つおく山の横川の水はすみよかるらむ     天暦御歌  1716
ももしきのうちのみ常に恋しくて雲の八重立つ山はすみ憂し   如 覚    1717

それぞれの歌意は比較的判りやすいのですが、詠まれた歌の位置づけがわかりづらいのでまず二首を併載します。
前者の歌には 、「 少将高光、横川に上りて頭おろし侍りけるを聞かせ給ひ 」という詞書が付いています。少将高光とは藤原高光で三十六歌仙の一人。「聞かす」は聞くの尊敬体でお聞きになる。聞いた人が「天暦」。天暦とは調べてみますと、村上天皇です。
後者の歌には 、「 御返し 」と詞書がついていますので、二人の間の歌のやりとりです。つまり、如覚は藤原高光の法名です。  (資料1,2)
(都から離れ幾重にも雲が立ち上がる奥山の横川の里は水が澄み、住みやすいことでしょう)
(宮中の事のみいつも思い出し恋しくて、幾重にも雲がたつ山は住みづらいと思っております)

天つ風ふけひの浦ににゐる鶴のなどか雲居にかへらざるべき   藤原清正 1721

この歌も「殿上離れ侍りてよみ侍りける」という詞書を詠むことで、詠まれた歌に隠された作者の心情がわかります。宮中の殿上にのぼることを許されていた藤原清正が、宮中を離れ地下として紀伊守になっていたときに詠んだ歌のようです。
「ふけひの浦」は、和泉国にあり紀伊にも近いと言います。「天つ風」は、空を吹く風。「ふけひ」の序だそうです。
(風が吹いている吹飯の浦にいる鶴は、どうして大空に飛び立ち帰らないはずがあるだろうか。きっと空に戻っていくだろう)
歌の背後には、清正が再び殿上人に戻れることがあるだろうという思いが潜んでいます。ある意味で都に戻れることを歌に託してアピールしているのかもしれません。

かくしつつ夕べの雲となりもせばあはれかけても誰か忍ばむ   周防内侍 1744

「れいならで、うづまさにこもりて侍りけるに、心ぼそくおぼえければ」という詞書が付いています。「れいならで」は、病気になっての意。「うづまさにこもりて」は、太秦の広隆寺にこもっていて。なので「かくしつつ」は、寺に来ていて病気になっていての意。「夕べの雲」は、夕べに荼毘(火葬)にされた煙の意。「あはれかけても」は、こころにかけて。
(こんな病気になって、ひょっとして荼毘に付されて煙となってしまえば、だれか心にかけて私のことを思い出してくれるだろうか)

夕暮は雲のけしきを見るからにながめじと思ふ心こそつけ   和泉式部 1806

「からに」は、・・・とすぐに。「こころづく」は、気がつく。
(夕暮れになって、雲の様子を見ているとすぐに、悲しい気持ちになって、もう夕暮れに雲を眺めないようにしようと思う心が起こることに気づいた)

われ頼む人いたづらになしはてばまた雲わけて昇るばかりぞ   1861

巻第十九「神祇歌」 の冒頭の第1852首から第1864首まで、誰の詠歌かは記されず、歌の後に説明文が付いています。第1861首には、「賀茂御歌となむ」と記されています。
「われ頼む人」は、我(=神)に頼って祈願し信じている人。「いたずらになしはてば」は、むなしくそのままに願いを聞き届けてやらなければ。
(我を頼り祈願して信じている人をむなしく願いを聞き届けずにおくなら、我はまた雲を分けて天に昇ってしまうだけになる。)
そうなっては神としての意味が無い、つまりむなしいままにはさせないという神の意志を詠んでいるのでしょう。

ながめばや神路の山ニ雲消えてゆふべの空を出でむ月かげ   太上天皇  1875

「ばや」は、できれば・・・したいなあ。「神路の山」は、伊勢国の歌枕で、伊勢神宮の内宮の南、五十鈴川流域の神苑の山のことだそうです。「月かげ」は、月の光。「太上天皇」は後鳥羽上皇のこと。
(できればすっと眺めていたいものよ。神路山にかかる雲が消えて、清澄な夕空に出る月の光を)
参照している一書は「寓意ある歌」と記し、他の一書は「皇威の衰えを歎かれた歌」と付記しています。

さやかなる鷲の高嶺の雲井より影やはらぐる月よみの森   西行法師 187

「伊勢の月読の社に参りて、月をみてよめる」という詞書が付いています。
月読社は伊勢神宮の域外別宮で、現在の伊勢市中村町に所在します。 (資料3)
祭神は月読命。月の神様です。「さやかなり」は、視覚的にその姿がはっきりしている様子を表します。はっきりしている。明瞭だ。「鷲の高嶺」は、天竺(インド)にある霊鷲山です。西行法師は経典の知識から霊鷲山をイメージしているのでしょうね。
(天竺にあるくっきりとした霊鷲山の天空に出た月が、その月の光をやわらげてさしている。この月読社のある森に)
空間的なスケールの大きい歌です。この時点で、西行法師には、神仏習合の意識があったのでしょうか・・・・・。

むらさきの雲の林を見わたせば法にあふちの花咲きにけり   肥後 1930

「五月ばかりに、雲林院の菩提講にまうでてよみ侍」という詞書が付いています。雲林院は京都の紫野にあるお寺です。現在は観音堂一宇を残すだけになっています。 (資料4)
「菩提講」は、菩提を求めるために法華経を講説する法会です。
「むらさきの雲の林をみわたせば」には、紫野という地名、仏の来迎される時の紫雲が掛けられていて、雲の林は雲林院を意味しています。「法にあふちの花」には、仏法に逢うとあふち(=おうち=栴檀)の花を掛けています。初夏に紫の花を咲かせます。
(紫野の雲林院を見渡すと、仏法に逢うという名のおうちの花がまるで紫雲を見るように咲いていているよ)

立ち入らで雲間に分けし月影は待たぬけしきや空に見えけむ   西行法師 1977

西行法師のこの歌には「 返し 」と詞書が付いています。一つ前の歌に対する返歌です。
その歌には長い詞書が付いています。詞書と歌をご紹介することで歌の意味がわかりやすくなることと思います。
西行法師をよび侍りけるに、まかるべきよしは申しながらまうでこで、
   月のあかかりけるに、かどのまえをとほるとききてつかはしける
 西へ行くしるべと思ふ月影の空だのめこそかひなかりけれ   待賢門院堀河 1976

堀河の局が、西行に家まで来て欲しいと依頼したとき、西行は行きますと言いながら約束をすっぽかしたのです。その後に、西行が門前を通り過ぎたということを聞いて、歌をことづけて贈ったのです。
(西方浄土へ行く私の案内者となる月の光である貴方が、空のように頼りにならないのは、頼みがいがありませんわ。門前を通りながら立ち寄っていただけないとは。)

それに対して西行が返歌をしたわけです。
(あなたの家に射し入ることなく、雲間を分け入るように移った月は、月の光が射すのを待っている様子が見えないと空からわかったからからでしょう。)
待っていてくれそうでもなかったから、立ち寄らなかったという返答をしています。

今回も調べ読みをしていて、一首を見過ごしていることに気づきました。ここで、 最後に1首を追補 いたします。

雲晴れてむなしき空に澄みながらうき世の中をめぐる月かげ  寂然法師 1953

この歌は、寂然法師の第1052首に「人々にすすめて 法文百首詠み はべりけるに、・・・・」という詞書の箇所に主旨が記されている目的に関係する歌です。上掲の第1953首は、詞書として、「 菩薩清涼月 游於畢竟喰空」 という詞書が付いています。これは華厳経に出てくる経文の一節だそうです。「菩薩は清涼の月 畢竟空に游ぶ」この一節の文意を和歌で詠んだというわけです。
(菩薩は雲が晴れた虚空にあって澄んだ光を放ち、この憂き世の中を巡る月の光のようなものだ)

 巻第十八「雑歌下」から第二十「釋教歌」までの抽出歌から 10首 を取り上げ、見過ごしていた 1首を追補 しました。

結局、間違って抽出していた歌を除去し、一方で追補した歌がありましたので、 140首が「雲」「くも」を詠み込んだ歌の合計数になるようです

これで『新古今和歌集』を一旦終えたいと思います。

再び、雲の変化に戻ります。
=== 2023.2.4 ===

10時半頃の南の空 です。雲がみえない青空が広がっています。
南西方向の空
  西方向の空 

東方向の空 はもやがかかっている感じです。雲らしきものは見えません。


13時50分頃に撮った東方向の空 。雲の姿が見えます。
南の空
南西方向の空
西方向の空
頭上の空
午後は南の空から西方向の空には青空が広がりました。

東方向の空
しかし、 17時ごろ には、再び雲が活発な動きを見せるように変化していました。
南の空
南西方向の空
西方向の空
                  雲の変化が大きい一日でした。

つづく

参照資料
*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫
*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28  岩波書店
*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫
*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫
1) ​ 村上天皇 ​  :ウィキペディア
2) ​ 藤原高光 ​  :ウィキペディア
3) ​ 月読宮皇大神宮(内宮)別宮 ​ :「神宮」
4) ​ 雲林院 ​  :「京都観光Navi」

補遺
霊鷲山 ​  :ウィキペディア
月の神でありツキを呼び込む神 ​  :「Discover Japan」
楝の花(おうちのはな、あふちのはな) 仲夏 ​ :「きご歳時記」
センダン/せんだん/栴檀 ​  :「庭木図鑑 植木ペディア」
藤原清正 ​  :ウィキペディア
藤原清正 ​  :「コトバンク」
周防内侍 ​  :ウィキペディア
肥後(1) ​   :「コトバンク」
待賢門院堀河 ​ :ウィキペディア
待賢門院堀河 ​ :「和歌のあじわい」
​     :ウィキペディア

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2023.02.14 12:58:39
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