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コメント新着

最初の会社では、尊敬する上司一人ととんでもない上司が二人、二つ目の会社では、尊敬できる上司が一人と、とんでもない上司が二人に、とんでもない同僚が一人、それからしばらくアート界でフリーの仕事をし、家賃が払えなくなりそうになり、あわてて三つ目の会社に入社。そこで、同僚がまいた噂をみんなが信じ、一ヶ月誰も口をきいてくれないといういじめに遭う。結局、その同僚のウソはばれて、普通の状態に戻りましたが、私の中では、不信感がふくれあがりすぎ、低給料、激務もあり、退社。そして、もう一度アート界でフリーで食べて行きたいと、アートマネジメントの勉強のためイギリスへ。
さて、「とんでもない」を連発しましたが、当時の私の目には、良い人と悪い人がいて、たまたま悪い上司に遭った私は、アンラッキーで、私の悩みの原因は上司(または同僚)だと真剣に信じていました。同僚が、へんな嫉妬でウソの噂を立てるから、上司が密かに私の売り上げを自分の成果にしていたから、経理の彼女は、なんだかお嬢様で、お茶も嫌がってつがなければ、使ったコップも洗わない(なんで私ばかりがやっているの!)・・・。
当時は、難しい人、困った人のなかをかきわけて、やっと生きているような感覚でした。学生のときまで男女ほぼ平等だったのに、社会に入ったとたん、男女差別やら年齢差別やらがどんなに大きいか知らされ、なんだか私の手にはとてもかなわない壁のなかで、なんとか工夫して生きていかなければいけないと感じていました。
ですから、多くの方のエゴトークもよ~く分かりますし、コメントにときどき残してくださっているような仕事場での怒りなどもとってもよく分かります。しかし、今振り返って、やっぱり苦しかった本当の原因は、自分が作っていた(だから自分が悪いということではありません。悪いもの探しをしているのではないですよ)んだなと今は、とてもよくそれが見えるのです。
職場を変えたり、恋愛の相手を変えたりして、楽になることはもちろんありますし、それが自分にプラスに働くのであれば、大いに変えればよいと思います。引き寄せの法則などは、自分にとって望ましい状況を引き寄せる方法を教えてくれていますね。で、それらを利用して、自分が今いる状況を変えようとすることは、それなりに楽しいですし、これも大いにやればよいと思うのです。
ただ、自分の内側の世界が変化していなければ、私たちはずっと同じようにものごとを見て、同じように対処し、同じように行動するでしょう。つまり、自分が望む世界のなかに、もし「嫌な人」が侵入してきたら、また同じように怒ったり、苦しむ可能性が高いです。
そういう意味で、私が一番嬉しいのは、自分の内側の世界がものすごく変ったことなんです。会社時代の同僚や上司を思い出して、今また怒りが沸いてくるということは、まったくなく、私の目に映っている社会は、東京で仕事していたときとまったく違うものになっています。
スピリチュアルな教え、そして心のしくみを知れば、知るほど、私たちは内面の世界を変えていくことができ、
それが外の世界(他者、状況)をどう扱うか、どう捉えるかを変えていく。その結果、生きるのが楽になり、やりたいこともやりやすくなっていく。
奇跡の学習コースでは、 「外の世界は、自分の内面の世界の鏡」
と言っています。例えば、彼が自分を愛してくれないから寂しいとき、たいてい私たちの内面の世界は、自分が自分を愛していなくて空虚感があるとか、または、誰かに対して怒りがとまならいとか、周囲に怖い人がたくさんいるとかといった場合、自分の中に抑圧した怒りがたくさんあったり、
不安をものすごく抱えていたりなどなど、です。
どなたか怒りについてコメントを残してくださっていましたが、もし、誰かの態度、または自分への対応、または、誰かの言ったことに対して、ものすごく腹が立ったら、そこには必ず、自分のなかに抑圧された怒り、悲しみ(=心の傷、ボタン)が必ずあります。相手の行動があきらかに間違っていると思えば思うほど、私たちは自分を振り返る必要性を感じなくなってしまうものですね。(だって、間違っているのは向こうだ!向こうが、自分を振り返って態度を変えるべきだ!)
ただ、一番大切なのは、相手がどれだけ間違っているかではなく、自分の心がどれだけ苦しいかですね。例えば、そこに抑圧された怒り(ボタン)がなければ、カーッと怒っても、そのあとケロッとすることができ、辛くなったり、苦しくなることはありません。どんなに自分が正しくても怒りが苦しみになるなら、そこは見つめてみる価値ありです。
そして、もし抑圧していた怒りや悲しみを解放すれば、そこで内面の世界がだいぶ変ります。 外界(状況)が同じでも、内面の世界が変れば、それはまったく違う人生です。
空が高くて青いと気がついた日から、十五年ほどの月日が経ち、ぜんぜん違う感覚のぜんぜん違う世界に生きている自分を感じ、思うのです。自分を見つめるってなんだか地味で時間がかかるし、楽しい作業ではないかもしれないけど、十年後にまったく同じ気持ち(または、さらに苦しくなっている)で生きているか、それとももっと楽に生きているか考えると、やりがいは絶対あるなと。
具体的にどう怒りを見つめ、どう解放していくかは、ブログでもちょこちょこ書いて行きたい(過去のブログにも書いてあります)と思います。が、ブログの限界がありますので、セミナーやワークショップにも来て下さい!
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