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今年も また 木蓮が きれいに咲いたよ写真 撮れてないけど。木蓮を見るたびにハナミズキを見るたびに貴女を想います。お元気 ですか?この写真は ずっとずっと前に 撮った ハナミズキ。あなたが、ステキな ハナミズキの詩を 教えてくれた 写真だね。私には 去年から すごいことが起きてるよ。新しい生命を授かったよ。生まれてくるまでも、とっても 大変だったよ。いっぱい 入院もしたよ。ちいさく ちいさく うまれたよ。でも、しっかり、息してた。しっかり、手を握ってくれた。ちょっとだけ 涙もながしたけどいっぱい いっぱい 勇気もらったよ。今、隣で 小さな寝息をたてて 寝てるよ。小さな寝息が ふたっつ。双子の おとこのこたちだよ。貴女が見たら なんて言ってくれるかな。わたしは、元気です。貴女が 幸せでいてくれることを 願います。
Mar 17, 2013
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というわけで、入院中です(´Д`)また前回のように大部屋で楽しく過ごす気 満々でいたのですが、気付けばMFICUで、個室に入れられちゃってます。えええ。私って、集中治療室入れられちゃうほどなんすかーーみたいな。ま、とりあえず、大部屋に移るまでの間、こちらの個室を楽しもうと思います。。って!寂しい(^^; っちゅうの。ま、看護師さんも助産婦さんもドクターも至れり尽くせりですけど。そんなこんなの今日この頃でございます。シャバは涼しくなったのか?全然ここにいたらわかりませぬ。ただ、台風がくると、点滴が増えちゃうんでめっちゃしんどいですわ。
Oct 2, 2012
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というわけで、もう毎日毎日、ほぼ寝たきり状態のわたしなんですが、せっかく家に居るので、ちまちま片付けもやったりしてます。とりあえず私の持ち物の中で多いのが、紙モノ。日記や絵なんかはもちろんなんだが、過去に友人や家族から受け取った手紙なんかも、すべてファイルして保管してるわけで、それらがでかいダンボールにいくつもあったりする。プラス、自分で書いた手紙の下書きなんかもとってあったりするので、大変^^;しかもそれらは、引っ越しのたびに、船便で海を渡ってきてたりする。。以前、仕事関係の書類やらいただいたお礼状やらは、だいぶ処分したつもりでいたが、見ると、やっぱりまだまだ・・。写真アルバムも、どうしようもない写真はだいぶ捨てたが、やっぱりこれもまだまだ・・なんだろうな・・。とにかく、「過去」のものが、溢れている。相方の荷物を見ると、そういった類のものは、ほとんどない。その場その場で、必要最低限に抑えて、残さないようにしているのか。その場その場で、捨てているのか。本当に、相方の荷物は少ない。というわけで、生まれてくる我が子たちのために、限られた家の中で、少しでもスペースを作るべく、やっぱり私のモノを処分していかなければならないわけで、ソファに横になりながら、過去の手紙を読み漁り、いらないものを捨てたりしている。本当は自分で小さな焚き火でもして、庭先で燃やせれば一番いいんだが、そこまで田舎でもなく、広いお庭もないので、そんなわけにもいかず。住所などが書いてあるものは全てちまちま切り取って、シュレッダーにかけ、(全部シュレッダーかけてたら、それこそ大量のゴミがでてしまうので)封筒についている切手は、非営利団体に送るためキレイに切り取る。そんな感じで、非常に効率の悪い片付けをしてたので、数日間は、片付けてるのか、散らかしてるのか?って状態だったり・・^^;これまで、引っ越しのたびに、たくさんのものを捨ててきたつもりでいたけど、やっぱりわたしって、全然捨てれてなかったんすね、と、実感しまくり。過去に、執着しすぎているんだろうか。でも、このブログを始めた当初よりは、だいぶ、その執着も薄くなってきたように思える。ここで過去を振り返って、それまで心にたまってたものを、発散できたのだろう。それまで抱えていた、痛みとか、想いとか、いろんなもの、解放できたように思う。きっともう、過去の日記も、捨ててしまっても平気かもしれない、なんて思ってるが、うーん、これって、老後に読み返すと楽しいんじゃね?とか思ったりして、結局ほとんどそのまま日記は残ってるんだが。それとも老後は、独身時代の日記よりも、子供が生まれてからの記録しか、見ないかな?過去のものって、皆さんどうしてんだろうな?って思ったり。結婚を機に、捨てる?出産を機に、捨てる?そういう機会がないからって、ずっとしまっておく?そういう機会があっても、ぜーーんぶ、ずっと、延々、しまっておく?でも、自分が死んだときに、たとえ家族でも、自分以外の人間に、処分して欲しくないものってあったりして。それだったら、自分で処分しとこうかな、みたいなものって、ない?
Sep 12, 2012
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というわけで、超お久しぶりです。皆さん、お元気でしたか。わたしは、相変わらず元気・・と言いたいところですが、先週まで ちょっくら大学病院に入院してましたで、また次いつから入院になるかわからんといった状況であります(次入院したら、長くなる予定です><)すでに、一部の方にはご報告済みですが、わたくし、現在、どこからどうみても妊婦でございます。しかも、お腹の中にいるのは、なんと、一卵性の双子ちゃんであります。予定日は12月初めなのですが、もうすでに、お腹の大きさ的には臨月くらいになってまして(ひとりひとりはまだまだ小さい)、一卵性特有の病気ってやつで、お腹が張りやすく、自宅安静の日々でございます。(自分が双子を妊娠するまで、双子がこんなに大変だと思わなかったーー)(一卵性と二卵性で出産までのリスクがこんなに違うことも全然知らなかったーー)幸い、早産の予兆とかは今のところまだ無く、大きさにもまだ差はそれほど無く、ふたりとも元気にお腹の中で暴れまわっていてくれてるので安心っていうか、ほっとさせてくれてて。。先生にお願いして一時退院させてもらいましたが、(突然入院だったので、赤ちゃん迎える準備も全然してなかったし^^;)ただ座ってるだけでもお腹が張るので、ご飯とトイレとシャワー以外は、ほぼずっと横になってる感じです。おかげで背中も腰も痛いっす;30週くらいからは、出産まで入院する覚悟でいたので、(一卵性の場合はだいたいその頃から皆さん管理入院になる)できればそのくらいまでは、せめてあと1ヶ月くらいは自宅に居たいなぁ、と思ってますが、そうも言ってられない状況になったら、またすぐに入院するでしょう。。ま、とりあえず、一日でも長く、お腹の中に居て、成長してもらいたいので、今は安静にすることと、医師に従うことが自分にできること、と言い聞かせ、頑張って横になってます。マタニティスイミングとかヨガとか、憧れてたんすけどね^^;病室から見る空は爽やかに青くて、(室温は常に快適なので、外の猛暑を一切感じない)「この夏の空気をもう一度満喫したい・・」と思ったりしてましたが、シャバに出てみると、やっぱり暑くて(苦笑)かといって、家の中に居て、動くこともないので、冷房つけるほどでもないなーー って感じで。昼間はアイスノン枕と扇風機で、残暑を寝ながら味わっている今日この頃。初産にして35歳以上の高齢だし、一卵性の双子だし、不安はたくさんですが、元気に動き回るお腹のお二人に元気付けられながら、パワーもらってます皆さんは、どんな夏をお過ごしでしょうか?まだ暑い日が続きますので、体調崩されませんように。
Aug 19, 2012
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楽天写真館って、なんじゃああああ!!??今までの写真や画像はどこいったんじゃああああ!!いちお、「登録されている画像」の中にはあるみたいだが、それまでのフォルダ分けとかなくなっちゃってるし・・。・・・あまりにも、楽天ブログを放置しすぎてる私が悪いのか。プロフィールにしても、写真にしても、ブログ外へとサービスが散らばってきてて、すっごい使いづらい気がするんですけど、私だけっすか?(すっかりクレーマー?)
Jun 14, 2012
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桜が散って 池と地面に 桜が咲いたよ(´∀`)
Apr 22, 2012
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今年なにかと一部テレビなどで話題の?洗脳・・洗脳って、なんつーか、目の前にヒモにつるされたコインがあってそれを見つめてゆらゆらと・・ みたいな、そんな怪しげなものでは、実際ないんだよな。もっともっと、わたしたちの普段の生活の中にあって、もっともっと身近で、誰だってあまりにも普通に意識しないうちに、洗脳なんて簡単にされちゃうものだと思う。よく考えてみれば、きっとすでに洗脳なんて、たくさんされてるんだよね・・。常識だと思ってることが、普通にただ洗脳されてるだけってこと、たくさんあるっしょ?その"程度"の差はあっても、根本的には同じところだと思うんだよね。だから、その洗脳から覚めるには、自分で気付くしかない。自分で、あ、違うじゃん、って気付かないと、目覚めるのって無理だと思う。以前、わたしも、とある一人の人間に洗脳されてたって話は、したことがあるんだけれども("あの彼"の話)。当時のわたしも、彼と彼の妻、弟、もう一人の男と一緒に暮らすことになって、結局最後は軽く軟禁状態で。友達や家族や、外の世界と隔離されてて。でも、そこにわずかな隙間があったから、彼の母親とふたりきりで会話する機会があって、そこから一気に、それまで信じてたことが違うんだって知って、どんどん気付いてって。それまでに5ヶ月かかった。最後には私は一緒に暮らしてたところから、一文無しで脱出するわけなんだけども。あの、一瞬の機会を逃してたら、もしかしたら私の人生はまた、全然違うものになってたのかもしれないと思ったりする。ま、気付いたら、客観的に見たらすごい異様な世界にどっぷりだったから、母親と話さなくてもいつかは気付いてたんだろうとは思うけど。何が真実かなんて、本人たち以外にはわかんないし。結局、彼たちとは私は5ヶ月一緒に生活して、逃亡後、かなり人間不信にはなったけれども、何年も経って彼を思い出すとき、やっぱ、彼のこと憎んでいない自分が居て。今、思っても、やっぱり、憎んではいないんだよね。再会したいとは思わないけど、遠くからこっそり見たい気もするwそんなこともあって、私は他人に対して、かなり人見知りにもなったし、かなり疑いもするようになった。すぐには心も開かないし、特にネットで知り合った人に関しては、その人の身元がしっかりわかるまで、基本的には私自身を特定できる情報は出すのを避けている。(よっぽど信用している人には、連絡先も教えるんすけどw)それが、言えば、後遺症ってヤツなのか、もしくはただ単に、大人になったってだけなのかはわからんが。考えてみれば、これってそうだと普通に思ってるけど、実際はどうなの?この人のこと、すっごい敬っちゃってるけど、実際には、この人が具体的に何をして、それが本当にすごいのか自分で見たこともないんだけど、とかもそうだと思うし。逆に、この人のこと、すごい嫌ってるけど、それって自分がその人に会って接して判断したわけでもないのに、友達が言ってることだけで決めてたり、それも、周りからの洗脳の一種かも、とか、思ったりしない?そんなこと以外にも、これって某企業の洗脳だよね、某国の洗脳だよねってことちょっと考えれば思い当たるふし、あなたにも あるんじゃね?
Mar 26, 2012
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昨日の日記にも書いた、昨日より開催されている仙台市の「おもいで再会ひろば」早速報道されました。さすが仙台^^仙台放送日テレ涙出てくる。ひとりでも多くの方の手元におもいでが戻りますように。
Mar 1, 2012
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【一部情報訂正】岩沼の展示期間---去年の3月11日の津波により流されてしまった写真やそのほか思い出の品の数々。たくさんの全国のボランティアや現地の人々の手によりほんとうにたくさんの写真や品々が洗浄されてきました。それらを、元の持ち主やご家族の方のもとに戻すべく、各地で展示を行っておりましたが、昨年の夏ごろバタバタとそれらの展示が打ち切りになり、とっても悲しい思いをしたのは、つい昨日のことのよう。その後も地道に洗浄が行われたり、私のように写真の修復も行われてきましたが、今回、なんと、2箇所で再展示が行われます。今回の再展示には、やはり閉鎖以降、たくさんの方々の声があがって、ようやくそれが行政側にも届いたのか、やっと、なくなってしまった写真や思い出の品々を探そうという気持ちに、被災された方々がなってきたということなのかな・・。向き合おうという気持ちになってきたのかな。。またもうすぐ、3月11日が来る。怖いような。信じられないような。静かに、祈りの日にしたい。本日からは、仙台市にて、期間限定ですが行われております。『仙台市おもいで再会ひろば』-津波流出写真等展示会場-◆期間:2月29日(水)から3月25日(日)まで◆場所:仙台駅東口にある市民センター(パルシティ)6F体育館にて詳しくはホームページをご覧ください。宮城野区・若林区で発見され写真や物品を展示しております。一枚でも多くの写真がご本人の元へ戻る事を心より願っております。約一ヶ月間展示です。皆様のご来場をお待ち致しております。 こちらの会場には、でかい会場案内図を作成したり、お絵描きをお送りさせていただくなど、遠方から微力ではありますが、協力させていただいております^^岩沼でのボランティアつながりです。そして、私にとって災害ボランティアの最初の地となった、岩沼でもまた。明日より、こちらも期間限定で、昨年の岩沼市「おもいで再会ひろば」にて展示されていた写真や思い出の品々が再展示されます。◆場所:岩沼市旧図書館(市役所裏)◆期間:2012年3月1日(木)~2012年3月23日(金) 3月5日(月)~21日(水) ◆時間:9時~5時4時◆休日:土曜日前回の展示にこれなかった方、ひとりでも多くの方に、ひとつでも多くの思い出が、持ち主様の手に戻りますように。
Feb 29, 2012
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私たちは、奴らに追い掛けられていた。 必死に逃げるが、なかなか隠れ切れそうな場所がない。 ここは地元ではないので、詳しくもない。 ふと、駆け込んだ建物は、学校のようだった。 たくさんの部屋、たくさんの人。 でも、みんなで隠れ切れるだろうか。 みんな、疲れている。 私より年配の者数名に、年のばらばらな子供たちも居たから、 少しでも長く、安心して滞在できる場所がよかった。 と、 視線が一人の老人の姿をとらえた。 薄い白髪に、メガネのその老人は、 少しダライラマを思わせる。 はっ! と気付いた私は、その老人の後を追う。 が、見失ってしまう。 彼に聞けば、道が開けるかもしれない。 何かヒントをくれるかもしれない、 と、なぜか私は確信していた。 彼を見失ったあたりには、 一人の老人が座っていた。 私が近づいても、誰が彼の目の前を通り過ぎても、 興味を示すでもなく、 ただ静かな眼差しで遠くを見つめている。 ここに居る。 そう確信した私は、 その老人に、話し掛ける。 マー爺さまを探しているのですが、 通してもらえませんか? すると、その心静かな老人は、 私の顔を静かに、心を見透かすように真っすぐにみつめた。 そして紐を引くと、彼の背後に隠れ階段が現れた。 「この上に居るよ」 老人はそう言って(私とは違う言語を話したが、なぜかすぐに理解できた)、視線を外し、 また遠くを眺めた。 小さな、ギシギシいう木製の階段を上り、 ぽっかり空いた床の穴から、小さな部屋に顔だけ出すと、 そこには数人の老人の姿があった。 マー爺さまの姿もそこにある。 「すみません。 追われていて、逃げて来たのですが、 隠れる場所はありませんか」 そう、マー爺さまに話し掛けると、 その老人は、手にしていたどんぶりを置きながら、こう言った。 「一階以外は、この学校は安全だ。 試験を受けてこの学校に入ればいいさ。 そして、好きなだけここに居ればいい」 ケータイにメモられた夢のメモ。 なにげにやっぱり、逃げてる夢が多い気がするんだが。 そして、老人や子供、弱い女たちと一緒なのよ。
Feb 15, 2012
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とりあえず、しょうがないので、楽天プロフィール 登録してみたんだが、(楽天プロフィールユーザー同士なら、メッセージ送れるらしいし)(ていうか、某氏が楽天プロフィール登録したあかつきには 一度連絡とりたいだけなんだが)なんじゃこれ?楽天版ツイッター的な?んー。わからんぞ、これ。ブログ離れてツイッターとか行く人が多いからそれらしいのを作ってみた系かしら?うーん。。使うのかなぁ・・わたし・・(-ω-;)
Feb 6, 2012
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ご存知の通り、わたしは田舎者も田舎者、フジテレビもまともに放送されない、民放は私が住んでた頃は2つしかなかった、東北でも最北端の陸の孤島、故郷の言葉で話そうもんなら字幕ついちゃうよって感じの、バリバリのネイティブ津軽弁スピーカーである。基本、見る全国区のテレビ番組なんかは標準語(?)なわけで、地元にしか住んだことのない、お爺ちゃんお婆ちゃんならわからんが、一応みなさん遅くても中学生くらいの頃には普通にバイリンガルに育つ。ま、国語の教科書も標準語だし・・声に出して読むと完全にイントネーションは異なるがw子供の頃は、都会に憧れるものだ。夕焼けニャンニャンが放送されないので、おにゃんこなんてさっぱりわからず、「明星」を買っても、あまりついてけず、好きなアイドルグループのコンサートなんて、もちろん地元に来るわけもなく、一番近いのが札幌か仙台、という。中学の頃はひたすら漫画を投稿してたので、東京にいれば、原稿持込とかして編集者の人の話とかも聞けるんだろうな、とか、道端で有名人にあったりするんだろうな、とか、冬なのに青空が出てていいな、とか、いろいろ、うらやましく思うことも、普通にあった。そんな憧れの街、東京。生粋の東京人と、生まれて初めて出会ったのは、16歳の頃。同じ日に某国へ降り立ち、同じ英語学校へ入ったふたつほど年上のお兄さん。ふへぇ~。東京のお兄さんはやっぱ、おしゃれでかっこいいなぁ。てのが、最初の感想だった。実際彼は甘いマスクで、かわいい系のイケメン、って感じ。が、まぁ、クラスも違うし、彼と話をすることなんてなかった。私は日本人とできるだけつるまないようにしてたのもあったし。ところが、ある日、放課後とかに、ロビーでうだうだ、じゃれたり話したり、色んな人種入り乱れてみんなで、いつものようにぎゃーぎゃーやってたんだけど。突然そのイケメンが、「東京以外は日本じゃねぇ!」と、大声で日本語で吼えた。しーー・・ん。そんなところで、日本語でシャウトしちゃうのも、状況としてはかなり痛いんですが、さらに、しーーん、となったのは、もちろんまわりに居た日本人の皆さん。ふと見渡しても、うーん、たぶん、東京出身者なんて、一人もいないよね、みたいな。なにかの、宣戦布告? ん?誰かと喧嘩でもした?みたいな。その彼、「東京出身者以外は、日本人だなんて言うな」ぐらいの勢いで。以前から、「ここには何にもねーー 東京に帰りてーー」とか「みんな何して遊んでんだ?どっこも行くとこねーーし」とか、ぼやいてるらしいことは耳にしてたんだが。わたし的には、毎日毎日が新鮮で楽しくって、って感じだったので何が不満なのか よくわからないって感じではあったのだが。たぶん彼は、その国にも言葉にもなじめず、一緒に勉強するほかの留学生たちにもなじめず、孤独を感じていたのかもしれない。ホームシックだってのを認めたなくて、恥ずかしくて、強がったのかもしれない。でも、とにかく、その彼の言葉を聞いたわたしは、「・・・東京人って、アホだな」 と思った。そして、確かに東京ってすごいけど、東京がないと困るけど、東京しか知らない東京人って、かわいそうだな、と。ド田舎のよさを、きっと、知る機会がなかった。何か楽しませてくれる人工的なものがないと楽しめない。方言を言う人を「恥ずかしい」と言う目で見る。そんな、東京人って、かわいそうだな、って思った。もちろん、その後、たくさんの生粋の東京人と出会い、そんなヤツばかりじゃないことも知ったが。ちなみにその後、わたしは大阪に住み、横浜に住み、現在は東京に住んでる。(まぁ、東京なんて言っちゃだめでしょってくらい田舎なんすけど)ときどき田舎に帰ると、親戚のおっちゃんなんかに、「今は東京で何してる?」とたずねられると、「新宿の外資系で働いてるよ」(当時)「新宿って、高層ビルか?外資系で、って、何してる?」「うーん、今は翻訳とか通訳とかやったり・・。うん高層ビルだよ。 あの変な形のビルのすぐ近く」「ふあぁ~ すげぇなぁ。やっぱり○○ちゃん(私)はすげぇなぁ」「あの新宿で働いてるのかぁ・・かっこいいなぁ」みたいな。い、いや・・すごくないんですけどね・・^^;でもでも、やっぱり都会ってのは、田舎者にとってはいつまでも夢が花開く場所だったり、憧れであり、光り輝いてて欲しいものだったりするんですよね。でも、年をとるにつれ、ますます田舎を離れた私は、田舎があるって幸せだなぁ、と思う。故郷のダメっぷりなんかを話したりしても、そのまんまバカにするんじゃなく、そうそう、そうなんだよねぇ、と、愛情たっぷりにそのいとおしい感じを共有できるのって全然違う出身でも、やっぱり田舎の地方出身者だったりしたりもする。なぁ~んにも無い良さとかも、わかる。田舎ならではの悩みや問題も、ほんとの意味で田舎の人にしかわからなかったりもある。あ、もちろん都会の人は嫌だなとかいうことではなく。都会で生まれ育ったってだけで、その感覚とかは田舎では養えないものもあるし。でも、確実に、田舎じゃなきゃ養えない大切な感覚もある。地方出身ってだけで、世界も視界も経験も、広がってんだなぁ、と、大人になって気付いたりして、故郷へ感謝したりするのでありました。(ちなみに東京なんて人間が住むところじゃねー 熱い会話なんかしなさそうだし、なんかみんな病んでそうだし、 なんて思ったこともあったが、生活して初めてわかる良さもあるし。 結局きっと、世界どこでも、住めば都、みたいな。)わたしよりは全然都会っ子の相方(大阪出身)。ときどき話してて、まじかっ モヤシっ子めーこんなことも知らんのかーーかわいそうなヤツだなーーなーんて、いまだに思うこともあったりしますwん?うんうんとうなづいてらっしゃる、そこのあなた。あなたも、相当な田舎者ですか?^^
Jan 24, 2012
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マニュアルといえばわたしは、マニュアル化されるべきなのにマニュアル化されていないような能率の悪い流れだったり仕事だったりをマニュアル化するのが大好きな人間なのだが。今までも、本当に勤める職場職場で、いろんなマニュアルを作ってきた。そのために、色んなことをいちいち勉強してきたし、それが楽しかった。もちろん、マニュアル化するべきではない、マニュアル化なんてできない仕事もたくさんあるんだが。ふと、思ったが、たぶん、初めてわたしがマニュアルというものに出会ったのはホテルで雇われたときだったと思う。それまでにも、某ファミレスの厨房でバイトしてたときレシピだったり、衛生管理だったりの軽いマニュアル的なものはあったが、ちょっと、感動してしまったシステマチックでとてもわかりやすい、私が本当に必要としたマニュアルってのはホテルで出会ったのが初めてだった。(ちなみにわたしは、ホテル学校を出てるわけでもなく、 配膳のバイトから引き抜かれてホテルに入ったので、 接客には自信があったんだが、ほんと、必要な基礎知識みたいのが全然なかった)それは、当時私の直属の上司だったマネージャーが自分で作ってたものだったんだが。それにどんどん、先輩方の情報が書き足されてって、随分と役に立ったものだ。それに触発されて、自分自身でもいろいろ勉強して、ワインやお茶に関するメモ、花に関するメモ、(支配人に一度、テーブルに飾ってる花の名を聞かれ、わからなかったのがきっかけ)料理やケーキのメモなどなど、いろんなことをフォルダにまとめたものだ。その後わたしは、以前からの読者さまならご存知の通り某国へ渡り、とあるレストランで働くようになり、そしてマネージャーになった。一応日系だったのだが、純和食ではなく、隠れ家的なバーみたいな現地のモデルなんかが夜な夜な集う地域密着型のレストランだったのもあり、私がマネージャーになってからは、ワーホリで来ている日本人より、現地の人を雇うことが多かったのだが、とにかく最初は怒ってばっかりだった。従業員たちといっぱい口論もした。「常識でやれ!!」なんて言ったって、そこには日本の常識なんてのは通用しなかった。その店は、わたしの前にふたり日本人マネージャーが居たのだが、マニュアルというものは存在せず。社員の一人が誰か病気になったら、誰も他にその仕事をできる人がいないので、店を閉めなければいけない、っていうバカな状況もあった。オーナーからの依頼もあり、わたしは、マニュアル作りを始めた。(オーナーはできれば店をフランチャイズで増やしていきたかったし)自分の常識というものをとっぱらって、いちいち全部を書き出した。トイレやフロアの掃除、接客、レジ管理、在庫管理や仕入れ、事務所の帳簿管理から税金のこと、人事、法的なこと、不動産や取引業者とのやりとり、厨房の掃除・衛生管理、食中毒などに関して、また、一切レシピ化されていなかった料理のレシピ化、あと、個人の清潔感を保つ為のマニュアルなども^^;かなり図解なども入れ、すっごいできるだけ簡潔にまとめたつもりでも結局全部で100ページ以上になったので、抜粋した要約版も作成。改訂を重ね、結局完成には随分かかり(もちろん少しずつ途中運用を始めたが)退職願を出してから半年経過してた。それまでには、誰が仕事を休もうが病気になろうが、閉店しなくてもいいようになった。自分が居なくなっても、会社ってのはどうにか動いてくもんなんだけど、わたしがマネージャーになったときは、ぐっちゃぐっちゃだったから。やっぱり後任が心のよりどころにできるようなものを残したかった。たぶん、マニュアルを作ることによって、自分の足跡を残したかったのかもしれない。たとえば私が突然交通事故で亡くなっても、店は普通に営業できるものであってほしいと思ってた。ビジネスはそうあるべきなんだとも思った。わたしはいつだって、去っていく人間、と思ってるので、自分が去っても、自分が関わって大切にしてきたものを継承してって欲しいんだな。職人によくある、技術を盗まれないように、って考えは仕事では一切無い。別な仕事で営業だったり、クレーム対応とかも評価されてたりしたときも、コツとか考え方も、いちいち全部伝授したいくらいだった。自分の持ってる知識や技術をさらけ出すことで、間違いを修正してもらったり、さらに高めていけたりもすると思ってるし。ちなみに先代のマネージャーたちはふたりとも元々は和食の職人だったから、マニュアルやらレシピを残そうなんて考えはなかったんだろう。自分の価値を高いところに置いておきたいという気持ちもわからんでもないが。元々、昔の日本人は、マニュアルとか好きじゃなかったのかも、とも思う。少なくともオーナーは、マニュアル化を望んでいたが、先代たちはやってくれなかった、ってやつですか。ちなみに、マニュアルは、常に改訂が必要だとも思う。実際に運用していく者によって、更新されていかなければ、どんどん情報は古くなり、まったく役に立たないものになる。ま、そもそも読まれもしない、使いにくいマニュアルって、現在ではたくさん、ちまたには溢れてるんですけどね^^;今は世間から離れて生活しとりますが(笑)ときどき外出した際に効率悪い仕事っぷりとか見ると、ちょっとうずうずします。ちょっとでもうまくできるようになりたいとか、バイトだったとしても思わんのかねーーみたいな。年とったってことでしょうかw
Jan 22, 2012
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今夜は、わたしの故郷の郷土料理でありますけの汁 を作ってみますた。まぁ、テキトーに大雑把に作りましたが、こんなもんでしょ。大根、にんじん、ゴボウ(今回は買い忘れたので入ってない)本来入ってるのかはわからないが好きなのでレンコン、ふき、わらび、大豆(水煮)、干ししいたけ、凍み豆腐、油揚げ、こんにゃく(今回は入れ忘れた^^;)などなどを とにかく細かいサイコロ状に刻んで(わたしの場合は男の料理なので、サイズでかめw)お出汁で煮て、味噌で味付け。具のやたら多い味噌汁みたいな。(各家庭によっては醤油加えたり、レシピが違うかも)うまうまであります。わたしの大好物なので、毎回大量に作りますwもうすぐ相方帰ってくるはずなので、帰ってきたらいっただっきま~っす
Jan 19, 2012
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そしてまた、今日も例のごとく被災写真の 修復作業中・・いや、今日は午前中はお絵描き描きしてますた。ちょいと放置してたお絵描きがどうしても気になり気が散って仕方ないので、とりあえず完成させた。で、安心して修復作業やっとります。あ。震災後は何かとボランティアの話ばっかりしてる気がしますが、うざかったらすんません。他の方はどうか知りませんが、わたしは、他人のためにとかそんなんじゃなく、自分のためにやってるだけで。ほんとに。こんなボランティアもあるよ、っての知りたい人に伝わればいいかなと 淡い思いものせてたりするだけで、わたしって偉いでしょ、とか、お前もボランティアせぇよ、とか全く思いませんので。ボランティアは、できる人がすればいいと わたしは思ってる。ま、そんなこと言ってたら、一切無理せずにできる人なんて、居ないのかもしれないけど;する時間もないのに、気持ちがあるけどできなくて、あせったり、無力さを感じたり、イライラする必要はないと思うんだよね。その時の自分に、できることを精一杯するといい。私の場合は、今、仕事人間なのに、数年前から会社やめて家で大人しくしてる状況を不満に思ったり、イライラするときもあったりしてたんだけど、あとここ数年、リアル絵に目覚めて頑張ってたりとかも、なんか、この、今の写真修復のボランティアするためだったのかなぁ、とか、思ったりなんかして。だから、わたしに出来る限りは、これからも続けていきたいと思ってるんだよ。しかし、今作業中の一枚は、こりゃ、1週間以上かかりますな。。頑張って、少しでも早く、少しでもキレイに、仕上げるのだーー(といいつつ、こうして息抜きをしてるわたし・・・ww
Jan 18, 2012
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きゃらめるさんの日記をみて気付いたがほんとだ・・・足跡もBBSも、そしてメッセージもなくなっとる・・なにげに、メッセージ機能、大事だったのにな。コメント欄やBBSにではなく、こっそりメッセージやりとりすることって楽天ブログをバリバリ使ってた時代にも、すごく多かった気がする。これからは、なになに?楽天プロフィールを使って、ユーザー同士ならメッセージが使える・・・ そうなんだ。楽天ユーザーじゃない人からはメッセージもらえないんだ。どんどん不便になってる気がする。どんどん仲間も離れてく。いわば、ここは私にとって本拠地みたいな感じだったから細々とでも続けていきたかったのにな。やめるのを考えてしまうね。加えて、メッセージないなら、閉鎖も考えてしまう。だって、ここ以外に連絡のとれなくなってしまったとある人から、ここに連絡があるかもしれないから、ここ閉鎖はしない、って感じでもあったから。(その人とは、以前からメッセージ箱でしかやりとりはしていなかった)あーあ。確かに、ブログ機能じゃない、付加サービスだったんだけどね・・今、mixiメインでやってて、こっちも閉鎖しないで残してるみんなも(私を含め)、この数々の機能終了を知ったら、がっかりするだろうな・・・
Jan 14, 2012
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かな~り遅くなってしまいましたが、2012年になりましたね^^;この年末年始は、たぶん小学校低学年の時以来初めて、年越しのカウントダウンをせずに31日の夜10時くらいには寝てましたww(老化現象?)あまり更新がなくなってしまって閑散としている感がありますが、今年もなにげに細々とやってくつもりですので、どうぞ宜しくお願い致しますm(_ _;)m
Jan 13, 2012
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先日は友人がバイオリンをやってるユニットの東京初ライブだった。ライブで演奏する彼女は、めちゃめちゃかっこいい。そのほかには、スティールパン奏者の方も居て、初めて聴くスティールパンの演奏は、ときにピアノを聴いているような、異空間に引き込まれるような、なんとも不思議な感じで。会場には、いい感じのキャンドルもたくさん灯されて。楽しめた。やっぱりライブ演奏はいい。まわりの皆様は、お酒を飲んでてまったりされてて、いい感じ。わたしも、お酒を飲みながらゆっくり楽しみたかったな~^^そして後日、今度は久々のクラシックコンサート。東京芸大の奏楽堂にて行われた、某企業主催の招待客のみのコンサートで。相方とふたりで行ったのだが。相方はなんと、クラシックコンサートというものに行ったことがなく、初めてのオーケストラは 感受性豊かな彼の心に響いたらしく、しょっぱなから涙を浮かべていた。有名ないくつかのオペラの中から、合唱曲を何曲かという構成で。わたし的には、奏楽堂のパイプオルガンに、おおお って感じw教会以外でパイプオルガンって初めて聴くかも、みたいな。あとはやっぱり、一度でも舞台の上で演奏してた身としては、独特の緊張感だったり、空気だったりを楽しみつつ、やっぱ、舞台いいなぁ・・と、ちょっとうらやましくも思ったり。相方は、バイオリンくらいしか楽器の名前もわからないので、ひとつひとつが相当新鮮だったみたいで。なかでも、特にトライアングルの音にはとっても驚いたらしく。あんなにたくさんの音の中で、小さな小さなトライアングルがこんなにもはっきりと聞こえるなんて!トライアングル なめてたわーー!!と、帰り道でも何度か言ってた(笑)というわけで、今年の12月は音楽を楽しんでいるわたしたちでございました。いやぁ。相方、意外にもこれからクラシックに目覚めたりするのかしら。でも、バリバリ長~い交響曲とかだったら、しんどいのかなぁ?^^とりあえず手持ちのCD何枚か聴かせて、慣れさせるかwこれからますます、忙しい師走になるかと思いますが、みなさまどうぞ、体調など崩されませんよう、ご自愛ください^^(今日は初霜がおりてました。さむいーー)
Dec 10, 2011
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とあるところで、とある方の仮のハンドルネームを見てふと とある方を思い出した。その方は、数年前に亡くなった。その昔、まだ若くてかわいかった(?)わたしをとてもかわいがってくださった お爺様だった。いや。お爺様といったら、失礼なのかもしれない。いくつになっても元気、とは、この人のためにあるというような感じで、人生を元気に謳歌しているような方で、とてもエネルギッシュだった。彼はとても資産家でいて、またビジネスの才能にも恵まれていたそうで、某有名すぎる大企業の重役のボーナスなんかも、その方にはほんのポケットマネーにすぎず、引退された後も、力をもてあまして、海外で起業し、それがまた成功したりなんかしてて。幾人かの方々に、孫のように、娘のように、当時かわいがっていただいたがその彼が一番、年齢は上なのだが、一番私に対する下心もあり、って感じで。(笑)色気のある老人で、でも紳士的で、すごいおもしろくて、クレバーで、興味深い方だった。わたしが彼に出会ったのは、そのとある大企業の重役をされてた頃で。当時シドニーにいたわたしに、その彼はシドニーに遊びに(仕事に?)来る度に会いにきた。当時のわたしは、ビンボー学生だったにもかかわらず、人からモノをもらったりすることが好きではなく、もちろん、自分には似合わないブランド物なんかにも興味なんてなく、それよりなら、一緒にお食事をさせていただいたり、ふたりで語り合ったりする時間をいただける方が ずっと嬉しい子だったので、運転手つきの高級車で、高級な和食レストランなどに連れていかれることが多かった。まぁ、そんで、終わりごろには、わたしは飲みすぎたワインなんかでべろんべろんに酔っ払ってたりするわけだがwwわたしが、学校を卒業して、いよいよ日本に行くことになったとき、日本から彼の親友という方も連れてきて、わたしに紹介してくれた。わたしに連絡を取りたいときは、もしくは、何かあったときには、この人を訪ねるといい、と。わたしの日本語がかなり怪しかったためか、頼りないためか、他にもいろんな方が、何か困ったことがあったら、連絡して来いよ、と、日本での連絡先をくださったのだけれど^^;ま、結局、帰国後半年でどん底に一気に落ちいってしまった時には、その誰にも連絡する気にもなれず、ひとりでさらにさらに深みにはまって人間不信に陥ってしまったわけだが。それももう、遠い昔の話。その親友の方がオーナーをされてたお店の名前が、その今日見かけたハンドルネーム。その親友の方のお顔は、もう覚えていないけれど、お名刺は、いまだに名刺アルバムにしまっている。お店の名前は検索しても、別な業種のお店が出てくるから、もう無くなったのかもしれない。わたしを かわいがってくださったそのお爺様は、その 前の晩までまた たくさん遊んで、楽しんで、そして、次の朝、ゴルフへ行く約束をしていたがホテルのロビーに、時間になっても現れず、連絡もとれないので、ホテルマンに部屋まで行ってもらうと、ベッドの中で、眠ったまま亡くなられていたそうだ。と、そのとき待ち合わせをしていた方から 後に聞かされた。○○さんらしいね。と、彼と私をよく知るその方と、彼を思い、一緒に微笑んだものだ。豪快に愉快に生きられた方。死にざまは、あっけなく、突然で。でも、まわりに悲しみはなかったそうで。それくらい、人生を謳歌し、そしてまた、椿の花が、ぽとりと落ちるように、潔く逝かれた。30代も半ばになると、いくつかの死を経験する。ひとりの人間の 生きざま。死にざま。わたしは、将来、どんな死にざまをさらすのだろう。彼のように、死んだ後、くす って、彼女らしい死に方だね、って、そんな死に方できたら、そんな生き方がこれからでも できたらいいな、なんて、思ったりした今日この頃でありました。
Dec 9, 2011
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さて。試験も終わってとりあえず時間ができたので、次のお仕事をいただく前に、またまた写真の復元作業をやってます。東日本大震災の津波で流された、思い出の写真たち。その中から、復元の依頼のあったものを、ちまちま、復元しております^^つまり、この写真たちは、自衛隊やらの手によって拾われてきて、ボランティアの手によってきれいに洗浄された後、展示され、持ち主(のご家族)の元へ、無事たどり着けた写真たち、ですね^^→ 洗浄すると、どうしても泥を落とすときとか、ブラシでそっと洗っても色がはげてしまったり、あと、洗浄作業する前に海水などからのバクテリアですでに劣化してたりする。アルバムの台紙やフィルムからはがすときにそーーっとやっても、くっついて、一部はがれてしまったりもあるし。そこで登場するのが、復元作業。消えてしまった部分や、汚れてしまった部分を、描き足すのであります。あ、もちろんphotoshopでの作業です。洗浄のボランティアしてるときも、思いましたが、やっぱり、写真というのは、扱ってると、ぐっと胸にくるものがあります。アルバムをめくっていくと、人が成長してる姿が映し出されてたり、手紙が貼られてたり、無邪気すぎる笑顔に、思わず涙してしまったり。洗浄のときと違って、復元の作業は、アルバムを丸々やるってことはないので、めくって泣くとか、一緒に貼られてるお母さんのメモを見て泣く、とかは無いんだけど。でも、復元の依頼に出すってことは、きっと、この一枚は、そんだけ思いいれも深かったり、映し出されているのは、失ってしまった大切な人だったり、とかなんだろうと思うので。一枚一枚に、すごい時間かけて、出来る限りキレイにやってます。ちょいと、描き足さないといけないようなところでは、リアル絵、ちょっと頑張っててよかったわーーと、思ったりする場面もあります^^(もっと気を遣いますけど)未だに、全国で、たくさんのボランティアの地道な洗浄作業が行われてます。被災地では作業が追いつかず、そんなことやる人の手が全然足りないので、それぞれの地区で拾われてきたものが、各地のボランティア団体だったりに託されて、作業が行われてます。ちなみに私が現在作業させていただいているのは、女川のものです。岩沼での、写真洗浄ボランティアつながりで、声をかけていただいてます^^わたしにできる範囲でのお手伝いになりますが、時間の許す限り、やりたいな、と思います~。
Nov 18, 2011
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先日、相方の入院する病院からの帰り道。すっかり暗くなった寒い道を原チャリを走らせる。ようやく半分ほどの道のりをきたところで、いつものごとく長蛇の列ができてる交差点に差し掛かる。ずらっと並んでる自動車の横を、路肩をするすると進んでいき、交差点の一番前まで来た。横には大きなクレーン車。赤信号で停まってる。重機好きには、それだけでなんだか嬉しいwちょっと停まってると、向かい側の交差点にも大きなクレーン車がやってきて、赤信号の一番手前で停まった。おおおおーー!両方向からクレーン車!!!(゚∀゚)と、なにやら一人胸が高鳴っているところへ、ま さ か!!見ると今度は、交差点の右側から、青信号をこちら側へ左折してくるクレーン車!!まるで、夢の競演!!3方向からクレーン車って!!なかなか、見られないっすよ(((゚ロ゚;)))ガクガク ←奇跡の瞬間に震えるこれで、右側からもクレーン車来たら!と、期待して右側を見てましたが、さすがにそれはなかった。間もなく信号も青に変わり、バイクを走らせましたが、いやぁ。寒い帰り道でテンション下がってたのが、いっきにテンションMAXって感じで、不思議と寒さも忘れて帰ってまいりましたwwいつものごとく、アホな話ですみません。でも、これ わかってくれる女子、いるよね?σ(´Д`*)
Nov 17, 2011
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相方の手術、先ほど無事終了しました~っ長いこと待合のソファに座りっぱなしだったのでお尻が痛い(´Д`)ずっとそこに居ても、相方の意識はまだ麻酔のせいで朦朧としてるから、居てもしょうがないので顔見て、ちょっと話して、そして、ようやく帰宅。とりあえず、腹、減った。
Nov 14, 2011
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というわけで、本日行政書士試験、初受験してまいりました~~っ <ぇ?突然?wってか、超お久しぶりの投稿になります。いやいや。なにげに ちらっと 勉強してたんです。家で。法学は初学。厳密には、豪州でLiquor Act(お酒の法律)はLiquor License取得の際勉強しましたけど、今回のとは次元が違うんで^^;元々法学は勉強したら、きっと好きなんだろうなぁ~、と思ってはいたんですが、(弁護士は嫌いなんですが・・初めてお世話になった弁護士がやなやつだった)とりあえず大学行ってないので、司法試験の受験資格もないし・・と諦めていたんです。が、法学系の資格は、なにも司法試験だけじゃない。しかも、学歴もなにも関係なく受験できる行政書士っていう資格がある、と、知り。色々調べてみると、この資格あったら、相方の手伝い、もっとできるのにな、と思ってたが受験資格がないので諦めてた某資格も、行政書士試験さえ合格して行政書士になれば、受験できると知り。とりあえず、U-C○Nの通信教育受けようと申し込んだのは去年の春。が、新店舗のオープンと重なり、全然手付かずのまま夏を迎え。よっしゃ本気でがっつり勉強するぞ! と、基礎法学、一般知識、そして憲法をやり始めた矢先、またまた新店舗の話が進み・・・バタバタ。とりあえず去年の受験を断念。そうしてる間に、通信講座の、先生とのやりとり出来る期間も終了し。モチベーションも撃沈。そんなとき紹介されて、新たに請け負うようになったイラストのお仕事にフリータイムをとられ。今年になり、春からは本気でやらないと!と、もう一度憲法、そして民法に取り掛かると同時に、東日本大震災。私自身にもちょっと大きな出来事があって、精神的にダウン。だが今は、こんなことしてる場合じゃない、と、とりあえずボランティアへ行き、逆にそこで、なんか力をもらう。そして、やっぱり早く行政書士になったほうが、もっと色々ボランティアできる幅も増えるんじゃないか、と、初夏頃から勉強再開。イラストの仕事も数ヶ月お休みをいただく。そこから黙々と、民法、行政法と 頑張る。が、わかんないとこ聞けるせんせーもいない。とりあえずわかんないところはググる。U-C○Nのテキストは使ってるが、これって、独学っすよね、みたいな^^;そしてググってると、やっぱ、通学しないと無理なのかなぁ、と思うようにもなる。そんな書き込みがいっぱいあるから。あと、とりあえず、一般知識がないのは重々承知してるので、半分捨て気味になりつつも、新聞を毎日読むようにする。とりあえず、今年は、わかんなくても、進もう!ってことで、進めるが。民法と行政法が一番出題数も配点もでかいってことで、その二つを重点的にやる。で、結局、地方自治法と商法、会社法には手がつけられず、今年は放置。で、今日の試験。わかっちゃーーいたが、笑っちゃうほどわかんないんですけど~~っ。みたいな。自信ある問題、60問中10問ちょっとなんですけど( ̄▽ ̄;)で、先ほど帰宅して、ひとっ風呂浴びてから、解答速報で、自己採点。お? 思ってたより出来てるぞ?てか、一般知識、14問中6問以上できてないと、それだけで足切りになっちゃうんですけど、全然クリアしてるしー!!(←次元低っが、やっぱ、全然手付かずの地方自治法、会社法とか絶望的。配点の高い記述式の問題は、半分できてる感じ?でもやっぱ、合格ラインには届いてないですね。ま、こんなもんか。という感じです。でも、どうせダメだと思いつつも、今回試験受けてよかったです。あの会場の緊張感とか、雰囲気も味わえて。すごい受験者数の多さにもびっくりだったし、年齢層高めの方の多さにも驚いたし。というわけで、来年は合格できるよう、もっと頑張ります。本命の資格の方が、行政書士試験より数倍大変らしいし。なので、こんなとこで何年もつまづいてらんないのだ!・・・だったら、学校行けよって?^^;本日受験された皆様、お疲れ様でした~~っちなみに明日は、相方の手術でございます~(なにげに相方、入院中。 試験前、めっちゃバタバタしておりましたとさ。)
Nov 13, 2011
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大阪時代、めっさ一緒に遊んだバイオリニストのRen。彼女を中心とした音楽プロジェクト"Accovio"の1stアルバムがいよいよ発売されました!で、やっとこさ今日届いたよー。楽天ブックス: cine acoustica - Accovio : CDかっちょいい!勉強しながら聞こうかと思いきや、音に聴き入ってしまうので、全然勉強になんねーー(笑)ライブ、東京に来たら今度こそ絶対行きたいな、と思う今日この頃。というわけで、皆様、よろしゅうに。
Sep 25, 2011
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お久しぶりの ジュウさんの動画でございます。てか、必死wあのー、カメラはあなたのえさではございません。desperate : razorback musk turtle and goldfish(You Tube)
Sep 21, 2011
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今日は、ボランティアでお世話になった宮城県岩沼市の、いわぬま復興夏まつり の日です。今年は例年よりも、規模も小さめにやるそうですが、雨に降られず、盛り上がるといいな。そして、祭の今日も、おもいで再会ひろば は、OPENしてます。8月末の閉鎖が、刻一刻と近づいてきました。そんな中、わたしたちのリーダーであり、ご自身も一被災者でありながら毎日毎日、休むことなく、現場でがんばっていらっしゃる方が、おもいで再会ひろばの動画を作成してくださいました。彼の、そして、みんなの優しさがあふれてる、そんな彼らしい、動画だな、って、思いました。おもいで再会ひろば(YouTube)私も、なかなか現地へは足を運べない中、このおもいで再会ひろばの閉鎖に関してなど、いろんなところに投稿したり、ネット上でも、いろんなところに出没しては、書き込みなどを行っているなかで、時には、批判のようなものを受けたり、も、あるのですが、ほんとに現場で毎日人手不足の中忙しいのに、優しくフォローしてくれたり、わざわざ気にかけて電話をくださったり。個人的にも、彼の優しさ、温かさには、本当に救われ、癒され、パワーをもらっております。あの場所へはまだ行きたくない。まだ、思い出と向き合いたくない。復興と、日々の生活で、まだじっくり写真を探しにいく時間がない。そんな声も、やっぱり聞きます。たしかに、まだまだ新たに、汚れた写真などが持ち込まれる中で、まだまだ洗浄されていない写真が数多くある中で、閉鎖の時期が、果たして妥当なのか、わたしにはわかりません。早く、探しに来て、見に来て、と、まだそんな余裕もない方々をせかすのも、気がひきますが。でも、閉鎖されたら、もう、公開されない可能性も、処分される可能性もある中で、やっぱり、一度は、足を運んで欲しいと思うのです。まだ、行かれたことのない、岩沼の方、岩沼から離れてしまったけれど、実家に写真などを置いてた方など、周りにおられましたら、是非、お声をお掛けください。被災され、その後やむなく岩沼市を離れた方含め思い出の品をなくされた方全員にこの報告が届いてほしいです。 岩沼市拾得物展示場 -おもいで再開ひろば- 8月31日(水)をもって閉鎖します 展示場所:岩沼市市民体育センター 展示時間:午前9時~午後5時 期間中は毎日開設しています
Aug 20, 2011
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昨日、愛亀のジュウが、初めて脱走に成功した。とはいっても、なにやら聞きなれぬ音に反応したわたしが、すぐに「もしやっ?!!」と、ジュウの脱走に気付き、すぐに水槽に戻されたわけだが( ̄▽ ̄)でも、水槽の外に落ちたジュウ本人も、そうとうびっくりしたらしく、えへ って顔して、固まってましたw(捕獲されたジュウ:びっくりしてるので、やたら大人しい)しかし、久々にジュウを持ったが、その重さに、超びっくり!!あんた、でかくなったわねーーー母は嬉しい。そんな感じの、久々登場のジュウでございました。※ 同居しているシャケ(金魚)も、うちへきて一年経ちました。 やたら、デカくなり、性格も若干、ジュウに似てきたような・・^^;
Aug 9, 2011
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またまた、岩沼(宮城県)の話ですんません毎日新聞の一ページに、「希望新聞」というコーナー?があるというのを知り。希望新聞には、被災に遭われた方向けの便利な情報やら、伝言やら、また、ボランティア向けの情報やらが掲載されていたりするので、とにかく、少しでも「8月末で岩沼の拾得物展示場が閉鎖する」っていう事実を、多くの人(地元の方々)に伝えたいと思い、(特にネットになじみの無いお年寄りの方々へ)希望新聞の中にある、伝言板的な一情報として掲載してもらえれば、と、数日前に投稿した。(閉鎖について、市からはきちんと広報されていないので、 ボランティアがチラシやポスターを作ったり、 ネットでも、ツイッターやらmixiやらいろんなブログなどで書き込みをして 少しでも広めようと頑張っている状況)が、その後、うんともすんとも言ってこないので、あれ。長々と書きすぎたかな^^;もっかい、短くして送ろうかな、なんて思ってたの。そしたら、昨日、連絡があって。なんと、昨日の毎日新聞の夕刊の記事になりました。岩沼市だけじゃなく、近隣の市とかにも取材したところ、やはり展示終了が続々って感じで。閉鎖、早すぎる、と、取り上げてくれたのでした。が。ちょっと、意図してた感じとは違うし、あれ?希望新聞への掲載はないのかしら?って感じではありますが長々と、背景やら経緯やら、思いを綴ったものを投稿したので、何かがこの記者さんに届いたんだろうなと思いました。展示場の様子の写真なんかも掲載の予定だったみたいですが、都合でなくなったとのこと。それは残念ですが、社会面のトップ?(右ページの一番上)に掲載していただいたので、ちょっとは目に入るかしら?多くの地元の方にも読んでもらいたいです。ちなみに、記事中のボランティアの男性というのは、いつもお世話になってる、ご自身が被災者であるにもかかわらず、毎日展示場で精力的に活動してくださってるわたしたちのリーダー的存在の方です^^そこにも取材行くとは思ってなかったんで、時間とらせちゃって逆にすみません、みたいな。だが、他の新聞社にも投稿しようかと思っている今日この頃でした。
Jul 31, 2011
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模造紙にお絵描きしました。ってか、模造紙、でかっ!!なので、模造紙を半分に切って、お絵描きしました。(20枚入りを2箱も買ってしまったが、1箱でよかった・・みたいな^^; ま、いつかまた使うでしょう。。自治会とか、消防団でも使うだろうし・・)あ。例のごとく?宮城県岩沼市の拾得物展示場で使ってもらえれば、と思ってのお絵描きでございます。※拾得物展示場 → 津波で流されたアルバムや位牌など思い出の品々をキレイに洗って、展示し、探しにこられた方々にお返しする場所。現在のところ、8月末日で閉鎖する方向になってます。このまま予定通り閉鎖してしまうのか、閉鎖までの間に、たくさんの方に来場していただいて、もうちょっと展示の期間を延長する許可をいただけるかは、まだわかりませんが。どちらにしても、ちょっとでも明るく、親しみやすく、憩っていただけるようなスペースであればいいな、と。 今回送った絵の一部です~^^絵の具もめっちゃ久々なんで、素人っぷりがバレバレっすww・・水彩なかったんで、アクリルを水彩っぽく。てか、もともと水彩めっちゃ苦手なくせに写真を展示しているダンボール塀の、足元の部分に貼ってもらえれば、と思って描きました。あまり下のほうに写真を貼ると、すごく見にくいので、下60cm?1mくらい?は、スペースが開いているのよ。子供たちにでも、お絵描きしてもらえれば、と思って、画用紙やらいろいろ置いてきたんだけどね。その後、どうなってるんだろー?8月20日は、いわぬま復興夏まつり ですよ~って、わたしは岩沼市の者ではございませんが^^;ちなみに明日は、近所の夏祭りですうちに シャケ(金魚)がやってきて、1年になるんすね~
Jul 22, 2011
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追記あり(7月15日)-----立て続けですんません。以前は なかった場所。の続きです。 先の日記に書いた、写真など思い出の品々の展示場ですが・・ 8月21日で閉鎖される方向であること。 そして、市としては、その決定を変えるつもりはないとのこと。 しかも、閉鎖後は、それらの品々を、焼却処分する、という方向とのこと。 (写真は3万枚~ その他にもたくさんのご位牌や、ランドセル、 卒業アルバム、置物や人形、はがきや手紙、などなどなど) ってのを、ついさっき知った。・・・・ 焼却??!! 閉鎖だけでも、ええーー!! なのに、 保管もしないって・・・・。 しかも、閉鎖することも、その後焼却することも、 思い出の品を探されている方々にも、仮設住宅の方々にも その件に関しては伝えられていない 現状。 この、展示場があるよ って広報も、十分じゃないって感じなのに。 今はまだ探しにきてなくても、 あとで、落ち着いたら探しにいこうって思ってる人、 気付いたらとっくに閉鎖されてて、しかも、全部焼却されてた!なんて・・。 もう一度、大切なものを失くしてしまった! って思うよね が、明日14日に、災害対策本部の方々?と、 毎日ボランティアとして精力的に活動していらっしゃる某氏(および数名?)が、 話し合いの場を持てることになった、ということで。 mixiのコミュに思いのたけを 書き込みましたが・・・ちょっとでも多くの声が集まって、ちょっとでも行政側に届けばいいな・・・。ちょっとでも多く、地元の方々の声があがって、考え直してもらえるといいな。ってか、焼却って・・・。他の地域よりも、岩沼の写真の復旧の活動は進んでるから、他の地域も、後々、同じような問題が出てくるんだろうな。 てか、あの、一枚の写真をみつけて、声をおしころして涙を流されてた方の姿を思い出すと、毎日毎日探しにきて、「あー!かぁちゃんの位牌だ!!」と、喜んで持って帰られたおじいちゃんの笑顔を思い出すと、展示場の閉鎖って、まだまだ早すぎると思う。捨てるなんて、わたしには、考えられない。 (追記)昨日の話し合いで、焼却処分は、回避されたようです!!ほっ。。展示もとりあえず8月いっぱいということになったみたいです。まだ今後も市民の皆様の声などによって、状況は変わるかもしれません。とりあえず、閉鎖になっても保管、とういことなので、安心しました。
Jul 13, 2011
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先日、青森のお爺ちゃんのお見舞いに行く途中、 以前一度お手伝いさせていただいた、宮城県岩沼市に行った。 一日だけだが、またお手伝いさせてもらおうと。 出発前に少しずつ、ボランティアセンターが活動を縮小したり、 閉鎖したり している。 岩沼は7月19日からは土日のみのボランティア受付になり、 また、8月1日からは「岩沼復興支援センター スマイル」へ移行、 県外ボランティアの受付は行わないことになる、とのこと。 って、書いたんだが。そんなボランティアセンターの情報を読んで、 ん? 写真はどうするの? そう思いはしたが。 まさかそんなことになってるとは思いもせず。 二度目の、岩沼は、初めて訪れたときとは違って、 故郷でもないのに、「ただいま~っ」 って感じ。 到着して間もなく、見覚えのあるお顔も見れたし^^ 品物復旧の作業場所も、きれいになった写真などの展示場所も、 引っ越して、広い体育館に移動になってた。 (それまではご遺体の安置場所になっていたところ) 体育館なら 大人が写真とか見てる間、子供たち遊べるかなー と、 ラクガキ帳やらクレヨンやら、おりがみ、持ってって、 勝手においてきたしww 初めてボランティアでお世話になって、東京へ戻ってきてから、 mixiで岩沼の品物復旧のコミュを発見したのもあってか、 より身近に感じていた。 体育館に到着して、まもなく、 この展示場が ボランティアセンターの閉鎖とともに 閉鎖される方向であることを 知った。 は? ってか、閉鎖されるってことは、 この写真たちはどうなるの? この思い出の品々はどうなるの? 箱に詰められて、持ち主に見つけられることもなく、 市役所の倉庫に眠るってこと??? 衝撃というか、怒りにも似た感情がこみあげるが、 それは、 にわかボランティアの私なんかより、 実際ここで毎日のように作業し、 毎日 写真や思い出を探しにこられる市民の方々を 見ているみなさんが もっともっと感じていらっしゃるわけで。 そして、怒るだけではなく、存続へむけて、 具体的に話し合われてて。 実際この場所を残すには どうしたらいいか。 場所を残したとして、誰がどうやって運営していくのか。 作業は続けていけるのか。 人材の確保 などなど。 現実的に考えれば考えるほど、問題や課題は出てくるもので。 きっと、市民の皆さんも、この展示場がなくなるって知ったら、 反対って人が大多数だと思うんだけど。 存続希望の署名集めれば?とか、思いもしたけど。 毎日のように、探しにこられる方々がいらっしゃる一方で、 今はつらくて、まだ見たくない って方もいらっしゃるし。 かといって数年後、欲しくなったときに なくなってたら、 捨てられてたら またつらいと思うけど。 いろんな たくさんの それぞれの 感情や 思いが たくさん たくさん あるんだな。 って。 再度 実感。 震災前には、なかった場所。 震災前には、いらなかった場所。 でも、震災後に作られた場所。 通常業務じゃないものは、少しずつ復興という名の下に、 活動が縮小され、終了されてくけれど、 震災後に 新たに必要とされる場所って、絶対あるよね。 もしかしたら、もうすぐなくなってしまうかもしれない って 恐怖にもにた悲しみや さみしさを 少し覚えながら、 わたしは、一日、写真を展示しているダンボールで作られた壁に お絵描きさせてもらいました。 (ラクガキすぎて、めっちゃ恥ずかしーw) とにかく今は、閉鎖のとりやめ を願ってます。 微力でも、協力できること、させてもらえたら と思ってます。 なぜ、岩沼にそんなに思いいれがって? 理由はないっすね。 縁です。 てか、例の 三浦半島の断層群の件で、 ますます 次はわたしたちが~ って気がしてますけど こればっかりは、いっくらシミュレーションしてても、 実際こないとわかんないけど。 防災士とか言って、いくら偉そうなこと書いててもパニくるかもしれんけど。 んでも。とりあえず 生き残って、 がっつり活動できるように、頑張りたいっす。 ちなみにそんなときは、ケータイの充電なくなる前に 「災害用伝言板」に安否登録してねーー (わたしもするから、メールより、災害用伝言板確認してねー) PS。 ちなみにお爺ちゃんは、想像してたよりだいぶ元気そうでした。 少し安心しました。
Jul 13, 2011
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少しずつ、ボランティアセンターが活動を縮小したり、個人の県外ボランティアの募集を終了したり、ボランティアセンターから、支援センターなどへ移行したり、閉鎖したり している今日この頃。※ もちろん、まだまだひきつづき 県外ボランティアを受け入れしている 地域もあります!ボランティア行かれる方は、要チェックで!!きづけば、もう、震災から4ヶ月近くも経つんですね。私が訪問したボランティアセンターのうち、多賀城は7月11日以降は「復興支えあいセンター」へ移行(すでに県外ボランティアの募集は終了)岩沼は7月19日からは土日のみのボランティア受付になり、また、8月1日からは「岩沼復興支援センター スマイル」へ移行、県外ボランティアの受付は行わないことになる、とのこと。写真の洗浄などでお世話になった、岩沼の、拾得物展示場も今日明日あたり引っ越し作業におわれているみたい。そこでずっとボランティアをされている方が中心となって、ボランティアのコミュニティが出来上がってて、わたしも少しですが、参加させていただいてます。去年受験しようと思っていたのに、仕事の都合でできなくなってしまい、今年こそは受験して(できれば)合格したい資格試験があるので、現在も猛勉強中なのではありますが、(現在の仕上がり具合からして、たぶん来年も受験することになるかと思うが)今月半ば頃からはまた自由に動けなくなるので、今のうちに、もう一度お爺ちゃんのお見舞いへ行こうと思い立ち、その道中、もう一度、宮城県にお手伝いに行くことにしました。展示場が、今までのところよりもっと広い場所になってるはずなので、試行錯誤しながら、展示方法を変えたり、いろんなアイディアを出しながら、新しい展示場が出来上がっていくんだと思います。わたしも、ちょっとでも、私なりにできることをやってきたいなと思います。というわけで、またちょっとの間、留守にします。ってっても、ここはほぼ放置気味なので、ちょっとくらい留守でもわからんかww以前は毎日欠かさず、ブログ更新してたのにね。ほとんどみんな、mixiにいっちまったんで、過疎ちゃって淋しい気もするが。ここは、とりあえず閉鎖しないつもりっす。ではでは。暑い日が続いておりますが、どうぞ、体調くずされませんように。今年の夏は節電も大変ですが、無理しすぎず、ご自愛ください。
Jul 6, 2011
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mixi日記の読者は二度読み注意早速予防注射などを受け、先日、宮城県に行ってきました。 私が行ったのは、仙台市から南へちょっと下った岩沼市というところで、 岩沼のボランティアセンター(VC)は 以前より情報量も豊富で、 (ブログも毎日更新されている) 県外ボランティアを早い段階から、またGW期間中も受け入れをしている数少ないところで、 電車も道路も通り、ライフラインも復旧していて、 初めての災害ボランティアには、行きやすいな、と思い。 http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10109 ボランティア用の駐車場や、テントを張って生活するテント村も そこで生活するボランティアの方々が作られたルールがきちんと守られ、 互いに迷惑をかけないよう配慮され、キレイに保たれ、防犯パトロールも巡回していて、女性でもテント生活や車内宿泊されている方々もいらっしゃるようで。 ちなみに私は、仙台から電車で20分ほどのT市の妹宅へ宿泊させてもらっていたので、宿の心配はありませんでしたが。 (電車の数は少なくなってるのもあり、T市からは朝6時半には家を出ないといけず、妹ともゆっくり話もできず、寝に帰るって感じでした。 途中、自衛隊から一日戻ってきた妹の旦那さんにも会え、少しですがお話が聞けて、なにより、無事な姿を見れてよかったです → そんな時にお邪魔しちゃってごめんなさい、みたいな) ちなみに仙台駅から岩沼駅までは電車で30分弱、 岩沼駅からVCまでは、徒歩20分くらい。 駅からずっとまっすぐ歩くと、目印になる病院などが見えるので、 最初から全然迷わずいけました。 T市のVCにも一度立ち寄り、先日ブログで募っていた土嚢袋を50袋、 持ち込みました(ちょっとでも荷物が減って、ほっ)。 そのまま2日目からは、T市で活動もできたのですが、 何かの縁かな、と思い、今回は毎日岩沼まで行きました。 その頃の、岩沼でのボランティア活動のほとんどは、 VCへ依頼のあった個人宅へ行き、泥かきなどの作業が中心でした。 朝、8時半からVCで受付が始まるので、それまで毎朝 VCの前で、 行列を作って待つのですが、 ガテン系お兄ちゃん、おじちゃんたちに混じって、バッチリかっこよく決めてらっしゃる女子など、女性の姿も結構ありました。 見渡すと、列の中に、ちらほら、オバチャンがいたり、おじいちゃんが居たり、 え?その格好で?みたいな、ヒラヒラな格好のお姉ちゃんが居たり・・・ そんな長靴を履いていない方々は、VCの中に入ると、 泥かきの方々とは別の「一般受付」の列に並び、 物資の仕分け作業や、品物復旧の作業に割り振られます。 (日によって荷降ろしや、仮設住宅への移転作業など、色々ありました) ちなみに私も、長靴、粉塵マスク、ゴーグル、丈夫なゴム手袋、 雨合羽に作業着なども持って行っていたのですが、 初日は 夜行バスで到着したばかりで、寝ていないのもあり、 様子見も兼ねて、一般受付に並び、品物復旧の作業に行くことに。 品物復旧は、自衛隊の方や、撤去作業などされている方が 現場で見つけて保管してくれていた、泥まみれのアルバムや、手紙、 置物、位牌などを、キレイに洗浄などして、展示し、 探されている方に返す、というものです。 命にかかわるものではないし、そんな、写真なんて贅沢な、 と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、 初日、少し展示部屋の方で、展示や引渡しのお手伝いもさせていただいたので、 実際に 写真を見つけられて、無言で泣いていらっしゃる方や、 かあちゃんの位牌だ、と、喜んで持って帰られるお爺ちゃんを見て、 ああ、一枚でも多くの写真を、出来るだけ早くキレイにしてあげたい、 と、すごく思いました。 写真の洗浄などのやり方を最初説明を受けてから、それぞれ作業に入るのですが、 最初は、比較的キレイなアルバムやバラの写真から始めていき、 慣れていくにしたがって、ドロドロのものや、難易度の高いものをやりました。 泥まみれのアルバムは、海水や泥に浸かって、時間が経って、どんどん劣化していたり、 顔が消えてしまっていたり、カビが生えたりして、異臭がしていました。 (マスクとビニール手袋をして作業します) アルバムのフィルムからはがそうとすると、プリントもはがれてしまうものや、 水で流すと、色も流れ落ちてしまうものもたくさんあり、それぞれの状態や 材質などに合わせて、歯ブラシや筆、はけ、綿棒やカッター、ピンセット、 ティッシュやタオル、剥がす工具などを使います。 「ああ・・これ、一冊全部ダメかも」って中から、 ほんとに一枚だけ、奇跡的にキレイに残っている写真があったりして、 まるで生存者を見つけたときのような喜びがあったり、 一人の人間が、生まれた時から、どんどん成長していく記録があったり、 手紙があったり、メモがあったり(メモなども、できるだけ全部キレイに剥がして、泥を落とし、写真と一緒にまとめます) いちいち、この人同い年だなとか、今どうしているんだろうとか、想像したり、 いろいろ、思いをめぐらせてしまったりしながら、 あ、ダメダメ。 一枚でも多く、少しでも早く、と思いなおして、 自分を奮い立たせながら、作業していました。 2日目は、せっかく長靴とかも持ってきたし、経験もしたいし、と、 リュックに一式入れて、泥かき仕様でVC前に並んだのですが・・・ その後の受付で、「品物復旧の方が全然人が足りないので、できれば」と言われ、 結局ずっと、品物復旧をやりました。 ま、ちまちま地道な作業が好きな私には、ぴったりの作業だったと思います。 作業は、VCから車で移動し(他のボランティアさんの車に便乗)、 市役所前の旧青年勤労ホームというところでやります。 途中、休憩が一時間、2階の和室で持参した昼食をいただきました。 (車の前でコンロをだし、自炊されている方もいらっしゃいました) 朝9時頃~16時まで。 作業後は再度VCまで戻り、腕章を返却し、解散。 そんな短い3日の間に、色々な方とご一緒させていただきました。 JICAから派遣されて来ている何人かの女性の方々、 同じく東京から一人でやってきた女性たちとも一緒になりました。 自分のところも被災しているのに、福島では何にも出来ないから、と、 休みのたびにテント持参で県外にボランティアに出ているという福島の宿で働く女性、 3日に一度透析を受けてるのに東京から運転して来て、一泊二日で帰るお爺ちゃんや、 そのお爺ちゃんと一緒に来た上海のおばちゃんが居たり、 会社の許可を得て、長期で来ている方が居たり、 神奈川から数週間単位で何度も来ている、泥かきも搬入も写真もなんでもやる、元気な60歳のおっちゃんが居たり、 やっぱり東京から車で来て、車で寝泊りしているご夫婦が居たり、 仙台?から毎日ずっと来ている若い男性がいたり ← この方、皆さんにやり方指導してるんで、責任者って感じですけど。(他の地域では、写真や品物は届けられているが、まだそこまで手がまわらず放置されているところも随分あるらしく、そういう所にも行って作業したりしたい、と言っていましたが、岩沼で毎日来てくれる任せられる人が居ないので、彼も他に行けない、と、困っていました) また、自分たちの生活の合間にやってくる地元のおばちゃんたちが居たり。 地元の方々は、私がお話させていただいた方は皆さん、 「ほんとうに、わざわざ東京からありがとうございます」と、 必ず言ってくれて、 「ほんとにお辛いでしょうに、 気持ちよく受け入れてくれて、ありがとうございます」と、 こちらの方が言いたいくらい、って感じでした。 長くなりましたが、 やっぱり、実際に自分で行って、見て来て、 なんというか、表現に苦しみますが、 いい経験をさせてもらったなと思いました。 なかなかボランティアで家を空けるのは、自分の気持ちがあっても、 最初は怖いし不安だし、家族の理解もないといけないし、 自分の生活も、仕事もあるので、難しいと思います。 でも、行ける人は行って欲しい。 まだまだ、全然人手は不足していると思います。 ニーズは、いくらでも、どんどん出てきます。 行きたいと思って、でも、女一人だし、自分なんか行っても邪魔かも、 なんて、躊躇している人がまわりに居るんだとしたら、 私の体験話なんかもしてあげて欲しい。 これからもまだまだ、力仕事以外のニーズもどんどん出てくると思うので、 是非、きちんと情報を得て、しっかり準備をして行って欲しい。 と思って、この日記を書きました。 最後に、私は足がなかったので、なかなか海岸のひどい被害の方は 見れずに居たのですが、変な話、作業されたなら特に、絶対見ておくべきです、 と、2日目からご一緒させていただいた、東京からのご夫婦に声をかけられ、 車で連れて行っていただきました。 (地元のおばちゃんに、歩いては行けないの?とか、自転車借りて行こうかな、とか 話してたのを聞いていたのかもしれません) 岩沼の海岸の、堤防前まで連れて行っていただきましたが、 テレビで見たような、戦争の後のような光景が広がってて。。 いや、それよりも、実際に見たほうがすさまじく。 独特の、あの写真からもする 臭いが漂ってて。 カメラなんて、向けられないような、 でも、撮らないと、みたいな、複雑な感情。 でもやっぱり、人や他の車がまわりにいると、カメラなんて、 かまえられないな、みたいな。 でも、一緒に連れて行ってくれた旦那様が、 「すごい複雑な感じなのはわかりますが、 変な話、テレビとかで見慣れちゃったこの風景の中に、 自分が立って写ってたら、お友達に見せたりする時にまた、 きっと、もっと伝わるものがあるんじゃないですか? 写真、撮るべきだと思いますよ。」 なんて言っていただき、自分もそこに立って、写真を撮っていただきました。 ピースサインをするわけでも、笑えるような状況でももちろんなく、 なんか、変な感じで立ち尽くしてる私が、写真の中に居ますが。 んでも、 一人であの場に行ってたら、途方に暮れて、 動けなくなってたかもしれないので、 連れて行っていただけて、ほんとによかったなと思いました。 わたしたちの行ったところは、まだ、道路もきちんとあるけど、 まだまだ近づけない場所も、危険な場所もあります。 ほんと、道路一本はさんで、 向こうは、もうことごとく何もなくなってしまって、 ここはここまで浸水したけど、かろうじて家はあって、 手前のあちら側は、全然津波がない、みたいに、くっきりと分かれてるって感じでした。 現場の状況は日々、刻々と変化していると思います。品物復旧の様子も、私がお手伝いさせていただいた時と今とは、またちょっと変わってきているみたいです。行かれる場合は、きちんと情報収集をしてから行ってください。高速道路料金の支援なんかもあったりするみたいですよ。また、ボランティア保険への加入は必須です。 お住まいの地域の、VC(社会福祉協議会)で加入します → センターによってはできない所もあるようなので、事前に確認してください。 いくつかプランがあり(東京の場合は6パターン)、災害ボランティアで行かれる場合は、「天災プラン」に加入します。 ちなみに私は、真ん中の天災Bプランに加入しました。保険料は年間1000円(~3月31日まで→途中加入でも掛け金は同じ)ちなみに私が受けた予防接種は、麻疹と破傷風です。てか、終わろうと思ってたのに、さらに長くなっちまいましたね。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
Jun 13, 2011
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こちらの日記の更新は、実に久しぶりです。書かない間に、色々なことがありました。たくさん笑ったし、たくさん たくさん 泣きました。いろんなことを 考えさせられたり 教えられたりいろんなことを 感じたり 思ったりしました。ちょっとでも心を落ち着かせるために とか祈り とか 願い とかいろいろな思いをもって写経しにお寺に行ったりもしました。一人、夜行バスにのって宮城県にも行きました。いろんな人に出会いました。涙も出ないような 絶望感が広がる海沿いの景色とむんむんと湧き上がるような 熱い思いと 行動する人々の姿とありがとう と あたたかく迎え入れてくれるその笑顔たちと声を出さないように必死にこらえて 涙を流す その姿。ほんの数日だけのボランティアでしたが、なんというか。全然 思いとか 感じたこととか あわらすことができませんが、復興への希望と 復興への絶望感と みたいなものも 少し、見たというか。いろいろあって、心が落ち着かない感じではあったけど、少しずつ 平穏になってきているのかな。被災地を思うと、ボランティアまた行きたい、とかこんな生活してていいのかな、とか思ったりもするけど、とにかく今は、自分でできること 精一杯、自分の生活する、みたいな。そんな近況です。今日はこちらは、久々にすっきり晴れ渡って、気持ちいいです。ボランティアのことについては、別日記にて。
Jun 4, 2011
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Jun 3, 2011
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頑張れ なんて 言うな。死ぬほど、狂うほどに頑張ってるんだ。もっと頑張らなきゃいけないのは被災してないわたしたちの方だ。あわてふためいて ビビって、 文句ばっかり言って、嘆いて 騒いで って、そんなことしてる場合じゃないよ。今、自分にできること、しっかり やれ!しっかり 立って しっかり 進め!大変だったね お疲れさん。ここでゆっくり休んでね。って、言葉かけられるくらい、とりあえず、オレたちに まかしとけ!って胸はれるくらい被災した人たちを背負えるくらいしっかり、立って、しっかり学んで しっかり働いて。お前が 私たちが しっかり 頑張れ!!
Mar 21, 2011
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宮城県で被災し、数日後避難所までようやく避難した妹。妹とは地震直後の連絡以降、音信不通になっていたので、なにげに心配していたのだが、避難所に到着してから、ようやく実家に連絡が入り、わたしもとっても安心したものだ。これで、安心。避難所生活は辛いだろうけど、あの子はしっかりモノだし、きっと頑張ってる。頑張ってくれているだろうと思ってた。が、一緒に避難していた5歳と2歳になってない娘たちの具合が悪くなり、そして、妹までも具合が悪くなってしまった。妹は、精神的にもかなり参ってしまったらしく。(もちろん私からは被災地へは連絡していないので、状況は母などから聞いた)そして弟が、意を決して、妹たちを迎えに、実家のある青森から出発した。私としては、もうちょっと待て、と言いたいところだったが、すでに行くことを決めてしまっている様子。車ではガソリンの補給が見込めないことを伝えると、交通機関を使っていくことにしたもよう。携帯の充電がなくなっても困るので、私からは一切連絡せず、弟からの連絡を待つ。妹たちと合流できたと聞いた時には、かなりほっとしたものだ。だが、もちろん余震は続くし、何が起こるかわからないので、家に戻るまでは安心できない。おとといはそのままそこで宿泊し、次の日は 秋田くらいまで移動し、そのまま宿泊。そして、今日午後、ようやく 無事帰宅、との連絡が。すぐに家に電話をすると、喜ぶ母の声。妹や弟、姪っ子にも電話を変わってもらって、まじ、涙出そうになりました。被災地では、たくさんの、本当にたくさんの方々が、まだまだ苛酷な状況の中、耐え忍んでいらっしゃいます。そう考えると、本当にすまないな、と思いますが、今はただ、妹たちの帰還を、本当に嬉しく思います。(今夜は安心して眠れそう・・)
Mar 18, 2011
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東京電力のホームページにいけず ぶんさんの日記に記載のあったURLで大変助かりましたので、 こちらにも記載させていただきます。 http://gigazine.net/news/20110313_rolling_blackouts/ http://news4vip.livedoor.biz/archives/51760538.html 第1グループ 6:20-10:00 16:50-20:30 第2グループ 9:20-13:00 18:20-22:00 第3グループ 12:20-16:00 第4グループ 13:50-17:30 第5グループ 15:20-19:00 ふむふむ。 えっと、うちは・・・・グループ2と 4と 5ね。 って、おいっ!!! うち(某市某町)、3つのグループに属してるんすけどっ!!!! 丸一日、ずーーーーっと停電じゃん!! 仕事まじできねぇ~~っ(号泣) っていうか、火曜日締め切りなのに、 地震後の停電やらその後のゴタゴタやらで、あまり進んでなくて 超あせってたんすけどぉ~~ これ、もう、無理じゃね? え?これが4月まで毎日なの?? うちの町に対する 拷問? いじめ?? ってか、今夜は確実に眠っちゃダメよね ・・・と思ったら、 同じ町内でも、番地によってグループ分けされてるみたいで、 ちょっとほっとしました。 毎日3時間くらいならね・・全然いいけど。 でも、うちの番地はどのグループに入ってるかは、 東京電力に問い合わせないとわからないっぽいので、 電話、絶対3時~4時くらいまで待たないとつながらないよね。。 って、もう3時だけど、一向につながりませんorz(24時間体勢で応対してるらしい・・そりゃそうだ) いつ停電になるのかわからん状態で、数時間後には停電が始まるって・・ 確かに緊急を要するし、しょうがないんですけど・・・ねぇ。 せめて、東京電力のホームページ見れば全部わかるようにしておいて もらいたいのと、そもそもホームページにいけない状況って・・ そんな感じの関東地方でございます。
Mar 13, 2011
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(追記2 あり → 被災した各県庁での救援物資受付の情報について 誤情報)とりあえず、とにかく、節電!被災地への電話などは避ける!!そして、義援金を送る。---救援物資などを送りたい、と考える人は多いです。でも、混乱しているさなか、少量の個人的な物資は中身も確認されることのないまま、結局はゴミとなって山積することが多いです。今私たちに出来ることは、食料や水を個人レベルで送ることではなく、義援金を100円でも1000円でも、送ることです。大きな機関や企業がまとめて、分配できるだけのまとまった物資を届け、自治体関係者やボランティアたちが各避難所などへ分配して、初めて被災者の手に届く救援物資となります。※ 義援金詐欺が出ています。信頼できる機関への義援金をお願いします。被災地への道路などは、混乱しますので、救助や、そういった救援物資を搬送するボランティア部隊が迅速に到着できるよう、一般の方は、特に車両での通行は控えてください。(阪神大震災の際も、「救援物資運送中」と書いたボードをかざして、車で野次馬に向かう人々がたくさん出て、大変迷惑しましたね。あのときは、個人で行く人はみんな神戸まで歩いて行きましたね。)ボランティアなどで現地へ向かわれる方も、車両を出すのであれば、車両を少しでも減らす為に、できるだけたくさんの方と一緒に行き、自分の食料や水は持参してください。(追記)→ 個人のボランティアは現在受け入れ態勢が整っていないので、 受け付けられないそうです。もうちょっと落ち着くまで、待って。※ 現在は現地の役所などへ物資を持っていっても、現地で拒否されると思います。(追記)※現在、郵送で救援物資を募っている団体ありました。18日必着。 おむつ、生理用品など、指定された物資のみ受け入れ。(下記参照) 少しでも手間を省く為、同じものを大量に大きな箱で、何が入っているのかを 明記して送るのがいいと思います。----以下コピペ---スタッフが限られているため、持ち込みの受け入れをやめ、 郵送のみ受け付けるそうです。 送付する際は、必ず、送り主を明記してください。 3月18日、必着!!!! **団体名** アジア太平洋子供救済センター この指とまれ **住所** 〒501-6273 岐阜県羽島市小熊町2の365 **募集物資** すべて、新品でお願いします。 ・大きめのタオル ・紙おむつ ・生理用品 ・ウエットティッシュ ・せっけん 以上、5点のみです。 それ以外の送付は、ご遠慮ください。 物資は、18日以降に現地に運ぶそうです。 皆さんの、ご協力をよろしくお願いいたします。 ----以上コピペ---(追記2)自衛隊が、救援物資のとりまとめをおこなっているとの情報がありますが・・・。青森県、福島県などでは、明確に 個人からの救援物資の受付は行っていない と明言しています。いろんなブログやチェーンメールで、各県庁へ送れとの表示があり、詳しくは各県庁へお問い合わせください、みたいなことが記載されてたりしますが、電話などでの問い合わせは しないでください!!混乱を想像してください。絶対しないでください。なお、交通インフラ麻痺のため、各運送会社も配達を見合わせています。(クロネコ→東北6県、茨城県、北海道の一部への荷物受付していない 佐川→東北6件、茨城県への荷物受け付けていない など 詳しくは各社HPへ)なので、誰かが乗り入れない限り、物資は届けられませんので、救援物資の送付も 待ってください!!--以下コピペ2-- 以下内容は、誤情報です。正しい情報が確認され次第、後日別途記載しますのでご確認ください。自衛隊では支援物資を受け付けています。 → 受け付けていません各県の県庁が窓口です。募集品目とご注意頂きたいこと・衣料、食料、電池、日用品(石鹸やティッシュなど)、ベビー用品を募集しています。・食料は腐らないもの(レトルト、インスタント食品、栄養補助食品)など。・特に毛布やカイロなどの暖を取れるものが助かります。・衣料の場合はサイズごとにおまとめ頂き、分かるように明記ください。・衣料はなるべく綺麗なものが喜ばれるそうです。・なるべく1つの段ボールには一種類の商品⇒仕分けの手間が減ります。・重くなり過ぎない様に。・「地震支援物資在中」とお書き添え下さい。送付先●各県庁情報非表示にしています(あじゅ)--以上コピペ2--上記を、後日落ち着いてから送ろうとお考えの方も、とにかく ひとつの同じものを大口で が鉄則です!!--追記2ここまで--※ 多言語話される方は、通訳ボランティア(遠隔可)もあります。※ 血は生もので、保存も長く出来ません。 献血は今日明日のみに集中せず、できるだけ拡散して行ってください。備考:当方、自身も通院中の為、現地入りしても迷惑かけるだけなので現地へ行けない まったく役立たずの防災士であります。防災士は、救助などの訓練を受けていませんが(救命講習程度)避難所設営・運営など、防災士は全員教育を受けておりますので、現地で活動される方なども、是非、活用してください。普段活動していなくても、防災士は日本全国に、何気にたくさん居ます。災害時は、詐欺・犯罪が多発します。情報も錯綜しますので、誤った情報を流さないよう、まどわされないよう、情報を見極めて、行動しましょう。安否確認がすでにとれている方は、現地への電話なども避けましょう。
Mar 13, 2011
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とりあえず 余震おさまって欲しいですね電気ナシも怖かったし不便だったけど電気あるのも テレビに映し出される映像がすごいから、また怖いねあんなの見ながら、不安と心配で全然気は立ってて落ち着かないのに、普通に仕事に戻ってる自分が、すっごい変な感じであります宮城の妹とはその後連絡とれず。まだ停電しているのだろう。携帯の充電ができないのだろう。旦那様は自衛隊員なので、もちろん不在。幼子を2人抱えて、頑張ってるんだろうな。頑張ってて欲しいと思う。被災地の皆様自衛隊関係者の皆様消防関係の皆様警察関係の皆様医療関係の皆様ボランティアの皆様その他、皆様本当にお疲れ様です。どうか、ゆっくり安心して温まれる時間が早く訪れますように。
Mar 12, 2011
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追記 強制キャンドルナイトになる方 (私も含め( ̄ロ ̄;)) 火が燃えうつらないように 火災にも気をつけてください。。 ってか、今夜は帰宅できない方、 特に都心には、たくさん居そうですね。 大変だと思いますが。。 風邪ひきませんように。 ケガされませんように。 運転されてる方は、まだ信号 止まってるところもあるので 安全に運転しましょうね。(さっきバイクでコンビニに行ったんすけど、 めっちゃ怖かったっす →しかもコンビニにはすでにすごい人で、 おにぎりとかとっくになくなってたっす(T_T)) ってか、今日まで東京ビッグサイトに居るはずの、 おかきちさんが心配だったり・・・(´ω`)
Mar 11, 2011
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すっごい揺れて、しかもやたら長くて 若干車酔いっぽいです(T_T) 停電中ですが、 無事です(´ω`) 宮城の妹も無事だそうです。 余震続いて怖いけど。 電話もメールめiモードもなかなかつながりません( ̄ロ ̄;)
Mar 11, 2011
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とうとう この季節がやってきちまいやしたね。何日か、暖かくて晴れの日があったんですが、全然、気配を感じていなかった花粉。ん?もしかして今年は平気か?なんて余裕こいてたんですけど、まぁ、そんなはずもなく、しっかりきましたよ。むずむず ひ、ひ、ひぃ~~っくしゅっっ。(おまえ カトちゃんか と 言われたりします)今日はこちら、大変暖かくて、風がびゅーびゅー吹いておりました。が、何を思ったか、夕方から3時間も歩いてしまいました。先ほどようやく帰宅した時には もう真っ暗。てか、途中から川沿いの道も、もう真っ暗でしたけどwあはは。目は しょぼしょぼ かゆかゆ。そうそう。週末から(ってもう週末か) 帰省します。先日言ってた、お爺ちゃんのお見舞いです。手術もできない、あといつまでもつかは生命力次第、退院ももちろんできない、と言われていたお爺ちゃんですが、なにやら 奇跡的に回復したとかで、今度手術ができるようになった・・らしい?なので、急いでお見舞いにいかなくてもいいんだろうが、ちょいと時間作ったので、帰れるときに帰って顔見せておこうというわけで、ちょっくら行ってきますわ。しかも、嬉しいことに、帰省中、妹(その3)の卒業式があるらしく。高校の卒業式かぁ・・・・(遠い目)ちなみに どこでもいつでも寝れる私は、一人で帰省するときは夜行バスでのらりくらりと行きます。安いし、乗り換えもないし、寝てれば着くので、楽なんです。そんなこんなの今日この頃。このままもう暖かくなるのかしら。また寒い日もあるのかしら。しかし実家の方は まだ暖かい日でも最高気温6度とからしいので、(ぶるぶるっ)てか、雪もまだ全然あるみたいなので、あったかくして帰省したいと思います。ではでは。
Feb 25, 2011
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久々のジュウ(源十郎)でございます。あれから(いつ?)体は大きくなってないので、成人に達したんだと思われます。一緒に写ってるのは、同居人(魚)の 金魚、その名も シャケ。随分と大きく成長しました。シャケは、去年の盆踊り以来、一緒に住んでおります。シャケの仲間は、全員、暴君と化したジュウに捕食され、(何人かの方に、非難されましたが)金魚の群れは 一瞬にして跡形もなくなりましたが、シャケだけは 賢いのか、逃げ足が速いのか、ジュウも もう襲う気配さえなく、仲良く暮らしている日々でございます。てか、シャケって、このままどんどん大きくなるという話。ってか、金魚って、鯉の友達?大きくなったら、鯉になる?だったらさ、鯉って、冬でも公園の池とか川で泳いでるから、わざわざヒーター入った水槽で飼わなくてもいいってこと なんだろか
Feb 16, 2011
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またひとつさよならが 近づいてるようだ。大好きなお爺ちゃんの暖かくて 大きかった手も後姿も久々に会うと 小さくなってた。お正月に 元気な姿で 会えてよかった。いっぱい 一緒に笑えて よかった。時間つくって、また、会いに行きたいな。次の帰省が お葬式だなんて、淋しすぎるし。お婆ちゃんは三人いたけど、お爺ちゃんは一人しか居なかった。そのおばあちゃんも、もう、ふたり、居なくなってしまった。お爺ちゃん居なくなっちゃったら、お母さんの実家は、ほんと、お婆ちゃん、淋しくなるね。もっと、遊びに行かないとね。昔、実家で一緒に暮らしてたお婆ちゃんが、2年ほど前に亡くなったときは、お婆ちゃんの部屋から、お爺ちゃんのたくさんの写真や、お爺ちゃんの日記や、手紙が出てきて、会ったこともない お爺ちゃんの 存在を 初めて実感して、お爺ちゃんとおばあちゃんを思って、初めて泣いた。お爺ちゃんの話なんて、全然、お婆ちゃんとしたことがなかったから、お爺ちゃんが生きてたら、この人の人生は全然違うものになってたんだろう、とか、もっと笑って、もっと優しい性格で、幸せに暮らせたんだろうか、とか、そんなこと、考えたこともなかった。そんなおばあちゃんとは対照的に、母の実家のお爺ちゃんおばあちゃんは、あったかくて。農作業をいつも頑張ってて、お爺ちゃんのスイカは世界一おいしくて、冬は杵と臼でついたお餅を 薪ストーブの上で焼いてくれて、一緒に居ると安心できて、お爺ちゃんおばあちゃんは理想の夫婦に見えて、子供ながらに 大好きだった。小学校の時なんかは、毎年必ず、泊まりに行った。そんなお爺ちゃんが、ついこの前 緊急入院して。もう、退院できないんだって。それを教えてくれたお母さんも、すごいショックみたいで、まだ信じられないみたい。考えられないみたい。でも、お婆ちゃんの方が、さらに精神的に参っちゃってるみたいで。心配だけど、誰も、避けては通れない道。お爺ちゃんが亡くなったら、お婆ちゃんもすぐに居なくなっちゃいそうで怖い気もするけど、淋しい気もするけど・・お婆ちゃんの手も、握ってあげたい。さよならの前に、やっぱり、もう一度会いたいな。会って、何をどれだけ伝えられるんだろう。言わなくても、伝えたいことは、伝わってるのかもしれないけどね。
Feb 9, 2011
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ぶんさん、おかきちさん、 お誕生日おめでとう そして、ありがとう(´∀`) 今年もまた、一緒に、おめでとう ありがとう、って言い合えること、 とっても嬉しく思います。 ちなみに今年は、わたしは16年ぶりに実家で、 親や妹たち、弟、そして、姪っこや甥っ子たちに バースデーケーキにローソクまでばっちり立てられて、 ほっこり嬉しくなるような誕生日でした〓 新しい一年、いい一年になりますように(*´∇`)
Jan 6, 2011
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2011年も、 どうぞ、宜しくお願いします。 大晦日から元日は、 激しく降った大粒の雪が もこもこに雪が降り積もり、 元日は朝から、屋根に上がって 雪降ろしをして、汗をかきました。 正月を実家で過ごすのは 実に15年ぶり。 さあ、こっから、どっかり降り続くかな と思った雪もやみ、 その雪の少なさに驚くほどの晴天です。 (昔は、冬に青空なんて見た記憶がない) 降り積もった雪がとってもキレイで 夜も雪の白さで明るいです。 そんなこんなの今日この頃。 いまだに実家のこたつで 丸くなっております。 ネットが繋がってないのもあってか 時間の感覚もあやふやで ゆっくりとした時間が 静かに流れていってる感じです。 もうしばらくはこちらに居ますので、 留守中はどうぞ、宜しくお願い致します。
Jan 3, 2011
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とにかく 家事が苦手なわたし。いや、はまったら はまって とことんやるんだけど、(クソ忙しい時に、突然床とか磨きだしたりしちゃう)普段から少しずつ、とか、常にキレイに、ってのができないダメダメ主婦でございます( ̄▽ ̄)だから、最近見たダスキンの「綿ゴミ、見ないフリ~っ」みたいなCM、激しく同意って感じで、あのダストクリーナーみたいなやつ?超ほしかったりしてますwwwがそんなわたしにしては珍しく 今年はなんだかんだいいながらも本気の大掃除やってます。ああーーえらいなーーー(家事は頑張っても誰もほめてくれないから、自分でほめるw)オレンジページ?だったっけ?主婦の友みたいな雑誌 の大掃除特集、病院の待合室で 行くたびに何度も読んで テンションを少しずつ高めつつ、携帯にメモしたお掃除方法で、お台所のガス台+換気扇なんかのギトギトも ラクラクぴかぴかになったのが、嬉しかったらしい。電子レンジ+オーブンも 重曹を入れたお水をチンしてから拭いたらきれーーいになったし うほほ。調子にのって、今日は脚立を外に出して、ガラス窓もぴかぴかにしてやりました。毎年なにげに もっと楽にキレイにならないかしら・・と思ってた網戸も、あっという間にキレイになったし♪(なんのことはない、スポンジ二個をそれぞれ網戸拭きシートで包み、 内と外から網戸をはさんで拭くだけw いつもは、片側から拭いてたからなかなかうまくいかなかったのね;)明日中に大掃除を終わらせないと! と、若干焦り気味ではありますが。天気よければ、床のワックスがけでもしてやろうと思ってま。しかも、明日が、年内最後の燃やせるゴミの日!!というわけで、これからガンガン シュレッダーがけの嵐の始まりです。(シュレッダーかけようと思いつつ、たまりにたまった そのまま捨てれない書類の山)わたしは、なにげに毎年 結構テキトーな大掃除やってたんですが、皆さん、毎年大掃除って、本気でやってんの?
Dec 27, 2010
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明日はクリスマスイブだね。 クリスマスだからって、うちは何もかわらない。 私の気分的に 赤い肉は食卓に並べないけど、 相方はクリスチャンじゃないし、 世間のアホな クリスマスを利用したおおはしゃぎ には、 元々乗っかるようなヤツじゃない。(もちろんプレゼントも無し) わたしは16歳で望んで勉強して、洗礼を受けて、正式にクリスチャンになったけど 20歳の5月からは 完全に放蕩息子ww←聖書を勉強したことある人ならわかる だから、ここ数年のこのシーズンといえば、 教会の前を通るたび、あ、今頃はリース作ってるのかな、とか、 今頃はテーブルの上のリースの周りにキャンドルを数本灯して とか、 子供たちはクリスマスキャロルを歌ってまわるのかな とか、 そういうのを想像して クリスマスの気持ちを感じてた。 テレビやメディアの、行き過ぎたアホな加熱した「X'mas」は、決して 「Christmas・Xmas」とは完全に別物だから、商戦である以外には、何にも感じないしね。 たぶん多くの人にとっても、馬鹿騒ぎする口実、 高価なプレゼントをおねだりできる口実、 だけでしょ。 でも、ここ数年、クリスマスには特別な感情を抱くようになったよ。 アホな「X'mas」に 傷つく、孤独を感じる、うざいと思う 死にたいと思い 自殺を図る 生きていることを確かめるために リスカをする 子たちが こんなにも多いという現実を教えてもらったよ。 普段でも 自分の存在理由を考えたり 自分なんか居なくてもいいんじゃないか って疑問 わいたりして 気付いたら自傷行為とかしちゃってる子が 多いのにこんなアホな 馬鹿みたいに騒ぎ立てる ただこの日を利用してる人間たちに 狂ったように 利用してる人たちのせいで 傷つくなんて 心が痛い。 でも、きっと、このアホなクリスマスの騒ぎは、とめられない。 嫌でも耳にも目にも入ってくるだろうから 無視できない。 尊敬する私の師匠は、毎年 そんな子たちのためにも 「くたばれ くたばれ クリスマス」 と、叫び続けている。 わたしは、放蕩息子とはいっても やっぱりクリスマスに感情はまだあるわけで。 ほんとうは、貧しくて 恵まれない人の心が ちょっと 嬉しくなるような 心が温かくなるような、 希望の光が照らされる日、なんだよね。 家族とか 大切な人を 想う日。 一緒に居れなくても 大切に想える人が居ることに 感謝したり、 大切な心の友達にめぐり合えたことに 感謝したり、 自分のこと ちょっとでも想って心配してくれる人が居ることを知って ちょっと強くなるような気がして 嬉しくなったり。 だから わたしは、 あなたのこと 想ってるよ。 直接にはあなたを知らなくても、あなたを 想ってるよ。 心温まるようなこと 感じれる日でありますように 願ってるよ。 って 意味も込めて、ささやかな祈りも込めて、 今年も、Thinking of you のメッセージを 飾ってる。 静かに、キャンドルに火を灯して 目を閉じると 離れてても 同じ空間にいるみたいに 同じ時間を 共有できる。 一緒に居れなくても 心が一緒に居るような そんな時間過ごせる。 そんな キャンドルに 火を灯すつもりで 飾ってます。 Thinking of you Wishing you a merry christmas
Dec 23, 2010
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インターホンが鳴った。私的にはクソ忙しい、また、世間一般的にも 結構鳴らすには勇気が居るような夜の時間帯になったものだから、これで何かの営業だったらキレ気味になるっすよって感じで、ちょっとイライラモード全開で 出た。「はい# もしもしっ」・・・・ ッカーー めっちゃ恥ずかしーー(赤っ恥)さらに、イライラトーンの声だったものだから、恥ずかしさ倍増。だった。って、話を、その後帰宅した相方に話した。私: 「んで、もしもし、とか言っちゃって、恥ずかしかったわーーw」相方:「え?なにが?」私: 「え?なにが?」相方:「インターホンは、もしもし、やろ」私: 「・・・・まじ?」インターホン、って、「もしもし」なのか???
Dec 22, 2010
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