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2021年03月06日
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カテゴリ: 国内旅行365

こんにちは。

本日は、久しぶりに、新刊 「​​​ おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編 ​​​ ​​​ 」からのネタです。


今回ご紹介するのは、第8章の『 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 』。

諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。

すべての記事は、​​ こちら ​​ですよ。

是非、本書もご覧いただければ幸いです。

ちなみに記事は、 2018 2 月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。

1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係

 今回は、神奈川県のほぼ中央に位置する大和市を歩きます。

 大和と言うと、現在の奈良県に当たる大和の国、あるいは大和朝廷などをイメージする方も多いでしょうね。

 私も、大和朝廷に由来する何らかの遺構がある町だと思っていました。しかし、よく考えてみると、この町に、市名に由来する遺構があったという記憶がありませぬ。

 調べてみたら、大和朝廷とは関係なく、 4 つの村が合併して新たにつけられた名前なのですか。

それまでは、下鶴間、深見、上草柳、下草柳という村だったとか。それらが合併して大和村になったのは、明治 24 年。

ところがそのすぐ後、合併から脱退するという村が現れたとのこと。当時の知事は、この危機を脱するため、 4 つの村とは関係ない新たな村の名前をつけて、事態の収束を図ったらしい。

それが「大和村」という名前で、「大きく和する」という意味から命名されたそうです。

確かに現代も、複数の銀行が合併する際は、みずほ銀行とか、 UFJ 銀行とか、前身の銀行とは関係ないネーミングをつけて、行内の融和を図ったような。

2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城

市名の由来はともかく、私が大和市に興味を持ったのは、深見城という戦国時代の城跡があるからです。しかも、東京近郊にある城としては、かなり保存状況がいいらしい。

…とすれば、行かないという選択肢はないですね。

2 月の寒い日、最寄り駅の小田急江ノ島線鶴間駅にやってきました。駅前から、商店やイトーヨーカドーなどの大店舗が並ぶライラック通りをひたすら歩きます。

国道 246 号線にぶつかったところで信号を右折、大工場を左手にみながらしばらく行くと、両側に森が現れました。

この森が、深見城跡ですか。ただ、気をつけなければいけないのは、右手にある「深見歴史の森」には城跡がないこと。

ネットを拝見すると、多くの人たちが、このトラップに引っかかってしまったみたい。

かく言う私も、歴史の森の中で、城の痕跡を探してしまったのでした。ただ、土塁と確認できるような微妙な地形もあり、「城跡はない」と断言はできませんが…。



明確な遺構のあるほうは、大和市北部浄化センターの隣にある森ですので注意が必要です。



さて、この深見城。大きさは、南北は約 100 メートルで、東西は約 150 メートル。明確な資料は残っていないそうですが、発掘調査によれば、 14 世紀末頃から 16 世紀末にかけて、 2 つの時期に利用された痕跡があるそうです。

堀、土塁、虎口、土橋、井戸などの遺構のほか、輸入青磁や国産陶器などが出土しているとのこと。

詳しいことは不明なものの、深見城の城主は、近くの瀬谷郷の領主であった山田伊賀守経光とする伝承があるらしい。

横浜市瀬谷区には、今も中屋敷という地名が残っており、彼の屋敷があったと言われているのですか。

山田伊賀守という名前をどこかで聞いたことがあると思ったら、埼玉県小川町の腰越城の城主も、山田伊賀守なのでした。

腰越城については、以前、拙著「​ おもしろ歴史ウォーキング 関東編 ​」の中でご紹介しました。それを読み返してみたら、 確かに、山田伊賀守直定 の名前が…。

山田伊賀守直定は 16 世紀の武将だから、山田伊賀守経光の子孫になるのですかね。山田家は、大和市の城主から埼玉県小川町の城主へIターンしたのでしょうか。

それとも、新たに領地を与えられて分家したのか。

距離的にはかなり離れており、ワープした理由が気になりました。

3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城

「深見歴史の森」をさまよい歩いた末、ようやく深見城の解説板を発見。



解説板にあった縄張り図を見ると、深見城は、かなり複雑な構造なのがわかります。北側は境川に面した切り立った断崖で、西側は、深い空堀。

そして南側は、曲折を多用した二重の堀ですか。

恐らく南側が城の正面になると思いますが、その東西に 2 つの虎口 ( 出入口 ) を設けてあります。その距離は約 40 メートルで、何でこんな近くに出入り口が並立しているのだろうと思いました。

空堀や土塁は経年劣化により、かなり「摩耗」しています。ただ、最初に縄張り図を確認できたので、何とか当時の姿をイメージすることができました。

城跡めぐりの醍醐味は、何と言っても現役当時の雄姿を思い描くこと。その点では、深見城は、 戦国の城ファンのニーズに応える 貴重な城と言っていいでしょうね。

まず、解説板の近くにある西側の深い空堀を歩きます。そこには、天竺坂の石柱が…。


石柱には、「この坂と交差する南北方向の道は鎌倉古道と呼ばれ、境川沿いを通って藤沢へ通じていた」という表示がありました。



深見城は、街道沿いの城、すなわち街道を押さえるための城でもあったのですな。

空堀であった天竺坂の急坂を下ると、立派な川にぶつかりました。これが境川で、右手の断崖の上に深見城が築かれていたのがわかります。


境川からの比高は、 15 メートルもあり、鉄砲の無い時代、ここから攻めるのはまず不可能だったでしょう。

再び、天竺坂を登り、緩くなった空堀や土塁を越えて城内へと攻め込みます。



そこには、土塁に囲まれた広い郭がありました。深見城は、基本的に単郭の城なのですかね。解説板には、主郭とその外側の細い帯曲輪に「郭」という表示もありましたが。




さきほど迷った深見歴史の森には、「深見城跡」という表示がありました。もしかしたら、そちらにも大きな郭があったのかもしれません。

城の痕跡が残っているのが、主郭部分だけなのかも。ただ、それにしては、主郭の周りが技巧的すぎて、外郭のようにも見えますし…。

ところで、城の正面に、出入り口が並立している件ですが、当時の空堀は、もっと急峻で深かったと考えれば、納得できますね。



敵兵が、空堀に落ちないように、主郭の外側の細い帯曲輪だけを移動したのであれば、当然、城方は守りやすくなります。

攻城方が、帯曲輪にある手近な出入り口を攻めているとき、城方は、遠いほうの出入り口を使って側面を突けるのですな。

(以下、 「​ おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編 ​​ に続く)

当時の武士たちと知恵比べをする気分で城跡を歩き回ると、一瞬、戦国時代にワープしたような気持になりますね。

この後向かったのは、日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園。

引地川の源である 大和水源地を中心に広がる 公園で、広さは約 42 ヘクタールもあるのですよ。

ここでは、雑木林や四季おりおりの植物を背景にした水辺の風景が圧巻でした。



公園で見逃せないのが、大和市郷土民家園。古民家の間取りの変化が理解できるとは、歴史ウォーカー必見ですよ。

ご興味のある方は、是非、​​こちら​​をご覧いただければ幸いです。

​​​ おもしろ歴史ウォーキング  ​​ 相模・伊豆国編 ​​



(参考)

目次より

第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市

1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景

2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺

3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城

4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり

5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と 森と泉に~囲まれた天王森泉公園

6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎

第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市

1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山

2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島

3. 3 6 百の兵力で、 4 4 千の豊臣方の攻撃に約 100 日間持ちこたえる

4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城

5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面

6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸

7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門

8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸

第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市

1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道

2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉

3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構

4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵

5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所

6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡

7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡

第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市

1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース

2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺

3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地

4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳

5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚

6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」

7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡

第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市

1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市

2.三島駅徒歩 3 分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園

3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園

4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城

5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる

6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀

第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市

1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城

2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀

3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸

4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸

5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸

6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察

7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園

第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市

1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園

2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ

3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園

4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡

5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった

6.大正 7 年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある

7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社

第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市

1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係

2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城

3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城

4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園

5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園

第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市

1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園

2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園

3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城

4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか

5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵

6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院

7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園






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最終更新日  2021年03月06日 12時25分11秒
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