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こんにちは。 約10カ月ぶりの更新です。 ご無沙汰して申し訳ございません。かなり間が空いてしまったというレベルではありませんね。 コロナ禍で、これまで普通にしてきたことができなくなり、これはいかんと、いろいろ新しいことにチャレンジしていました。結果が出るのは、まだ先になりそうですが…。 本日は、久しぶりの「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、東京周辺の歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第5章の『 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 実は、今回の記事。ウォーキングの途中でデジカメを握りつぶしてしまったのです。液晶にヒビが入って、撮影する際に写真が確認できなくなってしまいました。 写真の構図がゆるい部分が多々ありますことをお詫びいたします。 1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中 今回ご紹介するのは、東京のベッドタウンとして発展を続ける国分寺と府中です。 でも、それを聞いたら奈良時代の住人は怒るでしょうね。 なんといってもこの辺りは、律令時代の旧武蔵国の国府があったところです。武蔵国は、今の東京都と埼玉県、神奈川県の一部を合わせた広さをもつ大国で、そこの県庁所在地とも言うべき場所。 当時はこちらのほうが、現在の東京23区なんかよりずっと都会でした。 なんて言うと、大森貝塚のある品川区や大田区から、縄文時代の都会はこっちだと言われそうですが…。 国分寺や府中は、これまで何度か訪れたことがありますが、ここ10年間は行っていないような。 最近の東京は、半年も行かないと様変わりしていますからね。その変貌ぶりを眺めるのも、ウォーキングの楽しみの一つ。 …ということで、国分寺と府中の「今」を探るべく、JR中央線の国分寺駅から歩き始めることにします。 2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園 まず向かったのは、駅の南口の近くにある都立殿ヶ谷戸庭園。都立公園ということで、入園料が大人150円とリーズナブルなのがうれしい。 入口でもらったパンフによれば、この庭園は、武蔵野の自然の地形を巧みに生かした「回遊式林泉庭園」とあります。 ここは、大正の初期に、後の満鉄副総裁・江口定條の別荘として整備され、昭和4年には三菱財閥の岩崎家の別邸となった場所なのだとか。 庭は、国分寺崖線の谷を利用し、崖の上の明るい芝生地と崖下の湧水池がコラボで楽しめるらしい。庭園の名前は、かつてこの場所が、国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来するそうです。 平成23年には、国指定の名勝に指定されたのですか。今日は天気も良いし、庭園の絶景が撮影できそう。 …ということで、バッグからデジカメを取り出そうしたのです。そのとき、しっかりデジカメを握ったまま、スイッチを押してしまいました。 レンズが自動で伸びると同時に、バキッという嫌な音が…。 液晶画面を見たら、クモの巣状にヒビが入っている。 画面が真っ黒な状態で、画像が確認できませぬ。しかも、その日は、スマホを持って行くのを忘れていました。 写真が撮れなかったら来た意味がないと、さすがに青くなりましたね。ただ、写真を液晶画面で確認できないだけで、撮影は普通にできるみたい。 目を瞑ったままシャッターを切る感じですが、こうなったら、チャレンジするしかありませぬ。 …ということで、ここから先の写真は,構図が緩めになりますがご容赦ください。対策として、いつもの3倍写真を撮り、その中から使えそうなものを厳選したつもりです。 アクシデントに見舞われながらも、何とか平常心を装いつつ園内の散策を開始します。 傾斜地を下り、まずは、湧水が流れ込んでいるという次郎弁天池を目指しました。 国分寺崖線の高低差は、思ったよりありますね。 次郎弁天池の中の島には、金沢の兼六園のような雪つりがありました。 池のほとりの湧水源からは、毎分37リットルの湧水が池に注いでいるらしい。 池の近くの急な石段を上ると数寄屋作り風の茶室が…。 池にかかるイロハモミジの紅葉が見下ろせることから、紅葉亭と名付けられたそうです。赤く染まった世界の中でお茶を飲んだら、最高でしょうね。 庭園の中には、木造家屋も残っているのですか。 解説板を見ると、ここは岩崎家別邸の一部で、現在は、食堂として使用されていた場所が展示室となっているのですか。 中には、岩崎家別邸時代のパネルなどが展示されていました。 3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群 殿ヶ谷戸庭園を出て、目の前を走る都道立川国分寺線を国分寺方面に向けてひたすら歩きます。しばらく行くと、通りの両側に緑の公園が現れました。 ここは都立武蔵国分寺公園。旧国鉄・中央鉄道学園や郵政省の官舎であった逓信住宅の跡地に造られた公園らしい。 私が若い頃に行ったときはなかったと記憶しています。調べてみると、それぞれ2000年代の初頭に開園したのですか。 広大な芝生の円形広場の周りには、旧中央鉄道学園時代からのサクラやケヤキ、イチョウなどの巨木が存在感を持って佇んでいました。 広い池に流れ込むナイアガラの滝のような景観も見事ですね。 大通りを渡り、逓信住宅の跡地に造られたというエリアへ。こちら側のエリアは、林の中に作られた遊歩道を歩くことができるのですな。 近くには、武蔵国国分寺の跡があり、公園内にも遺構が残されているのですか。 この辺りは、当時の寺域の北辺に当たるそうで、寺の区画溝が今も存在しているらしい。 さらに進むと、さきほど殿ヶ谷戸公園にもあった国分寺崖線が目の前に現れます。 急な崖を下ると、真姿の池に到着しました。 この池は何度も訪れていますが、いつ来ても水がきれい。それもそのはずで、日本の名水100選に選ばれているのですよ。ペットボトルに水を汲んでいる人を何人か見かけました。 近くの解説板には、真姿の池の由来について以下のように書かれています。 848年、不治の病に苦しんでいた玉造小町という美女が、病気平癒のため国分寺を訪れ祈願したそうです。すると、21日目に一人の童子が現われ、この池に案内したとのこと。そして、この池の水で身を清めるように言って姿を消してしまったらしい。 玉造小町は言われたとおりにしたところ、たちどころに病は癒えて、元の美しい姿を取り戻したそうな。 それ以来、人々はこの池を「真姿の池」と呼ぶようになったとか。 伝説といっても年号が特定されており、信憑性の高さを感じてしまいます。当時、似たような事例はあったのかもしれませんね。 それにしても、奈良時代から1000年以上も水質の高さを保っているのは驚きです。 真姿の池から武蔵国国分寺へ向かう道には、お鷹の道という意味深なネーミングがつけられていました。 明治の直前まで、国分寺一帯は尾張徳川家のお鷹場で、その行き来に利用した道というのが由来らしい。 昔来たときは、京都の嵯峨野一帯を思わせる風情あふれる道だった記憶があります。清流の小川と雑木林や竹林が調和して、武蔵野の面影が自然の姿で残されていたような。 さすがに現在は、住宅地が広がり当時の面影は薄れつつありますね。 ただ、興味深い歴史スポットも増えていましたよ。たとえばこの長屋門。 もちろん当時からここにありましたが、現在は、この中を見学できるそうなのです。 ここは、旧本多家長屋門と言い、江戸時代末期、国分寺村の名主であった本多家の屋敷の表門と先代当主の隠居所を兼ねて建築されたらしい。 門でありながらも、座敷や縁側、トイレなどを備える立派な2階建て住宅ですね。 2階には、建物の変遷にまつわる資料や当時の暮らしの様子などが展示されていました。 長屋門の近くにあったのが、七重の塔の大きな模型です。知ってはいても、古代にこんな高くて優美な塔があったのは信じられませぬ。 4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡 お鷹の道に戻り、武蔵国国分寺跡へ行く前に国分寺へお参りします。 跡ではなく、リアルに建物がある国分寺で、武蔵国国分寺の後継寺院になるのですか。江戸時代に造られた建物が数多くあるらしい。 そういえば相模国の国分寺跡へ行った時も、近くに国分寺というお寺があったのを思い出しました。 こちらは江戸時代に造られた楼門で、東久留米にあった大名の菩提寺から移築されたのですか。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」に続く) この楼門は、なんとタモリが作ったらしい。 サングラスをかけたタモリがどうかは微妙ですが、江戸時代にタモリがいたのは驚きでした。 このあと、高さ60メートルあったと推定される七重塔や金堂、講堂などの巨大な礎石が残る武蔵国分寺跡へ。近くには国分尼寺跡もあり、どちらもしっかり整備されていて当時の様子をイメージすることができました。 そこから府中駅に向かって歩きます。途中には府中高札場、そして藤原秀郷や源義経、新田義貞、足利尊氏など東国武士界のスーパースターゆかりの高安寺などがあって、見どころが目白押し! ほかにも、武蔵国の総社であった大国魂神社など、歴史好きには見逃せないウォーキングコースでした。 東京周辺の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」 (参考)目次より第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館6.美しく整備された戦国の平城・難波田城7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市1.埼玉の名前発祥の地、行田2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ!9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい5.山田城が未完成の理由に対する一考察6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺2.加藤清正が寄進した長い石段がある3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン
2023年01月12日
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こんにちは。 かなり間が空いてしまいましたが、本日は、新作 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、東京周辺の歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第4章の『 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 1.埼玉の名前発祥の地、行田 本章は、行田編の続きです。 忍城は戦国時代の歴史スポットですが、行田市にはそれに勝るとも劣らない古代の観光スポットがあるのでした。 そのヒントは、市内にある「埼玉の名前発祥の地、行田」という看板が示してくれます。 ただ、埼玉のネーミングの由来って、あまりイメージがわきませんね。実は、由来の候補がいくつかあるのですよ。 その一つは「幸魂(さきみたま)」という言葉から来たというものです。 「幸魂(さきみたま)」の「魂」は、「玉」の意味でもあり、勾玉(まがたま)は埼玉県にゆかりの深いものらしい。 そういえば、埼玉県の県章は、勾玉16個を円形に並べたものでした。 でも、どうして「勾玉」と埼玉県がリンクするのでしょうね。「勾玉」はそれほど珍しいものではないし、他の土地からも数多く出土していると聞きました。 ところで別の説もあるそうなのですよ。 それは、「さき多摩」がなまって「さいたま」になったというもの。 昔は多摩に国府が置かれ、多摩への交通が開けたとき、埼玉は多摩の前方にあったために「さきたま」と呼ばれたという説です。 どちらの説もそれらしいですが、ほかにもあるらしい。 律令による国郡制度が発足した当初から、この地域は前玉郡(さきたまぐん)と呼ばれていました。 奈良時代に編纂された「万葉集」にも、「前玉(さきたま)」や「佐吉多万(さきたま)」という地名を記した和歌が収められているそうです。 平安時代になって、「さきたま」が「さいたま」と呼ばれるようになり、やがて、より広い地域を指す言葉として「さいたま」が使われるようになったのですか。 明治になって廃藩置県が行われると、埼玉県域のうちもっとも大きい面積を占めていた旧埼玉郡を県名に採用したらしい。 実は現在も、「埼玉県行田市埼玉」という地名があるのでした。読み方は、「さいたまけんぎょうだし さきたま」。 行田市埼玉の地は、巨大古墳群の所在地でもあり、それらの古墳に眠る豪族を祀ったといわれる前玉神社(さきたま神社)の鎮座する場所。 前玉神社は、「幸魂(さいわいのみたま)神社」とも言い、埼玉の名前のルーツはこの神社とも言われているそうです。 最初に白状すると、行った日は、こんなすごい神社と知らずにスルーしてしまうという失態を演じたのでした。 しかし、これから紹介させていただく古墳群のすごさを目の前にすれば、そちらに気を取られても仕方ないかも。 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 自分の失態の言い訳をしつつ、埼玉県のルーツとも言える行田市埼玉へ向かいます。 古墳通りをひたすら歩いていると、歩道のブロックに前方後円墳が…。 前回来たときは、こんな洒落た演出はなかったような。これから向かう「さきたま古墳公園」は、2020年3月に、令和初であるとともに、埼玉県初となる特別史跡に指定されたのですか。 なんと言っても、国指定特別史跡ですからね。観光スポットとして、埼玉県が力を入れているのが伝わってきました。 水城公園から歩くこと約2キロ。武蔵水路を超えると、左手に広大な芝生広場が見えてきました。 前回来たときより、公園が広くなり、きれいに整備されているのがわかります。何度も言いますが、さすが特別史跡。 現在の総面積は、37.5ヘクタールもあるそうですが、都市計画では97ヘクタールまで拡張する計画があるのだとか。これだけ大規模な開発を予定しているのは、世界遺産への登録を目指しているからでしょう。 そのチャレンジには、さきたま古墳群と総称される9基の大型古墳の存在が欠かせません。 これらの古墳が作られた5世紀の終わりから7世紀の初め頃とは、有名な大化の改新や壬申の乱より、200年近くも前になるのだとか。 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ さきたま古墳群の内訳は、前方後円墳が8基と円墳が1基です。前者はかぎ穴の形で、後者はお椀を伏せたような形ですね。 それにしても、古墳の形って、何を考えて作ったのでしょうね。 かなり前になりますが、前方後円墳は、支配者の継承の場として使われたというNHKの歴史番組を見たことがあります。 この記事を書くために調べてみたのですが、まだ前方後円墳の形についての結論は出ていないみたい。 有力なのは、上記で述べたように、お墓が円形、祭壇が方形という考え方です。 それは、亡くなった王は、円い天に葬られることによって神になり、跡継ぎの王は、四角い地の上に立って亡き王を祀ることで支配者の地位を確立するという、古代中国の「天円地方」の考えに基づくのだとか。 ほかには、弥生時代から続く円形の墳丘墓の通路部分で祭祀が行われ、その後、この部分が死の世界と人間界を繋ぐ橋として大型化したと考えられる説も有力らしい。 確かに、円墳は人が死んでその上に盛り土をするという人間の本能に根ざしたような気がします。でも、実際はどうなのでしょうね。 結構、丸と四角を組み合わせたところが味噌なのではないか。 死者の家族や親族が、丸い墓にするか、四角い墓にするかともめる。今も、生前に墓がなくて死んでしまうと、お墓をどうするか、お骨を誰が引き取るかと、もめるケースが結構あると聞きました。 当時の遺族の親戚が集まって、じゃあ折衷案で、丸と四角両方くっつけちゃおうと安易な解決策を模索した結果ではないか。 なんて、以前、勝手なことを考えた記憶があります。 ただ、前方後円墳には、それぞれの地方政権の墓の特色を合わせたという説もあるそうなのですよ。たとえば、弥生時代に作られていたさまざまな形の墓の要素をコラボし、大和政権が前方後円墳を考案したという説です。 ほかにも、民放の歴史番組で別の説を見た記憶もあり、前方後円墳の由来にまつわる説は本当にさまざま。しかし個人的には、邪馬台国の場所よりも、研究が進めば特定されるような気がしますが…。 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 さて、このさきたま古墳群。 ここにある前方後円墳は、それぞれの形に規格性があるのが特徴のひとつだそうです。たとえば、長方形の二重周堀がある、主軸の方位が大体揃っている、西側に造り出しという施設がある、など。 さきたま古墳群は、古墳時代当時の中央の王権との関わりや地方支配の考え方を研究する上で、とても貴重な遺跡らしい。 (途中「4.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館」を含む1,671文字略) 5.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 博物館を出て、さきたま古墳公園をそぞろ歩きします。 昔行ったことのある大阪府堺の仁徳天皇稜などの巨大古墳は大きすぎて、小山にしか見えなかったことを思い出しました。ここにある全長100メートルくらいの古墳だと、前方後円墳の形がしっかりわかりますね。 そんなことを考えながら、博物館の先にある全長70メートルの奥の山古墳と109メートルの鉄砲山古墳の周りを巡ります。 規格性があるのが特徴と書きましたが、写真からそれぞれの古墳の名前を当てるのは、よほどの古墳通でないと難しそう。 博物館の横の瓦塚古墳では、内堀やブリッジなどが紹介されていました。ここだけ見ると、戦国の城の空堀や土橋にも見えますな。 意外と城のルーツは、古墳かもと思ってしまうのでした。 古墳通りを渡り、反対側の広大なエリアへ。 愛宕山古墳の脇を通りしばらく歩くと、山のように見える巨大な古墳がありました。 これが、武蔵国最大と言われる二子山古墳ですか。 二つの山があるように見えることから、この名前がつけられたらしい。全長は138メートルもあり、近くで見ると本当に自然にできた山のように見えました。 本格的な発掘調査はされておらず、内部埋葬施設副葬品の内容など詳しいことがわかっていないのですか。 古墳を見ると上りたくなるのが人情ですが、二子山古墳は立入禁止ですので念のため。 ああ、古墳に上りたいと思ったら、その先にある稲荷山古墳は、うれしいことに上ることができます。 稲荷山古墳は、国宝の太刀が出土した古墳ですよね。 稲荷山古墳は全長120メートルで、高さが約12メートル。登山道は菜の花が咲いていて、ちょっとしたハイキング気分が味わえました。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」に続く) このあと、実物の横穴式石室が見学できるという将軍山古墳へ。 こちらの古墳は、全長90メートルと、少し小ぶりです。しかし、さきたま古墳群の中で、おすすめ度はトップクラスでしょうね。 なんと、石室の中が見られるのですよ。古墳の横に穴をあけて、当時の石室内部の様子を再現してあるのです。 このような趣向は初めてだと思ったら、我が国初の施設なのだとか。 最後に向かったのが、直径105メートル、高さ18.9メートルもある日本最大の円墳、丸墓山古墳。 ここは、忍城水攻めの際、石田三成が本陣として定めた場所でもあります。 確かに古墳の頂上に立つと、午前中に行った忍城の天守、もとい郷土資料館を望むことができました。 ほかにも、「のぼうの城」の小説や映画に登場した「石田堤」の跡など、見どころが目白押し! 東京周辺の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」(参考) 目次より 第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門 7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ 8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見 2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード 3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園 4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園 5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館 6.美しく整備された戦国の平城・難波田城 7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」 2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏 3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか 4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館 5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡 6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 1.埼玉の名前発祥の地、行田 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館 6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる 8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中 2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園 3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群 4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡 5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡 6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ 7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺 8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区 1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城 2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗 3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺 4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館 5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園 6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園 7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院 8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ! 9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市 1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい 2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城 3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社 4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい 5.山田城が未完成の理由に対する一考察 6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区 1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺 2.加藤清正が寄進した長い石段がある 3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂 4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある 5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい 6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺 7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区 1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街 2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔 3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園 4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊 5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳 6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳 7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン
2022年03月05日
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こんにちは。 かなり間が空いてしまいましたが、本日は、新作 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、東京周辺の歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第3章の『 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」 今回行ったのは、埼玉県の行田市。 行田市は、私が子供の頃から注目していた町です。当時読んだ歴史の雑誌に、行田が紹介されていたのですよ。 行田は、昔、忍(おし)という地名で呼ばれ、古代から巨大な古墳が数多く作られた土地だったらしい。江戸時代は、10万石の城下町としても栄えたそうです。 その雑誌には、「忍の浮城」という記事が載っていた記憶があります。 豊臣秀吉の小田原攻めのとき、北條方に味方した忍城が、石田三成らの大軍によって水攻めをうけても落ちない。 城が浮かんでいるのではないかと噂されたことから、その話ができたそうです。 水攻めと言えば、豊臣秀吉の備中高松城が有名ですが、関東でも水攻めの戦場があったのですね。 子供のときは、今よりさらに城ヲタクだったので、いろいろイメージを膨らませたのを覚えています。 行田市は、すでに2回訪れており、前回行ったのは今から6年ほど前。 羽生から行田市まで、秩父鉄道を利用したのですが、実にローカルな駅が並んでいたのを覚えています。 車窓からの景色も、北海道のような見渡す限りの畑が広がっているのですよ。東京の近郊で、地平線の近くまで緑が広がる風景が見られるとは思いませんでした。 秩父鉄道の行田市駅も、すごく静かで、「駅前の喧騒」という言葉からは無縁です。東京23区の駅は、どこへ行っても例外なく人流がすごいですからね。 コロナ禍の時期、行田市駅が混んでいたら嫌だなと思っていたら心配ご無用でした。 ホームがすいているだけではなく、平日だからか、駅前にも人がほとんど歩いておりませぬ。 駅前はシャッターが閉まったままの店舗が少なくなく、都内同様、コロナ禍の深刻な状況が感じられました。 2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏 ガイドブックを見てまず向かったのは、市内を流れる忍川のほとりにある大長寺。 このお寺の開基は、元亀天正年間というから安土桃山時代ですかね。江戸時代の初期に忍藩主や老中を勤めた阿部忠秋から阿部豊後守家の菩提寺となったらしい。 見どころは、芭蕉の句碑と行田大仏と呼ばれる大仏です。 芭蕉の句碑はお寺の入り口付近にあり、以前は市内の別の場所にあったのを、区画整理の際にここに移されたのだとか。 碑の表には、芭蕉の一番有名な句である「古池や蛙飛こむ水の音」が刻まれ、碑の裏には、安永から寛政にかけて江戸で活躍した俳人の名前があります。 これだけ大きな句碑が、どういう経緯で行田市にあるのか気になりますね。 前回来た時、大仏が、思っていたよりもずっと大きかったので驚いた記憶があります。 大仏とガイドブックにあっても、実際はジャイアント馬場か小錦くらいの大きさの仏像だったりするケースがあるのです。 しかし、これは誰が見ても大仏。もちろん奈良や鎌倉の大仏様と比べたら気の毒ですが、近くに寄って見ると堂々たる高さはあります。 身丈が3.6メートルで、蓮台を含めた総高が7.4メートル、重量は6.7トンもあるのですか。 意外と新しいと思ったら、現在の大仏は1996年に再建されたのですね。 元の大仏は、江戸時代中期の享保年間に、前に述べた忍藩主・阿部豊後守家から寄進されて作られたらしい。ところが、太平洋戦争の最中に梵鐘とともに供出されてしまったそうです。 江戸時代の行田、忍の人たちも、今と同じ大仏様を見上げていたのですな。 3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか 大長寺から行田市の目抜き通りを通って、行田市郷土博物館のある忍城跡を目指します。 行田市駅前は、比較的静かな雰囲気でしたが、道路の左右に銀行や商工センター、市役所の建物が並び、さすが10万石の城下町だと感じました。 途中、木製の案内板が目に留まります。そこには、「足袋の行田か、行田の足袋か 忍の行田は足袋で持つ」という文字が…。 行田は、日本一の足袋どころで、最盛期には、全国の足袋の8割を生産していたのですか。 そういえば、足袋蔵のまち行田の幟もありましたね。 3度目なのに、恥ずかしながら、行田が足袋の生産地とは知りませんでした。城跡もいいけれど、地場産業にも興味を持たねばと考える今日この頃。 さらに歩くと、今度は、「徳川幕府を支えたのは忍城主」という文字も。 そこには、三代将軍徳川家光の両腕となっていた松平信綱と阿部忠秋は忍藩主だったとあります。このほか歴代藩主の7名が老中で、そのうち3人が現在の総理大臣といえる老中首座だったのですね。 こちらは、聞いたことがありますよ。江戸に近い場所には、譜代の重臣が配置されましたが、忍は特に重要な場所だったのでしょう。 さすが老中を生んだ城下町だけあって、歴史のありそうな商家の建物や蔵が所々残っていました。 本日は、行くべき観光スポットが多くてスルーしてしまいましたが、いつか市内に残る足袋蔵を見学しようと決意を新たにします。 4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館 行田市役所を左手に見ながらさらに歩くと、行田のシンボルの1つともいえる三階櫓が聳え立つエリアに到着です。 ここはかつて忍城の本丸があった場所。現在の住所表示も本丸ですか。普通の住宅地になっている場所もあって、とてもうらやましく感じました。 本丸に住んでいるというだけで、毎日、お殿様気分が味わえそうですからね。 三階櫓は、かつて忍城に建てられていた「御三階櫓」を模して、昭和63年に建てられたらしい。 ただ、実際にあった三階櫓とは外観や大きさが異なっているとのこと。よくある観光用の天守という位置づけなのですな。 事実、忍城のモノホンの「御三階櫓」は本丸ではなく、三の丸の端っこのほうにあったらしい。 それが完成したのは、元禄時代という太平の世。軍事的価値よりも、一般の人たちがよく見える場所に建てて、当時から城のシンボルとしての価値を優先させたのかも。 現在の三階櫓の形は、少し小田原城の天守に似ているような気がしました。 千葉市の亥の鼻公園にある千葉城は、モロ小田原城のコピーですが、こちらはオーソドックスで特徴はあまり感じませぬ。史実とは関係ない観光天守は必要ないという意見もありますが、個人的には、天守が見える町はやはり魅力的。 歴史的な価値は別にして、単純に造形の美しさを堪能するのでした。 申し遅れましたが、この三階櫓は、行田市郷土博物館の施設の一部。大人は、入館料200円で入ることができます。 郷土博物館は、本丸御殿を模した造りかと思ったら、足袋屋の店先を模したのですか。 だとすれば巨大な瓦屋根で、かなりの大店ですな。 館内では、古代、中世、近世、足袋という4つのテーマで、行田の歴史と文化が紹介されていました。 展示物で一番興味を惹かれたのは、江戸時代の忍城の模型です。写真が禁止なので、その雄姿をお見せできないのが残念。 当時の忍城は、堀の幅が広いというより、大きな沼の中にたくさん顔を出した土手の上に城が築かれたという感じでしょうか。 水攻めをされなくても、見た目はすでに「浮き城」。今も残っていたら、壮大な眺めだったのでしょうね。 ただ悲しいかな、明治維新のときに城は取り壊されてしまいました。維新の動乱で、同じように日本中いたるところで城が取り壊されているのですよ。 ホントに、もったいない話です。現在、残っていれば、こんな素敵な歴史遺産はないはず。 観光用の櫓を建てる必要もなく、全国から歴史ファンが押しかけていたのに…。 気持ちを切り替えて、隣接する三階櫓に登ります。完全な鉄筋コンクリート造りで少し味気なかったですが、最上階からの眺めはなかなかでした。 当時は、湖に浮かんでいるような気分が味わえたのでしょうね。 5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡 行田市郷土博物館を出て、付近にあるという忍城の遺構を探してみました。館内で見た忍城の縄張りを忘れないうちに回らねばと、気が急きます。 江戸時代の忍城の本丸は、うっそうと木が茂っていて、大きな建物はなかったらしい。 忍城が最初に作られたのは室町時代。本丸が100メートル四方の方形ということで、中世の居館をベースに、戦国時代に拡張されていったと考えられるらしい。 現在の本丸には、郷土博物館のほかに鐘楼がありました。 鐘は、1823年に、松平氏が桑名から忍へ移封されるのにともなって忍城へ移されたそうです。こんな重いものを移動させるのだから、鐘に対する藩主の思い入れがあったのでしょうか。 ちなみに忍城は、「のぼうの城」の主役である成田氏が、土豪の忍氏を滅ぼして築いた城です。 その後、成田氏が約100年間も城主を務め、1590年の石田三成の水攻めまで、この地域を支配したのですね。 成田氏の全盛期の石高は、30万石とも言われています。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」に続く) このあと、戦国時代屈指の水城といわれた忍城の痕跡を詳細にレポートします。 忍城はほとんどの建築物が失われていますが、本丸の一角に、かつての藩校・進修館の表門だったと伝えられる門が移築されていました。現在、諏訪神社と東照宮になっている辺りに、かつては諏訪曲輪があり、当時の土塁が残っています。 また、市内のところどころに石碑があり、藩主の隠居所や三重櫓の跡など重要スポットが特定できるのもうれしい。 そしてイチ押しのおすすめスポットは、水城公園。忍城の外堀跡を整備して作られた公園で、面積は約10ヘクタールもあります。かつて「忍の浮城」と呼ばれた雰囲気を残す唯一の場所なのだとか。 ほかにも、公園の中には、市指定有形文化財になっている洋館など、見どころが目白押し! 東京周辺の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」 (参考) 目次より 第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門 7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ 8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見 2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード 3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園 4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園 5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館 6.美しく整備された戦国の平城・難波田城 7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」 2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏 3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか 4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館 5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡 6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 1.埼玉の名前発祥の地、行田 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館 6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる 8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中 2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園 3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群 4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡 5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡 6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ 7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺 8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区 1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城 2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗 3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺 4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館 5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園 6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園 7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院 8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ! 9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市 1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい 2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城 3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社 4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい 5.山田城が未完成の理由に対する一考察 6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区 1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺 2.加藤清正が寄進した長い石段がある 3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂 4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある 5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい 6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺 7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区 1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街 2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔 3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園 4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊 5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳 6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳 7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン
2022年02月12日
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こんにちは。 今回は、久しぶりに、アーバンライフメトロさんのHPに提供させていただいた記事のご紹介です。 タイトルは、『 思わずコ~フン? 高級住宅街「田園調布」に全長100m超の古墳があった!』 都内屈指の高級住宅街・田園調布から、古代の武蔵国を考えようという壮大なテーマです。 以前、東京タワーの近くにある芝丸山古墳と並び、大田区田園調布にも全長100mを超える巨大古墳があると書きました。 そのとき、田園調布の古墳と埼玉県行田市のさきたま古墳群との関係から導き出した「リアル・翔んで埼玉」仮説について触れた記憶があります。 それは、6世紀、田園調布の古墳群に葬られた有力者とさきたま古墳群に葬られた有力者との間で行われた大きな戦いから導かれた仮説。 一般に、武蔵国造の乱と呼ばれる戦いですが、その勝敗はどうだったのでしょうか。 その結果が、両地域の古墳の大きさや形に影響を及ぼしているのだとか。実写映画版の「翔んで埼玉」は、「日本埼玉化計画」を開始するそうですが、古代の武蔵国においては埼玉化が実現していたのかどうか興味がわきます。 それは、アーバンライフメトロさんのHPをご覧いただくとして、興味深いのはヤマト朝廷が関東の古墳の形と大きさに大きな影響を与えている可能性です。 …ということで、今回の記事では、東京都大田区の多摩川近辺の古墳を時代ごとに紹介しました。 取り上げたのは、以下の古墳です。 4世紀 宝莱山古墳、亀甲山古墳 …前方後円墳5世紀 野毛大塚古墳…帆立貝形古墳 八幡塚古墳…円墳5世紀後半から6世紀中頃 御岳山古墳…帆立貝形古墳5世紀末 浅間神社古墳…前方後円墳6世紀から7世紀 多摩川台古墳群1号墓から8号墓 …小型の円墳、前方後円墳7世紀中頃以降 等々力渓谷1号墓から3号墓 …横穴墓 巨大古墳のほうが古く、新しくなるにつれて古墳が小型化してゆくのですか。 今の時代もそうですが、新しくなるに従ってエコになるのかも。 本文では、それぞれの古墳を訪問した時のエピソードなども書かせていただきました。 ご興味のある方は、是非、記事をご覧いただければ幸いです。 それは、こちら。 よろしくお願いいたします。
2022年02月03日
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こんにちは。 本日は、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 こちらの本に中に、現在話題の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台になった歴史スポットが多数紹介されていることに気づきました。 しかも、そのほとんどが、未だブログの記事には掲載されておりませぬ。 …ということで、今回は、「鎌倉殿の13人」に関連する部分を抜き出して、ご紹介させていただこうか、と。 題して、大河ドラマ便乗企画、「北条氏の故郷、『鎌倉殿の13人』の舞台になった伊豆韮山を歩く 静岡県伊豆の国市」。最初の部分は、過去の記事と重複していますが…。 2019年1月、伊豆の国市を訪問した時は、北条氏関連の歴史スポットは脇役扱いだったような。 しかし、今や日本でもっとも注目を集める歴史スポットのひとつになりましたね。 「相模・伊豆国編」の伊豆の国市を紹介した記事では、ほかに「北条早雲の関東経略の拠点となった韮山城、伊豆代官を務めた江川太郎左衛門邸、世界遺産・韮山反射炉」などがテーマでした。 すべての記事は、こちらをご覧ください。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 今回は、鎌倉、戦国、そして近世の世界遺産などの歴史アイテムが満載の場所を歩きます。そこは、静岡県伊豆の国市。 歴史好きにとっては、伊豆の国市よりも、韮山と言ったほうがピンとくるかもしれませぬ。北条早雲が伊豆の国を平定し、関東へ進出する拠点となった韮山城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。 駅の柱には、「韮山反射炉」のマーキングがあります。世界遺産なので、観光客は皆、車やバスを利用して、そちらへ行っているのかもしれないと思うのでした。 しかし、歴史好きにとっては、韮山駅周辺にも、興味深い歴史スポットはたくさんあるのですけどね。 駅前には、独特な形をしたモニュメントがありました。この形状は、韮山反射炉を表しているのでしょうね。 さらに歩くと、洋風にも和風にも見える面白い建物があります。 ここは、伊豆の国市韮山文化センター。大ホールや映像ホール、研修室やアトリエ、韮山図書館などを備える複合施設らしい。 別名、韮山時代劇場とも呼ばれているそうですね。桟敷席もある約500人収容も大ホールがあるそうだから、ここで時代劇なども上演されるのでしょうか。 ここは、源頼朝と北条政子が出会った場所でもあるので、ロミオとジュリエットみたいな歴史劇が見られたら面白いなと思いました。個人的には、北条早雲主演、司馬遼太郎原作の「箱根の坂」がいいですが…。 そんなことを考えながら、駅前から東に伸びる道路を歩いていきます。それにしても、誰も歩いている人がいないですな。 少し心細くなって、横を見ると、巨大な富士山が出迎えてくれました。千人の人たちから歓迎された気分になりますね。すっかり元気を取り戻して歩いていくと、右手に小公園が現れました。その公園には、二人の若い男女の銅像があります。 これは、言うまでもなく、源頼朝と北条政子の像ですな。すると、ここが蛭ヶ小島ですか。 蛭ヶ小島は、平治の乱に敗れ、配流となった源頼朝が14歳から20年ほど過ごした場所。小島とありますが、いわゆる海の中にある島ではなく、狩野川の中洲や湿田のなかの高台だったと言われているらしい。 当時、狩野川は洪水のたびに氾濫し、いくつかの中洲があったとのこと。蛭ヶ島はそういった中洲の一つで、蛭が多く生息する湿地帯だったそうです。 ただ、頼朝の流刑地を特定する当時の歴史書の記述はなく、後世の発掘調査でも場所の特定はできていないのですか。 いずれにしても、頼朝は、快適な場所には住んでいなかったようで。こんな過酷な環境で、若い頼朝は、読経や写経などを行い、静かな日々を過ごしていたのですね。 それでも、監視役の北条氏の娘政子と、どう出会って恋に落ちたのか。やっぱり、韮山時代劇場で、韮山バージョンのロミオとジュリエットを見たいと思ったのでした。 < 途中5,861文字略 (北条早雲の関東経略の拠点となった韮山城、伊豆代官を務めた江川太郎左衛門邸、世界遺産・韮山反射炉などの記事) > 北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 反射炉物産館でお土産を買い、再び次の目的地を目指して歩き出します。 函南反射炉線という道路に出て、田んぼを見ながらテクテク歩き、伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅近くの踏切を渡りました。そして、近くの下田街道を三島方面に向かって歩きます。 結構距離を歩いていますが、実は、「江川担庵散策の路」と「頼朝・政子ロマンの路」という、独立した2つのウォーキングコースをコラボで回っているのでした。 距離は、それぞれ9キロと4.5キロですか。トータルの距離は13.5キロくらいで、個人的には、いつものウォーキングと変わりませぬ。 ただ、韮山城跡をくまなく歩いたから、本当はかなりオーバーしているかも。 さすがに、少し疲れたと思った頃、ようやく願成就院(がんじょうじゅいん)というお寺に到着しました。 このお寺は、仏師運慶が制作した阿弥陀如来坐像が安置されているらしい。運慶の仏像は、残っている数が少ないことで有名ですね。 …と思ったら、なんと、所蔵する5体の仏像が国宝に指定されているのですか。 所蔵している仏像はすごいですが、このお寺は、歴史好きにとっても興味をかきたてられるのですよ。『吾妻鏡』には、源頼朝の奥州平泉の藤原氏討伐の成功を祈り、鎌倉幕府初代執権・北条時政が建立した寺院だと記載されているそうです。 その後、二代執権義時や三代執権泰時によって、浄土様式の壮大な寺院となっていったとか。 訪れた時は、由緒ある名刹だとは感じましたが、歴史的に、ここまですごいお寺だとは思いませんでした。 本堂や境内が、少し小ぶりな印象があったから、と言いますか…。 しかし、境内の近くに、国指定史跡願成就院跡の石碑や解説板があるのを発見。それを読むと、発掘調査の結果、大御堂や南新御堂、南塔、池畔などの跡が明らかになったという記載がありました。 このお寺の最盛期は、多くの堂宇や塔がそびえ立ち、巨大な池とその中の小島を橋でつなぐ、浄土様式の壮大な寺院として威容を誇っていたのでしょうね。 ただ、北条早雲と堀越公方との戦いで、願成就院はほぼ全焼。その後、僅かに再建された建物も、豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び焼けてしまったらしい。 運慶作の国宝の本尊を始めとする仏像は、僧侶らによって運び出され、焼失を免れたのは不幸中の幸いでした。しかし、そのほかの多くの寺宝が失われてしまったのですね。 境内にある北条時政のお墓の写真はゲットすることができましたが、他の歴史スポットを回るために、境内の見学を少し端折ってしまったような。 後で調べると、足利茶々丸のお墓や茶々丸首洗いの池などの見どころもあったのですね。 歴史ウォーカーとして、もう少し下調べをしてから訪れるべきだったと反省するのでした。 「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 再び下田街道を歩き、光照寺の角を左折。小道をしばらく歩くと、右手に広い原っぱが見えてきました。 ここは、伝堀越御所跡。 歴史が好きな人なら、堀越公方や古河公方という言葉を聞いたことがあるかもしれません。 北条早雲を描いた司馬遼太郎の「箱根の坂」や滝沢馬琴の「里見八犬伝」にもたびたび登場します。 室町時代、足利幕府が関東を直接支配するために置いたのが鎌倉公方です。 室町時代の後期になると、関東は勢力争いが激化しました。鎌倉公方として京から下向した足利政知が関東に入れず、ここ堀越に館を構えたらしい。それで、堀越公方と呼ばれたのですな。 これに対して、もとから関東にいた足利成氏が、古河で公方を称したのが古河公方ですか。この辺りの経緯は複雑で、正直、よくわかりませぬ。戦国時代はかなり詳しいという自負がありますが、関東の争乱は何度話を聞いてもごっちゃになってしまうのですよ。 それでも、実際に現地を訪れると、歴史書の中だけの存在の堀越公方がリアルに感じられました。 …といっても、現地は、一面の原っぱに解説板が立っているだけですが…。 解説板には、発掘調査により池や導水路の跡が検出されたものの、建物跡などは不明とあります。「伝堀越御所」とあるから、場所の特定はされていないのですな。 ただ、井戸の跡や鉄釘、貨幣、白磁や青磁の陶磁器類なども発見されているそうです。ちなみに、京都にあるような御殿が建っていたらしい。 堀越公方の足利政知は、1491年に病死。前にも触れたように、その子茶々丸が堀越公方と名乗りますが、北条早雲に攻め込まれて滅ぼされてしまう。 そのあと、北条早雲は韮山城に移り、関東制覇に乗り出すのですね。後北条氏の関東進出のスタートになった場所だと思うと、静かな原っぱから地鳴りがしてくるように感じるのでした。 意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 伝堀越御所からすぐ近くの住宅街の中に古い井戸があります。解説板を読むと、「北条政子産湯の井戸」という表示が…。 すると、平安時代の井戸ですか。そう思って覗き込むと、途中で埋められていました。石組みはかなり古いような。 ただ、あとで調べてみると、江戸時代の井戸であるという意見もありました。井戸の歴史については詳しくないので何とも言えませんが、これも「伝北条政子産湯の井戸」という認識でいいのでしょうね。 これを聞いたら、うちはモノホンだと「伝堀越御所」が怒るかもしれませんが…。 それはともかく、次はいよいよ本日の最終目的地・北条氏邸。後北条氏と紛らわしいですが、こちらは鎌倉時代の執権の北条氏ですね。 北条政子の実家がすぐ近くにあるから、産湯の井戸の伝説ができたのでしょうか。 場所は、標高約100メートルの守山のふもと。そして立派な河川敷を持つ狩野川がすぐ近くを流れています。 こんな風光明媚な場所に、のちに歴史の教科書にかなりのページを割いて紹介される北条氏のルーツがあったのですか。 北条氏は、桓武平氏の子孫で、伊豆・北条郷に下向して北条氏を名乗ったと言われています。ここに実家のあった政子が、源頼朝の妻となり、北条氏発展のキッカケとなったのですね。 ただ、こちらも、伝堀越御所と同じように、何の建物も残っておりませぬ。ただ、あちらが、ただの平地だったのに対して、意味深な溝や石の存在を確認することができました。 これは、北条氏邸の遺構の一部ですかね。 北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 この場所は、鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の妻や娘たちが鎌倉から韮山に戻り、北条氏の冥福を祈るために寺院を建てたらしい。 その寺院は、円成寺と言うのですか。尼寺として続いたものの、堀越御所が造営されたときに境内が接収されたそうです。その後廃寺になったのですね。 北条氏邸と同じ土地に寺院が建てられ、それが長く続いていたのなら、今残っている痕跡はほとんど寺院のものではないか。 ただ、1992年から1993年にかけて行われた発掘調査では、平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての大量の出土遺物や建物跡が発見されたそうです。 すると、こちらは「伝」北条氏邸ではなく、「確定」北条氏邸なのですね。 円成寺の遺構ももちろん確認され、いくつかの建物の跡と、それぞれを区切る区画溝、池の跡などが検出されているらしい。 城好きとしては、溝は北条氏邸の空堀の跡ではないかと期待したのですが、やっぱり円成寺の遺構みたい。 それにしても、標高100メートルの守山の麓に作られた屋敷というのが気になります。 平時は麓で暮らし、戦の時は守山に籠って戦おうとしたのではないか。平地の居館と詰めの城がセットになった城を想像してしまいました。 おそらく、誰も指摘している人はいないから違うと思いますが…。 すべて城を中心に仮説を立ててしまう悪いクセを治さねばならぬと考える今日この頃。 それにしても、北条氏のルーツの場所と北条早雲の居城・韮山城はあまりにも近い。 前にも述べましたが、北条早雲は、後になって呼ばれた名前で、当時は、伊勢盛時とか伊勢宗瑞と称していました。北条氏を名乗るのは、二代氏綱からですが、やはりこれだけルーツの場所が近いと、執権北条氏の存在が気になったのでしょうね。 北条氏邸跡(円成寺跡)は、現在、整備、活用に向けた計画が進められているそうです。 朝倉氏の一乗谷みたいに、当時の姿が復元できたら韮山反射炉に匹敵する観光スポットになることを期待するのでした。ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」(参考)目次より第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡
2022年01月15日
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こんにちは。 今回も、アーバンライフメトロさんのHPに提供させていただいた記事のご紹介です。 タイトルは、『 現在は公園に! お台場に浮かぶイカつい「第3台場」の正体 』 東京オリンピックの舞台のひとつになった港区のお台場がテーマです。 お台場は、都内では珍しく、リゾート気分が味わえるスポットとして人気を集めていますが、立派な城跡もあるのですよ。 品川台場は、なんと、日本城郭協会が選定した「続日本100名城」のひとつなのだとか。 ペリー艦隊が浦賀に来航した幕末の1853(嘉永6)年。危機感を出だした江戸幕府は、同年8月、江戸を防衛するために、品川台場の建設に着工します。 翌年12月までに、計7基の台場が完成。海の中に連なる人工島を1年ちょっとで作ってしまったのですか。幕府はそれだけ黒船来航に脅威を感じたのでしょうね。 現在見学できるのは第3台場だけですが、100名城にセレクションされただけあって、見ごたえは十分。歴史に興味がない人も、レインボーブリッジとコラボの絶景は、きっと満足いただけるでしょう。 本文では、山手線の駅から無料でお台場へ行ける方法もご紹介します。 それは、レインボーブリッジを歩いて渡るというもの。 若干、体力を使いますが、ゆりかもめやりんかい線で行くよりも、さらに東京の大パノラマの絶景を体感することができます。 記事の中では、現在無人島になっている、短編ホラーの舞台になった第6号台場もご紹介しました。 第3台場では、土塁や砲台、陣屋、火薬庫の跡などを詳細にリポート。 ほかにも、昭和初期のアウトドアの痕跡や不思議な池など、新たな魅力も発掘しました。 ご興味のある方は、是非、記事をご覧いただければ幸いです。 それは、こちら。 よろしくお願いいたします。
2022年01月08日
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こんにちは。 かなり間が空いてしまいましたが、本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、東京周辺の歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第2章の『 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見 今回は、埼玉県の富士見市の歴史スポットを歩きます。この周辺を歩くのは2回目ですが、ここは私のウォーキング史上初の経験をした場所なのですよ。 鼻高々に言うことではないですが、それは真っ白な状態から、ウォーキングコースを作ったこと。 それまではガイドブックやテレビの旅行番組で知った場所へ出かけるケースがほとんどでした。しかし今から20年以上前、何気に地図を見ていて、面白そうな歴史スポットが並んでいる町を見つけたのです。 出かけてみると、思った通りの新たな出会いが多数ありました。 当時はなぜ、これだけの観光スポットが一般の人に知られていなかったのだろうと思いましたね。後で紹介する歴史スポットが整備される直前ということもあり、当時はあまり知られていなかったのかもしれません。 それから10年以上経って、あるウォーキングガイドで、今回のウォーキングコースが紹介されていたのですよ。途中までは、ほぼ私が前回歩いたコースと同じでした。 この体験に味をしめて、その後は、地図を眺めながら歴史ウォーキングに出かける場所を探すという選択肢が追加されたのです。 そうした場所は、ウォーキングコースが作られていないケースも少なくありません。それ以来、自分でウォーキングコースを創造する楽しみが増えたような。 もっとも、周辺の歴史スポットをすべて盛り込もうとするから、1日に3万5千歩以上歩くこともありましたが…。 実は、今回も、結果的にとんでもない距離を歩くことになってしまいました。翌日、免疫力が低下して風邪をひいてしまったのです。 しかし、今回、ご紹介するのは、帰りにバスを利用すれば無理なく歩けるコースです。ご興味のある方は是非。 2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード ウォーキングのスタートは、東武東上線のみずほ台駅。 西口から出て、線路沿いの道を鶴瀬駅方面に歩きます。踏切のところで左の道に入り、しばらく行くと、水辺に沿った遊歩道が現れました。 ここは、富士見江川(ふじみえがわ)プロムナード。 解説板によれば、ここは、富士見江川の河川敷地を利用して作られた約610メートルの水と緑の遊歩道らしい。 610メートルのうち、180メートルが「水と遊びのストリート」、220メートルが「藤棚ストリート」、210メートルが「親水と新緑のストリート」と、それぞれテーマに分かれているのですか。 遊歩道沿いには、東屋が設けられていたり、動物のモニュメントが置かれていたりと、快適に歩ける趣向が凝らされていました。 プチフィールドアスレチックのような場所もあって、子供は楽しめるかも。 …と思って歩いていたら、石垣に囲まれた水堀に見える部分もあり、城好きのオヤジも楽しめるかも、と訂正したのでした。 3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園 県道266号を超え、さらに富士見江川に沿って歩くと、川幅が広くなり、住宅街を流れる普通の川の景観に…。 ただ、市民農園があったり、周りに高層ビルがなかったりする緑豊かな景色は、貴重に感じられました。気持ちよく歩き、最初の目的地である山崎公園に到着。 シンプルで、清潔感のある公園はいいですね。 この公園は、単に途中の休憩場所としてウォーキングコースに組み込んだのですよ。面積約1ヘクタールの小規模な公園ですが、ここを目的に訪れても良いような見どころがあるのでした。 それは、「せせらぎ菖蒲園」。 ただ、行った日は11月で、まったく花は咲いていませんでしたが…。約1000平方メートルの広さがあるという菖蒲田には5000株の花菖蒲が植えられているらしい。ハナショウブの一番の見頃とされる6月頃には、多くの見学者が訪れ、公園入口付近には屋台が並ぶこともあるそうですよ。 木道に立ち、目をつぶって最盛期のハナショウブが咲き乱れるさまをイメージしてみるのでした。 4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園 さて、いよいよ本日のウォーキングコースの目玉の一つに向かいます。 地図を見ながら、山崎公園の裏手にあるバス通りを進んでいくと、右手に「国史跡 水子貝塚公園」の看板が現れました。 水子貝塚公園は、約5500~6500年前の縄文時代前期の遺跡を整備した歴史公園。 当時は気候温暖で、海面が今より4〜5メートルも高くなるため、縄文海進と言って内陸部まで海が入り込んでいたとのこと。だから、海のない埼玉にも貝塚が作られたのですな。 縄文時代、この辺り一帯は、亜熱帯性の常緑広葉樹林が広がり、意外に豊かな暮らしが営まれていたのですか。 昭和初期に、大規模なムラがあったことが確認されると、それを再現する形で公園の整備が進められたのですね。 「水子」というと、この世に生まれ来ることが出来なかった子どもをイメージしてしまいます。しかし、ここの地名である水子は、「水のあるところ、水が湧き出るところ」という意味だそうです。 「縄文ふれあい広場 水子貝塚公園」として開園したのが、平成6年。公園の敷地面積は約4万平方メートルもあり、敷地内には、当時のムラ全体が含まれているのだとか。 中央にある広い芝生広場には、5棟の竪穴式住居が復元されていました。 最近は、さまざまな歴史公園で竪穴式住居を見る機会も多いですが、ここに立つ住居はどれも大きい。 発掘調査の結果に基づいて、住居や周りの森が復元されたそうなので、縄文時代の景色はこんな感じだったのでしょうか。 ちなみに、「縄文の森」は、発掘調査で出土した植物の種などを基にして復元したそうですよ。 芝生の上にある白い陶片は、確認された貝塚の位置と規模を表示しているらしい。 5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館 公園の正門付近には、水子貝塚から出土した土器などの考古資料を展示した展示館と、富士見市内のその他の遺跡から出土した考古資料を収めた資料館が設けられていました。 どちらも無料で見学できるのがうれしい。 まずは、大きな建物の水子貝塚展示館へ向かいます。展示館では、貝塚の発掘の様子を再現した展示と、貝塚を大型スクリーンで紹介する映像を見ることができました。 貝塚から発見された唯一の人骨や犬の骨がスポットライトを浴びています。 人骨は、身長146cmくらいの30歳代の女性らしい。犬は体高40cmくらいの小型犬で、現在の柴犬に似ているとのこと。 人骨は、手足を折り曲げた姿勢の屈葬ですね。歴史の教科書で習った縄文時代の埋葬法ですが、その理由は諸説あるらしい。 たとえば、穴を掘るスペースの節約や胎児の姿勢をとることによる再生の祈り、死者の悪霊が蘇るのを避ける、など。 ただ、弥生時代になると、伸展葬といって、体を伸ばした埋葬法が主流になるのですよ。 その理由もまた、渡来人が大陸からもたらしたとか、死者の霊を忌避せず安らかな形で埋葬しようとしたとか、さまざまな説があるのですか。 女性の人骨と犬の骨が絶妙の距離にあり、両者の関係を想像してしまいます。 ほかにも、土器や石器、出土した貝・獣骨・木の実などの展示はもちろん、発掘調査当時の様子が再現されており、縄文時代が身近に感じられました。 隣にある水子貝塚資料館では、市内の各遺跡から出土したという土器などの考古資料を見ることができます。 黒く煤けているのは、実際に煮焚きに使われたものでしょうね。シンブルですが、とても使いやすそう。 6.美しく整備された戦国の平城・難波田城 水子貝塚公園を出て、今度は新河岸川の土手を歩きます。 旧氷川排水にぶつかると、そこを右折し、排水に沿ってしばらく歩くと、左手に公園が現れました。 ここが、本日の2つ目の目玉スポット、難波田城公園。 難波田城公園には、東武バスや市内循環バスのバス停があり、アクセスも便利です。 このお城は、意外と知られていませんが、東京近郊には珍しいほど整備された戦国の城跡なのですよ。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」に続く) このあと、戦国時代は広大な水堀に囲まれていたという難波田城を詳細にレポートします。 難波田城は、河越夜戦など幾多の戦乱の舞台になり、小田原征伐後に廃城になった城。 城跡に作られた資料館では、難波田氏や難波田城をはじめ、富士見市の中世から現代までの歴史や民俗の実物資料や模型などが展示されていました。 明治初期に建てられてここに移築された、市指定文化財の古民家2棟と長屋門も必見です。 貴重なのは、公園の近くに、当時の土塁が残っていること。 城好きとしては、それが見られただけでも来た甲斐があったと満足するのでした。 東京周辺の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」 (参考)目次より第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門 7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ 8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見 2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード 3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園 4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園 5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館 6.美しく整備された戦国の平城・難波田城 7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」 2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏 3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか 4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館 5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡 6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 1.埼玉の名前発祥の地、行田 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館 6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる 8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中 2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園 3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群 4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡 5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡 6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ 7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺 8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区 1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城 2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗 3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺 4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館 5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園 6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園 7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院 8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ! 9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市 1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい 2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城 3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社 4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい 5.山田城が未完成の理由に対する一考察 6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区 1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺 2.加藤清正が寄進した長い石段がある 3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂 4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある 5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい 6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺 7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区 1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街 2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔 3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園 4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊 5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳 6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳 7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン
2021年12月25日
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こんにちは。 今回も、アーバンライフメトロさんのHPに提供させていただいた記事のご紹介です。 タイトルは、『 環状7号線の下には「戦国城跡」が眠っている!? 高度成長時代に失われた歴史の痕跡を探して 』 東京都葛飾区にあったという戦国の巨大城郭・葛西城がテーマです。 葛西城は、一般にはあまり知られていない城跡かもしれません。実は、痕跡がまったく残っていないのですよ。 その大きな原因のひとつは、環状七号線の建設。 この地域に環状七号線が開通したのは昭和40年代です。当時は、日本の高度成長の真っただ中。遺構の保護よりも、新たな工場や道路の建設が優先される傾向にありました。 環状七号線も昭和の歴史の一部なので、仕方ないことですが…。 それはともかく、戦国時代の葛西城は、後北条氏の最前線の城として、高い防御力を発揮していました。 防御の中核をなすのは、幅20メートルほどもあったという広い水堀です。 近くに流れる中川を天然の要害として外堀に見立て、城の反対側は湿地帯で、敵は容易に近づくことができなかったとか。 記事の中では、葛西城の痕跡を探して右往左往いたします。 ただ、救いは、城跡の近くに、葛西城をビジュアルで体感できる施設があること。 それは、葛飾区郷土と天文の博物館です。 2階にある『郷土史のフロア』では、さまざまな発掘された遺物を見学することができました。 特に、堀の跡から発見されたという若い女性の頭蓋骨には、身の毛もよだつ戦国時代のリアルを実感。 ご興味のある方は、是非、記事をご覧いただければ幸いです。 それは、こちら。 よろしくお願いいたします。
2021年11月26日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」がブログに初登場です。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第1章の『 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 本書のトップバッターは、東京近郊では貴重な城下町・岩槻です。 かつては埼玉県岩槻市でしたが、現在は、埼玉県さいたま市岩槻区。平成17年の合併により、さいたま市は人口100万を超える政令指定都市になったのですか。 私がはじめて岩槻を訪れたのは、今から30年以上も前でした。当時、駅を出ると、人形の専門店が並び、さすが「人形の町・岩槻」だと思いましたね。 今も日本一の日本人形生産地として、江戸時代初期からの伝統が受け継がれているらしい。 ひなびた城下町の風情が今も残っていることを祈りつつ、再度、岩槻を訪問してみることにしました。 ウォーキングのスタートは、東武野田線の岩槻駅。 駅前に出るとビルが建ち並び、以前来た時の風景は一変していました。岩槻区役所が、駅のすぐ近くにあるのですな。 区役所を左手に見ながら広い通りを進んでいくと、東武野田線の踏切のそばに愛宕神社がありました。 この神社の創建は不明ですが、有名な太田道灌にまつわる太田氏が岩槻城を築いたとき、小さな祠を見付けたのだとか。それを土塁上に移し祀ったのが、愛宕神社の始まりと言われているそうです。 ここから岩槻城跡まで結構距離がありますが、こんな住宅地のど真ん中に土塁があるのだろうか。 …と思いつつ、石段をあがってお参りする前に、近くの解説板を読んでみました。 神社のために作られたように見える土壇が、岩槻城の土塁なのですね。 今でも土塁の急峻さが残り、高低差もかなりあります。驚くのは、この巨大な土塁が、当時8キロに渡って築かれていたこと。 土塁は、小田原の北条氏が、豊臣秀吉との緊張関係が高まるなかで築いたそうです。 小田原征伐で有名な小田原城の総構が約9キロあったと言われています。岩槻城の総構も、長さではあまり変わらないではないですか。 ちなみに総構とは、城と城下町の一帯を含め、外周を堀や土塁で囲んだ城の構造。城の防御力を高めるとともに、城下町の保護にも大きな役割を果たしたらしい。 解説板にもあったように、岩槻城ではなぜか大構(おおがまえ)と呼ばれているみたいですが。 それにしても、8キロの長さのあった巨大な土塁が、今ではここだけになってしまったのは少し残念。 ただ、愛宕神社の神様のおかげで、岩槻城の土塁が今でも見られるのはありがたい。感謝の気持ちで、しっかりお参りをするのでした。 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 来た時と同じ道を戻り、岩槻区役所を今度は右手に見ながら進みます。横断歩道を超えて少し歩くと、左手に芳林寺というお寺が現れました。 ここは、太田道灌の曾孫にあたる太田資正が、東松山の地蔵堂から道灌の遺骨を移したと伝えられているお寺。資正の嫡男・太田氏資が岩槻城の城主であったとき、母芳林尼の追福のため 寺名を芳林寺に改めたそうです。 太田道灌は、江戸城を築いた武将として知られますが、岩槻城や川越城など、関東の主だった名城も築いたのですか。 彼は、1432年に鎌倉公方を補佐する関東管領・扇谷上杉家の家宰を務める太田資清の子として生まれ、後に剃髪して道灌と号したらしい。和歌にも優れ、文武両道の名将として、主家扇谷家の勢力拡大に大きく貢献したそうです。 しかし、有能な部下を持つ上司が嫉妬深くなるのは、現代と同じようによくあること。道灌の才能を恐れた扇谷家の当主・上杉定正は、謀反の疑いがあるとして、道灌を屋敷に招いて殺害。 殺害の仕方が、なんともやるせないのですよ。入浴後、風呂場の小口から出たところを襲わせたのだとか。 しかし、有能な部下を卑怯な手段で殺した上司が栄えるはずはありませぬ。扇谷上杉家は、やがて衰退し、北条氏によって滅ぼされてしまうのですね。 境内にある墓地には、太田道灌の霊廟がありました。 ただ、太田道灌の墓は、ほかの場所でも見た記憶があります。ネットで調べてみたら、神奈川県伊勢原市に首塚と胴塚があり、埼玉県越生町にも分骨したと伝わる太田道灌墓があるとのこと。 さまざまな場所で供養されているのは、人気の現れなのでしょうね。事実、東京都内には日暮里や東京国際フォーラム、神奈川県では伊勢原市、埼玉県には川越市や越生町などに太田道灌の銅像が建てられています。 ここ岩槻でも、芳林寺の境内で、その雄姿を拝むことができました。 非業の最後を遂げた武将ですが、500年以上経った現代でも慕われているのは幸せと言えるのかもしれません。 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 芳林寺から国道旧16号線に出て、大宮方面に少し歩くと、左手にレトロな建築物が現れます。 ここは、さいたま市立岩槻郷土資料館。 なんか存在感のある建物だなと思ったら、そのはずで、かつて岩槻警察署の庁舎として使われていたらしい。 だから窓に鉄格子がはめられているのですな。岩槻で初めての鉄筋コンクリートの建物として、昭和5年に作られたのだとか。 旧警察署庁舎の間取り図も掲示されており、現在の展示室が、当時はどんなふうに使われていたのか想像しながら巡るのは楽しかったです。 外観はいかめしいのですが、郷土資料館としての展示品には、おはじきやぬりえ、メンコ、ビー玉などの懐かしい遊び道具もありました。 もらったパンフによると、常設展示は、「大昔のくらし」、「岩槻のあゆみ」、「くらしの道具」という3つの柱で構成されているのだとか。 「くらしの道具」コーナーでは、岩槻地域の農村や城下町などで使用された道具などを見ることができます。 江戸時代や昭和の道具がランダムに並ぶビジュアルは、なかなか興味深い。 歴史好きにとって見逃せないのは、「岩槻のあゆみ」コーナーにある、岩槻城や岩槻藩の藩校に関する資料。そして、岩槻地域で出土した土器、石器などの考古資料でしょうか。 特に、「白鶴城」とも呼ばれた岩槻城の当時の模型は圧巻です。 郷土資料館にいた時間の4分の1は、この模型を眺めていたような。上から、横から、左から、右から、視点を変えることによって、城の雰囲気が刻々と変化します。 いくら眺めていても飽きませんね。ホントに、家にお持ち帰りしたいと思いました。 かつての岩槻城は、水城と言えるくらい豊富な水に囲まれていたのですな。 これから向かう岩槻城散策のため、しっかりと当時の縄張りを頭に刻みこむのでした。 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 岩槻城址公園へ向かう途中に、見逃してはいけない歴史スポットがあるのですよ。 それは、岩槻藩の藩校だった遷喬館(せんきょうかん)。 江戸時代は、多くの藩に藩校が作られていました。しかし、現在、建物が残っているケースは極めて少ないとのこと。 ここ遷喬館は、埼玉県で唯一残っている藩校なのですか。 もらったパンフによれば、遷喬館という難しい名称について、中国最古の詩集である詩経の中の「出自幽谷 遷干喬木」に由来しているとありました。 意味は、「学問を欲し、友を求めることを、鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び移る」ことにたとえた内容だそうです。高い志を持って学ぶことが大切ということでしょうか。 寛政11年(1799年)に、遷喬館を創設したのは、岩槻藩士で儒学者の児玉南柯(こだまなんか)。当初は、私塾としてスタートし、のちに藩校になったのですね。 児玉南柯という名前は知りませんでした。しかし、「岩槻に 過ぎたるものが 二つある 児玉南柯と 時の鐘」と謳われたほどの有名な学者だったのですか。 講義は儒学を中心に行われ、藩士の子弟たちがここで学んだそうです。 藩校といっても、のちの時代の学校とは大分イメージが違いますな。木造平屋建て、茅葺屋根の構造で、建物は武家屋敷を利用して作られたらしい。 教室としては、15畳と9畳からなる2間続きの部屋が使われたそうです。 今はささやかな学校に見えます。しかし最盛期には、梅林を伴った広大な敷地の中に、武芸稽古所、菅原道真を祀る菅神廟、南柯の自宅である「梅亭」のほか、築山や池泉、展望台などが設けられていたのですか。 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 遷喬館を出て、いよいよ岩槻城の城攻めを開始します。 さきほどの郷土資料館の模型を見て気づいたのですが、岩槻城は、3つのブロックから構成されていたらしい。 それは、本丸や二の丸、三の丸などがある主郭部と、その周りを取り囲む水堀の北側に位置する新正寺曲輪、そして南側に位置する新曲輪・鍛冶曲輪。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」に続く) このあと、戦国時代は関東屈指の規模を誇ったという岩槻城を詳細にレポートします。 岩槻城は、関東の城の特徴として、石垣は使われていません。しかし、水堀の面積は全国の城の中で最大級といわれる規模を誇ったようです。 ただ、本丸や二の丸、三の丸といった中枢部は、現在、住宅地になっており、当時の姿をイメージができないのが残念。 わずかに残っているのは、江戸時代に作られたという二つの城門でしょうか。水堀や土塁、空堀も確認することができました。特に、後北条氏御用達の「障子掘」や「馬出」は貴重です。 ほかにも、川越の「時の鐘」より古いという「岩槻の時の鐘」や住宅街に残る城の痕跡など、見どころは目白押し! 埼玉県の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」 (参考)目次より第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門 7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ 8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見 2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード 3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園 4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園 5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館 6.美しく整備された戦国の平城・難波田城 7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」 2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏 3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか 4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館 5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡 6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 1.埼玉の名前発祥の地、行田 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館 6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる 8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中 2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園 3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群 4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡 5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡 6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ 7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺 8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区 1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城 2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗 3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺 4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館 5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園 6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園 7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院 8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ! 9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市 1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい 2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城 3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社 4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい 5.山田城が未完成の理由に対する一考察 6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区 1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺 2.加藤清正が寄進した長い石段がある 3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂 4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある 5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい 6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺 7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区 1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街 2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔 3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園 4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊 5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳 6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳 7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン
2021年11月13日
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こんにちは。 今回も、アーバンライフメトロさんのHPに提供させていただいた記事のご紹介です。 タイトルは、『 全長100m超! 都内有数の「巨大古墳」が東京タワー付近にあるのをご存じか 』 先日NHKのブラタモリで、NHK放送センター(渋谷区神南)のある場所に「前方後円墳」があったと放送していましたね。 よく知っている場所に、かつて巨大な古墳があったという事実にびっくりしましたが、都内には意外と知られていない古墳も少なくありません。 中でも、都心のど真ん中に、長さ100メートルを超える古墳があると聞いて、驚く人も多いのではないでしょうか。 久しぶりに、その古墳を訪れたら、雰囲気がガラッと変わっていたのに驚きました。 草ボーボーだった遊歩道がきちんと整備され、ヘンゼルとグレーテルが迷いそうだった森の木々が、せん定されて、明るい日差しが差し込んでいるではありませんか。 かつては、インディージョーンズや川口浩探検隊になった気分で、雑草を踏みしめながら訪れたのに…。 調べてみたら、ここが古墳だと発見した人が、あの有名俳優とクリソツなのも驚きました。 ご興味のある方は、是非ご覧いただければ幸いです。 それは、こちら。 ちなみに、ヤフーニュースにも取り上げられております。 よろしくお願いいたします。
2021年10月30日
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こんにちは。 今回は、先日、アーバンライフメトロさんのHPに提供させていただいた記事のご紹介です。 タイトルは、『 東京大田区の住宅地に眠る、今はなき「戦国城跡」 痕跡探しの手掛かりとなる“必要4条件”とは 』 私が40年近くにわたって歩き続けている戦国の城跡がテーマですね。 東京23区には、残念ながら戦国の城の痕跡がほとんど残っていません。長年、残念に思っていましたが、少し目先を変えると、最近、何もないところからイメージを膨らませる面白さを感じるようになったのですよ。 自分が探偵小説の主人公になって、推理を働かせながら歩く楽しみと言いますか…。 その感覚を理解していただくため、今回は事例研究として、東京都大田区にあったという馬込城をご紹介いたします。 周りは住宅街で、一見何も残っていないように見えますが、興味深いお城のアイテムをいくつか発見することができました。 城跡を発見するポイントについても触れましたので、ご興味のある方は是非ご覧ください。 それは、こちら。 よろしくお願いいたします。
2021年10月16日
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こんにちは。 本日は、久しぶりに 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第9章の『 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 「最新東京編」のご紹介が滞っているうちに、最新作「武蔵国編」が出版されてしまいました。 是非、どちらもご覧いただければ幸いです。 ちなみに今回の記事は、2020年7月24日に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? おもしろ歴史ウォーキング「最新東京編」も、いよいよ最終章です。 トリを務めるのは、東京都内の北東に位置する足立区。 足立区は、隅田川と荒川に挟まれた千住地区と、区の面積の大部分を占める荒川から北の地区に分かれています。 これから歩く荒川から北の地区は、竹ノ塚が商業の中心地です。ただ、最近は西新井駅の周辺も発展を遂げているとか。 西新井と言えば、関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師が有名ですね。ほかにも、その周辺は興味深い歴史スポットが数多く点在しているのですよ。 …ということで、コロナ退散を願うべく数年ぶりに訪ねてみることにしました。 ウォーキングのスタートは、東武伊勢崎線、もといスカイツリーラインの梅島駅。 ここから旧日光街道を北に歩き、最初の目的地、ベルモント公園に到着しました。 なぜ、下町の風情が残る足立区にハイカラなネーミングの公園があるのか。最初に来たときは、少々違和感を覚えたのを記憶しています。 以前、アラン・ドロンと人気を二分した、フランスの俳優、ジャン・ポール・ベルモンドを記念した公園かと思ったのですが、まったく違うらしい。 ここ足立区は、オーストラリアのベルモント市と姉妹都市で、平成5年に、友好と交流のシンボルとして開園したのですね。 外国の都市は詳しくないのですが、ベルモント市は、広大な大陸の西側に位置し、地中海性気候の温暖な町だそうです。平成16年には、ベルモント市に「足立パーク」がオープンしたとか。 それほど広くはない公園ですが、園内にはオーストラリアの植物が植えられ、小さな池には、西オーストラリアの州鳥である黒鳥が飼われていると聞きました。 ただ、行った日は、ブラックスワンの雄姿を拝見できなかったような。巣ごもりして、テレワークに励んでいるのかも。 それはともかく、芝生広場には、若干の高低差をうまく生かして、ヒツジのモニュメントが置かれていました。 遠近法を利用して、うまく写真を撮ったら、オーストラリアを旅行してきました~♪とアリバイが作れそう。 ヒツジをいかに、本物っぽく撮影できるかがカギになるでしょうね。 公園の中の赤レンガ造りの陳列館もなかなかいい味を出していますな。 その中には、オーストラリアの工芸品や日用品、羊毛をつむぐ道具などが展示してあります。 行った日は、ベルモント市民と足立区民の代表がそれぞれの街を訪問した写真なども見ることができました。 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ ベルモント公園を出て、西新井駅方面に向かいつつ住宅街や商店街をテクテク歩きます。 環七通りを越えてしばらく行くと、未来的な外観の建物が目の前に現れました。 ここは、ギャラクシティ。別名・足立区こども科学館で、西新井文化ホールとこども未来創造館からなる複合施設らしい。 この場所にはかつて都営住宅があり、平成6年、ギャラクシティの建設とともに都営住宅も建て替えられたそうです。 面白い外観なので、大人も中に入ってみたくなりますな。 …ということで、吸い寄せられるように足を踏み入れると、高い吹き抜けの空間がありました。 さらに中へ進んでいくと、高さ7.5mのクライミングウォール。 そして国内最大級のネット遊具施設などを発見。 広々としたネット遊具施設は、スリルがあって楽しめそう。 子供たちだけ楽しい思いをしてずるい…と思ったら、上の階にあるプラネタリウムでは「大人のためのくつろぎタイム」なども用意されているのですね。 ちなみに、コニカミノルタプラネタリウム社製のスペースエンジンは、これまでにない臨場感の星空が経験できるのだとか。しかも、23区最大のドームには、寝転がって星や映像を楽しむことができる桟敷席もあるとのこと。 都会に住んでいる人にとって、寝転がって満天の星空を眺めるなんて最高の贅沢かも。 私の短くないない人生で、そんな経験はあったかなと思いつつ、ギャラクシティを後にするのでした。 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 ギャラクシティの裏側、島根小学校のすぐ近くに、古い庚申塔が祀られていました。 解説板には、猿払塚とあります。そこには、塚にまつわる以下の民話が紹介されていました。 『 今から三百数十年前、辺りの農家に、一匹の賢い猿がいたとのこと。ある日、猿が、留守番をしていると、赤ん坊が泣き始めたので、湯をわかし行水をさせたところ、湯が熱すぎて、赤ん坊は死んでしまった。それからというもの、猿は、食事もとらず、赤ん坊のお墓を守り続け、ついに死んでしまったらしい。村の人々は、この猿の心を哀れみ「仏になって子どもたちを守っておくれ」と、手厚くここに猿を葬った。後に、この塚は、子どもたちの厄除け塚となり、子どもが病気になると泥団子をあげ、病気が治ると米団子を供える風習となったという。 』 すると、もともとここは猿のお墓だったのですね。 民話とはいえ、村人が何の違和感もなく猿と接し、留守番や子守を任せていたというエピソードは興味深い。 しかし、三百数十年前と言えば江戸時代初期ですか。民話として考えたら、それほど古くはない話です。いくら賢いと言っても、猿にそこまで期待しますかね。 もし、その「猿」が人間だったらどうでしょうか。 少し怖い話になるかも。 …と、ホラーミステリーを出版したことのある自称・ミステリー作家としては、うがった見方をしてしまうのでした。 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 ここからは、歴史のある神社仏閣めぐりです。住宅街をテクテク歩き、次に向かったのは、国土安穏寺。 国土の安穏を祈願するお寺とは、壮大なネーミングですね。 ただ、このお寺の歴史を知ると、その壮大な寺号に負けないエピソードがあるのでした。 解説板には、『 将軍徳川秀忠と家光父子が巡遊の折の御善所で、日芸聖人が住職をされていたとき、宇都宮釣り天井事件を予言した。その功により、将軍家から徳川家祈願所位牌安置所とされ、葵紋の使用許可を与えられた 』と書かれていました。 同時に、将軍徳川家光から天下山国土安穏寺の寺号を賜ったのですか。それまでは、長久山妙覚寺という寺号だったらしい。しかも、日芸聖人の代に限って十万石の格式が与えられたというからすごい。 宇都宮釣天井事件の真偽については、さまざまな説があります。 ただ、幕府の権力者であった本多正純の失脚を狙った権力争いという見方が多いような。いずれにしても当時の国家的な大事件であったことは間違いないでしょう。 貴重な情報を提供した日芸聖人は、国土の安穏に貢献したということで、幕府から大いに感謝されたのですね。 そんな将軍家との関りを伺わせるアイテムとして、境内には徳川家光公お手植えの松があります。 都会の中にあるとは思えない緑深い境内は、徳川家祈願所位牌安置所の格式を今も感じました。 それにしても、お寺の周りにある堀は、中世の武士の館跡をイメージしてしまいます。 でも、これは後世のものかな。 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 国土安穏寺から、都営団地の近くを歩き、次の目的地の鷲神社を目指します。 島根鷲神社は、ここ足立区島根地区の鎮守社。島根県との関連を考えてしまいますが、島根の由来は、昔この辺りが入江の中で、島の根の様に出た土地だったからとのこと。 その場所に、神々が船で上陸したのですか。その後、日本武尊が神々を祀ったと伝えられているそうです。 ここは、神話の時代の伝承が残っている由緒ある場所でもあるのですな。 鷲神社は、日本武尊を称えて、かつて大鷲尊や浮島明神と称されていたとのこと。鎌倉時代に中興されて現代まで続いているのですか。 神社の建築様式は詳しくないですが、そういえば伊勢神宮に少し似ているような。 室町時代には足利将軍家から寄進があり、江戸時代には8代将軍徳川吉宗が鷹狩りの途中に立ち寄ったという記録が残っているそうです。 写真を撮り忘れましたが、吉宗が腰掛けたとされる将軍石などもありました。 そして富士塚も。 東京の神社には富士塚をよく見かけますね。それぞれ個性があって見比べるのも楽しい。 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 地図を眺めながら、住宅街をテクテク歩き、次の目的地を目指します。 行った日は、7月の暑い日でした。汗を拭きつつ歩いたのですが、この看板を見たとたん脱水症状を起こして倒れそうになりましたね。 この暑いのに、炎天寺なんて…。 ますます汗が出そうな名前のお寺だと思ったら、ちゃんと由緒正しい謂れがあったのでした。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) 炎天寺のネーミングが、平安時代末期の日本を揺るがした、大きな戦いに由来していたとは知りませんでしたね。 ほかにも炎天寺は、有名な俳人・小林一茶ゆかりの寺としても有名らしい。 境内にあった彼の略歴を紹介する解説板を眺めると、中高年を勇気づける、とんでもない経歴があったのを知りました。 是非、あやかりたいものだ、と…。 最後に向かったのは、関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師。 昔から「関東の高野山」とも呼ばれ、境内には、エピソード満載のお地蔵さまや都内に残る唯一の栄螺堂、壮大な山門など見どころが満載でした。 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」 (参考)目次より第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年10月01日
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こんにちは。 本日は、恒例となった新刊本のお知らせです。 タイトルは、『 老健の怪事件: 介護老人保健施設を舞台にしたホラーミステリー 』。 私の処女作「ハッスル!『老健』」の取材で得た、老人介護施設の情報が随所に盛り込まれている本です。 ミステリー小説としては、昨年出版した『 ライバル銀行員 』に次ぐ2冊目となりますね。 ちなみに「ライバル銀行員」は、主人公の性格や考え方から、内容を批判されるだろうと覚悟していたのですが、思いのほか高い評価をいただき驚いております。 もっとも、現在出版されているミステリーの中には、もっとすごいものも多いようで。 前回、「ライバル銀行員」の公開を20年以上ためらった原因として、銀行現場のリアルすぎる描写と、主人公の露悪的なキャラクターだったと述べました。 そして、もっとも大きな原因が、銀行ミステリーに対する免疫がない時代、これを読んだ人が、銀行に対したネガティブな気持ちを持ってしまうのではないかと危惧した点だと。 実は、今回出版されていただいた「老健の怪事件」も、登場人物やプロット、トリックが頭にあった状態が15年以上続いていました。 公開をためらった一番の原因も同じく、多くの人たちが介護老人保健施設に対するネガティブなイメージを抱いてしまうのではないかと危惧した点です。 しかし、介護保険法の施行から20年以上が経過し、介護老人保健施設に対する知識も当時よりはるかに広がっています。 批判を覚悟のうえで、そろそろ出版をさせていただきたい、と。 取材した当時は、第三者的な目で老健を見てしまったのですが、私も当事者になる年齢がどんどん近づいているのでした。 そのことを考えながら本書を読み返すと、若い頃とは違った状況が見えてきますね。 ご興味のある方は、是非。 よろしくお願い申し上げます。 「老健の怪事件」 介護老人保健施設を舞台にしたホラーミステリー ◆◆介護老人保健施設を舞台にしたホラーミステリー◆◆ 本作は、半年間の介護施設の現場取材を通して得た知識を基に作られたホラーミステリーです。 著者は、処女作「ハッスル!『老健』-介護老人施設のすべてがわかる本-」で、アマゾンの高齢化社会部門の売上1位を獲得。 本書は、同書が介護施設の担当者から高い評価をいただき、ロングセラーになるとともに、作者が15年以上封印してきた作品でもあります。 今回の出版に際して、ミステリーとしての矛盾点を正し、大幅な加筆・修正を行いました。 舞台は、「介護老人保健施設 絹の丘」の認知症棟。 深夜、新人ケアワーカーの木村みどりは、認知症を患う入所者がベッドからいなくなっていることに気づきます。 認知症棟は夜間、扉が閉ざされ、エレベータや玄関の扉も、関係者を除けば開けることはできません。いわば三重の密室とも呼べる状況でした。 三重のセキュリティとビデオカメラで守られた介護施設から、お年寄りは、どうやって外に出ることができたのか。警察官が現場を検証しても、器械的なトリックを使って外に出る方法を特定できませんでした。 お年寄りの蒸発事件から三日後、新聞社に身代金要求の脅迫状が届きます。 犯人の目的は? 被害者が蒸発した日に、施設を訪れていた黒ずくめの男の正体は? 深夜の施設介護の現場など、施設に泊まり込んで取材した作者だから書けるリアルな描写。 事件の動機には、家族介護の限界が…。 賛否両論必至の問題作です。
2021年09月22日
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こんにちは。 本日は、久しぶりに 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第8章の『 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 「最新東京編」のご紹介が滞っているうちに、最新作「武蔵国編」が出版されてしまいました。 是非、どちらもご覧いただければ幸いです。 ちなみに今回の記事は、2019年11月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 今回は、東京都の西部、多摩丘陵にある二つの都立公園を巡ります。 それは、都立長沼公園と都立平山城址公園。 平山城址公園は、初めて行ったのは高校生になってからですが、小学校の頃からその存在は知っていました。 なぜなら、京王線に平山城址公園駅があるからです。東京の鉄道路線図を見ても、城跡の名前が駅名になっているのはあまりないですからね。 子供心に、どんな立派な城があるのだろうとイメージを膨らませていたのを覚えています。 実際に出かけてみて、少し驚きましたが…。 その後、3回ほど出かけたので、今回は何と4回目です。あまり同じ場所にウォーキングに行かない私が、なぜ何度も出かけるのか。 その理由はあとで述べたいと思います。当時の気分に浸るため、30年近く前に買ったガイドブック片手に出かけることにしました。 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 ウォーキングのスタートは、京王線の長沼駅。 今回はウォーキングよりハイキングだなと思いつつ、ガイドブックに書かれていた踏切を探しました。 ガイドブックには、「出口を降りて踏切を渡り、駅の反対側へ出る」と書かれていますが、踏切がありませぬ。 しばし戸惑った後、線路が高架に変わり、踏切がなくなっていることに気付きました。 古いガイドブックを見ながら歩くと、時間の経過に伴う風景の変化が体感できて楽しい。もっとも、注意しないと時間ループに迷い込む恐れもありますが…。 まず向かったのは、駅から見える都立長沼公園。 長沼公園は、高低差が約100メートルあり、急な斜面にはクヌギやコナラを中心とした雑木林が広がっているらしい。 北野街道を渡り、水路や田んぼが広がるのどかな道を進むと、懐かしい庚申塚がありました。 前回来た時も、この庚申塚が出迎えてくれたのでしたね。近くにある六社宮という古い神社の脇を通って山道を登ります。 頂上付近にある野猿の尾根道へ向かうルートはいろいろあって、その日の気分で好きな道を選ぶことができるのも魅力のひとつ。 今回私が選んだのは、公園の西の端にある殿ヶ谷の道。 沢沿いの道で、さわやかなせせらぎの音を聞きながら、緑のトンネルを進んでいきます。 しかし、次第に道はぬかるみ、水たまりを飛び越えて進んでいくことに…。 そして、道は小さなダムによって閉ざされていたのです。 仕方なく、靴を泥だらけにしながらの撤退を余儀なくされたのでした。 4回目なのに、道を間違えることもあるのですな。それだけ公園内は、野趣あふれるジャングルになっているのかも。 今度は順調に山道を進み、木橋を越えてさらに坂を登っていくと、視界がパッと開けます。 頂上にあたる野猿の尾根道付近からは、八王子の市街を見渡すことができました。3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 冒頭にも書いたように、野猿峠には青春の思い出があるのですよ。 …といっても、章のタイトルのネタに使わせてもらった「ああ野麦峠」のような哀しい話ではありません。 今は、「野麦峠」と言っても知らない人のほうが多いかもしれませんね。明治から大正にかけて、飛騨地方の農家の娘が、雪が降りしきる中、野麦峠という危険な峠を越えて長野県の製糸工場に働きに出たという話です。女工哀史の一つとして、昭和の映画やドラマで話題になりました。 話がそれましたが、高校時代に、雑誌を読んでいて、ある写真に興味をひかれたのです。 緑深い峠に建つ茶屋。峠の茶屋にしては立派な外観。東京都内なのに、野猿峠といういかにもローカルな響き。 記事を読むと八王子の近くにあるそうで、日帰りで十分行ける場所です。そう思うと矢も立てもたまらなく行きたくなりました。 当時は、ガイドブックなんて便利なものがあると知らなかったので、家にあった分厚いロードマップを持って出かけたのですよ。 ところが、いざ現地に行ってみて、どこにその茶屋があるのか全然見当がつかない。 関東地方が全部載っているロードマップでは、細かな場所の記載がないのは当たり前ですよね。手掛かりは、地図に表記された野猿峠の文字だけ。しかも、当時は地図の見方もよくわからず…。 ダンプカーや自動車がビュンビュン走る道路に立ち、ずっと途方にくれていました。道を聞きたくても、歩行者はまったく会いませんでしたし。 …ということで、せっかく出かけたのに、野猿峠は断念。私のお散歩クロニクルの最初の失敗として、排気ガスの臭いとともに記憶に残っています。 ただ、時間が経つとそれも懐かしい思い出になりました。再度訪問して、ノスタルジックな気分に浸ろうと考えたのです。 古いガイドブックには書いてありませんが、これまでの経験からすぐ場所がわかるだろうと思ったのですよ。 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 野猿街道に出ると、当時とは景色が一変していました。道が広くなり、立派な歩道もできている。 前回来たときは、森の中に埋もれるように、鄙びた建物があったのですよ。記憶を頼りに近くを歩き回ったのですが、それらしい建物が見当たらない。 迷いながら歩き回っているうちに、面白い形の建物を発見しました。 コンクリートで作られた逆ピラミッドです。後で調べてみたら、これは大学セミナーハウスの建物だとか。 関東地方の複数の大学、企業、各種研究会などがセミナーなどに使用している施設らしい。 1999年に日本の近代建築20選に選ばれ、2017年には本館が東京都選定歴史的建造物に選定されたそうですね。 この特徴的な外観はSF映画に出てきそう。建物を見上げながら、自分が異世界に紛れ込んでしまった気分になりました。 それはともかく、目指す建物はどこへ行ってしまったのでしょうね。 高校時代に迷い、今回も目的の建物にたどり着けなかったら、まったく成長していないことになってしまうかも。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) このあと、野猿峠の尾根道に引き返し、森の中を歩いていると、例の建物が突然、目の前に現れたのです。 一瞬、高校時代にタイムトラベルしてしまったのではないかと、スマホのカレンダーで西暦を確認してしまいました。 そして、最後に向かったのは、平山城址公園。 城好きとしては、なんとも魅力的なネーミングの公園です。平山城というと、山城、平城、平山城という城の形態をイメージしてしまいます。 平山城は、源平一の谷の合戦の先陣争いを始め、数々の合戦で勇名をはせた源氏方の侍大将・平山季重が城主だったらしい。 平安末期から鎌倉時代初期の城ということで、遺構はあまり多くないです。しかしその分、フリーハンドで妄想を広げられるメリットはありますね。 城址公園は起伏に富んでおり、城跡という視点で見ると、いくつか発見もありました。 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」 (参考)目次より第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年09月17日
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こんにちは。 先日、「歴史ウォーキング」シリーズの新刊本「 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 」が発売されました。 本日も、前回に引き続き、本の中で利用した写真の一部をご紹介しようか、と…。 新型コロナウイルス拡大の影響で、取材が延期されたり、ご紹介する場所の変更を余儀なくされたり、出版作業はなかなか大変でした。 ただ、おかげで、観光スポットの人出の増加が懸念されるなか、三密になりにくい場所をご紹介できたのではないかと思っています。 7章から9章までの写真をご覧いただければ幸いです。 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区 写真は、ほんの一部です。 個人的に、かなりマニアックな写真ばかり貼ってしまいましたが。 …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 』ご興味のある方は是非。 よろしくお願い申し上げます。
2021年09月10日
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こんにちは。 先日、「歴史ウォーキング」シリーズの新刊本「 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 」が発売されました。 本日は、前回に引き続き、本の中で利用した写真の一部をご紹介しようか、と…。 新型コロナウイルス拡大の影響で、取材が延期されたり、ご紹介する場所の変更を余儀なくされたり、出版作業はなかなか大変でした。 ただ、おかげで、観光スポットの人出の増加が懸念されるなか、三密になりにくい場所をご紹介できたのではないかと思っています。 4章から6章までの写真をご覧いただければ幸いです。 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区 写真は、ほんの一部です。 個人的に、かなりマニアックな写真ばかり貼ってしまいましたが。 …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 』ご興味のある方は是非。 よろしくお願い申し上げます。
2021年09月04日
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こんにちは。 先日、「歴史ウォーキング」シリーズの新刊本「 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 」が発売されました。 本日は、前作に引き続き、本の中で利用した写真の一部をご紹介しようか、と…。 新型コロナウイルス拡大の影響で、取材が延期されたり、ご紹介する場所の変更を余儀なくされたり、出版作業はなかなか大変でした。 ただ、おかげで、観光スポットの人出の増加が懸念されるなか、三密になりにくい場所をご紹介できたのではないかと思っています。 まずは、1章から3章までの写真をご覧ください。 第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 写真は、ほんの一部です。 個人的に、かなりマニアックな写真ばかり貼ってしまいましたが。 …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 』ご興味のある方は是非。 よろしくお願い申し上げます。
2021年09月01日
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こんにちは。 本日は、5か月ぶりの「おもしろ歴史ウォーキング」シリーズ新刊本のお知らせです。 「おもしろ歴史ウォーキング」は、東京近郊の見どころを歴史的な視点で歩くためのガイドブック。 これまで「東京編」、「東京編2」、「東京編3」、「最新東京編」、「神奈川編」、「首都圏編」、「関東編」、「最新関東編」「相模・伊豆国編」の9冊が出版されています。 シリーズ第10弾となる本書は、「 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 」。 武蔵国を現在の地域に当てはめると、東京都と埼玉県のほぼ全域、神奈川県の横浜市と川崎市になります。首都圏の中核地域をカバーしており、我が国の政治、経済、文化の中心ともいえる場所です。 ただ、その歴史を知ると、現在とは違った側面が見えてくることがあります。最近は、東京23区に注目が集まることが多いですが、古代から中世にかけては、埼玉県の行田市や国府があった府中市などが武蔵国の重要拠点でした。 古代の武蔵国では、北武蔵と南武蔵の間で主導権争いが行われたと言われています。本書では、武蔵国を代表する古墳を通して、その争いのスケールを体感することを目指しました。 また、戦国時代の武蔵国で、もっとも大きな戦いといわれるのが小田原征伐。豊臣方の大軍を迎え撃ったという忍城や岩槻城、森林公園周辺の城郭群など、北条方の城にスポットライトを当てたのも本書の特徴のひとつです。 本書で紹介させていただいた主な城跡・岩槻城・難波田城・忍城・葛西城・羽尾城・山田城・山崎城 本書で紹介させていただいた主な史跡 ・さきたま古墳群 ・荏原台古墳群 ・水子貝塚公園 ・武蔵国国分寺、国分尼寺跡 以上、国府や国分寺の跡、戦国の城、城下町など、さまざまな時代の武蔵国の魅力を伝えられるよう努力しました。 すべての記事は、2017年から2021年に取材したネタと写真をもとに、新たに書き下ろしたものです。これまで同様、一緒に散歩しているような臨場感が出せるよう、357枚の写真と5万8千文字を超える文章のバランスに配慮しました。 コロナ禍で、外出を自粛されている方が多いですが、ガイドブックを見ながらウォーキングのプランを考えるだけでも楽しいもの。テレワークや自宅の休憩時間の合間に本書を読んでいただければ、気分転換やストレスの軽減に役立つのではないでしょうか。 皆さんも、本書で歴史ウォーキングの新たな楽しみ方を発見してみませんか。 「 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 」。 ちなみに、目次は以下の通りです。 第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館6.美しく整備された戦国の平城・難波田城7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市1.埼玉の名前発祥の地、行田2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ! 9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい5.山田城が未完成の理由に対する一考察6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺2.加藤清正が寄進した長い石段がある3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編 』 それは、こちらです。 ご興味のある方は是非。 よろしくお願い申し上げます。 永嶋 信晴
2021年08月29日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第7章の『 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2020年8月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 前回は、自由が丘周辺の観光スポットをご紹介しました。 今回は、自由が丘から東急大井町線の九品仏駅、そして目黒通りを越えて目黒区八雲周辺を歩きたいと思います。 スイーツフォレストから再び奥沢の住宅街を歩き、東急東横線の踏み切りを越えてしばらく行くと、コンクリート造りの真四角の建物が現れました。 住宅街の真ん中に、無機質なコンクリートという斬新なデザイン。まったく装飾がないところが、逆に目を引きますね。 ここは、宮本三郎記念美術館。昭和の洋画壇を代表する画家、宮本三郎のアトリエがあった場所に作られたらしい。 宮本三郎が亡くなった後、膨大な作品と土地を世田谷区が譲り受け、平成16年に世田谷美術館の分館として開館したのですか。 美術館は、2階建てで、1階が講座室、2階が展示室になっています。 10年前に来たときは、まだ建物が新しく、床や壁、天井、どれをとってもピカピカでした。建物のモダンさと、華麗な色彩の絵画がとてもマッチしていたのを覚えています。 でも私は、絵を見るのは好きだけれど、あまり美術に詳しいわけではありません。当時は、宮本三郎という画家の名前を知らなかったのです。 宮本三郎は、石川県の小松市出身で、上京して画学校に通い、若くして二科展に入選して注目されたらしい。 晩年は、日本美術家連盟理事長や多摩美術大学教授、金沢美術工芸大学名誉教授にも就任した大家なのですね。 初めて作品を見たとき、宮本三郎の多彩な画風に目を奪われたのを覚えています。 もともと抽象画より写実画のほうが好きな人間ですが、その中間あたりの表現で、何より色彩が素晴らしい。 行った日は、「絵画、その制作とプロセス」の企画展が開催されていました。 宮本三郎は、作品を描くに至るまで、丹念にデッサンを重ねることを常としていたらしい。自らの課題を繰り返し試行するように、同主題でモデルのポーズや構図を変えるなどして制作を続けたのですか。 モデルが高峰秀子や新珠三千代、京マチ子など有名な人だったり、バレリーナや踊り子を独特の色彩表現で写し取ったりしている点も興味深かったです。 写実の鬼才と評された洋画家の作品をゆっくり堪能できました。 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 美術館を出て、再び住宅街をテクテク歩き、東急大井町線の九品仏駅にやってきました。 九品仏駅とは、いかにもお寺が近くにありそうな駅名ですな。その通り、駅名の由来となった寺院が駅前にあるのでした。 それは、九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ)。 九品仏のネーミングの由来は後で述べることにして、駅前から長く伸びる参道を歩きます。 参道の入り口付近に、古い石柱がありました。そこには、「禁銃猟 警視庁」の文字が…。 銃を使って猟をしてはいけないという意味ですか。 住宅街のど真ん中で、猟銃を撃つ人なんているの?と、臨戦態勢で周囲を見渡します。 石柱の後ろを見ると、明治32年11月と彫られていたので少し安心しました。明治時代、この辺りは鉄砲を使って猟ができるほどの自然が残っていたのでしょうね。 見晴らしのよい参道をしばらく歩くと、古刹の雰囲気が漂う東門がありました。 そこをくぐると、1678年に当寺を開山した高僧「珂碩上人」の像を安置する開山堂が右手に見えます。さらに参道を進むと、威風堂々とした仁王門が出迎えてくれました。 1708年に建立された鐘楼は流麗で、関東でも名楼として知られているとのこと。 本堂の脇に毅然と立つイチョウの大木は圧巻です。あまりの大きさに、どんなに後ずさりしても、全体が画面に収まりませぬ。 さすが、東京都の天然記念物ですね。 境内は隅々まで掃き清められ、真夏の猛暑の中でも清々しく本堂にお参りすることができました。 ところで九品仏のネーミングの由来は、こちらの本堂ではないのですよ。 本堂の対面に、3つ並んで建つ阿弥陀堂がその由来です。 それぞれのお堂には、3体の阿弥陀如来像が安置されており、合計すると9体。 仏様は、上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生という、浄土教における極楽往生の9つの階層が表現されているらしい。 これらを合わせた九品の仏様から、「九品仏」の通称で呼ばれているのですね。 9体の阿弥陀仏像は、江戸時代初期の1667年に造立されたもので、いずれも2.8メートルの高さがあるそうです。 一つのお堂に巨大な3体の仏様が並ぶ姿は圧巻でした。ただ、こちらも大きすぎてカメラの画面に、3体が一緒に収まりませぬ。 3つのお堂が並ぶ写真も、すべてが収まるいいアングルの場所がなく、カメラマン泣かせのお寺かもしれないと思いました。 ただ、これらのお堂の配置は、1836年に発行された「江戸名所図絵」の時代と、ほとんど変わりがないそうです。 デジタルの現代は、ビジュアルが重視されますからね。今なら、それが建物の配置にも影響を与えるのかもしれませんが…。 (406文字略) 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 九品仏浄真寺について、大人になってから、見方が大きく変わる事件があったのですよ。 それは、ここが奥沢城の跡でもあるとわかったときです。 東京23区に戦国時代の城跡が残っているのは珍しい。そう思って再訪問してみると、思いのほか、しっかり城の痕跡が残っているではないですか。 まずは、仁王門の脇に残る土塁。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) このあと、世田谷城の出城の役目を果たしていた奥沢城の魅力を堪能しました。 一辺約150メートルの方形単郭の平城ですが、よく見ると、さすが戦国の城ですね。 戦国時代の息吹が伝わってくるような厳重な土塁に驚くのでした。 ほかにも、大正時代に新聞で紹介された怪談話で賑わった神社や、大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹など、見どころが目白押し! 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」(参考)目次より第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年08月07日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第6章の『 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2020年8月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 今回は、東京屈指のオシャレなショッピングスポット、自由が丘周辺を歩きます。 よく言えば質実剛健、悪く言えばケチ臭い、ダサい、というイメージの私にとって、自由が丘は、不釣り合いな街だと思われるかもしれません。 しかし歴史的に見れば、自由が丘に、ハイソな街のイメージが定着したのはそれほど古くはないのですよ。 昭和2年に、現在の東急東横線が開通したときの駅名は、「自由が丘駅」ではなく、「九品仏前駅」でした。 そして昭和4年、現在の東急大井町線が開通する際、「九品仏」の門前に新たに「九品仏駅」が開設されることになったとき、改名候補に挙がったのは「衾(ふすま)駅」だったとか。 かつて自由が丘の一帯は、武蔵国荏原郡衾村(ふすまむら)でしたからね。 ただ、「衾駅」という駅名は、田舎臭い、ダサい、と東横線開通後に移住してきた住民から大反対を受け、「自由が丘」という名前に決まったらしい。 当時は本当に田舎っぽい雰囲気だったそうで、せめて駅名や町名をハイソにしたいと思ったのかも。 今日の自由が丘の隆盛を考えると、その選択は正解だったのでしょう。個人的には、衾駅というローカルな駅名のほうが、歴史を感じて興味を覚えたかもしれませんが…。 私にとっては敷居が高い街になってしまいましたが、自由が丘周辺には、興味深い歴史スポットが数多く残っているのです。 今回は、それらを訪ね歩くとともに、自由が丘の駅名の謎にも迫ってみたいと思います。 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 ウォーキングのスタートは、自由が丘駅ではなく、東急目黒線奥沢駅です。 …というのも、駅近くに由緒ある神社があるのですよ。 それは、駅から徒歩1~2分のところにある奥沢神社。 しっかりお参りをし、心を落ち着かせてから自由が丘を目指そうと思いました。 鳥居をくぐって境内に入ろうとすると、巨大な大蛇が鳥居に絡み付いている。 藁で作られたものだとすぐわかりますが、巨大な蛇が絡みつくビジュアルは、さすがにギョッとなりますね。 この大蛇。長さ約10メートル、直径約25センチで、重さが150キロもあるそうな。 誰がこんないたずらをして、参拝客を驚かそうとしとるのじゃ、と思いましたが、近くにある解説板を読むと、歴史と伝統のある蛇らしい。 なんでも、江戸時代中期、ここ奥沢地方に疫病が流行したそうです。 そのとき、村の名主様の夢枕に八幡大神が現れ、「藁で作った大蛇を村人がかつぎ、村内を巡行させよ」というお告げがあったとか。 さっそく、その通りにしたところ、疫病が治まった。 それ以来ずっと、なんと現代まで、この神社の氏子が藁で大蛇を作り、町内を練り歩く行事が続いているとのこと。 その風習は、世田谷区の無形民俗文化財の指定を経て、平成28年には、東京都の無形民俗文化財にも指定されたのですか。 歴史と伝統に裏打ちされた、由緒正しき、大蛇様だったのですね。 250年間も、その行事が続いてきたというのもすごいけれど、これだけの期間があれば、人々の思考法や価値観も変わるはず。 それなのに、江戸時代の風習が現代まで途切れずに続いているのはすごいことだと思いました。 この神社は、室町時代に、世田谷城主吉良氏の家臣だった大平氏が、奥沢城を築く際の守護神として勧請したそうです。 東京23区内で、室町・戦国時代の歴史スポットに遭遇するのはうれしいですね。 境内はさほど広くはないのですが、巨木を中心に深い緑に囲まれ、森閑とした古社の風格を感じました。 疫病退散に御利益があった神社ということで、コロナの一日も早い収束を願ったのは言うまでもありませぬ。 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 奥沢神社の前の自由通りを歩いて、自由が丘に向かいます。 自由が丘駅に近づくにつれて、次第にオシャレなカフェやショップが増えていきました。 自由が丘といえば、いまやお洒落なショップが建ち並ぶ街として泣く子も黙る存在ですね。ただ、個人的には、セレブというよりはもう少し垣根が低いかも、と思うのです。 若い普通の女性のグループが多いし、高校生も多く歩いている。 青山や六本木に比べると少し庶民的な部分もあるのではないか、と。 ただ、雑誌などのアンケートでは、「住みたい街」として1位に選ばれることもあるほどの人気スポットらしい。 個人的には、自由が丘は昔から何度も来ているのですが、その魅力がイマイチわからないのですよ。 今日こそ、その人気の秘密に迫ろうと決意を新たにしました。 東横線のガードをくぐり、まずは自由が丘のロータリー広場へ。 広場の端に、彫像があるのが目に留まります。 かなり昔になりますが、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」という番組を見ていて、自由が丘の人気ランキング第5位になっていたのが、この自由が丘女神像でした。 もう何十回も自由が丘に来ているのに、恥ずかしながらあまり注目したことはなかったですね。今は、どの駅前にも、似たような彫像があることが多いですから。 ただ、自由が丘では、この女神像にちなんだ「女神祭り」が毎年10月に開催されるそうです。それは、昭和48年に始まった自由が丘最大のイベントで、特設ステージでのプログラムをはじめ、周辺の11の商店会が企画した飲食や物販のブース、ライブなどが行われるらしい。 2020年は、新型コロナの影響で中止になったそうですが、毎年約50万人が訪れるイベントなのですか。 そんなにすごい女神像とは知れませんでした。近くの解説板を読んでみると、正式には、「蒼穹(あおそら)の像」と言い、昭和36年に自由が丘駅前広場に建てられたとのこと。 昭和22年に駅前広場が誕生したものの、しばらくは植え込みにロータリーがあるだけの殺風景な風景が続いていたらしい。そこで街のシンボルとして、外国の広場にあるような彫像を設置しようという話になったのですね。 終戦直後に駅前広場を作ったり、街のシンボルとしてモニュメントを設置したりと、当時としては先進的な発想だったのでしょう。 こんなところも、自由が丘の人気が高まった理由のひとつかもしれません。 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 駅前から、いよいよ自由が丘のタウンウォッチングを開始します。 自由が丘は、比較的広い道から路地裏まで、服飾・雑貨のお洒落な店やレストランが建ち並ぶ洗練された街並みが大きな魅力らしい。 パリの街角の景観に似たところも多いのだとか。 でも、個人的には、ハードはもちろんですが、ソフト面も見逃せないと思います。 たとえば、自由が丘のネーミング。なんとも、ハイソでお洒落なイメージですよね。 しかし、前にも少し触れましたが、自由が丘と呼ばれるようになる前は、東京府荏原郡衾村字谷畑と言ったらしい。 衾村(ふすまむら)とか、谷畑というネーミングのままだったら、これほどの繁栄はなかったかも。 自由が丘という名前のルーツが、学校だと知っている人は少ないかもしれません。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) その学校を訪れたあと向かったのは、ベネチアを模したショッピングタウン、ラ・ヴィータ。 水路にはゴンドラが浮かび、カラフルな建物とレンガ造りの洋館。そしてグレーの石畳。 多少コンパクトですが、運河の水映る町は、まるで絵画のようでした。 自由が丘のパワースポットとして人気を集めている熊野神社も、ハイソな街にマッチしています。 何と言っても忘れてはいけないのが、スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト。 日本を代表するスーパー・パティシエたちが交代で登場し、「出没!アド街ック天国」という番組で、自由が丘の人気ランキング第1位になったことがあるらしい。 私事で恐縮ですが、自由が丘は、80年代のスーパーアイドルのオフィシャルショップで、パシリを務めたこともある思い出の街。 そのエピソードや東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」目次より第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年07月23日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第5章の『 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2020年9月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 今回は、東京の南部にある大田区を歩きます。 大田区は、私が住んでいる品川区と同じ城南地区にあり、一昔前までは、畑も結構残っていた記憶があります。 最近は一気に都市化が進み、畑を見ることはほとんどありませんが…。 でも、住宅地の中に、当時の風情が感じられる、癒しスポットが数多くあるのですよ。 …ということで、久しぶりにほっこりした気分を味わおうと、JR大森駅の西口にやってきました。 そこを出ると、目の前は池上通り。車がじゃんじゃん行き交っています。 通りの向こうには、目の前を遮るような丘があり、階段の近くに大きな掲示板がありました。そこには、「馬込文士村散策のみち」の表記が…。 大森駅近くの馬込地区は、多くの作家が住んだ場所として知られているのですね。 東京23区の文士村は、ほかに田端と阿佐ヶ谷が有名です。前者は、芥川龍之介と室生犀星、後者は、井伏鱒二や太宰治、川端康成などのビッグネームが並んでいます。 では、馬込文士村のメンバーは?というと、階段の壁面に、文士村を構成する作家たちのレリーフが掲げられていました。 すごく大勢いるのですね。 さらに階段を上ると、相撲のレリーフも。 馬込文士村には、力士もいたのでしょうか。 その謎が解明できるように、丘の頂上にある天祖神社にお参りします。 神社の境内からは、雑踏の中に佇む大森駅を見下ろすことができました。2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 馬込文士村へ行く前に、歴史好きなら誰でも知っている場所が近くにあるのを思い出しました。 それは、大森貝塚。 日本考古学発祥の地とも言われているところですね。教科書にも載っている話ですが、この貝塚を発見したのは日本人ではないのですよ。 それは、明治10年に来日したエドワード・モース博士。何でも、考古学者ではなく、アメリカ人の動物学者だそうな。 もちろん、この近所に住んでいる人たちは、やけにたくさん貝殻が埋まっているな…くらいの認識はあったのでしょうけど。 博士が汽車で横浜から東京へ移動中、車窓から何気に外を眺めていると、大森のあたりの崖から大量の貝が埋まっている地層が見えたらしい。 うぬぬ、これはもしかして…、と思って調べてみたら貝塚だった。 そしてモース博士は、生物学を教えることになっていた東京大学の教え子たちと大森貝塚を発掘したのですね。 さらに、日本初の発掘報告書を出版。博士の大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことだったとか。 …が、しかし。 長い年月を経て、そのモース博士が発掘した場所がどこかわからなくなってしまったそうなのですよ。 大森貝塚は現に存在しているのだから大した問題でもないような気がしますが、その位置がちょうど品川区と大田区との境界にあったのだとか。 なんたって、日本考古学発祥の地ですからね。自分たちの区内にあるということであればメリットはあるはず。 …ということで、品川区と大田区の間で、論争が一時期あったそうな。 しかも、50年に以上に及ぶ論争だったというからすごい。 今でも大森貝塚の碑は、大田区と品川区の両方あるのがその名残かもしれませぬ。 ちなみに、こちらが大田区の碑。 そして、こっちが品川区の碑。 結局、決着がついたのは、モース博士の発掘から100年後でした。 大森貝塚発掘当時の文書が、東京都公文書館で発見されたそうなのです。そして、そこに記された発掘地の住所が、現在の品川区の大森貝塚遺跡庭園の位置にあたることがわかったとのこと。 モース博士は、大森貝塚なのに品川区を発掘していたのですな。 何となく、品川区の遺跡公園が立派なのに対し、大田区側の史跡の周辺が少し寂しい印象があるのは私だけでしょうか。 その辺りの事情について、以前会ったことのある品川区の教育委員会の人が鼻高々に話していたのを思い出します。 でも、品川貝塚ではなく、今も大森貝塚というネーミングが残ったのだから、勝負は1勝1敗の五分かも。 せっかく来たのだからと品川区に足を踏み入れ、大森貝塚遺跡庭園を見学します。 池上通りを大井町方面に少し歩くと、右手に特徴的な景観の公園が現れました。門の壁は土器をイメージしたものでしょうね。 貝塚は、一口に言うと昔のゴミ捨て場。ただ、昔なのでプラスチックや空き缶、空き瓶などはもちろんありません。昔の人は、食べた貝の貝殻や動物の骨、壊れた土器などをここに捨てたのですね。 当時は、今のように分別収集の考え方もなかったようで、身の回りのものをどんどんこちらに捨てて行ったらしい。 だからそれらを調べることで、当時の人たちの暮らしぶりがわかるのですな。考古学的には大変貴重なものなのだとか。 ところで以前から、縄文の広場の奥にある洞窟みたいなモニュメントは何だろうと思っていたのですよ。 これは縄文土器と地層をイメージした回廊らしい。 その横にあるモースの広場には、土器を愛でるモース博士の胸像が、「いい仕事してますね~」と言っているように佇んでいます。 ところで、この縄文の広場。1時間に2回、それぞれ7分間もミストが噴き出すのですよ。ミスト噴水の中にいると、霧の彼方に浮かぶ縄文時代をイメージしてしまいます。 あまり長くいると、縄文時代にタイムトラベルしてしまいそう。 庭園の下は崖になっていて、JR線がひっきりなしに走っています。 モース博士はこれらの崖から覗く貝層を見つけたのでしょうね。 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 再び、池上通りを大森駅方面に戻り、山王口の信号を右折してジャーマン通りを歩きます。 それにしても、なぜジャーマン通りというのでしょうね。プロレス好きとしては、ジャーマンスープレックスホールドで一世を風靡したカール・ゴッチと関係があったらおもしろいなと期待してしまいます。 あとで調べてみたら、この近くに1991年まで東京ドイツ学園があったことから名付けられたらしい。さすがに、通りの名前がプロレス技という反則攻撃はなかったですね。 さらにジャーマン通りを歩き、マツキヨの横の道を上って住宅街をしばらく行くと、昭和の雰囲気を残した民家が現れました。 ここは、尾崎士郎記念館。 昭和の人気作家・尾﨑士郎が、昭和39年に亡くなるまでの10年間を過ごした家を復元し、記念館とした建物なのだとか。 尾崎士郎といえば、「人生劇場」の著者として有名ですね。ところが、この作品が世に出た当時はあまり評判にならなかったらしい。 注目されたきっかけは、川端康成が読売新聞の文芸欄で絶賛してからだそうです。 個人的には、尾崎士郎と川端康成が同時代の作家だということに驚きましたね。 川端康成がノーベル賞を取ったときのことや自殺したときのテレビ番組を良く覚えているのですが、尾崎士郎自身のリアルな記憶はないですから。 もっとも、私が作家に興味を持った頃には、尾崎士郎は亡くなっていたのですね。 この馬込の近辺が、文士村と呼ばれるようになったのは、尾崎士郎の働きかけによるところが大きかったらしい。 大正から昭和初期に、この馬込周辺に住んだ作家は、尾崎士郎とその妻の宇野千代、川端康成、萩原朔太郎、室生犀星、北原白秋、広津和郎、山本周五郎などそうそうたるメンバー。 そういえば、田端や阿佐ヶ谷の文士村にも、川端康成や室生犀星の名前がありましたね。 これらの人たちの中には、相撲好きな人が多く、「大森相撲協会」なるものを立ち上げ、大真面目に練習をしていたらしい。 中でも尾崎士郎は、太って強くなりたいために、インシュリンの注射を打ち、泡をふいて倒れたこともあったとか。 記念館の庭には、尾崎士郎がテッポウをしたケヤキの木が今も残っています。 当時の文士たちの力士姿の写真が残っていますが、皆真剣な顔で土俵入りを披露しているシーンが印象的でした。 冒頭の大森駅前で見た相撲のレリーフは、モノホンの力士ではなく、文士たちが相撲をとっている姿だったのですな。 申し遅れましたが、尾﨑士郎記念館は、当時の士郎の住まいを紹介することで、馬込文士村のにぎわいを後世に伝えるために作られた施設。 平成20年の開館で、書庫や客間、書斎を再現し、当時の執筆の様子を伝える展示を行っていました。 机の上の原稿用紙や蔵書、火鉢、鉄瓶、徳利などが良い味を出しています。ゴージャス過ぎないところも、尾崎士郎のオープンな人柄を感じされました。 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 尾﨑士郎記念館のすぐ近くに、蘇峰公園があります。 ここは、明治から昭和初期にかけて活躍したジャーナリスト、徳富蘇峰の住居だったところ。今は、公園みたいになっていますが、入り口の石造りの門柱や石段に当時の豪邸の面影がしのばれます。 蘇峰は大正13年に、この地に移り住み、昭和18年に、熱海伊豆山に移るまでの間、山王草堂と称してここで暮らしていたらしい。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) このあと、鎌倉幕府の成立に欠かせない武将ゆかりのお寺や考古学、文学ファン必見の郷土資料館を巡ります。 そして最後は、住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城へ。 果たして、馬込城の痕跡は残っているのでしょうか。 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」 (参考)目次より第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年07月10日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第4章の『 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、コロナの感染拡大があるとは夢にも思わなかった2019年4月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 今回は、東京都港区と中央区のおすすめお花見スポットを巡ります。 港区のお花見スポットといえば、最近では六本木ヒルズや東京ミッドタウン周辺を挙げる人が多いかもしれませんね。 ただ、個人的にはハイカラすぎて、桜をゆっくり見るには落ち着きませぬ。 適度に庶民的で、さらに歴史スポットとコラボで桜を楽しみたい。…と思ったら、港区では、青山墓地や芝公園などが挙げられるのではないでしょうか。 今回は、ほかのお花見スポットもご紹介したいということで、アクセスのよい芝公園から巡ることにしました。 芝公園へは、都営三田線の芝公園駅が近いのですが、今回は、都営大江戸線赤羽橋駅を利用します。その理由は、東京タワーと桜をコラボで撮影できるスポットが近いから。 赤羽橋駅を出て、目の前にある公園に向かいます。 そこでは、お昼前なのにシートを広げて場所取りをしている人を見かけました。 仕事が終わってから、社員同士でお花見を楽しもうという趣向ですか。 シートの位置から、夜桜と東京タワーのライトアップのコラボを狙っているのがわかります。 ただ、実際は、桜の花が満開すぎて、東京タワーがよく見えませんでした。夜はきっと、きれいに見えるのかもしれませんが。 桜の下を見ると、色とりどりのチューリップの花が…。 上だけ見ていたら、危うく見逃すところでした。芝公園でお花見をするときは、下にも注意する必要があるのですね。 芝公園は、明治6年開園と、都内では上野恩賜公園などと並び、もっとも古い公園のひとつだとか。 公園の敷地は、江戸時代には増上寺の境内でした。現在は、増上寺を取り囲むような形で公園が広がっており、その中にホテルや学校、図書館などが点在しています。 芝公園には、ほかにも、墳丘の長さが125メートルもあるという都内最大級の前方後円墳・芝丸山古墳があるのを忘れてはいけないのでした。 古墳と桜のコラボも見たかったけれど、今日はお花見のフルコースですからね。ゆっくりはしていられないと、増上寺の境内を目指します。 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 増上寺の開山は、1393年だそうなので室町時代までさかのぼるらしい。現在の芝の地に移転したのは1598年。その後の江戸時代に、徳川家の菩提寺となって大隆盛へと向かうのですな。 少し遠回りになりますが、増上寺の三解脱門(さんげだつもん)からお参りします。 三解脱とは、人間が持つ三つの煩悩(貪、瞋、癡)で、この門をくぐれば、それらの煩悩から解脱できるのですか。私が救いを求めるように、門をくぐらせていただいたのは言うまでもありませぬ。 ちなみに、三解脱門は、元和8年(1622年)に建立されたらしい。戦災を免れた江戸初期当時の面影を今に伝える貴重な存在で、国指定の重要文化財でもありまする。 行った日は、門に「御忌大会」という表示がありました。 「おんいみたいかい」?と読むのかな、と頭をひねりつつ門をくぐります。 後日、ネットで調べてみたら、「御忌大会」は、「ぎょきだいえ」と呼ぶのですか。毎年、この時期に行われる、浄土宗の元祖・法然上人の忌日法要のことらしい。 境内に足を踏み入れると、東京を象徴する芝の増上寺と東京タワーのコラボの絶景が迎えてくれました。 ネットや雑誌などで、同じ構図の写真をよく見かけます。やはり江戸と昭和のシンボルが、ひとつの被写体に収まるのが貴重なのかも。 それにしても増上寺の境内は、いつになく混んでいますな。特に、大本堂の前は、多くの人たちが集まっている。 …と思って行ってみたら、舞が行われていました。 これは、いつの時代を模した舞でしょうかね。 当日は、境内の舞台で行われるのは、「庭儀式」や「舞楽」、本堂内を清めるための「振鉾(えんぶ)」などだそうです。 増上寺の桜とともに、日本文化を堪能できるのは素晴らしい。 ちなみにコロナ禍では、規模を縮小して御忌大会が執り行われたそうです。多くの人たちが何のストレスもなく集まれる日が、早く戻って欲しいと思いました。 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 増上寺にお参りをした後、三解脱門の正面に伸びる道を歩き、JR山手線の浜松町駅へ向かいます。 浜松町駅北口のガードをくぐると、右手に旧芝離宮恩賜庭園が広がっていました。山手線の駅からもっとも近い庭園と言われているのも納得です。 入園料が150円と、リーズナブルなのもうれしい。ちなみに、65歳以上は70円ですか。 この時期は、園内の桜が見放題で、この値段はお得ですね。 ここは、かつて江戸時代の老中・大久保忠朝の上屋敷内に作られた大名庭園。大久保忠朝は、小田原藩の藩主で、領地から庭師を呼び庭園を造ったと言われます。今でも小田原にちなんだアイテムが、園内にちりばめられているらしい。 その後、所有者が変わり、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷になりました。明治になってからは、皇族の有栖川宮家を経て、宮内省が買上げて芝離宮になったのですか。 大正13年に、東京市に下賜されて旧芝離宮恩賜庭園として公開されたそうです。 庭園の入り口付近では、広々とした池と美しく配置された木々や岩が出迎えてくれました。 作られた当時は、海岸に面しており、庭園内の池は、海水を引き入れる汐入の庭だったとか。 よく整備された庭園ですが、面積は約42,000平方メートルと、他の都立公園と比べるとあまり広くはありませぬ。 どこから写真を撮っても、ビルが写り込んでしまうのが気になりました。 ただ、東京のど真ん中にある公園としては仕方ないのかも。真横をJR線が通っており、敷地の一部が鉄道の増設用地に提供されたそうですが…。 それでも、実際に庭園を一回りすると、数字よりも広く感じました。様々な景観に出会え、風光明媚な海や山を旅行した気分になるのですよ。 左に池を見ながら、右回りに庭園を歩くことにします。まず、池のほとりに現れたのが、雪見灯籠。 立派な灯籠は、日本庭園に必須のアイテムですな。砂浜を模したという州浜の上に、腰をぐっと下ろして三本足で立つ姿は存在感があります。 池に浮かぶ小島を眺めているような後ろ姿に威厳を感じました。 雪見灯籠から芝生広場まで歩く途中には、見事な桜が…。 下に立っている子供たちが、桜に飲み込まれてしまいそう。 シートを広げてお花見をしている人たちもいましたが、周りに人が少ないから、ゆったり桜を楽しんでいるのがわかります。 若干の入園料はかかりますが、たっぷり、ゆったり桜を堪能したいなら、旧芝離宮恩賜庭園は穴場かも。 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい お花見を満喫し、再び池の近くの遊歩道を歩きます。池から張り出した場所に、意味深な石柱が4本立っていました。 これは、もしかしてストーンヘンジ? (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) 種明かしをすると、この石柱は、戦国時代の武将の門柱として使われていたのだとか。 かなり渋い武将で、知名度は高くないですが、私は幸い知っていたので感慨もひとしおでした。 江戸時代には、小田原藩主大久保家の茶室の柱として使われたと推定されているらしい。 このあと、全国的にも珍しい鴨場があるという浜離宮庭園へ。 広さは、芝離宮庭園の6倍もあり、その分、見どころも満載でした。 浜離宮は、将軍家別邸の庭園で、徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いに敗れた後、軍艦で大坂城から江戸に帰ったとき上陸した場所としても有名ですね。 園内には、「将軍お上がり場」と表示されたエリアがありました。 ほかにも、将軍が食事をしたり、休憩場所として利用したりした複数の御茶屋が園内に点在しています。全国に5か所しかないという鴨場や城郭ともいえる堀や枡形など、見どころが目白押しですよ。 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」 (参考)目次より第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年06月26日
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こんにちは。 本日は、「おもしろ歴史ウォーキング 東京編2」からのネタです。 先日からツイッターで「東京編2」の再放送をしていて、まだ、ブログで紹介していない章があることを発見しました。 それは、第8章の『 将軍徳川綱吉が58回以上訪れたといわれる名園・六義園を歩く 東京都文京区 』 。 是非、「おもしろ歴史ウォーキング 東京編2」も、合わせてご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、少し前に訪れたときのもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.『古今和歌集』の世界を再現しようとした庭園 今回は、東京は文京区本駒込にある都立庭園・六義園を歩きます。 文京区は、「ふみのみやこ」と言われるように、学校や病院の多い高級住宅地。六義園は、JR山手線または地下鉄(東京メトロ)南北線の駒込駅より徒歩7分くらいのところにあります。 日本三名園ほどではないけれど、東京ではわりと有名な庭園ですね。元禄時代、徳川幕府の側用人だった柳沢吉保が、五代将軍・徳川綱吉から与えられた地に造ったそうな。 「六義園」の名前の由来は、和歌の六つの基調を表す「六義」(むくさ)という言葉だそうですが、難しくてよくわかりませぬ。何でも、『古今和歌集』にある和歌の世界を庭園として再現しようとしたらしい。 柳沢吉保自身が設計し、7年の歳月をかけて庭園を造ったのだとか。万葉集や古今和歌集に詠まれた和歌山県の和歌の浦の景色を始め、その周辺の景勝地や中国の故事にちなんだ景観が映し出されているそうですね。 日本の三名園は、徳川御三家の水戸家や加賀百万石の前田家など格式ある大名が造ったものですが、六義園はそれらより小さいもののなかなか健闘しておりまする。 それもそのはずで、柳沢吉保といえば、綱吉の寵愛を受け、のちに15万石の大老格まで出世した人物。 今で言えば、総理大臣以上の権限を持っていたのでしょうね。しかも、将軍・綱吉がこの庭園に記録に残っているだけで58回も訪れたらしい。庭園だけが目的ではないと思いますが、これだけ入り浸っていたのは、きっとこの景観が気に入っていたのでしょう。 犬公方と言われ、学問好きでもあった気難しい将軍が、何度も見に来たというだけでも、当時、一流の庭園だったとわかりますね。 2.冬でも桜の季節の見事さを実感できる枝垂桜と池を望む絶景 見どころは、ツツジの花らしいですが、当然冬は見られませぬ。 庭園入口近くにある枝垂桜も、もちろん花は咲いていませんでした。 でも、この見事な枝ぶりを見るだけでも、桜の季節の素晴らしさをイメージできますね。3月頃には、枝いっぱいの薄紅色の花が咲き乱れ、ライトアップもされるそうですよ。 園内は、かなりの起伏がありますが、庭園が造られる前は平坦な土地だったそうな。広大な池を掘り、それらの土で山を築き、千川上水から水を引く大工事も行われたのですね。 大きな池を望む絶景の場所は、出汐湊と名付けられ、右手に中の島、左手に蓬莱島、そして対岸には吹上浜を眺めることができます。 庭園の中心にあるのは広い池ですが、その中の島には、妹山、背山と名付けられた二つの築山が設けられています。古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼んだそうですが、小ぢんまりした二つの築山がある中の島は男女の間柄を表現したものだとか。 3.回遊式築山泉水庭園の魅力を満喫できる景観 美しい池の景観を右手に見ながら歩いてゆくと、やがて昼なお暗い樹林の道が…。 渓流が走り、水しぶきをあげて落ちる滝の近くにある四阿(あずまや)は、滝見茶屋。 中で腰掛けて休んでいると、流れ落ちる水音が心を癒してくれます。 清々しい気分で緑を眺めながら池の周りを半周しました。深山幽谷やのどかな水辺の景観など景色の移ろいも変化に富んでいて楽しく歩くことができました。 やがて、六義園の橋のなかでも有名な渡月橋へ。 和歌の浦を歌った歌から名付けられたそうですが、橋に使われている二枚の大岩は重量感がありました。きっと、遠くから運んできたのでしょうね。 4.荒れた庭園を三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が整備 六義園を造った柳沢家は、ここを下屋敷として幕末まで使用したらしい。明治になってから、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入し、荒れたままになっていた庭園を整備したのだとか。 ちなみに、六義園を取り囲む赤煉瓦の塀もこの時造られたそうです。 そのとき、園内にもつつじの古木材を用いてつつじ茶屋が建てられました。ただ、以前に訪れたときは、東日本大震災の影響で倒壊の恐れがあるとのことで、立ち入り禁止になっていました。 今は修理されて利用できるのですかね。この辺りは、11月下旬には、紅葉したモミジに囲まれ、見事な景観となるそうですよ。 5.江戸の百名山に数えられた山がある 最後に向かったのは、園内で一番高い場所という藤代峠。 ここからは庭園を一望できます。江戸時代は、この築山が江戸の百名山の一つに数えられていたらしい。 入園料は一般の人は300円、65歳以上の人は150円でこれらの絶景を味わえるのだからお得感があります。 ちなみに、小学生以下および都内在住・在学の中学生は無料。一般の人でも、5月4日のみどりの日と10月1日の都民の日は無料で入園できますよ。 コロナ禍の現在、入園には事前予約が必要みたいです。 六義園 整理券予約サービス|オンライン予約サービス (e-tix.jp) 「おもしろ歴史ウォーキング 東京編2」 (参考) 目次より 第1章 赤丸急上昇の人気お花見スポット・目黒川と新旧の名建築、空中庭園 東京都目黒区・渋谷区 1.少しセンチメンタルな気分になるお花見スポット・かむろ坂 2.昭和の竜宮城といわれた目黒雅叙園 3.目黒川沿いの公園も、見どころがいっぱい 4.目黒川・桜の絶景とめぐろ歴史資料館 5.建物自体が芸術作品の目黒区総合庁舎 6.渋谷にも古墳がある 7.オシャレな町にある大正時代の名建築・旧朝倉邸 8.西郷さんゆかりの西郷山公園と菅刈公園 9.目黒には、現代のバビロンの空中庭園がある 第2章 都内随一といわれる藤の名所・亀戸天神と大正時代の古民家を巡る 東京都江東区・墨田区 1.亀戸のカメにまつわるエトセトラ 2.駅前に立つガメラとラドンが合体?したモニュメント 3.銭形平次御用達?の工場跡がある 4.都内随一の藤棚が満開の亀戸天神 5.由緒ある寺院と下町散歩が楽しめる 6.エコライフの先駆けだったすみだ環境ふれあい館 7.江戸時代の農家と町屋の姿を合わせもつ旧小山家住宅 8.存在感のある亀戸大根の碑が立つ亀戸香取神社 第3章 新選組副長土方歳三も訪れた都内に現存する唯一の本陣・日野宿本陣 東京都日野市 1.新選組の故郷として注目を集める日野 2.峠の茶屋のような駅舎が魅力の日野駅 3.都内に現存する唯一の本陣の建物がある 4.土方歳三が昼寝をしていた部屋がある 5.新選組の少年隊士をかくまっていた部屋がある 6.明治天皇が行水に利用された桶がある 7.新選組のルーツの場所のひとつ・日野宿本陣の道場 8.大河ドラマの新選組配役にまつわるエトセトラ 第4章 日野時代の新選組の足跡と土方歳三の生家、菩提寺・高幡不動を歩く 東京都日野市 1.近藤勇や井上源三郎、沖田総司らが奉納した天然理心流の剣術額がある八坂神社 2.新選組6番隊長井上源三郎の資料館がある 3.新選組の育ての親・佐藤彦五郎のお墓がある大昌寺 4.ダンダラ羽織を着て写真が撮れる新選組のふるさと歴史館 5.ハイカラなお屋敷にある土方歳三資料館 6.昔からイケメンぶりが評判だった土方歳三 7.石田地区は、土方家がたくさん 8.土方歳三の菩提寺は、関東三不動の一つ高幡不動 9.八十八カ所巡拝コースになっている高幡城址 第5章 城跡、代官屋敷、古刹、風習、カラフルな電車… 観光スポットの定番がてんこもり! 魅惑の世田谷紀行 1.江ノ電みたいなかわいい電車が走っている 2.キャロットタワー最上階の展望室の大パノラマは一見の価値あり! 3.ノスタルジックな魅力満載の世田谷線沿線 4.吉田松陰のイメージそのままの清潔感が漂う松陰神社 5.世田谷区にまつわるエトセトラ 6.400年以上の歴史を誇る世田谷の伝統行事・ボロ市 7.重要文化財の代官屋敷がある 8.住宅街に痕跡が今も残る巨大城郭・世田谷城 9.井伊直弼の墓がある招き猫でも有名なお寺とは 10.世田谷城主・吉良家の墓がある勝光院 第6章 住宅街のど真ん中に広がる農場・演習林、歴史と緑に恵まれた公園と多摩六都科学館を歩く 東京都西東京市 1.田無市と保谷市が合併して誕生した西東京市 2.名主の善政を伝える碑と蔵がある 3.横綱やベストセラー作家ゆかりの田無神社 4.三つの寺が合併してできた田無山総持寺 5.住宅街の真ん中に広がる牧場風景 6.火・金だけの開館だが、周りの景色が魅力的な農場博物館 7.武蔵野の多様な植物を体感できる東京大学田無演習林 8.西東京市の公園はどこも緑がいっぱい 9.外から楽しみたい西東京のシンボル・スカイタワー西東京 10.平成25年3月に全面リニューアルされた多摩六都科学館 11.ギネス世界記録に認定されたプラネタリウムがある 第7章 荒ぶる川・荒川沿いの歴史スポットとパナマ運河の工事に参加した技師が手掛けた水門を巡る旅 東京都北区 1.荒川のほとりには、歴史・風俗のある神社仏閣がいっぱい 2.パナマ運河の工事に参加した技師がてがけた旧岩淵水門 3.鉄道ファンに人気の神社がある 4.都会の真ん中で、山里の風景が楽しめる赤羽自然観察公園 第8章 将軍徳川綱吉が58回以上訪れたといわれる名園・六義園を歩く 東京都文京区 1.『古今和歌集』の世界を再現しようとした庭園 2.冬でも桜の季節の見事さを実感できる枝垂桜と池を望む絶景 3.回遊式築山泉水庭園の魅力を満喫できる景観 4.荒れた庭園を三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が整備 5.江戸の百名山に数えられた山がある 第9章 桜を背景に、ロマネスク様式の大聖堂と23区内最古の木造建築を眺め、都内有数の桜の名所・洗足池にいたる極上桜散歩 東京都目黒区・品川区・大田区 1.ボート遊びや動物とも触れ合える碑文谷公園 2.昔の農村風景を今に伝えるすずめのお宿緑地公園 3.有名なアイドル歌手結婚の舞台となったサレジオ教会 4.地名の由来になった石のある碑文谷八幡神社 5.23区内最古の木造建築がある円融寺 6.桜のトンネルが1キロも続く西小山桜並木通り 7.東京タワーと東京スカイツリーがコラボで見える?小山八幡神社 8.千束と洗足にまつわるエトセトラ 9.都内有数の桜の名所・洗足池 10.勝海舟のお墓がある 11.洗足池は歴史スポットもいっぱい 12.すっぽんも住む洗足小池
2021年06月19日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第3章の『 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、コロナの感染拡大が比較的抑えられていた2020年7月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 本章は、狛江から慶元寺周辺を巡った前回の続きです。世田谷区から狛江市に戻り、野川を遡って調布市まで足を伸ばします。 区立稲荷塚古墳緑地を出て、慶元寺を左手に見ながら歩くと、長い参道を持つ神社が現れました。 ここは、旧喜多見村の鎮守・氷川神社。 慶元寺もそうでしたが、こちらの参道も深い緑に抱かれて荘厳な雰囲気が漂っています。 ここは世田谷区ですが、23区で、これほど遠近感が意識できる参道を持つ神社仏閣は少ないかもしれませぬ。 氷川神社の創建は、室町時代に起きた多摩川の洪水などで古文書が流失し、詳しいことはわからないそうです。ただ、天平時代の740年に創建したと伝えられているのですか。 その後、荒廃していた氷川神社を1570年に修復したのが、江戸重長の末流になる江戸頼忠でした。江戸時代になって江戸氏は喜多見氏と改姓し、寄進を行ったり、社殿を再建したりして保護したらしい。 ちなみに、この石の鳥居は、1654年に、喜多見重恒、重勝兄弟によって寄進されたもの。 世田谷区内最古の鳥居で、世田谷区有形文化財に指定されているのですか。 長い参道の先には、立派な社殿がありました。 こちらは、1990年に再建されたのですね。拝殿と本殿で構成される社殿は、流れるような屋根の形が印象的でした。 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 氷川神社から次の目的地まではかなりの距離を歩きます。道に迷いつつも、世田谷通りを越え、喜多見商店街を歩き、ようやく小田急線喜多見駅に到着。 ここからは、近くを流れる野川に沿って歩きます。 野川にかかる上野田橋を渡って線路の高架下をくぐると、緑の小高い丘が目に入りました。 丘の上にあるのが、喜多見不動堂。 明治9年に、当地の住民たちが、村内の安全や諸難消除、各願成寿のために建てたお堂だそうです。昭和16年には、さきほどお参りした慶元寺の境外仏堂になったのですか。 境内にそびえる崖の前には、小さな池がありました。その池の中に、はけと呼ばれる国分寺崖線から湧き出た水が、小さな滝となって流れ落ちています。 かつては信者が、この滝に打たれて水行したこともあったのだとか。 池のほとりの石段を上り、不動堂にお参りします。 お堂は明治9年建立と、意外に新しいのですな。それでも、江戸時代以前から建っているような存在感がありました。 本尊は不動明王座像で、多摩川の大洪水が明治の初めに起きたとき、 喜多見河原に流れ着いたものだそうです。その仏像を成田山新勝寺で入魂したと伝えられているのだとか。 不動堂の前にある世田谷区教育委員会の解説板に、以下の面白い記述がありました。 毎年冬至の日には星祭りが執行され、護摩が奉修され、特に南瓜に『真田幸村』と書き、 自分の名前と併記して護摩供養すると喘息や中風に罹らないという南瓜護摩が古くからこの日に行われている。 なぜ真田幸村の名前が、病気平癒の祈願に使われるのでしょうね。しかも、それをカボチャに書くのも面白い。 明治の初めの創建時から始まった風習なのか、あるいは、それ以前、江戸時代からあった風習なのか。 真田幸村が、知略を兼ね備えた強い武将として、当時から人気があったのでしょう。攻め寄せる病気を、幸村が真田丸で迎え撃つシーンをイメージしてしまいそう。 民俗学の研究テーマになりそうだと思いつつ、喜多見不動堂を後にしました。 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 喜多見不動堂のある丘から続く国分寺崖線を右手に見ながら、崖線沿いの道を歩きます。 国分寺崖線は、多摩川が10万年以上かけて武蔵野台地を削り取ってできた段丘なのだとか。立川市から国分寺市、調布市を通って世田谷区、大田区へと続く崖の連なりが、30キロも続くのですね。 崖線に沿って、木々や湧水などの自然環境に恵まれた帯が続き、世田谷区では「みどりの生命線」とも言われているらしい。 ただ、緑に包まれた崖線はフェンスに囲まれ、入ることができないのが残念。 この辺りは、神明の森みつ池と呼ばれるエリアで、湧水が4か所も存在するそうです。 ちなみに、神明の森とは、水神の祠を祭った場所だったからなのだとか。みつ池の名前は、かつて三つの池を作り、水を温めて田んぼに流していたことに由来するらしい。 東京23区内では2か所しか自生していないゲンジボタルや、絶滅危惧種に指定されている動植物が数多く残る特別保護区だそうですよ。 サンクチュアリとして、立ち入り禁止なのも頷けました。 それにしても、ここは湧水の量が半端ないですな。 フェンスの下から、水道栓を閉め忘れたみたいに、ドバドバ水が流れ落ちています。貧乏性なので、もったいない気分になるのでした。 それでも、国分寺崖線の緑地に入りたいと思っていたら、「成城みつ池北緑地」の案内板を発見。 それを読むと、元住宅があった敷地を、国分寺崖線の緑を保全する目的で緑地公園に整備したとのこと。 崖の下から上の広場まで散策路が作られているのですか。 これは、行くしかありませんね、と急こう配の階段を上ります。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) このあと、人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場を散策。 地上10メートルの空中庭園からは、晴れた日には富士山や丹沢山地なども望めるらしい。 自分が立つ広場の下に、車両基地があるとは信じられませんでした。 このあと、住宅地の中の小高い丘に建つ糟嶺神社と明照院へ。 丘が、高さ3.81メートル、根廻り127メートルの巨大な古墳であると知って驚きました。 自然地形による独立の丘の可能性もあるそうですが、地形的に前方後円墳にも見えて、古代のロマンを掻き立てられます。 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」(参考) 目次より 第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年06月12日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第2章の『 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、コロナの感染拡大が比較的抑えられていた2020年7月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 今回は、東京都狛江市と世田谷区を歩きます。 歴史好きの人には釈迦に説法ですが、徳川家は、江戸の近くを譜代の小藩で固め、大きな所領を持つ外様大名は、遠隔地に配置するのが基本方針でした。 江戸から近い藩というと、川越や岩槻、佐倉などが思い浮かびますが、それでも多少の距離はありますね。 実は、この辺りは、江戸時代に、東京23区内唯一の藩があった場所なのです。 将軍家のお膝元に、藩があったとは驚きですね。当然、由緒ある神社仏閣も多く、古墳などの歴史スポットなど見どころもいっぱい。 以前、訪れたとき、それらの観光スポットをつなぐ緑道にも魅力を感じました。 ウォーキングのスタートは、小田急小田原線の狛江駅。 狛江通りを歩き、世田谷通りにぶつかる狛江三叉路で住宅街の小道に入ります。しばらく歩くと、緑道が現れました。 ここは、岩出川緑地公園。 ここにはかつて、岩出川という灌漑用の川があったらしい。都市化に伴い、狛江駅の南口から砧浄水場付近までの約2キロが暗渠化され、跡地が公園に利用されているのですな。 住宅の間を縫うように伸びる小道ですが、周りに緑が多く、森林浴気分を味わうことができました。 しばらく歩くと、道の傍らにせせらぎが現れます。 歩くにつれ、流れが広くなったり、狭くなったり、岩場が現れたりと、変化する景観が面白い。 民家の近くには、あじさいが見事に咲き誇っているところがいくつもありました。 こちらは、タチアオイの花ですか。 花の管理は、住民の方たちがされているのでしょうか。暑い日でしたが、美しい花に癒されて、快適に歩くことができました。 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード やがて目の前に岩戸児童センターが現れ、左の信号の先に、岩戸八幡神社と明静院というお寺が並んで建っているのが見えました。 まずは、正面に鳥居のある岩戸八幡神社からお参りします。 神社の創建は1558年というから、後北条氏が支配する戦国時代ですか。解説板には、社殿は明治3年に改築し、更に昭和37年木造一部鉄筋コンクリート造りに補修されたとありました。 解説板を読んでいて、創建時の面白いエピソードを見つけたのですよ。 小田原北条家が支配していた時代、領地内の諸将を召しだし、鎌倉鶴岡八幡宮に参詣したことがあったそうです。その際、足利左馬頭義氏という力自慢の武士と、ここ岩戸の領主である世田谷城主吉良左兵衛佐頼康が力比べをすることになったのだとか。 足利左馬頭義氏という人物は知りませんが、おそらく将軍家にまつわる高い身分の武士だったのでしょう。 頼康は、家来の中から岩戸の住人秋元仁左衛門を指名し、相撲により決着を図ったところ、見事に義氏を倒したそうな。 勝利の懸賞となったのが鶴岡八幡宮のご神体だったのですね。この神社は、武士が相撲に勝ち、ご神体をこの地域に持ち帰ったことで勧請されたのですか。 それが縁で、今でも世田谷八幡宮の祭礼には相撲が行われていると言われています。 世田谷八幡宮の近くには世田谷城址があります。そういえば、以前、世田谷八幡宮へお参りしたときに土俵を見たことがありました。 今でも、戦国時代の世紀の対決の痕跡が残っているのは興味深い。当時、吉良家ゆかりの地域では、阪神が優勝するくらいの歓喜に包まれたのもわかります。 秋元仁左衛門の凱旋パレードが行われたのかもしれませんね。 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 隣の明静院にも、お参りします。 このお寺は、1530年というから、岩戸八幡神社より歴史が古いのですか。 寺伝に寄れば、喜多見地区などを所領していた喜多見家第13代の江戸駿河守廣重の保護により、台順法師が開山したそうです。 昭和54年に本堂、平成3年に山門が建立されたそうだから、まだ建物は新しいですな。逆に、戦国時代に造られた当初のイメージに近いのかもしれません。 こちらのお寺の薬師如来坐像は、胎内に納入された文書から1574年に作られたのだとか。制作年代が確認できる中世の仏像はとても貴重だそうです。 明静院と八幡神社の前には、中島に市杵嶋姫命を祀る池がありました。 立派な池で、2本の松が良い味を出しています。 ここには以前、農作物の洗い場となっていた湧水があったらしい。この池は、その湧水があった場所に作られたのでしょうか。 きれいな水は、湧水にも見えますが…。 この周辺は、昭和の半ばまで田園が広がり、遠くには多摩川の土手が見えたそうです。現在は住宅が建ち並んで、当時の面影はあまりないですね。 ただ、都内としては緑が多く、道も、家の敷地もゆったりしており、普通に歩いているだけでも癒されました。 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 岩戸川緑地公園をさらに歩き、喜多見中学近くの喜多見緑道へ入ると、道は広く、緑はさらに深くなります。 緑のシャワーを浴びながら進み、ところどころ置かれているベンチで水分補給をしました。 次に向かうのは、いよいよ本日の目玉スポットのひとつ慶元寺。 このお寺は当初、鎌倉幕府の成立前後の1186年に、現在の皇居周辺に作られたらしい。 慶元寺を創建したのは、平安末期から鎌倉時代初期の武将であった江戸太郎重長です。江戸氏は、室町時代に入って没落し、太田道灌に江戸城を明け渡して、ここ喜多見に本拠を移したとのこと。 それに伴い慶元寺も、1468年にこちらに移転したのですか。 江戸時代になると、三代将軍徳川家光から朱印状を賜る格式ある寺院となって現在まで続いているのですね。 門前に立つと、広々とした杉木立の中に伸びる参道が目に入りました。 初めて訪れたとき、京都の古刹に参拝したような気分になったのを覚えています。歴史的価値が素晴らしいだけではなく、このお寺はビジュアルでも東京屈指の寺院かもしれません。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) このあと、古刹の雰囲気の漂う慶元寺の境内を散策しました。 せたがや地域風景資産になっている金ぴかの三重塔のビジュアルが素晴らしい。 ちなみに、この周辺は、東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の陣屋があった場所です。 その痕跡を探そうと歩き回り、喜多見陣屋にあったと伝えられる門を発見しました。 23区内にあったという貴重な藩・喜多見藩の立藩と消滅の謎についても迫ってみましたよ。 ほかにも、喜多見陣屋の遺構かどうか紛らわしい古墳など、興味深い歴史アイテムが目白押し! 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」 (参考)目次より第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年05月29日
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こんにちは。 今回は、歴史ウォーキングシリーズの第6弾「おもしろ歴史ウォーキング 東京編2」からのネタです。 この本の再放送をしようと思ったら、まだブログでは紹介していない章を発見しました。 それは、第2章の『 都内随一といわれる藤の名所・亀戸天神と大正時代の古民家を巡る 東京都江東区・墨田区 』。 遅ればせながら、冒頭の部分を以下に記載させていただきます。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、6年前の4月に行った時のもの。現在では考えられないほどの3密の写真があります。 あの頃はよかったと、ノスタルジックな気分に浸る今日この頃。 取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.亀戸のカメにまつわるエトセトラ 今回行ったのは、江東区にある亀戸です。 当然何度か来ているのですが、亀戸天神など駅の周辺がほとんどでした。地図を見ていて、隣接する墨田区周辺にも見所がたくさんあることに気付いたのです。 まだ行ったことがない場所も多いので、都内完全制覇を目指す私としては行くしかない、と…。 ちょうどテレビで、亀戸天神の「藤まつり」も開かれていると聞きましたし。 …ということで、4月の終りの連休前に、JR総武線亀戸駅にやってきました。一見して、「藤まつり」へ向かうとわかるお年寄りのグループも多いような。 一緒について行くのも変なので、北口から歩き始めます。まず目に留まったのが、駅前公園にある亀のモニュメント。 亀戸だから、亀っすか。 しかし、この土地の亀にまつわるネーミングはかなり古いみたい。昔、この辺一帯は、亀ノ島と呼ばれる海上の島だったそうです。 江戸幕府がおかれる前、都心部は海だったということはよく知られていますが、島もあったのですね。 佃島は今でも島だとわかりますが、この辺りはまったく見分けがつきませぬ。何でも、古墳時代や石器時代の遺跡もあるのだとか。 それはともかく、やがてこの島に亀村という村ができ、村にあった亀ヶ井という湧水が有名になりました。その後、亀村と亀ヶ井が混ざって亀井戸村になり、井がなくなって亀戸になったらしい。 一度聞いただけでは覚えられませんが、由緒正しい亀だったということだけは理解できました。 2.駅前に立つガメラとラドンが合体?したモニュメント それにしても、親亀の背中に小亀、そのまた背中に孫亀を乗せた形は珍しくないのですけど、三匹とも甲羅から羽が生えている。 作者の意図がわかりませんが、ガメラとラドンが合体した新種の怪獣をイメージしたものだろうかと考えました。 ガメラは大映だから、ラドンではなくギャオスかもしれませんが。 その後ろにある塔が、荒川の水位を示したモニュメント。現在の荒川の水位と過去に水害を起こしたときの水位が表示されておりました。 かつて洪水で、私の身長をはるかに上回るところまで水が来たなんて信じられませぬ。 3.銭形平次御用達?の工場跡がある 駅前から横十軒川まで歩き、川のほとりを右折してしばらく行くと、「亀戸銭座跡」の石柱があります。 江戸時代、この場所で寛永通宝を鋳造していたのですね。 寛永通宝がなじみのない方は、銭形平次が投げる銭をここで作っていたと言うほうが、イメージがわくでしょうか。 『銭形平次様御用達』の幟が立っている町工場をイメージしましたが、平次親分は架空の人物なのでした。 4.都内随一の藤棚が満開の亀戸天神 川沿いをさらに進み、天神橋の交差点を右折すると、今日のウォーキング前半の注目ポイント、亀戸天神へ到着。 さすが、都内随一の藤棚が満開というだけあって、さすがに境内は混んでいます。 亀戸天神は、ご存知、学問の神様・菅原道真公をまつる天満宮。江戸時代初期、九州の太宰府天満宮の神官であった道真公の子孫がこの地に創建されたらしい。 そういえば、思いっきりミニチュアですが、九州の太宰府と雰囲気が似ているような。 藤の花は、西洋の花みたいにゴージャスではありませんけど、奥ゆかしくて上品な色。 本来はそれほど目立つ花ではないような気がしますが、境内からこぼれおちんばかりに咲いていると迫力があります。 太鼓橋の赤と藤色、そして木々の緑が春を実感。 境内には立派な本堂や石碑、史跡があるのですが、このシーズンばかりは藤に主役を奪われた感じがしました。 かなり前、日本の絶景ベスト120で、東京からは柴又帝釈天とこの亀戸天神だけがランクインしていたのを覚えています。 どういう基準で選んだのか調べませんでしたけど、東京が誇る絶景というのは間違いないでしょうね。 と言っても、それほど広くはないので、境内を3周して次の目的地へ向かいます。 5.由緒ある寺院と下町散歩が楽しめる 亀戸天神からすぐのところにあるのが普門院。 森の中にあるようなお寺で、喧騒から静寂への対比が面白かったです。 家屋が建て込んだ下町の中でしたが、静かな雰囲気がいいですね。 ここには、「野菊の墓」で有名な作家の伊藤左千夫の墓がありました。墓地の隅っこの比較的目立たない場所。 まわりに野菊はないだろうかと探したのですが、思ったより質実で、でも威厳に満ち溢れたお墓だと感じました。 普門院を出て、住宅街の中をテクテク歩き、二世歌川豊国の墓がある光明寺、萩寺と呼ばれ江戸時代からの名所であった龍眼寺をまわります。 墨田区に入って、北十軒川をわたり、住宅街の中に点在する押上公園、文花公園をめぐりました。 墨田区は、昔ながらの商店街やスーパーが多い下町情緒の残るところですね。 オヤジにとっては、話が合いそうな人たちの多い街だと感じてうれしくなりました。 それから、意外と公園が多いのですよ。 小学校や中学校の近くに、ある程度の広さをもった公園があるのはとても良いこと。 私の小学校時代、家の近くに広い公園がなくて、狭い小道で三角ベースの野球をやっていましたから。民家の庭にボールが飛び込むし、近所のおっさんに怒られるし、子供時代の遊びには良い思い出がないですね。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 東京編2」に続く) このあと、江戸時代の農家と町屋の姿を合わせもつという旧小山家住宅へ。奥座敷には5月人形が飾られていて、ゆったりくつろいだ気分を味わうことができました。 最後に向かったのは、創建が665年という社伝が残る亀戸香取神社。 平将門の乱を平定した藤原秀郷や塚原朴伝、千葉周作ゆかりの神社だそうです。 境内にある亀戸大根の碑は、必見ですよ。 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 東京編2」 (参考) 目次より 第1章 赤丸急上昇の人気お花見スポット・目黒川と新旧の名建築、空中庭園 東京都目黒区・渋谷区 1.少しセンチメンタルな気分になるお花見スポット・かむろ坂 2.昭和の竜宮城といわれた目黒雅叙園 3.目黒川沿いの公園も、見どころがいっぱい 4.目黒川・桜の絶景とめぐろ歴史資料館 5.建物自体が芸術作品の目黒区総合庁舎 6.渋谷にも古墳がある 7.オシャレな町にある大正時代の名建築・旧朝倉邸 8.西郷さんゆかりの西郷山公園と菅刈公園 9.目黒には、現代のバビロンの空中庭園がある 第2章 都内随一といわれる藤の名所・亀戸天神と大正時代の古民家を巡る 東京都江東区・墨田区 1.亀戸のカメにまつわるエトセトラ 2.駅前に立つガメラとラドンが合体?したモニュメント 3.銭形平次御用達?の工場跡がある 4.都内随一の藤棚が満開の亀戸天神 5.由緒ある寺院と下町散歩が楽しめる 6.エコライフの先駆けだったすみだ環境ふれあい館 7.江戸時代の農家と町屋の姿を合わせもつ旧小山家住宅 8.存在感のある亀戸大根の碑が立つ亀戸香取神社 第3章 新選組副長土方歳三も訪れた都内に現存する唯一の本陣・日野宿本陣 東京都日野市 1.新選組の故郷として注目を集める日野 2.峠の茶屋のような駅舎が魅力の日野駅 3.都内に現存する唯一の本陣の建物がある 4.土方歳三が昼寝をしていた部屋がある 5.新選組の少年隊士をかくまっていた部屋がある 6.明治天皇が行水に利用された桶がある 7.新選組のルーツの場所のひとつ・日野宿本陣の道場 8.大河ドラマの新選組配役にまつわるエトセトラ 第4章 日野時代の新選組の足跡と土方歳三の生家、菩提寺・高幡不動を歩く 東京都日野市 1.近藤勇や井上源三郎、沖田総司らが奉納した天然理心流の剣術額がある八坂神社 2.新選組6番隊長井上源三郎の資料館がある 3.新選組の育ての親・佐藤彦五郎のお墓がある大昌寺 4.ダンダラ羽織を着て写真が撮れる新選組のふるさと歴史館 5.ハイカラなお屋敷にある土方歳三資料館 6.昔からイケメンぶりが評判だった土方歳三 7.石田地区は、土方家がたくさん 8.土方歳三の菩提寺は、関東三不動の一つ高幡不動 9.八十八カ所巡拝コースになっている高幡城址 第5章 城跡、代官屋敷、古刹、風習、カラフルな電車… 観光スポットの定番がてんこもり! 魅惑の世田谷紀行 1.江ノ電みたいなかわいい電車が走っている 2.キャロットタワー最上階の展望室の大パノラマは一見の価値あり! 3.ノスタルジックな魅力満載の世田谷線沿線 4.吉田松陰のイメージそのままの清潔感が漂う松陰神社 5.世田谷区にまつわるエトセトラ 6.400年以上の歴史を誇る世田谷の伝統行事・ボロ市 7.重要文化財の代官屋敷がある 8.住宅街に痕跡が今も残る巨大城郭・世田谷城 9.井伊直弼の墓がある招き猫でも有名なお寺とは 10.世田谷城主・吉良家の墓がある勝光院 第6章 住宅街のど真ん中に広がる農場・演習林、歴史と緑に恵まれた公園と多摩六都科学館を歩く 東京都西東京市 1.田無市と保谷市が合併して誕生した西東京市 2.名主の善政を伝える碑と蔵がある 3.横綱やベストセラー作家ゆかりの田無神社 4.三つの寺が合併してできた田無山総持寺 5.住宅街の真ん中に広がる牧場風景 6.火・金だけの開館だが、周りの景色が魅力的な農場博物館 7.武蔵野の多様な植物を体感できる東京大学田無演習林 8.西東京市の公園はどこも緑がいっぱい 9.外から楽しみたい西東京のシンボル・スカイタワー西東京 10.平成25年3月に全面リニューアルされた多摩六都科学館 11.ギネス世界記録に認定されたプラネタリウムがある 第7章 荒ぶる川・荒川沿いの歴史スポットとパナマ運河の工事に参加した技師が手掛けた水門を巡る旅 東京都北区 1.荒川のほとりには、歴史・風俗のある神社仏閣がいっぱい 2.パナマ運河の工事に参加した技師がてがけた旧岩淵水門 3.鉄道ファンに人気の神社がある 4.都会の真ん中で、山里の風景が楽しめる赤羽自然観察公園 第8章 将軍徳川綱吉が58回以上訪れたといわれる名園・六義園を歩く 東京都文京区 1.『古今和歌集』の世界を再現しようとした庭園 2.冬でも桜の季節の見事さを実感できる枝垂桜と池を望む絶景 3.回遊式築山泉水庭園の魅力を満喫できる景観 4.荒れた庭園を三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が整備 5.江戸の百名山に数えられた山がある 第9章 桜を背景に、ロマネスク様式の大聖堂と23区内最古の木造建築を眺め、都内有数の桜の名所・洗足池にいたる極上桜散歩 東京都目黒区・品川区・大田区 1.ボート遊びや動物とも触れ合える碑文谷公園 2.昔の農村風景を今に伝えるすずめのお宿緑地公園 3.有名なアイドル歌手結婚の舞台となったサレジオ教会 4.地名の由来になった石のある碑文谷八幡神社 5.23区内最古の木造建築がある円融寺 6.桜のトンネルが1キロも続く西小山桜並木通り 7.東京タワーと東京スカイツリーがコラボで見える?小山八幡神社 8.千束と洗足にまつわるエトセトラ 9.都内有数の桜の名所・洗足池 10.勝海舟のお墓がある 11.洗足池は歴史スポットもいっぱい
2021年05月20日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」がブログに初登場です。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第1章の『 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、コロナの感染拡大が比較的抑えられていた2020年8月に行った時のもの。 一日も早く、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 本書のトップバッターは、東京都港区。46年ぶりの山手線の新駅という高輪ゲートウェイ周辺を歩きます。 高輪ゲートウェイ駅は、広大な車両基地があった場所に作られたのだとか。品川駅と田町駅の中間にあり、第一京浜国道沿いに、何度もその前を歩いたことがあります。 ただ、大通りの両脇に新旧のビルが並ぶという、東京ではどこでもある景観は特に印象に残っていません。駅ができた場所に至っては、やけに線路がたくさん並んでいるなというくらいの認識でした。 ところが、駅名公募の際は、大きな注目を集めましたね。ちなみに応募の1位の駅名が「高輪」で、2位が「芝浦」、3位が「芝浜」、4位が「新品川」と「泉岳寺」の同数だったそうです。 私も含め、多くの人が「高輪」になると思っていたら、「高輪ゲートウェイ」と発表されたときはびっくり。 予想もしなかった駅名ということで、反対の声は社会現象にもなりました。山手線の他の駅名と比べて違和感が半端なく、撤回を求める署名運動も行われたそうです。 ただ、最近はあまり反対の声も聞かなくなったような。 一頃、高輪ゲートウェイ周辺の観光スポットや商店もよく報道されていました。しかし、コロナの影響もあって、こちらも耳にする機会が減ったような気がします。 コロナ禍では、いかに密を避けて行動するかが重要。その点、夏休み期間中の都心部はすいている場所が多く、意外と穴場なのですよ。 …ということで、お盆休みを利用して、駅とその周辺を一度見ておこうと考えたのです。 高輪ゲートウェイ駅へはJR山手線ではなく、自宅から一本で行ける都営浅草線を利用します。 泉岳寺駅を出て、第一京浜国道を品川方面に少し歩くと、巨大な白いテントが見えてきました。 その先には、モダンな駅舎が…。 1階はホームで、2階はコンコース、3階がデッキになっているのですな。 駅前のテント群と、巨大な屋根から、子供の頃に出かけた大阪万国博をイメージしてしまいました。 この駅舎をデザインしたのは、新国立競技場などを手掛けた建築家の隈研吾氏なのだとか。折り紙をモチーフとした大屋根など、和を感じさせるのがデザインコンセプトらしい。 思った通り、駅はガラガラでした。駅前のテントを利用したイベントも、観光客はほとんどおりませぬ。密にならない作戦は成功でしたね。 しかも、吹き抜け構造で解放感はバツグン。切符を買わなくても、3階のデッキは出入り自由で、そこから、2階のコンコースやホームの一部を眺めることができます。 展望テラスからは、行き交う山手線や京浜東北線、都心のビル群の絶景も堪能できるのですな。 ただ行った日は、駅前にほとんど建物がなく、本当に山手線の駅なのかと疑いたくなりました。反対の港南側に抜ける道路もなく、使い勝手はイマイチかも。 逆に考えれば、他の駅に比べ伸びしろは、かなりありそう。これからの発展の様子を見守る楽しみが増えました。 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 高輪ゲートウェイのゲートウェイには、塀や生け垣などに木戸のついた出入り口という意味もあるのですか。 実は、高輪ゲートウェイ駅の近くに、これをイメージさせる歴史スポットがあるのでした。 それは、高輪大木戸。1710年、江戸の治安維持のため、東海道の出入り口として設置された施設で、当初は、現在の新橋駅付近に作られたそうです。現在残っているのは、1724年に移設されたものなのですね。高輪大木戸は、東海道を挟んで両側に石垣が築かれ、間に柵と門が設けられました。 明治元年に、西側の石垣は取り払われ、幅5.4メートル、長さ7.3メートル、高さ3.6メートルという東側の石垣だけが今も残っています。 当時は、およそ午前6時に当たる明六ツに開門され、およそ午後6時に当たる暮六ツに閉門していたらしい。 高輪大木戸は、伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点でもありました。 現存する江戸大木戸の遺跡はここだけで、江戸時代の貴重な産業交通土木遺産として、国の史跡にも指定されているのですか。 こういった歴史を知ると、高輪ゲートウェイという名称も納得してしまうのでした。ただ、歴史好きとしては、それなら駅名は『高輪大木戸』のほうがよかったのではないか、と思ってしまいますが…。 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 高輪大木戸の近くには、全国的に有名なお寺があるのでした。前に書きましたが、地下鉄の駅名にもなっていますね。 それは、ご存知、忠臣蔵で有名な泉岳寺です。今はそれほどではありませんが、かつては12月中頃には、どのテレビ局も忠臣蔵にちなんだ番組が放送されていました。 本所松坂町の吉良邸で討ち入りに成功した後、赤穂義士が泉岳寺まで歩いてきて、吉良上野介の首を主君の墓前に供えるシーンは有名です。泉岳寺の境内には、今も赤穂浪士にちなんだ史跡や遺品が数多く残っているらしい。 1832年に再建されたという山門は、歴史を感じます。赤穂義士がここをくぐって墓前に報告したと思うと感慨もひとしお。…と思ったら、山門は天保年間の再建で、元禄時代の忠臣蔵事件のあとに作られたものなのですか。 山門の前に立つ大石内蔵助の銅像は、大正時代に除幕されたらしい。 当時の風俗であった元禄羽織を身に着け、連判状を手に江戸の方向をじっと睨んでいる姿を現しているそうです。表情に強い意志を感じますね。 境内は、チリ一つ落ちておらず、猛暑の中、これだけの広さの空間を清潔に保つのも、強い意志が必要ではないかと思いました。 境内の片隅にあるのが、首洗いの井戸。 吉良上野介の首級を主君の墓前に供える前に洗ったと伝えられる場所です。 境内はきれいに整備され、明るくなった印象ですが、ここだけは以前と同じく、ヒンヤリした空気が漂っていました。 玉垣に、オッペケペー節で有名な「川上音二郎」という文字があります。 かつて大河ドラマで、中村雅俊が演じた興行師、芸術家、新派劇の創始者ですな。新派劇でも、忠臣蔵を演じていたのでしょうか。ちなみに彼の墓も、かつては泉岳寺にあったらしい。 ここまでは、以前来た時も見た覚えがありました。こちらの建物は、初めて見たような。 赤穂義士記念館ですか。 赤穂義士記念館は、討ち入り300年を記念して作られたのだとか。義士関係の貴重な遺品や資料、寺宝などが展示されているのですね。 かつて義士館として使用されていた建物は、1階を講堂、2階は義士木像館として利用されています。 義士木像館では、江戸時代から明治時代に制作された四十七義士の木像を見学することができました。 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 浅野内匠頭や大石内蔵助をはじめとする赤穂義士のお墓は、義士記念館の近くの高台にあります。昔と比べると、こちらもきれいに整備され、参拝しやすくなっていました。 階段をあがると墓地の入り口には古式ゆかしい立派な門が…。 これは、実際に浅野家の鉄砲州上屋敷の裏門として使われていたものだそうです。大石内蔵助もよく利用したとのことで、明治時代に移築されたらしい。 そこをくぐって歩いていくと、右手に、浅野内匠頭のお墓がありました。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」に続く) このあと、赤穂義士のお墓にお参りしました。一般に四十七士と呼ばれますが、実際は48の墓碑が…。 それには、ちゃんとした理由があるのでした。 泉岳寺ほど有名ではないですが、少し歩くと、大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所に行くことができます。 そこは、肥後熊本藩細川家の下屋敷があった場所。塀の中は立ち入り禁止となっていますが、ガラス窓から中の様子を伺うことができました。 高輪の周辺はお寺が多く、江戸時代の有名人のお墓は充実していますね。 特に、「天下のご意見番」として歴史ドラマに登場する大久保彦左衛門のお墓は必見です。 近くには、架空の人物というのが定説の一心太助のお墓も。 ほかにも、日本史の教科書に出ている儒学者のお墓や『 朝顔につるべとられてもらい水 』の井戸など、見どころは目白押し! 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編」 (参考) 目次より 第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅 2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸 3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺 4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある 5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所 6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい 7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園 2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード 3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院 4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺 5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ 6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市 1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社 2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂 3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地 4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場 5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい 2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ 3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園 4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい 5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園 6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった 2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚 3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館 4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館 5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺 6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館 7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」 2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社 3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか? 4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング 5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘 6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社 7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館 2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺 3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡 4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい 5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社 6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園 2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園 3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史 4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド 5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館 6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園 7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる? 2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ 3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚 4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺 5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社 6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺 7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内
2021年05月15日
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こんにちは。 約3週間前に、「歴史ウォーキング」シリーズの新刊本「 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 」が発売されました。 おかげさまで、売り上げは順調です。 感謝をこめて、今回も、本の中で利用した写真の一部をご紹介しようか、と…。 新型コロナウイルス拡大の影響で、取材が延期されたり、ご紹介する場所の変更を余儀なくされたりと、出版作業はなかなか大変でした。 おかげで、観光スポットの人手が懸念されるなか、三密になりにくい場所をご紹介できたのではないかと思っています。 今回の7章~9章は、東京23区の北と南を代表する歴史的寺院と、緑豊かな多摩地域のハイキングスポットの写真をご紹介させていただきました。 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区 写真は、ほんの一部です。 個人的に、かなりマニアックな写真ばかり貼ってしまいましたが。 …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 』ご興味のある方は是非。 引き続き、よろしくお願い申し上げます。
2021年04月07日
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こんにちは。 本日は、久しぶりに、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回ご紹介するのは、第9章の『 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市 』。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2018年12月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 おもしろ歴史ウォーキング「相模・伊豆国編」も、いよいよ最後の章です。 ここまで、どの章にも城や館の話題を入れるべく努力してきました。海老名の章では、館の痕跡がなかったではないかと言われそうですが…。 そこで最終章では、誰にも反論ができないような城跡で締めようと思います。 トリを務めるのは、現在、城址公園として整備されている大庭城。神奈川県藤沢市に、大規模な遺構が残っているものの、詳細はわからないといった城ファンの琴線に触れる城のひとつです。 今から20年くらい前に行ったことがありますが、当時は、小高い丘の上に芝生広場が広がっているくらいの印象でした。 その後、さまざまな城を見て、知識も増えています。当時とは見え方が変わっているかもしれないと、再度訪問することにしました。 ウォーキングのスタートは、小田急江ノ島線の善行駅。 ここから大庭城に向かうのですが、歩いていくには少し距離があります。ピンポイントで行きたい人は、藤沢駅や湘南台駅からバスを使った方がいいかもしれませんね。 駅前から、商店街や住宅街を延々と歩き、まずは大庭城の近くを流れる引地川を目指します。 東京ガスの巨大なガスタンクを過ぎたところに、古い神社がありました。ここは、大庭神社。この近くにも、同じ名前の神社が存在するそうで、江戸時代には天神宮、あるいは大庭大明神などと呼ばれていたらしい。 境内では、1721年に作られたという梵鐘が存在感を放っていました。 大庭神社の石段を下りると、広々とした引地川(ひきちがわ)親水公園が目の前に現れます。 遠くに見える緑深い丘が、大庭城址でしょうか。 公園には、スポーツ広場や芝生広場のほか、子供が喜びそうなさまざまな遊具がありました。 真冬なので、少し殺風景な印象ですが、藤棚やツツジの丘、桜並木などが整備され、それぞれの花の時期には多くの人たちが訪れるのでしょうね。 冬でも楽しめそうなのが、木道のある湿性植物園。黄金色のススキが両側から迫ってくる様は圧巻です。 昭和枯れすすきなど、ネガティブなイメージもあるススキですが、この公園ではゴージャスな主役に感じられました。 2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園 引地川沿いの遊歩道を歩き、大庭鷹匠橋を渡って大庭城を目指します。住宅街をテクテク歩いていくと、前方に巨大な丘が現れました。 これが大庭城址ですか。思っていたより標高があり、斜面も急峻。この上に郭が並んでいたのですな。 お楽しみは後にして、先に向かったのは裏門公園。そのネーミングは、大庭城の裏門が、この辺りにあったかららしい。 …と言っても、当時の雰囲気はあまりなく、現在は、野鳥観察用の公園として整備されていました。 道沿いに、野鳥観察用ののぞき穴が開けられています。そこから中の野鳥を観察する、いわゆるバードサンクチュアリなのですな。公園の広さは、約2.7ヘクタールあるらしい。 人が入ることのできない公園として話題になっているようですが、バードサンクチュアリなら納得です。 のぞき穴から眺めてみると、眼下に谷間の沼沢地が広がっていました。 当時の大庭城は湿地帯に囲まれていたのかと想像してしまいます。 眺めていて、気になる一角が…。 池が堀のように見え、そこには桟があるようにも感じます。 もしかして、後北条氏の城の特徴である畝堀? 裏門公園の先には、「二番構公園」があり、またその近くには、「駒寄」などの、大庭城が平地部分にも広がっていたのを伺わせる地名が残っているらしい。 畝堀は、誰も話題にしていないから恐らく違うと思いますが、気になりますな。 3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城 北条の城だったように書いてしまいましたが、現在の遺構を誰が作ったのかはよくわからないそうです。歴史が好きな人は、大庭城の築城者として、大庭景親を連想する人が多いのではないでしょうか。大庭景親は、源頼朝が挙兵した石橋山の戦いで頼朝を撃破した人物。当時この辺りを領していたらしいですが、鎌倉時代の武将が、これだけの規模の城郭を作ったと考えるのは無理があるかも。 実際、その後の発掘調査では、鎌倉時代の建築物は発見されなかったそうです。やはり、この城は戦国時代でしょう…と思いながら、城址公園の入り口にある公園案内図を眺めます。 解説板には、縄文、弥生、古墳時代から奈良・平安時代まで、大庭城のあった城山は、人々の生活の舞台になっていたと書かれていました。 ほどよい高さで、頂上に広々とした平場を有する丘は、古代から中世までのセレブが住む一等地だったのかもしれませぬ。 そんなことを考えながら、石畳のスロープを登ります。石垣は一目で現代のものとわかりますが、城攻めの気分を高めてくれました。 スロープを登りきると、見渡す限りの芝生広場。戦国時代の城としても、これだけ広いワンルームの郭があっただけとは考えられない。当時は、所どころ空堀や土塁で区画されていたのでしょうね。 実際、広大な芝生広場には、微妙な凸凹の部分がいくつかあり、当時の土塁や空堀があった場所をイメージすることができました。 城内の解説板によれば、台地上を東西に横断する3本の空堀によって、4つの郭に分かれていたとあります。郭の周囲には、土塁の跡が部分的に見られ、東斜面には腰廓、西斜面には2段の空堀や帯状の腰廓が確認できるとのこと。 台地の南端に主郭を配し、二等辺三角形を逆さにしたように、北に向かって郭の規模を広げていく形なのですな。 各郭を区切る堀は、台地の上ではほとんど埋められていますが、2郭と3郭の間の空堀の一部はよく残っていました。 その空堀の幅は10メートル近くあり、深さも5メートルくらいあって、当時の防御力の高さが伺えます。 主郭は細長く、広さはそれほどありません。ただ、3郭や4郭の広さは、戦国時代の他の城と比べて、かなりの規模だと感じました。 4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか さて、誰がこんな大城郭を作ったのかという点が気になります。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) 大庭城を作った人は、ブログの一番わかりやすい部分に記されているので、おわかりの方も多いでしょう。 戦国時代になってから、大庭城は北条早雲によって攻略され、小田原北条氏による改修でパワーアップされたそうです。 ちなみに、当時は北条早雲ではなく、伊勢宗瑞(いせ そうずい)と呼ばれていましたので念のため。 北条早雲が大庭城を攻撃した際の舟地蔵の伝説も興味深かったですね。なんと、大庭城の秘密が漏れるのを防ぐため、北条方が老婆を切り殺してしまったのですか。 それはあくまで伝説で、誰がそんなネガティブキャンペーンを行ったのかも気になります。この点について、自称ミステリー作家が、本の中で推理を披露させていただきました。 また、大庭城には鎌倉時代の建築物は発見されなかったと書きましたが、大庭景親の居館があったと言われている場所も紹介させていただきました。 ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考)目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2021年04月03日
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こんにちは。 約2週間前に、「歴史ウォーキング」シリーズの新刊本「 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 」が発売されました。 おかげさまで、引き続き売り上げは快調です。 感謝をこめて、今回も、本の中で利用した写真の一部をご紹介しようか、と…。 新型コロナウイルス拡大の影響で、取材が延期されたり、ご紹介する場所の変更を余儀なくされたりと、出版作業はなかなか大変でした。 おかげで、観光スポットの人手が懸念されるなか、三密になりにくい場所をご紹介できたのではないかと思っています。 お花見は、都内のメジャーなスポットはどこも混んでいますが、この本の中で紹介させていただいた場所は比較的すいているかもしれませぬ。 ただ、どこも宴会は禁止になっておりますので念のため。 今回は、4章から6章までの写真をご紹介させていただきます。 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区 写真は、ほんの一部です。 個人的に、かなりマニアックな写真ばかり貼ってしまいましたが。 …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 』 ご興味のある方は是非。 引き続き、よろしくお願い申し上げます。
2021年03月31日
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こんにちは。 5日前に、「歴史ウォーキング」シリーズの新刊本「 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 」が発売されました。 おかげさまで、出足は快調です。 感謝をこめて、今回は、本の中で利用した写真の一部をご紹介しようか、と…。 新型コロナウイルス拡大の影響で、取材が延期されたり、ご紹介する場所の変更を余儀なくされたりと、出版作業はなかなか大変でした。 ただ、おかげで、観光スポットの人出の増加が懸念されるなか、三密になりにくい場所をご紹介できたのではないかと思っています。 まずは、1章から3章までの写真をご覧ください。 第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市 写真は、ほんの一部です。 個人的に、かなりマニアックな写真ばかり貼ってしまいましたが。 …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 』ご興味のある方は是非。 よろしくお願い申し上げます。
2021年03月25日
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こんにちは。 本日は、7か月ぶりの「おもしろ歴史ウォーキング」シリーズ新刊本のお知らせです。 「おもしろ歴史ウォーキング」は、東京近郊の見どころを歴史的な視点で歩くためのガイドブック。 これまで「東京編」、「東京編2」、「東京編3」、「神奈川編」、「首都圏編」、「関東編」、「最新関東編」「相模・伊豆国編」の8冊が出版されています。 シリーズ第9弾となる本書は、「 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 」です。 東京の歴史スポットを紹介する東京編は、これまで3冊出版されており、シリーズでも高い人気があります。本書では、戦国や江戸時代に留まらず、縄文や平安、鎌倉、室町時代など幅広い歴史スポットを紹介させていただきました。 すべての記事は、緊急事態宣言の時期を除いた2019年と2020年に取材したネタと写真をもとに、新たに書き下ろしたものです。これまで同様、一緒に散歩しているような臨場感が出せるよう、数多くの写真と5万文字を超える文章のバランスに配慮しました。 特に、文字数は、前回の「相模・伊豆国編」の4万9千文字を超えて過去最大。東京に長く住み、半世紀近く歩き回っている著者だからこそ得られたトリビアも多数盛り込まれており、読み応え十分の内容です。 市販のガイドブックに載っている観光スポットもありますが、歴史に興味のある人なら誰でも立ち留まってじっくり眺めたくなるスポットの紹介に多くの文章を割いています。 特に本書では、ビジュアルや歴史面で注目を集める神社仏閣、戦国の城跡、桜の美しい庭園など、これまで人気の高かった要素も数多く盛り込みました。 東京の観光スポットはとてもバラエティに富んでおり、歴史好き以外にも、神社仏閣、美術、公園、古い町並、文学などが好きな人たちを満足させるスポットが数多くあります。本書の中でも、タウンウォッチングや文学散歩など、幅広いウォーキングの楽しみ方を提案させていただいたつもりです。 歴史ウォーキングに時間を割けないほど忙しい方は、ガイドブックを見ながらプランを考えるだけでも楽しいもの。テレワークの休み時間にでも本書を読んでいただければ、気分転換やストレスの軽減に役立つのではないでしょうか。 新型コロナウイルスの猛威で、外出の自粛が続く中、少しでも外を歩く気分を味わっていただければ幸いです。 皆さんも、本書で歴史ウォーキングの新たな楽しみ方を発見してみませんか。 「 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 」。 ちなみに、目次は以下の通りです。 第1章 赤穂義士とスター旗本ゆかりの場所、高輪ゲートウェイ駅近くの歴史スポットをめぐる旅 東京都港区1.伸びしろに期待が持てる高輪ゲートウェイ駅2.高輪ゲートウェイ駅の由来のひとつになった高輪大木戸3.赤穂義士の強い意志が今も生きている泉岳寺4.個性豊かな赤穂四十七義士のお墓がある5.大石内蔵助ほか16名の義士切腹の場所6.江戸時代の有名人のお墓がいっぱい7.有名な朝顔の井戸がある薬王寺 第2章 名門江戸氏ゆかりの慶元寺と東京23区内に存在した唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探す旅 東京都狛江市、世田谷区1.美しい花を眺めなからウォーキングが楽しめる岩戸川緑地公園2.岩戸八幡神社に残る創建時の興味深いエピソード3.室町時代後期の仏像を有する古刹・明静院4.杉木立の参道、江戸中期の本堂、地域風景資産の三重塔と見どころ満載の慶元寺5.東京23区内にあった唯一の藩・喜多見藩の痕跡を探せ6.土塁か、古墳か、にコーフン 第3章 自然豊かな国分寺崖線沿いに並ぶ神社仏閣、空中庭園、古墳をめぐる散歩道 東京都世田谷区、狛江市、調布市1.喜多見家ゆかりの世田谷区内最古の鳥居がある氷川神社2.「真田幸村」にちなむ興味深い風習がある喜多見不動堂3.国分寺崖線の魅力を満喫できる神明の森みつ池と成城みつ池北緑地4.人工基盤の上に作られているとは思えない、きたみふれあい広場5.巨大な古墳とのかかわりが気になる糟嶺神社と明照院 第4章 東京で、お花見と歴史スポットを一緒に楽しみたいなら、芝離宮と浜離宮がおすすめ! 東京都港区、中央区1.芝公園の桜は、歴史スポットとコラボで楽しみたい2.東京のアイコンのひとつに数えられる増上寺と東京タワーのコラボ3.たっぷりゆっくりお花見が楽しめる旧芝離宮恩賜庭園4.旧芝離宮恩賜庭園は、絶景スポットも歴史アイテムもいっぱい5.全国的にも珍しい鴨場がある浜離宮庭園6.城跡でもある浜離宮は、歴史スポットもいっぱい 第5章 大森貝塚、馬込文士村、郷土資料館、城跡…考古学、文学、歴史学好きにはたまらない大田区馬込周辺を歩く 東京都大田区、品川区1.大田区の馬込地区には、都内屈指の文士村があった2.最近まで場所が特定されなかった、日本考古学発祥の地・大森貝塚3.「人生劇場」の著者・尾崎士郎の居宅跡に作られた記念館4.中高年に勇気を与えてくれそうな山王草堂記念館5.有名作家の文学碑めぐりと鎌倉幕府成立に欠かせない梶原景時ゆかりのお寺6.考古学、文学ファン必見の大田区立郷土資料館7.住宅街に眠る戦国の大城郭・馬込城 第6章 オシャレな街の中に垣間見える歴史と伝統 東京・自由が丘の魅力に迫る旅 東京都目黒区、世田谷区1.「衾駅」という駅名が有力候補だった「自由が丘駅」2.大蛇が鳥居に絡みついている奥沢神社3.自由が丘の「女神祭り」を知っていますか?4.異国情緒漂う自由が丘をタウンウォッチング5.昭和を代表するアイドルのオフィシャルショップがあった自由が丘6.かつての自由が丘、武蔵国荏原郡衾村谷畑の鎮守であった熊野神社7.スイーツの街・自由が丘のアイコンともいえるスイーツフォレスト 第7章 お面かぶりと戦国の城の魅力が満載の九品仏浄真寺とエピソードいっぱいの神社仏閣を歩く 東京都世田谷区、目黒区1.昭和の洋画壇を代表する画家のアトリエ跡に作られた宮本三郎記念美術館2.東京都指定の有形、無形文化財が満載の九品仏浄真寺3.今なお圧巻の土塁が存在感を発揮する奥沢城跡4.世田谷の小公園、緑道は、癒しスポットがいっぱい5.大正時代、新聞で紹介された怪談で賑わったという氷川神社6.大迫力の大イチョウが印象的な二つの古刹 第8章 野猿峠に点在する極上スポットと中世の見張り所があったと言われる平山城址公園を歩く 東京都八王子市、日野市1.多摩丘陵に並ぶ二つの都立公園2.変化に富んだ沢の景観が楽しめる都立長沼公園3.あゝ野猿峠、あるウォーカー哀史4.野猿街道に突如現れる逆ピラミッド5.森の中に佇む囲炉裏料理の店と小さな美術館6.源氏の侍大将の見張り所があったとされる平山城址公園7.平山城跡は、平山城? 第9章 関東厄除け三大師のひとつ西新井大師と、異国情緒漂う公園、歴史ある神社仏閣をめぐる下町散歩 東京都足立区1.ベルモント公園で、オーストラリア旅行のアリバイが作れる?2.国内最大級のネット遊具と大人も癒されるプラネタリウムがあるギャラクシティ3.歴史ミステリーのネタになりそうな伝承が残る猿仏塚4.徳川家の祈願所位牌安置所であった国土安穏寺5.神々が船で上陸したという神話の場所に祀られた鷲神社6.源頼義・義家父子と小林一茶の暑いエピソード満載の炎天寺7.関東厄除け三大師のひとつ・西新井大師 8.見どころが盛りだくさんの西新井大師の境内 …ということで、 『 おもしろ歴史ウォーキング 最新東京編 』 それは、こちらです。 ご興味のある方は是非。 よろしくお願い申し上げます。 永嶋 信晴
2021年03月20日
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こんにちは。 本日は、久しぶりに、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回ご紹介するのは、第8章の『 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 』。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2018年2月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係 今回は、神奈川県のほぼ中央に位置する大和市を歩きます。 大和と言うと、現在の奈良県に当たる大和の国、あるいは大和朝廷などをイメージする方も多いでしょうね。 私も、大和朝廷に由来する何らかの遺構がある町だと思っていました。しかし、よく考えてみると、この町に、市名に由来する遺構があったという記憶がありませぬ。 調べてみたら、大和朝廷とは関係なく、4つの村が合併して新たにつけられた名前なのですか。 それまでは、下鶴間、深見、上草柳、下草柳という村だったとか。それらが合併して大和村になったのは、明治24年。 ところがそのすぐ後、合併から脱退するという村が現れたとのこと。当時の知事は、この危機を脱するため、4つの村とは関係ない新たな村の名前をつけて、事態の収束を図ったらしい。 それが「大和村」という名前で、「大きく和する」という意味から命名されたそうです。 確かに現代も、複数の銀行が合併する際は、みずほ銀行とか、UFJ銀行とか、前身の銀行とは関係ないネーミングをつけて、行内の融和を図ったような。 2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城 市名の由来はともかく、私が大和市に興味を持ったのは、深見城という戦国時代の城跡があるからです。しかも、東京近郊にある城としては、かなり保存状況がいいらしい。 …とすれば、行かないという選択肢はないですね。 2月の寒い日、最寄り駅の小田急江ノ島線鶴間駅にやってきました。駅前から、商店やイトーヨーカドーなどの大店舗が並ぶライラック通りをひたすら歩きます。 国道246号線にぶつかったところで信号を右折、大工場を左手にみながらしばらく行くと、両側に森が現れました。 この森が、深見城跡ですか。ただ、気をつけなければいけないのは、右手にある「深見歴史の森」には城跡がないこと。 ネットを拝見すると、多くの人たちが、このトラップに引っかかってしまったみたい。 かく言う私も、歴史の森の中で、城の痕跡を探してしまったのでした。ただ、土塁と確認できるような微妙な地形もあり、「城跡はない」と断言はできませんが…。 明確な遺構のあるほうは、大和市北部浄化センターの隣にある森ですので注意が必要です。 さて、この深見城。大きさは、南北は約100メートルで、東西は約150メートル。明確な資料は残っていないそうですが、発掘調査によれば、14世紀末頃から16世紀末にかけて、2つの時期に利用された痕跡があるそうです。 堀、土塁、虎口、土橋、井戸などの遺構のほか、輸入青磁や国産陶器などが出土しているとのこと。 詳しいことは不明なものの、深見城の城主は、近くの瀬谷郷の領主であった山田伊賀守経光とする伝承があるらしい。 横浜市瀬谷区には、今も中屋敷という地名が残っており、彼の屋敷があったと言われているのですか。 山田伊賀守という名前をどこかで聞いたことがあると思ったら、埼玉県小川町の腰越城の城主も、山田伊賀守なのでした。 腰越城については、以前、拙著「おもしろ歴史ウォーキング 関東編」の中でご紹介しました。それを読み返してみたら、確かに、山田伊賀守直定の名前が…。 山田伊賀守直定は16世紀の武将だから、山田伊賀守経光の子孫になるのですかね。山田家は、大和市の城主から埼玉県小川町の城主へIターンしたのでしょうか。 それとも、新たに領地を与えられて分家したのか。 距離的にはかなり離れており、ワープした理由が気になりました。 3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城 「深見歴史の森」をさまよい歩いた末、ようやく深見城の解説板を発見。 解説板にあった縄張り図を見ると、深見城は、かなり複雑な構造なのがわかります。北側は境川に面した切り立った断崖で、西側は、深い空堀。 そして南側は、曲折を多用した二重の堀ですか。 恐らく南側が城の正面になると思いますが、その東西に2つの虎口(出入口)を設けてあります。その距離は約40メートルで、何でこんな近くに出入り口が並立しているのだろうと思いました。 空堀や土塁は経年劣化により、かなり「摩耗」しています。ただ、最初に縄張り図を確認できたので、何とか当時の姿をイメージすることができました。 城跡めぐりの醍醐味は、何と言っても現役当時の雄姿を思い描くこと。その点では、深見城は、戦国の城ファンのニーズに応える貴重な城と言っていいでしょうね。 まず、解説板の近くにある西側の深い空堀を歩きます。そこには、天竺坂の石柱が…。 石柱には、「この坂と交差する南北方向の道は鎌倉古道と呼ばれ、境川沿いを通って藤沢へ通じていた」という表示がありました。 深見城は、街道沿いの城、すなわち街道を押さえるための城でもあったのですな。 空堀であった天竺坂の急坂を下ると、立派な川にぶつかりました。これが境川で、右手の断崖の上に深見城が築かれていたのがわかります。 境川からの比高は、15メートルもあり、鉄砲の無い時代、ここから攻めるのはまず不可能だったでしょう。 再び、天竺坂を登り、緩くなった空堀や土塁を越えて城内へと攻め込みます。 そこには、土塁に囲まれた広い郭がありました。深見城は、基本的に単郭の城なのですかね。解説板には、主郭とその外側の細い帯曲輪に「郭」という表示もありましたが。 さきほど迷った深見歴史の森には、「深見城跡」という表示がありました。もしかしたら、そちらにも大きな郭があったのかもしれません。 城の痕跡が残っているのが、主郭部分だけなのかも。ただ、それにしては、主郭の周りが技巧的すぎて、外郭のようにも見えますし…。 ところで、城の正面に、出入り口が並立している件ですが、当時の空堀は、もっと急峻で深かったと考えれば、納得できますね。 敵兵が、空堀に落ちないように、主郭の外側の細い帯曲輪だけを移動したのであれば、当然、城方は守りやすくなります。 攻城方が、帯曲輪にある手近な出入り口を攻めているとき、城方は、遠いほうの出入り口を使って側面を突けるのですな。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) 当時の武士たちと知恵比べをする気分で城跡を歩き回ると、一瞬、戦国時代にワープしたような気持になりますね。 この後向かったのは、日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園。 引地川の源である大和水源地を中心に広がる公園で、広さは約42ヘクタールもあるのですよ。 ここでは、雑木林や四季おりおりの植物を背景にした水辺の風景が圧巻でした。 公園で見逃せないのが、大和市郷土民家園。古民家の間取りの変化が理解できるとは、歴史ウォーカー必見ですよ。 ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考) 目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景 2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺 3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城 4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり 5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園 6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市 1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山 2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる 4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城 5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面 6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸 7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門 8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市 1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道 2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉 3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構 4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市 1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース 2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺 3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地 4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳 5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚 6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」 7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市 1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市 2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園 3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園 4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城 5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる 6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸 6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察 7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった 6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある 7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係 2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城 3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城 4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園 5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市 1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園 3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城 4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか 5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵 6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院 7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2021年03月06日
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こんにちは。 今回は、歴史ウォーキングシリーズの第6弾「おもしろ歴史ウォーキング 東京編3」からのネタです。 この本の再放送をしていて、まだ紹介していない章を発見しました。 それは、第2章の『 歴史上の有名文化人ゆかりの場所を歩き、完成したばかりの漱石山房記念館へ 東京都新宿区 』。 遅ればせながら、冒頭の部分を以下に記載させていただきます。 ちなみに、タイトルに「完成したばかりの漱石山房記念館」とありますが、開館は平成29年。 令和3年の現在では若干違和感があり、ブログのタイトルを「夏目漱石の旧宅跡に作られた漱石山房記念館へ」に変更させていただきました。 記事の紹介を忘れていると、すぐ時代遅れになってしまいますな。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2019年7月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.独特の応援風景が記憶に残る熊谷組野球部 神楽坂の代名詞ともなっている石畳の狭い路地を抜け、大久保通りに出ると巨大なビルが…。おお、ここは大手ゼネコンの熊谷組の本社ビルですか。熊谷組とは個人的にも会社的にも関係はないのですが、なぜか子供の頃に見たインパクトのある映像が今でも記憶に残っています。 それは熊谷組が都市対抗野球に出たときの応援風景。 その後、かなり長く生きていて、プロ野球や大学野球をはじめいろいろな球場へ足を運んでことがありますが、あんなすごい応援を見たことがない。当時は、東京ドームができる前で、屋外の後楽園球場でした。親戚の知り合いが熊谷組に勤めていて、入場券をもらって友人と見に行ったのです。 都市対抗野球の決勝で、応援席がすごい盛り上がり。野球の応援といえば、チアガールと応援団が定番ですよね。熊谷組のチアガールは普通の衣装だったのですが、男の応援団はヘルメットをかぶり、土木作業員のコスチーム。足はもちろん地下足袋。 そして、つるはしやスコップを持って、チアガールと踊りまくる。中には、日に焼けて、つるはしを振り下ろす腰がすわっていて、とても素人には見えない人たちも何人かおりました。真夏の試合だったので、筋肉質のおっさんから飛び散る汗が球場のライトに照らされてキラキラ光ります。そのまま後楽園球場の改修工事に取り組めそう。 試合よりも、おっさんたちの勇姿に目が釘付けになったものの、最終回に逆転されて負けてしまったのでした。相手チームの優勝決定の瞬間、グラウンドに投げるために渡された紙テープを握り締め、悔し涙にくれたのでした。 その後、野球部が解散したと聞いたのですが、今はどうなのでしょうね。 2.「金太郎」の作曲者の石碑がある筑土八幡神社 せめて、あの応援風景をもう一度見たいものじゃと思いつつ、熊谷組の本社ビルの前にある小高い丘の階段を上りました。丘の頂上にあるのが、筑土八幡神社。土で築くという名前から、土塁をイメージしてしまいます。ここも城跡の名残かも、と思いましたが、筑紫宇佐の八幡宮の土を取りよせて基礎を作ったことに由来するという説があるそうですね。 神社の境内には、「田村虎蔵先生をたたえる碑」がありました。 いかめしい名前の雰囲気から一瞬引いてしまいましたが、 ♪まさかりかついで きんたろう くまにまたがり おうまのけいこ ハイシイドウドウ ハイドウドウ ハイシイドウドウ~♪ という「金太郎」の歌を作曲した人だと知って、急に親近感がわいてきました。 参拝したあと、境内の裏手から出て、御殿坂を下る角を右折し、道なりに進みます。 3.2011年度グッドデザイン賞を受賞した赤城神社 けやきの大木のある白銀公園で一休みしたあと、近くの赤城神社へ向かいました。 牛込城主であった牛込氏は、元は群馬県赤城山麓の豪族大胡氏だったそうですから、この地にも赤城の関連のある神社があるのでしょうか。 昔、来た時は、参道には赤い燈籠が並び、鮮やかな朱色の社殿があったのを覚えています。平成21年(2009年)から22年にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」という工事が行われ、境内の雰囲気は一新。70年の定期借地権を設定して、敷地内に分譲マンションを建設し、建物内にホールやギャラリーなどの施設も併設したのだとか。 こちらの神社も若い女性が大勢参拝していると思ったら、ここも「嵐の聖地」の一つなのですか。 何でも、相葉雅紀主演のテレビドラマ「僕とシッポと神楽坂」に登場したらしい。境内の絵馬にも、「嵐」のことが書かれているものが多かったです。 ただ、こちらの神社はパワースポットとしても有名だそうですね。嵐ファン以外の参拝者も少なくないようですので念のため。 4.若き日の尾崎紅葉と泉鏡花が暮らした街 赤城神社を出て住宅街を歩いてゆくと、民家の細い路地に解説板があるのを見つけました。よく見ると、尾崎紅葉旧宅跡ですか。尾崎紅葉といえば、寛一お宮の「金色夜叉」で一世を風靡した作家ですが、気をつけていないと通り過ぎてしまうような場所に住んでいたのですな。 でも、紅葉は30歳代の若さで亡くなり、この地に住んだのは25歳のときだったとか。 20歳代で多くの弟子を抱えていたのに驚きましたが、この小さな家で玄関番をしていたのが、若き日の泉鏡花だったというのにはさらにびっくり。 泉鏡花賞など権威のある賞もあるくらいの文豪ですから、若い頃から注目されてちやほやされているような印象でした。でも、金沢から十代で上京し、友人たちと同居しながら六回も下宿を引っ越したのですか。そのあと、紅葉の家で書生をしながら、文章を磨いていったのですね。 今でこそ、紅葉や鏡花は国語の教科書には欠かせない大人物ですが、この地にいたときは、20歳代の作家と10代の書生。今の私より突拍子もないほど年下だった二人は、どんな青春を送ったのかいろいろイメージは膨らみました。 5.東大のルーツとなる学校を作った? 一族が眠る墓地 そのまま道を直進すると、公園のそばにコンクリートの塀で囲まれた一画がありました。 門が閉まっていて中に入れないのですが、上から覗くと古いお墓が並んでいる。また解説板を読むと、ここは「林氏墓地」だとか。(以下、「おもしろ歴史ウォーキング 東京編3」に続く) 東大のルーツについて考察した後向かったのは、数学の大家と戦前の大女優が眠る場所。 知る人ぞ知る有名人ですが、道を究めた人は、歴史的にも存在感がありますね。 そして最後に向かったのは、本日のハイライト、漱石山房記念館。 夏目漱石が晩年の九年間を過ごした家の跡に作られた公園の中にあり、猫塚や当時の漱石の書斎の再現など、見どころが満載でした。 特に、お見合い写真の漱石は、ジャニーズ事務所からスカウトされそうな美男子で、一見の価値がありますね。 東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 東京編3」(参考)目次より 第1章 江戸時代の風情が残るだけではない 理学、音楽の歴史にも関係が深い街・神楽坂を歩く 東京都新宿区 1.今も古い町名が残る飯田橋・市ヶ谷周辺 2.江戸城の巨大さを体感できるスポットがある 3.夏目漱石の「坊ちゃん」の母校がある 4.物理学校時代の木造校舎を模した「東京理科大学近代科学資料館」 5.「現代邦楽の父」と言われる宮城道雄の記念館がある 6.住宅街に埋もれてしまった牛込城 7.神楽坂の代名詞となっている石畳の小道 第2章 歴史上の有名文化人ゆかりの場所を歩き、完成したばかりの漱石山房記念館へ 東京都新宿区 1.独特の応援風景が記憶に残る熊谷組野球部 2.「金太郎」の作曲者の石碑がある筑土八幡神社 3.2011年度グッドデザイン賞を受賞した赤城神社 4.若き日の尾崎紅葉と泉鏡花が暮らした街 5.東大のルーツとなる学校を作った? 一族が眠る墓地 6.数学の大家と戦前の大女優が眠る場所 7.夏目漱石の旧宅跡に作られた「漱石山房記念館」 第3章 未来都市・二子玉川にある歴史的建築物とセレブな農村風景をめぐる旅 東京都世田谷区 1.再開発で、昭和の風景が一新した二子玉川 2.人気のパワースポット・地下霊場のある玉川大師 3.国分寺崖線上に立つ豪邸・旧小坂家住宅 4.綾辻行人の館シリーズに出て来そうな洋館の静嘉堂文庫 5.東京で古い農家の暮らしを体感できる岡本民家園 6.かつての暴れ川の近くにある大蔵の鎮守と古刹 7.昔の世田谷の農村風景を満喫できる次大夫堀公園 8.成城学園駅の近くに深山幽谷の世界が 第4章 アカデミックな気分で、日本の近代政治の舞台になった御殿や世界的建築家設計の大聖堂を歩く 東京都文京区 1.ヨーロッパの由緒ある広場をイメージした彫刻がある 2.名門国立大学の跡地にある教育の森公園 3.江戸時代のベストセラー作家と徳川幕府最後の将軍ゆかりの土地 4.日本の近代政治の舞台になった御殿がある 5.世界的建築家が設計した東京カテドラルマリア大聖堂 第5章 村上春樹、松尾芭蕉ゆかりの場所と知る人ぞ知る美術館、美しい日本庭園をめぐる美術・文学散歩 東京都文京区 1.名門出版社の社長が集めたコレクションが魅力の野間記念館 2.大ベストセラーの舞台になった寮がある 3.けわしい胸突坂には文化スポットがいっぱい 4.現場監督?時代の松尾芭蕉が暮らした関口芭蕉庵 5.見事な景観が無料で楽しめる新江戸川公園 6.日本の自然と史跡めぐりがコラボで楽しめる椿山荘庭園 第6章 ストレス解消に最適! 癒しスポット満載の板橋区高島平周辺を歩く 東京都板橋区 1.都営地下鉄ワンデーパスを利用したお得旅 2.D51や都バス、ミニSLが無料で見放題の城北交通公園 3.国民栄誉賞を受賞した冒険家の生涯がわかる植村冒険館 4.かつての農村風景をイメージできる散歩道に現れる見どころの数々 5.創建千年以上、板橋区最古の神社・徳丸北野神社 6.迫力ある水車とユニークな案山子が魅力の水車公園 7.城跡や大噴水、グランドなど見どころ満載の赤塚公園 8.日本最初の西洋式砲術調練が行われた場所にある徳丸ヶ原公園 9.格安料金で、熱帯のジャングルにワープできる熱帯環境植物園 第7章 開運祈願! 東京メトロ1日乗車券で行く、東京レトロな神社仏閣めぐり 東京23区 1.東京にある日本各地の御利益スポットを激安でめぐる旅 2.「高輪結び大師」と親しまれる高野山東京別院 3.「東京のお伊勢様」と親しまれる東京大神宮 4.「関東の金毘羅さん」と親しまれる金刀比羅宮東京分社 5.落語の「王子の狐」の舞台としても有名な王子稲荷神社 6.都内最古の富士塚がある鳩森八幡神社 7.日本の学校教育発祥の地・湯島聖堂 8.商売の縁結びをもたらす、江戸の総鎮守・神田明神 9.災難を除き、波を乗り切るご利益のある波除神社 第8章 歴史ファン必見! 昔の東京へタイムスリップできる江戸東京たてもの園 東京都小金井市 1.上野公園の1.4倍の広さの小金井公園 2.昔の東京のハイカラな暮らしが実感できる 3.江戸時代の民家がいっぱい 4.2・26事件の舞台のひとつ、高橋是清邸がある 5.大正時代の大名家の門と江戸時代の名主の家 6.昔の商家、銭湯、居酒屋などが古い町並みとして残る 第9章 近くて遠い高級住宅地・田園調布は、巨大古墳と大ヒット曲ゆかりの場所がコラボで楽しめる 東京都大田区 1.イギリスの田園都市構想を参考に開発 2.下町と高級住宅地、どっちが住みやすい? 3.多くの文化人、有名人の家がある 4.カモもセレブに見えてしまう宝来公園 5.田園調布には都内有数の古墳群がある 6.時代によって古墳の大きさの変化が興味深い多摩川台古墳群 7.多摩川台公園の思い出 8.古墳の上にある富士浅間神社 9.昭和の子供たちの歓声が聞こえてきそうな静かな公園 10.江戸時代の大プロジェクト・六郷用水 11.桜と福山雅治の曲でも有名な桜坂 12.古墳の石室が見られる鵜の木松山公園
2021年02月20日
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こんにちは。 本日は、「おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編」からのネタです。 先日からツイッターで「首都圏編」の再放送をしていて、まだ、ツイッターやブログで紹介していない章があることを発見しました。 それは、第5章の『 大山詣でで栄えた大山街道・橋本宿の歴史文化に触れる旅 神奈川県相模原市 』 。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、少し前に訪れたときのもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.大山詣で栄えた橋本宿 今回、歩くのは、神奈川県相模原市橋本駅周辺。以前、JR横浜線に乗ったとき、それぞれの駅周辺のウォーキングマップをもらったことがあります。 昔、この方面で仕事をしたとき、ほとんどの駅で降りた記憶がありますが、橋本駅周辺は行ったことがなかったと思い出しました。マップをよく見ると、江戸時代、大山道の橋本宿として賑わったところらしい。 大山道とは、当時、関東の各地から、相模国の大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称だとか。そういえば、東京から静岡県の沼津を結ぶ国道246号線も大山道のひとつなのでした。 ちなみに、大山は雨乞いに霊験のある山として知られ、昔から農民たちの山岳信仰の対象とされてきたらしい。大山にある大山阿夫利神社は、日照りや飢饉が続くと、多くの農民達が参詣に訪れたそうな。江戸時代には関東地方各地で「大山講」が組織され、多くの庶民が訪れたのですね。 アップダウンもあまりなさそうだし、距離も7キロほどなので、二日前に捻挫して足を引きづっていても歩けるのではないかと思いました。 …ということで、ゴールデンウィークの終盤、橋本駅にやってきました。観光地ではないのに、意外と混んでいます。皆、同じ方向へ歩いていくので、私も行ってみることにします。 いつもは、早足で歩くのに、今日はみんなに追い越されるのが新鮮な感覚でしたね。ゆっくり歩くのも、景色がじっくり見られていいかも。 2.正義の味方にも出会えるアリオ橋本 神奈川県立相原高校のグラウンドに沿って歩いていくと、巨大なショッピングセンターが…。 ここは、アリオ橋本。セブン&アイ・ホールディングスグループのセブン&アイ・クリエイトリンクが運営する複合商業施設。平成22年、工場の跡地に作られたのですな。イトーヨーカドー・アリオ橋本店と、136の専門店で構成されているそうで、その大きさに驚きました。 一階の広場では、お約束のイベントが…。子供が多いなと思っていたら、やっぱり仮面ライダーショーですか。 現在では考えられないほどの密ですな。こんな何気ない日常が懐かしい。 今の仮面ライダーはわからないですが、1号と2号、V3まではリアルで見ていたので懐かしく拝見しました。変身ポーズは今でも再現できまする。 これは、仮面ライダーエグゼイドというのですか。昔とキャラクターデザインが随分変わったような。家に帰って調べてみようと思うのでした。 3.大山道の道標だった橋本の棒杭 アリオ橋本を出て、市立旭中学と橋本小学校を右手に歩き、橋本五差路で右折、国道16号線から住宅地に入っていくと、民家に挟まれた小道に石碑のようなものかありました。 これが橋本の棒杭。棒杭というと、古の建築物の遺構に思えるですが、これは一種の道標ですな。この形から、この地域は「ボウグイ」と呼ばれ親しまれていたのですね。 解説板には、かつて、大山道の追分に立てられていたものが、区画整理によりこちらに移され、地域の人々が守ってきたとありました。それによれば、道標の高さは151センチメートル、幅35センチメートル。安政2年に建てられたのだとか。 よく見ると、正面に「右大山みち」、右側に「北八王子道」、左側に「南あつぎ道」と彫られています。 4.大山街道をゆく そのすぐ近くには、大山街道があります。 ネーミング的には、ここがかつての大山道ですかね。今は雰囲気が一変していると思いますが、歩いていくと、橋本駅の近くに大山道の標柱・供養塚がありました。さらに線路を超えて歩いていくと、大通りの横に何やらモニュメントが…。 よく見ると、俵万智の歌碑ですか。ウォーキングをしていると、松尾芭蕉などの句碑を見かけることが少なくありませぬ。現代の歌碑は、さすがにハイカラですな。 そういえば、俵万智はこの近くの高校の先生をしていたのを思い出しました。…というのも、以下の作品を覚えていたからです。 『万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校』 この歌があるのは、社会現象にもなったベストセラー「サラダ記念日」。学校の先生がいきなり有名人になったのだから、当時の高校生は驚いたかもしれませぬ。橋本高校を探したのですが、ちょっと駅から離れているみたいでした。でも、若い頃の俵万智はきっとこの辺を歩き回っていたのでしょうね。 5.橋本の歴史を伝える橋本神明大神宮と香福寺 引き続き大山街道を行くと、左手に橋本の鎮守・神明大神宮がありました。 格式ある参道と広い境内に由緒を感じましたが、詳しい創建年代はわからないらしい。江戸時代の大火で、古い記録が全て焼失してしまったそうです。伝承では、永禄12年創建というから戦国時代でしょうか。 さらに街道を進むと、右手に香福寺が現れました。 鎌倉にある建長寺の末寺というから禅宗のお寺ですな。山門は鐘楼とともに19世紀作られたもので、市内の寺院でも最も古い建築物らしい。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編」に続く) このあと、香福寺にお参りし、落ち着いた庭と高野槙の巨木を満喫しました。 ウォーキングの後半では、長屋門や両国橋という魅力的なネーミングの橋など、街道歩きの楽しさを味わえるスポットも満載です。 首都圏の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編」(参考)目次より第1章 戦国時代の雰囲気を今に伝える名城・西方城を攻める 栃木県栃木市 1.栃木県栃木市に北関東屈指の山城がある 2.ヤブの要塞となっている二条城 3.案内板、下草刈りなどおもてなし精神あふれる名城・西方城 4.築城者の苦心が感じられる防御システムを堪能できる 5.野生のミニイノシシに御用心 第2章 海浜幕張のバラエティ豊かな公園とさくら広場で圧巻のお花見 千葉市美浜区 1.国際業務都市のシンボル・幕張海浜公園 2.日本庭園の神髄を理解できる見浜園 3.ダイナミックな景観が楽しめる幕張の浜 4.千葉ロッテマリーンズの本拠地の球場がある 5.テーマパークとしても楽しめるイオンモール幕張新都心 6.安藤忠雄氏プロデュースのさくら広場の絶景 第3章 富士の絶景と石垣、復元された城門が見事な甲府城 山梨県甲府市 1.甲府の町のシンボル・信玄公像 2.江戸時代は、のちの将軍や有力者が城主だった甲府城 3.本丸の天守台からは富士山の絶景が望める 4.見事な石垣と復元された城門の美しいコラボが見られる 5.捻挫の痛みも忘れる稲荷曲輪の絶景 6.鉄道によって、城内が分断された甲府城 7.復元された甲府城北側の出入り口・山手御門 第4章 武田信玄の本拠地・躑躅ヶ崎館と武田一族ゆかりの歴史スポットを巡る 山梨県甲府市 1.豪壮な門と静かな美しい庭園がある長禅寺 2.甲府市内を一望できる見晴らし台 3.武田信玄に追放された父・信虎のお墓がある 4.武田信玄の死を隠していた3年間、葬られていたというお墓がある 5.武田信玄の正室・三条夫人のお墓がある円光寺 6.柳沢吉保の菩提寺・永慶寺跡にできた護国神社 7.郷土の英雄・信玄を祀る武田神社 8.普通の戦国の城を凌駕する屋形・躑躅ヶ崎館 9.戦国時代の面影を取り戻す復元作業に期待 第5章 大山詣でで栄えた大山街道・橋本宿の歴史文化に触れる旅 神奈川県相模原市 1.江戸時代、大山詣で栄えた橋本宿 2.正義の味方にも出会えるアリオ橋本 3.大山道の道標だった橋本の棒杭 4.大山街道とサラダ記念日の深い関係 5.橋本の歴史を伝える橋本神明大神宮と香福寺 6.戦国時代から続く古刹・瑞光寺 7.二つの国の境を流れる川沿いの遊歩道 第6章 神社仏閣、考古学ファン必見のスポットが点在する緑の散歩道 埼玉県東松山市 1.古墳も城跡も楽しめる東松山市ふるさと自然のみち 2.梅雨の時期にはアジサイも見られる柏崎緑地 3.シイの古木に歴史を感じる萬松寺 4.住宅街の中で存在感のあるおくま山古墳 5.重要文化財の仏像がある等覚院と三千人の門弟の学問所があった了善寺 6.考古ファンにはたまらない埋蔵文化財センター 7.ノーベル賞受賞者の出身校と古刹と神社 第7章 歴史好きならイメージを膨らませたくなる巨大古墳と個性的な城跡めぐり 埼玉県東松山市 1.無量寿寺は、かつては鎌倉武士の館だった 2.鎌倉時代と戦国時代の館の姿をイメージさせる土塁が残る 3.武士の館との関連が興味深い将軍塚古墳 4.戦国時代の館の面影が残る高済寺・旧高坂館 5.戦国時代の城塞クラスの巨大な空堀に驚く 6.不釣り合いなほどの巨大な土塁と空堀の謎 第8章 様変わりした大宮駅前とノスタルジックな魅力満載の鉄道博物館を歩く 埼玉県さいたま市 1.様変わりした大宮駅西口 2.かつての城館で、幕末の有名人のお墓がある普門院 3.鉄道ファンでなくても楽しめる鉄道博物館 4.パークゾーンでは、ミニ列車やミニ運転列車に乗車できる 5.ノスタルジックな気分に浸れるヒストリーゾーン 6.ラウンジやパノラマデッキから、モノホンの車両が走っているところが見られる 第9章 弥生時代のムラ、戦国の城跡、歴史博物館の3点セットと里山の自然が満喫できる歴史ファン必見のウォーキングコース 横浜市都筑区 1.古いけれど新しい町・港北ニュータウン 2.横浜・川崎の歴史ウォーキングで知っておきたい杉山神社 3.芝生広場からの眺めが素晴らしい中川八幡山公園 4.駅から5分で里山歩きを堪能できる都筑中央公園 5.駅前の一等地に奇跡的に残る茅ケ崎城址 6.「戦国の城」入門者に最適な城跡・茅ケ崎城 7.江戸時代の豪農の暮らしを体感できる都筑民家園 8.弥生時代の集落と墓地のコラボが貴重な大塚・歳勝土遺跡 9.城のルーツとも言われる環濠集落 10.弥生時代のムラの風景がイメージできる 11.3万年にわたる横浜の歴史を把握できる横浜市歴史博物館
2021年02月06日
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こんにちは。本日は、久しぶりに、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回ご紹介するのは、第7章の『 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 』。諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。すべての記事は、こちらですよ。是非、本書もご覧いただければ幸いです。ちなみに記事は、2018年8月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 奈良時代に、聖武天皇の詔により日本の各国に建立された国分寺というお寺がありました。現在で言えば、都道府県に一つずつ、中心となるお寺を作ったというイメージでしょうか。 ちなみに、現在の東京都や埼玉県などにあたる武蔵国の国分寺は、東京都国分寺市にありました。それでは、今の神奈川県にあたる相模国の国分寺はどこにあったかと言うと、海老名市にあったのです。当時の国府は、現在の平塚市にあったと考えられているそうで、海老名市は少し距離があります。その理由は、いろいろあるみたいですが、当時の海老名が、重要な場所だったのは間違いないでしょうね。海老名市には、25年ほど前に行ったことがあります。ネットで調べてみると、かなり国分寺の遺構が整備されたみたい。そろそろ再訪問してみようか。…ということで、8月のうだるような暑い日、小田急小田原線海老名駅にやってきました。前回来た時と比べ、駅前はかなり変わったみたい。当時、駅前はだだっ広い広場で、新しく作られた朱塗りの七重塔がぽつんと立っていた記憶があります。 近代的なショッピングセンターと公園が、いい感じでコラボされておりますな。公園は、海老名中央公園と呼ばれ、野外ステージや人工の小川が流れる親水広場などがありました。それぞれのショッピングセンターは屋外回廊でつながれ、公園の緑を眺めながら、ゆっくり買い物が楽しめそう。ちなみに、これらの複合商業施設は、「ビナウォーク」と言うのだとか。しばらく歩くと、懐かしの七重塔が現れました。この朱塗りの塔は、相模国分寺の七重の塔を模して作られた模型で、実物大の約3分の1の大きさなのですか。模型とは言え、高さ約22メートルの鉄筋コンクリート製です。モノホンの七重塔の高さがすごいことがよくわかりました。2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 海老名中央公園を抜け、しばらく歩くと、大山街道の歩道橋の近くに大木が立っています。解説板を見ると、海老名の大ケヤキと言い、根周り15.3メートル、樹高20メートルもあるのだとか。 古い解説板なので、今の根回りはもっとあるかも。ぱっと見、20メートルの高さはないような気がしますが、葉で隠れているので上のほうの幹がよく見えませぬ。 解説板には、「船つなぎ用の杭が根づいて育ったと伝えられる」と書かれています。そのせいか、今も船つなぎの杭の寸胴なイメージは保たれているような気が…。 ネットで調べてみると、かつてこの周辺まで相模湾の入り江が入り込んでいたそうですね。近くを流れる相模川ではなく、海辺にあった船つなぎ用の杭ですか。大ケヤキの樹齢は約600年と推定されており、杭として使われていたという時期は、室町時代でしょうか。縄文時代ならともかく、室町時代に、ここまで海が入り込んでいたのですかね。 多少、疑問に感じたのですが、これ以上踏み込むと、本書が「ブラタモリ化」してしまいそう。地質学にも興味のある方は、是非、お調べいただければ幸いです。 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 本日のメインイベント・相模国分寺跡は、海老名の大ケヤキのすぐ近くにあります。ただ、地図を見ていて、ここから少し歩いた場所に、古墳と歴史公園を発見したのですよ。 ネットで調べてみると、スルーするにはもったいない歴史スポット。メインイベントの前に、セミファイナルを敢行すべきではないか。 …ということで厚木街道を渡り、地図を見ながらひたすら住宅地を南下します。やがて右手に、ひさご塚公園が現れました。 この公園の中に、海老名市内最大の前方後円墳があるのですな。全長は約75メートルで、4世紀末~5世紀初頭の築造だと推定されているらしい。 公園の中と言うよりも、古墳全体が公園になっているのだとわかりました。古墳の上を歩きまわることができるのはうれしいですね。 一般に古墳は、地域の高台に作られることが多く、こちらの古墳も、後円部の頂上からは、市内を眺めることができます。景色を眺めながら、これまで訪れたさまざまな古墳からの眺望がフラッシュバックしました。 この古墳は、地元では「ひょうたん山」と呼ばれて親しまれてきたそうです。確かに、前方部の角が丸くなり、ひょうたんの形になっているような。 それにしても、住宅街のど真ん中で、よくこれだけの大きさの古墳が残りましたね。そう思って古墳の上を歩いていると、「相模国造之墳墓」という大正時代の石碑を発見。 4世紀末~5世紀初頭に作られたとすると、その頃は国造の制度はなかったので、明らかに誤り。ただ、相模国の郡司ともいうべき人の墓と考えられてきたから大事にされたのかもしれませぬ。 もっとも、この地方最大規模の古墳なので、地元の超有力者が葬られているのは間違いないですが…。 ひさご塚古墳を堪能した後、さらに住宅街を南下します。ひさごトンネルの出口から300メートルほど歩いたところにあるのが、浜田歴史公園。 一見すると、何の変哲もない公園に見えますが、歴史好きには興味あふれるスポットでした。 まず目に入ったのが、『神奈川県指定史跡 上浜田中世建築遺構群』の表示板。なんと、中世の在地武士の居館跡の遺跡なのだとか。 鎌倉時代から室町時代における武士の住居跡の遺構とは珍しい。東京のような大都市だと、平地にある当時の遺構の上に多くの建物が建っていますからね。 むしろ中世の城跡のほうが、残っているかも。 公園内には、掘立柱と建物の跡が、色分けされたタイルで表示されています。 居館は、主屋に付属屋、厩屋などから構成されているそうですが、それぞれの建物が大きく、かなりの豪邸なのだとわかりました。 屋敷の周りは柵があり、井戸の場所も確認できたのですか。 解説板には、この屋敷の主は、当時この辺りを支配していた渋谷一族の大谷氏との関連が指摘されています。後北条氏がこの辺りを支配する前の時代、この屋敷で、在地の武士たちがどんな暮らしをしていたのだろうかと妄想が膨らむのでした。4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 来た道を再び戻って、いよいよ相模国分寺跡へ向かいます。 現地に立つと、広い芝生広場の中に、金堂の基壇や塔の礎石がポツンと並んでいるという既視感のある風景が…。 訪れるのは二度目だから当然なのですが、ほかでも見た記憶があります。私は、関東地方の国分寺の跡地は何か所も訪れていますが、そういえば規模の大小はあれ、基本的に同じ景観かも。 もちろん、奈良時代に、全国的に同じ規格で国分寺を作ったから当然かもしれませぬ。ただ、国分寺の跡地の景観も、あまり変わらないような。 ただ、記憶をたどってみると、上総国分尼寺跡は、回廊や中門が復元されていたことを思い出しました。発掘調査で、柱の位置の確認が行われ、主要伽藍の構造を含めた全容が解明されたらしい。それで、建物跡の完全な復元が可能になったのですね。 国分寺跡の周りは、宅地化が進み、住宅地の中に広いサッカー場が出現したイメージ。歴史公園として整備するなら、当時の建物も一部復元してもらいたいと思うのでした。 …というのも、相模国分寺は、全国の国分寺としては珍しい建物の配置が見られるそうなのですよ。(以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く)当時の相模国分寺には、高さが65メートルと、現在の京都の東寺の五重塔より高い、七重塔があったらしい。現代でも結構な高さですから、当時の人たちは東京スカイツリー見上げるような気分だったのかもしれませんね。 大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館を見学した後向かったのは、相模国最古級の歴史を誇る有鹿神社。この辺りは、鎌倉時代の武将・海老名氏の居館があったとされる場所なのだとか。 ただ、ネットでは、パンダとネギで注目を集めた神社として紹介されていました。ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」(参考)目次より第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社
2021年01月23日
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こんにちは。 本日は、歴史ウォーキングシリーズの第1作「おもしろ歴史ウォーキング 東京編」からのネタです。 東京編はすべてご紹介したと思っていたのですが、まだ在庫が残っているのに気付きました。 …ということで、今回ご紹介するのは、第8章の『江戸から明治時代の暮らしを体感できる小平ふるさと村と緑道沿いの公園めぐり 東京都小平市』。 以前ご紹介した「第7章ノスタルジックな気分に浸れる小平・ガスミュージアムと松並木が美しい小平霊園 東京都小平市」の続きですね。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2017年1月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.様々な季節の景観が楽しめる狭山・境緑道 今回も、東京都小平市を歩きます。小平霊園を抜け、西武新宿線の踏切を渡り、狭山・境緑道へやって来ました。 この緑道は、多摩湖から境浄水場までの水道道路を緑化したものだとか。一直線の道が、10.5キロも続き、所どころ個性的な小公園があるのも魅力的です。緑道と平行して、サイクリングコースがあるものいいですね。自転車で緑のトンネルを走ったら気持ちよさそう。 緑道をひたすら歩き、まず向かったのは、あじさい公園。 梅雨の時期は、1200株の青いあじさいが咲き乱れるのだとか。ところが、行った日は、冬だったのでほとんど枯れ木みたいな状態でした。 梅雨の時期以外はあまり注目しないので、冬のあじさいはこんな状態なのだと気づきましたね。それでも、枝だけの状態から、満開の素晴らしい景色を想像するのは脳の活性化につながるかもしれませぬ。 再び緑道に戻り、次の目的地を目指します。自転車やランナーが多く、高齢の方たちも元気にウォーキングに励んでいる姿を見かけました。 ジョギングしている年配の方たちはかなりのスピードで追い越して行きます。この道が付近の人たちの健康に大きく貢献していることは間違いないようで。 しばらく歩くと、右手に延命寺が現れました。 徳川吉宗で有名な享保年間の創建らしい。山門の左にある庚申塔は高さ1.7メートルもあります。 青面金剛が魔物の天邪鬼を笑顔で踏みつけて立っているのが珍しいとか。そういえば、悪役のプロレスラーも、よくこんな表情で相手にストンピングをしているなと罰当たりなことを考えてしまうのでした。 2.小平ふるさと村は、個性的な古建築がいっぱい さらに緑道を歩き、次に向かったのが、小平ふるさと村。 ここ小平は、江戸時代初期の玉川上水の開通にともなって開発された新田村落なのだとか。当時の人たちが、水の乏しい荒野を切り開き、ようやく人が住めるようになったらしい。 かつては、青梅街道を初め、東西に走る各街道沿いに屋敷森に囲まれた農家が並び、街道をはさんで南北には短冊型の畑が続いていたのですね。江戸時代は、江戸の人たちへ食料を供給していたのでしょう。 でも最近は、スーパーやマンションが建ち並び、当時の面影が失われつつあります。そこで、古い建物を移築して、当時の生活を偲ぶツールにしようとしたのですね。 以前行った江戸東京たてもの園もまた、古い時代へのノスタルジーをかきたてるものでした。こちらは、見所のおもな建物が5つとかなり小規模ですが、無料なのがうれしい。 3.現存する郵便庁舎のなかでももっとも古い建物のひとつがある まず入り口のそばにある建物が、「旧小平小川郵便局舎」。 その前には、昔懐かしい形のポストが立っていました。なんと、現役なのですか。解説板には、都内には現在250本もの丸ポストが残っており、小平は30本の丸ポストが現役で活躍していると書かれていました。 都内にまだ250本も残っているとは少し驚きです。今度、探してみようかと…。さすがに23区は少ないかもしれませんが…。 それはともかく、「旧小平小川郵便局舎」は、現存する郵便庁舎のなかでももっとも古いもののひとつだとか。明治41年に建てられたのですな。 木造なのはもちろんですが、板張りの事務室と電話交換室が興味深かったです。 あとの部屋はすべて畳敷き。休憩時間、寝転がれたりできるのはいいかもしれませぬ。その隣にあるのが、消防小屋。 建物は復元されたみたいですが、中には昭和3年製の手同ポンプ車がありました。 火の見やぐらや半鐘などは明治から昭和初期に製作されたものだとありました。 4.江戸時代の農民の暮らしを実感できるアイテムがいっぱい 「旧小平小川郵便局舎」の右奥にある大きな建物が、旧神山家住宅主屋。 庄屋の建物など古い建物を見慣れている私としては、さほど大きく感じられませんでした。 土間を除けば、「かって」と「ざしき」と「へや」と「おく」だけの構造。大きい家だと、あと二部屋トッピングされるのですが。 こういう狭い家で暮らすのは、当時の暮らしは大変だったろうと思ったのです。ところが資料を見たら、延べ床面積が127平方メートルもあるというじゃありませんか。 100平方メートルを越えるマンションはもう豪邸の部類ですからね。広い家を狭いと思わせるあたり、なかなか奥ゆかしいのではないか、と。 ただ、夏は風が入って涼しいかもしれませんが、冬は寒かったでしょうね。江戸時代は、青梅が雪女の舞台になるくらい寒かったそうですからね。 地球温暖化が進行すれば、こういう茅葺の古い民家が結構住みやすいかも、と思いました。 それはともかく、庭の片隅に、面白い建物が…。家としては狭いし、立派な茅葺の屋根からも物置としては立派過ぎる。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 東京編」に続く) 江戸時代にも、災害に対する備えがあったことに納得しました。その後、水車小屋の近くにインパクトのある建物を見つけたのですよ。 なんと玄関だけの建物。だだ、それだけでも小ぶりな住宅として通用する大きさなのです。 母屋に向かう通路として使われていたそうですが、江戸時代の名主様の実力が偲ばれました。 最後に向かったのは、江戸時代初期、小川村が開発された当時に開拓民が暮らしたと思われる住宅。 屋根だけでなく、壁の部分もまた茅葺で、見た目は縄文時代の住居をイメージしてしまいます。 しかも、中は畳の部屋がなく、細い竹を組んだ床や籾殻の上に筵を敷いて暮らしていたらしい。 江戸時代の初期はまだ、多くの人たちがこのような質素な住居に暮らしていたのですね。 コロナ禍で皆大変ですが、現代は、少なくとも暖かな暮らしができるだけでも幸せだと感じる今日この頃です。 古い建物に興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「 おもしろ歴史ウォーキング 東京編 」 目次より 第1章 オシャレな街・南青山にある根津美術館と岡本太郎記念館 東京都港区 1.オシャレな街・南青山にある二つの美術館 2.岡本太郎のアトリエ兼住居のあとに作られた岡本太郎記念館 3.リビングや庭に、個性的な作品がいっぱい 4.2020年東京オリンピックの新国立競技場と同じ設計者の根津美術館本館 5.根津美術館八景が楽しめる庭園 第2章 高尾山麓に広がる東京屈指の観梅スポット・高尾梅郷 東京都八王子市 1.都内屈指1万本の梅の花が咲く高尾梅郷 2.武田と北条の戦いの舞台になった廿里砦 3.高尾山を借景にした庭が素晴らしい駒木野庭園 4.のどかな川辺の景観と梅の花がコラボで楽しめる遊歩道梅林 5.関所梅林には、江戸時代の関所の吟味の様子を伝えるアイテムがある 6.天神梅林からは、天空の中央フリーウェイが見える? 7.梅と鉄道、高速道路のコラボの景観が楽しめる荒木梅林 8.高尾梅郷一押しの絶景スポット木下沢梅林 第3章 駅からのアクセス抜群の戦国の城跡と日本のシルクロードを歩く 東京都八王子市 1.東京の城跡のメッカ・八王子市 2.戦国時代の城跡の防御施設を体感できる 3.癒しのアイテムがいっぱいの片倉城址公園 4.東京にもシルクロードがある 5.心霊スポットとしても有名な道了堂跡 6.石垣に囲まれたお屋敷跡にある絹の道資料館 第4章 野球ファン必見の野球殿堂博物館と無料で大都会を一望できる文京シビックセンター 東京都文京区 1.社会人女性のワンダーランド・ラクーア 2.野球ファン必見の野球殿堂博物館 3.過去や現役の有名選手たちのユニホームがいっぱい 4.日本野球の発展に貢献した人たちを称える野球殿堂 5.現役の一流投手と対戦できる 6.無料で、東京の大パノラマが楽しめる文京シビックセンター展望ラウンジ 第5章 徳川家康の生母の菩提寺・伝通院と水戸光圀ゆかりの名園・小石川後楽園を歩く 東京都文京区 1.文京シビックセンターの下に広がる礫川公園と東京都戦没者霊園 2.徳川家康生母の菩提寺・伝通院 3.徳川光圀ゆかりの小石川後楽園 4.東京の中心地に残る深山幽谷の風景 5.後楽園を代表する景観・円月橋と水戸家ゆかりの梅林 第6章 八王子城の巨大さを実感できる小田野城と野趣あふれる戦国の山城を体感できる浄福寺城 東京都八王子市 1.曲輪の広さに驚く小田野城 2.戦国の山城の難攻不落さを体感できる浄福寺城 3.山登りというより、スポーツクライミング 4.何本も別れた尾根に曲輪や堀切、土橋、土塁などの遺構が残る 5.八王子のラビリンス・浄福寺城 第7章 ノスタルジックな気分に浸れる小平・ガスミュージアムと松並木が美しい小平霊園 東京都小平市 1.ネーミングが気になる東京街道 2.ガスミュージアムで、街の灯りのありがたさを実感 3.昔の懐かしいガス機器に出会える 4.緑豊かな公園の雰囲気の小平霊園 5.都立霊園では唯一の樹木葬・樹林墓地がある 第8章 江戸から明治時代の暮らしを体感できる小平ふるさと村と緑道沿いの公園めぐり 東京都小平市 1.様々な季節の景観が楽しめる狭山・境緑道 2.小平ふるさと村は、個性的な古建築がいっぱい 3.現存する郵便庁舎のなかでももっとも古い建物のひとつがある 4.江戸時代の農民の暮らしを実感できるアイテムがいっぱい 5.玄関部分だけでも、今の住宅より広い? 6.開拓民の過酷な暮らしを実感できる復元住宅 第9章 東京23区は、緑が増殖中!神田川近くの魅力的な公園めぐり 杉並区・世田谷区 1.意外と緑が多い東京23区 2.芸術家と文化人の街だった永福町 3.将軍手植えの松と駅と町名の由来になったお寺 4.新品感が半端ない下高井戸おおぞら公園 5.いきなり登場する縄文人に驚く塚山公園 6.手つかずの自然なのにセレブな雰囲気が漂う三井の森公園 7.2代将軍のガチョウ?に出会える将軍池公園
2021年01月09日
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こんにちは。 今年最初の記事は、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回ご紹介するのは、第6章の『 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 』。 お正月は毎年、初詣へ出かけるのはもちろん、戦国時代の城跡にも初詣に出かけるのですよ。 しかし、コロナ禍の今年は、遠出ができませぬ。 でも、新年に「山中城」の記事をアップすることで、出かけた気分を味わうことができました。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2018年4月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 今回も、山中城を巡ります。 前回の岱崎出丸と合わせ、1つの城を紹介するのに2つの章に分けたのは、それだけ見どころが盛りだくさんだからです。 などとグダグダ書いていると、本章だけでは終わらなくなるのでサクサク行きましょう。 山中城の本城部分の入り口では、「国指定史跡 日本百名城」の看板が、威厳を持って出迎えてくれました。 ここは、三の丸があった場所で、そこから細く伸びた小道を登ります。 左手には、三の丸の堀。 今も迫力がありますが、往時は深さ8メートル、幅は最大30メートル、長さは180メートルもあったらしい。解説板には、自然の谷を活用し、中央に縦の畝を設けて二重堀にしていると書かれていました。 さらに進むと、田尻の池と呼ばれる池があります。 水が濁っていて、人が飲むにはかなり勇気が要りそう。 …と思ったら、この池は、西側に馬舎があったと伝えられていることから、軍馬の飲料水として使用されていたそうです。当時は、もっと澄んでいたかもしれませんが…。 築城時の池の面積は、148平方メートルで、あふれた水は三の丸堀に流れていたのですか。 前回も書きましたが、ここ三の丸は、岱崎出丸とともに、豊臣方の大軍と激戦が行われた場所。 北条方は苛烈に抗戦し、豊臣方の一柳直末など多くの武将を討ち取りました。しかし、圧倒的な戦力差を覆すことができず、半日で落城。北条方の城将松田康長や副将間宮康俊をはじめ、多くの武将や城兵が討死してしまったとのこと。 これだけ鉄壁の城を作ったのに、半日で落城ですか。 以前訪れた、同じ北条の城である韮山城は、豊臣の大軍に包囲されても百日間持ちこたえたと聞きました。 その違いについて、考えながら歩いてみようか、と…。 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 いきなり本丸へ向かうこともできますが、楽しみは後にとっておこうと、まずは西の丸へ向かいます。 西の丸は、山中城の西側の前線基地の位置付けですね。ここを破られると、敵兵が一気に城の中心部に雪崩れ込んで来ます。だから西の丸の周りには、特に厳重に堀が巡らされていました。 これまで、関東の山城を数多く眺めてきましたが、この特異な景観には驚きます。他の城ではあまりお目にかかれないビジュアルですな。 これは、山中城最大の特徴と言われている畝堀。 畝掘は、五本の畝によって区画され、畝の高さは約2メートル。西の丸へ侵入しようと思ったら、約9メートルもの土塁をよじ登らなればならないのですよ。 畝掘は、岱崎出丸でも見ることができました。 そして、西の丸の障子掘。 障子堀とは、中央に太く長い畝を置いて、そこから交互に両側の曲輪に向かって畝を出して、障子の桟のように区画された堀です。 言葉で伝えようとしても、なかなかイメージできないかもしれませんが、写真を見れば一目瞭然。これを見るために、三島へ来たと言っても過言ではありませぬ。 これまでも「おもしろ歴史ウォーキング」シリーズで、何度も関東の城を紹介してきました。ただ、どんなに工夫しても、写真では、空堀や土塁の見事さを伝えるのは難しいと感じていたのです。 石垣はインスタ映えしますが、空堀は、写真にすると迫力やその美しさが伝えづらいのですよ。 しかし、山中城の障子堀は、写真のインパクトにおいて、石垣に負けません。障子堀は、土の城の魅力を伝えるために、北條氏が発明したのではないかと考えてしまいます。 ところで、山中城は、なぜこんな独特の形の堀を作ったのか。 一般に言われているのは、堀底にいる敵兵の横移動を阻害することで、土塁上からの攻撃をしやすくする効果です。 ただ、畝が太めなので、堀にかかる土橋に見えないこともない。畝が城への侵入経路になったり、畝の上から敵兵が攻撃したりすることもできそうですが…。 畝堀や障子堀には、籠城の際に、水を貯めておく用水池としての効果もあったそうです。 山中城は、半日で陥落してしまったので、防御面としても、用水池としても、その効果を発揮できなかったのですか。 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 山中城最大の見どころである畝堀と障子堀を堪能した後、いよいよ土橋を渡って西の丸へ攻め込みます。 西の丸は、面積約3400平方メートルの広々とした曲輪ですが、発掘調査の結果、建物の遺構は確認されなかったとのこと。解説板には、この地の開墾耕作で攪乱された可能性が強く、もしあったとしても臨時の小屋程度のものであろうとありました。 その後の秀吉や家康時代の城郭の西の丸には、御殿など立派な建物がありましたが、この時代は更地ですかね。秀吉の小田原征伐の際は、当然、この曲輪にも大勢の兵が詰めていたはず。 現代で言う、キャンプのような感じで、この曲輪に籠っていたのかも。 別の解説板には、西端に盛土して見張り台を構築し、全体に東側へ傾斜させることで、雨が降ったときには溜池へ排水する構造だと書かれていました。 見張り台の標高は、約580メートル。眼下に、他の曲輪を見下ろすことができ、連絡、通報上の重要な拠点だったそうです。 西の丸と二の丸の間に位置するのが元西櫓跡という曲輪で、面積は約640平方メートル。 ここからは、5.4メートル×7メートルの柱穴が検出され、掘立柱の物置程度の建物があったらしい。 ただ、この曲輪からも、日常生活用具である炊事道具や椀類が出土しておらず、寝小屋は別の場所にあったと考えられるのだとか。 4千人と言われる城兵が、屋根のある場所で寝泊まりするには、かなりの数と大きさの小屋が必要だったはず。 兵たちの多くは、城内で露営していたのでしょうか。 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 次に向かったのは、二の丸。いよいよ山中城の中心部へ攻め込んでいきますよ。 元西櫓と二の丸の間の堀には、橋脚台と柱穴が検出されたということで、架け橋が復元されていました。 架け橋の先にある二の丸の虎口は、当然、厳重な防御が施されています。敵兵は、正面の4.5メートルの高さの大土塁に突き当ってから、右折して曲輪に入る形になっていたとのこと。 土塁の上に立つと、架け橋が丸見えで、矢や鉄砲で敵を狙うには絶好のロケーションだとわかります。堀も深く、城兵によって架け橋が落とされてしまったら、堀底から攻撃するのはかなり骨が折れるでしょうね。 二の丸は、東西に延びる尾根を切って作られた曲輪で、山中城最大の面積を誇っていたらしい。本丸が狭いので、その機能を分担していたと考えられるそうです。 驚いたのは、曲輪全体が傾斜地になっていること。普通、山城の曲輪って、尾根を削ったり、盛り土をしたりして作る平坦地ですよね。 こんなに傾斜していたのでは、大勢の兵が籠って戦うのに不便ではないか。寝小屋はもちろん、露営するのも大変で、籠城戦の際、城兵はどうやって暮らしていたのかと気になりました。 疑問を抱きつつ、いよいよ本丸へ。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) 本丸の標高は578メートルで、周囲は高い土塁と深い堀に囲まれていました。面白いのは、本丸が2段の平坦地に分けられていること。これだけの規模の城郭で、2段構造の本丸は、あまり見た経験はないような。 本丸は、ほかにも興味深いアイテムが満載でした。 もうひとつ興味深かったのは、本丸の北西に位置する北の丸の存在。 北の丸の標高は、本丸より高いのですよ。本丸よりも高い場所に曲輪を持つ城としては、滋賀県の小谷城が思い浮かびます。 当時、この郭はどのような使われ方をしていたのか気になりましたね。 本書の中では、半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察を記載してありますよ。 最後に向かったのは、伊豆国一宮の三嶋大社。 幣殿や拝殿とともに国の重要文化財に指定されている本殿の素晴らしさを堪能です。 三嶋大社から三島駅に向かう途中にある白滝公園の水辺の景観は、一見の価値ありでした。 山中城や三嶋大社ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考) 目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景 2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺 3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城 4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり 5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園 6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市 1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山 2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる 4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城 5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面 6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸 7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門 8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市 1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道 2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉 3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構 4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市 1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース 2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺 3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地 4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳 5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚 6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」 7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市 1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市 2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園 3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園 4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城 5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる 6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸 6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察 7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった 6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある 7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係 2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城 3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城 4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園 5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市 1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園 3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城 4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか 5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵 6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院 7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2021年01月01日
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こんにちは。 本日は、再出版となる『クレーム対応 必勝テキスト -クレーム対応でファンを作るお詫びの心理術-』のご紹介です。 本書は、以前「日本一まずいラーメンから、苦情処理について考える」というタイトルで好評を博した電子書籍の改訂版になります。 本書の特徴は、表面化する苦情の解決策とともに、表に出にくい顧客の不満の対策にも多くのページを割いている点です。 接客を仕事にする人にとって、苦情はあってはならないもの。しかし、どんなにサービスが優れていても、どんなに接客が行き届いていても、苦情がまったくないという会社や店舗は存在しないのではないでしょうか。 一昔前は、苦情はすべて悪いことで、いかに発生させないか、もし発生したらいかに蓋をするかを考える風潮がありました。しかし、現在は「苦情は宝物」というポジティブな発想で、苦情を経営のヒントとして活用しようとする企業も増えています。 苦情は、顧客の本音をストレートに表現した形だと言えます。だから、それに一生懸命対応しているうちに、プライベートでも顧客と本音で付き合えるようになるのです。苦情をうまく処理できれば、営業における最高の取引深耕策と言えるのではないでしょうか。 苦情というビジネス最大のピンチを、大きなチャンスに変えたい接客担当者と企業家の必読本です。 それは、こちら。 ご興味のある方は是非。 以下は、サンプル原稿として、「序章」と「第1章苦情処理に対する心構え」のうち「1.一件の苦情には、顧客の多くの不満が隠されている」を掲載させていただきました。 是非、お読みいただければ幸いです。 『クレーム対応 必勝テキスト -クレーム対応でファンを作るお詫びの心理術-』 序章 日本一まずいラーメンに出会ったときの顧客の反応は? 私は、若い頃から新規開拓営業を続けてきましたが、外食も、週一回は新しい店を訪れています。ただ、ラーメンに関しては、初めて入る店の場合、結構緊張します。と言うのも、今まで何度かひどい目にあったことがあるからです。 その意味で、どうしても忘れられないラーメン屋さんがあります。恐らく、私の長い人生経験において、一番まずいラーメンでした。肌が合う、合わないとか、そういう問題を超越していて、おそらく誰が食べてもまずいと断言できるラーメンだったと確信しています。 詳しい場所ははばかられますが、東京都心の一画、ITやヲタクの聖地を貫く大通り沿いにその店はありました。今から十年以上前の話です。先日その場所へ行ってみたら、やはりというか当然というか、その店は無くなっていました。前の道路に「日本一まずいラーメン屋があった場所」の記念碑を建てたいと思ったのを覚えています。 さて、私がなぜその店に入ってしまったか。 それは立地と店構えの古さです。東京でも有数の大通りに面し、おそらく三十~四十年は営業を続けてきたであろう威厳がその店構えに感じられました。競争の激しい場所で長い期間、生存し続けてこられたのだから、きっとうまいに違いないと考えたのです。 時間は正午近く。店の前の人通りの多さから、当然、店内は混んでいると予想して、私はその店に入りました。 ところが、店内は閑散としています。お客は一人しかいません。三十人近く入れる店内のカウンターに、中年の男性がひとりだけ。 それだけでもやめておくべきだったのに、私は訝りつつもカウンターに腰掛け、味噌ラーメンの大盛りを注文してしまいました。せめて普通盛りにしとけばよかったと後で後悔するのですが…。 店主は、六十歳ぐらいの親父です。 私の注文を聞くと、フッと自嘲気味に笑みを浮かべました。そのあと、カップルが店内に入ってきます。 合計四名。とうとう私がその店をでるまでほかには誰も入ってきませんでした。 都心の一等地にある間口の比較的大きなラーメン屋。 しかも昼食時のかきいれどきに、お客がたったの四人ですよ。しかし店内は、そのカップルがしゃべりまくって結構うるさかったです。 待つこと二十分。やっと味噌ラーメンが私の前に姿を現しました。 それを見て、絶句。思わず店主を見て、心の中でさけびました。 麺が伸びきっている。しかも何これ、どうして味噌ラーメンのスープが透き通っているんだよ!! この状態をどう表現したらいいのでしょうか。 さすがに大盛りだけあって、量は申し分ない。 だけどその量は、麺が伸びた分で大方カバーされている。しかもどうやって作ったら、味噌ラーメンのスープが透き通るの? 店主は私と目を合わさず、カップルの分のラーメンを作る作業に没頭しています。とにかく私はそれを食べてみることにしました。 箸で麺をすくい上げただけで、ふにゃふにゃになっているのがわかります。 しかもそのスープ。味は、インスタントの味噌汁についている味噌を、基準量の四分の一だけ使って作った味噌汁といったらいいでしょうか。 今までしゃべりまくっていたカップルのところにもラーメンが行きました。 突然、二人は沈黙。 店内に、針一本落としてもわかるような静けさが漂います。外へ一歩出たら、車や人々の喧騒に包まれる都心の一等地で、なんだこの森閑とした雰囲気は。 かつてテレビで見たカリスマラーメン屋の店主は、お客の私語や携帯電話を許さず、ピリピリとした緊張感が店内に満たされていました。 おいしい、まずいといった差はありますが、特殊な状況下におかれると、人は押し黙ってしまうのですね。 なぜ、まずいラーメンを食べさせられたお客が文句を言わないのか。なぜ、これだけまずいラーメンが、ラーメンの激戦区で生き残っていけるのか。 これから述べるように、その後、顧客が苦情を言わない理由はわかりました。ただ、二つ目の理由は、未だにわかりません。店が無くなってしまった今となっては、永遠の謎として残るかもしれません。 第一章 苦情処理に対する心構え 1.一件の苦情には、顧客の多くの不満が隠されている 日本一まずいラーメンを食べさせられたお客が、なぜ文句を言わないのか。この点について、かつてアメリカの全米レストラン協会が行った興味深い調査結果があります。 お客さんに不満があっても、直接苦情を言うのは四%にすぎない。残りの九十六%は、ただ怒って二度と来ないだけである。 私の場合、あとの九十六%に入るのだと思います。一杯七百円のラーメンでいちいち苦情を言っていたのではたまりません。悪質なクレーマーは別にして、わざわざ声に出して苦情を会社や店に言うのは、顧客にとっても大きな負担です。よほど腹に据えかねる場合を除いて、何も言わずに、一度限りの付き合いですまそうとするケースが多いのです。 しかし、次の数字は、商売をしている人には致命的な事柄ではないでしょうか。 一件の苦情があれば、同様の不満を持っている人は、二十六人はいると推定される。 不満のある人は、それを平均十人に話す。十三%の人は二十人以上に話している。 経験上思うのは、そこそこおいしいラーメンは、あまり記憶に残っていないということ。 ところが、まずいラーメンに限って、結構、記憶に残っているのです。 その不満がいつまでも頭に残っていて、かなり時間が経過しても、何かの拍子に人に話すのだと思います。今の私みたいに…。 ちなみに上記の数字は、インターネットがなかった時代のものです。今は下手したら、一人の不満が数千人に知れ渡ることにもなるかもしれません。 それを考えると、わざわざ口に出して苦情を言ってくれる顧客は、むしろ有り難い存在と言えるのではないでしょうか。不満を抱いた九十六%の人たちのサイレントクレームは、会社や店が気づかないまま、がん細胞のように増殖しているかもしれません。もし苦情がなければ、早期発見できず、手遅れになる可能性が高まるのです。 2.迅速な苦情処理の成功で、取引が拡大することも 上記のように、顧客のいわばサイレントフラストレーションを気づかせてくれる苦情は、逆に言えば会社や店に対する期待の現われだとも考えられます。もし顧客が納得できる解決策を示すことができれば、彼らは会社や店のファンにもなってくれるかもしれないのです。 苦情処理において、うまく顧客から納得が得られた場合は、取引がなくなるどころか、良い噂話となって広まるという調査結果もあります。さきほどの全米レストラン協会の統計では… (『 クレーム対応 必勝テキスト 』に続く) ちなみに、本書の目次は以下の通りです。 目次より はじめに 序章 日本一まずいラーメンに出会ったときの顧客の反応は? 第1章 苦情処理に対する心構え 1.一件の苦情には、顧客の多くの不満が隠されている 2.迅速な苦情処理の成功で、取引が拡大することも 3.なぜ、苦情は発生するのか 4.一口に苦情と言っても、その原因はさまざま 5.顧客の立場に自分を置いてみる 6.苦情処理でもっとも大切な心構えとは 第2章 苦情を予防するには 1.苦情を未然に防ぐ心構えとは 2.顧客の隠れた不満を発見するには 3.いきなり「取引停止」にならないためには、何が必要か 4.個々の接客担当者だけで解決できない問題はどうするか 5.苦情を出さない、誰からも好かれる接客担当者になるコツ 6.顧客との信頼関係を築ける接客担当者は苦情が少ない 7.疎遠になると苦情が増える、細やかな連絡を活用して信頼関係を築くには 第3章 苦情処理の基本的な対応とは 1.苦情処理に外せない六つのステップ 2.顧客の不安をいかに取り除くか 3.シェークスピアの時代から言われている苦情処理の基本とは 4.苦情を聞くとき、気を付けなければいけないことは 5.顧客の怒りを助長させない苦情を聞く姿勢とは 6.叱られるプロが実践する禁断のテクニックとは 7.表面的な苦情に隠された本当の原因を知ることで、苦情は宝になる 第4章 ファンを増やす苦情処理法とは 1.ネズミがカウンターを疾走したラーメン店の対応は 2.ラーメンに髪の毛が入っていても、顧客がファンになる対応とは 3.苦情をますますこじらせる現代のコミュニケーション事情 4.ブロック塀を壊された人が怒れなかった謝罪の仕方とは 5.顧客が感情的になっているときの苦情処理のポイント 6.どうしても反論しなければならない場合は 7.苦情処理から顧客の信頼を得る方法とは 第5章 歴史とテレビドラマに見るうまい苦情処理の実例 1.日本人が好きな謝罪の仕方とは 2.自らの命と六十二万石を守った独眼竜政宗の謝罪法 3.大河ドラマからヒントを得て上司のプレッシャーを脱出したノウハウ 4.苦情処理における沈黙と社交性にかかわる一考察 5.映画で見た高倉健さんの秀逸な苦情処理法 おわりに よろしくお願いいたします。
2020年12月28日
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こんにちは。 本日は、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回、ご紹介するのは、第5章の『 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市 』。 三島といえば、日本百名城にもなっている、お城ファン必見の名城・山中城がありますね。 詳しくご紹介するのは次回ですが、今回は、山中城の一部である岱崎出丸(だいさきでまる)にも少し触れます。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2018年4月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市 今回は、前から行きたかった場所・静岡県三島市を歩きます。 三島市は、静岡県東部にある人口約10万人の都市。伊豆半島の北端部に位置し、かつては伊豆国の国府が置かれていたところです。 ただ現在は、東海道新幹線の停車駅があり、東海の一都市というイメージかも。伊豆国だったと言われると、少し戸惑ってしまいますな。 歴史ウォーキングの見どころといえば、やはり伊豆国一の宮である三嶋大社ははずせないでしょう。市の中心部にも、楽寿園という一押しの観光スポットがあるらしい。 ただ私が、もっとも三島に来たかった理由は、ほかにあるのですよ。 それは、山中城。 北条流築造術の粋を集めた城郭で、豊臣秀吉の小田原征伐の際は、激闘が行われた場所でもあります。 山中城の魅力は、壮大な畝堀や障子堀などのビジュアル面でしょうか。見た目が良いなどと言うと、城好きとしては修業が足りないと言われそうですが…。 しかし、関東は土の城が多く、写真を撮ると、イマイチその迫力や美しさが伝わらないのが悩みの種でした。 ところが山中城は、土の城には珍しくインスタ映えする城郭なのですよ。 2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園 よし、バシバシ山中城の写真を撮りまくるぞ、と三島駅に降り立ちました。 ただ、せっかく三島まで来たのだから、山中城だけの見学ではもったいない。山中城へ向かうバスの時間を確認し、それまで市内観光をすることにしました。 まず向かったのは、先ほども触れた楽寿園。 なんと、駅前に入り口があるのですね。時間が限られた忙しい旅人には最適の観光スポットかも。 楽寿園は、三島市立の公園で、広さは約75,000平方メートル。園内には、小浜池という特徴的な景観の池があるらしい。 ここは1890年に、小松宮彰仁親王の別邸が造営された場所です。その後、大韓帝国の皇太子の別邸となり、さらに資産家の所有を経て、1952年から三島市が管理運営するようになったのですか。 かつては風光明媚な郊外に別邸を構える有力者は多かったそうですが、駅前に別邸を設けるとはすごいと思いました。 もっとも、豆相鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)が開業したのが1898年。丹那トンネルが開通し、東海道本線三島駅が開業したのが1934年だから、別邸のほうが先輩なのですね。 別邸の目の前に駅を作らせたとすれば、もっとすごいですが…。 楽寿園には、特徴的な景観の庭のほか、小規模の遊園地や動物園も併設されているのですね。子供からお年寄りまで、さまざまな観光客のニーズに対応してくれるのがうれしい。入園料も大人300円とリーズナブルで、お得感も最高でした。 遊園地や動物園のニーズは今のところないのでパスして、まず向かったのは、小松宮彰仁親王の別邸として建てられた楽寿館。もらったパンフによれば、京都風の高床式数寄屋造りの建物だとか。館内には、野口幽谷や滝和亭など帝室技芸員(現在の人間国宝にあたる)6人を含む、明治時代を代表する画家の作品が展示されていると書かれていました。 内部は、ガイド付きツアーという形で見学できるのですな。ただ、建物内は写真撮影が禁止なのは少し残念。 ガイドさんの案内に従って建物内を巡ると、さまざまな部屋に描かれた装飾絵画を見ることができます。さながら、美術館の中を歩いているような気分。 特に、主室と次の間からなる楽寿の間は、襖や杉戸、天井に、当時の一級の日本画家達による210枚もの装飾絵画が素晴らしかったです。 楽寿の間の廊下から見る小浜池の眺めも印象深かったですね。ここに別邸を作った理由が納得できました。 3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園 楽寿館を出て、さきほど楽寿の間から見た絶景の庭園を歩きます。まず目に留まったのは、いこいの松。 枝ぶりが見事で、ネーミング通り心が和みますな。 それにしても、庭園の中は、岩の量が半端ない。これは、溶岩ですかね。 私はいろいろな場所で日本庭園を見学していますが、これほど岩の多い庭園は初めてかも。 富士山の溶岩を置き、池や木と対比させて、面白い景観を作っている庭園はいくつか見た記憶があります。しかし、この溶岩の量は、岩を後から設置したというより、地面から湧き上がってきたような感じ。 それもそのはずで、これらは約1万年前の富士山の噴火で流れ出したもの。三島市は、溶岩流の上にできた街みたい。事実、地質学上貴重な場所として、2012年には、「伊豆半島ジオパーク」のジオサイトとして認定されたのですね。 小浜池と呼ばれるエリアは、水が完全に干上がって、独特の奇観を呈していました。 池が作られた当初は、富士山の雪解け水が湧き出して満々と水を湛える池だったそうなのですよ。ところが、1962年頃から湧水の枯渇が続き、このような状態になってしまったとのこと。 これでは池と呼べないのではないか。…と思ったら、数年に一度、池が満水を迎えるときもあるらしい。 水辺に張り出した楽寿館を見たかったけれど、水のまったくない池泉回遊式庭園も珍しくて興味の泉が湧いてきます。 ただ、楽寿園の池が全部干上がっているわけではなく、水がたまっている池もあるのですよ。 それぞれの池の地下は、どんな構造になっているのだろうかと想像を膨らませるのでした。 ほかにも、楽寿園には、無料で見学できる三島市郷土資料館がありました。本来ならじっくり見学したいところですが、山中城へ向かうバスの時間が迫っています。後ろ髪をひかれる思いで、楽寿園を後にするのでした。 4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城 三島駅前に戻り、元箱根港行きのバスで山中城跡に向かいます。1時間に1本ほどのペースで運行していて、乗車時間も30分くらいですか。 山城へ行くと考えたら、アクセスは悪くないでしょうね。ただ、山中城跡で食べる兵糧をコンビニで調達していたら、バス停にものすごい行列ができていました。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) その後、コロナ禍の現在では信じられない程すし詰めのバスに揺られて、山中城へ。 最近は、お城の御朱印なるものができるほど、城めぐりが人気らしいですね。半世紀も前から城めぐりをしている私としてはうれしい限り…。 …と思ったら、山中城の手前で、ほとんどの観光客が降りてしまったのでした。山中城へ行く旅人は、たった2人ですか。 皆が降りた場所には、確かに、人気の観光スポットがあります。城ヲタクとしては、山中城をスルーするほどの魅力がありますかね。 …と、多少いじけた気持ちになりました。 山中城は、旧東海道を両側から押さえるために、「本城」の部分と「岱崎出丸(だいさきでまる)」の部分に分かれています。まず向かったのは、岱崎出丸。 ここには、落ちたらダブルボギー確実の巨大な畝堀を見ることかできました。 小田原征伐の際、進軍してくる豊臣の大軍を迎え撃つために、これだけの規模の堀が必要だったのでしょうね。 山中城は、富士の絶景も素晴らしい。 ほかにも、すり鉢曲輪や出丸御馬場、堀構築途中の曲輪跡など、出丸だけでも一つの城以上の見どころが目白押し! ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考)目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2020年12月19日
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こんにちは。 昨日は、「東京産野菜の魅力をめぐる旅」ということで、東京西洋野菜研究会の西洋野菜と都内最大級の農産物直売所・秋川ファーマーズセンターをご紹介しました。 本日は、その続きです。 初めての方は、こちらからどうぞ。 1.コロナ禍の今こそおすすめの秋川渓谷リバーティオ 西多摩地域モニターツアーの参加者は、再びジャンボタクシーに分乗して次のスポットに向かいます。 時刻はちょうど午前12時。いよいよ食事タイムですな。 …ということで、我々が向かったのは、秋川渓谷のほとりにある、秋川渓谷リバーティオ。 秋川渓谷リバーティオは、コテージとバーベキューハウスからなる施設。その中のコテージリバーティオは、平成27年4月にオープンした白壁の木造欧風コテージ宿泊施設らしい。 道の先に、緑色の屋根の瀟洒なコテージが並んでいるのが見えました。 それぞれのコテージには、別荘のように、浴室やトイレ、洗面所、キッチンが完備されているそうですよ。 個人的には、昔泊まったことのある軽井沢のコテージをイメージしてしまいます。 ただ、軽井沢と違うのは、近くに大きな川が流れていること。 この川は秋川と言い、東京都の西部に位置する檜原村からあきる野市にかけて流れる河川。 多摩川の支流のひとつで、その中ではもっとも流域面積が広いのだとか。 秋川と言えば、施設の名前にもなっている秋川渓谷が有名ですね。春からは夏にかけては、川遊びや河原のバーベキューなどを楽しむ人たちで賑わいます。 今は冬。だからこそ、この広い河原を独り占めできそう。 河原に座り、秋川の瀬音を静かに聞いていると、心が安らぎます。 コロナ禍では三密を避けられる穴場のスポットかもしれませんね。 2.あきる野市で60年以上営業を続ける松村精肉店直営のバーベキューハウス コテージに、いつか宿泊してみたいと思いつつ、我々が向かったのは大きなログハウス。 ここでバーベキューが堪能できるのですな。 バーベキューハウスに入る前は、もちろん皆で手を消毒します。 入り口を開放し、通気を確保。室内の天井は高く、換気も良さそうですね。皆、一定の間隔を開けて席に着きました。 コロナ対策をしっかりした上で、いよいよバーベキューの開始です。 申し遅れましたが、ここ秋川渓谷リバーティオは、あきる野市で60年以上営業を続けている松村精肉店直営の施設なのだとか。 老舗の肉屋さんが提供している肉なら、おいしくないわけはありませんよね。 当然、食べる前からハードルは高くなりましたが、そのハードルの上を軽々と超えてゆく味と量でした。 肉は、一人ひとり小分けにされていて、そこには牛と豚と鶏肉の三種類が入っています。 牛肉は、珍しい東京都産の「秋川牛」のほか、地元産の豚肉や東京しゃもなどこだわり抜いた一品です。 忘れてはいけないのが、地元で採れた新鮮な野菜。それを一気に鉄板の上にのせ、豪快にいただきました。 実は私、豚肉が苦手なのです。 小学校時代、給食の豚肉の脂身の臭いが嫌いで、仕方なく飲み込むようにして食べていた思い出があります。 ところが、こちらの豚肉はまったく臭みがない。脂身が甘くてジューシー。 これならいけると、気が付けば全部平らげていました。 もちろん秋川牛も東京しゃもの肉もやわらかく、口の中に入れると溶けてしまうような味わい。 しかも、私の長い人生で、肉と野菜だけでお腹いっぱいになったのは初めての経験でした。 3.かわいい蜜蜂に触れ合えるみつばちファーム 皆、お腹いっぱいなって満足し、再びジャンボタクシーに乗って、最後の目的地に向かいます。 ちなみに、ここで参加者は、製材所と鶏卵農場、みつばちファームの三か所に分かれるのですよ。 私が選んだのは、みつばちファーム。ここでは、蜂場見学やはちみつの試食、ミツロウを使ったキャンドルづくりが体験できるとのこと。 タクシーに乗ること約10分で、あきる野市上ノ台にあるみつばちファームに到着。 ここでも、施設に入る前は、お約束の手の消毒ですね。 みつばちファームの中は、ミュージアムも併設されており、はちみつにまつわるさまざまなパネルやグッズなどが展示されていました。 こちらの代表をされている犬飼博さんから一通り説明を受けたあと、まずは施設の外にある養蜂箱の見学です。 黒いネットを頭からかぶり、皆、恐る恐る養蜂箱に近づきました。 私も含め、誰も、養蜂箱に触れたことがないとのことで、皆緊張します。 まずは、煙をふきかけて、蜂を大人しくするのですね。 犬飼さんが、箱の中の木枠を持ち上げると、そこには蜂がいっぱい。 蜂蜜やミツロウが作られる様子、蜂の子やロイヤルゼリーなどについて、とてもわかりやすく説明していただきました。 それにしても、養蜂箱には一体何匹の蜂がいるのでしょうね。ところが、この箱の中に、女王蜂は一匹だけ。 写真ではわかりづらいですが、蜜蜂の中でひときわ存在感のある女王様を確認いたしました。 昔見たアニメの「みなしごハッチ」は、生き別れた女王蜂のお母さんを探していましたね。でも、これだけ子供が多いと、会えたとしても、「あんた誰だっけ?」と言われるかも。 もっとも、蜜を集めている蜜蜂は、メスなのだとか。オスは、働かないので、やがて追い出されてしまうこともあるという耳が痛い話を神妙に聞いたのでした。 この後、皆で、蜂がいっぱいついた木枠を持たせてもらいました。 女性陣は、恐る恐る持っていましたが、みなしごハッチを見て、蜂に親近感を覚えているオヤジは大丈夫です。 4.世界で一つだけの作品が作れるミツロウキャンドル 施設内に戻って、ミツロウキャンドル作りにチャレンジします。 このミツロウがたっぷり入った容器の中に、ロウソクの芯を浸し、少しずつミツロウを付着させてキャンドルを作っていくのですな。 みんなでチャレンジしたものの、なぜか私だけうまく行きませぬ。 ミツロウが乾くまで、上にあげた状態で少し待たないといけないのですね。 しかし、せっかちな私は、ひたすら上下動を繰り返すのでした。 あとでそれに気づいて修正したものの、そのときは手遅れの状態に…。 ほかの人のキャンドルと比べて、異様に短いのがおわかりになりますでしょうか。 これでロウソク職人の道は絶たれたと少し落ち込みましたが、みつばちファームではお口直しのイベントが用意されていたのでした。 それは、はちみつの試食会。 はちみつは、季節によって蜜蜂が集める花が違い、それによって味も変わってくるらしい。 さまざまな種類のはちみつを舐めさせてもらいましたが、一口にはちみつと言っても、こんなに味のバリエーションがあるのですか。 藤や桜の蜜の味が、人気が高かったです。それに比べ、クリの花の蜜は、鉄分が多く健康にプラスになるものの、あまりおいしくないらしい。 少し舌に刺激は感じましたが、思ったほどではないような。個人的には、全然大丈夫です。 ここで、西多摩地域モニターツアーは終了。人生初となるさまざまな経験ができて、とても有意義な一日でした。 ちなみに翌日、作ったキャンドルに火を灯してみたのですよ。 作ったときは失敗作だと思ったのですが、この自然なフォルムは意外と芸術的かも。 すっかり気に入って、作品にタイトルをつけてしまいました。 それは、「鍾乳洞の灯」。 ミツロウキャンドルが、鍾乳石に見えなくもないですし…。 西多摩地域に、ご興味のある方は、感染対策を万全にして、是非お出かけください。
2020年12月14日
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こんにちは。 新型コロナの拡大は止まることを知りませんね。今年は私も、遠くへウォーキングに行くことは避け、なるべく近場の人通りの少ない場所を歩いています。 ただ、こんな生活がもう9か月以上…。 だんだんと行く場所も無くなってきて、かなりストレスがたまってきました。新型コロナは、自宅に閉じこもっていればリスクを最小限にできるのですが、逆にメンタル面のリスクが増大しそう。 そんなとき、多摩観光推進協議会が主催する西多摩地域モニターツアーの存在を知りました。何でも、「感染予防対策ガイドライン」を独自に作り、農業や林業、畜産などの体験を通して、これからの観光のあり方を検討していくらしい。 農業や林業体験なら三密も避けられそうだし、私が住んでいるのと同じ東京都の郊外。 県境をまたいでの移動ではないところも、感染対策にはうれしいですね。 実際参加してみると、現地の人たちは皆、感染症対策をしている観光客にはウエルカムで、気持ちよく旅をすることができました。 …ということで、今回は、コロナ禍における体験旅行についてリポートさせていただこうか、と。 1.コロナ禍で存在感を増すジャンボタクシー モニターツアーの集合場所は、JR立川駅の改札。 ここに、若い男女、海外からの留学生、私のようなおじさんを含め、さまざまな背景の人たちが集まりました。 モニターツアーは、農業や林業、畜産の3つのコースに分かれており、私が参加するのは農業コースです。 最初の目的地は、東京西洋野菜研究会が主催するあきる野市の畑ですか。 そこまでは、ジャンボタクシーに分乗して向かうのですな。 タクシーの中は、ウイルスが付着しないようシートがラップで包まれ、きれいに消毒されていました。 運転席と乗車スペースの間には透明なビニール、「乗車中のお客様へのご理解とお願い」の張り紙。 ここまでは普通のタクシーも行っている対策ですが、乗車する際は、一人ひとり人に運転手さんが手のアルコール消毒をしてくれました。 除菌スプレーも今や必需品ですな。 2.東京産西洋野菜の普及、品質向上を目指す東京西洋野菜研究会 立川駅からタクシーに乗ること約40分。あきる野市油平にある東京西洋野菜研究会の畑に到着しました。 同じ東京でも、こちらは空が広い。空気もおいしい。遠くには奥多摩の稜線が見え、コロナ疲れの心を癒してくれました。 しばらく畑の中を歩いていくと、見慣れない野菜が植えられているエリアが…。 これが西洋野菜ですか。 ここでは、東京西洋野菜研究会の生産者の方が、わかりやすく丁寧に、それぞれの野菜について説明してくれました。 ちなみに東京西洋野菜研究会は、2018年11月に発足したそうです。近年ヨーロッパから導入された野菜の栽培のほか、一般にはなじみがない野菜の研究や情報発信、普及も行っているらしい。 ホームページには、種苗メーカーと連携した栽培指導により、東京産西洋野菜の品質向上も目指すと書かれていました。 一通り、畑の説明を受けた後、いよいよ西洋野菜の収穫体験です。 初めて見るものが多く、間違っていたら申し訳ないですが、これから収穫した野菜について紹介させていただきます。 まず、これはビーツ。 色鮮やかで甘みある根菜で、見た目と違ってほうれん草の仲間なのですか。でも、食感はニンジンに近いそうですよ。 次は、コールラビ。 カブのようなブロッコリーのような感覚で、スライスして生で食べても美味しいとのこと。 これは、普通のカブでしょうと思ったら、サラダラティーナという名前があるのですね。 ローマの南方で広まっているそうで、その名の通り、サラダにできるくらい柔らかく甘いのだとか。 パセリみたいなカリーノケールは、ドレッシングが絡みやすい柔らかいフリルがあり、そのまま食べてもおいしいらしい。 カーボロネロ は、軸をとって煮込みにすると味わい深いダシが出るそうですよ。 高級スーパーやレストランで見たことがある野菜もありましたが、どれも今まで食べたことがない野菜ばかり。 今すぐ食べたい、と思ったら、うれしいことに試食用のトレイが用意されていました。 食べる前は、もちろん皆、きちんと除菌です。 ドレッシングも用意されていましたが、何もつけずに全部食べてみました。 どれも苦みやえぐみはなく、シャキシャキした食感でとてもおいしい。 特におすすめは、サラダラティーナ。口いっぱいに広がるジューシーな甘さは、野菜というより果物みたい。 軸をとって煮込みにすると味わい深いというカーボロネロのスープも、さっぱりした中にコクがあっておいしかったです。 3.都内最大級の農産物直売所・秋川ファーマーズセンター 東京西洋野菜研究会の畑を出て、次に向かったのは、あきる野市二宮にある秋川ファーマーズセンター。 ここは、通称「とうもろこし街道」と呼ばれていた五日市街道沿いに、平成5年にオープンした都内最大級の農産物直売所です。 こちらでも、入り口に、マスクをしての入所をお願いしますという看板が大きく掲げられていました。 広い室内は、地元の農家が育てた野菜がところ狭しと並んでいます。 どの野菜も驚くほど安く、「この大きさと量で、この値段なんて信じられない~」というツアー参加者の声があがっていました。 外には、植木・盆栽コーナーがあり、植木や各種盆栽を販売しているのですな。 翌日、東京西洋野菜研究会からもらった食材でサラダを作ってみました。 皿に、ちぎった野菜を盛っただけの「野趣あふれる男のサラダ」ですが…。 これに、秋川ファーマーズセンターの責任者の方イチオシの「おろしポン酢ドレッシング」をかけて食べてみたのですよ。 西洋野菜と和風のおろしポン酢の酸味の相性は抜群。 いきなり食卓が、フレンチの高級レストランになりました。 ご興味のある方は、是非、お出かけください。 西多摩地域モニターツアーのご報告は次回も続きます。
2020年12月13日
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こんにちは。 本日は、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回、ご紹介するのは、第4章の『 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市 』。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2019年2月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース 今回は、神奈川県川崎市を歩きます。 これまでは、今まで行ったことのない場所を歩くときは、ガイドブックを参考にすることがほとんどでした。ただ、最近は、ネットを参考に、自らウォーキングコースを作って歩くことが増えているような。 …というのも、多くの自治体が、自分の町のウォーキングコースを作り、ネットで公開しているからです。 地元の人しか知らないような魅力的な道が紹介されていたり、細かなトリビアが地図に記載されていたりするのがうれしい。 特に、川崎市は、それぞれの区が競い合って、自分たちの町の見どころをアピールしている感じがします。 それらの地図や見どころを眺めていて、是非、行ってみたいコースが目に留まりました。 それは、川崎市高津区の「子母口、千年コース」と「久末コース」。 奈良時代以前からあるという古刹や古代武蔵国橘樹郡の役所跡、そして古墳に貝塚など、歴史スポットが満載なのですよ。まさに、歴史ウォーキングの王道が堪能できそう。 ちなみに、「子母口、千年コース」と「久末コース」は、それぞれの距離が3.4キロと3.3キロ。個人的には、単体だと物足りない距離なので、組み合わせて歩いてみようと考えました。 どちらのウォーキングコースも、スタートとゴールはバス停です。ただ、今回はバスを使わずに最寄りの駅から歩き、帰りも延々と歩いて駅に向かうことにします。今まで行ったことのない場所は、歩くと思わぬ歴史スポットに遭遇することがあるからです。 さらに帰り道には、前から行きたかった古墳や戦国時代の城をトッピングする欲張りなコースを考えました。 結果的に、その日は、37,218歩も歩くことになってしまいましたが。 ただ、上記の市に推奨されたコースだけなら、二つ合わせてもバスを使えば7キロほどです。ほどよい距離の歴史ウォーキングが楽しめますので、是非、お出かけください。 2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺 ウォーキングのスタートは、JR南武線の武蔵新城駅。ここから、商店街や住宅街を延々と歩きます。 まず向かったのは、第三京浜道路の近くにある影向寺(ようごうじ)。 江戸時代に作られたという薬師堂や神奈川の名木100選になっている乳イチョウなどに歴史を感じる古刹です。 ただ、このお寺のすごいところは、普通の古刹に留まらない歴史があること。創建は、奈良時代とされていますが、発掘調査によれば、創建は7世紀後半にまで遡るのだとか。 7世紀後半といえば、藤原京の遷都や高松塚古墳が作られた頃ですな。関東屈指の古刹であり、「関東の正倉院」とも言われているらしい。 本尊の薬師如来は、国指定の重要文化財ですか。 現在の川崎市の中心部からかなり離れた場所に、なぜこんなすごい寺院があるのだろうと思ってしまいました。 ところが、かつてこの近くには、武蔵国橘樹郡の郡衙があったそうです。橘樹郡は、たちばなぐんと読み、現在の地名で言うと、川崎市のほぼ全域と横浜市の北部が含まれるらしい。 郡衙とは、古代の郡の役所ですね。つまりここは、古代の川崎市役所の所在地だったのですか。 影向寺は、この地の有力豪族の氏寺として出発し、やがて橘樹郡の郡寺として発展していったと推測されているそうです。 事実、発掘調査によれば、7世紀末の白鳳時代の古い瓦や奈良時代と思われる掘立柱の建物跡、塔の基壇などが確認されているとのこと。 当時の建物は残っていませんが、奈良時代にあったという三重塔や壮麗な本堂の姿を思い描くのでした。 3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地 近くには、古代橘樹郡の郡衙跡があり、一般開放されているのですか。早速GO!と思ったら、途中で、たちばなふれあいの森への案内板を発見。 少し遠回りになりますが、一級の歴史スポットでヒートアップした頭を鎮めるため、まずは癒しの森へと向かうことにしました。 たちばなふれあいの森は、川崎市が平成2年に整備した広大な公園。緑深い傾斜地を下ると、湧水地に「ホタルの里」が整備されています。 都会の近くで、深い森の中を飛び交うホタルが見られるなんて、最高の贅沢かも。 すっかりやさしい気持ちになって、郡衙跡へ向かう急な坂道を登ります。振り向くと、川崎の街並みが眼下に広がっていました。 坂道を登りきったところが、古代の丘緑地、すなわち郡衙跡なのですな。 現代のお役所は高層ビルにして眺望を楽しめるところが多いですが、当時の郡衙も眺望バツグンの一等地にあったのですね。 さて、古代橘樹郡の役所跡。現地は、広い原っぱになっていました。 この下に、奈良から平安時代にかけての掘立柱建物や塀の柱穴などの遺構が眠っているのですか。 ブルーシートは、発掘中のエリアかも。 解説板には、稲などを保管した倉庫と考えられる建物21棟や郡の役人が仕事をしていた官舎などと思われる建物20棟以上のほか、塀や溝なども発見されたと書かれています。土師器や須恵器、円面硯、鉄製刀子など、当時使われていた土器や文房具類なども発見されたのですか。 ただ、郡衙の中心的建物である郡長(政庁)は、まだ発見されていないとのこと。住宅地のなかに埋没しているのですかね。 ちなみに、先ほど行った郡寺跡である影向寺遺跡と、この古代武蔵国橘樹郡の役所跡の橘樹郡衙跡は、「橘樹官衙遺跡群」として、川崎市初の国の史跡になっているらしい。 その理由は、7~10世紀の地方官衙の実態とその推移を知る上で重要な遺跡だからだそうです。 ただ、「この原っぱが国の史跡?」 …と、たぶん一緒にいたら驚くだろう知人たちの顔が目に浮かぶのでした。 4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳 古代の丘緑地を下り、中原街道を越え、さらに住宅地の中を歩きます。すると突然、目の前に土の丘が…。 ここは、子母口富士見台古墳。子母口は、「しぼぐち」と読むのですか。 直径は17.5メートル、高さ3.7メートルの円墳ですが、児童公園の築山みたいな印象を受けました。所どころ摩耗して小さくなった感じですが、住宅地の中央部にありながらよくその形を保っています。 6世紀頃に作られたものだそうで、恐らくこの地域の有力者が葬られているのでしょうね。 …と思ったら、解説板には、弟橘媛(おとたちばなひめ)の伝説が書かれていました。 その伝説とは、近くにある橘樹神社に伝わるものだとか。 日本武尊が東征の際、海が荒れて船が沈みそうになったらしい。一緒にいた弟橘媛は、その身を海に投じて海を鎮めたとのこと。その後、入水した媛の御衣・御冠の具だけがこの地に漂着したというものです。 古事記には、「かれ七日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。すなわち、その櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」という記載があるそうです。 地域に残る伝説が、古事記の記述に裏付けられているとはすごい。 その弟橘媛の御陵が、なんと、子母口富士見台古墳というのですか。 ここから徒歩数分のところには、さきほどの伝説の日本武尊と弟橘媛を祀る橘樹神社があります。 かつて橘樹郡の総社であったと考えられているそうで、影向寺と同じく飛び切りの歴史を持つ神社なのですね。 詳しいことは忘れましたが、古事記に残る日本武尊と弟橘媛の伝説は、他の場所でも聞いた記憶があります。 そこは、海の近くでしたが、川崎でも内陸部にある場所で海の伝説とは信じられない気がしました。 ただ、次に向かった歴史スポットで、その疑問は氷解するのですが…。 5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚 橘樹神社から300メートルくらい歩いたところに眺望の良い公園があります。ここは、子母口公園と言い、子母口貝塚としても知られているのだとか。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) 目の前に広がる住宅街の景色は、縄文時代には大海原だったのですな。 このあと、畑と高層ビルがコラボで眺められる「農の景色」のゾーンへ。竹と雑木林に囲まれた尾根道を歩くと、都会にいることを忘れてしまいそう。 途中に立ち寄ったお寺には、佐倉義民伝のような伝承が残る義民地蔵がありました。 最後に向かったのは、後北条家方の城と伝わる井田城。 緑地の中に土塁が残っているらしいのですが、それが土塁か、円墳か、非常に悩ましい見え方をしておりまする。 古墳の発掘調査では、城郭の存在を示す成果は報告されていないのですか。ただ、要害堅固な戦国の城として納得させられる部分はいくつもありましたよ。 ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考) 目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景 2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺 3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城 4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり 5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園 6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市 1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山 2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる 4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城 5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面 6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸 7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門 8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市 1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道 2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉 3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構 4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市 1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース 2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺 3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地 4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳 5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚 6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」 7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市 1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市 2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園 3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園 4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城 5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる 6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸 6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察 7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった 6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある 7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係 2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城 3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城 4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園 5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市 1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園 3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城 4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか 5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵 6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院 7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2020年12月05日
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こんにちは。 本日は、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回、ご紹介するのは、第3章の『 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市 』。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2019年1月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道 今回も、静岡県伊豆の国市を歩きます。 江川邸を出て、次に向かうのは、世界文化遺産・韮山反射炉。 前回も述べましたが、韮山反射炉の築造に大きな役割を果たしたのが、江川太郎左衛門です。当然、自邸から反射炉まで何度も往復して築造や運営の指揮をしたのでしょう。 その通った道が、現在、担庵公思索の道として整備されているのですよ。 江川邸でもらった地図に、そのルートが示されています。自分も、江川太郎左衛門になった気分で歩いてみようと思いました。 まず向かったのは、江川邸から歩いてすぐのところにある本立寺。 このお寺の裏山に、本立寺付け城跡があるらしい。行ってみたい衝動にかられましたが、この先にも行かなくてはいけない歴史スポットがたくさんあるので自重しました。 本立寺は、室町時代から続く日蓮宗の古刹で、江川家の菩提寺でもあるのですか。 沿道からは、のどかな農村風景を楽しむことができました。 担庵公に倣って、思索をしながら歩こうかと思ったのですが、景色に見とれているうちに反射炉に着いてしまいました。 2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉 いよいよ本日のトリプル主役のひとつである韮山反射炉の見学です。 さすが、2015年に世界文化遺産に登録された場所だけあって、ガイダンスセンターや物産館、公園なども整備されていて、見どころは満載でした。 今回のように、江川邸と韮山反射炉をコラボで見学するには、700円の共通入場券が便利ですよ。支払った料金の元を取るために、まずは、ガイダンスセンターで、反射炉の概要を勉強します。 反射炉とは、大砲鋳造のために建設された施設。熱をアーチ型の天井に反射させて鉄が溶ける温度の1700度を得る構造から名付けられたそうです。 時は幕末。欧米からの開国要求が激しさを増す中で国防のニーズが高まり、幕府は、お台場などの防御施設を建設しました。ところが、台場に設置する武器も、あわせて作らなければならない。 …ということで、1857年に韮山反射炉を建設し、大砲が数百門も鋳造されたのですね。 申し遅れましたが、韮山反射炉は、国指定史跡であるとともに、通商産業省認定近代化産業遺産でもあるのですな。 ところで、世界遺産に認定されたのは、「明治日本の産業革命遺産」という背景があったからですか。それは、西洋から非西洋への産業化の波及を顕し代表する日本国内8エリア、23資産から構成されているらしい。 23の構成遺産を見てみると、官営八幡製鉄所や三菱長崎造船所、軍艦島で有名な端島炭坑などが並んでいます。どれも九州や山口県の萩など西日本にあり、東日本にあるのは釜石の鉱山と、この韮山反射炉だけなのですね。 そう考えると、ますます貴重に思えてくるのでした。 3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構 かつて、反射炉は国内で11基ありましたが、跡として残っているのは、萩と韮山、鹿児島の3基だけ。その中で築造当時の形で現存し、実際に稼働したことが確認されているのは韮山反射炉だけだそうです。 また、実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構らしい。 反射炉の高さは、約16メートル。連双2基で、合計4炉で構成されており、外側が伊豆石の組積造、内部が耐火レンガで作られたアーチ構造になっておりまする。 レンガの周りの茶色の鉄骨の枠が、なかなかオシャレだと思ったのですが、これは補強されたものですか。 そういえば、昔、萩の反射炉を見たときは、長細いピラミッドのようにレンガが積み重ねられていたことを思い出しました。 構造の解説をじっくり読んでも、文科系にはその仕組みがよくわかりませぬ。この穴から、溶けた鉄が出てくるらしいのですが…。 巨大な大砲を作っていたのですから、当然、大量の溶けた鉄が流れ落ちたのでしょう。 韮山反射炉の近くには、周りを石垣で囲った川が流れています。この川には巨大な水車が設置され、鉄に深い穴を開けて、大砲を作る作業に使用されたらしい。 川のほとりには、江川太郎左衛門の銅像があり、反射炉を背景に写真が撮れるスポットもありました。 4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 反射炉物産館でお土産を買い、再び次の目的地を目指して歩き出します。 函南反射炉線という道路に出て、田んぼを見ながらテクテク歩き、伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅近くの踏切を渡りました。そして、近くの下田街道を三島方面に向かって歩きます。 結構距離を歩いていますが、実は、「江川担庵散策の路」と「頼朝・政子ロマンの路」という、独立した2つのウォーキングコースをコラボで回っているのでした。 距離は、それぞれ9キロと4.5キロですか。トータルの距離は13.5キロくらいで、個人的には、いつものウォーキングと変わりませぬ。 ただ、韮山城跡をくまなく歩いたから、本当はかなりオーバーしているかも。 さすがに、少し疲れたと思った頃、ようやく願成就院(がんじょうじゅいん)というお寺に到着しました。 このお寺は、仏師運慶が制作した阿弥陀如来坐像が安置されているらしい。運慶の仏像は、残っている数が少ないことで有名ですね。 …と思ったら、なんと、所蔵する5体の仏像が国宝に指定されているのですか。 所蔵している仏像はすごいですが、このお寺は、歴史好きにとっても興味をかきたてられるのですよ。『吾妻鏡』には、源頼朝の奥州平泉の藤原氏討伐の成功を祈り、鎌倉幕府初代執権・北条時政が建立した寺院だと記載されているそうです。 その後、二代執権義時や三代執権泰時によって、浄土様式の壮大な寺院となっていったとか。 訪れた時は、由緒ある名刹だとは感じましたが、歴史的に、ここまですごいお寺だとは思いませんでした。 本堂や境内が、少し小ぶりな印象があったから、と言いますか…。 しかし、境内の近くに、国指定史跡願成就院跡の石碑や解説板があるのを発見。 それを読むと、発掘調査の結果、大御堂や南新御堂、南塔、池畔などの跡が明らかになったという記載がありました。 このお寺の最盛期は、多くの堂宇や塔がそびえ立ち、巨大な池とその中の小島を橋でつなぐ、浄土様式の壮大な寺院として威容を誇っていたのでしょうね。 ただ、北条早雲と堀越公方との戦いで、願成就院はほぼ全焼。その後、僅かに再建された建物も、豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び焼けてしまったらしい。 運慶作の国宝の本尊を始めとする仏像は、僧侶らによって運び出され、焼失を免れたのは不幸中の幸いでした。しかし、そのほかの多くの寺宝が失われてしまったのですね。 境内にある北条時政のお墓の写真はゲットすることができましたが、他の歴史スポットを回るために、境内の見学を少し端折ってしまったような。 後で調べると、足利茶々丸のお墓や茶々丸首洗いの池などの見どころもあったのですね。 歴史ウォーカーとして、もう少し下調べをしてから訪れるべきだったと反省するのでした。 5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 再び下田街道を歩き、光照寺の角を左折。小道をしばらく歩くと、右手に広い原っぱが見えてきました。 ここはなんと、北条早雲を描いた司馬遼太郎の「箱根の坂」や滝沢馬琴の「里見八犬伝」にもたびたび登場する堀越公方の御所があったとされる場所ですか。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) 実際に現地を訪れると、歴史書の中だけの存在の堀越公方がリアルに感じられました。 このあと、歴史の教科書に登場する鎌倉幕府の執権北条氏の邸宅跡へ向かいます。 場所は、標高約100メートルの守山のふもと。そして立派な河川敷を持つ狩野川がすぐ近くを流れています。 近くには、北条政子産湯の井戸の伝説もあり、日本の中世史ファンにはたまらない歴史スポットですね。 伊豆国の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考) 目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景 2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺 3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城 4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり 5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園 6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市 1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山 2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる 4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城 5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面 6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸 7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門 8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市 1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道 2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉 3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構 4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市 1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース 2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺 3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地 4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳 5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚 6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」 7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市 1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市 2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園 3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園 4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城 5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる 6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸 6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察 7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった 6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある 7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係 2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城 3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城 4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園 5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市 1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園 3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城 4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか 5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵 6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院 7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2020年11月28日
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こんにちは。 本日は、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回、ご紹介するのは、第2章の『 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市 』。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2019年1月に行った時のもの。当時はもちろん新型コロナウイルスもなく、富士山の絶景も見事でした。 取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山 今回は、鎌倉、戦国、そして近世の世界遺産などの歴史アイテムが満載の場所を歩きます。そこは、静岡県伊豆の国市。 歴史好きにとっては、伊豆の国市よりも、韮山と言ったほうがピンとくるかもしれませぬ。北条早雲が伊豆の国を平定し、関東へ進出する拠点となった韮山城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。 今回、行ってみようと思ったキッカケも、伊東潤著「虚けの舞」という本を読んで韮山城に興味が湧いたからです。その本の中では、秀吉の小田原征伐における韮山城の籠城戦の様子が詳細に描かれていました。 特に、本の中には、韮山城の詳細な縄張り図とともに、周辺の砦群の配置まで掲載されているのですよ。息詰まる攻防を、縄張り図と照らし合わせながら戦術を確認しながら読む醍醐味を満喫することができました。 小説で攻城戦を読んでしまうと、どうしてもこの目で現地を確認たくなるのが城好きの性。 …ということで、1月末の寒い日、伊豆箱根鉄道の韮山駅へ降り立ちました。オフシーズンで、駅は閑散としており、観光客は一人も見かけませぬ。 駅の柱には、「韮山反射炉」のマーキングがあります。世界遺産なので、観光客は皆、車やバスを利用して、そちらへ行っているのかもしれないと思うのでした。 しかし、歴史好きにとっては、韮山駅周辺にも、興味深い歴史スポットはたくさんあるのですけどね。 2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 駅前には、独特な形をしたモニュメントがありました。この形状は、韮山反射炉を表しているのでしょうね。 さらに歩くと、洋風にも和風にも見える面白い建物があります。 ここは、伊豆の国市韮山文化センター。大ホールや映像ホール、研修室やアトリエ、韮山図書館などを備える複合施設らしい。 別名、韮山時代劇場とも呼ばれているそうですね。桟敷席もある約500人収容も大ホールがあるそうだから、ここで時代劇なども上演されるのでしょうか。 ここは、源頼朝と北条政子が出会った場所でもあるので、ロミオとジュリエットみたいな歴史劇が見られたら面白いなと思いました。個人的には、北条早雲主演、司馬遼太郎原作の「箱根の坂」がいいですが…。 そんなことを考えながら、駅前から東に伸びる道路を歩いていきます。それにしても、誰も歩いている人がいないですな。 少し心細くなって、横を見ると、巨大な富士山が出迎えてくれました。 千人の人たちから歓迎された気分になりますね。すっかり元気を取り戻して歩いていくと、右手に小公園が現れました。その公園には、二人の若い男女の銅像があります。 これは、言うまでもなく、源頼朝と北条政子の像ですな。すると、ここが蛭ヶ小島ですか。 蛭ヶ小島は、平治の乱に敗れ、配流となった源頼朝が14歳から20年ほど過ごした場所。小島とありますが、いわゆる海の中にある島ではなく、狩野川の中洲や湿田のなかの高台だったと言われているらしい。当時、狩野川は洪水のたびに氾濫し、いくつかの中洲があったとのこと。蛭ヶ島はそういった中洲の一つで、蛭が多く生息する湿地帯だったそうです。 ただ、頼朝の流刑地を特定する当時の歴史書の記述はなく、後世の発掘調査でも場所の特定はできていないのですか。 いずれにしても、頼朝は、快適な場所には住んでいなかったようで。こんな過酷な環境で、若い頼朝は、読経や写経などを行い、静かな日々を過ごしていたのですね。 それでも、監視役の北条氏の娘政子と、どう出会って恋に落ちたのか。やっぱり、韮山時代劇場で、韮山バージョンのロミオとジュリエットを見たいと思ったのでした。 3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる さて、蛭ヶ島公園を出て、いよいよ本日のトリプル主演のひとつ、韮山城跡に向かいます。 韮山中学と市立体育館に挟まれた道を通り、直角に曲がって中学の横の小道を歩いていくと、次第に標高が上がっていきます。戦国の城は、高台に築かれていることがほとんど。坂を上るときはいつも、城を攻めるのだという高揚感に満たされますね。 ところが、そのまま城内に入るのではなく、広々とした池が目の前に現れました。地図を見ると、城池親水公園とあります。 当然、韮山城の現役時代は堀として活用されていたのでしょう。今は単独の池として存在していますが、当時は、韮山城があった山を、ぐるっと取り囲むように水堀があったそうです。 左手の山は、どこも切り立った崖。 どこから登るのだろうと少し不安になった頃、階段が現れました。 ほっとして、手元の縄張り図を見ると、本丸から三の丸の近くまで、下の道を歩かされたことになります。戦国時代なら、頭上から攻撃されて、もうすでに戦死していたはず。 これが本来の登城口なのかわかりませんが、入場する前から難攻不落さが伝わってきました。 急斜面を登ると、右手にテニスコートになっている広い広場があります。ここは、かつて韮山城の三の丸があった場所らしい。城内で最も広い平場で、幅が40メートル、長さが100メートルくらいあるでしょうか。 入口付近の土塁の高さや枡形の痕跡などもあり、当時もここに虎口すなわち入城口があったのかもしれないと思いました。 韮山城は、今立っている龍城山に本城があり、その周辺の山岳地帯に付け城が設けられています。広い地域にわたって防御する体制を作ることで、豊臣方の大軍を迎え撃ったのでしょう。 それでも、たった3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間も持ちこたえたのですか。 その辺りの攻防戦の様子は、前述の「虚けの舞」という本の中に詳しく描かれています。近くの天ヶ岳や江川、土手和田などの砦群にも遺構があるそうですが、とても1日では周り切れませぬ。 その分、韮山城の本城の魅力を余すところなく吸収しようと、武者震いするのでした。 4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城 本城のある龍城山は、南北約400メートル、東西約100メートルの大きさ。その細長い尾根が、空堀によって、5つの曲輪に分けられています。 室町時代後期に、北条早雲の関東経略の拠点として整備され、その後も伊豆支配の拠点となっていたのですね。もちろん、当時は早雲とは言われていませんでしたが、伊勢盛時よりイメージしやすいので、この後も北条早雲と記載させていただきます。 韮山城は、後北条氏が支配する前から城として存在していたらしい。それ以前は、堀越公方の家臣の城があったと言われているそうです。 城が現在のような規模になったのは、北条早雲が整備したからで、早雲は、小田原城を奪取したあとも、ここ韮山を居城にしていたのですね。 やがて名将・北条氏康の四男・氏規が城主となり、小田原征伐の際の籠城戦を行うのでした。 戦国時代の始まりと終わりはいつかというのは、諸説あります。その中に、北条早雲が戦国の始まりに関与し、小田原征伐が戦国の終わりとする説がありました。その説を採用するなら、韮山城は、その両者が関係していることになりますね。 ちなみに、後北条氏と入れ替わる形で関東に入った徳川家康は、家臣の内藤信成を韮山城主としますが、1601年、彼の転封に伴い廃城となったらしい。 5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面 韮山城の基本的な知識を手に入れたところで、いよいよ攻城戦に突入です。城のある丘陵は、北から南に、三の丸、権現曲輪、二の丸、本丸、伝塩蔵へと続いています。 三の丸は、テニスコートがあるから見学はパスして、そこから少し登ったところにある権現曲輪へ。 権現曲輪の名前の由来は、熊野権現を祀る熊野神社があるからでしょうね。周りを土塁で囲まれている曲輪で、独立している雰囲気。当時はどんな施設があったのかとイメージが膨らみます。 権現曲輪の上には二の丸があるのですが、そこまではかなりの標高差。神社の境内に、巨大な富士塚があるような錯覚にとらわれてしまいました。 二の丸へ向かう道は、狭くて急です。上を見上げると、二の丸を守る兵からは丸見えの状態。矢が飛んで来たらひとたまりもないと鳥肌が立ちます。 急斜面を登ると、低い土塁に囲まれた二の丸が現れました。 戦国の城だけあって、あまり広くないような。江戸時代の城の二の丸には御殿がありますが、小ぶりの建物を一つ作るくらいの余裕しかありませぬ。 城主や家族が日常的に暮らせるような広さはないですが、眺望は素晴らしい。 眼下には韮山高校の広い校庭、遠くには富士山を見ることができます。 現在の韮山高校がある場所には、御座敷と呼ばれる部分があったそうです。二重に堀が巡らされていたそうで、厳重に警護された城主の館があったのかも。北条早雲の居館があったという伝承もあるらしいですね。 だとしたら、最高の勉学環境ですよ。北条早雲の館跡で勉強できるなんて。個人的には、関東で一番幸せな高校生活を送れるのではないかと感じたのでした。 6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸 二の丸から一段高い場所にあるのが本丸。そこに至るまでには土塁と堀切があり、虎口も確認することができます。本丸へは、またしても急斜面を登るのですな。 ここからは、さらに見事な富士の絶景を眺めることができました。 風景に見とれていたら、足を滑らせそうに…。下は絶壁で、転げ落ちたら大ケガは必至です。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) このあと、韮山城の本丸へ。本丸は、直径20メートルほどの狭いスペース。豊臣との戦いで、北条氏規はどこで指揮をしたのだろうと思いましたね。 本丸から先には細い尾根道が続いており、尾根の上を綱渡りする気分で先に進むと、複雑な地形が現れます。 伝塩蔵とありますが、自分なりの解釈を加えながら歩くのは楽しかったです。 次に向かったのは、江川邸。 江戸幕府の直轄地であった伊豆・駿河・相模の統治を任された江川太郎左衛門の住居であり、韮山役所もここにあったらしい。 始めて訪れたのに既視感があったのは、大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた場所だったのですな。国指定重要文化財に指定されている主屋をたっぷりと見学しました。日本で最初にパンが焼かれた場所だそうで、復元された窯は必見ですよ。 伊豆国の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考)目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2020年11月14日
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こんにちは。 本日は、いよいよ最新作「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本作は、ゴージャスな歴史スポットの紹介で人気を博しております。 …ということで、今回は、第1章の『 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2019年の6月に訪問したときのもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景 「相模・伊豆国編」のトップバッターは、神奈川県横浜市です。 最近、少し残念に感じるのは、東京都や神奈川県で、行っていない城跡がほとんどなくなってしまったこと。子供の頃から、城跡を紹介するガイドブックを読み漁り、休日のたびに出かけていましたからね。 仕方なく、かつて城があったとされる場所を訪ね、その痕跡を探すのが歴史ウォーキングの主流になってしまいました。しかし、都市化が進み、期待した痕跡はほとんど残っておりませぬ。 やはりこの目で、モノホンの土塁や空堀を眺めたい。 …と思っていたとき、神奈川県のおすすめウォーキングコースというサイトの中に、まだ訪れていない城跡を見つけました。 横浜市の泉区に、鎌倉幕府の御家人であった泉小次郎の館跡が残っているそうなのですよ。現地は公園になっていて、今も館の遺構が残っているらしい。 泉区は、自宅からそう遠くなく、周辺に歴史スポットもあるそうなので、早速出かけてみることにしました。 ウォーキングのスタートは、相鉄いずみ野線のいずみ中央駅。 駅前は、美しい水辺の風景が広がっていました。泉区といずみ中央というネーミングから期待していた通りの景色ですな。 ちなみに、この辺りの親水公園は、地蔵原の水辺と呼ばれているそうです。2つの人工池をはじめ、水辺のアトラクションが豊富にあり、夏場は最高の納涼スポットかも。 2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺 駅前を流れる和泉川の近くに丘があり、その上に建つのが須賀神社。 ここは、先ほど書いた泉小次郎親衡(ちかひら)が創建した神社だと伝えられています。泉小次郎を知っているように書いてしまいましたが、実は、ここに来るまでは知らない歴史上の人物でした。 鎌倉時代初期の信州の武将で、鎌倉2代将軍・源頼家の子、千寿丸を擁立して執権北条義時の打倒を計画した人なのだとか。しかし、計画は事前に発覚。 北条氏は、この近くにあった館に攻め寄せてきたそうです。その際、泉小次郎は、混乱に乗じて信濃に脱出したらしい。 千寿丸とともに、現在の川越市に落ち延びて出家し、88歳まで生きたという説もあるそうです。 信州の武将が、この地に館を持っていたのは、江戸時代における大名の江戸屋敷のイメージでしょうか。 そういえば、現在の東京にも、当時の江戸屋敷にあった神社が今も残っていますね。泉小次郎は、須賀神社を館の守護神として祀り、この近くにある神明社を鬼門除けとして勧請したらしい。 須賀神社のすぐ近くにある長福寺も、泉小次郎が道場として創建したお寺だそうです。 鎌倉時代の武将の業績が、今もこの地に深く根差しているのはすごいとしか言いようがありませぬ。 3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城 長福寺にお参りした後、いよいよ本日のメインイベントである泉小次郎の館跡へと向かいます。 場所は長福寺のすぐ近くの泉中央公園にあるのだとか。この標高差を眺めるだけで、心が浮き立ちました。 石段を上ると、小さな池が…。 傍にあった解説板を見ると、この池は、「泉小次郎馬洗いの池」と呼ばれているらしい。 池は一年中湧水が枯れたことがないのですか。昭和20年頃までは、干ばつが続くと近隣の人々により、池の水が汲み干され、雨乞いの行事が行われていたとのこと。この池の底に沈んでいた小さな島には、室町時代初期の五輪塔があり、池のほとりには数基の板碑もあったそうです。 ただ、城の中の池と言うと、籠城時の飲料水の確保のほうに興味がわいてしまいました。 郭の周りは、結構、急峻な崖に囲まれていますな。 さらに階段を上がると、一見、児童公園のようなスペースが現れました。 普通の児童公園と違うのは、館跡の解説板があること。それによれば、遺構は、南北400メートル、東西200メートルに及び、東側と南側には、約4~5メートルの空堀。そして、基底が3メートル、高さが1メートルの土塁が残っているとありました。 公園の中心部はあまり痕跡が残っていませんが、それを取り囲む部分に当時の遺構が確認できるのですね。 東側の土塁は、花壇と紛らわしい。ただ、摩耗の具合が鎌倉時代の館跡を伺わせます。 それに対して、南側はかなり深い空堀が確認できました。 土塁は、かなり低くなっていますが、その前に凹みがうっすら残っており、二重堀があっとされるのも納得です。 これらの部分を見ると、鎌倉時代の館というより、より城に近いイメージかも。事実、先ほどの解説板には、南北朝時代の城址ではないかともいう記述がありました。 世間的には、館というより、中和田城と呼ばれているのも頷けます。 中和田城として考えてみると、城の西と南は、崖や土塁、空堀によってしっかり守られており、東側も低くなってはいるものの土塁が確認できました。 東側の土塁の外側は、当時空堀があったらしいから、それなりに防御はしっかりとしていたのでしょう。 ただ、城の北側は、さほど比高もなく、土塁や空堀のあった痕跡もない。比高約10メートルの台地の先端部を使って作った城なら、北側に大規模な土塁や空堀がないと、城としての用を成さないと思うのですが…。それも含め、鎌倉時代の館か、それとも、それに改変を加えた南北朝時代の城か、という疑問もあります。 戦国の城は、数多く訪れていて、それなりにイメージを膨らませることができるようになりましたが、上記の時代の城はよくわかりませぬ。 ただ、これだけの防御力を持った城館なら、泉小次郎が北条氏から攻撃されても、ある程度持ちこたえられたでしょうね。 4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり 中和田城も、謎の城のひとつだと思いつつ、次の目的地である宝心寺へと向かいます。 宝心寺の前身は、泉小次郎が菩提寺として建立した泉竜寺という禅寺であったらしい。すると、こちらも泉小次郎ゆかりの寺院ですか。 その後、子孫が絶え荒廃していたのを、1651年、この地域の領主であった松平昌吉が浄土宗の宝心寺として建立したそうです。 松平昌吉は、徳川家光に仕える2000石の旗本だったのですか。近くに、松平家の墓地である「宝心寺の殿墓」があるそうなので、探してみたのですよ。 結構、歩き回ったのに見つかりませんでした。 行った日は暑くて、肉体的、かつ精神的なダメージが…。 ただ、近くの和泉川親水広場で、すぐそのストレスを癒すことができました。 きれいな水に大きな鯉が泳ぎ、アジサイが木の根元に咲き誇っています。 川と一体化した広場が整備されており、1988年度の国土交通省「手づくり郷土賞」に選ばれたのも頷けました。 和泉川を一旦離れ、ここからは心癒される神社仏閣巡りです。歴史のある地域ならではのアイテムがたくさんあって、歴史ウォーキングを楽しむことができました。 まずは、四ツ谷の石仏。昔からこの場所で、地域の人たちを見守ってきたのでしょうね。 少し歩くと、鎌倉幕府以前から祀られているという第六天神社があります。境内の脇には、酒が湧くという弁天池がありましたが、工事中で見ることができなくて少し残念。 そのあと向かった密蔵院では、茅葺き屋根の鐘楼が見事でした。 5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園 田んぼと森に囲まれた道を行くと、左手に、木造の大きな建物が現れます。 ここは、天王森泉館。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) このあと、天王森泉館の内部をじっくり見学です。 1911年に、清水製糸場の本館として建設された建物で、横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構なのだとか。横浜市認定歴史的建造物にも選ばれているらしい。 裏山にある緑深い森は、天王森泉公園になっています。「森泉」というネーミングからもわかる通り、豊富な湧き水に触れることができました。 さらに下飯田遊水地を通って境川へ。度重なる水害で移転した数々の神社仏閣も、歴史の重みを感じます。 小公園で休憩したとき、大きな石碑があり、それを見て驚きましたね。 そこには、「富士塚城址」の文字が…。 こんなところに城跡があるなんて聞いてないよ~と叫びそうになったのでした。 関東の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考)目次より第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景 2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺 3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城 4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり 5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園 6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市 1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山 2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる 4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城 5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面 6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸 7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門 8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市 1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道 2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉 3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構 4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市 1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース 2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺 3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地 4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳 5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚 6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」 7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市 1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市 2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園 3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園 4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城 5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる 6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸 6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察 7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった 6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある 7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係 2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城 3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城 4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園 5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園 3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城 4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか 5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵 6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院 7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2020年10月31日
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こんにちは。 本日は、久しぶりに「おもしろ歴史ウォーキング 関東編」からのネタです。 前回「神奈川編」と同じく、「関東編」について、ツイッターやブログで、まだご紹介していない章があることを発見しました。 …ということで、第9章の『 昭和の風景を楽しみながら、関東三大不動尊や白龍伝説のある古刹などを巡る旅 埼玉県加須市 』をお送りさせていただきます。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、少し前に訪れたときのものです。昭和の景観が魅力でしたが、今も残っているのですかね。 取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.加須の読み方と由来にまつわるエトセトラ 今回は、埼玉県の東北部にある加須を歩きます。ここは、かつて、奥州街道の脇往還沿いの宿場町として栄えたらしい。 それはともかく、加須という地名は珍しいですよね。地元の人でないと、読めないかも。 加須は、「かぞ」と読むそうな。 地名の由来をネットで調べてみると、いろいろな説があるそうですね。 たとえば、この地方の古刹を創建した人の名前に由来するとか、有力なお寺の別名に由来するとか、あるいは江戸時代の新田開発に由来するとか。 新田を開発すれば、石高が加増しますから、加増がなまって加須…。 どれもありそうな理由ですが、立派なお寺があって、広い田んぼが広がる土地だったのは想像できます。 それから加須は、「鯉のぼりのまち」としても有名らしい。なんと、鯉のぼりの生産量日本一を誇るそうなんですよ。 行った日は、五月の初旬でしたが、やけにたくさん街中に鯉のぼりを見かけると思ったら、そういうわけだったのですな。 …ということで、ウォーキングのスタートは、東武伊勢崎線の加須駅。 どんよりと曇った空で、今にも雨が降り出しそう。 天気予報どおり、午後3時までは雨が降らないでくりぃ~と祈りつつ、歩きはじめました。 2.加須の歴史を感じさせる古社と古刹 まず向かったのは、駅から程近い場所にある千方神社。 「ちかた神社」と呼ぶらしい。「千方」という社名は、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の六男藤原千方が由来だそうですね。 ということは、かなりの歴史がある神社ということですな。 お祭などイベントがあるときは、露店なども出て賑やからしいのですが、静かな雰囲気が漂っていました。 千方神社から古い家が建ち並ぶ道を通って向かったのが光明寺。 このお寺は、戦国時代の1571年に開山されたとのこと。本堂前には浄土宗の宗祖法然上人の銅像があります。 清潔感漂う境内に足を踏み入れると、背筋がピーンと伸びますね。 3.昭和をイメージするアイテムがいっぱいの加須市内 光明寺の裏手にあるのが、会の川。 この川の風景は、昔、うちの近所にあって今は暗渠になっている昭和時代の川の景観によく似ているのですよ。 もちろん、こんなに川幅や道幅は広くなかったですが。 川沿いを歩いてゆくと、この川も暗渠になっている部分があって、そこは、会の川親水公園となっていました。 この公園は、平成6年に完成したのですか。 水遊びのできるせせらぎや花壇、ベンチなどが設けられています。噴水の水だまりでは、かなりの大きさの鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。 さすが、鯉のぼりの街だけあって、鯉のぼりのモニュメントもありましたね。 しばらく親水公園を歩くと、再び川の流れが顔を覗かせます。 やっぱり私は、こっちの景観のほうがノスタルジックな気分に浸れるような。 昭和の時代には、うちの近所にもこんなレトロな石の橋もまだ残っていましたね。 しかも、まわりの商店を含めた景観が当時にタイムスリップしたかのよう。 4.邪悪な白龍伝説と大イチョウが注目の龍蔵寺 そんな懐かしい街並みを歩き、次の目的地の龍蔵寺に到着しました。寺の門前で、絵を描いている人がいましたが、絵に残したくなるくらい見事な朱色の門です。 この寺は、南北朝時代の1355年に開山されたとのこと。解説板には、この寺にちなんだ伝説が書かれていました。 なんでも、このあたりは昔、鬼島といわれ、邪悪な白龍が棲んでおったそうな。教蔵上人という偉いお坊様が、これを退治し、この龍蔵寺を創建したのですね。 白龍の飲料水であったという龍水井戸や退治した白龍の亡骸の頭のところに植えたという大イチョウが境内にあります。 その大イチョウは、樹齢約650年、幹回りが4.3メートルもありました。 江戸時代には、徳川幕府から寺領を保護され、3代将軍家光から14代家茂にかけての9通の朱印状が当寺に保存されているのですな。 1835年から9年間の歳月をかけて完成した本堂は荘厳で、将軍家からも厚く保護された風格が伝わってきました。 ゆっくりしたいところですが、いよいよ厚く雲がたちこめ、いつ雨が降ってもおかしくない天候。 雨雲に追われるようにして、次の目的地へ向かいます。 田んぼの中の車道沿いにあるのが首なし地蔵。 首なし地蔵というからには、ミステリアスな伝説があるのかと思いきや、解説板には、「地元では、願い事がかなう地蔵尊として信仰され、願いが叶うと前掛けを奉納する習わしがある」と記載されていました。 首があるように見えるのですが、どうやら普通の石を乗せているみたい。 この地蔵は、江戸時代まで、付近にあった喜福寺という寺院の境内にあったもののようで、喜福寺が明治の廃仏毀釈によって廃寺になったため現在地にうつされたそうです。 5.加須には関東三大不動尊のひとつがある そして最後に向かったのが、関東三大不動尊の一つとして江戸時代から信仰を集める總願寺。 このお寺は、江戸時代の初期に總願上人によって開山されたそうですよ。いままで参拝した神社仏閣より歴史は新しいのですな。 急速に発展したのは、館林城主の庇護を受けたのが大きかったそうですね。 ちなみに、関東三大不動尊とは、このお寺のほかに成田山新勝寺と高幡不動なのだとか。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 関東編」に続く) このあと、總願寺にお参りし、見どころを満喫しました。 まずは、黄金に輝く山門。百年ぶりの大改修の一環として、山門の改修が行われ、以前の朱色から金色に生まれ変わったそうですね。 注目すべきは、境内の西側にある黒門。 なんと、1842年に作られた忍城の城門だったとか。それを明治6年に移築したそうですね。 お寺に来て、城の遺構を見られるなんて得した気分でした。 関東の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 関東編」 (参考) 目次より はじめに 第1章 ユネスコの無形文化遺産・和紙の里だけではない、攻め手を惑わせる山城散歩 埼玉県小川町・東秩父村 1.和紙の里だけではない小川町と東秩父村 2.つい足が止まってしまう、小川町の魅力的な建築物 3.つつじに彩られた山城ファン必見の腰越城 4.攻め手を惑わせる罠が仕掛けられた囮小口 5.東京近郊で「村」の魅力を堪能できる東秩父村 6.妖怪アンテナならぬ城アンテナが反応した寺院がある 第2章 あじさいと川辺と太陽がいっぱい! 癒しスポット満載の東日本最小面積の町を歩く 神奈川県開成町 1.あこがれのロマンスカーの運転席に座ろう 2.酒匂川沿いの遊歩道には、昔の治水工法の展示物がある 3.あじさいと水田や山、青空との相性はバツグン 4.町民が手作りで盛り上げる開成あじさい祭り 5.あじさいと水車小屋との相性もバツグン 6.開成町の重要文化財第一号は江戸時代の豪邸 第3章 徳川家康が愛した日本の原風景が味わえる町は、古城と湖のミステリースポットも魅力的 千葉県東金市 1.東金の地名にまつわるエトセトラ 2.池に見える美しい湖・八鶴湖 3.心に染み入る美しい鐘の音色のお寺 4.昭和の時代にも活用された可能性がある東金城 5.徳川家康が寄進した杉並木の巨木がある 6.湖に見える東金のミステリースポット・雄蛇ヶ池 第4章 高速バスで東京からわずか2時間! 房総山中にある徳川四天王の城下町を歩く 千葉県大多喜町 1.海の上を走っているような気分になる高速バス 2.城内に現存する日本一の大井戸がある 3.断崖絶壁の上に建つ白亜の天守閣 4.人気のいすみ鉄道の本社がある 5.なんでも鑑定団の元鑑定士の実家は重要文化財 6.徳川四天王の勇将が今も守る城下町 7.金田一耕助シリーズの舞台になった旅館がある 第5章 下野国国分寺、国分尼寺、栃木県最大規模の古墳など古代史ファン垂涎の観光スポットが目白押し 栃木県下野市 1.古代の栃木県の県庁所在地・下野市 2.古の風景をイメージできる静かな散歩道 3.栃木県最大規模の古墳がある 4.紫式部の墓があるってホント? 5.礎石だけでも一見の価値ある国分寺跡と最近まで幻の寺だった国分尼寺 第6章 江戸時代の庶民の心を鷲づかみにした秘密に迫る! 成田山新勝寺を歩く 千葉県成田市 1.初詣人出ランキング全国第3位の秘密に迫る旅 2.門前町も、魅力的な木造建築がいっぱい 3.新勝寺と市川団十郎の深い関係 4.成田には知る人ぞ知る剣豪の墓がある 5.壮大な建築物で埋め尽くされる新勝寺の境内 6.新勝寺の名前は、有名な武将の乱に由来する 7.成田は江戸時代のワンダーランド? 8.たっぷり仏教世界に浸ることができる平和大塔 9.三つの池が縦に並ぶ成田山公園 第7章 ハイカラな街の歴史的住宅と路面電車、昔あった競馬場をめぐる横浜・根岸散歩 横浜市中区 1.洋画のワンシーンのような根岸外人墓地 2.昔は競馬場だった根岸森林公園 3.馬に興味がなくても意外と面白い、馬の博物館 4.起伏ある土地に建つ白滝不動尊と根岸八幡神社 5.港が見えた大正時代の名建築・柳下邸 6.本物の市電に触れることができる横浜市電保存館 第8章 日本の川の長男・坂東太郎に抱かれる花の町は、魅力的な歴史スポットがいっぱい 千葉県神崎町 1.田園風景を描いた洋画のような風景 2.多くの城跡にわくわくする神崎城 3.戦国の城跡と貝塚、古墳、古刹が一度に楽しめる 4.日本の川の長男・坂東太郎の絶景が拝める 5.神崎神社と水戸光圀ゆかりのなんじゃもんじゃの木 第9章 昭和の風景を楽しみながら、関東三大不動尊や白龍伝説のある古刹などを巡る旅 埼玉県加須市 1.加須の読み方と由来にまつわるエトセトラ 2.加須の歴史を感じさせる古社と古刹 3.昭和をイメージするアイテムがいっぱいの加須市内 4.邪悪な白龍伝説と大イチョウが注目の龍蔵寺 5.加須には関東三大不動尊のひとつがある
2020年10月17日
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こんにちは。 本日は、久しぶりに「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」からのネタです。 「神奈川編」について、ツイッターやブログで、まだご紹介していない最後の章ですよ。 …ということで、第9章の『 古代の古墳の展示場と関東の高野山をめぐるさわやか散歩 神奈川県横浜市・川崎市 』をお送りさせていただきます。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、少し前に訪れたときのものです。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.発展するベッドタウンのミステリースポット・市ヶ尾遺跡公園 今回は、横浜市の市ヶ尾から川崎市の新百合ヶ丘にかけて歩きます。この辺りは東京のベッドタウンとして発展していますが、古墳や由緒あるお寺なども多い歴史スポットでもあるのですよ。 ウォーキングのスタートは、東急田園都市線の市ヶ尾駅。 商店街から住宅街に入り、市ヶ尾小学校の横の坂を登ってゆくと、右手に市ヶ尾遺跡公園がありました。ここに来たのは2回目。前回は、確か10年ほど前だったと思うのですが、たまたま「市ヶ尾古墳群」という表示板を見かけて足を運んだのです。 来てみて、かなり立派な横穴古墳が並んでいたのにびっくりしました。当時の歴史ウォーキングのガイドブックには取り上げられていなかったですから。 園内に入り、小高い丘に作られた階段を登ってゆきます。中腹まで登り、丘を取り巻く遊歩道を少し歩くと、モルタルで固められた横穴がボコボコと並んでいるのが目に入ります。 横穴古墳群は、2つのエリアに分かれていて、全部で12基あるらしい。ちなみに、横穴古墳は、丘などの斜面に高さ2メートル前後の穴を掘り、人を埋葬した施設。埼玉県の吉見町にある吉見百穴は、丘いっぱいに穴がボコボコ開いている景色が有名ですね。 こちらは、それほど穴は多くはありませんが、中に石が敷き詰められていたり、二段に分かれた段差も確認できたりして、当時の雰囲気をイメージすることができました。 この古墳群は、昭和8年に発見されたらしい。古墳時代末期の6世紀後半から7世紀後半の古墳時代末期に造られた有力な農民の墓と考えられているそうな。 巨大な古墳が造られた後に、だんだん小さく質素になってゆくのは、当時のエコの発想でしょうか。 2.壁にノミの跡が残る横穴古墳の玄室 横穴の中に入れる古墳もいくつかあるので、中に入ってみることにしました。 入口は、屈まないと入れない大きさ。這うようにして羨道(せんどう)と呼ばれる部分を進むと、立ちあがれるスペースがあります。 ここが、埋葬用の空間である玄室(げんしつ)ですな。下に敷き石があり、これは復元されたものらしいのですが、壁に残されたノミの跡は当時のものだと解説板に書かれていました。中はそれほど広くはないですが、外とは満たされた空気や時間まで違って感じられました。 横穴から出て、古墳群の奥へゆくと、それらの前にちょっとした広さのスペースがあります。かつて、そこから刀や土器などが発見されたそうです。解説板には、おそらく死者を悼み、祖先の霊を祀る儀式が執り行われていたのではないかと書かれていました。 いわゆるお葬式ですか。現在のお葬式のスタイルとどう違うのか、興味をそそられます。 公園の広場の端に立つと、住宅街を見渡す眺望が見事でした。ここに葬られた人たちの家族は、ここから眺められる地域に暮らしていたのですかね。 いつも、丘の上からご先祖に見守られて暮らしているのは、どんな気持ちなのかとインタビューしてみたくなりましたが。 3.古墳のデパート・稲荷前古墳群 遺跡公園を出て、住宅街をテクテク歩いて向かったのは、稲荷前古墳。 こちらも前回来て、こんな立派な古墳が近くにあったのかと驚いた記憶があるのでした。稲荷前古墳群は、昭和42年に住宅造成中に発見されたらしい。なんと、前方後円墳や前方後方墳、円墳、方墳など計10基の古墳と横穴墓9基があったとのこと。 これだけバリエーションに富んだ古墳が一か所にあるなんて、まさに古墳のデパートの趣がありますね。 バス通りに面した緑あふれる小高い丘をまたしても登ります。こちらも、高くて見晴らしのよい場所に古墳を作ったのですな。 見つかった古墳は、住宅地となって消滅したものも多いのですが、前方後方墳1基と方墳2基が保存されています。それにしても前方後方墳とは珍しい。何でも神奈川県ではじめて発見されたそうです。 かなり急な階段を登り、頂上の開けた場所に出たら、目の前に芝生に覆われた巨大な丘が現れました。全長は37.5メートルですか。興味のない人から見たら、何の変哲もない土のかたまりかも。古墳は、写真に撮るとあまり魅力的な被写体ではないかもしれませぬ。 しかし、実際現地で上に登ってみると、確かに四角を2つ繋ぎ合せたような前方後方墳の形状が確認できました。自然な丘の上に、人工的な丘を作り上げたわけですから、見晴らしがいい。 この古墳が造られたときは、360度の眺望が広がっていたのかも。それにしても、残り二つの方墳が、前方後方墳に寄り添うような形であるのはどういう趣向ですかね。 これらの古墳は、この地域を治めた歴代の権力者や一族の墓だそうですが。 現在、この地域は、東京や横浜のベッドタウンとして発展していますが、当時は、今の東京都心や横浜よりずっと先進地帯だったのかもしれないと思うのでした。 4.川崎市制60周年を記念して作られた自然豊かな王禅寺ふるさと公園 稲荷前古墳を後に、黒須田川に沿って北上を開始します。すすき野団地から虹ヶ丘団地といった巨大団地を経て、虹ヶ丘公園で小休止し、少年野球を観戦。 そこから少し歩くと、広大な緑に囲まれた王禅寺ふるさと公園があります。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」に続く) このあと、王禅寺ふるさと公園では、見事な桜を堪能しました。 最後に向かったのは、関東の高野山といわれる王禅寺。 開山は平安時代の921年。建武の中興のとき、新田義貞に焼きつくされたそうですよ。室町時代に再興されたらしい。 それを聞くだけでも、この地域屈指の古刹ということがわかりますね。 このお寺は、日本最古の甘柿の品種と言われている「禅寺丸」が発見された場所なのだとか。 この辺り一帯は「柿生」と呼ばれていますが、このお寺の柿にちなんだものだと初めて知りました。 関東の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」 (参考)目次より第1章 幕末の日本が震撼! 黒船が襲来した三浦半島・浦賀と当時の面影を残す浦賀道 神奈川県横須賀市 1.巨大UFO襲来のようなインパクトがあった幕末の黒船 2.今も残る巨大造船施設跡・浦賀ドック 3.源氏の天下に貢献した、夢が叶う神社がある 4.房総の山並みが一望の浦賀城址 5.渡し船から浦賀の眺望が楽しめる 6.社殿の彫刻が見事な西叶神社 7.浦賀水道が一望できる愛宕山公園 8.浦賀の町は興味深い歴史スポットがいっぱい 9.江戸から明治時代に使われた灯台が復元されている 10.当時の面影を残す江戸と浦賀を結ぶ浦賀道 11.縄文時代の貝塚と中世の城跡が共存するスポットがある 12.怒田城の縄張りに関する一考察 第2章 幕末の歴史スポットが目白押し! 桜吹雪の東海道・神奈川宿を歩く 神奈川県横浜市 1.坂本竜馬の奥さんゆかりの神奈川宿・田中屋 2.横浜開港当時、白ペンキで門を塗られてしまったお寺がある 3.神奈川宿には、知る人ぞ知る桜の名所がある 4.ヘボン式ローマ字ゆかりのお寺がある 5.戦後の大イベントの舞台になった反町公園 6.桜のじゅうたんと野趣あふれる桜の風景 第3章 住宅街に歴史スポットが数多く残る懐島郷とサザンオールスターズゆかりの湘南を歩く 神奈川県茅ケ崎市 1.巨匠が作った童謡・赤とんぼの歌碑がある 2.見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿が出迎えてくれる源頼朝の重臣ゆかりの懐島郷 3.700メートルもの松並木の参道がある鶴嶺八幡宮 4.珍しい富士の景色が見られる場所がある 5.関東大震災のとき、水田の中から忽然と浮き出てきた中世の橋脚 6.サザンオールスターズゆかりのサザン通り商店街 7.多くの人たちから愛される「サザン」ネーミングの秘密 8.烏帽子岩が見えるサザンビーチちがさき 9.伝説の野外ライブが行われた茅ヶ崎公園野球場 第4章 関東屈指の観梅の名所・曽我梅林と富士山、伊豆半島、相模湾の絶景が楽しめる極上ハイキング 神奈川県小田原市 1.関東屈指の梅の名所・曽我梅林 2.日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」に登場する曽我兄弟の故郷 3.後北条氏の時代にはじまる曽我の梅林 4.明治時代、境内で高等教育が行われていた瑞雲寺 5.北条早雲に滅ぼされた大森氏ゆかりの宗我神社 6.曽我物語・工藤祐経襲撃事件の真相とは 7.今もお寺の名前から存在が伝わっている曽我城 8.急坂をのぼれば、富士山と伊豆半島、相模湾と梅林のコラボを満喫できる 9.二宮金次郎ゆかりの塚がある 10.3つからなる曽我梅林のなかで一番広い別所梅林 第5章 壮大な海軍遺産とスタンド・バイ・ミーの気分が味わえる三浦半島の旅 神奈川県横須賀市 1.自衛隊の艦船が見える港 2.今も工場の施設として利用される旧海軍の建造物 3.三浦半島に、かつて水雷技術を習得するための学校があった 4.古い日本映画に登場するような倉庫がある 5.明治・大正・昭和に建造されたトンネルが見える駅 6.倉庫群の中を縦横無尽に走る廃線 7.トンネルの中にも戦争の痕跡が 8.ブルーな海の近くにある横浜DeNAベイスターズ練習場 9.自衛隊や米軍の艦船が一望できる公園がある 10.大ヒットした海外ドラマ「SHOGUN」のモデルが眠る公園 第6章 横浜の涼感スポット・帷子川親水緑道と悲劇の名将・畠山重忠の旧跡 神奈川県横浜市 1.過去と現在の景観との違いを楽しめるのもウォーキングの魅力 2.プチ里山ハイクの気分を味わえる帷子川親水緑道 3.歴史のロマンが生まれそうな白根不動尊 4.開発が進む住宅街に聳える白糸の滝・大滝 5.プチ深山幽谷気分を満喫できる公園がある 6.謀略で殺された悲劇の名将・畠山重忠終焉の地 第7章 かつての東京の奥座敷・綱島は、豊かな森と歴史スポットがいっぱい 神奈川県横浜市 1.70年近い歴史の幕を下ろした綱島温泉東京園 2.創建不詳のミステリースポット・綱島鎮守 神明社 3.地形が興味深い諏訪神社 4.探検ログハウスと古墳が魅力的な綱島公園 5.駅近くに豊かな自然が広がる綱島市民の森 6.中世土豪館の屋敷構えを残す飯田家住宅 第8章 癒しスポット満載! 温泉と芸術の町・湯河原で、心身ともにリフレッシュ 神奈川県湯河原町 1.鎌倉幕府成立に多大な貢献をした土肥実平ゆかりの湯河原 2.クスノキの巨木と五所神社 3.有名な日本画家が名付けた滝がある 4.夏目漱石未完の絶筆「明暗」に登場する滝がある 5.大事件ゆかりの場所と癒しのスポットが共存 第9章 古代の古墳の展示場と関東の高野山をめぐるさわやか散歩 神奈川県横浜市・川崎市 1.発展するベッドタウンのミステリースポット・市ヶ尾遺跡公園 2.壁にノミの跡が残る横穴古墳の玄室 3.古墳のデパート・稲荷前古墳群 4.川崎市制60周年を記念して作られた自然豊かな王禅寺ふるさと公園 5.日本最古の甘柿の品種が発見された関東の高野山・王禅寺
2020年10月10日
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こんにちは。 ついに、今年最大の注目を集めたドラマ「半沢直樹」が終わってしまいましたね。 私は、NHKの大河ドラマ以外は、あまりドラマを見ないのです。しかし、久しぶりに、次の回をわくわくしながら待つ興奮を味わうことかできました。 日頃まったくドラマを見ない人間が楽しみに見ていたのだから、最終回の視聴率30%越えも納得です。 雲の上の政治家や頭取はじめ銀行の幹部たちに対して、半沢の歯に衣着せぬ物言いは実に爽快でした。 ただ、これらは、銀行員として絶対と言っていいほど、ありえない行為です。前にも書いたように、銀行は、このような異端の行員が出現しないようなシステムが至るところに張り巡らされているのですよ。 だからこそ、銀行員たちが日頃言いたくても言えないことを、半沢直樹が代弁してくれたとことで拍手を贈りたくなるのかもしれません。 フィクションとして見たら、これほど面白いドラマは、最近にはないような。ある程度経験のある社会人が半沢直樹を見たら、一級のエンタテイメントとして楽しめることは間違いないでしょう。 ただ、半沢直樹で描かれる銀行が、リアル銀行とダブって見えてしまったら要注意ですよ。 もちろん、そんなことはないと思われる方も多いと思います。 しかし、前回2013年に放映された半沢直樹のとき、銀行で少なからず騒動が発生したそうなのですよ。 半沢直樹にあこがれて銀行員になった若者が、いざ出社してみると、ドラマの銀行との違いに呆然として数か月で辞めてしまったとか。 上司に、「倍返しだ」と暴言を吐いた若手行員が、周りから危険人物として敬遠されたとか。 ここまで行かなくても、半沢直樹になれない自分に対する嫌悪感を持った行員が少なからずいたらしい。 私も若いときは影響されやすかったので、半沢直樹みたいに、銀行を改革したいと思って行動したかもしれませぬ。 前回のブログでご紹介したように、そういった気持ちは、銀行で長く勤めているうちに変化してくるのですが…。 それでは、元銀行員から見て、ドラマの「半沢直樹」とリアル銀行との一番の違いはどこなのかという点。 銀行員によって、いろいろな意見があると思いますが、個人的には、ドラマ「半沢直樹」が銀行のノルマについてほとんど触れていないところだと思います。 支店の課長や本店の次長など、ある程度偉い立場なので、半沢直樹に個人的なノルマは課されていないかもしれません。 しかし、融資課にも、本店の営業第二部にも、課や部としての数字的な目標は割り振られているはず。課長や次長は、目標達成に向けて、部下を統率する立場といっていいでしょうね。 ちなみに、銀行員に与えられるノルマ・目標はかなりシビアです。簡単に達成できる目標ではなく、自分の持ちうる能力を最大限に発揮して、ギリギリ到達できるかどうかというところに設定されるのですよ。 最近では、無理を承知の上で、ノルマを課す銀行もあるのだとか。 昔は、一日ごとに厳しいノルマが設定され、達成できない行員は、皆の前で腕立て伏せをさせる銀行もあったと聞きました。 もちろん、パワハラ防止が叫ばれる今はないと思いますが、精神的なプレッシャーはあまり変わらないはず。 元銀行員としては、目標達成が最優先課題で、営業第二部次長のポジションにいたら帝国航空の債務放棄問題だけにかかわっていられないのではないか、と…。 どこの会社もそうですが、仕事のできる人に仕事が集中します。特に、半沢直樹のように、指示された仕事を必ず達成させる銀行員には、多くの難しい仕事を押し付けられるはず。 通常の次長のルーティンワークのほか、頭取からの指名案件、その他もろもろの案件を、ほとんど分単位でこなさなければいけないほど忙しいでしょうね。 半沢直樹が、毎日のノルマに汲々とし、仕事帰りに渡真利たちと飲む時間もないほど、仕事に追いまくられる。 半沢がリアル銀行にいたら、きっとこんな感じなのでは。 本来は、営業第二部の部長の頭越しに、これらの命令がされるのも、リアル銀行ではあまりないと言えます。 半沢に直接プレッシャーをかける前に、直属の上司である部長に、厳しい指示をしたほうが効果的だからです。 前回のシリーズで登場した吉田鋼太郎部長は、「麒麟が来る」に出向中なのかもしれませんが…。 それはともかく、リアル銀行員は、半沢直樹のように華々しく活躍するのは難しい。 最初は、基本に忠実をモットーに、地味な仕事が延々と続きます。黒崎のような検査官にタメ口をきくのはもってのほか。出世をしたかったら、あまり目立ち過ぎるのも禁物。 それがわかっていても、半沢直樹が最後に述べた「銀行員のあるべき姿」には心動かされるものがありました。 銀行を志望する人は、心の中に半沢直樹を持って、少しずつでも、銀行を変えていって欲しいと思います。 半沢直樹最終回を持って、元銀行員が見た「半沢直樹」考シリーズもお終いデス。 興味のある方は、これまで書いたブログをご覧ください。 元銀行員が見た「半沢直樹」考 https://plaza.rakuten.co.jp/bijiben/diary/201308100000/ 元銀行員が見た「半沢直樹」考 2 出向編 https://plaza.rakuten.co.jp/bijiben/diary/201309230000/ リアル銀行に半沢直樹は存在するか 元銀行員が見た「半沢直樹」考3 https://plaza.rakuten.co.jp/bijiben/diary/202009140000/ 前回同様、ドラマの「半沢直樹」に倣って、ここで、番宣?です。 前述のブログ「元銀行員が見た『半沢直樹』考」の中で登場する作品が、以下の本です。 『 ライバル銀行員 元銀行員が書いた、銀行を舞台にしたホラーミステリー 』 永嶋信晴著 今を時めく「半沢直樹」シリーズの後追い本と思われがちですが、本作は、銀行ミステリーの大家・池井戸潤氏や江上剛氏がデビューする前に書かれました。 バブル崩壊前後に、日本橋兜町周辺で融資を担当していた作者だから書けるリアルな描写。 「半沢直樹シリーズ」の対極をなす、救いようのないラストのどんでん返し! 賛否両論必至の問題作です。 ご興味のある方は是非。
2020年09月28日
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こんにちは。 本日は、「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」からのネタです。 前回の「関東編」同様、「神奈川編」も、ツイッターやブログで、まだご紹介していない章がいくつかあることに気付きました。 …ということで、第8章の『 癒しスポット満載! 温泉と芸術の町・湯河原で、心身ともにリフレッシュ 神奈川県湯河原町 』をお送りさせていただきます。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、少し前に訪れたときのものです。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.鎌倉幕府成立に多大な貢献をした土肥実平ゆかりの湯河原 今回は、神奈川県の湯河原町を歩きます。 湯河原というと、温泉をイメージされる方が多いのではないでしょうか。 最近は、会員制リゾートの開発でも注目されていますね。湯河原はそれ以外にも、文豪や有名な画家ゆかりの場所でもあるらしい。 本書のテーマである歴史ウォーキングの立場から見ると、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将、土肥実平ゆかりの場所でもあります。 土肥実平は、のちに鎌倉幕府を開く源頼朝の挙兵に参加した武将。有名な石橋山の戦いで頼朝がわずか7、8騎で敗走したとき、この中に加わっていたと言われています。その後、平家との合戦で大活躍し、中国地方の守護にも任じられたらしい。 ちなみに、関ヶ原の戦いで有名な小早川氏の祖とも言われているのですか。ただ、小早川秀秋と血がつながっているわけではありませんので、念のため。 湯河原には、土肥実平の城館があったと言われる城願寺や土肥城という山城など、城好きが喜ぶスポットもあるみたい。 ただ、土肥城までは急峻な山道を1時間も歩く必要があるということで、後ろ髪をひかれる思いで次の機会にしました。 今回は、湯河原を文学や美術の視点から歩いてみたいと思います。 2.クスノキの巨木と五所神社 スタートは、東海道線の湯河原駅。今回のウォーキングコースで迷う人はいないかもしれません。何しろ、駅を出て、目の前の国道75号線に沿って歩いていくだけ。 これから目指す観光スポットのほとんどは、国道の近くにあるのですよ。 広い通り沿いに商店が並ぶ駅前の繁華街を歩き、東海道線と東海道新幹線の高架を抜けます。すると目の前に、巨木に抱かれるように立つ神社が…。 ここは、今から1300年ほど前、加賀の住人二見加賀之助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき、土肥郷の総鎮守として祀られたという五所神社。 社殿はそれほど古そうではありませんが、歴史を感じさせるのは、樹齢600年、かながわの名木百選にも選ばれているクスノキの存在感ですね。 道を挟んだ反対側には、さらに古そうな根回り約16メートル、樹齢800年以上という明神のクスノキがありました。 3.有名な日本画家が名付けた滝がある さらに国道を進むと、道がゆるやかな坂道になり、だんだんと周りが温泉街の雰囲気になってきます。国道の近くに景色のいい川があったので、そちらの遊歩道を利用して次の目的地を目指しました。地図で見ると、これは千歳川という名前らしい。水量が豊富で瀬音が心地よい。いかにも、古い温泉街に流れている雰囲気の川ですね。 途中、温泉街の観光スポットはありますが、まずは湯河原の自然を楽しもうと、国道に戻り坂道をどんどん上って行きます。 上るに連れて、隣を流れる千歳川の川幅が狭くなり、緑も多くなってきました。栖鳳橋という小さな橋を渡ると、右手に小ぶりな滝が見えます。これが、だるま滝。日本画家の竹内栖鳳がこの周辺を散歩していて、滝がだるまのように見えることから名づけたそうです。 だるまに見えるかな、と長い間眺めていましたが、自分にはわかりませんでした。「動物を描けば、その匂いまで描く」と言われた有名な画家は、さすがモチーフの捉え方が違うと感じた次第です。もっとも当時とは、滝の形が変わっているのかもしれませんが。 4.夏目漱石未完の絶筆「明暗」に登場する滝がある またしばらく歩き、右手の案内板に従って、茶店を横目に山道を少し上ると、だるま滝よりも大きな滝が見えてきます。この滝は、不動滝というらしい。 高さ15メートル、幅は約3メートル。観光地の滝としてはコンパクトなサイズですが、この滝は、日本近代小説の最高峰とも言われる漱石未完の絶筆「明暗」にも名前が登場するそうなのですよ。そう思うと、牛丼にプレミアムがついたような気になりますね。(以下、「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」に続く) このあと、昭和11年2月26日に起きたクーデター未遂事件「2.26事件」で、東京以外唯一の現場と言われる「光風荘」を見学します。 事件の日、ここに逗留していた前内大臣牧野伸顕も襲撃されたそうです。 そのすぐ近くにある万葉公園は、日本の歴史公園100選にも認定されたらしい。 温泉地の中心にある公園なのに、深山幽谷の世界が堪能できました。 関東の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」(参考)目次より 第1章 幕末の日本が震撼! 黒船が襲来した三浦半島・浦賀と当時の面影を残す浦賀道 神奈川県横須賀市 1.巨大UFO襲来のようなインパクトがあった幕末の黒船 2.今も残る巨大造船施設跡・浦賀ドック 3.源氏の天下に貢献した、夢が叶う神社がある 4.房総の山並みが一望の浦賀城址 5.渡し船から浦賀の眺望が楽しめる 6.社殿の彫刻が見事な西叶神社 7.浦賀水道が一望できる愛宕山公園 8.浦賀の町は興味深い歴史スポットがいっぱい 9.江戸から明治時代に使われた灯台が復元されている 10.当時の面影を残す江戸と浦賀を結ぶ浦賀道 11.縄文時代の貝塚と中世の城跡が共存するスポットがある 12.怒田城の縄張りに関する一考察 第2章 幕末の歴史スポットが目白押し! 桜吹雪の東海道・神奈川宿を歩く 神奈川県横浜市 1.坂本竜馬の奥さんゆかりの神奈川宿・田中屋 2.横浜開港当時、白ペンキで門を塗られてしまったお寺がある 3.神奈川宿には、知る人ぞ知る桜の名所がある 4.ヘボン式ローマ字ゆかりのお寺がある 5.戦後の大イベントの舞台になった反町公園 6.桜のじゅうたんと野趣あふれる桜の風景 第3章 住宅街に歴史スポットが数多く残る懐島郷とサザンオールスターズゆかりの湘南を歩く 神奈川県茅ケ崎市 1.巨匠が作った童謡・赤とんぼの歌碑がある 2.見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿が出迎えてくれる源頼朝の重臣ゆかりの懐島郷 3.700メートルもの松並木の参道がある鶴嶺八幡宮 4.珍しい富士の景色が見られる場所がある 5.関東大震災のとき、水田の中から忽然と浮き出てきた中世の橋脚 6.サザンオールスターズゆかりのサザン通り商店街 7.多くの人たちから愛される「サザン」ネーミングの秘密 8.烏帽子岩が見えるサザンビーチちがさき 9.伝説の野外ライブが行われた茅ヶ崎公園野球場 第4章 関東屈指の観梅の名所・曽我梅林と富士山、伊豆半島、相模湾の絶景が楽しめる極上ハイキング 神奈川県小田原市 1.関東屈指の梅の名所・曽我梅林 2.日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」に登場する曽我兄弟の故郷 3.後北条氏の時代にはじまる曽我の梅林 4.明治時代、境内で高等教育が行われていた瑞雲寺 5.北条早雲に滅ぼされた大森氏ゆかりの宗我神社 6.曽我物語・工藤祐経襲撃事件の真相とは 7.今もお寺の名前から存在が伝わっている曽我城 8.急坂をのぼれば、富士山と伊豆半島、相模湾と梅林のコラボを満喫できる 9.二宮金次郎ゆかりの塚がある 10.3つからなる曽我梅林のなかで一番広い別所梅林 第5章 壮大な海軍遺産とスタンド・バイ・ミーの気分が味わえる三浦半島の旅 神奈川県横須賀市 1.自衛隊の艦船が見える港 2.今も工場の施設として利用される旧海軍の建造物 3.三浦半島に、かつて水雷技術を習得するための学校があった 4.古い日本映画に登場するような倉庫がある 5.明治・大正・昭和に建造されたトンネルが見える駅 6.倉庫群の中を縦横無尽に走る廃線 7.トンネルの中にも戦争の痕跡が 8.ブルーな海の近くにある横浜DeNAベイスターズ練習場 9.自衛隊や米軍の艦船が一望できる公園がある 10.大ヒットした海外ドラマ「SHOGUN」のモデルが眠る公園 第6章 横浜の涼感スポット・帷子川親水緑道と悲劇の名将・畠山重忠の旧跡 神奈川県横浜市 1.過去と現在の景観との違いを楽しめるのもウォーキングの魅力 2.プチ里山ハイクの気分を味わえる帷子川親水緑道 3.歴史のロマンが生まれそうな白根不動尊 4.開発が進む住宅街に聳える白糸の滝・大滝 5.プチ深山幽谷気分を満喫できる公園がある 6.謀略で殺された悲劇の名将・畠山重忠終焉の地 第7章 かつての東京の奥座敷・綱島は、豊かな森と歴史スポットがいっぱい 神奈川県横浜市 1.70年近い歴史の幕を下ろした綱島温泉東京園 2.創建不詳のミステリースポット・綱島鎮守 神明社 3.地形が興味深い諏訪神社 4.探検ログハウスと古墳が魅力的な綱島公園 5.駅近くに豊かな自然が広がる綱島市民の森 6.中世土豪館の屋敷構えを残す飯田家住宅 第8章 癒しスポット満載! 温泉と芸術の町・湯河原で、心身ともにリフレッシュ 神奈川県湯河原町 1.鎌倉幕府成立に多大な貢献をした土肥実平ゆかりの湯河原 2.クスノキの巨木と五所神社 3.有名な日本画家が名付けた滝がある 4.夏目漱石未完の絶筆「明暗」に登場する滝がある 5.大事件ゆかりの場所と癒しのスポットが共存 第9章 古代の古墳の展示場と関東の高野山をめぐるさわやか散歩 神奈川県横浜市・川崎市 1.発展するベッドタウンのミステリースポット・市ヶ尾遺跡公園 2.壁にノミの跡が残る横穴古墳の玄室 3.古墳のデパート・稲荷前古墳群 4.川崎市制60周年を記念して作られた自然豊かな王禅寺ふるさと公園 5.日本最古の甘柿の品種が発見された関東の高野山・王禅寺
2020年09月26日
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