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先日、ご縁のあった財界人が他界された。 葬儀へ参列させて頂いたが、参列者の様子とその多さから、 故人が沢山の人々に影響を与えていたことが感じられた。 御面識をもたせて頂いてからほぼ1年、 大企業内でベンチャーを立ち上げた経歴をお持ちのその方から教えを請うのはこれからだと思っていたが、残念ながらその時間は与えられなかった。 歴任されてきた役職の数々から、故人が大人物であることは十分に想像が出来る。 ただ、私自身がその方の神髄に直接触れる機会が得られなかったことが、私には残念であった。 御面識をもたせて頂けたことだけでも、幸運だったと感謝すべきなのかもしれない。 今はただ、ご冥福をお祈りするしかない。
2013年02月08日
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ベンチャー経営に関するセミナーに参加した。パネリストはベンチャー企業経営者、ベンチャーキャピタリスト、キャリアコンサルタントで、参加者の質問に対して彼らが意見や持論を展開する形で約3時間続けられた。私は比較的大きな組織に属しており、ベンチャーとは無縁であり、独立・起業するつもりも全くないが、ベンチャーに取り組む人達の空気感を生で感じとりたいと考え、参加した。その場の空気からわかったことは、私はベンチャー、起業に取り組む人達と同じ行動は取れないし、取る気も無いし、何かを成す場として大企業よりもベンチャーの方が善だとも思えない、ということだった。彼等は、自分達が目指している方向に対して、とにかく熱いし、とにかく、行動する。ベンチャーキャピタリストからは、「日本で禁止されていることは、違法とはならない国で事業化し、日本国内を相手に商売する方法もある」という考え方も披露された。ベンチャー企業経営者は、大企業での勤務経験がある人物だが、「大企業は意思決定も行動も遅い、ダメだ」「大企業の人間は使えない」という発言を、繰り返していた。そして、彼は、「メガベンチャー」を目指す、とのことだった。私は、一矢報いる質問をすべく挙手したが、果たせなかった。私の考えを、この場で整理したい。まず、ビジネスの世界においてベンチャーよりも大企業に優位性があることは明らかだ。ベンチャー企業は、大企業が取り組まないニッチに取り組み、成功出来る可能性がある。だが、大企業が取り組んでいることで、ベンチャーに出来ないことは沢山ある。インフラ事業のような、人、モノ、カネに規模が必要な事業は、ベンチャーでは出来ない。逆に、ベンチャーに出来て、大企業に出来ないことは無い。出来ないのではなく、やらないだけだ。大企業に足りないのは、リスクテイクするスピリットだ。リスクと言っても、ベンチャーが背負えるリスクなどは、大企業が本気になれば、いとも簡単に背負えてしまうリスクだ。問題は、小さなリスクを背負うことさえ回避しようとする、保守的なスピリットだ。そこを改め、スピリットを持つ人材を確保できれば、大企業の中でベンチャーはいくらでも起こり得る。また、世の中は、ベンチャーだけでは成立しない。世の中は、ベンチャースピリットを持つ人間だけで成り立っている訳ではないし、そんな人間ばかりでは成り立たない。日々、定型業務を正確にこなし続けることに生きがいを持つ人に、ベンチャースピリットが必要なのかどうか、私にはわからない。だが、世の中を支える仕事は、挑戦心よりも、献身的に、ルールに従って決められた作業を正確にこなし続けることが最重要であるものがほとんどではないだろうか。独立心と創意工夫が、いつも善だとは言えない。最後に、今現在は大企業である企業も、創業当初の時代においてはベンチャーであったものが多い。私は経営大学院で、親元企業よりも大きく成長した企業内ベンチャーの成功要因を研究した。トヨタ自動車、富士通、富士フィルム、積水ハウスは、いずれも当時の大企業内でベンチャー的に立ち上げられた事業だ。パネリストのベンチャー企業経営者が言った、「メガベンチャー」という言葉は、聞こえはいいが、実態はどうなのか。彼は、メガベンチャーの例として、従業員2万人規模の欧州のソーラーパネルメーカーや、台湾のホンハイなどを挙げた。2万人の従業員全員が、何らかの同じベクトルに向かって熱く突進しているとは、私には思えない。生活の糧を得るために、与えられた仕事をこなしているだけの従業員は居るはずだ。「メガベンチャー」という言葉は単なる表現の妙であって、実態は大企業ではないのか。ファーストリテイリングや楽天は、もとはベンチャーだったのかもしれないが、今はどう見ても大企業だ。だからこそ、創業経営者は悩み、英語を社内公用語化するなどの刺激を組織と従業員へ与えているのだと思う。ベンチャーも大成功すれば、いつかは大企業になる。ベンチャーであることが善であり、大企業がいけないのではなく、大企業がスピリットを失っていることがいけないのだろう。大企業全体がベンチャースピリットを持つ必要はない。大企業は、その存在自体が、事業や雇用の規模を通じて社会を大いに支えている。ただ、その中に、わずかでもベンチャーに取り組む人と組織を有していれば、成長の種は生み出し続けられるだろう。大企業とベンチャーは、相反するものではなく、相乗効果をもって社会経済に寄与する関係であるべきだと思う。ベンチャーに取り組む人々の熱意と努力は立派だと思う。だが、新しいことは、大企業にも起こせる。ベンチャーだけが新しいことを興す唯一最善の方法ではないことは、大きな組織から独立してベンチャーに取り組む人々にも、認識しておいて頂きたい。
2013年01月27日
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タニタ総合研究所・谷田大輔氏の講演を聴講した。「コンセプトが企業を変える」と説き、自身が率いたタニタについて、「『体重計』ビジネスから『体重』ビジネスへ」と表現し、事業再定義の発想について語られた。講演の終盤、質疑応答の場において、ある聴講者から、「『体重計』ビジネスから『体重』ビジネスへ」というコンセプトを思いついた手法を教えて欲しいという趣旨の質問がなされた。谷田氏の回答は、「講演の中で十分お話したはずだが、ご理解頂けなかったか。お話しても理解頂けないことがよくある。理解できないのは仕方ないと思うし、理解してもらわなければいけないとも思っていない」というものだった。この講演の中で唯一、私は微笑し、心動いた瞬間だった。これ以外には、笑うような点も、取り立てて感心するような点もなかった。さらに、「既成概念に囚われて、そこから抜け出せない人や組織は、それはそれでやっていくしかない。ただ、それとは切り離したところで、何かを変える新しいことに取り組まなければならない」とのこと。谷田氏は、自らが実践した戦略の、その思想と、具現化のプロセスについて、過不足なく説明していた。過不足なく、適切に。だが、聴講者が谷田氏の戦略の思想を理解できず、「体脂肪計とタニタ食堂が成功した手法は何なのか?」「どうすれば、成功する戦略を思いつけるのか?」というような、まるでハウツー本でも読むような極めて浅い疑問に対する答えを谷田氏に求めたのだとしたら、谷田氏の答えは、このようになるだろう。谷田氏の回答は、質問者の意図を瞬時に読み切って出された、名回答だったと思う。戦略は人に宿る。成功者の話を聞いて、真似できるようなものでは、決してない。
2013年01月22日
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今年は終盤に、再チャレンジ政権ともいうべき内閣が成立した。過去に失敗した政治家に、国民の多数は再度政権を握らせた。それは、消極的な選択の結果であるかも知れない。しかしながら、この選択を、政界、経済界、国民の全てが前向きにとらえ、成功させることが何より重要だ。安倍氏に再度のチャンスが与えられたのは、1度目の機会が比較的若い時に与えられたからであろう。失敗を過度に恐れて萎縮し、若い人にチャンスを与えず、失敗した人を潰してしまう日本社会を変えるためには、安倍氏の再チャレンジを失敗させる訳にはいかない。安倍氏がまた失敗するようであれば、それは、安部氏個人だけの問題ではない。来年こそは、前向きなチャレンジを評価出来る国と国民になるための一歩を踏み出す年になることを祈念している。
2012年12月31日
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政見放送を目にする機会が多い。ある候補者が「私は頑張った人が報われる社会にします」と言っていた。どうして、そんな程度の低い嘘をつくのか?どうして、聞いている方が恥ずかしくなるような嘘を、テレビカメラに向かって平気で言えるのか?自分独りの考えで出来るはずがないことを、手順も示さず、望ましい結果だけを並べ立てるのは嘘つきだ。嘘をつく人間を選ぶよりは、他人と何かを成していこうとする努力が期待できそうな人間を選ぶべきだろう。見つからない場合は、また白票を投じざるを得ない。
2012年12月07日
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東京駅丸の内復元駅舎をメディアで見かける機会が多かった。文化財保存・再生という視点でメディアに取り上げられるケースが多い。だが、JR東日本は、文化財保存のためだけに駅舎に資金を投じた訳ではない。低層の丸の内駅舎が使い切れていない建築容積を、丸の内地区で高層ビルを建てる他社へ売却して資金化するとともに、八重洲口の自社ビル建設の容積に充てたようだ。それらの事業収益の一部を、文化財保存に充てたに過ぎない。そして、保存された文化財は、大きな宣伝効果を生んでいる。JR東日本は、利益を度外視して文化財を保存した訳ではない。文化財は保存されるべきものであり、所有者が保存に努めるのは当然だということでは難しいだろう。社会的に意義のある何事かを、誰かの慈善のみによって成すことには限界がある。社会のために、人のためになされることから、それに取り組んだ人や企業が適正な利益を得ることは合理的である。実施主体に十分な利益が還元されることが、社会的に意義のある取り組みを誘発するという視点を、大切にしたいと思う。
2012年11月12日
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入社2年目の若手と対話を続けている。指導ではなく、対話。彼は、国内では2番目に難関と言ってよい大学から入社した。彼の言動には分不相応な余裕があるが、言行が一致しない。恐らく、これまでの人生では全力を出さなくとも、出来ることだけやれば高く評価されてきたのだろう。ただ、同年代の他人と比べて、ある部分において秀でていたことは、学歴が示している。そんな彼が、私に彼の何かを認めさせようと意気込んでいる。今の彼には魅力を感じない。彼にどんな可能性があるのかは、残念ながら私には見えない。ただ、今の彼はベクトルの向きが正しくないように思う。彼の本質を変えることはできないが、ベクトルの向きを変える圧力はかけたいと思う。今まで加えられたことがなかったであろう圧力に、彼のベクトルは折れるかもしれない。折れたなら、それまで。ギリギリのラインで、彼と勝負したいと思う。
2012年11月06日
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私の目上、目下にかかわらず、他人の話を遮り、自分が話したいことを優先させてしまう人が多いように思う。相手が初対面であろうと、自分の話を優先してしまう。そのような場に同席した場合、とても残念に思う。他人の話からは、学ぶことが多い。よきにつけ悪しきにつけ、自分には無いものが出てくる。それを惜しげもなく遮ってしまう行為を、とても残念に思う。学びの可能性を放棄するのみならず、自らの発散を優先させることで、ますます機会を逸して行く。本物の話し上手というものは、口数が多いことではなく、絶妙なタイミングで、痛烈に他人の心を揺さぶるひと言を発せられることをいうのだと思う。聞き上手であることを常に心がけ、チャンスを捉えて話し上手になりたいと思う。
2012年10月31日
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「XXXでは選挙を戦えない」 運営に行き詰った政党の議員の声、として、報道でこのようなコメントを垂れ流されることが多いように思う。 もし、現職の議員が本当にこのようなコメントを発しているのなら、私は有権者として 「貴方は何のために、何と戦っているのか?」 と問いたい。 次に、 「選挙が戦えない」 ことの理由とされている 「XXX」 には、いろいろなものがあてられているように思う。 時の党首の名前、 スキャンダルを起こした議員への処遇、 政策の是非など。 だが、彼らの言う、 「戦えない」 「勝てない」 の原因は、そんなところには無いと思う。 要は、有権者と信頼関係が出来ているかどうか、ではないのか。 「戦えない」 原因を自分以外の要因に求める前に、 まずは我が身を振り返るべきだ。 そうすれば、 「戦えない」 「勝てない」 と自分が不安になる本当の理由が、正しく理解できるのではないだろうか。 選挙を「戦う」最小単位は、あくまで立候補者個人なのではないだろうか。
2012年10月23日
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ビジネス提案コンペのプレゼンを終えた。体調面にやや不安があったが、伝えたい思いを伝え切り、提案の意図は正確に理解され、評価されるべき点は十分に評価され、自覚していた弱点も的確に指摘された。審査員との議論の場も、相互理解を深めようとする姿勢が双方にあり、とても気持ちのよい時間を過ごせたと思う。弱点をカバーするための施策と、熱意は伝えた。理屈の議論は十分済ませたので、審査結果は、私自身が賭けるに値する人間だと判断されるかどうかに懸かっていると思う。静かに結果を待ちたいと思う。
2012年10月17日
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ビジネス提案コンペと通常業務での企画。両方が停滞期に突入し、動かない。頭と体が内側から痒くなり、対処できない感覚に襲われた。この感覚に耐えて考え抜かなければ、ブレークスルーはやって来ない。糸口が浮かびかかっては、もう少しで手が届きそうで、また消えて行く。神は、予想外の瞬間に突然降りてくる。その瞬間を掴み取るためには、心と体が攀じれるまで考え抜くしかないのだろう。
2012年09月30日
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5月から取り組んでいるビジネス提案コンペ。書類審査を既に通過し、今は1次プレゼンに向けて準備中。予想通り、メンバー間で走る早さにバラツキが見えつつある。コンペである以上、最優先すべきは関門を突破すること。次に重視すべきは、全員で突破すること。突破後のことをイメージしておくことも大事。先を見据えながら、今を全力で突っ走りたい。
2012年09月22日
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近しい親類が亡くなり、法要がありました。読経後の導師のお話に、深い共感を覚えました。「おいしいものが食べられる場所を求めるよりも、おいしく頂く心のありようを求めるべきなのでしょう」人間は、日々、目の前の小さな不安や問題、不満を解消することに勤しみ、解消すれば一時の満足は得られるが、また、不満が生じる。悩みの解消に勤しみ、解消し、また新たな悩みに苛まれる。おいしいものを腹いっぱい食べても、もっとおいしいものを欲するようになる。目の前の悩みや欲求に苛まれ続けるサイクルから脱すること、超越すること。その境地に達することが、人の生きざまを輝かせる原動力となるのだろうと思います。私がビジネスの場で体現しようとしているのは、正にこのこと。短期的な消費者の欲望時流が生み出した消費者の欲望そういうものを満たすビジネスを、私は手掛けるつもりはない。ビジネスにおいても、揺るがないものを創り出すためには、人間の心理、本質を追究することが必要。根本、本質が揺るがなければ、姿かたちを変えて進化を繰り返せば、消えてなくなることはない。命を終え往く者が身をもって、生き残る者に伝えようとしたことを読み解き、常に前向きに生きる原動力を生み出し続けたいと思います。
2012年09月13日
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人生で初めて、入院・手術を経験した。手術の朝、看護師に連れられて病室から手術室へ移動している時のこと。ナースステーションの前を通り過ぎた時、看護師が発した言葉が、「オペ出し行ってきまーす」業界用語なのか、そこに特有の用語なのか。業界人にとっては、日常茶飯事を表す用語であり、何気なく発した言葉であったとしても、聞く人によっては、軽くは受け止められない場合もある。私の場合は、重くはなかったが。業界用語を使うにも、時と場合、誰に聞こえるのかを考える必要があるだろう。
2012年08月31日
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国会で消費増税等が決定された。これにより、国家の財政状態が改善されるか否かは別にして、日本経済が世界から信任を得るためには、やらざるを得ない面があったのだろうとは思う。ただし、これにより、社会保障が不足なく実施される訳でもなければ、国の借金が目に見えて減る訳でもないようだ。「焼け石に水」なら、何もせずに行きつくところまで行ってしまった方が楽なのではないか、とも思うが、それをしてしまうと、日本という国家への信用は無くなる。だが、計画性なく、根本的な問題解決が難しいと解っていながら、とりあえずの対応をしていることはやはり否定できない。そのような悩ましい状況の中、消費増税による国の歳入増を、国の借金返済にではなく公共事業に投入しようという向きがあるようだ。そう主張する人達は、10年間で100兆円単位の「公共」工事を実施したいらしい。どんな大義名分を立てようとも、この状況で収支を度外視して、さらに大金を使おうと声高に主張できる人間には、慎ましい金銭感覚というものが欠如しているとしか思えない。しかも、増税を実施したとしても、本当に税収が増えるかどうかは定かではない。また、公共、公益、防災のために大金を投じて人工物を建設することが、果たして本当に自然の驚異の抑圧や、人の幸福に繋がるのだろうか?この状況で国民の血税を建設工事に大量投入せよと声高に主張できるのは、著しく破壊された金銭感覚の持ち主か、人工物が自然に優り、人を幸福にすると本気で信じている時代錯誤の観念を持った人物であるとしか思えない、あるいは、建設工事が私利私欲に直結する人物であろう。もし解散・総選挙が「近いうちに」実施されるのであれば、このような人物に国政を委ねては、決してならないと思う。
2012年08月14日
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土光敏夫氏に関連する本と、吉越浩一郎氏の著書を読んだ。二人の財界人・経営者が共通して示した、リーダーに必要な条件は、「無私の人」であるということ。これには、私も全く同感であり、私も以前からそう考えてきた。上場企業の経営者や幹部という立場を得る人間は、「無私の人」でなければ、善い経営を行うことが難しくなる局面があると思う。ましてや、不特定多数の他人のために全力を尽くすことが求められる政治家であれば、私利私欲に走るような人間では、到底務まるはずがない。私利私欲のためとは言わないまでも、自分のため、自分がやりたいことをやる、というのでも、果たしてそれが善い政治と言えるのかどうか、よく検証する必要があると思う。政治家は、政治家である以上、ベテランであろうと若手であろうと、どんな地位や立場であろうとも、「無私の人」であるべきだ。しかしながら、政治家を生業としている、飯のタネとしている政治家は、その時点で「無私の人」では居られないのではなかろうか。人のために何かをしたいという思いに駆られて政治家になったとしても、政治家が生計を得るための職業になってしまえば、「無私の人」では居られなくなる。そういう政治家は、政治家でなくなってしまえば失業者だ。そういう政治家は、「無私の人」として国民に奉仕することよりも、自らの職と食いぶちを守るために政治生命を懸けることになる。政治生命を懸けて、誰について行くべきかに全精力を傾けるのだ。「私利私欲の人」達が興じる陣取りゲーム遊びには、もういい加減うんざりだ。機能しない政治家はもう放っておいて、企業や財界が主導して、この国を建て直すことも必要なのではないかと思う。それすら出来なければ、自ら行動する自律した企業はこの国から出て行き、経済界も劣化したこの国の未来は、ますます澱んだものになるだろう。
2012年07月16日
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所属企業の中で配置転換されて10日が過ぎた。9年7か月振りの配置転換。所属する事業部門が変わった。新旧の所属事業は、日経新聞の業種区分では別の業種として区分されているほど異なる事業。職種は営業から企画へと変わった。勤務する建物も変わり、職場環境も人間関係も一変した。所属部門が変わって改めて感じたことは、変わることは、人が成長するためにはとても大切だということ。10年も同じ部門で仕事し、自分は変わらず周囲がどんどん変わっていくと、自分が出来上がってしまうことは避けられない。出来上がってしまえば、成長スピードは鈍る。未経験の事業、職種、組織に移されれば、それまでどんな経験をしていようと、一旦はフレッシュマンにならざるを得ない。年齢や経験に関わらず、フレッシュマンの心構えで、新しい事業の中で自分を成長させたい。3度目の事業転換を、3段目のブースターロケットにして飛躍したい。
2012年07月01日
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ビジネスで成果を上げるためには、他人に厳しくならざるを得ない場合がある。他人に注ぐ厳しさに説得力を持たせるためには、それ以上に自分に厳しいことが必要だ。この場合の「厳しさ」とは、「努力し続けることを求め続けること」である。一人で何かを成し遂げるためには、自分に厳しくあり続けなければならない。チームで何かを成し遂げたいのであれば、自分に厳しいことに加えて、他人にも厳しく接し続けられる気力が必要だ。一人にせよ、チームにせよ、全てのプレーヤーが努力し続けることでしか、評価に値する成果は上げられないであろう。
2012年05月29日
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所属企業のビジネス提案コンペに挑戦することにしました。「自分の運命は自分で決められる力を持つ」という自身の命題を実現すべく、チャレンジへの準備に着手しました。2年近く手掛けてきたプロジェクトが、間もなくゴールを迎えます。一つのゴールを駆け抜けても、力を緩めている時間は無い。千載一遇の好機を逃さず、より大きな命題へとチャレンジしたいと思います。
2012年05月10日
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人が物事を成そうとする時の成否の分かれ目は、単純なことだと思う。他人の話を正しく聞き取り、理解し、咀嚼できるかどうか。他人の話からの知見を応用できるかどうか。「進むべき方向」「やるべきこと」「手順」を間違えずに選択できるかどうか。実行する決断が出来るかどうか。決断したことを実行できるかどうか。つまり、事を成すためには、理解力、応用力、構想力、決断力、実行力が必要だ。どれか一つが欠けていては、事はなせないだろう。一人で全てを備えていることがベストだが、場合によっては、それぞれに秀でた人間がチームを組んでも上手く行くのかもしれない。その場合、各人が持っている能力と、置かれた立場の整合が必要だ。事を成すのは、容易ではない。だからこそ、やりがいがあるのだろう。
2012年04月02日
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人や、人が成した事を評価する際には、多面的・多元的な評価が必要である。評価者の独断に基づく評価と、事を成した当人の主張、当人以外の第三者の見解には、差異があることが多い。いずれかの情報だけでは、正確な評価は下し難い。事を成した当人の真意と、出来るだけ多くの第三者からの見解を聞くことが出来れば、評価者の独断に基づく評価を客観的に見直すことが出来るだろう。人や、人が成した事を正しく評価することは難しい。誤った評価を下さないよう、多面的・多元的な情報の収集と、客観的な視点に基づく判断を常に心がけたい。また、翻って、自分自身が他者から多面的・多元的な評価を受ける対象であるということも、常に忘れてはならない。
2012年03月25日
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テレビ番組で、ある看護師から発せられた「プロフェッショナルとは」という問いに対する答え。「何が起こっているのか。 それは何なのかという物事の本質を見極めて、 よりよいものを追求し続ける人。 そして、そのことによって人々を幸せにすることができる人」私の考えと、完全に一致しています。ただ、私の中では、ここまでまとまった文章に出来ていなかった。雲のような思いとして存在したものが、スッキリまとめられ、文字として見せてもらった、という感覚。ここまでクリアに表現出来る境地に至るまで、この文章を発した人には相当な苦難と向き合って来たはず。この文章を、心に刻みます。
2012年03月12日
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人や企業が生き残るため、より良く生きるために、変化していくことは必然だ。重要なことは、変化するということ自体ではなく、望ましい方向へと変化をコントロール出来ることであり、「望ましい方向への変化」とは何なのかを考え続けることだろう。「変化=より良くすること」という思考回路を持てるようになれば、変化を求めることは必然となる。心得ておくべきことは、現状への満心、変化を厭う怠惰な心に溺れないよう、常に自己を律する必要があるということだろう。そして、経営者においては、変化を恐れ、今、自分が手にしている小さなものに拘り、それを守るために汲々とするようなことは、絶対にあってはならない。
2012年03月08日
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国政運営にせよ、企業経営にせよ、失敗の本質は、指導者が物事の本質を解せないことにあると思う。物事の本質が見えないから、因果関係が理解できず、状況を正しく判断出来ず、打ち手と手順を間違える。このサイクルを繰り返すうちに、みるみる傷が深くなり、やがて破綻する。当の指導者は、物事の本質が見えないから、失敗しても反省しない。失敗であったことさえ、認めない場合もある。物事の本質が見えるか見えないかは、属人的資質に懸かっていると思う。本質を見極める能力は、感性に近いものがある。見える人が見えない人に、短期間で教え込めるものではない。コツやテクニックでどうにかなるものではない。だから、間違った指導者を選んでしまった時点で、政策や事業が失敗する確率は格段に高くなる。首相は、大臣の任命において間違えてはいけない。株主は、経営者の指名において間違えてはいけない。経営者は、プロジェクトリーダーの指名において間違えてはいけない。国民は、自分たちの代表者である議員の選択において間違えてはいけない。あらゆることの成否は、当事者が物事の本質を解せるかどうかに懸かっている。指導者選択の誤りに基づく失敗の責任は、いずれ選択した側が負わざるを得ないことになるだろう。
2012年02月22日
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橋下・河村両市長が、「減税よりも行政システム変革の議論が先」との合意をしたとのこと。この合意のきっかけは、減税を前面に掲げる河村氏を橋下氏が批判したことだったようだ。橋下氏によるこの批判と、その後の両氏のこの点における合意は、真の合意であるならば実に意義深いものだと思う。「減税日本」の河村氏に物事の正しい順序を理解させたことに意義がある。「看板」である「減税」を一旦置くことを承服した河村氏も、この点に関しては思慮がある人物だと思う。現在の税収や年金保険料収入を現在の年金支払いに充てている「自転車操業」の年金ルールを続ける限り、世代別人口構成が「年金の支払い原資を負担する人 < 年金を受け取る人」へと向かって行く日本社会においては、減税の実施は困難であり、「減税日本」は、看板倒れに終わる。現在の年金制度下における消費税増税等の政策は、社会の実態に合わなくなったルールを延命させるための、「焼け石に水」に過ぎない。破綻が確実なシステムに対して、この国の政治家と官僚は、どこまでも縋りつこうとしている。現行の年金システムは、少子高齢化が進む限りは、必ず破綻する。その局面において必要な戦術は、増税でも減税でもなく、「社会システムの変革」である。金がもっとかかるのか、かからないのかは、どういうシステムを回すのか次第だ。今のシステムが破綻することは間違いない。この点については、橋下氏は正しい手順を認識していると思われる。橋下氏、河村氏ともに、正しい状況認識のもと、正しい打ち手を、正しい手順で実行してもらいたい。そして市民は、彼らが誠意を持って正しく行動しているか否かを、常に監視し続けることを忘れてはいけない。
2012年02月05日
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先日、ニュース番組で、昨年の大阪府における「ひったくり」発生件数が、47都道府県のうちで最多であった、との報道があった。また、一昨年は千葉県に譲った発生件数「ワースト1」の座に、大阪府は復帰したとのこと。そして、特別態勢を組んで「返上」に取り組んだ千葉県は、「ワースト1」を「返上」したとのこと。さて、このニュースには、何の意味があるのか?「ひったくり」への注意喚起なのか?「大阪府はひったくりが多い地域である」ということを周知したいのか?「千葉県はひったくり減少に注力している地域である」ということを伝えたいのか?「ひったくり」について各自治体警察当局が取り組むべき姿勢は、「撲滅」であるべきで、他の自治体と比べて多いか少ないかを評価することに意味は無い。「ひったくり」の発生件数を比べて、一体何を評価したいのか?なぜ、人口あたりの発生件数で比較しないのか?例えば人口が100万人の都市と、10万人の都市を比べて、どちらが「ひったくり」の発生可能性が高いのかを評価する場合、発生件数で比較するのは明らかな間違いである。そして、「ワースト1」に復帰したとか、返上したとかいうことは、ニュースにして声高に報道する必要がある話しだとは到底思えない。マスコミがこのような数字のまやかしを声高に垂れ流すのは、いかがなものかと思う。視聴者には、マスコミによる数字のまやかしを見抜く力が求められているのだろう。
2012年01月17日
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人が成長するために捨てるべきものは、主観的な自負の心だろう。自分は他人より優れている。自分は他人より頑張っている。自分は他人より苦労している。自分は他人より物事を深く考えている。自分は他人よりいいことを言っている。・・・・・・。その他、こういった類の自己評価は、数え上げれば切りがない。これらの主観的自己評価の正当性を確認する手立ては無い。世界の全ての人の中で、自身がどの程度優っているのかを客観的に測ることは不可能だ。これらの主観的自負心を糧にしている人にとっての、自分との比較対象は、せいぜい身の回りの知人や同僚程度であろう。狭い世界でしか、ものを考えていないことの表れである。そういった人の多くは、例えば有名経営者などの、大いなる苦労を経た成功者は自分との比較の対象にはしない。別世界の人間だ、と割り切ってしまう。戒めるべきは、独り善がりな自負心と、都合の悪い現実からの逃避である。自己客観視なくして、成長はあり得ない。
2012年01月12日
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「日本のエリートたちの、現実を直視する力が衰えているように思います。決断のできない優柔不断と、希望的観測に頼る傾向はおそらく同根の弱さではないでしょうか。」「第二次大戦中、旧日本軍のエリート参謀たちは、補給の続かない無謀な作戦を立て、連合軍に挑むケースが多々ありました。そうした作戦計画を支えていたのは根拠のない「必勝の信念」だったり、過度な希望的観測だったりしたわけですが、そうした愚かな作戦の下で、筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めさせられたのは、第一線の下士官・兵士たちでした。」以上は、ケビン・メア氏による『決断できない日本』の中で、強く共感した記述。第二次大戦当時の旧日本軍・指揮官レベルの意思決定の問題については、有名文献である『失敗の本質』とメア氏の見解は同質だと考えられる。また、現代日本のエリート達の弱さについては、エリート達による「想定外」「私は~であると信じている」といった発言や、政治レベルでの意思決定の優柔不断さや審議の停滞から容易に見てとれる。日本の政治経済を建て直せるのは、世襲や学歴を裏付けとして人の上に居る人間ではなく、見識と思想、品格を持ち、自らの意志と使命感で動く人間であろう。そして、自身がそのような人間になろうとするか、もしくはそういう人間を育てて自分たちの代表として選出することに真剣に取り組むことが、日本国民の義務である。国民にその意識が無いのであれば、日本の政治経済の建て直しは不可能であろう。
2012年01月09日
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今年は沢山の経営者と出会い、話す機会に恵まれた。近年、テレビで頻繁に取り上げられた経営者と3時間近く話し込んだこと。事業再生の世界で著名な経営者の隣で、酒を交わしながら話したこと。本屋を再創造した経営者に、イノベーションについて私見を話したこと。これら以外も含めて、経営者と出会い、話をする機会は、一介の平社員サラリーマンに過ぎない私にとっては、いずれも貴重な経験となった。この経験を、未来のある時点において、過去の思い出にしてしまうのか、未来のその時点の「今」において進行形で生かし続けられているのかは、今以降の自分の生き方次第である。そして、今年は、過去を今に繋げることが出来た。一つは、大学時代の恩師に大学院で再会し、修士論文を評価して頂き、教授と学生から、研究者と実務家としての関係にブラッシュアップ出来たこと。もう一つは、新入社員の頃に、わずか9カ月間だけ仕えた元上司から、修士論文への協力を受けるとともに、元上司の赴任先で、その元上司の配下を去って以来の再会を果たし、元上司の夫婦と酒を酌み交わしたこと。どちらも、その時点の「今」であった、学生時代、新入社員時代には、想像出来なかった未来。未来のことなど考える余裕もなく、その時のことに精一杯だった過去。過去が今だったその時は、恩師、元上司とも、その時の関係でしかなかったと思う。未来に繋がるとは考えず、そして、未来に繋げようという意志は無かったように思う。ただ、その時はその時で、その時の「今」に一生懸命だったとは思う。過去を今に繋げること、未来に繋げるべき今を意識するようになったこと。どちらも、大学院生として母校で再び学んだことが、全ての始まりだと思う。「今年」という概念は、人が作った単なる時間の区切りでしかないと思う。過去も今も未来も繋がっている。「来年」という時間の区切りの中においても、過去と今と未来を繋げ続ける努力を惜しまないつもりだ。
2011年12月31日
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ある国会議員が、首相との面談結果について報道記者からインタビューを受けているシーンをテレビで見た。ある事柄について首相は理解を示したのか、という問いへの議員の答えは、「首相は理解されたと私は信じている」というものだった。「私は信じている」という答えは、「首相は理解を示したのか」という問い対して、答えになっていない。議員の私見を示したに過ぎず、さらに酷いことには「私は信じている」という、願望に基づく信念、もしくは極めて自己都合の解釈を披瀝したに過ぎない。「私は信じている」「私は成功だったと信じている」「精一杯努力したつもりだ」このような発言を、政治家や経済界や企業の上層部から聴くことが多い。政治や経済を動かす人間に、自己満足や主観的評価はいらない。危機時におけるリーダーに求められるものは、客観的かつ正確に事態を理解し、事態を率直かつ正しい表現でメンバー伝え、正しい手順で問題に対処できる能力であろう。人の上に立つ人間から聞こえてくる自己都合や自己弁護、自己保身、言い訳の言葉はもう沢山だ。
2011年12月27日
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「心が折れる」という表現を、時々目にする。「心が折れる」とは、どういうことなのか?心とは、「折れる」ものなのか?この言葉が発せられるのは、何かを諦めた人が、何かを諦めた時ではないだろうか?そして、諦めた理由を、自分自身にではなく、「心が折れた」という、目に見えない、明らかに出来ないものに求めていないだろうか?「心が折れました」という言い訳をしない人間でありたいと思います。
2011年12月22日
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テレビの歌謡番組で、「何気ない毎日に問題提起する曲」というように紹介をされた歌がいくつかあった。ここでまず気になったのが、「何気ない毎日」とは、どういうことなのかということ。特に思い悩むことなく、日々、漫然と時間を過ごしていることなのか?毎日、同じ生活パターンを繰り返していることを言っているのか?「何気ない」とは、どういうことなのか?そして、「何気ない毎日」に問題提起する曲だと紹介されたものの一つが、「人間失格」という曲。有線放送を聴く習慣が無いため、事実かどうかは分からないが、この曲のリクエストが多かったようだ。この曲を聴いたのは初めてだが、私には心に訴えるところはなかった。「人間失格」というタイトルは、大上段に構え過ぎていると思う。この曲は、人の煩悩に基づく行為や悩みの数々を例示している。そういう例示をわざわざ歌にして万人に聞かせるのは、あまり物事を考えず、「何気なく」日々を送っている日本人に、何かを気づかせたいということなのか?それにしても、この曲はいろんなことを指摘した上で、「泣けばいい、それでいい」というようなことを言っているが、誰に向かって、何をどう訴えようとしているのかが、私には分からない。そして、この曲が、もし話題になっているのだとしたら、その理由が私にはわからない。この曲の歌詞に書いてあるようなことを日々問い詰めて生きていれば、わざわざ歌にして聴かせてもらいたいとは、微塵も思わないからである。歌ぐらいは、明るく前向きなものを聴きたいと、私は思う。
2011年12月11日
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先日、ある政令指定都市の区長公募についての街頭ポスターを目にしました。職業の選択肢として、そういうものも可能性ゼロでは無い時代が来たことを実感しました。
2011年12月09日
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先日の大阪ダブル選挙は、私の期待とは異なる結果であった。改革の成否は別として、変化が起こるであろうことには、一定の期待感も持っている。しかしながら、橋下新市長が発した「改革の最終ゴールは大阪都の成立」という言葉には、全くもって賛同できない。改革の目的は、「大阪都」なる自治体を成立させることではなく、自治体の経済を立て直し、その自治体で居住や就労している人々に資する地方政治システムを整備、運用させることである。そのシステムは、必ずしも「都」という形を取るとは限らず、今のまま、あるいはまた違った行政区分でも可能かもしれない。橋下氏と大阪維新の会関係者には、選挙結果を「完全な民意」として捉え、独善的な思想で強行するのではなく、柔軟な姿勢で地方自治システムの立て直しに取り組んでもらいたい。大阪府庁移転の失敗などを踏まえると、橋下氏の政策には成算が低いものも少なくないと考えられる。今回の大阪ダブル選挙の結果は、橋下氏と大阪維新の会のこれまでの実績を評価したというよりは、「現状を変えることへの期待」によるものであったと考えられる。改革の目的を間違うことなく、期待に応える政治が彼らに行えるのか、注視したい。
2011年12月04日
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「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。」井上靖さんによる格言だそうです。本当に、その通りだと思います。
2011年12月01日
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大阪で同時に行われる二つの首長選挙に対しては、・大阪市長は、変革者に一度託してみることで市政の変革を試す・大阪府知事は、独裁者の手先の当選を阻止し、向こう4年間は財政再建に努めるという結果を期待したい。「橋下徹知事」「大阪維新の会」により、大阪府政がどう改革されたのか、見ていてよく分からない。その状況で、「大阪都構想」を推進するのは無理がある。そして、強烈なリーダーに牛耳られた「操り人形」達の集まりである「大阪維新の会」に政権を完全掌握させるのは、あまりに危険すぎる賭けである。ただし、大阪市政の改革は必要であり、それには変革者の力が不可欠だろう。「大阪都構想」の推進は、大阪市単独の改革を進めてからでも遅くはない。
2011年11月26日
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プロ野球・日本シリーズの勝敗が決した。勝敗の差を分けた要因のうち、影響が大きかったものは・戦力(選手の能力)・戦力の調子(選手の調子)ではないかと思う。野球の試合に限らず、人が勝負を決する事柄においては戦略 × 戦力 × 戦術 × 戦力の調子 × 時局の流れ = 結果を導出する力という因果関係が成立すると思う。監督の戦略と戦術に長けるドラゴンズよりも、戦力と戦力の調子において勝り、戦局の中で戦略と戦術を柔軟に修正したホークスの方が結果を導き出す力に勝っていたのは、試合を見ていれば十分にわかった。いずれかの要素が強大であれば、そのパワーだけでも相手を勝ることはあるかもしれないが、まず、目指すべきは、全ての要素について高い水準でのバランスを確立することであり、それらの掛け算により最高の解を目指すことであろう。日本プロ野球の頂点を懸けた決戦は、やはり、戦略と戦術だけでは勝てない、と感じた日本シリーズであった。
2011年11月21日
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プロ野球・読売巨人軍の取締役による告発は、その手法に大いに問題があると考える。「コンプライアンスに関する重大な問題」「球界の信頼を損なう行為の告発」に関する記者会見実施の予告は、上場企業である日本テレビの株価を下げたが、会見の内容判明後は、回復した。つまり、証券市場参加者には、企業経営に対して「重大な問題」とは評価されなかったのだろう。私の見解も、会見を開いた取締役の主張は、自身がわだかまりを持つ事象について、自分本位の解釈の披瀝でしかなかったと考える。つまり、当該取締役は、我慢出来ない個人的な不満を、「コンプライアンスの問題」「球界の信頼を損なう問題」と曲解し、正義感を持って巨悪に立ち向かうかのように振る舞ったに過ぎないだろう。株式市場を混乱させ、日本シリーズ直前の球界に無用な騒動を起こし、自分本位の主張を行うために文部科学省を動かした当該取締役の愚行には、呆れるばかりである。
2011年11月12日
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NHKの番組で、三谷幸喜氏が次のようなことを語っていた。「作品がクランクアップしたら、(スタッフや役者などの)皆さんは飲みに行ったりするのかしれないが、僕はまっすぐ家に帰る。クランクアップしたからと言って、何を成し遂げたわけでもないから」「僕の中でプロフェショナルとは何なのかは明確にあって、自分がやりたいことをやるのではなくて、人が自分に期待することをやるのがプロフェッショナル」この二つの発言は、聞いた瞬間に、物事の区切りについて同じ考えを持つ私にとって非常な励みとなり、かつ、プロフェッショナルを目指す私にとって常に念頭に置くべき考えとして、脳裏に刻まれた。政治も経済もプロフェッショナルではない人が動かしているケースが多いと思われる現代日本社会において、一矢報いるべく努力を続けたい。
2011年11月07日
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現在参画しているプロジェクトが苦境に陥っている。当初から難航が予想されたプロジェクトだが、想定以上の苦境に陥っている。ここに至った要因は、いろいろとある。今、プロジェクトメンバーがなすべきことは、リカバリー。私がすべきことは、リーダーとしての資質とメンバーからの信頼に乏しいプロジェクトリーダーを補佐し、リカバリーへの道筋をつけること。しかしながら、身動きが取れない。阻害するものは、リーダーに対する積年の不信。リーダーへの不信感が原因でアクションを起こせない自身に限界を感じると同時に、人は感情の生き物であり、ビジネスは多分に人の情に影響されるものであると、改めて感じている。
2011年11月01日
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落合監督退任発表以降の中日ドラゴンズの快進撃が止まらない。リーグ優勝まで、あと一歩のところまで来た。落合監督退任発表直後、朝日新聞に「シーズン途中での退任発表が正しかったのか間違っていたのかは、来季以降に明らかになるだろう」という趣旨の記事があった。それを読んだ時、「なぜ、明らかになるのは来季以降なのか?」と疑問に思った。そして、今、周りからあれこれ私見を投げ放っている傍観者ではなく、当事者である選手と落合監督自身が、「正しかった」ことを証明しようとしていると思う。監督も選手も、来年以降のために今を戦っているのではない。今の戦いは、第一義には、今シーズンの結果のためではないだろうか。もちろん、今が未来につながる部分はあるが、プロである以上、毎年、その年の結果が問われるものだ。落合監督退任発表が、選手の心に影響を与えたことは間違いないと思う。ただし、それがどんな影響を与えたのかは、私にはわからない。しかし、今の快進撃を見る限りでは、正の影響を与えているのではないかと思う。監督が代わればチームは変わる。監督が同じでも、チームの内部要因や、外部要因次第で結果は如何様にでも変わる。来季のことは、今は分かるはずもないし、分かる必要もない。退任発表の是非を決めたいのであれば、今シーズンの結果が全てではないかと思う。決して、来季以降に答えを求める必要は無いだろう。
2011年10月13日
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1年半の修士課程を修了し、学位を取得した。修士の学位を持つことで何かが変わると思い、最初に志したのは約10年前。その時は、恩師の忠告もあり思いとどまった。8年後、機が熟したと考え、出願。10年後、学位を取得したものの、それで何かが変わるとは全く思っていない。むしろ、何かを変えるための一歩にしか過ぎないと考えている。この1年半で、変化に対するポジティブな姿勢は強まったように思う。何かを変えるためには、この先も努力し続けるしかないと思う。間をおかずに、次のチャレンジを始めたい。
2011年10月02日
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落合監督退任について、メディアからは様々な解釈が発信されている。憶測なのか、確たる情報に基づいているのかわからないが、様々な見方がされている。理由は様々だが、最終的にはフロントの意に沿わない落合監督が退任に追い込まれたとの見方が多いように感じる。私は20年来の中日ドラゴンズファンだが、今回の退任には納得している。落合監督の業績は、申し分なく、この8年間、ファンとして十分満足させてもらった。ただ、いつまでもこの状況が続くはずはないとも思っている。1993年のシーズン中、オフに初導入されるFAについて「オレには関係ない」とコメントしていた中日の4番・落合選手が、シーズンオフには「初めて1億円プレーヤーになった自分が、最初のFA選手にならなければいけない」としてFA宣言し、巨人へと去った。ファンとしては、その時は、大変残念だった。落合監督は、今後、他チームで監督を引き受けるかもしれないし、いずれまた中日の監督をするかもしれないし、もうしないかもしれない。それらは全て、球団経営者や落合博満氏自身が考えて決めることであり、第三者があれこれ理由を詮索する必要はないことだろう。恐らく、当事者こそが、誰よりも考え抜いた上で決めたことなのだから。
2011年09月25日
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修士論文の審査結果は合格。ここまで全力で走ってきた大学院生活のゴールテープをまもなく切れることが確定し、安堵の思い。入学した頃は、とにかく卒業までの1年半を早く乗り切りたい思いで一杯だった。学ぶということがどういうことで、学びが自分に成長をもたらしたことに気づいたのは、入学から1年近くが過ぎた時点。正味5カ月間の修士論文作成過程では、自身の気力と体力を試すことが出来、多少の自信は得られたように思う。その結果、早く突破したかったゴールテープが、新たなスタートラインに変化したように思う。卒業が、ゴールから通過点に変わった。暫しの休息後、次のステップへとまた挑戦したいと思う。
2011年09月18日
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今日は、テレビ等にもよく出演している、有名なジャーナリストの講演を聴いてきました。感じたことは、このジャーナリストとは、現実を取材し、伝える人であって、新しい価値創造する人ではない、ということでした。著名な人物であるから、発信力は高い。現実を見つめ、向き合い、強い精神力で伝えようとしていることは、見ていてわかる。ただ、話を聞いていて何か物足りないと感じたのは、イノベーションの必要性を指摘するだけで、自らがイノベーションのアイデアを提示していないから。もし、ジャーナリストが伝えることだけに長けた人の仕事なのであれば、安易にジャーナリストを政治家にすべきではないと思いました。
2011年09月13日
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修士論文の審査会を終えました。大学院生活の集大成の場でしたが、いい思い出と言える経験になりました。論文作成のプロセスには、学びや気付きがありました。同時に、もがき、苦しみ、まるで無間地獄に陥ったかのような気分になる時間帯がありました。それでもなお、気力と体力を奮い立たせて、前向きに取り組なければ、永遠に完成しない。そして、最後に気づいたことは、論文はどれだけ書いても、完成しないこと。全てを明らかに出来る論文などあり得ない。必ず課題が残るもの。残された課題に、引き続き真摯に取り組まなければ、ただの言いっ放しになってしまうこと。論文は提出したが、それで世の中にある何かの課題を解決した訳ではない。実務の中での、さらなる努力が必要。大学院生活から得られたもので最も価値があるものは、学位や知識ではなく、いたずらに達成感に浸らずに課題に前向きに取り組み続けられる胆力なのかもしれません。
2011年09月11日
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最大派閥の領袖の支持を取り付け、横綱相撲のつもりだった海江田氏。 小沢詣で。 マニュフェスト見直しの与野党合意撤回の示唆。 党執行部人事を小沢・鳩山に任せるとの意向。 海江田氏自身の信念は全く見えず、首相の椅子欲しさの愚行にしか、私には見えなかった。 菅直人がやりにくい上司だということで見せた涙。 一般企業で、やりにくい上司の下で苦労しているからと泣くような人間が、社長になどなれるはずがない。 周りの人間は、ちゃんと見ている。 そんなことで泣くような人間に社長が務まるかどうかわからないほどバカではない。 プロフェッショナルは、自分の力不足を外部要因のせいにはしない。 プロフェッショナルは、どんなにやりにくい上司の下でも、どんなに不利な条件の下でも結果を出そうと全力を尽くし、本当に結果を出すからこそプロフェッショナルだと周りから認められるのではないか。 どんな環境であれ、自己弁護の涙を流すような人間は、プロとは呼べない。 そんなアマチュアを議員に選んだ国民も反省すべきであり、 数の論理だけで首相にしようとした民主党議員は猛省すべきだ。 しばらくは、野田氏の信念に期待したいと思う。
2011年08月29日
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民主党の代表選立候補者の小沢一郎氏詣で。 候補者達が相次いで、小沢氏の党員資格停止措置の取り消しを示唆。 菅直人を辞めさせたがっていた人間達がまずやったことは、小沢氏詣で。 菅直人は、本当にダメな首相なのか? 泣きたかったのは海江田氏ではなく、菅直人の方だろう。私がずっと指摘してきた疑問の答えが、判明しそうな気がする。 まず小沢氏にベクトルを向けるような人間に、まっとうな国政など出来る筈がない。
2011年08月19日
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あるテレビ番組で「リーダーが悪い、決断力がない」と声高に言い捨てている、インタビューの声が流されていました。声だけだったので、このコメントが演出なのか、インタビューでの本物の回答なのかはわかりませんが、私が思ったことは、「そこまでわかっていて、そこまで言い捨てるのであれば、なぜ、あなた自身がリーダーにならないのか?」ということ。そこまで声高に言い捨てられるのは、自身が背負う気は皆無であり、自身は無責任な発言をする人物であることをあからさまにしているだけでしかない。日本を悪くしているのは、裸の王様ではなく、批判だけ、場外乱闘だけで、実のあることが何一つ出来ない人達の方だと思います。
2011年08月15日
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関西の地方自治体の首長選挙で、知事政党の候補者が当選しました。投票率は39%台とのこと。つまり、概算で当選者の最小支持率:当該自治体の全有権者数×39%×51%=全有権者数の約20%当選者の最大支持率:当該自治体の全有権者数×39%×100%=全有権者数の約39%となり、当該自治体の全有権者の20~40%程度の支持により当選したことになる。これをもって、当選者は、「民意により支持された」と、自己の正当性を主張する。投票を放棄した全有権者中60%程度の意向については、触れられないままに。一方、自らの権利と義務を放棄し、意思表示をしなかった有権者には、政治に対する意思が無いのか?参政権という納税者の権利と、投票行動という有権者の義務を放棄した人達には、時の政権、政策の是非に対して意見できる立場は無いと、私は思う。賛同できる候補者が居ないのであれば、有権者は白票を投じてでも自らの意思を表明すべきだと考える。有権者は、政治に求めるだけではなく、自らの意思を表明し、それに対する結果責任を真摯に負う必要があると、私は思う。他人任せや、他人のせいにする時代は、そろそろ終わりにする必要がある。
2011年08月08日
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