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記憶のかなたから蘇って… 唐突ですが、昭和のナンバーを1つ。先日、外出先(というか、いつも昭和歌謡がBGMで流れているお店での話です)で、どこか聞き覚えのある昭和の曲が流れてきました。 “都会は海、人は砂漠、愛は蜃気楼”、“あなたの心の中に、傷一つも残せないで愛と呼べるはずもない、絡んだ定めの絆~”。う~ん、何という曲だか思い出せないのに、なぜだか歌詞は次々と脳裏に浮かびます(口ずさみはしませんでしたが)。結局、スマホで歌詞を検索してようやく思い出しました。野口五郎の「19:00の街」です。 往時の映像もご覧ください。ハンサムで歌もうまいとくれば、言うことなしといった感じです。 折角ですので、映像をもう一つ。ギターを手にして「19:00の街」を歌う野口五郎の姿もお楽しみください。 余談ながら、後で気づいたことなのですが、スマホで検索しなくても、歌詞を思い出し続ければ、“滲むように浮かび上がる19:00の街”と出てくるので、検索しなくてもよかったわけです。まあ、その時は気になって仕方なく検索してしまったわけですが(苦笑)。 ゴールデン☆ベスト 野口五郎 [ 野口五郎 ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”お願いします! ↓ ↓
2024年06月02日
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新年早々、大きな地震に航空機事故と決して明るいとは言えないニュースが続いています。新しい年を景気よく始めたいと思っていたのですが、ひとまずは応援ソングということで、中島みゆきの「ファイト!」です。 東日本大震災の直後にも一度アップした(過去記事参照)のですが、とっくにリンクも切れているので、あらためて本記事とします。 能登半島地震ではまだ救出活動も続いていて、という状況ですが、音楽ができることはと言えば、それを聴いた人に元気や勇気を与えることぐらいです。この記事が何かの役に立つかどうかはわかりませんが、取り急ぎ更新する次第です。 ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2024年01月03日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その27) 今回も日本の楽曲を取り上げたいと思います。浜田省吾は1970年代から活躍しているシンガーソングライターで、ライヴ活動やCD制作に力を入れ、テレビなどにはほとんど出てこないアーティストとしても知られています。 「MIDNIGHT FLIGHT-ひとりぼっちのクリスマス・イブ」という今回の曲は、1985年に発表されたミニアルバム(『CLUB SNOWBOUND』という、表題からもわかるように、ウィンター・シーズン向けの企画でした)に収録されていました。 さらにその数年後、セルフカバー作(1989年の『Wasted Tears』)が発表された際、この曲も収められました。ヴァージョン違いの「MIDNIGHT FLIGHT-ひとりぼっちのクリスマス・イブ」もお聴きください。 悲しげなナンバーではあるものの、筆者的にはクリスマスシーズンを思い起こす曲の一つだったりします。最後に、これまた本人の姿は登場しないのですが、ライヴ音源のものもお聴きいただこうと思います。 [収録アルバム]浜田省吾 / 『CLUB SNOWBOUND』(1985年)浜田省吾 / 『Wasted Tears』(1989年) WASTED TEARS [ 浜田省吾 ] CLUB SURF & SNOWBOUND [ 浜田省吾 ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”お願いします! ↓ ↓
2023年12月20日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その26) さて、再び趣向を変えて、あらためて本邦のクリスマス・ソングです。谷村新司が1991年に発表したアルバムに収録されていたナンバーで、「Christmas Kiss」をお聴きください。 周知の通り、今年(2023年)10月に谷村新司は74歳で亡くなられました。若い頃は堀内孝雄とともにアリスとして人気を得て(解散はせず、後に活動も再開)、1980年代以降はソロとしても活躍し、さらには様々なコラボ企画などにも携わりました。 そのようなわけで、アリスの代表曲の一つでもある「チャンピオン」、ソロの代表曲で、紅白歌合戦で5回も歌われた「昴」、さらには、24時間テレビのテーマ曲として作られ、加山雄三とコラボした「サライ」の3つを続けてお聴きください。 クリスマスシーズンということで、「Christmas Kiss」を思い出すと同時に、あらためて谷村新司のご冥福をお祈りいたします。[収録アルバム]谷村新司 / 『君を忘れない』(1991年)←Christmas Kiss収録。 【中古】 君を忘れない/谷村新司 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年12月18日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その23) きわめて個人的な話で恐縮ですが、都内でよく行く定食屋さんに、いかにも昭和の趣といった場所があります。そして、そこで流れているBGMが、いつ行ってもこれまた“ザ・昭和”なのです。そして、数日前に行った時には、このシーズンらしくクリスマス・ソングが流れていて、ひょっこり耳にしたのがこの曲でした。森川美穂の1987年のナンバーで、「クリスマスはどうするの?」です。 正直なところ、当時の大ヒット曲などというわけでもなく、上記のお店で耳にしなければ、今年のクリスマスシーズンにこの曲を思い出すことはなかったと思います。それなのに、お店を出てからは、頭からこの曲が離れなくなってしまいました。曲調も昭和的な感じのところがありますが、こういう元気なクリスマス曲を思い出すのも悪くない、といった気分になりました。 さて、ご本人出演の動画ももう一つご覧いただきましょう。こちら映像の方は、テレビ番組でオンエアされたもののようです。 [収録アルバム]森川美穂 / 『ヌード・ヴォイス』(1987年) 【中古】ヌード・ボイス / 森川美穂 (帯なし) 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2023年12月15日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その17) 気がつくと12月も1週間ほどが過ぎました。今年もあとわずか。クリスマスも近づき、街中ではクリスマス・ソングをよく耳にするようになりました。そのようなわけで、ここからは、クリスマス関係の“いま聴きたい曲”をお届けしたいと思います。 でもって、最初は景気のいい曲調のものをと考え、いろいろ思い起こしてみました。そうしていると、この曲の存在を思い出しました。プリンセス プリンセス(PRINCESS PRINCESS)の人気絶頂期のアルバム『LOVERS』に収録された楽曲です。 プリプリのことは知っていても、少しマイナーなこの曲は知らなかったという人も中にはいらっしゃるかもしれません。CMソングとして使われていたような気もするのですが、シングルとして発売はされなかったナンバーです。このグループにとっては珍しい(唯一の?)クリスマス・シーズン曲ということになります。 もう一つの映像は、往時のステージでの様子をご覧いただこうと思います。1990年、横浜アリーナでのツアーのステージの模様です。 [収録アルバム]PRINCESS PRINCESS / LOVERS(1989年) 【中古】 Lovers/プリンセス プリンセス 【中古】 LOVERS/CD/CSCL-1044 / PRINCESS PRINCESS / ソニー・ミュージックレコーズ [CD]【メール便送料無料】【あす楽対応】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2023年12月08日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その10) 去る2023年11月12日にKANが亡くなられたと報道されました。1962年生まれ、本名は木村和(きむら かん)。難病による闘病の末、61歳の若さでの逝去でした。 1987年にデビューした彼は、1990年発表の「愛は勝つ」が翌1991年に大ヒットしたことで知られます。筆者の守備範囲とは少し違うのですが、時代を風靡した1曲ということで、お聴きいただきたいと思います。 時期的にはバブル期からちょうどバブルがはじける辺りのタイミング、平成の最初の頃で、よくも悪くも明るい世の中でした。そんな中、一時はどこに行っても街中でこの曲を耳にするような感じでした。往時の姿をご覧ください。 また、この曲がエンディングテーマとなった某TV番組では、山田邦子による次のようなパロディ(替え歌)もありました。 現代の基準では失礼な曲の扱い方ではあるのでしょうが、これもよしとしてしまう大らかさがこのKANという人にはあったのかもしれません。最後に、2007年のステージでの姿をご覧ください。 ご冥福をお祈りいたします。[収録アルバム]KAN / 野球選手が夢だった。(1990年) KAN / 野球選手が夢だった。 [CD] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年11月30日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その6) さて、一気に趣向が変わります。日本のシンガーソングライター、SION(シオン、本名:藤野秀樹)の若い頃の、筆者の特にお気に入りのナンバーです。SIONは1979年に上京し、1985年の自主制作盤をきっかけにデビュー。今回の「好きで生きていたい」は、1989年の2枚組アルバム『STRANGE BUT BLUE』に所収の曲です。 この曲で特徴的なのは、同2枚組盤(1枚目が“Strange Side”、2枚目が“True Side”となっていました)の2枚共に、それぞれ異なるヴァージョンが収録されていたことです。まずは、2枚目の“True Side”のものをお聴きください。 続いては、“Strange Side”所収のものもお聴きください。タンゴ調の、少々変わったアレンジがいい味を出しています。 決してメジャーで派手なヒットを飛ばすタイプではないアーテストですが、その懐の深さは、様々なアレンジのライヴ演奏からも見てとれます。インターネット上にも異なるアレンジの演奏が掲載されていますが、そうした中でもなかなか面白いと思った一つが、次の2009年のライヴ演奏です。 この曲の素晴らしさというべきか、はたまたSION自身の器の大きさというべきか、といったパフォーマンスなわけですが、そのSIONも既に還暦を越えました。とはいえ、2022年にも新作を発表していますので、まだまだその魅力を発揮していってほしいと切に思う次第です。[収録アルバム]SION / STRANGE BUT BLUE(1989年) 【中古】 ストレンジ・バット・トゥルー[2CD]/SION 【中古】 ストレンジ・バット・トゥルー/SION 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年11月23日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その2) もんたよしのり追悼ということで、前回は「ダンシング・オールナイト」などを取り上げましたが、どこか名残惜しく、もう少しこの人の歌唱をと思う次第です。 もんたよしのりのヒット曲としては、「DESIRE(デザイアー)」も知られています。1981年、つまりは「ダンシング・オールナイト」の翌年のシングル曲です。映像は動かないのですが、まずは、2007年もんた&ブラザーズ復活ライヴの音源をお聴きください。 続いては、本人の姿が見られるものもということで、TV出演と思われるステージでの演奏の様子をご覧ください。映像の前半ではこの「DESIRE」、そして後半では「ダンシング・オールナイト」を披露しています。 続いてもう1曲。X-JAPANの「Forever Love」をもんたよしのりが熱唱するというものです。映像の終盤でトークも披露していますが、もんたよしのりのはスキーヴォイスと高音が魅力的な、見事な歌唱だと思います。 そして、つい先週の話ですが、2023年11月9日に大橋純子の訃報も報じられました。もんたよしのりと同世代(もんたが1歳下)で、2人でのコラボ曲「夏女(なつおんな)ソニア」(1983年)、「恋はマジック」(1984年)を覚えているという方もいらっしゃるかと思います。そのようなわけで、両名のデュエットによる「夏女ソニア」をお聴きください。 あらためまして、もんたよしのりと大橋純子、お二人のご冥福をお祈りいたします。 エッセンシャル・ベスト 1200 もんた&ブラザーズ [ もんた&ブラザース ] ゴールデン☆ベスト もんた&ブラザーズ シングルス・プラス [ もんた&ブラザーズ ] 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年11月17日
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900万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その1) 900万アクセスということで、これまでと同様、“いま聴きたい曲”をテーマに、30回の予定で動画とともに曲をピックアップしていきます。お時間のある方は、ぜひとも、よろしくお付き合いください。 さて、初回は、“今”というよりも、少し前からの聴きたい(というか繰り返し聴いている)曲です。つい先ごろ、2023年10月18日に、シンガーソングライターのもんたよしのりが亡くなりました。72歳で没したというのは、現在の日本の平均寿命からすると早く亡くなったということになるのでしょうが、もんたよしのりが70歳代になっていたというのも、訃報と同時に筆者としては年月を感じるものでした。そんな彼を偲んで、今回の選曲ということになります。 まずは、もんた&ブラザーズ名義で1980年に大きなヒットとなった「ダンシング・オールナイト」をお聴きいただこうと思います。最初は、レコード発売された時の元のヴァージョンです。 続いては、ヒットから10年以上経た、1990年代の歌唱です。 もんたよしのりは、結局はヒット街道を歩むことは選択せず、関西に拠点を戻し、世界放浪の旅などにも出ることとなりました。一方、1983年の西城秀樹のヒット曲「ギャランドゥ」の作者でもあったというのも、割と知られている話かと思います。その西城秀樹も早くに亡くなってしまっています(参考過去記事)が、この曲をもんたよしのり自身が歌ったものをお聴きください。昨年(2022年)の映像ですので、既に70歳。古希を過ぎてこの見事な歌唱です。 ご冥福を心よりお祈りします。[収録アルバム]もんた&ブラザーズ / Act 1(1980年) *デビュー盤。もんた&ブラザーズ / ゴールデン☆ベスト もんた&ブラザーズ シングルス・プラス(2003年) *「ギャランドゥ」も収録。 エッセンシャル・ベスト 1200 もんた&ブラザーズ [ もんた&ブラザース ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年11月16日
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アイドルからの脱皮(その2) 前回に続き、もう一つ、森川美穂のシングル曲を取り上げます。「おんなになあれ」に続くシングル曲は同じ1987年後半にリリースされた「PRIDE」(アルバムとしては同年発表で、『おんなになあれ』の次作『ヌード・ヴォイス』に収録)でした。 この曲に至っては、デビュー当時のアイドル的な雰囲気は消え去り、すっかりヴォーカリスト的な感じに変わっています。元のアルバムに収められたものをお聴きください。 続いては、同曲の“21世紀ヴァージョン”だそうです。個人的には、ある種、若さむき出しの元ヴァージョンの方が魅力的という部分もあります。とはいえ、地元大阪の芸術大学で指導に当たっている彼女のヴォーカル力がしっかりと表われていると思います。 [収録アルバム]森川美穂 『Nude Voice』(1987年)森川美穂 『glad』(2010年) glad [ 森川美穂 ] 【中古】 Nude Voice /森川美穂 【中古】afb 森川美穂ベストコレクションBe Free [ 森川美穂 ] 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2023年03月21日
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アイドルからの脱皮(その1) ずっと前(かなり昔の話です)、森川美穂の『ヌード・ヴォイス』というアルバムを取り上げて、“アイドルからヴォーカリストへ”という路線変更の例としての話を書きました。厳密にいうと、この傾向はその少し前からあって、最初の転機となったのは、この「おんなになあれ」というシングルだったのではないかと思ったりするわけです。 作曲はASKA(飛鳥涼)。余談ながら、ワイドショーなどを賑わせた事件の後、本人の楽曲は発売停止になりましたが、こういう“提供曲”はどうなったのだろうなんて素朴な疑問を抱いたりしています。それはともかく、デビュー当時の森川美穂は、菊池桃子(同じVapのアイドル歌手)の後釜的な位置づけが嫌で、当時の渡辺美里や小比類巻かほる、あるいは中村あゆみのような方向性を希望していたそうです。 曲を作ったASKAによれば、“制服を脱いで1人のおんなとして恋をしたら美穂はどんな恋をするんだろう…と思ってこの歌を作った”そうだけれど、音楽的な方向性という意味では、この後“学園祭クイーン”になっていった経緯を考えると、ちょうどそのきっかけになったのはこの曲だったのかもしれないと持ったりするわけです。 後年には、「おんなになあれ(アカペラ・ヴァージョン)」なるものも作られています。1996年に発売されたベストアルバムの初回盤ボーナストラックとして収録されたものです。折角ですので、こちらの方もお聴きください。 [収録アルバム]森川美穂 『おんなになあれ』(1987年)森川美穂 『HER-Best 1985-1989』(1996年) 森川美穂 VERY BEST SONGS 35 [ 森川美穂 ] 【中古】 HER−Best/森川美穂 【中古】afb 【中古】 おんなになあれ / 森川美穂 / 森川美穂 モリカワミホ / (unknown) [CD]【ネコポス発送】 ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年03月20日
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高橋幸宏、追悼 訃報が続きます。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の一員として知られるミュージシャン、高橋幸宏の死去が報じられました(外部ニュースへのリンク)。ここ数年、闘病中でしたが、1月11日に亡くなられたとのことです。 過去のこのブログを振り返ってみると、意外にも、YMOの楽曲やアルバムを取り上げたことがありませんでした。今回、彼の訃報を受けて、今さらながら、YMOのナンバーを載せておきたいと思います。 まずは、彼らの代表曲の一つ、「ライディーン」です。元は江戸時代の力士、「雷電(らいでん)」がタイトルだったと言われ、浮世絵をイメージしたものだったとのこと。言わずもがな、彼らの代表盤にして大ヒット盤のセカンド作『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に収録された楽曲です。リマスター版の音源に基づいた映像をご覧ください。 1980年代前半、個々の活動を経て、解散前に世間を驚かせるようなものをということで、歌謡曲らしさを取り入れた楽曲およびアルバムが発表されました。カネボウのCMソングとなった「君に、胸キュン。 (浮気なヴァカンス)」およびこれが含まれたアルバム(『浮気なぼくら』)です。同じくリマスター音源に基づいたMVをご覧ください。 最後にもう一つ。同じ「君に、胸キュン。 (浮気なヴァカンス)」の往時の演奏シーンも見ていただこうと思います。ベストテンからの1コマです。 40年、50年前に活躍したミュージシャンの訃報が報じられるのは、時の流れと言えば確かにそうなのですが、70歳での逝去はまだ早いと言わざるを得ません。高橋幸宏のご冥福をお祈りしています。[収録アルバム]イエロー・マジック・オーケストラ / 『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年)イエロー・マジック・オーケストラ / 『浮気なぼくら』(1983年) ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー/YMO[CD]【返品種別A】 浮気なぼくら & インストゥルメンタル [ YMO ] 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2023年01月15日
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葛城ユキ、追悼 「ボヘミアン」(1983年)のヒットで知られるシンガーの葛城ユキが亡くなったと報道されました(外部記事リンク)。これまで闘病されていた経緯があったとはいえ、まだ73歳での逝去でした。追悼ということで、既に過去に取り上げた「ボヘミアン」以外のいくつかの曲をお聴きいただきたいと思います。 今月(2022年6月)半ばのステージが最後の場だったとのことですが、そこで歌われたナンバー、「ローズ」です。 さらに、洋楽カバーをもう一つ。「ヒーロー」です。 葛城ユキといえは、ヒット曲「ボヘミアン」ばかりが取り上げられますが、洋楽カバーの歌唱も素晴らしければ、他の曲でも力量を発揮したシンガーでした。個人的好みでのチョイスですが、1981年の「風の彼方に」、そして、1984年発表のアルバム収録曲だった「ブルースはもう聴こえない」をお聴きください。 報道によれば、安らかな最期だったとのこと。どうか安らかに眠らんことをお祈りします。 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2022年06月29日
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平成元年、日本人女性ヴォーカルによるクリスマス盤 30年以上前にリリースされたクリスマス・アルバム、それも普段はほとんど聴かない和モノなのだけれど、なぜか年末が来るとその存在を思い出し、時に1枚通して聴いてしまうという不思議な盤がある。それがこの『MERRY CHRISTMAS TO YOU』というアルバムである。FUN HOUSE LADIES’ VOCALと銘打たれているが、当時、東芝EMI系のレーベルだったファンハウスが所属の女性ヴォーカリスト4名のオムニバス盤(すべて未発表曲)としてリリースしたものだった。 その4人のヴォーカリストとは、「恋に落ちて」の大ヒットで知られる小林明子、デビューしてまだ2年ほどだった永井真理子、当時はまだ珍しかった沖縄出身シンガーの麗美、永井真理子への曲提供もしていて本盤の後にヒットを送り出すことになる辛島美登里の4名だった。アルバムは好評を博し、第4回日本ゴールドディスク大賞を受賞した。 10曲が収録されているが、その内訳は、4人の各々のソロ曲が2曲ずつ、そして4人全員で歌っているものが2曲収められている。バブル期真っ只中ということもあり、当時の雰囲気を漂わせている部分もあるのだけれど、少し聴きどころを挙げてみたい。 4人揃い踏みのナンバーは、前半と後半それぞれの最後に収められている。個人的には、5.「Merry Christmas To You」が断然いいと思うのだけれど、アカペラで演じられているスタンダード曲の10.「The Christmas Song」も聴かせどころと言える。個々のナンバーの中で出色なのは、辛島美登里の3.「Silent Night-祈り―」と麗美の9.「走るそよ風たちへ」。前者は辛島美登里らしい楽曲で、曲作りのよさが光る。後者は兵士とクリスマスという重いテーマですがなかなかの名曲。残りの2人についても1曲ずつ挙げておくと、小林明子の6.「クリスマスの贈り物」。表題は日本語ですが、英語の詞の部分が多く、カレン・カーペンター的などと言われる彼女独特のヴォーカルが楽しめる。永井真理子の8.「Lonely クリスマス」は今となっては時代を感じさせる部分もあるけれど、当時の文脈ではよくできた鉄板ナンバーで、かつサビも印象に残りやすいのがいい。 海外では、有名アーティストともなればこぞって“ホリデー・アルバム”を出すけれども、クリスマスが本来的な意味で定着していないせいか、日本の音楽業界ではなかなかそうはならない。そういう意味でも、このアルバムは日本の音楽史にも目立った成功例と言ってもいいのかもしれない。[収録曲]1. 今日こそは心を着がえて(永井真理子)2. 街に消えたクリスマスカード(麗美)3. Silent Night -祈り-(辛島美登里)4. 星空のクリスマスパーティ(辛島美登里)5. MERRY CHRISTMAS TO YOU (小林明子、永井真理子、麗美、辛島美登里)6. クリスマスの贈り物(小林明子)7. 真夏のSilent Night(小林明子)8. Lonely クリスマス(永井真理子)9. 走るそよ風たちへ(麗美)10. The Christmas Song(小林明子、永井真理子、麗美、辛島美登里)1989年リリース。↓アルバムは絶版ですが、以下は関連する中古CDのリンクです。↓ 【中古】 【8cm】サイレント・イヴ/Merry Christmas To You /辛島美登里 【中古】afb 【中古】走るそよ風たちへ 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2020年12月21日
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500万アクセス記念~いま聴きたい曲(その6) 日本各地で遅くなってしまった梅雨明けが進んでいます。ようやく夏到来というわけですが、ここら辺で夏にちなんだ曲をピックアップしておきたいと思います。 プリンセス・プリンセスの「世界でいちばん熱い夏」は、二度シングル発売されています。最初は1987年に彼女らの2枚めのシングルとしてリリースされましたが、ヒットはしませんでした。その後、バンドのブレークを経て1989年に改めてリリースされ、大ヒットとなりました。この二度目のリリース時には、元のヴァージョンとは異なる平成ヴァージョンも収録されました(世は令和となりましたが、ちょうど上記の時期は昭和から平成へと変わる時期でしたね)。 この曲については、過去に一度書いた(過去記事参照)のですが、その時には動画が貼り付けられなかったので、今回は元のヴァージョンに近いものと、平成ヴァージョン・タイプ、それぞれの演奏シーンをご覧ください。まずはベースがリズムを刻むところから始まるオリジナル・ヴァージョンのパターンのものです。 続いては平成ヴァージョンのパターンのものです。以前からライヴでやっていた方式を上記2度目のシングル発売時にレコーディングしたとのことですので、ライヴ演奏にはこのパターンのものが多かったということのようです。以下は、2曲で1本の映像になっていますので、後半(5:20頃から)をご覧ください。 今回はもう1つおまけの動画リンクです。その当時、ノーランズ(Nolans)がこの曲をカバーしています。映像は動かないのですが、ノーランズによる「ザ・ホッテスト・プレイス・オン・アース(The Hottest Place on Earth)」をどうぞ。 [収録アルバム]プリンセス・プリンセス 「SINGLES 1987-1992」(1992年)ほか、ベスト盤類に収録。The Nolans / The Hottest Place on Earth(1992年) 【エントリーで全品ポイント10倍!(7月26日01:59まで)】【中古】シングルCD プリンセス・プリンセス / 世界で一番熱い夏[初回盤] 【送料無料】 PRINCESS PRINCESS プリンセスプリンセス(プリプリ) / SINGLES 1987-1992 【CD】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2020年08月01日
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400万アクセス記念~いま聴きたいあの曲(その12) 方向性がころころと変わりますが、今回の“いま聴きたい曲”は、1980年代後半のポップ・ナンバーです。山下久美子と言えば、デビュー曲の「バスルームから愛をこめて」や大ヒット曲の「赤道小町ドキッ」を思い浮かべる人がいるかと思いますが、今回はそれらよりも少し後の時期の曲です。 彼女は1985年にBOØWYのギタリストだった布袋寅泰と結婚しましたが(後に離婚)、その結果、布袋プロデュースのアルバムを連続で発表した時期がありました。“三部作”と呼ばれる1986~88年の作品群がありますが、中でも1987年の『POP』というアルバムは、筆者のお気に入り盤となり、今でもたまに聴きたくなって引っ張り出してくるというものです。今回は、同盤に収録された「Lilith(リリス)」というナンバーをお聴きください。 この頃の彼女の作品は、ロック色が強く、布袋寅泰のキレのあるギターも彼女のキュートなヴォーカルも両方が生かされてなかなか好曲も多かったように思います。次は、その当時の夫婦共演でのライヴ演奏の様子です。 過去の映像だけで終わっては何なので、後の映像も一つ挙げておきたいと思います。2010年のライヴの映像です。 [収録アルバム]山下久美子 / POP(1987年) 山下久美子 / POP(オンデマンドCD) [CD] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2019年10月23日
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“10年ひと昔”と言いますが… いきなりですが、これをお読みの方にとって“10年”とはどんな時間でしょうか。10代や20代の若者にとって、10年というのは想像しにくく、相応に長い時間だろうと思います。でも、もっと長く生きてきた人にとっては、ある種イメージしやすいまとまった時間単位と言えるかもしれません。要は、10歳の時に20歳の自分、20歳の時に30歳の自分は容易に想像しがたいですが、40歳や50歳にとって10年後の自分ははるかに想像しやすいものでしょう。 最初にこの曲を聴いたときは、筆者も10年なんて単位でまだ物事が考えられなかったのですが、気がつくと10年前が“ついこの間”とすら思えることも増えてきました。先日ふと耳にしてこの曲の存在を思い出し、落ち着いて聴いてみたので、本ブログでも取り上げようと思った次第です。 渡辺美里と言えば、小室哲哉作曲のイメージが強いかもしれませんが、この「10 years」は大江千里の作曲です。メロディも素晴らしいですが、注目したいのは作詞です。渡辺美里は早い段階から作詞を結構手掛けており、この曲の頃はほぼすべての発表曲を作詞していたようです。冒頭に書いた筆者の凡人的感性とは違い、発表当時21歳だった渡辺美里は、この頃から10年単位でものが見えていたということになるでしょうか。そう思うと、物事を広く見通し、そしてそれを詞にすることができる感受性の高い21歳だったということになります。 以下、映像です。まずは往時のライヴの様子から。1989年、東京ドームでのライヴでの歌唱です。 正直、歌のうまさで聴かせるタイプというよりは、勢いで迫るタイプという印象を持っています(17歳でコンテスト受賞時にセックス・ピストルズが好きと言っていたそうですが、何となくわかる気がします)。ともあれ、渡辺美里と言えば西武球場(後に西武ドーム)で20年連続ライヴをやったことでも知られています。 最後は、比較的最近の映像も見ておきたいと思います。2年前(2017年)のものをご覧ください。“10年”を5回重ねた年齢に達した渡辺美里ということになりますが、スターダスト・レビュー(さすがにベテランという貫禄の演奏です)との共演による「10 years」です。 [収録アルバム]渡辺美里 /『ribbon』(1988年リリース) ribbon [ 渡辺美里 ]↓昨年(2018年)、30周年記念エディション(リマスター、ボーナストラック入り)が出ているようです。↓ ribbon -30th Anniversary Edition-/渡辺美里[Blu-specCD]通常盤【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いします! ↓ ↓
2019年07月14日
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本音が言える社会… 世の中、政治が話題になっている時期だからという訳ではないのですが、少し前から思い出したように聴いているナンバーを、突発的ですが取り上げてみたいと思います。 「アイ・シャル・ビー・リリースト(I Shall Be Released)」は、ザ・バンドによる演奏(参考過去記事)がよく知られていますが、ボブ・ディランが作ったナンバーです。元の詞は、刑務所の中の人物が1人称になっていて(表題は“われは解放されるべし”といった意味)、その内容は様々な解釈がなされてきているようです。 1980年代後半、これに日本語詞を付けてカバーしたのが、RCサクセションの忌野清志郎(2009年没)でした。その詞の内容は、多義性や多様な解釈の余地のない、実にストレートなものでした。少しだけ引用すると、“頭の悪い奴らが 圧力をかけてくる”、“はめられて消されたくはない”、“頭のいかれた奴らが世の中を動かして、このオレの見る夢を力で押さえつける”といった具合。詞の中ではいちおう未来の希望も示されていて、“日はまた昇るだろう、このさびれた国にも”、“いつの日にか自由にうたえるさ”というもの(ちなみにいちばん最後だけは“自由に”ではなく、“自由を…”と歌っています)。 このカバーが発表されたのは、今からもう30年も前の話ですが、社会は何にも変わっていない気がします。否、言論の自由という意味では後退すらしているかもしれないと懸念したくもなります。“本音と建前”は昔からあったのでしょうが、何かと説明責任が求められるご時世となり、近頃では、いっそう本音が包み隠される傾向すらあるように思えてしまいます。表面的には美辞麗句で飾りつつ、裏でこそこそと行動し、上に忖度して変なことを押し通す大人が闊歩できる社会になってしまうならば、本音を言いたい人は結果的に押さえつけられてしまう。波風を立てたくない大人は、あえて本音を言わなくなり、結果的に多様な見方や違った見解に不寛容な世の中へと向かっていってしまう…。未来を予言したわけではないでしょうが、キヨシローという人は、あの当時の体験を通してそんなことを見据えていたんでしょうかね。 ともあれ、歌のシーンを2つご覧ください。1つめは、ライヴ盤となった1988年のライヴ(日比谷野外音楽堂)の映像、2つめはチャボ(仲井戸麗市)とのデュオでのテレビ共演の映像です。 [収録アルバム]RCサクセション / 『コブラの悩み』(1988年リリース) コブラの悩み/RCサクセション[CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーをクリックして応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2019年07月13日
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スペクトラム曲選(その4) 1970年代末から80年代初頭の和製ブラス・ロック・バンド、スペクトラム(SPECTRUM)のナンバーを取り上げる企画ですが、この4回目で区切りです。最後は、「夜明け(アルバ)」というナンバーをピックアップしてみます。とはいえ、探しては見たのですが、どうやら視聴可能なのは以下のシングル・ヴァージョンのみのようです。 この曲は、1980年発表の5枚目のシングルですが、表題そのままにセイコーの腕時計アルバ(ALBA)のCM曲としてご記憶の方も多いのではないでしょうか。 ちなみに、1981年に武道館でのライヴを最後にバンドは解散してしまいました。その後は、再結成がかなうこともなく、メンバーそれぞれ(各メンバーにはスペクター1号~スペクター8号なんて言う名が付いていました)は、異なるバンドや異なる仕事で別々の道を歩まれているとのことです。[収録アルバム]SPECTRUM / 『スペクトラム3 TIME BREAK』(1980年リリース) ゴールデン☆ベスト スペクトラム-レジェンド-(SHM-CD)/スペクトラム[SHM-CD]【返品種別A】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2019年01月21日
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スペクトラム曲選(その3) スペクトラム(SPECTRUM)曲選、第3回は、初回と同様に代表曲に数えられる「SUNRISE」(「サンライズ」)というナンバーです。今回は、先にライヴで演奏している様子をご覧ください。 曲を聴いてお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、この曲はプロレスラー、スタン・ハンセン(ジャイアント馬場らと名勝負を繰り広げたあのハンセンです)の入場テーマ曲としても知られます。ハンセンの入場曲としては、イントロと間奏部分の、つまりは歌の入っていない部分が使われていたとのことです。 そんなわけで、スタン・ハンセンの雄姿とともに、入場曲用のヴァージョンをお聴きください。 [収録アルバム]SPECTRUM / 『スペクトラム2 OPTICAL SUNRISE』(1980年リリース) ゴールデン☆ベスト スペクトラム-レジェンド-(SHM-CD)/スペクトラム[SHM-CD]【返品種別A】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2019年01月20日
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スペクトラム曲選(その2) 1970年代末から1980年代初めに存在した和製ブラス・ロック・バンド、スペクトラム(SPECTRUM)の曲を取り上げる2回目です。今回は、シングルのB面(1980年発表の「F・L・Y」のB面)となった曲で、「ミーチャンGoing to the Hoikuen」というナンバーです。英語を取り混ぜて妙なタイトルになっていますが、早い話、「ミーチャン、保育園に行く」という曲名なわけです。 探しても動画があまりないということもあるのですが、この曲は何と言ってもスタジオで録られたものを聴くほかありません。ゲストの保育園児によるセリフ(“鼻垂れてるから~”)はライヴで再現は困難ですし、こういう録音を混ぜて楽しんでいるというのが最大の聴きどころなのでしょう。 ブラス・ロックとどう関連するのかよくわかりませんが、北欧ヴァイキングもどきの奇抜な衣装など目を引く点が多いバンドでした。こういう曲を録音するという発想もある種、彼らの奇抜な特徴の一つだったのかなと思います。[収録アルバム]SPECTRUM / 『スペクトラム2 OPTICAL SUNRISE』(1980年リリース) 【中古】 スペクトラム伝説 /SPECTRUM 【中古】afb 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2019年01月18日
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スペクトラム曲選(その1) 唐突ですが、スペクトラム(SPECTRUM)というバンドをご存知でしょうか。今から40年近く前に、数年間の短期間、活動した日本のブラス・ロック・バンドです。この度は、4回を目安に彼らの楽曲を取り上げてみたいと思います。 初回ということで、まずはバンドの概要をごく短く述べておくことにします。彼らは、1979~81年まで活動し、6枚のアルバムを残しています。トランペット奏者の新田一郎が中心となって結成され、ブラスを中心としたロック・サウンドでファンキーなノリや、多少ぶっ飛んだアイデア(曲はもちろん衣装なども)が斬新だったバンドです。 ひとまず今回は、彼らの代表曲の一つである「イン・ザ・スペース」です。1979年リリースのセカンド・シングルで、1991年には“スーパー・リミックス・ヴァージョン”なるものも再リリースされています。とりあえずは、シングル・ヴァージョンをお聴きください。 さらに、もう1つ。短いですが、こちらは、TVへの出演時の演奏の様子です。 [収録アルバム]SPECTRUM / 『スペクトラム2 OPTICAL SUNRISE』(1980年リリース) Spectrum スペクトラム / ゴールデン☆ベスト スペクトラム-レジェンド- 【SHM-CD】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2019年01月17日
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200万アクセス記念 いま聴きたいあのナンバー~拡大版(17/30) 前回は突然の“昭和歌謡”でしたが、脱線(?)は続きます。もう1曲、同じ頃のものを取り上げたいと思います。1970年代にデビューした岩崎宏美(岩崎良美は実妹)ですが、この曲は、ドラマシリーズ(火曜サスペンス劇場)のエンディング曲として準備され、当初は1コーラス分しかなかったとのこと。ところが、視聴者からの問い合わせが続き、フルコーラスの曲として1982年に発売されたのが、この「聖母(マドンナ)たちのララバイ」でした。 それにしても、当時24歳とは思えない“お姉さま感”というか、“お母さん感”(もちろんいい意味で)というか…。詞の内容や曲調もあるのでしょうが、ご本人の性格などもあったのでしょうか。年相応には思えない落ち着きが出ていたように思います。後年のライヴの歌唱もご覧ください。 今回はおまけで少々珍しくも興味深い映像をもう一つ。岩崎姉妹揃っての共演での「聖母たちのララバイ」です。それにしても歌唱力のある姉妹ですね。 [収録アルバム]岩崎宏美 / 夕暮れから…ひとり(1982年リリース) *オリジナル盤はTVヴァージョンを収録。2007年再発でシングルヴァージョンも収録。 岩崎宏美『夕暮れから…ひとり +5』MEG-CD ゴールデン☆ベスト 岩崎宏美/岩崎宏美[CD]【返品種別A】 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、“ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2017年11月09日
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200万アクセス記念 いま聴きたいあのナンバー~拡大版(16/30) “いま聴きたい”がテーマですので、多ジャンルを行き来します。ここら辺で“昭和歌謡”を挟んでみたいと思います。少し前にふと思い出して動画を見ていて、今日再び思い出した1980年代初頭の日本の曲です。 大橋純子「シルエット・ロマンス」という曲ですが、来生えつこ&来生たかおのゴールデンコンビの作です。1981年に発売され、じわじわと売れてロングランのヒットとなり、翌82年の日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を獲得しました。 この曲が作られた背景というのがあって、当時、サンリオが米シルエット社と契約して立ち上げた恋愛小説本のシリーズが“シルエット・ロマンス”でした。要は本のレーベルのテーマソングだったというわけですね。後の歌唱の様子もどうぞ。 ちなみにこの曲は結構いろんな人がカバーしているようです、ここでは一つだけ、作者自身によるものをご覧ください。来生たかおによるセルフカバーで、谷村新司がコーラスというものです。 [収録アルバム]各種ベスト盤類に収録。 シルエット・ロマンス/大橋純子[CD]【返品種別A】 ゴールデン☆ベスト 大橋純子 シングルス [ 大橋純子 ] 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2017年11月08日
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一度聴いたら病みつき ふと思い出したこの曲。今から四半世紀ほど前、記憶が定かではありませんが、たぶん1990年前後だったでしょうか。深夜にTVで見かけて頭から離れなくなった、日本のとあるバンドのとあるナンバーです。 そのバンドの名は、チキンダンサーズ。インディーズからメジャーにデビューしあっという間に解散。でも、最初に聴いたこの1曲、「目がまわる」のインパクトは筆者の脳裏に深く刻み込まれています。 ヴォーカリストの“くねくね踊り”が何とも印象が強く、この映像の写真のみではうまく伝わらないのが残念なところです。この“なよっ”とした感じは、“草食系男子”なんて言葉が存在する以前の当時の世界では、現在からは想像もつかぬほどのインパクトがありました。余談ながら、当時、生の“くねくね”を見に、ライヴハウスに見に行ったことも今となってはいい思い出です。 25年ほど経って改めて聴いてみると、歌のセンスという面ではRCサクセション(忌野清志郎)的な部分が意外とあるようにも感じます。それから、ギターのリフが何と言っても印象的かつかっこいいですね(ストーンズなんかの影響大でしょうか)。何と言っても、しっかりロックしています。でもって、解散後どうなったのか気になって調べてみたところ、その後は、ヴォーカルの松尾健さんとギターの木村秀穂さんはユニットとして活動もしていたとか。 ともあれ、行きつけの某ショッピングセンターの立体駐車場の急勾配の螺旋カーブを車でぐるぐると回っている時に、急に昔の記憶が戻り、再び頭から離れなくなりました。音楽を思い出すきっかけは日常のいろんなところに潜んでいるのだなあ、なんてことを再認識させられた次第です。 チキンダンサーズ 90年9.21 京都ミューズホール [CD+DVD][CD] / チキンダンサーズ 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2017年02月09日
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やっぱり“純和風”なこの名曲 すっかり秋になりました。というか、冬並みの寒ささえ近づいてきています。そんなせいか、季節感を思い起こさせるこの1曲を取り上げたいと思います。「春夏秋冬」…世界を見渡すと、日本のように明確な四季がある国ばかりじゃないわけで、ある意味、“和風”なタイトルな曲だという印象を受けます。そもそもは、泉谷しげる(1971年デビュー)の2枚目のシングルで、1972年の発表だから、40数年前のシングル曲だったりします。とはいえ、比較的最近の動向だけ見ると、わかりやすいのはこの人のものかということで、福山雅治のヴァージョンをまずはお聴きください。 ある種の“古めかしさ”や“懐かしさ”を含んだ詞に現代的ヴォーカルがうまく組み合わさっているというのが、筆者の抱いている感想です。福山雅治によるこの曲がベストかと言われると、オールドファン的には決してそうでもないわけですが(苦笑)。 でもって、次はオリジナルの泉谷しげるのものです。1948年生まれですから、リリース当時は20歳代前半の若きフォークシンガーだったわけです。以下の映像は1979年、古井戸のラストライヴでの演奏の模様です。 続いては、筆者が惚れ込んでいるSION(本名:藤野秀樹)という、1960年生まれで1980年代にデビューしたシンガーソングライターによる、「春夏秋冬」のカバーです。1980年代のライヴ映像をご覧ください。 最後は、泉谷しげるとSIONの1999年の共演画像(ギターはChar)をご覧ください。当時、泉谷しげるはアラフィフ、SIONはアラフォーといった年齢なわけですが、何とも見事に噛み合わない(失礼!)、いやはや、それぞれの個性あふれた演奏をやっているところに共感が持てたりします。 にしても、この節回しと季節感、主に英語で歌われている洋楽的な音楽ではやっぱり出せないよさがあるなどと思ったりしてしまいます。[収録アルバム]泉谷しげる / 『春・夏・秋・冬』(1972年)SION / 『春夏秋冬』(1986年)福山雅治 / 『f』(2001年) ゴールデン☆ベスト 泉谷しげる 〜Early Days Selection〜 [ 泉谷しげる ] ゴールデン☆ベスト SION(2CD) [ シオン ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2016年11月23日
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中島みゆき、80年代後半のスペシャル・ライヴ盤 中島みゆきの1987年リリースのライヴ盤『歌暦』(うたごよみ)は、前年末の12月18~21日に両国国技館で行なわれたスペシャル・ライヴ「歌暦Page86 ―恋歌―」を収録したもの。映像版(ビデオ、DVD)はなく、CDのみで発売された。 中島みゆきの一般的なイメージと言えば、初期のフォーク・シンガー(弾き語り)的なものと、それから後のバラード・シンガー(歌姫)的イメージが多数派を占めるのではないだろうか。けれども、このライヴ盤では80年代のややロック的な曲調に傾いていた時期の演奏も含まれていて、後々のストーリー的ライヴ・パフォーマンスの芽生えと、普通のライヴっぽさとがうまく混じり合っているというのが全体的な印象である。 これら2つの特徴のうち、最初の方に属する例をいくつか挙げると、まずは冒頭の1.「片想’86」。他に歌をじっくり聴かせる的なものとしてお気に入りなのは、5.「鳥になって」、6.「クリスマスソングを歌うように」、10.「この世に二人だけ」といったところ。他方、80年代の中島みゆきに特徴的だったロック調(「ご乱心」などと言われることもある時代に含まれる)の傾向のナンバーとしては、有名なヒット曲の3.「悪女」、9.「F.O.」、12.「見返り美人」、13.「やまねこ」が個人的にはお気に入り。特に「悪女」は以前のアルバム・シングルいずれとも違ったアレンジでこの時期の中島みゆきの傾向をよく表しているようにも思える。 余談ながら、筆者が生まれてから最初に所有したCDは実は中島みゆきの本アルバムであった。別に他のアーティストを差し置いてとかいうわけは特にないのだけれど、CD再生機器を生まれて初めて買った時(つまりは初めてCDを聴けるようになった時)、おまけで店頭のCDがついてくるという特典があって、その時たまたま選んだのがこのアルバムだった。当時はレコードかカセットテープが音楽を聴く主な再生手段だったわけだけれど、最初のCDと言うだけで何だか嬉しくなり、繰り返し聴いた。だからということでもないのだけれど、なかなかよくできたライヴ盤で、後のストーリー・ショウ的な中島みゆきのライヴのスタイルの原型とも言うべきドキュメントでもある。 ちなみに、この盤はドルビーサラウンドのエンコーディングがなされていて、当時の盤には、CD型のよくわからん円盤状に折り畳まれた紙に、詳細な技術解説があった(この紙ののために1枚ものなのになぜか2枚組用の箱に入っていた)。確かに、筆者も一時期ドルビーサウンドで聴いて楽しんだが、今から思えば、80年代当時はこうした音楽の音源の革新期まっただ中で、こういう付加価値も売りになったというのもなんとも懐かしい話でもある。[収録曲]1. 片想'862. 狼になりたい3. 悪女4. HALF5. 鳥になって6. クリスマスソングを唄うように7. 阿呆鳥8. 最悪9. F.O.10. この世に二人だけ11. 縁12. 見返り美人13. やまねこ14. 波の上1987年リリース。 【送料無料】歌暦/中島みゆき[CD]【返品種別A】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2016年10月09日
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外国語で歌うということ(その5) さて、続いては、日本のアーティストが英語にトライというケースも取り上げたいと思います。日本のアーティストが海外(といっても主にアメリカ)進出をし、英語のアルバムやシングルをリリースするというケースです。松田聖子(SEIKO)しかり、宇多田ヒカル(UTADA、彼女の場合は日本デビュー前にアメリカでバンド活動もしてたんでしたっけ…)しかり、ですが、今回は、天下の“永ちゃん”の米進出を取り上げたいと思います。 キャロルでの活動を経て、1970年代半ばにソロとなり、既に名声を得ていた矢沢永吉が全米進出をを試みたのは1980年代初頭のことでした。1981年の海外版アルバム『YAZAWA』の売り上げはさっぱり…。アメリカに拠点を移しての活動だったわけですが、その後のアルバムも売り上げは伸びず、ワーナーブラザーズのバックアップで出された本シングル曲「Flash In Japan」(1987年)もまったく売れずという結果に終わりました。とはいえ、個人的にはお気に入り曲(どころか彼の楽曲の中で一番気に入っているナンバーと言ってもいいぐらいです)ということで、そのシングル曲を今回取り上げる次第です。 それにしても、なぜ売れなかったのか…。プロモーションが不十分という問題も大きかったのかもしれません(21世紀の今ならもう少しうまくやれたかもしれません)。一部にはこの英語がどうもよく伝わらない…という指摘もあるようです。だとしても、個人的にはこの曲、カッコいいと思うのですが。 最後に、当時の日本でのライヴの様子もどうぞ。 [収録アルバム]矢沢永吉 / FLASH IN JAPAN(1987年) 【中古】邦楽CD 矢沢永吉 / BALLAD【02P09Jul16】【画】 【中古】FLASH IN JAPAN/矢沢永吉CDアルバム/邦楽下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2016年07月18日
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“姉御”スペシャル(その5:葛城ユキ) “姉御”シリーズも5回目となりました。最後は、もうお一人、日本のシンガーを取り上げておしまいにしたいと思います。昭和の歌謡シーンに登場した中で、姉御的な雰囲気の人と言えば、この人も忘れられないと思い、最後に取り上げる次第です。 葛城ユキといえば、知る人は、1983年のヒット・シングル曲「ボヘミアン」を思い浮かべることでしょう。それ以前から活動していたとはいえ、この曲のヒットの時点で34歳。その意味では遅咲きだったと言えるかもしれません。独特のハスキー・ヴォイスとその迫力は、同時期の10代のアイドルや20代の若いシンガーたちとは一線を画していました。 1980年代には当時の中国でコンサートを行なうなど独自な活動もしていましたが、その後もコンスタントに活動を続け(TVで大怪我とかもありましたが)、66歳のいまも現役でバリバリご活躍のようすです。以下は、しばらく前のライヴでの「ボヘミアン」ですが、還暦という言葉とは何とも縁遠い感じがする映像です。もちろん、“そうは見えない喜寿”のボヘミアンも期待しています(笑)。 [CD] 葛城ユキ/ボヘミアン 【ただ今クーポン発行中です】【メール便送料無料】【メール便送料無料】葛城ユキ / プレミアム・ベスト[CD] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2016年05月27日
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“姉御”スペシャル(その4:SHOW-YA) さて、ここらで日本にも目を向けてみたいと思います。日本の音楽シーンで“姉御”というと、筆者にとって真っ先に思い浮かぶのはこの人です。SHOW-YA(ショーヤ)は1980年代に結成され、一時期、メンバーが入れ替わり活動休止したりしましたが、ここ10年程は元のヴォーカリストが戻って活動を続けています。 “姉御”イメージというのは、その寺田恵子さんというオリジナルメンバーのヴォーカリストです。1980年代は女性バンドも多く出てきた時代でしたが、その中でもSHOW-YAはハードロック/へヴィメタルに分類される、いわば“硬派な”演奏をしていました。 でもって、昨年、1985年のレコードデビューからちょうど30年を迎えたというところです。短いのが残念なのですが、次の30周年の映像をどうぞ。 [収録アルバム]SHOW-YA / Outerlimits(1989年) 【送料無料】Outerlimits/SHOW-YA[SHM-CD]【返品種別A】 【ただ今クーポン発行中です】【メール便送料無料】【メール便送料無料】SHOW-YA / 30th Anniversary メモリアル・アルバム(仮)[CD] 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2016年05月26日
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80年代の日本の歌謡曲~これって立派なオリジナリティ!?(後編) 前回に引き続き、80年代初頭の日本国内でヒットした歌謡曲から、今回はこの曲です。シュガー(Sugar)という女性3人組による、これまたほぼ一発屋的なヒット曲「ウェディング・ベル」です。 Sugarは、東京と横浜出身の女性3人組で、この曲で1981年にデビューしました。それぞれが、ギター、ベース、キーボードを担当し、メイン・ヴォーカルとコーラスを担当するという体制でした。 1960年生まれ(デビュー時には20歳過ぎ)の3人組ですが、その若さに見合わないシニカルである種冷淡な歌詞を上手く演出しているという点で、彼女たちの成熟度を感じます。とりわけ際立っているのは、ヴォーカルのミキさ(笠松美樹)さんの甘ったるくかわいらしい声と、決めのセリフでこのヴォーカリストではなく、後ろでコーラスをやっているベーシスト(毛利/徳本公子さん、1990年の第1子出産直前に死去されあっとのこと、合掌)が“くたばっちまえ”というセリフを吐くシーン。メイン・ヴォーカルではなく、バックコーラスがこれをやる効果は、本人たちのアイデアなのか、プロデューサーのアイデアなのかわからないけれど、実に効果的でした。 ちなみにSugarはこの曲の第二弾として「ウェディング・ベルII」という曲も出しましたが、残念ながら、自前曲の二番煎じになってしまいました(詞も結婚後のありがちな愚痴みたいなもので終わってしまいました)。また、比較的最近(5年ほど前?)では、PUFFYがドラマ用にカバーしていたのをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。 ともあれ、“しおらしくない(=塩ではない)”からグループ名がSugar(シュガー=砂糖)、そして上記の甘ったるいメイン・ヴォーカリストと、いいところでコーラスが割って入る“くたばっちまえ”(上述の通り、メイン・ヴォーカルがこのセリフを言わないところが一捻り効いていて、そこがなかなか好きなのです)で日本中を惹きつけた彼女たちは、当時の年齢を考えても見事なパフォーマンスでした。 下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2015年03月06日
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80年代の日本の歌謡曲~これって立派なオリジナリティ!?(前編) 80年代の洋楽シリーズをお届け中ですが、ふと気になったことで引っかかりました。それをネタに、ちょっと2回ほど脱線し、閑話休題といったところで、日本の80年代前半のヒット曲に目を向けてみたいと思います。 まずは、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」(1981年)というナンバーです。言わずと知れた典型的“一発屋”のヒットソングです。 この“一発屋”の何が凄いのかというと、狙って成功したという点なのです。高原茂仁(現・高原兄)を中心とし、ヤマハのポプコンに繰り返し応募し続け、10回目にしてついにグランプリを獲得したといいます。何回も挑戦し続けた過程では、どうすれば評価されるかを徹底的に研究して対策を施し、その結果できたのがこの曲だとか。 つまるところ、“一発屋”といっても、そもそもそれを狙っていたとすら言えるのかもしれません。単なる思い付きや偶然できた好曲がコマーシャリズムにのったりリスナーの心をつかんだりする、という形でヒットしたのではなく、練りに練った曲が意図通りにコンテストを勝ち抜き、そして有名曲になる。狙ってもなかなかできる芸当ではないという気がします。 折角ですので、ものまね芸人の亘哲平が歌っているところで本人(高原兄)登場というビデオもご覧ください。“一発屋”とは言い難い妙な貫禄があったりします(笑)。 その後、高原さんはご実家の家業を継いで、その傍らで芸能活動をすることもあるそうです。“一発屋”の後で芸能界にしがみつき何とか生き残っていこうとする芸人さんと比べると、何だか正反対のスタンスのように思えます。それがまた、上記の貫録につながっているのかもしれません。 後編(次回更新、もう1曲取り上げる予定)へ続きます。下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2015年03月05日
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1985年、25歳の若者の“魂の声”“バブル世代”よりはちょっと早かったかもしれないが、世の中が高度成長からバブル景気へと向かっていく頃、それとはまったく逆行する道を自ら選んだ若者がいた。SION(本名、藤野秀樹)というシンガーソングライターである。以前、「俺の声」を取り上げた時にも似たようなことを書いた気がするのだけれど、“魂の声”をそのまま赤裸々に聴かせる彼のデビュー当時のスタイルは、おそらくはそれを照れ隠しのごとくカムフラージュしようとする“イカツイ見かけ”(眉毛はなかった)とともに、筆者の記憶に鮮明に刻まれている。 上の曲を聴いていただければ一瞬でわかるのだけれど、この人は自ら“楽ではない人生”(けれども自分が行きたいと思う人生)を歩もうとし、その足跡をそのまま歌にしている。その典型がこの「街は今日も雨さ」という曲。1985年の自主制作盤『新宿の片隅で』に収録され、翌86年のメジャー・デビュー盤にも再録版が収められた。 “知らない街でポリバケツをかぶって、それでも笑っていたさ、怖いもんなんて何にもなかったから”、“朝から晩まで指紋が擦り切れるほど皿を洗い続けて”、“何が都会の気ままな暮らしだ、まったくそれどころじゃねえ”、“立ってることがやっとの街で、いったい何が掴めるんだ”…。まったくもって散々な暮らし。そんな中、久々に話した母が電話越しに言うセリフ、“静かな声で、たった一言、「生きてなさい」、そう言った”。飾り物ではない、赤裸々なシンガーソングライターの姿がそこにはあったという気がする。 余談ながら、こういうアーティストがちゃんと陽の目を浴びる音楽業界というのがあれば、それはある種の理想になるのだろうと思う。その意味では、メジャー・シンガーの福山雅治がSIONの曲を積極的に取り上げてきたのは、ある意味、いい傾向のように思える。 いやはや、一部ファンからは“陰気くさい”と言われてしまうのかもしれないけれど、もっと聴かれて欲しい、というのが、昔も今も正直なところ。[収録アルバム]SION / 新宿の片隅で(自主制作盤、1985年)SION / SION(1986年)下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2014年10月21日
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暗さ極まった音楽は絶望の淵から人を救う…? いきなりこう言うのも何だけれど、こんなに暗いアルバムはまずお目にかかれない。そもそも表題が『生きていてもいいですか』とは、冗談ぬきに暗過ぎる。アルバム収録曲にこれと同じ表題の曲はないのだけれど、ひとたび全編を通して聴けばわかるように、7.「エレーン」の中には、“生きていてもいいですか”という詞が登場する。 そう言えば、昔、確か中学時代のある先生が言っていたことを思い出す。“落ち込んだ時には暗い曲を聴くほうがいい”。本当に沈んでいる人間に明るい曲を聴かせたところで、外部のものとしてしか響かず、結局はその沈み込みを解消しない。けれども、本当に暗い曲を聴けば、沈み込んだ人はその曲に溶け込んでいき、暗さの中に一筋の希望を見出し得る。たぶんそんなことを言っていたように記憶していて、ベートーベンの「運命」が例に挙げられていたように思う(昔の記憶なので細部が微妙に違っているかもしれないけれど)。この話をしてくれた先生は相当の変人で、他にも訳のわからぬ話(例えば、授業の一言目が“君たち、宇宙人は本当にいると思うか?”など)をしてくれて、最後にはイギリスへ留学に行くとか言ってやめてしまった人なのだが、この“暗い曲”の話は中でもやたらと印象に残っている。 さて、話を元に戻して、よく言われるのは本盤は中島みゆき本人が失恋の最中に作成したアルバムということ。その恋愛の真相はともかく、“落ち込んだ人”の心情を完璧なまでに反映した作品であることは間違いない。明るい気分の人が聴くアルバムではない。けれども、このアーティストの凄いところは、暗い気分の人が聴いても自殺したくならない、むしろ生きようと思う方向に導いてくれるところにあるんじゃないかと思ったりする。 冒頭の1.の「うらみ・ます」からして、最初の詞が“うらみ~ます、[中略]、あんたのこと、死ぬま~で~”だから、怖いことこの上ない(後日談では、本人曰く、これは“スタジオ・ライヴ”だったとか)。同じように悲壮感漂う7.「エレーン」は、無残に殺害されて見つかった外国人娼婦の話に基づいているそうだが、これまた“エレーン、生きていてもいいですかと、誰も問いたい/エレーン、その答えを誰もが知っているから、誰も問えない”と暗さの極み(上述の通り、アルバム表題の『生きていても~』はここから採られたと思われる)。暗い曲ベスト2をとりあえず挙げてしまったが、5.「船を出すのなら九月」、9.「異国」(これまた“百年してもあたしは死ねない、あたしを埋める場所などないから/百億粒の灰になってもあたし、帰り支度をし続ける”という歌詞で決定的に暗い!)は、本盤収録曲中で7.と並んで個人的にお気に入りの好曲。 さて、ここのところ長らく、日本の自殺者数が増加しているという報道を踏まえつつ、声高に言いたい。このアルバムは聴くに値する。たぶん多数の人を絶望の淵から救い出す力を秘めている。人間、下ばかりを見て生きるのはなんだけど、ここまでの絶望感を漂わせる(それが本当か演出かなど関係なく)のは、尋常ではない。この暗さを耳にすれば、自己にもなにがしかの希望が見えて来るんじゃないだろうか…、そんな余計なことまで考えさせられてしまうくらい、強烈なインパクトを秘めたアルバムである。 しつこいまでに繰り返してしまうけれど、ハッピーな人が聴いても何も響かないかもしれないのでご注意を。とか何とか言いながら、かつて筆者も一時、このアルバムを頻繁に聴いたこともあるのだけれど(笑)。[収録曲]1. うらみ・ます2. 泣きたい夜に3. キツネ狩りの歌4. 蕎麦屋5. 船を出すのなら九月6. ←記載忘れではなく、もともと“無題(空白)”のインタールード的なインスト曲です。7. エレーン8. 異国1980年リリース。↓ジャケットも暗いです(笑)↓ 【Joshinはネット通販部門1位(アフターサービスランキング)日経ビジネス誌2013年版】【送料無料】[枚数限定][限定盤]生きていてもいいですか/中島みゆき[CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年12月04日
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一時の流行かと思いきや…長く聴き続けられる名作 佐野元春は1956年東京生まれのロックミュージシャンで、1980年にデビュー。それから30年以上を経た現在も活動中のミュージシャンである。80年代当時、洋楽のイディオムを日本語の曲の中に持ち込んだミュージシャンでもあり、例えば初期の曲などでは“これってブルース・スプリングスティーン?”みたいな所が多分にあったりする。 1986年発表の本盤『カフェ・ボヘミア(Café Bohemia)』では、スタイル・カウンシルに代表される当時のイギリス音楽シーンの影響を大きく取り込み、録音は東京で行われたものの、ミキシングの一部はロンドンでこのムーヴメントを引っ張っていたアラン・ウィンスタンレーによって行われている。楽曲自体はイギリスやフランスなどに行った体験に基づいたものとのことで、演奏はザ・ハートランド(本盤ジャケには“A Young Soul Ensemble THE HEARTLAND”と表記されている)との共演による最初の盤となっている。 「SOMEDAY(サムデイ)」で既に人気に火がついていた佐野元春であったが、本盤に先行して出されていたシングル「Young Bloods(ヤングブラッズ)」(1985年)は、初のトップ10入りシングルとなり、この曲とあわせて、同年末リリースの年末シングル「Christmas Time In Blue -聖なる夜に口笛吹いて-」もこの『カフェ・ボヘミア』に収録されることとなった。 全体としては、コンセプト・アルバム風の作りで、様々な音楽要素を取り込んでセンス良く組み合わせている。詞も(佐野元春は、もともと“言い放つ感じ”で歌うヴォーカリストだから詞は聞き取りにくいのだけれど)、一捻りも二捻りも利いていて、単純になっていないところがいい。 四半世紀以上経って、いま思えば、80年代の日本の音楽シーンの中で、よくぞ本盤は受け入れられたことだと思う。アルバムとしては、『No Damage』の1位には及ばず『カフェ・ボヘミア』はオリコンチャート2位が最高位だったものの、この数字は日本の“歌謡界”に新風を送り込んだことを意味していると思う。アイデアの源泉がたとえアメリカやイギリスにあったとしても、それを日本語で歌い、日本の音楽界に広めた功績は計り知れないくらい大きいものだったんじゃないだろうか。しかも、その作りがしっかりしたものであったことは、“古めかしく聞こえない”という点で確認できる。同時期のスタイル・カウンシルなどは、いい音楽ではあるし好きではあるのだけれど、21世紀の現在となってはどこか色褪せて聞こえる。それに比べ、佐野元春の本盤は“21世紀に出た盤です”と嘘をつかれて聴いてみても、そう思わされてしまいそうな気がする。[収録曲]1. Café Bohemia (Introduction)2. 冒険者たち3. 夏草の誘い4. カフェ・ボヘミアのテーマ5. 奇妙な日々6. 月と専制君主7. ヤングブラッズ8. 虹を追いかけて9. インディビジュアリスト10. 99ブルース11. Café Bohemia (Interlude)12. 聖なる夜に口笛吹いて13. Café Bohemia (Reprise)1986年リリース。 【送料無料】Cafe Bohemia(Blu-spec CD2) [ 佐野元春 ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年12月02日
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時代がついて行けなかったのか、彼女が早すぎたのか… GWINKO(ぎんこ)は、沖縄出身の女性シンガーで、現在は美良樹吟呼と名乗っている。1987~94年まで活動したが、90年代から現在まで沖縄に戻って女優活動などをしている。そんな彼女のファースト・アルバムが、1987年に発売されたこの『YESTERDAY TODAY FOREVER』だった。デビュー・シングル(本盤には未収録)と同じ月に、シングルに続いてリリースされた。 実はこのGWINKOという人は、沖縄アクターズスクールの第1期生。このスクールは、後に安室奈美恵(1992年デビュー)、SPEED(1996年デビュー)を輩出している。いわば、GWINKOはこうした後進たちの先駆けとなったシンガーだった。 デビュー当時のGWINKOは14歳。この年齢を考えればなおのこと、歌のうまさが光っている。歌っているのはR&Bっぽい、当時の洋楽だとマイケル・ジャクソンの妹のジャネットなんかが意識されている感じだろうか。シャープな踊りも上記の後輩たちの原型になったように思われる。 筆者はデビュー当時にラジオで特集が組まれているので初めて知った(確かスタジオライヴか何かだったような記憶がある)のだが、やはり第一印象はその歌声だった。中学生とは思えない歌唱力に、楽曲も結構いい感じのものが提供されていた。本盤収録曲の楽しみどころとしては、3.「KISS KISS KISS」、4.「GWINKO’S CHRISTMAS CAROL」、5.「スクランブル・ムーン」、それから、リゾート風アコギサウンドに乗せてのバラードの7.「鐘がきこえる日々」。 結局のところ、GWINKOが爆発的な人気を博すことはなかった。時代が彼女についていけなかったと言うべきか、はたまた彼女の登場が時代に先行し過ぎていたのか…。あと5年遅く登場していたら、よくも悪くも大注目されていたのかもしれない、と想像してみたりもする。[収録曲]1. YESTERDAY TODAY FOREVER2. MILKY-WAYは君につづいて3. KISS KISS KISS4. GWINKO'S CHRISTMAS CAROL5. スクランブル・ムーン6. RAINBOW7. 鐘がきこえる日々8. DAY TRIPPER9. ダイナソス・ラブ。1987年リリース。 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2013年08月06日
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“華麗なる一発屋”の内実 横浜銀蝿関係(嶋大輔、Johnny)を取り上げて、すっかり気分が80年代前半のベストテンみたいな世界にタイムスリップしてしまいました。調子に乗ってもう1曲、悪のりついでということでお許しください(笑)。 ほぼ同じ当時の、印象的な曲です。演奏しているのは、アラジンというバンドですが、バンド名すらご記憶にないという人もいらっしゃるかもしれません。でも、曲名の「完全無欠のロックンローラー」と言われれば、その当時を知る人はすぐさま思い出せるほど、印象の強い曲ではないでしょうか。 見事な一発屋だったアラジンですが、ヒットまでの経緯を知れば知るほど、彼らのような一発屋は“狙ってもできない”稀有な例だったということがわかるのです。そもそも大学のフォークソング同好会のメンバーから成り、ヴォーカルの高原茂仁は高校時代からポプコン(ヤマハ・ポピュラーソングコンテスト)に繰り返しチャレンジしていたそうです。研究と試行錯誤(?)の成果の末に、“これなら狙える”と確信をもって準備したのが、この「完全無欠のロックンローラー」だったらしいのです。 結果、見事に目的を達成し、デビューと相成ったわけです。というわけで、要は最初から洒落で作ったような曲だったわけですね。同じ路線で後が続くはずもありませんでした。その後、高原は芸名・高原兄として活動しつつも、10数年前からは地元に戻って電気工事会社を継ぎながら、テレビやラジオ等への出演を続けています。でも懐かしさのあまり、比較的最近の様子もご覧いただきたいところです。 やっぱりロックンロールは不滅ですね(笑)。 【メール便配送可能】The Best Value999アラジン/スーパー・ベスト(邦楽) 【CDアルバム】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年04月26日
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懐かしい「銀蠅一家」を振り返って “嶋大輔引退表明”(&政治家転身って、ほんまかいな…)などというニュースを目にしたので、思い出したように「男の勲章」の動画を探してみました。案外、その当時の映像は見あたりませんでしたが、とりあえず、絵は動かないものの、その当時の音をお楽しみください。 嶋大輔は、1981年に17歳で横浜銀蝿の弟分としてデビュー。ドラマ主題歌のこの曲が大ヒットし、一躍売れっ子となりました。その後は、戦隊ものの主演のほか、ドラマや映画で俳優として活躍。比較的近年ではこの「男の勲章」がリヴァイヴァル人気も博しました。一応、ご本人登場の映像も、ということで、こちら↓は復活ライヴの映像のようです。 でもって、せっかくなので、この曲の作者にも注目してみたいと思います。 “ガキの頃、赤とんぼ追いかけてた時の~”という何とも昭和で純和風(?)な作詞作曲をしたのは、横浜銀蝿のJohnnyでした。そのJohnnyはと言うと、横浜銀蝿の登場当時、大学生。その後、紆余曲折を経て、30歳でキングレコードでディレクターとなり、後にJ-popセクションの制作宣伝部部長、さらには今では同社の執行役員と出世していきました。「トイレの神様」の植村花菜や、AKB48のスーパーヴァイザーともなったキングレコードでのキャリアを振り返ってみれば、銀蠅の活動当時から、プロデュース方面に才能があったのかなと想像させられます。横浜銀蝿の頃には、ソロデビューもしていますが、同時期の嶋大輔への楽曲提供といい、自身のソロでの売り込みといい、才能ある人だったのかもしれません。 そのようなわけで、Johnnyのソロ曲も一緒にお楽しみください。やはり大ヒットとなったソロデビュー曲「ジェームス・ディーンのように」です。 ギター抱えてロックンロールなわけだから、要するに“洋風”なことをやっていながら、「男の勲章」同様、どこか和風なところがあるのが、個人的には好印象です。もしかして“和風”テイストは狙ってやっていたのでしょうか? もしそうだったのだとすれば、20歳過ぎにして“才能ありすぎ”と言えるくらいすごい人だったということなのでしょうか…。 【送料無料】嶋大輔 パーフェクト・ベスト/嶋大輔[CD]【返品種別A】 【送料無料】【ベストアルバムSALE対象】The Perfect Best Series::Johnny パーフェクト・ベスト [ Johnny ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年04月25日
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清志郎のセンス(後編)(前編からの続き) さて、忌野清志郎の訳詞のセンスの話を続けたい。よく中学生とか高校生が洋楽のコピーバンドをやってみたりした場合、ヴォーカリストがぶち当たりがちな壁は、原曲の詞についていけないという現象だ。なぜついていけないのかと言えば、話は簡単で、往々にして英語が下手だから。いやはや、大人がカラオケで洋楽を歌ってても、字余りになって歌詞がメロディに収まらず、困り果ててしまうことがあるので、中高生に限った話ではない。 “英語が下手”などと言うと、何とも聞こえが悪いかもしれないが、別に単語を知らないとか文意がわからないとかそういうお勉強的な話で英語の下手・上手の話をしているわけではない。要は、音声学的な観点から、英単語の音節を理解せず“カタカナ読み”してしまうから、結果的にメロディに合わなくなるという話なのだ。繰り返すが、お勉強やコミュニケーションツールとしての英語の上手い下手とここで言う英語の上手い下手は別問題である。事実、自称英語を全く話せない阿川泰子があれだけうまく英詞を歌えるという、英語の語学力とは別問題であることを示す好例があるが、この話はいつかまた別途取り上げてみたい。 ともあれ、一般論的には、音楽(メロディ)というのは、五線譜に音符があって、その音符に概ね一つの音節が乗っかるという形で成立している。英語の歌をカタカナ英語で歌うとつじつまが合わなくなるのは当然の帰結だが、音楽分野でのこの音符/音節問題は、英語の語学力とは関係ないセンスにも左右されるようだ。そしてそれが清志郎の訳詞のセンスという話につながる。 それでもって、清志郎の訳詞はと言うと、不思議なことに字余りが少ない。もうちょっと細かいことを言えば、字余りが目立たない字余りになっているもすごい。英語の詞を日本語に置き換える時点で、英語の音節数と日本語訳詞の音節数(譜面上は音符の数)がうまく一致もしくは類似しているのだ。字余りになった時も、見事に強弱がつけられていて、本当の字余りに聞こえない工夫が凝らされている。この訳詞のセンスは、清志郎がめちゃくちゃ考え抜いていたのか、それとも自然にそうなったのかは筆者知らない。けれども、その真相がどちらにせよ、結局は、これらの条件を乗り越えて、日本語として感動を与え得る見事な訳詞をつけているというのは、忌野清志郎の見事な才能ということだと思う。 余談になるが、日本の有名アーティストが洋楽のカバーをしているのを聴いて、びっくりするほどずっこけることがある。ここ何年かで鮮烈(?)だったのは、EXILEによるWhamの名曲「ラスト・クリスマス」。本人たちが訳したのか、日本語詞を準備した人物が別にいたのかしらないけれど、字余りだらけの崩れはてた名曲は、いくら歌っている本人たちが恰好よかろうが、噴飯ものだった。“洋モノをやればカッコよく見える”というのは時代が変わろうとも今も昔も部分的にはそうなのかもしれない。でも、外から持ってきたものをどれだけうまく消化しているかは、演じる者、解釈する者の腕にかかっている。 原曲と清志郎の訳詞のサビ部分を少し比べてみると、次のような感じ。Cheer up, Sleepy Jean/ずっと夢を見てOh, what can it mean/幸せだったなぁTo a daydream believer/僕は デイ・ドリーム・ビリーバーAnd a homecoming queen/そんで 彼女は クイーン “To a”が「僕は」(ここは字余りだけれど)、“And a”が「そんで」になるセンスは、ふつうのアーティストや作詞者にはないものを感じるというと大げさだろうか。いや、筆者は本当に凄いと前々から思っているのだけれど。 以下、おまけで有名な”放送事故”ライヴ出演の時の「デイドリーム・ビリーバー」の演奏です。 [収録アルバム]THE TIMERS / 『ザ・タイマーズ』 (1989年) 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【after20130308】【送料無料】ザ・タイマーズ/THE TIMERS[CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2013年03月26日
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清志郎のセンス(前編) 1960年代半ば、ビートルズ人気に肖ってアメリカで結成されたグループ、ザ・モンキーズ(The Monkees)の代表曲である「デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)」(このグループの曲としての日本語表記は「デイドリーム」だが、原題はDaydream Believer)。キングストン・トリオのジョン・スチュワートのペンによる、1967年のヒット曲だったが、それから20年以上を経たバブル期の日本で一躍脚光を浴びることになった曲でもある(当時、カップ麺のCM曲になったほか、数年前にもコンビニCMに用いられるなど繰り返し巷で耳にする曲である)。 火をつけたのは忌野清志郎。いや、正確には、“清志郎にそっくりのZERRYなる人物がヴォーカルをとる謎のバンド”、ザ・タイマーズ(The Timers)が1989年にデビュー・シングルとして発表したカバーであった。ザ・タイマーズというのは、どうやら日本のグループ・サウンズの代表格“ザ・タイガース”と、“大麻”をひっかけてつけられたバンド名らしく、ZERRY(ゼリー)というのも、“ジュリー(沢田研二)”のパロディとのこと。 2009年に58才で惜しくも亡くなった清志郎は、決して正統派ではない、あまりに個性派なロック・ミュージシャンだった。思い起こすにつけ、本当に才能あふれるアーティストだったと思う。その生き様は“ロックしていた”としか表現しようがなく、最後の最後まであまりに正直だった。カッコつけて見た目が決まっていればよしとするミュージシャンが多い中、実に好感のもてる人物だった。 そんな清志郎には、あまり注目されない見事な才覚があったように思う。それが努力によるものなのか、はたまた天性のものだったのかは今もってよくわからないけれど、1980年代、RCサクセションとして、また“謎の覆面バンド”、ザ・タイマーズとして発表した中にそれが見られる。その才覚とは抜群の訳詞のセンスである。今回取り上げた「デイドリーム・ビリーバー」はその代表例の一つというわけだ。 話が長くなってしまいそうなので、まずは曲の動画をご覧いただき、回を改めて後編で話を続けさせていただきたい。ちなみに訳詞の内容は、亡き母に捧げたものとのこと。 (後編に続く) 【送料無料】ザ・タイマーズ [ THE TIMERS ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月25日
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2011年を振り返る(その3)~やっぱり原発と清志郎(2/2) もう一つ、この1年ずっと気になり続けた清志郎ナンバーが「ラヴ・ミー・テンダー」。言わずと知れた、エルヴィス・プレスリーの有名曲だが、『COVERS』に収められた各楽曲と並んで、日本語訳詞が実に見事。元のメロディを維持しながらこれだけぴったりはまった訳詞というのは、そうそう作れない。“なに言ってんだ~/よせよ~/騙せはしねえ~”、“放射能は~/いらねえ~/牛乳が飲みてえ~”。そう、反核・反原発の訳詞なのである。動画は、前回と同様、ライヴのテイクから。 前回少し触れたように、この曲を含むアルバム『COVERS』は東芝からの発売が中止になった。親会社が原発推進に加わっていたわけだから、“大人の事情”的にはなるほどだったわけだが、その当時、バブル景気に浮かれていた日本で、こんなところに目をつけていたのは先見の明があったとしかいいようがない。 けれども、それを受け止めた若者たちの多く(筆者も含む)はどこか勘違いしていたのかもしれない。皮肉にも、“ロックに反骨精神を見る”ことが、清志郎のメッセージを正当に評価する妨げになってしまった側面があったのではなかろうか。某民放の生番組でリハーサルとはまったく違うのを演り、彼らの楽曲を放送禁止にしたFM東京を叩いた姿などは、まさにその象徴だった(世の動画サイトにも、放送内容は繰り返しアップされ続けている)。でも、よく考えれば、清志郎が思い描いていたのは、その先に放送される歌のメッセージだったはずで、もっと言えば、聴き手が何らかのアクションを起こすことであったに違いない。けれども、結果として、聴き手側はそうしたアクションを十分に起こすまでは至らなかったので、今回のような惨事を迎えてしまったということになってしまったのだろう。 今回も動画の紹介ついでにおまけをもう1曲。清志郎そっくりの“友人”ZERRYが率いるバンド、ザ・タイマーズ(“大麻”と“ザ・タイガース”を引っかけた名称)による、「メルトダウン」。この表題となっている用語は、わずか9カ月の間に、日本人では知らない人はいない有名語になってしまったわけだが、20年も前にこれをタイトルにしてこんな歌をやっていた(しかもこのライヴ映像の会場は、九州電力保有の福岡電気ホールとのこと)のである。これって彼が遥か未来を見通していたということがわかるのと同時に、やっぱりその当時の世間の聴衆には本当にはメッセージが浸透しきらなかったのかな、という感じも受ける。 一年の締めくくりが暗くなってしまうのはどうかとも考えたが、一区切りで2012年に突入するまでに、ずっと気になっていた忌野清志郎のメッセージを思い出しておきたかった。 来年はどうかすべての日本に住む人たちにとって、前向きな1年となりますように。 皆さん、よいお年を。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年12月31日
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2011年を振り返る(その2)~やっぱり原発と清志郎(1/2) 今年を振り返って、何よりも3月の震災と津波の被害に遭われた方々のご冥福を祈るとともに、ご家族や友人を失った方々にも、いま一度、心からお見舞いを申し上げたい。 その一方で、今回の地震・津波は単なる自然災害にとどまらず、原発事故・放射能汚染というとんでもない“おまけ”までついてくることになった。そして、放射能汚染に対する政府や自治体の後手にまわった対応に、最初は慌て、やがて憤り、しまいには呆れてくるという何とも複雑な気分を経験し、それは今も続いている。 そんな気分の中、一連の災害・事故の直後から気になって仕方なかった忌野清志郎の曲(カバー曲)が2つあった。いずれもRCサクセションのいわくつきアルバム、(1988年にいったん発売中止となり、その後、別のレコード会社からリリースとなったアルバム)『COVERS』に収められていたものである。1年の締めくくりとして、2回に分けてこれら2曲を取り上げておきたい。 ちなみに、上記アルバムは、原発事故後、店頭で品切れになるほどの異例のセールスを記録したとのニュースもあった。なので、発表当時のことを知らない人たちの間でも、もはや周知の内容かもしれない。また、世のブログやその他のメディアで頻繁に取り上げられたので、今さらと思われるかもしれないが、お付き合いいただきたい。 まず、今回は「サマータイム・ブルース」という曲である。オリジナルはエディ・コクラン(1958年)、さらには、ザ・フーのカバーでも有名な曲。これに日本語の訳詞をつけたのが、清志郎ヴァージョンである。 ちょうど23年前のこの時期(1988年12月31日~1989年1月1日)の年越しライブから、「サマータイム・ブルース」の映像をご覧いただきたい。 ついでに映像をもう1本。上記の「サマータイム・ブルース」を含む(さらには「君が代」なども入っている)メドレー。 ギター1本でこれだけ聴き手に訴えかけられるアーティストは、やっぱり稀有である。忌野清志郎という人は、そうしたアーティストの一人だった。2009年に早過ぎる死を迎えた清志郎だったが、天国でいまの日本をどう見ているのだろうか。もしもの話をしても仕方ないのは承知しているけれど、現在まだ清志郎が生きていたならば、電力会社には“ざまあみやがれ”と言ってるかもしれない。その一方で、きっと多くの人々には“前向きに生きよう”っていうメッセージを送ってくれていたことだろう。[収録アルバム]RCサクセション 『COVERS』(1988年) 【送料無料】カバーズ/RCサクセション[CD]【返品種別A】【smtb-k】【w2】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2011年12月30日
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人生を見失いかけた若者はこの曲をぜひ “オニババ化する女”、“オレ様化する子ども”…。いずれも新書本のタイトルである。人間そんなに自己中に走っているのだろうか…。いや、別に今の時代だけが特別なわけじゃないとは思うけれど、若気の至りで自分が世界の中心だと思いこんでしまうぐらいは、時代を問わずよくあることかもしれない。そう思い込んだ人間が壁に突き当たると、当然ながら挫折を経験する。ふつうはそこでその壁に気づき、乗り越えていくのだけれども、今のご時世、乗り越えられない人もいるのかな。いや、昔からそうだったのかもしれないけれど。かくいう筆者も“若気の至り”な時期はあったと思う。世界の中心とは言わないまでも、自信に満ち溢れることができるのは、いいとこ20代ぐらいまでの若者の特権なのだろう。 SION(本名:藤野秀樹)は、1960年生まれで、山口出身のシンガーソングライター。19歳で上京し、25歳にして自主製作盤を発表し、その後にようやくメジャー・デビューしたという苦労人である。そんな彼の最初のシングルがこの「俺の声」であった(発表は1986年)。当時のSIONはルックスが“ヤバい”雰囲気(眉毛なしは結構怖く見えた)に満ち満ちていながらも、楽曲は独白的で、実に魅力的であった(無論、今も魅力いっぱいの歌い手であり創作者である)。 その理由は、見かけとは裏腹に、自己をさらけ出すような作風が強かったことにあるように思う。とりわけ、「俺の声」の詞などは実に印象的だった。“俺は王様だと思ってた/俺の声で誰でも踊ると思ってた/だがしかし、俺の叫ぶ声は/ピンボールさ、跳ねてるだけ”。この曲のサビはこんなフレーズだ。上述のように、1980年代のバブル真っ盛りの時期、世の中は浮かれていた。しかし、SIONは、自分から楽ではない道を選択した。残念ながら今でも十分な一般的評価は受けていないとは思うけれども、彼はシンガーソングライターとして現在までその立場を維持し続けている。世の中年(特にバブル世代)は使い物にならないなどと厳しいことを言われるご時世だけれども、いつの世代にもこういう性根の据わった人間はいるということだろうか。 現代の若者たちも“ゆとり世代”だの何だとの言われ、時に肩身の狭い思いをしている。ハングリーであることは、時代遅れな印象を与えるかもしれないけれど、やはりいいことなのかもしれないと思う。少なくとも四半世紀前の20代の“若者”の中には、SIONのような人物がいて、次世代への襷をつないでいる。2011年の今、その襷をつなぐことのできるミュージシャン、もしくは若者がいるならば、日本の未来はまだまだ明るいのではないだろうか。 せっかくなので、オリジナルではないものの、この「俺の声」(ライブのテイク)は次のようなもの。 さらにおまけながら、↓こんな↓動画も見つけてしまいました。絵を見てわかるように、SION本人ではありませんので、気が向いた方のみどうぞ。ムード歌謡的な雰囲気が特徴的な方の動画ですが、こういう風なのを聴くと、SIONが優れた作曲家であることもわかるのでは…? なお、「俺の声」は、もともとは自主製作盤『新宿の片隅で』(1985年)に収録。ちなみに、この盤は1994年に出たベスト盤(『10cd best』)で復刻されており、そのほかでは、各種ベスト盤にも収められている。[収録アルバム]SION / SION ‘85>’87 (1987年、ベスト盤)SION / 俺の声 (2001年、ベスト盤)追記: 動画が消えてしまっているようですので、別の動画をアップしておきます(2014年10月15日)。1009年、大阪でのライヴの映像です。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2011年05月16日
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不安…それとも希望? ここ数日、震災後の福島の原子力発電所のニュースが気になって仕方ない。とくに昨日はそうで、現在も予断を許さない状況が続く。報道を見ると、どうしても“何が真実なのか”という疑問がついて回ってしまう。曖昧な説明、二転三転する報道、現場にいる人たちが精一杯頑張っているはずのことはわかるが、それがニュースとなる過程の動きについ猜疑心を持ちたくなる。 一連の報道を見ながら、頭から離れない曲がいくつかあった。うち2つはRCサクセションのアルバム『COVERS』に収録された「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」。もう1つは佐野元春の1988年のシングル「警告どおり計画どおり」だった。 「警告どおり計画どおり」は、日本の原発行政をストレートに批判したもので、ウィンズケール(1957年、英)、スリー・マイル・アイランド(79年、米)、チェルノブイリ(86年、ソ連)の名を挙げながら、真実はどこにあるのか、いったいこのままでいいのかを強く問い詰める詞。佐野元春のキャリア上、唯一のピクチャーレコードとしてリリースされ(カセット、CDも同時発売)、結果的には最後のレコードとなった(この年にCD売り上げが伸びて、次のシングルからはEPは発売されなくなったため)。ジャケット裏およびピクチャーレコードB面には“IMAGINE OF / THREE MILES Is. U.S.A. / CHERNOBYL U.S.S.R. / WINDSCALE U.K. / AND NEXT?”という文字が二色刷りになっているのが印象的。バービーボーイズのいまみちともたかがギター参加し、いつものHEARTLANDではなく、REDSというバンドを中心とした演奏。つまりは、特別企画的にレコーディングされたシングル曲であり、当時の佐野元春のイメージからすると、ギターを中心にしたかなりストレートでハードなロック・サウンドに仕上げられている。 でもよく考えてみれば、ここで不安を煽りたてて終わりというのは、よくない。この記事に付す上記の曲の動画はないかと探していたら、別の曲が目にとまり、その曲のことを思い出した。自分の中では長らく記憶の片隅に追いやられていた「約束の橋」。佐野元春が上記「警告どおり計画どおり」の次にリリースしたシングル曲だ(発売は翌89年)。こちらの「約束の橋」の方は発表から数年後にテレビドラマ(『二十歳の約束』)の主題歌にもなった有名ヒット曲である。 “今までの君はまちがいじゃない/君のためなら橋を架けよう”、“これからの君はまちがいじゃない/君のためなら河を渡ろう”。佐野元春は1956年生まれでこのシングルのリリース当時は33歳。どこかの若造が歌うのではなく、三十路を過ぎたロッカーが敢えて歌うからなおのこと愛と希望を感じさせてくれる。加えて、このPVの溌剌とした動き(動きに関しては、ほんとB・スプリングスティーンそのまんまのアクションですが、まあそれもよし)。 原発の曲を探していて希望の曲を思い出した。それだけでも少し前を向くことを考えさせてられたように思う。[収録アルバム](上記両方の曲を含むベスト盤2種を挙げておきます。)佐野元春 『Moto Singles 1980-1989』 (1990年)佐野元春 『THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004』 (2006年) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年03月16日
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人生の応援ソング 震災の後で元気になれる曲を取り上げようと思い、ベタではあるがこの曲を選んでみた。筆者も励まされたことのある曲である。被災して家や大切な人たちをなくした方々、避難生活で大変な状況にある方々には歌やブログどころではないのは承知している。でもこれを見られる環境にある人の中にはもしかすると歌で勇気づけられる人もいるかもしれないと思い、ひとまず載せてみることにしたい。 この「ファイト!」という中島みゆきの曲、正直、曲調は暗い。けれども、人間へこんだ時には明るい曲にばかり励まされるものではない。筆者が落ち込んだ時に聴くレパートリーには、中島みゆきのいくつかの曲やアルバムのほか、一聴すると“暗い”ものが結構ある。 1983年発表の10枚目のアルバム『予感』を締めくくる曲(B面最後の曲)として収録され、10年以上後の1994年になってから別の曲(「空と君の間に」)とともに両A面としてシングル発売された。元々は、当時、中島みゆきがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンに投稿された“私だって高校行きたかった”というペンネームの少女(当時17歳)からの投書をきっかけに制作された曲であった。家庭の事情で中卒で社会に出たが、中卒だからという理由で責任ある仕事に就かせてもらえない、しかもその会話を傍で耳にしてしまった少女の怒りと苦悩という内容の投書だった。 したがって、詞の一部は上記の投書のエピソードに沿った内容なのだが、この曲はいつしか幅広く人生の応援ソングとして認知されるにいたった。曲の途中では“私の敵は私です”、“いっそ水の流れに身を任せ/流れ落ちてしまえば楽なのにね”と自己を乗り越えていくことが示唆され、さらにサビの部分はより普遍的に人生の逆境を乗り越えていくことへの呼びかけ、頑張れというメッセージになっている。“闘う君の唄を/闘わない奴等が笑うだろう”、でも、水の流れに逆らって必死に上っていく魚たちのように、“冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ”という応援メッセージである。 詞の内容もさることながら、中島みゆき自身のボーカルも見事である。年輩の方だと単調な弾き語りをしてそうなイメージ、最近のファンだと音の派手さのイメージがあるかもしれないが、彼女のボーカルというのは実に表情豊かで、この「ファイト!」でもその良さが存分に発揮されていると思う。歌い手(観察者側、応援者側)にたった励ます語りのトーンと、励まされている当人(聴き手側)の心情に立った決意を込めた強く重苦しいトーンの中間を行ったり来たりするかのようなボーカル。結果、重すぎず、だからといって他人からの励まし風だけでもない、いいバランスに仕上がっている。要するに、聴き手が感情移入しやすいバランスといってもいいかもしれない。 元のレコードのバージョンが好きだが、アップされている動画は見当たらなかったので、次のライブ・バージョンをよろしければどうぞ。元のスタジオバージョンと比べてだいぶ演奏はかわってしまっているけれども、彼女のボーカルは上記の二つの立場の使い分けがより明確になされている。 [収録アルバム]中島みゆき 『予感』 (1983年) 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年03月15日
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兄弟デュオによるスティーヴィー・ナンバー スティーヴィー・ワンダーの「心の愛(I Just Called To Say I Love You)」を前回記事で取り上げたとくれば、次はこの曲にも言及しなくてはならない。先に書いたように、本来、「心の愛」は「特別な気持ちで」という日本語タイトルでブレッド&バターが自身のアルバムでリリースするはずだった(結局、彼らはカバー・バージョンとして後にこの曲を発表している)。彼らが歌った別のスティーヴィーの曲というのがあって、それがこの「リメンバー・マイ・ラヴ」という曲である。 ブレッド&バターは、岩沢幸矢(さつや)と岩沢二弓(ふゆみ)という茅ヶ崎出身の兄弟のデュオで、60代になった今も現役である。70年代前半から積み上げてきたアルバム・リリースは、ベスト盤を除いても20枚近くあるようだ。余談ながら、弟の二弓さんの方は楽天にオフィシャル・ブログを開いておられる。 さて、前項で書いたように、ブレッド&バターはスティーヴィーから提供された「特別な気持ちで」(後の「心の愛」)を吹き込み、リリースする予定だった。この曲は79年のアルバムに収録予定だったらしく、詞は松任谷由美が担当した。ところがスティーヴィー側から待ったがかかり、いったんこの曲はお蔵入りになってしまう。この一連の経緯が起こったのは1979年リリースとなったアルバムだったというのがミソでもある。 後にスティーヴィーが1984年にサントラ収録曲として「心の愛」を発表し大ヒットさせたたわけだが、そこでスティーヴィーの共同制作者との訴訟が起こる。リー・ギャレット(「涙をとどけて(Signed, Sealed, Delivered I'm Yours)」などの共作者として知られる)が、「心の愛」をパクられたと訴えたのだった。その時にスティーヴィーのオリジナルであることを証明する決め手になったのは、ブレッド&バターのデモテープだったという。おかげでスティーヴィーは勝訴し、スティーヴィーが謝意を込めてあらためてブレッド&バターに贈ったのが「リメンバー・マイ・ラヴ」だとのこと。 ちなみにこの曲もスティーヴィーがタイミング良く自作として出せば、平気でTOP10ヒットになったのではないかというようなシンプルで美しい曲。この手のスティーヴィー・ナンバーは70年代との比較の上でとかく批判されがちだけれど、メロディメイカーとしての実力はやはり相当のものなんだな、とあらためて実感する。NASAから電話がかかってきて宇宙へ旅立っていくという詞のストーリーはどうかとも思うけれど、それでもメロディメイカーという観点での評価は変わらない。もちろん、それをシンプルに美しく作品にしあげたブレッド&バターも見事というべきだろう。[収録盤]ブレッド&バター 『セカンド・セレナーデ』(1984年、CD特別企画盤にボーナストラックとして収録)ブレッド&バター 「Remember My Love」(1986年、アナログシングル盤、B面に日本語バージョンも収録)[関連記事]スティーヴィー・ワンダー 「心の愛(I Just Called To Say I Love You)」 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011年02月12日
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青春の肖像としての熱き夏 いやはや、これで梅雨明けだろうか。何とも暑い毎日が続く。そんな暑い夏にぴったりの1曲をということで、プリンセス・プリンセス(俗に略称プリプリ)の1曲を取り上げる次第である。 ご存じのとおり、プリンセス・プリンセスは、日本のガールズ・バンドとして80年代から90年代にかけて大きな成功を収めた。メジャーデビュー後の87年の初シングルとアルバムから(厳密には前年にミニアルバムも出しており、さらにその前には赤坂小町の名でも活動もしていたが)、95年に解散を発表するまで数々のヒット曲を連発したが、何より元気いっぱいで気持ちよく聴けたのは、87~89年にまたがる時期、アルバムで言えば、『Teleportation』から『Lovers』あたりではなかったかというのが個人的な印象だ。 ちょうどそんな時期にまたがった2つのヴァージョンを持つのがこの「世界でいちばん熱い夏」という曲である。というのも、この曲は87年に2ndシングルとして発売されているのだが、当時はヒットには至らなかった。しかし、2年後の89年に再発売され、この際には大ヒット(オリコン1位、しかも7thシングル「Diamonds」に続き2曲連続の1位で、これら2曲で年間シングルの1位と2位を独占した)。西暦で言うと87年と89年だが、元号で言えば昭和62年と平成元年で、このわずかの間に時代は昭和から平成へ移り変わっていた。そんなわけで、再発時には同曲の“平成レコーディング”ヴァージョンがカップリング収録された。 ちなみに、元のヴァージョンはスタンダードな曲構成に比較的シンプルな演奏。これに対し、“平成”ヴァージョンの方はアカペラでサビ部分が冒頭に入るという曲構成の工夫が加えられている(ライブでやっていたアレンジをそのままスタジオでの新録に適用したとのことらしい)。個人的には後者の方が気に入っているのだけれど、プリンセス・プリンセス自身もベスト盤などコンピレーションの場面では後者のヴァージョンを使用するようになり、現在では、本来の87年のシングル・ヴァージョンは聴ける機会が少なくなってしまっている。さらに余談ながら、2001年にはこの曲に着想を得た「世界で一番熱い夏」というテレビドラマも制作されている。 いずれのヴァージョンにせよ、この時期の彼女たちはとにかく伸び盛りで充実しているという感じで、その充実感がそのまま音楽に反映されていた。音楽的にどうとか、そういう難しいことを超越した次元で、はじけんばかりのパワーを秘めた生き様がそのままに音楽に映し出されていた。小難しいことをちまちまやるのではなく、若さそのままに体当たりといった感じで突き進んでいく力がみなぎっていた。「世界でいちばん熱い夏」は、そんな彼女たちの“青春の肖像”そのものだったとも言えるように思う。[収録盤]シングルで過去3度発売(1987年、「ヴァイブレーション」とのカップリング;1989年:オリジナルと平成の両ヴァージョンを収録;2001年、「ダイアモンド」とのカップリング)。その他、ベスト盤類にも収録。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2010年07月17日
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アイドル歌手がアーティストを目指すとき ~その2~ 前回の河合奈保子(『スカーレット』)に続き、今回もアイドルとして活動しながらもアーテイスト路線へと方向転換を図った歌い手のアルバムで気に入っている盤を取り上げたい。森川美穂といってもピンとこない人もいるかもしれないが、もともとVapからアイドルとして売り出され、やがて学園祭の女王として人気を定着させていったシンガーである。1990年代にいくつかのヒット曲を残し、その実力から、現在は大阪芸術大学のヴォーカル実技の専任講師を務めている。 1983年にヤマハのオーディションに選ばれ、1985年にアイドル歌手としてデビュー。同期には、南野陽子、本田美奈子、中山美穂などアイドルの一時代を築いた見事な顔ぶれが揃っていた。所属レーベルVapの強い押しでトップテンなどにも取り上げられたりするが、本人はアイドルとして売り出されていることに納得していないようだった。1987年、ASKA作の「おんなになあれ」(6枚目のシングル、アルバムとしては2枚目)の辺りから徐々に路線変更し始め、ヴォーカリストとしての立場を明確にしていく。そんな中、同年11月に発売されたのが、アルバムとしては3枚目にあたる本作『ヌード・ボイス』だった。 森川美穂という人の性格・キャラはアイドルに向いていなかった。デビューからしばらくすると、ラジオ番組等でのトークが好評を博し、歯に衣着せぬ物言いがファン層の拡大につながった。振り返ってみると、1987年の本作『ヌード・ボイス』、翌1988年の『1/2Contrast(ハーフ・コントラスト)』の辺りの彼女は、開けっ広げで単刀直入でストレートな性格そのままの歌声を披露していたと思う。ヴォーカリストとしてのセールスの全盛は1990年代前半で、その頃にはヴォーカリストとしてのテクニックも増していったのだが、筆者としては、粗削りな部分も含めて、特にこの時期の生き生きした歌いっぷりが気に入っている。 収録曲のうち、2.「Pride(プライド)」は先行シングルとして発売され、それ以前のシングル曲と同様にミノルタ(カメラ)のCM曲として使用された。思いっきりのよいヴォーカルが印象的なナンバーで、アルバム収録曲では、1.「Nice Meet」や6.「Good Luck」なども似た傾向にある。まだアイドル時代を若干引きずっているような曲もあるけれど、全体としてとても気持ちよく歌っているという印象がある。もう一つ付け加えておくと、男女関係云々といった詞の内容が中心である中、10.「Bird Eyes」は唯一の落ち着いたバラード曲で、内容もこの1曲だけ普遍性のある内容である。この曲はとにかく名曲で、なおかつ後々開花していく歌唱力の片鱗が存分に伺える。NHKアニメ「ふしぎの海のナディア」の主題歌など後々のヒットしか知らない人はぜひさかのぼってこのアルバムも聴いてもらえるといいように思う。追記: 余談ながら、森川美穂のVap時代のCDは、1990年の東芝EMI移籍に伴ってすべて廃盤となり、一時は1万円などというプレミアが付いていた。1999年に一斉に再発されたが、現在では再び廃盤のため入手しにくいアルバムもある模様(本作『ヌード・ボイス』は中古であれば入手は特には難しくない)。[収録曲]1. Nice Meet2. Pride3. By Yourself4. 月曜日の痛み5. やさしくなって…6. Good Luck7. Cancel8. Silent Talk9. クリスマスはどうするの?10. Bird Eyes1987年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年04月01日
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アイドル歌手がアーティストを目指すとき ~その1~ アイドルとしてキャリアを積んだり、アイドル的に売り出されたりした後、アーティスト的な方向に転向していく歌手というのは結構いる。もちろん、その中には大成功から大失敗まで様々な例があるわけだけれども、個人的に気に入った盤というのがいくつかある。そうしたものの一つがこの河合奈保子『スカーレット』である。 河合奈保子は1980年に芸映プロのオーディションで優勝し、同年にデビュー。同じアイドル歌手としては、松田聖子や柏原芳恵(当時、柏原よしえ)らと同期であった。そこから6年ほどの間にアイドルとして全盛を迎え、「スマイル・フォー・ミー」、「夏のヒロイン」、「けんかをやめて」、「UNバランス」、「コントロール」など多くのシングルをチャートに送り込んだ。その一方、1984年からアルバム制作に関わり始めていて、コンサート等でも徐々に自作曲を増やし、ついに1986年の本作『スカーレット』では、初めて収録曲すべてを作曲した。この企画が1回限りの思い付きではなく、その後も自作曲のアルバム作りを続けようとする姿勢は、アルバムの副題が“マイ・ソング・ワン”となっていることからも伺える。 作詞は、当時新進の作詞家であった吉元由美(後に平原綾香のデビュー曲の作者としても知られる)が担当。それぞれの曲には“イメージ・プロフィール”として人物設定がなされていて、1曲ずつが1人の女性の物語という形式をとっている。例えば次のような具合で歌詞カードに記されている。「●名前:大槻絵梨 ●年令:22歳 ●身長:157cm ●血液型:A 型 ●職業:アーティスト ●性格:感受性豊か ●両親:父(建築家)母(教師) ●恋人:不明 ●音楽:クラシックを好む」(1.「スウィート・ロンリネス」より)「●名前:三枝由美 ●年令:22歳 ●身長:156cm ●血液型:A 型 ●職業:タイピスト ●性格:気が強い ●両親:父(商社マン)母(主婦) ●恋人:22歳(広告会社員) 」(6.「夢見るコーラス・ガール」より) これらのプロフィール設定を見ていると、大半は20代前半の女性、すなわち、当時の河合奈保子自身に近い年齢が設定されていることに気付く。4.「ヘミングウェイのダンスホール」に至っては、NAOKO HEMINGWAY(年齢は記載なし)という人物プロフィールが設定されている。つまりは、それぞれの曲が異なるプロフィールの人物に関する一つずつのストーリーを形成しているというわけである。各曲にイメージを決めて1曲1曲を積み重ねていってアルバムにするという手法は、ある程度成功していると思う。 それぞれの曲には邦語タイトルと英語タイトルの両方があって紛らわしく見えるが、これは、直前の何枚かのアルバムから続いている形式を踏襲したものである。そして、それら数枚のアルバムとは、ニューミュージック/シンガーソングライター系のアーティストの楽曲提供を受けたものであった。つまり、それら先行するアルバムは全曲自作の本アルバム制作を視野に入れた、いわば助走期間のようなもので、アーティスティックな方向転換を目指していたように思われる。もともとアイドルデビュー時からアイドルとしては例外的に音楽の素養があったとのことだから、それが活かされてこのような方向に進み始めたということなのだろう。 結局、河合奈保子のアーティストへの転向は、“大成功”と表現できるほどの結果が伴ったわけではなかった。けれども、本盤を聴くと、アイドルを脱皮し、自分の理想を追い求めて好きなように制作に関わり始めた喜びみたいなものが率直に伝わってくる。おそらく、筆者が本アルバムを気に入っている理由はそのような「喜び」が音楽自体から伝わってくるところにあるのだと思う。個人的な推薦曲は、1.「スウィート・ロンリネス」、4.「ヘミングウェイのダンスホール」、6.「夢見るコーラス・ガール」、7.「緋の少女」、10.「ハーフムーン・セレナーデ」。特にこれらの中でも、6.のヴォーカルと10.の曲そのものが特に気に入っている。[収録曲]1. スウィート・ロンリネス -Sweet Loneliness-2. 雨のプールサイド -Rain of Tears- 3. ロードサイド・ダイナー -First Day on Highway Map- 4. ヘミングウェイのダンスホール -Christmas Memories- 5. 想い出のコニーズ・アイランド -Do You Remember Me ?- 6. 夢みるコーラス・ガール -The Days for Dream- 7. 緋の少女 -Scarlet- 8. ムーンライト急行 -Moonlight Express- 9. クラブ・ティーンネイジ -Song for Summer- 10. ハーフムーン・セレナーデ -Grass Harp Pianissimo-1986年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010年03月31日
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