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気まぐれ80s~Chapter 14(その9) 今回、取り上げるのは、シンディ・ローパー(Cyndi Lauper)の初期のヒット曲「シー・バップ(She Bop)」です。1953年生まれの彼女は、遅咲きで1983年にデビュー盤『N.Y.ダンステリア』(現在の邦題は『シーズ・ソー・アンユージュアル』)を発表しました。このアルバムからは「タイム・アフター・タイム」が最大のヒット曲(全米1位、全英3位)となりましたが、この「シー・バップ」という曲も、全米で3位の大きなヒットとなりました。 まずは公式のビデオ映像をご覧ください。 続いては、その当時の懐かしさを感じるビデオをご覧いただこうと思います。日本武道館でのライヴの映像とのことですが、1980年代当時のステージで、バブルな日本の雰囲気も感じられるライヴの映像です。 当時30歳だったシンディ・ローパーですが、時の流れは素早いもので、今年(2024年)にはそれから早40年が経過しました。この間、シンディは長らくシンガーとしての活動を継続してきました。その中では、次のようなアレンジのものも披露されました。アコーディオンをバックに原曲とはかなり異なるアレンジで演奏された、2004年発表のライヴ・ヴァージョン(本人の紹介では“フレンチ・ヴァージョン”と言っています)をどうぞ。 [収録アルバム]Cyndi Lauper / She’s So Unusual(1983年) シーズ・ソー・アンユージュアル [ シンディ・ローパー ] シーズ・ソー・アンユージュアル [ シンディ・ローパー ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2024年06月17日
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ギターを堪能できる好盤 ロイ・ブキャナン(Roy Buchanan)は、1939年生まれのアメリカのギタリスト。一般にはあまり名前を知られておらず、マイナー・アーティストであるかのように扱われてしまうことが多いが、エリック・クラプトンやジェフ・ベックが敬愛するギター奏者として紹介されたりする。1988年に48歳で亡くなっており、酔った末に問題を起こして拘留され、拘留先で首を吊ったとされる。 本盤『メシアが再び(A Street Called Straight)』は、1976年に発表された5作目のスタジオ・アルバム。子どもを膝にのせてテレキャスター(フェンダー社製のギター)を構えているジャケット写真も実にキマっている。ロイ・ブキャナンの作品に初めて手を伸ばす人には格好の盤ではないかと個人的に思っていたりするアルバムでもある。 いくつか注目したい曲をピックアップしてみたい。1.「ランニング・アウト(ラニング・アウト)」は、彼らしさ全開のオープニング・ナンバーで、筆者のなかではこの雰囲気こそブキャナンというイメージだったりする。4.「グッド・ゴッド・ハヴ・マーシィ」は、エレキギターでの弾き語り風のナンバー。ヴォーカリストとしてのよさも十分に兼ね備えていたことがよくわかるなかなか魅力的な1曲である(6.「カルソ」でもそのヴォーカルのよさが生かされている)。 インスト曲の7.「マイ・フレンド・ジェフ」は、表題からもわかるように、ジェフ・ベックに捧げられたナンバー。この前年にリリースされた『ブロウ・バイ・ブロウ』の中で、敬愛するロイ・ブキャナンにジェフ・ベックが名曲「哀しみの恋人達」を捧げたことから、これに呼応してこの曲がアンサートリビュートとなっている。 本盤での大きな聴きどころの一つは、邦題(原題は別のタイトル)にも採用された10.「メシアが再び(メサイア・ウィル・カム・アゲイン)」。ファースト作に収録されたナンバーの再演で、ゆったりと曲が流れていく中、彼のテレキャス演奏の魅力が発揮されている。この“泣きのギター”は、筆者的には、サンタナの「哀愁のヨーロッパ」と双璧を成すと思ったりするのだけれど、いかがだろうか。[収録曲]1. Running Out2. Keep What You Got3. Man on the Floor4. Good God Have Mercy5. Okay6. Caruso7. My Friend Jeff8. If Six Was Nine9. Guitar Cadenza10. The Messiah Will Come Again11. I Still Think About Ida Mae1976年リリース。 【輸入盤CD】Roy Buchanan / Live Stock/A Street Called Straight (ロイ・ブキャナン) 【中古】 メシアが再び /ロイ・ブキャナン 【中古】afb 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーをクリックで応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2023年03月26日
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アメリカ音楽の探究者を偲んで~柔らかさとタイトさと深みの不思議な同居 先日、訃報が届いたリヴォン・ヘルム(レヴォン・ヘルム、Levon Helm)。ザ・バンド(The Band)の欠かせない中心メンバーとして、さらには地味ながらソロとして、ここ半世紀ほどの現代アメリカ音楽に重要な足跡を残した。追悼の意味も込めて、ザ・バンド解散後のセカンド作にして、セルフ・タイトル作の『リヴォン・ヘルム2(原題はただ単にLevon Helm)』を取り上げてみようと思う。 あらためてリヴォン・ヘルムの経歴を挙げておこう。1942年5月26日、アーカンソー州生まれ。ザ・バンドのメンバーの中では唯一のアメリカ人(残る4人はカナダ人)である。10代後半になると地元のバンドで活動を開始し(当初はギターを弾いていたとのこと)、ジャングル・ブッシュ・ビーターズなる自分のバンドを結成する。このバンドはロニー・ホーキンスのバックを務めることになり、やがて、ホーキンスが新たなバックバンドであるザ・ホークスを作る際、リヴォンがそのメンバーに含まれることとなる。このホークスというバンドが、後のザ・バンドとなることは周知の通りである。1963年、ホーキンスから独立したバンドは、ボブ・ディランとも交流を深め、1968年の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でレコード・デビューする。1976年のザ・バンド解散後は、ソロでの活動を進めると同時に、1980年代~90年代のザ・バンド復活(『ジェリコ~新たなる伝説』など計3枚の新作をリリース)にも参加した。1996年に喉頭がんと診断され、一時期ヴォーカルをとるのは困難になったものの、見事に回復し、音楽活動を続けた。そして今年(2012年)4月19日、闘病生活の末、71歳の生涯を閉じた。 ザ・バンド解散後、リヴォン・ヘルムにとって最初のソロ作は『リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ』だった。ブッカーT、ポール・バターフィールド、ドクター・ジョンなどが参加し、まさしく豪華な“オールスター盤”であった。その翌年にリリースされた本盤『リヴォン・ヘルム』の方は、リリース名義も完全にソロ名義(前作は“リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ”名義)となり、メンバーの演奏もより落ち着いた着実なものになっているとの印象を受ける。 意外なことに、本盤の特徴はリヴォン・ヘルムが“ドラムを叩いていない”こと。その意味ではドラムのスティックをクロスさせて構えている本人の姿を収めたジャケット写真は、羊頭狗肉と言われても仕方ない。けれども、それとは裏腹に、内容の方は別物。ザ・バンドそのものは途絶えてしまったが、ザ・バンド時代からのヴォーカルは健在。いやそれどころか、バンド内の余計な気遣いなく、気兼ねなくできる仲間といっそう伸び伸びとした一体感のある演奏とヴォーカルを聴かせてくれる。 全体としては、南部サウンドのエッセンスを凝縮しつつ、堅苦しくない演奏を展開しているといった感じ。メンバーはメンフィス(前作に参加のブッカーTつながりのMG’s)からアラバマ(マスル・ショールズ)までといった南部コネクションから成る。大きなヒットを記録しなかったアルバムであるが、カナダから米国南部へと分け入っていったザ・バンドの続き、というか、もはや完成形(?)に近いものがここでは成し遂げられている。 捨て曲もほとんどなしの好盤だが、個人的好みで聴きどころベスト3曲を挙げておきたい。冒頭の1.「エイント・ノー・ウェイ・トゥ・フォーゲット・ユー」は、落ち着いて大きく構えたリヴォンのヴォーカルが印象的(同様の印象は、3.や7.からも受ける)。いかにもサザン・ソウルといった風情の6.「テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー」は、3.など他の何曲かと同じくブラスが効果的かつ印象的。ザ・バンド、あるいは少なくともそのメンバーとしてのリヴォン・ヘルムが到達したかったのは、この境地ではなかったかと思わせてくれる。8.「レッツ・ドゥ・イット・イン・スロー・モーション」は、落ち着きのあるスワンプな雰囲気を存分に湛えたナンバーで、バンドの演奏の一体感を感じさせる。 全体的に地味なのは事実だが、ザ・バンド好きや70年代のエリック・クラプトン(参考記事)あたりを入り口として南部音楽(サザン・ミュージック)に関心のある層からもっともっと支持を受けてもいいように思う。リヴォン死去の今回のニュースがなくとも、聴き継がれてほしい1枚。[収録曲]1. Ain't No Way To Forget You2. Driving At Night3. Play Something Sweet4. Sweet Johanna5. I Came Here To Party6. Take Me To The River7. Standing On A Mountaintop8. Let's Do It In Slow Motion9. Audience For My Pain1978年リリース。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年05月29日
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疾走感抜群の秀逸ヴォーカルが存分に発揮された代表曲 サミー・ヘイガー(Sammy Hagar)、本名サミュエル・ロイ・ヘイガー(Samuel Roy Hagar)は、米国のロック・ミュージシャン。1947年カリフォルニア生まれとされる(生年については1949年説もあるらしい)。デビューは、1970年代前半、モントローズというバンドのヴォーカリストとしてであった。その後、1976年からはソロでの活動を開始し、10枚ほどのアルバムを発表した。1985年、ヴォーカリストのデヴィッド・リー・ロスが脱退した後のヴァン・ヘイレンに加入し、96年までヴァン・ヘイレンのヴォーカリストとして活動した(なお、ヴァン・ヘイレンへは後に一時期復帰を果たしている)。ヴァン・ヘイレンを抜けた後は、ふたたびソロに戻って活動を続けたが、1999年からはサミー・ヘイガー・アンド・ザ・ワボリタスという名義でアルバム制作をしている。 日本ではヴァン・ヘイレンのヴォーカルとしてのヘイガーは比較的知られているが、ソロの活動については、残念ながらあまり評価されていない。そこで、これぞヘイガー、という1曲をまずは取り上げておきたい。典型的なナンバーを1曲ということになると、筆者としては、断然、この「ワン・ウェイ・トゥ・ロック(原題:There’s Only One Way To Rock)」を挙げておくのがいいと思う。ソロとしてのヒット曲(1981年発表)であると同時に、ヴァン・ヘイレン在籍時にもレパートリーにしていた曲で、ヴァン・ヘイレンのライブ盤にも収録されている。 サミー・ヘイガーという人は、ストレートなアメリカン・ロック/ハードロックを歌わせたらピカ一である。声がカッコいいハードロック系ヴォーカリスト・ランキングを作るならば、間違いなく上位に入るだろう。ちなみに、筆者がそのようなランキングを選ぶなら、ジョー・リン・ターナーとの1位争いで大いに悩むかもしれない。ともあれ、ヘイガーは、速いリズムのナンバーからよりスローな楽曲までしっかりと聴かせることができ、とりわけ高音部は伸びのある魅力的ロック・ヴォーカルを披露する。 加えて、この曲のテーマが何ともシンプルで直球である。原題(There’s Only One Way To Rock)を直訳すれば、「ロックする方法は一つしかない」(もしくは「ロックへの道は一つしかない」)である。曲全体に疾走感があり、ギターのリフがかっこいい。実際に歌われている歌詞の内容も、“人を愛する方法はたくさんあるけれど、ロックする方法は一つだけ”という、恥ずかしくなってしまいそうなぐらいのわかりやすさなのである。 実際には、ロックする方法はきっとたくさんある。黎明期のロックンロールのやり方と、90年代のグランジは、聴き手からすれば、その差は実に大きいに違いない。もっと具体的にアーティスト名で例を挙げれば、70年頃のキンクスのマニア的コンセプト・アルバムと、80年代半ばのB・スプリングスティーンの「USAで生まれた(ボーン・イン・ザ・USA)!」という雄叫びとは、同じように“ロック”と称される音楽にしては、かなり別物である。それゆえ、リスナーや評論家たちはバンドやアーティスト(もしくはその作品)をいろいろとジャンル分けし、細分化された名称を与えていく。しかし、サミー・ヘイガーのこの曲を前にすると、そんな細かな話は全部吹き飛ばされて、評論家の言うことなど実はどうでもいいのかもと妙に納得させられてしまう。「ワン・ウェイ・トゥ・ロック」は、それだけの勢いをもった曲であり、ギターであり、何よりも魅力あふれるヴォーカルの疾走感がそう思わせてくれる。[収録アルバム]Sammy Hagar / Standing Hampton (1981年)Sammy Hagar / Unboxed (1994年、ベスト盤) Sammy Hagar サミーヘイガー / Standing Hampton 輸入盤 【CD】↓ 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 ↓↓ お時間の許す方、お気に召していただいた方は、“ぽちっと”クリックで応援をお願いします! ↓
2010年03月06日
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人生の応援ソング 震災の後で元気になれる曲を取り上げようと思い、ベタではあるがこの曲を選んでみた。筆者も励まされたことのある曲である。被災して家や大切な人たちをなくした方々、避難生活で大変な状況にある方々には歌やブログどころではないのは承知している。でもこれを見られる環境にある人の中にはもしかすると歌で勇気づけられる人もいるかもしれないと思い、ひとまず載せてみることにしたい。 この「ファイト!」という中島みゆきの曲、正直、曲調は暗い。けれども、人間へこんだ時には明るい曲にばかり励まされるものではない。筆者が落ち込んだ時に聴くレパートリーには、中島みゆきのいくつかの曲やアルバムのほか、一聴すると“暗い”ものが結構ある。 1983年発表の10枚目のアルバム『予感』を締めくくる曲(B面最後の曲)として収録され、10年以上後の1994年になってから別の曲(「空と君の間に」)とともに両A面としてシングル発売された。元々は、当時、中島みゆきがパーソナリティを務めていたオールナイトニッポンに投稿された“私だって高校行きたかった”というペンネームの少女(当時17歳)からの投書をきっかけに制作された曲であった。家庭の事情で中卒で社会に出たが、中卒だからという理由で責任ある仕事に就かせてもらえない、しかもその会話を傍で耳にしてしまった少女の怒りと苦悩という内容の投書だった。 したがって、詞の一部は上記の投書のエピソードに沿った内容なのだが、この曲はいつしか幅広く人生の応援ソングとして認知されるにいたった。曲の途中では“私の敵は私です”、“いっそ水の流れに身を任せ/流れ落ちてしまえば楽なのにね”と自己を乗り越えていくことが示唆され、さらにサビの部分はより普遍的に人生の逆境を乗り越えていくことへの呼びかけ、頑張れというメッセージになっている。“闘う君の唄を/闘わない奴等が笑うだろう”、でも、水の流れに逆らって必死に上っていく魚たちのように、“冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ”という応援メッセージである。 詞の内容もさることながら、中島みゆき自身のボーカルも見事である。年輩の方だと単調な弾き語りをしてそうなイメージ、最近のファンだと音の派手さのイメージがあるかもしれないが、彼女のボーカルというのは実に表情豊かで、この「ファイト!」でもその良さが存分に発揮されていると思う。歌い手(観察者側、応援者側)にたった励ます語りのトーンと、励まされている当人(聴き手側)の心情に立った決意を込めた強く重苦しいトーンの中間を行ったり来たりするかのようなボーカル。結果、重すぎず、だからといって他人からの励まし風だけでもない、いいバランスに仕上がっている。要するに、聴き手が感情移入しやすいバランスといってもいいかもしれない。 元のレコードのバージョンが好きだが、アップされている動画は見当たらなかったので、次のライブ・バージョンをよろしければどうぞ。元のスタジオバージョンと比べてだいぶ演奏はかわってしまっているけれども、彼女のボーカルは上記の二つの立場の使い分けがより明確になされている。 [収録アルバム]中島みゆき 『予感』 (1983年) 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年03月15日
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気まぐれ80s(その10)~80年代を代表する名バラード&名歌唱 “気まぐれ80s”と題して、ここのところ(とかいってもう1か月以上にわたってしまっていますが)、80年代の印象深い曲を取り上げるという企画を続けてきました。ひとまずこの10回目で一区切りにしたいと思います。 もちろん、まだまだ取り上げたい曲は他にもあるのですが、それらはまたそのうちに、このシリーズの第二弾でもやれそうな時に置いておこうと思います。そこで、今回の、いったんの締めくくりは、この時代を代表すると言ってもいい名バラードです。 80年代前半に遅咲きのデビューを果たしたシンディ・ローパー(Cyndi Lauper)。1983年の1st作『シーズ・ソー・アンユージュアル』に収録され、1984年に大ヒットとなったバラード「タイム・アフター・タイム」です。 いかがでしょうか。当時のビデオクリップの映像ですが、シンディも若いですね(既に当時アラサーではあったわけですけれど)。以前に動画紹介もした「トゥルー・カラーズ」と今回の「タイム・アフター・タイム」、どちらが好きかという愚問はやめておきましょう。どちらも忘れることができない80年代の名バラードです。 ちなみに、これほどの名曲というだけあって、これをカバーしたアーティストはたくさんいます。ついでながら、その中でも忘れがたい個性の強さの「タイム・アフター・タイム」のカバーをご紹介しておきます。90年代に脚光を浴び、女性ジャズ・シンガーとして不動の名声を確立したカサンドラ・ウィルソン(Cassandra Wilson)による「タイム・アフター・タイム」です。 別途、該当アルバムを取り上げた際にも述べましたが、一度聴いたら忘れ難いこの声です。1999年のアルバム『トラヴェリング・マイルス』に収録されています。[収録アルバム]Cyndi Lauper / She’s So Unusual (1983年) 【楽天ブックスならいつでも送料無料】シーズ・ソー・アンユージュアル [ シンディ・ローパー ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年05月05日
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70年代ロック&ポップス名曲選~Part 5(その3) 続いては、元気と勢いのある1曲を選んでみたいと思います。テキサスの3人組バンド、ZZトップ(ZZ Top)の「タッシュ(Tush)」です。今では“長い髭”がお馴染みの彼ら(フロントのビリーとダスティ)ですが、まだ長い髭にはなっていなかった頃のナンバーです。1975年のアルバム『ファンダンゴ』からのシングル曲(ちなみに同作からのシングルカットはこれが唯一)として、全米20位にチャートインしたナンバーです。まずは同盤収録の元のバージョンをどうぞ。 1980年代にはサウンドが変化し、コミカルなビデオなども大衆受けしましたが、その後は再び真面目な(?)方向に回帰しながら、現在までバンド活動を続けています。 そんなわけで、最近というわけではありませんが、21世紀に入ってからのライヴ映像をということで、もう1本ご覧ください。カッコよさ満載のギター(特にスライドギター)は健在です。 3人ともが60歳代後半になって、まもなく70歳が見えてきたところですが、まだまだ元気な姿を披露し続けてもらいたいものです。[収録アルバム]ZZ Top / Fandango!(1975年) Forever YOUNG::ファンダンゴ!(リマスター&エクスパンデッド) [ ZZ・トップ ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2017年08月30日
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気まぐれ80s~12thシーズン(その6) スターシップ(Starship)は、ジェファーソン・エアプレインから分離・派生していったバンドの一つで、当初はジェファーソン・スターシップを名乗っていました(後に法的な係争があって、単にスターシップとなりました)。飛行機(エアプレーン)が宇宙船(スターシップ)に変化し、やがてメンバーも変化して、という感じですが、彼らが1980年代半ばに発表したヒット作『フープラ』からのナンバーです。 このアルバム収められたヒット曲というと、「シスコはロック・シティ」が有名ですが、もう一つのヒット・シングル「セーラ(Sara)」も同じく全米1位のヒットを記録しています。「シスコはロック・シティ」も好曲ですが、その当時、筆者的には、どちらかというと、この「セーラ」の方がよりお気に入りでした。 さて、ライヴの映像を2つほど追加でご覧いただこうと思います。一つめは、発表から10年ほどを経た1996年のステージの様子です。もう一つの方は、2007年のライヴの模様です。後者はミッキー・トーマスの年齢(60歳手前ぐらいでしょうか)を考えると驚きの声ののびだという風に感じます。 [収録アルバム]Starship / Knee Deep In The Hoopla(フープラ)(1985年) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2022年05月02日
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気まぐれ80s~Chapter 14(その8) 1984年発表のブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の特大ヒット・アルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』からの楽曲を取り上げてきましたが、今回はその中からの「ボビー・ジーン(Bobby Jean)」というナンバーです。上記の盤からは都合7曲ものシングルがカットされましたが、勢いのついでに、この「ボビー・ジーン」もシングル化されても不思議のないナンバーでした。 まずは、その当時の映像ということで、1984年、トロントでのライヴのステージの模様をご覧ください。 この「ボビー・ジーン」は長らくスプリングスティーンのライヴでも定番の曲となり、今に至っています。現在のセットリストにも常に入っているナンバーということなのですが、次は2013年、ロンドンでのステージの様子をご覧ください。 最後に音声だけですが、もう一つ。この曲のアコースティック・ヴァージョンです。1990年代後半辺りだったでしょうか。スプリングスティーンはライヴでこの演奏をしていた時期があって、海賊版を通じてだったのですが、このヴァージョンが妙に気に入っていた時期が筆者にはありました。以下は、1996年、ベルファストでのライヴの音源とのことです。 [収録アルバム]Bruce Springsteen / Born in the U.S.A.(1984年) ボーン・イン・ザ・U.S.A. [ ブルース・スプリングスティーン ] THE “LIVE" 1975-1985 [ ブルース・スプリングスティーン ] 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2024年06月15日
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過渡期の1枚 1970~74年に当たる時期は、フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)にとって危機と変化の時代だった。1968~69年にかけて、ピーター・グリーン時代を擁するブルース・ロックど真ん中とも言えるバンドが、1975年以降のポップ・ロック的なバンドへと変容する過程での模索を代表する1枚が本盤『神秘の扉(Mystery to Me)』だと言える。 メンバーの変化を少し整理しておこう。ピーター・グリーン離脱後、音楽面をリードしたジェレミー・スペンサーも間もなくバンドを離脱。ボブ・ウェルチらが加入し、ダニー・カーワンが音楽面で引っ張っていく時期を経た。しかし、カーワンもまた『枯れ木』を最後にバンドを去ることになった。そのカーワンの代わりに加入したのがボブ・ウェストンだった。他方、ボブ・ウェルチは1974年にバンドを脱退することになる。簡単にまとめると、本盤『神秘の扉』は、カーワン脱退・ウェストン加入後で、ウェルチも在籍中の時期の作品ということになる。 上で述べたように、フリートウッド・マックはブルース・ロックから次第にポップな方向に進んだと言われ、総論的にはそうなのだけれど、その過渡期にはジャズ・ロック的でポップというよりはややシリアスで職人的な方向性も見せた。この『神秘の扉』はそうした方向性が含まれた1枚である。 そのようなわけで、クリスティン・マクヴィーの2.「ビリーヴ・ミー」や3.「ジャスト・クレイジー・ラヴ」、あるいは10.「感じるままに」のように近未来のポップな方向性を予感させるナンバーもあれば、それとはまったく異なる雰囲気を醸し出すいくつかの曲の演奏も見られる。個人的に注目と思う曲をいくつか挙げてみたい。ラジオでよくオンエアされたという4.「ヒプナタイズド」のまったり感は捨てがたく、これが本盤の色と言えるわけではないのだけれど、筆者の中では『神秘の扉』といえばこの曲という方程式のようなものが出来あがってしまっている。同じくまったりした雰囲気なのが、クリスティン・マクヴィーの12.「ホワイ」。これもまた中毒性のあるナンバーだと思う。他方、ロック・バンドとしての面目躍如は7.「ザ・シティ」が抜きんでている。他のウェルチの曲(例えば9.「サムバディ」)も捨てがたい。あと、注目したいのは、11.「フォー・ユア・ラヴ」。ヤードバーズで知られるかの有名なナンバーをカバーしている。 余談ながら、本作発表後のツアー中、ボブ・ウェストンにはミック・フリートウッドの妻との不倫騒動が発覚した。ウェストンはバンドをクビになり、残るツアーはキャンセルしたが、次は“偽フリートウッド・マック騒動”(ツアー中止を恐れて偽のバンドをフリートウッド・マックとしてステージに出させた)が勃発する。作品の内容がよかっただけに、何とも後味の悪い展開となった。[収録アルバム]1. Emerald Eyes2. Believe Me3. Just Crazy Love4. Hypnotized5. Forever6. Keep On Going7. The City8. Miles Away9. Somebody10. The Way I Feel11. For Your Love12. Why1973年リリース。 【輸入盤】FLEETWOOD MAC フリートウッド・マック/MYSTERY TO ME(CD) 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年03月24日
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気まぐれ80s,セカンド・シーズン(その7)~インパクトと実力が揃った英国ユニット 少々、通常の更新が続いて間が空きましたが、あらためまして。気まぐれ80sの第二弾の続きを更新したいと思います。 先回、最初に“気まぐれ80s”と題して10曲お届けした際、あれもこれもと収まりきらなかった曲が続出し、その名残惜しさ(?)から今回シリーズに至っているわけですが、先回シリーズで入れられずに後悔した1つがこの曲。ユーリズミックス(Eurythmics)の「ミッショナリー・マン(Missionary Man)」です。 ご存知の方には、いまさらかとは思いますが、ユーリズミックスは、アニー・レノックスとデイヴ・スチュワートから成るイギリスの2人組。1980年に結成され、翌年にデビュー。その後は当時の英国音楽(第2次ブリティッシュ・インヴェージョン)の勢いに乗って米国に進出し、世界的ヒットを連発しました。エレクトロ・ポップ系のサウンドとブルー・アイド・ソウル的な歌唱の組み合わせは、何とも新鮮だったと記憶しています。 ちなみに、その後、このユニットは1990年にいったん終止符を打ち、二人はそれぞれのソロ活動に専念していきましたが、後にも再結成をしたりして、良好な関係のように思われます。以下は1999年再結成時のライヴの模様です。 現在は再び各々のソロ活動に専念している状態ですが、昨年のあるインタヴューでデイヴ・スチュワートは“(ユーリズミックスとしてのアルバムは)今すぐは考えていないが、決してないと言うわけではない”と語っています。そんなわけなので、さらに活動が続いていくことが期待できそうです。[収録アルバム]Eurythmics / Revenge(1986年)↓こちらのリンクの商品はベスト盤です。↓ 【送料無料】【輸入盤】 EURYTHMICS / ULTIMATE COLLECTION [ ユーリズミックス ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年06月22日
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500万アクセス記念~いま聴きたい曲(その24) 引き続きジャズの分野から、今回は帝王マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の演奏です。1980年代のものですが、曲自体はジャズ・スタンダードやジャズ・ミュージシャンによるものではなく、その当時のシンディ・ローパーによるヒット曲です。 まずは、マイルスのアルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録されている「タイム・アフター・タイム(Time After Time)」をお聴きください。 続いては、ライヴ演奏のビデオです。1985年、モントリオールでのライヴ演奏の模様で8分の長尺です。幻想的な雰囲気を醸し出す演奏で、ジョン・スコフィールドのギターもいいです。 1991年にマイルスは亡くなりましたが、時の流れは早いもので、来年で没後30年となります。まだまだ本ブログで取り上げたい彼の作品もたくさんありますので、少しずつ記事にしていけたらと思っていたりします。[収録アルバム]Miles Davis / You’re Under Arrest(1984~85年録音) ユア・アンダー・アレスト [ マイルス・デイビス ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2020年08月20日
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偉大なるザ・フーの名曲・名演集(その6) 少し間が空きましたが、ザ・フー(The Who)の名曲・名演選の続きで、今回が6回目となります。前回(第5回)には、「ユー・ベター・ユー・ベット」を取り上げましたが、それと同様に、初期のザ・フーのイメージとは異なり、時代と共に変化していったザ・フーの変化をある意味で示していると言える曲ではないかと思うのが、今回の1曲です。 1978年、キース・ムーン最後の参加作となった同名アルバムからの先行シングルの「フー・アー・ユー(Who Are You)」というのがそのナンバーです。それなりにザ・フーらしい荒々しさ(おそらくそれはキース・ムーンに負うところが大きかったのだろうと思います)を保ちつつも、いくぶんキャッチーで何とも印象的な冒頭のメロディが耳について離れなくなりそうな曲です。個人的には意外とこういうのにはまってしまいます。映像は動かないのですが、まずは、アルバム所収のヴァージョンをお聴きください。 続いては、この「フー・アー・ユー」のライヴでのパフォーマンスをご覧いただきたいと思います。1989年のライヴでの演奏の様子です。演奏というか、パフォーマンスそのものをメンバーが楽しんでいる感じが伝わってくるのも、なかなか好印象な映像です。 [収録アルバム]The Who / Who Are You(1978年) フー・アー・ユー +5 [ ザ・フー ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2019年08月10日
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200万アクセス記念 いま聴きたいあのナンバー~拡大版(27/30) スティング(Sting)はポリスで人気を博した後、1980年代半ばからソロに転じました。今回取り上げようと思うのは、1990年代初頭、映画『リーサル・ウェポン3』のサントラに提供されたシングル曲「イッツ・プロバブリー・ミー(It’s Probably Me)」です。 以下でご覧のように、エリック・クラプトンが登場しますが、豪華メンバーでの1曲でした。クラプトンに加えてマイケル・ケイメンとの共作曲で、ケイメンはキーボードで参加、さらにサックスはデヴィッド・サンボーンです。 ジッポー(ライター)のリズムが刻まれる出だしが何とも印象出来ですが、この演奏はシングル、映画サントラ盤のほか、後からベスト盤(下記アルバム情報参照)にも収められました。その一方で、これとは別の、クラプトンと共演していないバージョンも存在します。そちらの方は、アルバム『テン・サマナーズ・テイルズ』に収録されています。 ご覧の皆さんはどちらが好みでしょうか。ちなみに筆者は聴いた回数では後者のバージョン、印象度が高いのは前者のバージョンだったりします。[収録アルバム]Sting / Fields of Gold: The Best of Sting 1984–1994(1994年)Various / Lethal Weapon 3 (Music From The Motion Picture)(1992年)← 以上2枚はクラプトンとの共演バージョンを収録。Sting / Ten Summoner's Tales(1993年)←クラプトンの登場しない別バージョン収録。 フィールズ・オブ・ゴールド〜ベスト・オブ・スティング 1984-1994 [ スティング ] テン・サマナーズ・テイルズ/スティング[SHM-CD]【返品種別A】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2017年11月23日
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語り手でありかつ歌い手であること ~その1(ヴァン・モリソン編)~ 言葉を紡ぎだす人物とそれを歌にのせて演じる人物。早い話、こういう人は“シンガーソングライター”という括られ方をする。そう呼ばれる肩書(本人が望むか望まないかはともかく)で活動し、“詩人”(作詞家)とシンガーの両立を実践してきたミュージシャンは世の中に数多く存在する。しかし、ふつうはどちらかにより大きな比重がかかるものだ。その比重の違いは、人物によるという場合もあれば、作品単位の場合もあるだろう。けれども、要するに、より詩的なアーティスト(あるいはアルバム)、あるいは、よりシンガー(表現者)的要素の強いアーティスト(またはアルバム)となるのがふつうである。そんなことを考えながら、両方の側面(「語り手」と「歌い手」)の見事な両立の例を3回ほどにわたって取り上げてみたいと思う。 まず、第1回目として取り上げるのは、ヴァン・モリソン(Van Morrison)。ヴァン・モリソンは、1945年北アイルランドの出身のシンガーソングライターである。1960年代からコンスタントに活動を続けている大ベテランだけれども、飛行機嫌いのために海外に出ることも少なく、マスコミに露出することもあまり多くない。しかし、というか、それゆえに一層、カリスマ的な人気を誇るアーティストである。 そんな彼が1997年にリリースしたのが『ヒーリング・ゲーム(The Healing Game)』である。一般的な印象としては、この人のヴォーカルというのは、時に繊細に、時に非常に力強く響く。本盤はどちらかと言えば、力強い方のヴァン・モリソンらしさがより発揮されているように思う。円熟して深みの加わった詞、それを力強く伝える歌声、この両輪で聴かせる名盤である。“この心の重荷”(3.「ディス・ウェイト」)、“黄金の秋の待ちの心情”(4.「ウェイティング・ゲーム」)、といった繊細な人間感情を扱ったものから、時代の移り変わりとそれへの戸惑い(?)を取り上げた曲(7.「イット・ワンス・ワズ・マイ・ライフ」)、北アイルランドの中心都市ベルファストの街角の伝統を歌ったタイトル曲(10.「ヒーリング・ゲーム」)まで、いずれも年齢を重ねた深みがあって初めて味が出てくるような楽曲が並ぶ。 ヴァン・モリソンは、若い頃の定評ある名盤も多い上、そもそも作品数も多い。そんな彼の長いキャリアの中で、本盤は必ずしも上位に挙げられる作品という扱いにはなっていない。けれども、90年代以降の作品の中ではかなり上位に来ると思うし、もっともてはやされてもいい盤ではないかと思う。[収録曲]1. Rough God Goes Riding2. Fire in the Belly3. This Weight4. Waiting Game5. Piper at the Gates of Dawn6. Burning Ground7. It Once Was My Life8. Sometimes We Cry9. If You Love Me10. The Healing Game11. At the End of the Day ←2008年再発盤のボーナス・トラック(筆者は未聴)1997年リリース。[関連記事リンク] 語り手でありかつ歌い手であること ~その2(B・スプリングスティーン編)~ へ 語り手でありかつ歌い手であること ~その3(ボブ・ディラン編)~ へ 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2012年01月14日
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賛否両論あれども、結局はサンタナらしい1枚 サンタナ(Santana)が1978年に発表した第10作となるアルバムが、この『太陽の秘宝(Inner Secrets)』である。ファンや批評家の間ではいろいろと言われる作品で、要は“今までの音楽を捨てて変な方向に行ってしまった”というようなことがよく言われる。 ジャケット写真は、メンバーがギャラを上げるようカルロス・サンタナに迫っている場面だと言われたりする(ほんまかいな…)。その真偽はともかく、本盤が“売れ筋”を意識したものだったことは確かである。ディスコ風な受け狙いは特に明瞭で、シングルとなった(ただしさしてヒットはしなかった)3.「ワン・チェイン」なんかはその傾向が露骨である。同じくシングル・カットされた4.「ストーミー」は、ジョージ・ベンソンみたいな方向に行きたかったのかと思ってしまう。 他にアルバム志向のロックの方向を向いていると言われたりもするけれど、少々乱暴にまとめてしまえば、大きくは“サンタナのポップ化”だったんだろうと思う。従来のラテン/フュージョン色が薄れ、通常のロック的演奏や、ディスコ風、ポップ音楽らしさが増している。収録曲のうち5曲(B面も入れると1.と8.以外の全曲)をシングルにしてしまっている辺りは、一般受けを狙った意図みたいなものを感じる(とはいえ、どれも大きなヒットにはならなかったのだけれど)。 とまあ、印象の良くないことを並べ立ててしまったものの、個人的には、このアルバムは案外気に入っている。確かにサンタナらしさとしてイメージされる個性が前面に出ているとは言い難いのだけれども、聴きやすくとっつきやすいのも事実である。そして何よりも、目先が変わろうが、ポップやディスコを志向しようが、不思議とサンタナらしさは脈々と続いている。筆者的にはそれが妙に安心して聴けると感じる要因であるように思う。とてもサンタナらしい演奏もサンタナであれば、いろいろやってみているサンタナもまた、結局はサンタナなのだと気づかされる。サンタナの作品を初めて1枚聴いてみたいと言われたならば、筆者は本盤を勧めることはない。でも、このバンドの作品をいくつか聴いていく中の1枚という位置づけであるならば、これもサンタナなのだ、という気分でぜひ勧めたくなる1枚だったりする。[収録曲]1. Dealer/Spanish Rose2. Move On3. One Chain (Don't Make No Prison)4. Stormy5. Well All Right6. Open Invitation7. Life Is a Lady/Holiday8. The Facts of Love9. Wham!1978年リリース。 【メール便送料無料】Santana / Inner Secrets (輸入盤CD)(サンタナ) 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2019年06月25日
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500万アクセス記念~いま聴きたい曲(その1) 11年ほどかけて500万アクセスというのが多いのか、そうでもないのか、よくわかりませんが、とにかくこんなに長く続けられるとは、このブログを始めた頃は想像もしていませんでした。ともあれ、100万アクセス単位の恒例ということで、“いま聴きたい曲”をピックアップしていきたいと思います。 1曲目は、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のサード作に所収の「ギャロウズ・ポウル(Gallows Pole)」です。先日、突然これを聴きたくなってアルバムを引っ張り出してきたということがあって、今回ピックアップすることにした次第です。 よく知られているように、このナンバーはヨーロッパ各地に伝わるトラディショナル曲です。その内容にヴァリエーションはあるものの、基本的には、死刑執行人から逃げる若い女性というモチーフの内容です。ツェッペリンは1939年にレッドベリーが吹き込んだヴァージョンを元にこれをレコーディングしました。 さて、ツェッペリンが解散した後、ジミー・ペイジとロバート・プラントは、時に合流してこの曲を演奏しました(参考過去記事)。もう一つの映像は、そうした2人の共演の様子をご覧ください。 これまで同様、全30回を目標に“いま聴きたい曲”をお届けしようと思います。しばらくの間、よろしくお付き合いください。[収録アルバム]Led Zeppelin / Led Zeppelin III(1970年) レッド・ツェッペリン3 スタンダード・エディション [ レッド・ツェッペリン ] レッド・ツェッペリンIII<2014リマスター/デラックス・エディション>/レッド・ツェッペリン[CD]【返品種別A】 ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2020年07月27日
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近藤等則さん、哀悼(2/3) 2020年10月17日に急に亡くなられたトランペット奏者、近藤等則さん(享年71歳)の追悼ということで、引き続きいくつかの動画をご覧いただきたいと思います。年を重ねてからのこの人の活動は、派手に人目を引くというよりは、渋さや独自路線といった表現がしっくり来るものだったように思います。 まずは、2015年のライヴのワンシーンをご覧ください。「あなたは恋を知らない(You Don’t Know What Love Is)」の演奏シーンです。スタンダード曲ですが、演奏内容は全然スタンダードではなく、この鬼気迫る演奏は、晩年の演奏に特に顕著に見られたように思います。 同じように魂のこもった迫力の演奏をもう一つご覧いただきたいと思います。2017年3月11日(大震災からちょうど6年後)、福島県楢葉町での「地球を吹く(Blow The Earth)」をご覧ください。大地、地球と直接対話しているかのような演奏が実に印象的というか、それを超えて感動的と言ってもいいように思います。 この人は2010年に東京経済大学の客員教授になったりもし、大学とフリージャズという、一見結びつきにくい組み合わせを実現しました。以下は別の大学での演奏ですが、このライヴ映像(2時間以上の長い映像で、最初の方はなぜか空白?のビデオですが、好みでかいつまんでご覧ください)なんかは、哲学という学問とフリージャズをかけ合わせるという、なかなか面白いというか、こういう刺激的なものがこれからの世の中には必要なんだろうなと感じさせてくれるものです。 あともう少し、この人の演奏を聴き続けたいところですが、再び長くなってきましたので、回を改めて次の更新記事でということにしたいと思います。次回更新まで少々お待ちいただければ幸いです。 【送料無料】 近藤等則 / 喇叭富士 Loves Fuji 【CD】 LIPS & WIND -唇に風ー [ 近藤等則 ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓
2020年10月22日
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着実な進化を見せたサード作 トレイシー・チャップマン(Tracy Chapman)は、1964年、オハイオ州クリーヴランド生まれで、アフリカン・アメリカンの女性シンガーソングライター。1988年にデビュー盤を発表し、一躍人気を獲得して翌年にも2枚めのアルバムをリリースした。それから2年半のインターバルを経て発表されたのが、サード作となる本盤『マターズ・オブ・ザ・ハート(Matters of the Heart)』だった。セールス面では、大きな人気を獲得した初作(全米・全英ともに1位)、その勢いに乗っての第2作(全米9位、全英1位)に比べると、数字上は見劣りのする結果(全米53位、全英19位)だった。 けれども、筆者は本盤がなかなか優れたアルバムだったと思っている。第一に、アルバム全体を通しての落ち着きぶりが前2作と明らかに違うように思う。言い換えると、いい意味で自信に満ち溢れているように感じるのである。それは、別の表現をすれば、“貫禄”を感じるようになってきたとも言えるかもしれない。第二に、個別の曲として完成度の高いものが多い。初作はどちらかというと社会的、第2作は内省的な色合いが強かったが、それらは共に“独白的”でもあった。本作所収のナンバーを聴いていると、一つ次元が上がって“詩的”な段階に入りつつあるように感じる。 おすすめの曲をいくつか挙げておきたい。1.「バン・バン・バン」は静かに歌いかける曲で、多くのリスナーが求める彼女らしいナンバー。3.「アイ・ユースト・トゥ・ビー・ア・セーラー」も弾き語りシンガーソングライター的な雰囲気を保っているが、上述の通りの詩的世界に一歩踏み込んでいる感じがして、個人的には好み。5.「ウーマンズ・ワーク」は、わずか2分ほどの小品だが、女性をテーマにしていて、やたら心に残る。後半になると、サウンド的にも幅のある演奏が増えてくるが、個人的に勧めたいのは、8.「ドリーミン・オン・ア・ワールド」と表題曲の10.「マターズ・オブ・ザ・ハート」。前者は、上で書いた自信、アーティストとしての余裕が存分に感じられる。後者は、ギターの弾き語りという印象でデビューした彼女がもはや十分に違う地平に立って勝負しようとしていることがよく感じられる。[収録曲]1. Bang Bang Bang2. So3. I Used to Be a Sailor4. The Love That You Had5. Woman's Work6. If These Are the Things7. Short Supply8. Dreaming on a World9. Open Arms10. Matters of the Heart1992年リリース。 【中古】マターズ・オブ・ザ・ハート / トレイシー・チャップマン 【輸入盤CD】TRACY CHAPMAN / MATTERS OF THE HEART (トレイシー・チャップマン) 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーをクリックして応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2022年11月21日
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“酔いどれ詩人”初期の二重丸推奨盤 夜のバー、酒の香りとタバコの臭い。そこに現れるエンターテイナーといえば、この男の他にいない。トム・ウェイツ(Tom Waits)の第3作(1975年)はまさにそんなイメージそのままのライヴ作で、個人的には頻繁に聴く(と言っても夜にばかり聴くのだけれど)アルバムだったりする。 CDでは1枚収録になっているが、元のLPでは2枚組。1.~6.がA面、7.~9.がB面、10.~14.がC面、15.~18.がD面となっていた。トラック数は多いけれども、多くの場合、「イントロ」が1トラックに数えられており、実際の収録曲は10曲ほどなので、2枚組でこの曲数は決して多くはない。 表題の“Nighthawks”というのは、エドワード・ホッパーというアーティストが1942年に描いた、食堂(Diner)で夜に食事を摂る人たちを描いた絵画(その表題が“Nighthawks”)にヒントを得たものと言う。元々ホークスというのは“タカ”や“ハヤブサ”などの鳥を指すが、ナイトホークス(夜のホークス)とういうのは、アメリカヨタカという取りを指すと同時に“夜更かしをする人”と言う意味もあるらしい。早い話、舞台はやっぱり夜の人たちの世界なわけである。 本盤を聴いていてよくわかることの一つは、トム・ウェイツが客と“対話”しているという点だ。彼の喋っている英語が全部わかるわけではないので、いい加減なところもあるけれども、彼は聴衆と会話のキャッチボールをしつつ、ライヴを進めていく(客の側も敏感に反応している)。そして詞の内容は“言葉に溢れている”(この部分もまた、もうちょっと英語力があれ場、という気にさせられる)。 とまあ、英語のMCや詞をわからないと十分楽しめないのかもしれないが、筆者なりにこれほど演じてとの距離感(臨場感)が感じられるアルバムもそんじょそこらにはないと思う。要は、“酔いどれ詩人”トム・ウェイツを目の前に感じられる作品ということ。今さら叶わぬ願望ながら、70年代の段階でアメリカに行くことができ、英語がある程度分かり、その場に居合わせたとしたら、どんなに充実した夜を過ごせたことだろうかと思う。無論、その臨場感はあり程度このアルバムで追体験できる。もし聴いたことがないならば、“酒飲み”にはぜひ一度は試してもらいたいと思う作品だったりする。[収録曲]1. Opening Intro2. Emotional Weather Report3. (Intro)4. On a Foggy Night5. (Intro)6. Eggs and Sausage (In a Cadillac with Susan Michelson)7. (Intro)8. Better Off Without a Wife9. Nighthawk Postcards (From Easy Street)10. (Intro)11. Warm Beer and Cold Women12. (Intro)13. Putnam County14. Spare Parts I (A Nocturnal Emission)15. Nobody16. (Intro)17. Big Joe and Phantom 30918. Spare Parts II and Closing1975年リリース。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】Forever YOUNG::娼婦たちの晩餐~ライヴ [ トム・ウェイツ ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2015年04月08日
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稀代の歌姫、追悼 ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)死去のニュースは、先日世界を駆け抜けた。48歳で急死の理由はいまだによくわからないが、ホテル内のバスルームで亡くなっていたことがまもなく明らかにされた。その直後に開催された第54回グラミー賞でも、この1年に亡くなった他のアーティスト(クラレンス・クレモンズ、エイミー・ワインハウス)らと並んで、ホイットニーへの追悼パフォーマンスが行われ、ジェニファー・ハドソンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が話題となった。 さて、ホイットニー追悼の意味も込めて、今回は1987年のセカンド作『ホイットニーII~すてきなSomebody(原題:Whitney)』を取り上げたい。彼女は、1985年に『そよ風の贈りもの(原題:Whitney Houston)』でデビューし、このアルバムとそこに収録された複数のシングル曲のヒットで一躍知られるようになった。この第一作のヒットの仕方は、爆発的というよりは持続的に盛り上がっていった感じだった。結果、デビュー盤から2年以上経って第二作の本盤がリリースされる時点でも、デビュー・アルバムはまだチャートインしているという状況だったらしい。 正直、個人的な感想を言えば、ファースト・アルバムの衝撃が大きかっただけに、この第二作は前作ほどのインパクトがあるものではなかった。でも、冷静にこのセカンド作を聴き直してみると、いまさらながらその質の高さに驚かされる。一躍スターとなり、そのまま次のアルバムをすぐに作ってもよかったのだろうが、デビューの仕掛け人だったプロデューサーのクライヴ・デイヴィスが大事にしていたのだろう。2年ほどの間を開けて、歌唱力に一層磨きがかかったセカンド作を意図したのではないかと想像する。 ナラダ・マイケル・ウォルデンのプロデュースによるダンス系チューンが今の時代から見るといかにもではあるのだが、それにしてもバラード系の輝きは時代を超えて受け継がれるべきものである。仮に本盤の代表曲を1つだけ挙げるなら、一般にはヒット曲の1.「すてきなSomebody(I Wanna Dance With Somebody (Who Loves Me))」なのかもしれない。でも、筆者としては、それよりも4.「恋のアドバイス(Didn’t We Almost Have It All)」を本盤の代表曲に推したい。このような観点からすれば、本盤のよさは、バラード系の歌唱の素晴らしさにあり、その意味では、6.「いつもあなたと(Where You Are)」や8.「愛の絆(You’re Still My Man)」なども聴きどころ。ちなみに、11.「アイ・ノウ・ヒム・ソー・ウェル」では、母親のシシー・ヒューストンとのデュエットも披露している。 上でも触れたダンス系チューンが、バラード系の曲と交互に配されているのは、確かにアルバム作品としての統一性に欠ける。とはいえ、歌手ホイットニーの実力が存分に発揮された1枚であることは確かな作品だと思う。 【送料無料】ホイットニーII~すてきなSomebody/ホイットニー・ヒューストン[CD]【返品種別A】【smtb-k】【w2】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年02月24日
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“オールド・タイム・レイディ”のソロ・セカンド作 マリア・マルダー(Maria Muldaur)の盤を一枚挙げろと言われると、ほとんどの人がファースト・ソロ作の『オールド・タイム・レイディ(原題:Maria Muldaur)』を挙げるんじゃないかと思う。けれども、その一方で、この人の作品は、その後のものもどれも好盤揃いである。代表作一枚を聴いておしまいというにはもったいないアーティストの典型例であると思ってみたりもする。 上記のソロ作は1973年にリリースされたが、続いてその翌年に発表されたのがセカンド・ソロ作の本盤『ドーナッツ・ショップのウェイトレス(Waitress in the Donut Shop)』であった。タイトルも、演奏されている音楽も、そして何よりも彼女の声そのものが、主にアメリカ人のおじさんたちのリスナーを虜にするものだったんだろうと思う。“おじさんたち”というのは、聞こえは悪いが、別に悪い意味で言っているわけではない。雲の上な感じではなく、ある種、身近に感じられる女性シンガーが、音楽的バックグランドに裏打ちされた楽曲をしっかりと聴かせる。当然ながら、アーティスト側に相当な実力がないとできない芸当を、マリア・マルダーはさらりとやってのけているようにも見える。 本盤では、カントリー、ジャズ、ブルースといった伝統的音楽要素が、前作よりも前面に出ているという風に感じる。おそらくこれは制作時の意図だったのだろう。彼女のパフォーマンスを支えるミュージシャンが豪華なのは、前作と同様で、ローウェル・ジョージ、ポール・バターフィールド、エイモス・ギャレット、ドクター・ジョン、ジム・ゴードン、ジョニ・ミッチェル(クレジットはなし)、リンダ・ロンシュタット、ハリー・スウィーツ・エディソン、バド・シャンク、サヒブ・シハブなどが客演に名を連ねている。 個人的に特に気に入っている点をいくつか挙げてみたい。2.「メキシコのグリンゴ(グリンゴ・エン・メヒコ)」や5.「スウィートハート」(アルバム表題になっているドーナツ屋のウェイトレスは、この歌の詞に登場する)を筆者は結構気に入っている。これらにも見られるオールディーズ感や一種ののどかさは、幅広いリスナー層に訴えかける最大の要素である。そのため、自分でも思わずそういうところにまず親しみを感じてしまう。さらにカントリー調の演奏は随所に織り込まれているが、6.「ハニー・ベイブ・ブルース」が特にいい。そして、何と言っても最後はマリア・マルダー自身の歌声の魅力である。個人的にベストは、8.「オー・パパ」で、それに次ぐのが1.「スクウィーズ・ミー」。もちろん各人の好みによるのだけれど、筆者的にはとにかく“魅惑の声”なのである。[収録曲]1. Squeeze Me2. Gringo en Mexico3. Cool River4. I'm A Woman5. Sweetheart6. Honey Babe Blues7. If You Haven't Any Way8. Oh Papa9. It Ain't The Meat It's the Motion10. Brickyard Blues11. Travelin' Shoes1974年リリース。 【国内盤CD】マリア・マルダー / ドーナッツ・ショップのウェイトレス 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2020年09月11日
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バンド力が発揮されたライヴ演奏盤 トラフィック(Traffic)は、スペンサー・デイヴィス・グループで頭角を現したスティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood)が1967年に結成したバンドだった。当初は彼のワンマン・バンドのような色合いが濃かったが、1969年にブラインド・フェイス(エリック・クラプトンらと合流したいわゆる“スーパー・グループ”で、この年のうちにあえなく解散)に参加した後、様子が少し変わった。トラフィックの活動は、これを境に第一期(結成から1969年の解散まで)と第二期(1971年の再結成から1974年の解散まで)に分けられる。本盤はちょうど後者の時期にあたるライヴ盤で、バンドとしてのまとまりやアンサンブルが存分に発揮されている。 もう少し細かな事情を見ておくと、本盤ではデイヴ・メイスン(Dave Mason)の参加が鍵になっている。メイスンは、1968年に一時期的にバンドを抜けているが、その際は数か月後に復帰、そして最初のバンド解散時にはバンドを再び脱退していた。要するに、彼はウィンウッドとは折り合いが悪かった(2000年代の殿堂入りに至っても、そのステージを巡って仲たがいしていた)のだろうけれど、1971年の再結成時にもこの人物の姿はなかった。しかし、ほんの一時期だけ(たった6公演だけだったらしい)、彼はこの第二期に合流した。本盤にはその時の演奏が収められている。 この盤のジャケットには、バンド名ではなく、メンバー名が列記されている。上記のようなわけで、スティーヴ・ウィンウッド(ヴォーカル、ピアノ、ギター)とデイヴ・メイスン(ヴォーカル、ギター)に加え、ジム・キャパルディ(パーカッション)、クリス・ウッド(サックス、フルート、ピアノ、オルガン)、リック・グレッチ(ベース)、リーバップ・クワク・バー(コンガ、ティンバル、ボンゴ)、ジム・ゴードン(ドラム)という全員の名が記されている。収録内容は、全6曲のうち、4曲がLP時代のA面、残る2曲がB面となっている。つまりは、最初の4曲は通常の尺(といっても6分超の演奏も含まれるのだけれど)で、アルバム後半は長尺の演奏(約11分と約9分)の2曲という配分になっている。 聴きどころは、やはり後半の長尺の2曲。5.「ディア・ミスター・ファンタジー」は、トラフィックのデビュー盤(『ミスター・ファンタジー』)に収録のナンバー。6.「ギミー・サム・ラヴィン」は、トラフィック結成前にウィンウッドが属していたスペンサー・デイヴィス・グループの代表曲。どちらも元の尺よりも大幅に長く、ライヴ演奏向けの長尺構成の意図が明確で、緊張感と盛り上がりが存分に楽しめる。他に注目したい曲としては、4.「欲ばりすぎたネ(シュドゥント・ハヴ・トゥック・モア・ザン・ユー・ゲイヴ)」で、2.「サッド・アンド・ディープ・アズ・ユー」と並んで、デイヴ・メイスンのアルバムからの曲で、メイスン自身がヴォーカルを担当している。[収録曲]1. Medicated Goo2. Sad and Deep as You3. Forty Thousand Headmen4. Shouldn't Have Took More Than You Gave5. Dear Mr. Fantasy6. Gimme Some Lovin'1971年リリース。 Traffic トラフィック / Welcome To The Canteen 輸入盤 【CD】 【輸入盤CD】Traffic / Welcome To The Canteen (トラフィック) 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2020年11月22日
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“代役ギタリスト”が際立つ1980年代最後の盤 デイヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイク(Whitesnake)は、1970年代後半に登場し、1980年代いっぱいまで大きな人気を集めた。このいわば最盛期にあたる時期の最後にリリースされたのが、1989年の『スリップ・オブ・ザ・タング(Slip of the Tongue)』である。 このアルバムには、ハプニングによって生じたある特色がある。ギタリストで曲の共作者でもあったエイドリアン・ヴァンデンバーグが、腱鞘炎によって演奏できなくなってしまった。そこで急遽メンバーとして加わったスティーヴ・ヴァイが全面的にギター演奏を引き受けた。結果、曲のクレジットにヴァンデンバーグは登場するものの、演奏には参加していないというイレギュラーなアルバムになった。代役のスティーヴ・ヴァイはアルカトラス(イングヴェイ・マルムスティーンの後任)やデイヴィッド・リー・ロスのバンドで既に活躍した経歴があり、本作の後にはソロでのキャリアを完成させていく。 冒頭の表題曲である1.「スリップ・オブ・ザ・タング」からテンションはマックスの演奏。3.「フール・フォー・ユア・ラヴィング」は、1980年のアルバム(邦題『フール・フォー・ユア・ラヴィング』、原題は『レディ・アン・ウィリング』)に収められていた曲の再演。1980年のものもシングル化されたが、本作のセルフカバーとなったヴァージョンもシングル発売された(1980年ヴァージョンは英で13位、米で53位、1989年のこのヴァージョンは英で43位、米で37位となった)。 他に触れておきたいナンバーとしては、6.「ウィングズ・オブ・ザ・ストーム」。本作全般に言えることだけれども、臨時加入のギタリスト、スティーヴ・ヴァイの色彩が強い。そんな中、この曲のヴァイのギターは、単に彼らしい演奏が披露されているのみならず、爽快なプレイである。あと、10.「セイリング・シップス」はカヴァデールのヴォーカルの魅力が存分に発揮された好曲で、曲後半ではヴァイらしさも発揮されていて、聴き逃がせない1曲になっていると思う。[収録曲]1. Slip of the Tongue2. Cheap an' Nasty3. Fool for Your Loving 4. Now You're Gone 5. Kittens Got Claws6. Wings of the Storm 7. The Deeper the Love8. Judgment Day9. Slow Poke Music 10. Sailing Ships 1989年リリース。 SLIP OF THE TONGUE (2019 REMASTER)【輸入盤】/WHITESNAKE[CD]【返品種別A】 スリップ・オブ・ザ・タング<30周年記念リマスター> [ ホワイトスネイク ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓
2024年01月28日
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歌姫のファースト作 シンディ・ローパー(Cyndi Lauper)は1953年ニューヨーク生まれのシンガー。学校に適応でなかった経験やブルー・エンジェルでデビューするも売れずに自己破産した過去など若い頃の苦労人ぶりがよく語られる。そんな時期を経て、1983年にソロデビュー作としてリリースされ、遅咲きながらスターの仲間入りを果たす契機となったのが、本盤『N.Y.ダンステリア(She’s So Unusual)』(邦題は後に『シーズ・ソー・アンユージュアル』に変更)であった。 収録の全10曲中5曲(国によっては6曲)がシングル発売され、ヒット曲が量産された。先行シングルの2.「ハイ・スクールはダンステリア」(後に邦題も「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」に変更)は全米ビルボード2位、続くセカンド・シングルの4.「タイム・アフター・タイム」はビルボード1位、さらに5.「闇夜でShe Bop」(後に「シー・バップ」)は全米3位と破竹の快進撃を続けた。ちなみに残るシングル曲は、6.「魅惑のスルー・ザ・ナイト」(後に「オール・スルー・ザ・ナイト」、全米5位)、1.「マネー・チェンジズ・エブリシング」(全米27位)、「ホエン・ユー・ワー・マイン」(カナダと日本のみでシングル化)である。 奇抜な衣装や特異な個性が目立った当時のシンディだったけれど、シンガーとしては既に十分な経験を積んでいて、いわば“ベテラン新人”だった。その歌唱力と表現は(その後も進化していくものの)既にかなりの部分出来上がっていた。経験がなせる業だったと思うことの一つは、アルバム・タイトルと9.「ヒーズ・ソー・アンユージュアル」の関係。同曲はつなぎのように短く(1分足らず)挿入されているだけで、思わず聴き飛ばしてしまうかもしれないけれど、1920年代のこのスタンダード曲を取り上げ、それをもじってアルバム表題(「彼は普通ではない」→『彼女は普通ではない』)にしてしまうあたりなど、遅咲きの年の功(?)だったのかなと思ってみたりもする。 この後、シンディ・ローパーはさらに完成度の高いセカンド作『トゥルー・カラーズ』を発表するわけだけれど、同盤と並んでこの盤も何回聴いてもいつ聴いても楽しめるアルバムだと言える。[収録曲]1. Money Changes Everything2. Girls Just Want to Have Fun3. When You Were Mine4. Time After Time 5. She Bop6. All Through the Night7. Witness8. I'll Kiss You9. He's So Unusual10. Yeah Yeah1983年リリース。 シーズ・ソー・アンユージュアル [ シンディ・ローパー ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2017年07月24日
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オリジナル・メンバー、14年ぶり復帰の世紀末盤 ある意味、なかなかTOTOらしい1枚だと思うのが、この『マインドフィールズ(Mindfields)』というアルバム。作品自体は1999年のものだから、ドラムのジェフ・ポーカロは既に事故で無くなった(1992年)後だし、バンドがデビューした70年代後半から80年代にかけてがバンドの絶頂期だったというのも事実である。そんなわけで、代表盤とはならないであろう作品なのは確かなのだけれど、個人的には意外と気に入っているアルバムだったりする。 さて、本盤では、オリジナル・メンバーだったヴォーカリストのボビー・キンボール(1984年の『アイソレーション』制作中に脱退)が15年近いブランクからバンドに復活している。もちろん、ヴォーカルが復帰したからといって、すぐさま初期のTOTOらしさが取り戻されるわけではない。けれども、実際にアルバムを聴くと、やっぱり“TOTOらしい”のである。そこが本盤の不思議かついちばんの魅力なのかもしれない。 冒頭はルカサーがヴォーカルの1.「アフター・ユーヴ・ゴーン」で始まるが、この辺は本盤の直近の流れを意識してのものなのかもしれない。続くキンボールのヴォーカルによる2.「ミステリアス・ウェイズ」からが、上で述べた“TOTOらしさ”が耳につき始める。曲が進むにつれ、当時のTOTOの音楽に80年代風のエッセンスが混じりあったようなヴァリエーションにとんだ曲が展開されていく。上記1.のシタール風のフレーズがるかと思えば、レゲエ風のリズムもある。ジャム・セッション風の演奏があるかと思えば、ドラマチック風バラードもある。70分超の長編だけれど、決して単調になることなく、様々な面を見せていく曲と演奏が変化に富んでいる。 そんなわけで、実のところ、冒頭に書いた“TOTOらしさ”というのは、ひとえにキンボールの復帰のみによるのではないように思えてくる。彼のメンバー復帰はその要素の一つであり、結局は昔からの彼らの器用さ、つまりはいろんなことができるキャパシティがその復帰で刺激されたことによるとでも説明したほうがいいのかもしれない。 最後に少しだけ、個人的な趣味でお気に入りを挙げると、上記1.、2.に加え、8.「ラスト・ラヴ」、10.「ワン・ロード」、パート1~パート3まであわせて8分近い13.「ベター・ワールド」もいい。ついでながら、日本盤のボーナス曲となっている14.「スパニッシュ・ステップス・オブ・ローマ」も結構好きなのだけれど、残念ながら正規のアルバム収録曲にはカウントされていない。完成度は高いと思うのだけれど、他の楽曲との組み合わせ上の理由や全体の雰囲気との整合性の問題だったのだろうか。[収録曲]1. After You've Gone2. Mysterious Ways3. Mindfields4. High Price of Hate5. Selfish6. No Love7. Caught in the Balance8. Last Love9. Mad About You10. One Road11. Melanie12. Cruel13. Better World Parts I, II & III14. Spanish Steps of Rome ←ボーナス・トラック1999年リリース。 【中古】洋楽CD TOTO/マインドフィールズ【タイムセール】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2018年07月15日
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40万アクセス記念、いま聴きたいジャズ・ナンバー(其の10)~ジェリー・マリガン編 すっかり秋めいてというか、冬の足音が近づいてくる時期になりました。そんな日の夜に(いやはや別に昼間でもよいのですが)、静かに耳を傾けたいナンバーで最後は締めてみたいと思います。 全編に“クールな夜の雰囲気”が漂う1963年のジェリー・マリガン(Gerry Mulligan)盤『ナイト・ライツ』。表題曲もいいかなと思ったのですが、今回は別のお気に入り曲、2.「カーニヴァルの朝(Morning of the Carnival (Manhã de Carnaval))」です。 もともとは1959年の映画『黒いオルフェ』の主題歌としてブラジルのルイス・ボンファが作曲したもの(そのため、曲名自体「黒いオルフェ(Black Orpheus (Orfeu Negro))」と呼ばれることもあり)。サンバ曲で、要はラテン・ブラジル風の曲なわけですが、スタン・ゲッツをはじめジャズ界でも取り上げられる機会の多いナンバーです。 ジャズの世界でバリトン・サックスの地位確立にも大きな役割を担ったマリガンですが、とにかく吹けばよいというものではないというのが、このナンバー(それから収録アルバム全体)からはよく分かります。こういう抑え気味の雰囲気と繊細さ重視のマリガンは、編曲者・解釈者としての彼の才能の高さをつくづく再認識させてくれます。 【RCP】【Joshinはネット通販部門1位(アフターサービスランキング)日経ビジネス誌2013年版】ナイト・ライツ/ジェリー・マリガン[SHM-CD]【返品種別A】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2013年11月20日
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“らしさ”が生かされた好演 バラードとブルースとは、何とも基本的であり、ジャズの世界では“鉄板”のテーマであると言えることだろう。この組み合わせを表題にした作品というと、マッコイ・タイナーの『バラードとブルースの夜』を思い浮かべる人も多いかもしれない。同盤は1963年の録音であるが、それに先立つ時期にミルト・ジャクソン(Milt Jackson)がこのテーマで吹込みを残している。 録音がなされたのは1956年初頭のこと。ミルト・ジャクソンにとって、本盤『バラッズ&ブルース(Ballads & Blues)』は、ちょうどプレスティッジからアトランティックへ移籍しての第1弾作品となった。吹込みには注目すべきミュージシャンが何人も参加している。まずは、ラッキー・トンプソンである。ジャクソンの出身地デトロイトを拠点とし、コルトレーンよりも早くソプラノ・サックスをジャズ演奏に持ち込んだテナー奏者で、本盤では3曲の演奏に加わっている。次にMJQの当初のドラマーだったケニー・クラークが収録の9曲中6曲でドラミングを披露している。このクラークと組んで同じ6曲で最高のリズム・セクションを作り上げているのが、オスカー・ペティフォードである。エリントン楽団やガレスピーのバンドでの活躍のほか、キャノンボール・アダレイを発掘した人物としても知られるベース奏者である。MJQの同志であるピアノ奏者、ジョン・ルイスは上記6曲、ベース奏者のパーシー・ヒースはそれ以外の3曲で登場する。他には、ポール・ウィナーズでも知られるバーニー・ケッセルが3曲でギター演奏を担当しているのも目につく。 思えば、ヴァイブの音の美しさを生かしたバラード演奏はミルト・ジャクソンの得意とするところである。さらに、ブルース・フィーリングは彼の演奏の髄である。つまり、本盤のテーマはいずれもミルト・ジャクソンの特徴をある意味、象徴するもので、その中に上述のミュージシャンたちのよさがうまく織り込まれていると言えるように思う。どの演奏も見事だけれど、特に注目したい点は、冒頭のバラード3連発。コール・ポーター曲の1.「ソー・イン・ラヴ」からヴァイブ演奏は全開で、2.「ディーズ・フーリッシュ・シングス」はバーニー・ケッセルのギターが効いている。3.「ソリチュード」はジャクソンの歌心が最高潮に達する。さらに聴きどころとしては、6.「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」。MJQの演奏(『ピラミッド』に収録)でも知られるが、とにかく編曲がいい。静かに始まり、テンポよく盛り上がり、いいところでラッキー・トンプソンがソロを披露し、ピアノ・ソロを経て終わるのだが、短いながらも締めのヴァイブの情感を残すところも最高である。ちなみに、このラッキー・トンプソンのテナーが気に入ったなら、8.と9.も聴き逃がせない。[収録曲]1. So in Love2. These Foolish Things3. Solitude4. The Song is Ended5. They Didn't Believe Me6. How High the Moon7. Gerry's Blues8. Hello9. Bright Blues[パーソネル・録音]Milt Jackson (vb)Lucky Thompson (ts: 6, 8, 9)John Lewis (p: 1, 3, 5, 6, 8, 9)Barry Galbraith (g: 1, 3, 5), Barney Kessel (g: 2, 4, 7), Skeeter Best (g: 6, 8, 9)Oscar Pettiford (b: 1, 3, 5, 6, 8, 9), Percy Heath (b: 2, 4, 7)Kenny Clarke (ds: 1, 3, 5, 6, 8, 9), Lawrence Marable (ds: 2, 4, 7)1956年1月17日(6, 8, 9)、1月21日(1, 3, 5)、2月14日(2, 4, 7)録音。バラッズ&ブルース [ ミルト・ジャクソン ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2019年03月22日
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どこまでも意欲的なトッドの還暦盤 トッド・ラングレン(Todd Rundgren)は“音の魔術師”と呼ばれる。別にそれを真っ向から否定するつもりはないのだけれど、どこか少し違うのかなと思うこともある。“魔術師”というのは、外に向けてその魔術を誇示するかのような印象を与えるような感じがする。もしそうだとすれば、ニュアンスは少し違っていて、正確にはどこまでも“音作りのマニア”もしくは“音作りオタク”(こんなキャッチフレーズじゃあ、絶対にファンは増えないか…)といった方がぴったりな気がしてしまう。もう30年も前から“一人ですべて演奏”というマルチプレイヤーぶりを頻繁に発揮しており、本作『アリーナ(Arena)』においても、作曲・演奏・プロデュースとすべて自分でやるという、その手法が採られている。高度情報化した21世紀のご時世だけに、編集は、これまた彼がマニアックに愛するアップル社製のラップトップ・コンピューター上で行われたとのことである。 アルバム表題の『アリーナ』が何を意味するのかはよくわからないが、最初にアルバムを聴いた時の印象は、アリーナ・コンサートで鳴っているかのような力強い、広がりのあるサウンドが意図されているのかなと感じた。繰り返し聴いた今も、音の広がりと力強さという第一印象にほぼ変わりはない。実際、1.「マッド」をはじめ、“ロック”を強く意識した曲調のナンバーが並ぶ。従来の作風と少し違うのだけれども、それがまたこの人の器用な才能を露わにしている。 これだけのサウンドを一人で全部作り上げてしまうのだから、やはりこの人はすごい。いや、それだけじゃなく、人間不信なのかとすら勘繰りたくもなる。他人任せではなく自分ですべてやる。個人主義が行きわたった今の日本社会から見ると“カッコいい”のかもしれないが、よく考えてみると、気になることがある。 いきなり一般論に飛んで申し訳ないが、普通の人間がこうしたことをやるなどというのはおこがましいのではないと思う。凡人が天才を真似てもろくなことがない。就活をしても、仕事をしても、“特技は?” 、“業績は?”などと無理やり自己肯定の答えを要求される押しつけがましい世の中で、私たちは自己アピールを強要されることも多い。けれども、こういう“天才”の所業を見せられると、そのアピールを背伸びして無理やりやっていることに抵抗を感じてしまう。つまるところ、トッド・ラングレンの才能がずば抜けているからこそ、こういう個人技が可能なわけである。洋楽の世界は広しと言えども、この手法で当然のように名作を世に送り込んで万人を納得させられてきたのは、それこそ、トッド・ラングレンとスティーヴィー・ワンダーぐらいなものなのだから…。 印象が強いのは上記の1.「マッド」に続く、2.「アフレイド」、3.「マーセナリー」、4.「ガン」と続くアリーナ・ロック風サウンド全開の流れ。7.「ストライク」や12.「パニック」なんかもこの流れに直球でヒットする。それと同時に、個人的には、6.「ウィークネス」や13.「マナップ」なんかに見られるように、どこかしらうまくトッド節が出ているナンバーも結構あるように思う。 それにしても、本盤リリースの2008年時点でトッドは60歳。還暦を迎えながら上半身裸のジャケ写というのも、何とも度胸があるというかチャレンジャーというか…。そんなところも、やはり凡人じゃないといったところだろうか。[収録曲]1. Mad2. Afraid3. Mercenary4. Gun5. Courage6. Weakness7. Strike8. Pissin9. Today10. Bardo11. Mountaintop12. Panic13. Manup2008年リリース。 【メール便送料無料】トッド・ラングレンTodd Rundgren / Arena (輸入盤CD) (トッド・ラングレン) 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2015年08月02日
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表題に違わぬ“これぞロックンロール”な1枚 ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)は、人気絶頂を保ったまま、1970年代を駆け抜けていった。70年代のストーンズの作品の中で“もっともロックしている作品は”と訊けば、きっと多くの人がこれというであろう作品が、1974年リリースの『イッツ・オンリー・ロックン・ロール(It's Only Rock'n Roll)』ということになるのではないだろうか。 本作は、英国で2位、米国で1位を記録し、グリマー・ツィンズ(ミック・ジャガーとキース・リチャーズのコンビのプロデューサーとしての名義)による最初のプロデュース作品となった。それまでのアルバムと比べ、ストレートなロックンロールを目指すという方向性が顕著に見られ、その点で何とも爽快な盤に仕上がっている。 “これぞロックンロール”なナンバーとしては、冒頭の3曲が圧倒的である。1.「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」は、アルバムのオープニング・ナンバーらしく、勢いに満ちており、2.「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ」は、少し抑揚をつけながら、ロックンロール感を維持させる。そして、表題曲の3.「イッツ・オンリー・ロックン・ロール(バット・アイ・ライク・イット)」は、タイトルと歌詞からして“たかがロックンロール、でも自分はそれが好きなんだ”という、分かりやすく気持ちいいメッセージの曲で、曲調もまさにそのまんまの好曲である。 他のナンバーももう少し見ておきたい。5.「タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」は、ミック・テイラーの長編ギター・ソロが聴きどころ。LP時代のB面(CDトラック6.~10.)に入って、7.「ダンス・リトル・シスター」は、これまた表題も詞もいかにもロックンロールといったモチーフが気持ちいい。アルバム最後の曲の10.「フィンガープリント・ファイル」は、ストレートなロックという意味では軽い変化球だが、“FBIに追われる男”というストーリー性が曲と演奏にも反映されていてなかなか興味深い。 とはいっても、このようなアルバムの出来とは裏腹に、キース・リチャーズの薬物問題、ミック・テイラーの不満などの難題をバンドの背後に抱え込んでいた。実際、ミック・テイラーは本作を最後にストーンズを去ることになり、次のアルバム(『ブラック・アンド・ブルー』)では、ロン・ウッドが代替メンバーとして活躍することになる。ちなみに、そのロン・ウッドに絡んだところで、実は本作の表題曲(3.「イッツ・オンリー・ロックンロール」)の原型は彼が作ったと言われる。クレジットはジャガー/リチャーズとなっているものの、その“原型”は、ミック・ジャガーがロン・ウッドのアルバム制作に参加していて、その時に作った2つの曲の一方(もう一方は、ロン・ウッドのソロ作に収録)だったとのことである。[収録曲]1. If You Can't Rock Me2. Ain't Too Proud to Beg3. It's Only Rock'n Roll (But I Like It) 4. Till The Next Goodbye5. Time Waits for No One6. Luxury7. Dance Little Sister8. If You Really Want to Be My Friend9. Short and Curlies10. Fingerprint File1974年リリース。 イッツ・オンリー・ロックン・ロール/ザ・ローリング・ストーンズ[SHM-CD]【返品種別A】 【輸入盤CD】Rolling Stones / It's Only Rock N Roll (ローリング・ストーンズ) 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2021年09月30日
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ブルージーにまとまったセッション盤 プレスティッジというレーベルは、適当にメンバーを集めてセッションし、そのまま盤にするという適当なことをやったりしていたが、それで好作品に仕上がっていくというのは、メンバーのクオリティの高さと同時に、当時のハードバップの勢いがそれだけの体力を備えたものだったからということだろうか。 『オール・モーニング・ロング』というアルバム名(および1.の表題)は、モーニングという単語で“朝”を想像しがちだけれども、より正確には“(日付が変わった)深夜から次の日の昼までずっと(つまり深夜から午前中にかけて)”といった意味合いと言えそうだ。実際、本盤はレッド・ガーランドを中心とするセッションで、“もう1つのマラソン・セッション”と言われたりする。1957年11月15日と翌12月13日の2日間の録音から、まとめてアルバム4枚分(本盤『オール・モーニン・ロングAll Mornin’ Long』のほか、『ソウル・ジャンクション』、『ハイ・プレッシャー』、『ディグ・イット』)の演奏が残されることとなった。この経緯からもわかるように、夜明けから午前に続いたセッションの世界という訳で、参加メンバーは次の通り。ピアノのレッド・ガーランドのほか、ジョン・コルトレーン(サックス)にドナルド・バード(トランペット)。さらには、ドラムがアート・テイラーだが、ベースは、いつものメンバー(?)的なポール・チェンバースではなく、ジョージ・ジョイナー(音的には似たタイプと言えそうではあるが)。 全体的には長尺のセッションで、各曲の収録時間は長い。表題曲の1.「オール・モーニング・ロング」は20分という長丁場で、残る2曲が10分強と6分強。要するに、ソロ・パートに当てられた時間も長く、典型的なプレスティッジ的セッション演奏である。こう書くと何か“だれた”あるいは“緩い”演奏なのかと思ってしまいそうだけれれど、実際はそうではない。特に長丁場の1.「オール・モーニング・ロング」からして、実によくまとまった演奏に出来上がっている。ブルース好きには極上の演奏で、安定したレッド・ガーランドのピアノを中心としたリズム隊の演奏に、J・コルトレーンとD・バードのソロが(あくまで目一杯とは到底言えないが)いい感じで絡んでくる。要するに、サックスやトランペットだけを堪能するには不十分かもしれないのだけれど、あくまでレッド・ガーランドのトリオがベースにあって、その上でコルトレーンやバードがフィーチャーされてると捉えられることを前提にして聴くならば、これほどバランスよくまとまっているのは見事ということになるに違いない。 そして、この演奏を特徴づけているのは、何といっても“ブルース”である。上述の1.はブルージーなナンバーとして申し分のない出来。続く2.「誰も奪えぬこの想い」と3.「アワ・デライト」も、ブルースジーさという観点からは文句の付けどころがない。2.はややリラックスした雰囲気、3.は鬼気迫るコルトレーンのサックスがより強い印象を与えるものの、いずれもブルース(無論、ジャズで言うところのブルースという意味)としての完成度は高い。 マイルスの“マラソン・セッション”もある種似たところがあるのかもしれないけれど、“まとめ録りなんて…”と思うのは誤った先入観なのだろう。まとめて録音し、うまく編集され(切り取られ)た暁には、こういう風に傾向がはっきり出て、なおかつ聴きごたえのある盤ができあがるということを証明している一枚でもあるように思う。[収録曲]1. All Mornin’ Long2. They Can’t Take That Away from Me3. Our Delight[パーソネル、録音]Red Garland (p)Donald Byrd (tp)John Coltrane (ts)George Joyner (b)Art Taylor (ds)1957年11月15日録音。 Red Garland レッドガーランド / All Mornin' Long 輸入盤 【CD】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年10月30日
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有名曲の前後を通して聴くと… サンタナ(Santana)は、メキシコ出身のミュージシャン、カルロス・サンタナ(Carlos Santana、本名Carlos Augusto Santana Alves)率いるバンドで、サンフランシスコで結成された。当初はカルロス・サンタナ・ブルース・バンドと名乗っていたが、サンタナと改名して1969年にデビューし、現在まで活動を続けている。本盤『天の守護神(アブラクサス)』は、1970年に彼らが発表した第2作で、バンドとして初の全米1位を獲得するアルバムとなった。シングルとしても、2.にメドレーとして収録されている「ブラック・マジック・ウーマン」が全米4位、3.「僕のリズムを聞いとくれ(オジェ・コモ・バ)」が同13位を記録した。 シングルとなった「ブラック・マジック・ウーマン」は、言わずと知れたピーター・グリーン(初期フリートウッド・マック)のカバー。しかし、単なるブルース・ロックの流れを汲むカバーというのではなく、ラテン・ロックと称されることになる独特のリズム感と曲の解釈が織り込まれ、原曲とはかなり違う出来具合になっている(なお、アルバムではガボール・ザボの「ジプシー・クイーン」と共にメドレーになっていて、トラック・ナンバー2.として収録されている)。 3.「僕のリズムを聞いとくれ(オジェ・コモ・バ)」もサンタナを代表する曲として有名になったが、もとはと言えば、ラテンの巨星ティト・プエンテの曲。“ティンバル(ティンバレス)の王様”や“ラテン音楽の王様”と呼ばれたティト・プエンテは、プエルトリコ系の演奏者・作曲家(2000年没)で、サルサやラテン・ジャズの発展に大きな役割を果たした人物。それをロックにうまく融合させたのがサンタナの演奏と言える。 これらシングル・ヒット曲についつい注目が行きがちである。確かに、これら2曲をはじめとするラテン・ロックというスタイルの確立は、サンタナの大きな功績なのだけれど、本アルバムのもう一つの真価は案外別のところにあるように思う。それはインストルメンタル曲の多さに表れている。収録曲全9曲のうち、半数を超える5曲(1.、4.、5.、7.、9.)が実はインスト・ナンバーなのである。これらが全体のトーンを決定づけ、本アルバムに、単なる曲の寄せ集めではない、一つの作品としての体裁を与えているように思う。 アナログでA面だった部分(1.~4.)を聴けばそのことがよくわかる。1.「風は歌い、野獣は叫ぶ」という静かに始まるインスト・ナンバーで引っ張っておきながら、2.「ブラック・マジック・ウーマン~ジプシー・クイーン」のメドレーへとさりげなくなだれ込む。次にラテン・リズムが強調された3.「僕のリズムを聞いとくれ」が来たかと思うと、力強いリズム感をどこかに残しながら、次のインスト曲4.「ネシャブールのできごと」へと連続していく。つまりは、前後のインストルメンタル曲があってこその有名曲という、ちゃとした連なりが意図されているのが見事なのである。 余談ながら、以前から気になっていることがある。スペイン語のタイトル曲がいくつか含まれているが、5.のクレジットのされ方が何とも奇怪なのだ。正しくは「Se Acab?」(「全ては終わりぬ」という邦訳はこのフレーズの翻訳)なのだが、「Se a Cabo」と綴られている。何か特別な意味でもあるのだろうか…。[収録曲]1. Singing Winds, Crying Beasts2. Black Magic Woman/Gypsy Queen3. Oye Como Va4. Incident at Neshabur5. Se a Cabo6. Mother's Daughter7. Samba Pa Ti8. Hope You're Feeling Better9. El Nicoya~以下、1998年再発時のボーナス・トラック(筆者は未聴)~10. Se a Cabo(未発表ライブ)11. Toussaint L'Ouverture(未発表ライブ)12. Black Magic Woman/Gypsy Queen(未発表ライブ)1970年リリース。 天の守護神/サンタナ[Blu-specCD2]【返品種別A】 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011年01月22日
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“ビッグ・オー”の名曲(その3) “ビッグ・オー(The Big O)”ことロイ・オービソン(Roy Orbison)の名曲選をお届けしてきましたが、ひとまずこの第3回で区切りにしたいと思います。 1980年代初頭、ヴァン・ヘイレンが「オー・プリティ・ウーマン」をカバーしましたが、それに先駆けて、1977年にリンダ・ロンシュタットがロイ・オービソンの曲を取り上げてヒットさせました。リンダによって全米3位となったのが「ブルー・バイ・ユー(Blue Bay You)」という曲ですが、元々はロイ・オービソンが1963年にリリースし、全米29位、全英3位となったナンバーです。 折角ですので、今回はリンダ・ロンシュタットの歌唱もお聴きいただきましょう。近年はパーキンソン病の発症に引退の発表と心配な状況が続いていますが、とにかく往時の彼女の歌唱力と表現力はずば抜けていました。もちろん、この「ブルー・バイ・ユー」もその実力が存分に発揮されたものだと思います。 [収録アルバム]Roy Orbison / In Dreams(1963年)Linda Ronstadt / Simple Dreams(1977年) イン・ドリームス [ ロイ・オービソン ] 【メール便送料無料】Roy Orbison / Ultimate Roy Orbison (輸入盤CD)【K2016/10/28発売】 (ロイ・オービソン) 【メール便送料無料】Linda Ronstadt / Simple Dreams (輸入盤CD)(リンダ・ロンシュタット) 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2017年06月29日
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気まぐれ80s~第8シーズン(その8) 第8回めは、これまでこのブログでなぜだか1枚も1曲も取り上げていなかったライオネル・リッチー(Lionel Ritchie)の超有名曲です。なぜ今まで登場していなかったのか(「ウィーアー・ザ・ワールド」には出てきますが)、我ながら不思議です。ともあれ、「セイ・ユー・セイ・ミー(Say You, Say Me)」をどうぞ。 でもって、本題(?)に戻って、もう一つの不思議は、この人は本当に見た目が大きく変わっていない点ではないだろうかと思ったりもします。確かにコモドアーズの頃や、ダイアナ・ロスと「エンドレス・ラヴ」のデュエットをしていた辺りまでは、少々胡散臭い若者のようなイメージはあります。けれども、USA・フォー・アフリカやこの曲の頃と最近を比べてみても、30代と60代(ちなみに今年で68歳を迎えます)の違いとは到底思えないほどです。 というわけで、昨年(2016年)、フェスティバル・デ・ビーニャ(1960年からこれまで60年近くチリのビーニャ・デル・マールで毎年開催されている音楽祭)での歌唱をどうぞ。 歌声もまた当時のままといった感じですね。[収録アルバム]Lionel Ritchie / Dancing on the Ceiling(邦題:セイ・ユー、セイ・ミー)(1986年) セイ・ユー、セイ・ミー [ ライオネル・リッチー ] 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2017年04月19日
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“名盤とされるから聴いて見る”タイプの盤ではないけれど…マルチな音楽性の好盤 アル・クーパー(Al Kooper)は1944年ニューヨーク出身のミュージシャン。60年代に入った頃からセッション・ミュージシャンとして頭角を現わし、1965年にはボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」にもオルガンで参加している。1968年にはプロジェクトを立ち上げ、ブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)を結成してその初作『子供は人類の父である』を発表する。また、同年には、マイク・ブルームフィールドと組んだ『スーパー・セッション』も企画し、アルバムをリリースしている。アルはこの直後からソロ活動を開始し、1969年に出た記念すべきソロ第1作目がこの『アイ・スタンド・アローン(I Stand Alone)』というアルバムだった。 このアル・クーパーという人は、よく言えば“マルチな才能”の人、悪く言えば“これといった分かりやすい売りがない”人である。セッション・ミュージシャンとして参加した上述のボブ・ディランの名曲のレコーディングにおいても、天才M・ブルームフィールドのギターを耳にしてこりゃだめだとギター演奏を断念し(おかげで急に入ったオルガンで名演奏を残したけれど)、気合の入ったプロジェクトであったBS&Tも、おそらくは彼のヴォーカルの弱さが原因で1作だけで脱退する羽目になってしまう。本作の『アイ・スタンド・アローン』という表題は、こうしたBS&T脱退の経緯を踏まえてのソロ宣言とも言うべきものであった。ジャケット写真では自由の女神に扮し、ジャケット裏のイラストではその女神像を頬張るという挑戦的なデザインがなされている。 上で述べたいい点と悪い点はそのまま本盤の特徴にもなっている。ブルース、ポップ、R&B、ジャズ、フォークといった多彩なジャンルの間をアルは行き来する。この点こそ本盤の名盤たる所以ではあるのだけれど、逆にその“どっちつかず具合”に聴き手は困惑するかもしれない。つまり、“名作と言われるから聴いて見よっ”てなノリで手を出すとこの点にまずは戸惑う可能性が高い。しかも、上述のように、決してヴォーカルには強くないので、歌もの的インパクトには欠ける(とは言っても、2.「アイ・スタンド・アローン」や7.「アイ・キャン・ラヴ・ア・ウーマン」なんかはかなりの名曲だと思うけれど)。 では、いったいどこが優れた盤なのか。時代背景も少し踏まえてみると明確になってくるように思う。60年代末、音楽シーンは大きな変化のうねりの真っただ中にあった。ブルースロックの台頭、西海岸サウンドの芽生えはその当時にしてみれば現在進行形の出来事。70年代以降にメインストリームとして定着する“ロック”はまだ確立されていく過程にあった(60年代後半のビートルズは、その過程の重要な体現者に他ならない)。ミュージシャンたちは、何が可能なのかを求め、形式に捉われない創造性を自在に発揮していた。この文脈を考慮すれば、アルの“どっちつかず”加減は、実のところ、その才能の発揮そのものでもあるということに気がつく。そう、この音楽は実は“どっちつかず”ではなく、これだけの融合をできていることが素晴らしいという種のものなのだ。聴くたびに新たな発見のできる、ある意味で複雑な盤。本作が名盤と呼ばれているのは、某かの音楽スタイルを確立したからではなく、過程の真っただ中にあってこの複雑な融合加減を提示できたという点にあるように思う。[収録曲]1. Overture2. I Stand Alone3. Camille4. One5. Coloured Rain6. Soft Landing on the Moon7. I Can Love a Woman8. Blue Moon of Kentucky9. Toe Hold10. Right Now For You11. Hey, Western Union Man12. Song and Dance for the Unborn, Frightened Child1968年リリース。 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【マラソンsep12_大阪府】【RCP1209mara】アイ・スタンド・アローン/アル・クーパー[CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年09月20日
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ロック史に名を残す2枚組 1966年に発表されたボブ・ディランの第7作目がこの『ブロンド・オン・ブロンド(Blonde On Blonde)』である。“ロックへの転向”により、フォーク界からは“裏切り者”呼ばわれされ、ツアーを続けながらも、その合間をぬって録音され、その結果できあがった本盤はアナログでは2枚組(現在CDでは1枚)という、ディラン初の(そしてロック界初の)試みであった。 本アルバムの前作である『追憶のハイウェイ61』やそこに収録された「ライク・ア・ローリング・ストーン」が、ある種の“衝撃”をもたらすものであったということに異論はないだろう。その“衝撃”が偶発的もしくは単発的なものではなく、一つのスタイルの確立へ向かうものであったことが、次作となるこの『ブロンド・オン・ブロンド』からは明瞭に窺い知ることができる。 けれども、このことを思うにつけ、フォーク・ロックの確立とはディランにとって何であったのか、と考えたくなってしまう。筆者の考えるところでは、実はディラン自身には、何らかのスタイルを作り上げる気などなかったのではないだろうか。そうではなくて、フォークから出発したディランが自己表現として適切と考えるものを探し模索しながらやってみて、その果てに出来上がったのが、結果的にこれだったのではないか。つまり、フォーク・ロックと呼ばれうるものが出来上がったにしても、それはディラン自身の意図からすれば、付随的に過ぎなかったのではないかと思えてくる。こう考える理由は、ディランの詞に重きを置く姿勢にある。各々の詞を表現し、音楽として聴かせる方法をいろいろ考えて実践してみたところ、結果としてこの音に行きついたというわけである。 個人的好みから注目曲を挙げておきたい。冒頭の1.「雨の日の女」のリラックスぶりは、『追憶のハイウェイ61』からの進化を感じさせるナンバーで、いい意味で肩の力が抜けている。続く2.「プレッジング・マイ・タイム」、3.「ジョアンナのヴィジョン」、4.「スーナー・オア・レイター」(ここまでがアナログA面)…とアルバムが進んで行くにつれ、どの曲も高い完成度を持っていることに驚かされる。ディランにこの言い方は失礼なのかもしれないが、精度が落ちることがないのである。 このような調子で、5.「アイ・ウォント・ユー」も、6.「メンフィス・ブルース・アゲイン」も、8.「女の如く」も、9.「我が道を行く」も…と挙げだしたらきりがないのだけれど、続けて聴くとさすがに疲れがたまりそうなほどの完成度の曲が居並ぶ。そんなわけで、LP2枚組分の全曲が1枚に収められた現在のCDを通して聴くと、最後の方には聴き手の側としては疲れ果ててしまっていることになるのだろうけれど、LPの第4面(2枚目の裏面)全部を費やして収録されていた11分超えの大作14.「ローランドの悲しい目の乙女」は、絶対に聴き逃せないナンバー。2枚組であることのみならず、この試みも当時としては初だったとか。やはりこの曲でもメインは詞にあって、その詞が紡ぎ出す情景が浮かび上がる手法としてこのサウンドに行きついているという印象が強い。[収録曲](アナログ盤A面)1. Rainy Day Women #12 & 352. Pledging My Time3. Visions of Johanna4. One of Us Must Know (Sooner or Later)(B面)5. I Want You6. Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again7. Leopard-Skin Pill-Box Hat8. Just Like a Woman(C面)9. Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine10. Temporary Like Achilles11. Absolutely Sweet Marie12. 4th Time Around13. Obviously 5 Believers(D面)14. Sad Eyed Lady of the Lowlands1966年リリース。 【送料無料】ブロンド・オン・ブロンド/ボブ・ディラン[CD]通常盤【返品種別A】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年08月12日
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北欧メタル/ハードロック有名バンドの有名ヒット作 スウェーデン出身のバンド、ヨーロッパ(Europe)最大のヒット作が、この『ザ・ファイナル・カウントダウン(The Final Countdown)』である。1986年に発売され、その当時780万枚(通算では1500万枚)を売り上げている。ヨーロッパは、1979年に結成されたバンドに由来し、1982年にこの名称にバンド名を改称後、1983年のファースト作、1984年のセカンド作と順調に作品を吹き込み、人気を集めていった。 そんな中、音楽性のポップ化が進み、大ヒットとなったのが、このアルバムだった。この年から翌年にかけてシングルも次々に発表され、表題曲の1.「ザ・ファイナル・カウントダウン」は、全米8位となり、母国スウェーデンを含めヨーロッパでは8か国でシングルチャート1位を記録した。また、3.「キャリー」は全米3位のシングル・ヒットとなったほか、都合、アルバム収録曲のうち計5曲がシングル・リリースされた(加えて、日本限定で10.もシングル・カットされた)。 聴きどころとしては、日本でもCM曲などで親しみのある1.「ファイナル・カウントダウン」(参考過去記事はこちら)、万人受けしやすそうなロック調の2.「ロック・ザ・ナイト」、そして、名バラードの3.「キャリー」といったところになるだろうか。とはいえ、有名ヒット曲だけでは面白くないので、他の曲も少し触れておくと、5.「ニンジャ」は、タイトルこそ一昔前の日本のステレオタイプ像を反映しているようでなんだかなという感じではあるが、曲の演奏としてはなかなかよくできている。さらに個人的に聴き逃がせないと思うのは、6.「チェロキー」。曲の展開もいいし、アメリカのバンドでもないのにこういう詞のテーマ(19世紀、アメリカ先住民族強制移住のいわゆる“涙の旅路”)を取り上げる思い切りにも脱帽する。 このアルバムの発売後、ジョーイ・テンペスト(ヴォーカル)とともに中心メンバーだったジョン・ノーラム(ギター)はバンドを脱退してしまう。ある意味ではこのヒット(音楽のポップ化、バンドのアイドル的人気)が原因でバンドは安定しなくなっていき、1990年代初頭に解散してしまう(ただし、2003年に復活)。“ヒットし過ぎがバンドを殺す”の典型例になってしまったヨーロッパだが、往時が遠い過去となった今となっては、この作品、これはこれで悪くなかったどころかよかったようにも思うのだけれど。[収録曲]1. The Final Countdown2. Rock the Night3. Carrie4. Danger on the Track5. Ninja6. Cherokee 7. Time Has Come8. Heart of Stone9. On the Loose10. Love Chaser1986年リリース。 [期間限定][限定盤]ザ・ファイナル・カウントダウン/ヨーロッパ[CD]【返品種別A】 Europe ヨーロッパ / Final Countdown 【CD】 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2020年06月25日
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ハードコアなハート作品 1976年にメジャー・デビューしたバンド、ハート(Heart)の初期のアルバムの中で最もハードコアなロック作品と言えるのが、本盤『べべ・ル・ストレンジ(Bébé Le Strange )』だろう。1979年にレコーディング、翌80年初頭にリリースされ、1970年代のハートの活動の締めくくりとなったスタジオ第5作である(ちなみに、同年末には初のベスト盤もリリースされた)。 過去のハートに関する記事にも書いたことであるけれども、このハートというバンドは、単なる“女性版ツェッペリン”などではなかった。レッド・ツェッペリンの音楽を消化し、アンとナンシーの姉妹を中心に自分流のものとしたという方が正確だと考える。つまり、音楽的には、ツェッペリンの模倣やコピーではなく、ツェッペリンを踏まえて、次の時代ないしは次のステップを体現しようとしていたと言っていいように思う。 そんなハートの作品のうち、本盤『べべ・ル・ストレンジ』は、とくにハード・ロックな音作りが印象的である。本盤の聴きどころと言えそうな曲をいくつか挙げておこう。オープニング・ナンバーの1.「べべ・ル・ストレンジ」は、派手というよりは真面目にハードコアな、このバンドらしさが体現されたナンバー。5.「ロッキン・ヘブン・ダウン」とあわせて、このハートというバンドがレッド・ツェッペリンをいかに血肉と化して消化していたのかががよくわかる。 アルバム後半では、シングルにもなった6.「イブン・イット・アップ」が注目の本領発揮曲。その一方、真摯なロック一辺倒ではないのもハートの魅力だと言える。バラード調の10.「スウィート・ダーリン」では、曲のよさもさることながら、アンの圧倒的なヴォーカルが際立つ。また、ナンシーの存在感を感じられる部分も多彩さにつながっている。アルバム前半には、彼女のギター独奏の小品3.「シルバー・ウィールズ」が収められている。また、アルバム後半では、ヴォーカルのみならずほとんどの楽器を担当して、ナンシーがマルチプレイヤーぶりを発揮した8.「レイズド・オン・ユー」が収められている。[収録曲]1. Bébé le Strange2. Down on Me3. Silver Wheels4. Break5. Rockin Heaven Down6. Even It Up7. Strange Night8. Raised on You9. Pilot10. Sweet Darlin'1980年リリース 【輸入盤CD】Heart / Bebe Le Strange (ハート) 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 クリックで応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2024年04月27日
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“華麗なる反則技”の名曲シングル 周知のように、ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)はロックの代名詞的な老舗バンド。1963年のデビューだから、来年でデビュー50周年の区切りを迎える。現代的な意味でのロックの創成期に黒人音楽を積極的に取り入れ、その功績は本当に計り知れない(参考過去記事:『アフターマス』、『ベガーズ・バンケット』、『レット・イット・ブリード』)。 すっかりブランドと化してしまった90年代以降のストーンズには、正直なところ、筆者個人としてはあまり興味がない。そもそもジョン・レノンだって、ビートルズのことを“いつまでも同じままじゃいけない、さもなきゃ博物館行きだ”みたいな発言をしていたではないか。にもかかわらず、ストーンズは60歳を超えても、いやはや70歳になろうとしても(ミックとキースは来年2013年で70歳になる)、同じようにストーンズであり続けている。こうなりゃ、良くも悪くも生ける博物館だ。そう考えれば、何でもありという発想もあり得るのかもしれない。そんなストーンズが思わぬ“反則技”を披露してくれたのが、この90年代のシングル曲である。 ザ・ローリング・ストーンズというバンド名は、いまさら言うまでもなく“転がる石たち”の意。もともとこのバンド名は、シカゴ・ブルースの巨星マディ・ウォーターズの曲から採られたもので、初期のバンド・リーダーであったブライアン・ジョーンズ(1969年急死)による命名であった。 ストーンズのデビューから数年、フォークの貴公子ボブ・ディランは“ロック転向”を果たし、60年代を代表するかの記念碑的名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」を1965年に発表する。言うまでもなく、この曲のタイトルは“転がる石の如く”の意味である。ローリング・ストーンズは、自らのバンド名と重なり合うこの曲を、ライヴでやるだけならまだしも、シングル化して1995年にリリースしてしまったというわけである。 肝心の演奏はというと、案外、ふつうである。とりたてて奇抜なアレンジをするでもなく、ストーンズらしさを無理に押し出すわけでもなく、どちらかと言えばシンプルかつ忠実に往年の名曲を演奏してます、という感じ。まあ、聴き手の方も60年代後半から70年代初頭にかけての革新性みたいなものを求めているわけでもなければ、ストーンズ自身もそれを自覚の上でやっているのだろうから、それはそれでよいのだ。定番の古典を大御所の歴史あるバンドが演奏する。その組み合わせだけで聴衆に“うける”ことを分かった上でのシングル・リリースだったということだろう。 とまあ、オールド・ファンの目にはそう映るのかもしれないのだが、よく考えてみると、違う一面もあるのかもしれない。“ディラン、それだあれ?”、“この曲って昔の名曲なの?”という新しい若年ファン層にとっては、90年代のこの曲のリリースは、60年代の遺産の伝道者という側面もあったのかもしれない。自分たち(ストーンズ)が生きた、もしくは作り上げた時代のものを、数十年後に自ら伝える役割も果たすという奇妙なことになってしまっているが、そういう狙いももしかしてあったのだろうか…。 なお、このライヴ・テイクは前年(1994年)の作品『ヴードゥー・ラウンジ』に伴うツアーの音源を収めたもの。収録のアルバム(『ストリップトStripped』)は、ストーンズ初のアコースティック盤でライヴ・テイクとスタジオ・テイクの混合盤だが、この「ライク・ア・ローリング・ストーン」はフランス、パリのオランピア劇場での演奏とのこと。あと、この曲は1995年(日本では翌96年)公開されたS・スタローン主演の映画『暗殺者』のテーマにも用いられた。[収録アルバム]The Rolling Stones / Stripped (1995年) 【Aポイント+メール便送料無料】ローリング・ストーンズ Rolling Stones / Stripped (輸入盤CD)【YDKG-u】 【バンドグッズ/ミュージックグッズ】正規ライセンスグッズローリングストーンズRolling Stonesミニ缶バッヂB-0943【あす楽対応】ポストカード【音楽】ローリングストーンズ / Lipsローリング・ストーンズ Rolling Stones Warhol Tongues メタルカンバッチ (100110)メール便利用可¥3800以上のお買上げで送料無料!【1500円】THE ROLLING STONESインポートT-shirts!夏には必要不可欠Tシャツがこの価格!大人気Tシャツ!2color【1500円】THE ROLLING STONES T-shirts♪Tシャツ♪夏服♪ロック♪BunnyT-shirts♪ローリングストーンズ 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年05月14日
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70年代ロックの名曲たち(その4) さて、少々間が空きましたが、70年代のロック名曲、今回はもろヴォーカル的な感じの曲を行ってみたいと思います。60年代末から頭角を現し、70年代にヴォーカリストとしての実力を存分に示したロッド・スチュワート(Rod Stewart)の代表曲です。 ロッド・スチュワートの功績はいろいろありますが、そのうちの一つは英米にまたがって活躍したことでもあるように思います。英国から米国への拠点の変化は税金対策だった(長年の末、2010年に再びイギリスへ戻ったそうです)と言われたりもしますが、それにしてもソロからフェイセズの成功とその少し後までをイギリスで過ごしたのち、アメリカのミュージシャンを起用して、太平洋を一跨ぎするジャケットが印象的な『アトランティック・クロッシング』というアルバムを制作し、そこからこの「セイリング」が大ヒット・シングルとなりました(全英1位となり、本人曰く“第二の英国国歌”)。 この活躍ぶりだけでもお見事ですが、さらにこのヴォーカルスタイルのカッコよさ。ハスキーな声とこの歌唱は簡単には真似できませんが、スタイルとしては以降のロック・ヴォーカリストに大きく影響を与えたように感じます。[収録アルバム]Rod Stewart / Atlantic Crossing (1975年) 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2014年02月06日
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80年代、明るい未来がまだ見えていた ティムバック3(ティムバック・スリーと読む)は、主に80年代後半に活躍したオルタナ=ポップ・バンドである。バンドといっても、その実態は基本的にはデュオで、パット・マクドナルドとバーバラ・クーイマン(バーバラ・K)という2人組(夫婦)で、これら2名にドラム・マシンのプログラミングを加えて、バンド名の“3”となったらしい。本作『グリーティング(Greetings from Timbuk 3)』は、1986年にリリースされた彼らのファースト・アルバムで、80年代の初期3作の中でとりわけ彼らの基本的スタンスがはっきり表れている。おまけに個々の楽曲の質も高いということから、彼らを知るには最適な1枚であろう。 このアルバムを作ったのはI.R.S.レコードというレーベルで、1979年に設立され、当初はA&M(その後はMCA)、さらに後にはEMIから配給され、最終的には1994年にEMIによって買収され、さらにその2年後には統合されている。このレーベルは80年代、実に元気であった。80年代前半にはファイン・ヤング・カニバルズを世に送り出しているし、元ゴーゴーズのべリンダ・カーライルのソロ第1作をリリースしたのもこのレーベルだった。さらには、現在では確固たるバンドとしての地位を築いたR.E.M.もデビューから5作目まではこのレーベルに属していた。 R.E.M.の初期作同様、ティムバック3の本作も、当時衆目を集めていた全米カレッジ・チャートで上位を記録し、その勢いでもってメジャーにのし上がってきた。この点ではR.E.M.と似たシーンへの登場の仕方だった。しかしながら、このバンドはセールス面が思うように伸びたわけではなく、本盤は英米ともにチャート最高位は50位程度にとどまった。シングル曲についても、本盤からのシングル1.「フューチャー(The Future Is So Bright, I Gotta Wear Shades)」が辛うじてチャートインしたに過ぎず、やがてメンバー2人もヨーロッパのマイナー・レーベルからアルバムをリリースするなど、ワールドワイドな活動からは遠ざかっていって現在に至る。 超メジャーの立場を確立したR.E.M.と彼らの差はなんだったのだろうかと考えたりもする。ドラムのプログラミングによる演奏スタイルそのものがその時代に固有の(現在から見れば明らかに時代遅れで過去の)ものであったという指摘も成り立たないではない(もっとも、当時は、伝統的アコースティック・スタイルと現代的プログラミングの融合としてもてはやされた)。 彼らの演奏・楽曲をいまあらためて耳にして何より鮮明なのは、(ちょうど1.の詞のテーマがそうであるように)1986年当時、まだ“未来は明るかった”ということだ。何かにつけ将来の暗い展望が見え隠れする現在とは違い、どこかしら明るい未来の希望があった。バブル世代の幻想と一笑に付されるかもしれないが、現在のような閉塞感が彼らの音楽にはまったく見えないという点は同意いただけるのではないだろうか。 余談ではあるが、筆者はかつて彼らの来日公演を見に行ったことがある。出入りしていたレコード店経由でお誘いを受け、そのステージを見た(サウンド7さん、お元気でしょうか?)。もはや記憶が定かではないのだが、88~89年ごろではなかったかと思う。その印象は、以外にも“生真面目な”人たちというものであった。案外そのあたりが、いいか悪いかはともかく、近い時期に同じレーベルから出てきたR.E.M.とは違う足取りをたどることにつながったのかもしれないと感じたりもする。[収録曲]1. The Future’s So Bright, I Gotta Wear Shades2. Life Is Hard3. Hairstyles and Attitudes4. Facts About Cats5. I Need You6. Just Another Movie7. Friction8. Cheap Black and White9. Shame on You10. I Love You in the Strangest Way1986年リリース。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010年06月13日
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ヴォーカルで勝負の長いキャリア リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)は、1946年アリゾナ生まれの米国の女性シンガー。先祖にはドイツ系やメキシコ系の血も引くという。60年代後半、大学を中退してバンド活動をはじめるものの、ソロとしてスカウトされて1969年にデビュー。当初はカントリー・フォーク色の強い楽曲をやっていたが、次第にロック的な音楽も手掛けた。この頃、バックバンドが発展して西海岸ロックの雄イーグルス(参考過去記事)が結成されたのは有名なエピソードである。さらに80年代途中からはジャズ・ヴォーカルのアルバムを出したり、はたまたラテンのトラディショナル曲の盤(上記メキシコ系の血を引くことからスペイン語でレコーディング)を制作したりと多様な活躍をしてきた。 こうしたリンダ・ロンシュタットの長いキャリアを振り返っての大きな特徴は、“ジャンルにこだわらない”ことと“オリジナル曲がない”ことである。ジャンルをまたいだ活躍というのは、よく言えばマルチタレントだが、悪く言えば節操がなく、心から響かないうわべだけの音楽という印象を与え得る。オリジナル曲で勝負しないというのも、うがった見方をすれば、単なる歌い手じゃないかと思われるかもしれない。 けれども、リンダ・ロンシュタットの場合はそういう疑念をまとめて一気に吹き飛ばしてしまうだけの歌唱力がある。それだけに、どの時期のどのアルバムを聴いても、概ねその凄さが伝わってくるという、ある意味では稀有なシンガーだと思う。 こういう言い方をすると、本盤『夢見る頃を過ぎても(We Ran)』を選んだ理由は何なのかということになってしまうが、要は筆者のお気に入りの一つであるというだけで、他にも愛聴盤やお勧め盤はある。敢えて言えば、リンダにとって原点回帰的なカントリー・ロック、フォーク・ロック志向のサウンドでとっつきやすく、若い頃の盤とは違って円熟と言える味も加わり、しかもジャケットも魅力的(さりげなく瞳が美しい!)という三拍子そろっているからということになるだろうか。 演奏メンバーといい、取り上げている楽曲といい、豪華なアルバムである。ブルース・スプリングスティーンの2.「イフ・アイ・シュッド・フォール・ビハインド」、ボブ・ディランの5.「親指トムのブルースのように(Just Like Tom Thumb's Blues)」、ジョン・ハイアットの1.「夢みる頃を過ぎても(When We Ran)」や10.「氷のようにブルーな気持ち(Icy Blue Heart)」といったように、アメリカのロックのエッセンスが完璧な歌唱で展開されている。演奏では、マイク・キャンベル(トム・ぺティ&ザ・ハートブレイカーズのギタリスト)、ジム・ケルトナー(元ビートルズのメンバーをはじめ様々な大物に起用されているセッション・ドラマー)など渋い面々が名を連ねている。 発売元のレーベル(エレクトラ)の記録によれば、リリースから10年間でたった6万枚しか売れなかったという“記録”をもつアルバムだという。これだけの好盤なのに何とももったいない話ではないか。上でも述べたように、これがリンダの最高作というわけではないのだが、初めて彼女のアルバムを聴く人や、人気絶頂だった70年代のイメージしかない人には、一度耳を傾けていただきたい1枚だと思う。[収録曲]1. When We Ran2. If I Should Fall Behind3. Give Me a Reason4. Ruler of My Heart5. Just Like Tom Thumb's Blues6. Cry 'Til My Tears Run Dry7. I Go to Pieces8. Heartbreak Kind9. Damage10. Icy Blue Heart11. Dreams of the San Joaquin1998年リリース。 【中古】 Linda Ronstadt リンダロンシュタット / We Ran 【CD】 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2011年10月08日
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パブロ・ミラネス名曲選(その5~後編) 5回シリーズでお届けしたパブロ・ミラネス(Pablo Milanés)の名曲選ですが、他のアーティストによるカバーでの「エル・ブレべ・エスパシオ・エン・ケ・ノ・エスタス(El breve espacio en que no estás)」をあと数本ご覧いただきたいと思います。 秀逸なカバーと言えば、私的にはメキシコの男性シンガー、ミハーレス(Mijares)が思い浮かびます。1980年代当時、若い女性に人気抜群だったミハーレスですが、同じく大人気だったルイス・ミゲルのいかにもアイドル的な人気に対して、ミハーレスの場合は、どこかしら(同じくアイドル的ではあったとはいえ)“声で聴かせる”みたいな部分が強かったような気がします。そんなミハーレスの80年代後半のライヴ映像をどうぞ。 続いては、アルゼンチンのシンガーソングライター・作曲家のフィト・パエス(Fito Páez)のものです。こういうオーケストラとの相性もよく、なおかつこのヴォーカルは個性的です。 もう1本、最後はタニア・リベルター(Tania Libertad)の熱唱を挙げておきたいと思います。天性の“癒しの声”を持つペルー出身の女性歌手です(参考過去記事(1)・同(2))。10年近く前(2006年、メキシコの国立コンサートホールAuditorio Nacionalにて)の映像なのですが、それ以前の若いころと違って、なかなか貫禄が出てきた感じ(映像の当時、50代半ばといったところ)でもあります。 とまあ、最後は様々なカバーに行き着きましたが、ひとまずは、パブロ・ミラネスの名曲集、締めくくりとします。 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2015年04月26日
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“ビッグ・オー”の名曲(その1) ロイ・オービソン(Roy Orbison,1936年生まれ、1988年没)は、1960年代~70年代に主に活躍したシンガーで、“ビッグ・O(オー)”の愛称で知られています。本ブログでは、いくつかのアルバムやユニット活動のほか、代表曲としては、「オンリー・ザ・ロンリー」と「プリティ・ウーマン」こそ取り上げたものの、他の曲を取り上げる機会がなかなかありませんでした。そこで、今回は彼の名曲選を3回ばかりアップしたいと思います。 そのようなわけで、1回目は何と言ってもこの曲、「イン・ドリームス(In Dreams)」です。1963年にシングル発売され、米国内にみならずイギリスでもヒットしました。 独特のファルセット、ロカビリー調の雰囲気、そしてソングライティングの妙、とロイ・オービソンの特徴が凝縮されたナンバーです。よき時代のよきミュージックという言葉はまさしくこのような曲と演奏のためにあるような気さえしてきます。彼が伝説になったのは、このスタイル、もしくはこのスタイルのイメージが晩年まで(といっても52歳という若くしての急死でしたが)維持されたことだと思います。良くも悪くも(個人的感情としては“良くも”ですが)、50歳を超えた彼は“ひと昔前の年配者”の貫禄(50歳越えれば貫禄が出てきて、60歳にもなれば立派なお爺さんだったあの頃、という話です)がありました。 そのようなわけで、亡くなる前年(1987年)の姿もご覧ください。 [収録アルバム]Roy Orbison / In Dreams(1963年)その他、ベスト盤類にも多数収録。 プレイリスト:ヴェリー・ベスト・オブ・ロイ・オービソン/ロイ・オービソン[CD]【返品種別A】 イン・ドリームス [ ロイ・オービソン ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2017年06月26日
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評価の分かれるセカンド作、個人的には愛聴盤 デビュー盤の『フリートウッド・マック(ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック)』が高い評価を得る一方、それよりも一段注目度が低くなりがちなのが、第2作の『ミスター・ワンダフル(Mr. Wonderful)』。初期フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)の代表盤として有名な『英国の薔薇(イングリッシュ・ローズ)』は本盤を下敷きにいろいろ追加された米国向け編集盤である。ジャケットに映り込んでいる半裸の男はミック・フリートウッド(ドラム)。インパクトはあるが、本盤の内容とは特に関係ない(笑)。 フリートウッド・マックというバンド名は、この人物とジョン・マクヴィー(ベース)の名を組み合わせたもの。内容は前作同様、シカゴ・ブルースに根ざしたブルース・ロック・アルバムで、ピーター・グリーンのヴォーカルとギターを中心に、ジェレミー・スペンサー(ギター、ヴォーカル)が絡む。 個人的好みで聴きどころと言えそうなナンバーをいくつか列挙しておきたい。まずは、ギター・プレイが冴える1.「ストップ・メッシン・ラウンド」。CDの再発では、ボツのテイクや別テイクが収録されているが、計算されつくされたというよりは、ジャム・セッション的に録音されたであろう様子が窺える。おそらくは、こうした雰囲気が理由となって“完成度”という面で本盤の評価はあまり高くならないのだろうかと思ったりもする。 さて、本題に戻ろう。4.「ダスト・マイ・ブルーム」は、ロバート・ジョンソンのカバーで、本盤の中ではよく言及される曲。確かに、ブルースの模倣からブルース・ロックが出来上がっていく瞬間のドキュメントの一つとも言えそう。さらには、J・T・ブラウンの6.「ドクター・ブラウン」や10.「レイジー・ポーカー・ブルース」なんかが典型だと思うのだけれど、この“音の塊”が聴き手の方にぶつかってくるような感覚が初期フリートウッド・マックの真髄だと感じる。ある意味、荒い部分もあるが、それも含め、さらには、ジェレミー・スペンサーのエルモア・ジェームズそのまんまなプレイも含め(曲の冒頭のエルモア風リフは多用しすぎな感じだけれど)、“音の塊”なのだと思う。他には曲名を挙げだすときりがなくなるのだけれど、ピーター・グリーンのギター・フレーズに知らず知らずのうちに耳がいってしまう。ある種の“ゆるさ”とブルースロックが出来上がっていく過程で現れた“力強さ”。これが二大要素だと思うのだけれども、確かに、聴き手の立場を考えれば、まとまりに欠けるというのもあながち否定できない。でも、結局のところ、個人的には繰り返し聴き続けているお気に入り盤である。[収録曲]1. Stop Messin' Round (Take 4)2. I've Lost My Baby3. Rollin' Man4. Dust My Broom5. Love That Burns6. Doctor Brown7. Need Your Love Tonight8. If You Be My Baby9. Evenin' Boogie10. Lazy Poker Blues11. Coming Home12. Trying So Hard to Forget~以下、CDボーナス・トラック~13. Stop Messin' Round (Take 1,2,3)14. Stop Messin' Round (Take 5)15. I Held My Baby Last Night16. Mystery Boogie1968年リリース。 Fleetwood Mac フリートウッドマック / Mr Wonderful 輸入盤 【CD】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2017年03月16日
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気まぐれ80s~第9シーズン(その4) この辺りで王道で骨太のロック・ナンバーを取り上げてみたいと思います。“アメリカン・ロックの良心”と言われたりもするジョン・メレンキャンプ(John Mellencamp, 旧芸名はジョン・クーガー、ジョン・クーガー・メレンキャンプ)のナンバーです。 1985年の名作『スケアクロウ』に収められたシングル曲、「ロック・イン・ザ・U.S.A.(R.O.C.K. in the U.S.A.(A Salute to 60’s Rock)」です。 元の副題にあるように、“60年代ロックへの敬意”を表したナンバーで、時間的には短いながらもなかなかストレートなロック・ナンバーです。さらにもう一つということで、時は流れて2001年のライヴ演奏シーンもご覧いただきましょう。 2018年4月現在、そんな彼も66歳になりました。まだまだ元気なロック魂を聴かせてほしいと願う次第です。[収録アルバム]John Cougar Mellencamp / Scarecrow(1985年) 【輸入盤】 Scarecrow (Rmt) [ John Cougar Mellencamp ] 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年04月26日
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渾身のデビュー作 テン・イヤーズ・アフター(Ten Years After)は、一昨年(2013年)死去したアルヴィン・リーが中心となって1960年代に形成されたイギリスのブルース・ロック・バンド。その命名には“10年後も続くように”との願いが込められていたらしいが、結局は10年持たずに(1974年)解散していくことになる(なお、バンドとしては、後に再結成され、アルヴィン・リー以外のメンバー主導となってメンバーチェンジをしながら現在存続している)。 そんな彼らのデビュー作がセルフタイトルの本盤『テン・イヤーズ・アフター(Ten Years After)』である。プロデューサーに迎えられたのはマイク・ヴァーノン。この人物は、当時のブルース・ロック・シーンの牽引者で、本盤の前年には『ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』のプロデュースに携わったほか、フリートウッド・マック(例えばこちら)、チキン・シャック、サヴォイ・ブラウン(例えばこちら)らの初期作も手掛けている。テン・イヤーズ・アフターの作品としては、本盤でガス・ダッジョンと共にプロデュース、さらに第2作にあたるライヴ盤『アンデッド』、さらには第3作の『ストーンヘンジ』もマイク・ヴァーノンのプロデュースである。 本作の全般的特徴としては、ブルース・ロックらしい勢いと“音の塊”といった印象が挙げられる。それに加えて特徴となっているのとしてが、アルヴィン・リーの速弾きプレイを含むギターワーク。4.「スプーンフル」(ウィリー・ディクソン作)はその典型であり、ちょうど前年にクリームがデビュー作で取り上げていた曲で、本盤収録曲の中でも聴き逃せない1曲。さらにソニー・ボーイ・ウィリアムソンIIの9.「ヘルプ・ミー」の気迫と渾身の演奏も必聴。他に個人的好みとしては、ブルース・ロックの王道といった雰囲気の1.「アイ・ウォント・トゥ・ノウ」がお気に入り。 他方、よく言われるように、アルヴィン・リーはそもそもジャズ好きの両親の家庭に育った。つまりブルース、ロックという素養以外に音楽ジャンルを越えたプレイやアプローチが見られるのも、このバンドが時折垣間見せる魅力だと思う。そんなジャンルに縛られない側面が現れているナンバーとしては、3.「若者の冒険(アドヴェンチャーズ・オブ・ア・ヤング・オーガン)」がおもしろい。[収録曲]1. I Want to Know2. I Can't Keep from Crying, Sometimes3. Adventures of a Young Organ4. Spoonful5. Losing the Dogs6. Feel It for Me7. Love Until I Die8. Don't Want You, Woman9. Help Me1967年リリース。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】【輸入盤】Ten Years After - Remaster [ Ten Years After ] 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2015年02月16日
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90万アクセス記念~いま聴きたいあのナンバー(その10) 何ともベタな終わり方…とは思いつつも、90万アクセス記念の第10回目はこの曲で締めくくりです。 12月9日(アメリカ時間では8日)というこのタイミングで聴きたくなると言えば、ジョン・レノン(John Lennon)しかありません。1940年生まれで当時40歳だったジョンは、1980年12月8日夜(日本時間9日)、ニューヨークで銃撃されて亡くなりました。今からちょうど35年前、ジョンが生きていれば現在75歳ということになります。 亡くなる直前にリリース(シングルとしては10月、収録アルバム『ダブル・ファンタジー』は11月リリース)され、結果的には死後にチャートで1位になってジョンのソロ曲としては最大のヒットとなったこの曲です。 この曲は過去記事でも一度取り上げていますが、今回は動画付きということであらためて取り上げました。90万アクセス記念はこれまでとし、普段の更新パターンに戻りますが、引き続きお楽しみください。[収録アルバム]John Lennon / Double Fantasy(1980年) 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ダブル・ファンタジー [ ジョン・レノン&ヨーコ・オノ ] 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2015年12月09日
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ブラス・ロックの雄としてのシカゴ、衝撃的デビュー作 シカゴと言えば、70年代後半~80年代のバラード・AOR系のイメージが強い人もいるかもしれないが、このデビュー作は、それ以前のシカゴの姿がよくわかる1枚。厳密に言えば、この時点においてはまだシカゴという名称ではなく、後にシカゴと呼ばれるこのこのグループは"シカゴ・トランジット・オーソリティ"の名称でこの1枚目を発表した。しかし、シカゴ市運輸局からクレームが付いたため、以後はグループ名を単に"シカゴ"と改めたという経緯だが、現在ではこのファースト・アルバムも"シカゴ"名義として扱われている。 1967年から活動したバンドが母体で、当時のメンバーは7人だった。その構成は、ギター(テリー・キャス)、ベース(ピーター・セテラ)、キーボード(ロバート・ラム)、ドラム(ダニエル・セラフィン)、トロンボーン(ジェイムス・パンコウ)、ウォルター・パラザイダー(サックス・木管)、リー・ローナン(トランペット)である。ボーカルは最初の3名が分け合っていた。ちなみに、7名うち4名は現在もシカゴのメンバーとして活動している。 このメンバー構成を見てもわかるように、ホーン・セクションを大胆にフィーチャーしたのが大きな特徴で、ブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T、1967年にアル・クーパーが結成したバンド)と並んで、ブラス・ロックの主要バンドとされる。本作を含めてデビューから3作連続でLP2枚組(現在はCD1枚に収録されている)という多作ぶりで、当時はラブ・バラードよりも政治的・実験的内容の楽曲が多かった。 1969年に発表された本作『シカゴの軌跡』は、1曲(9.)を除いてすべてメンバーのオリジナルの楽曲で占められている。しかも、録音は2週間足らずという短期間でありながら2枚組というヴォリュームで、この事実だけでも、その時の彼らの意欲と創造力の高さを示していると言えるだろう。そして、この"創造力の高さ"こそが、本盤の何よりの特徴である。単にブラス・セクションを取り入れたからいいという訳ではなくて、テリー・キャスのギターを大きくフィーチャーしたロック・サウンドの中でブラスが効果的に融合されていることが本盤の最大の功績だと思う。つまり、「ブラス・ロックだから良い」のではなく、「ロックとして良い」のであって、その良さを形成するのにホーン・セクションが大きな役割を担っている。 "創造力"という意味で、もう一点、注目しておきたい。それは、楽曲の長さと複数の曲による組曲的展開である。組曲的な構成は、LP2枚というボリューム(言い換えれば、A面・B面・C面・D面というセクションに分かれるフォーマット)だからこそ成しえたものであろう。A面の1.「イントロダクション」、2.「いったい現実を把握している者はいるのだろうか?」、3.「ビギニングス」という繋がり、D面の10.「1968年8月29日シカゴ、民主党大会」、11.「流血の日」、12.「解散」の流れは見事である。その中で曲の長さが効果的に機能していて、いきなり6分を超える長編の曲(1.)からアルバムが始まる(ちなみに本作で6分を超える曲は7曲もある)。逆にD面は1分足らずの導入的部分(10.)から始まるストーリー構成になっている。こうした箇所は、本作が楽曲単位だけでなく、アルバム単位(あるいは面単位)で聴かれるべきものと言うことを実感させる例だと思う。 セカンド・アルバム、サード・アルバムも質が高いので、本作を聴いてみて気に入ったならば、ラブ・バラード/AOR以前の初期シカゴの作品群もぜひ楽しんでもらいたいと思う。[収録曲]1. Introduction2. Does Anybody Really Know What Time It Is?3. Beginnings 4. Questions 67 and 68 5. Listen6. Poem 58 7. Free Form Guitar8. South California Purples9. I'm A Man 10. Prologue (August 29, 1968)11. Someday (August 29, 1968)12. Liberation *LPでは、A面(1.~3.)、B面(4.~6.)、C面(7.~9.)、D面(10.~12.)。1969年リリース。 【送料無料】シカゴI(シカゴの軌跡)/シカゴ[CD]【返品種別A】 ブログランキングに参加しています。応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2009年10月07日
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人生を見失いかけた若者はこの曲をぜひ “オニババ化する女”、“オレ様化する子ども”…。いずれも新書本のタイトルである。人間そんなに自己中に走っているのだろうか…。いや、別に今の時代だけが特別なわけじゃないとは思うけれど、若気の至りで自分が世界の中心だと思いこんでしまうぐらいは、時代を問わずよくあることかもしれない。そう思い込んだ人間が壁に突き当たると、当然ながら挫折を経験する。ふつうはそこでその壁に気づき、乗り越えていくのだけれども、今のご時世、乗り越えられない人もいるのかな。いや、昔からそうだったのかもしれないけれど。かくいう筆者も“若気の至り”な時期はあったと思う。世界の中心とは言わないまでも、自信に満ち溢れることができるのは、いいとこ20代ぐらいまでの若者の特権なのだろう。 SION(本名:藤野秀樹)は、1960年生まれで、山口出身のシンガーソングライター。19歳で上京し、25歳にして自主製作盤を発表し、その後にようやくメジャー・デビューしたという苦労人である。そんな彼の最初のシングルがこの「俺の声」であった(発表は1986年)。当時のSIONはルックスが“ヤバい”雰囲気(眉毛なしは結構怖く見えた)に満ち満ちていながらも、楽曲は独白的で、実に魅力的であった(無論、今も魅力いっぱいの歌い手であり創作者である)。 その理由は、見かけとは裏腹に、自己をさらけ出すような作風が強かったことにあるように思う。とりわけ、「俺の声」の詞などは実に印象的だった。“俺は王様だと思ってた/俺の声で誰でも踊ると思ってた/だがしかし、俺の叫ぶ声は/ピンボールさ、跳ねてるだけ”。この曲のサビはこんなフレーズだ。上述のように、1980年代のバブル真っ盛りの時期、世の中は浮かれていた。しかし、SIONは、自分から楽ではない道を選択した。残念ながら今でも十分な一般的評価は受けていないとは思うけれども、彼はシンガーソングライターとして現在までその立場を維持し続けている。世の中年(特にバブル世代)は使い物にならないなどと厳しいことを言われるご時世だけれども、いつの世代にもこういう性根の据わった人間はいるということだろうか。 現代の若者たちも“ゆとり世代”だの何だとの言われ、時に肩身の狭い思いをしている。ハングリーであることは、時代遅れな印象を与えるかもしれないけれど、やはりいいことなのかもしれないと思う。少なくとも四半世紀前の20代の“若者”の中には、SIONのような人物がいて、次世代への襷をつないでいる。2011年の今、その襷をつなぐことのできるミュージシャン、もしくは若者がいるならば、日本の未来はまだまだ明るいのではないだろうか。 せっかくなので、オリジナルではないものの、この「俺の声」(ライブのテイク)は次のようなもの。 さらにおまけながら、↓こんな↓動画も見つけてしまいました。絵を見てわかるように、SION本人ではありませんので、気が向いた方のみどうぞ。ムード歌謡的な雰囲気が特徴的な方の動画ですが、こういう風なのを聴くと、SIONが優れた作曲家であることもわかるのでは…? なお、「俺の声」は、もともとは自主製作盤『新宿の片隅で』(1985年)に収録。ちなみに、この盤は1994年に出たベスト盤(『10cd best』)で復刻されており、そのほかでは、各種ベスト盤にも収められている。[収録アルバム]SION / SION ‘85>’87 (1987年、ベスト盤)SION / 俺の声 (2001年、ベスト盤)追記: 動画が消えてしまっているようですので、別の動画をアップしておきます(2014年10月15日)。1009年、大阪でのライヴの映像です。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2011年05月16日
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