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そう言われても、「こうすれば万事解決」というような好都合なアイデアが私にあるわけではない。思考停止している方々には、とりあえず「私は思考停止している」という病識を持ってもらうしかないだろうと思う。だが、 思考停止は全社会的規模で起きている現象 なので、自分は病んでいるという意識を持っている人は少ない。
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例えば「新聞や民放テレビはいつまで持つのか」というのはメディア全体にとってきわめて切実な問題であるが、それをメディアがニュースとして取り上げることはない。地方紙は残るとしても、いくつかの全国紙は遠からず姿を消すだろう。不動産を所有している社はテナント料が入るからしばらく新聞を出し続けるだろうが、購読料と広告収入で全国紙を出すというビジネスモデルはもう命脈が尽きようとしている。
全国紙は世論のありかを明らかにし、国民的合意形成を果たすためのたいせつなコミュニケーション・プラットフォームである。それが機能不全になるというのは重大な社会的事件である。ならば、 どうして「こんなこと」が起きたのか、その歴史的経緯を解き明かし、全国紙や民放テレビに代わってどのようなメディアがこれから国民的対話の場になるべきかを論じるのはメディアの重要な責務だ と私は思う。でも、メディアは「どのようにしてわれわれは歴史的使命を終えるのか」という問いを忌避して、このきびしい現実を分析する努力も、あるべき未来を語る努力も怠っている。メディアが思考停止している以上、それを通じて現実を理解している人たちの思考が活性化するはずもない。
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人口動態についても日本人は集団的な思考停止に陥ったままである。2100年の日本の人口は中位推計で4770万人、つまりあと80年間で7800万人減るのである。「右肩上がり」を前提に設計されている経済システムではこの事態に対応できないことは誰にでもわかる。 人口が増えなくても、経済が成長しなくても全国民が健康で文化的な生活が送れるためにはどういう社会システムにすればよいのか、それについて衆知を集めて熟慮すべき なのだが、政府部内にはそのための部局が存在しない。相変わらず「成長戦略」とか「少子化対策」とかいう呪文のような言葉をつぶやいているだけである。
日本社会全体が思考停止しているのだから、中高年サラリーマンだけを責めるのは気の毒なのである。だが、社会の激変は必ず起きる。その時必要なのは復元力である。復元は自分の過ちを認めることからしか始まらない。私に言えるのはそれくらいである。
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