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皇室典範の改正が、国会で成立した。旧宮家の男系男子を皇族の養子に迎えるという「無理筋」の内容が、これほどわずかな国会審議で通ってしまうとは。批判の論点はいくつも出されたが、平等や人権の観点からは以下の2点が重要だ。
「特定の血筋の人だけを養子の対象にするのは、憲法14条が禁じる『門地による差別』にあたる」
「そもそも人権や生活の自由が制限される皇族になることを希望する人がいるのか」
どちらももっともである。しかし考えてみれば、その2点とも現状の皇族にそのまま当てはまる。生まれにより皇族になる人、天皇になる人がいるのは、門地による差別そのものだろう。人権や自由が制限される暮らしも現実だ。皇族から離れることを選んだ小室眞子さんの姿は記憶に新しい。
養子案のもつ「無理」を突き詰めていけば、天皇制そのものがはらむ「無理」に思い至らないわけにはいかない。
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そもそも一般の政策であれば、政策手段と同時に、政策目的が論じられるものだ。消費税減税という手段の政策目的は、物価高対策である。それがあるから手段の効果や是非を議論することができる。
しかし、ことこの皇位継承問題においては、政策目的は論じられていない。天皇制を「どうやって」続けるかの議論はなされても、「なぜ」続けるのかの議論はない。無理をせずに消滅したら、何が問題なのか。
記者は官僚や元官僚と話すとき、こんな問いを投げかけることがある。「天皇制は、なくてもいいのではないか」。目を丸くする人もいるが、あなたの言うことも分からないでもない、と話す人もいた。「しかし」と続けてこう言われた。 「社会を安定させるためのコストの安い仕組みだとは思う」
自然災害が起きたときに被災者を見舞う姿が、人びとを落ち着かせた。勲章や褒章なども、その権威の源は天皇にある。そうした効果が、天皇・皇族の生活費と活動費というコストで得られるなら、意味のある仕組みだというわけだ。
一つの考え方ではあるのだろう。しかし、ここに抜け落ちているものがある。人権や自由を制限されながら、その役割を果たす人間の人生そのものである。
皇室典範の議論が進むなか、中曽根弘文参院議員のこんな発言が注目された。「愛子さまが天皇になったら、結婚する人もいない」。暴言だとして、すませていい話だろうか。この発言のおかしなところは女性に限った点である。男性であっても天皇になることを運命づけられた人が結婚相手を見つけるのは簡単ではないだろう。待っているのは自由の喪失と、継嗣誕生の重圧なのだ。
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天皇制のありようは「身分制の飛び地」とも言われる。世襲的身分を廃止したこの国で、そこだけ特権的な身分が残されているという意味だ。天皇・皇族には参政権や表現の自由、職業選択の自由など、憲法で認められた権利が制約されている。そのことを考えると、特権と隷属は紙一重である。女系を認めたとしても問題の一部を是正するだけだ。
皇族に生まれたいですか? あなたならどう答えるだろう。もし多くの人が「いやだ」と言い、その一方で何となく天皇制は残ってほしいと願うなら、その社会は不健全ではないだろうか。
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