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先週、爆撃で死亡したガザの女性の胎内から赤ちゃんが救出されたと書いたが、その原稿が私と特報部の手元を離れた直後、すでに亡くなっていたことが伝えられた。
スーダン、コンゴ、ミャンマー、ウクライナ・・・、理不尽な暴力に苦しむ人は各地にいる。 それでもガザという不条理を訴え続けるのはそれが、普段は人権の守護戦士を気取り、世界の良識の代表のような顔をしている欧米諸大国の指導者の了解と援護のもと、白昼堂々と犯されているからだ。
アイルランドのジャーナリスト、D・クローニンが、フォンデアライエン欧州連合委員長の会見の場で「ジェノサイド支援」に抗議したとき、委員長が始終浮かべていた小馬鹿(こばか)にするような薄笑いは、不気味に象徴的だった。 それが象徴するのは、人権や正義といった立派な理念は万人のものではなく、特権の輪からこぼれ落ちた人々が無慈悲に切り捨てられる世界構造だ。 ガザはその究極の縮図でしかない。
欧米各地(日本も)で抗議運動を続ける大学生たちは、ガザが他人事(ひとごと)ではないと気づいている。だからその運動は、強権的な警察国家さながらに抑圧され、多くの学生が不当に逮捕されている。露骨な言論統制の動きも数多く伝えられている。 ガザの蹂躙(じゅうりん)がまかり通る世の中では、誰も安全ではない。誰も自由ではない。若者たちは気づいている。
(文筆家)