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与党が過半数割れとなった国会で、首相を指名する選挙での各党の行動をメディアはどのように報道したか、ジャーナリストの古住公義氏は、17日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 衆院選を受けた第215特別国会で石破茂首相は11日、衆院本会議での首相指名選挙で決選投票の末、第103代首相に選出されました。テレビがどのように報じたのか振り返ってみます。 同日の「NHKニュース7」は、この結果について政治部の田尻大湖記者が「野党側がまとまれなかったことに助けられたという印象です。衆議院では野党が過半数あるので仮に一致すれば政権を取れた。協力したのは共産党など一部で国民民主党、日本維新の会は応じなかった」と解説。しかし「ニュースウオッチ9」は、各党のコメントのみで政治部記者の解説はありませんでした。非常に物足りなさを感じました。 「報道ステーション」(テレビ朝日系、11日)は、決選投票の84票の無効票について「野党は野党で反省がある。決選投票で出た無効票84票は単なる死に票でなく自民党政権の存続に役立った」と指摘。しかしスタジオでその点を深めることはありませんでした。 「news23」(TBS系、11日)は、国民民主党・玉木雄一郎代表の不倫や「103万円の壁」についての報道が中心で首相指名選挙に触れませんでした。「FNN Live News α」(フジテレビ系、11日)も同様でした。 各テレビ局の恬淡(てんたん)とした紹介に反して「サンデーモーニング」(TBS系、10日)での畠山澄子さん(ピースボート共同代表)のコメントは光っていました。国民民主党の玉木代表が決選投票でも玉木と書く、と発言したことに触れ「党首を担う政治家としてあるまじき発言。事実上無効票になる票を投じたり結果として自民党に利する行動は受け入れたくない」と。有権者が下した自民・公明両党への審判に対し、石破政権の延命に手を貸した各党の姿勢は、メディアも批判すべきでした。(こすみ・ひさよし=ジャーナリスト)2024年11月17日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-物足りぬ首相指名報道」から引用 この度の総選挙は「裏金問題」に対する自民党の不十分な「反省」に業を煮やした有権者が、「こういう政党に政権を任せてはおけない」と批判票を投じた結果、過半数割れとなったもので、民意は「自民党政権を否定した」と理解するべきです。そのような国民の意識に応えようと思えば、一党ではまだ数が足りない野党は、それぞれの党の「共産主義社会の構築」とか「労働者が主人公の社会建設」という「最終目標」は一端棚上げして、「とりあえず政権担当能力を失った『与党』に代わって当面の政権を担う」という共通目標の下に立憲民主党も国民民主党も維新の会も結集するべきだったと思います。しかし、現実には、国民民主党は「その先」を読んで、広範な国民の支持を失った自公政権を助ける結果となる行動に走ったわけで、議席を4倍増にしてくれた多くの有権者を落胆させたのではないかと思います。このような「失敗」を今後繰り返さないためには、「この与党はダメだ」という事態になったときに、有権者の取るべき行動は、自分たちの票が分散して力を失うことを避けるために、共産党支持者も維新の支持者も、「今回に限って、野党第一党に票を結集しよう」と決めて投票する、という「戦略的行動」が必要になるのだと思います。人々が、そのような高度な投票行動をとれるようになるためにも、今回の国民民主党や維新の会の「投票行動」については批判的な報道が必要だったと思います。
2024年11月27日
自公政権が少数与党に転落した先月の総選挙について、朝日新聞編集委員の後藤洋平氏は12日の同紙コラムに、次のように書いている; 8月下旬から9月中旬まで、元プロ野球選手で参院議員も務めた野球評論家・江本孟紀さんに半生を振り返ってもらう連載「人生の贈りもの」を朝刊文化面で手がけた。 甲子園出場が決まっていたのに部の不祥事で出られなかった高校時代、ドラフト外で東映フライヤーズに入団した翌年に野村克也さん率いる南海ホークスにトレードされての才能開花、阪神で活躍したのち「ベンチがアホやから野球がでけへん」の名ゼリフ?での突然の引退。挫折の連続から、予想もしなかった人生を歩んできたことを聞き、記事にした。 連載中には取材先から「エモやんの記事、読んでるよ」と多数声をかけられたが、私の専門がファッションや芸能、放送なので、「なぜお前が江本さんの連載を?」と聞いてくる人もいた。 * 初めて江本さんの取材をしたのは、参院議員を辞して立候補した2004年の大阪府知事選だった。当時私はスポーツ新聞の入社6年目の記者で、大阪を拠点に芸能と社会を担当していた。上司から選挙戦で江本さんに密着するよう命じられ、元サッカー選手のラモス瑠偉さんや吉本新喜劇の池乃めだかさんらが応援に駆けつけたことなどを含め、連日記事を書いた。 連載のなかで江本さんは「俺は政治思想としては少し右寄りを自覚している。でも、権力者は基本的に嫌い。常に反権力の思いを抱いてるんだよね」と語っている。まさにこの「反権力」の姿勢に共感して、「この人の半生を書きたい」と思ったのだ。 政治家としては常に野党で、大阪府知事選では現職に立ち向かった。最後の立候補だった10年の参院選は「小泉郵政改革以降、政治は黒か白、ゼロか100で判断を迫る形に変わった。しかし、実際の世の中は単純ではなく、国民を二つに割る政治はおかしい」と異を唱えた、落選覚悟の選挙だった。うまく立ち回ることよりも、言うべきことや思ったことを口にする(時に、してしまう)姿が、長く広く人に好かれる要因なのだと思う。 一方で江本さんは参院議員時代、「党内からも朝日新聞からも反対された」という1999年施行の国旗・国歌法、「税金じゃないからスポーツが嫌いな人からお金を取ることはなく、今も1千億円以上の売り上げがあって様々なスポーツ振興に役立っている」という98年のサッカーくじ法の成立に尽力したと胸を張った。「世の中のためになると思ったことについては、政策や法案を個別に考慮したうえで実現に務めたつもりなんだ」と振り返った。 * そんな言葉を思い出しながら、10月27日に投開票された衆院議員選挙の結果について考えた。自民党が公示前の247議席から191議席と大きく減らし、与党としても過半数割れに。逆に野党では、立憲民主党が98議席から148議席と1・5倍増、国民民主党は7議席から4倍増の28議席になった。政府予算案の審議を取り仕切る衆院予算委員長のポストを立憲民主党が得るなど、野党の存在感が大きくなりそうだ。 「政治が安定しない」という見方もある。だが、野党が議員時代の江本さんのように、権力と一定の距離をとる姿勢を保ちながら「個別の政策ごとに態度を決める」というスタンスを貫けば、政権が緊張感を持ち、日本の政治のあり方が変わるかもしれない。そう期待しつつ、目を凝らしていきたい。(編集委員)2024年11月12日 朝日新聞朝刊 13版S 13ページ 「多事奏論-エモやん的『反権力』野党に存在感 政治変わるか」から引用 私の記憶では、江本孟紀と言えば阪神タイガースで活躍した選手と記憶しているが、参議院議員を務めたことも記憶している。「黒か白か、ゼロか100かで判断を迫る政治はおかしい」という主張は、私も正しいと思います。しかし、この記事では、少数与党になると「政治が安定しない」という見方もあるなどと書いているが、それは今の時点で持ち出す言葉ではないように思います。それというのも、安倍政権以来の一強と言われた超安定政権が何をやったか、思い起こしてみれば、閣議決定だけで「平和憲法」の精神を捻じ曲げて、自衛隊の海外派遣や集団的自衛権に基づいた軍事行動を「合憲」と強弁する、挙句の果ては、政治資金規正法を欺く「裏金」の横行と、まるで無法地帯のようになり果ててしまったのが、世にいう「安定した政治」の「正体」だったわけで、私たちは二度とあのような政治を許してはならないと思います。
2024年11月26日
1強と言われた自公政権が過半数割れとなった日本の総選挙と、良識派の期待に反してトランプ氏が勝利したアメリカの大統領選挙について、歴史家で学習院大学教授の井上寿一氏は、16日の毎日新聞コラムに次のように書いている; 10月27日、日本では衆院選がおこなわれた。結果は与党の過半数割れだった。野党は国民民主党の躍進と日本維新の会の退潮が明確になった。野党第1党の立憲民主党は議席数を伸ばしたものの、政権交代には程遠かった。 11月5日、アメリカでは大統領選挙がおこなわれ、トランプ候補の大勝に終わった。最後まで予断を許さない大激戦が続いているはずだった。ところが実際は違っていた。 以上の二つの結果は日本にどのような影響を及ぼすのか。二つの選挙の相互連関のなかで、歴史的な観点からこれからの日本を考える。 少数与党内閣は不安定で長続きしない。ふつうは解散・総選挙か連立の再編・政策協議などの政党間連携の二者択一である。さすがに再度の解散・総選挙は無理で、連立の再編・政党間連携となる。与党と国民民主党が相互に接近する。複数の世論調査によれば、石破茂内閣の支持率は急落しているものの、続投を望む声も半数を超える。 「裏金議員」問題に対する世論のきびしい批判にもかかわらず、この程度で済んだことは、あらためて保守の相対的な1党優位を確認させる。「高市新党結成か」などの自民党内の反乱に関する臆測はすぐに消える。政治は数の力がものをいう。自民党は割れれば権力から遠ざかる。自民党の結党の経緯をふりかえればよくわかる。1954年12月に少数与党で出発した日本民主党の鳩山一郎内閣は、翌年2月の総選挙に打って出る。日本民主党の獲得議席は185にとどまる。単独少数内閣が続く。対する革新勢力は、10月に左派と右派の社会党が統一する。このままでは危ない。翌月、日本民主党は自由党と保守合同をおこなって、自由民主党が結党された。 あるいは権力の座に座り続けるためならば、村山富市内閣がそうだったように、対抗勢力の社会党と連立を組むことも辞さない自民党である。国民民主党の要求をのむくらいはいとわないだろう。自公連立内閣は続く。 対する野党第1党の立憲民主党はどうか。50増の148議席である。大躍進のようにみえながら、比例代表の党派別得票数は、前回20%に対して今回21・2%とほとんど変わらない。有権者は政権交代を時期尚早と判断しているのかもしれない。数のうえでは野党の方が多くても、連立や政党間連携は、与党以上に難航している。 立憲民主党は戦後革新勢力の政治イデオロギーの残滓(ざんし)を拭い去って、「保守中道」路線を明確にすべきではないか。それはだめだ、立憲民主党はリベラル政党だ、と言うのであれば、「リベラル」とは何かを具体的に明らかにしなければならない。このことはアメリカ大統領選の結果とも間接的な関係がある。 日本からアメリカ大統領選挙をみていると、トランプ氏の極端な言動に関心が向きがちで、あのような人種差別的発言をする候補者が接戦を演じているとは信じがたいほどである。ところが実際はトランプ氏が大勝した。 有権者はトランプ氏に何を期待していたのか。ワシントンの既得権益の打破、官僚の政治的腐敗の追及、「ディープステート」に対する批判、過度なポリティカルコレクトネスへの反動、移民が職を奪うとの感情論、これらの難題を解決できるのは、リベラルな民主党の候補ではなくトランプ氏だと見なされた。 トランプ氏は、全米ネットワークのテレビや新聞を見限るかのように、多様なSNS(ネット交流サービス)をとおして、有権者のこれらの期待に応えようとした。 アメリカのベストセラー作家スティーブン・キング氏は、自らのホラー小説の背景として、荒廃したアメリカ社会の現実を描写する。その筆致がリアルであればあるほど、現状の打破をトランプ氏に託したくなる。対するキング氏はベトナム反戦世代の価値観を引きずりながら、SNSでトランプ攻撃を展開する。ところがリプライを読むと、キング氏は主観的に貧しい白人の代弁者なのに、客観的には巨万の富を手にしたベストセラー作家=エスタブリッシュメント(既存の支配層)として、批判されているかのようである。 以上のように、従来の固定的な「保守」と「リベラル」の対立図式は大きく揺らいでいる。アメリカの変動は、タイムラグをともなって、間接的にではあれ、日本にも影響を及ぼす。すでに予兆が起きている。7月の東京都知事選での「石丸現象」や先の総選挙の際の国民民主党に対するSNSを通した若い世代の支持、兵庫県知事選の選挙戦における斎藤元彦候補の猛追などである。 これらの変動の予兆は、「保守」勢力の自己改革と「リベラル」勢力の政治イデオロギーの再編を促している。その先にどのような政党政治システムが成立するのか。私たち有権者の責任も重い。2024年11月16日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「井上寿一の近代史の扉-日米の選挙、保守対リベラル図式の変動」から引用 自民党の裏金問題に対する厳しい批判があったにも関わらず、自民党が政権の座を追われることもなく踏み止まったのは、保守の1党優位を確認させる出来事であったと筆者は書いているが、そういう評価を私たちは額面通りに受け止めて良いのか、私は疑問を感じます。自民党は明らかに不正を行っていたのであり、その不正の詳細が明らかにならないように、不正金額の大きい議員だけを役職停止だの公認不許可だのと処分したかのような恰好にしただけで、裏では「公認料」を密かに振り込んでいたという事実が、選挙期間中に「しんぶん赤旗」が報道するという一幕もあったのであり、「裏金問題に対する厳しい批判」などというのはごく一部の有権者に限られ、大部分の支持者は、これまで通りに自民党が作り上げた「利権構造」の上に引き続いてあぐらをかいて不正に利益をむさぼる仕組みを温存したという事実を、はっきり認識した上で、選挙結果を評価するべきと思います。アメリカ大統領選挙の結果をどう評価するか、という点についても、井上氏の論証からは「民主党に裏切られた労働者の怨念」という視点が抜け落ちているように思われて、何か物足りない気分を感じます。
2024年11月25日
日本は女性差別撤廃条約を批准していながら、その条約に基づいた差別撤廃政策を全く実行していないため、国連は何年も前から「選択的夫婦別姓を認める法律の制定」や「同性婚を認めるための法律の改正」等々について勧告をしてきているのであるが、先月末にはこれまでに日本政府に対して行った勧告の一覧表を公表したのであったが、そのことについて、法政大学名誉教授・前総長の田中優子氏は、10日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 国連の女性差別撤廃委員会が10月29日、日本政府に対する勧告を公表した。日本は女性差別撤廃条約を批准している。委員会は条約の実施状況を審査する機関なので、実施を怠っていれば勧告をする義務があるのだ。 勧告された項目は多岐にわたる。「選択的夫婦別姓への法改正」「人工妊娠中絶に必要とされている配偶者の同意要件を、削除する法改正」「緊急避妊薬を含め、避妊への十分な手段を提供すること」「女性が国会議員に立候補する際の供託金を一時的に減額し、国会に女性を増やすこと」は重点項目だ。その他にも「技能実習生のプログラムで、差別的慣行から女性移民労働者を保護する」「沖縄における米国兵士による女性と女児に対する性的暴力を防止し、加害者を適切に処罰する」「同性婚を認める」「男系男子が皇位を継承することを求める皇室典範について、他国の事例を参照しながら改正する」「独立した国内人権機関を設立する」等々が続く。この「国内人権機関の設立」はとりわけ、他の事項を実現する上で重要である。 ◇ ◆ ◇ 選択的夫婦別姓についての国連の勧告はなんと4回目だ。反対する立場の人は「家族の絆が弱まる」と言うが、周知のように日本は古代から明治31年まで夫婦別姓たったわけだから、それで家族の絆が弱まるのなら今ごろ日本人はこの世にいない。知らないのか知っていてうそをついているのか、どちらかであろう。11月3日のTBSサンデーモーニングでは竹下隆一郎氏が、これらの勧告は全て「女性が自分の身体や名前について自己決定する権利の話なので、非常に重要な問題提起だ」とコメントした。高橋純子氏は現状を「同姓強制」と表現した。ご自身は籍を入れずに子供を育てた。「何が幸せでどう生きたいかは個人が決めることであって、その選択肢を増やすのが政治の役割」というコメントは、全くそのとおりだ。 今や選択制導入賛成者の方が多い。にもかかわらず政府は「国民の幅広い意見を聞いてから」と言う。政府は女性を、家族制度内の役割のひとつに過ぎないと位置付けているのだろうか。多くの選択肢も自己決定権も要らない、と考えているようだ。そうだとすると憲法の人権理念に反する。政治家に憲法を守らせる立場にある国民は、国連の勧告を味方にして声を上げる必要がある。 皇室典範についても「男系の男子のみの皇位継承を認めることは、条約の目的や趣旨に反する」と勧告した。これを日本政府は「委員会の権限の範囲外である」としている。委員会はそのことも「留意する」とした上で、それでも「皇位継承における男女平等を保障するため」に、他国の事例を参照しながら改正するよう勧告したのである。 ◇ ◆ ◇ 女性も自己決定権をもつべきだとする世界基準と、慣習を基盤にした国の法律とが齟齬(そご)する場合、どちらを優先すべきか。世界基準を採用した場合、国民が大きな不利益を被るならば、もちろん国法を優先すべきだろう。しかし、たとえば皇位継承者が女性であることで、日本国民は不利益を被るだろうか? 一方、「同姓強制」は国民に多大な不利益を与えている。 現在の政府の見解より国連の勧告の方がどう考えても、国民の幸福を保障するのである。2024年11月10日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-国連の勧告」から引用 選択的夫婦別姓の制度を採用すると家族の絆が弱まると信じている日本人は、いるとしても30%くらいであり、70%の国民は「選択的夫婦別姓」制度を正しく理解して賛成しているというアンケート結果も出ている。この制度を「正しく理解する」とは、夫婦の姓は同姓を希望する人には同姓を、別姓を希望する人には別姓を、それぞれ認める、という制度であり、同姓を希望する人は同姓を選択すれば良いのであり、同姓では著しい不利益を被る人だけが「別姓」を選択してよいという制度なのだから、「そのような制度を認めれば、全国の家庭の絆が弱まる」というのは真っ赤なウソなのである。そして、この期に及んでいまだに「反対」を唱える人というのは、自分の家族の姓は当然同姓であるが、それだけでは満足せず、他人が勝手に「夫婦別姓」になるのが許せないと言ってるわけで、例えて言えば「ウチが夫婦同姓にしているのだから、隣もそのまたとなりも、とにかく全国一律に同姓にするのが当たり前だろう」と言ってるわけで、そういう低レベルの主張を何時までものさばらせておかないで、この辺でしっかりケジメをつける時が来ているのではないかと思います。
2024年11月24日
民主主義のルールとか社会の常識を敵視するトランプ氏がアメリカの大統領に再選されたことで、世界はどのように変わるか。9日の毎日新聞は、次のような一橋大学教授・市原麻衣子氏の談話を掲載している; 米国を民主主義の観点から見ると、第2次トランプ政権は1期目よりも悪化すると考える。 第1次政権が連邦最高裁判事に3人の保守派を指名したように、既に人の配置や米社会の制度の弱体化がトランプ氏に都合の良いように進んでいる。こうした状況で、今後は三つの側面で民主主義の弱体化が進むと考えている。 一つは、さまざまな形で自由や人権が侵害される可能性があるということだ。今回の選挙ではトランプ氏への支持を公言しない「隠れトランプ」が少なかった。トランプ氏が作り出す極端な言説に対して、人々の心理的なハードルが下がっている。 トランプ政権下では米国際開発庁(USAID)や全米民主主義基金(NEO)など民主主義分野の支援を行う機関への政府予算も削減されると予想される。これらのことが米国の自由主義的な価値をさらに下げ、メディア報道の抑圧につながったり、マイノリティーの人権や女性の権利擁護のための活動が難しくなったりする。市民社会の空間が小さくなる恐れがある。 二つ目は、人々の間の信頼関係が弱体化するということだ。本来は知らない人でもある程度は信頼できると想定し、地域内で協調した取り組みを行うことができる。しかし米国では分断的な言説が強まっており、アイデンティティーや宗教、経済格差を起点にした亀裂がさらに深まるだろう。 そして最後に、情報分野での懸念もある。民主党のバイデン政権下で、米社会はロシアなどからの偽情報の取り締まりを強化してきたが、共和党は情報の取り締まりを嫌い、相当反発していた。今後、共和党が政権に就き、米国がさらに偽情報対策をしなくなる可能性が高い。海外からの情報工作に弱くなり、何が真実の情報かますます分からなくなる。米国は民主主義のモデルではなくなってしまう。 ハリス副大統領の敗北要因として「女性であることが不利に働いた」との意見や、政策面でのアピールが不十分だったとの指摘がある。民主党としては政策合戦よりも民主主義制度の存続にとっては「ハリス氏が良い」ということを示したかったはずだ。しかし、こうした主張は市民には十分理解されなかった。【聞き手・松本紫帆】<いちはら・まいこ> 1976年生まれ。米ジョージ・ワシントン大大学院博士課程修了。関西外大准教授などを経て現職。米カーネギー国際平和財団客員研究員なども歴任。2024年11月9日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「トランプ2・0 識者に問う-民主主義の弱体化進む」から引用 トランプ氏が大統領になることによって、アメリカは人権や自由が侵害される社会になる。今までは知らない人同士でも常識をもって話し合い助け合う社会であったが、トランプ政権下ではそのような常識は消滅し、人々は利害関係で対立し互いにいがみ合うようになる。そして、共和党は「偽情報対策」が嫌いなので、これからはアメリカでは偽情報が氾濫し、何が本当なのか分からない社会になる。こうしてアメリカ社会は民主主義の規範を失い、社会の統合を失い、社会全体の活力が低下して没落していく、ということのようである。アメリカがこのようにして没落していく時に、日本に少しでも「民主主義」を理解し実践する政党があれば、少しはアメリカの肩代わりをして、世界の民主主義を守る役目を果たすことも理屈の上ではあり得たはずであるが、実際のところ、そんなことは夢幻であることは残念なことである。
2024年11月23日
都知事選挙で160万票を集めた石丸伸二氏について、毎日新聞徳島支局長の井上英介氏は9日付け同紙コラム「井上英介の喫水線」に、次のように書いている; 石丸伸二氏(42)を私が知ったのは、例の発言でだった。 2年前、広島県安芸高田市の市議会本会議。居眠りする、質問しない、と市長就任直後から議員たちを批判し続けてきた石丸氏が、議場で言い放った。 「恥を知れ、恥を!」 そのニュース映像に私は当時驚いた。しかし、もっと驚いたのは今年、任期途中で市長を辞し、東京都知事選で次点の165万票を得たことだった。 動画サイトやSNS(ネット交流サービス)で支持を広げる石丸氏に興味を抱き、彼や市議会をめぐるネット動画を何本か見た。正直、げんなりした。鋭く対立する石丸氏と多数派議員たちの応酬が展開される。むろん、それ自体は問題ない。自治体行政を執行する首長と、それをチェックする議会は対等で、互いに独立して選ばれる。この二元代表制において意見の食い違いは少しも珍しくない。 げんなりしたのは石丸氏の過剰なレトリックだ。質問する議員たちは広島なまりで、流暢(りゅうちょう)とは言い難い。一方、京都大卒、大手銀アナリストだった石丸氏は立て板に水。反問権(質問意図の確認で市長側に認められる)で議員にいちいち逆質問し、「主張が矛盾する」「不勉強だ」とまぜっ返す。議員に足らざる点がもしあっても、反問などせず、一度の答弁の中で簡潔に指摘すれば済むだろうに。 市の財政再建の問題でリストラが必要だと説く石丸氏に、議員が懸念を表明する動画があった。部外者の私にはどちらが正しいか判断する材料も資格もないが、石丸氏に理がある一方、議員も一定数の市民を代表していると感じられる。石丸氏は議員の論破に熱心だが、その向こうで不安を抱く市民への説得の努力は十分だったのか。 それ以上に気分が悪くなったのは、彼の支持者たちによる多数の切り抜き動画だ。「アホ発言に失笑」「論破されて逃走」「ポンコツ」・・・市議会動画の一部を切り取り、議員をあざける下品な字幕をかぶせる。コメント欄は石丸氏への賛辞と議員への非難であふれている。 地元で傷ついた人もいるだろうな・・・私は現地を目指した。 安芸高田市は人口2万6000人、広島駅から車で1時間。中国山地に抱かれた農村だが、マツダ関連の工場がある。 「反論すれば炎上する。何を書き込まれても無視するしかなかった」。石丸氏と対立していた山本優(まさる)議員は言った。同じ会派だった山本数博議員は昨年9月、予定していた一般質問を取りやめた。「加害を示唆する書き込みがあり、身の危険を感じた。警察にも相談した」と経緯を語る。質問取りやめに「ざまあ」「被害者ヅラすんな」「職務放棄なら議員辞めろ」とネット上で非難が殺到した。 異常な事態だ。政敵なら罵倒されても、脅迫されてもよいのか。石丸氏は市長時代、自著でこう書いた。「言葉は悪いが、燃やせるものは何でも燃やしてきた。炎上商法と言われても構わない」(「覚悟の論理」2024年5月刊) なるほど、確信犯か・・・。彼はネットを駆使し、政治に無関心な有権者を引きつける「政治の見える化」を目指してきたという。だが私には、故郷で市長の立場や議会を利用し、「過剰なレトリック」で政治家としてのセルフブランディングに励んでいたように見える。 石丸氏が去って、安芸高田に何が残ったのか。 「市民はむかし、みな仲良しでした」。市役所そばで45年続く喫茶店「茶房いなだ」を営む山中章生(ふみお)さん(65)は言う。声を落とし、続けた。「石丸さん以降まちに分断が生まれた。石丸派も反石丸派も店に来る。どちらも大切なお客様ですが」 すべては河井事件から始まった、と振り返る。19年の参院選広島選挙区で当選した河井案里氏と夫の克行元法相による大がかりな買収事件で、安芸高田でも関与した市長が辞職。これに伴う20年8月の市長選に石丸氏が立ち、前副市長を破った。「彼は事件に憤る市民の心をつかんだ。今でも支持する人は多い」と解説する。徒手空拳の37歳が事件で揺れる故郷を切り裂いた。これを「地元の一体感を損なった」と見るか、「閉塞(へいそく)感を打ち破った」と見るか。 石丸氏に近かった南沢克彦議員は彼を「劇薬」と表現する。「政治へのあきらめが漂い、活力が失われつつある局面で、市民の政治的関心を劇的に高めたが、同時に分断も生んだ。人にはよい面も悪い面もある。まちの活性化には悪い面を攻撃するのではなく、よい面を生かし合うべきだと提案したが、彼は関心を高めることを優先し、貫いた」。それでも南沢さんは、劇薬服用を経て市民がまちにかかわる流れが強まることを期待する。「時間が必要で、今後どうなるか分からない。でも、関心が高まったことで若い人が何人か市議を目指しています」 その安芸高田市議選が、あす10日に告示される。2024年11月9日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「井上英介の喫水線-石丸伸二という『劇薬』」から引用 この記事は、石丸伸二という男が何を考えてあのような奇異な行動をしているのか、分かりやすく説明してくれているように思います。要するに、自分の味方以外は徹底的にこき下ろして侮辱して蔑んで見せる。それによって、自分が攻撃されたわけではない者が、いつか自分が攻撃される時が来ることのないように、前もって彼の味方であることを表明し、支持者であることを表明する行動に出る。しかし、そうやって「支持者」を増やしていって、その先に何を実現するつもりなのか、不思議である。昔、ヒトラーがやったように一国を支配する立場にまで登り詰めるつもりでいるのか、そんなことが可能だと思っているのか、なお謎は残ります。
2024年11月22日
アメリカの大統領選挙を予測した日本のテレビと、それに反応した日本のテレビ視聴者の発言について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は、9日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 米大統領選の投開票日、X(旧ツイッター)のトレンドには「日本のマスコミ」「マスゴミ」「ハリス優勢」などのキーワードが並んだ。地上波テレビ各局の報道姿勢への疑問に関するものだ。選挙期間中、ハリス氏がトランプ氏に対して優勢であるといった主張をしていた経緯を踏まえたうえで、当日も同様のトーンで報じたことを批判したのである。 途中、獲得した選挙人の数が約2倍になっても、ハリス氏が優勢であることを番組はテロップで流し続けた。解説者もハリス氏を褒めたたえる。だが、その意に反し、トランプ氏の圧勝に終わったことからこれらキーワードが並ぶ結果となったのだ。しかも、勝利後は「なぜトランプ氏(のような危険人物)に投票するのか」と首をひねる出演者までいたことも反感を買った。 投開票日に大きく差がついた時、「どこが『ハリス優勢』だ」という書き込みが多数見られたが、ハリス支持者は、こう反論した。 「田舎の州は集計が早いから、田舎の票がまずトランプに入っているだけ。ハリスが強い大きな州は田舎の州の何倍もの選挙人の数がいるから、一気にハリスに終盤、票が入るのだ」 これは正しい分析だが、さすがに序盤から差がつき過ぎた。一方前回、バイデン氏が僅差で勝った時、保守派は「不正選挙だ、卜本当はトランプの勝ちだった」と騒いだ。そんな疑念を抱いていたからこそ、終盤になってバイデン氏の票が伸びたことを「(不自然な)バイデンジャンプ」とネットでは呼んだ。今回も終盤、「ハリスジャンブ」発動を予想する意見は多々書かれた。 毎度、勝った方の支持者は大喜びして反対陣営をバカにし、負けた方の支持者は負け惜しみを言ったり、世界が破滅に向かうと予言したりする。実に熱心だ。 冒頭の「日本のマスコミ」の話に戻るが、Xでは「ネットを見ている人間だけが本当のことを分かっていた」との意見が共感を集めた。これは言い過ぎ、両陣営の支持者がネットを見ているわけだから、あくまで「自分の支持する情報がたまたま当たった」ということだ。まあ、テレビの報道は軒並み大外れだったのは事実だが。(ネットニュース編集者・中川淳一郎)2024年11月9日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「週刊ネットで何が・・・-『ハリス優勢』TV大ハズレ」から引用 上の記事を掲載した東京新聞は、同じページの隣接するスペースに「本音のコラム」があって、そこでも師岡カリーマ氏が大統領選挙の結果について書いており、それによると、選挙戦の終盤でバイデン氏はトランプ支持者を「ゴミ呼ばわり」するような発言をして、トランプ陣営の結束をより強めて集票力を強化する結果になったこと。トランプ氏とヒラリー夫人の戦いだった前々回の大統領選のときも、ヒラリー候補はトランプ支持者たちを「嘆かわしい人々」と読んで痛恨のミスをして落選したことなどを書いている。 上の記事で中川淳一郎氏は「毎度、勝った方の支持者は大喜びして反対陣営をバカにし、負けた方の支持者は負け惜しみを言ったり、世界が破滅に向かうと予言したりする。実に熱心だ」と書いているが、「勝った方」と「負けた方」というのは、単純にそれだけの違いではなく、「勝った方」というのは日頃から低収入で不満を抱えて生活している人たちで、「負けた方」は「大統領というからには、礼儀正しくて最低限、社会の常識を身に着けた人物であるべき」という良識派で、トランプのような非常識な者がアメリカ大統領の座についたのでは、世界にどんな事件が引き起こされて日本人もどんな目に会わされるか分かったものではない、という「危機感」を持っている。そういう深刻な事態が、SNS上の「対立」になっているものと思われます。最後まで「ハリス優勢」の視点からコメントを続けたテレビ出演者たちも、「トランプ大統領という最悪の選択だけは、やめてほしい」という潜在意識が、目の前の投票結果を判断する「目」を曇らせたのかも知れません。
2024年11月21日
アメリカで、あの評判の悪いトランプ氏が大統領選に勝利したことについて、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は9日の同紙朝刊コラムに、次のように書いている; これは民主主義の失敗か、はたまた危険な復元力か。米大統領選におけるトランプ前大統領の完勝は、一人一人が抱く民主主義イメージに難しい反省を迫る。 トランプ氏の実像は語り尽くされてきた。調査報道で著名なボブ・ウッドワード氏は、元側近や本人への取材を通じて1期目の4年間を総括した本を、こう締めくくった。「結論は一つしかない。彼はこの重職には不適格だ」 表題は「RAGE(レイジ)怒り」。「私は人々の怒りを引き出す。長所か不都合か分からないが、そうする」という本人の言葉から取られた。そして人々は、見事にまた怒りを引き出された。 前面に表れた問題はインフレと移民でも、その奥には民主主義についての問答が横たわる。 バイデン・ハリス政権は「トランプ政権で失われた民主主義を取り戻す」のを使命とした。ところが「リベラルの行きすぎ」と反感を買うほど多様性と人権を言い立てながら、他方で血塗られた二つの戦乱を長引かせた。 民主政治の偽善を止めるため、非民主的な前職の扇動に乗り、民主的選挙で転換を図る逆説。 トランプ氏が、どんな形であれウクライナ戦争を止めることになれば、次は世界が問われる。自由と民主主義、法と正義、命と人権、豊かさと安全。全てを含むねじれた苦い実を食うか、拒むか。 まず民主主義が、正しく等しく、朗らかで健やかな善きものであるとの思い込みをやめよう。 すがすがしさの裏面には、まがまがしく、たけだけしく、ウソや攻撃や排斥をいとわず、唱和し、はやし立て、追随する熱狂がビタッと貼り付いている。 それもまた民主主義の別の顔なのだと思い知るがいい。トランプ氏を呼び戻した米国民の歓呼からは、そうしたうなりにも似た低い声が聞こえた。 民主主義と民主主義の争いを形容する呼び方はいくらでもある。エリートと草の根。正しさと強さ。理念と実感。知識と情念。明日と今日。傲慢な賢さと平凡な自尊心。どちらも民主主義には違いない。そして、どちらも片方だけでは多分うまくいかない。 民主的な選挙で表れた民意を、常に神聖な英知のように夢想するのもこっけいである。民主主義の歴史は、浅はかさ、愚かさ、過ちの先例に事欠かない。 「民主主義は最悪だ。他に試されたあらゆる政治形態を除けば」(チャーチル元英首相)。常に矛盾と不満を抱え、完成形にたどりつかない。もちろん日本政治も同じ宿命にある。(専門編集委員)2024年11月9日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-トランプ氏の帰還」から引用 この記事を書いた伊藤氏も、アメリカは民主主義本国であり、民主主義は崇高なもので、冒すべからざる理想なのだという「思い込み」を出発点として議論を組み立てているのではないかと思います。そして、「にも関わらず、トランプ氏のような人物を選んだアメリカ民主主義」の実態を「それもまた民主主義の別の顔なのだと思い知るがいい」と、どこかの芝居のセリフのような言辞で飾り立てているように思われます。私は、この度の「トランプ氏再選」が、そんな崇高なものではなく、もっと「日本の自民党政治」に近い低次元の話が「真相」だと思います。アメリカの民主党は、戦後の永い間、「労働者の味方」をアピールして支持を増やしてきた政党でしたが、「労働者の味方」は建前に過ぎず、本音は「資本家・富裕層優先」の政党であったことがラストベルトの労働者階級に知れ渡ってしまった事件が、2000年代に起きた「リーマン・ショック」でした。リーマンブラザーズが多額の負債を抱えて倒産すると、アメリカの経済は大混乱となり、多くの労働者が住宅ローンを払えなくなり、夢のマイホームを手放す労働者が続出したのに、当時の民主党政権は困窮する労働者を救済する措置を取らず、それ以来、ラストベルトの労働者たちは「民主党に裏切られた」と骨身にしみて悟ったであろうことは想像に難くありません。「民主主義と民主主義の争い」だの「エリートと草の根」の問題などではなく、社会のマジョリティである労働者を正しく代表する政党がないための「混乱」であるという認識が必要と思います。
2024年11月20日
在日コリアンの崔江以子氏と弁護士、新聞記者等の共著『「帰れ」ではなく「ともに」』(大月書店)について、当ブログでは今月7日の欄に東京新聞の記事を引用して紹介したが、10月25日の「週刊金曜日」では、ジャーナリストの佐藤和雄氏が、次のように書いている; 「この本は、差別に苦しむ人々が差別をする側に立ち向かい、差別をなくしていった記録です」――。執筆者の一人である神原元(かんばらはじめ)弁護士が「まえがき」の冒頭でこう書く『「帰れ」ではなく「ともに」』(大月書店)の出版記念会が、10月12日、神奈川県川崎市の川崎市労連会館で開催され、神原弁護士や在日コリアン3世、崔江以子(チェカンイジャ)さんら執筆者5人が登壇した。 12日の開催には、実は重要な意味が込められている。 「日本国に仇なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」とブログに書かれるなどの差別を受けたとして、崔さんが起こした訴訟で、横浜地裁川崎支部は昨年の同じ日に、「帰れ」はヘイトスピーチ解消法に定める差別的言動にあたり、日本国憲法第13条で保障される人格権を侵害する違法なものと認定。ブログを書いた男性に対し、計194万円の損害賠償を命ずる判決を下した。 そんな快挙を成し遂げた日だったのだ。 原告の崔さんに加え、勝訴に導いた神原弁護士、師岡康子(もろおかやすこ)弁護士、重要な意見書を提出した板垣竜太(いたがきりゅうた)同志社大学教授、さらに、本誌2023年10月20日号に判決の記事を執筆するなど、メディアの一員としてこの裁判を伝えた石橋学(いしばしがく)『神奈川新聞』記者の5人が執筆し、出版したのが、この『「帰れ」ではなく「ともに」』だ。◆差別と闘う報道を 5人の講演は本の内容紹介にとどまらず、それぞれの深い考察が示された。 石橋記者がまず登壇し、次のように口火を切った。 「景色は変えられるんだ、社会は変えられるんだ、と今実感しています。(在日コリアンが多く暮らす川崎市川崎区)桜本での闘いが社会を、この国を変えていった」 さらにこう続けた。 「従来の報道の仕方ではなく、差別と闘う報道が必要だ。メディアこそが先頭に立って、反ヘイト・反差別について報道で取り上げなければならないということに気づかされた。桜本の闘いや、江以子さんの闘いは社会を変えただけではなく、メディアのあり様も変えることになった」 神原弁護士は、判決の法律上の意義について詳しく説明した。 「『帰れ』(という言葉はそれまで)は違法行為ではなく、意見表明と解釈されてきたが、それを突破したのが今回の判決だった。この発言一つで(原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料として)100万円というかなり高額の賠償を認めた。そういう意味で法律上、非常に大きな前進だ」 次にこれからの活動として「私たちは、この川崎の闘いをまとめた本を全国の朝鮮学校に寄贈したいと思っています。まず在日の子どもたちがレイシストから抗議を受けたときにぱっと反論できるような武器にしてほしい。日本人の子どもたちにも読んでほしい。『帰れ』の一言がどれほど人を傷つけるかを伝えたい」との構想を明らかにした。 最後に崔さんの言葉を紹介する。驚いたのが次の事実だ。 「もう(差別的言動は)ないだろうと思っていたら、残念ながら(昨年)10月の判決から半年後、今年3月からひどいインターネットの差別投稿があり、206の言葉が連なっていた。またかと思いながら刑事告訴した。9月に特定され、未成年の青少年だった」 そのうえで「この本をぜひ(私が刑事告訴した)少年にも読んでほしい。少年の更生を支える家族にも読んでもらいたい。未成年が加害者になってしまう環境が野放しにされている状況をこのまま放置せず、被害も加害も生まないネット環境を求めながら、みなさんと一緒にもう少し頑張っていきたいと思う」と力強く語った。 そして最後は、いつものようにこう述べたのである。「前へ、前へ、ともに」<佐藤和雄・ジャーナリスト>2024年10月25日 「週刊金曜日」 1494号 6ページ 「きんようアンテナ-被害も加害も生まぬ環境を」から引用 この記事が主張するように、2023年10月に出された「『帰れ』発言は差別であり、罰金100万円に相当する」という判決は画期的な判決であり、国民の認識を改めるためにも、裁判の経緯を本にまとめたのは有意義だったと思います。著者のグループは、全国の朝鮮学校に配布して、生徒たちに読んでもらう構想とのことですが、多くの一般市民も公立図書館に「リクエスト」を出して、だれでも手軽に借りてきて読めるようになるのが望ましいと思います。ひと昔まえの通勤電車などは、「チカンは犯罪です」とか、スーパーには「万引きは犯罪です」というステッカーが貼られて、注意を喚起しておりましたが、それと同じようにして、私たちの社会は「差別は違法だ」という認識を広げていくべきなのだと思います。
2024年11月19日
先の総選挙で議席数を4倍に増やした国民民主党は、少数野党になった自公政権に協力する代わりに自党が選挙戦で有権者に約束した「103万円の壁撤廃」を実現するために与党と協議することになったが、「103万円の壁」を撤廃するための財源をどうするのかという点に関する提言がないことについて、元文科官僚の前川喜平氏が、3日の東京新聞コラムで次のように批判している; 自民党・公明党と国民民主党の間のいわゆる「部分連合」に向けた協議が行われている。国民民主党は課税最低限の103万円から178万円への引き上げ、トリガー条項発動によるガソリン税引き下げ、消費税率の5%への引き下げなどを要求しているという。 これは超大型減税だ。確かに「手取りを増やす」効果はあるだろう。しかし、その財源はどうするつもりなのか? 毎年生じる10兆円規模の税収減をどう埋め合わせるつもりなのか? 歳出を減らすのか? いったいどの予算を減らすのか? 防衛費を半分にしても4兆円しか出てこない。それとも全部国債で賄うのか? そうなれば、いよいよ日本国債の信認は低下し、円安も物価高騰もますます進行する結果になるのではないか? 国民民主党は税収増で賄えると言うが、それこそ「捕らぬ狸の皮算用」だ。 課税最低限を引き上げるなら、高所得者により大きく生じる減税効果を相殺するよう最高税率を高めるとか、金融所得課税を強化して「1億円の壁」を解消するとか、消費税を引き下げるなら、大企業の法人税を引き上げるとか、内部留保に課税するとか、確実な財源確保策を責任をもって提案するべきだ。 「対決より解決」と言いながら、責任ある解決策を示さないのなら、国民民主党はただの無責任な「ゆ党」だ。(現代教育行政研究会代表)2024年11月3日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-無責任ゆ党」から引用 この記事が主張するように、勤労者の手取りを増やすために「103万円の壁」を撤廃するというのであれば、それによって発生する「税収減」をどのようにカバーするのかという「対策」まで示すのが、政党として責任ある態度と言うものです。子どもではあるまいし、国民民主党はしっかりした「対策」があっての主張であろうと、常識的に判断するむきもあるかも知れませんが、何しろ国民民主党は電力会社経営者の肩を持って「原子力発電推進するべし」という態度を取っている政党だから、「103万円の壁撤廃のため、最高税率を高める」とか「金融所得課税の強化」など言うわけがないと踏んで、おそらく国民民主党は「選挙中に発言した公約どおり、与党と協議はしましたから」という恰好をつけるだけで誤魔化されるのではないか、との観点から「無責任なゆ党だ」と言ってるのだと思います。しかし、有権者は「手取りをふやす」というスローガンを信じて投票したのですから、ここは覚悟を決めて「大企業の法人税引き上げ」と「内部留保に課税」というような確実な対策を要求して、「103万円の壁」の撤廃を実現してほしいと思います。
2024年11月18日
先月行われた総選挙の結果について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は10月30日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 27日の衆院選。小選挙区の当選者一覧を見ると際立った特徴のある地域がいくつかある。 まず県内5小選挙区すべてを自民が制した群馬県。自民が全区を独占した県は8県あるが、熊本は全4区、他は全2、3区で、全5区自民一色の群馬はやはり目立つ。 逆に全区を立憲民主が制したのは新潟県と佐賀県で、特に全5区立民一色の新潟は目を引く。 極端な結果になった理由は一応あるようだ。 群馬は5人中4人が世襲で、しかも3人は元首相の直系である(中曽根康隆氏、福田達夫氏、小渕優子氏)。群馬は強力な政治家一族が君臨する自民王国。裏金もどこ吹く風の無風区というか無風県で、そのせいか投票率も50%を切る。 新潟は最近まで野党共闘のモデル県だった。テレビ新潟の報道によると今衆院選でも1区以外の4選挙区に共産は候補を立てず、間接的な支援に回ったという。協力的な関係が奏功した形だ。 しかし、どこより異質なのは府内全19区を維新が制した大阪府だろう。ほかでは完敗でもここでは全勝。熾烈な戦いで公明の4議席を奪った結果というが、謎の独裁国家がぽつんと存在するかのよう。在阪のマスコミも芸能事務所も味方につけた維新帝国。でも外には支持が広がらない。 どんな事情で選ばれたにせよ1議席は1議席。さて勢力図が変わった国会は?(文芸評論家)2024年10月30日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-それぞれの事情」から引用 群馬県では3人の首相経験者の親族が自民党所属の世襲議員だから、地元にはその世襲議員を核にした盤石の利権構造が存在し、何かといえば裏金で結束を確認する宴会を開いては甘い汁を獲得しているわけで、そういう利権構造とは無縁の一般市民はもはや批判票を投ずる意欲も失っている、子どもの頃よく見た西部劇で、町の悪徳保安官がならず者と結託して市民を支配するが、いつかヒーローがやって来て、抑圧された市民のために悪徳保安官をやっつける「物語」を連想してしまいます。しかし、投票率が50%を切っているということは、将来、群馬県の人たちが地元の民主化を求めて立ち上がるときの「味方」が、少しずつ力を蓄えつつあるという、今はそういう段階なのかも知れません。 大阪府では維新が「全勝」という事態も、不思議な現象です。芸能事務所と在阪マスコミを味方につけていると言っても、そのテレビ放送は兵庫県や奈良県、京都府にも放送されているのだから、それらの府県にも影響力は及んでいるはずなのに、議席を得るほどではない、という「現実」が何を意味するのか、興味を惹かれます。
2024年11月16日
先月行われた総選挙について、メディア各紙は「争点」をどのように報道したか。弁護士の白神優理子氏は、10月27日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 総選挙の争点をメディアはどう伝えたのでしょうか。 大争点の裏金問題について、「毎日」(10日付社説)は「自民政治のゆがみ問う時」と指摘しました。「裏金問題は、不透明なカネを使って党勢を維持し、権力の座にあぐらをかく自民の実態を浮き彫りにした」といいます。 「『裏金』に審判を下そう」というのは「東京」(10日付社説)です。「自ら定めた法律に背き、国民に隠れて違法な資金を手にした議員に、職にとどまる資格があるのか」石破政権の解散そのものも問われています。「選挙を単に『みそぎ』の場にするのか」(「朝日」16日付社説)、「変節ぶりが目に余る」(北海道新聞2日付社説)。 裏金、解散以外でも――。 「『自民政治』を総括する時」と書いたのは信濃毎日新聞(10日付社説)。「原発ゼロ」「選択的夫婦別姓」「金融所得課税」「日米地位協定見直し」「保険証廃止見直し」での石破氏の後退を批判します。河北新報(19日付社説)は被団協のノーベル賞受賞をあげ「『核なき社会』に向けて道筋を」と求めました。 琉球新報(14日付社説)は、名護市辺野古への「新基地建設の是非」もあげ、「県との対話に応じず工事を強行する政府与党の姿勢も改めて問われよう」とします。 ジェンダー平等を社説で争点に取り上げる地方紙(中国新聞、京都新聞)も。熊本日日新聞はこの観点から「選挙戦の争点」は「選択的夫婦別姓」として、導入の是非を避ける自民党と、「早期実現」「法制化」をとなえる野党を対比させました。 一方で一部メディアの論調には、政府追随のものも。 「日経」(2日付社説)は、石破首相のアジア版NATOは「日米同盟の強化や世界の安定に寄与する可能性はある」と擁護。「産経」(20日付主張)は「原発で日本回復を目指せ」。「安保」「原発」と聞くと思考停止では困ります。(しらが・ゆりこ=弁護士)2024年10月27日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-総選挙争点 どう伝えた」から引用 毎日新聞が指摘した「自民政治のゆがみ問う時」は、正鵠を射た表現であり、多くの国民が目を覚ますように執拗に喧伝するべきであったと思います。また、自民党の「裏金問題」以外にも、「原発ゼロ」「選択的夫婦別姓」「金融所得課税」「日米地位協定見直し」「保険証廃止見直し」等、石破氏が党総裁選の時に発言したテーマを、せっかく総裁選に勝利して首相の座に就いたのですから、自民党総裁選のときから石破氏に期待していた人たちに応える意味でも、是非とも在任中に取り組んでほしいものです。それにしても、日本経済新聞が石破氏の思い付きであるアジア版NATO構想を支持するとは、呆れた話です。本物のNATOがロシアを過度に挑発してウクライナ侵攻の「火元」になったことを考えれば、アジア版NATOなどというものは「火事場に余分なガソリンを持ち込む」ような話であり、アジアの人々の賛同など得られるわけがありません。日経新聞の知的レベルが疑われます。
2024年11月16日
恐竜が滅亡したとされる6千万年前の地層からイリジウムという隕石に含まれる物質がある程度まとまって発見されることから、恐竜が滅亡したのは巨大隕石が衝突して気候が激変したことが原因ではないかという学説が生まれたのは有名な話であるが、アメリカではそこから更に話が進んで、次に巨大隕石が地球めがけて飛んできたときには、地球に衝突する前に核ミサイルで粉砕するという「手段」の研究が進んでいるとのことで、中央大学教授の目加田説子氏は、10月27日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 1968年にノーベル物理学賞を受賞したルイス・アルバレス博士(素粒子物理学)は、広島への原爆投下の目撃者でもある。45年8月6日。米爆撃機「エノラ・ゲイ」に随行した科学調査機に搭乗していたルイスは爆発規模を推定する任務を負っていた。 原爆投下後、テニアン島の米軍基地に戻る機中で幼い息子ウォルター宛てに、大人になってから読むよう手紙を書いた。 「これからの時代、国々は友好的に共存する必要があり、さもなければ一夜にして壊滅的な奇襲攻撃を受けることになるだろう」「この恐ろしい兵器が世界の国々を結び付け、さらなる戦争を防ぐことにつながるのではないかという希望がある」「ノーベルは高性能火薬の発明が戦争をあまりに恐ろしいものとしたことで、戦争自体がなくなるよう願ったが、残念ながらそれとは逆の反応を引き起こした。われわれの新しい破壊力は何千倍も増しており、ノーベルの夢が実現するかもしれない」 だが、冷戦がこうじて米ソの核軍拡競争も進みルイスの夢は遠のいた。彼自身も、より破壊力の大きな水爆の開発を支持した。 ◇ ◆ ◇ そのルイスが後年、核時代に新たな一石を投じることとなる。 恐竜がいた白亜紀と絶滅後の古第三紀の間に、生物種激減の地層がある。ルイスとウォルター(地質学)は親子で調査を進め、その地層にイリジウムという物質が大量に含まれることを突き止めた。イリジウムは隕石(小惑星)の成分であり、巨大隕石の衝突によって恐竜を含む多くの生物種が絶滅するほどの環境変化が起きたとの説にたどり着いた。80年に発表された「アルバレス仮説」である。 同説によれば、衝突で発生した大量のチリが地球を覆って太陽光を遮り、気候が寒冷化して大量絶滅が起きたとされる。この仮説はその後、カール・セーガン博士(惑星科学)らが、核戦争でも同様に気候寒冷化か起こるという「核の冬」論を展開するきっかけになった。現在でも、核戦争による気候の寒冷化とそれがもたらすグローバルな飢餓リスクが、核兵器を非人道的と批判する論拠のひとつになっている。 ◇ ◆ ◇ だが今、あろうことか隕石の衝突を避けるために核爆発を活用しようという研究が米国などで進められている。地球に衝突する恐れのある隕石の軌道を変えたり、宇宙で破壊したりして「地球防衛」をはかるのだという。その実効性には疑問の声があかっているが、地球を守る名目であっても核爆発の威力を用いるなど、もっての外である。 今年のノーベル平和賞は、核兵器廃絶を訴えてきた被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞することになった。大量破壊の忌避から非戦に進むというノーベルの夢をこれ以上遠ざけないためにも、地球の非核化のみならず、宇宙での核爆発利用も許してはならない。 ルイスは自伝(87年)に、「アルバレス仮説」の延長線上にある「核の冬」論が、核戦争の防止につなかってくれればとの思いを記している。だが今、ノーベル賞委員会が懸念を示した通り、核使用のタブーが崩れかねない状況にある。被爆地が繰り返し強調しているように、核兵器の使用を完全に防ぐ唯一の方法は核廃絶である。2024年10月27日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-『地球防衛』用の核もいらない」から引用 ノーベルがダイナマイトを発明して「こんな破壊力のある兵器が出来たからには、人間が未来に生き延びるためには、もう戦争を止めるしかない」と考えたというのは、情緒的な発想で、人間の欲望とか自分中心とか、そのような「きれいごと」からはみ出した要素を見落とした「発想」ではないかと思います。核兵器こそは最終兵器であり、これを使わないためにこそ、世界は平和に維持されなければならないという「崇高な」演説を聞くこともありますが、しかし、核兵器の抑止力こそは「国防の要」だなどという論調もあり、単純な話ではないように思います。それにしても、いつ飛んでくるか来ないか分からない隕石に核ミサイルを命中させて粉々にするという作戦も、気の長いと言うか、雲をつかむようなと言うか、まあ、余裕のある方々には、そういう研究をしていただくのも悪くはないような気がします。目方先生は「もっての外」と大反対の様子ですが、地球に放射線被害が及ばない程度の遠距離で「命中」させることが出来れば、恐竜の二の舞を避けることに役立つのではないかと思いますが、より確かな議論を今後に期待したいと思います。
2024年11月15日
欧米諸国と比べても異常な日本の「富裕層優遇策」について、税理士の浦野広明氏は10月20日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; いま世界で経済格差がかつてないほど拡大し、あらためで不公平税制の是正が焦点となっています。日本で大きな問題となっている税制の一つが金融所得課税です。 これは、預金利子、株式・投資信託の配当や売却益などの金融商品から得た所得にかかる税です。その課税方式(申告分離課税・総合課税・申告不可)には、民主的な課税原則に反する問題があります。 不公平さの代表例は「1億円の壁」です。累進課税では所得が増えると税負担が多くなるはずが、逆に所得が1億円を超えると負担が減るのです。それは、株式の売却益などの金融所得が他の所得と分けて課税(分離課税)され、税率が累進ではなく一律20%と低率だからです。 富裕層の所得の多くを株式の配当や売却益が占めているため、分離課税によって税負担は少なく済みます。 欧米諸国と比べても日本の富裕層優遇は異常です。(表) 憲法がめざす民主的な課税原則は「応能負担原則」(応能原則)といいます。応能原則は、財産運用・不労所得に重課、勤労所得に軽課、大所得に重課、小所得に軽課、最低生活費は無税、生活必需品は軽課または無税、ぜいたく品は重課、などの内容を実現するのが道理です。 もともと分離課税は、利子が1978~87年、配当が78~2002年の長期にわたり35%の税率が採用されていました。たとえば22年度の利子・配当・株式所得に30%の税率を適用すると、12兆4525億円の増収となります。分離課税ではなく総合課税にするのが応能原則への道です。 他方、利子所得は、申告不可で20・315%の税率(所得税15%、住民税5%の合計20%に0・315%の復興特別所得税が加算)が預金口座から源泉徴収されます(特定公社債の利子を除く)。株式などで生じた所得にかかる税金は、納税者が法定の課税方法を選択します。利子所得が源泉徴収の一択というのは、自主申告の原則から問題があります。 こうしたもとで、政府は「貯蓄から投資へ」と少額投資非課税制度(NISA)の枠を大幅に拡大しています。 しかし、こうした「賭け事」の投資でお金は増えません。負けた人のお金が、勝った人に移動するだけです。投資で確実に利益を得るのは、投資を運用する金融機関や自在に相場を変動させる巨額投資家だけです。 人々をささやかな資本所有(株式所有)に追い立てるNISAは、各人を「金利生活者」(利子、株式配当を期待する人)の地位におとしいれる機能をもちます。資金力で「無力」な庶民の零細なお金をかきあつめ、これを資本集中の手段として利用するものです。同時に、「無力」どころか、株価に一喜一憂し、政治から目をそらすように庶民の意識を変えてしまい、大企業寄りの政権を存続させる役割をはたしてしまうと危惧します。<うらの・ひろあき> 立正大学法制研究所特別研究員・税理士2024年10月20日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何-富裕層の負担、不当に軽い仕組み」から引用 税制は、本来の応能負担の原則に戻すべきです。今までは、自民党が圧倒的多数だったから、やりたい放題でなりふり構わず富裕層優遇をして来ましたが、少数与党となったこれからは、野党は「予算審議」を人質にして、応能負担の原則に立ち返り、生活必需品は非課税、ぜいたく品には高率課税を原則として、税制改革を進めていくべきだと思います。
2024年11月14日
先月の総選挙投票日の朝日新聞朝刊は、次のような社説を掲載した; 衆院選の投票日だ。デモや議会への請願など民主政治に参加する方法はさまざまあるが、なかでも選挙だけは、忙しい時間を割いて、体の不調をおして、出かけてきたという人は多いかもしれない。 ただ残念ながら、政治や政党に何かを期待する気持ちが、ともすればしぼみそうになる状況が続く。前の衆院選からの3年間の出来事だけではない。幻滅の根はそれ以前にさかのぼる深いものだ。 政界の内向きな権力闘争のあまりの「遠さ」に気が遠くなりながら、つぶやく。「あの原発事故なんか、なかったみたい」「生活の苦しさは、全部自分のせい?」「無償化、減税もいいけれど、将来借金を背負うのは誰?」 言いっ放しの愚痴だっていい。つぶやきから、政治参加の種火がふくらんでいく。 この先もこの国で生きていくしかない大多数の私たちは、政治を諦めたくても、諦めるわけにはいかないのだ。冷静な怒りと希望を枯らさず、ままならない政治を鍛えていきたい。 政党政治への嫌気が充満する現状には危険もある。「きっと今よりはまし」に映るもの、例えば、政党政治を全否定するカリスマや、人工知能に政策決定まで委ねようという主張が現れれば、一瞬まぶしく見えるかもしれない。 しかし、テーブルの上が散らかっているからとクロスごと引き払えば、気付かないほど当たり前だった大事なものまで床に落ちてしまう。骨は折れるが、課題を一つ一つ片付けるしかない。政党政治が支持を失い、軍部主導の政治へ傾いていった、戦前の歴史も思い起こしたい。 男子普通選挙の実現から来年で100年、女性が選挙権を得てから80年だ。どの政治家が信じられるか、どの政策がよい未来を引き寄せるか。選択は簡単ではない。それでも、失敗から少しずつは学びながら、何十年と投票を重ねてきた日本社会の経験知が、選択を支えてくれると信じ、今日の一票を投じたい。 選挙で約束されたことを覚えているのが、明日からの仕事だ。忘れたふりをされたなら、声を上げるのに次の選挙を待つ必要はない。政治に参加する方法は一つではない。 自分の未来のために投票する気力は、もうわかないという人もいるだろうか。それならば、困っている隣人など、誰かのためになりそうな政策に票を投じたっていい。誰かのためになら、意外な力がわくことがある。同じこの国に生き、投票に行くことが難しい人、選挙権のない人のためにも、政治はある。2024年10月27日 朝日新聞朝刊 13版 8ページ 「社説-政治を諦めないで」から引用 この社説も、相変わらず「どの政治家が信じられるか」などときれいごとをのべているが、普段会うこともない候補者一覧の選挙公報を眺めて、「どの政治家が信じられるか」など分かるわけがありません。そうなると、まじめな人ほど「そんな選択は無理だ。考えるだけ時間の無駄だから、もっと有効な時間の使い方を」と考えて、投票所とは別のところへ出かける羽目になるというものでしょう。この社説が自ら指摘しているように、現在の国民生活の苦境は「前の衆院選からの3年間の出来事だけではない。幻滅の根はそれ以前にさかのぼる深いもの」なのだから、社説としては「現在の与党が、30年前から大企業・富裕層優遇の政治をしてきたから、今日の問題が存在する」とはっきり、断言するべきであり、だから今日の投票は「富裕層の応分の負担を主張している共産党に投票を集中して、政権交代を目指すべきです」と、はっきり主張するべきで、新聞がそういう姿勢を見せれば、「それなら、世の中を変える可能性は大きいな」と判断して、より多くの若者が投票所に足を運んだはずです。長期低落傾向の日本を立て直すには、先ず新聞の論調から改善していく必要があると思います。
2024年11月13日
先月の総選挙投票日翌日の朝日新聞夕刊に、同紙オピニオン編集部記者の尾沢智史氏は、選挙戦を振り返って次のように書いている; オピニオン編集部に在籍して15年ほどになる。国政選挙のたびに企画を展開してきたが、今回の衆院選ほど困ったことはなかった。 なにしろ争点がわかりにくかった。自民党の石破茂総裁も、立憲民主党の野田佳彦代表も、穏健な保守層をターゲットにしているようだった。経済や安全保障の政策で違いは目立たなかった。政治学者の中北浩爾・中央大学教授の言葉を借りれば「接近戦」である。 今回、多くの小選挙区で自民と立憲が競り合った。どちらが勝っても政策が大して変わらないのでは、「コップの中の嵐」という感がどうしても否めない。 衆院選は政権選択の選挙だとされる。二大政党を想定するような小選挙区制は、そもそもこの国の実情に合っているのだろうか。有権者のニーズをもっと反映できる制度があるのではないか。 そんな疑問を抱きながらAIエンジニアの安野貴博さんにインタビューした。7月の東京都知事選に立候補し、15万を超える票を得て注目された。 安野さんは選挙に出る前にいろんな政治家に話を聞いた。「有権者に何を託されたのかがよくわからない」という人が多いことに驚いたという。 そこで有権者とのコミュニケーションのツールとして活用したのがAIだ。膨大な意見を整理し論点を可視化することで、政治家と有権者の間で建設的な議論が可能になるという。 政治改革関連法が成立し、衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されたのはちょうど30年前の1994年。そろそろ、有権者の声を採り入れた「バージョンアップ」が必要な時期ではないか。 たとえば、各国の選挙や政治制度をAIに学習させ、有権者の希望を反映するにはどうすればいいのか検討することも考えられる。 民意を反映するには小選挙区や中選挙区、比例代表をどう組み合わせればいいのか。有権者が政治に望むことをデータとして収集し可視化すれば、あるべき制度が浮かび上がってくるかもしれない。 衆院選で各候補や政党は、政権への意欲や政策などを必死でアピールしてきた。それを有権者たちは、どこか冷めた目で見ていたように感じる。 有権者の思いを、候補者や政党はどこまでくみ取れていたのか。祭りのような選挙戦が終わったいまこそ、選挙制度のあり方を改めて問い直したい。(オピニオン編集部) *<おざわ・さとし> 9年間の出版社勤務を経て1996年入社。出版局(当時)で書籍編集者として採用され、44歳で新聞記者職に異動。オピニオン編集部員としての最初の国政選挙は、政権交代が起きた2009年の衆院選だった。2024年10月28日 朝日新聞夕刊 4版 12ページ 「取材考記-民意をより映す選挙制度とは」から引用 日本を代表する大手新聞の記者が、「今回の選挙は、争点がわかりにくい」とか「どっちが勝っても政策は大して変わらない、コップの中の嵐だ」という認識で記事を書いていたのでは、出来上がった記事は与党の「問題」を覆い隠す「効果」を発揮して、本来は与党の座から転落するはずの自民党を辛うじて与党の座に残らせる結果をもたらした。日本の政治が自民党一党支配から抜け出せず、昔ながらの腐敗政治が続いているのは、大手新聞のこのような体質が大きく「貢献」しているものと思われます。もし真実を報道する新聞であれば、「国民の血税を裏金にして有権者の買収に使うような政党に政権を委ねていいのか」というキャンペーンを貼って、「民主主義の国の政治は、どうあるべきか」を論じるのが大手新聞の役割のはずであるが、残念なことにわが国の新聞社には、そのような高邁な精神は存在せず、その場の強者に媚びを売って利益を上げることにのみ専念しているのでは、人々が将来に夢を持つこともできず、コストのかからない人生を過ごそうと思えば「結婚」もやめておこうと思うのが自然であり、少子化に歯止めがかからないのも自然なことです。
2024年11月12日
物は言いようとは古来からわが国に伝わる諺であるが、文筆家の師岡カリーマ氏は10月26日の東京新聞コラムに、「物は言いよう」について次のように書いている; 海上自衛隊の大型護衛艦「かが」と「いずも」を事実上、空母化するための改修が進み、F35B戦闘機が船上で発着する実験も行われた。政府によれば、F35Bで構成する部隊を常時搭載することはないから、憲法上保有が許されない攻撃型空母には当たらないらしい。「物は言いよう」だ。でも「物は言いよう」が蔓延する社会ってどうだろう。憲法の精神と理念の実現よりも、言葉巧みに抜け道を作る方に精を出す国って、誰のためになるのだろう。 核兵器の「共有」は「保有」ではないから非核三原則に抵触しないというのも同様の詭弁に見える。選択的夫婦別姓問題もそうだ。現に当事者が不便や理不尽を被っているというのに「旧姓併記できるってみんな知らないの」ではぐらかそうとする。世論調査では国民の大半が選択的別姓に賛成なのに「国民の理解が得られない」という。事実上の護衛艦空母化について、私たちの理解を待たれた記憶はない。待たれているのは多分、私たちの忘却だ。旧統一教会との癒着問題徹底調査や、裏金問題の解決といった当然の要求を、国民がいずれ忘れることだ。 結局、この政権にとって国民は、自分たちが思い描く国家像のようなものの実現を邪魔する面倒な存在でしかないのではないかと思えてくる。選挙の時は、「国民の皆様」とサマヅケしてすり寄っても。(文筆家)2024年10月26日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-物は言いよう」から引用 「憲法の精神と理念の実現」は、一般庶民が平和に生活する権利を保障するために存在しているのだから、自民党政府がその「精神と理念の実現」を「物は言いよう」という手段で詭弁を弄して欺く目的は、一部国民、すなわち武器製造業の経営者と投資家を儲けさせるためである。国民は、自民党政府がウソをついていることに気付くべきだ。 「核兵器の共有は、保有ではない」というのも、真っ赤なウソである。日本語の意味として、核兵器を一国で保有する場合は、間違いなく「保有」であるが、核兵器を一国だけではなく、他の国と共同で「保有」することを「共有」というのであるから、「共有」も「保有」の一形態であることに間違いはない。このような自民党政府のウソを、国民は気付いて、「ウソだらけの政治はやめろ」と声を上げるべきなのに、多くの自民党支持者は選挙が始まると事務所に「あいさつ」に行き、そこで酒食のもてなしを受けて気分が良くなって、投票日には後先を考えずに自民党候補に投票するという低レベル選挙をやっている。こういう選挙をやってるのでは、やがていつか、また頭上に原爆が炸裂する日が来ることを防げないと思います。
2024年11月11日
法務省に設置された法制審議会が30年も前に導入を認める答申を出した「選択的夫婦別姓制度」が、いまだに実現しない状況について、立命館大学の山口智美教授は10月23日の東京新聞で、次のように述べている; 選択的夫婦別姓制度は、1996年の法制審議会で導入を認める答申がされました。ですが、それから約30年止められたままになっているのは、日本会議や今回衆院選でも政治家とのつながりが厳しく問われている旧統一教会のような「宗教右派」と呼ばれる団体に支持されている自民党の人たちが筆頭となり、反対してきたからです。 反対派は「別姓で家族が崩壊する」と主張し、「伝統的家族」にこだわる。両親の姓が違うと「子どもがかわいそう」とも言うが、主張が非常にあいまいで怪しいのに、一定の人たちに説得力を持ってしまった時代が長く続きました。 現在は、世論調査がとても変わってきて、マジョリティー(多数派)が別姓を支持しています。しかし、「宗教右派」と呼ばれる勢力にとって、別姓制度の導入を阻止することは大きな運動の目的の一つ。 保守政冶家たちにとっては大きな票田の一つであり無視はできず、連携してきたという経緯があります。 自民党内の一部の人たちにとっては絶対に負けたくないテーマで、その人たちが政治に力を持っています。今月、国連の女性差別撤廃委員会で日本の女性政策について対面審査がありましたが、国連から強い勧告が出ても、世論調査で賛成の意見がどんなに増えても、こうした人たちが権力の中枢にいれば実現は遠いと思います。石破茂首相も総裁選では別姓制度を進めるのが当たり前という姿勢だったのに、就任後は急に後ろ向きになった。党内の反対派への配慮が働いたのではと推測します。 海外でも、宗教右派は人工妊娠中絶やトランスジェンダーの人たちの権利獲得に反対するなどの運動をしていますが、姓に関してそこまでこだわる日本の状況は異様に映ります。(聞き手・竹谷直子)2024年10月23日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「選択的夫婦別姓を求めて-実現阻み続ける『宗教右派』」 この記事は、学者の発言を文章化したにしては、議論が「雑」な印象を受けます。反対派が「伝統的家族」にこだわるから「選択的夫婦別姓」制度が実現しない、という認識は正しいのか、疑問に思います。男女が結婚して同じ姓を名乗るという風習は、江戸時代の武士階級の間に存在したもので、そのころの庶民は姓を持たなかったという事実を、私たちは見落とすべきではありません。全国民が姓を義務付けられたのは明治維新以降のことであって、たかだか100年超の風習を守りたいとか、それが無くなると家庭が崩壊するかも、と心配な人は「夫婦同姓」をそのまま継続すればいいだけのことであって、「選択的夫婦別姓制度」を導入する目的は、「夫婦同姓」を強いられることによって著しく不利益を被る一部の人々を救済することなのであり、全国民に「別姓」を強要するものではない、という点をしっかり押さえた議論をするべきだと思います。そのような議論によってこそ、「選択的夫婦別姓制度」に反対することが、如何に馬鹿げた議論なのかということを、広く世間に訴えるべきです。
2024年11月10日
今年のノーベル平和賞に日本の被爆者団体が選ばれたことを日本のメディアはどのように報道したか、ジャーナリストの古住公義氏は、10月20日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; ノーベル平和賞を日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞しました。各局は、かなり時間を割いて報じました。 「ニュースウオッチ9」(NHK、11日)は、日本列島の喜ぶ声や各国の報道などとともに、箕牧(みまき)智之氏(日本被団協代表委員)の「″核兵器があるから世界は安全″という言い方は、私たちは絶対反対」というコメントを伝えました。社会部記者が日本はアメリカの核の傘の下、核兵器禁止条約に参加していないことを解説。「核には核で応じるしかないという発想を転換し、核の脅威を減らす方向に世界を導くことができるのか。日本政府の役割は大きい」とまとめました。石破茂首相の「核抑止論」への固執や、「核共有」の主張については言及しませんでした。 「報道ステーション」(テレビ朝日系、11日)は40分ほど、意欲的に報道しました。ヨルゲン委員長(ノルウェー・ノーベル委員会)の受賞理由も3分半にわたり放送。大越健介キャスターが箕牧氏にインタビューし「来年3月の核兵器禁止条約締約国会議には日本は最低オブザーバー参加をしてほしい」という声を伝えました。 「サンデーモーニング」(TBS系、13日)は、コメンテーターの畠山澄子さん(ピースボー卜共同代表)のコメントが出色でした。「被団協がやってきたことは、本当に草の根なんです。草の根の積み重ねこそが核兵器を使わせない、というタブーをつくってきた」と。「今度、問われているのは日本政府。核兵器禁止条約に賛同すべきだと思います」と強調していたのは、正鵠(せいこく)を得た発言でした。 各局には一般論にとどまるのではなく、唯一の戦争被爆国である日本政府の核兵器禁止条約への参加を具体的に求め、「核抑止論」の問題点を掘り下げる報道を期待したい、と思います。(こすみ・ひさよし=ジャーナリスト)2024年10月20日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-『核抑止論』掘り下げて」から引用 ウクライナでもガザでも組織的な人殺しが行われていて、国際社会はそれを止めることもできないでいる時に、ノーベル平和賞と聞いてもなんだか白ける気分ですが、それでも日本被団協の存在とその意義が認められて受賞したことは良かったと思います。日本政府は防衛予算を倍増させて武器を買い増すことを計画していますが、これ以上の武器の増強は「防衛」の範囲を超えた、明らかな「戦争準備」であり、わが国憲法の精神を逸脱していると思います。再軍備反対の声を挙げて、平和への道を取り戻していきたいと思います。
2024年11月09日
政府は少子化対策として、都会から地方へ移住する女性に奨励金を支給するというような政策案を発表して、あまりにも不評のため引っ込めるという一幕がありました。日本は、少子化問題にどのように取り組むべきか、東京大学教授の山口慎太郎氏は10月25日の朝日新聞で、次のように述べている; 日本が直面する少子化の危機。政府はこれまで「2030年代に入るまでが少子化傾向を反転できるラストチャンス」とし、昨年末に少子化対策を盛り込んだ「こども未来戦略」を閣議決定した。今からでも対策に取り組めば、少子化は克服できるのだろうか。東京大学の山口慎太郎教授(家族の経済学)に話を聞いた。■反転できる「ラストチャンス」とっくに逃した■人口減少・労働力不足に備え、家族支援も必要――日本の少子化の主な要因は「未婚化」と指摘されています。その理由は何だと思いますか。 日本の場合は給料が上がらず、経済的に将来を楽観できない状況にあることが大きいと思います。日本では結婚後に子どもを持つケースが非常に多いわけですが、結婚を考える段階で、将来子どもを持つことのコストを大きく感じて結婚しない方が増えているのではないでしょうか。――子どもを持つ費用が上がり続けている、と著書で指摘されていました。 子育てはお金も時間もかかります。学費などの金銭的な支出だけではなく、子育てに時間を費やすことによって失われたであろう収入、「子育ての暗黙の費用」まで考えると、とても大きなものです。 日本は家事育児の負担が女性に偏っており、子育て中の女性は働く時間が減って収入が減ったり、キャリアを断念せざるを得なかったりする場合もあるでしょう。キャリアのある高収入の女性ほどそのインパクトは大きく、結婚・出産のメリットは薄れているのではないかと思います。――少子化傾向を反転する「ラストチャンス」として政府は少子化対策の旗を振っています。 率直に言うと、ラストチャンスはもうとっくに逃しています。ボリュームが大きい団塊ジュニア世代(1971~74年生まれ)、就職氷河期世代と重なるわけですが、この方たちが結婚、出産しやすい環境を整えるための政策的な仕掛けができず、第3次ベビーブームは起きませんでした。出産適齢期を迎える女性の人口は今後、減る一方です。 しかし、だからと言って少子化対策をやらなくてよいという話ではなく、出生率が反応しなかったとしても家族支援策は必要なものなので、やらなければいけません。人口減少や労働力不足への対策、経済政策として考えても、やはりやるべきだと思います。――他の先進国も少子化問題に悩んでいます。少子化対策のモデルにされてきたフランスや北欧諸国も近年、合計特殊出生率が下がっているのはなぜなのでしょうか。 統計的に検証されておらず理由ははっきりしないのですが、欧州の専門家らに尋ねると、「価値観が大きく変わってしまった」と言います。家族を持つことの幸せより、個人としてのキャリアや趣味を追求する、自由を重視する価値観が強くなってきたのではないか、と言われています。――少子化の克服は難しいですね。 政策で誘導して動かせる出生率の割合は本当に小さなものです。子育て支援策は出生率にプラスの方向に働くことは過去の実績で分かっていますが、それだけでは十分に打ち消せないぐらい出生率を下げる世の中のトレンドがあるというのが、先進国の現状ではないでしょうか。既に他国で出ているような対策を日本が導入したとしても、出生率2・0のような水準になることは現実的ではありません。――日本には人口減を前提とした議論が足りないような気がします。 そうですね。出生率は増えないというシナリオのもとで、日本の社会や経済をどうするのか。社会保障のあり方や労働力不足への対応について、中期、長期の具体的なプランを国として立てていく時期はとうにきており、検討した内容について国民のコンセンサスを得る必要もあります。戦略的な移民の受け入れについても正面から議論すべきだと思います。(聞き手・平井恵美) *<やまぐち・しんたろう> 東京大学経済学部教授。専門は結婚や出産、子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」や労働経済学。2024年10月25日 朝日新聞朝刊 13版 27ページ 「少子化を考える-出生率増えない前提、具体的プランを」から引用 少子化傾向を反転する「ラストチャンス」はとっくに逃していると聞けば、衝撃的ですが、考えてみれば確かにその通りで、今頃「若い女性に奨励金を出せば、出生率が上がるかも」というのは、政府が考えるレベルの「政策案」にしては、あまりにも軽率のように思われます。人口減少のために、トラックやタクシー、バスの運転手が不足し、学校の先生も足りない、医師のなり手も不足して地方の病院の統廃合が検討されているなど、問題は深刻化していう様相ですから、この記事が訴えるように、これからは「人口減少を前提」として、移民の受け入れで「人手不足」の問題に対応していくのが正解と思います。欧州では、十分な準備をしないで移民を受け入れた結果、社会に溶け込めずに孤立して問題を起こす「移民集団」と、そのような「集団」を敵視する右派の人々との軋轢なども報道されており、それらを参考にして、日本政府はよりましな「移民対策」を考えてほしいと思います。
2024年11月08日
ネット上の差別投稿を訴えて勝訴した崔江以子氏が、裁判の経緯や判決の意義について語ったことを本にまとめて、この度出版記念の集会を開いたことを、10月20日の東京新聞が、次のように報道している; 「祖国へ帰れ」というネット投稿を差別と訴え、違法と認める判決を勝ち取った在日コリアンの崔江以子(チェ・カンイヂャ)さん(51)の裁判を記録した本の出版記念集会が、川崎市内で開かれた。執筆した崔さんや弁護団が登壇し、判決後もネット上で在日コリアンや埼玉南部のクルド人へのヘイトスピーチが続いていると指摘。止めるための差別禁止法が必要と訴えた。(安藤恭子) 本は「『帰れ』ではなく『ともに』―川崎『祖国へ帰れは差別』裁判とわたしたち」(大月書店)。12日の集会には約140人が参加した。川崎・桜本の共同学習の場「ウリマダン」に集まる在日のハルモニ(おばあさん)たちが動画でメッセージや歌を贈り、「裁判に勝って良かった」「子どもたちがこの国で生きていける」と祝福した。 90代のハルモニは「嫌というほど民族差別を受けてきたのに、今さら帰れ、殺す・・・ヘイトスピーチがひどくなった。私たち日本でまじめに働き、ちゃんと生きています。許されていいのでしょうか」と訴えた。崔さんは「『帰れ』という言葉を投げ付けられてきた、みんなの勝利と思っています」と受け止めた。 裁判では、ネットのブログで4年以上にわたり誹謗(ひぼう)中傷をされ精神的苦痛を受けたとして、茨城県の男性に損害賠償を求めた。昨年10月の横浜地裁川崎支部の判決は「日本国に仇なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」と記した投稿はヘイトスピーチ解消法に基づく差別的言動で違法な権利侵害に当たるなどとして、慰謝料194万円の支払いを命じた。 この判決が確定後も、崔さんのネット被害は続いた。今年2月に掲示板に名指しで「日本から出ていけ!」というタイトルのスレッド(書き込む場所)が立てられ、「消えろ」「汚物」など200余りの差別と侮辱を投稿された。崔さんは刑事告訴をしたが、9月に侮辱の疑いで書類送検されたのが少年と分かり、衝撃を受けたという。 今月出版する本は「帰れ」と言われてきた朝鮮学校の子どもたちへ「あなたたちは悪くない。沈黙を強いられず、下を向かないでほしい」と励ますためにと、準備してきた。いまは「少年や更生を支える家族らに届いてほしいと願っている」と話した。 川崎市の差別禁止条例制定に尽力した元自民党参院議員の斎藤文夫さんも集会にメッセージを寄せた。在日コリアンの苦労を知らない日本人におごり高ぶりがあったとした上で「日本の軍国主義時代、覇権主義により、多大なご迷惑をおかけしました」とつづり、日中韓のスクラムによる平和の維持と繁栄を望んだ。 在日コリアン49人の声を集め、裁判の意見書を書いた同志社大の板垣竜太教授(朝鮮近現代社会史)は「『帰れ』ヘイトは、植民地主義の延長線にある。裁判の後ろに無数の被害があることを論証しようと、自分に課した」と振り返った。 クルド人に対するネット上の差別拡散などの問題も受け、弁護団からは「外国人が来ると犯罪が増えるという言説、あるいは日本人を在日と非難する『みなし差別』も起きている」として、ヘイトスピーチ解消法の3類型(危害の告知、侮辱、排除)に当てはまらない差別の問題も指摘された。師岡康子弁護士は「これ以上差別の被害者を矢面に立たせていいのか。頑張るのは多数派の私たちの方だ」と呼びかけ、人種差別などさまざまなマイノリティー差別を実効的に止めるための包括的反差別法の制定を求めた。2024年10月20日 東京新聞朝刊 11版 20ページ 「こちら特報部-『祖国へ帰れ』は差別 ともに生きる社会を」から引用 昔の日本では、在日の人々への差別はひどいものだった。それは、政府が在日の人々に「指紋の押捺」を義務付けるとか、身分証明書の常時携帯を義務付けるという、如何にも上から目線で「取り締まりの対象である」とでも言い出しそうな態度だったから、一般国民もそういう行政の態度を見て「彼らにはそういう態度で接していいのだ」と思い込んだものと思われます。そんな時代に比べれば、「差別」は違法であると定めた法律が存在する現代は、だいぶ進歩したようにも見えますが、青少年に「差別」を教え込むような「違法な大人」がいまだに蔓延っている私たちの社会は、この度の崔江以子氏の本でも読んで、よく勉強する必要があると思います。
2024年11月07日
人気俳優・西田敏行氏の訃報が報じられたことに因んで、元文科官僚の前川喜平氏は10月20日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 亡くなった西田敏行さんが日本アカデミー賞を受賞した役は、夜間中学を描いた1993年の映画「学校」(山田洋次監督)の黒井という教師の役だった。 この黒井先生のモデルは複数いる。塚原雄太氏は東京の夜間中学で57年から20年以上教鞭(きょうべん)をとり、夜間中学廃止の危機を乗り越えて夜間中学の教育を先導した人物だ。毎年開かれている夜間中学の生徒のスピーチ大会は、塚原氏の詩の一節から「花咲け出愛(であい)」スピーチ大会と呼ばれている。 見城慶和(けんじょうよしかず)氏は塚原氏の著書「夜間中学生」に感銘を受けて61年に夜間中学の教師になり、40年以上教えた。その様子は2003年のドキュメンタリー映画「こんばんは」(森康行監督)に生き生きと描かれている。 松崎運之助(みちのすけ)氏は1973年から30年以上夜間中学で教えた。映画の原作となった本の著者だ。田中邦衛さんが演じた「イノさん」は、松崎氏が実際に教えた井上さんという生徒がモデルだ。 夜間中学はこうした教師たちが作り上げてきた。文部科学省の主導で作られた学校ではない。文科省は10年前に態度を改め、今では全国の教育委員会に夜間中学の設置を促しているが、現場の教師が日々の実践から積み上げた学びのあり方を離れて夜間中学は作れない。単に昼間の中学校を夜に移したものではないのである。(現代教育行政研究会代表)2024年10月20日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-映画『学校』の黒井先生」から引用 私は映画もテレビもあまり見ないので、西田氏がアカデミー賞を受賞した映画も見たことはないが、夜間中学と言うと個人的な問題とか、家庭の事情とか、様々な事情で義務教育が満足に受けられなかった人たちが多く通う学校ということで、私が知るところでは、在日の韓国朝鮮人の高齢者が、それまで日本語の読み書きが出来なかったのだが、夜間中学で日本語を学んで、新聞や雑誌を読めるようになったのが嬉しいのだ、というようなことを書いた新聞記事を読んだことがあります。日本の文科省は、10年前に態度を改めるまでは「日本も先進国だから、もう時代遅れの夜間中学は廃止したほうが・・・」という考えだったのかも知れませんが、夜間中学の必要性に気付いてもらったのは良かったと思います。
2024年11月06日
衆議院が解散になって総選挙が公示されて4、5日経った10月19日の東京新聞は、裏金問題で処分され総選挙にも不出馬を決めた塩谷立前衆院議員のインタビュー記事を掲載した; 27日投開票の衆院選で最大の争点となった「政治とカネ」の問題。自民派閥裏金事件を起こした旧安倍派(清和政策研究会)の座長で、党から処分を受けて政界引退した塩谷立前衆院議員(74)が、本紙のインタビューに応じ、「真相解明がない中で、本質的な議論がされていない。だから処分も法改正も、結局国民から支持されなかった」と語った。 裏金事件を受け、岸田文雄前首相も8月に辞任表明に追い込まれたが、塩谷氏は「(辞任が)遅いよね。岸田さんが辞めるなら、こちらの処分は何だったんだ」と首をかしげる。「私か党のために辞めて収まるなら良かったが、収まらなかった。『犠牲』にもなれなかったという意味では、犬死にだ」と話した。 派閥への捜査では、パーティー収入のキックバック(還流)の不記載が長年続いていたことが明らかになった。塩谷氏は「還流があることは知っていたが、不記載は知らなかった」と改めて釈明。一方で「不記載の自覚があった人もいたはずだが、調査が不十分なので、事実は不明のままだ」と述べた。 事件後、自民内の派閥がほぼ解散したことについては「派閥をなくしてどうするのか。議論がしにくくなるし、派閥は『クラス分け』と呼んでいたが、人事でも適切な評価に必要だった」との見解を示す。先の通常国会で政治資金規正法が改正され、国会議員の責任が一部強化されたが「場当たり的な議論だけで、(政治とカネの)本質的、本音の議論がされていない」と訴える。 党内には衆院選がみそぎになるとの見方もあるが「選挙結果がどうなるにせよ、国民の信頼回復は簡単ではない」と指摘。「多くの声を聞いて政策立案する『仕事』をしようとすれば資金はかかる。国会議員が何をしているのか、本来もっと発信が必要だったかもしれない」と振り返った。 文部科学相や党総務会長、選対委員長などを歴任した塩谷氏は1990年、父・一夫氏の地盤を引き継ぎ、政界入り。初当選時から清和会に所属し、第2次安倍政権下で事務総長を務めた。今年4月、派閥幹部だったことを理由に、党から「除名」に次いで重い離党勧告処分を受けた。9月に引退を表明した。(大杉はるか)★用語解説★ 自民派閥裏金事件 東京地検特捜部が捜査した政治資金規正法違反(虚偽記入)事件。安倍、二階、岸田の3派閥は、派閥パーティー券の販売ノルマを超えた利益の各議員への還流分や、収入額の一部を政治資金収支報告書に記載せず「裏金化」していた。不記載額は2018~22年で計17億円超。今年1月、3派の会計責任者や、不記載額が「3500万円以上」の国会議員ら計10人が立件された。2024年10月19日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「裏金事件『調査不十分』処分受け引退 塩谷前議員」から引用 裏金事件が「しんぶん赤旗」のスクープで世間の知るところとなり、岸田政権は政治資金規正法の一部を改正して「20万円以上の献金は、献金した企業名を明記する」となっていた法律を「5万円以上の献金は」と変更し、派閥は解散する(麻生派だけは解散せず)、裏金議員で金額が多額の者、責任が思いと見られる議員(例えば塩谷議員のような)に離党勧告を出す、等の「改革」を断行したのであったが、一向に内閣支持率は向上せず、岸田氏は次の総裁選挙には出ないと宣言して「党内刷新」のイメージを作る演出をする以外に方法はない、と言うことになったのであった。だから、早めに「離党勧告」に従って「党のためになるなら」と離党した塩谷氏のような立場の前議員は、「なんだ、自分に対する処分は全然意味がなかったじゃないか」とほぞを噛むことになったのであった。しかし、この記事の中で、塩谷氏は「多くの声を聞いて政策立案しようとすれば、資金はかかる」などと言ってるが、そんな言い訳が「だから、裏金も実は必要なのだ」などということにはならないわけで、インタビューした記者も、黙って聞いてないで、鋭く突っ込みを入れるべきだったのではないかと思いました。
2024年11月05日
先月の総選挙投票日前日の毎日新聞に、専門編集委員の伊藤智永氏は選挙の結果予測と石破政権の行方について、次のように書いている; 今年は年間を通して世界主要国で国政選挙が行われ、政権与党の敗北や劣勢が相次いでいる。 英国で保守党が大敗し、14年ぶりに政権が交代。フランス下院選では当初、マクロン大統領の政党「再生」が敗北し、決選投票で左派連合が第1党になった。インドでもモディ首相のインド人民党が、予想外の過半数割れに陥った。 争点や事情が異なるため、そこに一貫した説明をひねり出そうとすればこじつけになる。本紙連載「時代の風」で7月、待鳥聡史京都大教授はふんわり「現職の危機」と名付けていた。 11月の米大統領選は、すでにバイデン大統領の撤退により、命名通りになる。明日投開票される日本の衆院選も、各メディアは終盤情勢を「自民党大敗か」と分析し、石破茂首相に早くも退陣論が起きかねない雲行きだ。 もし日本も「世界選挙イヤー」の潮流に沿う結果になるとしたら、「政治とカネ」を超えた構造的要因を探す方が理にかなう。 「現職の危機」現象に、あえて共通の意味を見いだすなら、何の課題であれ、今までのやり方や説明ではもう納得できない、という不信の表明に違いない。 自民が大敗したら、責任者はもちろん石破氏だが、まだ就任1カ月足らず。本当の責任者は、世論の不信をほったらかして辞めた岸田文雄前首相。さらにたどれば、裏金問題の巣窟だった旧安倍派の議員たちである。 裏金問題は、安倍晋三長期政権のおごりが助長した権力腐敗だ。「裏金議員」が多数落選しても、それを民主主義の健全な働きと認めないのは無理がある。 となると「反安倍政治」を説いてきた石破氏は、20年近い「清和会(旧安倍派)支配」の大掃除に泥をかぶった「功績」で名を残すのかもしれない。 明日の選挙には、「安倍時代」総決算の意味もある。 ただし選挙の民意に、過剰な期待を抱くのは禁物だ。待鳥教授も「時代の風」で、各国の「選挙で躍進した勢力に、持続可能な代替案があるかどうかは疑わしい」と指摘していた。 日本では立憲民主党が大幅に議席を伸ばすとの予測がある。野田佳彦代表は「政権交代こそ最大の政治改革」と演説してきたが、今の野党関係では、選挙後に立憲中心の非自民政権ができる見通しは相当難しそうだ。 むしろ与党が過半数割れしても、あの手この手で石破政権は続くかもしれない。釈然としないが、世界の民主主義国が同じ忍耐を試されている。(専門編集委員)2024年10月26日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-もし自民が大敗したら」から引用 総選挙の結果は、だいたい伊藤氏の予測のとおりとなった。しかし、石破氏が旧安倍派である清和会支配の大掃除で泥をかぶる気があるのかと言えば、その気はないのではないかと、私は思います。もし石破氏が、旧安倍派を徹底的に「大掃除」する気があるのなら、総裁選の時に言っていたように「先ずは予算委員会を開いて、安倍・菅・岸田の三代の実績について、野党に質問させて、自民党の新総裁としての立場から、是は是、非は非という議論を尽くした上で、解散・総選挙という手順にするべきであった。しかし、石破氏は組閣の時点で、そのような「路線」では党内の協力を得られないという「現実」の前にして、総裁選の最中に口走ったことがらは全て覆して、党内の「従来路線」と妥協して「のらりくらり」路線で行こうとの考えのようですから、「日本政治の正常化」を実現するには、来年の参議院選挙で自民党に「引導を渡す」という作戦で行くしかないように思います。
2024年11月04日
自民党総裁選挙が無難な石破茂氏を選出し、その石破氏がいきなり衆議院を解散すると言い出したことについて、前法政大学総長の田中優子氏は、10月18日の「週刊金曜日」巻頭コラムに、次のように書いている; BSーTBSの「関口宏の一番新しい江戸時代」の収録が1800年代に入った。黒船来航よりだいぶ前だが、ロシア船、イギリス船が次々とやってくる。アヘン戦争一歩手前のこの危機的状況の中で、徳川家斉(いえなり)は50年も将軍の地位にあり17人の妻妾との間に53人の子ども(ただし約半分は成人前に死去)を作った。異国船打払令以上の政策は特になく、子どもたちを諸方の大名につなげて権力範囲を広げていた。政策より世襲権力。このことが幕府の倒壊を招いたことを私たちは知っている。今の自民党にとてもよく似ている。未来の人々は今の日本を「なるほど。こうだったから日本はダメになったのね」と言うかもしれない。 安倍晋三氏が生まれ変わって女装しているような人が「日本で最初の女性首相」にならず本当によかったと、総裁選で石破氏が勝った時には胸をなで下した。しかし10月4日の所信表明演説には唖然とした。総裁選で言っていた「本当のやりとりは予算委員会だ」と議論の必要性を強調していたことなど忘れて、すぐに解散するそうだ。 総裁選では処分された議員を次の選挙で公認しない可能性に触れていたが、裏金議員らを公認する方針を固めた(後に撤回)。防衛政策については何も触れず、期待していた日米地位協定の改定は親分の米国によって封印されたのだろう、と察しがついた。さすがに「アジア版NATO」はないだろうと思っていたが、やはり消えた。農山漁村の雇用と所得による活性化はとても大事な政策なのだが、具体的な方法は述べられなかった。言葉だけで終わるかもしれない。 残ったのは「防災庁」設置と自衛官の待遇改善ぐらいか。自民党はやはり誰が首相になっても同じだった。徳川家の延命策と同様、政権を握り続けることだけが、目的になっている。だから裏金づくりと宗教団体との結束は、必ず残る。 上西充子法政大学教授が「総裁選で石破氏が語っていたことと首相になってから石破氏が語ることをわかりやすく対比させて報じてください」とメディアに注文をつけていたが、そのとおり。「自民党とは何か」を、私たちはじっくり知る必要がある。 で、政権交代は? 立憲民主党はカマラ・ハリス的な対立色を鮮明にするどころか「穏健な保守層」とやらに尻尾を振った。それどこにいるの? その人たちは自民党に満足でしょ。「とんでも選挙」が始まる。2024年10月18日 「週刊金曜日」 1493号 3ページ 「風速計-とんでも選挙」から引用 この記事が言うように、私たちは「自民党とは何か」を、今さらではあるが、じっくり知る必要があります。自民党内の多数決が「高市早苗」を排して「石破茂」を選択したのは、世間の常識にそった妥当な選択だったと思いましたが、実は自民党のマジョリティは「石破茂」を全面的に信任して彼を選択したのではなく、とりあえず「世間の逆風」をしのぐための「一時しのぎ」で彼を利用しただけのことで、その証拠に、石破氏は総裁就任前に発言していた「解散前に予算委員会を開く」等の一連の発言をひっくり返すことになったもので、石破氏を総裁にしたから世間も油断してると見込んで、表向き「公認をはずす」と宣言しておきながら、裏ではこっそり選挙資金、2000万円を振り込むという「裏切り」をやらかしている。総選挙の運動期間中に、この自民党の「正体」に気付いた有権者は「もう自民党には投票できない」と判断することができたのですが、その数は限定的だったため、野党第一党が過半数を得るには至らなかったわけです。しかし、引き続き「しんぶん赤旗」等の報道を頼りに「自民党とは何か」を、私たちは認識を広げていく必要があると思います。
2024年11月03日
東京電力・福島第一原発の事故の後で設置された原子力規制委員会の委員を10年間務めてこの度退任した石渡明氏は、10月19日の朝日新聞で、インタビューに応えて次のように述べている; 原子力規制委員会の委員として、活断層の審査をめぐって原発の再稼働を認めない結論をまとめ、60年超運転に道を開く法改正に異を唱えた地質学者が今年9月、退任した。未曽有の大事故から13年半、いつか来た道に戻ってしまってはいないか。地震や津波対策の審査を10年間率いた石渡明さんに聞いた。――日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)の審査では、直下の断層が活断層である可能性を否定できず、新規制基準に適合しないという結論をまとめました。一部に、証明しようがないことを求める「悪魔の証明だ」との批判もあります。 「新規制基準をもとに審査した結果です。事業者から見れば悪魔かもしれませんが、大した悪魔ではない。すでに17基の原発が審査に通り、うち12基が再稼働しました。事業者が、詳しい調査で、断層が動いていないことを証明し、『否定できない』とした有識者会合の結論が覆った例もあります。電力各社から見れば17勝1敗。これで相手が強すぎると言えるのか、と思います」――地層の観察記録の書き換えをはじめ、原電側にも問題がありました。 「事業者は、何としても審査を通すのが至上命令ですから、科学的な妥当性よりも自分たちのストーリーに沿ったデータを集めがちです。原電は断層の幅のデータを出していませんでしたが、確認すると最大3メートル、平均約70センチと大きかった。十分に調べないまま、それだけの断層が、調査地点から延びずになくなると言っている。ちょっと信じがたいです。基本的なデータをきちんと扱っていない不備があったと思います」――もともと敦賀原発の敷地内には、「浦底断層」という活断層がありますね。 「米カリフォルニア州では、建設計画があった8原発のうち4原発が、活断層が見つかって建設中止になっています。2原発は運転開始後に近くで活断層が見つかり、運転をやめました。その後、別の原発の近くで活断層が見つかったときも、電力会社がすぐに規制当局と対応を協議しています。一方、浦底断層は1991年に専門書で活断層だと指摘されましたが、原電が活断層と認めたのは2008年。動きが全然違います。反省すべき点です」 ■ ■――そもそも規制委員の仕事を引き受けたのはなぜでしょう。東日本大震災で東京電力福島第一原発事故が起きたときは、仙台にいましたね。 「たまたま調査用に線量計を買ったばかりで、各地の放射線量を測って回りました。何かあるたびに高くなる。これは大変なことが起きたと思いました」 「869年の貞観津波の痕跡は、仙台平野を掘ればどこでも出てきます。あれだけの大津波が過去に来たことは地質学の世界では知られていた。原発も、その可能性をきちんと考えて対策を講じておくべきだった。事故を起こすと影響が大きいシステムにはもっと総合的に地球科学を生かす必要がある。そう考え、委員を引き受けました。福島のような大事故を二度と起こさせない、それに尽きます」――原子力の世界に入って感じたことは? 「私はずっと、地質学など理学の分野をやってきた人間です。一方、原子炉を作って運用する人たちは大部分が工学系で、規制委もそうです。工学系は理学系と考え方が全然違うんですよ。何というか、人間が万能のように考え、きちんと設計して施工すれば、きちんとしたものができる、と。その外側のことはあまり考えないですね」 「地震は日常的に経験していても、津波や火山になると、なかなか想像の範囲に入ってこない。どういう危険が具体的にあるのか、なかなか思いが至らない面があると思います」 「地球科学的な現象は、普段生活しているスケールをはるかに超えています。研究者なら10万年前、100万年前に何があったかをイメージできる。ビシッとした答えが出ることはめったになくても、自然の複雑な動きをどう理解すればいいかを身につけている。それが存在意義だと考えてきました」 ■ ■――日本列島はプレートが沈み込み、地震や火山が活発な「変動帯」です。原発の利用について、どう考えますか。 「日本で生活している以上、原発を使いたいなら日本に適したやり方をするしかありません。もちろん、やめてしまう手もありますが、幸い規制委ができてから大きな事故は起きていない。規制機関がきちんと監督や検査をし、事業者も緊張感をもって運転する仕組みがそれなりに機能してきたと思います」――政治家や原子力業界からは審査期間の長さを問題視する声もたびたび出ました。圧力はありませんでしたか。 「誰かから直接、『審査を早めろ』と言われたことはありません。よく行政審査は2年が原則だと言われますが、じゃあ2年で審査が終わらないものは不許可にしてしまえば迅速ですけど、事業者は『それは困ります』となりますよね。我々だって引き延ばす理由は何もない。長期化の大部分は、事業者側の責任だと思います」 「およそ科学的に納得できないような考え方を持ち出してきて、これで大丈夫なんですと言い出す。それを受け入れるわけにはいかないですよ。『ならば、その根拠を出して』と言うと、その調査だけで1~2年かかる。時間がかかるのはやむを得なかったと思います」 ■ ■――昨年の国会で、原発の60年超運転を可能にする改正法が成立しました。経済産業省が主導し、規制委側が歩調を合わせた形です。石渡さんは「安全側への改変とは言えない」「審査をする人間としては耐えられない」と、委員でただ1人、法改正に反対していました。 「原子炉等規制法に原則40年、最長60年という明確な数字が書かれていたわけです。福島の事故を受け、国会の議論を経て決まったことです。私はこの法律を読んで、これを守るということで就任したわけで、それを勝手に変えてしまうのは納得がいきませんでした」 「新しい知見が得られたといった理由があるなら別ですが、それもない。しかも、審査が長引いた分を運転できる期間に足すという話ですから、どう考えてもおかしいですよ。今も考えは変わっていません」――規制委が20年にまとめた見解が逆手に取られ、経産省に主導権を奪われたように見えました。電力業界の声を受けて出したもので、「運転期間は原子力利用に関する政策判断にほかならず、規制委が意見を述べる事柄ではない」としていました。後悔していませんか。 「当時は詳しく議論していませんでした。あれが重要な意味を持つということは、私自身うかつだったかもしれないけど、気づいていませんでした」――事故の教訓の風化や規制委の変質を懸念する声もあります。 「私自身は一生懸命やったつもりです。どんな組織でも、やっているうちに問題は出てくるものですが、規制委は公開の場で議論をしています。ネットで中継され、即座に全国放送になる。あの緊張感たるや、本当に胃が痛くなります。事業者もこちらも相当なストレスですが、おかしなことは言えない。やはり公開でやっていくしかないと思うんですね」――事業者には「公開の場では言いたいことが言いにくい」という意見もいまだあります。 「これを譲ってしまったら、規制委は終わりだと思います。むしろほかの役所にも広がれば、日本社会も変わってくるのではないかと思いますけどね」(聞き手 福地慶太郎、編集委員・佐々木英輔) *<いしわたり・あきら> 1953年生まれ。金沢大教授、東北大教授、日本地質学会長などを経て、2014年9月、原子力規制委員に就任。原発の地震や津波対策の審査を担った。■取材を終えて 前任の委員だった地震学者、島崎邦彦・東京大名誉教授も、自然に対して謙虚であることの大切さを強調していた。地震や津波、噴火といった自然現象は人の想像を超え、思わぬ被害を引き起こす。わかった気になったり、軽く見たりしたまま原発を扱うのは危うい。 そもそも規制委は、原発の運転を容認する前提でできた組織だ。審査は安全対策が一定の水準にあるかどうかを確認するもので、絶対の安全を保証しているわけではない。石渡氏も、どこまでのリスクを許容するかは「社会の価値判断」だと言う。 「核のごみ」処分も含め、日本列島で原発を扱えるのかは長く議論になってきた。一方で事故から13年が経ち、原発回帰の動きも目立つ。今後のエネルギーを考える上では、原発事業者は信頼できるのか、規制が将来にわたり機能するのかという視点も欠かせない。(佐々木英輔)2024年10月19日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ 「オピニオン&フォーラム-原発『来た道』戻らぬように」から引用 この記事はなかなか面白い。工学部出身の学者は「しっかりした設計図に基づいてしっかり施工すれば問題ない」と考えるようだが、理学部出身の学者は一千年、一万年の単位で自然がどのように変化してきたかを認識して今後のことを考える、という指摘は「なるほど」と思いました。また、カール・マルクスの「資本論」には、「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。」との一節が有名ですが、原子力発電所をもつ電力会社経営者なども、原発は自分が生きてる間だけ無事故で運転できれば、後のことは後の者が良いようにしてくれるだろう、くらいの気分でいるのではないかと思いました。この狭い国土に、すでに50基を越す原発を作っておきながら、さらに新増設を目指すという自民党や国民民主党の「企み」は、是が非でも止めさせるべきです。
2024年11月02日
創業者が長年に渡って所属のタレントに性加害を行っていた事実を認め、事務所の名称を変更し、被害者の救済に取り組むと宣言して一年が経過した先月、取材に当たってきた朝日新聞・島崎周記者は、10月18日の同紙夕刊に、次のように書いている; この場で話すべきなのは、被害者の彼らなのだろうか――。旧ジャニーズ事務所(SMILE―UP.〈スマイルアップ〉)が、創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題を認めてから1年が経ったことを受け、被害当事者らが9日、日本記者クラブで記者会見を開いた。 「なんとか生きてきた」「被害者たちの言葉を聞き、無視しないでほしい」。被害者たちは時折声をつまらせながら、顔と名前を出して被害を告白してきてからのことを振り返った。そして、会見を開いた理由についてこう語った。 「声を上げる人がいなくなったら、この問題は風化の一途をたどると思う。だからこそ声を上げ続けていかないといけない」。見ていて、胸が痛かった。 一方スマイル社は、昨年10月に行った2回目の会見以降、一度も会見を開かず、ホームページ上での見解表明や発表にとどまる。同社が設置した「被害者救済委員会」は9月末、この1年の活動状況をまとめた報告書で、999人が被害を申告し、うち504人と補償内容で合意したと、「数」を示した。スマイル社はこれらによって「被害の全容が明らかになっている」とし、被害の時期や背景といったことを明らかにする意思を示さなかった。 だが、約1千人も被害を申告したという前代未聞の事態だ。数の把握だけで済まされていいのか。ある被害者は会見の場に寄せた手紙で「なぜ半世紀近くもの間、加害行為が放置され続けてしまったのか、改めて調査を行うことをスマイル社に求めたい」と訴えた。 スマイル社は、会見について、「一部誤解等を与えうる内容があった」などとして、翌日に見解をホームページに掲載した。一方的に文書を掲載するだけでなく、会見で直接説明すべきではないか。朝日新聞は会見の開催や、社長の東山紀之氏への対面取材を求めてきたが、実現していない。これだけの性加害を生んでしまった会社として、公の場での説明は最低限の社会的責任だと考える。 約1年前、私は「取材考記」でこう書いた。「事務所は『徹底した調査は行われた』とし、全容把握をするつもりはないようだ。(中略)被害者の声に時間をかけて耳を傾け続けなければ、『真の救済』にはつながらないのではないか」 あの時から、事務所の対応は何も変わらない。このまま、この問題を終わらせるわけにはいかない。だからこそ、私は書き続ける。<東京社会部> *<しまざき・あまね> 2014年入社。大津、鹿児島、西部報道センターを経て東京社会部。連載「子どもへの性暴力」取材班の一員。旧ジャニーズの問題のほか、宗教団体内の性暴力についても取材し、9月からは文部科学省の担当。2024年10月18日 朝日新聞夕刊 4版 7ページ 「取材考記-旧ジャニーズ、会見で説明を」から引用 この記事は、正論を語っていると思います。昨年、旧ジャニーズ事務所が長年に渡って創業者の犯罪行為を隠蔽してきていたことを認めた時点でも、事務所関係者と取引先の関係者らは、事件の悪質さ、責任の重さなどを理解できておらず、とりあえず創業者の後を継いだ親族は責任をとって「社長」の座を東山紀之氏に譲ったのであったが、この東山氏も事件の深刻さ、責任の重さを理解できておらず、軽率な発言が禍して余分な批判の声がさらに大きくなるという事態になり、それ以来、余分な発言は極力控えて、現状のように、何か発表するときは「文書のみ」という、誠意を疑われる状況を招いてしまっているものと思われます。この記事が訴えるように、旧ジャニーズ性加害問題をこのままうやむやにして終わらせるのでは、同じ問題が繰り返すことにもなりかねませんから、今後も「正しい解決」と「適切な被害者救済」のためにも、取材を継続するべきだと思います。
2024年11月01日
第50回衆議院議員選挙が公示された翌日である10月16日の東京新聞は、一面トップに「信頼できる政治 見極める」と大きな見出しで、候補者の演説に聞き入る有権者の写真を掲載した。 私はこの紙面を見て「また始まったか」と落胆するほかなかった。「また始まった」のは、選挙のことではなく、「信頼できる候補者に投票しましょう」という欺瞞に満ちた「呼びかけ」のことである。戦前の昔はいざ知らず、戦後の憲法の下で行われた選挙に際し、日本の新聞はその都度「大切な一票を、自ら信頼する候補者に託しましょう」などと呼びかけて、立候補した者たちがあたかも聖人君子であるかのように「宣伝」してきたものと思われます。しかし、この「宣伝」は実に持ってウソに満ちている。政治家であろうと一般市民であろうと、みな同じ人間であって、人それぞれ強みもあれば弱点もあるただの人間なのであって、うまく仕事をこなす時もあれば、とんでもない失敗をして周りに迷惑をかけることもある。そして、戦後の80年間、日本の政治家はメディアが持て囃すような「聖人君子」はほとんどおらず、どの政治家も一癖も二癖もある「くせ者」であり「悪者」だったのである。そんなことはなかったかのように「信頼できる政治」などと、まじめにトップ記事など書かれても、今まで散々欺かれてきた有権者が今さら「この候補者を信頼してみよう」などという気になるわけがありません。だから、投票に行かない人たちに聞けば「信頼できる候補者がいない」「どの候補者に投票したらいいか、わからない」と棄権する理由を言うのです。 したがって、メディアはここで態度を改めて、「立候補する政治家も、投票する有権者も、同じ人間なのであって、立候補する者を『先生』などと呼ぶのは間違いだった」と、真実を述べるべきです。そして「政治家も人間だから、欲もあれば人をだますこともある。ろくでもない者もいるのが実態だから、下手をすると『最悪』の政治に陥る危険があるのが現実なのだ」とはっきり紙面に書くべきです。そして、このような世の中を、少しでも良い方向に導くためには、「今の与党でいいのか、この辺で政権交代するべきなのか」の選択を迫られているのが今回の「選挙」なのだ、ということを正確に読者に伝えるべきだと思います。そのようにして、「政治家なんて、ろくな者がいないけど、しかし、A党は今回ダメだったんだから、次はB党にしよう」と、簡単に切り替えるだけで政治は大きく変わるのだ、ということを日本の有権者は学ぶべきです。「自民党はダメだけど、そうかと言って野党も信用できない」などと言っていては、いつまで経っても日本の腐敗政治は変わりません。野党が信用できるかどうか、などを問題にする必要はないのです。現在の与党がダメなら、交代させる、それだけでいいのです。
2024年10月31日
石破茂氏が自民党総裁選挙の際に発言した「アジア版NATO」論について、元文科官僚の前川喜平氏は13日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 自民党総裁選のさなか石破茂氏がアジア版NATOについて「集団安全保障のためのもので、自衛権の問題ではない」と語るのを聞いて「それは違う」と思った。 集団安全保障とは、国際連合の下、仮想敵国同士を含む全加盟国が、国連軍の組織化を背景に、国連憲章違反の武力行使を行う国を組織的に抑圧する体制のことだ。国連が目指してきた平和維持の仕組みだが、東西冷戦のため実現しないまま今日に至っている。 アジアに集団安全保障体制を構築すると言うなら、中国、ロシア、北朝鮮も含み込む必要がある。かつて石橋湛山は「日中米ソ平和同盟」の構築を主張したが、それこそ集団安全保障の思想だ。 一方、NATOは集団安全保障の組織ではない。東側諸国を仮想敵国とし、米国と欧州の西側諸国が互いに集団的自衛権の行使を約束し合う集団防衛の組織だ。石破氏の言うアジア版NATOもそういう集団防衛体制だ。集団安全保障で説明するのは誤りである。 今回の東アジアサミットで石破首相がアジア版NATOの主張を封印したのは不幸中の幸いだ。アジアに殊更に敵対関係を持ち込む構想に、ASEAN諸国が与することは決してないだろう。日本の戦後平和外交を台無しにせずに済んで、まずは良かった。石破氏は集団安全保障について学び直した方がいい。(現代教育行政研究会代表)2024年10月13日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-石破茂氏の集団安全保障論」から引用 この記事の指摘は重要だと思います。石破氏の「NATO論」は軽率な理解不足に基づいた誤解であって、国際社会の常識である「集団安全保障体制」をアジアに実現しようとするなら、中国、ロシア、北朝鮮をも含むことを意味するものとアジア諸国は解釈するであろうから、その辺を「どのように実現できるとお考えですか?」と問われて「いや、中国やロシアの脅威に対して協力して対抗しようという意図です」などと説明したのでは、とんだ赤っ恥をかくところでした。ASEAN諸国は、中国やロシアに対して無用な「対立関係」を作り出す意志はさらさら無く、穏やかな中立的姿勢を堅持しているのですから、さすがの石破氏もその辺の機微を察知して、無駄な発言を控えたのだろうと思います。
2024年10月30日
自治体などで生活に困窮する人々の相談に乗り、場合によっては生活保護の受給をアドバイスする公務員をケースワーカーと呼ぶらしいが、群馬県桐生市のケースワーカーは、立場の弱い生活保護受給者を恫喝して印鑑を預かり、本人が受け取ってもいない「受領書」に勝手に押印して、調査に来た弁護士に「市としては、この通り生活保護費を支給し、本人の受領印ももらってます」と虚偽の説明をして、後日それがウソであることがバレて、「急に尋ねられたので、気が動転して間違った説明をしてしまった」などと下手な言い訳をしたのであったが、その桐生市のケースワーカーが預かった印鑑が1900本もあるとか、近隣の市町村に比べて桐生市の生活保護受給者は極端に少数であるという状況から察して、この問題は桐生市のケースワーカー特有の「根の深い問題」のように思われます。桐生市で生活保護を受給しているある女性は、自分と同じ被害に会う人が今後は出ないように、事件の責任をはっきりさせたいと、この度刑事告発に踏み切ったとことを、13日の東京新聞は、次のように報道している; 群馬県桐生市で相次いだ生活保護制度の不適切な運用を巡り、市内在住で生活保護を利用している70代の外国籍女性が、生活保護費の受領簿に市福祉課職員が同姓の他人の印鑑を無断で押印したとして、同課のケースワーカーと指導員の2人を私文書偽造や虚偽公文書作成などの容疑で近く県警に刑事告発することが、支援団体への取材で分かった。(小松田健一) 一連の問題では、市の内部調査で利用者から預かった印鑑が計1948本に上り、書類への無断押印が行われていたことも既に明らかとなっているが、当事者が告発するのは初めて。支援者数人も告発に加わる予定という。 女性は2022年1月に日本人の夫が病死後、同居していた夫の親族から暴力や嫌がらせを受けた。このため、知的障害がある長男とともに桐生市内のアパートへ避難。23年9月下旬に生活保護を申請し、約1ヵ月後に保護决定か出た。しかし、保護費支給が大幅に遅れ、女性を支援する弁護士が市へ説明を求めた過程で無断押印が発覚した。 告発状によると、ケースワーカーは同年10月27日、保護費が支払われていないにもかかわらず、保護費受領簿に女性と同姓の印鑑を押印し、女性が保護費を受け取ったように偽装。また、ケースワーカーと指導員は同年11月27日、女性や弁護士、司法書士らと面会した際にこの受領簿を閲覧させ、正しい公文書のように装ったとしている。 市は当初、女性本人が押印したと説明していたが、同年12月、本人や支援者らとの面会の場で「押印は支給の会計処理を完結させるためだったが、本人以外の印鑑を使うのは問題がある処理なので、指摘を受けて動転して事実と異なる説明をしてしまった」と無断押印や虚偽説明を認めた。 女性は本紙の取材に「私と同じような目に遭う人を出さないために告発を決めた。捜査機関にきちんと調べてもらいたい」と話した。★★用語解説★★ 桐生市の生活保護を巡る問題 2023年11月、群馬県桐生市が保護費を1日千円に分割した上、満額を支給しなかった事例が、群馬司法書士会から市への申し入れによって発覚。その後も満額不支給や申請を窓口で拒む「水際作戦」が常態化していたことが表面化し、同年12月に荒木恵司市長が謝罪、第三者委員会などで実態解明と再発防止策を検討する方針を表明した。今年4月には満額不支給だった利用者らが市に対し、損害賠償や慰謝料の支払いを求める訴訟を起こした。2024年10月13日 東京新聞朝刊 12版 21ページ 「『受領簿に他人の押印』桐生市職員らを刑事告発」から引用 生活保護受給者を蔑視し敵視する傾向は、日本人社会に昔からあって、「甘い顔をしてると、ヤツらはどこまでもつけ込んで来る」などと言う言動があり、今もその「流れ」で生活困窮者を「色メガネ」で見る風潮が残っているのは残念なことです。それにしても、桐生市のケースワーカーが考案した「1日千円」に分割支給というアイデアは、一か月分合計で3万円にしかならず、余った分はどういう扱いになっていたのか、警察が詳しく調べると更におぞましい「実態」が出てきそうで不安ですが、明るい社会を築くためには、しっかり「膿」を出す覚悟が必要と思います。
2024年10月29日
自民党総裁選挙のときは、高市早苗や小泉進次郎に比べて常識に則ったまともな発言をしていた石破茂氏は、いざ選挙に勝って自民党総裁の椅子に座ったとたんに、前言を次々と翻す発言を連発して世間を「あっ」と言わせたのでしたが、石破氏のこの「態度豹変」をメディアはどう報道したか、ジャーナリズム研究者の丸山重威氏は、13日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 総裁選での公言をひっくり返し、首相就任記者会見で早々と解散・総選挙を表明した石破茂新首相。2日の新聞論説は一斉に批判しました。 「『国民に正面から向き合い誠心誠意語っていく・・・』と述べた。にもかかわらず、実際には丁寧な質疑を避けようとしている」(「産経」主張) 「解散前の国会論戦の重要性を繰り返し訴えてきたのは何だったのか。のっけからこれでは、信頼回復への歩みは、おぼつかない」(「朝日」社説) 「東京」社説は「首相就任早々、前言を翻すとは不誠実極まりない」、「日経」社説(4日)も「首相は自らの発言の重みをどれだけ自覚しているのだろうか」-。 「読売」社説は、「主張を翻し、一刻も早い解散に舵を切ったのは、自民党の主張を受け入れたもの」で「政権運営の主導権が官邸から党へ移行する予兆」といいます。 4日の所信表明演説後、首相は一層後退しました。 「裏金問題」では「党員資格停止」議員などを非公認(7日付各紙)という程度。大半の裏金議員は公認されます。首相含め11人の閣僚の統一協会や関運団体との「接点」(「赤旗」4日付)の指摘にも調査を明言しません。 そして、問題は安全保障です。「沖縄タイムス」5日付社説では「総裁選や首相就任会見で意欲を示していた日米地位協定の改定は(所信表明演説では)語られなかった」「語られたのは、日米同盟による抑止力・対処力の一層の強化」としています。 「毎日」(5日付社説)は「(安倍)長期政権のもと、正論を語ってきた首相への期待が裏切られたと感じる人が増えている」と指摘します。 総選挙では、憲法を無視した自民党政治を総決算し、危機に陥った生活と戦争の危機から国民を救う政党はどこなのかが改めて問われます。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2024年10月13日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-手のひら返し、一斉批判」から引用 この記事では、石破氏の「手のひら返し」を産経、朝日、東京、日経、読売と、各社の「解説」を紹介しているが、この中では「読売」の解説が、一番適切に「事態」を説明してくれているように思います。総裁選挙中の石破氏の「個人的な発言」は、今後は「自民党総裁」という立場上、封印して、今後はあくまでも「自民党全体」を代表する立場として発言し、行動する、というような「意志表明」ということなのでしょう。その「自民党全体」というのは、これは大部分が「裏金議員」であり、自民党としては極端な裏金議員のみをスケープゴートとして「公認しない」という「決定」をしたのだが、その他大勢の「裏金議員」は、金額がそれほど大きくないから、という理由で、従来通りに処遇するという形になりました。ところが、いざ衆議院が解散になって総選挙が始まると、「文春砲」ならぬ「赤旗砲」が、「非公認の候補者にも自民党から2千万円の活動費が振り込まれている」と報道して、「裏金議員は非公認」でも選挙運動の資金援助は従来通りだという「実態」が、天下に周知されることとなりました。この「赤旗砲」は、発表された当日と翌日くらいは自民党本部にはかなりの衝撃を与えたようでしたが、実際の有権者の投票行動に直接影響したようには、私は感じられませんでした。昨日の投票結果では、自公の獲得議席は過半数を割り、立憲民主党と国民民主党が大幅に議席を伸ばしたのが特徴で、その割に「赤旗砲」の活躍の割りには共産党への「支持票」は伸びなかったのが残念です。このような有権者の「投票行動」をどう理解するべきか、どの辺に「真実」があるのか、世の中の推移を見守りたいと思います。
2024年10月28日
袴田巌氏の再審無罪について、文筆家の師岡カリーマ氏は12日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 検察が控訴を断念し、袴田巌さんの無罪が確定した。再審無罪判決の時に涙した多くの人々は、改めて安堵の笑みをこぼしたことだろう。 誰にでも起こりえたことだ。冤罪が晴らされるまでに半世紀以上かかった袴田さんが拘束されていた47年は巨大な不条理だが、仮に死刑が執行されていたら、本当に取り返しがつかなかった。なぜこのようなことが起こったか、詳細な検証と法改正が求められるのは言うまでもないが、これを機に、私たちはもっと真剣に、死刑制度の是非について考えるべきではないのではないだろうか。 無罪が確定した再審では、捜査当局による証拠捏造が認められた。もし死刑が執行されていたら捏造に関わった人々は、国家権力を凶器にして袴田さんを謀殺したも同然だった。その場合、彼らの罪はどんな罰に値するのだろう。袴田さんが被った不正をほんの少しでも正す機会が日本に与えられたのは、理由がなんてあれ、死刑が執行されていなかったからだ。 国民の大多数が「死刑もやむを得ない」と答えるという世論調査を「死刑制度肯定」と解釈することには疑問があるが、もし死刑廃止は政治的に敷居が高いというなら、「袴田さん冤罪事件を受け、死刑執行全面凍結」という暫定措置を第一歩に、先進国らしく廃止を目指す大きなチャンスではないだろうか。(文筆家)2024年10月12日 東京新聞朝刊 19ページ 「本音のコラム-死刑制度再考」から引用 この記事の提案は、日本国にとって考慮する価値があると思います。江戸時代の日本は、幕府が武力をもって人々を支配する世の中であったから、権力に不都合の者は極刑にして見せしめにするという目的があって、「死刑制度」は当然であったが、現代では「民主主義」が当たり前という建前の社会なのだから、封建時代の遺物をいまだに維持しておく意味がないと思います。また、日本の警察・検察の組織で働く人々は、「犯人逮捕」が「至上命令」であると過剰に思い込んでいるフシがあり、真犯人逮捕が難しい場合は身代わりを「逮捕」して、自分たちの職責を果たした格好をつけるという悪癖があり、つい最近も「女子中学生殺人事件」の真犯人を取り逃がし、代わりに逮捕した「赤の他人」を真犯人に仕立て上げるために、別件で逮捕した者に「検察が用意した作文を、自分の目撃証言として法廷で証言してくれれば、お前の罪は帳消しにしてもいいが、どうだ?」と取引を持ち掛け、数年前の裁判でその証言者が検察の言いなりにウソの証言をしたため、事件に関係ない人物に有罪判決が下ったのであったが、最近になって検察言いなりの証言をした人物が「あのときの証言は検察の指示通りにしたもので、真実の証言ではありません」と言い出したために、再審が決まった事例である。これが、日本の警察・検察の「実態」なのであるから、死刑制度は現在の日本には不適切な制度と言わざるを得ません。いきなり死刑制度廃止ではハードルが高すぎるのなら、とりあえず、この記事が提案するように「死刑執行全面凍結」という暫定処置をとるべきと思います。
2024年10月27日
58年間も死刑囚とされてきた袴田巌氏が再審の結果「無罪」となったことに因んで、12日の東京新聞コラムは「国家の犯罪」について、次のように書いている; 静岡県の強盗殺人事件で死刑が確定していた袴田巌さんの再審公判で「無罪」を言い渡した地裁判決に対し、検察が控訴を断念し、袴田さんの無罪が確定しました。 東京新聞は9日の社説「袴田さん『真の自由』に」で、「事件発生から58年での『無罪』確定は、あまりにも長すぎた。これは誤った捜査と裁判による、究極の人権侵害にほかならない」「地裁が指摘した捜査当局による『三つの捏造』は、袴田さんを犯人にでっち上げた、恥ずべき権力の乱用である」と捜査を厳しく批判しました。 検察は否定していますが、確定判決が捏造と指摘したことを、厳しく受け止めるべきです。犯人にでっち上げるために証拠を捏造したとしたら権力の乱用であり、国家による犯罪にほかなりません。 読者からは「冤罪でありながら正義の名の下に死刑執行が行われた可能性が高い人もいたのではないか」との意見が届いています。 冤罪事件を二度と起こさないためにどうすべきか、警察や検察、裁判所は真剣に、深く考えるべきでしょう。 国家による犯罪は司法だけでなく立法府である国会も無縁ではありません。「戦後最大の人権侵害」とも言われる強制不妊手術の根拠となった旧優生保護法は1948年、当時の与野党が全会一致で成立させたものだからです。 人権上深刻な問題が指摘されながら、法改正されたのは48年後の96年。この間、約2万5千人が手術を受けたとされています。被害者に対する補償法が8日に成立し、「国会および政府は、憲法に違反する立法行為と執行の責任を認め、心から深く謝罪する」と法律に明記されましたが、人権侵害を犯した作為と救済が遅れた不作為を、国会は猛省しなければなりません。 最大の人権侵害かつ国家犯罪の最たるものは、国民の命や暮らしを犠牲にしての誤った戦争です。ですから少しでも戦争に再び近づく動きがあれば、警鐘を鳴らすことが私たち新聞の役割なのです。 衆院選が15日に公示されます。最大の争点は裏金事件に象徴される「政治とカネ」の問題ですが、国家に犯罪を再び起こさせないためにはどの候補者や政党に託せばいいのか。東京新聞は有権者の選択に資する報道・論説を続けたいと考えています。(と)2024年10月12日 東京新聞朝刊 5ページ 「ぎろんの森-繰り返される国家の犯罪」から引用 袴田巌氏のやり直し裁判の結果、「無罪」の判決が出て無実の袴田氏の潔白が証明されたのは良かったと思います。「無罪」を告げる判決文の中には「58年前の裁判のときに検察側が証拠として挙げた3点は、いずれも検察側が捏造したものであった」と認定している一文もあり、これが「袴田氏、無罪」の論拠になるものであるが、当該裁判の後で開かれた検事総長の記者会見で、検事総長は長年に渡って袴田氏を刑務所に入れておいたことを謝罪する言葉を口にしたものの、判決文の中で「検察側が証拠を捏造した」との文言があるのは遺憾だ、というようなコメントを述べたのは、全くの「蛇足」であった。なぜ「検察側の捏造」と判断されるのか、判決文を読めば分かることであり、判決に「不服」があるのであれば控訴して争うべきなのに、「客観的に捏造は明らかなので」それはしないで、「遺憾です」と発言することで「本当は自分たちは間違ってはいないのだ」と、印象操作を狙っている。「見苦しい」とはこのことだ、と思いました。
2024年10月26日
今年の夏に、内閣府が「都会に住む女性が結婚を機会に地方に移住するときに、政府から『移住支援金』を支給する」という案を発表したところ、SNSなどで「女性をお金で動かすのか」という批判の集中砲火を浴びたため、直ちに撤回するという一幕があった。朝日新聞・岡林佐和記者は、ことの顛末を同紙10日の夕刊に、次のように書いている; 霞が関の8月末は、来年度の予算を要求する時期。各省庁がどんな課題意識を持ち、新たにどんな政策で挑もうとするのか。要求にはその輪郭が浮かび上がる。今年、思わず耳を疑う政策が飛び出した。内閣府が打ち出した、女性に限定した「移住婚」の支援だ。 結婚をきっかけに東京圏から地方に移住する女性に「移住支援金」を出すという案だ。現行の制度を拡充し、新たなメニューをつくるという。 「移住婚女性に60万円支援検討」。そんな見出しで報じられ、「女性をお金で動かすのか」などと、SNSを中心に集中砲火を浴びた。それに懲りたのか、すぐに事実上の撤回に追い込まれた。 内閣府は、なぜこんな政策を思いついたのか。報道各社に対する説明では、地方の15~49歳の未婚者は、男性の数が女性に比べて多いと指摘。女性が都会に移り住んだからだとして、それを解消するために発想したという。東京都を除く46道府県の未婚者は、男性1100万人に対し、女性は910万人だとするデータも紹介された。 霞が関かいわいでは、「60万円と(低い額で)報じられたせいで批判され、せっかくの政策がだめになってしまった」と嘆く声があったという。実際のところ、金額は現行制度の最大60万円より大幅に積み増すイメージだったようだ。 だが、問題は金額の多寡ではない。地方に男性の数が多いからと、彼らにあてがうために、お金で女性を動かそうとする発想じたいが、女性の尊厳を傷つけている。 人口減を食い止めたいとする問題意識の背景に、女性を、結婚して子どもを産む「母体」として捉える発想も透けてみえる。果たして、政策を立案する人々の間で、問題の本質が理解されているのだろうか。 そもそもなぜ、地方から若い女性が出ていくのか。内閣府は5月、男女の賃金格差の大きさが、女性の流出につながっている可能性があるとの資料を示した。 地方には、女性に補助的な業務を割り当て、昇進機会も乏しいといった差別的な慣行や風習がより色濃く残る。集めた税金を投じて女性の行動を変えようとするより、差別を解消する道筋をつけるのが、政府の仕事ではないだろうか。 石破茂首相は就任会見で「女性の人権が尊重される」社会をめざすと述べた。アベノミクスの「女性活躍」とは異なるアプローチを期待したい。(経済部) *<おかばやし・さわ> 千葉、秋田総局を経て、東京経済部で省庁や民間企業などを担当。ジェンダー平等をめざすキャンペーン「ThinkGender」に立ち上げからかかわり、男女共同参画政策をライフワークとしている。2024年10月10日 朝日新聞夕刊 4版 9ページ 「取材考記-地方の男女格差、まず解消を」から引用 この記事が言うように、地方に住む男性と結婚するために都会から移住する女性に現金を支給するという「案」は、思いついた官僚にしてみれば「名案」だったかも知れないが、当の女性にしてみれば「お金」で釣ろうという魂胆が見え見えだから、SNSで「集中砲火」を浴びるのは当然だったと思います。それを「60万円という低い金額で報道されたから批判された」などと言うのは、なぜ批判されたのか、問題の本質を理解できていない証拠だ。そもそもは、農業従事者の生活レベルが都会並みとは言わないまでも、兼業しないで生活できる程度であれば、若い女性も農業を手伝いながら結婚相手にめぐり合う機会もあっただろうに、政府の農業政策の失敗によって「農業だけでは食っていけない事態となっている」という大問題が存在しているのである。その上、この記事が訴えるように「男女間の賃金格差」や女性差別による賃金格差、昇進機会の乏しさ等々、都会でも克服できていない「問題」が、地方ではより深刻な状況となって存在しているのですから、政府の政策立案者は、わが国の「農村の実態」をよく観察してから、より適切な政策の立案に取り組むべきではないかと思います。
2024年10月25日
自民党総裁に就任した石破茂氏は「日本人の人権は国家が国民に付与したものだ」という国賦人権説を信奉する政治家であるということを、元文科官僚の前川喜平氏が6日の東京新聞コラムで紹介している; 2013年ごろ、文部科学省の官房長として自民党の石破茂幹事長に何かを説明に行った際、石破氏が日本の憲法では天賦人権説を採るべきでないと語るのを聞いて驚いたのを覚えている。 天賦人権説とは、人権はすべての人が人であるがゆえに生まれながらに当然に有する権利だという思想だ。これは世界人権宣言や国際人権規約の基本的な思想だ。ところが、それは日本には当てはまらないという。日本において人権とは、国が国民に与える権利だというのだ。 確かに、12年4月の自民党「憲法改正草案」の「Q&A」には、国民の権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で生成されてきたものだから、現行憲法の天賦人権説に基づく規定は改める必要があると書いてある。 この「国賦人権説」によれば、国民ではない外国人には人権がないことになる。また、国の都合で「公益」や「公の秩序」を理由に人権を制限することも許される。さらに国は国民に人権を与えると同時に義務も課す。国民の人権と義務は表裏一体なので、義務を果たさない国民は人権を主張できない。国民の最大の義務は国を守る義務だ。国が戦争を始めたら、国民は戦場で戦わねばならぬ。それが人権の代償だ。 石破首相が目指す改憲は、こんな人権観に依拠する、危険極まりないものなのである。(現代教育行政研究会代表)2024年10月6日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-石破茂氏の国賦人権説」から引用 国賦人権説というのは、石器時代の人々が聞きなれない言語を話す他の部族の襲撃を受けたときに、団結してムラをまもろう、などと言って暮らしていた時代の「ムラの掟」が、何時の間にか大和朝廷に受け継がれて、明治維新の後に朝鮮半島から中国大陸への侵略に乗り出したときに、国民を戦争に動員するのに都合が良いというので始まった「説」と思われます。しかし、福沢諭吉などは、欧米の新しい思想を紹介する書籍で「天賦人権説」を解説していたと思います。日本人の人権は国家から与えられたものだ、などとんでもない間違いです。我々は、この世に生まれたその時から「人権」を持っているのであることは、憲法に明記されており、これを変更するということは、許されないことです。「権利」と「義務」は同等のものではありません。我々は生まれながらにして「人としての権利」を持っていますが、例えば納税の「義務」を果たせるかどうかは、それぞれの国民の経済的事情に依るのであって、いつでも必ず果たせる「義務」である保障はありません。また、我々国民は「誰によっても侵されることのない人権」をもっているのですから、国家が外交上のミスでうっかり他国と戦争を始めたりしても、そんな戦争に命がけで「協力」するかしないかは、個々の国民が自主的に判断する問題であり、例えば、私だったら「この国に、自分の命をささげるほどの恩義はない」との理由で戦争に協力する気はありません。もし、国家権力が武装して私に戦争協力を強制しようとするなら、こっちも武器を持って「わが身の自由」を守るために戦います。このように天賦人権説は、人がよって立つ基盤ですから、それを国家が勝手にできるように変更するなど、あってはならないことです。
2024年10月24日
歴史学者で前法政大学学長の田中優子氏は、第1次安倍政権が国会でろくな議論もしないうちに数の力にものを言わせて教育基本法を改悪し、愛国心教育などという時代遅れの項目をねじ込んだために、それ以降の日本は中国に似てきたと、6日の東京新聞コラムに書いている; 9月29日に「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」は4回目のシンポジウムを開催した。題名は「政治ホラーが進行する日本の教育」である。映画『教育と愛国』の監督、斉加尚代さんが講演してくださった。まずは、映画と書籍の中でも語られているこの質問だ。正しい挨拶は次のどれでしょう?(1)「おはようございます」といいながらおじぎをする。(2)「おはようございます」といったあとでおじぎをする。(3)おじぎのあと「おはようございます」という。 小学校2年生の道徳の教科書に書かれているこの質問の正解は2番であるという。知らなかった! 「誰が決めたのでしょうね?」という斉加さんの問いに会場は笑いに包まれたが、同時に「恐怖」を感じた。ここには、国家が求める「あるべき日本人」像が形として示されている。 ◇ ◆ ◇ 第1次安倍政権下の2006年に教育基本法が改正され「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度を養うという条項が書き込まれた。愛国教育という理念はそのころから強くなうたのだが、このことに私は不思議な感覚を覚えている。それは、日本は第2次へと続いた安倍政権下で中国に似てきた、ということだ。中国では愛国教育が盛んである。 教育基本法改正後から教科書の記述も難しくなった。それでも「学び舎」の歴史教科書は関東大震災を素材に「いわれなく殺された人々」を取り上げ、それを使った教育事例は見事に「考える力」を子供たちの中に生み出している。なぜ虐殺されたのか?を問い、子供たちの答えに反論や疑問をぶつけることなく、十分に考えさせているのだ。その「学び舎」の歴史教科書を採択した学校に松浦正人山口県防府市長(当時)が採択中止を求めるハガキを何十通も送ったことについて斉加さんがインタビューしていたが、なんと彼はその教科書を読んでいなかった。安倍晋三元首相を敬愛するあまり、その意向に従ったらしい。ここには権威崇拝がある。自分を信じるのではなく、権威を信じるのだ。 ◇ ◆ ◇ 愛国を言う人々の価値観は権威、礼、徳、忠、孝、家族、祖先など儒教的だ。儒教は中国の思想である。日本国は漢字の導入によって成立し、江戸時代では学問から教育に至るまで中国の四書五経が中心となった。漢詩文が庶民にまで浸透し、文学が中国文学の翻案から生まれた。日本の研究をした国学者たちは儒教を批判したが、しかし明治維新を起こした藩士たちの基本的教養は儒教で、結局その流れの中で教育勅語は「忠孝」という儒教理念を柱にした。日本がようやく中国の大河から離れて日本独自の国になったのは、戦後憲法をもったからである。そこから見ると、今の愛国者たちは中国という大河の中に戻ろうとしている。旧統一教会の「御父母様」と家族と祖先崇拝も儒教である。 愛国教育を進める人々は、歴史上の事実に向き合うことを「自虐」という。事実を目の前から消して自己陶酔することを「誇り」という。自分は個人ではなく日本という権威の一部で、日本が傷ついたら自分が傷つくからだろう。中国に回帰したこの日本が中国と向き合えば、自慢と攻撃の応酬という関係に陥る。とても心配だ。2024年10月6日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-愛国教育」から引用 「おはようございます」と言うのとお辞儀をするのと、どっちが先か、などというのはどっちでもいい話で、一日の始まりに人に会って挨拶をするのは「今日もよろしくお願いします」という互いの意志を確認できればそれでいいだけのことだ。それを一律に型にはめて、無用なルールを作り上げるのは、上に立つ者が下位の者に序列をつけて支配し易いシステムにしようという「魂胆」があってのことで、民主的な社会を作り上げる上では何の役にも立たないシロモノと思います。日本は大和朝廷が発足した時代から江戸時代を経て中国や欧米との戦争に敗れるまで、中国を発祥の地とする儒教文化の中で暮らし、戦後の憲法によってようやく儒教文化から離れて独自の日本文化を育んでいこうとした矢先に、またぞろ中国文化の「大河」に戻るというのは、歴史の必然なのか、一時の気の迷いなのか、ここは冷静に考えるべきだと思います。
2024年10月23日
2019年の参議院選挙時に広島選挙区でおきた自民党議員による大規模な買収事件を取材した経緯をまとめた単行本が、この度文庫化されることに因んで、ライターの武田砂鉄氏は5日の毎日新聞に、次のように書いている; 自民党の裏金問題が明らかとなり、その常習性が疑われたが、当事者たちは、知らなかった、みんなやっていたなどと幼稚な言い逃れを続け、党内でまかり通っていた悪事を隠し通そうとしている。 2019年の参議院選挙時に広島選挙区で起きた、自民党衆議院議員・河井克行が妻・案里を当選させるためにばらまいた裏金は、実に2871万円。結果的に河井夫妻は立件されたが、その原資は何か、6選を目指す自民党の現職がいるにもかかわらず、新たな候補をぶつけたのはなぜか。裏金の存在と党の意向を重ね合わせると、党の重鎮たちの顔が浮かび上がった。 選挙区で配られた自民党の機関紙『自由民主』号外には、「だから河井あんりさん」と銘打って、安倍晋三・菅義偉・二階俊博の顔写真とメッセージが並んでいた。 『ばらまき 選挙と裏金』(中国新聞「決別 金権政治」取材班著・集英社文庫・1100円)は、広島の地元新聞社が地道な取材を続けた結集である。21年に単行本として刊行された作品の文庫化だが、6章分か増補されている。 週刊誌や全国紙に地元の事件のスクープをすっは抜かれた悔しさを跳ね返すように、遂に「安倍晋三をはじめとする当時の安倍政権の幹部4人が主犯の克行に現金6700万円の裏金を提供したという疑惑」の証拠をつかむ。 それが、検察が押収した克行とみられる筆跡による「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と晝かれたメモ。このメモをもとに甘利明を取材するとあっさり認めたが、うっかり口をすべらせたのか、以降は取材に応じなくなった。 取材班のひとり、荒木紀貴が「おわりに」でメディアのあり方を問うている。自分たちが取材を続けたのは、報道が沈静化して「終わった事件」のようになっても、「買収資金の出どころが解明されていなかったから」だと。そこに疑問が残るのならば、その疑問を問い続ける。毛細血管から忍び込み、逆流しながら心臓にたどり着いたような、総力取材に引き込まれる。(ライター)2024年10月5日 毎日新聞朝刊 13版 13ページ 「今週の本棚-話題の本」から引用 この記事が指摘している2019年の参議院選挙・広島選挙区で起きた買収事件は、安倍晋三・菅義偉・二階俊博・甘利明らが、内閣機密費から違法に支出したカネを河井克行に手渡したもので、実は広島選挙区には、自民党広島県連が決めた「6選を目指す」ベテラン候補者がいたにも関わらず、河井案里候補を無理やり立候補させたのは、実は「6選を目指す」ベテラン候補という人物は、政治家としてはまともな見識をもった人物であったので、安倍晋三のような世襲議員で「政治のことをよく知りもしないで、一丁前のような態度」をとることが見るに耐えなかったらしく、ことあるごとに実に鋭い「安倍批判」をする人物だったために、そのことを根にもった安倍晋三が故意に、その「ベテラン候補」に「河合案里」をぶっつけて「ベテラン候補」を落選させたのであったが、実際には安倍晋三らからカネを受け取ってばらまいた河井克行は逮捕されて、裁判の結果「有罪」となり、判決どおりに服役して、最近刑期を終えて出てきたはずであるが、カネを出した側については、そのカネがどこから出たものか、という点については、誰も何も言わない。甘利明氏は、うっかり口を割りそうになったのであったが、とっさに「これはヤバい」と気付いて、それ以降は取材に応じなくなったというのであるから、日本の民主主義を少しでもまともな「道」に戻すためには、自民党の悪事はこのままうやむやにしておくのではなく、徹底解明する必要があります。
2024年10月22日
今年の5月に自民党の有力者がひそかに会合を開いて「このままでは岸田総裁の続投はない」など、先行きを話し合って「次は、石破でどうか」ということになった経緯を、毎日新聞編集委員の伊藤智永氏は5日の同紙コラムに、次のように書いている; 4月に三つの衆院補欠選挙で自民党は全敗した(二つは不戦敗)。「全敗したら岸田文雄総裁の再選もないな」。3月に小泉純一郎元首相との酒談議で、そんな見通しを語り合った山崎拓元副総裁は、石破茂氏が次の総裁にふさわしいと考え、行動を起こす。 「石破総裁を実現する会」創設メンバーがひそかに集まったのは5月7日。これぞと頼む議員10人に声を掛けたが、出席は村上誠一郎、中谷元両氏らわずか5人。 議員の1人が石破氏に尋ねた。「岸田氏が幹事長にするから協力してくれと言ったらどうする」。その頃、岸田氏は面従腹背のあからさまな茂木敏充幹事長を更迭し、政権延命を図るのではないかとの観測が流れていた。 ところが石破氏は自分で答えず、山崎氏に「どうしたらいいと思いますか」と振った。山崎氏は「受けたらダメだ。弱気になるな。総裁選に出るべきだ」と励ましたが、石破氏は迷っていた。 1週間後、小泉氏と酒席を共にした山崎氏は念押しした。「息子(進次郎氏)が総裁選に出ないのは本当か」。「出さない」と小泉氏。「それなら今から石破を呼ぶぞ」。石破氏は小泉内閣の元防衛庁長官である。「構わんよ」。酒宴も半ばを過ぎた頃、石破氏が加わった。小泉氏は石破氏に総裁選に臨む心構えを説いた。 「総裁になるには、才能と努力と運が必要だ。努力の中では義理と人情を大切にするといい」 石破氏は「当面、岸田政権を支えることに徹します」と答えるばかり。まだためらいがあった。 6月下旬、国会閉会。7月4日に福岡市で、今も山崎氏を慕う地元支援者向けの講演会に石破氏が招かれた。会費1万円。普段は聴衆150人ほどだが、この日は約500人も集まった。 それでも石破氏は「出る」とは言わない。代わりに山崎氏が「次期首相候補に石破茂を推す」と宣言し、「政界随一の防衛通で、首脳外交をこなせる頭脳と胆力の持ち主」と持ち上げた。 8月14日に岸田氏が総裁選に出ないと記者会見した。10日後、石破氏は出馬表明したが、推薦人20人はなお微妙だった。創設メンバーの初会合に顔を出した5人ですら、3人は他候補支持へ転じたくらいだ。最後の20人目は、山崎氏が昔の人脈で口説いた。 第1回投票で石破氏の議員票は、進次郎、高市早苗両氏の約6割しかない46票。それでも陣営は「よくぞ伸びた」と感無量だった。「村上、中谷、岩屋毅、赤沢亮正4氏は絶対入閣だ」。山崎氏は何度もクギを刺した。(専門編集委員)2024年10月5日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-初めに石破氏を担いだ人」から引用 これは中々興味深い「裏話」ではあるが、しょせん日本の政治はこの程度なのだとがっかりする話でもある。次の政権をどうするかという高度に専門的な「話題」の割りには、世襲が当たり前という「前提」の上での話で、政治的なレベルは「明治維新前後」と大して変わらない。そこへ持ってきて石破茂という政治家も、普段口走っている「大言壮語」は、それなりの政治的見識に基づいた政治家としての発言と思って、世間の大半の者は聞いていたはずであるが、どうも今となって振り返ってみると、これも高校生が机上で組み立てた程度の「思いつき」程度の発言に過ぎず、「アジア版NATO構想」などと言ってはみたものの、中身は何もないので、首相就任早々に出席した国際会議の場などで披露など出来るはずもなく、がっかりの上塗りである。岸田ではダメだからと言って降ろしたのに、後釜がこれでは、大した改善は望めないのだから、国民はこの際覚悟を決めて、政権交代に賭けるしかないと知るべきです。
2024年10月21日
現在の日本社会にはどのような「問題」が存在し、公示された総選挙では我々はどのように投票するべきか、元文科官僚の前川喜平氏は、9月29日の東京新聞コラムに次のように書いている; 27日、奈良1区市民連合主催の「市民と野党の共闘で政権交代」を訴える集会に招かれ、次のような内容の講演をした。 日本社会の危機的状況の背景には、(1)國體(こくたい)思想に裏付けられた国家主義の台頭、(2)弱肉強食の新自由主義の蔓延(まんえん)とトリクルダウンを見込んだアベノミクスの失敗、(3)大企業が金で政策を買い政治家が金で票と世論を買う金権腐敗政治、(4)米国への従属、特に憲法を曲げてまで行われる米国への軍事的従属と空前の軍拡、(5)政権への権力の集中と人事院、日銀、NHKなど独立機関の独立性の喪失、(6)メディアや教育・学問の自由への抑圧などがある。これを覆すには政権交代が必要だ。 集会では、奈良1区市民連合のほか、共産党、社民党、新社会党、れいわ新選組ボランティアチーム、みどり奈良など立憲主義の野党関係者が登壇し、政権交代を訴えた。立憲民主党からはメッセージが届いたが、代表者の出席はなかった。 参加者が共有していた不安は、野田新体制下の立憲民主党の共闘への姿勢だ。集会アピールには「野田佳彦新代表による・・・『安保法制容認』発言に、市民と野党に不安が広かっています」「立憲民主党には、これまでの立憲野党間で合意した『安保法制廃止』の立場に立つよう強く求めていきます」とあった。市民連合は市民と野党の共闘をあきらめてはいない。(現代教育行政研究会代表)2024年9月29日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-共闘をあきらめない」から引用 前回までの共産党を含む野党共闘は、とりあえず「強大な与党の圧政を止めさせる」という目的のために協力するもので、それぞれの党派が最終的な「目標」とする政策の実現にはまだ時間があるから、そのタイミングが到来するまでの「時間」は、目の前の「与党の圧政」を阻止するために協力しようというもので、それなりに効果を発揮しつつあったと思いますが、今回は、自民党に対する「逆風」がことのほか強く吹いていると判断した立憲民主党の「野田・小沢」グループは、共産党との間に距離を置くことによって、より有利に「自民党批判票」を取り込めるハズ、という「作戦」に出たもののように見受けられます。果たして、「野田・小沢」グループの作戦どおりにコトが進むのかどうか、今月27日の投票結果が見ものです。
2024年10月20日
今年の1月に、経団連は「提言」と称して「労働基準法を骨抜きにして、より安い賃金で労働者をこき使うことが出来る制度を作ろう」と言い出しており、近々厚労省の専門部会で議論が始まるものと思われますが、全国労働組合総連合事務局の伊藤圭一氏は、9月29日の「しんぶん赤旗」で経団連の「提言」を、次のように批判している; 経団連は「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」(1月)を出しました。労働基準法について「画一的な規制で、多様な働き方の実現が難しい」「労働法全般が詳細・複雑化しており、労使双方が正しく理解し活用することの妨げ」だと批判。「法制度はシンプルに」、規制の細部は「職場実態をよく知る労使」に委ね「労働時間規制のデロゲーションの範囲を拡大」するよう制度見直しを求めています。 「デロゲーション」とは「原則の逸脱、適用除外、例外の容認」という意味です。経団連は「労使の合意により、労働(時間)法制の原則的規制を適用除外し例外を認める仕組みを拡大せよ」と求めているわけです。 * * * 現行法にもデロゲーションはあります。例えば1日8時間・週40時間の原則に対し、労使協定(36協定)を結べば時間外・休日労働が可能となるほか、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ制度)も例外規定です。 ただし、乱用を防ぐため対象業務・職種を限定したり、現場の働き方の実態をふまえた協定となるよう、事業場ごとの労使協定の締結や所管の労働基準監督署への届け出などの手続きを設けたりしています。協定を結ぶ労働者の代表を、現行法は従業員の過半数を組織する労働組合か過半数代表者に限っています。 経団連の狙いは、使用者の思い通りに適用除外を広げ、労基法を解体することです。 現場の実態をふまえ事業場ごとに規制、労使協定締結を行ういまの仕組みを壊し、本社主導に変えることが一つです。さらに、労働者合意をとりつけるための新組織「労使協創協議制」の創設、社員親睦会の合意への法的効力の付与を求めています。親睦会の合意は使用者側の意に沿うものとの批判があり、現行法では無効です。 デロゲーションの拡大による労働基準の多様化・柔軟化は、憲法27条2項(勤務条件法定主義)にも、労基法(特に1条2項=労働関係当事者による労働条件の改善努力)にも反しています。労基法は守るべき最低基準であり、下回ることは原則として許されません。労使は労働基準を上回る労働条件への向上に努力するものとされ、そこにこそ、労使自治の本来の意義があります。 * * * 労働条件が低すぎることが日本経済の後退の原因であることを経団連は直視し、規制緩和方針を撤回するべきです。今必要なのは労基法の厳格な運用、安易な例外規定の撤廃と労働時間の原則の強化(1日7時間・週35時間の法定化)、法の適用対象の拡大(フリーランスの乱用規制)、法の履行確保のための労働基準行政の充実です。 日本政府は労働時間に関するILO(国際労働機関)条約を批准できていません。過労死の根絶、ジェンダー平等、少子化対策の視点からも、労働時間の規制を強め、男女ともに自由時間や子育て、介護の時間を確保できるようにすることが求められています。<いとう・けいいち 全国労働組合総連合事務局>2024年9月29日 「しんぶん赤旗」日曜版 24ページ 「経済・これって何-『適用除外』広げ、労働法制を骨抜きに」から引用 この記事は正論を述べていると思います。資本主義経済はテクノロジーの進歩によって生産性を向上させ、新商品の開発によって利潤をあげるべきところ、人件費を削減して利益を出すというのは、経営方針として「邪道」というものでしょう。「失われた30年」は、日本資本主義が正しい発展の道を踏み外して労働者の得るべき利益を経営者が横取りしたために、消費活動が低迷し経済活動の縮小という結果を導いたものであり、そのような因果関係を顧みることなく、更なる「労働搾取」を試みるなどとは、鬼畜の仕業というほかありません。日本資本主義の再建のためには、先ず労働環境の「国際標準化」が必要だと思います。そのためには、始めに「労働時間に関するILO(国際労働機関)条約を批准」が求められると思います。
2024年10月19日
イスラエルによるパレスチナへのホロコーストが、いつ終わるとも知れず続いている現状について、文筆家の師岡カリーマ氏は、5日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 中東の戦火がレバノンなどに拡大する様相を見せ、国際的な関心がそちらに注がれる中、パレスチナへの攻撃も続いている。ガザの保健当局は先月、昨年10月7日から今年8月31日までにイスラエルの攻撃で死亡した人々の名簿を公表した。死者は若い順に掲載され、O歳は710名。18歳以下の死者は11983名で、1歳児も2歳児も0歳児と同じような死者数だ。掲載されるのは遺体の身元が特定された死者だけで、実際の数は倍近いともいわれる。 死者の数は、軍事攻撃の激しさと、それがいかに無差別に行われているかを示す。その数だけの命と人生と名前と家族がある。でも死者数を超える重傷者、そして今も極限状態にある生存者の救済は急務だ。心身に傷を負い、学ぶ権利を奪われ、生活基盤を破壊され、健やかに成長する可能性を侵害され、それでも生きている子どもたちの惨状は、人類の、そして何よりも、普段は人権擁護を謳(うた)う先進国諸政府の、恥である。 リュックを背負い、鳥かごを手にした10歳ぐらいの少女が、徒歩での長距離移動中にアラビア語メディアの取材に応える映像を見た。「このインコといると安心する。避難はこれで3回目だけどいつも一緒。生きている限り一緒、死ぬ時も一緒なんです」。そう答える表情に憎しみや怒りはなく、凛(りん)とした威厳さえ感じられた。(文筆家)2024年10月5日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-そして攻撃は続く」から引用 今回のガザの武力紛争が最初はハマスによるイスラエル市民に対するテロ攻撃であったにしても、イスラエル軍の暴虐はもはや「自衛」の域をはるかに超えており、あからさまなパレスチナに対するホロコーストになっている。日ごろから人権擁護を標榜する先進国は、このような事態に対してリーダーシップを発揮するべきなのに、アメリカ政府などはつい最近もイスラエルに対して莫大な経済援助を決めて、パレスチナへのホロコーストを後押しする始末であり、「恥を知れ!」とはアメリカ政府のためにこそ相応しい言葉である。
2024年10月18日
日本にもアメリカ同様に、政治家の政治資金収支報告を義務付けた法律が存在するのだが、アメリカと日本の「政治資金の公開」には、実は「雲泥の差」があるのだと、朝日新聞記者の野口陽氏が3日の同紙夕刊に書いている; 日本の政治資金の公開が、いかに遅れているか。夕刊連載「現場へ!」で、「見えないカネ」と題して取り上げた。 自民党派閥の裏金作りは、遅くとも十数年前から続いてきた。発覚したのは、政治資金収支報告書の記載漏れを「しんぶん赤旗日曜版」が報じたからだ。 報告書は全ての政治団体が公開を義務づけられている。派閥のパーティー券を買った団体が購入額を報告書に記した一方、派閥側は販売収入を記載していないケースが多くあったのだ。 もっと使いやすい公開制度なら、不正はより早く見つかったのではないか。米国留学時に現地の制度を見た経験から、そう思う。 米国では、政治家の収支をチェックすることは簡単だ。連邦選挙委員会のウェブサイトには議員ごとの収支がまとまり、献金者の名前や寄付額が公表されている。NPOのサイトに飛べば、各議員の収入額の推移や主な献金業界など、さらに深い分析がされている。 そうしたデータを誰でもスマホで簡単に見られ、メディアは報道に生かす。 日本でも国や地方がウェブで報告書を公開しているが、米国に比べると状況は大きく遅れている。 「格差」の要因は公表データの形式の違いだ。米国は、ウェブ上でテキストの検索や数字の集計などの処理ができる「機械可読」の形式だ。日本では、ほとんどの政治団体が機械可読なデータで報告書を作るが、提出する段階で紙にしたり、国などがウェブ公開の際にPDF画像にしたりする。そのため機械可読でなくなり、処理がしづらい。 さらに米国では、連邦議会議員の収支に関するデータが国に集まるが、日本は政治団体のデータが活動地域に応じて国と各都道府県にバラバラに保管されるため、議員ごとに集約しにくい。米国はデータを永久保存するが、日本は3年で廃棄してしまう。 日本は公開制度の建て付けが悪いため、民間団体やメディアはデータの収集や保存に労力をとられ、分析にまで手が回らないのだ。 見直しは難しいことではない。報告書を機械可読なデータのまま1カ所に集め、最低限の加工だけ施して公開すればいい。 裏金事件後に政治資金規正法は改正されたが、公開制度の改善については進展がほぼなかった。誰が政権を担おうと、現状の甘い制度は不正の温床となり続ける。ほおかぶりを決め込む政治家たちを、有権者はどうして信用できようか。(経済部) *<のぐち・よう> 関西の経済を取材。政治とカネの問題には10年以上前から関心。2018~19年に休職して米国留学し、政治資金制度を研究した。日米の制度を比べた英文リポートは、X(旧ツイッター)アカウント(@ngcyh)に。2024年10月3日 朝日新聞夕刊 4版 7ページ 「取材考記-政治資金、分析可能な公開を」から引用 アメリカはさすがに民主主義先進国だけあって、アンフェアは許さないというコンセンサスが社会に共有されているのだと思います。その辺が、日本の場合は韓国と違って、人々が自らの努力で勝ち取った「民主主義」ではないため、政治家にカネを出すということはイコール「わいろ」という認識が「悪代官と越後屋」の時代から世間に共有されているので、アメリカだったら正々堂々「自分はこの政治家を支持する」と宣言して政治資金を提供するので、社会に対しても堂々と「これだけの金額を献金しました」と言えるわけです。しかし、日本の場合は、企業が仕事をスムーズに進めるために政治家に同じように献金をするものの、そのことを世間に知られたくないので、なるべくこっそり進めたいわけで、政府もその辺を理解して、当人が「機械可読なデータで報告書」を提出してきても、それをホームページに公開するときは、政府が気を利かせてわざわざ機械処理が面倒くさいPDF画像にするなどという姑息な手段を弄している。国が自民党に対する気の使いようは尋常ではありません。しかし、私たちの日本は、一時はアメリカにつぐ世界第二の経済大国になった「実力」を持つ国柄なのですから、政治資金の明快さについても是非アメリカにつぐ「政治資金公開制度」を確立するべきだと思います。
2024年10月17日
朝日新聞のインタビューに応じたイスラエルの若者の発言が、1日の朝日新聞に掲載された; 私はフランスのパリで生まれ、7歳だった2001年に親戚一同でイスラエルに移り住み、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸の入植地で育ちました。今年から、勤務地のテルアビブ近くで一人暮らしをしていますが、週末には入植地の実家に戻ります。 山の頂上部にある入植地には約400世帯が暮らしています。信仰心があつい住民が多く、みんなが助け合って、強い絆で結ばれていますが、安全とは言えません。 入植地の外で運転していると、対向してくるパレスチナ人の車から石を投げられるので、車の窓に防石用のガラスを使っています。待ち伏せされて、銃撃されることもあります。実際に亡くなった住民もいるのです。 昨年10月7日にイスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃した時に思ったのは、「もしパレスチナ人が来て、私を銃撃し始めたら、自分の身を守れない」ということでした。その後に銃を所持する免許を取り、常に拳銃を携行しています。 入植地の住民がパレスチナ人の村を襲撃したといったニュースは多分に誇張されていると思います。入植者のなかには暴力的で、社会に適合できず、土地にものすごく執着している若者たちがいるのは事実ですが、パレスチナ人からの攻撃への対応でもあるのです。 ここは私たちの国です。ユダヤ人にとってのイスラエルという国であり、その領内のどこにでも住むことができるはずです。私はパレスチナ人がこの地を出て行くべきだとは言いません。私たちを殺さないでほしいと思っているだけです。 入植地は国際法違反だと指摘されますが、現地の事情を知らない人たちに何を言われようと気になりません。イスラエルは紛争を管理し、最善の解決策を模索していると思います。ただ、(イスラエルと独立したパレスチナ国家が共存する)2国家解決について、イスラエル人はもはや選択肢とは考えていないと思います。「悪い隣人」をつくるようなものですから。<聞き手・其山史晃>2024年10月1日 朝日新聞朝刊 14版 9ページ 「イスラエル・パレスチナ市民の声 ガザ戦闘1年-私たちの国、どこでも住めるはず(ラヘル・シトルクさん 29才)」から引用 現在のイスラエルが存在する場所は、1947年以前にはパレスチナ人以外の人々は存在せず、イギリスの植民地ではあったが、そこに生活しているのはパレスチナ人であった。歴史を遡れば、紀元前200年頃にはユダヤ人の国家が存在したが、その後周辺のアラブ人の国と戦争をして勝ったり負けたりしながら、今から200年位前にオスマン帝国が成立してからは、ユダヤ人はこの地を去り、ロシアからスペインまでヨーロッパ一帯に移り住んでいたのであり、ユダヤ人が去った地域にはパレスチナ人が暮らすようになったのであった。それが第二次世界大戦の終了と同時に、シオニズム運動などという勝手な運動が始まって、ユダヤ人が戻ってきて「ここは元々我々の土地だった」などと言って、パレスチナ人の土地と家屋を略奪し始めて、現在のイスラエルが出来上がったのであるから、ユダヤ人に不当に家と土地を奪われたパレスチナ人がユダヤ人を目の敵にするのは、無理もない話である。ユダヤ人の若者が「ここは私たちの国だから、どこにでも自由に住めるはず」というのは、とんでもない間違いであり、上のインタビューに応じた若者は、パレスチナ人が何故、ことあるごとに自分たちに襲いかかろうとするのか、歴史的背景を考えるべきです。パリで生まれたのなら、そのままパリで平和に暮らしていれば良いものを、他の民族から暴力的に取り上げた土地を「入植地」などと称して勝手に自分のものにしておきながら、「どうしてパレスチナ人は自分たちに危害を加えようとするのか」などと言ってるのは、故意に歴史を無視した態度というほかありません。とても「信仰心があつい」人間のすることではありません。
2024年10月16日
昨日の欄に引用した朝日新聞のスクープに関する専門家のコメント記事の続きは、中央大学教授・中北浩爾氏の次のようなコメントを紹介している;■組織的関係否定の党主張に強い疑義 中央大教授(現代日本政治論)・中北浩爾さん 自民党は旧統一教会との組織的な関係はないと主張し続けてきた。今回の写真や証言は強い疑義を突きつけた。 当時は衆参の「ねじれ」解消を目指し、党として広く支持団体を求める動機があった。安倍氏は選挙に非常に詳しく、面談で組織票についてやり取りをした可能性も十分に考えられる。 面談で選挙支援が確認された自民党候補の北村経夫・現参院議員が、実際に教団友好団体の支援を受け、党本部に報告していたことが党の資料から発覚した。朝日新聞が報じた内容だが、党が北村氏の支援団体として教団を把握していたことを示す重大な証拠だ。 資料は、誰にどの支援団体がついているのか、選挙態勢を確認するためのもので、党の選挙対策本部で共有されていたはずだ。教団と安倍氏の個人的なつながりだけではなく、党とも組織的といえる関係があったことについて、言い逃れが難しい状況になった。 党は安倍氏が亡くなったことを理由に教団側との関係を調査してこなかった。だが、当時の選挙関連資料や宗教団体との面談記録、選対本部の関係者、北村氏、同席した萩生田光一衆院議員らへの聴き取りなどいくらでも調査ができるはずだ。 それでも岸田文雄首相は教団との関係について調査する考えはないという。党総裁選の候補者も一様に口を閉ざしていた。だが、党として調査することでしか、責任を果たすことはできない。一連の経緯を第三者委員会を設置して徹底的に調査し、うみを出し切るべきだ。<聞き手・高島曜介>■180議員、接点認める 2022年7月の安倍元首相銃撃事件を機に、自民党を中心に政治家と旧統一教会側との関係が明るみに出た。自民党は直後の9月、党所属国会議員と教団との接点について点検結果を公表。379人中179人(のちに180人に)が選挙支援や教団関連団体の会合への出席などを認めた。 自民党は教団との組織的関係を否定し続けたが、その後も教団側との接点が相次いで浮上した。岸田文雄首相が党政調会長だった19年、党本部で教団友好団体トップらと面会していたことが朝日新聞の報道で23年12月に発覚した。2024年9月30日 朝日新聞朝刊 13版S 27ページ 「安倍氏と教団 写真が示すのは」から後半を引用 中北氏のコメントは、実にもっともな話で、岸田首相(当時)は「安倍氏が亡くなっているので、これ以上の調査は不可能」などと中学生の思いつきレベルの、とって付けたような「理由」で、勝手に「組織的なつながりは無い」と決めつけただけの話だったのだから、自民党本部の総裁応接室での「記念写真」が存在することが明らかになったからには、石破首相は自分が「蚊帳の外」だったなどということは棚上げして、客観的な立場から、かつての自民党が統一教会とどのような関係を続けてきているのか、明らかにする必要があると思います。新総裁が覚悟を決めて、この問題の究明をしてこそ国民の信頼を回復できるのであって、それを怠れば、旧来の「安倍路線」はそのまま自民党内に温存されて、やがては「解党」の時を迎えることになるわけで、ここで石破総裁が奮起して「党改革」を実行できれば、末永く「党を救った偉人」として尊敬されることになるでしょう。
2024年10月15日
自民党の総裁選挙の最中に、朝日新聞は10年前の総選挙直前に当時の安倍首相が旧統一教会の会長らを招いて自民党本部の総裁応接室で面談し記念写真を撮影していたと報道し、その時の「写真」も一面トップに大きく掲載したのであった。その報道に続いて、9月30日の同紙は、その「写真」が何を意味しているのかという点について、2人の専門家の見方を紹介している。そのうちの1人である鈴木エイト氏は、次のように述べている; 安倍晋三首相(当時)が2013年参院選直前、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会長らと自民党本部の総裁応接室で面談し、選挙支援を確認していたとみられることを朝日新聞は写真付きで報じた。写真は何を示し、新総裁を選んだ自民党はどう対応するべきなのか。教団や自民党に詳しいジャーナリストの鈴木エイトさんと中央大の中北浩爾教授(現代日本政治論)に聞いた。■事件引責の教団会長招き入れた責任 ジャーナリスト・鈴木エイトさん 安倍氏と旧統一教会は親密だと言われてきたが、明確な証拠は安倍氏が21年に教団系のイベントに送ったビデオメッセージしかなかった。それだけにこの写真の持つ意味は大きい。 私は13年に教団の内部資料を入手した。安倍氏が教団側に、参院選に立候補している北村経夫氏への組織票を直接依頼したことを示しており、記事にしてきた。その伏線が今回の朝日新聞の記事や写真でようやく回収され、長年追ってきた、なかなか埋められなかった最後の大きなピースが埋まるかもしれないと思っている。 時代背景を考えると、この面談の問題性が浮き彫りになる。警視庁が09年6月、不安をあおり印鑑を売りつけたなどとして教団信者の会社社長を特定商取引法違反容疑で逮捕し、関係先として教団の南東京教区本部を家宅捜索。翌7月、教団の徳野英治会長は辞任を表明した。 徳野氏は12年12月に会長に復職したが、その半年後に自民党本部の総裁応接室で安倍氏と面談していたことになる。刑事事件で引責辞任した団体トップと党中枢部で会う道義的問題は看過できるものではない。 この面談のころから続く教団と自民党とのつながりがどうなっていったのか。一連の流れを、自民党は党として第三者委員会などを設置して徹底的に調査するべきだ。しかし、勝った石破茂氏を含め、総裁選では旧統一教会問題に言及する候補者は皆無だった。このままでは国民の信頼は得られず、総選挙で審判を受けるだろう。(聞き手・沢伸也)2024年9月30日 朝日新聞朝刊 13版S 27ページ 「安倍氏と教団 写真が示すのは」から前半を引用 自民党と統一教会の関係については、安倍氏の国葬の後で自民党なりの「調査」を行って、党員アンケートの結果、組織的なつながりは無いという「結果」であったと報告されたのであったが、この「調査」がかなりいい加減なもので、アンケート対象の党員が「自分に不利なことは回答しない」という「フリーハンド」が100%以上発揮されたのではないかと思われるような「調査」であったらしく、小さな「矛盾」がいくつかバレていたのであったが、朝日新聞がスクープした「自民党本部、総裁応接室」での記念写真は、それらの小さな「矛盾」をしのぐ大きな「決定打」と言える。石破首相が、真の愛国者であるならば、政権を担う「政党」に、このような不祥事があってはならないことは「百も承知」のはずだから、石破政権の下で改めて「自民党と旧統一教会との関係」について、岸信介氏の時代から今日までを逐一調べなおして、新たな事実に対しては必要な対策を実施するという「作業」に取り組むべきだと思います。
2024年10月14日
今年の夏に都会のスーパーの売り場から「米」が姿を消して大騒ぎになったとき、農村の実情を知らない一般市民にとっては「また新たな災害か」と思わされるような状況でしたが、実はこれは「天災」ではなく、自民党政権の農政に対する「無策」が原因で起きた事態であったと、農民連ふるさとネットワーク事務局長の湯川喜朗氏が、9月22日の「しんぶん赤旗」に書いている; 米不足が大問題となる中、米農家を苦しめてきた政府の「米政策」が厳しく問われています。 米不足や価格高騰の原因を正しく伝えるマスコミ報道はほとんどなく、ひどいものは「減反は価格つり上げのために生産者が選んだ」「減反をやめて自由に作り米価を下げていれば、こんなことは起きなかった」などと事実をゆがめています。 真の原因は、政府が「需要に応じた米生産」として生産調整を米農家の自己責任にし、備蓄に限定した買い入れしかせず、主食である米の需給に責任を持たない「米政策」にあります。 * * * アメリカの小麦をはじめ輸入穀物に依存し、食料の輸入自由化を拡大し、77万トンもの不要なミニマムアクセス米を輸入する一方で、国内で米を減産し続けました。この食料政策にこそ今回の事態の原因があります。 米の「減反」は政府の財政負担を減らすために1969年に始まったものです。ガット(関税と貿易一般協定)ウルグアイ・ラウンド開始の86年以降は生産者から政府が買い入れる価格を政策的に引き下げ、市場原理を導入し価格の上昇・下落リスクを生産者が負うよう仕向けてきました。”供給過剰の責任は生産者にあり、生産目標に合わせた生産調整を行え”としてきました。 このような政策的背景で、生産・消費に変動が起きた場合、生産者・流通業者・消費者が責任を負わされるのです。 2011年の東日本大震災・原発事故後に米が不足し、作付け増が求められました。作況は12、13年連続で102%となり、市場在庫を増やしました。 12年末に発足した第2次安倍内閣は、米戸別所得補償を廃止、豊作などにより生まれた在庫を無慈悲なまでに市場に放置しました。その結果、米価は暴落し、14年産米の農協の概算金(仮払金)は6千円台(60キロ当たり)にまで落ち込み、経営の将来を悲観し自殺者もでる事態となり、米農家の意欲も大きく減退しました。 * * * 20年からの新型コロナ感染拡大と政府の無策のために米価が暴落し、21年産概算金は生産コスト(約1万5千円)の半値でした。暴落を受けて政府は、さらに減産を迫り、年間需要を賄えない生産量にまで落ち込ませました。 古米在庫が減り、概算金は22、23年とも前年比1千~3千円程度上昇しました。 しかし、燃油、資材などの高騰、異常円安による物価高騰で21~22年の米農家の年間所得は1万円、時給はわずか10円にすぎません。農業物価指数(生産資材全体)は23年も過去最高を更新しました。 現在、米不足で米価は上昇しています。しかし破綻した「米政策」と冷酷無慈悲な自民党政治が続く限り離農は加速し、日本の食料生産基盤の崩壊を止められず、米不足と価格の乱高下が繰り返されることは必然です。米を再生産できるよう価格保障、所得補償を充実させることが必要です。<ゆかわ・よしろう> 農民連ふるさとネットワーク事務局長2024年9月22日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済・これって何-時給10円、政府無策で崩壊加速」から引用 昔の自民党には農村の「票」に支えられて議員になった政治家が多かったから、多分農村の実情をよく理解し、希望をもって農業に取り組むことができる環境を整えることに、政治家も気を配ったものと思われます。しかし、国の経済負担を軽減するために「農家に減反をやらせよう」と考えたときから、自民党は農業従事者に冷淡になったわけで、そのことには野党がいち早く気付いて「このままでは、近い将来、農村はとんでもないことになるぞ」と警鐘を鳴らして、農村の「票」を取り込み、「食料安保」を正面に据えた政権構想を計画するべきでした。食料生産は、国が成り立つための「基本」ですから、今からでも遅くはありません、農業従事者が希望をもって仕事に励むことが可能になるような環境を整備するための政策を打ち出して、日本の農業再建に取り組んでほしいと思います。
2024年10月13日
広島市の平和教育副教材から「はだしのゲン」が外されることになったとのニュースが伝えられたのは数か月前だったように記憶してますが、その件について9月21日の毎日新聞に、次のような読者の投書が掲載された; 5日本欄「『はだしのゲン』は色あせない」を読みました。私は「はだしのゲンをひろめる会」の会員で、広島で作者・中沢啓治さんの出版パーティーに参加し、サインをもらったことがあります。「ゲン」が広島市立小中高校の平和教育副教材から外されたことで、かえって話題になり、復刻版のマンガもコンビニで見かけました。 「ひろめる会」の総会でも、なぜ削除されたのかが話し合われました。理由はヤミ市などが教育上よろしくないとのことですが、本当は、町内会長といったえらい人が戦後、手のひらを返したように正反対のことを言い出したことが、マンガにはっきりと子供でもわかるように表現されているからではないでしょうか。 なぜ削除したのか、個人情報だとかの隠れみのを使わず、だれがどう発言したのか、はっきりさせるべきだと思います。それをしないといつのまにか、なし崩しに前と同じことが繰り返されます。2024年9月21日 毎日新聞朝刊 13版 9ページ 「みんなの広場-『はだしのゲン』削除理由は」から引用 この投書を書いたのは68才の男性ですが、まったく正論を述べていると思います。マンガ「はだしのゲン」は、国が戦争を始めると、社会のどのポジションの人間がどのような言動をするか、社会はどのように変わるか、いちいち細かく描写していて、歴史資料としても価値があり、マンガであるだけに子どもにも理解がしやすく、優れた教材であることは間違いないと思います。「戦後のヤミ市などが教育上よろしくない」などと言うのは、無理にとって付けたようなこじつけであり、戦争に負けて世の中が混乱すると、社会にはこんな現象も出てくるのだということは、子どもなりに理解するものであり、間違った受け止めをしないように指導するのが教育者の役目というものでしょう。町内会長に限らず、学校教員も政治家も、人前で大きな声で発言する者はみな、敗戦の前と後とでは明らかに「手のひらを反す」ような言動をしたという「事実」を我々は体験してきているのであり、そのような「体験」も後世の人々に継承していくことが、同じ過ちを繰り返さないために役に立つと思います。ところが、昨今の世の中の動きは、戦後の日本が積み上げてきた「平和への国民の意志」をことごとく蔑ろにし始めている。特に安倍政権のときから、妙な理屈をこねて集団的自衛権は憲法違反ではないだの、敵地攻撃能力も「専守防衛」の範囲内だとか、憲法9条を無視する姿勢を鮮明にしており、政府のそのような姿勢が、広島市に影響して「『はだしのゲン』を教材から外す」などという結果となって現れたのですから、その辺のカラクリを明らかにするためには、広島市教育委員会で、誰がどのような発言をして、どのような議論の末に「削除する」との結論に至ったのか、個人名を明らかにして事実関係を公表するべきであり、そうすることによって初めて、教材削除が妥当であったのか不適切であったのか、一般市民も自分事として考え、判断することが可能になると思います。
2024年10月12日
今年の東京都知事選挙で160万票も集めた石丸伸二について、評論家の佐高信氏は月刊「創」10月号に、次のように書いている; 『噂の眞相』で始まって本誌に移ったこの連載を『タレント文化人200人斬り』(毎日新聞社)にまとめる時、落とした何編かがある。色あせてしまったからで、その1人が春山茂雄だった。『脳内革命』がベストセラーになったが、いま、春山の名を記憶している人は少ないだろう。石丸もそうなると思われる。 1996年から4年ほど、東京工業大学の新入生歓迎会で講演した。石丸は当時の新入生とほぽ同じ年齢である。そのころは統一教会の原理研会の勧誘が盛んで、また、小林よしのりのファンが多かった。彼らに向かって言ったことを含めて私は春山をこう批判している。 「若い人には限らないが、単純さへのあこがれというのがある。複雑な思考をたどって自分で判断するのは面倒臭い(うざったい)から、バシッと決めてくれというもので、こうした単純教の若者たちに、小林のゴーマニズムは入り込む。キャンパスで、オウム(真理教)の力は衰えても、統一教会はまだ勢力を保っているが、信じてついてこいという点では、ゴーマニズムも統一教会も同じなのだ。もう一つ、若者を引き込みやすい宗教にエセ科学教がある。もっともらしい科学をよそおって、信者をたぶらかす教えである。『脳内革命』の春山のマホロバ教にそれは代表される」 統一教会やゴーマニズム的風潮に毒された石丸の自己は恐ろしいほど閉じられており、社会がない。端的に言えば独りよがり、独善である。 受験エリートの石丸は疑う力がなく、批判の重要性がまったくわかっていないが、大道芸サークルに入っていたので批判慣れしていると自己PRしているのには呆れてしまった。自己認識が修正しようがないほどズレている。 安芸高田市の市長になったのは、そこで生まれ、そこで育ててもらったから、恩返しをしようと思ってたというが、では、なぜ1期で逃げたのか。 『Hanada』の8月号に掲載された安芸高田の市会議員の次のような話のほうがよほど説得力がある。 「名を売るために1期市長になっただけ。この市に尽くすなんていう気などさらさらない。全国的に顔を売るチャンスを窺っていたところ、都知事選に目を付けたんでしょう」 「彼の4年間は完全な売名行為ですよ。1期で辞めるのも、早くから決めていたんじゃないですかね」 「石丸市長は、自分のことが書かれた気に食わない記事、あるいは記者会見の質問が気に入らないと、会社宛てに公開質問状を送る。新聞社はその対応に煩わされるから、記者に彼を刺激するような質問をやめさせ、あたり障りのない質問しかさせないんです。この市出身の都民で、都知事選で彼を応援する人なんかいないんじゃないかな」 少子化対策を問われて、一夫多妻制などと口走るのだから、政策を考えるアタマもない。そんな石丸にイカれて投票した都民こそ問題なのかもしれない。しがらみがないなどとほざいていたが、維新に推薦を求めたことはバレてしまったし、選挙対策本部の面々が自民党にいたベテランだったことも明らかになった。要するに旧勢力に操られたピエロだったということである。安芸高田の市会議員はこんな指摘もしている。 「地元の総菜屋さんから給食を納入させることをやめさせ、廿日市市から納入させるようにした。地元の商売を潰しているんです。廿日市の業者と個人的な繋がりでもあるのではないかと疑ってしまう」 部下が抗議の自殺をしてもやめない兵庫県知事の齊藤元彦と同じ維新系で同類だ。月刊「創」 2024年10月号 52ページ 「タレント文化人 筆刀両断-旧勢力に操られたピエロ・石丸伸二」から引用 数年前に「脳内革命」という文字列をよく見かけた記憶はあるが、それが春山茂雄という人物が書いたベストセラー本であるとは、この記事を読んで始めて知った。確かな政治観もなく、有名になりたいだけで都知事選挙に出た石丸伸二に対して、160万もの都民が何を期待して投票したのか、追及してほしいと思います。今わかっているのは、中国地方の片田舎から東京に出てきて選挙運動するにあたって、資金提供をしたのはドトールコーヒーの経営者で、選挙参謀は過去にかなりの人数の自民党議員を当選させた経験を持つ「選挙のプロ」と呼ばれるメンバーであったということで、要は自民党の「蓮舫つぶし」に利用されただけなのではないかと、そこまで追及してほしかったと思います。
2024年10月11日
朝日新聞の首相官邸担当である西村圭史記者は、9月25日の同紙夕刊に3年間の岸田政権について、次のように書いている; 2021年に始まった岸田文雄政権が、間もなく終わる。首相官邸の担当記者として今感じているのは、この3年間は安倍晋三政権の延長線上にあったのではないか、ということだ。 岸田氏は「俺は安倍さんもできなかったことをやった」と周囲に誇ったことがある。防衛費増額、原発推進、少子化対策、賃上げ――。安倍政権が掲げたものの成し遂げられなかった「宿題」を前進させたとの思いがあったのだろう。 「何がやりたいのか分からない」と評される岸田氏が目指していたものは、安倍氏を超えることであり、安倍氏との比較で自身の立ち位置を確認してきたのではないか。 外交では4年8カ月の外相経験を土台に、首脳外交を重ねた。23年3月にロシアの侵攻が続くウクライナを電撃訪問し、戦後最悪とされた日韓関係も改善させた。同年5月には地元・広島で主要7カ国首脳会議(G7サミット)を開催。日米同盟の強化も図った。 一方で、足元が大きく揺らいだのは、安倍時代の「負の遺産」がきっかけだった。安倍氏の死去をきっかけに、自民党国会議員と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側との関係が明らかに。また、党の派閥パーティーをめぐる裏金作りに関与した議員の多くは、最大派閥の安倍派だった。 安倍氏やその周辺への配慮、党内の反発への恐れからか、いずれも実態解明の取り組みは手ぬるく、対応は後手に回った。内閣支持率は低迷が続き、岸田氏の求心力も弱まり、退陣に追い込まれた。 岸田氏は党総裁選への立候補見送りを表明する前日の8月13日、周辺に「俺が総裁選に出なければ、誰が出るんだ?」と問うた。小泉進次郎元環境相、石破茂元幹事長、河野太郎デジタル担当相ら多くの個人名を挙げ、こう語った。「政治とカネの問題はまだ続く。この先も背負っていく覚悟が、彼らにあるのか」 総裁選には過去最多の9人が立候補し、党内は次期衆院選を見据えて「選挙の顔」選びに躍起となっている。しかし、新総裁に求められるのは、政治の信頼回復に向けた抜本的な改革だ。党内事情を優先し、国民が感じている疑惑の核心に迫れなければ、岸田氏と同じ轍(てつ)を踏むのは必至。政治が向き合うべき相手は、国民だ。 新総裁は今度こそ、政治の「次の時代」を始められるのか。取材を続けていきたい。(政治部) *<にしむら・けいし> 1984年、兵庫県西宮市生まれ。大阪社会部や厚生労働省担当を経て政治部。岸田文雄氏が首相になる前の2019年から担当として取材を続けてきた。学生時代に障害者の生活介助をし、社会保障への関心が強い。2024年9月25日 朝日新聞夕刊 4版 5ページ 「取材考記-退陣へ、岸田政権『安倍氏の影』との3年」から引用 この記事にも書いてある通り、岸田文雄という政治家は首相になっておきながら、首相として何をやりたいと思っているのか、さっぱり分からない人だった。したがって、23年3月にウクライナを電撃訪問したとか、広島でG7サミットを開催したと言われても、それがどんな成果を上げたのか不明で、岸田内閣の評価を高くする要員にはならなかったのが現実である。自分が退陣した後を継承するつもりの小泉、石破、河野の名を挙げて「この先も政治とカネの問題を背負っていく覚悟が、彼らにあるのか」と言ったそうであるが、自分にだってその「覚悟」がなかったから、うやむやに誤魔化そうとして、それが失敗して退陣する羽目になったわけで、まったく「話にならない」とはこのことである。 しかし、この記事もまた、結構、問題を抱えた記者が書いた記事のように想える。末尾に「新総裁は今度こそ、政治の『次の時代』を始められるのか」などと、そんなとぼけたことを新聞に書くべきではないと思います。裏金議員も、統一教会のおかげで選挙に勝った議員も、一部の極端な議員には「公認」を出さないとは言え、大部分の裏金議員、壺議員はそのまま次の総選挙に立候補して、愚かな有権者は彼らをまた当選させるであろうから、結局自民党は今まで通りの議員がまた寄り集まって、旧態依然の腐敗政治が繰り返されるのだから、もし朝日新聞が、日本の政治は「次の時代」へと進歩するべきだと考えるなら、「次の総選挙では、自民党に投票するのはやめて、野党に投票して政権交代を実現しよう」と一大キャンペーンを張るくらいのことをしない限り、「次の時代」は来ないと思います。
2024年10月10日
人類の歴史で、第一次大戦が終わった後にドイツではワイマール憲法が制定され、日本では「大正デモクラシー」と呼ばれる社会現象が現れ、人々はまさか第二次世界大戦が待ち受けているとは夢にも思わなかった、そういう時代に現代は似ているのではないか、との観点から、東京大学教授の遠藤乾氏は9月24日の朝日新聞で、次のように述べている;――今の情勢と戦間期の類似点は何ですか。 「一つはロシアのウクライナ侵攻のように、現状変更を求める勢力が武力を使って実力行使を始めていること。二つ目は民主主義国家が自滅・自壊し『自由』から逃走していくことだ。戦間期にもドイツはワイマール憲法、日本は大正デモクラシー、イタリアにも19世紀以来の自由主義の伝統があったが、それぞれナチズム、軍国主義、ファシズムに走った。『民主主義の春』のような時期があったが、自ら壊していく過程が現在の情勢と似ている」 「三つ目は、国際社会のブロック化だ。自由貿易を促進した英国が、1929年の世界恐慌を機にブロック化に転換していく。それに米国が対抗しようとし、フランスも独自の行動をとるなど、ブロック化が帝国の中枢を震源地に広がった。大恐慌後4年間で貿易は7割減り、失業・社会不安を招き、権威主義化を生んでいった。囲い込んで関税を引き上げるというのは、米国のトランプ前政権が実施した政策だ」――ブロック化が進むと紛争を誘発する理由は。 「国と国とは本来は相互依存の関係にあるのに人為的に高い壁を設けて遮断するのだから、当然いさかいが起きる。壁をつくったことによる失業者の増加と社会不安が、ポピュリズムのマグマを生む。それは戦間期との類似性との関連で無視できない現象だ」――逆に、戦間期との相違点は何でしょうか。 「世界秩序を牽引(けんいん)してきたリベラルな超大国・米国で民主主義が傷つき、右傾化が見られることだ。トランプ前大統領は2020年の大統領選の結果を受け入れず、議事堂襲撃を扇動し、数々の罪で起訴された。最高裁は大統領としての行為を免責する判決を下した。戦間期までの超大国・英国でファシズムに賛意を示す勢力はいたが、極右化に至らなかった」 「ブロック化にしても、戦間期には日本に石油や鉄を輸出規制・禁輸したABCD包囲網のように、敵対国の封じ込めを目指した。しかし現在は、中国の経済力は並外れており、封じ込めの対象にならない。最近中国経済が不調だといっても簡単にはつぶれない」――冷戦終結で民主主義の勝利が言われたのに、民主主義の後退が顕著なのはなぜでしょう。 「一つは社会・経済的な要因だ。分厚かった中間層が富裕層と貧困層に分かれ、多くの負け組が生まれて不満がくすぶっている。もう一つは、移民流入やグローバル化で自分たちのアイデンティティーが失われることに不安感がある。落ちぶれて焦燥感にかられた中間層が極右・極左に引っ張られ、政党政治が分断、断片化、多党化し、政治が不安定になっている」 「問題は、ルールを破壊しようとする極右に、本来は抵抗するはずの穏健保守派が、票ほしさになびくことだ。トランプになびく米共和党など、輝かしい歴史を持つ穏健保守が極右におもねる動きが顕著だ。日本でも、外国人が増える中、極右支持層の票欲しさに穏健保守が崩れていく動きが顕在化しないか心配だ」(聞き手 編集委員・佐藤武嗣) *<えんどう・けん> 1966年生まれ。専門は欧州連合(EU)や国際政治。英オックスフォード大で博士号取得。米ハーバード大法科大学院研究員、北海道大教授などを経て現職。著書に「欧州複合危機」、編著に「安全保障とは何か」など。2024年9月24日 朝日新聞朝刊 13版S 20ページ 「百年・未来への歴史-中間層の焦燥、極右になびく穏健保守」から引用 この記事の冒頭で、遠藤氏は「ロシアのウクライナ侵攻のように、現状変更を求める勢力が武力を使って実力行使を始めていること」と発言し、あたかも「平和な世界にあって、ロシアだけが武力を使って現状を変更しようとしている」と主張しているが、私はそのような認識に違和感を禁じえません。ロシアのウクライナ侵攻は、アメリカがNATOをそそのかしてウクライナにモスクワを射程にいれたミサイル基地を建設しようとしたために、ロシアは自国防衛の手段として、そのようなアメリカの邪悪な企みを阻止する必要があった、そのために起きたのが「軍事侵攻」であったという重大な事実の見落としがあると思います。アメリカの経済システムには、軍需産業という「病巣」が深く食い込んでいるため、資本家の手先としてのアメリカ政府は、世界のどこかで常に「武力紛争」を起こして、軍需産業を儲けさせなければならないという「宿命」を背負っており、この問題を解決することなしには、世界平和の実現は困難であることを知るべきです。
2024年10月09日
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