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深夜のラジオ歌番組で流れていた 歌手 北島三郎氏の唄う『風雪ながれ旅』という曲を聴いていて、唄い出しの歌詞フレーズ「破れ単衣に 三味線だけば」から唄い納めの 「留萌 滝川 稚内」までの全曲 この歌 今の若い人にどれだけ理解が出来るのかと云う事が気になった。 歌謡曲 流行り歌は、歌詞内容が正確でなければ 駄目という決まりは無いし、論理的整合性に拘らない事で、情緒的安定感を表現できるのだろう しかし歌詞の意味が解らないと心地よいメロディに何か歌詞が乗っているという感覚になるから 若い人向けに歌詞内容の洗い出しをしてみようと思う。 『破れ単衣』 単衣は裏の付いていない一枚物の夏着 古くは下着だったが 平安時代 小袖の付いた肌着が出来てから その上にはおる いずれにせよ薄物 夏の衣装である。今ならさしずめ 破れ単衣は 着古して綻び肌の見えるTシャツといった感じか。 『三味線だけば』 三味線を抱くというのは、歌の主人公が 門付(かどづけ)芸人 流しの三味線弾き 弾き語りをしながら何某の金を得る大道芸人 ストリート・アーチスト 衣装と配役が決まって 『よされよされと』 よされ・よされは、囃子言葉 東北地方の民謡に多くつく 酒盛り歌 盆踊り歌などを囃子立てた。 『雪が降る』 これがいけない 破れ単衣に雪が降ると確実に凍死のケース津軽。八戸・大湊 港町を単衣で三味の流しは出来ない。 単衣を季節設定冬に合すと『破れ袷(あわせ)』で語呂が悪い。 『鍋のコゲ飯』 『袂でかくし』 『抜けてきたのか親の目を』 『通い妻』 其々に説明が要りそうだ。最近の炊飯器は機能が向上して、おこげも自動的に作れるようになっているらしいが、昔は大きな釜で米を炊いたから 火加減を少し誤るとおこげが出来た。『鍋のコゲ飯』 鍋は料理用の道具 正確には 釜のコゲ飯だろう。 袂(たもと)は和服の袖口から下 袋の様に垂れ下がった部分 コゲ飯を隠すには格好 これは今の生活に適当に言い表す言葉が無い。『通い妻』親の目隠れての男女関係 男が通うのではなく女が通うから、一見女性主導の男女関係の様に見えるが其の辺りの機微は歌詞だけでは判らない。 流行り歌と言うのは、聴いて心地良ければそれで良いのだから こういう事を書くのは野暮と言われるかも知れないが、我々の世代だけで終わらせるのは勿体ない 歌い継がれるには若い人の理解が必要と一助になれば良い ふと思い出した別の歌手の歌詞フレーズ『私は港の通い妻』大月みやこさんが唄っている。風雪ながれ旅も、大月さんの『女の港』も作詞は星野哲郎氏 作曲は船村透氏。 通い妻がお好きだったのかも知れない。 http://www.youtube.com/watch?v=KpFjuI6iQrghttp://www.youtube.com/watch?v=jQAg8WXDJ-o
2013.04.28
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頂くお手紙や葉書に、柳居士様宛が届く。「居子」の字句は、どの辞書にも載ってはいない。 父柳居の息子と言う意味で、柳八幡町在住と言うだけの意味 雅号でも何でも無い。 同じ町内のお年寄り 父柳居より一回り年嵩 明治生まれの羅紗屋さんの御主人が、俳句か川柳か判れたが、柳馬場通りに店・住いを構えている事から 『柳馬』(りゅうま)を名乗った時 父に『あんたも 同じ柳八幡町に居るのやから。『柳居』(りゅうきょ)を名乗るのが良いと 柳居の印まで作って貰ったのが柳居名乗りの由縁。柳居子(りゅうきょし)と讀むのだが 『居士』はコジと讀む。『居士』という言葉は、 殆どの人が知っているが、何も判っていない範疇に入るのではと思う。 『一言居士』という術語がよく使われるが、どんな事にでも口出し 何か言わないと収まらない 一寸軽いと見る。要するに喋りと言う意味で使われる。 死者の戒名の一番下に居士の字を見る事も多い。多分死者だけの言葉かと言うと 昔はそうでも無かった様だ。中国では長く広く 学徳のある人の意味で使われていた様だが、元の意味はサンスクリット語で『家の主人』 バラモン教国では、四住期と言うのが有って 『学生期・家住期・森住期・遍歴期』と四つに区切られた第二期 家長として妻子を養い、祭祀を行う時期の人を居士と言った、 又カースト制下では資産家を指した言葉でもあった様だ。大乗仏教は此の居士階級を中心に拡げて行ったという。 居士と言えば 名高いのは『維摩居士』 在家の信者で、出家仏教に対して、在家仏教信者の有り様を示したとされる。 日本では在家で受戒を受けた人を居士と呼ぶようになった。法名の下に居士が入るのは 信者で無くとも 葬式の時 僧侶が取り計らい これをつけることで皆 仏教信者になるという仕組み 院・殿・居士も金次第という俗な話もあるが、居士のワン・ランク上に『清信士』という聞き慣れない戒名も有る。戒名料を弾むとそう言う名も付く。 居子と居士の違い 僅か字の一字で内容大きく変る。日本語本当に難しいとウクライナの カテリナちゃんが零していた。
2020.04.14
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フェイスブックのサイトは、お節介と言うのか、友達関係の繋がった人の誕生日を仲間全員に知らせてくれる。お祝いのメッセージを送りましょうと誘ってくる。もうじきお誕生日ですよと事前のお知らせと 当日の通知 昨日は○○さんの誕生日 一日遅れでも祝ってあげて下さい。と言うのも有る。 ネット社会の到来以前 誕生日と言うのは、子供の時の特権の様なものだった。年取って 還暦・古稀・喜寿・米寿・・・・と。節目の年と言うのか皆が其の年の到達を祝う日は有ったが、今は毎年誕生日おめでとうのメッセージが届く。 柳居子と同年配の友への誕生日のメッセージは『誕生日おめでとう。冥土の旅の一里塚 嬉しくも有り 嬉しく無き事も有り されどこの日無くして 歳重ねる事も出来ず。』と、お祝いとお慰め半々の文を添える。 若い仲間 特に女性の誕生日『お誕生日 おめでとう。一度お眼に掛かり珈琲一杯お祝いの印ばかり 振舞います。』と一文添える。皆さん一様に『有り難うございます 珈琲一杯ご一緒出来るのを楽しみにしています』と返事が戻るのだが 降り出した約束手形に対して。決済分が余りにも少ない。 口約束なら そんな事言ったかなと恍ける事が出来ても、ネットの記事は削除せぬ限り残る。二百十日の台風手形と言うのは聞いた事が有るが 丸々三百六十五日約手落とせず 『たかが珈琲一杯 されど珈琲一派 距離が有りますね 誕生日おめでとう。』と祝い コーヒ一杯の約手の利息分と食事を振舞った人も居た。まあ誰からもお誘いも声も掛らぬ事に比べたら 結構な事と喜ばねばならないと思う。約束していても失念している約束手形も有ろうかと思う。名乗り出て頂きたい メッセージ欄に宜しく。
2020.01.18
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今出川通り 銀閣寺と百万遍知恩寺との間、銀閣寺寄りの「北白川」と言うスの停留所が、柳居子の毎朝晩の乗り降り場になっているのだが、近辺ホテルとか旅館の体裁は取っていないのだが、ごく普通の民家改造の民泊と言われる宿泊施設が沢山有る様で、外国人の顔を見ることが多い。 今朝も始発のバスに乗るのに少し早めに家を出たのだが、既に体の大きい金髪の女性三人組が、途方もない大きな引き摺りバッグを持って 停留場に先着していた。ホテル・旅館に比べると格段に安い宿泊料 始発バスに乗り込む。何となく財布の中身を見透かす様な感じになる。 『どこから来たの?』 Where are you from?と、問いかけるとウェールズからと言う。柳居子の店に遠来の客を数多く迎える様になって気付いた事だが、我々が『アメリカ』とか『イギリス』と呼んでいる国は、其々の国の人には、余り馴染まない呼び方の様だ。理容の椅子に座った客に地球儀クルクル廻して 何処からお越しと聞くと アメリカから来た客は 自分の住んで居る州名 若しくは都市名を言うケースが多く イギリスも然り イングランド・スコットランド・ウェールズとか 其々が独立した国の感覚で自分の住んで居る土地の名を言う。一番最近見えた遠来の客は『オクラホマ』と言っていた。 ウェールズの女三人組に『昨夜は、何処に泊まったの?』「Where did you stay last night?」と尋ねた。民泊名前など憶えている筈も無く 先ず指先で方向を示し すこし指先上向けて 右側の一点に指先廻して お地蔵さんの建っている少し先の民泊と判った。 丁度その時 バスが到着して、少し離れた席に座ったから会話の続きは無かったのだが、柳居子がバスを降りる河原町三条の少し手前 三人組の前を通り過ぎようとしたら にこやかに会釈をしてくれたので、飴玉三個一番若い女性に差し出した。遣り取りを見ていた他の二人も一斉に『Arigato』幾つも覚えてはいないと思う日本語を発した。同乗の他の日本人客は何事かと訝しく注目する。『飴玉一つの 国際親善』とは言わなかった。日本の名所旧跡を見るのも旅の楽しみだが 飴玉一つも結構旅の印象に残る事と柳居子は思う。
2020.01.20
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4月4日 6:07 · 昨年十一月九日 掲載の記事を、お読み頂いた後 今日のブログ記事とする。2024.11.09リサイタル 昨日八日は、お招きを受けてディナー付きの シャンソン・リサイタルに出掛けた。乾杯前 主賓二人の挨拶の内の一人に 柳居子が指名された。『おとつい(一昨日) 六日 今日は 三木貴子さんの誕生日だな 彼女は幾つになったのかなと考えていたら 突然彼女が店に入って来ました。二日後リサイタルは出席と伝えて有るのに 何用かと不思議な顔をすると、会の乾杯の前 一言喋って下さいと頼まれました。 お偉い祝辞を述べるのに相応しい人が沢山おせれるのに 何故私がと思いましたが 私自身も結構な老いの身となり 何より八十七歳になられた人が 二階に在る店の階段を上がって来てのお頼み 僭越であることは判ってますが、一言お話させて頂きます。 三木家と私との関係は、貴子さんの旦那さん 敏弘さんの弟さん 正和君と小学校が同級生だった事から記事まります。 只弟さんとは話しを交した記憶が無い様な関係でしたが 兄上敏弘氏とは 毎朝出掛ける珈琲屋で御一緒して仲良くなり 度々 先斗町や木屋町の シャンソンの流れる店へ出掛けると言う関係が 奥さん貴子さんに引き継がれ今に至ってます。 ご自宅でシャンソン教室を開かれ 本日の企画 伴奏をされている 斉藤信之さんとも ながい付き合いと聞いています。 京都は 変る事無く長く続くと言う事に 値打ちを覚える町です。女性の年齢をバラすのは良くない事と判っていますが 八十七歳で開くリサイタル 二日遅れの誕生日祝いも兼ねて今宵は愉しみましょう 世の中にはこんな元気な八十七歳も居るという我々は目撃者でもあります 広く世間に知って貰いたい催しだと私は思います。 ご挨拶になっていたか判りませんが 終わります・』 67歳でも引退と考える人が居る 77歳は今の時代平均的な引退の年か87歳の シャンソン リサイタルの主催 お話を聞いて元気を貰う人も多いかと思う、 地元紙も取材に来ていた、昨秋 十一月八日のシャンソンリサイタル 主賓の挨拶として 二日遅れの八十七歳の誕生日祝いの口上を述べたのだが 又 次のリサイタル開催を愉しみにまっていると結んだのだが 彼女は 僅か四か月後 既に雲の上の人 暫く入院加療中とは聞いていたが それ以前の彼女しか知らないから晴天の霹靂長いお付き合いだった 決して順風万班の人生では無かった事を良く知っている。特にこの二十年程は 柳居子のブログ記事の愛読者で ほぼ毎週のようにお目に掛かる機会が有った。全日空ホテルと 会場を定めた シャンソンリサイタルへは 欠かさず参加した 前々回 ステージから足踏み外し 客席の前に転げ落ちるという奇禍にも遭ったが しっかりと最後まで唄い納めた 少々体調が悪くても 必ず復活する人だと思って居た。寿命が尽きれば 天に召される事は 誰一人逃れる事は出来ない事だが 亡くなる僅か四か月前 大勢の人を集めての個人リサイタル 死と言う到達点への 道筋は 色々なケースが有ると思うのだ 合掌
2025.04.16
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黒とか黒色と言うのは、単に無彩色黒色と言う意外に、実に多用される色とか言葉ではなかろうかと思う。 黒白をつけると言えば、どちらが悪いか 正しいかと言う事だが、通例灰色決着になる。真っ白も無ければ 真っ黒も無い。中取って灰色 只 灰色と言えば黒の深い黒寄りのニュアンスが有る。 日本中の経営者のみならず 家庭の財布を預かる人も、乞い願う事 それは懐具合の黒字常態化である。黒字・赤字は、帳簿の表記 プラスは黒 マイナスは赤から出たものだろうか? 腹が黒い 腹黒は通常悪しき言葉として使われるが、腹が白いという若者との対比では、若輩・老練の意味で使われる。黒衣(くろご)は、本来歌舞伎の舞台の後見が着用する目立たない衣装の事だが、最近は後ろで糸引く本当の実力者と言う意味も有る。大昔 家康・秀忠・家光の時代、黒衣の宰相と呼ばれた人が居た。黒衣は僧籍のある人だが、南禅寺金地院の崇伝和尚は、俗世の頂点にまで登りつめた。武家諸法度や参勤交替の制を考え付いたという。幕府に対抗する経済力を少しでも弱めるというのが意図だった様だ。 目立たない方が良いと思われる 黒子と書いてほくろと讀む。小さな黒色班である。話しが飛ぶが、本庶先生のスタッフが発見して。オブジーポという薬が世に出たのだが、薬価の決定の時 患者数が極限られた 黒色腫と言う皮膚癌の対応薬として申請が為された。患者数の少なく顕著な効果が有れば 数が少ない故に薬其の物の値段が高く付けられる。薬価が決定して後 他の部位 肺癌等の延命に著効が有ると言いだした。大きな金が国庫から流れ続けている。日本海海戦 日本海軍がバルチック艦隊を粉砕して 日本が一等国の仲間入りをした快事とされているが、艦隊が赤道を越える長旅に加えて船底喫水下に付着した貝とか牡蠣殻などが邪魔をして 運行速度や方向転換の機敏性が失われてようやく戦場に辿り着くという状態だった様だ 日本海軍は練度を高め満を持す状態 加えて 露軍は砲に弾を込め発射すると大変な煙が立ち上ったという 黒色火薬を装備していたが 日本軍は黄色火薬(下瀬火薬)を使って連射の出来た事が勝利に大きく寄与したという 黒色と黄色 黄色が勝っていた。 昨日昼過ぎに見えた客人は、色の専門家 2月26日生まれ 柳居子より34日年下の絵具屋の築ちゃん 幼馴染である、唐突に『烏の濡れ羽色 見た事有る?』と尋ねられた。『知らんなぁー 川で水浴びでもするのならともかく 雨降りは 飛ばないのと違うか?』『昔の人は実際見たから 其の名付けをしたのかも知れないなぁー』と彼が言うから 『常見る烏が濡れたという想像上の色と違うのか。』と話しが決着する。長々と取りとめない黒の話しである。
2020.01.21
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あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精一杯頑張るというのは 不器用と言われる時代になったのかと思う事が起こる。会社員の身で サイドビジネスで 何億 何十億の金を動かしている男の事が ニュース種になっていた。本職会社員の仕事はちゃんと果たしていたのだろうか 同輩 社員仲間と連れだって 一杯飲みに出掛けて 上司への愚痴を言い有って憂さ晴らしをするシーンなんてもう無いのではと思う。 柳居子の同業でも 床屋だけでは食扶持頼りないと思うのか 現役世代でも 多業種掛け持ちも多い そういうスタイルを次の世代に継がすとは思わないから 同業は次々閉店している。 何時まで仕事が出来るか 判らないのだが 自分に出来る仕事を精一杯頑張るというスタイル ラジオのトーク番組に出た時、『限定現役』柳居子の造語か大受けした事があった。遠来の客人に書いて貰っているメッセージ 伝統的な昔の日本の理髪店 八十歳の老人に 任せきりにする安心感 と言う内容のメッセージが掃いたりすると 床屋を目指すことを決めた 一番大きな後押しの言葉『手に職付ける』 を今更のように自分自身に似合った言葉 未だ実践している言葉 今日 今も通用する言葉と思うのだ 何時まで続くかは判らない。
2025.04.22
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丁度百年前 1920年1月16日 全米が大騒動になった日。憲法18修正禁酒法(ボルステッド法)の翌日17日施行を控え 自宅へ買い込んだ酒を持ち帰る車で大混乱になったという。 禁酒法は、飲酒其の事を禁止したのでは無く アルコールの含有量が0.5%以上の飲料水の製造・販売はもとより 移送も禁止された。例えば家に酒を沢山買い置きした男が、尋ねてきた友人の服のポケットに酒をプレゼントして、家から送り出したとする。ポケットの異常な膨らみに気付いた警官が 隠し持った酒を発見すると 罰金1000ドル 禁固6ケ月の罪になり罰せられる。酒呑みには暗黒の時代の到来である。 法の発効する前暫くは、マンハッタンのナイトクラブは、ショパンの葬送の曲を流し続けたという 非合法化は、需要の絶える筈の無い酒の製造と販売・輸入を、マフィアが仕切る事になる。暗黒街の顔役と、健全な市民とが、協同犯的関係が出来る。 禁酒法の施行は、結果的には、マフィアの地盤固め 強力な経済基盤を築く事となり、賄賂の横行 司法の腐敗を招き 本来の目的・意図から大きく外れた。 テレビ映画「アン・タッチャブル」籠絡されない人 この時代を取り上げた作品だった。 今 若し 我が国で禁酒法を通せば どの様な事が起るだろうか? 先ず雇用 水商売の花と言われる人たちは、常勤・正社員と言うのは数が少ないと思うのだが、即仕事を失う人が多いと思う。イライラの犯罪も増える事だろう。 飲酒によって 鬱屈した気を晴らし 気分転換が簡単に出来る。人間関係の円滑化に資する事も多い。間違いが有っても酒の上と流す言葉も準備されている。 悲しい時も 嬉しい時も酒なしでは考えられない時代になっているのは確かだと柳居子は思う。
2020.01.16
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実際の消費量より過分に調達して、残された給食を持ち帰ったという教師が、結果的に其の職を辞さねばならない事になった。断りを言わずとも 何れ破棄するものならと言うので持ち帰った事に間違い無かろう。 上司に持ち帰りの許可を得たとは考えにくい。しかし食べられる給食の立場身になれば。持ち帰り 本来人に食べて貰うという目的全うするのは、破棄焼却処分より余程良かったとも言える。持ち帰った給食 今日 今食に窮するホームレスにでも配っていたら それは美談にもなり得る話である。 食品のロスの問題 大きく取り上げ出されている。国会でも 其の事に関する法整備に着手 其の対処法が全会一致の決定を見ている。 年間 日本全国で、食品ロスと言うのが、600万トンに達するそうだ。世界中の飢餓に苦しむ国の人々を助ける必要量が380万トンと言うから、全世界の飢餓を救う量の1.8倍が 破棄処分されているそうだ、 本サイトには 消費期限・賞味期限・フードバンク・フードマイル等の諸個品ロスの記事を載せ 問題提起をしてきたが、ようやく人々が事態の深刻さを気付かれた様だ。冷蔵庫・冷凍庫の普及も有るが、賞味期限・消費期限の表示で其の期限の数字に完全に従うようになった。未だ食べられる 火を通したら大丈夫とか もうダメの判断は サバイバルの知恵とも思うのだが、今匂いを嗅いでその食品の可食 不可食の判る人など居なくなった。 昔は 製造年月日だけが辛うじて日付印が押されてあった。某日・某店で。カステラを病気見舞いにと買求めた際 未だその日付が来ていない二日前の日付が捺してあった。『未だ この日は来てないよ』と指摘したら『あー済んまへん 明後日使う箱を使てしもた。』と其の侭包装してくれた。何とも大らかな時代だった。 コールド・チェーンという 新鮮な食材を送り届けるシステムが出来上がって 逆にロスが多くなる様な事も有ろうかと思う。昔は塩蔵したり乾物・干物にするしか゜手が無かったから 必要量だけを調理する事が出来たが 今は使い切らねばならない。 所帯人口が小さくなるとロスの部分が大きくなる。買い込んで使いきれず結果的には破棄と言うのが多い筈・ 改善の余地は多岐に渡る。例えば食品スーパー 食品棚の奥や底から消費期限の長い物を選んで取りだす習慣を病めるだけで期限切れロス商品が減る。ペットボトルの飲料水の期限表示は、内容量が自然に蒸発して表示容量を下回ると販売できない決まりになっているという。これは法の条文をほんの少し変えるだけで対応出来る案件だ。 最近問題視されている 外食産業の無断キャンセル これ等はロス発生因の最たるもの ロスを少なくする法規制や推奨は、食品関係業者の営業規模を小さくするような場面も有ろうかと思うが、食に窮する時代に育った我々の世代には 看過できない問題でもある。
2020.01.19
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京都に日本レース(株)と云う会社が有った。 レース製造業は今でこそ繊維雑品 レース・リボンのジャンルに別けられているが、かつては西陣織・友禅染で代表される染め呉服と並んで、輸出貢献度も大きい優良企業だった。 戦後の変革期 既に実績を上げていた企業は 逆に時勢に乗り切れなかったのか 又社長が有徳の人に過ぎたのか 当時の社長岩井盛次氏は、京都商工会議所の会頭 関西経済連合会 関経連の副会長を関西電力の芦原義重氏や 倉敷レーヨンの大原総一郎氏などと同期努めている。大証・東証 一部上場会社だった。 昭和三十年の有名な地評が総力を挙げて戦った日本レースストライキ事件以降 業績は細るばかり 同じ頃 四条大宮で任天堂社員が不当解雇を理由にハンガーストライキを起している。今日大を為している任天堂も一からのスタートではなくマイナスを帳消しにしてからのスタート 命運を別けたのは、日本レースは滋賀県で土地転がしをして財を為したとされる上田建設 上田茂男氏との絡みが出来て日本レース株が仕手筋に渡り キナ臭い話を色々と聞くことになる。 柳居子のスタンスはいつも 『かくかく 然々の記事が載ってましたが、新聞の伝える通り信じてよいものですかなぁ』 同業者・メディア・その道の専門家と思われる人に聞く 同業ライバル会社の言う事は額面より少し小さく聞かねばならない。結構メディアの伝える内容とは違う事がある。 ストライキの仲介に行政の立場で京都府から職員が日本レース社長に面談に出掛けた。真夏の炎天下 当時流行ったホンコンシャツにネクタイを緩めて社長を待つ内 ネクタイ・背広上下隙無く着込んで 『この度は 何かとご造作をお掛けして申し訳ございません』 と挨拶を受けた時、其の府の職員の服装に関する価値観が激変したという 対等若しくは指導的な立場で話をするのだが、余りにみすぼらしい己の服装に唯々 恥ずかしかったそうだ。爾後 其の府の職員(柳居子の友人)は人と体面の時は必ず真夏・真冬季節に関係なくスーツを着用するようにしているという。もう八十歳に近いが今も現役で経営コンサルタントとして頑張っている。 大ストライキ時の社長岩井盛次氏 岩井氏を助けてその後上田建設とも色々と遣りとりをした信江○○氏(名前失念) 後に社長になった人だが、柳居子の仕事場の直ぐ近く横丁に自宅があり横丁の御隠居さん 奥さんとはよく話を交わす 御隠居さん 腰が悪くて歩くのが大儀そうだった。『暫くご主人様お目に掛かりませんがご自宅でご静養ですか?』と尋ねると 人差し指 空指して『参りました この一月に もう四十九日の法要忌明けも済ませました。八十五歳ご近所に知らせたら 貴方も参って呉れるでしょ そんな御迷惑掛けれない』『親しい方だけで お送りするのが良いですよ 私の母の時も家族だけの弔いごとで済ませました』 先日も葬式の簡略化の記事を載せたが、もう家族葬は社会の常識レベルになっているのかも知れない 信江さんの他界を知って日本レースのことを思い出した。 http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201003180000/
2010.03.22
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河原町今出川 出町と、府立医大前との間に 昔 白梅図子という市電の停留場が有った事を知る人はもう数少ないと思うが、その場所御所の直ぐ近くに遊郭が有った事を知る人は皆無 以前何年かこの直ぐ近くに住んだことが有ったが、地元住民ですら殆どご存じなかった。 本禅寺北側の通りを「白梅図子」と言うが、元禄十六年九月 松屋町丸太町下がる新松屋町に住んでいる人達に 京都所司代邸の拡張のため 一ヶ町全部の立ち退きの沙汰が出て、替地としてこの本禅寺北側の土地が与えられたのだが、住民の移転のための建築費などで困窮して、『煮売茶屋』(注)今のテイクアウトのお惣菜屋に食事をする場所も提供した店)の許可を磨出でて認められて、追々茶汲女も増えて遊郭の体裁を付けてきた。 新松屋町と夷町の二町が合併して新夷町町名で、決して上級とは言えない遊郭の様な振舞いに 煮売茶屋の鑑札で不届き至極と営業差し止めの令も出たが、二条新地の出稼ぎと言う事で許可が下りて、慶応年間は大変繁盛したそうだ。 元々が下級の遊郭で、客も虱(しらみ)を湧かして來るのが多く虱の図子とも呼ばれた。白梅図子の名の由来は、白梅という飛びっきり別嬪の遊女が居て、白梅参りが通り筋の名前になったという言い伝えも有る。 下級遊郭の場所立地 今 我々の感覚で言うと 皇居お堀端の直ぐ傍に風俗営業の店が在るとか 認められていたという事になる。天皇の権威も今とは全く違った時代 新井白石は其の著『折たく柴の木』に天皇は山城国の国主と位置づけている。天皇家の大変な時代 京都市民はある意味天皇家を支え続けたという側面を持つ、『天皇さん』と言って違和感のないのは京都市民の一つの特色かと柳居子思う。
2016.01.07
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大阪医科大学の元講師が、再生医療に使う脂肪幹細胞の培養を、無届で始めた事が国の定める安全基準に適合する届出 認可を取らず 闇の仕事の様に続けていた事が 法に抵触すると逮捕劇になった。罰則そのものは、有罪となっても6ケ月以内の懲役 三十万円以下の罰金刑であるが、医師として 研究者の役割は終わった様な感じがする。 同時逮捕の元製薬会社の元役員との関係も 新聞を幾らしっかり読んでもよく判らない。功名心に馳せる医師と、一攫千金金儲けの口探しの製薬会社との利害が、利の部分一致してのだろう。製薬会社の社名が一切出てこない事が。闇の深さに連動するのか? こういう世界に門外漢の柳居子は、メディアの伝えることが何所まで正しいのか 生命の倫理と言う事にどれだけ真摯に考え動いているのか?パイオニアと言うのは 切り開くという精神が無ければ出来ない事。又この結果を余り深く考えると折れてしまう事か多々ある。成功した人の事例は、失敗した事例の多くの積み重ねの上に 打ち立てられる物の様に思うiPS細胞の発見で ノーベル賞を 山中先生が受章されてからiPS細胞ブーム地と言う大きな波 高まりの様なものを感じた理だが 最近は何となく正体が見えてきたと云うような事件とか 報道を眼にする。そう簡単には金にはならぬと 投機対象とは完全に外れつつある。国の支援も政権が変れば多分打ち切りになるだろう。臓器移植の初期の事例は 北大だったか「和田寿郎」氏の行った心臓移植だった。結果的に和田氏の手術は失敗に終わったが 其の後 移植という手術其の事に対する倫理問題の検討が 大きく長く続いたと記憶しているiPS細胞の移植は 臓器移植以上に創造の神の意思に反するような事と柳居子は思うのだ。 増殖細胞それを適当なレベルで止める事など 出来るのだろうか?
2020.01.17
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正月休み明け ご挨拶を兼ねての頂き物が有った。林檎五個 市田柿 山葵昆布漬 丸大根二個 長大根二本 両手で持ちきれない。等分の重さにして振り分け荷物にして肩の厄介になって自宅まで持ち帰った。 人参の買い置きが二本有ったので、取り敢えず一本分 紅白の彩も良く 精進なますにしようと取り掛かったのだが、おばんざいの会で、いつも三・四十人分を作る手が、もっと沢山作ろうと言った様に感じたので 他におでんにでも使うかと思っていたのが 全部精進なますに化けた。 大根の皮を剥く。スライサーの巾に乗る大きさに切り揃える。今回はスライサーの刃を変えて二種類作った。人参も同じく細かくスライスしておく。スライスの途中何度かに分けて塩を打つ 水上げ脱水を目的に打つ塩だから、一枚一枚スライスした束を外すのに手間がかかる。人参も同じく塩を打っておく。人参は大根より緻密固い質だから 漬け込む前 湯通しするか軽く湯掻いても良い。 一晩ねかす 漬け汁は 砂糖大匙2 酢大匙4 味醂大匙1 薄口醤油小匙1 他に到来品の柚子酢小匙1 昆布適宜 輪切り唐辛子少々 全量漬け込むのにこの漬け汁作り 五回繰り返した。 充分に水きりした大根をポリの保存袋を拡げ底に大根 人参の千切り 昆布 柚子かわをのせ 又 大根・人参・昆布・柚子皮の繰り返しをして 適量詰めると漬け汁を加えて 袋押えて空気抜きをして空気が入らない様にゴム止めして作業は終わる。後は冷蔵庫に入れてじっくりと味が馴染んで来たら出来上がり。 塩を打って水が上がる迄待たねばならぬから 一気呵成に出来るモノでは無い。手間の掛る作業が二度に分かれるが、同種のモノ 商品として買い求めようと店頭に立つと、信じられないような値が付いている。貧乏暇あり人間かなと、自嘲 自戒する。沢山作った精進なます 何所へ配ろうかな。
2016.01.06
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毎朝出掛ける珈琲屋の常連席 其の卓には唯一 卓上花が飾ってあって 他の卓とは色が木目調で卓の大きさも大きい。大勢が座る事が出来る。コロナの蔓延防止の爲 プラスチックの仕切り版が置いてあるのだが。中央のお花にコロナをうつしては気の毒と 仕切り版を勝手に移動させたりする。 常連席に柳居子の座る時間帯は。不思議な時空間になる。 先ずメンバーが多士済々 一杯の珈琲を挟んで対等の立場 年齢差とか 職歴 地位と言うのはこの席では存在しない。「ごめんやす。」と言ってすぐ直に逢ってくれる人ばかりではないが、逆に何でも言いあえる仲と言うのは。そういう立場の人にとっては新鮮な事かも知れない。利害関係は殆ど考えられない。敢えて言えば 卓のメンバーが柳居子の店で散髪と言う事になれば 一方的利得関係になる。 話題の拡がりは、なるほどと刮目に値する事も多い。 先日出た話は、ロシアのウクライナ侵攻の話し。当初ロシアが守勢を思わすような報道が眼に付いたが、軍事力の差と言うのは歴然 ウクライナがロシアを追いだすという展開は断じて有るまい。日本のメディアは、どうしても西側情報に頼っての記事だから 本当の事は見えてこないという。言われてみれば誰にでも判るロシアの常套手段 メディアの報道内容が微妙に変わりつつあると柳居子は見ている。 昨日は五番テーブル常連席に 初お目見えの名古屋から来た女性が座った。柳居子の友達だが、「京言葉」の話しが出た時、『その言葉 名古屋では 〇○○と言います。と会話の中に即参加した。常連だけがバリアを作っている訳では無い事の証しでもある。 地域版を担当する 新聞記者 一寸朝が早いがこのテーブルに座る事をお勧めする 柳居子が感じて立派な記事になるのではと思うネタがよく出てくる。 今朝は柳居子の飲んだ珈琲代 払ってくれる奇特な方が居られた。甘えておいた。
2022.05.21
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朝の珈琲屋での 会話の中で、学歴無用論を述べる人は、概ね高学歴の人だと言う話しをした。柳居子の様に中卒という学歴が全く無いという立場で体験として思う事は、何処の学校を卒業したという学歴より 其の時代 その場所で学びを通して 大勢の友 学友と言うのを沢山持つ人を羨ましく思う 同じ学校に通っていたと言うだけで、何某のチャンネルの有る事は 学歴・学友有用論になるのだ。年次学年が離れていても 学んだ内容より 其の学校に通ったというのが 卒業後の実生活での大きな財産の様に思うのだ。 市長選が終わって、未だに貼ってあるポスターに 『しがらみを切る』断つとかのキャッチフレーズが 掲げてあった。柵(しがらみ)という言葉の本当の意味は。 水の流れをせき止める 杭(くい)を立てて。竹や木を絡ませて 水流の調節 纏い付くと云う意味から 悪しき言葉と捉えられている様だが 人間関係だけに限らず 全ての事象は柵で成り立っている。例えば 国と地方自治体との関係など 柵が無ければ 双方の意見交換 意思伝達もスムーズにいかない事も有るだろう。国の予算獲得も柵が有っての事柵無くして 我々が損をしていた事を 象徴する様な話しを知っている。蜷川府政が長く続いた後 林田知事が初めて東京の省庁へ挨拶回りに出掛けた時 同行した記者の話し 大蔵省 渡辺美智男大臣相手に 林田氏は 『大臣 ご存知のように 京都は今迄 ろくろくお金を貰ってませんから 宜しく』と極めて直截的な話しをしたら 大臣は『はいはい 判ってます』と言われたそうだ 後 府道が見違える程 他府県並に良くなったという。 しがらみを切る もとから考える 人間関係を切る 何か世を拗ねている人の言う事の様に聞こえるのだ。
2024.06.03
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昨日八日は、お招きを受けてディナー付きの シャンソン・リサイタルに出掛けた。乾杯前 主賓二人の挨拶の内の一人に 柳居子が指名された。『おとつい(一昨日) 六日 今日は 三木貴子さんの誕生日だな 彼女は幾つになったのかなと考えていたら 突然彼女が店に入って来ました。二日後リサイタルは出席と伝えて有るのに 何用かと不思議な顔をすると、会の乾杯の前 一言喋って下さいと頼まれました。 お偉い祝辞を述べるのに相応しい人が沢山おせれるのに 何故私がと思いましたが 私自身も結構な老いの身となり 何より八十七歳になられた人が 二階に在る店の階段を上がって来てのお頼み 僭越であることは判ってますが、一言お話させて頂きます。 三木家と私との関係は、貴子さんの旦那さん 敏弘さんの弟さん 正和君と小学校が同級生だった事から記事まります。 只弟さんとは話しを交した記憶が無い様な関係でしたが 兄上敏弘氏とは 毎朝出掛ける珈琲屋で御一緒して仲良くなり 度々 先斗町や木屋町の シャンソンの流れる店へ出掛けると言う関係が 奥さん貴子さんに引き継がれ今に至ってます。 ご自宅でシャンソン教室を開かれ 本日の企画 伴奏をされている 斉藤信之さんとも ながい付き合いと聞いています。 京都は 変る事無く長く続くと言う事に 値打ちを覚える町です。女性の年齢をバラすのは良くない事と判っていますが 八十七歳で開くリサイタル 二日遅れの誕生日祝いも兼ねて今宵は愉しみましょう 世の中にはこんな元気な八十七歳も居るという我々は目撃者でもあります 広く世間に知って貰いたい催しだと私は思います。 ご挨拶になっていたか判りませんが 終わります・』 67歳でも引退と考える人が居る 77歳は今の時代平均的な引退の年か87歳の シャンソン リサイタルの主催 お話を聞いて元気を貰う人も多いかと思う、 地元紙も取材に来ていた、
2024.11.09
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