《櫻井ジャーナル》

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2009.08.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 FBIの元翻訳官がアメリカ政府とオサマ・ビン・ラディンとの親密な関係をブラッド・フリードマンのインタビューで明言、注目されている。その元翻訳官とは、FBI内部の不適切な行為を告発し、2002年3月に解雇されたシベル・エドモンズである。

 彼女が告発している不適切な行為のひとつは、FBIだけでなく、国務省や国防総省の内部にはトルコやイスラエルの情報機関がネットワークを張り巡らせ、アメリカ政府高官を買収して核兵器に関する機密事項を盗み出しているというもの。また、2001年4月にFBIはイラン情報機関の協力者から、オサマ・ビン・ラディンが航空機で4~5都市を攻撃する計画を持っているとする情報を得ていたとも主張している。

 ところで、エドモンズがFBIに雇われたのは2001年9月20日、つまり「9/11」の9日後ということになるが、事件に関する文書を読む機会はあった。FBIが入手していた情報と実際の攻撃とは違うようにも思えるので、この情報を使って何者かが別の計画を実行した可能性もあるだろう。

 今回、エドモンズが話したのは、オサマ・ビン・ラディンとアメリカとの関係がソ連消滅後も続いていたということ。イスラム武装勢力とアメリカ政府との関係はソ連軍のアフガニスタンへの侵攻より前にさかのぼることができる。

 ジミー・カーター政権で安全保障担当の大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンのモハメド・タラキ政権の打倒を大統領に進言、1979年4月にはイスラム武装勢力への支援が始まり、5月になると、CIAのイスラマバード支局長だったジョン・リーガンがパキスタンの情報機関ISIが選んだグループの指導者と会談、後にCIAは爆弾製造や破壊工作の方法を伝授するなど、様々な支援をしている。

 ところで、タラキは1978年4月にクーデターで実権を握った人物。1979年3月にはソ連を訪問してソ連軍の派遣を要請しているが、このときは拒否されている。このとき、クレムリンの高官たちは戦争の泥沼化を見通していた。こうした流れを見たうえで、ブレジンスキーは武装勢力の支援を始めたわけだ。

 そして1979年7月、アメリカとイスラエル両国の情報機関関係者はエルサレムに集まって「国際テロリズム」に関する会議を開いている。その中でソ連を「国際テロリズムの黒幕」と主張する意見が飛び出している。

 この年の9月になるとハフィズラ・アミンがクーデターでタラキ政権を倒したのだが、このクーデターにCIAが関係しているとソ連の情報機関KGBは疑い、11月に「ジー・グループ」というKGBの特殊部隊が派遣され、12月には対テロ部隊の「アルファ」が投入され、そしてソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンに侵攻した。

 CIAが支援したイスラム武装勢力にはオサマ・ビン・ラディンのアル・カイダも含まれていた。つまり、CIAとビン・ラディンは協力関係にあったのだが、1991年にソ連が消滅して両者の関係も消滅したはずだった。ところが、エドモンズはこの関係が「9/11」まで続いていたと話したのである。実際、2001年7月にCIAの人間がドバイの病院でオサマ・ビン・ラディンとあったとする記事をフランスのル・フィガロ紙が伝えている。言うまでもなく、ビン・ラディンとアメリカとの関係が「9/11」で切れたとする根拠もない。





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最終更新日  2009.08.02 04:05:14


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