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4月26日(水) 毎日、同じように歩いていると、今日が何日で、何曜日か分かりにくい。サラリーマン時代と、異なる大きな出来事である。いつも手帳とにらめっこして、スケジュールをこなしていたが、今は、手帳は真っ白け。 なんか、書かねば、手帳が可愛そうだ。泣いている。 民宿:とうべやさんは、従来の民宿らしい民宿で、心地よい夜を過ごさせて頂いた。客は、「完全歩きお遍路」の方と、「出来るだけ歩きお遍路」の僕とたった二人でした。 「とうべや」って、どう言う意味か聞いてみたら、15代も続く家で、屋号とのこと。田舎へ行くと、同じ苗字ばっかりで、苗字で呼んでもどこの家か分からない。従って、屋号で呼び合うとは聞いていたが、屋号を、そのまま民宿の名前にしたとのことでした。 朝は、お願いもしないのに、「おにぎり」を作ってくれて、お金を支払おうとすると、「ご接待です。農家ですから、米はいくらでもありますから。」と、お金も受け取ってくれません。ほんとに、有り難いことで、心から、手を合わせた次第です。 その「とうべや」の部屋から、見える景色です。心が休まりますねー。小学生が、集団登校する姿も見えます。 こに写真の、真ん中の家が、「とうべや」さんです。「民宿」と書いてなければ、普通の家です。 そして、歯長峠を越えて、3時間余り歩き、43番札所:明石寺に到着しました。 ここから、次の札所まで、65キロほどあります。1日、20キロ前後の僕としては、3日間も掛かってしまいます。それでも良いのですが、汽車とバスを乗り継いで、行くことにしました。 山から降りて汽車に乗ろうと思った町が、卯之町。ここは宇和島街道の宿場町として栄えたらしい。その面影が残っている写真を掲載致します。 今夜は、山の中で、インターネットには、絶対に繋げないだろうと思っていたら、豈図らんや、繋がるじゃー、ないですか! これで、長い夜も楽しく過ごせる。 やった!
2006.04.26
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4月25日(火) 本日は、札所までの距離が長いので、観自在寺から宇和島までバスに乗る。42キロほど、ひとっ跳び。速いなー、バスは。景色がビュンビュンと後ろへ飛んでいく。 そして、宇和島バスセンターの裏手が、宇和島城。街のど真ん中。森のように木々が茂るその上に、天守閣がある。石垣も含めて写真に納めました。 足の裏、特にかかととかの、骨に響くので、本日は厚手の靴下を2枚履いて歩いていた。それで、ずいぶん、緩衝材にはなっているようで、歩きやすい。しかし、宇和島商店街である、宇和島きさいやロードで、靴屋を見つけて入る。 靴の中敷クッションを頼んだら、身なりを見たのか、やす~い、ものすご~くやすい、中敷を出してくれた。それを入れて見ると、何ともしっくりする。値段は、たったの100円。 たったの100円で、ものすごく歩きやすくなり、気分を良くして目的地へ歩く。すると、こんなにも、歓迎してくれるの? と言うような三間町の看板がありました。 嬉しいですね、こう言う歓迎は。なんか、楽しそうです。そして、さらに、ほんの少し歩いたら、こう言う看板がありました。旧庄屋さんの家を、開放しているのでしょうか? 本日の目的、41番札所:龍光寺。宇和島から3時間ほど、歩いた所です。 さらに、1時間弱あるいて、もう一つ、42番札所:佛木寺 本日の歩行時間:5時間20分、歩数:29155歩、歩行距離:15.6キロ、でした。 そして、夕食時、民宿:とうじやさんのご主人が、時間を掛けて慣れさせた、たぬきさんです。警戒心が強いので、明るいうちに来るのは珍しいとのこと。4~5匹いましたが、えさの所に、全員集合はなかったです。 では、また。
2006.04.26
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山の中の民宿とうべや。PHSの電波は届かない。その代わりではないが たぬきの家族が見られた。 宿の、ご主人が、えさを与え初めて半年、こ~いこいこい! と、 繰り返すと、おずおずと、たぬきさん達が現れる。えさをくわえてすぐに 木陰に隠れてしまう。しかし、又、すぐに来る。 のどかな風景であります。 この辺りにも、猪も出るそうです。やはり猪は悪い事ばかりするし、さつまいも などは、柵を作らなければ、全く人間の口に入らないとの事。 猪は、夜しか出て来ないので、滅多に見ることは、出来ないと聞きました。
2006.04.25
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4月24日(月) 「四国出来るだけ歩きお遍路」、も、既に21日間が経過した。 色んな方々と会い、お話を聞けることを楽しみにしていたが、意外と出会いは少ない。何故ならば、同じペースで歩いているとすれば、誰にも会わないから。 逆打ちの人と会っても、すれ違うだけ。順打ちの人と会っても、ほとんど全ての人は、自分のペースを守る為、一緒に歩くことはない。 従って、話が聞けるとすれば、宿の夕食の時が、唯一のチャンスである。ビジネスホテルでは、このチャンスはないので、やはり民宿、お遍路宿に泊まらねばならない。 そう多くの人と会った訳ではないが、その中で、感じることは、男性陣は、かなりの方が、定年を過ぎて、歩いている人たちで、後はかなり若い人。中間層は、ほとんど見かけない。 一方、女性陣は、若い人、中年の人、熟年の人、高齢の人が、バランスよく歩いているように、見受けられる。これは、多分、時間の余裕の問題ではなかろうか? 男女平等の社会になったとは言え、男性の場合、家庭を持って、会社勤めや、自営業を行っていると、纏めて休みを取ることなんて、不可能に近い。僕のように、会社を辞めて来なければ、まず無理。 女性の場合、どうなのでしょうか? 各層の方々が、歩きお遍路をしている実態を見ると、やはり、時間の余裕が、男性と異なるように思えてならない。それだけ、男女平等でないと言う事なのだろうか?
2006.04.25
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4月24日(月) 本日は、風は少し強いが快晴。気持ちよい朝だ。 21.6キロ歩く予定で、朝から気合が入っていた。しかし、不整脈を心配しながらであり、ゆっくりスタート。 途中、松尾峠に差し掛かる。ここが難所だった。心の準備が出来ていなかったので、かなりきつかった。松尾峠の頂上まで、ホテルより何と3時間もかかった。わずか、5キロと少しの距離なのに。 しかし、途中、こんな可愛い花の道も歩いた。 アップにすると、lこんな花です。可憐で綺麗ですね。 そして、これは、ヤマツツジでしょうか? 誰に見られるでもないのに、この山の中腹にひっそりとじゃなく、派手に咲いています。 お遍路道にも、ツツジが咲いていました。 松尾峠を越えると、山の合間の平地に田んぼが作られ、田植えを終えた稲が背比べをしています。分かりますか? 例により、足の裏、特にかかとの骨の部分が痛くて、膝も痛いし、もう限界だな、と思った頃、ようやく、40番札所:観自在寺に到着しました。 本日は、歩行距離:21.6キロ、歩行時間:6時間、歩行数:3万2千歩でした。手の甲も、又、黒くなったようです。 僕の場合、どうも、1日、20キロ程度が、目安のようだ。
2006.04.24
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昨夜は、ビジネスホテル。ゆっくり、バスタブに浸り、旅の疲れを癒しながら、ふと、我の手を見た。あれ? あれあれ! なんじゃこれは!なんと、手首より先の手の甲が、真っ黒です。なんと、手の甲が、インドネシア人になっています。知らない内に、日焼けしていたんですねー!そう言えば、思い出したけど、お遍路に出る前、日焼け止めを持って行こうとリストに加えていた。何故なら、肌が弱くなってしまっているからだ。南国へ行って、日に当ると、湿疹が出来てしまう。今、見たら、ボチボチが出来てきている。しまったなー。やっぱり、日焼け止めを買わねば。その内、顔と手の甲が、インド人になってしまうかな?
2006.04.24
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4月22日(土) 本日は、昨日の足摺岬の海辺から一変して、山道のお遍路。天候も昨日は晴天、本日は雨。全く異なる。雨の中でも、田植えの季節。農業の方は田植えに忙しい。山の合間の中に作られた田んぼと、植えられた稲。 歩いていて、ふと見回すと、山の色が違う。萌える色、萌え萌えの色。若草色と言うのだろうか? 淡い如何にも幼い、若いと言った言葉が、相応しいと思われる色合いだ。 新緑ですね。燃える色の秋も良いが、それは、何か、消え果る前の儚さを、感じる。しかし、萌える色は、如何にも今からだ! と訴えるような、赤ちゃんの可愛さを持っている。雨の中のお遍路でも、楽しい気分が湧いて来て、元気が出る。 雨なので、早めに宿に入ろうとした。その宿の少し手前の、倉庫のような建物で、二人が酒を飲んでいた。手招きして僕を呼んでいる。何だろうと行って見ると、地酒のドブロクであった。「おいしいから飲んで見ろ!」と進められるも禁酒中ゆえ、丁寧にお断りする。 すると、お茶を飲めと、ペットボトルを差し出す。焚き火をしているし、ジーパンもビショビショなので、少し、休ませて貰うことにした。 そうこうして、世間話をしている内に、昼飯まだなら、食べて行け、と言うことになり、家に車で乗せて行って貰う。いやー、これは大変なことになったなー、と思いつつも、楽しい二人なので、ご接待を受けることにしたのだ。 お昼はおそば。四国ではうどんがメインであり、おそばは珍しいが、おいしかった。そして、この人、写真家で、ルポルタージュ作家で、本を既に3冊発刊している。4冊目がもうすぐに、出るとのこと。 中央大学の講師をしていたそうで、そう言われて見回せば、本だらけの部屋であった。取材の苦労話や、本の校正の話などで、盛り上がっていたら、いきなり、「これ、食おう!」と言って、1キロ以上はあると思われる、イカを持った人が現れた。 大工さんで、雨だから仕事にならず、イカ釣りに行ってきたとのこと。最初からいた、もう一人の人も大工さんらしく、いきなり賑やかになった。ドブロクに、酒、ビールと、昼から、酒盛りである。病気前であったなら、もう一気に仲間入りで、宿をキャンセルし、この家に泊まったこと、間違いなし! しかし、悲しいかな、禁酒中。聞き役に廻り、夕方、残念ながら、お暇し、お遍路宿に移動した。 夕食は、こんな感じ。いつもの民宿に比べると、お粗末だが、この程度で、僕は、十分なのである。 雨ながら、本日の昼から夕方にかけて、とても楽しい、ひと時であった。
2006.04.23
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4月21日(金) 足摺岬の海岸線が綺麗だと言う、西ルート、松尾、大浜、土佐清水を歩いた。 ここの海は、本当に綺麗でした。言葉より、写真の方が実感出来るでしょう。こんな風景です。 こう言う風景が続きます。 途中、松尾と言う場所があります。説明書きを忘れてしまいましたが、カツオの漁を確か、「マツ○○」と言っていて。それが、松尾になったのだったと思います。 そこに、樹齢400年の、「アコウの木」があると言うので、行って見ようとメイン道路を外れて、海岸へ降りて行きました。そしたら、漁港に出てしまい、見つからず。地元の人に聞いて、戻ってみたが、見つからず、来た道を引き返して、時間を掛けて、ようやくたどり着いた、「アコウの木」です。 そして、再び歩き出す。このどこまでも広がる海です。ハワイまで見えてしまいそうです。 松尾、大浜と歩いて行くと、次が中浜です。そうです、中浜万次郎。そう言えば、この道路は、ジョン万黒潮ロードと名付けられているようです。看板が沢山出ていました。14歳で、漁船が難破し、鳥島で半年生き抜き、アメリカ船に助けられて、その後の活躍も有名な、ジョン万次郎さんです。 ちょっと遠回りでしたが、元来た道を引き返すのではなく、ジョン万黒潮ロードを歩けて良かったであります。
2006.04.23
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以布利より、バスで真念庵まで。それより、ずっと山の間のお遍路歩き。 早朝の曇りより、すぐに小雨、そして本格的な雨に。 本日は、面白い体験をした。携帯からなので、詳しくは明日、別掲します。 今夜は、今までで最も安い遍路宿。1泊2食で4500円也。 値段だけの事はあり、浴衣なし、エアコンなし、テレビなし。隣部屋との仕切りはカーテンなど、如何にも遍路宿と言った感じである。 が、風呂も綺麗だし値段を考えれば、良心的である。 明日は宿毛。
2006.04.22
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海から上がって来たのだろうと、実感できる。 しかし、それはとても美しい海でないといけない。 外から見て綺麗であっても、潜ると砂が舞い上がって、透明度数メートルなどと言う海はダメ。 浮遊感を感じない。ここから見える足摺岬の海の色は、透き通っており、海の中の石ころまで見える。 この位綺麗だと、宇宙の感覚を味わえるのでは、ないだろうか? 本日は、不整脈もなく、ほぼ予定通りの3万歩、歩いた。
2006.04.21
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以布利も、やはり無線が通じない。初めて携帯電話より記載。 足摺岬の金剛福寺から次の札所へは 多くのお遍路さんは、来た道を途中まで引き返す。 僕は、来た道を引き返すのは嫌なのと、海岸線が綺麗だと言う事なので、西ルートの、松尾、大浜、土佐清水経由を選んだ。 海はさすがに綺麗だ。こんな海は潜ってみたい。海を潜った人は分かると思うが、海の中を浮遊していると、まるで宇宙を漂っているような感覚を受ける。 宇宙に行った事はないが、地上に比べて重力が全くないからだ。 懐かしさを感じるし、確に人間は、遠い昔、
2006.04.21
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4月20日(木) 中村~足摺岬 足摺岬も、PHSが接続できず、一日遅れのブログです。 昨日は、不整脈が出て、慎重を期し、歩行数:15、129歩と、最低に近い歩行距離となってしまった。 本日は、どうか?休息十分、睡眠十分、栄養十分。よって悪い所なし。安心して歩き出したが、やはり、不整脈が続けざまに、9時台に5回も出た。 しかし、ゆっくり歩きながら、騙し騙し、歩くこととした。こんな風景のところを歩きました。足摺岬への道路兼遍路道です。 この頃、若い女性の、お遍路さんに追い抜かれました。 この頃、3人組の、中年婦人お遍路さんに、追い抜かれました。 そして、若いお遍路さんが休んでいたので、追い抜きました。そして、3人組中年お遍路さんを、買物していた隙に抜き去りました。 勝った! 勝った! と喜んで歩いていたら、不整脈のこと忘れてしまい、問題なし。しかし、ちょっと登り坂になったら、又々、不整脈が出る。どうなってんの? と思ってしまう。 速度を落とし、宿で作って貰った、おにぎりを食べて、いたら、中年3人組の一人がやって来た。「他の人は行ったか?」、と。「いや、20分ここで休憩しているけど、通っていない。」と教える。 すると、一緒になって腰を下ろして、世間話し。愛媛から来たとのこと。連れの一人は富山に嫁いだ姉、もう一人は、北海道から来た人で、旅で知り合った由。 そうこうしている内に、中年二人と、若いお遍路さんが一緒にやって来た。そこから、何となく、中年3人組、若いお遍路さん、の女性陣4名と、若くもないが、男性1名、5名の集団で歩くこととなった。 若いお遍路さん、綺麗なんだなー!女優の誰だったかな? 似ている。やさしそうな笑顔。 まぁまぁ、それは賑やかです。よくも歩きながら、あんなにおしゃべりが出来るものと感心しました。女性は生まれながらに、おしゃべりに出来ているのですね。男同士なら、まず、こうは行きません。 そして、着きました。足摺岬。 38番札所:金剛福寺も、足摺岬のすぐそばにあります。 金剛福寺から宿へ行く、10分程度の道に、こんな看板がありました。猪がいるのですねー。そう言えば、昨日、車に乗せて貰った、おじいちゃんが言っていましたが、ピーマンと生姜以外は、何でも食べられてしまう、と言ってました。昨年は、数十匹退治したけど、増える一方だ、と。 足摺岬の観光写真も沢山撮りましたが、まぁ、ごく、普通なので省略します。因みに、白山洞門、亀石、ゆるぎ石、不増不減の手水鉢、足摺岬灯台、ビロー自生地などがありました。 宿の、食事は、カツオに、アジ、海老など、お魚さんが一杯。とてもおいしかった。しかし、他人の事を全く気にしない、おしゃべり男が一人いて、せっかくの食事が台無しになってしまった。 ああ云う輩は、会社にもどこにも、時々いるが、出世しないし、何より嫌われているだろうなー。しかし、本人は嫌われている事を知らないで、自分のみ気持ちよくなっているのだから、幸せなのかも知れない。絶対に、うつ病などにならない輩だ。 聞き上手は、話し上手って、言ってやれば良かったかなー?いや、ああ言う輩は、言っても分からないから、近づかないに限る。
2006.04.21
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4月19日(水) 16日目素晴らしい景色の、国民宿舎土佐を、後にして、暫らく歩くと、こんな看板がありました。さて、どう言う意味でしょう?「魚つき保安林」 ? 分からないなー? 保安林が魚に影響するって言うのかな?それとも、陸に住む、魚がいるのか? 蟹は、蘇州楽園さんの調べで分かりましたが。 こんな景色が見えるところにあった看板です。 峠を登り降りしていると、不整脈が発生し、胸ももやもやするので、軟弱ながらヒッチハイクに変更。(ここは電車もバスもないところ)やさしい、おじいちゃんに電車のある、須崎まで乗せていって貰いました。この方は、もう引退して10年になるそうですが、娘さんの所に移住しているものの、時々、自分の生まれた家に帰ってくるそうです。その帰る道中に拾って貰いました。時間はいくらでもあるから、もっと乗せて連れて行ってくれると言って頂きましたが、申し訳ないので、一番近い、電車の駅まで乗せて貰いました。 電車に乗って、そして着いた、37番札所:岩本寺です。 又、電車を乗り継ぎ、四万十市までやって来ました。バスに乗り継げば、足摺岬まで行けましたが、「四国出来るだけ歩きお遍路の旅」、なので、出来るだけ歩きたいのと、あの有名な四万十川を見たかったからです。 宿で自転車を借りて出かけました。女子高生に聞いたら、「どこか分からん」って!有名は、四万十川も、地元では、単なる川なんですね。おじいちゃんに聞いて、たどり着いた、四万十川です。 もう一枚宿のご主人の話では、車で最低30分、出来れば1時間くらい、上流へ行かねば綺麗な四万十川は見れないと言ってました。 そして、偶然に驚くのですが、「トレビアの泉」で、日本百選の川で、大腸菌のいるワースト5を紹介していましたが、何と、四万十川が、その5位なのです。水の色を見ていたら、綺麗ですけどねー。中国の川を見たら、比べ物にならないほど、綺麗で美しいと思うでしょうが・・・。
2006.04.20
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四国歩き遍路 第16日目。体調も良いし、本日も20キロ頑張ろう! と国民宿舎土佐の裏道を登り始めた。生憎、小雨もぱらつき、合羽も着る。10分も歩いたら、心臓部が、「ドキッ」っとした。廻りには、美人も誰もいない。確か、1年くらい前から、時々、こう言う状況が出た。この症状の傾向はあり、屈伸運動を行っている時に出る。心臓部が、「ドキッ」と手を当てなくても、大きく心臓が打つのが分かるくらい。北里研究所病院で、24時間ホルダーや、運動心電図、心エコーなどなど、出来る検査は全て行ってみた。結果は問題なし。 これは当たり前。何故なら、検査中、いつもの症状が出ないのであるから。異状なしとの結果であったが、その後も症状は出る。本日、どうも胸の辺りも、重々しいし、調子が悪そう。このまま心不全でばったり倒れて、そのまま天国行きなんて事になったら、何の為に、お遍路しているか分からない。1時間半ほど、歩いてから、歩くのを諦めて、ヒッチハイクに切り替えた。3台目の車が止まってくれた。近くの汽車の駅まで送って貰い、その後は、宿まで汽車。民宿に入って、心臓の問題を調べてみた。動悸で調べたら、下記。<要点>1. 動悸の原因として、健康な人に見られる、一瞬ドクッと感じる不整脈がある。 期外収縮と呼ばれ脈が飛んだりする現象。2. 期外収縮とは、心房や心室などの場所で期待されるタイミングより早く心臓が 興奮収縮する場合を言う。いわば心臓の「しゃっくり」。 心臓内の異常な電気回路の存在などが原因と考えられている。3. 心臓に病気を持たない、期外収縮は、生命への危険性はなく、寿命に影響 することもない。ただ無害な不整脈とはいっても自覚症状があまりに強く 生活に支障が出る場合には抗不安薬、安定剤や、時に軽い抗不整脈剤を 使用することもある。 4.ストレス、睡眠不足、疲労などでも不整脈は起こりやすくなります。5.「自分は心臓が悪いのではないか」という不安感をきっかけに、精神的な興奮に よって脈が速くなったり、息をしすぎる、つまり「過呼吸」になったりしたために 起こることが多い。と言うことで、ここの所、体調も良いので、1日3回のデパスを、昼を抜いて、2回のしたのが、悪かったのかも知れない。又、15日間も歩いているので、疲労が溜まっているのであろう。少し、ゆっくりしながら、歩くか、電車、バスを利用することにしたい。
2006.04.19
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四国歩きお遍路も、本日、16日目を迎えました。と言う事は、宿にも15泊したと言う事であります。で、どんな宿が良いか? 考えて見ます。1.まず、清潔であること。古い、新しいは問いませんが、清潔であることが 大前提。2.部屋に最低、欲しいもの。 * 座卓若しくは机(座卓がない和室もあった) * お湯ポット(ない民宿もあった) * 清潔な布団、枕 これだけあれば、寝ることに問題ない。3.上記に加え、欲しいもの、若しくは、あったら良い物(順不動) * 湯沸し器(お湯ポットでは、朝はぬるくなってしまう) * お茶(ない所もある) * ティッシュ(安いお金で便利になる) * コンセント(少ない所あり、パソコンつなぐともう余りなしで超不便) * ハンガー 4~5ヶ(少ない所あり) * タオル(欲しいよねー) * 浴衣(欲しいよねー) 4.さらに、希望したい項目 * 隣との部屋の声が筒抜けでないこと。(襖の仕切りは同部屋と同じ) * 洗面 * トイレ * お風呂こんな、所かなー? 何か抜けているかなー? 皆さんは、どうですか?
2006.04.19
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本日も、疲れました。 7時半、スポーツパレス春野を出発、16時半、国民宿舎土佐に到着。 歩行距離:24キロ。歩行数:4万3千歩。歩行時間:6時間10分。昨日より、歩きました。 本日は、軍隊の訓練に見習って、50分歩いて、10分休みのペースで歩いた。(これは、4日目頃、おじいちゃんに聞いた歩き方です。)そうした所、疲れるけども、完全に疲れる前に、多少回復するので、疲れが溜まらないようです。 まずは、34番札所:種間寺へ行きました。 次には、34番札所:清滝寺です。最後の登りの1キロはきつい坂でした。 このお寺には、藤が咲いていました。 そして、次の札所に移動中、何と石垣に、鮮やかに咲いている芝桜を発見しました。逞しいですねー! 感動です。 午後3時過ぎに、ようやく、青龍寺へ着きました。階段が100段以上あり、登るのに、最後の力を出して、ようやく辿り着きました。 そして、国民宿舎へ。そしたら、山の上だって!おいおい、もう歩けないよ! 助けてくれー! と言いたいところ、最後の一踏ん張りと、20分以上、急坂を登る。 すると、そこは、最高の見晴らし! 最高の景色!早速、チェックイン。窓から見える景色を、ご覧下さい!この小さな椅子で、愛を語り合いながら、コーヒーを飲むのです。 そして、もう少し、右手の写真がこれです。両方とも、自室の窓からです。 僕の部屋のすぐ下に、露天風呂があります。この風呂からの、景色も上の二つの写真と同じものが見えます。 最高! 贅沢! 天国!貸切にして、彼女と二人だったら、そりゃーもう、最高以上の、超サイコー! 夕食もこんなに豪華。これで、6800円です。 お得なお値段。 美しい景色。 その景色を見ながらに露天風呂。 お奨めです。
2006.04.18
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長距離を歩くには、軽い靴が必須と思っていた。何故なら、中国の黄山を登った時、軽く考えて、安全靴のような重い靴を履いて行って、どえらい目にあったからです。 そして、軽い靴を買って、且つ、新品では、マメが出来るので、結構、試歩きもして、問題ないことを確認してきたのであります。慎重ですよね? ところが、既に、歩き始めて、2週間が経過したのに、足裏の痛みが消えない。ひどくなっている。途中、マメが出来た時、低反発の中仕切りを購入して入れたにも拘らず、まだダメです。 試歩きと何が違うのか? それは、距離です。試歩きの時は、ほぼ1万歩以内であったのです。それが、今回は、3万~4万歩近く歩く。この距離が問題なのです。 1万歩までは、鼻歌歌いながら、軽く歩ける。 2万歩を超す頃から、痛み出す。 3万歩を超えると、もう、歩くのは苦痛。もういや! 歩けない! って感じ。 おまけに、試歩きではない、山登り、山くだりがある。これが、足裏を直撃する。これを何とかせねば、長い距離を歩けない。中仕切りを、もう一枚入れて見るか? 荷物の重量は、測定したら、11キロでした。11キロでも結構、肩に食い込みます。なにせ、1日、7時間ほど、背負っているのですから。 今日は、天気がよさそうだ! 頑張って歩いて見よう! 4万歩かな?
2006.04.18
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いやー、疲れました! 完璧疲れました!桂浜の、竜馬の前では、もう一歩も動けない、としばし海を見ながら呆然と座っていたほどです。お参りだけでなく、観光まで徒歩でしようとするから、無理が出てしまいました。では、本日の一日。 本日は、ビジネスホテル土佐路から、31番札所:竹林寺へ向かいました。竹林寺は、山の上にあります。名前通り、山を登って行くと、竹林がありました。そして、下記のような、黒くて、太くて、長いのが、ニョキニョキっと出てました。 その横では、こんな可憐な花が、沢山咲き乱れていました。筍の廻りに咲いてる花の、拡大写真ですよ! ここが竹林寺です。途中、植物園とかあり、非常に行先が分かりにくい。30分ほど、行きつ、戻りつで、時間を浪費しました。(これも疲れた) 次に行ったのが、禅師峰寺(ぜんじぶじ)です。ここもちょっとした山の上。 そして行きました。坂本竜馬が、海を見下ろす桂浜の丘の上です。太陽を背に受けて、竜馬が見下ろしています。 竜馬が見下ろしている海が、ここです。 そして、重い腰を上げて、ゆっくりゆっくり休みながら、行き着いた33番:雪蹊寺。もう、ほんと、死ぬ思いでたどり着きました。 もう歩けないので、ホテルへ電話し、迎えに着て貰いました。スポーツパレス春野。名前の通り、窓の外は、運動場です。学生の合宿などで、良く利用されているとのこと。安いし、料理のボリュームも凄い。食べ切れませんでした。(残念ながら写真なし) ほんと、疲れたと思ったけど、わずか、19.6キロ、35,825歩しか歩いていません。 だめだー! まだ鍛えが足りないなー! 明日は、25キロだ。歩けるかなー?
2006.04.17
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本日は、二日前には雨の予報であったが、大変良い天気になりました。気持ちよく、歩いて、1時間15分、9853歩。国分寺に着きました。 この寺には、この花が沢山咲いていました。一つ一つ、傘が掛けられています。しゃくなげって言うのですか? この花? 次の札所への道は、田園風景の中を歩きます。気持ちいいですよー! そして着いたのが、善楽寺。 ここで本日の四国お遍路はひとまず、完了。せっかくなので、高知市内へ見学。バスに乗って市内へ。終点のはりまや橋で降りて、歩いて1分、ありました。 それから、アンパン食べながら、高知城へ。今、NHKでやっていると言う、スペシャルイベントをやってました。銅像もあります。女性の銅像って珍しいね。芸受作品のヌード以外は。ご存知、千代さんですよ! ついでに、高知城も一枚。 帰りは、電車でホテルまで、帰りました。ラクチン!
2006.04.16
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高知へ、やってめぇりやした!ここは、室戸岬方面と、全く趣が異なりますぜ! 江戸の品川宿にくらべりゃー、でけぇーとは言えねぇが、かなりなもんですぜ。歩いてる、娘御は、土佐に来て、初めてみやした。きれーなもんでやんす。 驚きやした! たまげやした!江戸と同じもん、来てますぜ。江戸もんに負けねねーくれぇ、きれいだ。一人、貰いてぇーもんだい、来てくれるっていやぁーの話だが、よ!はりまや橋から、高知城まで歩いて見やしたが、人波みで大混雑でやんす。まるで、浅草の通りを歩いているようでやんす。てぇーしたもんでござんす。さすがは、24万石城下町。あっしの城下町に比べても遜色ねぇーです。そして、高知城。石垣もすごい。さすが、山内一豊。の妻か?千代さんって言うのけ?城に銅像があって、説明文があったが、千代かどうか、分かんねぇーって書いてあったぞ? どう言うこったい?あっしは、千代とばっかり思ってたじゃーないか!お遍路は、午後、ちと休んで、土佐の街を散策でやんした。許してくんねぇー。今のあっしには、時間がありあまるほどあるんでぇー。決して、お遍路を、ごまかしているんじゃーねぇって事をよ。外は、少し寒くなりやした。城の広場では、町娘達が、無邪気におしゃべりしておりやす。若い娘の声は、どこで聞いてもいいもんでござんす。全く、無関心を装いながら、聞き耳を立てているあっしは、罪なもんでござんしょうか?夜は長く、淋しいもんです。 又、今夜、ここでお会いしましょうや!
2006.04.16
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昨日、高知の竜河洞へ行ってきました。鍾乳洞で有名なのは、何と言っても、山口県の秋芳洞であると思います。昨年、ここへも行ってきました。 そして、昨日知りましたが、「日本観光鍾乳洞協会」と言うのがあるのです。そこが、発行と言うか、決めている、「日本鍾乳洞八選」と言うのがあります。 龍泉洞 岩手県 あぶくま洞 福島県日原鍾乳洞 東京都秋芳洞 山口県 龍河洞 高知県七ツ釜鍾乳洞 長崎県球泉洞 熊本県昇竜洞 鹿児島県 如何ですか? 何箇所行ったでしょうか? 上に記載の八選より、もっと凄い所あるぞ! と言う方おりませんか? 僕は、日本ではありませんが、中国の杭州から、車で1時間程度の所にある、そりゃー、すごい鍾乳洞を見ました。登っていって、物凄く、広い部屋に出て、帰りはトロッコで出て来るのです。 秋芳洞より、すごかったなー。 では、又。
2006.04.16
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あっしは、渡世人なりたて、亜州の星次郎と申しやす。放浪の旅、12日目でござんす。 昨夜の旅籠屋での夕食と、今朝の朝食、何ともおかしかったですぜ。6人の渡世人と、一組の商人の隠居ご夫妻。(たぶん)が宿泊。 昨夜、夕食にいったら、4人の渡世人が既に食べていたのでござんす。あっしは、5人目。だれーも、何にもいわねーで、もくもくと食っている。ちと異様な雰囲気なんでさー。殺気だってるってー、訳じゃなくて、人と関わりたくねーのか、とにかく、だまーって食っている。 あっしは、少し気を使って、隣の、髪の薄い渡世人に聞いてみやした。「今日で、何日目でござんすか?」「5日目。」「全部、廻りなさるのでござんすか?」「阿波だけ」これじゃー、会話になんねー。ぶつ切りの会話って奴でさー。 再び、だまーって、食うだけ。やけに食う音が聞こえるだけの、雰囲気が続くのでやんす。もう、食い終わろうとする、その時、「よ!遅くなってしまってぃー!」と威勢のいい声と共に、一人の渡世人が入ってきた。「酒、くんねー、あっちー奴だな!」、老女と呼ぶにふさわしい仲居さんへ頼んだ。 この男、口から生れて来たのか、黙っちゃーいねー。「おー、ご老人、どこから来なすった!」妙に明るい雰囲気に、会話も進むようになったのでござんす。 そして、今朝。もう、ずいぶん前からの知り合いのように、江戸幕府の悪口を言っている。商人の悪口も言っている。渡世に関わりを持たない渡世人とも思えないが、一人入るだけで、こうも雰囲気が変わってしまうのかって言う、何ともおかしな話でござんした。 さてっと、今日も朝から雨。旅人には、ちと辛い日々が続いておりやす。宿から1里ほどの山の上に、神峰寺:27番札所がある。合羽に三度笠で、急ぎ足で登る。息が切れる。先に行った、渡世人たちは、足が速い。あっと言う間に見えなくなっちまいやした。 1時間と少しかかって、に着いた神峰寺。 次は、大日寺。遠すぎるので、駕籠で行った。 この大日寺から6キロの所に、龍河洞がある。星次郎は、ちょっと骨や休みに札所以外へも足を伸ばしたくなった。 途中、渡世人にあるまじき、駕籠に乗ってしまったが、結構歩いた。3万3千歩だ。今夜は、ちと趣の変わった旅籠にした。仲居も誰もいねー。部屋にも誰もこねー。厠も風呂も洗面も、全部部屋についている。分かったかの?飯は、外から買ってきた。魚に飽きたので、豚カツだ。それと不足気味の野菜。どうでぃ。これでも結構、豪勢じゃーねーかい?
2006.04.15
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アジアの星一番で行きます。亜州の星次郎で、書くのに疲れます。(時代考証の確認に時間がかかるし、自信なし。) 本日の経路としては、まず、室戸岬突端にある、民宿室戸荘の目の前にある、遊歩道を歩く。そしたら、「子授の岩」、何て言うのがありました。 どこが、子授け?室戸岬、「月見の浜」っていうのもありました。 う~ん、月は見えるだろう。木の根が、岩を包み込んでいる、「あこう」と言うのも見ました。すごい生命力! 岩が可哀想! そして、浜からすぐにそびえ立つ山を上り始めました。汗を拭き拭き、35分最御崎寺(ほつみさきじ)に着きました。何でも、この札所は、女人禁制で、明治の初めまで、女性は、お参り出来なかったそうです。女性が近づくと嵐がおこり、火の雨が降ると言われ、弘法大使の母親でさえ、近づいたら、荒天となり火の雨が降ったと言われているそうです。因みに本日は、女性と言う性は、もう忘れた、と言うような方々ばかりであったので、曇ってはいたが、荒天にはならず、火の雨も降りませんでした。 最御崎寺から50mの所にある、室戸岬灯台から、太平洋を見たところ。同じく、山の中腹から、室戸市を一望したもの。歩いていたら、こんな看板のお店がありました。「ホンダニ」って何だ?と思って、写真を撮って見ましたが、何と言うことはありませんでした。金剛頂寺へ登る道に、こんな看板がありました。「これより先 6丁」とあります。どんだけ、遠いのか分かりません!今夜の宿は、27番札所:神峰寺の麓にある、民宿 浜吉屋です。夕食。どこも概ね同じです。刺身や魚は大好きなので、飽きはしませんが、たまには、違うものも食べたくなって来ました。この宿も、PHS通じず。インターネット出来ず。ブログ見られず。残念!明日の夜は、高知に近いから、多分、つながる。期待!
2006.04.15
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あっしは、渡世人なりたて、亜州の星次郎と申しやす。放浪の旅、11日目でござんす。 室戸岬までの道中、山と海の間に平坦部があると、小さな部落が、沢山出てくる。歩いていて、気が付いたが、ここは、もう阿波の国でなく、土佐の国に入っていた。甲浦が国の境目であった。全く渡世に興味がなくなるってーと、国でさえどこでも、よくなっちまう。よくねー考えだ。 土佐と言えば、坂本竜馬、中岡慎太郎。そして城主の山内容堂。さらに、その藩祖である、山内一豊、そしてその妻。内助の功で有名すぎる人たちである。長宗我部氏の国であったが、秀吉、家康の戦いの後、関が原、大阪の陣でも負けて、斬首。その部下達は、山内家に使えて、同じ侍でありながら、郷士として差別され生きているのだ。拙者が武士であった時、勉強させられた。 戦に負ければ、もう一度戦って勝つまで、敗者で蔑まされる。いつの世も同じか? そんなこんなで、ほとんど旅人にも会わず、室戸岬に着いた。旅籠屋は、室戸荘と言う。仲々、いい宿でござんす。室戸岬の突端にありやす。 部屋へ通されたら、海が目の前でござんす。魚が泳いでいるのも見えやす。え? ほんとかって? 嘘に決まってらーな。 海の中の魚が見える訳ありやせん。あっしは、鳥じゃーねーんでさ。だまされちゃーいけませんぜ。素人衆の旦那さん方。 そんで、部屋には、電視あり。空気自動調節機あり。自動湯沸器あり。卓袱台あり。浴衣あり。浴巾あり。鏡台あり。椅子2脚あり。洗面台ありで、さいこーでさー。これ以上、言うこたーねー、部屋でさーな。部屋から、海の景色。 客人は、大人しい町人の小僧であろう、若えもんと、あっしだけで、ひっそりとしておりやした。ゆったりと飯食って、ゆったりと寝た。寝起きも気持ちいいぜ。障子を開ければ、すぐに潮の香りが部屋に入って来るんでさ。気持ちいいぜ。今日が、早や、脱藩して、渡世人になってから、11日目になる。 国では、どうしているか? まだ、脱藩が許されていねーはずだ。仲間に影響を及ぼしていなけりゃー、いいのだが・・・。本日は、最御崎寺、津照寺、金剛頂寺の、3箇所へお参りする予定でやす。
2006.04.14
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あっしは、渡世人なりたて、亜州の星次郎と申しやす。放浪の旅、10日目でござんす。 あっしの泊まった旅籠は、ばあや一人、客間二部屋のちいさな宿だ。場所がわからねーので、地元の女衆に聞いてみたら、今はやってねー、とか言う。その女衆が連れて行ってくれたが、ちゃんと開いていたぜ。 隣の部屋の旅人は、うるせー奴だ。独り言ばっかり言ってやがる。女房がどうだの、子供がどうだの、ったく、ぅるせー。夕食は、酉の刻(18時)より、一刻(30分)前に準備された。はえー。早すぎるぜ。まだ、腹へってねー。 隣の旅人は、早くもがっついている。音で分かる。食う時までうるせー奴だ。「お!女将さん! 明日は、はえーんだ、朝飯食ってる暇ねーから、握り飯作ってくんな!」、隣の旅人が行っている。やっぱり、渡世人らしい。堅気の口の聞き方じゃねー。 あっしも、腹は減ってねーが、暮れ六つには食い終わってしまった。やること、何もねー。PHSの飛脚はこねーし、見るものもねー。電視もねー、全く何にもねー宿だ。 隣の渡世人は、ブツブツ言ってはいたが、飯食って、三刻もすると寝たようだ。あっしは、書き物をして、暇をつぶしていた。すぐにイビキを掻き始める。起きても寝ても、うるせー奴だ。「うるせー!」と言ったら、イビキは止んだ。聞いてんのか? お前? 隣の渡世人、朝は、寅から卯の刻には出立した。(朝の5時)お陰で、こちらも、早く起きちまったじゃー、ねーか。 そんなこんなで、甲浦(かんのうら)宿を早めに出発する。雲行きが怪しいな、と思っていたら、案の定、ポツリポツリと降って来やがった。一昨日は大雨と強風、その前も雨。そして、今日も雨だ。渡世人なりたてのあっしには、試練の雨だぜ。 しかし、室戸への道は、味気ねーもんだ。左は、でっけー海。右は山。 ただ、そんだけだ。後は何にもねー。それが、右に左にくねって同じような景色が延々と続く。家並みさえねー。どうなってんだ? 東洋部落はあったが、ちっけーちっけー。佛海庵ってのもあったが、なんじゃこれ?ってなもんだ。途中、ちっぽけな平坦部があると、家々がかたまって建てられている。人間も図太いもんだ。どこでも住んじゃってらー。 旅人にもほとんど会わねー。一日で二人だけ渡世人にあっただけだ。23番札所から、室戸岬の24番札所まで、20里ほどだ。 まだまだ、4里はある。
2006.04.14
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歩いていたら、こんな看板があった。6月~9月 蟹だよな? どう言う意味? 食い時ってこと? 蟹に気を付けろっ、てこと? で、何に気をつけるの? 分からんなー、この看板! 薬王寺のすぐ近くの、日和佐駅には、無料で入れる足湯がある。無論、僕も試してみた。気持ちいい。足だけ温泉に入ってるのに、体中が暖まってくる。こんな感じ。 あんなに美しく咲き誇っていた、桜も、もうこの通り。二日間の雨と風であの美しさは、見る影もない。 花の命と、女の盛りの命は短い。男の盛りの命は長い。なに! セクハラだと! すいません、そう言う意味じゃ・・・ 東洋町の、民宿井上の夕食です。ここは、2階に二部屋しかない民宿。浴衣もない、タオルもない。テレビもない。おまけに、PHSも通じず。よって、PHS無線のインターネット使えず。本日も、ブログ更新できず。四国の太平洋側は、遅れている。
2006.04.13
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あっしは、渡世人なりたて、亜州の星次郎と申しやす。放浪の旅、9日目でござんす。 昨日は、てーへんな天気で、えれー目にあいやした。全身びしょ濡れ、ビショビショでござんす。ビジョはいいが、ビショビショは困る。 今日びは、雨もなく風は少しあるものの、歩く汗には調度いい。由岐宿から、歩き出し、田井ノ浜を通り、木岐宿を過ぎると、少し小さな峠越え。山座峠と言う。お遍路道には、だ~れも、いねー。 渡世を離れた、あっしには、調度よい道でござんす。山座峠の坂、三度笠を目深にかぶり、背中を丸めて歩いていると、木々の間から、潮の音が聞こえてくる。海はすぐそこだ。そして鶯が鳴いている。家族でもいるのだろうか? 親族一同で、鳴いているような多さである。 峠を降り始めると、日和佐港が一望出来る。 さらに歩くと、えびす洞と言うのがあった。潮に岩が削られ、洞窟のようになっている。自然の力によるものだ。 こうやって歩いていると、江戸にいる時には、知らないことが沢山ある事に気付く。人間が偉そうに地球を支配しているように見えるが、いやいや、木々や草、鳥や虫、魚や昆虫、沢山の生き物が、自分が支配しているが如く、精一杯、己を誇示しているのが分かる。人間何ものぞ! と言っているように聞こえる。 雑草は、アスファルトのわずかな割れ目にも根を張り、花を咲かせている。見てみよ!人類が滅び、1年、2年、3年もしない内に、全ての道路は、雑草や、木々に占領されるであろう。小さな虫や昆虫、鳥や小動物、その他の動物達の天国になるのではないか? 森の中を歩いていると、世捨て人となった、星次郎には、人間が地球で何をしでかしているのか、何とも、むなしい気持ちになるのであった。 日和佐港を後にしようとした、そのとき、老婆に出会った。「もし、旅のひと? 塩を持っておらんかの?」と声を掛けて来る。素人さんとは、出来るだけ距離をおきたい、星次郎は三度笠を深くかぶり直して、過ぎ去ろうとした。しかし、ちらっと見た、老婆の美しい笑顔に、ふと立ち止まった。 「なんで、ごぜーましょう? 塩は持っておりませんが。」 すると、老婆は、取ってきたばかりの、草を籠から取り出した。「これはの、“いたどり”と言って、塩を付けて食べるとうまいのじゃ。」と説明してくれる。「塩を付けなくても、ちょっと酸っぱいが、食べられる。持っていかんか?」籠から、5、6本、いたどり、とか言う、草を取り出して、星次郎の目の前に出した。 星次郎は、「ありがてー、1本いただこう。」「すまねー。」深々と、お辞儀をして、星次郎は、皮をむきながら歩き始めた。食べてみる。確かに酸っぱいが、うまい。こう言うものが食べられるなんて、江戸にいたら全く分からない。 星次郎は、老婆の笑顔が、美しかったなー、と、もう一度、見たい気持ちを振り払って、足取りを早くした。あんな風な笑顔は、どう言った人生を送れば、作れるのか? 今の星次郎には、分からなかった。 星次郎は、何故、足を速めるのか?23番札所の薬王寺をお参りし、出来るだけ、室戸岬に近づきたいのであった。 明日の予定など、立てなくても良い身になったにも関らず、長年の習性で、怠けることを知らない。急ぐことなど何もないのに、急ぎ足になっている星次郎であった。 薬王寺 室戸岬の辺りは、PHSと言う飛脚はやってこねーらしい。今、東洋村の、飛脚小屋で、借りて送っている。又、いつ送れるかわからねーから続けて、もう一遍、おくりやすぜ!
2006.04.13
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お控えなすって! 早速、お控えなすって、ありがとさんでござんす!あっしは、渡世人になりたて、亜州の星次郎と申しやす。 30万石の藩士でありましたが、とある事件を契機に、脱藩し、放浪の旅にでたのでござる。拙者、いや、既に拙者とは申せない。渡世人であり、あっしと申す。 武士の世界から、渡世人になって8日目。ご先祖様に対して、脱藩のお詫び、並びにこれまでの感謝、拙者、いや、あっしの病気の回復、家族、親族の健康と幸せ、世界の平和、そしてあっしに輝かしい将来が来るよう、様々な祈願を胸に、四国歩き遍路に出たのでござる。いや、出たのでござんす。 昨夜は、平等寺の隣にある、「山茶花」に一宿一飯の世話になった。占い師によれば、本日は、強い雨と、台風のような風が吹く、特に室戸岬への道は強風波浪注意が必要だと言うことでござんした。 しかしながら、渡世人、一箇所に留まってはいられない。雨にも負けず、風にも負けず(どっかで聞いたぞ?)、歩かねばならない。長く留まっては、人情が湧く。「山茶花」の、女将さんはやさしい。 他の渡世人は、卯の刻(現代の6時)に、朝食を食べ、その後、慌しく勢いよく雨の中へ飛び出していった。女渡世人もいた。あっしは、まだ駆け出し。ぐずぐずして、皆から一時:いっとき(現代の2時間)以上遅れて、旅立ちだ。遅い! 占い師の言う通り、大降りの雨。風も強い。「月夜御水庵」のある峠を越える頃はまだ良かった。山が、森が、木々が、風を和らげてくれる。自然がこれほど人にやさしいとは武士の時代には知る由もなし。三度笠を手で押さえて歩く。 合羽は、背中の荷物と膝上の所までしかない。ひざ上から足は、すぐに雨にぐっしょりと濡れる。まるで川の中を歩いているようだ。 薬王寺まで行く予定であったが、5里もある。この大雨と強風の中、駆け出しの渡世人には無理と判断。本道をそれて、由岐の浜を目指す。ここなら、2里半程度の距離だ。 「由岐坂峠」を登って行く。風が強い。合羽はめくりあがり、全身びしょぬれだ。三度笠は、手で押さえていなければ、吹っ飛びそう。風を遮る木々もないと、強風で、一歩も歩けない。 強風に押し戻されながらも、何とか由岐坂峠を越え、しばらく歩くと、大雨の中に薄ぼんやりと、「由岐宿」が見えた。ほっと一安心だ。 今夜の宿、「ゆき荘」は、由岐宿の一番突き当たりにあった。目の前が海だ。「ごめんくだせー!」、声を掛けると、すぐに、女将さんが、出てきた。 「まぁまぁ、雨と風の中、ようこそ、さぞお疲れでしょう、お風呂も準備してます。まず、暖まって下さい!」、と、草鞋や合羽は、乾かすからそこに置いて、すぐに風呂に入れと、ここの女将さんもやさしい。「ありがてー! 一人旅の胸にググッと来るぜ! 一ッ風呂 浴びるか!」 海が見える、風呂につかり、凍えた体が、芯から暖まって来るのが分かる。今日は、海も怒ってるぜ。「まぁまぁ、そう怒りなさんな! 世の中、そうそう、うまく行くこたー、ないもんだぜ。」、と、海さんに呼びかけたもんさ。世の苦しみが分かる、あっしだからこそ、言える言葉でさー。 拙者も、流れ者の、言葉が、身に付きつつあり申し候。この地域、自然は美しいが、飛脚が届かないらしい。すぐに、この日記を送信出来ない。それがちと残念でござる。 一日遅れの配信、第8日目でござる。
2006.04.12
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荷物は、出来るだけ少ない方が良い。山に登っていた頃は、30キロも背負って歩いていたが、それは、鍛えていたから。鍛えてもいない今は、極力少なく。何を持って歩いているかと、記載すると、パソコン、電源コード、マウス、外付けHD → これは僕にとって必須漢方薬2缶 → うつ病用:これも必須デパス2か月分 → うつ病用:これも必須紅茶、黒砂糖、練り生姜、スプーン → 毎朝飲んでいる健康用ガイドブック2冊 地図と説明書ノート大1、小1、手帳1、電子辞書1携帯電話2台、充電コード2デジカメと充電コード洗面用具(髭剃り、歯磨きセット、ヘアートニック、スキンクリーム)書くと結構、多いですねー、それから保温ポット(250cc) →小さ過ぎた500ccは必要お参り用具 蝋燭、線香、ライター、菅笠、頭陀袋、輪袈裟、数珠、金剛杖衣類 下着上4、下着下4、シャツ2、靴下4、ジーパン1、ベスト1、ジャンパー1、 ハンケチ2、タオル1折畳傘、ポンチョこんな所でしょうか? これの大半を、バックパックに入れて、頻繁に使う、カメラや小物を胴に巻きつける入れ物にいれ、頭陀袋に、お参り用具とガイドブックを入れている。パソコン持たず、薬持たず、だったら、持ち物は相当軽くなりますね。湯沸し用ポットと、衣類は途中で送り返しました。まだ下着は多いかな? 毎日洗うから。
2006.04.11
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先日、書いたのに消えてしまったのを、もう一度書きます。出合った方々。北海道から来た方。奥様を亡くし、お遍路を思い立ったとのこと。茅ヶ崎から来たご夫妻。仲良く、ご夫人の体力に合わせて、歩いたりタクシーに乗ったり、ゆったり歩いていました。微笑ましい。68歳の奥様と65歳のご主人。毎日、30キロも歩いていると言う、スーパー夫妻でした。68歳の秋田から来た男性。既に、5回目のお遍路とのこと。今回は、逆打ちで、大体、38日間で廻るって。僕は、50日の予定だから、大した体力。67歳の新宿から来たご老体。見た目、80歳くらいに見える。何故か? 前歯が1本しかないからだ。この人、シルクロード、10回ほど行って、7000キロは、歩いたとのこと。1万キロ、全部を歩くのが、夢だ、と言ってました。このように、老人パワーは凄い。恐れ入ります。若い人とは、24歳と21歳大学中退と、藤井寺から焼山寺の山で出会った。その後、同じようなペースで歩いていたが、24歳は、3日前から、若い女性と二人で歩くようになった。21歳は、昨日から、同じく21歳の若い女性と歩くようになった。老人パワーも凄いが、青年達もくっつくのが早い。中間派は、どっちつかずで、ダメだなー! がっくり!
2006.04.10
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雨も降っている。 気弱になった。 軟弱になった。朝食時、隣の77歳のおじいちゃんに、車に乗せて行ってあげようか? と言われて、喜んで、うなずいてしまったのだ。風邪気味だし、雨の中、歩いて無理はしないつもりでいた。しかし、宿は満室で、連泊はダメだと言うのだ。次の立江寺まで、タクシーで行けば?とか、女宿主に言われていたら、おじいちゃんが、助け舟を出してくれた。で、本来なら、4~5日間ほど掛かる工程を、たった半日で廻ってしまった。19番札所 :立江寺20番札所 :鶴林寺21番札所 :太龍寺22番札所 :平等寺鶴林寺、及び、太龍寺は、山の上にあり、歩きお遍路にとっては、阿波の三難所と言われる内の二つなのだ。本日、明日、と雨で足止めとなったら、明後日、鶴林寺の麓に宿泊。翌日、鶴林寺と太龍寺へお参りし、太龍寺の近くに宿泊、その翌日に平等寺。よって、僕の今の体力状況からすれば、5日間、必要とする。それが、半日。車の威力を改めて、実感する。立江寺この寺は、阿波の関所と呼ばれている。邪心を抱くものは、ここで必ず罰を受け、先に進めないと言われているらしい。僕は全く問題なく進めた。邪心がないのだなー。清らかな心を持っているのが、証明できた。鶴林寺。雨が降り、霧模様。見えないので、もう少し近くで撮りました。間違いなく鶴林寺です。次が、太龍寺。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍、遍路泣く」、と言われる難所の一つ。焼山は12番:焼山寺、お鶴は、20番:鶴林寺、太龍が、21番:太龍寺この太龍寺は、写真では分かりませんが、仲々りっぱです。平成4年にロープウエイが26億円の工費をかけて作られ、簡単、ラクチンでお参り出来ます。軟弱となった僕は、2400円出して、このロープウエイに乗りました。本日の最終が、22番:平等寺です。おじいちゃんは、23番:薬王寺まで行くので、一緒に行かないか? と誘われましたが、そこまで軟弱になってしまっては、。22番で、おじいちゃんとお別れしました。本日は、この平等寺の右隣にある、「山茶花」の宿に泊まります。ん? 山茶花の宿? どっかで聞いた事あるな
2006.04.10
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頭が痛い。やっぱり風邪かなー? これ書いたら寝ます。明日は、雨らしいので、ちょこっと移動するものの、休息日とします。朝、一番で出かけた、井戸寺です。団体さんが、バスでどっと来て、添乗員が、納経帳を纏めて持って、記帳して貰うので、それに遭遇すると、時間がかかること、おびただしい。この朝が、そうだった。足裏、スネ、ふくらはぎ、太もも、腰、肩が痛くて、もうダメだ~! と思った、昼頃、国道55号線沿いに、「日愛うどん」というのがあった。オー、日本を愛するうどんか? こりゃー、食べねばなるまい、と早速痛い足を引きずりながら入って見た。素うどんの、釜揚げのダブルを頼んだ。これです。これが一番、うどんの味が分かるのだ! と以前、教えて貰ったことがある。う~ん、うまかったですぞ! 完食してから、そば湯じゃないけど、うどん湯を、お汁に入れて飲みました。これって、邪道かなー?そして、痛い足を引きずりながら、さらに、2時間強歩く。途中、もうこれ以上、「ぜったいムリ!」、と一人駄々こねていたら靴屋があり、靴の中敷きを購入。これで少しだけ元気復活。やっとたどり着いた、恩山寺です。そして待望の宿に着く。エアコンは、100円入れないと動かない。寒いし、即、100円投入。そして、夕食。どこも大体、18時に呼び出される。てんぷら、刺身、煮物、酢の物、茶碗蒸し。定番ですね。さて、それでは、お休みなさいませ。
2006.04.09
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疲れた 完璧に疲れた 歩けない左足裏のマメはでかくなる一方。靴の中敷き(低反発)を買って、多少は良くなったが、一瞬の間のみ。スネは痛いふくらはぎは、もっと痛い膝はガクガク太ももはパンパン腰は痛いそして、肩が痛いもう痛い所だらけ。あ、そうそう、頭も痛い。昨夜からだ。風邪かなー?1日目 :約 5千歩2日目 :約1万8千歩3日目 :約3万1千歩4日目 :約3万3千歩5日目 :約4万2千歩6日目 :約3万7千歩日を追う毎に、歩く数が増えている。無理したかなー?おまけに、ブログに書いたつもりのものが、消え去ってしまってない。おっかしいなー? どうしちゃったのだろう?眠い目をこすりながら、懸命に書いたのに・・・。 さて、昼寝します。又、夜に・・・。
2006.04.09
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歩きお遍路、3日目、4日目を書いたのに、ない? ない ないおかしい今、書いた、出合った方々、もないな、何でだ
2006.04.09
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2006年4月7日(土) 歩き遍路 第5日目 住友産業 保養所の、なべいわ荘。菅さんも宿泊し、記念写真や色紙が置いてあった。僕には、記念写真も色紙も要求されなかった。が、宿代は、しっかり、消費税も含めて、要求された。6825円。 本日は平坦な道と思っていたら、いきなりこんな急坂。最初から参った! 登り疲れて、もう止めてくれー、と思った頃、ようやく舗装道路に出て、下りになった。ところで、僕は、こんな格好で歩いています。 Gパンに白衣着て、輪袈裟かけて、頭陀袋下げて、菅笠被って、金剛杖持ってます。ちょっと本格的に見えないね。下がGパンだからか? 山の中腹の家の石垣は、こんな綺麗な花を咲かせていました。 山を下り、家並みを縫って歩いていくと、鮎喰川へ出ました。菜の花を隔ててみる鮎喰川、確かに鮎が喰らいつくと言うような綺麗な水でした。中国では、雲南省まで出かけねば見られない。 国道を歩いて、歩いて、朝、7時出発、13時過ぎ、6時間掛かってやっと大日寺に着きました。 次は、桜が、満開の常楽寺です。ほんと、いい季節でした。 次は国分寺です。 次の札所に行く時に、こんな看板がありました。 いのちのさと 無料休憩所 ???ここは、風もふきっさらしで、屋根もない。無料休憩所ってのは、ありがたいが、どこが、いのちのさと、なのか、ぎもんだなー? しばしたたずみ考えたが、分からない。 それで、本日最終の、観音寺です。工事中で、大したことないので、写真なし。 本日は、4万2千歩、歩きました。マメも一つ出来ました。つかれた~!
2006.04.08
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1泊目 → 1番札所、霊山寺の近くの、民宿 阿波 6500円2泊目 → 6番札所、安楽寺 6500円3泊目 → 11番札所、藤井寺の近くの、旅館 吉野 6200円一番が、旅館、吉野 部屋も綺麗。部屋の中に、洗面所(トイレは外)あり。浴衣、丹前あり。歯ブラシあり。湯沸しポットあり、テレビは液晶、エアコンあり、風呂は一人づつ。料理も良い。極めて、よろしい。大満足。三番が安楽寺。浴衣なし、タオルなし、座卓なし、テレビは映り悪し、歯ブラシなし、でほとんどなし。あるのは、注意書きと、協力せよ、と言うようなもの。土産の店も沢山あり、300人も泊まれるらしい。商売、商売、坊主丸儲けの世界のよう。パソコンの使い方に困った。寝そべって使うのは、疲れるし、面倒。こんな使い方初めて。中間が、民宿、阿波。おじいちゃん、おばあちゃんが経営している。吉野に比べると、ちと落ちるが、民宿の雰囲気あり、嫌いではない。おじいちゃんが色々と説明してくれるが、言葉が良く分からず、曖昧にうなずいてしまう。これから、何泊するのか、分からないが、価格は別として、商売っ気丸出しの宿は嫌だなー。無論、どこも商売なのだから、仕方ないが、それでも、雰囲気が全然、違う。「お遍路ころがし」に備えて、湯沸しポット、下着類など、東京へ送り返した。出来るだけ、荷物を軽くして、少しでも体力を温存したい故。下着は毎日洗えば、2着でOK。しかし、3着は残した。さて、今日は、早い出発だ
2006.04.07
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3月は、歩きお遍路の方は、少なかったらしいが、4月に入り増えた模様。昨日も、何人かの方にお会いし、話もした。一昨日、安楽寺の風呂で一緒になった人は、地蔵寺でたまたま見かけた人。話を聞いていると、チベットに詳しいらしく、さらに聞いていると、ほとんど、あっちの方へ行っているらしい。カイラスって一度行って見たいと行ったら、「行って来ました」と言う。その後の食事の時に、カイラスの写真を見せてくれた。下記です。もりみほさんが、苦労して到着した場所です。この方は、プロのカメラマンらしく、この写真と、チョモランマの写真と、どこかの滅多にないと言う、壁画の写真を無償で頂きました。ありがたや、ありがたや。茅ヶ崎から来ている、ご夫妻。ゆっくりゆっくり歩いています。もう定年退職して、無職だから、時間は沢山ある、と言っていました。本日、「お遍路ころがし」の山登りに挑戦するとのこと。本日、又、お会いするかも。北海道の岩見沢から来られた方。70才。3年前に、88ヶ所全て歩いて廻ったとの事。この時は、奥様を癌で亡くし、お遍路をしたとのことです。今回は、歩きに拘らずに、廻ると言ってました。途中の休憩所で、宿を探していたので、教えてあげて、7キロほど一緒に歩いて宿まで来ました。東京の新宿から来られた方。66才。吉野川の辺で休んでいたので、一緒に休み、話をしました。外見は凄く老けており、75才位かな? と思ったら、66才と言うので驚きました。前歯が抜けて1本しかないので、年寄りに見えます。宿の食事に行ったら、何と、その方もいました。同じ宿だったのです。黄山や、泰山、その他、アチコチに行っているとの事。驚いたのが、シルクロードを全部歩きたいと言うこと。1万キロあるらしいが、既に10回ほど行き、7千キロは踏破したとのこと。驚きましたねー 実際は半分ほど歩いたと言いますが、それでも凄いあと3千キロだ、と言ってました。お酒が好きらしく、そして、僕も気にいられたのか、部屋へ来い、一緒に飲もうと言われましたが、残念ながら、禁酒中。本日、この方も、「お遍路ころがし」に挑戦する。山の上の、焼山寺には泊まれない。近くの宿も予約で満席。登り切っても泊まる所がない。 何とか、行き着くだろうか? そして、宿は?心配は尽きぬ。
2006.04.06
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6番札所の安楽寺に宿泊した。民宿と違う所。食事 前に、全員で以下を唱和する。* 一粒の米にも万人の苦労がかけられています。* 一滴の水にも天地の恵みがかけられています。 ありがたくいただきます。食事後、午後7時から、説教があった。* まず、お経を唱える。本があり、ひらがながふってあるので読める。* 安楽寺のお経、「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」を唱える。* 「南無大師遍昭金剛」を、108回(たぶん)唱える。 (あまりに長いので、居眠りしそうになった→何とも不信心)その後、お坊さんの説教。約30分内容は、砂漠から生まれた、イスラム教、キリスト教は一神教、四季があり、恵みの豊かな日本は多神教。日本の場合、全てが神になれる。森、木々、岩、人間、動物でも神になれる。そして、皆、平等。神は自然の中にいる。何故ならば、豊かな自然は、例えば木々を切ってもすぐに元に戻るから。一神教の場合、神は自然の中にいない。神の下に人間がいて、その下に動物など、いて、人間が支配する構図。他の神を認めない。従って、イスラム教とキリスト教は、終生、いつまでも交わる事が出来ない。日本の多神教は、1万年前からの、縄文時代から、多くのよろず神を信じて、特に先祖を神に祭り、祈ってきた。日本は、豊かな自然に恵まれ、許す社会、平等な社会、多神を認める社会である。と言うような内容であった。眠かったが、なるほどー、と、居眠りせずに拝聴したものである。
2006.04.06
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第2日目。 2番札所:極楽寺 3番札所:金泉寺 4番札所:大日寺 5番札所:地蔵寺 6番札所:安楽寺 今夜は、ここに宿泊。20914歩も歩きました。疲れた! 疲れたそれでは、写真で紹介しましょう。まず、極楽寺。1番札所から20分の所、お遍路道を間違えて山を登って行ってしまった。で、50分も掛かって、もう初めから、大疲れ。空は、暗く、小雨もぱらつき、先行き不安。次は、3番札所、金泉寺。次が、4番札所、大日寺。次が、5番札所、地蔵寺。ここは、参道が綺麗なので、もう一枚。桜が満開でした。本日、宿泊の、6番札所、安楽寺。そして、お遍路道ですが、小雨が降ったので、ぬかるみで歩きにくい。近道ではあるが、歩きにくい。こんな道です。二つ写真。何故、四国の霊場のことを、札所と言うか、分かりました。昔、どの位、昔かは分かりませんが、昔の札は、木や紙で出来ていたらしい。それを、巡拝した証として、霊場の柱などに打ち付けたとのこと。それで、「札所」となったとの事です。霊場巡りも、「打つ」と言うらしく、僕のように1番から廻るのを、「順打ち」反対廻りを、「逆打ち」と言うそうです。本日は、以上。
2006.04.05
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昨日は、第1番札所の霊山寺(りょうぜんじ)へ行っただけで、予約していた、「民宿 阿波」には、午後3時到着。4時には、風呂にも入り、 5時には夕食 の準備が出来ている。ゆっくり食べても、5時半には、夕食完了。時間があり過ぎるー写真整理して、ブログ書いて、ブログ覗いても、まだまだ、時間あり。いやー、時間があるある。テレビ見ても、飽きてきたので、9時半には、布団に入る。でもでも、良く目が覚めて、7時間は布団の中にいたが、熟睡とは言えない。寝不足感あり。本日は、歩くから、眠れるだろう。あや~? ニュースで、タイのタクシンさん、首相退陣みたいですぞ?安定したタイなのに、どうなるのかなー?本日は、 だ!
2006.04.05
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本日より、「出来るだけ歩きお遍路」の開始です。岡山から高松へ渡りました。次の特急まで、1時間もあるので、名物うどんを、食べに商店街へ歩いて行って見ました。ありましたよ!何と、1杯(小)90円。中、大、とか色々とあります。味も良かったですよそして、特急なのに、たった2両の電車に乗って 、板野へ。それから、さらに、1両のみの電車にて、坂東へ。こんな電車です。そして、坂東駅に着きました。駅から、案内看板が出ています。板東駅から、ゆっくり歩いて、20分。第1番札所、霊山寺へ着きました。ここで、諸々のお遍路用具を購入しました。結構あるものです。 納経帳、菅笠、数珠、金剛杖、白衣、輪袈裟、頭陀袋、納札、線香、ローソク。などで、〆て、2万円。お寺も儲けまっせこれを、着ると恥ずかしいです。慣れないと上を向いて歩けそうもない。皆さん、こんな感じで、拝んでいます。若い人もいました。明日は、2番から6番まで、お遍路予定です。
2006.04.04
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本日で、全ての業務が完了しました。中国人研修生を、会社で紹介、多少の説明のあと、独身寮まで送り、管理人さんからの、説明を受けて、全て完了。夜は、一緒に仕事をした事のある後輩を呼び出し、二人で会食。僕は → 後輩は → やっぱり、病気が出て、頭が痛く、辛い会食となった。最近は、会食の時に、病気が出る傾向がはっきりして来た。同じ姿勢で座っているせいか?何はともあれ、明日から、「四国88ヶ所、出来るだけ歩き遍路の旅」の始まり、始まり、でござんす。明日は、黒崎から、鳴門に移動し、1番札所の、霊山寺へ行く。ここで、恥ずかしいのであるが、お遍路の旅支度をする。あの白装束、恥ずかしいよなー! でも、それをしないと意味ないらしいので、簡単なものを羽織る程度の格好はするつもり。学生時代の北海道一周の旅、以来の長い旅となる。楽しみと、体力の不安と、病状の出方が気になる、何とも複雑な思い。でも、頑張るぞ! 歩きとヒッチハイクの併用だな。
2006.04.03
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中国からの、研修生、無事、到着しました。福岡空港から、博多駅近くのホテルに、タクシーで移動。ホテル内のレストランにて、二人で、日本食を食べ、そして、まだ、時間が早いので、中州へ繰り出しました。そしたら、呼び込みが多く、1時間、飲み放題5千円、とか、色々、説明してくれる。キャバクラとかもあった。スナックと、キャバクラって、何が違うのか分からず、初めて日本へ来た、中国人に、嫌な思いをさせても悪いので、道路から見学だけして帰って来ました。ちょっと、情けない。明日は、研修場所へ移動し、研修生を引き渡します。教える方は、日本語のみで、中国語はダメ。教えられる方は、中国語のみで、日本語はまるきしダメ。これで、うまく行くかなー?その結果も、ちょっと不安なのであります。
2006.04.02
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もう、羽田空港に着きました。成田に比べると近くて良いねー何せ、アパートから、歩いて、35分で、京急蒲田に到着。ここから、わずか8分で、羽田空港です。タクシーで京急蒲田までくれば、家の前から、15分から、20分で空港に着くのです。何とも、便利でありまする。中国へ電話したら、間違いなく、本日の飛行機に乗ることで、上海浦東空港へ移動中である事も確認された。あとは、福岡空港で、本人を見つければいいだけ。本人は、中国国内でさえ、あまり移動したことなく、飛行機に乗るのも初めてと言う、全くのオノボリサン。日本語も、勉強しとけ!って言ったのに、ほとんど出来ない。飛行機降りて、通関通って来れるかが、心配。ま、日本人は、親切だから、大丈夫でしょう。僕の携帯電話の、番号も教えてあるし。迷ったら、近くの日本人に、僕の電話へ掛けてくれるよう、頼む手はずになっているし。でわでわ、ゆっくり居眠りしながら、福岡へ向かいましょう。
2006.04.02
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いよいよ、本日より、旅に出ます。まだ、出張が残っているので、取り合えず、福岡へ行きます。中国人を、出迎えて、明日、黒崎へ彼を送ります。そして、明後日、4月4日は、黒崎から、四国へ向かうのです。「四国88ヶ所 出来るだけ歩き遍路の旅」の始まりです。案内書によれば、1200キロ。約、半分くらいは、歩く予定。4月4日から、「中国ブラブラ情報」でなく、「四国ブラブラ旅」になりますが、ご容赦願います。毎日、毎日、88ヶ所を紹介致します。
2006.04.02
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一昨日、突然、関係ない部署の常務から呼び出しを受けて、会社外のとある、喫茶店で、話をして来た。ここでも、トラさんと言う方から、アドバイスを受けたように、今すぐに辞めなくてもいいじゃないか? 四国の歩きお遍路さんには、大変な苦悩を持っておられる方々が、廻っている。そう言う人の話に触れて見たら、会社を辞める事も小さな出来事と思え、考え方も変わるかもしれない。その他、諸々の意見を賜った。この人は、以前、あるプロジェクトで、仕事の関係があった人で、担当重役から、いくら引き止め説得しても、うまく行かないので、説得して欲しいと、依頼されたらしい。その前に、担当重役から、「4月1日付けで、昇格、昇給を内示する」とのメールを受信しているが、返事を出していない。その事に関しても、言っていた。しかし、考えを変えるのは、難しい。と返事をし、常務も、今すぐ、結論を出さなくて、もう少し考えて欲しい、と言う結論で終わった。その後、退職した元常務と、元上司の部長と会食。この方々には、前から、退職の説明をしていたので、うまく退職する為に、どう言う方法があるだろうか? との相談であった。結局、僕は出勤するつもりもないし、話しても平行線なので、元上司の部長さんに、フォローをお願いすことにした。しかし、メールの返事は、自ら出す必要があるので、明日までに、きちんとした返事を書くとの前提。こう言った事で、昇給、昇格まで、考えてくれて、将来ばら色の会社生活とまで、思わされるような事も匂わされて、ほんのちょこっとだけ、心が、チロっと動いてしまったが、一度、決めたこと、日本男児たるもの、変える訳には行かない。今までも、後悔しなかったし、これからも後悔しない。
2006.04.01
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先ほど、30000アクセスを突破しました。30000目の方には、記念品を贈呈と思って調べたら、どなたか分かりません。29999目の方は、rose-pinkさん30001目の方は、寧夏さんおしかったですねー! お二人さん。残念早いもので、ブログ開設、300日となりました。皆々様、今後ともよろしく、お願い申し上げます。
2006.03.31
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いやー、なんか、ちょっと面倒なことになりつつあります。もう先週で、最終出勤と思って、ゆったりしておりましたら、昨日、全く別の常務から、僕の個人携帯に電話が入り、時間を作れ、明日でどうだ!と、口調はそうでもないが、内容は、命令のようなのであります。実は、担当重役からも、メールが入り、4月に話がしたいから、出勤して欲しいと受信はしておりました。(返事も出してない。)参ったなー。「退職願い」、受理の件だよね。それ以外、用事はないし・・・。それだけ、辞めないで欲しいと言うことなら、それだけ、重要人物ってこと?でもないな、これまでの僕の取り扱いを振り返ってみれば。しかし、そう文句を言う方でないし、どこの国でも、ちょこちょこって出かけて、ひょいひょい、と仕事片付けて帰って来る、そう言う人、意外と少ないかも。辞める、と言われて、存在を再認識してくれたのかな?でも、もう遅いね。ダメ! 完全に、「旅モード」に突入しているから。引き止められるって、光栄で嬉しいことではあるけど、困ったことでもある。本日、16時から、現役常務と面談だ。その後、退職した、元常務に、本件の相談の会食。色んな方に、迷惑掛けているなー。申し訳ないことです。
2006.03.31
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本日は、午後から、散歩を兼ねて、花見に出かけました。どこが良いかなー? と考えた末、中国が問題視している、靖国神社にした。一回も行った事なく、どこにあるんだ? と調べて見たら、何度も近くへ行っている「こと、判明。武道館の反対側に、靖国神社がありました。そして、千鳥ヶ淵の辺には、インド大使館があり、これまた、何度か行ってます。靖国神社、すごい人でした桜の季節のせいもあるのでしょうが、人、人、人、の波。では、写真で、桜を中心に紹介しましょう。まずは、靖国神社の入り口です。逆光なので、入ってから撮りました。そして、境内の桜ですさらに桜です。屋台が沢山出ています。花見宴会もやってます。千鳥ヶ淵に移動しました。綺麗ですねー!さらに、歩きました。この歩道も人の波で、行きと帰りが分けられて、流れ作業のようです。淵の向こう側の桜です。いやー、疲れました。帰りは風も出て、結構寒かったし。人の波に疲れました。靖国神社は、お年よりも多く、行って見た限り、普通の神社であり、中国がやっきになって、文句言うような物でのないなー、と感じた次第です。しかし、言いたいのでしょうなー、中国さんは。クレームを。いや、韓国さんもか。疲れた、疲れた、1万歩と少し歩いた。
2006.03.30
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名古屋は、何回通ったことか? 数え切れない。なのに、名古屋城へ行ったことがなかった。不思議。不思議。これから、名古屋へ行く機会があるかどうか、分からないので、名古屋城を見学して置くことにした。名古屋駅から、地下鉄で二つ目で乗り換え、市役所で降りる。東門から入ったら、こんな綺麗な通りでした。名古屋城全景金の鯱。実物大と同じものが、天守閣に飾られてある。刀も飾ってありました。木村一八の持っていたものとは関係ありません。桜は、もう少しでしたが、こんな桃色の木々がきれいでした。ついでに名古屋城の、地図を添付しておきましょう。下記です。帰りは、歩いて名古屋駅まで行きました。30分で着きます。近いですねー。昼食に、味噌カツ食べようと思ったのですが、見つからず、うどんすき焼などと言うのを、初めて食べて見ました。味はいいにだが、牛が固くて、ちと残念。もう少し、有名店へ行くのであった。
2006.03.29
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