全1154件 (1154件中 351-400件目)
< 1 ... 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ... 24 >
1ヶ月振りの我が家。6畳一間プラスキッチン。最高に生活しやすい。やはり狭くても、我が城である。 * テレビは日本語で見られる * 音楽も聴ける * パソコンはネット繋ぎ放題 * プリンターも手に届く * お湯も。お茶もいつでも飲める * 日本食もいつでも食べられる * お風呂も入り放題 * 枕も寝るにやさしい * アロマセラピーも枕元 * 使いやすいように全て配置 毎日、毎日、移動移動で、出会い出会いの生活も楽しいし、又、いつでも行きたいし、実際に行くのであるが、落ちついた、この部屋も良い。午後は、就職活動だ。
2006.08.04
コメント(6)
ハローワークへ行って来ました。第2回目です。 結構、すんなりと言うか、ほとんど質問も応答もなく、支払ってくれるようです。次は、8月31日に出頭です。そして、明日は、誘われている仕事の面接に行って来ます。一度、二度と断ったのですが、是非、会って詳細の話を聞いて欲しいと言われ、条件もよろしいし、話だけ聞くと事で面接と言うより、説明を聞く打ち合わせのようなものであります。
2006.08.03
コメント(0)
ラオス人の女性は、結構大胆である。何が? と言うと、お尻の割れ目を見せるのです。本当でありんす。最近、と言うか、いつ頃からか、世界の多くの女性は、お臍やお尻の上の背中を出す事に全く躊躇していません。ゴルフの女子プロ選手も、臍だしでプレーしています。しかし、お尻の割れ目まで見せてくれる選手はいません。臍だけです。見せてくれるのは、男のイギリス人の労働者だけでした。イギリスは、とても上品で優雅でよろしいが、股上の短いジーンズを穿いて、尻の割れ目まで見せながら働いている労働者は、とてつもなく嫌だ、と日本女性がどこかで書いていたのを覚えています。しかし、これは男性の話しです。女性はいませんねー。少なくとも日本では見た事はありません。ラオスでは、何度も見ました。1回目は、バスで移動する時に一緒だった女性。年の頃、22~23歳。色浅黒く、ラオス! って感じの女性であります。バスで座っていると、ジーンズがずれて、下の方まで見えますが、始めはそれで見えているのだろうな、と思っていたのであります。しかし、泥んこの道で、前の車が動かなくなった時、彼女も外に出ましたが、やはり割れ目丸見えでありました。見せるためか、涼しいからか、わざわざ、下にずらす仕草までしておりましたです。へい2回目は、ウドムサイでの食堂。3人の若い女性が、筍や、何やらをお店の前で、料理準備をしていました。低い椅子に座ってやってましたが、3人が3人共、お尻の割れ目丸見えでありましたです。へい 見たろ って だって見えますやろそんなこんなで、他でも見ましたから、ラオス発、「尻割れ目見せファッション」などと、世界中で流行るかも知れません。因みに、ラオスを闊歩している欧米系の女性陣は、お尻の割れ目まで見せて歩いている人には、会えませんでした。しかし、臍下の下腹部は、皆さん、丸出しで歩いています。今や下腹部丸出しは、世界の共通なのでしょうか?まぁ、別に出して頂けるものに対して、あたしゃー文句言いません。黙って、見させて頂きまする。
2006.08.03
コメント(2)
東南アジアにも、日本のお茶らしきものが売られています。これがそうです。ラオスのルアンパバーンのバス停で買いました。「Green Tee」、と記載されております。拡大して見ますと、下記のような文字が見られます。 * 味 * OISHI * おいしい緑茶 * ○の味これは明らかに日本のお茶を意味しています。で、最後の「○の味」の○ですが、緑でしょうか? 楽でしょうか? 分かりません。このお茶は、タイで製造されているようですが、砂糖入りでとてもあまくて、日本人には、飲める代物ではありません。中国にも同様にありますが、砂糖なしのお茶の方が見つけにくかったと思います。ニュージーランド人のおばさんが言うには、キャップの黄色いのが砂糖入りで、緑のキャップが砂糖なしだとか。ほんとかなー? 今度調べて見よう。備考ビエンチャンからバンコクへ移動しましたが、バンコク空港から市内へ向かう高速道路から、「味 OISHI」と言う大きな看板を見ました。やはりタイで生産されているようです。
2006.08.02
コメント(2)
昨夜、ビエンチャンからバンコクに到着。ゲストハウスでなく、きちんとしたホテルにチェックイン。バスタブもあります。そして、早速お湯を満たし、ゆったりと入る。う~ん、気持ちいい!最高! 天国!別にシャワーで済ませている時、何とも思わないが、こうやってお湯に浸ってみると、なんと気持ちいい事か?日本人に生まれて、そしてこの時代に生まれて良かったと、東南アジアの国々を廻ってそう思うが、風呂に入ると、もっとそう思う。いつも、夜中に数度は目が覚めるが、昨夜は、一度トイレに起きただけで、朝までぐっすりと眠れた。 風呂の効用かなー?会社勤めしていた頃に比べて、良く眠れるようになったが、昨夜はさらに格別であった。本日は、ゆったりして、明日、日本へ一時帰国でありやす。
2006.08.01
コメント(0)
ポーンサワンで、朝、暇だったので市場へ行って見ました。野菜など沢山の物が売られていました。民族衣装を着てラオス! って感じです。果物も売られています。マンゴスティン、ランブータン、パパイヤ、マンゴ、などなど、おいしそうです。が、僕も食べた事のない、果物がありました。これです。何じゃこれ? って思いませんか?ぶつぶつのお化け見たいじゃないか!で、おばさんに、ジャスチャーで何これ? って何度も聞いたら、一つを取り出して食べて見ろと言いました。で、食べたら、種はあるが甘くて結構おいしい。そんじゃ買おうと言ったら、7個で100円と言う。そんなに食べられるかよー!おばさ~ん!と言ったら、1個10円で良いと言う。何か得した気分で1個購入しました。ジャール平原ツアーで一緒になった、ウェールズから来た、二人組みのお姉ちゃんに聞いて見たら、そんな果物見たことねぇー、と言ってました。イギリス方面にはない果物のようです。中を開けるとこんな感じです。若干、マンゴスティンに似たような味ですが、さすが果物の女王には及びません。見た目も、女王には敵いません。この果物の、名前を聞きましたが、ラオス語なので、参考にならないと思っていたら、忘れてしまいました。
2006.07.31
コメント(7)
2006年7月30日本日は、前回見られなかった郊外の、ワット・シェンクアンへ行って来ました。バス発着所まで歩いて、路線バスで出かけました。4000キープ。45円程度。トックトックで10ドルと声を掛けられましたので、バスは安いです。それもそのはず、1時間も掛かる工程ですが、席はなし。おまけに米や野菜やらが通路一杯に置いてあり、立つのは良いのであるが足の置き場に困る。開閉ドアを開けて、ステップに自分の立場を見つけて、やれやれと思っていた。そしたら、わずか3分程度の所で、若い女性二人が乗り込んできて、僕の立つ場所を乗っ取られた。止む無く、又、米や野菜や、座っている人の足の間に自分の足の位置を見つけてようやく立っている有様。入り口のステップを乗っ取った女性は涼しい顔。しかし、残念ながら、又、新たな乗客が来る。ステップの女性も通路へ。すぐ僕の前ですが、僕はもう後ろに下がれない。彼女は、お尻でぐいぐい僕を押します。困りましたねー。立つのは辛いが、別の場所まで立って来ては、ちとと言うか、大いに困りまする。つり棒の手を離せば倒れてしまうし、どうにも手の打ち様がありません。困った、困った、と思いながら、さらに25分。4~5名が、どっと降りました。助かりました。後半30分は座って行けました。で、ワット・シェンクアンですが、ブッダパークとも呼ばれているそうで、多くの仏体が置かれています。取り合えず、写真を見て下さい。こんなのがあります。こんなのもあります。これは仏像かなー?これも、どうも仏像かどうか怪しい。仏像でこんな手をしたのあったか?こんなのもありました。アンコールトムの4面顔に似ています。こんなのもありました。そして、最も大きい、寝仏です。頬杖ついた寝仏ってありましたか?そして、これが概ね、全景であす。入り口にあるカボチャのような塔の上から撮影したものである。如何でしたでしょうか?何か、ふざけた感じもして、仏陀に祈る気持ちが何故か起きてきませんでした。バンコクのエメラルド寺院や、ミャンマーのシュエダゴン・パヤーなどと比べると祈る人もおらず、瞑想する人おらず、やはり人種は違っても同じような感覚を受けるのかなーと思いました。
2006.07.30
コメント(2)
2006年7月29日何とも不思議な魅力のジャール平原に、別れを告げて、ビエンチャンへ。ほんとは、もう一泊して、明日の日曜日に移動の予定であったが、飛行機が飛んでいない。Lao Air しかなくて、且つ週4便しかありません。このジャール平原をもう少し味わいたかったのですが、残念ながら、バイバイです。え! バスはないのか? って? あります。10時間です。しかし、いつもいつもバスにばかり乗っていて、いい加減飽きて来ました。ラオス国内の移動はこれが最後なので、大奮発して、飛行機のしたのであります。この飛行機に乗りました。ポーンサワン別名シェンクアンの飛行場です。ニワトリが散歩しております。何とも、のどかな飛行場ですねー。飛行機53ドル、バスだとたぶん10ドル。この値段の差は大きい。しかし、時間の差と、身体の楽な差も激しく大きい。わずか30分でひとっ飛びであります。43ドルの差があってもよろしい、と思います。が、考えると、これで、ゲストハウスに10泊は出来るので、もったいないなー、とも思います。まぁ、たまの贅沢でありんす。ジャール平原からビエンチャン間も山又山です。飛行機の窓から見る景色は、山ばかりでした。これだけ山ばかりだから、多種族の民族が住み、言葉も多くの方言があって然るべきであろうかと思われます。民族間の交流もほとんど出来なかったでしょうから。
2006.07.30
コメント(2)
2006年7月29日ジャール平原の、拠点、ポーンサワンを散歩していたら、日本にいる錯覚に陥りました。何故かと言うと、この写真です。何と、郡山運送の車です。何故?そして、前を見ると、現地ナンバーが、きちんと付いています。すみません、ナンバーが光って見えません。しかし、間違いなく現地ナンバーでした。ISUZUの車の方です。そして、隣の三菱FUSOの助手席の横には、熱と誠で未来をひらく 中部工業株式会社 の車であります。ラオスでも宣伝してくれてますねー。中部工業さん、廃車にしたのか売ったのか知りませんが、ラオスで宣伝してくれているとは、知らんでしょうなー!知っている人がいましたら、教えてあげて下さいね。ミャンマーは走ってる車の90%以上が、日本の中古と言うような印象がありました。ラオスはそれほどじゃないですが、やはり日本の中古車が活躍してます。山一運輸倉庫の車もありました。日本製でないトラックは、何と、途中でエンジンを分解して修理点検を行っていました。日本では絶対に見られませんね。
2006.07.29
コメント(2)
2006年7月28日ジャール平原、最高でした。ラオスは、自然と人々の底抜けに明るい笑顔以外、それほど見所がないなーと感じていたが、ここは素晴らしい。こんな事なら、ルアンパバーンから、もっと早く来るのでありました。写真で見るとその良さが分からないと思いますが、掲載します。その前に少し、説明を。ここには、巨大な石の壷が沢山あるのです。その目的が未だに分からないと言いますから、ナスカの絵文字に匹敵するミステリーであり、イースター島のモアイ像に匹敵する石であると思われます。未だに作られた目的がはっきりしないとの事ですが、下記のような有力説があるらしいです。酒壷説 2世紀前後に、支配者部族のチュアンが戦いに勝利した時に石壷に酒を注ぎ、兵士達が浴びるように飲んだとの説。米壷説 戦時の貯蔵品として、米を蓄えた。石棺説 火葬された骨と、副葬品も見つかっており、棺桶として使われた。現在は、石棺説が最有力との事であります。多くの発見場所があるらしいですが、ツアー客が行けるのは、サイト1、2そして3と言う、3箇所で、その3箇所とも行って来ました。まず、サイト2の石壷です。丘を登ってその頂上にありました。壊れて、穴の開いたものもあります。身長より高いので、2m以上あります。サイト2には、もう一つの丘があります。このように、見晴らしは最高です。ニュージンランド人のおばさんが、羊を置いたら、我が祖国と同じ景色だと、言っておりやした。次は、サイト3です。麓の掘立小屋で、「フー」を食べて、それから、小さな川にかかる竹の橋を恐々渡りました。ウェールズから来た、デブの二人組のお姉さんが、竹製の橋を渡っているのを見て、壊れるんじゃ、ないかと不安でドキドキしておりやした。そして、田んぼの中の道を歩いて、そして丘を登るとサイト3に着きます。丘の中腹にありますが、木々の中に置かれています。小さめの石壷です。ここも見晴らしの良い所にあります。そして、最も、石壷が多いとされる、サイト1です。ここもやはり丘の上にありました。これが一番大きな石壷です。壊れた石壷もありました。丘の上の石壷の間から、下の平原にも沢山の石壷が見えました。近くに行って見ました。ほんとに沢山の石壷です。彫り物の入ったのもありました。見えるかなー?何故か蓋が置いてあるのもありました。これが別の丘から見た、石壷群です。それぞれ、丘の上にあり、見晴らしは最高で、涼しい風も吹き、もし石棺であるならば、さぞかし、気持ちの良い、死後であったでしょう。スケジュール変更して、ジャール平原に来た甲斐がありました。昨日のバスで一緒になった、20歳前半と思われる日本人男性、何と、このポールサワンに宿泊しながら、ジャール平原を見ないで、ベトナムへ行きました。バス8時間の車中、何も食べていなかったようですし、宿も最低の2ドルに泊まり、何とも、逞しいと言うか、変わったと言うか、この素晴らしい場所を通過だけして可哀相な気がしました。何故、分かったかと言うと、夜は何もする事ないので、21時半に寝てしまい、朝は、5時には目覚め、6時前に散歩していたら、調度トゥクツゥクに乗って出かける所に出会ったのでありました。漫才の、「おぎやはぎ」でしたか?あの向かって左側の方に、雰囲気が似てました。
2006.07.28
コメント(2)
2006年7月26日湯沸ポットが壊れてしまいました。安いゲストハウスに宿泊の為、湯沸し設備などなく、水さえない所も多い。従って、日本から持参した、海外旅行携帯用の湯沸しポットは重宝していた。SANYO製の、TABIGARASUと言う商標です。僕は、発病以来、色んな医者と薬を試して見たが、これと言って効いたと思われる薬は、デパスと、中国の雲南省から取り寄せた漢方薬、そして毎朝の生姜紅茶でないかと思っております。生姜紅茶は、僕の病気に直接効いたのかどうかは、分かりませんが、生姜紅茶を飲み始めて、一度も風邪をひいてないのです。思わぬ効果であったので、ずっと飲み続けています。で、朝のお湯は必須であります。で、湯沸ポットも必須となる訳であります。何故壊れてしまったかと言うと、電源を繋いでお湯を沸かそうとしていました。そして水を貰いに、ゲストハウスの受付に行ったのであります。そしたら珍しくも、日本人があり、又、その人が、話好きでありまして、うっかり、お湯のことを忘れて、話しこんでしまったのであります。かれこれ、1時間も話した時に、はっと、電源入れてお湯を沸かしている事を思い出しました。が、しかし、時既に遅く、サーキットブレーカーが飛んでしまって、電源が入らなくなってしまったのであります。残念!この日本人の方は、とある県の教師さんでありまして、正月にラオスに来て、ある部落の結婚式に出会い、写真をバチバチ撮ってあげたので、それを持参し、手渡す為に、わざわざ、やって来たとのことでした。結構、色んな国を廻っており、旅行だけでなく、教育論にまで及び、話がはずんでしまったのです。実は、この朝、何故バスに乗れなかったかと言うと、出掛けに話しかけられて、ゲストハウスの出発が少し遅れて、それで、バスが満席になってしまったのです。考えてみれが、この先生のお陰で、バスには乗れず、1泊余分に宿泊する羽目になり、湯沸ポットは、壊れてしまうわ、散々な疫病神であります。
2006.07.27
コメント(2)
2006年7月26日参りました、ジャール平原行きのバスに乗れず、又、サウナ完備のゲストハウスへ逆戻りです。旅行代理店の言う通り、出発の30分前、8時にはバス停に着き、予約券を、バスチケットに変えて、バスに乗り込むとほぼ満席。空いている席も、荷物が置いてあり、客がいる模様。何人か知らないが、席番号がチケットに記載されているはずだ、と教えてくれた。35番。確かにあった。しかし、その席には、荷物が置いてあった。それをどけて座っていると、地元のおばちゃんが、そこは私が獲った席だ、と元気良く、僕をたしなめる。良く分からんが、チケットを見せて、「この席は僕のだ!あんたのチケット見せて見ろ」、と言うと、どこかに行ってしまった。これで安泰と思いきや、ヨーロッピアンがどんどん乗り込んできた。彼らは席がなく、通路に寝転ぶ奴や、立っているものもいる。「おかしいなー」と思って、隣のお姉さんにチケットを見せて、「これ席の番号だよね?」と聞けば、そうだと言う。疑心暗鬼ながらも待つこと、20分。出発定刻10分前。通路の客に、風呂場の椅子のような物を配り出した。そこへ、おばちゃんが帰って来て、「あたしが獲った席だ!」、とわめく。みんなが僕の方を見るし、どうなってのだろう、とさらに不安増。係りのお兄さんがやって来て、席は速いもん順だと言う。良く分からないが、あっさり納得して、本日の移動を断念した次第です。途中、41番は俺の席だと、ヨーロッピアンが地元の人をどかすシーンもあったし、僕の隣に来た奴も36番だったし、なんか変であるが、争う気持ちもなく、さっさとバスを降りた。明日のチケットに変更する手続きをしたが、その係りのお姉さんも、席は決まっておらず、速いもん順であると言っていた。何か、良く分からんが、「さもありなん、ここはラオス」と思って、諦めた。又々、ルアンパバーンにてゆっくりする事と相成り申した。
2006.07.26
コメント(2)
2006年7月25日本日は、ルアンパバーンにて、ゆったりした1日を過ごした。僕が宿泊している、ゲストハウスは、街のメインストリートから歩いて、10分程の静かな通りにあります。エアコン付、ホットシャワー付で、ツインルームが8ドルです。そしてこのゲストハウス、Souansavanには、サウナとマッサージは併設されております。宿泊とは別料金ですが、サウナには1ドルで入れると言うので、本日早速、入って見ました。ここがハーバルサウナの入り口です。ハーバルスチームと書かれています。右手には、サウナと書かれています。バスタオルと、普通のタオル、そして、パンツを貸してくれて、それが20円。合計135円程度です。入り口を入ると、良い匂いがして来ます。この写真の左手が着替室です。その奥が、サウナ室の入り口。男女別室です。サウナ室に入る。薬草のとっても良い匂いがします。ハーバルサウナは、スチームサウナです。サウナ室に入ると、数分で汗が吹き出て、ポタポタと滴り落ちます。そして、外に出て、シャワーを浴びる。それを5回繰り返しました。しかし、ハーバルサウナへの入り方としては間違っていたらしい。サウナに入り、汗をかいても、シャワーを浴びず、お茶を飲みながら、ゆったりして、又、サウナに入り、お茶を飲み・・・、それを繰り返し、最後にシャワーを浴びるらしい。そう言えば、お茶も水も準備してありました。ビエンチャンから来た、おっちゃんも、サウナ室から出るたびに、シャワー浴びていたので良いのかと思ってましたが、ハーブがシャワーで落ちてしまうので、よろしくないのかなー? いずれにしても、気持ちよかったし、リラックス出来ました。そしてその後、全身マッサージ。血流が増した所へ、さらにマッサージで、気持ちよさの二乗になりました。
2006.07.26
コメント(0)
2006年7月24日外でやるのを見ました。ラオスでの話しです。2回も見ました。本日、ルアンナムターからウドムサイへ行き、1泊して、ルアンパバーンへ移動の予定の所、ウドムサイには何も見るべき所もなく、昼食食べて、うろついて、又、バス停に戻り、ルアンパバーンへ移動したのであります。そのバスの中から、けたたましい犬の鳴き声が聞こえました。乗客は一斉に外を見たのです。そしたら、犬が2匹、尻をくっつけていました。その2匹の廻りを、数匹の犬が取り囲んで、鳴いているのでありました。何かで読んだ事がありますが、犬は行為を致すと、離れなくなってしばらくそのままくっついているとの事。その通りであります。昼日中、しかも道路の真ん中で、衆人環視の中、致すとは、何とも度胸のある奴、いや、犬であります。 しかし、既に致しており、挿入も完璧に完了しているにも関わらず、メスに乗っかろうとしている、別のオス犬がいるのであります。何ともいやはや、情けなかー! と言う状態です。取り合いで負けたら、さっさとどっかへ行ってしまえ! と怒鳴ってやりたい心境です。何たって、快楽の絶頂の喜びの極みって時の、周りでぎゃーぎゃー言われたら、悦楽も半減以下になってしまうでしょう。しかし、オスは繋がっていても、まだ戦おうとしておりました。すごいですねー。その点、人間は賢いから、そんな衆人環視の中でなく、襲われる可能性の少ない場所で、且つ、薄暗い所(中には、ぎんぎんに電気点けてする人もいるでしょうが)で、ひっそりと行いますねー。 表題通り、正真正銘、「外でやるのを見た」、話でした。
2006.07.25
コメント(8)
2006年7月24日何と言う勘違いをしたのであろうか?こんな事では、簡単にインド人に誤魔化されるはずである。実は、ルアンナムターから、ムアンシンへのバス代は、32、000キープ(約350円)です。 しかし、何をとち狂ったのか、320、000キープだと思ってしまったのであります。ちょっと考えれば、3500円もするはずがないのです。もう少し出せば、飛行機に乗れる金額ですから。しかし、思い込んでしまうと、もう止まりません。チケット売り場で、120、000キープを出しました。キープの手持ちが不足なので、20US$も出しました。これで、320、000キープになるのです。売り場の女性と男性が、何やら顔を見合わせて、話しています。US$の換金レートが、分からないのかと思って、キープとドルを合わせて、チケット買えるだろ?と、手真似で、教えました。(教えた?)そしたら、チケットに書き込みを始めましたので、「これで購入できた」と安心しました。そして、チケットと、何やらお金を纏めだして、US$はそのまま置いてあります。「おいおい、US$は使えないのか?」、とUS$を、もう一度、手真似で、ご丁寧にも再度、示したのであります。売り場の男性がしぶしぶ、US$を受け取り、お金を数え始めました。そして、チケットと大量のお金を返してくれました。「おかしいなー? 何でお釣りが来るんだ?」、と思いながらも、数え始めました。二つの束があります。数えたら、100、000キープが二束。そして、細かいほうも数えたら、80、000キープ以上ありました。何かおかしいと思って、札束を見せて、「これは何だ?」と言うそぶりをしました。売り場の男性、「それは、あんたの金だ」、とたどたどしい英語で言いました。僕は、それでも尚、気がつかず、「可哀相に、渡したお金の単位を間違えている。いくら何でも、こんなに貰ってしまっては可哀相だよな。」と思ったのですが、彼らは自信満々の態度なので、そのままポケットに詰め込んで、バスに向かいました。バスでゆっくり考えて見て、ようやく一桁間違えて支払いを行った事に気がつきました。何とも間抜けな話であります。3万2千キープのチケットを買うのに、12万キープのお金と、20ドルを出して、「さぁ、これで買えるだろう?」、と堂々と教えるが如くの態度でいたのであります。お釣りは、きちんと、28万8千キープありました。ドルを含めれば、32万キープ支払い、そこから、3万2千キープ差し引き、28万8千キープを返してくれたのであります。お恥ずかしい話でありますが、チケット売り場の人たちは、訳の分からないお金の計算も出来ない、田舎者の外国人に対して、キチンと対応し、誤魔化す事などせず、お金を返してくれました。自分の間抜けさより、ラオス人の誠実さを、間の当たりに見る事が出来ました。やはり、大自然の中で、動物たちと共に、生きていると、心の清らかさは、濁らず、澄み切っているのだな、と感謝の気持ちで一杯であります。
2006.07.25
コメント(0)
2006年7月23日ラオスでは、レストランなどへ行っても、日本のティッシュのようなものがなく、トイレットペーパーを、箱に入れて、それを千切って使うような所が多い。しかし、昨夜行った中国系の経営者のお店に行くと、このようなティッシュをくれた。ちらりと見ると、何と「花の恋」と書いてあるではありませんか!何故、「の」が入っているのか? もしかしたら、日本の会社との提携で作っているのか? しかし、紙質は良くない。試しに、完全中国品と思われるのも買って見ました。こちらは「菊香」です。何とも、いい名前じゃーありませんか!しかし、やはり紙質は良くない。良く比べて見ると、「花の恋」の方が、「菊香」よりふかふかでなく、しっかりしている。「花の恋」の方が、ちと上質かなー?感覚的なもので、あんまり変わりはないようですが・・・。それで、トイレットペーパーですが、ティッシュより、もっと紙質も悪く、ティッシュ代わりに使うと、手にくっついてしまします。そして、巻紙にきちんと巻いてなくて、巻紙とトイペの間に隙間があります。一応、あるだけで感謝せねばならないと思いますが、まだまだ技術が不足しているのでしょうね。日本なら返品です。これらは中国からの輸入品ですが、宇宙ロケットを飛ばしたりする技術を持ちながら、こう言った製品は、まだまだ技術不足なのですね。すぐに改良して、日本に追いつくとは思いますが。こう言う所を見ると、日本の技術は素晴らしい。日本のティッシュを持って来て、見せれば良かった。きっと目を丸くして驚くでしょう。もしプレゼントしたら、使わないで、飾って置くかもしれません。それほど、紙質が違います。トイレットペーパー、ティッシ情報でした。
2006.07.24
コメント(2)
2006年7月23日ここルアンナムターには、旅行代理店のようなお店が、1軒しか見つからない。そこを訪ねて見たが、少数民族の部落を訪ねるツアーとか、トレッキングやカヤックも含めて、誰も申込者がいないとの事。一人参加では、費用がべらぼうに高くなるので、ツアーは断念。独力でアカ族の村を訪ねることにした。旅行代理店は、自転車では無理、トレッキングでないとダメと言っていたが、強行した。こんな道を、鼻歌を歌いながらゆっくりと進みます。雨が降らなければ良いなーと思いながら。お! もうアカ族の部落か? と思いきや、ちょっと近すぎました。これは、タイ族の部落らしく、ラオ酒の製造など、行っていました。ここラオスは、本当に動物たちと共存しています。至る所に動物だらけです。ますは、牛。牛追いの人たちが追っていたり、誰もいないのに牛だけいたりします。鶏の親子、2家族です。アヒルや色んな鳥が野放しに飼われています。羊の親子もいました。ここは羊は少ないと思います。牛の大群です。この後に写真を載せますが、子供たちが餌を食べさせに移動させている所です。豚さんです。小屋に飼われていたり、こうして野放しにされているものもいます。子供たちが、細い竹ざおの糸を付けて魚釣りに行くのを見たので、一緒について行きました。小さな魚をすぐに釣り上げていました。日本のように家でゲームをやっているより、よっぽど、健康的であります。この娘は、子守をしているようで、魚釣りを見ていました。先ほどの牛の移動です。後ろの方で傘を差したりしている子供たちが、この牛の大群を管理しています。自転車を降りて、転がしながら一緒に歩きました。道が途切れて、川が出て来ました。川の向こうに道が見えるので、いつもは、道なのでしょう。牛も慣れているのか、浅瀬を見つけて歩いて行きました。子供の牛は、顔以外は、水の中に入ってしまって苦しそうでしたが、無事、向こう岸に着きました。僕も自転車は諦めて、ズボンの裾を太ももまで捲り上げて、横断に挑戦。何とか、無事渡りました。牛を管理している子供たちです。僕は子供たちと仲良くなれる素質を持っているのか、どこでも仲間として認めてくれます。知能程度が一緒なのか?ま、嬉しいことではあります。そして、見えました。アカ族の村です。牛追いの子供たちは、ここの村ではないと言っていましたから、タイ族の子供たちなのでしょう。部落の1軒へ寄って見ました。お母さんと赤ちゃんです。小学生程度以下の子供たちは、男も女もみんな、裸で走り回っています。が、悪いので写真は撮らないでいました。この赤ちゃんも、下半身は何も付けてなく、おしっこ垂れ流しでした。このお母さんに、腕飾りを買わないかと持ちかけられ、1本、20円で購入しました。その前に、干してあったピーナッツの茹でたのを、ご馳走になっていたので、断るのも悪く、必要もないのに、買った次第です。その後、写真を撮らせて貰ったら、写真代、50円くれ、と言ってました。やだよ、と態度で言ったら、20円でも良いと、譲歩しましたが、僕は20円もあげないで、早々に退散しました。ここルアンナムターより、60キロほど北にあり、中国国境まで、10キロ程度の所にある、ムアンシン近くでも、少数民族と観光客の間で、写真のトラブルがあるようです。確かにプライベートの写真をバチバチ撮られて、タダってのも、撮られる方は、いい気分しませんね。何かを買って、その見返りに写真を撮らせて貰うってのが、良いとは思うですが。こう言う問題は、難しいものであります。
2006.07.23
コメント(4)
2006年7月22日昨夜、宿泊したゲストハウスはあまり良くないので、朝早くチェックアウトした。宿を何軒か見て廻っている内に、8時半頃から雨になる。止む無く、食堂に入り朝食。雨も仲々止まず、パソコンに入っている写真や動画を店の人に見せたり、ゲームを教えたりして暇をつぶし、11時半。まだ雨止まず。午後1時半頃、ようやく雨もあがり、チャリを半日50円で借りて、タイ部族の村へサイクリングに出かける。25キロコース。舗装された道路をすいすいと走る。すると、あちこちで魚取りの姿が見える。夕食のおかずでしょうか、そして女性の仕事なのか、女性の姿が多い。 こんな所でも、魚取りしています。 大きな川でも、同様に獲っています。その釣果です。4~5cmの小さな小魚が主ですが、中にはうなぎのような魚や、10数cmの大きな魚もいます。 田園風景がのどかです。そよ風を頬に受けて走ります。途中で知り合った、地元の4人の娘さんと、30分ほど一緒に走る。この辺りは、どこでも誰でも知り合いなのか、会う人会う人に挨拶し、途中の家ではこうして自転車を降りて、しゃべったりしていました。典型的な部落の家。涼しそうですね。そして又、綺麗な舗装道路を走りました。そしたら、牛がのんびりと歩いていました。田んぼでは、田植えをしています。部落のある家。牛がねそべっています。そして、どこの家でも鶏が沢山放し飼いにされていて、ひよこがピヨピヨと親について廻っています。その横には犬もいます。日本なら、犬が鶏を食べてしまうだろうけど、ここでは共存です。橋から飛び込んだり、子供たちが大勢で遊んでいました。20人以上いたでしょうか?皆、いい顔してますよねー! そして良く笑います。小さな子供は、年上の子供が面倒みています。小学校位なのに、2~3歳の子供を背負って面倒見ている子供もいました。日本では見られない光景です。
2006.07.23
コメント(0)
2006年7月21日ファイサールからシェンコックへは、誰もスピードボートで行かないとの情報を旅行代理店から得た。僕も無論、2度とスピードボートに乗らないと思っていたので、沢山の人が行っても、ジョインしないが。検討の結果、シェンコック、ムアンシンへ行くのは止めて、ジャール平原へ行く事に予定変更。ここにはミステリアスな石の壺が沢山あるので有名。ここへも行きたかったが、旅程の検討の結果、止む無く我慢した土地である。シェンコック、ムアンシンへ行かないとすれば、日程に余裕が出来て、ジャール平原へも行くことが可能になったのである。おまけに、昆明女子大生からメールが入り、ジャール平原へ行くことを検討中、との連絡も来た。又、会えるのか?本日は、バスでファイサールから、ルアン・ナムターへ移動した。ツアリストは少なく、中国系マレー人のカップル二人と僕だけ。後はローカル。一応は、大型バスであります。屋根にはモーターバイクが積んであります。しかし、客と荷物とが半々と言う程度、荷物が多い。バスの通路には、荷物が一杯で、歩くのも困難。何と、エンジンらしきものも置いてありました。そして、道と言えば、山又山の連続。途中、舗装されている所もあったが、大半は、泥道。ぬかるみに埋まり、動けなくなる。そしてパワーシャベルに引っ張って貰って、無事脱出。この間20分。そして、順調に行くも、前の車が動けないでいる。バスも当然、ストップ。ここはかなり時間がかかり、乗客は、小便に行ったり、川で身体や顔を洗ったり、適当に時間をつぶす。その他、車が動けず、待機状態が数回あり、そんなこんなで、11時半に出発したが、もう夕暮れとなった。しかし、オンボロバスであるが、クッションは効いている。そして、座席が壊れて、少し前へ出ており、それが又、乗り心地を良くしてくれる。乗客は多くないので、二人席を一人で独占出来て、山の景色も新鮮で、とても心地よいバスの旅であった。あの魔のスピードボートを経験しているので、最高とも言える。ガタガタ道で、バスの中からなので、景色はあまり撮れなかったが、次のような景色です。30分か1時間に1回ほど、部落が突如現れます。数十軒単位の部落で、子供が棒切れで遊び、犬は寝そべり、その脇で、ひよこを従えた鶏が堂々と歩く。とてものどかな風景です。そして、夜8時半、ルアンナムターに到着しました。マレーシア人カップルと共に、真っ暗な中、宿探し。やけに星が綺麗な夜道を歩きました。そして、1泊3ドルのゲストフハウスを見つけてチェックイン。ピンクの蚊帳で何とも悩ましい。
2006.07.22
コメント(4)
2006年7月20日本日は、完全休養の予定であったが、あまりに暇なので、散歩に出かけた。メイン道路から外れて、山の方へ向かって登る。ちょっと失敗したかなーと、思ったのは、昼時なのに、食事をして来なかった事である。このラオスでは、タイなどよりもっと貧困なので、外食の習慣がないそうで、食堂もほとんどないとガイドブックに書いてあった。ビスケット6枚と、ポットのお湯で何とか、我慢するか? と思って歩いていたら、こんな所がありました。近所の子供たちが集まって昼食を食べているのかと思い、そしてどんな食べ物か見てみたいと思って声をかけて寄って見ました。英語は全く分かりません。試しに、「ハーンアハーン?」と聞いてみたら、頷くではないか! ここは食堂なのであります。ハーンアハーンとは、興奮して声を出しているのではなく、ラオス語で、レストランと言う意味です。で、早速頼んで見ました。すると手づかみで、麺をお椀に入れて、すぐに目の前へ。味は異なりますが、ソーメンのような麺でありました。めんつゆを持ってくれば、全くソーメンと変わらないと思います。意外とおいしいです。カァォプンと言う料理と聞きました。この娘さんが、14歳ですが、店主です。そして、最年長で15歳の子供たちです。カァォプンを、お代わりして2杯食べ、拙いラオス語で、名前や年を聞いたりして、地元の子供たちと、お話して、散歩に移りました。こんな家が、あります。田舎らしく、僕は好きな家です。しかし、こんな立派な家もあります。こんな風景の所を歩きました。山の方へどんどん歩いて、帰りが心配になってきた頃、このような道路が現れました。そして、その向こうに大きな川も見えます。山へ登っていると思っていたのに、いつの間にか、メコン川に戻っていました。何とも、方向音痴な散歩でありました。
2006.07.22
コメント(0)
2006年7月20日本日は、あの魔のスピードボートから無事、解放されたお祝いに、完全休養日としました。そして、宿もファイサーイで最高級のホテルを自分にプレゼントです。タビーシン・ホテルと言って、ファイサーイの街のほぼ中心に位置しています。タイからの船着場、イミグレーションにも近く、場所的にも最良です。で、窓からの眺めです。メコン川の向こうに見えるのは、タイのチェンコーンの街です。近いですねー。ですから、ここの街では、ラオスのお金キープでなく、タイのお金、バーツで値段が表示されていたりします。海に囲まれ、他の国と隔離されている日本では、考えられません。この写真は、ホテルの屋上から、ファイサーイの街の左手を見たものです。これが、繁華街です。地方の田舎村より、田舎の感じですねー。そして、これが右手を見たものです。さらに田舎的です。僕の部屋は、301号室ですが、ここは3階の廊下です。りっぱでしょ?窓から見た、外の風景。屋上から見た景色と変わりません。部屋の中。写真には見えませんが、テレビ付、冷蔵庫付、デスク付、洋服タンス付、エアコン付、トイレ、ホットシャワー付で、バックパッカーには、恐れ多いほどの部屋です。しかし、この部屋で、たったの1000円です。超最高級ホテルですからねー。他の人たちは、エアコンなしファンのみ、トイレ、シャワー共同で、500円位で泊まっているようです。少しのお金で、お金持ちになった気分です。本日は、テレビ見たり、ぶらついたり、メールの原稿書いたり、休養です。そう言えば、旅に出てから、毎日、毎日、何かしていて、休息らしい休養はしていなかったような気がします。たまには良いですよね。
2006.07.21
コメント(0)
2006年7月19日いやー、参りました!まだ、耳鳴りが、ガンガンして治りません。ルアンパバーンからファイサーイまで、スピードボートに乗ってやって来ました。スピードボートと言っても、8人乗り、自分の席は、わずか前後50cmほどしかない。そして屋根もない。勿論トイレなんてある訳ない。あるのはエンジンの轟音のみ。すごい音ですぞ! 8人乗りスピードボートです。昆明の女子大生から、スローボートの方が良い、とかなり真剣にリコメンドされたのであります。そして、フランスの田舎短大教師からも、スローボートを推薦されたのであります。しかしながら、1泊2日、宿泊食事を入れれば、30ドルのスローボート、1日6時間のみのスピードボート。どちらを取るか? やはりスピードボートですよね?こんな所を走ります。しかし、それが失敗でした。始めの1時間は、まぁまぁ我慢もしていた。しかし、突如メコンの水面が細波立ち、強い風が吹いたと思ったら、突然のスコール。合羽は無理やり、3ドルも出して買わされたが、下半身は無防備。すぐさまずぶ濡れ! 30分ほどで、小雨になったが、風を切って80キロ近いスピードで走っている為、寒いわ、寒いわ! トイレに行きたいわ、船頭に声は届かず、もう金輪際、こんなボートに乗らんぞ! と思ってから、1時間半ほどで、ようやく休憩。もう、死ぬ思いでありました。 8時40分発、11時45分に休憩。そして、昼食を採って、午後からは、雨も降らず、好調ではありました。途中、プロペラの調子が悪くなり、ここで休憩。男どもは、ついでに連れション。そしたら、ラオス人の娘さんも少し離れた、しかし、皆から見える所で座って用を足していました。え! 見たのかって? いや、見ていません!ここにこんな実が成っていました。地元の二人が実を取って食べていました。因みに、8名の客は、一人が若いラオス人二人が欧米系カップル一人が欧米系青年一人が僕の隣に座った、アイルランド人の青年二人が僕の前に座った、地元の老人と若い娘さん。でした。この二人が、何とも怪しい。老人と娘にしては、娘さんが甘えるし、老人も娘さんを抱きしめているし、何とも、甘いカップルなのであります。モン族なのかなー? モン族は一夫多妻で、金持ちは何人でも奥さんを持てるそうですから。あんな老人になって、若い娘さんと、ああ言う旅も良いなーと思ってしまうのは、不純な考えであろうか?30ドルもの乗船代は、地元の人たちに取って、1ヶ月の給料に相当するはずである。何故、彼らがスピードボートに乗れるかと言うと、外国人価格と、地元価格があるからです。そして、16時20分、ようやく、目的地、ファイサーイに着きました。向こう側に見えるのは、タイです。チェンコーンと言う国境の街です。このスピードボート、やはりお勧めは出来ません。時間の関係上乗らねばならないならば、準備が必要でしょう。合羽でなく、ポンチョ。前から雨が来るので、合羽では不都合。耳栓。まだ耳がガンガンしてます。必要だねー、耳栓。バッグカバー。これも必要ですが、船着場で20円で売ってます。以上が、準備されていて、狭い船内で屋根なしを我慢出来れば、乗っても問題ないでしょう。ここから、スピードボートで、ラオス、タイ、ミャンマーの国境、ゴールデントライアングルを遡って、シェンコックへ行く予\u23450 定でしたが、もう予\u23450 定変更です。僕としては、もうスピードボートは、こりごりです。昆明女子大生の言う事を聞いておけば良かったと、反省仕切りであります。
2006.07.20
コメント(0)
2006年7月18日PMパークウー洞窟から帰り、午後は、クアンシーの滝へ。昆明の女子大生と、待ち合わせて一緒のツアーに参加した。8名のツアーであったが、オランダ人、フランス人、カナダ人、アメリカ人、中国人、日本人と国際色豊か。ミニバスで、1時間ほど走ると、小さな部落に出て、そこが滝への入り口。小道を歩いて行くと、熊を飼育している所があった。バナナを買ってあげたら、北海道の熊牧場同様、立ち上がって、餌を要求して来ました。さらに10分も歩くと、池がある。何じゃ、これが滝か! とガッカリしたが違うらしい。こんな所をさらに登りました。そしたら、ありました、クアンシーの滝。水量、高さも、超有名な滝に比べれば、大した事はないが、美しい滝であります。滝の脇の崖を上ります。すると、何段かに分かれ滝の途中に出られます。欧米人たちは、水着になって、飛び込んだり泳いだりそこで、はしゃいでいました。しばし、遠くの山や、滝を見上げたり、見下ろしたり、おいしい自然の空気を楽しんでいましたが、フランス人田舎教師と、昆明女子大生と、一緒に降りる事にした。滝の下まで降りると、別の登り口が現れた。フランス人田舎教師が、この道が滝の一番上まで行けるのだ、と自信たっぷりに言うし、バスの出発時間まで、まだ、1時間半もあるし、3人で、又、登ることに。昆明女子大生は、坂を登りながら、何やら拾っている。貝殻と思いきや、それはカタツムリの貝殻でありました。僕も手伝ってあげて、数十個拾いましたが、小さなものや、大きなものまで色々です。そして、さらに、急坂を、息を切らして、えっちらおっちら登って行くと、こんな山の中であります。途中、フランス田舎教師が待っていてくれて、又、3人で登る。そしたら、出ました。滝の一番上の池です。ほんの少ししか滝は見えませんが、確かに滝の頂上です。この池で、カタツムリの貝殻を、昆明女子大生と洗って、「きれいだねー!」、などと他愛もない、会話をしたり、小さな魚を捕まえたり、楽しいひと時を過ごしました。フランス田舎教師は、一人で、池を見たり、滝を見たり、空を見たりしていました。夕食は、フランス田舎教師も誘って3人で、食べましたが、さすがアルコール大国スランス人。あまり飲めないと言いながら、ペロリとビール1本飲み干した。昆明女子大生も強く、ビール1本ペロリ。この競争は、1位:フランス、2位:中国、残念ながら、日本は、3位で大敗でありました。飲むほどに、フランス田舎教師は、能弁になり、こんな事を言っていました。世界中で言われていることを教える、と言ってこう、のたまわったのであります。「フランスの家に住んで、中国料理を食べて、日本の奥さんを嫁にする。これが最大の幸せな人生なのだ。」、と。本日は、たまたま、そのフランス、中国、日本が一緒になった。と。昆明女子大生は、少し不満そうでありましたが、日本女性は、食事、掃除、洗濯、子供の世話、旦那さんの世話、全て一人で全部行う、と教えてあげたら、日本の奥さんを貰った方がいい、と納得していました。
2006.07.20
コメント(0)
2006年7月18日AM本日は、ルアンパバーンの郊外へ観光。午前中は、メコン川をボートに乗って、洞窟寺院へ。パークウー洞窟と言う。途中、酒、ウイスキー製造所へ寄る。ミャンマー同様、原始的な製法。そして、1時間と45分。たどり着いた、パークウー洞窟です。中は、それほど広くありませんが、小さな仏像が沢山、ありました。ガイドブックによれば、4000体以上あり、日本の500羅漢のような雰囲気と言うが、雰囲気はちょっと違う。ここはもっと粗末な安っぽい雰囲気でした。洞窟は二つあり、階段を登った先にある洞窟の前に、妊婦さんのようにお腹が大きい仏像がありました。この洞窟内は真っ暗で、懐中電灯なしでは見られません。いり口で貸してくれますが、細かい金を持ってなかったので、他の人の電気に便乗して見た。小銭が必要。帰りに和紙のような、紙の製造施設を見学。仲々、綺麗であります。
2006.07.20
コメント(0)
I am now in Huai Xay. I took a speed boat from Luan Phabang.It was terrible trip.The boat is not equiped the roof, very big sound of engine.And violent shower attacked to our boat. I was sopping.Hear, Huai Xay, I could not find the internet cafe which can be usedJapanese.So I am writing in English.
2006.07.19
コメント(4)
本日は、終日、自転車で市内のお寺巡りでした。まず、ルアンパバーン、いや、ラオスで最も美しいと言われるワット・シャントーン。屋根の緩やかな角度、折り重なる屋根が特徴らしい。裏面にある、この装飾は、「黄金の木」と言われる。この人は、入場券売り。一人、10000キープ、1ドルの入場料だが、刺繍の内職を堂々としている。買え買えとしつっこくないのが嬉しい。プーシーと言う高さ150mの小高い丘。市内の中心にあり、328段の階段を登ると市内が一望出来る。沢山写真は撮ったが、ここは、カーン川と、飛行場が見える南。王宮博物館です。シーサワンウォン通りでパンを買って昼食。当地は長い間、フランスの植民地であったので、フランスパンが沢山売られて、これがおいしい。ワットビスンナラートです。別名、スイカ寺と言われているようで、すいかを半分に切ったような塔の形が珍しい。ワットワートルアン。曲線が女性的なすいか寺に対して、この塔は男性的で、二つが対になっていると言う説もあると言う。寺巡りの途中で出会った、とても明るい地元の子供たち。物乞いでもなく、普通の子供たちで、とても好感を持てて、後味が爽やかであった。笑顔が物凄く素晴らしい。夕食は、ミャンマーで知り合いになった、昆明の女子大生とメールでやり取りして、ここで再々会。ビールで乾杯。高級ラオス料理をご馳走して、幸せ気分でした。
2006.07.18
コメント(2)
どこの国の奴らか知らんが、夜中と言うか明け方と言うか、3時過ぎまで大声で騒いであり、熟睡出来ないまま、朝は早起きして町に出た。すると、坊さんたちが、托鉢する所へ出くわした。このように、坊さんが持っている鍋のような入れ物に、す少しづつご飯をあげています。中を見せて貰いました。きっともち米でしょう。ご飯や、その他を貰った後、そのまま立ち去る坊主もいれば、このようにお経を唱えて、帰る坊さんもいます。僕は、「般若心経」を持って来たので、唱えられるが、托鉢は無理なので、地元食堂で、カオ・ソーイを食べました。キシメンみたいでおいしいです。
2006.07.17
コメント(2)
バスで、宿から宿まで、合計、10時間。17時過ぎには3ドルの宿に着く。このゲストハウスは、Merry Gust House と言うが、日本語を話せれスタッフがいる。秋には日本人の女性と結婚するとか。愛想も良く、居心地は良いのであるが、エアコンなし、トイレ、シャワーは共同。おまけに、夜中の3時過ぎまで、でかい声でしゃべっている、ばか者共がいるので、明日、移動の予定。まだ時間もあるので、市内の散策に出かける。ゲストハウスを見たり、あちこちをブラブラ歩いて1時間。メコン川の辺に出た。この川が、中国の雲南省から、ラオスに入り、ここから「くの字」を描くように曲がりながら、タイの国境を通って、ビエンチャンへ続いているのだ。それから、カンボジャを通り、最後はベトナムを流れて南シナ海へ抜ける東南アジア最大の、大河である。屋台を覗いていると、何とジンギスカン鍋のようなものを食べているのを発見!早速、入って注文。ビールが先にやってまいりました。Beer Lao と言います。冷えたビールはうまい!そして、ほどなく、料理がやって来ました。日本の鍋料理とほとんど変わりません。たれの味が違うだけです。ビール半分位で、もうかなり酔っ払って、肉も野菜もたらふく食べて、「ふ~!」と息をはいて、川を見たら、もう夕闇でありました。メコンの日暮れです。ふらふらしながら、ルアンパバーン一番の繁華街に出る、マーケットを覗いてさらに、フラフラしながら、ゲストハウスに戻りました。
2006.07.17
コメント(0)
朝、7時ゲストハウス出発。そして長距離バス停へ。8時に、このバス停を出発。僕は、運よくと言うか、フランスの可愛くも美しく、フランス人形を人間にしたようなお嬢さん3人組みと同じ列。通路を挟んで、2席づつ。よって僕の隣は、フランス人形さんであります。それは、まぁ、3人共、ほっそりしたスタイルなのに、胸はりっぱ。しかも、その谷間はむき出し。目のやり場に困ります。そして、日本人と違うのは、足をおっぴろげて、左足が僕の席を占領して平気なのであります。どっかの親父ならば、蹴飛ばしやるのですが、そこは、ほら、その、あれでありまして、大きな心で、許容してあげました。こんな道路を走ります。ミャンマーに比べれば、道路はよっぽどよろしいです。始めの2時間位は、平地でしたが、その後は、山又山の中を、ぜーゼーと息を切らしてバスは登ります。そして12時前に食べた食堂の前の景色。ほとんど田舎です。フランス人形さん、しょっちゅう、居眠りして、素肌の太ももや、腕が僕の方へ寄って来て、何度も何度も触れるのです。どっかの親父ならば、ぶっ飛ばしてやるのですが、そこは、ほら、その、あれでありまして、起こさないようにそっと、触れたままで許してあげました。ずっと触れていると、許してあげたのか、感触を楽しんでいるのか、訳分かんなくなって来るのでありますが、僕が触れた訳でないので、どうか、ご勘弁を。黄金色の産毛のような肌毛と、長い睫毛、それはそれは、可愛い寝顔でありました。で、外の景色は、ずっとこんな感じです。移動中のバスからなので、ちょっと写りが悪くて、残念です。
2006.07.16
コメント(0)
メコン川沿いでの昼食。欧米系のカップルがうまそうにビールを飲んでいるので、僕もつられて注文。Beer lao とか言うラオスのビール。大瓶1本約80円。途中、大雨シャワーも降って来たので、雨宿り兼用。禁酒生活丸3年少々、禁酒解禁たぶん1ヶ月。そして昼間から大瓶1本。これで、かなり酔っ払って、酔っ払い自転車運転で宿に帰る。昼寝1時間。気持ち良い。起きだして、ネットカフェにて入力。ここビエンチャンは、ネットの状況は快適。ネットカフェが多いし、速いし、安い。1分1円、よって1時間60円。又々、大雨が降って来たので、合計70分も居た。おかげ様で、16時閉鎖の、ワット・シーサケートと、ワット・ホー・パケオには、行けなかった。止むを得ず、閉鎖しない、ワット・シームアン行く。ここは、若い妊婦の人身御供の伝説があり、今でも信じられて多くのラオス人がお参りするらしい。入って見ると、信心深い多くの方が、色んな供え物を持参し、熱心に拝んでいた。バーシーと言う、白い糸を巻きつけて行う儀式も行われていた。若い男女だったので、結婚だったのかも知れない。そして、夕方、又、メコン川へ行って見た。多くの屋台が出て、地元の人も、観光客も、飲んで食べて話して、大層な賑わいでありました。
2006.07.16
コメント(0)
チャリを、1日1ドルで借りて、ビエンチャンの市内観光に出る。まずは、ビエンチャン、いや、ラオスのシンボルと言われる、タートルアンへ向かう。メコン川に沿って、市内に2本走る幹線道路、セタティラート通りを、東へ。5分もチャリを飛ばすと、北に伸びる、ラーンサーン通りに出る。市場、タラート・サオを右に見て、顔を上げると、何と、見たよう景色がある。う~む、これは、どう見ても、パリの凱旋門じゃわい、と呟く。とすれば、ここは、シャンゼリゼじゃーないか? と再び呟く。これが、その景色ですぞい。どうですか? 凱旋門そっくりでしょう? 近くに行っても全くもってそっくりです。で、チャリを、中に入れて、ガイドブックを取り出しました。それもそのはず、バトゥーサイと言う、戦没者慰霊塔で、パリの凱旋門をモデルに建設されたとの事。「バトィーサイ」とは、ラオス語で、凱旋門の意味でした。似てるはずです。ここで、調子の良い、ラオスっ娘の19歳4人組に出会う。そして、さらに北上すと、目的地、タラート・サオがありました。これは、紀元前3世紀頃建てられたらしいが、その当時の王、セタラート王がタラート・サオの前広場に、このように威張って座っています。回廊には、何故か色んな絵が展示されていました。ラオスっ娘たちと、言葉も分からないのに、遊んだりしてゆっくり見ていたら、もう昼になってしまった。昼食は、メコン川の辺にある、椰子で作られた、レストランで、食べました。写真7
2006.07.15
コメント(4)
タイのバンコクより、ビエンチャンに着きました。ラオ航空と言う小さな会社の運航で、大丈夫かいな、と思われたが、モタモタしながらも、何とかビエンチャンの空港に到着した。しかし、定刻30分遅れの、20時40分。飛行機の隣の席の方が、「地球の歩き方」にも載っている、NGOの方であった。ラオス女性の自立を目的とした、織物の製作を主とした、ホアイホン職業訓練センターを、NGOで設立された、おばあちゃんです。たぶん、70歳を超えていると思われますが、元気な方であります。ビエンチャンに着いてから、宿を探すつもりでいたが、おばあちゃんが、10ドルのゲストハウスに泊まる予定であり、話をしてくれるとの事で、便乗することにした。おばあちゃんを迎えに来ていた方々も、当地の日本人社会では有名な方らしく、入国する、ほとんどの日本人が挨拶していた。ビエンチャンの在住日本人は、200名(たぶん、日本人会に登録している方)と言ってました。10年前は、20名だったと言いますので、増えたものです。車で、10分もかからずに、市のほぼ中心にある、Chatha Guest houseに、到着。何と、83歳のおばあちゃんが、出迎えてくれました。ゲストハウスのオーナーと思いきや、NGOに従事の方で、みんなは、先生と呼んでいましたので、えらい方なんでしょう。それと、小学校4年生のお嬢さんとそのお母さん。この方は、ご主人を日本へ置いて、NGOに参加されているとのこと。何とも逞しい人たちがいるものです。職業訓練センター、ラオスの子供(子供たちに本を贈って、支援するNGO)を統括している方は、ラオス人で日本語はペラペラ。この方から、ビールをご馳走になりながら、遅い夕食。ラオスの麺は、うどんに似ていて、おいしかった。宿の部屋は、こんな感じです。日本の家庭のように、靴を脱いで上がるので、清潔です。トイレ、シャワーが共同なので、ちょっと不便ですが、まぁ、満足。
2006.07.15
コメント(0)
ホテルをチェックアウトしても、まだ飛行機の時間まで、6時間もある。18時50分発だから、16時半頃、バンコク市内を出れば間に合う。まだ、2時間もある。既にネットカフェで、1時間以上もいるのに・・・。ビエンチャンの飛行場に着くのが、20時10分。本日の宿が、まだ決まっていない。何とかなるだろうなー?マッサージにでも行くか?
2006.07.14
コメント(0)
偉大なるアンコール遺跡から、偉大なる歓楽の都市、バンコクであります。この差の大きさを、ブログでは現しきれません。タニヤ大好き人間の友人に誘われて、昨夜はタニヤへ行って来ました。一昨夜は、スクンビットのバービアから、ナナプラザのゴーゴーバーへ行き、20歳前後の、若い女性の、ほとばしる若さによる、目の保養をしました。バービアでは、こんな人たちでした。21歳、20歳、20歳です。 可愛いですねー! 若いですねー!ゴーゴーバーは、小さな布着れを二つ付けただけなので、撮影禁止です。5分もいれば、飽きてしまう場所です。しかし、好きな人は、好きなのでしょう。ずっと見ている人もいるようですし、連れ出す人も多いようです。さて、タニヤですが、ご存知の通り、日本人専用街と言うべき場所で、日本人用カラオケが、立ち並び、綺麗なお姉さんたちが、呼び込みを行っております。僕はカラオケ大好き人間で、アルコールは飲まず、唄を唄っていれば、幸せでしたが、病気以来、声も掠れがちで、その後は、あまり行っていません。しかし、久しぶりに行ったタニヤのカラオケは、カラオケではなく、連れ出し専門と言った模様。しかも、1時間セット料金、600バーツとか言っておきながら、部屋代別、ホステスさんの飲み物別、おまけに会計の時、700バーツであったり、まー、あまりと言うか、2度と、と言うか、行きたいとは思えないのでありました。1時間で帰って来ましたが、友人は、恨めしそうに、名残惜しそうに、しておりました。少し、可哀相だったかなー? しかしねー、如何に歓楽街とは言え、タイの経済に好影響を与えるとは言え、日本人の品格を落とす故、少しは自粛して欲しいものであります。まぁ、欧米系の奴らも、タイの若いお姉さんと、手に手を取って歩いているから、バンコクは、ほんと、歓楽、遊興、エロの街ですなー! こればっかだ!
2006.07.14
コメント(0)
カンボジャのアンコール遺跡の拠点、シェムリアップの町には、遺跡だけでなく、戦争の傷跡も残っています。 ポルポト政権時代の殺略。何と600万人の国民の内、180万人から、一説によれば、200万人が虐殺されたとのこと。その骸骨が飾られていた。プノンペン市内、プノンペン近郊の方が、大規模に殺されたようで、以前行った所よりも骨は少なかったが。しかし、国民の30%を超える虐殺とは、異常さを超えた、恐ろしいものである。そして、今も尚、地雷が埋められていて、多くの人たちが、足や手を吹き飛ばされて、それでもなお、生きている。両手首から先のない腕を差し伸べられると、何とも言いようのない、悲しみに陥る。英語のガイドに、ポルポト派が地雷を埋めたのか? と聞いた所、「いや、中国とソビエトだ」、と言う返事であった。その当事者の、中国やロシアは、全く地雷処理などしておらず、日本が援助したり、直接、地雷処理を手助けしているそうで、当地での日本の印象は良いようである。日本は、平和で、戦争など全く関係ないように思えるが、イラクを始め、世界各国で戦争やテロは現存し、北朝鮮のミサイル発射に見られるように、危険は、すぐそばにある。日本国民も、平和の維持の為に、平和のみを唱えるだけでなく、現実にあった対策として政府を応援可能なような、情報を共有し、いつまでも平和な日本であり、且つ、世界から戦争がなくなるべく、ささやかながら、努力したいものである、と考えさせられました。
2006.07.13
コメント(2)
あの偉大な遺跡、アンコール遺跡群から、飛行機で一っ飛び、バンコクへ戻りました。近いですねー、早いですねー。バンコクでは、ラオス行きの手配にて、半日が終わりました。ビザは面倒なので、旅行会社に依頼。1800バーツで、ちと高いですが、手間とタクシー代、など考慮すれば、よしとせねばならないでしょう。バンコクーラオスまでの、往復チケットは、7300バーツでした。明日の夕方、ビザとエアーチケットを受領して、明後日、ラオスへ出発です。さて、どんな旅が待っているやらその後、マッサージ2時間、ビアバーで小瓶1本、夕食はカツ丼、そして、ゴーゴーバーにて、美人で若い女性の半裸状態の踊りを堪能して来ました。もう、にします。
2006.07.12
コメント(0)
シェムリアップの町から、南方へ10キロ、車で25分程度の所にある湖へ行って来ました。この湖は、東南アジア最大のものだそうで、琵琶湖の何倍かあるそうです。湖の向こうの陸は見えません。かなり、とっても、広いです。ここの岸辺に、1万5千人もの人々が、水に浮かぶ家に住んでいました。ここでは、水が道路、船が足。娘さんも軽々と船を漕ぎます。子供も、軽く船を操っています。彼らの家並みは、このように並んでいます。ここは、川から湖への入り口。そして、ここは、湖の岸辺。この人たちは、全てこの水上で生活出来ます。病院も、お店も、床屋も、警察も、そして、学校もあります。これは学校です。そして、この学校は、日本からの援助で建てられました。何故分かるかと言うと、この写真のように、日本の援助で建設されたと、明確に記載されているからです。ミャンマーのガイドもきちんと説明してくれましたが、中国とは違いますねー。中国への援助はどこへ行ったか分からないし、むしろその金で反日を煽るような建物を建てているのでしょう。こう言うのを見ると、中国の厭らしさが、目立ちます。この水上で、ワニも飼っています。魚も飼っているし、アヒルも飼っているし、豚も飼っています。人間は、本当にしぶといですねー。どこでも生きています。写真に見るような、泥水で、身体を洗い、鍋や茶碗を洗い、洗濯もして、そして、糞尿もそこに流しています。隣の内で、小便している、その水で、鍋や茶碗を洗っているのですぞ!平気なんですねー。子供たちは、裸で、泳いでいるし。人間はしぶとい。日本人なら、すぐに病気になるでしょう。きっと。
2006.07.11
コメント(8)
行って来ました。アンコールトム、アンコールワット、及び、周辺の遺跡へ。ガイドブックや、テレビで見るのと、実際に歩いて見るのでは、印象、迫力が全く異なり、「偉大な遺跡」、の印象を強くしました。写真でも伝わらないと思いますが、紹介します。アンコールトムに入り口の一つ、南大門。54の神の像、及び、54の阿修羅の像が道路の両側に並んでいます。これは、右側の神々の像。アンコールトムの中心にある寺院、バイヨン。これは、全体を撮影したもの。バイヨンの回廊には、多くのレリーフが描かれており必見。この写真は、クメール人の戦士であるが、モンゴル軍、中国人傭兵など、当時を偲ぶ姿が分かる。尖塔が林立し、その頂の壁面の東西南北には、観世音菩薩の顔が刻まれている。「クメールの微笑み」と呼ばれているそうです。次は、アンコールワットです。参道をゆったり歩いていたら、突然の豪雨。参道脇の図書館に逃げ込み、雨宿り45分。これは雨あがりで、誰もいないアンコールワットの全景です。中へ入り、こんな急な石段を登ります。こわ~い!そして、壁には、このような絵が刻まれています。参道を見たところ。この~木、何の木、気になる木~?タプロムと言う、寺院の中の木であります。この木はガジュマルと言うらしいですが、英語のガイドは、オクトパスツリーとか言っていました。このタプロムは、ジャングルに覆われていた時に、ガジュマルが生い茂り、70%ほどが倒壊し、残っているものは少ないですが、この木の太い根が見物となっています。こんな偉大な遺跡が、500年もの間、誰も来ないで、ジャングルの中に眠っていたと言うことは、狭い日本に暮らしていたら、到底考えられない出来事であり、驚きであります。これが建てられてのが、12世紀とか13世紀のですから、日本最初の武家政権の鎌倉時代の頃に、これほど素晴らしい建築物を作っていたのであります。カンボジャ何て、遅れた国と思っていましたが、何とも素晴らしい国であります。
2006.07.11
コメント(6)
カンボジャのアンコール遺跡の見学拠点地、シェリムアップへ着きました。バンコクからの飛行機が満席であり、どうしようか迷った末、バスで行くことにした。スクンビットのホテル前まで、新車の快適なバンが出迎えてくれる。この車で、大きなバスまで行って、乗り換えて行くのだろうな、と思って運転手に聞くと、何と、カンボジャまで行くと言う。「おいおい、こんな快適な車までいいのかい?」 と友人に伝える。「飛行機より良いですねー、楽チンですわ」、と日本から来た友人が、車窓の外の景色を見ながらのんびりと答える。カンボジャ国境の町、Poi Petまで、良く整備された舗装道路を快調に飛ばす。7時半にバンコクを出発し、10時半、3時間で着いた。ここで、しばし、カンボジャからのガイドを待つ。その後、 * タイ出国 * カンボジャのビザ取得 * 健康診査 * カンボジャ入国と、ポツポツと歩いて、進む。タイ出国では、大勢の人が並んでおり、こりゃー、何時間かかるか分からんなー、と、降り注ぐ太陽を見上げて、目を瞬かせていたら、小さな子供が、日傘をさして、20バーツと言う。慌てて断る。そうこうしていると、並んだ近くの人たちが口々に、地面を指し示し、「タイ、タイ」と言っているではないか! 何のこっちゃ、さっぱり分からんので、そのまま、並んでいたが、怪しげなおっちゃんが現れ、「ここはタイ人が並ぶ列、外国人はこっち。」、とご丁寧に説明してくれて、案内してくれた。そっちの列は、全く無人。スイスイと通り抜ける。その親切なおっちゃんは、タイを出国してもまだ着いて来る。その後、分かったのであるが、ビザの取得の手伝いをして稼いでいる、おっちゃんであった。手数料を聞くと、50バーツとわずか150円なので、そのまま依頼する事とした。おっちゃんの窓口への顔が利いているのか、ビザの取得もすんなり降り、バンコクでのビザ取得より、安い、1050バーツで取れた。簡単、簡単。そして、そのままカンボジャ国内を、シェムリアップへ一路発信!で、その道路、まるで国が違ったが如く、タイとは全く異なる、無整備な道路。悪路とはこの道路を言うのか、と言うほどのデコボコ。そして砂埃!シェムリアップまで、5時間はかかると言いおる。「いやー、やっぱり、飛行機の方が良かったかなー?」と友人に聞くと、ど田舎の光景に目を見張り、「いや、飛行機ではこう言う光景は見られません。車で良かったです。」、と、目を輝かせて言った。確かに、見渡す限り、田植え前の田んぼ、湿原と言うか、小さな沼や川ばかり。その中を、1本の、未舗装道路が延々と続く。ミャンマーとは、又、異なるこの風景。確かに、飛行機では見られない、感じられない風景である。シェムリアップには、4時間半かかって着いた。飛行場の、30分ほど手前から、道路も舗装され、ど田舎から、村のような光景となり、飛行場を過ぎて、少し行くと、町の雰囲気となった。従って、飛行機で来た人と、僕たちのように、車で来た人では、このアンコール遺跡への道のりの感じ方がかなり異なるのだろうなー、と思いつつ、三ツ星ホテルにチェックインした。
2006.07.09
コメント(2)
暇だ、暇だ、暇だ~!バンコクでの本日、明日からのアンコール遺跡の支払いと、チケットの受領してしまえば、な~んにもない1日。ほんとに暇だ。英語の話せない友人がタイ周辺国へ行きたいと言うので、コタキナバルを諦め、スケジュールを変更して、アンコール遺跡に行くことになった。一人の方が、動きやすいし、気楽でいいのだが頼まれれば、嫌とは言えない。3泊4日の旅程。時間を有効利用する為に、ツアーに参加する事とした。あんまり暇なので、ホテルの近くの道路を散策していたら、「ドリアン」を見つけた。果物の王様、「ドリアン」である。ミャンマーでフランス人が食べたいと言っていたのを思い出す。タイの王様も、在位60周年記念を祝ったので、こちらは関係ないものの、果物の王様を買って来た。自分では割れないので、中身のみにして貰ってホテルに帰った。そしたら、ホテルの受付で、それを見つかって、知り合いになった受付嬢にねだられ、5房のうちの1房を、ねだりとられてしまった。もっとも、こんなに食べられないから、調度良かったのであるが・・・。改良を加えたのか、匂いがあまり気にならない。うまさもとろけるほどでない。少し、若すぎたようだ。もう少し熟れないと、ドリアンもうまくない。でも、久しぶりだったなー、ドリアン。
2006.07.08
コメント(4)
バンコクへ到着しました。昨日は、失業保険の第一回目の認定日。意外と簡単に認定してくれました。 しかし、次回までに、最低2回は、求職活動の記録がないと、支給は無理と言われております。まぁ、苦しい台所ですから、その位厳しくやって貰わねば困りますが。貰う方とすれば、もう少し手抜いてよ! っ言いたくまります。で、本日は、早速、成田から香港経由、バンコクに到着しました。明日は、バンコク、そして明後日から、カンボジャのアンコール遺跡に行って、めぇりやす!それでは、又
2006.07.07
コメント(4)
失業保険の支給を受ける為に、ハローワークへ行って来ました。初回講習とか、言う奴です。下記の失業給付の、内容について説明してくれました。*基本手当てを受給出来る場合*基本手当てを受給出来る日数*基本手当ての受給出来る期間*基本手当ての受給できる時期自己都合退職の場合、受給資格決定されてから7日間の支給されない期間があり、さらに3ヶ月の支給されない期限があり、その後、認定されて失業保険が受け取れます。自己都合でない場合は、支給されない期間は7日間のみで、その後は、すぐに支給開始されます。28日間毎に、基本手当てが支給されますが、その間に2回以上の休職活動が義務付けられており、それが出来ない場合、お金は貰えません。認定書には、顔写真が貼られ、セミナーや、休職相談などした場合、求職活動と認められて、その認定書に記述されます。だから代理出席など出来ません。厳しいですねー!但し、初回のみは、初回講習に出席すれば、お金を貰えるそうです。これで、今回は貰えるので、飛行機代使って帰国した意味がありました。おめでとう! それから、働いてお金を得ているのに、申請しないと、罰則があり、且つ、失業保険は受給出来なくなると、しきりと説明が繰り返されました。
2006.07.06
コメント(0)
7月1日(土) 「地球の歩き方」、も結構いい加減だなーと思うことがありました。ロンジーは、ミャンマーで、男性が下半身に穿いている筒状の布。女性用はタメインと呼ぶ。このように記載されています。しかし、現地の人と雑談している時に、女性用も含めてロンジーと言うと聞いたのであります。そこで、別の場所でも、3人に聞きましたが、やはり同じです。で、正しくはどうかと言うと、男性用は、パソーで、女性用が、タメイン。男性用、女性用も両方含めて、ロンジーと言うのだそうです。従って、ロンジー下さいって、買い物に行くと、男性用ですか? 女性用ですか?と聞かれるとのことであります。ふふ、勉強になりましたねー!
2006.07.05
コメント(2)
7月1日(土)僕は車に詳しくないので、うっかり見逃していたが、ミャンマーは、ほとんどと言っていいほど、日本の中古車ばかりが走っています。何故、車の機種に詳しくない僕にも分かるかと言うと、車体に日本で使っていた会社や注意事項など、そのまま記載されているからです。例えば、トラックであれば、ニッサンディーゼルが圧倒的多く、日野も走っている。車体には、「○○運送」とか、「低速度運転中」とか、書かれている。乗用車やタクシーは、トヨタが多い。カローラクラスのもの。インレー湖から、ヘーホー空港へ行くタクシーは、オンボロを通り過ぎたオンボロボロの車であったが、カローラだった。15年以上は絶対に乗っている、いや、20年は乗っているか? と思って運転手に聞いて見た。驚きますぞ! クイズで出題したい位であります。何と、その運転手、「1971年製だ」と答えたのであります。え! お! 何! と叫んでしまいました。な、なんと、35年間も走っているのです。驚異的記録ではないですか!運転手曰く、「トヨタは頑丈でいい、中国製はダメだ」とのたまっていました。そりゃー確かに、35年も使える車は、そうそうないでしょうよ。トヨタは頑丈です。日産だって頑丈です。ホンダだって、スズキだってみんな、頑丈です。で、走っている1971年製のトヨタカローラの内部をよくよく眺めてみれば、ありゃ? スピードメーターがゼロを示している。ありゃ? 温度もゼロだぞ?ありゃ? ガソリンも入ってないのか? ゼロだぜ!そうなのです。運転に必要な計器は、全部故障中であります。そう言えば、ドアの取っ手を掴んだら、片方のネジがポロっと取れました。ドアの窓は、手動式の回すのを、少し回しては、ガラスを手で押し下げねば開きません。閉める時も同様です。う~ん、エンジンとタイヤと、ハンドル以外は、ほとんど故障みたいなもの。途中、エンジンがクスンと言って止まってしまった。「アリャー、とうとうエンコか、飛行機に乗り遅れる~!」、と気持ち的には大慌てでありました。ところが運ちゃんは手馴れたもの。すっと車を端へ寄せて、エンジンの所を開けて、何やらこそこそやること、数分も掛からない。すぐにエンジンは始動しました。慣れてんだねー、故障には。そして、それからは、車の車体をずっと見ていました。沢山ありますねー、日本の中古車。 鉾田自動車学校 愛知自動車教習所 東京サービスなんとか 京都なんとか株式会社ヤンゴンに飛行機で着いて、これまたビックリ。数ヶ月前まで首都であり、今でも、ミャンマー最大の都市である、このヤンゴン飛行場。飛行機まで迎えに来たバスには、このように書かれていましたのです。 車内には、優先席、禁煙、出口 車外には、運転先払い、宮城交通宮城交通が使っていたバスが、そのままヤンゴン飛行場に来て使われているのでありまする。驚きましたねー。公共施設でも、明らかに中古輸入車です!と言う車が堂々と使われているのです。市内へ向かうバスも同じく、どこかの日本の中古車です。漢字くらい、消せば良いのに、と思うのは、僕だけでしょうか?トラックもやはり、ニッサンディーゼルが多く、タクシーはトヨタでした。いやはや、驚きました。インレー湖のタクシーの運ちゃんの話。ほんとかどうか分かりませんが、20年落ちのカローラクラスでも、日本円で、300万円とか、400万円すると言う。信じられませんね、本当だとは。日本で運転不可となり、廃車する為に、誰かが、お金を払って持って行って貰った車が、どう輸出したのか、ミャンマーに来て、300万円以上で売られているのです。いやはや、本当に驚きました。
2006.07.04
コメント(1)
6月30日(金)インレー湖畔からヤンゴンへ移動。ヤンゴンに用事はないが、飛行機の都合上、このようになってしまった。バンコクへ直接帰れる便がないか、ヤンゴン飛行場のタイ航空で確認したが、夜の8時発と言う。何もない飛行場にて、7時間も8時間も、とても待つ気になれないので、市内へ向かう。タクシーの値段交渉も面倒なので、7ドルと言うのを、「5ドル」」と言って、敵さんが値段を下げて来るまで無言。彼らは6ドルでしばらく粘っていたが、諦めて5ドルに下げた。始めから5ドルって言えよ! と言いたい。ヤンゴンにて久しぶりに、ネットに接続出来た。
2006.07.04
コメント(0)
6月29日(木)トレッキングから帰ってくると、何とマンダレーで二日間一緒であった、昆明の女子大生が、いるではないですか? 驚きました。会うとしたらラオスでしか会えないと思っていたので、ぶったまげたー! って感じでありました。彼女は既に確認して知っていたらしく、全くの冷静。この差が激しい。宿にいると一緒に夕食を食べることになるだろうな、と面倒臭い気もして早々にマッサージに行く。帰りにビアホールで、ジョッキ2杯飲む。そして、もし待っていると悪いと思って、慌ててホテルに帰る。慌てて帰る位なら、ジョッキ1杯にして帰ればいいのに、何とも不可解な行動である。ホテルに帰ると、もうイギリス人、アメリカ人と一緒に夕食に出かけたとの事。何だー! と複雑な気持ちで、もう一度、ビアホールの方へ戻り、インド料理屋に入る。そこにはミャンマーに5ヶ月もいると言う、オーストラリア女性がいた。僕も行った事のある、メルボルンからだ。しばし歓談。本日のトレッキングコースを、伝授したので、彼女は大喜び。食べ終わる頃、マッサージ屋で一緒だった、日本人と再開。彼は、タイでマッサージを習い、日本でマッサージ業を行っているとの事。伝統ビルママッサージにいたく感心しており、へたくそな英語で、マッサージ師と感動の話をしていた人だ。まぁ、好みによるのであろうが、僕からすると、あんなヘタクソなマッサージに感動しているようでは、彼の腕も知れたものだと思う。宿に帰ると、昆明女子大生と、アイルランドの青年が卓球をしていた。彼女は、僕を探したがいないので、皆で食事に行ったと言う。実は僕もマッサージから慌てて帰って来たが、もういなかった。残念。一人でインド料理を食べて来たと説明。卓球をしようと、結構、強引に誘われ、アイルランド青年と勝負。11本先取、1本勝負を行った。卓球何て、久しぶりであり、手元も狂うし、始めは、5対0と簡単にリードを許す。しかしながら、日本男児、しかも、運動神経はかなり発達している方であり、徐々に勘を取り戻し、挽回。接戦に持ち込み9:9。2本連取して、僕の勝ち。へへっ、日英戦争は、日本の勝ちでした。聞けば、アイルランド青年も、ラオスに行くようで、出来たら3人で行こうと言うことになった。スケジュールが合うかどうか分からないので、実際の所は、どうなるか不明。しかし、何だか、国際的になって来たよなー、と感じる。今夜の客は、ドイツ人、アメリカ人、イギリス人、中国人、そして日本人だ。
2006.07.03
コメント(4)
6月29日(木) 本日は、何もしないで、ゆったりとリゾートライフを楽しもうとしていた。しかし、貧乏性なのか、何もしないと落ち着かない。よって、近くの山へ軽くTrekkingすることにした。宿のマスターに聞けば、1日コースは、ガイドが必要で、今からは間に合わないと言う。5時間コースであれば、道に迷うこともないコースがあるので、ガイドなしで一人で出かけたらどうか? と進められる。歩くことに関しては、四国お遍路で、気力も体力も鍛えてあるので、5時間程度はへっちゃらである。勇躍、ショルダーバッグに、スリッパ、そして、傘を持って出かけた。高地とはいえ、日差しは暑い。傘を、日傘代わりに差して歩く。9時出発で、5時間必要と言うので、まずは水をペットボトルを購入。そして、空腹に耐え切れなかった時の為に、マーケットにて、小さな房のバナナを10円で購入。30分も歩くと、喉が渇いてくる。コーヒー屋さんがあったので入る。コーヒー1杯と、お茶飲み放題は、どこも同じ。たった30分あるいただけなのに、同じく、30分近く休んでしまった。20円支払って、再び出発。町から、山の麓まで、結構な時間がかかり、30分+10分ほどで、ようやく登りに差し掛かった。さらに20分ほど進むと、洞窟のお寺があった。階段を登って行くと、一人の僧侶と世話役のような方が調度、食事をしていた。ここは、あまり観光客も来ないのか、お茶を出してくれたり、置いてあった、バナナを食べろとか、すごく親切であった。しばらく3体の仏像を眺めさして頂き、親切なお坊さんに、心より、お礼を申し上げて、洞窟寺を後にした。洞窟寺の先は、かなり傾斜の強い登り坂となった。小さめの大八車に、木を載せて現地の若者が降りて来る。ブレーキは、乗せてある木を使っている。危ないなーと思うが、手馴れたもので、すいすいと降りて行った。こちらが笑顔で、挨拶すると、破顔一笑と言うような笑顔を見せてくれる。嬉しいねー、こう言う笑顔は。さらに少し登って振り返れば、そこは素晴らしい景色。遠方に、インレー湖が見え、ニァウンシュエの小さな町並みも見える。周囲の畑や山々も丸見えである。何故、山へ登るか? 愚問であると思うが、登って振り返って見る景色もその答えの一つであろう。そして、下方から吹き付ける、爽やかな風。これも、何ともいえぬ心地よさである。一つの小さな部落に差し掛かる。道に迷ってはいけないので、そこがどこか確認する。英語は通じないので、書いて貰った、ミャンマー語の地名を差し出し、指差す。何とか確認可能。皆さん、素敵な笑顔だ。二つ目の部落では、小学校へ寄ってみた。調度、授業が終わり、昼食の時間になる時であった。子供たちが出て来て、珍しげに僕を見る。麦藁帽子に、ロンジーをはき、傘を差しているから、ちょっと変わっているかも知れない。口々に何か言うが、分からない。すると、英語の話せる先生が出てきて、ようやくコミュニケーションが取れた。先生は、3名おり、毎日、ニァゥンシュエの町から、通っているそうである。弁当持参とも言っていた。写真を撮らせて貰ったが、生徒が殺到するので、撮りにくいこと。先生は恥ずかしがって、中には入らなかった。まだ、20歳の半ばに達していないような若さの女性であった。日本語も習っていると言って、いくつかの言葉を言っていた。三つ目の部落では、道路脇にあった高床式の小屋に現地の人が二人いたので、そこで休ませて貰った。トウモロコシの茹でたのを、一本くれた。悪いので、お金を払おうとしたが、絶対に受け取らない。竹林の中にあり、風が良く通り、涼しいし、とても気持ちよい。見れば、柱以外はほとんど全てが竹で作られている。屋根は、椰子の葉であるが。真っ青な竹を持った人が通りかかり、僕を見ると、竹を放りだして、小屋に来た。英語が話せる。トレッキングのガイドを行っているらしい。今は、オフシーズンなので、畑仕事などをしているとのこと。しばし歓談した。そしたら、家に来いと言いだしたが、それではあまりに悪いので、辞退した。ニァゥンシュエに降りて、屋台で昼食をとる。みんな気さくで、楽しい。ラーメン1杯、30円。野菜豆腐とご飯で10円。腹一杯だ。ここもシャン料理で、油っぽくなく、薄味であるがおいしい。衛生的にどうかは分からない。
2006.07.02
コメント(2)
6月29日(木)マンダレーにて、同宿となり、ザガインなど中国人女子大生と一緒に行き、又、インレーでも同じ宿となり、インレー湖、ピンダヤにも一緒に行った、日本の若者が、先ほどチェックアウトし、ヤンゴンへ向かった。26歳と言うが、言動もしっかりしており、立場もわきまえて、仲々、好ましい人であった。ある日、個人的な話をした時、彼女はいるが、癌で先行きどうなるか分からない、と言っていました。もう交際して、8年になり、5年前に発病して、抗癌剤も使い果たして、今はもう何の対処も出来ないとのこと。癌の詳細は分からないが、今は、彼女も働いており、一応は普通の生活をしているが、脊髄の何かを入れ替えた後、生理もなくなり、子供を産むことは、体力的にも、生物学的にも、不可能であると言っていた。それでも、彼は、何年もの長い期間、彼女を大切に、励まし続けていると言う。ずっと以前に見たことがある、「愛と死を見つめて」、そのままのような話です。今回も、タイ位なら、一緒に行けるのではないか、と思ったが、彼女に自信がなくて、一人で来たらしいが、お金を貯めて、もっと安全なハワイでも連れて行ってあげたい、と言っていました。身につまされる話です。彼は、海外は始めてと言っていましたが、彼女の看病の為、一人で海外へ行くのは、難しかった。今、彼女の病状が落ち着いているので、初めての海外旅行だと言っていました。そんなに英語は話せませんが、旅行なれした人でさえ、ミャンマーに来る人は少ないのに、初めての海外に、ここを選び、且つ、ツアーでなく、飛行機だけ予約して、後は、全て独力で移動したりしており、度胸もあり、行動力もある人だと、関心しております。不治の病も、人間の持っている、底知れない自然治癒力で、何とか治らないものかと、単なる触れ合いの人ですが、そう願わずにいられません。
2006.07.02
コメント(0)
6月28日(水)ピンダヤから戻ると停電。シャワーを浴びさっぱりしてから、マッサージに行く予定が、脆くも崩れる。宿泊している、AQUARIUS INNは家庭的な雰囲気で、暖かいサービスを提供してくれる。部屋も7ツしかない小さな、日本で言えば、民宿のような感じ。1日を終えて帰って来ると、必ず、生ジュースか、お茶か、そして、簡単なつまみまで準備してくれる。しかし、この日は、停電であり、生ジュースが作れない。それで、バナナに蜂蜜を垂らしたものを持って来てくれた。バナナだけより、とてもうまい。その後、マッサージに行く。伝統的ビルマスペシャルマッサージとか、銘打っていたが、タイや、中国に比べると、何かが物足りない。1時間300円であり、安いので文句は言えないが。家族で経営しており、母、息子、娘が経営者、その他、使用人もいるようだ。この母親にマッサージをして貰ったが、まだ40台だと思うのだが、老婆のような風体であり、夜だと怖いなと思わされる。時々、ニヤッと笑い、歯の抜けた口元を見せるので尚更だ。タイと異なり指圧風の押し方をするのであるが、これが中途半端でよろしくない。身体に乗って足で、全身を揉む、これはまぁまぁだが、背骨や骨の所まで構わず乗るので、痛くて叶わんし、逆に傷つけられはしないか心配する。最後に、体中に、オイルを塗る。パンツの中まで手を入れて塗るので、気持ち悪い。(今度は、ここの所だけ、娘さんにやって貰おう)そして、今夜はシャワーを浴びるな、と言われて完了。この母親、商売熱心で、帰りぎわ、名刺を渡して寄こした。1日、3人もくれば、8ドルで、毎日来れば、240ドル。教師の給料が、28ドルから考えれば、相当、良い商売であると思う。そう言えば、ヤンゴンでもマッサージ店は見当たらなかったが、ミャンマー人にタイマッサージを覚えさせて、ヤンゴンにマッサージ店を開店するのも、一つの商売であるなー、と思った。夜は、宿の奥さんが手料理をご馳走してくれると言う。シャン料理らしい。味は薄味で、油が少なく、日本人には合う味である。4品準備されたが、フランス人カップルが、肉は食べたくないと言ったので、3品は、野菜と豆腐料理。一品だけに、肉が入っていた。この夕食には、ドイツ人女性も加わり、昨夜同様、旅行の話で、盛り上がり、料理の話にも飛んだりして、楽しい食事であった。お礼に、一人、2000kのお金を置いて、談話室に帰ったら、マスターが慌てて飛んで来て、お金は要らない、いや、取っておいてくれ、じゃ、1000kだけ貰っておく、いや全部取ってくれ、とのやり取りがフランス人とあり、僕が、「それはあんたに渡すのじゃなくて、料理を作ってくれた奥さんに渡したいんだ!」と言ったら、お!っと言う顔して、「それは、彼女も喜び」と、ようやく受け取ってくれた。ま、何はともあれ、シャン族の家庭料理を食べられて、フランス人、ドイツ人と楽しい食事を出来たので、充実した時間であった。
2006.07.01
コメント(0)
6月28日(水)ピンダヤから戻ると停電。シャワーを浴びさっぱりしてから、マッサージに行く予定が、脆くも崩れる。宿泊している、AQUARIUS INNは家庭的な雰囲気で、暖かいサービスを提供してくれる。部屋も7ツしかない小さな、日本で言えば、民宿のような感じ。1日を終えて帰って来ると、必ず、生ジュースか、お茶か、そして、簡単なつまみまで準備してくれる。しかし、この日は、停電であり、生ジュースが作れない。それで、バナナに蜂蜜を垂らしたものを持って来てくれた。バナナだけより、とてもうまい。その後、マッサージに行く。伝統的ビルマスペシャルマッサージとか、銘打っていたが、タイや、中国に比べると、何かが物足りない。1時間300円であり、安いので文句は言えないが。家族で経営しており、母、息子、娘が経営者、その他、使用人もいるようだ。この母親にマッサージをして貰ったが、まだ40台だと思うのだが、老婆のような風体であり、夜だと怖いなと思わされる。時々、ニヤッと笑い、歯の抜けた口元を見せるので尚更だ。タイと異なり指圧風の押し方をするのであるが、これが中途半端でよろしくない。身体に乗って足で、全身を揉む、これはまぁまぁだが、背骨や骨の所まで構わず乗るので、痛くて叶わんし、逆に傷つけられはしないか心配する。最後に、体中に、オイルを塗る。パンツの中まで手を入れて塗るので、気持ち悪い。(今度は、ここの所だけ、娘さんにやって貰おう)そして、今夜はシャワーを浴びるな、と言われて完了。この母親、商売熱心で、帰りぎわ、名刺を渡して寄こした。1日、3人もくれば、8ドルで、毎日来れば、240ドル。教師の給料が、28ドルから考えれば、相当、良い商売であると思う。そう言えば、ヤンゴンでもマッサージ店は見当たらなかったが、ミャンマー人にタイマッサージを覚えさせて、ヤンゴンにマッサージ店を開店するのも、一つの商売であるなー、と思った。夜は、宿の奥さんが手料理をご馳走してくれると言う。シャン料理らしい。味は薄味で、油が少なく、日本人には合う味である。4品準備されたが、フランス人カップルが、肉は食べたくないと言ったので、3品は、野菜と豆腐料理。一品だけに、肉が入っていた。この夕食には、ドイツ人女性も加わり、昨夜同様、旅行の話で、盛り上がり、料理の話にも飛んだりして、楽しい食事であった。お礼に、一人、2000kのお金を置いて、談話室に帰ったら、マスターが慌てて飛んで来て、お金は要らない、いや、取っておいてくれ、じゃ、1000kだけ貰っておく、いや全部取ってくれ、とのやり取りがフランス人とあり、僕が、「それはあんたに渡すのじゃなくて、料理を作ってくれた奥さんに渡したいんだ!」と言ったら、お!っと言う顔して、「それは、彼女も喜び」と、ようやく受け取ってくれた。ま、何はともあれ、シャン族の家庭料理を食べられて、フランス人、ドイツ人と楽しい食事を出来たので、充実した時間であった。
2006.07.01
コメント(0)
全1154件 (1154件中 351-400件目)