全340件 (340件中 151-200件目)
さて、UAEに向かって出発です。途中、ダンマンに下請けの工場があるので、そこに立ち寄り、若干仕事。仕事が、早く終わってしまった為、午後3時半であるが、ダンマンから、UAEへ向かって出発しました。2時間ほど(17時半頃)で、ホフフと言う街を通過。(結構大きな街です)砂漠の真ん中を、突っ走りますラクダ達が、沢山歩いている砂漠地帯もありました。19時半には、カタールへの分岐点を通過。左へ行けばカタール。僕らは、右の道へ行きました。ここで、既に、430キロ走りました。この頃には、もう暗くなってしまって、標識を見るのに、スピードを落として、走らねばなりません。アシュラフに任せておいたら、どこへ行くか分からないので、おちおち、居眠りする訳にもいかず、結構、緊張します。夕食は、カプサ食べて、サウジのイミグレを通過したのが、21時半頃か?おー、ここから、UAEじゃー!と喜んでおりました。で、UAEのイミグレは、車に乗って通過出来ず、駐車して、入国管理事務所のような所で入管検査を受けます。タリラリラ~ンってな、調子で、アシュラフ君、歩いて行きました。僕のと、アシュラフ二人分のパスポートを提出すると、ほどなく、僕のパスポートはスタンプ押されて返してくれました。しかしながら、アシュラフはアラビア語で、諸々、色々、聞かれております。その内、「別室に来い!」 とか言われて、アシュラフ連行されてしまったのであります。アシュラフは、情けなさそうな、寂しそうな、泣きそうな顔してました。ドアを細めに開けて、盗み見すると、大きな廊下を挟んだ、向こうの部屋で、アシュラフが、しょんぼりと座っているのが見えます。続く
2007.08.12
コメント(3)
「日本人社内旅行準備実行委員会担当係員」の任務を全うする為、UAEのアブダビへ、視察に出かけることに致しました。アシュラフ君、今まで、生まれ故郷のインドと、ここサウジ以外は、僕の運転手で連れて行ったバーレーンしか行った事ありません。UAEに行くと言ったら、満面の笑顔。「あ、あの、ぼ、ぼ、ぼくは、マルチビザを、も、持っていて、中東なら、ど、どこへでも行けるんだぞ。親分(会社のオーナーのこと)が、い、言ってたんだ。」と、何とも、行きたそうに言うのであります。飛行機の方が楽は楽なのですが、向こうへ着いてからの便利さを考えると、車の方が良いと考え、アシュラフの運転で行く事にしました。地図で、距離を測ったら、800キロ。四国一周お遍路で、40日間かけて、歩いた距離と同じです。アシュラフに聞きました。「おい、800キロもあるんだぞ! 大丈夫か?」 「ぼ、ぼくは、リ、リヤドから、イエメンの方まで行ったことある。大丈夫。ぜ、ぜんぜん、も、もんだいな~い。」と自信たっぷりであります。彼の自信は、脆くもすぐに破れるので、あまり信用は出来ません。1回行けば、道は覚えるって自信たっぷりに言うが、すぐ忘れます。自信たっぷりに、行き先を説明するが、分からなくなると僕に聞きます。「お前が、運転手だろう!」って、言いますが、止む無く、僕がナビします。「三角形の2辺の和は他の1辺より長い」、未だにこの事が理解出来ません。ってな調子ですから、彼の自信は当てにならないのであります。アシュラフに、これだけは守れるか? と聞きました。1.スピードは、法定速度プラス10キロまで。それ以上ぶっ飛ばすな!2.疲れたり、眠くなったら、安全な所に止めて、休め!3.運転中に携帯電話するな!4.話しかけても、後ろを振り向くな!「へい! わかりやした!」普段、こんな良い返事はないので、アブダビへ行きたいのでしょう。で、あまりの返事の良さに、気分よく、 出発したのであります。続く
2007.08.12
コメント(7)
僕は、「日本人社内旅行準備実行委員会担当係員」に任命されているのであります。何とも厳しい名称ですが、単なるヒラ係員です。で、2泊2日(水曜の夕方から、金曜の夜まで)ですが、皆さんに、下記のアンケートを取ったのです。どこへ行きたいか? 候補地は、下記でした第1のコース :イエメン君第2のコース :サウジ リヤド君第3のコース :サウジ ジェッダ君第4のコース :バーレーン君第5のコース :オマーン君第6のコース :UAE ドバイ君第7のコース :UAE アブダビ君第8のコース :カタール君僕は、誰が優勝するか、楽しみにその結果を待っていたのであります。リヤド君と、ジェッダ君は、多分、予選落ちだろうなー、とは思ってました。なんてたって、サウジから抜け出すのが、リラックス出来るのですから。バーレーン君も、近くてしょっちゅう行けるので、ランク低いだろうなーと思っていました。イエメン君は、人気度高いですが、2泊2日では、ちと遠い。オマーン君も同様に、ちと遠いから、やはり人気薄かなー?すると、残るは、ドバイ君、アブダビ君、そしてカタール君達であります。さてさて、皆さんなら、どこがお好みでしょうか? 結果、圧倒的に、他を引き離して、UAEの、アブダビと、ドバイです。ドバイと、アブダビは、わずかの差で、アブダビが優勝! 残念ながら、他候補より圧倒的な支持を得たのですが、ドバイ君は、次点で泣きを見ました。で、アブダビへ、視察に出かける事にしたのであります。続く
2007.08.11
コメント(0)
楽しみにしていた、東アフリカへの旅は、黄熱病の予防注射が、当地サウジでは、難しいようなので、断念しました。で、夏季休暇を取りやめて、仕事に専念するか? 迷った? いえいえ、全く迷いません。即刻、どこへ行くか、行き先変更を検討していたのであります。そして、「トルコ16日間の旅」、に決定しました!昨日、取り合えず、行きと帰りのエアーチケットのみ、手配たのであります。昨日は、お休み。それで、詳細計画検討しました。トルコは、広いので、16日間あっても、行き先決めずに、自由にブラブラって訳にも行かないからです。結構、綿密な計画を立てて行かないと、予定の期日に帰って来れない可能性さえあるのです。16日間では、東部へは行けませんねー。黒海方面とか、イラン、イラク、シリアの国境近くまで行きたいと思うのですが、無理です。西南部の地中海沿岸で、1週間ほど滞在したいと思うものの、それも難しいです。で、ざっと、下記のような工程を立てて見ました。あとは、行き当たりばったりで、行き先を変えるかも知れません。8月16日(木) バーレーン→イスタンブール8月17日(金) イスタンブール観光8月18日(土) イスタンブール→サフランボル8月19日(日) サフランボル観光8月20日(月) サフランボル→アンカラ アンカラ観光8月21日(火) アンカラ→カッパドキア8月22日(水) カッパドキア観光8月23日(木) カッパドキア観光8月24日(金) カッパドキヤ→コンヤ コンヤ観光8月25日(土) コンヤ→デニズル8月26日(日) パムッカレ観光後→マルマリス8月27日(月) ロドス島(ギリシャ)観光8月28日(火) マリマナス→セルチュク8月29日(水) エフェス遺跡観光8月30日(木) セルチュク→イシタンブール8月31日(金) イスタンブール観光後→バーレーンへ如何でしょうか? ご経験のある方、アドバイスお願いします。
2007.08.11
コメント(12)
ヨルダンから帰って、一週間以上経った頃です。いつものように、ブログ書いて、他の人のブログを見ておりました。そしたら、あれー スイスう~ あれ~、あれあれー こ、この人、あれー あらー、あらららら・・・な、なんと、にこやかさん、のブログです。それが、何とも、アホと言うか、間抜けと言うか、気が付かぬ奴だと言うかにこやかさんのブログ、以前から、読ませて貰っていたのです。しかもですね、Yahooのお気に入りに登録して、時々、見ていたのですよ!その本人に会っていたのに、しかも4日間も、行動したのに、全く気が付いていないのですねー! 我ながら、そのアホさ加減に驚いております。鈍感も、鈍感、こう言うのは、鈍感を通り越して、間抜けって言いますね。はずかしーくらいの鈍感さ、間抜けさです。早速、メールでその事を、にこやかさんに送付しましたです。ご存知の方も多数でしょうが、Naokoさんです。「ゴー!ゴー! 世界一周ブログ」、を書いている方ですね。しかし、そう言えば、ブログの事は、ほとんど話してなかったですねー。「ブログ書いているけど、写真を載せて良いですか?」と聞いて、了解貰っただけで、ほとんど内容など、話してません。Naoko♪さんも、書いている事は、話してくれましたが、詳しい話はしなかったです。しかも、Naoko♪さんのブログに書き込みしている方々に、コレマタ、私目の、ブログ交換している人が、何名もおられるのです。共通のブログ友達って言うのでしょうか?全く、驚いている次第です。世の中、狭いものですねー。
2007.08.10
コメント(0)
7月13日(金)ヨルダン9日目。本日は、帰るだけです。飛行機は午後。午前中は暇なので、街をブラブラしておりました。そして、マンガ男の如く、髪が伸びているのが気になり、暇だし床屋さんへはいりましたです。この床屋さん、陽気な人で、髪を切っている時も、ずっと話しっぱなしです。中国人か? 韓国人か? フィリピン人か? などと、聞いてきます。そして、日本人だ、と言うと、態度がコロッっと代わり、ハサミを持った手なのに、両手を大きく上げて、「オー、ジャパニーズ!」、などと大げさに驚いていました。そして、この椅子は日本製なのだ、すごく精密で使いやすいぞー! などなど、日本を褒めてくれます。悪い気はしませんね。何も僕は、その日本の評価に貢献している訳ではありませんが。隣で、髪を刈って貰っている少年と、店員。気持ちよく、お店を出て、もう一度、アンマン市内の写真を撮って、楽しく、そして、感動した日々を、思い返しながら、飛行機で飛び立ったのでした。8泊9日のヨルダンの旅。目的は、紅海でダイビングをしたいと言うのが、最初の思い付きでした。紅海のダイビングは、シナイ半島のアカバ湾より、エジプトのアフリカ側、ハルガダ辺りの方が、美しいとの話も聞いてはいたのです。しかし、日程との関係と、エジプトは改めて行くつもりであるし、昨年、中国で留学した時のイスラエルから来た友人が、アカバは良い! と言っていたので、ヨルダンに決めた経緯がありました。そうしたら、ダイビング以外で、とても良い所が沢山あり、ヨルダンへ行って良かったとつくづく、思っております。今まで、訪ねた国の中でも、僕の印象では、トップクラスであります。* そう大きくないが、雑然とした中に、イスラムの匂いを感じさせるアンマン。* 塩分30% ぽっかり浮かべる死海。* モーゼの終焉地、何となく神を感じさせるネボ山。* もっと時間を掛けて歩きたかった、世界遺産ペトラ遺跡。* 予定にも入れていなかった、ワディ・ラム砂漠の素晴らしい夜。* そして、アカバ湾ダイビングこう言った所が、僕にとっても見所でありました。それから、山岳砂漠地方独特なのか、木のない山々、宇宙の奥を覘けるような碧い空、水の流れがないのに、美しい透明度の高い海、日本や東南アジアではない景色なので、特別感じるものがあったのかも知れません。そして、にこやかさんと一緒に、4日間も行動出来たのも、楽しさを倍加させて貰ったと、感謝しております。今頃、どこで、そのにこやかな笑顔を振りまいているでしょうか?と言ったように、とても、心に残る、「ヨルダン8泊9日の旅」でありました。
2007.08.10
コメント(2)
7月12日(木)アンマンのバス停に着きました。僕は、バスの中で準備してあった、パンとバナナを食べたので、腹へってなかったですが、にこやかさんは、爆睡しており、起こすのも悪かったので、何も食べてません。で、バス停の食堂らしきところへ入りました。ここでの、時間も、とっても楽しかったので、是非、お知らせしたい。地球の歩き方を見ていて、アラビア語が、載っているのを見つけました。その中の、分かりやすそうな言葉を見つけて、現地語で会話をしたのです。それで、盛り上がりましたですねー。 そして結構通じる事に驚きました。これが、僕一人だったら、こんなに盛り上がらなかったのでしょうが、にこやかさんが、一緒だったもので、食堂にいた男どもが、乗って来るのです。昨日のダイビングでの、氷遊びと言い、本日の現地語会話と言い、ニッポンの美しい女性がいると、スケベーな現地人どもの、態度がコロッっと変るので、その辺りも面白いなー、と観察したものでした。因みに、僕は、美しい女性がいて、心が騒いだり、緊張したりしても、外見上は全く動揺してない素振りで、大騒ぎしたりもせず、普通の態度のつもりです。でも、どうかな? ばれてるかな?ただ一人、この後姿の、じいさんだけは、会話に入って来ませんでした。写真も、顔は嫌だと断られました。そして、アンマン最後の夜は、にこやかさんと、素敵な夜を過ごした事をお伝えいたしますだ。何? どんな素敵な夜? うふふ、それは、ひ・み・つ明日、僕はサウジアラビアへ、にこやかさんは、スイスへ旅立ちます。
2007.08.09
コメント(6)
7月12日(木)ヨルダンでの、全ての予定を完了して、この日は、アンマンへ移動です。にこやかさんと一緒にバス停に向かいました。バス乗り場も一箇所だけでなく、ちょっと聞きながら探してしまいましたが、すぐ近くでした。バスに乗ってから、バス代が、たったの1.5JDと知り、本当にアンマンへ行くのか心配になりました。そしたら、マアーンと言う所が終点です。そこで、乗り換えです。バス停で待っていた、お兄さん。このバス停の、トイレに行ったら、何と、1JDよこせと、ジジイがいて言いおる。何いってんじゃ、このジジイ、アカバからここまで、1.5時間もバスに乗ってたったの、1.5JDじゃ。このアホ!と水を買いに行きました。そのお店でトイレはないか聞いたところ、先ほどのトイレしかないと言います。このアホ! と帰ってきたものの、そこしかないのでは、行かざるを得ません。何とか、0.2JDに値切ってトイレに行って来ました。ったく、ずうずうしいと言うか、足下見るって言うか、嫌なジジイがいたものです。それにしても、公共のバス停には、無料のトイレ位、準備して欲しいものであります。とか思って、腹立たしく思っていたら、アンマン行きのバスが来て、出発です。アンマンのバス停に着きました。
2007.08.08
コメント(4)
先週、事務のヒローズ、秘書のサタール、運転手のアシュラフを連れて、ジュベールの比較的、高級な方のインドレストランへ行ったこと、記載しました。太っ腹(?)な僕は、何でも食ってくれ! と鷹揚に構えて、食事をしたのでありました。運転手のアシュラフも喜んで食ってました。で、その翌日の朝です。アシュラフが定刻の時間に迎えに来ません以前も、ほんのちょっとですが、遅刻してきた事が何度かあり、言われた時間の10分前には来い! と注意しておりました。すると、いつも、道路が混んでいた、とか、色々と言い訳しますが、最終的に「へい!分かりました。」としぶしぶ言います。最近は、慣れて来たのか、遅れてくることは、滅多にないのです。仕方なく、同僚の方の車に乗せて行って貰ったのですが、出勤途中に彼から電話があり、「腹が痛くて行けなかった。」と。「そう言う時は、事前に電話しろ」と、言ったところ、「痛くて電話できなかった」などと、のたまい、嘘付け! ムカッっとしました。きっと寝坊して言い訳しているんだろうと、思いましたが、まぁ、いいや、と放っておきました。その後、数日経って、秘書のサタールに会ったら、「何ともなかったか?」と聞かれ、何のことやらさっぱり分からず、「なんやねん?」と聞き返しました。会食の夜から翌日、ヒローズが下痢で大変だったと。サタールは軽症だったが、やはり下痢症状だったと。すると、アシュラフも仮病でなく、本当に腹痛だったのだなー、怒らずに良かったなー、と思ったものです。で、僕は? な~んともなかったのであります。驚きましたねー! インド人が食べるインド料理をインド人と食べて、インド人が腹こわしているのに、僕だけ、な~んともなし。これこそ、渡辺純一が言う、「鈍感力」なのですかねー?海外に居ると、胃腸が強いと言うのは、有り難いことであります。これは、自分が努力した訳でも、何でもないので、親に感謝せねばなりません。と言う、話でした。
2007.08.08
コメント(6)
7月11日(水)本日も、昨日に引き続き、アカバ湾でダイビングです。アカバの海、紅海の海底、ものすご~く期待していたので、期待が大き過ぎただけに、実際に潜って見たら、あぁ、こんなものか・・・、と思ってしまいました。しかし、珍しい魚や、小魚の大群などは、いませんが、碧く深い海の色はとっても、印象的です。海の流れもなく、ゆったりと泳ぎ回り、ダイビングを楽しむには、絶好の場所です。そして、我が街、ジュベールから行けるアラビア湾と比較してみれば、ここの方が、ずっとずっと素晴らしく、やはり紅海であります。おなじみとなりました、このアカバ湾の風景。何度見ても良いですよね?こんなに透き通っているのですよ!にこやかさん、です。ダイビングの合間に、シュノーケリングを楽しんでいました。この写真は、「美しい海に遊ぶ美女」って言う題にしました。そして、こいつ、この彼が、インストラクターです。この写真は、「美しい海に寝そべる・・・」、う~ん、ダメです。題を思い付きません。やっぱ、男は絵にならんのー。ダイビングのあと、責任者の好き者がやって来て、冷蔵ボックスに残っていた氷を、にこやかさんの背中に入れて、超おふざけを始めましたです。そうしたら、にこやかさんが仕返ししだすし、インストラクターも仲間に入り、僕だって、にこやかさんの応援せねばならないし、氷を持って、砂浜の追いかけっこが始ったのであります。これを見ていた、近くの売り場の青年も、関係ないのに、氷を持って走り出し、この砂浜は、「一大氷背中入れ大会」に変貌しました。それを、良い顔した、おじいちゃんが、一人でニコニコ見てました。仲間に入ったら、心臓麻痺が心配な、ヨボヨボのジイチャンで、見ていてくれるだけで、良かったです。ビーチエントリーは、戻って来るのが大変で、ボンベが物凄く重く感じます。それで、疲れているのに、氷入れ大会で走り回り、もう、もう、疲れ切ってクタクタ、クッタクタ、ヘトヘトでありました。でも、童心に帰り、まったく、ほんとに、楽しかったです。
2007.08.07
コメント(4)
7月10日(火)本日は、待ちに待った、紅海につながる、アカバ湾でのダイビング。何故、ヨルダンに来たか? 第一の目的は、紅海でのダイビングだったのです。それだけ、期待十分、その十倍の、期待百分なのであります。勿論、朝から愛想が良い美しい女性と待ち合わせして、ダイブショップに出かけました。 愛想が良く美しい女性→ちょっと長いので、「にこやかさん」と呼ぶ事にします。そのにこやかさんと、なに人だったかなー? 欧州系のカップル二人、そしてインストラクターと、お店の責任者(たぶん)の6人で目的地に向かいました。で、着いた所がここです。にこやかさんと、ダイブショップの責任者が談笑しております。この責任者、どうも好き者のようなんですねー。調子良いし、まぁ、そのー、好き者だね、こいつ。ここから、エントリーです。僕は、ボートエントリーばかりで、ビーチエントリーは、伊豆の海洋公園での1回こっきりです。その海洋公園で、ライセンスを取ったのですが、な、なんと、にこやかさんも、海洋公園でとったとのこと。奇遇ですねー。そして、お!この美人は、誰だ? え? き、きみは、男か? 女か?な、な、な、なんだー! 又もや、マンガ男か?今日は、笑ってないな? ん? 笑ってる?やっぱり、アラブの星一番か・・・。 きちんとして出て来んかい! 何? お見せできる顔でない?そ、そうか、そうじゃったなー・・・。 じゃ、止むをえんか・・・
2007.08.07
コメント(2)
7月9日(月)アカバでの夕食は、結構、有名な、アリ・ババレストランへ行きましたです。アリババって言えば、盗人かと思いますが、アリババは、盗賊と戦い、手に入れた財宝を、貧しい人たちに分け与えて幸せに暮らしたってことです。何故、アリババが、盗人のような言葉になったのか不思議ですね。で、そのアリババへ一人で行ったのかって? う~ん・・・、 う~む、うむうむ。どうしようかなー?実はですねー、昼間2回お会いした、あの女性と一緒に行ったのです。エヘヘ。いや、だってね、明日のダイビング、本来なら、40JD必要なところ、彼女の調査のお陰で、30JDで行けるのですから、その差、10JDは、還元せねばならないと考えた訳なんです。ですよね?で、食事の前にですね、購入しておいた、ビールと、ナッツ類のつまみでもって、私目の泊まっているホテルのロビーにて、ちょいと一杯、飲んだのです。世界中を廻っておられる方で、参考になる話や、同じところを訪ねている話や、とっても、楽しい時間を過ごしたのであります。そうしたら、ホテルのボーイがやって来て、ビール飲んでませんか? このホテルでアルコールを飲むのは禁止です! と注意されてしまいました。トホホ。あのボーイ、僕らが余りに楽しそうなので、邪魔しにきやがったのです。きっと。クッ!もう少し飲みたい気分でしたが、調度、ビールも1本づつ飲み終わるところであったし、夕食に出かけることにしました。そのお店が、アリババです。アリ・ババの、メニューを見たら、スパゲッティがありました。すごーく、麺類が食べたくなって、それにしました。彼女さんも、同じく麺が欲しいってことで、スープと、スパゲッティにしたのであります。僕が頼んだスープ。彼女さんが、頼んだスープ。僕が頼んだスパゲッティ。彼女さんが頼んだスパゲッティなんだか、彼女さんが頼んだ料理の方が、ずっとおいしそうですねー。僕は、もう酔っ払っちゃってますし、愛想が良く美しい彼女さんの前で、とっても、緊張もしている訳でありますし、味なんて、訳分からないのでありました。ですが、僕の緊張を軽くほぐしてくれるし、世界一周している方ですから、僕の大好きな、世界の旅の話で盛り上がり、あっと言う間に夜も更けていったのであります。
2007.08.06
コメント(2)
大変楽しみにしていた、「東アフリカの旅」、いよいよ出発まで、2週間を切りました。もうワクワク、ドキドキって感じ、 のはずなんです。が、しかし、断念せざるを得ない状況になって来ました。エアーチケットも購入し、ウガンダのサファリ、タンザニアの海、エチオピア、を2週間かけて廻ってくる予定なのです。で、何が問題かと言いますと、予防注射なのです。色々と心配すれば、キリがありませんが、黄熱病だけは、接種していかないと、エチオピアは入国出来ないと言う情報もあり、会社のクリニックや、紹介された病院へ行ったのであります。しかしながら、黄熱病? 何それ? って言うような応対であり、全く対応不能状態です。もう一つの病院を紹介して貰いましたが、たぶん、この地域から、アフリカへ行く人は稀であり、対応出来ないのでしょう。そんな所で無理して、予防接種しても、本当に効くのかも疑問です。マラリアについての知識も医者になく、ネットで調べた僕の方が詳しい程度なのです。で、なので、「東アフリカの旅」、 断念の方向です。残念です。残念・・・
2007.08.06
コメント(8)
ここの所、連日、50℃を超える日々が続いています。さすが、サウジアラビア!って感じです。もう、太陽 太陽 太陽 太陽 太陽 太陽 て言うようなものでありまして、風が頬に当たると、火照るって言うか熱いって言うか、熱風であります。だからか、すご~く、疲れます、ほとんど何もしなくても。サウジアラビア人に聞けば、例年より涼しいと言ってます。(ほんまかいな?)こんな所で、良く人間が生きて来たなー! と感心します。今は、エアコンがあるから良いけど、ちょっと前まではエアコンなんてなかったろうし・・・。この暑さでは、神に祈るしか、やることありませんわ。
2007.08.05
コメント(2)
本日は、月に1回の、インド料理食事会でした。我が街、アル・ジュベールには、出稼ぎのインド人、パキスタン人、ネパール人バングラデシュ人など、インド系の人たちが、沢山、沢山います。従って、インド料理店も、田舎安食堂並みから、ちょっとした高級的レストラン並みの店まで、色々とあります。そのインド料理を食べようと言うものであり、貧乏人出稼ぎのインド人を呼んで、僕がご馳走してあげるものであります。本日も、こう言うような料理で、あまり代わり映えしません。 サラダです。 ビリヤニ風チキン 正統風ビリヤニ チキンカレー ナン? 彼は、事務員のヒローズ。ケララ出身。彼は、ケララ出身、秘書のサタール。彼は、ご存知、運転手のアシュラフ。マドラス出身。3人とも、インドの南の出身です。和気藹々と、楽しいお食事会でした。
2007.08.05
コメント(6)
7月9日(月)アカバ湾に一番近い道路を汗ボタボタ流しながら、歩いていたら、南国のどこにでもある、椰子の木がありました。皆さん、デーツって、ご存知でしょうか? 日本で言うデート、逢引そのスペルと同じです。が、発音は、デーツですね、デートでなく。そのデーツが、椰子の木。正確には、ナツメヤシですが、その木に生ります。中東では、貴重な食料で、カロリー、栄養とも、たっぷりだそうです。今は、どこからでも、食料は輸入出来るのでどうかは分かりませんが、ベトウィンがラクダに乗って、砂漠を渡り歩いていた時は、そりゃー、絶対に貴重な食べ物であったと思います。この木です。袋がかぶせてあるのが、実です。もう一本、椰子の木、ナツメヤシですが、お見せしましょう。実がポロポロって感じで、真ん中辺りに、生ってますよね?拡大して見ましょう。これです。1本の木に、こんなに沢山生るのです。食べ物としては、取り易いし、沢山生るし、これで栄養もあれば、これこそ、神の恵みですよね。熟れると、このナツメヤシの実は、赤っぽくと言うか、黄色っぽくと言うか色が変わります。すっごく、良いリゾートホテルがありました。インターコンチです。入って、涼んで来ました。これが、中から見た写真です。
2007.08.04
コメント(4)
7月9日(月)イタ飯定食で腹も膨れたし、ダイビングショップへ、調査に行く事にしました。プラプラ歩いて、そのダイブショップへ行く道すがら、道路を渡ろうとしたら、道路の向こう側で手を振っている、妙齢の女性がいるではないですか!驚きました! なんと、「じゃー、あとで!」、と言ってペトラホテルで別れた、その女性です。ダイブショップを既に調べて、銀行へ両替に行くところだったそうです。聞けば、ホテルで聞いた内容と同じで、しかし、金額は、30JD。有名なダイブショップより、10JD安い。僕は、最低、3箇所のダイブショップで調べてから、決めようと思ってました。が、しかし、そこに決めました。明日のダイビングは決まり、予約済みです。明日は、その愛想の良い、美しい女性と一緒に、アカバの海を潜ることになったのであります。おほほ。アカバの街が如何に小さくても、街角でばったり会うなんて事は、仲々、あることではありません。たった10秒違いであったとしても、会わない訳ですから、こう言うのを、運命的って言うのでしょうねー。驚きましたです、ハイ。時間があるので、ダイビングのアレンジもしてくれるって言う、リゾートホテル、アクアマリーナまで、歩いてみることにしました。汗ビッショリで、プール脇のお店の前を通ったら、東洋系女性が、ハローとお店の中から、声を掛けて来ました。聞けば、フィリピンから働きに来ているとのこと。休ませてくれるし、飲料水はただでくれるし、お話はしてくれるし、気の良い娘さんたちでした。で、アクアマリーナホテルの前です。以前所有していた、僕のスピードボートよりりっぱなのが、置いてありました。その、反対側の眺めです。イスラエルですねー。そして・・・えー! あれー? だ、だれだ! 君は! マンガ男か!カフィーヤなんか、被っちゃって! 君は、アラブ人か?か、かおの色も、白すぎるぞ! 笑ってんのかー?えへへ。わたくしでした。現在、アラブの星一番、そして、アジアの星一番です。ちょっと、みすぼらしい格好ですねー。でも、仕方ないか、その通りだから。
2007.08.03
コメント(2)
7月9日(月)昨夜は、砂漠に泊まり、最高の夜を過ごしたのではありますが、風呂やシャワーはなかったので、砂漠の砂マミレです。早速、完璧シャワーを浴びて、全部着替えて、気持ちいいー!と叫んでいたら、昼時となりました。腹も減ったし、街の散策に出ました。その前に、ダイビングの予約をせねばならないので、ホテルで確認をする。有名なロイヤル・ダイビング・センターに電話を繋いでくれた。2ダイブで、40.5JD(約7000円)、お! これなら安いなー、予約しよう、と思いましたが、他も調べてからと思い直し、夕方には、電話するとして、切りました。ホテルを出て、右手方向に進むと、やけに、にこやかな呼び込みがいました。見ると、イタリア料理であります。まぁ、味はどうか分からんが、腹は減っているし、暑いからあんまり歩き回りたくないし、ここに決めて、日替わり定食を頼みました。定食は、羊と、ご飯と、アラブ茶で、2.5JD。これに、生ジュース頼み、プラス1.0JD。お茶をお変わりしたら、プラス0.5JD.ぜんぶで、4JD(700円)。肉が柔らかくて、おいしかったです。
2007.08.01
コメント(8)
7月9日(月)朝、6時出発と言うのに、ジョルダリアンが寝坊して、朝飯が遅くなり、出発が、15分ほど遅れる。まぁ、しかし、この大自然の中で、たった15分ほど、遅れようが、早まろうが、あんまり関係はない。大した問題でない。ジープで、砂漠を突っ走る。あのジョルダリアンの伯父さんだ。頭がジープの天井にぶつかりそうなほどバウンドしても、「ホーホォー」とか、ラクダを乗りこなすような声を出して、自分もバウンドに体の揺れを合わせて、構わず突っ走る。こっちは、予測しないバウンドが来るので、危なくて仕方ない。それで、6時半出発のアカバ行きバスに、定刻ピッタリに間に合った。さすが、ジョルダリアンの伯父さん! と思ったものだ。あの感動の昨日と、昨夜の砂漠から、離れると思うと、名残惜しい気もする。その気持ちを察してか、定刻を過ぎても、バスは仲々出発しない。一人二人三人と、乗客が集まり、ほぼ満席になったので、やっと出発の雰囲気。やれやれ、ようやく出発か、と思ったのもつかの間、何と、ワディ・ラムの街中を、クラクション鳴らしながら、客集めをしております。おいおい、もう乗れんぜよ! と心の中で叫ぶものの、どんどん乗って来ます。3人がけの椅子に4人座るなど、して、どんどん詰め込む。最後は、立ち席まで出て、ようやく出発です。まるで、こりゃー、ラオスと同んじじゃー!1時間も走ると、アカバ湾が見えて来ました。バスを降り、早速、バックパッカー専門宿を見て回りました。まず、有名なペトラ・ホテルに行きました。偶然、日本人の女性と、ロビーとはとても呼べないが、受付が一人居る所で会いました。そこで、部屋代を聞いて見ると、5JDとの事。「では、のちほど、お会いしましょう!」、と言って部屋を見に行きました。しかし、ペトラで痛い目に、じゃなくて、痒い目にあっている僕は、ちと清潔感に欠け、且つ、暑いアカバで、エアコンもない。おまけに聞いていた、5JDでなく、6JDだと言うので、泊まるのは断念。同じく、バックパッカー宿、ナイルーフ・ホテルは、経営者が変り、別のホテルに変っており、ここも断念。そこで、ちょっと高いが、アル・シュアラ・ホテルに決めた。ここは、値段は、15JDとバックパッカー宿より、若干高めであるものの、ロビーもあり、部屋には、エアコンあり、冷蔵庫もあり、バスタオルも準備してくれて、温水シャワーもたっぷり出る。そして何よりも、良いのが、部屋からの眺め。アカバ湾が、丸見えです。そして、ホテルの右手側、ここは、イスラエルのエイラートと言う街です。さらに、モスクの向こう、アカバ湾のさらに向こうは、エジプトです。何とも、快適なホテルを見つけました。ここに3泊です。でも、でも、ありゃー?あの愛想が良く、美しい日本人女性と、「あとで!」って別れたまま。ここに泊まったら、もう会えないなー。 とそれが、ちと残念だったのであります。
2007.07.31
コメント(8)
7月8日(日)ベドウィンの食事も終わり、兄弟や従兄弟による、アラブの演奏も、まだまだ飲みもしないのに、宴たけなわだったのです。が、しかし、僕は、星を見たいのであります。何故ならば、アジアでも、アラブでも、「星一番」、を名乗っているのです。星は大好きなのです。ギリシャ神話も、日本昔話も、星に関することなら、ほんと、好きなんです。で、外にフラッと出て見ました。ウワォー! ワオワオワオー!満天の星です。素晴らしい、と言葉も出ません。夜の9時を数十分廻った頃でしょうか? まだ西の方面は、太陽の名残りがぼんやりと、薄明るい感じがします。しかし、「な、何だよー! こ、このやろうー!」 と怒鳴ってやりたいような、東側。日中は、雲は全くなく、深い青の空一面だったのに、もんやりした雲がかり模様なのです。テントの中では、まだ、演奏は続いているし、星は見たいものの、東側には雲も出て来ているようなので、失礼にならないよう、テントに戻りましたです。そして、演奏も終わった、夜も11時に、ほど近い頃、でしょうか?オーストラリア人の二人は、マットレスの上に横になり、休む体制を整えつつありました。しかし、僕は、又、外に出たのであります。あの満天の星を見ないまま、帰れましょうや。星の位置は移動しております。地球は廻っております。しかしながら、満天の星は相変わらずです。そ、そして、な、なんと、あの雲だと思って、このやろう! と怒鳴ってやりたかった、あの、うすぼんやりした、僕みたいな、もんやりした雲は、雲でなかったのです!そうなんです! 天の川。ミルキィーウェイ。か、感動です! 遠距離恋愛していた頃の彼女から、貰った手紙を思い出します。「7月7日、織姫と彦星、曇りや雨だったら、会えません。可哀そうに1年待っても、会えないで、又、1年待たねばなりません。でも、私は、たった数ヶ月待つだけで、私は、あなたに会えます。あなたに触れて貰えます。あなたはどんなに疲れていても、私を強く抱きしめてくれます。彼女らに比べて、私は、どんなに幸せでしょうか?」クゥー・・・そんな甘い言葉で、僕を喜ばせた、あなたは、人妻となり、もう二人のお母さんです。あなた以外、愛せないと言った、そのあなたは、どこへ行ったのでしょうか? 偽りの愛の世界に住んでいるのでしょうか?それとも、僕との愛が、仮初の、偽りの愛だったのでしょうか?分かりません。しかし、星は、嘘を言いません。宇宙は、神秘な真実のみです。この美しい光が、一番近い星でさえ、4年以上も前に光っていたなんて、とても信じられません。天の川は、我が銀河系の、クルクルっと廻った尻尾の部分見たいなもんですよね? もしくは麦わら帽子のツバですか?確か、銀河系の端から端まで、概ね1万光年だったと思うのです。太陽系は、銀河の真ん中からちょっとずれた所にあるはずです。とすれば、天の川の、あの雲みたいな、うすぼんやりした星たちは、少なくとも、遠い星は5千年程前に光った星なんですねー!驚きです。イスラム教が出来たのが、1300年ほど前ですから、その、ずっとずっと前に光った光を、今、僕は、ヨルダンの、ワディ・ラムの砂漠で見ているのです。何とも、何とも、宇宙の神秘です。うつ病で、悩んでなんかいられません。テントに戻るには、とても惜しい夜空であり、僕は、スプリングだけ張ってある砂の上のベッドに寝転びました。星空を眺めていると、吸い込まれるような感覚となり、宇宙の中にいるんだなー、と思わされます。風は強い。深深とした、無音の世界で、星以外の光のない夜を夢見ていたものです。星以外の光はなく、星空は、期待以上です。しかし、風が・・・。ちと、うるさい。そして寒い。寒さに耐え切れないので、テントに戻り、分厚い布団を持ち出しました。それに包まって、星空を見上げます。しばらく、じっとそのまま、見ていたら、オーストラリア人の二人も、布団を持って、近くへ来たようです。眠れません。こんな美しい星空。日本でも、中国でも、サウジでも、見られないし、もったいなくて眠れません。風は相変わらず強かった。夜の零時を廻り、天の川がどんどん、天井に近い位置に移動している頃、風がぴったりと止みました。静寂がやって来ました。無音。時計を見たら、0時半です。月も出ていませんので、本当に星の光だけです。静寂に、宇宙に、暗闇に、そして光る星。50億歳の地球の上で、眠りにつく。何とも、幸せな時間でありましょうか・・・。ずっとずっと、起きて星を見ているはずが、いつのまにか眠っていました。起きたら、朝の4時半です。辺りはもう、薄明るく、あの満天の星たちは、かなり減っています。月も東の空から、半欠で、登って来ました。あぁ、もう朝がやって来たか。食事して、6時出発と聞いていたので、もう一眠りする時間もないので、起き出して、又、近くの岩に登りました。テントの向こうの砂漠に転がる、あのベッドに寝ていました。朝日に輝く、岩も美しいです。あぁ、朝食食べたら、もう出発だ・・・
2007.07.31
コメント(4)
7月8日(日)あまりに夕日が美しいので、キャンプの裏の、岩に登って夕日を眺めていました。夕日が沈んでからも、まだまだ、明るいのです。一番星がキラキラと輝き始めます。徐々に、徐々に、明るさが減少して行きますが、それがすご~く、ゆっくりなんですねー。それと共に、星の数が、増して来ます。自然の灯り以外は、な~んにもない所ですから、それはそれは、幻想的です。ロマンチストの僕は、うっとりと、既に、もう宇宙と一体になりかけておりました。と、そんな時、「ヤパニー! ヤパニー!」、とキャンプの方から呼ぶではないですか!この素晴らしい時に、うっとりしている時に、何を呼んでんのじゃ、と「何じゃ、ジョルダリアン! 夕日を見てんじゃ、邪魔するなー!」すると、「ヤパニー、夕食、いらんのじゃな? 来ないと、皆んなで食っちゃうぞ!」と、のたまうじゃーないですか!実は、腹は減っとる、完全なる夕闇になるのも見たい!悩んだ末、大食漢のオーストラリア人に、皆食われたんじゃー、こっちは干乾しで、飢え死にしちゃー、適わんので、しぶしぶ、岩を降りて行きました。しかし、空は明るいのに、もう既にかなりの暗闇になって、足元が怪しい。転ばぬよう、用心深く降りて来たのであります。すると、ジョルダニアンが、暗闇の中で、地面の砂を、どかしております。「何やってんじゃ! ジョルダリアン! 飯だと言ったろが!」と、怒鳴ってやると、何と、砂漠の砂の中から、こんな物が出て来ました。これが、ベドウィン料理だそうです。チキン、ジャガイモ、ニンニクなどがありました。これは、なんだか分かりませんが、うまかったです。主食です。それに、いつもの、このホブス(パン)。これを、皿に盛り付けて食べます。おいしいし、運動の後で腹も減っているので、僕は2杯も食べてしまいました。しかし、オーストラリア人は、3杯食べていましたぞ。負けてるなー。食べ終わって、しばらくすると、兄弟だの、従兄弟だの連れて来て、演奏やら、踊りやら披露してくれました。この時も、「ヤパニー! ヤパニー! お前も踊れ!」とか、言ってオーストラリア人に対する対応と、全く異なりましたです。やはり彼らも、何度も支配されたりした欧米人より、遠い国の日本で、同じアジア系に親しみが湧くのかなー、と感じた次第であります。
2007.07.30
コメント(0)
7月8日(日)サッカーとフリスビーで楽しんでいましたが、そこは、こんな砂漠です。遊んでいない、足跡のない場所を撮って見ました。風紋もきっかり出ていますねー!この地帯の全部が、このように風紋がある訳じゃーありません。もっと泥のようなものや、小石が混じった所もあります。そして、小さな草がはえていたりするので、これだけ綺麗に風紋がある場所は、どうでしょう?全体の、う~ん、分かりませんが、数十%ではないでしょうか?それでは、夕日が沈むところを見て下さい。写真の4連発です。
2007.07.30
コメント(0)
気持ち良い、目覚めです。何となく、寝不足―って感じが、続いていた。この暑さに自然と体が訴えていたのかも知れない。沢木耕太郎作の、「深夜特急」を、DVDで見た。第一便 「熱風アジア編」 1.手さぐりの旅立ち(東京~香港) 2.アジアの道草(バンコク~マレー鉄道の旅) 3.南国の休日(ペナン) 4.幻影からの脱出(クアラルンプール~シンガポール~カルカッタ)第二便「西へ! ユーラシア編」 1.カトマンズからの手紙(カトマンズ) 2.神の国・インド(ペナレス) 3.旅の病(カジュラホ~デリー) 4.クレイジー・エクスプレス(デリー~ペシャワール) 5.砂漠の旅(クエッタ~テヘラン)第三便「飛光よ! ヨーロッパ編」 1.クロスロード(トルコ) 2.碧き喪失感(ギリシャ) 3.ローマの休日(イタリア) 4.恋人との再会(コートダジュール~マルセイユ) 5.ワレ到着セズ(コスタ・テル~ロンドン)6枚を、一気に見ました。こう言う旅を、世界中、3年から5年かけて行って見たいと言う夢があったからです。「ちっきしょう! 先にやられたなー!」、と言う想いであるが、この深夜特急、バックパッカーの間でも、素人さんの中でも、結構、有名らしい。もう、10年以上前に、放送されたのだと、帯に書いてあった。これを知らなかった僕の方が、おかしい見たい。大沢たかお、も、アジア人らしい顔で、さらに格好良いし、良い物見たなーと、世界一周したい気分が溢れて来ました。香港の重慶マンションや、バンコクのカオサンなど、泊まったホテルもあるし、マレー鉄道の旅も、経験しているので、懐かしい想いもあった。
2007.07.29
コメント(2)
7月8日(日)午後3時40分、全ての砂漠ツアーは完了です。まだ、太陽は、ギンギンと僕らを、痛めつけています。運転手兼ガイドは、夕食の準備をするから、ここで待てと言って、ジープでどこやらへ、去って行きました。残されたのは、オーストラリア人の二人、ジャーミー君と、ランブロス君、そして、私、アラブの星一番の、3人です。こんなテントも用意されていましたが、暑くて中で待つ訳にも行きません。待っていろと言われた、周囲はこんな所です。暇なので、崖の上へ登って見ました。そうしたら、誰が作ったのか、ケルンがありました。上の方は、僕が積み直しました。ジャーミー君は、活動的で、あっちの山、こっちの山、そして砂漠の方へと、歩き回っています。しかし、ランブロス君は、テントの横の小さな広場で、ずーーーっと、休んでいます。おもろいコンビです。
2007.07.28
コメント(0)
7月8日(日)お昼寝時間も、充分とり、午後3時に、再び出発です。又、こんな所を通り過ぎます。そして来ました、石の橋。これを観光名所にしているようです。でも、僕はこう言うのには感動しません。むしろ、名づけられない、人の顔とか、単に青い空にそびえる神々しい岩など、その方に、感動します。すみませんねー、石の橋さん。で、砂漠の中に、点々としている物が、何なのか? 実はこれです。これは、小さく砂漠を這うように生きていますが、大きいのはこれです。葉らしきものは、青々としています。千切って見ましたが、仲々、固いですぞ。松の葉っぱ見たいです。この暑い砂漠で、出来るだけ水分を外に出さないよう生きる知恵を身に付けたのでしょう。偉いもんです。これを、砂漠の中で見ると、こうなります。見えますでしょうか? 逞しくも砂漠で生きる植物が。
2007.07.28
コメント(4)
7月8日(日)素晴らしい赤い砂漠を後にして、次が絵文字です。動物、人間、ラクダなどが、描かれています。いつの時代に描かれたのでしょう。少しアップで見てみましょう。やはり、ラクダですねー。恐竜じゃーないですね? 背中に荷物を乗せているような絵です。さらに、アップで見てみましょう。あれ? あれれ? あれれれ、のれ?「アジアの星一番」って見えるぞ! なんじゃい、これ? いたのかー!古代から、そう言う人が?へへへ。私目のいたずらでした。何万年前に、この言葉が書いてあったら、面白いですよねー。この写真は、アラビアのロレンスの住居跡だそうです。この裏に、「アジアの星一番」と、イタズラ書きしました。もし、ワディ・ラムを訪れ、この言葉を見つけて、写真を送ってくれたなら、賞金、1万円差し上げます。ワディ・ラムに行く方は、是非、探して見て下さい。
2007.07.27
コメント(10)
7月8日(日)カザリ渓谷をあとにして、ジープを走らせていると、突然、キャンプが見えて来ました。何箇所か、この砂漠にキャンプ地があるそうです。もっともどこでキャンプしても良いらしいですが、命の保証は自分で持てってことのよう。そして、この写真。今回で一番気に入っているものです。砂漠の赤、空の青、宇宙と交信している、アラブの星一番。すばらしいでしょう!既に、現地から、アップしましたですか?しかし、残念ながらこの人物は、アラブの星一番ではなく、同行者の一人、オーストラリア人の、ジャーミー君でした。この砂漠の上から、眺めていたら、ラクダが通りました。 そして登場、アラブの星一番!あれ? 今日も、なぜか、顔がマンガっぽいなー? 笑っているのかい?その被り物も、アラブ初心者みたいだなー。 おい! 何か、不自然だぞ!
2007.07.27
コメント(2)
7月8日(日)ペトラのホテルを、6時50分に出発し、ミニバスに誘われ、8時半、ワディ・ラムに着きました。そして、民家の居間のような部屋へ招き入れられました。どうも、そこが砂漠ツアーガイドの家のようです。その部屋で、お茶を2杯ご馳走になり、そしてスケジュールを聞いて、さらに、ゆったりと、しばらく休んだ後、朝9時半頃、出発しました。いきなり、こんな風景です。この写真の中に、羊がいます。何匹いつでしょうか? 分かりますか?少し拡大してみましょう。確かにいますね? 羊の群れが崖から降りて来ました。おばはんが、引率しています。ここは、皆さんの方が、良くご存知のアラビアの「ロレンスの泉」って言う場所です。上の方の崖の小さな岩の上に水溜りが出来て、そこから水を下に引っ張ってくるそうです。こんな岩もありました。人の顔に似ていませんか?運転手兼ガイドは、運転手に徹しているのか、ほとんど説明はありません。大した見所もない場所なら、こんな岩にも名前をつけて、如何にも名所って感じで、説明してくれるのでしょう。が、ここは、この程度のものに名前を付ける必要などないほど、自然が一番なのです。
2007.07.25
コメント(8)
7月8日(日)進められて、ワディ・ラム行きのバスに乗りましたが、先客は、たったの二人。欧米系の若者でした。 欧米か? って? そうです。欧米系です。ペトラも高原にあるのですねー。こんな道路を突っ走ります。山の上に突然、家々が出現したりします。うとうとしたり、窓の外の景色に見とれていたりしていると、料金集金係りらしい若者が、やって来ました。ワディ・ラムのツアーに参加しないか? と言うことです。参加者は、後ろに乗っている二人だと言います。僕は、アカバでダイビングするから、行かない、と言っても結構しつっこい。話を聞くと、ワディ・ラムの砂漠を5時間走り回り、主要な見所を観光、その後は、キャンプサイトへ行き、夕食、朝食付きで、朝は、アカバ行きのバス停まで送ってくれるとのこと。それで、30JD。およそ5000円強。優柔不断な僕は、決めかねずに、う~ん、う~ん、と唸っていると、考えてくれと、後方へ行ってしまった。道路は、相変わらず、高原です。空へ飛び出すかのような道路もあります。この写真は、向こうに山が見えますが、この道路の向こうに山がないような所が何箇所かあったのです。そこは、ほんとに空へ飛び上がってしまうような怖さを感じました。そう言えば、ディズニーランドに、そんなのがありましたねー。夜空に、飛び出す奴。運転席の隣に、背もたれのない特別な席があります。そこへ行って、運転手から、ワディ・ラムの話を、少し聞きました。そうしたら、ワディ・ラムまで乗って行って、気に入らなければ、又、アカバへの別れ道まで、乗せてきてくれるって言うのです。終点まで行きました。ワディ・ラムの小さな部落です。そこで、考え抜いた結果、1日の余裕が出ていたので、ワディ・ラムの砂漠ツアーに参加する事にしたのであります。
2007.07.24
コメント(2)
7月8日(日)ペトラを、もう一日、ゆっくり見ようと思っていたものの、既報の通り、最悪のホテルで、ほとんど眠れません。世界七不思議の第2位にペトラが入ったとのことで、夜の1時まで、花火の連発。まるで、中国の中華正月のようでありました。それからも、クラクション鳴らしっぱなしの車が、走る、走る、は知りっぱなしで、朝の3時まで。その後は、すっかり息を潜め、まるで別の街のようになったものの、蚊やダニか何か知らないが、その後も大活躍、痒くて、痒くて、眠れない。眠れぬまま、明日は、ペトラへもう一度行くか、もうアカバへ移動するか、ボォーとした頭で、考えていた。ペトラを見るなら、ホテルを代わらねばならない。「面倒だなー」、とも思う。体調も、今一つであったし、ペトラを一日歩くには、ちと厳しい、と最終的には、アカバへ移動することに決定したのであります。さて、早朝。僕の気分には関係なく、空は相変わらず、真っ青。ほんとに蒼い。美し過ぎる。こんな空見たことない。気持ちいい。バス停まで送ってくれよ、と期待もせず、ホテルマンに言ったが、案の定、歩いてすぐだ、と答えるばかり。バックパック背負って、ダイビングの用具が入ったトランクをごろごろ転がし、バス停に向かったのでありました。すると、ミニバスが、僕の横に止まり、運転手が声を掛けて来ました。「どこへ行くか?」「アカバ!」「ワディ・ラムへ行くのだが、乗らんか?」「乗らん。アカバへ行くのじゃから。」「アカバまで30キロの所で降ろしてやる、10分毎にアカバ行きバスが来る。」「いい。 わしは、直行で行きたいのじゃ。」」「いやいや、それに乗り換えれば、早く着くぞ。」などと、言われて、面倒だから、それに乗ったのであります。それが、あの素晴らしい、砂漠体験に繋がって行くのですから、何とも面白いものであります。
2007.07.24
コメント(6)
7月7日(土)ペトラ見学後、歩いて、踊って、又、歩いて、お茶飲んで、大声出して、そして、安ホテルの、ピースウェイホテルへ帰って来ました。実は、このホテルが最悪だったのです。昼前に、ワディ・ムーサへ着いたあと、日本人スタッフがいると言う、ピースウェイホテルへ、ゴロゴロ荷物を転がしながら、出向きました。本命は、ペトラゲートホテルなんですが、ちょっと下見と言った感じで見に行ったのであります。シングルが、12JD:2000円とのこと。ペトラゲートホテルは、8JD:1300円朝食なし。(電話で確認済み)部屋を見て、これで、12JDは高過ぎると思い、他のホテルを見て、もし良かったら、又、戻ってくると言うと、しつっこく引き止められるのであります。最終的に、8JD(1300円)朝食付きでどうだ! と言われて、思わず、頷いてしまいました。この部屋です。見た目は、そう悪くはないですよね? この毛布の上にカバーが掛けてあったのです。しっかし、それが失敗の元でありました。* ボーイは、英語が下手で、日本人スタッフなんていない。* トイレの水は、フロートが壊れていて、流れっぱなし。元栓で開閉。* シャワーのお湯は出ず。1時間待っても、水しか出ない。* テレビは映らず。* エアコンはないのは承知だが、西日が入り暑い、暑い! 暑い!* ペトラへの送迎なし。ほとんどのホテルは送迎サービスあり。そして、さらに最大の問題! それは蚊! です!チェックインして、荷物を出したあと、すぐに刺されました。僕は、何故か、蚊に刺されやすい体質なんです。すぐにフロントに行き、蚊取線香、若しくは、殺虫スプレーは、ないか、問いただした所、「ない」の一言。蚊以外にも、毛布にダニか何かの虫がいて刺されました。大体、ベッドカバーがあって分からなかったのですが、毛布にカバーがないのです。いつ洗ったのやら不明。参りましたなー。一晩中刺されました。 朝、体重減ったのではないか、と思える程、蚊か、何かダニのような奴らに、血を吸い取られました。古くても、問題ないのですが、清潔でなく、まして蚊やダニのようなものがいたのでは、如何に原始生活大好きな、この僕でも、ダメです。最悪ホテルでした。
2007.07.23
コメント(4)
7月7日(土)ペトラ遺跡のシーク入り口を出た辺りで、ペトラ人の若者、7~8人に囲まれ、質問攻めされました。フィリピン人か? 韓国人? 中国人か? 何故か、日本人か? とは聞かれません。 日本人に見えないのかなー?そして、アラビア語のなんだか分からない言葉を復唱させられ、その度に、皆んなで大笑い。きっとスケベな言葉なんだろうなー、と思っておりやした。彼らに囲まれて、わいわいがやがやと、入場門の方まで歩いて来たら、うつ的症状もやわらいでいました。で、彼らの誘いに乗って、入場門を出ても、一緒の歩いて行ったです。そうしたら、ペトラの町の中心で、若者達が、踊っています。彼らも、その中へ入って行きました。必然的に僕も、その踊りの輪に入って行ったのです。アルコールも飲んでいないのに、元気なこと、元気なこと。踊りは単純です。僕も一緒に、踊りまくりました。しかし、やはり体調が今一・・・。で、名残惜しいのですが、彼らに別れを告げて、ワディ・ムーサの町へ帰ることにしたのであります。ペトラからワディサームの町へ帰るのに、待てども、待てどもタクシーは来ず。その代わりに、車にペトラと、大書きした車や、窓から身体を乗り出して、クラクションを、けたたましく鳴らす車が、ひっきりなしに通ります。疲れている僕は、ヒッチハイクしようと、手を挙げるものの、手を振り返して来るばかりで、誰も止まらず、止む無く歩くことにしました。もう一歩、一歩、少しづつ、歩きました。ペトラからワディ・ムーサの道は、全て登りです。休み休み歩いていたら、途中、この、おじさん達に会いました。そしたら、お茶を飲め!って言うのです。ここで、ペトラが新世界7不思議で、第2位に決定したと教えて貰いました。一杯飲み、ホテルへ向かおうとしたら、もっと飲め!と言います。話をしていたら、又々、体調が上向いて来ました。 何なんだ? この体調?1位は、中国だが、何故か分かるか? と質問あり。そんなもん、分かるわけないので、分からん、と答えると、中国は13億人もいる。そいつらが、投票するのだから、1位は当たり前。その点、ペトラは、人口少ない。だから、ペトラが、1番なんだ、と。アラビア語で、「ペトラはNo1」、と言え、と要求されます。何度も、何度も、教えてくれて、大声で言えと要求されるのです。お茶をご馳走になってしまっているので、勝手に帰る訳にもいかず、僕も調子に乗って、イェ~イ!お? おおお! 顔が、また、また、マンガ見たいだなー?
2007.07.23
コメント(4)
7月7日(土)エル・ハズネには、舞台装置が出来ていて、多くの人が椅子に座ったり、座れない人たちは、立ち見で、何かを待っているようです。大混雑なので、僕は、先を急ぎました。左手に、大きな建造物がありました。ファサードとガイドブックに書いてあります。お客さんを乗せて歩くラクダさんも、もう夜の7時半過ぎで、疲れたのか休んでいます。ここが、王家の墓と呼ばれる場所です。岩に穴がボコボコあいています。このすぐ近くに、ローマ円形劇場があります。5000人以上、収容出来るとのことですが、写真撮るのを忘れました。肝心の、ローマ円形劇場を撮らないで、こっちの、空と岩のバランスに見とれてこっちを撮ってしまいました。ここにもラクダさんがいました。ラクダって、良い顔してますねー。憎めない顔です。如何にも、へいわー!って感じです。王家の墓の窓から、撮って見ました。この辺りで、なんだか、疲れてしまい、ローマ円形劇場より先に行くのを止めました。又、明日来ればいいや、と思ったのです。エル・ハズネの舞台も見ず、帰ることにしました。帰りは暗くなってしまうので、割れ目の通路の両側に、ずっとこんなロウソクの灯りをつけてくれました。(ここは通路ではないですが・・・)疲れてしまって、トボトボと歩いて帰るのですが、まだまだ、家族連れや、若者達が、どんどん、入って来ます。こんなに沢山の人が、まだ入場しているのに、帰ってしまっていいのかなー、と思いつつ、何だか知らないが、うつ病の症状らしき疲れが出てしまっているし、帰ろうか、戻ろうかと、迷い道でしたが、結局、帰り道となりました。
2007.07.22
コメント(4)
な、なんと、手持ちの、現金が、1000リアルもありません。一昨日、バーレーンで、お酒を買い、日本食を食べて、散財したら、あぁ、550リアルになってしまいました。1万7千円です。な~んにもしなければ、どこーにも行かなければ、1ヶ月は充分に持つ金額です。しかしながら、予定がぎっしり詰まっています。僕は、「社内日本人家族旅行実行係員」、と言う職務を拝命しておりまして、その計画を立案、実行せねばならないのです。僕の上に、実行委員長がいまして、その上に、総合委員長がいまして、さらにその上に、責任者がいます。ながーい名前の職務で、いかめしい職務名ですが、早くいえば、最下位の係員です。トホホ・・・。で、UAEのアブダビへ2泊2日で行くことが決まっています。再来週、その事前視察に行くのであります。これにお金がかかります。そして、お待ちかね、夏休み第2弾!東アフリカ大旅行が、待ちかねております。これが結構高いのですねー。サファリ参加は、とてつもなく高いです。おったまげる位です。1泊2日で、大体、一番安くて、3万円以上します。1万7千円では、とても、とても、不足です。うぅ。で 止む無く、会社から借金することに致しました。そのお金が、昨日、入金しました。良かったー ほっー ふぅー
2007.07.22
コメント(4)
7月7日(土)ここが、実質的なペトラ遺跡の入り口です。巨大な岩の間へ入って行きます。これは、Siq シークと呼ばれているらしいですが、岩の割れ目ですよ。良くこんな所の中に、住居を作ったものです。大きさが何ともすごいです。さらに、さらに、こう言う所を、テクテク、テクテク、歩いて行きます。こう言う、岩の割れ目を、延々と10数分歩いたでしょうか?でも、全く飽きません。高さは、どうでしょうか? 高いところは、100mはあると思います。岩の間から、蒼い空が見えます 感動的な割れ目です。尚、シークSiq、とは、狭い岩の裂け目の意味だそうです。その割れ目を、さらに、さらに、どんどん、どんどん、歩いていくと、突如、厳かななにものかが、見えて来ました。入り口から、20数分以上、歩いた頃です。ほら、これです。見えて来ました。感動ものです。これは、エル・ハズネと言う、崖を削って彫った神殿で、高さが43mあり、紀元前1世紀から後2世紀のものらしいです。2000年前に作られたってことですね。映画「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台になって、さらに有名とのこと。この日は、特別な日なので、このエル・ハズネの前に、舞台が作られ、多くの人たちが、椅子に座ったり、岩に座ったり、若しくは立って、舞台の方を見ております。まだ準備中のようで、人が多いだけなので、もっと先へ行く事にしました。
2007.07.21
コメント(6)
7月7日(土)ホテルにチェックイン後、時間が有り余るほどあるので、町を散策。町は、ワディ・ムーサと言います。ペトラ遺跡観光の、入り口の町であります。ここがメインストレートです。可愛いもんですね。日本の田舎町より、さらに田舎のようなもんであります。そして、町の中心から、その外を見た風景。小さなスーパーの売り子。仲々、しっかりしています。別に買おうと思っていなかったのに、水とお菓子と、パンまで買わされてしまいました。町をフラフラしていると、商店街が何やら飾り付けをしています。そして、五月蝿いことに、車がプォープァーとクラクションを鳴らして、何台も通り過ぎていきます。と思ったら、どこを廻って来たのか、又もや、やって来ます。なんじゃー? こりゃー? お祭りか?と、飾り付けをしている人、数人に聞いてみました。なんやらかんやら言うのですが、どうも、今一つ、良く分かりません。7がどうのこうのとは言ってます。ですが、ペトラ遺跡の入場料が、午後6時以降無料になると言う、確かな情報を得たのであります。21JD。3500円 が ゼロ と言う事は タダ = 無料。如何に、安く廻るかに情熱を傾けるバックパッカーとしては、これには、ゆったりはしていられません。早速、出かけてみました。ここは、既に入場門を通り過ぎた、ペトラ遺跡に向かう道です。さらに、こう言う道を、25分ほど歩きます。道のはしに、もうこんなものが見えてきて、オォーっと感動です。ここからが、本格的なペトラ遺跡の入り口です。
2007.07.21
コメント(2)
「へい! わかりやした!」、とアシュラフは、「生命の木」から少し、北方へ走った頃、左折しました。すると、先ほど行った、第1号油井が見えて来ました。構わず直進し、しばらく走って、右折を命じましたでござる。丘の上の向こうが動物園であろうと、目星を付けておりました。僕の勘はピッタリと当たり、そこは、動物園であります。ただ、入り口がどこか分からないので、その周囲をグルっと廻ってしまいましたが、大正解です。ま、小さい国で、地図もあるのだから当然っていやー、当然なのであります。ここが入り口です。正式名称は、アル・アリーン・ワイルドライフ・パークです。入場料は、たったの1BDバーレーンディナール(300円)で、内部の周遊バスにも乗れます。1時間に1本出ており、一周、大体、50分ほどかかります。暑くても、ラクチンです。動物達が、沢山います。 見ての通り、暑いので、ほとんどの動物は、日陰を見つけて、そこで休んでいます。しかし、このヤギ君、僕を見ると、何を勘違いしたのか、どんどんこちらにやって来ます。可愛いから、写真を撮ろうとしたら、カメラについている、紐を危うく、食い取られるところでした。こいつです。写真写真で見ると、背中も、尻もうまそうですねー。カプサには、彼らが、全身で出て来るのですねー。ちと、可哀そうです。鳥や、キリンもいます。 この鳥、綺麗ですねー!エミューもいました。 バスの主役は、この娘さんでした。ヤンチャでオシャマで、人見知りしません。懐いてきます。サウジから来たと、この娘の親は言ってました。お母さんも、顔を出してましたです。サウジでは出せないでしょうが。その後、バーレーンフォートにも、行きました。写真アップしようと思いましたが、ここまで、エラーになったり、2時間もかかっております。で、写真は、すいません、止めます。まあー、バーレーン観光、色々とありまして、疲れ申したでござる。
2007.07.20
コメント(4)
ヨルダンは、ちとお休みして、バーレーンです。=================================バーレーンへは、一ヶ月に一度か二度出かけます。しかしながら、いつでも行けると言う気持ちがあるのか、買物や食事程度で、帰って来てしまい、観光名所と言われるところへは行っていません。これでは、どなたか、知り合いが来られた時、案内することも出来ません。そして、運転手のアシュラフに教えて置かねば、辿り着くことも出来ません。で、昨日は、迷い道覚悟の上で、バーレーンへ出かけました。まずは、NHK?か、世界不思議発見? かで、放送されたと言う、古墳群へ行って見ることにしましたのであります。アアリ古墳群、紀元前3000年前からのもので、有史以前の古墳群では世界最大級と、ガイドブックに書いてあったので、期待して出かけたのであります。例の如く、アシュラフに細かい指示を出し、途中、何度も何度も、地元の人を見つけて、確認しながら行ったのであります。しかしながら、残念ながら、2時間近く、あちこちウロウロしたものの、結局見つかりませんでした。諦めて、次の、バーレーンの「第一号油井」へ向かいました。ここは、比較てき、分かりやすく、アシュラフも間違えずに辿り着きました。しかし、博物館は、金曜、土曜のみオープン、且つ、7月、8月は閉館だと。ガックリ。井戸跡を見て来ました。 右側の写真は近くの小山です。 「生命の木」、ここは以前行った事がありますが、どう行ったかなんて、全く記憶にありません。簡単な地図と、聞き込みが頼りです。しかし、思うに、現地の人や、出稼ぎの人は、観光地など見に行かないらしく、知っている人が、極端に少ない。ここへは、偶然出会った、ポリスに聞いて辿り着きました。「生命の木」と、逞しい「アシュラフ」です。アシュラフは、相変わらず、自分がプロの運転手である事が自覚出来ず。さらに、「三角形の2辺の和は、他の一辺より長い」、と言う簡単なことが、理解出来ないようであります。「生命の木」から、次の動物園へ行くのに、地図上では、すぐ西側にあるのも係わらず、来た道を引き返そうとします。どんどん北方へ行くのです。「待て、待て、アシュラフ。何故、戻る? どこへ行くか知ってるか?」わしゃー、そんなことは、知っとるっぞな、とでも言いたげな顔を、後ろに向け、「あぁー?」と言うのであります。まだこの「あぁー?」、と聞き返すのが直りません。機会を見つけて、ベテランの、ラティフは、「イエスサー!」、と答えるぞ、と間接的に教えているのですが、魚運送業から転身したので、癖は仲々、抜けないようであります。で、地図を見せて、「あのね、ここが、生命の木、そして、ここが動物園、ね?ここを左に行けば、近いでしょ?」と、懇切丁寧に、説明してあげました。でも、どうも今一、理解が不足しているようで「こっちの道に、ラウンドアバウトはあるんじゃー!」、と言うのでござる。「アシュラフ、そこの道路脇に、車を止めろ!」と言ったところ、急ブレーキをかけましたでござる。そんな大きな声で言った訳ではないのに、こう言うところが危ないのですなー。たまげるぞ。フゥー!で、同じことを、3回ほど、地図も示しながら、説明申し上げ申したのでござる。すると、「そんな道知らん」と言うのであります。ここらへんで、ぶち切れるはずですが、アシュラフ相手ですから、至って、気長です。「あのなー、アシュラフ、今日は何の為に、ここに来てるか分かるか? あぁー?」この、「あぁー?」 ってのも、アシュラフの真似して見ました。「ワシはの、生命の木も見ているのじゃ、お前が道を覚える為に、連れて来ておる。それを遠回りしても、意味ないじゃろ? 間違えても良いから、出来るだけ近道を探すのが、目的じゃろが?」「そう言う道を、覚えればじゃの、お前は、特別な運転手になれるんじゃ!」こう申したところ、その「特別な運転手」って所に惹かれたのか、「へい! わかりやした!」と素直に、左の道に曲がったのであります。長くなったので、続きにします。(すいません)
2007.07.20
コメント(2)
7月7日(土)ヨルダン3日目は、早朝より、アンマンからペトラへ移動です。こんなミニバスに乗りました。運賃は、4JD(700円)です。中は、こんな感じで、2列、通路、1列と、20人乗り位です。こんな所を走りました。ペトラまで、高速道路で、山岳コースと、砂漠コースがあるのですが、ミニバスは、砂漠コースを走ります。市内から長距離バス停まで、タクシーで行って、それから、ミニバスに乗ったので、ホテルを出てから、3時間半。ミニバスは、ペトラまで3時間でした。ペトラに着いたら、調度昼だったので、早速昼食です。チキンライスです。麺スープです。(麺は千切れたのが、気持ちだけ入ってました。)そして、野菜(野菜で良かったかなー?)と、ホブスとか言ういつものパン。
2007.07.20
コメント(2)
7月6日(金)マバダの街に、やって来ました。ネボ山から、すぐです。高地に突然、小さな町が出現する感じです。ここも、教会ばかりあるそうで、中でも、聖ジョージ教会には、6世紀のパレスチナの地図が、モザイクで描かれているとの事です。でも、僕は、教会より街の様子の方が興味あるので、散策して見ました。こんな可愛い子に出会いました。さらにプラプラと歩いていたら、結婚式用に、車に飾り付けしているのを見ました。これは、中国や東南アジアも、同じですねー。どこかが起源で、真似したんでしょうが。 そして、街角で、水タバコを吸っていたので、声を掛けたら、吸え!吸え!と言われて、水タバコを吸うところであります。だ、だれだ? こいつ! ちょっと顔がヘン?え? 顔がマンガだってー? 結構良い顔してるなー、と思うのですが?だめですか? すいぶん、すっきりした顔じゃーないですか?実は、この人が、現在アラブの星一番、こと、アジアの星一番さんです。バレちゃいましたねー。このマバダで、アラブのターバン、正式な名前は何て言うのか分かりませんが、ケフィーイェとか言っていたようです。若しかしたら、ケフィーヤ、カフィーヤ、カフィーイェ、かも知れません。発音が、難しいです。暑い日差しの中、明日はペトラ遺跡を歩くので、帽子を買おうと思いましたが、せっかく彼の地に来ているので、8JDと言うのを、値切って5JD(850円)で、買いました。これは、後日アップロードする予定です。
2007.07.19
コメント(4)
7月6日(金)暑い日差しと、濃い塩分を含む死海の海では、長いこと、浮いているのは、結構、きついものがあります。1時間半ほど、出たり入ったり、フラフラしていたでしょうか?岸辺の近くにある、シャワーで完全に塩を洗い流し、さっぱり致しました。そして、モーゼの終焉の地と言われる、ネボ山へ向かいました。こんな所を走ります。だいぶ上りました。もうじき、頂上です。モーゼはエジプト王の迫害を逃れて、ヘブライ人を率いて、シナイを抜け、ヨルダンを北上したらしいです。そして、このネボ山付近で、率いてきた民にパレスチナへ向かうよう促し、モーゼは。、ネボ山の頂上から、彼らを見守ったそうであります。ネボ山の頂上から見た、死海です。写真では良く見えませんが、死海の向こうに、イスラエルのエルサレムが見えます。僕は、キリスト教でも、ユダヤ教でもないのですが、何故か、神々が見えるような気がしてきます。そんな山ですよ、ここは。死海の反対側です。本日の、我が友、ギャリット君です。彼は、23歳独身。アメリカ人ですが、母親はハンガリー人だとのこと。ネボ山の頂上に、フランシスコ修道会の教会があります。4世紀に建てられたとのことで、その当時からの内部であります。
2007.07.18
コメント(6)
7月6日(金)こいつが、待たせても謝りもしない、我が友、ギャリット君です。アメリカ人で、今は、エジプトのカイロで、数学の高校教師をしてるそうです。こんな風に、泥を塗りたくっている人もいます。何でも、ミネラルが豊富で良いんだとか、ギャリット君が言ってました。見て下さい、石も塩だらけです。良く見えないって? じゃー、もう一枚。死海に浮いて直立すると、乳首の3cm上くらいの所が、水面になります。完全に浮きます。しかし、そのまま、直立しているのは難しい。勝手に足が、上に浮いてしまって来て、海水を飲みそうになってしまいます。目に入ると、痛くてたまらん! って聞いているし、慌てますだ。で、色々と工夫している内に、死海での泳ぎ方を、発見しました。うつ伏せだと、浮いているのが難しいのです。塩分30%近い海水が口に入ってしまいそうになります。勝手に足がポーンって感じで浮いてしまうのです。顔を上げているのも、難しく、うつ伏せはダメ。仰向けの方が、簡単に浮いていられます。しかし、やはり頭を上げていなければ、ならないので、時間が長いと、首が痛くなってこの状態も辛いです。では、そうするのか?歩くのです。そう、まさに歩くのです。指を閉じた手のひらは、後ろへ水を送るように前後に動かします。そして、足は、太ももを大きく上げるようにして、まさに歩くように動かします。そうすると、胸から上が、海面上に出て、ゆったりと周囲も見回せて、海水を飲みそうにもならず、全く楽です。これは、僕の実用新案です。が、このブログの読者さんには、無料で、この「死海の泳ぎ方」をプレゼントしましょう。 試して見て下さいね、死海へ行った時は。それから、ここは、一般市民が入る死海で、高級リゾートホテルなども、近くにあるようです。しかし、ここには、シャワーもあるし、ロッカーも、1JDで借りられます。従って、日帰りならば、ここで充分だと思います。死海に、何時間も浮いていられませんしねー。透明度も1m程度です。もしリゾートホテルに泊まりたいなら、アカバ湾へ行った方がずっと良いでしょう。(有益情報提供 : アジアの星一番 でした)それから、それから、残念ながら、マッチョな、私の写真は、非公開であります。すいません。
2007.07.18
コメント(8)
7月6日(金)ジャリット君を、イラつきながら、2時間も待って、11時過ぎてから、ようやく死海へ向かって移動を開始しました。すると、ほどなく、死海が見えて来ました。感動する空の蒼さです。この死海の向こうに見える山は、イスラエル。すぐそこですよー。入場料、5JD(850円)也を支払って、入って来ました。ここを、降りて行きます。仲々、どうして、リゾート地見たいじゃーないですか! 素晴らしい!泳いでますよー!じいちゃんも、ばあちゃんも、死海へ入りますよー!言っときますが、じいちゃん、ばあちゃんだからって、死かい? 何て聞いちゃー、ダメですよ。おっさんギャグやなー。(おー、恥ずかし)あっちの方で、ぽっかり浮いてますねー!続く
2007.07.17
コメント(4)
7月6日(金)ヨルダン2日目は、死海でポッカリ浮かぶことが、主目的。タクシーなら、4人集まれば、15JD(ヨルダンデナール)=2600円で行けるが、一人なら、その4倍の、1万円以上必要と言う。昨日の夕方まで、僕一人しかいないので、諦めて、ミニバスで行くことで、ほぼ決めていました。しかし、夜の10時頃、確認したら、アメリカの若者が、30JDなら行きたいと言っているとのこと。悩んだ末、5000円で、タクシーを1日貸切で行けるのだから、よしとするか、とそれで、手を打ったのであります。これが、アメリカでもどこでも良いのですが、お相手が若い女性と言われれば、たぶん、迷わず、迷った振りして、行くと、言ったのだろうなー、などと、我の心を見透かし、我をあざ笑ったのでありました。で、今朝は、8時出発。死海方面へ車をとばします。こんな風景です。 こんな急坂を登ったり下ったりで、サウジのジュベールとは大分違います。そして、こう言う場所に着きました。どうも、これは、キリスト教の何からしく、相棒のアメリカ人、ジャリット君は、7JD支払って見て来ると言います。僕は興味がないので、入場せず、外で待つことにしました。そしたら、これが、なんともかんとも、時間がかかったのであります。時間があるので、死海が見える場所まで行って見ようとこんな所を歩いて行きました。そーしたら、ポリスに捕まってしまいました、懇々と説教されてしまいました。しかし、入ったらいかん、とか、何の看板もないのです。あまりにしつっこいので、「っるせーなー! このやろう!」と喉まで、出掛かったとき、運転手がやって来て、何やらしゃべったら、許してくれました。彼が、運転手です。彼とも、雑談し、2時間近く待って、ようやく、ジャリットが戻って来ました。ジャリットの奴、待たせてゴメン、も何にも言いやがらないのですぞ。腹立つ、奴やなー!
2007.07.17
コメント(8)
7月5日(木)アンマン初日は、地元産のビールを飲んでみました。これです。ペトラビールと言います。何と、アルコールが8%も含まれています。従って、味もすごく濃いです。アルコール10%のもありました。間違いなく、ヨルダン産であるのを証明する写真です。しかし、ここアンマンでは、普通のスーパーではアルコール売っていません。特別な許可が必要なのか、それとも、モスリムはアルコールを売る気になれないのか、捜し求めて、聞いて、聞いて、聞きまくり、ようやく1軒の酒屋を見つけて購入したものであります。キングフセイン通りの、セイコー・コーナーと呼ばれる所から、中央郵便局の方向へ、180歩ほど歩くと、右側に、その酒屋さんがあります。自国産ビールがあるのに、普通のスーパーやお店で売ってないのですから、イスラムの国は、どこか不思議ですね。500ccが、1.5JD(260円程度)で購入出来ます。貴重なビールですから、まぁ、安いと言やー、安いでんな。外国産は、この2倍の価格で、購入せねばなりません。
2007.07.16
コメント(2)
7月5日(木)アンマンは、坂道が多いです。建物も全て白っぽく、イメージ的には、アテネって感じです。我が街、サウジのジュベールとは全く印象が異なります。こんな感じです。ホテルにチェックイン後、早速、街を散策して見ました。オマーンでも食べた、アラビア風サンドイッチ売っていたので、買いました。これを、そぎ落として、ナンのようなパンに包んでくれます。チキンにビーフです。「シュワルマ」って言う名前らしいです。これ、気軽に食べられ、重宝しています。このおじさんが作ってくれました。ポーズとって貰いましたが、肝心のシュワルマだっけ? 紙に包まれ、その中身が見えまへんねー。1ヶ85円です。ここが、アンマン市内の、一番の繁華街です。街全体は、郊外にも広がっているので、大きいですが、街の中心は、大したことなく、普通の田舎町のようです。2000円のホテルの部屋。バストイレ共通がスタンダードで、1000円。僕は金持ちなので、バストイレ付きで、2000円。特上の客なんです。ホテルの部屋の窓からの景色です。夜の8時頃になって、ようやく薄暗くなって来ました。アンマンの方が、日が長いですね、サウジのジュベールに比べて。さて、ビールでも飲んで、街に繰り出すか?
2007.07.16
コメント(6)
7月5日、木曜日。ヨルダンのバックパッカーホテル、Farah Hotel に到着しました。16時15分です。これは、サウジ時間と同じです。サウジのコンパウンドを出発したのが、朝の6時45分。9時間ほど掛かりましたが、飛行機に乗っている時間は、バーレーンから、わずか2時間です。ガルフエアーでしたが、昼食は、こんな感じです。本物のビールも飲めたし、料理も結構おいしく、お腹も膨れました。機上から見た、アンマン近郊です。この辺りから、レバノンのベイルートや、イスラエルのギャザとか見えてるはずなんです。怖いですねー! 今も弾丸が飛んでいるのでしょうか?一応、ヨルダンに来たと言う証拠に、飛行場も撮りました。クイーン・アリア国際空港です。飛行場から、アンマンへ向かう通りです。夾竹桃が沢山咲いています。羊の群れも沢山見ましたが、写真には撮れませんでした。こもうじき、アンマン市内に着くようです。
2007.07.15
コメント(4)
お早うございます! 皆様!まず、今回の旅で、最も気に入っている写真をアップします。どうです? 素晴らしいでしょう? この砂漠の色と、空の青さと。そして、「ヨルダン9日間の旅」、まずは、旅程結果を報告申し上げますだ。今後、ヨルダンへ行く方の参考になればと、願います。7月 5日(木) バーレーンからアンマンへ移動。夕方アンマン着 翌日の死海への行き方を調べる。7月 6日(金) 死海、ネボ山、マダバ観光7月 7日(土) アンマンからバスでペトラへ移動。(3時間) 夕方から、ペトラ遺跡を見学7月 8日(日) ペトラからバスで、ワディ・ラムへ移動。(1時間半) 砂漠をジープで5時間走り回り、満天の星を見ながら眠る。7月 9日(月) ワディ・ラムからバスでアカバ湾へ移動。(1時間) ダイビングの情報を探り予約。7月10日(火) アカバ湾ダイビング7月11日(水) アカバ湾ダイビング7月12日(木) アカバ湾からバスで、アンマンへ移動。(5時間)7月13日(金) アンマンからバーレーンへ。上記で、ダイビングも2日間して、ゆったりした旅でした。ヨルダンはそう大きな国ではありませんので、往復2日間を含めても、7日間あれば、主要な観光は充分出来ます。 1日 :アンマンから、死海浮遊と往復 アンマン泊 2日 :ペトラへ移動、ペトラ観光 ペトラ泊 3日 :ワディ・ラムへ移動。砂漠観光 砂漠泊 4日 :アカバ湾 アカバ泊 5日 :アンマンへ戻る。 アンマン泊次からは、「ヨルダン9日間の旅」を、逐次、アップ致します。
2007.07.15
コメント(0)
感動の連続のヨルダンから、ただ今、帰りました。「9日間の旅」でしたが、行きは1日、帰りは2日の移動なので、長いようで、現地をじっくり見たのは、正味たったの6日間でした。でも、何だか、心の持ちようが違ったのか、ヨルダン、良かったなー!同じ、アラビア半島の、オマーンと、申し訳ないけど、比べ物にならない。日付が変わってしまったし、仕事で居眠りするといけないので、もう寝ますが、明日から、「ヨルダン20連発」、ほど書き込みしたいと思います。でわ、今夜は、お休みなさい!
2007.07.14
コメント(2)
僕は、マッサージ大好き人間で、どこの国へ行っても、マッサージがあれば揉んで貰っております。今夜は、アカバにもあった、「中国飯店」、でラーメン食べました。500円ほどで、高いですが、久しぶりのラーメンで、おいしく頂きました。そこの小姐が大連出身で、中国語の復習を兼ねて、少し会話。そしたら、マッサージがある事を教えてくれました。1時間、15JD=2500円程度で、かなり高いですが、試しに揉んで貰うことにしたのであります。しかしながら、正統派マッサージとは全く異なるのでありまして、ひどいものです。中国女性が、びっしり沢山いましたが、これは、売春按摩ですな。僕は、10分で出て来ました。15JD損しましたが、仕方ありません。中国飯店へ戻り、小姐に、実体を教えてあげて、お客様に、勧めない方がよろしいですぞ、と言っておきました。小姐は、恐縮してましたが。アカバに中国人が、300名ほどいるらしいですが、安い品物だけでなく、女性まで、輸出しているようです。全く恐るべし。皆さんも、お気を付け下さいませ。
2007.07.11
コメント(8)
全340件 (340件中 151-200件目)