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刺身が食いたくなります。ちょろちょろっと、お皿に盛ってある奴でなく、どっか~ん、と、でかい皿に、一杯盛ってある奴を。僕は、味音痴村の村長を務めており、食べ物に執着はありません。何でも、食べます。ピーマン以外は、甘くても辛くても平気です。しかし、刺身は一番好きです。大好きです。大々好きなのです。世界で、おいしい料理は数知れずあれど(たぶん)、刺身に勝る料理は、どこにもありません。どんくらい好きかと言うと、う~ん、そうですねー?長澤まさみと、刺身のどっちを取るかと言われたって、刺身を取るほど好きです。沢尻エリカとか、貫地谷しほりとか、並べられたって、刺身です。しかも大トロなんぞより、カツオです。カツオが一番です。しかも、5月頃のカツオです。そのカツオを、最低、半身の半分は買って来ます。それを厚めに切って、皿に並べます。濃い味の醤油に、擦ったショウガを、これまた、どっぷり入れます。そして、その醤油につけて、厚いカツオを、食うのです。カプッと、噛むその舌ざわり! クゥー、タマンねー!それに、冷えたビール。銘柄なんて何でもいい。発泡酒だって、かまわん。厚めに切ったカツオを、カプッ!冷えたビールを、ゴックン!それに、さんまのスーパーカラクリに、コリン星から来た、彼女でも出演していたら、そして、それを見ながらだったら、もう、サイコー!これ以上の、幸せは有り得ん!カツオの半身に、ビール1本飲んだら、飯、いらんもんね。好きやなー、刺身。しかもカツオ。も一度言うけど、大トロや、トロより、カツオですぞ!貝や白身魚より、カツオです。食いてぇーなー、刺身。なんだか、ホームシック気味かなー? 日本へ帰りてぇーのかなー? こんなに刺身が恋しいなんて・・・。そう言えば、今日は、一歩も家を出ていない。
2008.01.18
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本日も、朝帰りでした。(バハレーンからです。)やさしく、美しく、聞き上手な、とある奥様ご家族と同席だったもので、話は盛り上がり、なんと、4時間半も、おなじレストランで、時を過ごしたのです。ゆっくり起きて、「ちりとてちん」見たら、今朝のお話、泣けましたなー。============================= 2007年12月24日(月)本日は、アデンを出発し、ジブラか、イッブに泊まるか、あまり見るべき箇所もなければ、サナアまで、大移動するか、迷っていましたが、取り合えず、ジブラへ行くことにしました。ここアデンのクレーターと言う中心地から、ジブラまで行くには、何度も、ダッバーブを乗り換えねばなりません。例えば、アデンには、長距離ダッバーブ乗り場が、市内中心から、20分以上離れた場所にあります。そこへ行かねばなりませんが、市内にも、何ヶ所かダッバーブ乗り場があるのです。アデンから、ジブラまでの行き方を書いて見ますと、市内ダッバーブ乗り場→ 長距離ダッバーブ乗り場まで行くダッバーブ乗り場長距離ダッバーブ乗り場まで行くダッバーブ乗り場→ 長距離ダッバーブ乗り場長距離ダッバーブ乗り場→ イッブダッバーブ乗り場イッブダッバーブ乗り場→ ジブラダッバーブ乗り場なんじゃー! 難しい! ややこしい!これを読んだだけで、全てを理解した人は、相当、頭脳の素晴らしい人です。完璧に理解出来た人は、申し出て下さい。記念品を贈呈致します。(ほんとか?)実際は、取り合えず、市内ダッバーブ乗り場まで、歩いて行きました。そして、例の如く、「ジブラ、ジブラ! イッブ!イッブ!」、と叫びます。そうすると、運ちゃんか、廻りの人が、どれに乗れば良いか、教えてくれるのです。それで、運ちゃんが「乗れ!乗れ!」、と言うので乗り込み、バックパックと、上着やセーターの入っているポリ袋を座席の前に下ろしました。運ちゃんが、ダッバーブを出発させようとした時、客の一人が、「これは行き先がちゃうでー!」 と教えてくれたので、慌てて降りたのです。その時、ポリ袋を置き忘れてしまいました。片手にガイドブックを持っていたし、慌てていたので、すっかり忘れてしまったのであります。(僕は、荷物が二つ以上あると、一つ忘れる習性があります。)すっかり忘れたまま、「長距離ダッバーブ乗り場まで行くダッバーブ乗り場」まで、歩いて行きました。途中、親切な人が乗り場が見える所まで、連れて行ってくれたので、それほど、時間がかからずに行けたのであります。そして、ダッバーブに乗り込みました。そこで、ハタと気がついたのです。「あれー? 上着とかセーターは?」、と。実は、その前に、イエメンでは、大変珍しいのですが、(エジプトなら全く普通)、チェックインの時に、4200リアルの所、4500リアル支払い、お釣りがないので、後で返すとか言われ、そして、チェックアウトの時言ったら、「渡した!」、とか言われて、ひと悶着あったのです。(結局返金はなし。)それで、ムカついてフロントに忘れて来たかなー? 取りに行きたくないなー!あのエジプトに強制移住させたい、イエメン人フロントのいる所は・・・。などと、どこに忘れたか、考えていました。が、「ありゃ! ダッバーブだ! 確か、足元に置いた!」、と気付きました。「おーい、止めてくれー!」、運ちゃんに日本語で言いました。伝わるのですねー、これが、ジェスチャーと日本語で、荷物を忘れたので、取りに戻りたいから、降りると説明。降ろして貰いました。しかしですね、ダッバーブの中に忘れてしまって、そのダッバーブは走り出していたのです。乗り場に戻っても、荷物があるはずがないのです。あれは、市内循環だと思うので、2時間ほどすれば、戻って来るとは、思うけど、困ったなー、ないもの探しに行っても無駄だよ・・・。トホホ。しかし、一応、ダッバーブ降りてしまったので、トボトボと戻りました。トホホ、トボトボ。トホホ、トボトボ。です。何とも情けない。何が入っていたかと申しますと、下記です。 * セーター1枚。 * おっさん風ベスト1枚 * ジャケット1枚 * お菓子3袋(小さい奴) * 現金、100万円 (嘘です) * 打ち出の小槌 (これも嘘です)別になくなっても、サナアで買えば良いのですから、気楽と言えば気楽です。しかし、気分は、トホホに、歩きはトボトボ。そして、そのダッバーブ乗り場に戻りました。すると、乗り場の一番前で、待っていた、ダッバーブの運転手が、「これこれ!」って言うように指差します。な、なんと、わたくしの、ポリ袋です!どうしたのでしょうか? ????? ?????たぶん、このダッバーブは行き先が違う! と教えてくれたお客さんが、ダッバーブを乗り場に戻させ、取りにきたら渡してくれと、後ろのダッバーブに頼んだのでしょう。いやー、驚きました。トルコの時は、小銭30円相当の他、パスポートも現金もカードも、着替えもパンツも、パソコンも、ぜ~んぶ、深夜バスに置いて、トイレに行き、その隙にバスが出発してしまい、顔面マッツァオでした。この時も、奇跡のように、全ての荷物は戻りましたが、今回は、それほど、大事な物はないものの、状況としては、トルコの時よりもっと悪いと思います。なにせ、何百台あるか分からない、ダッバーブです。その車から、戻って来たのです。イエメン人は、やはり良い人が多いです。ホテルの、「エジプトへ強制移住させたいフロント」のイエメン人のような輩は、少ないのでしょう。港町アデンからイッブの道は、険しく、こんな山坂を、行きます。
2008.01.18
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ネットに、新しい? 痴漢の定義が記載されていました。記事は、下記。人気女性アイドルグループ「AKB48」の大島麻衣さんが、テレビの番組で、「オジサンにミニスカートから出ている足を見られただけでチカンと思う」と発言したいやー、面白いなー! と思いました。これって、オジサンじゃなければ、見られたいってことですよね?じゃー、オジサンっていくつから、オジサンなの? って疑問が湧きます。小学校3年生位から見れば、20歳でもオジサンだろうし・・・。しかし、発言したのが、大島麻衣とか言うアイドルグループの人。僕は、この人知りませんが、20歳位なのでしょうか?とすれば、いくつからオジサン?30歳を超えたら、オジサンでしょうか?いや、35歳位かなー?ま、40歳を超えたら、完璧なオジサンでしょうねー!しかしですねー、ミニスカートはいて、足を見られたら、そのオジサンを痴漢と思うって、何かがおかしいと思いますなー。見たくなくても、目が追ってしまうってこと、あるんですよ。男なら、オカマさんでない限り、ほとんどの人は経験あると思います。大体、ここサウジでは、ミニスカートどころか、足も、顔も、髪も、男を挑発するような部分は、全く出しません。着ている物も、身体の線が出ないよう、ぶかぶかです。だから、たまに、顔を出した欧州系の女性がいたりすると、皆の目がその女性を追っているのが分かります。そうだ!その大島麻衣さんって人に、アバヤをプレゼントしましょう。これなら、絶対に足を見られません。いいアイデアだなー! 我ながら、感心!どなたか、余ったアバヤを、彼女にプレゼントして下さいまし!もしくは、「お前はサウジに住め!」って言ってやってくださいまし!
2008.01.16
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2007年12月23日(日)イエメンに来てから、ご飯類はなしで、いつもホブズと1品か2品の肉か、豆、卵のようなものでした。しかし、本日の昼、フラッと入ったレストランに、スパゲッティがあったのです。サラダと共に早速、注文して見ました。味は?麺にコシはなく、スカスカッとした感じでおいしくはありません。でも麺は麺。うまくはないけど、ホブスと肉よりまし。残さず、完食しました。夜は、アデンでも有名だと言う、中華レストランへ行って見ました。街から結構遠いので、ダッバーブを乗り換え、乗り換え、やっと辿り着きました。本日は何回乗ったことか。多分、7回は乗っているでしょうか?メニューには、色々とありましたが、揚州炒飯と、チキン入りトマトスープ、いや、味からすると、トマト入りチキンスープでした。いやー、シンプルな夕食ですが、おいしかったです。日本食がない時でも、中華はどこにでもありますから、嬉しいですねー。ここの経営者兼コックさんは、中国人です。在イエメン50年と言ってました。子供の頃、両親に連れられてやって来たと言いますが、奥様や子供さんは、中国に暮らしているとのことです。何で?と聞いたら、「イエメンで暮らすのは嫌じゃ!」と言われ、単身ですわ、と嘆いた素振りです。このアデンに、中国人は、50名ほどいるとのこと。因みに日本人は? と聞いたところ、ゼロとの回答。観光客がたまに来る程度らしいです。イエメン、いい国だと思うけど、商売にはならないのですかねー?日本車は沢山走ってますがねー。と言うことで、本日の食事は、まぁまぁ、満足でありました。
2008.01.15
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2007年12月23日(日)アデンとは、何にも見るべきものがない街です。 アデンとしました。(ナンじゃそれ? アゼンだろ?)カート市場を見たら、あとは、ランボー・ハウスしかありません。フランスの天才放浪詩人が、アデンに滞在し、エチオピア女性と暮らしたと言う家です。どんな家か? と聞きまわって探し当てたら、ホテルでした。ランボーホテルとキチンと書いてあり、フロントで確認したら、この2階にランボーは住んでいた、と言ってました。ランボーが2階から、眺めた景色です。因みに、この人、ランボー者だから、ランボーと呼ばれているのではありません。キチンとした名前です。アルチュール・ランボーと言います。え? アルチューのランボー者? 違いますよ! ふざけないで下さいませ。まだ、午後2時。このままホテルに帰っても、何の為にアデンに来たのか、分かりません。これなら、居心地の良い、タイズに帰り、これまた、居心地最高だった、メルヘンチックな、アル・ガナッド・ホテルに戻った方が良い位です。「歩き方」を路上で、再度チェックし、満室であったエレファント・ベイ・ビーチリゾートの隣に、アデンで最も美しいと言う、ゴールド・モア・ベイがあるのを見つけました。イエメン人のビキニが見られるだろうか、とちょっとだけ、スケベーな心がチラッと頭を掠めました。見えて来ました。ゴールド・モア・ベイ。いました、イエメン美人!ん? な、なんじゃー?真っ黒なのが、海の中にいるぞー!おいおい! 水着にならないのかー!そのカラスの着物見たいな下に、ジーンズ穿いてんのかー?(おいおい、全身真っ黒なの着てるのだから、せめて中はスッポンで頼むよ!)皆様の代弁です。こんな黒ずくめで、浜辺を歩いたり、海に入っても楽しいのかなー?アップで撮ってみました。こう言うのは、滅多に撮れませんよ。イエメン人の青年が、僕に話しかけてきて、同じ岩に座り、こう写真を撮るのだ、とか何とか教えながら、隠し撮りです。大っぴらには、ムスリムのアバヤ(真っ黒の服装)姿は写真に撮れません。イエメン青年は、平気で撮ってましたねー。罪があるなら、彼にあり、僕は無実であります。大体、こんなの見たって興奮もしません。カートの葉っぱ5枚ほど噛んだ方が、まだ興奮するでしょう。そうは言っても、ピンボケの濡れたヒップは、何故か艶かしいものがあります。
2008.01.14
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ここサウジは、今季、3度目の雨です。9ヶ月ぶりに降ったあと、もう3度目です。そして本日は、シトシトと1日、ぐずついてました。まぁー、珍しい、天候でした。=============================2007年12月23日(日)アデンにやって来ました。旧南イエメンの首都であったとの事で、表敬訪問せずには悪いと思ってやってきたのであります。繁華街は、島の中にあります。長距離ダッバーブは対岸までしか来ません。市内のダッバーブに乗り換えて来ました。島が見えます。この橋を渡って行きます。ダッバーブを降りて、宿を探しましたが、仲々見つかりません。迷子になりそうで、何度も、地元民に聞きながら歩きました。泊まろうとした、アデン・ガルフ・ホテルにやって来ました。設備の割りに4200リアルと高額なホテルです。これらな、ちょっと奮発して、エレファント・ベイ・ビーチ・リゾートに泊まろうかと、電話した所、満室とのこと。そうなんです、今は連休の真っ最中。どこも混むし、普段の2倍くらいの金額になっているのです。日本の正月や、GWのようなものでしょうか?おまけに、お店もほとんど休みだし、観光旅行には適していない時期でしょう。出来れば、わずかでも、時期をずらした方が良いですね。そんな訳で、4200リアルの、アデン・ガルフ・ホテルです。チェックインし、早速街へ繰り出しました。ここがスークの前の中心地です。すごい人だかりなので、スークに入って行きました。この中、全体がカート市場になっています。カートとは、こんな草です。拡大してみましょう。アカネ科の木の葉っぱで、噛んでエキスを飲み下すと、軽い神経興奮作用が得られるらしいです。何度か貰って、何枚か噛んで見ましたが、特に興奮するでもなく、噛みカスを口に溜めておくのも気持ち悪いので、病み付きにはなりそうもありません。しかし、サウジでは、麻薬の一種として禁じられており、カートを噛むのが見つかると、禁固15年が言い渡されると言うので、それなりの効果はあるのでしょう。まぁ、そうでなければ、多くにイエメン人が、ハツカネズミ見たいに、頬を膨らませて、カートを噛んではいないでしょうねー。
2008.01.13
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2007年12月22日(土)僕はサビル山に、天空の村に、感動しています。物凄く気に入りました。そして、イエメン人、素晴らしいです。本来なら、アデンへ移動する予定でした。あまりに素晴らしい、天空の村、そしてサビル山。しかし、その頂上へ行かなかったのです。旅は予定より1日早い。キチンと準備して、サビル山へ登りたい。自分の足で、頂上の3000mから、タイズの1400mまで、降りたい。そう思ったのです。上着も持ち、帽子も持ち、おっさん風のベストも持ち、パンも5個、トマトも購入。ジュースにお菓子に、水も買って、準備万端。ダッバーブ乗り場へ行ったら、おっちゃんが、「こっちや、こっちや」、と手招きしています。登ること、45分、頂上に着きました。ここが終点です。これ以降は、自力で歩きです。ダッバーブとは、この乗り物です。これは、新しい方ですねー。普通に走っているのは、もっと、古っぽいです。ここが頂上です。普通車はここまで登って来れます。僕は、頂上の形の良い岩を見つけ、そこに佇み、天空の村や、空を見たり、雲の流れを見たり、至福の時間を過ごしていました。左手方面の風景です。そして、右手方面の風景です。こう言う所は落ち着きますねー。やはり僕は、遠い星の国から来たのでしょうか? 少しでも、宇宙の故郷に近い場所が、好きなのでしょうか?などと、ロマンティストな僕が、ロマンティックな想いに耽っていると、「ソーラ、ソーラ」、の聞きなれた言葉です。この家族が、写真を撮ってくれ、と言うのであります。イエメン人、写真が好きです。ほんとに好きです。 しかも撮ったあと、見せてくれとは言いますが、写真を送ってくれとか、言われた例がありません。そして、この家族。ジブラから来たそうです。子供さんが8人おり、病院の薬局に勤めているそうです。英語が話せるので、色々と聞くことが出来ました。26歳を頭に、8人の子供です。写真の通り、下の子は、まだ小さいです。20歳の息子は、タイズの大学で勉強中、連休を利用して、息子のいるタイズに来て、この景勝地、サビル山へピクニックに来たのです。僕のいる近くで、シートを敷き、食事を始めました。何度も、こっちで一緒に食べろ、と誘ってくれたのですが、黒ずくめの奥様と、同じく黒ずくめの年頃の娘さんもいるので遠慮しました。そしたら、わざわざ、持って来てくれたのです。これです。ホブスに、卵に、お菓子に、シャイ。トマトは僕が買った奴です。まぁ、ほんと、感心を通り過ぎて、僕は、イエメン人に畏敬の念を覚えましたです。素晴らしい民族ですねー。やさしくて親切で・・・。イエメンは、素晴らしい国です。お父さんと一緒に写真を撮りました。奥様も、娘さんも、食事の時は、顔を出していました。お父さんに確認すると、やはり、女性の写真を撮るのは、いけないようです。注:アラブの星一番、顔の色が変ってますが、陰のつもりです。 (芸が細かいですねー!)住所と名前を聞きました。写真を送りたいと思ったのです。英語が話せるので、時々でも、こう言うご家族と、連絡を取り合い、親交を深められれば、良いなー、と思ったのです。さて、ジブラからのご家族、食事が終わると、帰りました。僕には、何もお返しがなくて残念です。日本から持って来た、飴玉がありましたので、子供さんに、5個あげたのみです。僕も、標高3000mの頂上から、1400mのタイズ市内まで、歩く為に、頂上を出発しました。ヤギさん、頂上で物思いに耽っていましたぞ。何を考えているのでしょうか?下り始めると、雲も出て来ました。今は、雨季でもないので、滅多に雨は降らないと言うことです。ジブラからのお父さん情報では、3月頃より、雨が多くなるらしいです。馬に乗った少年に、又会いました。飲み水を運んでいます。この水汲みは、子供の仕事のようですね。馬もなれたもので、乗り手がいなくても、ポリタンクを背負って、トコトコと家路に向っているのもいます。これは、タイズ市内で聞いた話ですが、政府が水道を引いているそうです。しかし、1軒1軒に配管が繋がっていませんね。でなければ、水汲みは必要ないですから。畑は、このように石垣で仕切られています。道で会う人、会う人、会う人、会う人、会う人が、「ハロー!」「ホワッチュァーネーム?」と、挨拶して、そして何故か、名前を聞いて来ます。右手の指を合わせて、口に入れる真似をします。たぶん、これは、シャイでも飲んでいかないか? 若しくは、カートでも噛まないか? と誘ってくれているのだと思います。この仕草は、どうも、食べ物をくれ、とか、食べ物のお金を頂戴って意味もあるようです。お乞食さんが、そのような仕草もしますので。従いまして、意味を取り違えないようにせねばなりません。因みに、この仕草、口の方へは持って行きませんが、トルコでは、ベリーグッドの意味だったですから、パントマイムでの会話も、その国に慣れないと難しいです。このおじさんも、「ハロー!」「ホワッチュァーネーム?」と聞いて来ました。ジャンビーアを差しています。これに興味があったので、写真を撮らせて貰いました。ジャンビーアも、抜いて見せて貰ったら、ポーズを取ってくれました。刃はなく、実用には無理なようです。11時50分に頂上を出発し、1時間歩いて、10分休み。これを2回繰り返した、14時頃、山の上に、家並みが見えました。どうやって、登っていくのでしょう?そして、もう1時間歩き、15時を廻った頃、もう足はガクガクで、これ以上歩けまへん! 状態になりました。別に、競技している訳でもなく、完全踏破を目指している訳でもないので、市内まで歩くのは、諦めて、ダッバーブに乗りました。もし歩いたならば、あと、どうでしょうか? 1時間半ほどかかったでしょうか?3時間、約2万歩。良く歩きました。気さくなイエメン人達と、沢山会えました。無邪気な子供たちとも、沢山会い、交流も出来ました。天空の村も堪能出来ました。手が届きそうな、空も見られました。いつの間にか忍び寄る、雲とも出会えました。新鮮で、ヒンヤリと気持ちよい、空気に包まれ、気持ちよい時間でした。と言うことで、とても充実した1日を過ごすことが出来たのであります。最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。
2008.01.12
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朝、ベッドで目覚めると、雨だれの音が聞こえました。本年2回目の雨です。昨日は、砂漠でゴルフして、その後バハレーンへ行き、日本食を食べて、お屠蘇飲んで、ビール飲んで、タイマッサージへ行って、午前様帰宅です。よって眠い。ベッドから出ず、ウトウトしていたら、2度寝でした。気持ち良いですねー! 時間を気にせず、寝てられるって。起きて、髪ぼさぼさ、無精ひげパラパラで、化粧なしで(当たり前だな)、ボォーとしてパソコン見てたら、携帯がなり、近所の同じ会社に勤める方が、イカジャガを持って来てくれました。追記修正:イカジャガではなかったです。イカ入りサトイモの煮っ転がしでした。 大体、イカジャガ何て、聞いたことないですよねー? 味音痴村:村長より。おー! おいしそうですねー!イカは、現地のフィッシュマーケットで買って来たとのことです。ありがたいですねー。今晩の夕食は、これを、おかずに頂きましょう。で、カレンダーを見たら、1月11日。確か、この日に餅食えって、鏡餅の説明書に書いてあったような・・・。そうです、鏡開きの日です。この写真、以前、掲載しました。これを、割って、雑煮やお汁粉にするってはずなんです。しかし、開けてビックリ!鏡餅の中から、子餅が、どっさりと出て来ました!ヒェー! 数えたら、ぜんぶで、60個もありました。ヒェー! 1日1個食べても、2ヶ月分あります。ヒ、ヒェー! 1週間に1個食べたら、1年以上食べられます。ドッヒェー! 1ヶ月に1個食べたら、5年もかかります。あわわ! 1年に1個食べたら、な、なぬー! 60年! その頃、もう死んでるぞー!って、ことで、早めに全部食べねばなりません。朝飯食って、洗濯して、昼飯食って、又、洗濯して、その間にネットやって、ボォーっとしていたら、1日が過ぎました。あ! そうそう、you tube って、タダで唄聞けて、動画見られるのですね?本日の収穫。「千の風になって」、を覚えました。この歌手、おばさまに人気出そうな、ハンサム顔の人です。真似して、口とんがらかせて、手を広げて、唄って見ました。喉が痛いです。って、ことで、ほとんど、何にもしない、1日でありました。でわ、お休みなさいませ。
2008.01.11
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2007年12月21日(金)あぁー、ここを来ただけで、イエメンに来た価値がありました。すごいです。イエメンに、天空の村あり!マチュピチュが天空都市とか、空中都市とか呼ばれているらしいです。が、彼の地は、既に滅び、観光名所となって、テレビでなら、何度も見られます。しかし、ここサビル山。高度では、マチュピチュに全く敵いませんが、それでも、頂上は3000mあるとのことなのです。そこに、家を建て、畑を田耕し、多くの村人が住んで、暮らしているのです。感動ですねー! 出来れば、1週間でも良いので、滞在してみたい程です。まず、天空の村の畑の写真、4連発を見て頂きましょう!如何でしょうか? ここは、標高、たぶん2700m位の位置だと思います。実は、サビル山に登ろうと思って来たのではなく、朝食を食べに街へ出て、ホテルを探そうと、ブラついて、アル・ガナッド・ホテルを予約して、さて、イエメン・ツーリズム・ホテルへ戻り、歯磨きして、チェックアウトの準備して・・・、などと考えながら歩いていたのです。そして、ふと左手を見上げると、サビル山です。家々が立ち並び、さらにその上の方へ、ずっーっと高く、高く続きます。雲が遮り、頂上は見えません。それを見ていたら、無性に行きたくなって、「ジェベル・サビール! ジェベル・サビール!」、と叫んでいました。そしたら、近くにいた子供が、ついて来い! って素振りで、僕を呼びます。どうも、ダッバーブ乗り場まで連れて行ってくれるようです。イエメン人は、どうして、このように親切なのでしょうか? 信じがたいです。僕は、要らないと言う、その子供に、小銭を握らせました。本当は、もっと、100でも200リアルでも、上げたい気持ちなのです。ダッバーブ(乗合バス)、200リアル(120円)を支払い、登って行きました。途中の景色が素晴らしいです。言葉で表すのは難しい。しかし、写真は撮れません。右に左に揺れ動きますし、ドアは開けっ放しですから、カメラに夢中になって、下手すると、滑り落ちます。いくつかの小さな、小さな村を過ぎて、頂上付近まで行きました。そして、僕は、どうしても、この山の景色を見ながら歩きたくなっていました。そこで、降ろして貰いましたが、右に左に揺れ動くバスの中で、右側を見たり、左側を見たり、動いたので、尻ポケットに入れた、財布がずり落ちていました。そんな事は知らず、ダッバーブを飛び降り、乗客の皆さんに手を振って歩き始めようとしたら、「待て!待て!」と、僕が乗った席の前の人が、呼び止めます。財布です。分厚い財布です。見るからに、現金が沢山入っていると、思えます。あぁ、又もや感動です。イエメン人は正直者です。イエメンの得点ランクは、もう急上昇です。心が、グラッとしないのでしょうか? たぶん、彼らの1ヶ月分の収入に匹敵する現金が、財布には入っていたでしょう。僕は、タイ人でもないのに、手を合わせて、「コップンカップ!」、と言ってました。何とも言えない、清々しい気持ちに、これまた、清々しい青空、ひんやり冷たい風・・・。 幸せとは、こう言う気持ちを言うのでしょうか?山肌に、このように家が建てられています。畑が、山の頂上まで綺麗に整備され、農家でしょう、家々も見えます。黒装束を纏った、お母さんが、洗濯をしていました。そう言えば、こんな所で生活するには、水の調達が大変だろうなー?と思いました。洗濯も、タライのようなものに入れただけですから、すすぐ程度の洗い方でしょう。さらに歩いていたら、馬に乗った少年と出会いました。背中に、ポリタンクが二つ括り付けられています。水です。これで、水を取りに行ってるのですねー。やはり水は重要です。何の準備もなしで、山へ来てしまったので、防寒対策もなく、帽子もありません。山の上で、寒いとは言え、頭を直射する太陽は鋭いです。持参のうちわで、直射日光を避けながら、歩きました。このような光景が続きます。霧が出て来ました。霧の中に、花束を持った少女が佇んでいました。花を買って欲しいようです。僕は、こう言う時、ほとんどの場合、買わないし、お金もあげません。しかし、この子は、単にお金をくれ! と言うのではなく、花を摘んできて、花束にして、それを買って欲しいと言っているのです。健気ですよね。両親の手助けなのでしょう。僕は、自分の主義には合わないのですが、お金をあげました。花は貰っても、使いようがないので、又、他の人に売りなさい。と通じないでしょうけど、日本語と英語で言っときました。そしたら、「ソーラ、ソーラ」、と言います。写真のことです。名残おしいのですが、ホテルもチェックアウトしないといけないので、帰り道を急ぎました。その後、ダッバーブに、途中まで乗せて貰い、その後、商用の人が乗せてくれて、麓まで戻りました。何れも、お金は要らないといいます。どんだけ、いい人達なのでしょう、イエメン人は・・・。
2008.01.11
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2007年12月21日(金)タイズは、イエメン第2の都市で、1948年からイエメン革命のあった1962年まで、首都で政治の中心地であったとの事です。標高は、1400m。サナアの標高2300mですから、サナアより低い。しかし、サナアとは印象が全く異なり、ここタイズの方が、ずっと山岳都市との印象が強いです。何故か?それは、タイズのすぐ南側に、3000mを超える、サビル山が、そびえ立っているからでしょうし、街自体も、急坂の多い、「坂の街」、だからだと思います。これが、サビル山をちょっと登った所から見た、タイズの街です。まだ、数百メートル登っただけの所での写真ですから、サビル山がどれほど高いかお分かりでしょう。(分かりますよね?)そして、このように、山の中腹や、小山の上に、家が建っています。これが、タイズの街並みですね。スークの写真でも掲載したいと思ったのですが、祝日なので、スークも開けているお店は、まばらで閑散としていました。果物屋さん位でしょうか? 露天で屋台に並べて売っていたのは。果物は、祝日だからと言って、新鮮さを留めてくれませんものね。そして、タイズで日本発見です!「松川運輸」、と書いてありますよねー!間違いありません!「松川運輸株式会社」、の車です。「今日も無事故で!」 って書いてあります。住所も「吹田市」とあります。ミャンマーでは、このような中古日本車を、持って来たまま、全く塗装も、文字も、そのままって車が多く、首都(だった)ヤンゴン市内バスでさえ、「山形交通」などと書いたバスが走ってました。 しかし、イエメンまで、日本の中古車が来ているとは、驚きです。「松川運輸」、イエメンで宣伝しても、儲かることはないでしょうが・・・。これは、キチンと取引されて来たのでしょうねー?それとも、盗難車? ここイエメンでは、TOYOTA車が多く、まぁ、日本車は珍しくありませんが、このように、会社名まで記載された日本の中古車は珍しいです。松川運輸の方が、これを知ったら、「な、なんで、わいらの会社のトラックが、そこにあるんや~?」と言うでしょうねー?
2008.01.09
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2007年12月21日(金)本日の、貧しい食事を、お見せしちゃいましょう。朝は、豆の煮物に、パンです。昼は、卵焼きに、ホブスです。新聞の上に、ホブス置くのですよ。清潔好きの僕には、何だかねー・・・。いつも同じような食事ばかりです。肉にするか、卵にするか、豆にするか、オカズを変えて、ホブスです。飽きて来ました。今は、イード祝日なので、レストランも閉まっているお店が多いようです。夜は、あまり食欲もないし、レストランへ行くのも面倒なので、買って来た、パンと、果物で夕食としました。パンは、ホブスでなく、このお店で買いました。ホブスの焼きたては、おいしいですが、冷えると味が落ちるような気がします。海外へ行くと、食事が面倒ですね。食事が楽しみで、旅行をする人も多いと思いますが、僕の場合は、これと言った食べたいものがないので、面倒だなー、と思ってしまいます。一粒、一食、と言った食べ物ないでしょうか?
2008.01.08
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我が社の日本人の方々、旅行や日本から、サウジに戻られました。そして、お土産など頂きました。ありがたい事であります。ヨルダンのガイドブックを、ちょこっとお貸ししただけなのに、こんなおいしいものを頂きました。手作り愛情入りです。(たぶん)日本へ一時帰国された方より、頂きました。崎陽軒のシウマイです。こりゃー、うまいですぞー!(よだれタラ~リ)そして、三が日は過ぎてしまいましたが、日本の第一派遣元の会社から、おせちが届きました。この前貰ったおせちは、第二派遣先であります。こんな事なら、第三とか、第四まで、又貸しして貰うのでしたよー。(冗談です。手数料各社にとられたら、僕の給料ゼロになります。)これは、おせちでないですねー。京都の宇治のお菓子です。しば漬けとか、羊羹です。梅茶もあります。あなご、にしんに、川のり、餅、そして、カニの何でしょう? 缶詰ですね。これは、何でしょう?えー? 分かりません。牛肉しめじ、とか、牛肉ごぼうとか書いてあります。これが、送って貰った全部の品々です。ありがたいことです。上記とは、関係ないですが、今日は、寒かったですねー! 今年一番の寒さでしょうか?昨日は、又々、砂嵐でしたし、今がサウジでは、真冬ってとこです。
2008.01.07
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2007年12月21日(金)アブドラ・アリ。ザビードから、ずっと一緒だった親切な、タイズ人です。しかし、アブドラ・アリ、ありふれた名前ですねー! 日本の山田さんより、多いのではないでしょうか? 彼に乗せて貰って、チェックインした、イエメン・ツーリズム・ホテルです。ピンクの雰囲気で、清潔です。カビール門に近く、旧市街も近くで便利です。湯船はありませんが、お湯も豊富に出て、綺麗さっぱりしました。ここに2泊でも、良かったのですが、3000リアル(1800円)と、歩き方に記載された値段より、ずいぶん値上がりしています。昨日、アブドラ・アリの知り合いのホテルは、ベッドルーム、応接間、バスルーム(湯船あり)の3部屋で、4000リアルでした。ちょっと、街へ歩いて行ける距離でなかったので断念しましたが、いわゆるスィートルームより立派でした。で、安くて良いホテルがないか探しました。そしたら、こんなメルヘンチックな、可愛いらしいホテルがありました。部屋も、どうでしょうか? 二つもベッドは要りませんが、綺麗です。部屋から、街も一望できます。金網越しなので、ちょっとぼやけたように見えます。中庭には、こんな部屋も準備されてます。ここで、シャイでも飲みながら、語るのでしょうか?これで、お値段は、2000リアル(1200円)です。ちょっと街まで、遠くなりましたが、ここに移動したのであります。僕にとっては、ここが一番、過ごし易かったホテルでした。アラブの星一番査定 → ホテルです。
2008.01.06
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2007年12月20日(木)ザビードで、ダッバーブに乗りましたが、タイズ行きではありませんでした。しかし、道端の暑い日差しの下で待っていますし、ダイズ行きがいつ来るかも分かりません。そのダッバーブに乗っていた客の一人が、タイズまで行くから、一緒に連れて行ってやる、と言ってくれたので、飛び乗ったのでありました。しかし、お互いが、アラビア語分からずと、英語分からずで、どうやってタイズへ行くと分かったのでしょう?僕は、タイズ! タイズ! と繰り返すしか脳がありません。多分、彼が自分を指差し、タイズと言ったのでしょう。それで、僕はタイズへ連れて行ってくれる、と理解したのだと、思います。ですから、何とも頼りない話であります。しかし、結果は、彼に従い、ダッバーブを2台乗り継いで、タイズに着いたのであります。彼は、途中、お菓子は買ってくれるし、おまけに、タイズに着いたら、家に寄って行け、と言うのであります。車があるから、ホテルまで、送ると言うのです。親切ですよねー!もう夕方の5時だったし、ホテルも決めていないし、早くチェックインしたい気持ちですが、それを伝える方法がありません。優柔不断な、僕としては、トコトコと着いていくしかありません。ここが、彼の家へ行く途中です。木の下にアバヤ着た女性と、子供が見えます。あの木に旦那さんが登って、木の実を落としているのです。そしてヤギに食べさせているのです。 のどかです。彼の家に着くと、ある部屋に招かれましたが、4名の男性が、カートを頬一杯に頬張り、雑談していました。僕はシャイをご馳走になり、雑談に加われないので、ボォーっとしていました。え? なぬ? いつもの通りだろ? ですと? 失礼な! でもね、 ボォーっとするのは、普段から得意だから、失礼でもないかな?何せ、子供の頃、言葉を話し始めるが極端に遅くて、知恵遅れではないかと、両親や姉を心配させたと言う事実もありますので。しかし、退屈ですよ。名前を名乗りあったら、もう話すこと何もなしです。しかも、全員の名前が、アブドラ何とかって言うし、覚えきれません。仕方ないので、パソコン取り出し、サナアや、サウジ、そして時間があったので、トルコや、桂林の写真まで、見せてあげました。喜んでましたねー。中国なんて、絶対に行くことないと思いますし。時は経ち、夜は、8時を廻りました。腹は減るし、一人でホテルへ向うには、遠すぎるし、何せ、自分がどこにいるのか分かりません。なるようにしかならんな、と心を決め、最悪は、ここに泊まってしまえば良い、と思ったのであります。しかし、その後、ようやく出かけよう、と言ってくれて、ホッとしました。車に、家族が沢山乗ります。ホテルに送る様子もなく、どこへ行くのか心配になりました。まぁ、売り飛ばされても、力仕事は出来ないし、若い女性見たいな使い方も出来ないし、あまり金になりそうもないので、そんな心配もないなー、などと、勝手に思ってました。山の中へ登って行くので、不安は増しましたが、誠実そうな人たちですし、一体、どこへ行くんじゃ? と思うだけであります。そうしたら、分かりました。友人か、親戚か、その家族が遊びに来ていたのです。その家族を送るついでに、僕もホテルへ送ろうと言うことでありました。その友人家族を送ったあと、僕が泊まろうとするホテルへ送ってくれました。値段も交渉してくれました。さらに、明日は、山へドライブに連れて行くと言うのです。僕は、本当にあり難い、お誘いなのでありますが、言葉が通じないのが、何とも歯がゆくて、丁重にお断りしました。と言うことでありまして、親切なイエメン人の、家も訪問できて、シャイも飲まして貰って、有意義な時を過ごしたのでありました。エジプトでは、絶対にありえないことが、イエメンではおきています。追記部屋の写真を撮るのを忘れてしまいました。それから、子供も女の子は、部屋に入って来ません。外人(僕のこと)が珍しいのか、何度も、何度も、部屋を覘きに来てたのです。しかし、入って来ません。子供の頃から、男性と女性の居間は、別々なんですね。イスラム世界を、ちょっとだけ、垣間見た感じです。
2008.01.05
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一昨日は、砂嵐模様でした。強い風が吹きまくり、砂塵が舞い上がり、太陽さえ見えなくなりました。日本で言えば、霧のような風景ですが、霧とは違います。外に出たら、砂が口に入って、ざらざらする感じです。そしたら、本日、何と9ヶ月ぶりに雨です。今は雷を伴う大雨です。朝起きて、外に出たら、路面が濡れていたので、あー、雨がぽつりと降ったのか? 程度しか思っておらず、午前中もポツポツと言った程度でした。しかしながら、夕方近く、雷が鳴り出しました。テレビも、映ったり、映らなかったりと言うような、激しいものです。確か、昨年の3月頃、ポツリと降った雨以来、ずっと降ってませんでした。そんな土地柄ですから、道路脇の排水溝もありません。道路も、水浸しになります。土漠の水も地下に浸透しにくいので、大きな湖のようなものが出来ます。こう言う雨が降り、少し気温が上がると、1月の終わりか、2月の始め頃より、土漠一面が、黄色の花一色になります。それは、美しいですよー!生命は、強い。一瞬の時を待って、命を咲かせます。そう言った、写真を近々お見せできると思います。ご期待下さい!
2008.01.04
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2007年12月20日(木)ザビードが良かったら、1泊しても良いかな? と思っていましたが、2時間で、充分でありました。ここから、コーハ、そしてコーヒーで有名なモカへ行くのも、旅程案にありましたが、世界遺産のザビードがこの程度なので、紹介文の少ないコーハ、紹介文が全くないモカへは、行かず、そのままタイズへ行くことにしました。ザビード周辺は、このような景色で、平坦で気温も高いです。しかし、しばらく行くと、道は平坦ですが、左手に山が見えて来ます。何の目的か、道路脇に、草? をこのようにしてありました。途中の小さな町です。ダッバーブは、相変わらずギューギュー詰め。別にこれが普通の状態なので、乗客で文句言う人なんかいません。楽しそうに、写真撮ってくれ、と言います。 皆さん、あっち見て、写真撮れ!そっち見て、写真撮れ! って言いますので、落ち着いて、居眠りも出来ません。まぁ、親切で言ってくれるので、撮らなければ悪いと思って、パチパチと撮りましたが、後で、消去しましたです。言葉も通じないのに、何かを、話かけて来ます。イエメン人は、気さくですよねー。又、小さな町を通過しました。こんな平原の中に、草で作ったテント状のものが作ってあります。そう言うところで、ダッバーブを降りる人もいました。何してんでしょうねー? 言葉が通じないので、確認のしようもありません。これは炭です。薪を、野積みしてあるのを、沢山見ました。何だろうなー? と思っていたら、乗客が指差し、何とか言うので野積みの炭焼きをしているのであると、分かりました。アル・マフラックと言う街を過ぎて、右へ曲がれば、モカです。左へ曲がり、山道となります。今にも止まりそうに、ゼイゼイしながら、車は走ります。もうすぐ、タイズです。
2008.01.03
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さて、2007年大晦日も、2008年元旦も、恙無く過ぎ去りましたので、イエメンリポートに、戻りたいと思います。まだ、イエメン到着後、3日目なのです。===============================2007年12月20日(木)この世界遺産も、ほんとかよー! って言いたい遺産でありました。エジプト、アレキサンドリアから行く、アブ・ミーナーは、ほんとに誰もいませんでした。しかし、瓦礫の山の中に、それらしき、遺跡があり、だれ~もいない、世界遺産も良いもんだ、と、お伝えしました。ここザビード。どこが世界遺産なのか、良く分かりません。ダッバーブ(乗合バス)から降りて、聞きながら、歩いて行きますと、こんな門がありました。さらに歩いて、右へ曲がると、街の中心の広場らしき場所に出ました。広場ですが、広場です。単なる広場です。やっぱり広場です。何にもありません。ちっちゃなお店があったので、コーラ1本、20円で買って、飲みながらイスカンダル・モスクと、ナセル城は、どこか訪ねたところ、そっちに見えると指差しました。ありました。この裏に、歴史博物館があります。このモスクや、博物館の反対側(広場方面へ戻る)に街はあります。暫く、迷路のような小路を歩くと、アル・アシャエル・モスクがありました。そして、街の風景です。この建物が、ザビード様式と呼ばれており、独特らしいです。小さなレンガを積み重ねていますが、一つ一つのレンガの形をそのまま見せる外観が、特徴と言いますが、何が独特なのか分かりません。子供は、イエメンらしく、写真に撮られるのが好きです。ザビードは、イスラムの大学都市だったと言うことです。1970年代の初めまで、ラマダン期間は、サナアでなく、ザビードで判断されていたし、カイロのアル・アズハル大学の開設時には、この街から、教授陣が派遣されたほどであるそうです。因みに、カイロの、アル・アズハル大学は、イスラムの一つの宗派の総本山と言う位置にあるらしいです。詳しいことは忘れました。すいません・・・。そう言われても、ピンと来ませんが・・・。と言うことでありまして、ザビードは、残念ながら、世界遺産の中では、エジプトのアブ・ミーナーのその下で、最低ランクとしました。ゴメンなさいね、「ザビード」さん!でも、こうやって、も一回写真でみると、雰囲気はありますよね?アブ・ミーナーは、廃墟でしたが、ここザビードは、今も、以前と同じように、人々が住んでいますので、そのまま維持するのも大変なのでしょう。
2008.01.02
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日本は、もう元旦を過ぎて、2日になっていますね?しかし、ここサウジは、6時間遅れです。まだ、元旦の夜です。と言っても、全く普通の日と同じです。何ら変りありません。太陽も出るし、星も出ます。(当たり前ですな。)昨日の大晦日も出勤でした。誰も、言ってくれないので、今年は遠地で頑張って働いたなー!、と自分にご褒美を上げたのであります。こんな会話です。自分A 遠くまで来たもんですねー?自分B はい、遠くまで来てしまいました。自分A まぁ、不便な場所で、良く頑張った年じゃーないの?自分B はい! 頑張りました。欲求不満な面はありましたが・・・。自分A 今日は、大晦日。早く帰らないの?自分B いえ、会社の規則で、16時までが勤務時間なもので・・・自分A いいんじゃないの? 日本の仕事納めの時も、早く帰るよ?自分B でも、いや、規則は、そのー、規則で・・・自分A 1年頑張ったし、誰にもわかりゃーしないし、いいんじゃないの?自分B う~ん・・・、そうですねー・・・。自分も褒めてあげたいし・・・自分A はよ帰らんと、紅白始まってしまうよ!自分B そうすね、大晦日くらい、早く帰りますか?(早引きの件、絶対内緒ですぞ! ばれたら、給料引かれます) と言うことで、紅白歌合戦、ぜ~んぶ見ました。日本にいても、見ないのですがねー。で、でで、おせち料理の話です。昨日、鏡餅を紹介しましたが、実は、おせち料理も貰っていたのです。そうです、一流企業の日本の契約会社からです。こんなのと、こんなのと、こんなのです。これー! 数の子ですぞ!食べ方が書いてありました。むむ! 何だと?そのまま食べられない? おい、面倒だなー。塩抜きせいだと?水を入れて6時間冷蔵庫に入れろだと? 8時間じゃダメなのか? 10時間じゃーダメなのか?6時間って言う時間は、中途半端だなー。 さてさて、全部の写真です。いくつあるでしょうか? いち、に、さん、し、ご・・・20袋はあるでしょうか?僕は自慢ではありませんが、味音痴方面に住んでいるようです。うまい、不味いってのは、概ね分かりますが、料理の名前とか覚えません。え? 単なるアホだろ? ですとちゃいます、ちゃいます。その味音痴方面なので、脳が興味を示さないようで、覚えられないのです。で、これら、おせち料理の名前分かりません。そしたら、名前が書いてありました。祝海老 塩数の子 栗きんとん 黒豆 酢れんこん人参里いも旨煮 一口にしん昆布巻 たたき牛蒡 紅白かまぼこ ぶり照焼田作り 焼ほたて 焼はまぐり 穴子八幡巻 だし巻玉子穂先竹の子 椎茸含め煮 鶏八幡巻 魚卵甘露煮 いか松笠 どうですかー! 豪華でしょう?おせちの説明まで付いています。お正月だし、おまけで、書いておきますね。祝海老 弓なりになった海老のように、腰が曲がるまで健康でいたいと言う 願いが込められているんだと。 僕の場合? 腰は曲がってません! 曲がっているのは、根性だけです。栗きんとん 金団と書き金銀の塊の意味で新しい年に財宝に恵まれる 願いが込められているんだと。 なぬ! ええなー! そんなら毎日栗きんとん食って、栗きんとん人間になるか! 金持ち間違いなしじゃ!黒豆 新しい年も「マメ」に健康で働く事が出来ますようにとの 願いが込められているんだと。 これも良いなー。入院したくないし、黒豆人間になるかー?数の子 鰊が一度に多数の卵(3~4万粒)産むのにあやかって、子孫繁栄の 願いが込められているんだと。 たったそんだけー? 僕なんか1回、数億個だどー! でもなー、子孫繁栄には、相手がいるよなー・・・。と、そんな普通の一日の正月元旦でした。(暇だよね、こんなに書いて)今、JSTVで、釣り馬鹿日誌17をやってます。
2008.01.01
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私の契約先である日本の会社は、一応(失礼かなー?)一流企業です。海外で正月を過ご社員(派遣社員を含み)へ、鏡餅を送ってくれました。ご覧下さい!何か、包装用の写真と違うなー?な、何でや? と、袋の中を、再検査して見ました。そしたら、色々と、出て来ました。出来上がり! 箱の写真を真似して、再セットしたものです。どうでしょうか?あらら? あれー? エビちゃんが曲がってるなー!ま、いっか! お正月だし、細かいこと気にしないことにしよう
2007.12.31
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皆様へ2007年も、あとわずかで暮れようとしております。不毛の地、何の楽しみもない、砂漠のサウジアラビアで、何とか生きてこれましたのも、ブログの皆様方のお陰であると感謝しております。ブログを書いたり、読ませて貰ったり、書き込みをさせて頂いたり・・・、この時間がなかったら、たぶん、うつ病はもっと悪化して、2回の入院では済まなかったのではないかと思っております。さて、2007年を振り返ってみますると、大きな転換でありました。昨年の本日は、蘇州大学に留学中で、ハルピンまで、氷祭りを見に行っていました。極寒のマイナス20度でした。1月末、学期の終業と共に、同学の方々と、涙のお別れをして、すぐにサウジアラビアへ赴任したのでありました。そして、なんと、最高気温、53度と言う酷暑も経験しました当地へ赴任したお陰で、近くの国々へ行けたこと。これは、大変に喜ばしく、楽しいことでした。 3月 オマーン 7月 ヨルダン 8月 UAE アブダビ、ドバイ 8月 トルコ10月 エジプト11月 UAE、アブダビ12月 イエメンそして、ほぼ毎月、バハレーンには行っておりました。「旅行ばっかりで、いつ、仕事してんだよー!」 と、何度か、書き込みも頂いたほどです。旅行の計画と実行が、唯一の楽しみでした。そして、さらには、ゴルフでしょうか?生まれてこの方、こんなにゴルフをしたのは始めてであるし、多分今後もないでしょう。腕前は、90前後以上に上達しないようでありますが、散歩代わりに、歩くのも、気持ちいいものですし、健康維持に欠かせません。ま、そのような事で、2回の体調不良による入院はありましたが、大事に至らず済みましたし、充実して、過ごせた年であると思います。今後も、出来る限りブログは続けて行きたいと思っております。皆様、来年も、よろしくお願い申し上げます。サウジアラビアの地より、皆様の、ご多幸をお祈り申し上げます。アラブの星一番、こと アジアの星一番より。
2007.12.31
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昨夜は、JSTVで、「涙そうそう」が、放映されました。実は、確かトルコへ行った時、エミュレーツの飛行機の中で、見たのです。涙が、ポロポロ流れて、仕方なかったのでした。そして、又、見てしまいました。「にーにー」のように、人に無償の愛を捧げられないタイプなので、余計に感動するのかも知れません。長澤まさみの、最後のシーンも泣かせます。そして、出演者などの名前も、映され、映画館なら、終わったなー、と席を立とうとする、その後に、さらに、印象的なシーンが流れます。良いですねー、この映画!=============================この映画と全く関係ありませんが、今年最後の、インド人との会食です。前回、アラビア料理屋と要望したのに、インド料理屋へ案内してくれました。 今回は、何度も念をおしておきましたので、アラビア料理屋風なレストランでした。でも、サンドイッチとか言うメニューもあったので、純粋なアラビアレストランかは、分かりません。これは、ロシアサラダと書いてありました。ポテトでしたね。次は、グリーンサラダです。トマトに、キューリにレタスでした。シャワヤチキンブカリライスケバブ次のは、魚なのですが、Hamourと書いてありましたが、何でしょうか?彼らは、アムールと発音してましたが、辞書に載ってません。これが、一番おいしかったです。その他、ジュースに、アリアナライス、ホブスなどを頼んで全部です。このレストランは、清潔で、ファーストフードのような雰囲気です。味も良かったですねー! イエメンには、こう言うお店、ありませんでした。これだけ、食べて、わずか3500円です。
2007.12.30
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2007年12月20日(木)やさしい、ダッバーブの運転手兄弟に送って貰い、長距離乗合バスに乗ることが出来ました。10時15分出発です。町並みを抜けると、こんな風景で、サウジとあまり代わり映えしません。長距離ダッバーブは、いつも満席以上です。混み合い率150%です。それだけ、集まらないと、出発しません。道路状況は悪くありません。乗客さん、写真撮ってくれって言うのですよねー。代わりに、たくさん持っていた、カートをくれるって言うのですが。要りませんよ! そんな葉っぱ。ちょっと噛んで見ましたが、うまくも何ともありません。このおじさんも、撮ってくれと、大騒ぎです。そんなに写真撮りたいのですかねー? 因みに、写真は、ソーラってアラビア語で言うようです。始め、日本語知っているのかなー? と、空を見ました。 が、???「ソーラ、ソーラ」ってしつっこいから、「エンヤトット! エンヤトット!」と合いの手を入れて見ましたが、無視されました。(嘘です。)そしたら、写真の事なんですねー! こう言う覚え方の単語は、忘れませんよー、きっと。天然健忘症の、わ・た・く・し、でも。そんなことで、飽きもせず、11時55分、1時間40分で、世界遺産の街ザビートに着きました。
2007.12.29
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2007年12月20日(木)ホテルをチェックアウトし、ダッバーブ(乗合バス)に乗って、世界遺産の街ザビードへ行く、長距離バス停まで行きます。このダッバーブは、どこでも止まり、どこでも降ろしてくれるので、慣れれば非常に便利です。価格も20YR(12円程度)です。ホテルの前から、乗りました。ホテルのフロントのおっちゃんに、予め、アラビア語で、行き先と、バス乗り場の住所を書いて貰っております。イエメンは、英語が仲々、通じません。運転手と、助手席で、集金をしている二人は、兄弟のようです。僕の他に、何名か、乗っていましたが、段々と降りて、僕一人になりました。ホデイダのメインストリートを、ザビード方面へ走っていたのですが、途中、Uターンして、戻り始めました。「おいおい、分かってるのか?」、と、又、メモ用紙を見せました。頷いています。すぐに、左へ曲がり、そしてさらに左へ曲がりました。そしたら、バス乗り場に着いたのです。親切ですよねー! わざわざ、メイン道路から外れている、乗り場まで連れて行ってくれるのですから。しかし、驚いたのは、これからなんです。この道、狭いのと、後ろから、車が来るので、お金を支払い時間もなく、慌てて降りました。しかし、この親切な兄弟に、乗り逃げは出来ません。バックパックを背負い、エッチラ、オッチラ、車を追いかけます。兄弟のダッバーブは止まりました。普通、20YRだと聞いていましたが、50YRを渡そうとすると、な、なんと、「要らない!」って素振りなのです。無理に渡そうとしましたが、にっこり笑って、手を振りながら、行ってしまいました。 何ででしょう? どうしてでしょう?分かりません。旅行者に対する、親切なのでしょうか?よっぽど、僕が、貧乏人のフィリピン人にでも、見えたのでしょうか?お金持ちには見えませんよー。彼らも。まぁ、何れに致しましても、感謝せねばなりません。この兄弟、ご家族に、アッラーの、ご加護あれ! と祈りましたです。
2007.12.28
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明日の夜、現地時間22時から、映画「涙そうそう」が、JSTVで放送されます。実は、飛行機の中で、もう見たのですが、涙が止まらず、感動しました。明日、もう1回見るか、迷ってます。さて、イエメンは、ホデイダの紅海です。==============================2007年12月20日(木)爽やかな、ホデイダの朝です。朝食はバッチリ食べたし、元気モリモリなので、散歩に出かけました。ホテル前の、市民公園です。何を意味しているのでしょうか?この白いモニュメント?あれー? サルが木登りしてるのかな?違いました人間です。こちら側に座っている、おじいちゃんが、指差して教えてくれたので、写真撮ったのですが、この木登りしているおっちゃん、「金くれー!」、と、木の上で言ってました。公園を少し歩くと、ダンボール敷いて、毛布に包まって寝ている人多数。夕べ、タハリール広場へ行った時も、沢山の人が寝そべっていました。夕涼み? 浮浪者? どっち? と思ったのですが、お乞食さんほど貧しそうでもないし、何でしょう? 両方かなー?暑いから、家で寝るより、寝心地が良いのでしょうか?写真は、失礼になるので、撮るのはやめました。公園を抜けると、ひっそりとした町並みです。祝日で、お店も、事務所も全部しまっており、歩く人もまばら。車だけ少し通るくらいです。タハリール公園の手前を、右折したら、紅海が見えました。野良猫と、カラスが多いのです。猫に睨まれました。これは、授乳中の猫の親子です。ホデイダの街と、紅海の渚。こう見ると綺麗ですねー。実際も綺麗です。アラビア湾も、紅海も、あまり磯の匂いがしないのですが、ここは上の写真にもありますように、海藻が少しありますので、若干だけ、磯の匂いがしました。
2007.12.28
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イエメンで逮捕もされずに、無事サウジに戻りました。しばらくは、「イエメンの旅」、尽くしとなりますが、よろしくお願いします!=============================2007年12月19日(水)実は、バハレーン空港を出発する時、お店を覘いていて、サウジでは買えない物を買ってしまいました。「イエメンへ持ち込めるのか?」、と聞いたところ、「マーフィ・ムシケラ」、と言ってました。で、買ってしまいました。別に赤ラベルではなくて、黒ラベルでも良かったのですが、黒だと小銭のお釣りがくるので、安い方にしたのです。これで、夕食前に、チビっとやって、出かけます。ちょい酔いの方が、食欲がわくのですねー。夕食は、ホテルの近すぐそば、市民公園のレストランで食べました。BROAST CHICKEN と言うのを頼みました。これで250円位です。写真02BROAST って単語知らないのですが、どう言う意味でしょう?単なる、ROASTの間違いですかねー?メニューにちゃんと書いてあるのです。ここの店員さん、TOYOTAの社名、マーク入りのシャツを着ていました。何となく、嬉しいもんです。それで、写真を撮らせて貰いました。日本でも着ている人いるのでしょうか?そう言えば、イエメンでは、(まだ、サナアとホデイダだけですが)、TOYOTAの車が多いですねー! 走っている車の内、7~8割がTOYOTAのような気がする位多いです。翌朝も、市民公園脇のレストランです。別のお店に行きました。マトン(230円)と、豆と卵(110円)、二皿も頼みました。コーヒーは、ネスカフェです。60円也。
2007.12.28
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2007年12月19日(水)ダッバーブ(乗合バス)乗り場へ向かいました。エジプトのアレキサンドリアと同じで、どこが乗り場か分かりません。しかしながら、場所も広くなく、台数もそれほど多くないので、すぐにホデイダ行きの車が見つかりました。しかし、代金がなんと、1500YRと、相場の倍以上です。しつっこく交渉するも、全く下がりません。「しゃーねーなー!」、と、取り合えず、車に乗り込みました。普通車です。その後、乗客もあつまり、最終的に、驚きました! 運転手1名と乗客で、全部で、10名も乗り込みました。僕の列は、4人です。どう考えても、定員は3名です。運転手席の横も1名しか乗れないのに、2名乗っています。僕の後ろは、荷物席を改造して椅子があり、3名が乗っています。この車です。これに10人も乗るのです。参ったなー! これで、5時間も行くのかよー!これで、チェックポイントで、降ろされたら、どうしたら良いのか?などと、頭を掠めます。出発前、運転手と乗客が、何やらワイワイガヤガヤやっています。どうも料金交渉をしているようです。アラブ語で分かりませんが、現金片手に何やら、しゃべっていますので、料金交渉なのです。1300YR渡しました。どうも、「これでええやろ!」ってな調子でしたが、運転手、頑として聞き入れず、やはり1500YRでした。あとで、知りましたが、本日は、イード祝日、特別価格のようです。日本で言えば、正月元旦、ご祝儀見たいなものでしょうか?地元民が交渉しても、安くならないのですから、僕では無理でした。さて出発です。こんな風景です。石を利用して、石垣を作っているのが良く分かります。ここで2千数百mの高地なのですねー! そう言えば、サナアで高山病にならないか心配したものですが、動き回っても何ともなかったです。サナアから、さらに登りましたので、高度はもっと高いです。辺りは3000mを超えると言う山、また、山であります。その間を、縫うように走ります。運ちゃん、ビュンビュン飛ばすので、谷底へ落ちはしないか心配で居眠りも出来ません。その内に、下りとなり、畑が現れて来ました。ほ~ら、畑でしょう?例の石垣が、精密に積み上げられております。この畑を見ると、イエメン人って、几帳面なのかなー、とも思いました。この畑、今は何にもありませんが、5月から9月の雨季には、雨が降り、一面が、緑になるそうです。その頃に来て見たいものです。完璧に山の上です。ここで、パンクしている車があり、修理を手伝いました。同乗者に中国人らしき人がいたので、中国語で話しかけて見ました。北京から来ている人で、仕事のようです。家族は北京にいると言ってましたから。最近、こう言う中国人が多くなっているのですよねー。今年、日本から一流企業の社長さんが見えて、会食に誘ってくれた時、「最近、中国人のビジネスマンが中東やアフリカにも来ている」、と言ったら、「昔から、華僑と言って、世界中どこにでも行っているんだよ。」、などと、物知り顔で説明してくれました。面倒臭いので、「あぁ、そおうですかー。」、と聞き流しましたが、僕も華僑の話程度はしっています。彼らは、母国で食い詰め、他の国へ新天地を求めて移住した人たちじゃーないですか? しかも福建とか潮州とか、南の方の人たちが大半ですよね?僕が言いたいのは、最近はそうではなく、家族を中国に置き、自分も永住でなく、中国と外国を行ったり来たりする中国人が増えたと言いたいのです。これは、同じ中国人でも、華僑とは明らかに違うと思いませんか?中国経済の発展によって、こう言う、世界的なビジネスマンが増えて来たのだと思うのであります。さて、こんな山の上にも、家があり、畑もあるんです。そして、ここから、ガンガン下りです。チェックポイントも、既に2回通過しました。特に問題なし。パスポートの提示さえ求められません。走ること、4時間。居眠りから覚めたら、景色が一変してました。ホデイダの街に着きました。やれやれ、です。チェックポイントは、居眠り中にあったのかどうか分かりませんが、知る限り4回ありました。検問官から、ヤーパニーとか言うような単語も聞こえたので、ドキッとしましたが、どこもパスポートの提示指示すらなく、問題なしです。一発勝負は、本日のところ、勝ちました。しかし、まだ、心配解消した訳ではありません。むしろこれからが問題です。本日、検査に引っ掛かれば、サナアに戻るのは簡単です。これからの移動で引っ掛かれば、どうやって帰れば良いのか?全く、無茶するもんですなー! と我ながら、驚きます。
2007.12.27
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2007年12月19日(水)チェックアウトして、歩いてダッバーブ(乗合バス)乗り場へ向かいました。ホデイダへ向かう為です。しかし、何ともアホな事に、本当の乗り場は、あの有名なイエメン門と、別名を持っている、バーバルヤマンなのでした。旧市街の北側に、「バーバルヤマン行きダッバーブ乗り場」って言うのが書いてあって、てっきりそっちだと思ってしまったのです。ホテルから、バーバルヤマンまで1キロちょっと。旧市街の北側まで、2.5キロほど。ずいぶん遠くまで余分な距離を歩いてしまいました。ま、急ぐ旅でもないので、このまま旧市街を見て廻ることにしました。もし時間がかかったならば、パーミットもない事であるし、予定をさらに変更して、ホテルへ戻ればいいのです。気楽な旅です。廻ったコースと逆になりますが、ここがイエメン門(バーバルヤマン)です。何でも、門は5つあったらしいですが、今は、この門のみだそうです。そして、門をくぐった旧市街の中です。昨夜は、この門の外から、中まで夜店が、ドォォォォっと並び、歩くのが大変なほどでした。しかし、本日の昼は、落ちついています。モスクと、一般の建物です。1986年に、この街全体が、世界遺産に指定されたと言うだけあって、雰囲気があります。建物自体の作りも違うし、色も、全く違うのですが、何故か、トルコのサフランボルを思い出させるものがあります。狭い路地が多いのです。ここはメインの通りで広い方です。このような路地が多いのです。そして真っ直ぐな道でないので、分かり難いこと、この上ないです。これでは、この街を攻めようとしても、迷子になってしまいます。この辺りは、水もすくないので水攻めは無理だし、石と干乾し煉瓦で建物は出来ているので、火責めも難しそう。難攻不落の街って印象です。サナアの皆さん、噂通り、結構気さくです。彼ら、まだ青年の部、と言った感じですが、写真撮ってくれと言うので、撮ってあげました。一人前に、ジャンビーア(半月刀)を、腹に差してします。そして、可愛らしい無邪気な子供達です。ちゃんと、ポーズをとって、写真撮ったあと、皆で、見に来ます。そんなことで、道を間違えたお陰で、旧市街は、ほとんど見ることが出来ました。そして、いよいよ、ダッバーブ乗り場から、ホデイダ行きを探します。
2007.12.26
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2007年12月19日(水)寒い夜であったが、気が付けば、8時間半も寝ていました。旅に出るって、それだけで、疲れるってことなのでしょうか?いつもは、7時間、眠れて、7時間半が限度です。さて、イエメン独特の、ツーリストパーミットと言う奴の取得手続きに行かねばなりません。宿泊中の、アジア・ツーリスト・ホテルのフロントで聞いて見ました。「ツーリスト・ポリスへは、どう行けば良いの?」、と。そしたら、「今日は、祝日、休み! 休み!」、と、ソファーに寝たまま言いおる。夕べも聞いたのですが、バスで行けば良い、と言っていたのです。「えー! 昨日、バスで行けば良いと、言ったじゃん!」、と叫ぶと、「あぁ、じゃー行って見れば・・・」、と誠意のない回答。「こりゃー、ダメじゃ!」 と、行って見ることにしました。外に出ると、ひえひえ~っと、すごく寒いです。暫く歩きましたが、そのツーリスト・ポリスって、歩いては行けない距離がありそう。諦めて、引き返して来たら、IHIと書かれた、ミニバスがりっぱなホテルの前に止まってました。日本人らしき人も乗っています。IHIって、たぶん、石川島播磨重工って、日本のりっぱな会社では、ないでしょうか?で、そのホテル、タージ・シェバ・ホテルと言って、最高級インド系ホテルのようです。1泊180ドルとか書いてありました。結構なお値段です。そこの受付へ行って、ツーリスト・ポリスは、本日開いているか、確認して貰いました。どこやらへ電話してくれて、今日も、明日も、その次も休みだと言うことであります。困ったぞー! 困った!サナアに、3日間も、足止めされたら、何のために、イエメンに来たのか!「そのパーミットって、ないと本当にチェックポイントで、引き返さねばならないのですか?」すがるような気持ちで、フロントに聞いて見ました。そしたら、又、どこかへ電話して聞いています。話の内容より、ダメかも知れないし、大丈夫かも知れない。そんな会話です。電話を切って説明してくれました。やはり、電話の会話と同じです。「観光ではなく、ホデイダに行くと言えば、大丈夫のはず。」、と言うのが答えです。何とも、心もとない確認結果です。それで、パスポートと、ビザの部分のコピーを5部頼みました。コピーすぐしてくれて、いくらか? と聞いても、タダで良いといいます。「あのー、あっしはですねー、宿泊客と違いますねん!」、正直が生きているようなこの僕は、口の先まで、この言葉が出掛かりましたが、「サンキュー!」と、堀内孝雄みたいに、言ってしまいました。図々しい人ですねー!宿泊客でもないのに、パーミットについて確認して貰い、コピーまでして貰って、全く、ありがたいことでございます。さて、どうすっぺ?と、ホテルへの帰り道、数十秒考えましたが、3日も待つ訳には行きません。ここは一発勝負に出ようと、決心したのであります。パーミットなしで移動するのです。ダメだったら、帰って来れば良いじゃないか! ってことです。アジア・ツーリスト・ホテルに帰り、理由を説明し、フロントにチェックアウトする旨伝えます。すると、「明日、ツーリストポリスは正常勤務となる。」「俺は、2年ガイドしていた。パーミットなしでは、絶対に移動出来ない。」と、引き止めようとしています。僕は、ここのフロントより、超高級ホテル、タージ・シェバ・ホテルのフロントを信用したい気持ちでした。で、やっぱりチェックアウトです。2泊分支払いましたが、返金はしないと言います。仕方なく、1泊分は貸しておく、戻って来た時に、1泊フリーと言う事で妥協し、その旨、文書に書かせて、チェックアウトしました。さて、ホデイダに移動出来るのか、否か?結果を、乞う、ご期待!
2007.12.25
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実は、イエメンの旅、結構進んでいるのですが、ネットカフェがなくて仲々、アップ出来ませんでした。日にち遅れですが、旅しながら書き溜めたのを順次アップします。(感想も修正しないでアップします。)++++++++++++++++++++++++++++++時間とネットカフェがあれば、1日に何度でも、イエメンからの報告を、アップしますからね。面倒がらず、読んで下さいまし。==============================2007年12月18日(火)サナア、旧市街、新市街とも、ネットカフェがあるか、キョロキョロしながら、夜歩きをしていました。インタナショナル電話屋さんは、沢山あるのですが、ネットカフェは見当たりません。諦めて、ホテルの戻る途中、1軒見つけました。値段を聞くと、1時間60YR。 まだ、イエメンに着いたばかりで、換算がすんなり行きません。(え? 生まれつきだろ? って? えー、はい、そ、その傾向はありますが。)うー、うー、と唸りながら、ない知恵絞って、計算していると、「高すぎるか?」、と店員さんが言いました。調度、その頃、計算が終わって、1時間35円であると分かりました。「いやいや、それで結構。」、と何だか、金持ちになったような気分で、パソコンに向ったのです。高いって言ったら、マケてくれたのかなー? と後で考えましたが、1時間35円では、マケようがないでしょう。日本語入力も、簡単に設定できて、早いし、環境も問題ありません。イエメンのランク、又上がりました。
2007.12.24
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2007年12月18日(火)ホテルも決まり、旧市街、新市街の夜の散歩も楽しみ、そしてホテルに帰りました。夜は冷えます。ベッドに毛布1枚だったので、受付で、もう1枚毛布を貰いました。2枚の毛布で、寒さも大丈夫じゃろ、と安心して、持参のパジャマに着替えて、ベッドに潜り込みます。しかし、仲々、暖まりません。上にかけた毛布を半割りにして、かけ直し、これで毛布3枚分。少し温くなり、うとうととし始めたのです。しかしながら、半暖かい、半寒いって感じで、熟睡まで行かず、夜中までこれまた、半眠り状態です。2時頃、起き出して、ベストにセーターを着こんで、又、ベッドへ。これで、完璧、気がついたら、朝の6時半でした。良く眠れましたです。でも、今夜は、もう一枚、毛布追加で貸して貰わねば・・・。
2007.12.24
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早いですねー! 朝は、サウジにいたのに、バハレーン経由、もうイエメンの首都サナアに到着しました。空港で、5500YR(約3500円)支払って、簡単にビザ取得。パスポートコントロールも、すんなり。タクシー乗り場が、どこか分からなかったのですが、駐車場をウロウロしていたら、運ちゃんに声をかけられ、2000YRと言うのを、1000YRに値切って、これもすんなり新市街へ着きました。歩き方には、空港から、1000~1200YRと記載あり、ガソリンの値上げ激しい昨今、1000YRなら充分、真っ当な価格でしょう。アル・ナスル・ホテルがお奨めとどなたかのブログで見たので、タハリール広場へ行って部屋を見ました。値段1500YRの割りに、部屋も清潔でなく、断念しました。数件見ましたが、似たりよったり。そして、アジア・ツーリスト・ホテルにやって来ました。部屋も広く、清潔。大通りに面しているのに、部屋を選べば静か。で、ここに決めました。僕の部屋の前にも、応接セットなどがあります。2泊すると決めたら、調度、お祈りが終わった夕食時で、カプサをご馳走になりました。親切ですねー!イエメンの1日目の印象は、かなり上にランクされます。エジプトに比べると、大違いです。このままの印象で、旅できれば、言う事なし、良いですねー!その後、旧市街を、夜の散歩と洒落こみました。ウォー! 大混雑。露天商の多さ! 人の大波!旧市街に入っていったら、迷路みたいで、どっちに向いて歩いているやらわからなくなってしまいました。こんなこと、どっかであったなー?どこだったっけなー? 仲々、思い出せないなー!で、思い出しました。スペインのトレドって言う街です。丘の上にある、小さい街なのに、迷路なんです。ガキの案内で、ようやく新市街方面へ出てくることが出来ました。10YRあげたら、不満そうでした。6円位だから、チップとしては十分と思うのですが・・・。また、明日、ゆっくり散策します。
2007.12.18
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アシュラフ、来年の2月中旬に、インドへ帰る事になりました。以前から、「ダンナ~、旦那は、いつ日本へ帰るんで~?」、と聞いて来ました。「わしの契約は、来年の1月じゃがな、プロジェクトの区切りがつくまでじゃ」「いつなんで~?」「遅れているからのー? 分からんなー・・・。」「いってぇ、いつなんで~?」、としつっこいので、こちらから聞いた事あります。「何でじゃの?」、と。「へい! 旦那が日本へけぇーれば、あっしもインドにけぇーるんで。」「ふ~む、いつになるかのー? 3月か、4月かのー?」「そこを、何とか、3月には、ならんもんですかいの?」「分からん、5月になるかも知れんぞ!」「ひ、ひぇー! ご、ごがつー!」「そうじゃ、五月じゃ。」「ご、ご、ごがつじゃ、インドに、2ヶ月しか居られん! あっしには、1歳を過ぎる子供がおりやす。しかし、会ったことがねぇんです。早くかえりてぇー!」と言うのでありました。それで、良く話を聞いて見れば、来年の7月末から、新しい仕事になるので、一時帰国しても、それまでに帰って来る必要があるらしいのでした。そして、来年の2月半ばに、サウジ滞在2年が過ぎ、旅費が支給されるのです。従いまして、最大、5ヶ月は、インドの家族の元に、滞在が可能なのであります。しかしながら、ご主人、即ち、私、アラブの星一番が、帰らないと、仕事をほったらかして自分だけ帰れないと思っていたようなのであります。殊勝な心がけであり、「憂い奴じゃのー!」 と思っていたのであります。帰るときは、「どっと餞別でも出してやるか!」 とも思っていたのであります。そしたら、例のバイト騒動以来、むすっーっとして、話も上の空です。そして、ある日、「旦那、運転手の代わりがいれば、あっしは、2月にインドへ帰ってもよかんべか?」、と聞いて来たのです。断る理由もないので、「代わりの運転手が、運転技術も良く、安全運転で、英語が話せて、ジュベールや近隣の街も含めて詳しいならば、別に、帰ってもよかんべ。」と答えたのです。勿論、奴のオーナーの了承と、総括管理のアドミ部長の了解を得られればとの条件付ですが・・・。その後、アシュラフは迅速に、オーナーと、アドミ部長の了承を得て来ました。それで、2月中旬インドへの帰国が決定したのであります。あの殊勝な心がけは、どこへ行ったか? と不思議に思ってしまうのであります。無実の罪か、有実の罪か知りませんが、現場を1歩も離れられないむごい(彼にとって)仕打ちを受けて、親分の為も、へったくれもねぇや!と考え直したのかも知れません。ま、そう言う事で、殊勝な心がけがなければ、餞別を渡す必要もない訳でありまして、貧乏人の私によっては、良い事なのであります。バイト騒動の後、「昼飯は食べてない!」、と言いました。「なんでじゃ!」、と聞けば、「金ない! 会社の食堂の飯食えない!」、と言うのであります。(以前は、帰れる時に帰って、友人の作る昼食を食べてたようです。)で、最近は、昼食も僕が一緒に、街の食堂まで行って、食べさせてた訳ですが、あまり感謝している様子もないし、それを食べさせる必要もなくなるし、まぁ、彼が帰国して、特別に困る事は何もありません。と言う事で、彼との付き合いも、あと、2ヶ月弱であります。バイト騒動、どこから湧き上がったのか知りませんが、とんだ後遺症を残し、アシュラフの早期インドへの帰国と相成ったのでござりまする。
2007.12.17
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昨夜、JSTVで、「裸の大将」、やっていました。チリトテチンのすぐ後の番組でした。健康生活ですから、22時からのチリトテチンさえ、毎夜は見られないほど、早寝です。しかし、「裸の大将」見始めたら、止められません!1時間番組かと思ったら、な、なんと、2時間もやってました。24時終了です。芦屋雁之助から、ドランクドラゴンの、塚地武雅に変わってたので、始めは違和感がありましたが、徐々に慣れて、例の、ほのぼの感のある、後味の良い番組でした。ヨメ子の、水川あさみさんも、可愛いですねー!又、あったら、睡眠不足になっても見たい番組です。シリーズ化されるのかなー?
2007.12.16
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弾く場所選ばない 旅人仕様の アコースティックギター何だか、購買意欲をそそる、広告が、週刊朝日に載ってました。そのギターの名前も、「バックパッカー」、あのマーティン社製です。旅用ギターとして、リュックの中にも入るスリムな形状を特徴とする。とあり。でもなー、形がなー? 何ともなじめない。やはりギターには、2つの丸みがないとなー!それを抱えあげるように、弾きながら、唄わないとなー!価格も、47,250円だって! やっぱり、必要ない!今、使っている、これで、いいや。旅にまで、ギター持って行かなくてもね、全然問題ない!
2007.12.15
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来年のカレンダーを貰いました。実は、会社で、2つまで有料のカレンダーを購入してくれます。で、1.イルカのカレンダー2.オセロのカレンダーを、お願いいしたのであります。これが、オセロのカレンダーです。毎月、自分でセットせねばなりませんが、休みの日とか、過ぎ去った日とかを、自分で区分する事も可能です。例えば、これは、12月11日に撮影したものでありますが、白が出勤する日です。木曜、金曜は、休みなので、黒になっております。10日まで、過ぎ去っているので、黒に裏返しました。18日~24日は、サウジの祝日なので、黒となっています。25日と、26日は白になっています。従って、出勤の日なのですが、この2日間を、前借有給休暇としました。ですから、あと、3日出勤すると、お、おぉー!11連休となりますー!分かり易い、カレンダーですねー!しかし・・・、何だか、暇人用のカレンダーのようにも思えます・・・。淋しい毎日を送っている人の、カレンダーのようにも思えます・・・。あぁ、何だか、暗い気持ちになって来た・・・。
2007.12.14
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Maadienneさんの、アドバイスに基づき、砂漠でキャンプが出来るよう、必要なものを、買い集めています。買い集めると言うと、ものすご~く、多くの物を買ったのかと思うでしょうが、へへ、そうではありまへん。たった二つです。一つは、本です。Maadienneさんに、教えて貰った通り、JARIRと言う本屋さんへ行って、教えて貰った通り、DESERT TREKS form AL KHOBAR と言う本を買いました。我が街、アル・ジュベールの隣町、アル・コバールを拠点にして、砂漠へ遊びに行ける所を書いたものです。アル・コバールに13年間、滞在し、砂漠へ繰り出した経験から、記載されているので、実践的です。(書いたのは、イギリス人です)それと、砂漠で寝るには、地上から15cm以上離れて寝なさい! と同じく、Maadienneさんにアドバイスを受けました。もう一つ購入したのは、簡易ベッドです。この簡易ベッド、意気地なしの、運転手アシュラフには買ってあげません。買ってやっても、砂漠に寝ないのでは、意味ありませんから。簡易ベッドの上に、シュラフを置くと、こんな感じになります。さぁー!これで、準備完了!さぁー! 出発するか! と思いましたが、実は、今、サウジの夜は寒いのです。朝晩は、防寒着を着用してます。ゼロ℃以下にはならないので、凍死することは、ないと思いますが、ちょっと、寒くて、寝られそうにありません。しばらく、先になるかなー?
2007.12.13
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昨夜は、○○家の食卓に、招待して頂きました。毎月、1回以上、お邪魔しているでしょうか?和食に、そして家庭料理に飢えている者にとって、大変あり難い事であります。現地にて購入のサトイモ、日本から持参のコンニャク、タケノコ、そして、コンブに、卵焼き、うまいですぞー!ほうれん草の胡麻和え。ほうれん草を食べると、何故か元気になりそうな気がして、大好きであります。筋肉モリモリ、ムキムキマンにはなれませんがね。僕は、オヒタシしか作れません。ゆずの香りが、ほど良く漂う、茶碗蒸しです。僕は、この茶碗蒸しが大好きであり、奥様も、ご存知なので、お代わりして2杯頂きましたです。良いっすねー! こう言った味と、舌触りの食べ物は、中東にはないでしょう。お寿司に、カレー風味コロッケ、などなど。もう食べきれませ~ん!味噌汁です。白玉あずき入り、アイスクリーム。そこら辺で食べるレストランなどより、ずっとずっとうまいのであります。お土産まで、頂きました。もう至れり尽くせりでありまして、感謝の申し上げようもございません。楽しい夕餉を過ごさせて頂いた次第です。リヤド在住の奥様! ドバイ在住の奥様! コバール在住の奥様!参考になりましたでしょうか?
2007.12.13
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気が付いてみたら、イエメンへ出発まで、1週間となってしまいました。行き当たりばったりの旅とはいえ、ある程度、スケジュールを考えて置かねばなりません。2ヶ月も3ヶ月も滞在するならば、適当でいいのですが、限られた期間で、出来るだけ見たいと思いますので。本当は、16日間行きたかったのですが、何せ、有給休暇ゼロ。来年分の前借で、何とか2日の休暇を貰って行くのです。10日間で、ブーたれて、文句言ってられません。たった10日でも贅沢なのであります。さて、ざっと立ててみた、予定です。12月18日(火) サウジ→ バハレーン→ イエメン(サナア) サナア泊12月19日(水) サナア市内見物 サナア泊 翌日移動のバスなど確認 パーミットの取得と、コピーの準備など12月20日(木) サナア→ ホデイダ ホデイダ泊 マナハ、ハジャラに寄ってからホデイダへ行きたい。12月21日(金) ホデイダ→ タイズ タイズ泊 コーハ、モカに寄って、タイズへ行きたい。12月22日(土) タイズ市内見物 タイズ泊12月23日(日) タイズ→ アデン アデン泊12月24日(月) アデン→ サナア サナア泊 ジブラ、イッブに寄って、サナアへ移動したい。12月25日(火) サナア→ マーリブ→ サナア サナア泊 シバ王国の首都、マーリブへ日帰りで見学12月26日(水) サナア→ ハッジャ→ サナア サナア泊 ハッジャへ日帰りで見学12月27日(木) 午前中、ゆったり市内を歩き、午後移動 サナア→ バハレーン→ サウジこれで、もう日程は、一杯です。アデン湾の、ムカッラや、アル・ガイダ、内陸のサユーンや、シバームへ行く余裕はありません。このルートの、逆廻りでもよさそうですが、どっちが良いのでしょうねー?途中の町へ寄って移動したいので、そのような移動手段があるのかないのか、それも心配です。「歩き方」には、そこまで載っていません。まぁ、行けば何とかなるでしょう。何か、コメント、アドバイスあれば、お願いします。
2007.12.12
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日本から出張の方々から、お土産を貰いました。9人も駐在者がいるのに、全員に持って来てくれたのですから、大変な量であります。有り難いことであります。赤いのが、横浜中華街、雄華楼の、特選蟹しゅうまい です。ソフトでジューシーな、「もち豚」入りです。焼海苔のみそ汁天然旨味 あたりめソフト味のこだわり おいしさ十種さらに、文明堂の洋風どら焼 さんどらさらに、さらに、何故か、JALの、「そばですかい」、がありました。これって、機内で売ってくれるのでしたか? もしくは、食べないで貰って来たのでしょうか? 何れにしても、食べたいものですから、有り難いです。どれも、うまそうでしょう?これぜ~んぶ、一人占めで~す!やった!毎週、日本から出張者が、来てくれると良いですねー!
2007.12.11
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2007年10月16日(火)アレキサンドリアの海岸沿いにある、超高級、ソフィテル・セシル・ホテルの最上階に、これまた高級な、中華料理屋があります。そこで、ラーメン食べた事は、既報済みです。ラーメン食べて、あれー? こんな高級ホテルでも、エレベーターは、見通しの良い奴だなー! と思って見ていました。吊り上げられた箱と、そのワイヤのようなのも見えます。ちょっと高級そうにしてありますが、安宿のエレベーターと同じです。で、エレベーターの話でなく、そのエレベーターの隣を、ふと見ると、「マッサージ」、と言う文字が目に入りました。マッサージ大好き人間は、この文字を見ると、金銭感覚を失います。フラフラっと入ってしまいました。金髪のクレオパトラの子孫かと思われる、美しい女性が、説明してくれます。僕は、クラシックマッサージ、40分、80£Eにしようと思って入っていったのでした。すると金髪娘、「なーに、言ってんの!だ~めよ、1時間でなけりゃー!」とか、諸々、説明して来ます。別に時間はあるので、1時間でも良いのですが、マッサージの内容が悪いと、ガックリするので、普通のにしようと思っていたのであります。結果、強引な説明と、勧誘に負けて、1時間、120£Eにしました。すると、金髪娘は引っ込み、身長180cm近くはあろうかと言う、大女さんがやって来ました。お尻の回りは、僕のか細い腰周りの、2倍以上は、間違いなくあろうかと推測されます。なんじゃー! 金髪娘が揉んでくれるんじゃーないのか?ちと、騙された気もしましたが、これは、エジプトで騙され続けた、ふっかけ価格とは、問題の本質が異なります。マッサージは、大型女性の方が良いのです。目的が純正マッサージですから。「オイルは、何にする?」 と聞いて来ました。「えー! オイルマッサージかよ!」僕は、オイルマッサージは、あまり好きでありません。インドネシアでも、タイでもオイルを使う奴は、スケベー方面に移行するのが多いからです。「クラシックマッサージは? オイル使わないでしょ?」、と聞けば、「使う。」、との答え。どうも、正統エジプトマッサージは、オイルマッサージの模様。止む無く、それにしました。スケベー方面に移行しないよう祈って。オイルは、自分で選べます。オレンジとか、花とか、何種類かありました。僕は、香りの良い花のオイルにしましたです。個室に入ると、大女がバスタオル持って来て、全部脱いで、バスタオルで下半身をくるめ! と指示がありました。「おいおい、スケベー方面かよ! 困ったな・・・」、と思いましたが、「ちゃんとしたマッサージして下さいませよ・・・」、と祈るような気持ちで、下着まで脱ぎ捨てました。犯されないように、きっちりバスタオルを腰に巻き付け、片端をしっかり、内側へ押し込みました。そして、中国マッサージのような台にうつ伏せになり、「準備OKですよ!」、と声を掛けると、大女が堂々とやって来ました。そして、きっちり巻き付けたバスタオルを解いて行くではないですか!「な、何するんじゃー!」と叫びそうになり、うつ伏せの頭を持ち上げて、彼女を見ましたが、別に動揺するような素振りもなく、完全にバスタオルを抜き取ると、上から、被せました。「おー、ビックリした。そんなら、そうと始めから言えよ! 驚かすな。」その後は、オイルを塗って、足からふくら脛、太もも、尻、背中、肩と、くまなく、キチンと揉んでくれました。いやらしいスケベーマッサージではありません。始める前に、弱くか? 強くか? と聞かれたので、強く揉んで欲しい、と頼んでおきました。しかし、かなり緩めのマッサージです。オイルマッサージだから、こんなものなんでしょうか?僕は、強めの全盲按摩が好きな位なので、ちょっと物足りません。しかしながら、トルコのハマムのマッサージに比べれば、絶対にエジプトのKO勝ちです。トルコは、それほどサイテーでしたから。仰向けで、揉む時は、タオルを微妙に動かして、あそこは見えないよう、そして触れないよう、オイルを塗ってマッサージするので、安心でした。完了後、オイルが気持ち悪いので、「シャワーは?」 と聞けば、もう50£E支払えば、ここで、オイルを落としてあげる、とか言われましたが、怪しい雰囲気になるのは、ご免被りたいので、シャワー室へ案内して貰いました。エジプトマッサージなるものが、あることさえ知りませんでした。が、1時間、大よそ2500円。中国やタイの、600円とか、800円に比べれば値段は高いですが、そこは、超高級ホテルのマッサージと、街角の按摩屋さんとは異なります。ですから、値段は、まぁ、まぁ、よろしいでしょう。で、マッサージ自体。可もなく不可もなく、と言ったところでしょうか?僕自身は、オイルマッサージは、好きでないので、高い点数はあげられませんが、好きな人にとっては、悪くはないと思います。それなりに、満足で出来ます。このマッサージの翌日、カイロへ戻り、そして、その翌日、サウジへ戻りました。たった16日間の一人旅でしたが、色々とありました。前半から、嫌な想いの方が、多くて、エジプトは、ほんと民度も低く、嫌な国だわい! と印象が強いです。しかし、こう言う気持ちって、後になると、変る事もあるので、後々、どんな風に、エジプトのイメージが変るのか、自分でも楽しみです。それでは、エジプト紀行、おしまいです!
2007.12.10
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2007年10月16日(火)すんごく、驚きました。「な、なんじゃー! なんなんじゃー!」、と絶叫しそうでした。何がって? いや、その世界遺産の アブ・ミーナーです。とにかく、今まで見た、世界遺産と、様相がかなりと言うか、全く異なりました。それでは、順を追って説明して行きましょう。世界遺産だと言うし、アレキサンドリアから、1時間半で行けると言うし、行って見ようと思い立ちました。ほんとは、地中海沿岸を通って、リビアに最も近い所まで行きたいと思ったのですが、日帰りでは、無理なので諦めました。で、どう行ったら良いのか?世界遺産だから、ツアーのようなものがあるだろうと、探して見ましたがありません。街の観光案内所に行って聞いて見たら、 1.まず、10分位、歩いて、セルビスに乗り場に行きなさい。 2.セルビス乗り場で、長距離バス停行きのセルビスに乗りなさい。 3.長距離バス停から、アブ・ミーナー行きの、セルビスに乗りなさい。このような行き方です。えー! 世界遺産へ行くのに、便利な行き方がないのー?珍しいなー! と思ったものです。セルビスとは、女性に名前ではありません。十数人乗りの超小型バスです。乗り場に、行っても、どれに乗って良いか分からず、もう得意の聞きまくりです。行き先の名前を連呼です。ようやく、何とか、長距離バス停行きのセルビスに乗りました。長距離バス停へ行って、アブ・ミーナー行きはどこだ? と聞いても知っている人がいません。世界遺産なのに、おかしいなー、と思いつつ、手当たり次第、聞いて見ましたが、やはり誰も知りません。で、本を見せて、「ここだよ、ここ!」、と見せてやると、「アブ・ミーナー修道院」を指差し、ここならセルビスは行くよ、とようやく分かって貰えたのであります。世界遺産、アブ・ミーナー聖メナス市遺跡は、誰も知らず、修道院の方が知られているのです。そんな世界遺産ってあるでしょうか? 驚きました。セルビス乗り場と行っても、相当広いので、探すのが大変です。これは、セルビス乗り場の一部の写真です。こんなのが、何十列もあるのです。セルビスの中は、こんな状態です。時間は決まっていません。乗客が満員になれば、いつでも出発します。お金はどうやって支払いかと言うと、乗客から乗客へ手渡しし、運転手へ渡します。運転手は運転しながら、お釣りを、又、手渡しで返して来ます。乗り方や、行き先が、分かれば、便利なのかも知りません。セルビスに乗ること、1時間。見えて来ました。これが、アブ・ミーナー修道院です。りっぱです。中へ入って見ました。奥の方に、大聖堂がありました。二つの塔の高さ45m、3000人を収容出来るとのことです。ここもりっぱで、見るに値するものはあります。しかし、ここを見に来たのではありません。世界遺産を見に来たのです。アブ・ミーナーは、この修道院の近くにあると、「歩き方」には書いてあります。しかし、それらしき物は、見当たりません。又々、門番さんなどに聞いて、修道院の中庭の壁に沿って西方面へ。又しても、門がありました。ここでも門番さんに聞いて、確認しました。この門を出れば、世界遺産があるらしいことは、分かりました。門を出て見ると、「ん? んんん?」、な~んにもありません。何にもないけど、道路らしきところを歩いて行きました。そしたら、看板がありました。間違いなく、世界遺産です。しかし、誰もいません。誰もいない工事中のような道を歩いて行きました。やはり、それらしき物は見当たりません。観光客らしき人も誰もいません。「おっかしいなー! ほんとにここか?」、と疑わしくなって来ましたが、門番にも確認したし、看板もあったし、間違いなはずなんです。こんな所なんですよ。何にもありませんよねー!ただ、足跡が結構あるのです。人が沢山通った跡ですから、こっちに行って見ようと、歩いて行きました。やはり何にもありません。引き返そうかとも、思いましたが、ここまで来て見ないで帰るのも癪なので、さらに歩きました。そしたら、遺跡らしきものが・・・「おー! あったぞ!」、感動ですねー!そして、さらに歩いて行きました。ありました、間違いなく遺跡です。柱の基礎があります。さらに、遺跡らしいところが出て来ました。小高い丘があったので、登って見ました。一番遺跡が残っていそうな方向がここです。これが看板にあった場所見たいです。ここの方向以外は、瓦礫の山って言って良いほど、保管状況は悪いです。良くも、こんな状態のものを、世界遺産にしたものだと呆れました。しかし、世界遺産と言えば、ガイドや、物売りや、その他、寄ってたかって、それらで、儲けて食って行こうとする輩が多い中、ここのように、どうやって行けば良いのかさえ、良く分からず、誰もいない世界遺産、それも良いなー、と思えて来ました。そしたら、やたらと、このひっそりとした、世界遺産が、ええじゃないか!と思えるようになったのであります。ガイドブックを、良く読んでみると、ここは、コブト教時代、最大の巡礼地であったそうで、中東はおろか、フランスや、スペインからも、巡礼者が訪れたそうです。現物を見ただけでは、廃墟のようで、分かりませんが、教会跡や、洗礼用に使われた井戸、巡礼者用の宿泊所、浴場、それから、ワイン工場などもあったとのことです。このような、世界遺産、初めてでした!
2007.12.09
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2007年10月16日(火)エジプトに来てから、大したものは食べていません。ラマダン中のせいもあり、ツアーなど、昼食の時間が入ってないので食べられないとか、若しくはて、バスで移動なので、シュワルマのようなファーストフード系のものや、ビスケットなどを腹の足しにしたりしていました。又、ハルガダでは、下痢にもなったので、少し痩せたと思います。ベルトの穴が、足りなくなりそうです。ハルガダのにっくきホテルのオーナー、ハッサンと買出しにいった市場。この肉を買いました。尻尾もついてます。そして、野菜なども、ここで買いました。そして、それらの材料で、この料理を作ってくれました。野菜も、ハッサンが料理しました。市場で買って来たのを、その日に調理したものなのです。これで、何故、お腹がおかしくなってしまうのでしょうか? 未だに分かりません。シュワルマ。これには、ずいぶん世話になりました。手軽で、早いし、うまいし、とっても便利です。安くておいしいエジプト名物と言う、コシャリも食べて見ました。トマト味ですね。麺類が食べたくなるので、スパゲッティも食べました。日本風カレーも食べました。高級中華ラーメンも食べました。
2007.12.08
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Hiroさんから、ジュベールの北方に、エビのように出ている半島はなんじゃいな? って質問を受けておりました。この反り返ったような半島です。左手人差し指を、ちょっと曲げて、日本で言えば、「万引き」、を意味する形に見えますねー。いつぞや、アシュラフが、この指の形を示して、フィッシュ、フィッシュと、僕に言いました。「なんじゃー? 魚、万引きして来るのかー?」と思いましたが、よくよく、聞いてみると、アシュラフのオーナー、漁船も持っていて、インド人の船長や漁民を使って、漁業もやっているのです。そして、アシュラフ、「漁船がエビ獲って帰って来るので、食べるか?」、と万引きの指の形にしたのでした。エビと言う、英単語を知らないので、その指の形にしたのですねー!形は、万国共通です。この半島、エビに見えますか?で、早速、行って見ました。結果 → な~んにもありません!見事に何にもありません。この半島の入り口に、検問所のようなのがありましたので、何か重要な施設でもあって、入れないのかな? とも思ったのですが、行けども、行けども何にもありません。途中、何とかキャンプとか書いてあったので、おー! 海辺砂漠キャンプが出来るか? と思いきや、どうも労働者キャンプの模様です。それも、今は、誰もいそうにありません。こんな広い土地が、日本にあったら、どんだけの金持ちになれるだろう?などと、実現性のない考えが、頭をよぎりましたです。と言う事で、コンパウンドからだと、往復で2時間、半島の入り口から、先端まで、どうかな~?20分以上は掛かりました。おわり。
2007.12.07
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ただ今、わが街ジュベールの、コンパウンドに帰って来ました。何と、もう5時を廻っています!昨夜は、会社の忘年会でした。バハレーンの日本食レストランを貸切状態で、食事に、飲食に、余興のゲームに、かくし芸に、と楽しい4時間半余りを過ごしたのであります。特殊飲料も、バハレーンでは、飲めますので、気持ちは大きくなって来ます。そして、2次会。そして、3次会。何故か、中国語の会話も楽しめました。と言っても、僕には、ほとんど分かりません。我が社のアドミ部長は、中国人より、中国語がうなく話せると言う、得意技を持っているのです。中国の吉林から働きに来ている若き女性、3人に囲まれて、盛り上がりました。しかし、半年も、留学して中国語習ったのに、遺憾なー! 実践に役立ってない。トホホ・・・。さて、寝よっと。
2007.12.07
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先日、心臓辺りの重苦しさ、気持ち悪さ、ドキドキッとするような不整脈らしき症状があり、息が詰まるようなひどい症状も出たので、病院へ行き、診察して貰いました。即刻、検査入院したこと、ここに報告済みです。結果は、異常なし。従って、原因不明です。やはりうつ病の悪化?サウジでは、うつ病と診断されれませんが、日本では、明確にうつ病!と、診断されて、安定剤を飲め! と言われました。疲れや、ストレスから、そう言う症状が出ることもあるとの、情報も頂きました。ある本を読んでいたら、ストレスについて記載があったので、うつ病と関係あるのか、何らかの原因になるのか、整理する為に、纏めて見ました。ストレスとは、本来、ストレッサーと言うらしいです。STRESSORで、医学的に有害因子と訳され、日本語では、一般的に、ストレスと言われています。日本語では、ストレッサーでも、ストレスでも、どちらでも構わないようなので、一般的に使われている、ストレスとして記載します。ストレスには、良いストレスと悪いストレスがあり、(有害因子なのに、良いのと悪いのがあるって、ちょっとおかしいですが・・・)1.それは人によって異なる。 「上司に期待される」と、人によっては、やる気になって良いストレスになるが、 逆にプレッシャーに弱い人には悪いストレスになる事もある。2. 程度が大切 「忙しいと燃える」人がおり、それは良いストレスであるが、過度に 忙しければ、いつも時間に追われ、逆に悪いストレスになる。3. 達成感、承認、人とのつながりは良いストレスになりやすい。 「お客様から頼りにされている」 「上司に認められている」 「目標を達成した」 などは、良いストレスになる。悪いストレスは、イライラさせたり、疲れさせたり悪い刺激をさせる、次のような3点が特徴と言われている。(ア)思い通りにいかないこと。 「あの人のマイペースにはイライラする」 「どうしてこんな仕事を私がやらなくちゃならないだよ」 と言うように、自分と合わない人が廻りにいたり、思い通りに行かない 出来事があると、悪いストレスを感じさせる。(イ)時間的に切迫感を感じること 「忙しくて時間がない」 「いつも締め切りに追われている」 このような毎日は、常に交感神経を刺激して悪いストレス状態を作り出す。(ウ)無気力感を感じること 「自分には打つ手がない」 「どうしようもない」 という無力感を感じるものは悪いストレスになる。人間関係が悪いと、 悪いストレスを感じやすいのは、すぐに変えられない無力感を感じるから。これから、考えると、(ア)思い通りに進んでいないので、、該当。(イ)忙しくはないので、該当せず。(ウ)無気力感ではないけど、打つ手ないので、、該当。結論として、仕事をもっとやる気の出るものに変えれば、ストレスが減るって事となる。本当かなー? 悪いストレスになっているのだろうか?仕事を変える → ストレスが減る → うつ病治る → 人生楽しい♪ん~? と言うことは? サウジから早く撤収せねばなりません。分からんなー? 自分の身体と心なのに・・・。皆さんは、ストレス溜まってませんか?仕事が合わなくても、人間関係悪くても、旦那さんと意見合わなくても、悪いストレス溜まるらしいですよ! 大丈夫ですか?
2007.12.06
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2007年10月15日(月)アレキサンドリアでは、絶対に地中海の見える、ホテルの部屋に泊まろうと決めておりました。海沿いの小路を歩いていたら、安宿の客引きが、声を掛けて来ました。調度、部屋を見ようと思っていた、ノルマンディと言うホテルです。客引きなど必要ないので、「いらん! いらん!」と言っても付いて来ます。部屋からは、アレキサンドリアの街と、地中海が丸見えです。35E£(700円)だし、ここに決めました。客引きより、2泊分前払いと言われました。しかし、何か気に入らない事があっても、別の宿に移れないので、「それじゃー止める」、と言ったら、ホテルの従業員が、1泊で良いと言うので、泊まることになったのです。多分、客引きは、支払い応じて、取り分があるのでしょう。部屋に入り、ゆったりして、反対側を見ると、やはり地中海丸見えです。もう、夕暮れです。朝、起きて、気持ちよい風が吹くので、ベランダへ出て見ました。隣を見て、ビックリ!お隣さんの、ベランダが、すぐそばです!このノルマンディ・ホテル、部屋も、まぁまぁなのです。しかし、シャワーが共同だし、お湯の出も悪いので、翌日は、ホテルを変えることにしました。ユニオンと言う、すぐ近くのホテルです。60E£(1200円)で、お値段は若干、お高くなります。部屋です。ベッドもきれいです。バス・トイレ付きです。地中海に面していませんが、ベランダに出れば、見えます。海風が吹くので、カイロに比べると、ずっと涼しく、過ごし易かったです。
2007.12.04
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2007年10月15日(月)駅から降りて、アレキサンドリアの街を散策して見ようと歩いて見ました。因みに、アレキサンドリアは、カイロに次ぐ、エジプト第2の都市であります。紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された由。この時代を、プトレマイオス朝と言うようですが、その最後の女王が、かのクレオパトラなのです。クレオパトラさん、頑張ったけど、ローマに征服されてしまって、自殺したんでしたよね? この街は、7世紀にアラブの侵入を受けたのです。その後、首都がカイロに移されてからさびれた港町だったそうですが、19世紀になって、西欧化の波が押し寄せ、再び発展したそうな。で、エジプトの他の街と、若干異なる雰囲気を持っています。これは、マスル駅のすぐ近くにある、ローマ円形劇場です。海岸の方へ歩いて行くと、大変な人々です。家族連れ、カップル、若い女性同士、餓鬼ども、などなど、すごい人の波。エジプト中の人が、街に溢れ出て来た感じです。若い女性達も、皆さん笑顔で、挨拶します。アジア人が少ないから珍しいのでしょうか? 「写真撮って!」、などと言う娘もいました。餓鬼どもは、全く五月蝿くてかないません。集団で来て、挨拶を通りすぎてからかって行きます。バックパックのチャックを開けようとしたり、悪戯が過ぎます。よって、早々に、ホテルにチェックインしました。そして、夜、身軽になって、再び見学に出ました。無名戦士の碑です。海岸沿いにあります。こんな人だかりです。(良く分からないでしょうが)何故、こんな多くの人が? と思ったら、ラマダン明けなのでした。断食明けのお祭り、イールド・フィトルとか言う最終日だそうです。道理で、皆さん、はしゃいでいたはずです。しかし、花火も、飾りも、国旗の掲載も何にもないので、分からなかったのです。翌日の夜の人出は、ぐっと少なくなりました。
2007.12.03
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2007年10月15日(月)予定では、砂漠ツアーにて、「エジプト16日間一人旅」は完了の予定でした。しかし、ルクソールでは、2泊3日のフルーカの旅を諦め、ハルガダからカイロでは、1泊の予定だったが、西方砂漠へ直行したりしたので、日程に余裕が出ました。それで、クレオパトラがいた街、アレキサンドリアへ行く事にしました。列車の旅です。お金持ちに相応しく、大枚37£Eを支払って、ファーストクラスのチケットを購入です。(と言っても、たったの750円程度ですが・・・。)ここが、カイロの鉄道駅である、ラムセス駅です。そして、お見せしましょう。ファーストクラスの座席です。さすがに、ゆったりしていて、座席で、胡坐かくことも出来ます。2列、通路、1列の、横には座席が3席のみ。ゆったりと出来るはずです。僕は、こちら側の、1列の席。ええでんなー! ゆったり出来て。一応、優越感を味わう為に、庶民の席、2等席を見に行って来ました。こんな座席であります。結構、違いますでしょう? ファーストクラスと庶民の席?因みに、しつっこいようですが、わたくしは、ファーストクラスです!オホン! エヘン! ウッフン! オッホン!(ふんぞり返ったところです)この座席の写真を撮っていたら、座席がなく、通路に屯していた家族が写真を撮ってくれ、と大騒ぎ。撮ってどうするでもないのですが・・・。ムスリムは写真撮られるのを嫌がるはずなんですが、ここでは違います。写真撮ったら「サンキュー!」、とか、言われました。 約2時間と、45分。アレキサンドリアの終点、マスル駅に着きました。仲々、シャレた駅です。追加の写真えっと、似ていると言うご意見のありました、イスタンブールのスィルケジ駅です。う~ん、似てるって言えば、似てますねー!
2007.12.02
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さてさて、エジプト話に戻りましょう。モタモタしておりますと、もうじき、イエメンへの旅が、始まってしまいます。エジプトの旅も、もう1ヶ月半前の話になってしまいました。=============================2007年10月14日(日)バフレイヤ・オアシスの中心の町、バウィーティに戻る途中、クリスタル・マウンテンへ寄りました。アスファルト道路のすぐ脇にあります。山全体が、クリスタルの結晶で出来ているのです。分かりますでしょうか? もう少し、拡大可能な場所を撮って見ました。さらに拡大して見ましょう。アメリカ女性、ここで、おしっこしていました。いえいえ、見た訳ではありません。彼氏のエジプト人が、すまんがちょっと待ってくれ、と行くのを遮っていたのです。クリスタルじゃー、浸透しないじゃん! 砂漠ですればー? と思いました。そして、アメリカ人女性のおしっこと、クリスタルに、クリト○スって言葉を思い浮かべてしまいました。貧弱な発想だねー! スケベーだねー。おおー、恥ずかし。それはさておき、え? さておかんで良い? 続けろ? ですって?ダンメ。品位が汚れます。スケベー話は終了。さてさて、さらに車は、走り、オアシスの辺りで、いきなり右折しました。「おいおい、もう薪は要らんぜ!」、と思っていました。何の説明もないので、どこへ行くのか、分かりません。そしたら、ここです。砂漠の中の鉱泉です。水量が豊富ですねー!温度はぬるま湯にも満たない低さですが、温泉の匂いがします。アメリカ人も、エジプト人も入ると言います。アメリカ人の彼女、大胆ですねー! すぐさま、すっぽんぽんになって、ここに飛び込みました。青空に、白い身体。似合います。しかし、あそこも金髪なんですねー! 驚きました。しかも泳いでいます。僕も面倒ですが、海パンに穿き替えて、鉱泉に入りました。もう少し、温度が高ければ最高なんですが、温水プールのような感じです。でも、匂いが結構きつく、温泉気分ではあります。注:アメリカ人の彼女、云々の3行は嘘です。事実ではありません。 すいません、想像しました。アメリカ人もそれほど、大胆ではありません。 キチンと水着着用です。着替えは、彼氏がバスタオルで見えないように してあげて、着替えてました。暫く、水量豊富な、鉱泉を楽しんだ後、バウィーティに向いました。ホテルで、遅い朝食、と言うより、ブランチを食べて、バス乗り場へ。予定より、1時間も遅れてバスがやって来ました。1時間と言う遅れは、長いと言うより、いい加減ですが、ここがエジプトです。カイロまでの道は、全くの砂漠。何にもありません。こんな砂漠の中の、アスファルト道路を、5時間と40分、ひた走り、ギザの街に着きました。さらにカイロ市内へ行くのですが、カイロの道路は渋滞するので、ギザで降りて、地下鉄で帰りました。満足な、砂漠でした。カイロから、オアシスまで、本当の砂漠です。全く何もありません。ここに比べると、日本は豊かですねー。日本人が、何故、律儀で親切で、やさしく、情緒に富んでいるか、少し分かるような気がします。そして、日本の現在は、世界でも最も裕福であり、比較すれば、あらゆる意味で、最高の国であると思うのに、この国を作り上げて来た、先人を尊敬せず、この国を運営している、政治家の足を引っ張り、金持ちを許さず、ちょっとおかしいなー、と思えて来ます。数千年前に、あれだけ栄えたエジプトも、今や見る影もなく、広大な範囲を治めたトルコも今や普通の国だし、世界を制覇したスペインだって、大した国でなくなっている。日本も、今、現在が最高潮で、今後は、下降の一途を辿るのであろうか?砂漠をひた走りながら、そんな事を、考えてしまいました。
2007.12.01
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バハレーン日本人会の秋祭りに、お邪魔して来ました。この写真の通り、日本の盆踊りと同様、やぐらが組まれております。そして、その周囲には、色んな出店も、出されておりまする。準備大変だったでしょうが、もう、完璧な、準備状況であります。金魚すくいです。 懐かしい綿あめ。 ボールすくい。 こっちは、小さなボールです。 アラブ人も参加していました。 その他、出店には、焼き鳥や、餅や、チョコバナナや、肉じゃがや、カレーや、まだまだ、色々とありましたです。写真は、肖像権を侵すといけないので撮れませんでしたが、浴衣を着た、可愛い子供達、加えて、現地の子供も浴衣着たり、バハレーンらしい、秋祭りでありました。家族連れの方々が、とっても楽しそうに、歩いております。一人、プラプラ歩いていると、何だか、場違いな所のように思えて、10分程で、この会場を後にしました。(トホホ)そして、行きましたのが、タイレストラン。ビールで喉を潤しながら、サテーをつまみましたです。ここの店員のアッチャラー、タイのシラチャから来ているのですが、美人タイプではないものの、笑顔がとっても、美しく、心に安らぎを与えてくれるのです。(たとえ、それが、商売用の笑顔であっても・・・。)で? サテー? これってタイでしたか? マレーシアでしたよね?ま、どこでも良いのですが、一人で、ひっそりと飲みながらつまむには、最適であります。タイ料理ですから、トムヤンクンも頼みました。やはり、本場の味です。仕上げに、鍋焼きうどんを、食べて、(タイ・日本食レストランです。)あー! 満足! おー! 幸せ! てな思いで、サウジへの帰途につきました。
2007.12.01
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