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※これはGゼミの塾内報(2012年10月発行)の塾長コラムを転記したものです。日時などは当時のものをそのまま掲載しています。 先日秦野高校で、校長先生・教頭先生にお話を伺ってきました。(詳しい情報は、面談や保護者会でお伝えします。)その中で「秦野高校を目指す生徒に、こんな勉強をしてほしいという要望はありますか?」という質問に対して、校長先生はこんなふうにおっしゃっていました。「授業で習ったことを、しっかりと自分の口で説明できるようになってほしい。」以前のGニュース(2012.9月号)に、小田原高校の校長先生のインタビューを掲載したことを覚えていますか?実は小田原高校の校長先生も同じことをおっしゃっていたんです。つまり、上位校はどこの高校でも、習ったことをできるだけでなく「自分の口で説明できる」生徒が求められているということですよね。生徒のみなさんは、これをどのように考えますか? まず、なぜそういった生徒が求められているのでしょうか?ヒントは、小田原高校も秦野高校も、県が指定した学力向上進学重点校だということです。学力向上進学重点校について、Wikipediaには「大学進学の実績向上に重点を置いた高校」と書いてあります。分かりやすく言うと、難関大学に行くための高校ということです。 難関大学を目指している高校は、説明力を持った生徒に来てほしがっている。これはどういうことなのか?そうです、難関国公立や早稲田・慶応のような難関大学に行くためには、この説明力が必要ということなのです。「教わったことを説明できないような生徒は、高校まではある程度のところまでは行けても、その先で伸び悩むよ。大学受験で大きな壁にぶち当たるよ。」校長先生は、こう言いたいのだと思います。 では、Gゼミ生のみなさんは、どうでしょうか?塾で習ったことを、自宅に帰って家族の人に説明できますか?説明できないとしたら、なぜでしょうか?集中して聞いていましたか?分からない部分、理解できなかった部分をそのままにしておきませんでしたか?メモを積極的に取っていましたか?「塾は大丈夫だ」という人は、学校で習ったことは説明できますか?こういったことをもう一度、自分に問いかけてみてほしいと思います。そして、自分の勉強が今のままでいいのか、もう一度チェックしてみましょう。「あとで説明できるように授業を受けよう」と言っているだけで、勉強時間を増やすわけではないですから、みなさんにとって増える負担など、ほとんどないはずです。 習ったことをあっという間にできるようになる子がいます。一方で、なかなかできるようにならない子もいます。同じ授業を受けて、同じ課題をやって...。なぜ差が開くのでしょうか?「勉強時間の差」だけで終わらせていいのでしょうか?実は、勉強ができる子ほど、部活やその他の活動で活発に動いています。もちろん遊びも活発にしています。それなのになぜ勉強ができるのか?それは、授業を受けるときに「高い意識で受けている」からです。今日から、学校や塾の授業を受けるときに、「あとで説明できるように」という意識を持って受けてみましょう。その先にあるものは、信じられないくらいの大きな成長と、志望校への切符に間違いありません。
2013.02.25
※これはGゼミの塾内報(2012年1月発行)の塾長コラムを転記したものです。日時などは当時のものをそのまま掲載しています。 こんにちは。今回からここのコラムは塾長が毎月連載をさせていただくことになりました。教育・社会・経済・エンタメなど、ジャンルを問わず幅広く書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。さて、Gゼミでは3月11日に池間哲郎さんの講演会を行います。アジア各地で貧困に苦しみながら、懸命に生きる子どもたちの生活の実態を知ること、それは多くのことを私たちに多くのことを考えさせることだと思います。さて、今回はその講演会の予習としまして、東南アジアのカンボジアの歴史について簡単に紹介させていただきます。以下の歴史を初めて知る人には、「こんなことが実際に起こったのか?」と信じられない気持ちになるかもしれません。 カンボジアはアンコールワットで有名な国です。アンコールワットは世界遺産に指定されており、カンボジア国旗の中央にも描かれています。そんな美しい寺院がある国で、この世のものとは思えない悲劇が起きたのです。カンボジアでは、1970年代に当時のロン・ノル政権に対してのゲリラ活動が活発となりました。そして75年に、首都・プノンペンがゲリラ軍によって制圧され、ロン・ノル政権は崩壊。ロン・ノルは海外に逃走します。代わって政権の中枢に就いたのはポル・ポト。「これで内戦が終わる!」多くの人々は喜びますが、まもなくそれは絶望に変わりました。ポル・ポトは、「すべての人が肉体労働に従事し、生産されたものを平等に分け合う」という『原始共産制』を目指した国づくりを始めたのです。日本で言うなら、「縄文時代の世の中に戻そう」という政治です。これに伴い、宗教は禁止。学校・病院も廃止され、貨幣もなくなりました。家族は解散させられ、財産も全部没収、子どもは親から強制的に引き離され、国民全員が共同農場に押し込まれました。恋愛も許されず、女子は国が決めた相手と結婚し、子どもを産むことを強制させられました。また、こういった政策に反対した人々は「反革命」のレッテルを貼られ、処刑されたのです。特にポル・ポトとその仲間(ポル・ポト派)に敵視されたのは「都会の住民」と「知識人」でした。「農業そこ基本である」という考えの前には、知識人や都会の住民は、敵でしかなかったのです。元教師、字が書ける人、本が読める人、さらにはメガネをかけているだけで、知識人とみなされ処刑されました。肝心の農業も、農業の素人であるポル・ポト派幹部が指導していたため、生産量が増えるどころか逆に大ききんとなり、多くの餓死者が発生。結局、カンボジアの人口の半分、300万人近くの人々が死亡したと言われていますが、詳しくは分かっていません。 当時、カンボジアは国外にこの悲惨な状況を公表していなかったために、1978年にベトナム軍が侵攻して初めて、カンボジアで何が起きたのかということを世界は知りました。国内のどこを掘っても、殺された人々の白骨がいくらでも出てきたのです。 ベトナム軍の侵攻により、ポル・ポト政権は崩壊しました。しかし、知識人など、国を引っ張っていく人々はすでに皆殺しにされていたため、その後も経済が低迷。さらに、当時埋められた地雷を遊んでいた子どもたちがあやまって踏んでしまうという事故が、今でも後を絶ちません。 そんな悲劇が起きた国、カンボジアで今、子ども達はどんな暮らしをしていているのか。そして、私たちにできることはいったい...。ぜひ、講演会にご家族でご参加していただき、子ども達には、深く考えてもらいたいと思います。
2012.10.12
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