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こんにちは。今回からここのコラムは塾長が毎月連載をさせていただくことになりました。教育・社会・経済・エンタメなど、ジャンルを問わず幅広く書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、Gゼミでは3月11日に池間哲郎さんの講演会を行います。アジア各地で貧困に苦しみながら、懸命に生きる子どもたちの生活の実態を知ること、それは多くのことを私たちに多くのことを考えさせることだと思います。さて、今回はその講演会の予習としまして、東南アジアのカンボジアの歴史について簡単に紹介させていただきます。以下の歴史を初めて知る人には、「 こんなことが実際に起こったのか? 」と信じられない気持ちになるかもしれません。
カンボジアはアンコールワットで有名な国です。アンコールワットは世界遺産に指定されており、カンボジア国旗の中央にも描かれています。そんな美しい寺院がある国で、この世のものとは思えない悲劇が起きたのです。
カンボジアでは、1970年代に当時のロン・ノル政権に対してのゲリラ活動が活発となりました。そして75年に、首都・プノンペンがゲリラ軍によって制圧され、ロン・ノル政権は崩壊。ロン・ノルは海外に逃走します。代わって政権の中枢に就いたのはポル・ポト。「これで内戦が終わる!」多くの人々は喜びますが、 まもなくそれは絶望に変わりました 。ポル・ポトは、「すべての人が肉体労働に従事し、生産されたものを平等に分け合う」という『原始共産制』を目指した国づくりを始めたのです。日本で言うなら、「 縄文時代の世の中に戻そう」という政治 です。
これに伴い、宗教は禁止。学校・病院も廃止され、貨幣もなくなりました。家族は解散させられ、財産も全部没収、子どもは親から強制的に引き離され、国民全員が共同農場に押し込まれました。恋愛も許されず、女子は国が決めた相手と結婚し、子どもを産むことを強制させられました。また、こういった政策に反対した人々は「反革命」のレッテルを貼られ、処刑されたのです。
特にポル・ポトとその仲間(ポル・ポト派)に敵視されたのは「都会の住民」と「知識人」でした。「農業そこ基本である」という考えの前には、知識人や都会の住民は、敵でしかなかったのです。元教師、字が書ける人、本が読める人、さらには メガネをかけているだけで、知識人とみなされ処刑されました 。肝心の農業も、農業の素人であるポル・ポト派幹部が指導していたため、生産量が増えるどころか逆に大ききんとなり、多くの餓死者が発生。結局、カンボジアの人口の半分、300万人近くの人々が死亡したと言われていますが、詳しくは分かっていません。
当時、カンボジアは国外にこの悲惨な状況を公表していなかったために、1978年にベトナム軍が侵攻して初めて、カンボジアで何が起きたのかということを世界は知りました。国内のどこを掘っても、 殺された人々の白骨がいくらでも出てきたのです 。
ベトナム軍の侵攻により、ポル・ポト政権は崩壊しました。しかし、知識人など、国を引っ張っていく人々はすでに皆殺しにされていたため、その後も経済が低迷。さらに、当時埋められた地雷を遊んでいた子どもたちがあやまって踏んでしまうという事故が、今でも後を絶ちません。
そんな悲劇が起きた国、カンボジアで今、子ども達はどんな暮らしをしていているのか。そして、私たちにできることはいったい...。ぜひ、講演会にご家族でご参加していただき、子ども達には、深く考えてもらいたいと思います。
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