じょうてい こうきょ はくぎょくだい せんしゅう せきせつ ほうらい よう
上帝 の 高居 白玉台。 千秋 の積雪 蓬莱を擁 す
きんけい いあく じんかん よる かいてい こうりん かげ と きた
金雞 咿喔 人寰の 夜。 海底 の江輪 影を飛ばして来る
詩文説明
富士山の山頂は、天帝の高居である白玉台のごとく、千年以上もあろうかという永年の積雪に取り囲まれて、仙境を形作っている。頂上では天鶏が鳴いていて、すでに暁を告げていても、下界(人の住む世界)の方はまだ暗い。しかし今しも海底から紅の車輪をめぐらすように、太陽ははるかに湧き出でて、光を飛ばして山頂を照らすに至るのである。
1、絶景の富士山
2、江戸末期~明治にかけての古い写真。
(写真技術が日本に入ってきた頃の富士山)。
昔から日本人が崇拝し、崇高を誇っている富士山です)
写真1、2、
千年以上もあろうかという永年の積雪に囲まれ仙境を形造っている富士山、何処から見ても美しい。
1、太陽は遥かに湧き出て光を飛ばして山頂を照らすが下界はまだ暗い。
(実は私の数年後に頭が光り輝く事を想定して太陽に見立てる。光り輝く太陽がホンワカホンワカと昇り出て富士山山頂「頭」を照らす)
2、頂上では天鶏が鳴いて暁を告げるが下界はまだ暗い。
(富士山本営浅間大社を富士山の頂上の上帝の棲む高居に仕立て、鶏の頭に冠をあしらい口をあけて時を告げてる様子を作成。)
作者 室鳩巣
江戸中期の朱子学派の儒者。名は直清、字は帥禮、通称新助。号は鳩巣・別に滄浪。備中の人。父は玄撲といい医を業とした。幼にして総悟m14歳で加賀藩主、前田綱紀に仕え「大学章句」を講じ、綱紀を感嘆させた。命により京都に遊学木下順庵に師事した。1711(正徳元年)新井白石の推挙により幕府の儒官となり、八代将軍吉宗の侍講となり、政治の諮問にも備えられた。。朱子学者としての維持をはかり「貞観政要」の布及にも努めた。政治・経済論に優れていた。享保17年8月12日病没。